『Drアブラクサスの実験獣』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 王城を中心とし、周囲を灰色の石壁に囲まれた、オトギイズム王国の王都『パルテノン』。
 その北東の壁によりかかる様に堅く高くそびえる要塞の様な監獄がある。
 監獄に吹きつける風。
 今、二人の女がその門の前に現れた。
 『慈愛と生命を司る神』のシスター、アンジェ・ルミエール(PC0100)と彼女が魔導書『魔物これくしょん』で召喚したサキュバスだ。
「Drアブラクサス様を悪人認定するなんて……わたくし、間違っておりましたわ」プラチナブロンドの髪をなびかせながら巨乳の尼僧は呟く。「トゥーランドット姫はただ、女神様の教えを体現しておられただけですのに……。オトギイズムの未来の為にもこの実験、失敗させるわけにはまいりませんわ。わたくしもお手伝いいたします」
 Drアブラクサスの正体がトゥーランドット姫だと悟った後の彼女は殊勝だった。
 『死闘』に参加するのだ。
 決して「便乗のチャンス☆」などと宗教テロめいた事を思っているわけではない。多分。
 尼僧として門を叩いたアンジェは聖職者として囚人達への面会を依願した。
 アンジェ自身はともかく、ピンクのレザーレオタードのサキュバスは宗教者の訪問としては不似合いの連れだが、そこはそれ、淫魔の色気にたぶらかれた看守達が鼻の下をのばしながら二人を監獄の奥へと案内してくれた。
 牢獄の内部集会場に、簡易な懺悔室が作られた。
 聖職者であるアンジェは罪人達の懺悔や告解という名目で、本人の口から罪状を聞き出す。
 既に犯した罪による罰として、この牢獄へと現在進行形で収監されている者達。とりあえず、これ以上に語る新たな罪もなく、今更に自らの懺悔等を行う者などいないかと思われた。しかし、彼らは艶事に飢えていた。敢えて言えば、サキュバスの色香にあっけなく捕らえられたのだ。
 桃色に染まるプリズン。
 胸に、尻に、股間にレザーレオタードを食い込ませたサキュバスを一目見んと集会場に集められた囚人達が、頭をクラクラとさせたままに彼女に背中を押されて、一人一人、懺悔室へと入っていく。
 区切られた懺悔室の一方にアンジェはいる。
「あなたは悪人ですわね」
 懺悔室に入った囚人に、最初に投げかけられる一言。
 それは当然だろう。冤罪でこの牢獄に囚われているならば、ともかく。
「あなたは極悪人ですわね」
 冷や水を浴びさせられた様に、無遠慮な言葉がサキュバスの熱に浮かされていた男達の精神をまともにする。
「だったらどうした!」
 囚人のほとんどの者がそう言い返した。
「神は全てをお赦しになられます」
 アンジェはそう言い、彼らが背負った罪状、日頃の囚役生活の態度等を更に聞き出した。
 囚人には色色な者がいた。
 罪の軽い者、重い者。反省している者、そうでない者。若い者、老いた者。大人しい者、凶暴な者。
 そして、アンジェは本性が悪辣な者、無反省な者、凶暴そうな者、彼女が若いシスターだからとナメた態度をとった者をその中から選び出した。
 強面の顔が並んだ。
 彼女はその十三人を『女神の祝福を受けた聖戦士』に認定した。
「この者達は女神様から慈悲深い恩赦を賜りましたの。これからはオトギイズム王国とそこに生きる全ての者の未来を切り開く勇者として歩んでいきますわ」
 アンジェは彼らの枷と鎖を解きながら、そう言い放った。
 選ばれた『聖戦士』達は素直にアンジェについていく。別に改宗したわけではない。「しめた。このまま、このシスターに従っていれば、外に出れるのか」という理解で彼女についていこうと決めたらしい。面白そうだという程度の認識なのだろう。何か起こっても、いざとなったらどうせ小娘一人なのだし。
 アンジェと聖戦士が牢獄の出口の門へと堂堂と歩む。
 残りの囚人と看守はしばし、桃色の薄霧に包まれて事の推移を呆然と眺めていたが、やがて我に返る。
 色香に騙されていたら、とんでもない事になっている。
