『ダイオウスズメバチの小屋』

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 冬に死ぬ虫もいれば、生きて春を待つ虫もいる。
 『オトギイズム王国』では秋も深まり、大自然は豊穣の季節となって冬ごもりの準備の為に様様な生き物が収穫にいそしむ。
 さて人魚の美姫マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の最近のマイブームは蜂蜜である。
 たっぷりとトーストに塗れば至高の美味であるし、紅茶に垂らせば癖のある甘味が素晴らしい。
 なるほど、蜂蜜が「黄金の」と形容される理由が解るというものだ、とマニフィカは『冒険者ギルド』二階の卓で一人想う。
 蕩けそうな表情で蜂蜜を堪能していたマニフィカは、ふと天啓が閃めき、おもむろに『故事ことわざ辞典』を紐解く。
 その白いページには「舌の上では蜂蜜、舌の下には氷」と記されてあった。
 解説文によれば「言葉は優しくても心の中は裏腹」という意味らしい。
 これは何を示唆しているのだろう?
 何故か『蜂』と『氷』という組み合わせが強く印象に残った。
 とりあえずマニフィカが冒険者ギルドに顔を出してみると、相変わらず一階受付ホールは活況を呈していた。
 長身を生かし、背伸びする様に大掲示板を覗いてみれば、真新しいクエスト『ダイオウスズメバチ退治依頼』が冒険者達の注目を浴びていた。
 マニフィカはダイオウスズメバチという名が気になった。
 彼女は海底で生まれ育ち、そもそも昆虫に対して無知である。
 ダイオウイカとは聞いた事があるが、ダイオウスズメバチとはいかなるものか。
 興味に背を押されたマニフィカは即座にギルドを出て、その足でこの町の図書館を訪れ、色色な蜂の種類や生態を調べてみた。
 すればダイオウスズメバチとは、自然なハチの中で最大種であるスズメバチの更に世界最大の危険な毒虫らしい。
 図書館でダイオウスズメバチの危険性や弱点を知り得たマニフィカは、犠牲者が出る前に危険な害虫を退治すべきと考え、件のクエストに申し込もうと、冒険者ギルドに取って返したのだった。

★★★
 とある町。
 いつもの如く、この町の冒険者ギルド二階の酒場に陣取るジュディ・バーガー(PC0032)だったが、ちょっと普段とは様子が違う。
 モヒカン頭やバニーガール姿やらの冒険者達を席に招き、彼らに気前良く酒や食事を奢っている。
「ドント・ヘジテイト! 遠慮しないデ! アイル・ゲット・ザ・ビル・トゥデイ、今日はジュディが奢るカラ。ドリンク・モア〜♪ もっと飲んでネ♪」
 名高い先輩冒険者に奢られるという滅多にない機会に、奢られる方にはいささかの遠慮があった。まあ、中には気が強く不遜な振る舞いをする豪胆な者もいたが。
 首に巻きついた愛蛇ラッキーちゃんも冷静な瞳でジュディの笑顔を見つめていた。
 さっき、たまたま大掲示板の前を通りかかったジュディは『ダイオウスズメバチ退治』の依頼主ハンフリー氏について囁く彼らの噂話を耳にした。
 それにジュディの第六感が反応。もっと詳しい話を聞き出すべく彼らを二階の酒場に拉致……じゃなくて、招待したという次第。
「確かライドルとかいう名前だったな。宝石商は」
 ビールを半分飲み干した木のジョッキを片手に、豪胆な新人冒険者がジュディの質問に答えた。
 彼らが噂していた強盗事件の被害にあった宝石商の名前が解っただけでも、彼らに奢った価値はある。
「夕刻、宝石強盗は覆面で顔を全て隠していて、声を出さずにナイフと身振りだけで宝石を出せと店主に迫ったそうで」
 この王国の中世風の文化では、商店は商品を陳列しないのが普通だ。
 客の要望に応じて店の奥に置いてある品物を店員が取って出すのだ。基本的に店の方が客を見て、出す品物を選ぶのが普通の買い物のやり方だ。
 ただ被害にあった宝石商は商品である宝飾品を、店内のケースに陳列するという事はやっていた。
