『全自動の精霊』

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 外では木枯らしが吹く、冬の町。
 善児童選択鬼、もとい、全自動洗濯機から金太郎を救出せよとの依頼が貼りだされた瞬間から、冒険者ギルドの受付ホールは俄然、騒がしくなった。
 騒然としたホールでは、化学反応的に様様な人間交流のエネルギー交換が始まる。
 全体的な反応はやがて幾つかの小グループに分裂し、それらのあるものは静まり、あるものはより活発になり、といつもの光景に流れていく。
 そして、最後に残った活発な小グループが、この依頼を受ける面子となる。
 顔なじみの気の置けない集まり。最初はそう思った。
 だが、今回はそれまでにはない変化がある。
 初めて仲間に加わった者がいるのだ。
 彼は奇矯な輩がたむろする冒険者ギルドでも目立つ方であり、会話こそなかったもののその風体はよく見知られていた。
「俺の名前はアストルってコトでヨロシクゥ!」
 飄飄とした態度でいたアストル・ウィント(PC0088)は自己紹介と共に、独特のリュートをかき鳴らす。知る者にはス▽ッシュや、ジミヘンや、イング〇ェイもかくやといった体で、初めて聴く者も多い電気的な音色が幅広いオクターブを駆け上がる。天国へ突き上げる様な高音がかすれて消えていく頃には、ギルドの受付ホール全員の注目が一身に集まっていた。
「まいど! ボクはビリーや! アストルさん、凄く演奏が上手やなぁ。この依頼自体もおもろそうやし、何か得する事多そうやな」
 関西弁の福の神見習い、ビリー・クェンデス(PC0096)は感想を素直に述べた。
「褒めてもらえて光栄じゃん」と満面の笑顔のアストル。「俺の音色でバウム中の奴らをKOしてやるじゃん」
「わたしは未来。今日はいい事あるって占いに出てたけど、もしかしてアストルに出会えた事かな」
 ミニスカ制服の女子高生、姫柳未来(PC0023)は握手の手をさしだす。
「ジュディの故郷にあるエレキギターみたいなサウンド、ネ。アストルはバード、吟遊詩人デスカ」
 身長2メートル超えの女性、ジュディ・バーガー(PC0032)は彼の背の高さまで膝を曲げて、挨拶する。
「俺はグリングラス族の詩守り人(うたもりびと)さ」とアストルは未来との握手の後にジュディに気さくに答えた。「まあ、吟遊詩人って思ってくれてもそんなに遠くないじゃん」
「わたくしはマニフィカ。……ネプチュニア連邦王国の第九王女、マニフィカ・ストラサローネ」マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)ははっきりした声で礼節を示した。「あなたにいつかサーガで語られる時が来たならば、よいでしょうね」
「俺もいつか、マニフィカの活躍を歌えたらいいなと思うぜ」
「わたしはリュリュミアですぅ」リュリュミア(PC0015)はぽやぽや〜とした口調で、アストルに自己紹介する。「……あのぉ、もしかして、あなたは葉っぱをばりばり食べちゃう派の人なんでしょうかぁ」彼女にしては珍しく、ちょっと警戒する態度を見せている。
 何故かといえば、二人に共通するするメインカラーがグリーンなのだが、その二つの緑色には微妙な違いがあるからだ。
 髪も瞳も着ているワンピースも植物系グリーンである、光合成淑女のリュリュミア。
 それに対し、銀色のウルフカットから細長くのびた二本の触角、瞳と背中の虫の羽、着崩したスーツがグリーン基調であるアストルはひょろっと長い足を持つ、どちらかといえばバッタやキリギリスを連想させる昆虫めいた亜人間種族だった。
 植物系リュリュミアは、アストルが葉っぱを食べる昆虫的存在なのかと本能的に警戒しているのだ。