 囚人達の脱獄だ。
 事態に気づき、このアンジェ主導の脱獄劇をくいとめようと動いた看守達に再び、サキュバスの色香が発動された。
 桃色の濃厚なフェロモンが看守達全員を足止めする。
 看守達は忘我の極みとなり、サキュバスがその中に全裸の身を差し出した。
「……気分はエクスタシーッ!」
 看守の一人が叫んだ瞬間、全員の理性が十八禁的にふきとんだ。
 一人のサキュバスに一斉に複数の男が群がる。
 牢獄はもうピンク一色。
 そんな背徳的な空気を背に、アンジェと聖戦士達は誰も止める者もなく、牢獄の門をくぐって、表へ出た。
 残したサキュバスは看守達の精をむさぼりつくせば、やがて満足して帰ってくるだろう。その頃には看守も囚人も全員、足腰が立たなくなっていると思うが。
 こうしてパルテノンの大脱獄劇が終わったのだった。
 慈愛と生命を司る女神に仕えるシスターと、囚人服の十三人の聖戦士達。
 果たしてアンジェ達はこれから何処へ行こうとしているのか。
 今は吹く風すらそれを知らない。

★★★
 王城。地下。
 地下研究室は錬金術の雰囲気が漂うデザインの大部屋だ。影を作らない、大きな魔術製の照明が天井にある。
 そこでは冒険者という通称を持った二人の女性が、やはり正体が女性だったDrアブラクサスことトゥーランドット・トンデモハット姫に意見していた。
「トゥール、力のみを求める事を良しとしますか。こんな事を続けていると、いつか見放されますわよ」
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)は言い聞かせる様な優しい口調でトゥーランドットに人道を説く。
 しかし白衣の姫は彼女の言う事をまともに取り合おうとしない。
 ド近眼眼鏡をかけた少女は、火花散る電極めいた機械の前で、大きな机に置かれた色色な液体が入ったビーカーを慎重に移し替えたり混ぜたりしている。
「わたくしは怪物に肩入れする気はありませんが、仲間が困っていたら協力しますわ」
 赤い瞳のアンナの宣言は、トゥーランドットが行おうとしているグレーターキマイラとレッサーキマイラとの決闘に、レッサーキマイラ側として戦う覚悟を表していた。恐らくは共に戦うだろう友人達と意志を一つにすると。
 傍らのマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の意見は、アンナとは少少視点が違った。
「なるほど、知性の優位性の証明……実に面白いテーマですわ」笑みを浮かべたマニフィカは呟いた。彼女はそんなに長いつき合いではない、このエキセントリックなデザイナーである姫を高く評価していた。「お見事ですわ、トゥーランドット姫」
 そう言う脚のある人魚姫には思うところがあった。
 トゥーランドット姫。彼女が少しばかり専門馬鹿の傾向が強いとしても人格破綻者の域ではない。Drアブラクサスとしてのエキセントリックな言動も、それらしく変装した外見と同様にマッドデザイナーとしての演技だろう。マニフィカも王族の端くれとして、その辺りの事情がは解出来たと思った。
 では、どうして実験獣を闘技場で戦わせようとするのか。
 予算の流用という話が本当なら、実験獣が目立つような真似は避けるべき。
 ところが真逆に、闘技場での決闘というオープンな状況を用意した。
 賭博の対象になるくらい話題性も高い。
 どう考えても状況とDrの語る真相は矛盾する。
 そこでマニフィカは、ちょっと視点を変えてみたのだ。
 レッサーキマイラよりもグレーターキマイラが基本性能的に優る事は明白。
 それを最も理解するのはドクターだろう。
 でも、敢えて決闘させるというのならその理由がある筈。
 レッサーキマイラが逆転できる要素は『知性』くらいしか思い浮かばない。
 ……もしかしたらドクターは、デザイン至上主義の世界で、知性の優位性を証明し、そのアピールを狙っている?
 ハンデとして助っ人を認めたり、そもそもレッサーキマイラが逃げ出した事すら当初から計画されていた?