 強盗はカウンターに宝飾品を出させると特に値打ちのある宝飾品を五つ、奪って逃げていったという。
「強盗は証拠を残さなかったそうで犯人は皆目見当がつかなかったんです」
「だけど当時、休みで店にいなかったハンフリーという店員が怪しいんじゃないかといつのまにか噂が立ちまして」
「強盗と背格好が同じくらいで『いつか俺はビッグになってやる』とか友人に吹聴してたみたいなんで、ちょっと怪しいんじゃないかと」
「強盗が的確に、店で最も高い品ばっかり選んで盗んでったから、この店に詳しい者の犯行じゃないかという話もあったみたいだわ」
「犯行から一週間くらいして、とうとうハンフリーは衛士にしょっぴかれやがったんです。で、住んでいた家とかめぼしい知り合いなんかも家探しされやがったんですが結局、宝飾品は見つからず、証拠不十分で釈放されやがったっちゅー事です」
「結局、事件は迷宮入り扱いになったわね」
 フムン、とジュディもビールの大ジョッキを一気に飲み干す。

★★★
 王都『パルテノン』中央公園。
 お調子者なビリー・クェンデス(PC0096)は、お約束の『打ち出の小槌F&D専用』を使って、またもやレッサーキマイラの寝座である公園の片隅でBBQを楽しむ。
 先日にやったサーカスでの興行以来、すっかりレッサーキマイラに対する評価がよくなっていた。
「うんうん、ちゃ〜んとボクは信じとったわ。あんさんは、やれば出来る子なんやって。せやな、能ある鷹は爪を……とか言いますやろ」
 うっかり見過ごしそうになってしまうが、彼らの三位一体な知能水準は極めてハイレベルと言えるだろう。相変わらずギャグのセンスだけは箸にも棒にもかからないけれど、それもまあ個性的な芸風と思えば、それほど気にならなく……んなわけあるかい!
「どうしたんですかい、アニさん。まだわいらは肉、全然いけまっせ」」
 思わず脳内一人ツッコミしてしまったところに心配そうなレッサーキマイラ獅子頭の見当違いの時間差ボケも入ったが、こればかりはどうしようもないから、とあえてビリーは眼を反らす事にした。
 という訳で、エンゲル係数を気にする必要もないいから、じゃんじゃん景気よく肉を焼いていく。
 炭に滴った油が金網の隙間から熱い煙となって、天へと昇っていく夕刻。
「でやな『ダイオウスズメバチ退治依頼』とそれに関する市井の噂とかあるんやけど、ちょっと意見を欲しいなーとか思ってんねん。これが依頼主がとても胡散臭い印象があってな」
「小屋をハチから解放してえ、でも小屋は燃やしたくねえとか言ってるって奴やんすか」
「小屋にとびきりHな本でも貯め隠してるんちゃいまっか。裏コスプレ熟女物とか、同級生黒ギャル流出物とか」
「…………」
 ビリーの質問にはいささか男子高校生的な答を返す、三つの頭を持つレッサーキマイラ。
「んなわけあるかーい!」
 『伝説のハリセン』でスパコーン!とツッコミを入れるビリー。
 全く真顔でふざけた答ばかり返してんやから……と、思いかけたビリーの頭を軽いインスピレーションがノックする。
 あれ? Hな本を隠してる? そのままズバリじゃないやろけど、なんかいい線を行ってるみたいな。
「それよりアニさん、もっともっと肉焼きましょ肉! いっそ豪快に七面鳥も一羽出して丸焼きにしましょ!」
「焼肉もいいですさかい、マグロも一匹行きまひょ! 知ってまっか、アニさん? 東の地方じゃ生魚をそのまま身を削いで食べるんでっせ!」
「…………」
 まるで猛練習帰りの体育会系学生の様に肉を貪り食い続けるレッサーキマイラだった。この分なら何かの記録も作れそうな勢いだ。

★★★
 パルテノンでジュディとビリーがばったり出会ったのは、次の日の正午だった。
 大通りの小洒落た料理店の屋外テーブルが並んでいる店先に陣取ったジュディ達三人に、宝石強盗事件の捜査責任者から宝石商の名前等、当時の情報を仕入れてきたビリーは偶然通りかかったのだ。
「あ、ジュディさん、トレーシさん、フィーナちゃん。まいど!」