「俺はアボカド・サラダは食っても、自然に生えてる草は食わないよ」笑顔でアストルはリュートの弦を爪弾く。「ましてや、それが可愛い淑女なら」
「わたくしはアンナですわ」ほっとした様子のリュリュミアの後ろから、緑色とは対照的なふわっとしたピンクのスカートのアンナ・ラクシミリア(PC0046)が赤い瞳でアストルを見つめた。「初めまして。あなたが物を散らかさないタイプの人ならいいのですけど」
 アストルは、アンナが持っている、今は柄を短くしているモップを見ながら「OK。努力しようじゃん」と答えた。そして彼女が履いているローラースケートを珍しそうに見やる。「それ、スピード出そうだね。でもバランスが難しそうじゃん?」
「慣れれば平気ですわ」アンナは答え、足をそろえたまま、つーっと床を滑って見せた。
 皆が自己紹介をすませ、これで実質的にパーティが組まれた。
 後は依頼と向き合う事になる。
 ヤマンバの嘆願を受け、『せえるすまん』が置いていった全自動洗濯機IZUМIの精霊をどうにかして、金太郎を無事に救出するのだ。

★★★
 トンビがくるりと輪を描いた。
「えぇ−。洗濯機に入るとぐるぐる回って、金色や銀色になるんじゃないんですかぁ!?」
 奇妙なところを勘違いしていたリュリュミアの思いは、旅の途中で修正された。
「え、わたくしも泥んこ汚れの着物でも、放り込めば金ピカ、銀ピカになって出てくると思ってましたわ」
 アンナもちょっとしたボケを返す。尤もこれは彼女が特別に奇麗好きだからこそ出てきた発想かもしれない。
 オトギイズム王国でも東洋の雰囲気が色濃く目立つ『アシガラ』。
 地方色豊かな水彩画の風景に、冒険者達はやってきた。
 冒険者ギルドから渡された地図を頼りに、踏み固められていない山道を歩いて、やがて皆はヤマンバと洗濯機が待つはずの山中の小屋に到着する。
 小屋の前にジュディ並みに巨大な老婆が和装でたたずんでいた。顔が大きく口が耳まで裂けたかの様な怖い表情。彼女がヤマンバなのだろう。
 彼女の傍らには、未来など文明人がよく見るよりもちょっと大きめサイズの洗濯機が置かれている。
「おうおう、お前らが金太郎を助けにやってきてくれた者達か。金太郎を助けてくれ。その為にはこの洗濯機を壊しても構わんぞ」
 ヤマンバが鬼の形相で、巨大な包丁を振りかざしながら懇願してきた。形相と包丁には驚かされたが、彼女に害意はなく、それが普段通りなのらしい。
 早速、皆は寒風にさらされている洗濯機IZUМIにとりつき、調査を始めた。
「大きな箱だな」とアストル。
 少なくとも外観は、知っている人にはありふれている一槽式の大きめの洗濯機だ。太陽電池の充電によって動くとの説明通り、外部電源につながるコードの様な物はない。
「なかなかよさげな洗濯機ですね。でもきっと、型落ちなんでしょうね」アンナが洗濯機の表面を丁寧に撫でさする。「生き物を入れちゃいけないのは取扱説明書に書いてあるのでしょうけど、対応がファジーではないのはバージョンが古いせいだと思いますわ」
「ヤマンバのお婆さん、せえるすまんから取り扱い説明書は受け取りましたか?」
 未来の問いにヤマンバが「いんや」と大きな顔を振った。
「セールスマンを見つけるのが一番の近道でしょうけど、何処かに連絡先とか書いていないかしら」
 言いながらアンナは調べる。
「何処のメーカー製品にも共通規格やとして、洗濯機の片隅に『お客様相談窓口』の連絡先が記載されてるはずなんやけどなぁ」ビリーも表面を丹念に調べている。「……恐らくはIZUMIの精霊自体が、ユーザーのクレームに対応する現地相談窓口なのかもしれへんな」
「どういう事なの?」と未来。
