『スノーホワイト』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 それは水晶球に映る光景だった。
 暖炉の炎が人の影を壁まで長く濃くのばし、薪の爆ぜる音が時折、耳を打つ。
 黄金の姿見鏡の前に立ったフローレンス・デリカテッセン女公爵は全裸ではない。美しい着物。鏡面に写った自分自身の姿に怒りと苛立ちを覚えている様だった。
「私の娘を殺せ、とおっしゃっておられるのですか」
「はい」鏡像の女公爵が鏡の中で答えた。「私は嘘は申しません」
「スノーホワイトを殺さなければ、私がデリカテッセン領で一番の美女になれないというのなら、私はそれで構いません! 実の娘を殺すなどと……」
「そうですか。貴女の……いや、お前の美への執着は見上げたものがあると思っていたのだが、しょせん、お前もその程度だったのか。お前程度の知力では『ドレス』など見えないだろうに。せいぜい、あるはずだと信じ切っているお前の虚ろな美的感覚と虚勢と見栄と、愚かな者達にはびこる同調圧力の中で、醜い美を振る舞っていればいいのだよ」鏡の女公爵の声。本物と変わらない。
「!? ……何をお前は!?」
「他人に美しいと思われたければ、お前は全裸でもいいのだろう。いや、むしろ全裸をさらして恍惚を得る性分か。もういい。『頭のよい者にしか見えないドレス』で遊ぶのも飽きた。いっそ、私がお前に成り代わり、フローレンス・デリカテッセンの人生を演じてやろう」
「仕立て人! これはどういう事ですか!? たかが魔法の鏡風情がこの私にこんな無礼な口を!」
 女公爵はこの部屋に立って見守っている仕立て人を呼ぶ。この鏡を持ち込んだ二人の仕立て人を。
 だが仕立て人、ジョンとアレックスは動かない。
「仕立て人! 衛士を呼んで!」
 その声が女公爵の最後の声だった。
 鏡面に映った鏡像の女公爵が両手をのばした。
 それは水面を割って水中から腕がのびる様に、両腕が鏡面を突き抜けた。
 質量を備えた両腕の具現が女公爵の首に掴みかかる。
 思わず悲鳴を呑み込む女公爵が、鏡の中に引きずり込まれ、それと入れ替わって、鏡の中にいる鏡像の女公爵が外界に抜け出た。
 鏡の中から出てきた女公爵は確かに実像があった。
 虚と実が入れ替わった。
 新たなる鏡像と化した女公爵は、外界の化身の動きに従ってはいなかった。もがき、脱出しようと抗う。
 しかし、どうにもならない。
「鏡にカーテンを。それから衛士を一人、呼びなさい。スノーホワイトを森へおびき出して、殺させるのです」
「は、フローレンス・デリカテッセン女公爵様」
「おおせのままに」
 二人の仕立て人の、主人に従順な声。
 爆ぜる暖炉の炎に照らされた女公爵は、邪悪な微笑を浮かべた。
 その光景が薄らぎ、遠のいていく。
 水晶球の内部は、小さなシャンデリアからの照明に輝くのみとなった。
 冒険者ギルドの二階酒場の個室。
 レイバンのサングラスのレンズを下げて見ていたジュディ・バーガー(PC0032)は、自分が『過去見』のイザベルにリクエストした場面を観終え、戦慄していた。
「百万イズムも払ってくれたんだ。おまけだ。見えないドレスの制作工程も見せてやるよ」
 テーブル上の金貨で膨らんだ布袋を前にしたイザベルが、自分の両こめかみに指を当て、念じる。
 水晶球の輝きがまた歪つになり、光景へと変じ始めた。
 光景。先程と同じ部屋で、ジョンとアレックス、二人の仕立て人が持ち込みであろう機織り機で布地を織っている。
 見えないドレスの生地の製作工程は、二人のデザイナーのデザインセンスをふんだんに発揮した、複雑な素材の複雑な技法によるもの。門外漢にはちょっと理解が難しいものだった。
 ただし、呪いや不吉な技を使ったものではない事は解る。
 二人の天才が美しい糸を織って、布地にしていくと途端、それは眼に見えない物へと変わる。それは『デザイン』の成せる技だった。デザインが全てを支配するオトギイズム王国ならではのものかもしれない。