 シーフード・ピザを食べているジュディ、トレーシ・ホワイト、フィーナの三人に、ビリーは気さくに挨拶した。そういえばフィーナとはお化け屋敷以来の対面か。
「イエス! ビリーもピザ食べマスカ? ウエイトレスさん、ピザ・ワンモアセット・プリーズ!」
 ジュディは即座に注文したので、ビリーもそのテーブルの空いている椅子に座る。
 打ち出の小槌があるのだから料金を払わないでもピザを好きなだけ食べられるのだが、ジュディは奢ってくれる気満満でいるのだから、奢られるのが礼儀だろう。それに他人が作った料理というのは自分だけでは再現出来ない意外な美味があるかもしれない。
「もしかしてジュディさんもスズメバチの依頼、受けたんちゃいますか」
「ノー。やっぱりビリーはエイクセプト・ア・リクエスト、依頼を受けたノネ」
「ジュディさんは受けなかったんでっか。あの依頼、ちょっと怪しいと思わへんか。秘密厳守とか、依頼主に強盗の嫌疑がかかった事があるとか。ボク、ちょっと当時の事件担当の衛士長に情報聞いてきたんやけど」
「ジュディはちょうど、ジャスト・トライイング・トゥ・ビジット、宝石商に会いに行こうと思ってたところネ」
 ラッキーちゃんを首に巻く彼女が今日、トレーシと会ったのはギルドの受付という仕事上、事情通と思われる彼女から宝石商の名など教えてもらうのが一番の目的だった。ついでにフィーナとも会い、少女の近況を確かめたい気持ちもあった。どうやらフィーナはささやかながら健やかで幸せな生活を送っている様だ。
「ジュディさんは依頼受けなかったのに、調べてるんでっか」
「んー。ハチ退治よりデテクティブ、探偵物の気分になったんデ」
 被害にあった宝石商の名前はライドル。勿論、二人の情報は一致した。
 それからしばし、四人で事件についての談を交えながらピザを味わう。
 うん。これはビリーにとって新鮮な味だ。
 今度、打ち出の小槌でピザを出す時、味のレパートリーが広がるだろう。
 ピザを完食した後、二人は十字路でトレーシとフィーナと別れる。
 フィーナは、トレーシが家まで送っていくという。

★★★
 ビリーとジュディは、宝石商の立派な店を訪ねた。
 ライドルという宝石商は小太りの中年男だった。
 客ではない、三年前の強盗事件の事を訊きたいという二メートル超えの巨女と褐色のキューピーっぽい子供の組み合わせに、ライドルが怪訝な顔をしていた。
 すかさずジュディは準備していた『モノクローム市警からの感謝状』『3番目の魔術師事件解決の感謝状』『呪われた魔剣事件解決の感謝状』をカウンターに並べて見せる。
 すると、納得した様にライドルの態度が相手を信用した協力的なものに変わった。
「ハンフリーは確かにうちの店員だよ。今もしている。うちで働いてるのは私を除けばハンフリー一人だしな」横柄な態度が彼の自然体らしい。「確かに強盗とは背格好はよく似ていたけど、服は違うし、顔は覆面だし、声は出さなかったしね。衛士達が彼を容疑で連行した後、盗品を何処にも持っていなかったし、証拠不十分で釈放だね」
「事件時のデティールド・シチュエーション、詳しい状況を教えてもらえないでしょうカ」
「詳しいも何もなぁ。時間は午前中で最も客も人通りも少なくなる時間だったな。店内に私以外の誰もいない時間に顔をすっぱり覆面で覆った強盗が正面から入ってきてな、抜いたナイフを突きつけてきたんだ。私は強盗だってすぐ解ったから、命を取られるよりは、とカウンターの宝飾品をそいつの眼の前に並べたんだ。すると強盗は既に目星をつけていたのか、最も高価な五つを奪い取ってすぐに逃げたんだ。……私は強盗を追いかけてないよ。それよりも店の前の通行人に今の強盗の事を伝え、衛士を呼ぶように頼んだんだ」
「その時、ハンフリーはどないしとったんねん」
「非番。休みだよ」
 ライドルの証言をジュディは簡単にメモしていたが、ビリーにとっては衛士長から聞いてきた事の再確認だった。
「ハンフリーはかかった容疑が晴れて釈放された後も、この店で働き続けてとったんでええんやな」