「IZUМIの精霊自体が何かあった時のトリセツかつ、クレーム対応員という事や。……やっぱり連絡先が見つからへんな。最悪、粗悪品を売り逃げする悪質なせえるすまんかもしれへん。としたら、ジャパニーズ・ビジネスマンの風上にも置けん奴や」
 ジュディは洗濯機をむんずと抱えて、高く持ち上げた。
 もしやと思ったが、やっぱり底の方にも連絡先等は見つからない。
「やっぱり、IZUМIの精霊に直接、訊いた方がええな」
「充電一回で一日に一度、動かせるという事は、精霊に会うチャンスは一日に一度という事じゃないのかしら」アンナは洗濯槽を覗き込む。現在、中は普通に空っぽだ。「出来れば色色なモノを放り込んで、反応を十分に確かめた方がいいのですけれど、それも難しいでございますね」
「じゃあ、わたしが洗濯機の中に入ってみますねぇ」
 と、いきなり直接的なアクションを起こしたのはリュリュミアだった。
 ブルーローズの種を取り出した掌で、あっという間に生長した濃緑の蔓があふれ出る。
 その蔓は近くの木までのび、幾本も束ねられて、しっかりと巻きつく。彼女はその手元の端をぎゅっと握った。
「では、行ってきまぁすぅ……の前にヤマンバさん、お弁当を用意出来ないかしらぁ」
「え、弁当?」突然の指名にヤマンバは包丁を握ったまま、驚く。「いや、今から飯を炊くとなると時間がかかるが……」
「それなら仕方ないですねぇ。じゃあ、ちょっと行ってきますぅ」
 リュリュミアは突然の行動に呆気にとられた仲間が止める間もなく、ブルーローズの蔓を命綱にして、洗濯槽の中にとび込んでしまった。
 この洗濯槽の何処に大人の女性一人を?み込むスペースがあったのか不思議だが、リュリュミアは洗濯機の中にすっぽり納まって、消えてしまう。
 わー、大変だー!と皆が騒ぎ出し、ジュディは洗濯機をひっくり返して中身を出そうとするが、あいにくこぼれ出る物はない。
 皆で洗濯機を囲む。地面にちゃんと置いてみて、中を覗き込んでも何も見えない。ただ底が暗くなっていた。
 リュリュミアの命綱はまっすぐピンと洗濯機と結んだ木の間に張られている。だが、彼女が握っているはずの端は洗濯槽の底の奇妙な暗闇に吸い込まれていた。
 と、爆発にも似た閃光。
 周囲の皆の眼を眩ませるほどの白光が洗濯槽からあふれ出た。
 思わず、皆はとびのく。
 IZUMIの中からまるで芝居の舞台がせり上がる様に、西洋風のベールをを全身に巻きつけた光り輝く美女が現れた。アルカイック・スマイル。全自動洗濯機の精霊だ。どれだけの力の持ち主なのか、何気なく左右の手に一人ずつリュリュミアをぶら下げていた。
 とにかく派手な黄金のリュリュミア。
 渋めだが眩しい白銀のリュリュミア。
 そのIZUМIの精霊が皆に訪ねてきた。
「あなた方が落としたのは金のリュリュミアですか? それとも銀のリュリュミアですか? 制限時間十五秒。じゅーよん、じゅーさん、じゅーに……」
 ほーら、来たぞ、と洗濯機を囲む皆は思う。
 ここで選択を間違うわけにはいかない。
 といって、迂闊な答を返すと言葉のあやでリュリュミアは返ってこなくなるかもしれない。
 皆は示し合わせるでもなく、非常に慎重な面持ちとなった。
 アンナは思う。
 答える時は滑舌はしっかり、制限時間に気をつけて、相手が提示した選択肢から選んだ単語を答える。
 掃除道具、洗濯用品、お風呂セットは、文化的生活を営む上での三大必需品であるし、中にいる人間の安全の為、出来る限り、丁寧に扱うべきだ。
「なーな、ろーく、ごー……」
 こほん、とマニフィカは空咳を一つして、前に出た。
「わたくし達が希望しますのは、先ほどその洗濯機の中に入っていった、今まで何回も冒険を共にした、普通のリュリュミアでございますわ」