 ジョンとアレックスはマヌカン(マネキン)に見えない布地を当てて、裁断している様だ。ハサミをなめらかに滑らせている。しかし、裁断されている物はジュディには見えない。
「……これがミラー・イメージ、鏡の秘密ナノネ……。鏡に閉じ込められたデリカテッセン公爵を助ける方法はないデショウかね。鏡の精との入れ替わりをキャンセレーション、解消する方法のヒントは見られないデスか」
「それも込みで念じてみたけれど、ダメだね。過去に例がないんだね。映らないよ」
「そうナノか……」
 革ジャンを着たジュディは腕を胸の前で組み、唸った。
 たとえ水晶玉の映し出す過去の光景が証拠として使えずとも、真相を知る事が出来たのは極めて大きなアドバンテージだ。確かにイザベルが見せる映像が真相だと証明出来なくても、他の判断材料とも矛盾がなければ、ミスリードの可能性は打ち消せるはず。
 ジュディの勘は、イザベル女史が不器用な正直者と告げている。
 厭世的なところが目立っても、そんな彼女の言動を嫌いにはなれなかった。
「どうやれば公爵を助け出せるか。無理やり引っ張り出すか、それとも鏡を割ってしまうか。それは解らないね」
「とりあえず、サンクスね。イザベル」
 ジュディは彼女に背を向けて個室を出た。
 酒場の騒がしさの中を泳ぎながら、受付ホールへと階段を下りる。
 後は仲間を待つだけだ。
 こうして得られた情報は勿論、味方である知人達に伝えるつもりだ。
 この情報は状況を大きく動かすのに、十分足りるものだろう。

★★★
「そらアカンわ、洒落にならへん。けたくそわるいで!」
 女公爵フローレンス女史が『鏡の精』と入れ替わっており、スノーホワイト嬢暗殺を企んだ黒幕は偽者の女公爵らしい。
 その情報を初めてジュディから知らされた日、いつも飄飄としているビリー・クェンデス(PC0096)もさすがに声を荒げて驚いていた。それが先の言葉だ。
 だが、今日、受付ホールでマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)と一緒にジュディと出会ったビリーは、その時よりは冷静だった。
 ビリーの褐色の肌は最近のドワーフ達との鉱夫経験ですっかりたくましく、というか脂肪燃焼でシルエットがスマートになってきていた。
 低い声で彼らが話す事には、それらの情報を知らされた後、ビリーとマニフィカは公爵邸に突入&奪取を決意したらしい。
「是非もなし、ですわ」マニフィカは静かに憤っている様であった。「『巧遅は拙速に如かず』及び『拙速は巧遅に勝る』でございますわ。つまり、迷い悩むくらいなら、大胆な行動を速やかに実施すべし、でございます」
 マニフィカのマイブームである故事ことわざ辞典は、その言葉で彼女の決意を後押ししていた。
 これ(故事ことわざ辞典)と共に生き、これと共に死す。もはや何の躊躇いがあろうか!という境地である。
 いずれにせよ、結果は手段を正当化するとも言われる。
 望む成果を得る為なら多少は強引であっても致し方ない。
「アンナも誘えばいいんじゃないカナ」ジュディは既にこの冒険者ギルドで接触して、情報を伝えてあるアンナ・ラクシミリア(PC0046)の名を出した。「彼女も公爵のシークレット、秘密を探りたいと言ってマシタから」
 ふむふむ、と二人は興味を示した。

★★★
 デリカテッセン公爵邸は豪邸だ。
 以前、訪れたマニフィカは例の鏡が置かれている部屋までの通路の道順を知っている。
 実体をなくして精身体となったマニフィカは、要所要所にいる衛士の脇をすり抜け、奥へと向かった。
 『錬金術と心霊科学』。
 マギ・ジス世界の聖アスラ学院の錬金術教授、マープル先生が執筆したというこのレアな魔術書は、本を開くと生身の肉体を持つ者は精神体になり、精神体は生身の肉体になれる。