「ああ」
「急にハンフリーの羽振りがよくなったって事はないんやな」
「……前よりは夜遊びが多くなったらしいな」
「昔からビッグマウス、大きな口を叩く癖があったようデスケド、ハンフリーの性格はボード・オア・ケアフル、『大胆』『慎重』、どっちデショウカ」
『やる事は時には大胆だが、全体的には慎重ってトコだな」
 ふむ、ビリーが聞いてきた通りだ。
「……俺が直接聞いたわけじゃないが、近近、この店を辞めるかも、と周囲に漏らしていたらしいな」
 ライドルが付け足した言葉は、ビリーにとっても新情報だった。
「そのハンフリーがダイオウスズメバチの退治クエストをアドベンチャラー・ギルドに提出したラシイんですケド」
「そんな事、俺は知らないよ。奴の趣味はちょっとしたギャンブルと女好きって以外、知らないからな」
 ジュディの言葉につっけんどんな答を返す店長。
 最後までビリーの身に着けていた『鱗型のアミュレット』は不穏な反応をしなかった。
 情報収集を終え、ライドルに別れの挨拶をした二人は、店の前で互いの意思を再確認した。
「どないする。とりあえずハンフリーさんをシロともクロとも断言出来る情報は手に入らへんかったな」
「後は現場で判断すべきネ。ビリーは今日の午後にダイオウスズメバチ退治に出発するんデショ」
 ビリーとジュディはそこで別れ、ジュディは探偵さながらに捜査を続行、ビリーはその足でハンフリーが待っているはずの冒険者ギルドに行った。
 しかし、ビリーはもうハンフリーがリュリュミア(PC0015)とマニフィカを連れて、とっくに山へ出かけてしまったという事実をギルド受付に告げられ、慌てて彼らの後を追う事となるのだった。

★★★
 ハンフリーとマニフィカとリュリュミアは山道を登る足を速めて、目的地へ急ぐ。
 しばらく歩くとそれは見えてきた。
 そこにあった一軒の山小屋。
 二階のない一部屋きりの一軒家で、丸太を組み合わせて出来ていた。
 戸口と窓が一つずつ。
 内側に暖炉があるらしく、三角屋根には煙出し用の煙突が一つ。
 これは山で迷ったり、天候急変等で一時避難しなければならない時の為の緊急避難用の小屋で、普段は使われていない。内部には幾らかの水と保存食と薪が置かれているはずだ。
 しかし、今はその周囲には沢山のダイオウスズメバチが飛び回り、小屋の壁を這っていた。
 開かれた戸口や窓から内部の様子が窺い知れ、そして、それは予想中の最悪のものだった。
 普通のスズメバチは直径一メートル程の大きさのパルプ質の丸い巣を木下や軒先、地面の中に作り、そこに数百から千匹の働きバチが棲むという。
 ダイオウスズメバチは身体の大きさの分、それをスケールアップさせている。
 山小屋一杯にダイオウスズメバチが巣を作り、体長五十センチの肉食毒蜂が千匹ほども群れて生活している。いや、この大きさでは二千匹か三千匹かもしれない。
 戸口や窓、煙突が巣への入口になり、そこからひっきりなしにダイオウスズメバチが出入りしている。そこから覗けるのはパルプ質の構造材が六角形の断面を構成して作り上げている巣の一部だ。
「ミツバチは受粉してくれるから大事なんですけどねぇ。スズメバチはミツバチの巣を襲ったりするからぁ」
 リュリュミアは遠くで木の陰から、近くを飛び回るダイオウスズメバチをやりすごしながら呟く。
 ハンフリーとマニフィカもその傍の木陰で見守っている。
 リュリュミアとマニフィカはダイオウスズメバチ退治に向けて、それぞれの特技に応じた二つの案を用意していた。
 マニフィカはそれぞれの案を組み合わせて、効果的なダメージを与える共同作業を模索した。
「ハチの巣を採る時は、刺されないように煙で燻すんですよぉ。スズメバチは熱に弱いから、天気のいい日に出入り口を塞いで密閉しちゃえばいいんですよぉ。ブルーローズで煙突や窓をぐるぐる巻きにして、静かになるまで待っていれば大丈夫ですぅ」
 リュリュミアの作戦は以上の様なものだ。