「そうですか」IZUМIの精霊は表情を変えない。「金や銀もいいものですわよ」
「わたくし達の選択に迷いはありません。普通のリュリュミアを所望しますわ。それにそれより……」
「……ちょっと待ってや。その前にあんさんがクレーム対応員と見こんで、話があるんやけど」その時、一歩前に出て、口をはさむビリー。「前に洗濯機の中に落っこちて没収された金太郎さんを返してもらえないやろか。あん時のヤマンバさんへのあんさんの対応に、重大な事実誤認があるんやけど……」
「こちらの対応に不手際がありましたでしょうか」
 丁寧な言葉で答える精霊。確かにクレーム対応の役割も果たす様だ。
 ビリーはIZUМIに真面目なクレームを入れて、事故保証として金太郎を返還してもらうつもりでいた。ユーザーからのクレームは大切な資産であり、真っ当なメーカーであるならこれを無視出来ない。お客様からの苦情は商品とサービスの向上につながるのだ。
 まあ、例外として極端なクレーマーの扱いに関しては、それなりの対応を返すだろうが。
「具体的にこちらにどの様な不手際があったか、お教え願えますか」
「ヤマンバさんは金でも銀でもない普通の金太郎を希望したのに、あんさんは話の途中で勝手に誤解して打ち切ってしもた。改めて、普通の金太郎を希望するから、彼女を返してほしいんや」
「……はて、その様な事があったでしょうか」
「あったんや。あんさんの早とちりや」
「ちょっとお待ちになって下さい。過去の記録を検索してみます」精霊は眼を閉じた。何処からかオルゴールの音が聞こえてくる。「確認しました。ただし事実誤認は認められません。お客様は確かに『普通の金』を希望されました」
「だから、それがあんさんの早とちりやと」
「正式な対応です」
「だから、それが早とちり」
「正式な……」
「異議あり!」
 突然、電気的サウンドが東洋風水彩画の世界をつんざいた。
 かき鳴らされたリュート。
 それまで黙っていたアストルはシャウトし、精霊を中心に流れていた時間をその手元に引き寄せた。
 『異議あり!』の言葉は迫力ある真っ赤な文字となって、彼の背景で周囲を圧した。
 比喩ではない。確かにその文字が背景の宙に幻像として浮かんでいた。アストルの持っている魔法のアイテムの力らしい。
「……ヤマンバのバーチャンは正直に答えようとしてた」リュートの音色がうねる。グラムロックめいた雰囲気さえあるアストルの眼線は今は真摯だった。「……ひょっとしたら精霊のオネーサン、ガチで意地が悪いか、素で話聞かないタイプかどっちか知らないけど、誰があの問答に挑んだとしても答を最後まで言わせないで『嘘』だと断定すんじゃね?」
「……そんな事はありません」ちょっと間を置いて、精霊が答える。「正式な対応です」
「それにリュリュミアの命綱の端もその両手の彼女につながってないじゃん。……金と銀、両方とも本物じゃないという証だろ?」
 アストルの指摘にも精霊の表情は動かない。しかし言葉が途切れた。
 ここにいる全員の雰囲気が凍りついた。
 数秒の時間が流れる。
「待ちなさい、アストルさん」二人の間にマニフィカが割って入った。「見た所、これ以上の言い合いは無駄ですわ。……それより」精霊をきっと見つめる。
「それより?」精霊の面持ちは変わらない。ただ、視線をマニフィカに移す。
「是非とも一手、ご教授を願いますわ!」マニフィカはトライデントを両手に構え、真剣すぎる眼差しを精霊に向けた。「あなたが使うと聞いた『ウォーター・トルネード』。我が術(すべ)とするのにふさわしいと感じました。何卒、あなたがここにいる内に試合を一つ!」
 皆が改めて驚くほどにマニフィカは一途だった。
 彼女は海底での冒険で決闘をしたタコ人間の剣豪『ギガポルポ』に感化され、文武両道を極めんとする求道者スタイルにすっかり染まっていた。