 そう考えると辻褄が合う様に思われた。
「全く本当にお見事ですわ、トゥーランドット姫」
 マニフィカは彼女を称賛した。
 そして無自覚に自らの推理力を。
 そこまで認識したマニフィカは敢えてドクターの思惑に乗り、積極的に協力すると決めたのだ。
 研究室の壁に配列されている、様様なケージの中の実験生物が鳴き、さえずる。
 説得するアンナと、見守るマニフィカに見守られて、姫の研究室での時間は過ぎていった。
「そろそろ時間かしらね」
 トゥーランドット姫は実験用具を頑丈そうな戸棚にしまい、Drアブラクサスへの変装セットを手にした。
 ポーション用陶器瓶に入った薬を口に含み、軽くうがいをする様に喉の奥で転がしてから飲み干した。
「グレーターキマイラは私達が必ず倒すでしょう」とアンナ。「何故、ここまで無益な決闘を演出しますの」
 マニフィカの感慨に気づかず、アンナはトゥーランドット姫に念を押した。
「王族は民を楽しませなくてはならないからのう」
 Drアブラクサスのキンキンと甲高い声が、アンナに答える。
 狂気のデザイナーのサディスティックな空気が、無風のはずの研究室で静かに波打った。

★★★
 晴れた午後。
 パルテノンの中央公園にある池では、小さな浮石にこれでもかと凄まじい数の亀が群がって甲羅干しをしている光景が見られるが、とりあえず今の世情の関心はそこにはない。
 池の傍にある闘技場は直径が三十メートルあり、その周囲に幾重もの観客席が連なっていた。
 石作りの席は既に全席埋まり、大勢の立ち見もいる。
 まだ始まらぬ決闘に心早く歓声を挙げているのは、ほとんどが野次馬の冒険者の様だ。
 彼らの賭博の熱がさっそく高まり、イズムのコインがチケットにどんどん変換されている。忙しく行きかうチケットの束だが、その圧倒的大多数がグレーターキマイラの勝利に賭けられたもので、もはや「レッサーキマイラがどれだけの時間もつか?」という方向へと観衆の興味と賭けの内容が移っていた。
 その中にあって一人、大穴であるレッサーキマイラの勝ちへと大きく張った者がいる。
 褐色の座敷童、ビリー・クェンデス(PC0096)だ。まだ子供である彼は賭けには参加させてもらえないのではと思ったが、未成年でも決闘の直接参加者であってもトトカルチョに加えてもらえるらしい。
 なんでそんな奴に張るんだ?と観衆から問われたビリーはこう言い返した。
「ええやん、多少はアカンでも。ボクかて未熟を自覚しとる。そないな半端モンやから伸び代があるとちゃいます?」
 昔の茶人は「月も器も欠けたところが愛おしく美しい」と仰ったそうな、とビリーは故事を思い出す。
 今はなんとなくその意味を実感出来た気がする。
 しょうもない実験獣と百も承知の上で、浪花っ子気質なビリーは彼(彼ら?)に肩入れする。
 レッサーキマイラは確かに芸は『下手』であるが、注目すべき点は『天然ボケ』や『愛嬌』という持ち味を有する個性が存在するという事。真面目な話、つまらない決闘で失うには惜しいと感じた。
『友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分の熱
 友の情けを 訊たづぬれば 義のあるところ 火をも踏む』
「……しゃあない、これも阿呆の血のしからしむるところや。ほな、あんじょう助け舟を出したるで!」
 昔の歌人の歌を思い出し、レッサーキマイラのつまらないコントと一緒におにぎりを食べた光景を回想しながら、ビリーはそう決意していた。
 ビリーは思う。単純に能力を比較すればグレーターキマイラが有利であるが、良くも悪くも個体として限界があるはず。
 レッサーキマイラにとって知性は最大の武器だろう。
 会話は円滑なコミュニケーションであり、反逆すら可能な意志は他者との連携や協力という選択肢を意味する。
 そこに勝機を求めるべし。
 ビリーはレッサーキマイラに大きく掛け金を張りながら、自らも助っ人として参戦する。
 福の神見習いは『神足通』でテレポートし、闘技場の石畳の床を踏む。
