北方山岳地帯

 北方山岳地帯では、アマラカンの受け入れ準備完了を待つ東トーバの民たちがキャンプを張っていた。そのキャンプへ、キソロ領主ルテリを名乗る人物が現れる。
「そちらのキャンプにいる若くて美しい者、数名をこちらにいただけないだろうか……代わりといっては何だが、そちらにいる体力のない者はキソロにかくまおう」
 キソロでは今も人間徴発が行われている。キソロ領主ルテリは、領民を差し出すよりはキャンプにいる難民を身代わりにしたいと言ったのだ。この交渉内容に動揺するキャンプの中で、人々をなだめる小柄で華奢な異世界少女の姿があった。育った実質界の制服姿である少女は、坂本春音(さかもと はるね)。見知らぬキソロの街で迷子となっていたところをキャンプの一行に加わった少女である。その後、一行を回復術で助けてきた春音は、異世界人仲間の多くがアマラカン入りするのに際し、ただ一人キャンプに残った異世界人であった。
「まだ決定ではないですから、大丈夫ですよ」
「そうは言っても、結局はムーア側の人間だ。ここで断っても、何をするかわからんぞ」
 領主の要求にぴったり合うような若者たちは、領主の言葉に反発して武器を手に取ろうとする。荒れる若者に対して、分別を持つ者たちの多くは疲れ切っていて、それを止める力すらない状態であったのだ。春音自身、まだ重い疲労は残っていたのだが、ここは気力をふりしぼって若者たちを止める。
「落ち着いてください。問答無用で難民達を捕らえることもできたのに、それをしないで領主自らがわざわざ話し合いに出向いて来てるんです。決してこのキャンプの存在が軽く見られているわけではないですし、領主自身も何か訳ありなのではないですか?」
 緊迫する両者の間に立つ春音。その交渉の場にかけられる声があった。
「何だか大変なところに帰っちゃったかな? とりあえず、ただ今!」
 場にそぐわない陽気に声をかけたのは、異世界の青年アルフランツ・カプラート。猫耳を持つ青年の脇から、4人の子供たちが自分の親の元に駆け出す。
「お母さんー!」「お父さん!!」
 子供の姿を見つけるなり、家族が我が子の名を呼んで抱きしめる。子供たちは抱きしめられながら、口々に今までどれだけ恐いことがあったのか、それをどうやって助かってきたのかを泣きながら親に話していた。その姿を眺めて涙目になるアルフランツに、交渉を続けようとしたルテリが声をかける。
「よくはわからんが、子供たちを助けてこんなところまで来たってことか。それはそれとして、すまんが……」
 そんなルテリは、アルフランツの怒鳴り声に言葉を失う。
「すぐに受け入れられる問題じゃないことくらいわかってるだろ! みんな、ここに来るまで大変な苦労して来たんだ。アマラカンももうすぐそこなのは知ってるよね。ルテリの申し出は、キソロ領主の判断としては正しいんだろうけど、難民側の立場に立ってみたら、ずいぶん勝手な言いぐさだよな!? そもそも何故ゼネンの人間徴発に黙って従っているのかも許せないと思うな」
 普段穏和なアルフランツの怒声に、困惑顔になったルテリはしどろもどろに言う。
「……い、いや。アマラカンにまだ至っていないらしい……という報告を受けて、来る気になったのだが」
 そのルテリは、さらにアルフラツの後背にひかえる巨大な物体を目にして目を見張った。
「! ……何だこれは!!」
 そこにいたのは、メタルゴーレムG.O.L.E.M.327『ガルガンチュア』。それを内部から操る乙女リーフェ・シャルマールは言葉少なに言う。
「キソロ領主の申し出、私は好感が持てるね……」
 キソロ領主ルテリの申し出は、人間徴発に対してキソロの住民からではなく、キソロとは縁もゆかりも無い連中から選出してその場を誤魔化す。それ自体は領主として「領民を守る」という観念から見ても決して不自然な事ではなく、むしろ「体力のない者はかくまう」と言うギブアンドテイクも出来ているし、何より領民を守る為に他の集団に犠牲を強いるという方程式が出来る領主にはリーフェ的には好感が持てたのだ。
 緊迫する難民キャンプ。そこへ、新たな異世界人が加わる。
「込み入ってるところへ悪いな。とりあえず、アマラカンの報告をしてもいいか?」
 白い雪に姿を消されつつ、現れたのは武神鈴(たけがみ りん)。今のこの時、アマラカンより帰還したただ一人の異世界人であった。
「鈴さん! アマラカンから帰ったのですね!! アマラカンの状態はどうですか? キャンプの皆がアマラカンに行かれるのならば、この交渉は必要ないものになりますから」
 今まで心細い思いをしていた春音が、喜んで鈴に駆け寄る。鈴が訪れたアマラカンこそ、民を受け入れてもらえる地であると、これまで信じられてきた土地であったのだ。
「帰されてきた、と言うべきかな? まあ、問答無用で殺してもおかしくないところを、アマラカン強制退去だけで済ませてくれたわけだしな」
 質量変換の使用はタブーであったアマラカンでの失策を、軽く自嘲した鈴。その鈴は、アマラカンが普通人の避難場所にならないといった都合の悪いことも含めて包み隠さず報告した。
「……以上だ。あまりいい報告とはいえんがまあ事実だ。諦めて受け入れて善後策を検討してくれ」
 鈴の報告を聞き終えて、血気にはやっていた若者たちが大人しくなる。神官の力がなければ住むことのできないアマラカン。弱った者はまず体力が回復しなくては、神官の素質以前の問題だろう。体力自慢の若者であっても、必ずしも神官の素質が開眼するとは限らないものだったのだ。それでなくても東トーバにあった頃、若者たちの誰もが神官試験を一度は受け、己の限界を知っていた。静かになった一団の中、見慣れないゴーレムを見上げた鈴は言う。
「そこにいるのが、もしやリーフェとやらか? 『時の行者』から話は聞いてる。世話になったな」
 鈴の呼びかけに、ゴーレムの胸部装甲を開いた黒いボディスーツ姿のリーフェが、抑揚のない声で言った。
「何ほどのこともしてないよ。……領主に対するキミの意見は?」
「希望者がいるなら応じてもいいとは思うが、そうでないならやめた方がいい。自分の事を人任せにするなど、まっとうな大人のすることじゃないからな。……俺はそこまで面倒を見る権利も義務もないしな」
 あくまで決定は避難民たちの決定に委ねるべきとする鈴。そんな一同の話を聞いたアルフランツは言う。
「どちらにしろ、アマランカンには行かれないってことだね。難民を差し出す差し出さないは即決できる問題ではないし、山中の立ち話ではとても決められないよね。……難民の代表者として交渉したい者、一度キソロまで降りないか? こんな場所で交渉しても考えをまとめるのは難しいよ」
 下山に際しては、リーフェの移動能力を借りれば、難はないというアルフランツの提案に、多くの者が賛同する。けれど、ルテリだけは頑なに即断をしてほしいと主張する。ルテリの回答に不信感を募らせたのは、リーフェであった。
「そもそもこの申し出をする為に、『守るべき領民』をキソロに残したまま、領主自らが遠い難民キャンプくんだりまで出向いて来たと言う事実には不信と矛盾を感じずには居られませんが?」
「わたしが来なければ、信用してもらえないと思ったからな。それと、ここに来ているのはわたし一人ではない」
 以前交渉した際の相手の不在を残念に思うルテリは言う。
「一緒に連れてきたのは、職能にすぐれた前途ある若者たちだ。むざむざムーア兵の徴発に乗って失うのは、ムーア世界の損失だろうからな」
 ルテリは登山に際して、交換してほしいキソロの若者を引きつれて来ていたのだ。当座の物資をも持参してきた若者たちをこのままキソロに帰してしまえば、いつ徴発の手にかかるともしれなかったのだ。ルテリが守るべき者の所在を確認したリーフェは、ルテリに裏の目的がないことに納得する。そこへ、これまでの話を聞いていた鈴が言う。
「ならばそのキソロの若者たちは、交渉がまとまるまでしばらくこのキャンプにいればいいんじゃないのか。俺はこのままここで研究を続けるつもりなのだが、何分食料はない。見たところ、このキャンプ自体の物資も底をついていることだしな。もちろん、物資は共同で使わせてもらうことになるが」
 こうしてキソロで交渉を行うことが成立したのだった。
 キャンプ側から交渉に向かうのは神官代表1名と民代表の若者1名、そしてリーフェとアルフランツが、その任を引き受ける。交渉の移動役をも引き受けたリーフェは、下山に際して、改めて自己紹介しあった鈴から『精神防御壁』の手ほどきをうけていたのだった。