 幽霊と同質になったやんごとなき人魚姫は、通路や壁を透過して目的地へ急ぐ。
 彼女の霊体化の限界時間は、姿見の鏡が置かれていた部屋までたどり着くのがギリギリだった。
 もしかしたら、衛士の中に霊体を感知出来る霊感の者がいるのでは?という心配があった。鏡が他の場所に移動させられているのではないか、という恐れもあった。
 だが、それらはなかった。
 ともかく鏡を発見したマニフィカは再び『錬金術と心霊科学』を開き、今度は最短距離で中庭に出る。
 実体化した彼女は『サンバリー』を光らせ、東方の空に合図を送る。
「動いた!」公爵邸を少し離れた空の上。館を眺めていたビリーが叫ぶ。「……二回点滅して、少し間を開けて、また二回。ってゆー事はと……」
「これですわ。目標は以前と同じ場所にある、ですわ」
 ビリーは手元にある暗号メモを見、肩越しに覗き込んだアンナはいちはやく答を見つけて指し示す。
 青空で待機し、館を観察していたビリーとアンナの『空荷の宝船』が、マニフィカの連絡を受けて早速、発進した。
 風を切って急加速。
 公爵邸の近くで地上すれすれの飛行になり、ローラースケートを履いたアンナを林に降ろして着地滑走させた後、また空へ急上昇。館の上空へ飛来する。
 普通なら、上空の空荷の宝船に衛士が気づくだろう。
「どうか、デリカテッセン公爵へお眼通り願いますわ! 礼も見舞いもございませんが!」
 しかし表門から公爵邸を堂堂と訪問したアンナは、衛士達の注意を表に引きつける。
 アンナは一歩も退かず、デリカテッセン公爵に今すぐ会いたい、約束がなければ会わせられない、という一悶着を衛士達と繰り広げ始めた。館内の衛士が表門に集まってくる。
 アンナの目的は騒動を起こす事自体だった。
 これからは手際のよさが勝負だ。
 この隙に宝船は館の中庭の上空に到達、ビリーは『神足通』でマニフィカの所まで瞬間移動。
 更にビリーはマニフィカの誘導で鏡のある仕立て職人達の部屋へ行く。
 ここが姿見が置いてある部屋だ。
 守備の衛士がいない。
 仕立て職人のジョンとアレックスも、今は部屋にいない。
 アンナが表に注意を引きつける策は、見事に成功している様だった。
 マニフィカとビリーは黒いカーテンのかけられた、黄金の姿見に近づいた。大型の鏡のカーテンもめくらない内に、ビリーは神足通で自分と一緒に瞬間移動させる。瞬間移動を連続させて、小柄な座敷童子は自分と一緒に鏡を中庭まで運ぶ。大型の鏡を神足通の連続ジャンプで運ぶのは、思った以上に精神力が要った。何せ、人間の全身を写せる黄金作りの豪奢な品だ。大きい。重い。ビリーはへとへとになる。へとへとになりながらの最後のジャンプで、自分ごと、姿見を上空待機の宝船へ積み込んだ。どっと疲れた。
 中庭に立つマニフィカは『魔竜翼』を背に展開し、そのまま飛び上がった。翼のはばたき。魔術書を小脇に抱え、風を叩いた気流で上昇する。彼女は魔術書の連続使用で、精神が枯れかけているのを自覚する。動きが鈍い。
 それでも何とか無事に、彼女は上空の宝船に乗り込んだ。
 だが、この姿はさすがに目立った。
「何だ、あれは!?」
「侵入者だ!」
「公爵様を守れ!」
 衛士達が中庭上空の異常に気づき、騒ぎ始めた。
 大勢の叫ぶ声や呼子の甲高い音が響く。
 軽装甲の男女が、剣や槍を手に中庭に集まってくる。
 表門にいる衛士達もアンナを相手にする最低人数を残しただけで、公爵邸の中庭に駆けつける。
「あかん! これじゃ、地下牢の衛士さんを連れてくる事は出来へん!」
 ビリーは、スノーホワイトを助けたが故に地下牢に幽閉されている衛士がいると聞き、彼もこっそり助け出すつもりでいた。だが、館内はもうそれが叶わないほどの騒ぎになっている。
 マニフィカと鏡を積んだ宝船は衛士回収をあきらめ、東の空へ飛び去った。
 頃合いを見、仲間の成功を信じるアンナもローラースケートを高速滑走させて、公爵邸を後にした。