 今日の天気は暖かさを感じるほどに晴天だ。太陽も高く昇っている。
 それに対し、マニフィカの案は彼女とは違う性格を帯びていた。
 二人はそれぞれの案を吟味し、ぽやぽや〜と議論し、譲り合えない部分はコイントスをして採用不採用を決め、一つの作戦へと昇華させた。
「どうでもいいから、早くあのダイオウスズメバチを退治してくれないかな」
 ハンフリーがぼやきだす頃には、二人の合成案はその準備を整えていた。
 そうしている間にもダイオウスズメバチの巣と化した小屋からはひっきりなしにハチの出入りがある。
 物騒な羽音は大きくて、皆の耳に届いている。
「ではいきましょぉ」
「ウネお姉様、よろしくお願いいたします」
 マニフィカの召喚していた水の精霊『ウネ』が、それまで晴れていた頭上の天に濃灰色の雲を集中させ始めた。
 明らかに晴天に異質な雲はやがて大きく育っていき、遂には地上へ大きく激しい雨粒を降らせ、山小屋は機銃掃射の様な雨飛沫に見舞われる。
 ダイオウスズメバチの巨体もその豪雨の中ではまともに飛べず、小屋の屋根に翅をたたんで張りつくしか出来なくなる。
「それ、今ですよぉ。ぐーるぐるぅ」
 リュリュミアは急速生長させた『ブルーローズ』を束ねた太いツルを見る見る内に長くし、それを触手の如く小屋へと向かわせる。無尽蔵の様なそれは張りついているスズメバチごと小屋に巻きつき、すぐに何重にもきつく締めつけて雨に濡れる窓や煙突をふさいでしまう。これで中からハチは出られなくなった。小屋の内部でただダイオウスズメバチの羽音だけがワンワンと騒いでいる。
 更にハンフリーが準備していた木の山に火をつけ、煙で小屋を燻しにかかった。これで外にいるものはおろか、中にいるハチもわずかに空いたツルの隙間から入り込んだ煙によって麻痺するだろう。
 十分に中に煙が行き渡ったと思えて小屋の中が静かになった頃合いを見て、豪雨が止む。
 用心の為に『サンバリー』で防御しながら、マニフィカは山小屋に接近。人魚姫は近くから『水氷魔術』を唱え、扉や窓を氷結させて完全に封鎖した。これで完全に隙間がなくなる。
「じゃ、仕上げねぇ」
 リュリュミアは言葉と同時に煙突だけをツルの封印から解き放った。
 間髪入れずに、マニフィカはもう一度だけウネにお願いして煙突から大量の冷たい集中豪雨を流し込んだ。それは小屋一杯を満たすのに十分な水量だった。
 最後に煙突はツルで再封印される。
 後は水死で蜂の巣ごと全滅するのを待つだけだった。
 三人は十分に時間を待った。
 小屋の中から羽音はない。
 しつこいほどに時間が経つと、窓や扉をふさいでいた氷が融け、中の水がツルの隙間から水鉄砲の様に噴き出し始める。
「もうちょっとだけ待とう」
 ハンフリーの言葉でもう十分ほど待って、三人は巻きついていたツルの封印を小屋から外した。
 一気に洪水の如く水が窓や扉から噴き出て、中にあった何千匹ものダイオウスズメバチの成虫やサナギ、幼虫が小屋から洗い流されてきた。
 それらは全て死んでいた。
「やった! やったぞ!」ハンフリーが見ているのも恥ずかしくなるほど、全身で喜びを表現する。ジャンプし、踊った。
「卵が残ったわねぇ」
「無益な殺生にも思えますが、ダイオウスズメバチの脅威を考えると卵にとどめを刺すのもやむなしですか」
 六角形の口を持つパルプ質のハチの巣で一杯になった小屋を覗きながら、マニフィカとリュリュミアは巣の壁を手で壊す。実質的に紙と同じ物で出来ているはずのそれは物凄く丈夫だった。
 巣に残っていた二十センチほどの白い卵に得物で次次ととどめを刺していく。
 今までの中で一番、うんざりする作業だった。
 そんな事をしていると、ハンフリーは小屋の中の巣をバリバリと手で壊していく。まるで目指す物が中にあるかの様だ。
「あのぉ〜」