最北端の商業街キソロ

 石と氷に埋もれた街では、今も“若く美しい者”を探すムーア兵が行き来していた。ルテリは、自邸ではなく自分の隠れ家へと彼らを案内する。そこは、表向き雑貨の卸商店だった。その場所が“リクナビ”の拠点の一つであることは、アルフランツにはすぐにわかった。
「……ここって確か“リクナビ”の……」
「ああ、その流行ものの猫の耳と尻尾、覚えがありやすよ。いらっしゃい! また会ったいやしたね」
 一行を歓迎する店主。その店主から素早く情報を聞き出したのは、まだムーア世界に不慣れなリーフェであった。
「最近の情報がほしい。変わったことはないかな?」
「そらあ、もちろん!! 『ムーアの砦』のトリスティアが、東トーバに引き続き、ロスティまで開放したってんで、話題沸騰ですよ! しかも、東トーバとロスティの間を『共同開発する農業地帯』として開墾予定で、開墾と防衛の人材を募集してるってんだから驚いたね!」
 この情報は、『ムーアの砦』となったトリスティア自身が脱出組の耳に早く届くように、北方へと急遽広めた情報だった。興奮して語る店主の言葉に、アルフラツがルテリの反応を見ながら言った。
「もう一度聞いていいかい? このままゼネンの言うなりに人間徴発を続けていていいのか?」
 アルフランツの言葉に、今のルテリはまだ結論が出せないでいた。


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