東トーバ駐屯地より

 トリスティア公開処刑に失敗した東トーバ駐屯地。未だ混乱する駐屯地を訪れる一体の魔があったという。
『あーあ。失敗しちゃったの? ……情けないなぁ。ま、それはそれで楽しいけどね』
 そしてこの後、ロスティを含めた東トーバ周辺に住む人々から生気が急速に消えていったという。

 人々の視線がどこかうつろになってしまった東トーバ。
 この異常に逸早く気づいたのは、東トーバに留まっていた少女リク・ディフィンジャーだった。しなやかでいて頑丈に見える少女リクは、自分の情報で集まって来た人々をまとめようとしていたのだ。しかし、話しかける人々の応え方が、今までリクが見知って来た“夢見ていた”状態の者と同じになってゆくのを目の当たりにしてしまう。そしてリク自身も自分の感覚が鈍っていくのを感じたのだ。
「この感覚! あたしは『精神防御壁』で、何とかなりそうだけど……集まった民は、危険だよね」
 『精神防御壁』とは、東トーバ神官が使うバリアを応用した技である。その技から、攻撃技も編み出したことのあるリクは、とっさに周囲の人に抱きついて回る。
「このままここにいては危険なんだ。あたしが安全だと思うところまで誘導するから、一緒に来てくれる?」
 『精神防御壁』を使うリクに抱きつかれた者たちのいく人かは、正気の顔に戻る。リクがこの要領で正気に戻すことができた者は、15名の若者たちだった。
「うん。夢から醒めたのは、みんな若くて、自我も運動能力もしっかりしてる人たちみたいだよね。この人数なら、どうにかなるかな……」
 皆と手をつなぎ、『精神防御壁』の効果を高めようとするリク。その脱出ルートには、要所に検問があったのだが、ムーア兵の指揮系統が混乱していた為、難なく越えることができた一行だった。
『これもフレアたちの撹乱のお陰かな? それにトリスティア助かってるみたいでよかったよー、一時はどうなるかと思ったけど何とかなったし良かったよね!』
 そしてリクはこの道中で、15名の若者たちと意見を交換する機会を得ていた。
「ふーん。過去のいさかいは消えないとしても、このまま亜由香に従いたくはないって事?」
 育った土地は違っても、彼らは魔物が統治する今の状態から脱出する事を望んでいたのだ。
「……その為には……戦える? ……相手は力のある魔物もいると思うんだけど」
 慎重に若者たちの意志を確認するリクに、家族や親族を殺された若者たちは誰もが頷く。一人では無理でも一緒に戦うことはできるというのだ。こうしてリクは、ムーアの民に新たな仲間を得ていた。
「よーし、じゃ、まずは東トーバ周辺の調査開始!……と、その前に。東トーバからちょっと離れたところなんだけど住民の絶えた集落があるんだ。そこで待機してくれる?」
 リクの提案に若者たちが頷き、彼らは一度東トーバから離れていた。

 リクが東トーバを出る頃、公開処刑から救出された少女トリスティアと、その救出を援助した乙女フレア・マナは、東トーバ郊外にある廃屋で再会していた。
「体の調子はどう?」
「うん……すぐに動きたいんだけど……まだ体力が完全に回復しきってないみたい」
 胸当てのついた戦士姿をしたフレアの言葉に、薄汚れてしまった軽装のトリスティアが微笑む。無理に体を起こそうとするトリスティアを、フレアが補助する。その時、トリスティアに声をかけようとしたフレアは、自分の思考が重苦しくなるのを感じる。
「? ……何、この感覚……ちょっと……眠くなる、かんじ、かな?」
 何者かに思考する力が吸い取られていくような感覚に、フレアが戸惑う。そのフレアの腕をトリスティアが強く握る。そのとたん、フレアを悩ませる眠気が消えた。
「その感覚、ボク、覚えがあるよ……これは東トーバに強力な夢魔が現れたからじゃないのかな?」

 かつてこの力と対峙した事のあるトリスティアにはわかったのだ。そしてトリスティアは、『強力な夢魔』というものについて、心当たりがある事をフレアに告げた。それは、トリスティアが過去西ゴーテで戦った夢魔の少年だった。少年は、西ゴーテからの援軍を壊滅させるほど強力な力を持っていたのだ。そしてトリスティアは、その少年の片翼を自分が奪ったことや、一度はフレアの姉が捕縛したのだが逃がしてしまったことなどをフレアに語る。
「あの夢魔の少年は、いずれまた戦わなければいけない相手だと思うな。もしあの少年が来たのなら東トーバ周辺に住む人々が心配だよ。……もし夢魔は関係なかったとしても、一応フレアには知っておいてもらおうと思ったんだ」
 トリスティアの話を聞き終えて、その時西ゴーテにいなかったフレアが納得する。
「そっか……だとすると僕がこのまま、調査に出かけるのは危険だよね……」
 考え込むフレアが、トリスティアを助け起こしながら言った。
「僕の気分がすっきりした理由はわからないけど、トリスティアと一緒なら何とかなりそうだね。調査は一緒にしようよ」
「ボクもそのつもりだよ。迷惑かけるかもしれないけど……」
 トリスティアの言葉に、フレアが肩をすくめてみせる。
「もともと未だ万全な状態でないトリスティアの護衛もかねるつもりだったよ。とは言っても、トリスティアも、僕も二人とも手配中の身だから余り派手なことは出来ないけどね?」
 そしてフレアは、いっそのことチョットした変装を思いつく。彼らが休む廃屋はかつて、外回りをする神官たちの仮眠所でもあった場所だったのだ。
「化粧品はなくても、埃まみれでボロボロの長衣はあるから……衣装チェンジはできそうだね」
 そうして平然とした面持ちで出掛ける二人。そんな彼らの姿を傍目から見れば、物乞いか、武者修行帰りの神官に見えたのだった。

 東トーバを怪しまれずに進むトリスティアとフレア。二人の目に写るのは、生気を失った東トーバの人々。この土地に駐屯する兵でさえ、うつろな瞳をして任にあたっていた。
「この状況から予想できることは、トリスティアが言うように“夢魔”か、同タイプの力を持った魔の出現だね」
 フレアの言葉にトリスティアが頷く。そして東トーバ内部を調査したフレアは、情報収集に使おうとした“リクナビ”が、この一帯では機能しなくなっている事を知ったのだった。
「正気の商人がいなくなっているってこと?」
 驚くフレアに、彼らの頭上から声がする。
「正解!」
 笑いながら現われた少年。大地のいずこかに潜んでいたのであろう夢魔の少年は、背中に燃える炎の片翼を不安定にうならせていた。

続ける