北方山岳地帯
ムーア世界の北方にある山岳地帯は、猛威をふるう吹雪にさらされる過酷な環境にある。その山岳地帯の氷原にある『氷の女神像』の前では、白衣姿の美青年が自身の研究に没頭していた。
「水晶に“思いの力”を加えた、リミッター的限定条件については問題ないとして……」
理論を証明するため試作品を携え研究に集中するのは、先行してアマラカンより帰還した異世界青年武神鈴( たけがみ りん)であった。
「く。試作品では、ライン構築まで至らないか……新たなライン構築は今の技術や理論構築力ではまだ手が届かないだろうし、そこにこだわってもどのみち使用には制限がかかっていて長期の使用には耐えられない……欠点の克服にはまったく別な理論が必要だ……今は俺の構築した理論の正しさと……神官の力を持たぬものの思いでも集まれば神官に匹敵する力となる……世界のありようを変える力になることを証明したいんだが……しかしそのためにリミッター解除するようでは俺の理想に反する」
ムーア世界で習い覚えた『精神防御壁』を展開しつつ、力の発される方向である“ライン”を知覚する鈴は、様々に持論を検証する。
「確かに、『精神防御壁』の前では大した力を使わなくても展開できるな……この位置ならば、別の力も同時に使えるかもしれないな」
検証する鈴は、変換符を手にしてかざして、新たな“リミッター付水晶”の構成を始める。本来この変換術は、術者の精神力を媒介とした複雑なものや高いエネルギーを内包しているものには高い消耗率を要する。だが、今回は極めて微力な力で物質の構成が可能になったのだ。
「この位置こそが、もっとも純粋な形でのライン構築が可能になるものなのか!?」
鈴の創る水晶とは、二酸化ケイ素からなる鉱物石英の大きな結晶であった。自然界にあっては六角柱状等の結晶が成されるものなのだが、鈴の創造するリミッター的要素と超自然界との影響を受けその形状は正円を描きながら構成されていったのだ。
こうして完成した水晶を手にする鈴の前に、アマラカンから帰還した一行が現れていた。
「ただ今。ようやく戻れたわ」「みんな無事!?」
帰還を伝えるリリエルとリューナに、鈴は言う。
「どうやら皆、試練を苦労して超えたようだな。キャンプの方は、いろいろ問題はあるが無事といえば無事だな」
携帯した水晶の『精神防御壁発生装置』ONしてから自身で張っていた『精神防御壁』を解除する鈴は言う。
「帰って来たはいいが猛吹雪の中の移動では可哀想過ぎるからな……この新しい『精神防御壁発生装置』で労ぐらいはねぎらってやる。もうおまえたちが張っている『精神防御壁』は解除しても問題ないぞ」
鈴の言葉で、研究の完成を知った二人から歓声が上がったのだった。
アマラカンの受け入れ準備完了を待つ東トーバの民たちが今もキャンプを張っていた。その場所では、今も話し合いを続ける者たちがいた。神官や難民の中でも年長の人々、そしてキソロの若者も含めた輪の中心にいたのは、異世界の制服姿を着た可憐な少女であった。
「アマラカンに入ることができるのが、神官の素質を持った者だけだときいた以上、難民のみなさんに過酷なキャンプ生活を続けさせることはやはり意味のないことだと思うのですが……皆さんはどう思いますか?」
春音としては、これからのことは難民のみなさんそれぞれが、自分自身で決めてほしいという気持ちが強かったのだ。しかし、春音の問いかけに対して、集まった一同は“何があってもそれも仕方のないこと”“少しでも生きていける可能性が高い方にいければ良い”“他にどうしようもない”等と覇気のない答えばかりが返ってきていた。
「では、キソロの若者の皆さんにもうかがいますね。今、わたしたちと一緒にいて一時的に魔族から逃れられたとしても、魔族の支配が続く中では、逃避行できるのも時間の問題だと思いませんか?」
春音は、キャンプを守るという責任を果たしながら、未だに逃げ隠れているだけで良いのだろうかという疑問を持ち始めていたのだ。しかし、春音の問いかけに対して、キソロの若者は“ここには、寒さを逃れる施設があると調べがついています”“隠れている間の物資補給についてはキソロ領主のルテリさんも約束してくれてますし”等と、誰かに頼る生き方を崩す意識はなかったのだ。
『皆さんの依存度の高さを責めるつもりはないですし、わたし自身も皆さんを守る責任を放棄するつもりはないですが……やつぱり、皆さんのためにもこのままじゃいけないですよね』
春音は、具体的な解決策までには至らないものの、このままではいけないことだけは感じ始めていたのだった。
そんなキャンプ地に、鈴が先導する一団が到着する。彼らの到着を、一番に喜んだのは、話し合いを続けていた春音だった。
「お帰りなさい! こちらもいろいろありましたが、そちらも大変だった事は鈴さんからうかがっています。それと、鈴さん、研究が完成したのですね! おめでとうございます!!」