 闘技場の中央で、この決闘の審判役をかって出たジュディ・バーガー(PC0032)はアメフトのプロテクターに身を固めて立っていた。
 たとえ実験獣の決闘であっても闘技場を使う以上、それは試合形式だから審判員が必須。そうジュディは考えていた。
 あくまでも決闘であり、死闘になる事は許さないというのが彼女の意思だ。
 いわゆる『決闘』とは、争いや恨みを解決する手段であり、約束した方法で戦う事。
 だから決闘にもルールが存在する。
 そうでないと単なる殺し合いになってしまうから。
 結果的に死者が出るとしても、当初から殺害が目的ではない。
 どんな世界や時代でもそれは共通な筈。
 その意見は既に闘技場にスタンバイしているDrアブラクサスとグレーターキマイラに、確かに届いていた。
「洗練された物の考え方じゃのう」とDrアブラクサスのキンキン声が答える。「決闘が何でもありだった時代や世界もあるんじゃよ。今回はそれが洗練された形で行いたいと言うなら、まあ、そのルールでも構わんじゃろう」
「そして、Winner Takes All! 勝者は全てを得ル!」
「レッサーキマイラはんが勝った時には、Drアブラクサスはんの支配から解放させて自由の身にさせてもらいまっせ!」
 ジュディの宣言の後に、ビリーの要求の声が響く。ジュディは審判として彼の言葉を支持していた。
 グレーターキマイラ。
 体長五メートルの獅子の身体には雄獅子、雄山羊、ドラゴンの頭が生え、背に竜翼が畳まれている。
 Drアブラクサスによれば、一度に十頭の熊と戦って、倒せるという。
 それと正対する様に闘技場の端にいるレッサーキマイラ。
 体長は三メートルほど。獅子の胴体に雄獅子の頭と雄山羊の頭が生え、尾が毒蛇になっている。一度に熊三頭と戦えるという。
「ごめんなさい。戦いたくないから、逃げ出したんですねぇ」
 緑色淑女リュリュミア(PC0015)がレッサーキマイラの獣臭いたてがみを撫でながら話しかけている。
「捕まえておいてなんですけどぉ、自由になりたいなら手伝いますよぉ。本当は闘技場に来る前に助けたかったけど、警備が厳重だったからぁ」
「お嬢さん、心の広(ひれ)え俺様はそんな過去の事なんか気にしねえから、涙を拭いておくんなせえ」
 レッサーキマイラの獅子頭がリュリュミアに言葉をかける。
「そうや、そうや。あないなグレーターだかラジエーターだかよく解らへん奴がわいに敵うわけありゃあせんわ」
 関西弁でがなる山羊頭。
「……………………」
 尾の毒蛇はひたすら無口だった。
 たてがみを撫でながらその言葉を聞いていたリュリュミアは、自分のプランを考え直していた。
 自分の『しゃぼんだま』で闘技場からレッサーキマイラを逃亡させるつもりだったが、身体の大きさからして中に詰め込むには無理っぽい。
「ほら、私も一緒に戦ってあげるから、元気出して」
 ミニスカ女子高生、姫柳未来(PC0023)の言葉はレッサーキマイラにもリュリュミアにも向いていた。
 話を聞く限り、レッサーキマイラをそんなに悪い奴ではないと未来は感じていた。まず間違いなく勝てない相手と殺し合いをさせられるのはさすがに可哀相というものだ。
 『ごついウォーハンマー』を肩に担いだ未来は、Drアブラクサスことトゥーランドットが行おうとしている決闘をちょっとやりすぎだと思っている。
 レッサーキマイラの境遇は不憫だ。
 自分は負けないと考えているらしいところが特に。
「いいわね。行くわよ」とアンナの声。レッドクロスを身にまとった彼女は、愛用のモップを戦闘状態にまで伸長している。腰にはいつでも使える様に『火球の杖』もセットしていた。
「さて、皆さん、準備はよろしいかしら。解説はわたくし、マニフィカ・ストラサローネがさせていただきますわ」
 『貴賓席』という名の観客席最前列の白い布をかけられた石席(ふわふわのクッション付き)に座ったマニフィカは、場内の観客に丁寧な言葉を述べた。