 リュリュミアの声かけにハンフリーはしばらく壁を壊し続けてから反応した。「ああ、依頼は成功か。お疲れさん。報酬は数日経ったらギルドの方へ振り込んでおくから。大丈夫だよ。俺は嘘は言わない」それだけ言ったら、彼は壁を壊す作業に戻った。「卵にとどめを刺し終わったら、先に帰ってくれ。俺はもう少しここにいる。……言っておくがここでの事は外に漏らすなよ」
 いささか態度が悪い依頼主に、マニフィカとリュリュミアはちょっとだけ更に気分が重くなる。それでもリュリュミアはぽやぽや〜とした表情だったが。
 二人は最後の卵にとどめを刺した。
 仕事は終わった。
 小屋の外のぬかるみを見ながら、そう思った時だ。
 騒がしい翅の唸りが外から数匹分も近づいてきた。
「しまった! まだ外に出かけていた奴がいたのか!」
 外で肩慣らしの体操をしていたハンフリーが叫んだ時、帰ってきた五匹のダイオウスズメバチが森の奥から飛んできた。
 すぐに巣の異常に気がついたらしい。顎を噛み鳴らしながら、毒針のある尾を向けて急接近したダイオウスズメバチは皆、ハンフリーを狙っていた。
 マニフィカはスズメバチの生態に黒い物を狙う習性があるのに思い当たった。
 ハンフリーの黒髪が狙われているのだ。
「ハンフリー!」
 サンパリーのバリアを盾状にして、カバーに入るマニフィカ。
 だが、ハチの突撃速度の方が一瞬速い。
 ハンフリーの頭に太い毒針が刺さると思われた瞬間、物凄い突風が吹き鳴らされた。
 それは地上に散らばっていた昆虫の死骸を全て遠く吹き飛ばし、ハンフリーはおろか、マニフィカとリュリュミアさえ、きりきり舞いにして、手近にある物を掴まなければ転がされる勢いだった。
 小屋は半壊した。内部で丈夫なハチの巣が補強材となっていなければ全壊してもおかしくなかった。
 五匹のダイオウスズメバチは小屋の壁に叩きつけられ、全て、体液を出して潰れた。
「どうやら危機一髪に間に合ったみたいやな」
 風が止んだ時、正面にある道をやってきたのは福の神見習いのビリーだった。手には『大風の角笛』が握られていた。
「ビリー!」
「ビリーさん」
 マニフィカとリュリュミアは危機に駆けつけてくれた座敷童子に感謝する。
「まったく。人を置いてきぼりにして出発するからやで」
 キメ顔を見せるビリー。
「いや、勝手に先に出発して悪かった。ありがとう」ハンフリーがビリーに礼を言う。「これだけ小屋が壊れると取り出しやすくなったな。床下だから今の突風にも吹き飛ばされなかっただろう」
 ハンフリーが大きな巣の破片や砕けた丸太の木片を小屋から引きはがすと、周囲に無造作に捨て始めた。
 そして小屋の床板の一部が見えるまでに辿り着くと、用意していたバールの様な物で床板を引きはがし始めた。
「何や何や」
 言いながらビリーはレッサーキマイラの顔を思い出していた。
 小屋の床下に隠されていた物。
 それはHな本ではなく、五つの高価そうな宝飾品だった。
 マニフィカの眼には、一つだけでもこの依頼の全報酬となる分以上の価値は軽くあるのが解る。
「よし。傷一つついてないぞ。三年も待てば、ほとぼりもさめたろう。まさか小屋がダイオウスズメバチの巣になるなんて思わなかったがな」
「やっぱり宝石を盗んでたのはハンフリーさんやったんか」
「そうだよ。ここに隠していたんだ。言っておくが、秘密を絶対に外に漏らさない事が、この依頼の取り決めだからな。俺がこの宝飾品を盗んでいたというのは何処にも話すなよ。勿論、衛士にも」
 マニフィカもリュリュミアもビリーも、自分達が宝石泥棒の片棒を担がされた事になったのに当惑した。
「おっと、安心しなよ。これを故売屋で売り払ったら、ちゃんと報酬は渡すよ。命を助けてくれたんだ。その小僧の分は倍にしてやってもいい。ああ、これで色色なつけを払って、店を辞めて、他の町へ引っ越せる。悠悠自適の生活が送れるってなもんだ」
 ビリーの竜のアミュレットは細かな振動を止めない。という事はハンフリーの言葉に嘘はない。これで依頼の報酬を受け取れるわけだ。依頼達成。しかし……。
 冒険者の皆が倫理と契約のしがらみで胸がもやもやとし始めたその時だ。