 後は打ち合わせの場所で皆が合流するだけだった。

★★★
 鳥瞰する。町が地図に描かれた絵の様だ。
 飛翔して、ある町を訪れた空荷の宝船。
 それに乗ったビリー、マニフィカ、アンナ。積み込まれた黄金の大きな姿見。
 場末の宿屋。とってあった三階の部屋に窓に船を寄せる。
 窓を覆っていた鎧戸が内側から開いた。
 その部屋で待っていたジュディが開けたのだ。
 ピンクのメイド、座敷童子、人魚姫が窓から部屋へと乗り込む。
 ジュディの助力もあり、鏡も部屋の中へ無事に運び込んだ。
 部屋の真ん中に鏡を立てる。その重さに安普請の床が少したわむ。
 そこで皆は、黄金の姿見にかけられていたカーテンを剥がした。
 鏡面は外の景色を映さず、暗かった。その黒い闇の中に四十代の高貴な着物を着た女性の姿。鏡面の向こうから、越えられない透明な壁を両手で叩き続ける。
 フローレンス・デリカテッセン公爵。
 姿は確かに新作ドレスお披露目の行進で裸を見せていたあの美熟女なのだが、今は堂堂とした威厳はない。
 耳をすますと、彼女の声が小さく聴こえてくる。
「……聞こえて……いますか? 私を……ここから……出して……下さい」
 精一杯の声を出している様だが、小さくしか聴こえない。
 どうすれば女公爵を鏡から出せる。
 四人は思案した。
 鏡を割るのか。
 無理やりに引っ張り出せるのか。
 ジュディは試しに鏡面に手を当ててみた。冷たい。鏡面より内側に手は入らなかった。
「あなたは魔法の鏡なんですか」アンナは鏡に話しかけた。内部の女公爵にではない。鏡その物に問いかけている。「鏡は真実の姿を映し出します。けれど、もしも、あなたがただ一人の姿だけを映し出す事に不満を持ったとしたら……もっと大勢の人に見られる事を望んだとしたら……姿を映した人物を鏡の中に閉じ込め、入れ替わってしまうなんて容易いでしょう」赤い瞳が鏡を見つめる。「……真実を言い当てれば、正直に答えてくれますでしょうか」
 アンナの問いに、鏡からの返答はなかった。
「どうも鏡自体から肝心の『魂』が抜けている感じでございますね」マニフィカが鏡の枠を撫でる。成程、いかにも魔法や魂が宿りそうな見事に魔術的な造形だ。
「バイ・ザ・ウェイ、そういえば」とジュディが、どうやら『鏡の精』である偽公爵は老婆の変装をして、モンマイの森に出かけたらしいという情報を思い出した。これは既に皆に伝えてある情報だ。
 リンゴをバスケット一杯に詰めた老婆。
「未来さんやリュリュミアさん、今頃、どうしてるんやろな……」
 ビリーは、モンマイの森のドワーフ達と暮らしている姫柳未来(PC0023)とリュリュミア(PC0015)の顔を心に思い浮かべた。

★★★
 鬱蒼と繁るモンマイの森。
 そこを急ぐ、黒いローブを着た老婆がいる。
 誰にも見られていないと思っているらしい老婆は、そこそこ健脚だ。つまずきそうな太い根を巧みによけ、ぶつかりそうな枝はくぐる。
 老婆は急いでいる。
 と彼女の持っていたバスケットケースに奇妙な力が働いた。
 バスケットの折り畳み式の蓋が開き、中からリンゴが一つ、ふよふよと浮く。
 それは老婆に気づかれない静かさでどんどん彼女から離れていった。
 リンゴが飛んでいく先にある木の陰に、一人のミニスカ女子高生が隠れている。
「……やっぱり『今日は次次と危難が訪れる』って、占いの通りね」
 木によりそう姫柳未来の左手に、そのリンゴが収まる。そして『魔石のナイフ』を握った右手がそのリンゴを撫でる様に旋回。瞬間的にリンゴは、幾つもの一口サイズの断片に切り分けられていた。
 次に未来は制服のミニスカートを片手でめくる。
 薄暗い森に白い生の太腿が映える。セクシーな太腿のホルスターから魔法銃『マギジック・レボルバー』を取り出した。
 その時、老婆が立ち止まり、未来の方へ振り返った。気配に気づいたのだ。
 だが、その身体が瞬間的に背後の木に縫いつけられる。粘着質の塊が老婆に命中し、そのべとべとした粘性が老婆の黒いローブを固定したのだ。