 気品よく喋る彼女の声のほとんどは観衆の叫びにかき消されていた。それでもマニフィカは決闘の解説を最後まで丁寧に行う心づもりだ。レッサーキマイラの知性をアピールする役割があるのだ。
 今やレッサーキマイラの助っ人はビリー、未来、アンナ、リュリュミアの四人だ。
 果たしてグレーターキマイラとの戦力差を埋められただろうか。
「まず、この決闘が神聖でアル事をここに宣言いたしマス。ウィナー・テイクス・オール!」アメフトのヘルメットをかぶったジュディは闘技場の中央で両手を振り上げる。「それではキマイラファイト! ……レディィィ〜……」
 その時だ。
「ちょっと待ちなさい!」
 突然の少女の声が、レフェリーの試合開始を思いとどまらせた。
 声がした東側の観衆が割れ、尼僧の姿をした少女を先頭にした囚人服の男達の列が、闘技場の舞台へと乗り込んできた。
「わたくしの名はアンジェ・ルミエール。そして十三人の聖戦士。慈愛と生命を司る我が女神の庇護の下、グレーターキマイラとの死闘はわたくし達も参戦させてもらいますわ」
 シスター・アンジェは十三人の脱獄囚を引きつれて、とびいりの決闘参加をここに表明する。
「シスター」と囚人服の巨漢がシスターを見下ろして訊く。「あの偉そうに翼生やした三つ頭の怪物をぶっとばしゃいいんですね」左手を右拳にかぶせて関節を鳴らす。
 脱獄してきた十三人の聖戦士が根性が座っている男なのは明らかだ。グレーターキマイラを前にして、臆する事はない。男達の血の気は多かった。
「女神様のお与えになった最後の試練に挑戦し、わたくしに従えば真なる自由を掴めますわ」とアンジェ。
 恐らくは囚人達が決闘に参加するのには義侠心など関係ないだろう。シスターへの服従の意思でもない。暴れられれば、それでいいのだ。
「随分と大人数の助っ人が集まったようじゃのう」
 Drアブラクサスが舞台を降り、貴賓席へと向かう。
 直径三十メートルの決闘場の半分に十九人の人間が立つ。十八人の助っ人プラス審判のジュディだ。
 盤上はかなり窮屈に見える。
「べらんめえ! これだけ揃ったら、俺達、完全無敵って事じゃあねえですかい!」
「わいも俄然、やる気になってきたわいな! ムッシュムラムラー!」
「………………」
 レッサーキマイラが前足で自分の頬を張って、気合を入れている。
 グレーターキマイラが低く唸り声を挙げている。
 Drアブラクサスが貴賓席に座った。
「まず、この決闘が神聖でアル事をここに宣言いたしマス。ウィナー・テイクス・オール! それでは、キマイラファイト! ……レディィィ〜、ゴー!!」
 ジュディの掛け声と同時に、十八人は闘技場内に素早く広く散らばった。
 グレーターキマイラの背中の竜翼が空気を叩いて、羽ばたいた。

★★★
「いよいよ、決闘開始でございます。先手を取ったのは飛翔したグレーターキマイラの様ですね」
 マニフィカは客席の歓声に負けじと解説するが、声量は分が悪い。
 八人の聖戦士が空からの炎によって、赤く薙ぎ倒された。彼らは燃え焦げる囚人服の火を、決闘場の床に転がって何とか消し止める。すぐさまアンジェは『白魔術』を彼らに施して、ある程度の火傷を治す。それでも決闘続行不可能者が五人出た。
 決闘開始直後、十秒の出来事だった。
 皆の四メートルほど上空。炎を吐いたグレーターキマイラの竜の頭が、雷鳴の如き凄まじい声で吠えた。
「何やってやがんだ、てめー! こんちきしょーめ!」
 レッサーキマイラの獅子頭もそれに応じて吠える。
 再び、グレーターキマイラの火炎吐息。
 その射程が五メートルほどだと知っているビリーは『神足通』で、自分ごとレッサーキマイラをその外に瞬間移動させる。煽りを食らって二人の聖戦士が炎の端に触れ、アンジェの白魔術による癒しを受ける事になる。
 ビリーは更に『サクラ印の手裏剣+カスタムパーツ』によって火炎の射程外から投擲。
 しかし、それはグレーターキマイラの翼の羽ばたきによる風で、命中から大きくそらされた。
