ムーア宮殿より

 ムーア世界そのものが、上級魔族によって勢力バランスが崩れつつある中、少年夢魔の焼失と共に、ムーア世界を統べていた亜由香に変調が現れる。そして勢力逆転の好機にあるはずの上級魔族は、亜由香を本来の姿に戻すかどうかの選択権を一人の異世界人の乙女にゆだねるという。その乙女とは、長めの銀髪をポニーテールにしたエルウィック・スターナであった。エルウィックは、強烈な威圧感を放つ上級魔族を恐れもせずに言う。に突きつけられた選択に答える前にいくつか質問をしてみる。
「その前にいくつか質問をさせてくれる? このままじゃ、あたしも納得できないことがあるしね」
「……ふむ……時はある……よいだろう……言うがいい……」
 座興を楽しむかのごとく上級魔族の男は言う。
「まず一点は亜由香のこと。本来の亜由香ってどんな亜由香なの?」
 エルウィックは、亜由香はおそらくその一つの器の中に自分の魂とは別の違う魂を封印されていたのではないかと思っていた。亜由香が不安定であったのはそのためではないかと考えたのだ。そんなエルウィックからの問いが、上級魔族には興のあるものであったらしい。つりあがりぎみの瞳をさらに細めた魔族の男はゆったりと応じる。
「……亜由香か……その名はなくなる……かりそめの名ゆえな……」
 魔族の答える意味を考えながら、エルウィックが問う。
「じゃ2点目、もしも亜由香をもとのままにしておいたらまた苦しむようなことになるの?」
「……苦しむ? ……くくく。少なくとも片割れは喜ぶだろう……枷が外れてな……」
 上級魔族魔族の応えの後を追うように、さらに一つの確信を得てエルウィックが続ける。
「最後に3点目。亜由香と彼女を導いたというマハとの関係は何?」
「……おまえが見ているとおりだ……」
 東トーバ君主マハについては多くを語りたくない何かがあるらしい。上級魔族は、それ以上マハについて語ろうとはしなかった。
「……では今一度おまえに選択させてやろう……亜由香はこのままがよいか、本来の亜由香がよいか……選ぶのはおまえだ……」
 魔族の問いに、エルウィックは顔を上げてきっぱりと答える。
「わかった。亜由香は、本来の姿へと戻すよ」
 エルウックは、今も顔色が変わったまま苦しむ亜由香を、本来の姿へと戻すことがベストなのだろうと考えたのだ。
「くくく……異世界人の考えることは面白いものよ……」
 魔族の男が片手を上げると、亜由香の体が宙に浮く。そして亜由香の姿が薄くぼやけてゆく。その姿に向かってエルウィックが宣言する。
「どんな姿になったとしても亜由香は亜由香よ。あたしが興味を惹かれ……そばにいたいと思った相手よ」
 エルウィックの声の後、体の線がさらに淡くなる《亜由香》。その亜由香から、かすかな声が発される。
“ダメ……もとに戻しては……”
 いつもの亜由香とは、違う少しトーンの高い声だった。その少し高めの声は、“今のままの方がきっと幸せだから”と言った。

 本来の姿に戻るという《亜由香》であったもの。
 その本来の姿がムーア世界に現れようとしていた。

続ける