栗色がかった黒髪をなびかせて駆け寄る春音に、鈴は言う。
「どうにかな」
その鈴の後ろから、元気な顔を見せたリューナは言う。
「キャンプの状況は鈴から聞いてるわ。わたしもキソロへすぐにでも交渉に行きたいところだけど、先にキャンプの皆に確認したいことがあるの。リリエルからも報告したいことがあるし。ここにいないみんなを一箇所に集めてもらってもよいかしら?」
リューナの提案に、春音は話し合いに集まっていた皆と協力してキャンプ中の民を一箇所に集める。そこは、キャンプの中でもややくぼ地になった空間だった。そのやや広めの空間を外気から守るように、鈴が数名の若者に『精神防御壁発生装置』を持たせる。
「使い方は簡単だ。水晶にあるこのスイッチをONにすればいい。ただし、利用に微弱な精神力というか、“装置発動の意思”は必要だ。後は、基本的に持続時間は一時間程度と短いから、適度に回りの者と交代して装置を発動させてくれればいい」
鈴が、神官の疲弊を回避させる手はずをと整える中、キャンプの今後を決定づける会合は開始されたのだった。
「まずアマラカンでは皆の受け入れ態勢が整ったことを報告させてもらうわ」
会合の中央に立って報告するのは、紫がかった黒髪の少女リューナだった。超自然界に浮かぶアマラカンの大地そのものを守り、さらに大地を広げた者であるリューナは言う。
「でもそのアマラカンに住むためには、神官の力が必要なのは鈴から聞いてるわね。命がけで試練に挑むか、それとも逃避行を続けるか、それとは別に新天地を探すか……。新たに土地を開墾して隠れ里を作ってしまってもいいかもしれないわ。これからのことを一人一人に選んでほしいの。もちろん、神官はすぐにもアマラカンは受け入れてくれるわ。ただし、神官の力がなくなれば同じ試練を受けることになるけど」
リューナは、この北方山岳地帯まで来れた民ならば、己の実力もある程度は見えていると信頼していた。東トーバの民すべてが神官にはなれなくとも、ムーアに対する抵抗運動者として活動する道もあると考えたのだ。
「アマラカンに移住希望する者は、『氷の女神像』の前に行ってみて。アマラカンからの迎えは、もうそこまで来てくれているの」
そのリューナの脇から、今度はリリエルが立ち上がる。
「じゃ、次はあたしからも報告させてもらうわ。東トーバでは神官長だったラハだけど、アマラカンでの試練を超えて、晴れて君主マハの力の後継者たる資格を得たの」
そしてリリエルは、ためらいを見せるラハを立たせ、その背中をバシンと一発平手で叩いて前へ押し出した。
「このラハが、マハの後継者となって、新たな神官主になったのよ。もちろん、それもあたしのおかげだけど?」
リリエルの明るい声と、気合の一発に励まされて、二つの世界をつなぐ神官主となったラハが民の前に向かう。一方、この場に集まっていた民は“神官主”という存在に疑念を抱いてしまっていた。アマラカンにあってこそ意味を成す神官主の権威は、ムーア世界ではその実力を計れるものはなかったのだ。どよめく民の前に立ったラハは、おもむろに口を開いた。
「……はるか昔より超自然界との調和を保ち、その意思をつなぐ者が東トーバ君主となって参りました……しかしながら東トーバはもはや神官の国ではありません。けれど今、その東トーバであった地より、力強い抵抗の流れが生まれているのをわたしは感じることができます……それは、ムーア世界に新たな秩序を生む流れなのです」
神官主となったラハは、気負うことなく言葉をつむぎ出す。
「本来ムーア世界に失われた緑を育むことが、約束された神官の勤め。その主たる資格を得たわたしは、ここに宣言いたします。ムーア世界に生まれつつある新たな秩序と共に、わたしはこの秩序をさらに育む礎となりましょう」
そして、民の一人一人の顔を確かめたラハは言う。
「神官に、君臨する国は不要です。わたしと共にゆく者は、この生ある世界に。新たな守り手の道をゆく者はアマラカンへ。そのどの道も平坦なものではありません。まずは一人一人が、道を選ぶ力を得ることから始めましょう。それこそが、人々が住みよいムーア世界を創るために必要な力となりましょう」
ラハの言葉によって、民の誰もが今まで何かに頼っていた自分を自覚する。そして、かつて春音やリューナが常に民の意思を確認していた本当の意味をも理解する。どんなささいな事でも、まずは自分の意志こそが世界を変える力となるのだ。そうして民から静かな拍手が沸き起こり、その拍手と共に、ラハはムーア世界における神官主として人々に受け入れられていったのだった。
この経過を見届けたリリエルとリューナ、そして春音と鈴とが、顔を見合わせて自分たちがムーア世界に残した功績を称えあったという。
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