 未来は加速スキル『ブリンク・ファルコン』で素早く動き回りながら、二丁拳銃で攻撃。『マギジック・レボルバー』による水弾の三連射及び『イースタン・レボルバー』の電気弾。
 羽ばたきによって電気弾は反らされるが、水弾は二射が命中する。
 着弾の苦痛がグレーターキマイラに咆哮をあげさせる。怪物が歯茎を剥き出しにして怒る。
 ビリーは『大風の角笛』を吹いた。
 そこから噴射された凄まじい猛風が空中の怪物の姿勢を傾がせる。大風に持っていかれそうな身体を空中に固定するのに全力を使っている様だ。
 リュリュミアが風にのせて『ブルーローズ』の花粉をばらまく。
 風下のグレーターキマイラが急性花粉症にかかり、三つの頭が大きくくしゃみをあげ始めた。猛烈な眠気という状態異常にも襲われる。大量のよだれを吐きながら、身悶えする。
 その凶悪な姿が炎の中に呑まれ、一瞬の影になった。
 アンナの火球の杖だ。
 火球。飛行不可能による墜落。石畳を震わせ、落下したグレーターキマイラの巨体が、埃を壁の様に舞い上げる。身を焦がした異臭と熱気が闘技場内に漂う。
 どれだけのダメージか、と皆が思う前に怪物は即座に立ち上がって、戦闘態勢に戻った。
 咆哮。火傷を負った三つの頭が、よだれを垂らしながら吠える。
「グレーターキマイラは非常に打たれ強い様でございますわね」と解説のマニフィカ。「一度に熊十頭を相手に出来るというのは誇大ではないみたいでございますわ。ああ、ここでシスターの連れてきた聖戦士とやらが突撃する模様です」
 残りの聖戦士達が一斉にグレーターキマイラに躍りかかった。
 その瞬間にギラリと鈍く輝いた物があった。
 グレーターキマイラの雄山羊の頭の瞳だ。
「あかん! 皆、直接、眼を見ずに意識をとばすんや!」
 この攻撃を警戒していたビリーが叫ぶ。
 冒険者として今まで一緒に過ごしてきた仲間達はビリーの言っている意味を即座に悟って、眼をつぶったり、そらしたりした。
 しかし、そうでない者は対応が遅れた。
 その三日月状の双眸に睨まれた聖戦士達の突進が止まる。皆、頭を抱えて苦しそうな表情をする。
「『狂気の眼』ですね」とマニフィカ。「レッサーキマイラも持っていたこの能力、グレーターキマイラも持っているとDrアブラクサスは言っていましたね」
「そうじゃよ」隣の席にいるDrアブラクサスのぶっきらぼうな態度。「これをどう克服するつもりじゃったのかね」
 苦しんでいた聖戦士達は、めいめいに自分達の狂気を発散する相手を見つけた様だ。それは自分達の仲間だったり、レッサーキマイラだったりする。
「わ、何しとるんじゃ、われ!? おまはんらの相手は向こうやないか!?」
「てやんでえ! 来るんなら来やがれ! 喧嘩祭りじゃい!」
 襲いかかる聖戦士に向かって、レッサーキマイラが慌てて叫ぶ。
 口では荒事上等を叫ぶが、態度はすっかり逃げ腰だ。舞台を逃げ回る。そういえばレッサーキマイラはここまで直接戦闘に参加していない。
「うわっ! ボクは味方や!?」
 逃げるレッサーキマイラを追う聖戦士のその狂気の攻撃は、ビリーへも及んだ。
 味方が襲いかかるという状況に、福の神見習いは一瞬、自分の神足通を忘れた。
「ビリー、危ない!」
 レッサーキマイラの尾の毒蛇が叫び、ビリーに殴りかかろうとしている聖戦士に噛みついた。
 聖戦士がその毒蛇を強烈に殴りつけた。そして、その直後に麻痺毒によって身体の自由を失い、石畳に倒れこむ。
「毒蛇さん!」
 ビリーの呼ぶ声に答えず、尾の蛇はだらりと尻に垂れ下がったままになる。
「えいっ! えいっ!」
「えいぃ」
 未来は、まさか味方に対して使うとは思っていなかったマギジック・レボルバーからの粘着ゴム弾連射で、他の聖戦士の身体の自由を奪う。その残りをリュリュミアも同じ思いで、ブルーローズの蔓によってがんじがらめにする。これで動ける聖戦士はいなくなった。
「何て事を! 我が女神の恩恵を受けし配下が!」
 アンジェは叫ぶが、彼女の直接の部下は全滅だ。
 半数以上の人間が行動不能となったこの事態に、レフェリーであるジュディはブレイクタイムを宣言して、一旦、双方の態勢を整えさせようとする。