 二発。三発。連続する念着弾の射撃が次次と老婆に命中し、上半身を完全に背後の幹へ固着した。
「あなたがスノーホワイト暗殺に来たのはバレバレなんだから」
 次弾を魔銃に装填し、未来は老婆に近づいた。
「そのバスケットの中身を自分でご賞味してみるといいわ」
 サイコキネシスで彼女の傍の宙に浮いていたリンゴの切り身から、一片が音もなく飛んだ。老婆の口の中に吸い込まれる様に入っていく。
 それが毒物だろうという事は未来も想像がついている。
 どんな反応が起きるかは解らなかった。
 もしかしたら吐き出すかもしれないと未来は考えたが、次の瞬間に起こった事は予想外だった。
 老婆は毒物に対しては何の反応も見せずに、黒いローブだけが急にしぼんだ。
 いや、老婆が身体を下に滑らす事によって、木に粘着固定されていたローブを一気に脱ぎ捨てたのだ。
 黒いローブの下は全裸だった。
 しかし年老いた裸ではない。
 四十代の女性の白い肌が森の中を走った。
 顔だけが老婆だったのに、白い手が皺だらけの肌を髪ごと引きちぎり、美女の顔が現れた。
「っ!」
 見えないドレスお披露目の行進を見に行った事のある未来は、彼女がフローレンス・デリカテッセン公爵であるとすぐに解った。
 ローブとバスケットを捨てて走り去ろうとする女公爵を、未来は追った。
 テレポートを連続させて追うには、障害物として木が生えすぎている。
 茂る木木の間を縫う、二人の追跡劇が続いた。
 追う未来は、遥か前方の森から何かが走ってくるのに気づいた。
 二体。
 人型だ。
 その悪鬼の様な形相は女公爵ではなく、未来を凝視していた。
 痩せ枯れた、獣めいた人間。
 いや、人間の死体か。
 ボロボロの服。
 動く死体。
 女公爵とすれ違い、二体が未来に迫った。
 未来は魔銃を撃って、一体の顔を森の木に粘着固定し、残る一体を魔石ナイフで斬りつけた。
 汚れてひび割れた鋭い爪が攻撃してくるのをかいくぐって、魔石ナイフは相手の首筋を斬る。一撃ではない。『ブリンク・ファルコン』による加速連撃を首に見舞って、切り離した。
 動く死体の頭部が牙を噛み鳴らしながら放物線を描いて、離れた繁みに落ちる。
「……見失っちゃったか」
 未来は呟いた。今のアンデッドに構っている隙に、女公爵が姿を消している。
 落ちているバスケットとそこからこぼれたリンゴを見比べる。
 バスケットの容量に比べると、リンゴは少し数が少ない。
 未来はふと今朝の占いを思い出す。
『今日は次次と危難が訪れる』
 ……次次と。
「今まで、この森にアンデッドなんか現れた事なかったのに……」
 未来は嫌な予感がして、最近、泊まり続けているドワーフの鉱夫達が住んでいる家へ急いだ。

★★★
(今日のおやつはどうしましょう)
 緑色のリュリュミアは台所で悩んでいた。
(料理はビリーが幾らでも出してくれるけど、それだけじゃ味気ないから、今日のおやつ位はリュリュミアが準備したいですぅ。でも、スイカは最初の日に食べたし、昨日はメロン……ちょっと甘いモノが続いてますねぇ。あれぇ、こんなところにリンゴが幾つか置いてありますぅ。そういえば、さっき、リンゴ売りのお婆さんが来てたみたいだから、スノーホワイトが買っておいてくれたんですねぇ。そうだ、アップルパイなんていいですねぇ。パイにするなら、本当はちょっとすっぱめのリンゴがいいんですけどねぇ。んー、皆の分を作るとなるとさすがにリンゴの数が物足りないですねぇ。パイの部分をかさ増しして何とか人数分を作りましょう。お料理はそんなに得意じゃないけど、上手く焼けたら、皆にごちそうですぅ)

★★★
 ひらけた陽射しと小鳥の声が降りそそぐ森の小屋のドアを、未来は勢いよく開けた。
 そこには一人のフレンチメイド服の若い巨乳美少女が倒れていた。
 スノーホワイト・デリカテッセン。