「そこまでですわ! ハンフリー! あなたを宝石強盗の犯人として確保します!」
 突然、聞こえた少女の声がこの場の四人を驚かせた。ハンフリー以外には聞き覚えのある声だ。
 山の森の木木の間から、滑走の音が素早く接近してきた。
 ローラーブレードで現場に滑り込んできたピンクのワンピースの少女は、アンナ・ラクシミリア(PC0046)だった。
「アンナさん!?」
「アンナ!」
「アンナさん!」
「お前らの知り合いか!? という事はお前も冒険者か! ならば俺の依頼の要求事項には『秘密厳守』とあるはずだぞ! お前にも俺を捕まえる資格はない!」」
「ご生憎様。わたくしは冒険者としての依頼を受けずに、独自にあなたを捜査、遠くから監視していたのです。秘密厳守の義務はありませんわ。ハンフリー! 宝石商の強盗事件の重要参考人としてあなたに衛士の所に出頭していただきますわ!」
 ローラーブレードを横滑りにして、泥飛沫をあげながらハンフリーの前でブレーキをかけたアンナは、携帯していたモップを伸長させた。
「お前の分の報酬を払うと言ったら?」
「わたくしは正義を行います!」
 チッと舌打ちしたハンフリーがバールの様な物でアンナに殴りかかる。
 しかし、アンナのモップは簡単にそれを打ち払い、ハンフリーの首筋に一撃を叩きこんだ。
 ぐ、と低く唸った後、ハンフリーの身体が、小屋の外の泥水に倒れ込んだ。
「クズの大掃除終了ですわ」
 アンナの楽勝。
 これで無事に三年前の宝石強盗事件に決着が着いたのだ。
「あらあらぁ。これじゃ冒険の報酬は受け取れないですねぇ」
「仕方ありませんね」
 あまり残念そうではないリュリュミアに、アンナはきっぱりと言葉を返した。
 四人の冒険者は気絶しているハンフリーを拘束して甲板に載せて『空荷の宝船』で一路、パルテノンの町をめざした。
 後には破壊された山小屋が残されたが、王国の然るべき管轄へ事件のあらましを説明すれば、再建してもらえるだろう。

★★★
「と、いうわけで三人はただ働きです。強盗に賞金がかかっていれば、それを分けられたのでしょうけれど、残念ながらそうではなかったのです」
 アンナはプリン・アラモードを食べながら、フィーナとトレーシに事件を説明し終えた。
「やっぱり冒険報酬のデファード・ペイメント、後払いはよくないネ。今回はアドベンチャラー・ギルド側のモラルが問われる案件デシタ」
 昼からリミッター外して大ジョッキのビールを飲みまくるジュディは酒気を帯びた息を吐く。
 ハンフリーを官憲に引き渡したのは昨日の事だ。
 今回の騒動に立ち会った五人の冒険者はフィーナとトレーシを連れて、打ち上げとしてスイーツ会を開いていた。約一名、アルコールを浴びる者もいたが。なお、冒険者の飲食代は、宝石商ライドルからの寸志である。
「フィーナとトレーシの分はジュディの奢りネ!」
 ジュディが陽気にトレーシ達の肩を叩いた。
「確かに冒険依頼を前金ももらわずに全て後払いで受諾する事などあってはいけない事だわ。これは全冒険者ギルドのモラル引き締めの注意勧告案件となるでしょうね」
 赤フレームの眼鏡を光らせるトレーシは抹茶パフェを食べていた。
「パン美味しいねん」
 ビリーはホイップクリームたっぷりのフルーツサンドを食べる。これはこのスイーツ店の一番の売りだ。
 フィーナが言葉少なにジャンボパフェを小さな口に運ぶ。
「ミツバチだったらあんな大きな巣だったらすっごくいっぱい蜂蜜がとれたのにぃ。スズメバチは蜂蜜を作らないから残念よねぇ」
 リュリュミアは蜂蜜寒天を食べながら呟いた。
 ハンフリーが行った事は「舌の上では蜂蜜、舌の下には氷」という諺に当てはまっただろうか。マニフィカは蜂蜜白玉にスプーンを入れながら考えた。無害な者を装いながら犯罪の片棒を担がせようとした彼は悪魔の様な誘惑者でもあったわけだ。
 何にせよ、しばらくはスズメバチを見たくないなぁと思う冒険者達の頭上を、一匹のミツバチが飛び過ぎていった。

★★★