 常に己を切磋琢磨する機会を待ち望み、今こそまさにその機会。
 依頼書によると、洗濯機が『防御機構発動』と称し、竜巻の様な水流の渦で山姥を攻撃したらしい。
 水術の達人でもあるマニフィカは、おそらく水術系であろう未知のスキル『ウォーター・トルネード』に強く惹かれた。百聞は一見に如かず。マニフィカは時代劇に登場するチャレンジフルな武芸者の如く、武芸の道を突き進まんとする。
 ウォーター・トルネードを我がものにする。
 その衝動が彼女を急かしていた。
 精霊の表情は相変わらずだ。
「あなたが学びたいのは金の『ウォーター・トルネード』ですか? それとも銀の……」
「問答無用!」
 マニフィカはトライデントを振り下ろし、穂先を洗濯機に向けた。
「……防御機構発動」精霊が抑揚のない声で言った。「ウォーター・トルネード!」
 IZUМIの精霊の姿は手にしていた金銀二人のリュリュミアごと洗濯槽の中へと引っ込んだ。
 代わりに洗濯機は猛烈な勢いで渦を巻く、大量の水を噴き出した。ウォーター・トルネード。水流による竜巻だ。
 これは防御的対応というよりも、真実を指摘された精霊の逃避行動ではないだろうか。
 半径3mの轟流がマニフィカとアストル、そして駆け寄ろうとしていたビリーをふきとばした。皆はその打撃で背後の地面を転がる。
 リュリュミアの命綱だったブルーローズの蔓も切れる。
 冒険者達は皆、豪快な飛沫をかぶる。未来の制服のシャツが透け、今日、彼女が身に着けているチェック柄の下着が露になった。布地が張りついて、色っぽいボディラインもあからさまになる。
「いやーん、まいっちんぐ!」
 髪先から水を滴らせた未来は羞恥のあまり、思わず、ポーズ。ミニスカが風にめくれた。
 マニフィカは立ち上がり、他の皆も水流の第二撃に備えた。
 しかし、なかなかそれは来ない。
「今がチャンスなのではないでしょうか」アンナは声を挙げる。「水流攻撃は一度使うとチャージするのに時間がかかるのかも」
「それなら突貫だよ!」
 濡れ透け制服のまま、未来は洗濯機へと疾走した。見た目に凄まじいインパクトがある物品名『ごついウォーハンマー』を振りかざし、洗濯槽へ飛び込む。めくれたミニスカから見える、肌色に張りついた下着。彼女の姿は、外からはとても大型武器を持った人間一人が入れる様には見えない洗濯機内へ消えた。
「わたくしも」アンナはレッドクロスを装着し、桃色の髪を風に流すまま、洗濯機内に躍り込む。「レッドクロスを装着していれば、たとえ火の中、水の中、洗濯機の中、ですわ!」中にいる人間の安全の為、なるべく強攻策をとりたくなかったが仕方がない。流れのままだ。
 最後にトライデントを構えたマニフィカも突入し、他の者達は外から事の推移を見守る事にした。

★★★
 そこは何もない空間だった。
 ただ淡い灰色の広がり。
 その中のたった一つの光球。
 重力さえも感じない、広大なだけの空間にマサカリを担いだ金太郎が静止していた。
「お腹が空いたよー」
「お弁当を用意出来なくてぇ、ごめんなさいねぇ」
 金太郎の傍ら、正座したリュリュミアは先客にとっては逆さまになる位置で静止していた。
 リュリュミアは『光のバラの種』を周囲に蒔いて、照明を確保していたが、それすらも灰色の空間の果てまでは届いていなかった。周囲20m。その光がとりあえずの二人のテリトリーだ。
 広い。
 時間の流れもよく解らない、ただ広いだけの灰色の空間に、二人の姿が浮いていた。
 と、空間の片隅に一点だけ光が点る。そこからこちらへと飛んでくる人影が見えた。