 白雪姫。実母である女公爵の手を逃れて、このモンマイの森へ逃げ込んだ娘だ。
「スノーホワイト!?」
 彼女は椅子に座って食事していた時に、椅子ごと倒れた様だ。
 テーブルには食べかけのアップルパイの皿。
 未来は彼女を抱き起こす。
 体温が低い。
 手首の脈を診る。
 ひどく弱弱しいが、一応は生きている。
 再び、名を呼ぶが、深い眠りに陥っているかの様に彼女は覚醒しない。
 もしかしたら、このままでは本当に死んでしまうかもしれない。
 未来が焦っていると、開け放たれたままのドアからリュリュミアが駆け込んできた。
「大変ですぅ。ザック、ジック、ズック、ゼック、ゾック、ダック、ディックさん達が皆、倒れて、眼を醒まさないんですぅ」
 あまり慌てている感じのしないリュリュミアだが、真剣だ。
 リュリュミアと未来は二人でなんとか、スノーホワイトの身体をベッドまで運んだ。
 そして鉱洞へ向かう。
 奥にある、一休みに最適な開けた場所に、デニム地の作業服を着た七人のドワーフ達が倒れていた。
 未来とリュリュミアが一人一人、脈を確かめる。
 スノーホワイトと同じだ。かろうじて生きている。
 周りには食べかけのアップルパイの皿が散らばっていた。
 このアップルパイと老婆が配っていた毒リンゴが、未来の脳内で即座に結びつく。
 その事をリュリュミアに聞くと彼女は「暗殺用なら、即座に死んじゃう様な猛毒を使うんじゃないですかぁ」と疑問を抱き「あ、そうかぁ。リンゴの少ないアップルパイは、一人一人の致死量に達しなかったのねぇ」とすぐに自分の問いに自分で納得した。
 ともかく、どうにかしなければならない。
「毒消しがないか、調べてみますわぁ」とリュリュミアは家へと戻っていった。
 未来はこの洞窟を探し、ドワーフ達が持ち込んだ救急箱を見つけた。
 蓋を開けてひっかきまわすが、毒消しの様な物は見当たらなかった。
「えーと……」未来は基本的な蘇生手段を思いつき、頬を掻いた。「……人工呼吸をすべきなのかな」
 ドワーフ達を見る。肉厚な唇が青ざめている。
 未来は傍らで仰向けに倒れているゾックの身体にまたがる。
 髭だらけ。どっちが裏か表か解らない様な顔だ。
 未来はゾックのデニムの作業服の胸に両手を置いた。
 そして力強く、リズミカルに押す。身体の血液を循環する補助をするのだ。
 一、二、三! 一、二、三!
 だが、はたと手を止める。
 これは身体中に毒を回す手伝いになっていたりしないだろうか。
 この方面に知識がない未来は戸惑った。
 その時だ。
 鉱洞の入口の方からリュリュミアの悲鳴が聞こえた。
 未来はとりあえずドワーフ達をそのままに、外へと走った。

★★★
 それは奇異な姿の者達だった。
 小屋の前に未来が先程見た様なアンデッドが十幾体と並んでいる。身体を少なからずの装飾品で覆って。
 それらの内、四体が豪華な棺桶を担いでいた。
 棺桶の蓋はガラスか水晶の様に透明になっていて、内部に横たわる人物が見える。
 スノーホワイトだ。
 フレンチメイド姿の彼女が巨乳を透明の蓋に押しつけ、眼を閉じている。
 そして彼女の横に立つのは馬上の男性。
 白骨馬に乗った王子様。骸骨になった馬にまたがっているのは、金髪をボブカットに切りそろえた、如何にも貴族めいた高貴な衣装をまとった男性だった。
 筋肉のないスマートな印象。というよりは、?燭の如き色の肌は骨にすっかり張りついている。
 青い眼を輝かせる。髑髏を思わせる顔は口から冷気の雲を吐いている。
 不死の怪物、アンデッドだ。
 多分『リッチ』と呼ばれる上位のアンデッドではないだろうか。
 リュリュミアは彼らを見て、悲鳴を挙げたのだ。
「私の名は『ハイネケン・バッサロ』。このデリカテッセン領に接するバッサロ領を治める男爵であるぞ」
 そのリッチがリュリュミアにそう話しかけてきた。横柄な口調だ。
「この死体が欲しい。気に入ったのである。私に売らないか。幾らでも金は出すのであるぞ」
