『サーカスがやってくる』

第3回(最終回)

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 夏の日。陽炎。
 獣の息づかいが走る。低い位置から舐める様な視線が石畳を滑らかに疾走し、屋台でかき氷を売っていた店主の男に力強いあぎとで噛みつこうする。男は逃げる。追いかける透明の視点。
 『オトギイズム王国』王都『パルテノン』中を三十匹の不可視の狼が走り回り、都民を襲っていた。
 王都中央広場で行われていた『エスマ大サーカス』。
 その団長『エスマ・アーティ』の心理的宣伝に使われていた架空キャラクター『ディス・マン』。仮想の人物であった彼が独自の自我を持ち、今やオリジナルのエスマ団長を抹殺しようとする。夢の世界で彼は夢ライオンと共に団長が眠るのを待ち構えている。夢の中でエスマ団長を殺そうとしているのだ。
 現実と虚構の狭間にある物を操れるディス・マンは町を混乱させる為に、サーカスの見世物だった空気狼を放った。
 街中を走るそれらが無力な人を襲う。
 宙に浮かぶ鎖付きの首輪しか見えない姿は、襲われる側にある人間からは決して見たり触ったり出来ない。
 しかし、人は襲われる。
 ただ酒に酔ったりと酩酊している者のみが、それを黒白水玉の体長二mほどの長い毛並みの狼と確認出来るくらいなのだ。
「狼は見えなくてもその首輪と鎖は見えるのですから、それを固定すれば狼は動けなくなるはずです!」
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)はローラーブレードを滑走させながら、町で役に立たない武器をただ空振りさせている衛士達に、彼らが持っている長槍を活用するように呼びかけた。
 遠くから穂先で鎖の端を引っかけ、それを石畳の隙間に深く突き立てる。すると鎖はそこからピーンと張られるもののその先の首輪にはまっているはずの不可視の狼をそれ以上、移動出来なくした。
 実に三匹もの不可視の狼をその方法で人を襲えない状況にする事が出来た。
 酩酊効果のある『エスマ印のポーション』を飲んだアンナは狼達を見る事が出来た。
 狼を見る事が出来る様になったアンナは衛士に指示を出す。
 実に長槍は七匹もの透明狼を捕獲した。
 しかし、その捕獲数が限界だった。狼は素早く走り回り、槍で移動不可能にする事は手練れの者でも困難だった。
 残りの不可視の狼達は、サーカスのある広場を、人が逃げ惑う市街を走り回る。
 百人近くの衛士の他にも冒険者達も何十人も不意の緊急出動をしているが、素面である昼間で役に立っている者はいない。
 そんなパルテノン上空を飛ぶ、鳥以外の物があった。
「皆ー! あいつらは空気獣ちゅーって、普通では見えたり触れたりでけへん生き物やなんやー! 酒やヤバいクスリとかで酔ってる時にしか対応出来ん! これからあんさん達に酒配るから気張ってや―!」
 空飛ぶ『空荷の宝船』で街の屋根より高い場所に陣取り『大型スピーカー』でパルテノン中を揺るがせるビリー・クェンデス(PC0096)は、水風船の様に膨らんだ革袋をポイポイ下界に投げ込む。
 革袋の中身は『打ち出の小槌F&D専用』で量産した度の強い酒だ。美味なのでぐいぐい飲める。
 だが、地上にいる衛士や冒険者達は革袋を拾ったものの、果たしてこの危急の場で酒なんて飲んでいていいものかと、逡巡している。
「気にしたらアカンで。ボクの責任ちゅーことでエエねん」
 福の神見習いビリーはまるで酒の悪魔が囁く様に地上の皆に無礼講の許可を出した。
「おお! こいつがあれば怪物が見える様になるのか!」
「美味い酒だわ! これなら何杯でも飲めるわね!」