 だが、その前にグレーターキマイラが力強い四肢を躍動させて跳躍した。
 牙が並んだ獅子の顎が狙うのはレッサーキマイラだった。
 力強い獅子のあぎとが前脚の爪ごと、レッサーキマイラの肩に食い込む。
「いててて! 何しやがるんでえ、てめえ!」
「いてやぁ! おがあちゃぁん!」
 肩の筋肉を獅子の牙が食いちぎり、爪が掻きむしる。
 大流血。
 残酷だ。ジュディはブレイクすべきと思った。それともここでグレーターキマイラの優勢勝ちとするか。
 もう一度、顎を深く食い込ませる為に、口を血まみれにした獅子の頭が持ち上がった。
 その瞬間、粘着弾の残り一発が獅子の頭を固定した。噛みつこうにも口が動かせなくなる。
 大量のブルーローズの蔓もグレーターキマイラとレッサーキマイラの間に割って入り、バリケードとなって両者を引き離す。蔓が更に胴にも絡みついて、グレーターキマイラの身体の自由を奪う。
「やったわ!」
「やりましたぁ」
 未来とリュリュミアは叫ぶが、リュリュミアの蔓が彼女ごとグレーターキマイラの方へ引っ張られてしまった。怪物の方が重量が重くて踏ん張る力も強いので、彼女は反動で空へ持ち上げられた形になる。
 それを噛み砕こうと落下地点で待っているのが、上を向いたドラゴンの顎だ。
「「『二身一体心眼少女』!」」
 一瞬の叫び。アンナと未来の心と魔力は一つになった。
 スキル発動。
 心眼。
 スローモーション。
 空気の流れが止まった。
 二人の少女に捉えられた全ての光景がゆっくりとした動きに変化する。
 アンナのローラースケートは全力速度。
 グレーターキマイラの身体に戦闘用モップの完璧な突きを入れる。
 モップの角度を起こしながら、棒高跳びの如く、跳躍。
 粘る様な動きで竜のあぎとがふさがっていく。
 アンナは落下する途中にあったリュリュミアにとびつく。
 彼女をさらう様にして、地上へと着地。
 竜が何もない空間をむなしく噛み砕く。
 同時に未来の『ごついウォーハンマー』は全力で振りかぶられる。
 そのまま、瞬間移動し、エスパー少女の姿が消える。
 次の瞬間、グレーターキマイラの背の上の空中に出現。
 下半身側が死角だと気づいている。
 全身の力を込め、反る姿勢からウォーハンマーを振り抜く。
 三つの頭を持つ怪物も背骨は一つ。
 その狙いを外れず、ウォーハンマーの超重量の打突部が落突。
 背骨が折れる音は、その瞬間からしばらくして未来の耳に届く。
 風が戻る。
 二人の少女の心眼が閉じた時、グレーターキマイラの五メートルの巨体が、二つに折れた様に闘技場の床に突っ伏した。
 竜翼の怪物が動きを停止した。牙の呻きのみが低く地を這う。
 もはや誰の眼にも勝負は明らかだ。
「エンド・ア・ゲームッ! 勝負アリッ! 決着ッ! 決着ッ!」
 ジュディは手を振りながら、レッサーキマイラと動かないグレーターキマイラの間に力ずくで割って入った。
「レッサーキマイラ、WINッ!」
 審判としてレッサーキマイラ側の勝利を宣言した。
 観衆の歓声が大きく一斉に沸いた。
 四方の空気がどよめいて、勝利者達を讃える。その声の振動を浴びるのは心地よい。
「完全決着です。レッサーキマイラ側が勝利しました」解説のマニフィカがアナウンスを入れるが、マイク等はないので声は周囲の歓声にかき消されそうだ。「……終わってみれば、レッサーキマイラ自身は自分から攻撃には参加しませんでしたが……なるべく戦わない、周りの仲間に任すというのも知性が発達したが故に為せる業、という事でしょうか……」
「まあ、面白い戦いじゃった」Drアブラクサスはキンキン声で反り返った髭を撫でる。「やはり実戦はしておくべきじゃな。データも取れたし、これであいつを手離すのも惜しくはない」
 この勝利でレッサーキマイラは、Drアブラクサスの実験獣という役目から解き放たれた事になる。
 歓声と共に紙くずとなった大量の外れチケットが、花吹雪の様に闘技場に舞う。