「待ってぇ。スノーホワイトはまだ死んでないのぉ」
 リュリュミアは勇気を振り絞って叫んだ。
「この女性(にょしょう)がまだ死んでないとな。まあいい。人は誰にでも欠点はある。ならば、死ぬまで待とう。美女は死んでからこそが真に美しいのであるぞ」
 言いながらマントをなびかせるハイネケンは、表情の解らない顔で笑い声をあげた。
 ここで未来は鉱洞から出てきて、ハイネケンを見た。
 そして、邪悪な空気を感じとった。
 この時になって、未来とリュリュミアはアンデッドの群の中に、更なる人影が立っているのを見つける。未来にとっては先刻、見失ったばかりの人間だ。
 高価そうなローブを身にまとった女公爵フローレンス・デリカテッセン。
「『シュピーゲル』よ」ハイネケンはその名前で女公爵を呼んだ。「百年ぶりに会うが、今度はそんな姿になって遊んでいるのか。まあいい。お前とは馬が合う。しばらくは我がバッサロ領でかくまってやるぞ」
「はっ。これはハイネケン男爵、助かります」
「待って! 行かせないわ!」
「スノーホワイトを返してぇ」
 未来とリュリュミアは機先を制して、アンデッド共に挑みかかった。
 しかし、その勢いが足元での火球の爆発によって、止まる。
「愚か者め。私に挑んでただですむと思うのか」
 火球はハイネケン男爵が手に持った杖によってもたらされたのだった。その杖のデザインは灼熱や爆裂をイメージした物で、確かに火の球を放ちそうな雰囲気がある。
「退屈しのぎに貴様らは面白そうだ」ハイネケンは骸骨馬の手綱を取って、馬身を旋回させた。「この棺桶が欲しかったら、我がバッサロ領の城まで来るがよい! 私の配下のアンデッド達に八つ裂きにされる覚悟があればだがな!」
 ハイネケンとその配下のアンデッドは身をひるがえして、森の中へ戻っていった。
 棺桶も女公爵も一緒に駆け去り消えた。
 残されたリュリュミアと未来は相手の凄みに怯んでしまった事を悔しく思った。

★★★
「ハイネケン・バッサロ男爵は屍者愛好の倒錯主義者で、それが高じて自らもアンデッドになり、臣民も全てアンデッドにしてしまったというとんでもない人物だよ。年齢は二百歳ほど。何でもその音を聴いたら普通の死体もアンデッドにしてしまう『死者を操る大きな鈴』を持っているという……」
 過去見のイザベルはたまたま、この方面にこれだけの知識を持っていた。
 黄金の姿見を置いた宿屋の一室に集まったジュディ、リュリュミア、未来、マニフィカ、ビリー、アンナは彼女の話を聞くまでもなく、事態がとんでもない方向に転がっているのに気がついていた。
 とりあえず、眼の前の問題を並べてみると。
『フローレンス・デリカテッセン女公爵を鏡から出す』
『スノーホワイト・デリカテッセンを奪還する』
『その為には恐らく、ハイネケン・バッサロを倒さなくてはならない』
『そして偽の女公爵(鏡の精)も倒さなければならない』
 モンマイの森のドワーフ達は全員、家のベッドまで運んで寝かせてある。
 ビリーの鍼灸&マッサージ効果と、元元、頑健な身体なせいか、半分ほど回復している様だ。
 しかし、バッサロ領とはどういう所か。
 噂を調べると、生きるものが一つとしてない、死者の園であるといわれる。
 城はアンデッドと罠だらけの迷宮で、床に回転する大型ナイフや死者だらけの地下水道に落とされる落とし穴、ポルターガイストが襲いかかる部屋があるという。
 中央にある不浄の祭壇に『死者を操る大きな鈴』があり、これが領地内のアンデッドに永遠の命を与えているという。
 全くホラーでスプラッタな状況だ。
 果たして冒険者達がどの様に動くか。もはや冒険者ギルドの依頼とは関係ない方向に話は向かっている。これ以上、怪奇な事件に深入りするかどうかは皆の意志にかかっているのだった。
「とりあえず、今やれる事は……」
 アンナはモップを使って、埃の多い、この部屋の掃除を始めた。
★★★