 誘惑にも似た言葉を聞き、そんな事を言いつつ、モヒカン頭やバニーガール姿の冒険者達が拾った革袋の中身を飲み干す。衛士達もここはすがるべきと酒を飲み始めた。
 すると効果てきめん。黒白水玉というけったいで派手な姿が彼らの眼の前に忽然と現れた。
 後は現実の狼を相手にするのと同じ手間だ。
 ……と思いきや、効果てきめんのアルコール度数の悪い面が現れた。
「ういーヒック! この狼達、分身の術を使いやがるぜッ! 何重にも姿が重なって見えるぅッ!」
「地面が揺れてぐるぐる回るわぁ! 地震よ地震よ大地震よぉ!」
 見えないもの相手の戦いという運動をしていたせいか、いきなり酔いが回りすぎ、幻覚を見たり、気分を悪くしたりする者が続出した。
「あかん! ここは酔いざましの水とかを配って……でも、そしたら酔いはさめてしまうし。……しもた、このプランには構造的欠陥があったで!」
 地上の冒険者、衛士達はそれでも何とか戦うが、数の上で圧倒しているはずの人間達は正直、空気獣相手に拮抗しているだけマシといった戦いしか出来ていない。
 頭を抱えるビリーだが、ここで、でんどん!でんどん!でんどん!ちゃっちゃらっぱぱらぱぱっぱぱぱ〜♪といったガ〇バスターのテーマが大型スピーカーから響き渡り、一人の女戦士が空飛ぶ宝船の船首で仁王立ちになった。
「うーん、絶景カナ、絶景カナ! まさにミリオンダラービュー、百万ドルの光景デ〜ス♪」
 船首でこまねいている身長二m超の女傑、ジュディ・バーガー(PC0032)の手には空になったビール瓶。その他の空瓶は、彼女の足下の甲板に既に二十本近く転がっている。
 ジュディの鼻の頭は既に酒光りをしていて赤い。「オーライ! ビリー、ディス・シップをこのまま地上付近までエンゲージ、接近させてクダサーイ! イヤッフー!」」
 酔眼で空気獣らしき『白黒水玉の狼達』を視認したジュディは、奇声を挙げながら飛空挺を急接近させると、そのまま無造作に空挺降下の如く飛び降りる。ここでBGMは特攻野郎〇チームのテーマに切り替わる。
 十字路の中央で、青空を背負って連射の閃火。
 着地すると同時に『マギジック・ライフル』三丁でジャグリングの如きジュディ式三段撃ちを披露し、とびかかる狼を三匹ほぼ同時に撃墜する。
 あっという間に狼の群が空気に溶けて減っていく。
 この女戦士は酔客としての年季が違っていた。鼻歌混じりに『マギジック・レボルバー』や『イースタン・レボルバー』でガンスピンしながら両手撃ち。空気獣に容赦なく銃火を浴びせまくりながらも、誤射やフレンドリーファイヤーしない様に心掛ける余裕さえあった。
 仕留められた黒白水玉の狼は、自分達が虚無であるのを思い出したかの様に姿が空気に溶けていく。
「イピカイエー!!」
 ジュディを降ろした空荷の宝船は再び浮上する。
 その甲板ではビリーの他にもう一人、銀色のロングストレートの古代ローマ風の貫頭衣の淑女が、私物の書を紐解いていた。
「『形は生めども心は生まぬ』。……やはり、これはエスマ団長とディス・マン氏の関係性に着目すべしという託宣なのでしょうね」
 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は『故事ことわざ辞典』にしおりをはさみ、手の内にたたむ。
 そして飛空船の大型スピーカーは、マニフィカの声を大音量でパルテノン中に流し始めた。
「パルテノンの皆様、お知らせします! 最近、このオトギイズム王国をお騒がせしている夢の中の怪人物、ディス・マンですが、実はエスマ大サーカス団長・エスマ・アーティ氏と同一人物であるという公式発表がございました! 繰り返します! ディス・マンとエスマ団長は同一人物でございます! 全てはエスマ団長のサーカス宣伝の為の心理広告でありました! ディス・マンを不気味がる必要はありません! ディス・マンが実在する様に思えてしまうのは全て、皆様の心の内の恐怖心からであります! ディス・マンはあくまでも架空の存在です! 繰り返します! ディス・マンとエスマ団長は同一人物でございます! ディス・マンはあなたの夢の内の実在しない人物です!」