 遠近法の要領で大きくなってくる人影は西洋風のローブをはためかせる女性、IZUМIの精霊だ。リュリュミアは見た事がなかったが、風貌は冒険依頼書で説明されていたのですぐ解った。
「あなたがIZUМIの精霊さんですよねぇ。よければ金太郎さんと一緒に外へ返してもらえませんかぁ」
「お腹空いたよー! あたしを出してくれないと暴れちゃうぞ!」
 二人は精霊に呼びかけるが、彼女はそれどころでない必死の形相だ。
 見ている間に精霊がやってきた方向から、三つの人影が彼女を追いかけてきた。
 今度はリュリュミアがよく知っている者達だ。
 マニフィカ。
 未来。
 アンナ。
 三人の仲間は空を飛ぶ様に灰色の空間を、精霊を追って、勢いよく迫ってきた。
 飛ぶというよりは落下の勢いだ。
「ウォーター・トルネード!」
 精霊の手から渦を巻く激流が三人に放たれる。
 しかし。
 マニフィカの発動させた水術魔法はそれを打ち消してしまった。
「それだけの力しかないとは……正直、失望しましたわ」
 マニフィカは思ったよりもその魔法に威力がないのにがっかりしていた。これなら彼女が今、身につけている水術で再現可能だろう。
「あいつらは何者だい」
「あの人達はあなたを助けに来た、わたし達の仲間なのぉ」
 金太郎の疑問にリュリュミアは答える。
 その時、未来は精霊に追いつき、ごついウォーハンマーを振り回した。
 精霊はそれをよけた。しかし、彼女の背後の灰色空間に蜘蛛の巣の様なひびが走った。
「この空間、壊せるの!?」
 未来は驚いた。『壊す』という意思を固め、更にウォーハンマーを振り回す。すると打撃の感触と共に、灰色の空間に新たに大きくひびが入った。
「あらぁ、壊せるのねぇ」
「よーし、そんならば! どららららぁーっ!」
 リュリュミアの軽い驚きと同時に、金太郎もマサカリを振り回す。
 マサカリの重い刃で空間にひびが広がっていく。
「今更、気づいたのですか……」ちょっとした呆れ顔のアンナ。モップを手にし、「洗濯機は丁寧に扱った方がいいのですが……手っ取り早いのなら破壊工作に移りますわよ」
「きやーあぁー、やめてー!」
 顔を青くした精霊がムンクの叫びになる。
 灰色の空間で未来は『ブリンク・ファルコン』による加速と三連撃を駆使して、素早く豪快にウォーハンマーを振り回す。邪魔する輩がいたら、フルスイングをお見舞いという勢いだ。
 ブレザー制服姿でウォーハンマーを振り回す超ミニスカJKという、多分、オトギイズム王国ではまだ誰も見た事がないだろう光景がここで繰り広げられた。
 マニフィカもトライデントの演舞を披露するかの如き動きで、周囲を突き、更にそこから刃を滑らせて灰色の空間に傷を広げる。
 アンナのモップも頭上で回転を加えながら振り下ろし、ひびを大きくしていった。
 皆の破壊行為に灰色の空間にどんどん、ひびが広がっていく。

★★★
 ヤマンバと共に洗濯機を外から見守っていたジュディ、ビリー、アストルは、仲間達が入って行ったそのIZUМI本体が突然、ガタピシ!と動き始めたのに驚いた。
 洗濯機IZUМIは中から突き動かされる力に耐えられなくなった様に跳ね回る。まるでしゃっくりをしながら踊っている風だ。
「強制排除!」
 洗濯機が叫んだかと思うと、洗濯槽の蓋が開き、中に入っていた人間が次次と飛び出てきた。勿論、どうやって、中に入っていたのか摩訶不思議な人数、質量だ。
 最初に出てきたのはおかっぱ頭に『金』の字腹掛け一丁の少女。金太郎だ。
 そして、マニフィカが飛び出す。
 未来が飛び出す。
 リュリュミアが飛び出す。
 最後にアンナが飛び出して着地を決めると、洗濯機の挙動は疲れ果てたかの様に収まった。
「一体、どうなったんじゃん」
 アストルの疑問に答える様に。洗濯槽の中からIZUМIの精霊がせり出てきた。