「これだけあると掃除のし甲斐がありますわね」
 アンナは舞台上の紙くずを掃除し始めた。
「笑いが止まらへん、ほんまボロ儲けや! うひょひょのひょ〜♪」
 トトカルチョでレッサーキマイラに大穴一点賭けしていたビリーは、破格の配当を計算しながら大笑いしていた。

★★★
「おう、気がついたか」
「ちょっとは心配したんやで」
「………………」
 気を失っていたレッサーキマイラの尾の蛇も、治療によって無事に眼醒めていた。蛇は無口続行中だが。
 闘技場では負傷者の治療という、決闘の後始末が始まっていた。
 アンジェの白魔術とビリーの鍼灸によって、負傷者の治療が進んでいく。
 次次と皆、元気を取り戻し、起き上がる。
 そんな中、レッサーキマイラが観衆に愛嬌を振りまく。
「皆、応援ありがとさん」
「一緒に戦ってくれた者達もおおきに、おおきに」
「………………」
「ここで一発」
「わいらの渾身のギャグを」
「………………」
 観衆の注目を浴びる中、後脚で立ち上がる。
「ネコが寝込んだ! ロリコンだ!」
「面白いイヌは尾も白い!」
「………………」
 一瞬にして闘技場の空気が凍りつく。
 季節に似合わない寒風が吹きすさぶ。
 そして再び起こった観衆のどよめきは歓声とは全然、別のものに変わっていた。
「Ouch! Ouch! モノを、モノを投げこまないで下サイ!」
 審判のジュディが慌てて叫ぶ中、怒声を響かせる観客席から色色なゴミが投げつけられる。まさかヘルメットやプロテクターがこんな時に役立つとは思わなかった。
 レッサーキマイラが頭を抱えて逃げ回る。獅子頭と山羊頭が悲鳴を挙げてそれぞれの頭を手で抱える。尾の毒蛇だけがマイペースに無口を貫く。
「ホーッホッホッホッ! 今日は色色と愉快じゃのう」
 Drアブラクサスが貴賓席からゴミが飛び交う舞台へと下りる。
「この混乱に乗じて、失礼させてもらうか」
 そう言いながら、グレーターキマイラのすぐ傍らへと歩いていく。
 負けた怪物は背骨の損壊を治療され、元通りに動ける様になっていた。
 Drアブラクサスはグレーターキマイラの腹に手をかけ、白衣のポケットから何かを取り出すと、それを足元に力いっぱい投げつけた。
 闘技場にいる者全ての耳を聾する爆発音。
 大量の白煙が膨れ上がる。
 白煙は彼とグレーターキマイラを含めた闘技場にいる者達、全ての姿を包み隠す。
 時折、白煙のあちこちでストロボの様な眩しいフラッシュがしつこく輝く。
 観客達はゴミを投げ込む事を忘れ、白煙と光に翻弄される。
 やがて煙にむせる皆がようやく落ち着いた頃、白煙は薄れて晴れ、闘技場の光景が戻ってきた。
 しかし、そこにはDrアブラクサスとグレーターキマイラの姿が消えている。
「……逃げましたね」
 貴賓席から立ち上がったマニフィカは呟く。
 Drアブラクサスは何処へともなく消えた。
 しかしマニフィカとアンナと未来は、彼、いや彼女が何処へ去ったかを解っていた。

★★★
 後日談。
 闘技場の決闘でレッサーキマイラに味方した人間は全員、Drアブラクサスが登録した依頼報酬、十五万イズムを受け取れる事となった。
「うう……わたくしの聖戦士達が牢獄に連れ戻されるなんて……」
 アンジェは十五万イズムを受け取る権利を得たが、彼女の十三人の聖戦士達は全員捕まり、牢獄へと連れ戻されていた。
 アンジェも囚人達を脱獄させた犯人として牢獄入りなのは明らかと思われたが、王族から謎の特赦が出て、彼女は逮捕を免れたのだった。
『お前はこれからも何か面白そうな事をしでかしそうだ。今回の事件は特別に赦す。   トゥーランドット・トンデモハット』
 これが衛士から彼女に渡された特赦告知状の文面である。
 さて、レッサーキマイラは自由の身になった。
 彼はパルテノンの冒険者ギルドの馬小屋を寝床とし、中央公園で日がな一日すごしているらしい。
 パルテノンの住民からは「もし、うっかり遭遇するとつまらないギャグを延延と聞かされる事になる、恐怖の存在」として恐れられているとか。
★★★