東トーバ神殿の崩壊 民たちから上がる悲嘆の響き。 地に満ちる気の乱れは、今も心ゆらぐ神官たちをさらに動揺させるに十分の効力があった。 『……もはや……これまで』 神殿すらも守れなくなるバリア。その効力が切れる時を見極めた神官長ラハは、神殿に留まってくれた異世界の者たちを探し始めていた。 これまで神殿にいて神官たちを叱咤してきたディック・プラトック。淡い小麦色の肌をした青年ディックは、中庭で休憩中の神官と共にいた。今も神官の心を奮い立たせるべく言葉をつむぐディック。けれど、神官たちの心は、焦るほどにコントロールを失っていったのだ。 『……こいつは……無理かもしれないな……心ってのはやっかいなもんだな……ムーア世界の民ってのは、俺の世界の人間よりも依存心が強いのか?』 君主マハですら、その弱さを持っていたのだ。心の弱さは、世界特有のものかもしれないと、ディックが考える頃、神官長ラハは現われたのであった。 生まれながらに蝙蝠の形をした黒翼を持つ少女リューナ。 神殿の高台から戦いを見極めたリューナは、神殿を守るべく己の『魔玉杖』を握って決意を固める。 『音波発生装置も……使えるのなら試したいけど』 この時、リューナの姿を見上げて声をかける者がいた。 「リューナ様……しばし、お時間をいただけますか?」 この窮地にあって、すべてを運命と受け入れた神官長ラハ。神官長ラハは、今も神殿を守るつもりのリューナに言った。 「最後までこの神殿を守ってくださるという、その意志。確かに受け取らせていただきました……そのお礼と申しましてはささやかですが……」 神官長ラハは、リューナをバリアを作り出す応用の技、精神防御壁を伝える。その上で、神官長ラハは、リューナに一つの依頼をする。神官長ラハの依頼を聞いて、普段は明るいリューナの表情がさらに厳しいものになっていた。 アクアが神殿に逸早く到着した時、すでにディックとリューナの姿は神殿から消えていた。 「ディック様は、これより西の一村をお任せ致しました。人口は500名ほどの小さな村です……」 アクアを出迎えた神官長ラハは、深く頭をたれる。 「アクア様を始めとして……数多くの異世界の方には……一方ならぬご助力をいただきながら……大変申し訳ございません……」 「! 諦めるには早すぎます〜。今、たくさんの異世界の仲間が止めしてくれています〜。修羅族達の進撃速度を遅らせている今のうちに、再度バリアの構築を〜」 おっとりとした言葉とは裏腹に、綿密な戦略に長けたアクア。そのアクアの計画に神官長ラハが首を振る。 「この東トーバの地に満ちてしまった荒ぶる気に、もはや神官は平静ではいられぬのです……ですが、進軍を遅れさせることができるのならば……どうか一村の民だけでも、この地より逃がす為に力をお貸しください……」 肩を落す神官長ラハに、神官長補佐のルニエが問う。 「そのディックとやらと同行した神官は何名か?」 「……15名ほどです」 神官長ラハの答えに、ルニエが白い眉を寄せる。 「逃げた地は、おそらく神官の隠れ里があるという北方の山地アマラカンであろう? そこに辿りつくには神官15名では足りぬであろうな」 しばし考えたルニエは言う。 「このルニエも行かせてもらおう。私と共に行く者は他におらぬか。この地に留まるより苦しい旅となろうが」 やがて神殿のバリアが消失する頃。 神殿の門が開き、白い旗が掲げられる。 門で修羅族を出迎えるのは、神官長ラハ。 そして、未だ異形のままの『君主マハ』であったもの。 神官長ラハは、この場に立つ前に言った。 「いかほどの者がなぶり殺されるかは、わかりかねますが……少なくとも一人残らず殺されることはないでしょう……生き残る道があるならば……わたくしは残された東トーバの民たちが生きる道を探しましょう……今まで多くの民を見殺しにしてきた、その報いを少しでも晴らせるのならば……」 それが神官長ラハの決断だった。 東トーバ降伏時の人口約8,000。 侵略による死亡者896名。行方不明者1100名強。 一万の兵に対して、死亡者の数がこの数で収まったのは、異世界人の尽力によるところが大きい。 そして、行方不明者のうち生き延びた民と神官とが、異世界の者によって北方の山岳地帯アマラカンへの道を選んだという。 |
→続ける