「……正直者は得をします」精霊が弱弱しい声でそう言った。「あなた達の言い分は認めます。金太郎はお返しします。金と銀の金太郎も進呈します……」
 IZUМIの精霊が両手に持っていた黄金の金太郎と白銀の金太郎を、コトリと地面に落とした。
「うひょ!」
 ヤマンバが嬉しそうに叫ぶ。
「これで一挙に大金持ちじゃ」
 そう言って、黄金の金太郎像を持ち上げるヤマンバ。
「なんじゃ、この軽さは!?」
 白銀の金太郎像も持ち上げる。
「こりゃ、二つとも空洞じゃないか!?」
「ホワット? ……確かに二つともキャビティ、空っぽデスネ」
 二つの像を持たせてもらったジュディは素直な感想を漏らした。見た目より全然、軽い。
「私にはそれが精一杯……」心底、観念した感じの精霊が呟く。「私はこれから一介の洗濯機としてご主人様に仕えます……どうかそれでご勘弁して下さい……」
「まあ、ええじゃろ。これでも金にはなるだろうし」ヤマンバの荒い鼻息。「普通の洗濯機として、買った分の金額は働けよ。そうでないとまた冒険者をけしかけるぞ」
「それは勘弁して下さい……。内部修復には十日ほどかかるのでその間はご容赦下さい……。あと、この洗濯機には絶対、衣類以外は入れないで下さい……」
 どうも、自分達がIZUМIの精霊のトラウマになってしまった様で釈然としない空気が残ったが、とりあえず依頼は達成出来たので冒険者達は一息ついた。
「ねーねー、お腹空いたよー!」
 今まで自分に起こっていた事を理解していないのではないかと思える金太郎が、指をくわえてヤマンバを呼ぶ。
 東洋風水彩画的風景で、気がつくと日は傾いていた。
 未来は小さなくしゃみをした。

★★★
「最初にカレーをご飯に混ぜて、山盛りにした中央にくぼみを作って、生卵を割って入れる。これが大阪では名物やねん」
 ビリーは『打ち出の小槌』で出したカレーライスで、大阪風の食べ方を皆に伝授していた。
 ビリーの打ち出の小槌は、自由に食べ物や飲み物を出せる。
 配られたカレーライスで、皆はカレーパーティを始めていた。
 屋内ではない。洗濯機を囲んで、皆はキャンプのカレーの様に石や木の切り株に座ったりと外で食事している。濡れた者達はヤマンバから供された大きな手拭いで身体を拭き、服を乾かしていた。
 カレーを振る舞う様にビリーに進言したのはジュディだ。食いしん坊に思えた金太郎なら、きっとカレーライスを気に入るだろうという考えだった。
 カレーライスを食べる事自体、初めての者もいたが、ほとんどの者が福の神見習いの伝授している方法で食べていた。
「ソースをかけるのもありやねん。皆、どうや?」
 既にカレーライスを食べた経験のある者は、大阪風の食べ方に複雑な表情を浮かべていた。
 美味だ。しかし、自分がこれまで食べ続けてきた物とのギャップに戸惑う。
 アストルは特に難しそうな顔をしていた。
「美味しくないんか……?」
 心配そうに覗き込んだビリーに対し、アストルはニカッと笑って、親指を立てた拳を見せた。
「GJ(ぐっじょぶ)!」
 惜しみない賛辞を受け取ったビリーの表情は明るくなる。
「なんぼでもカレーは出したる! 美味いやろ? 遠慮せんと、ぎょーさん食べたってや!」
 打ち出の小づちを振るとカレーライスがどんどん出てくる。
 皆は美味なるカレーを思う存分、堪能した。
「おかわり!」
 中でも空腹の限界だった金太郎が大阪風に限らず、カレーを次次とおかわりし続け、白い皿の山をどんどん築き上げていく。まるでカレーは飲み物という風の勢いだ。
 それに負けじと追い上げるヤマンバ。彼女も白い皿の山を築き上げる。
 種族の違いから実の親子に見えない二人だが、この光景だけ見ていると似た者親子に見える。
「……カレーって美味しいものですね……」
 IZUМIの精霊が泣きながらカレーを食べていた。それは悲しみではなく、感動の様子に見える。
 ジュディも、金太郎とヤマンバの様にモリモリとカレーを食べていく。
 ここにいる者達の好物に、新たにカレーライスという料理が加わった。

★★★
 野生の獣と徒手空拳の人間が戦えば、まず人間が勝つ事はないという。
 身長二m超のジュディに対し、相手のヒグマも立ち上がれば二mを超えていた。
「待ったなし……」
 軍配を握った金太郎が二人の勇壮に眼を配る。
 普段は金太郎と山の動物達が使っている土俵は、アンナによって掃き清められていた。
「はっけよい、残った!」
 軍配が返って、ジュディとヒグマは土俵の中央で激突した。
 ヒグマには爪や牙があるではないかと見ている者達は心配したが、金太郎との相撲に慣れているヒグマがそれらを振るう事はなかった。
 力が均衡する。
 腰を十分に落としたジュディが右足を相手の後ろ足にかけ、腰に回した手を捻る。
 身が浮き気味になったヒグマだがそれには耐えた。
 逆襲に転じた獣が前脚、つまり両腕でジュディの背までを抱きしめた。ベアハッグ。さば折りだ。
 ジュディの表情が苦しくなる。
 見る者には骨のきしむ音が聴こえた気がした。
 だがヒグマの両腕の内側にあったジュディの腕が段段、左右に開いていく。さば折りを振りほどこうというのだ。
 歯を食いしばるジュディ。
 野獣が更に力を込めて絞ろうとするが、ジュディの怪力はそれに抗う。
 そして彼女は相手の腰を体毛ごと上手に掴むと、片足を引いて、相手を引きずる様に自分の前方へと投げ落とした。上手出し投げだ。
 ヒグマの巨体が、土俵を転がる。
「ジュディの勝ちぃ!」
 金太郎の軍配がジュディを指し示した。
 見ている者達の拍手がジュディに惜しげもなく贈られる。
「ジュディは凄いな。あたしでも五回に一回はそいつに力負けするのに」
 ヒグマに手を貸して身体を起こしてやるジュディへ、金太郎の凄く浮かれ声。いかにも好勝負を見たという嬉しさが伝わってくる。
「いや、ワイルドベアも強いネ。ベアハッグは強力。少しも気が抜けマセンデシタ」
 ジュディは笑いながら、額の汗を手で拭った。
 と、この時、強い風が吹いた。
 金太郎の前掛けが大きく、めくれた。
 露わになる金太郎の裸の下半身……ではなく、白いふんどしをきりりと食い込ませた丸いお尻。
 いつも前掛け以外は素っ裸の金太郎にふんどしを着けさせたのはジュディだ。
 知り合いでお尻丸出し少女というと赤頭巾『サンドラ・コーラル』嬢が思い浮かぶが、彼女の様にTバックを履いたお尻ならともかく、金太郎はもろ出しだ。
 幾ら強くても、まわしがなくては正式な相撲では不浄負け。そう説得したのだ。教育的指導だ。
 ジュディは最初は自分のスポーティな下着を着けさせようとしたのだが、サイズが合わずにそれは断念。
 そこで選んだのがふんどしだった。白くねじれた布地がうすだいだい色の股間をかろうじて覆う。伝統美に溢れる古式なふんどし。金太郎嬢が好きな相撲にも通じるし、これはこれでフェチな風情があってよいのではないだろうか。
「また、アシガラに来た時、あたしとも相撲しておくれよ」
「イエス。今度は一緒にスモー・レスリング、ネ」
 子供は風の子。ふんどしと腹掛けきりでは寒い冬なのに、金太郎が寒風にも身をさらしている。子供といっても十二歳ほどだが。
 気がつくと日没だ。
 日が暮れて、辺りの水彩画的東洋風景は全て影と化し、水墨画の世界になる。
 金太郎とヤマンバとIZUМIの精霊と動物達に見送られながら、冒険者は山を下りていく。
 今も何処かでカレーの匂いが漂っていた。
★★★