 大型スピーカーによる宣言がパルテノンの石造りの街並み、不可視の狼から逃げ回る都民、酒の酔いに振り回されながらも狼と戦い続ける衛士冒険者の周囲で反響する。
 マニフィカには見えない狼の群の猛勢が弱った様に見えたのは、気のせいか。
 空荷の宝船はパルテノン中を飛び回り「エスマ団長=ディス・マン」という情報を巷に宣伝し続けた。
 果たして、これは吉と出るか、凶と出るか。

★★★
「姐さんが『エスマ団長をレム睡眠状態にしないように』ちゅーて、出てったけど、どうすればレム睡眠とやらにさせずにすむんじゃ。そもそも『レム睡眠』とか『ノンレム睡眠』って何じゃい」
「えーと、ええか、獅子頭。眠りが浅うて夢を見るんがレム睡眠。深い眠りで夢も見んのがノンレム睡眠。一応、こう説明されとるねん」
「…………」
 騒動の中、無事ですんでいるサーカスのテントの一つで、三つ頭のレッサーキマイラがぼやいていた。
 レッサー・キマイラはビリーに飛空船に乗るように指示されていたが、生意気にも「夢ライオンとガチをやってみたい」という願望を持って、このテントに残った。
「それより、依頼金が百万イズムというのは冗談だろ!? もし、今、町中で空気狼に対処している冒険者達全員に払わなければならないとしたら、私は破産してしまう!」
 慌てたエスマ団長が一人取り乱している。
 ディス・マンに殺害予告をされたのも衝撃的だったが、それよりも助かった場合も身の破滅だと知り、大人げないほど慌てふためいていた。
 しかも眠るな、とさえ言われているのだ。
「団長はエスマ印のポーションを沢山、準備しているんでしょ」
 制服に身を包んだJK姫柳未来(PC0023)は決意を溜めたという真剣な瞳で団長を見る。
 未来は夢の中のディス・マンと戦う為にエスマ・ポーションを飲みまくる覚悟だった。まるで締め切り際のPBWマスターの様に、仕事の完遂の為には薬を飲んで飲んで飲みまくる所存。
「ああ、ポーションは倉庫に幾らでもある。早速それを取りに行って……」
「ディス・マンは団長を殺したいんですよねぇ」
 そんなやりとりの中、貧民街の子供達をかばう様に取り囲まれながら、植物系淑女リュリュミア(PC0015)は突然ぽやぽや〜と意見を述べた。
「こっちからやっつけに行けばいいんじゃないのかなぁ。それとも団長が眠ったら、向こうから来てくれますかねぇ」
「リュリュミア……ちょっと、あなた……」
 ヤバい展開になりそうな予感に未来は、ちょっと構えた姿勢になる。
 空気狼に対応しようという仲間が皆、出て行った後のテント。
 残った皆は団長を守ろうというスタンスのはずが、ここでリュリュミアが物騒な事を言い始めた。
「じゃあ、皆で夢の中へ行ってみたいと思いませんかぁ」
「やーめーてー!」
 リュリュミアにそれを叶える為の手段があるのを知っている未来は慌ててそれを止めようとする。
 だが、次の瞬間、彼女はそれを発動させた。
 リュリュミアの帽子、実は身体の一部であるタンポポ色の帽子から爆発する様に黄白色の大量の粉が『ばふうぅっ!!』と噴き出したのだ。それはあっという間にテントの楽屋内にまんべんなく広がって、霧の様に皆の姿を包み込んだ。
「ちょ!?」
 未来は慌てて叫んだが、皆はその花粉を呼吸で吸い込んだ。
 そして、次次に床や小テーブルに倒れこんだ。
 黄白色の霧が晴れた時、リュリュミア本人と未来、そしてエスマ団長、レッサーキマイラの三つの頭。更にはその場にいた四人の子供まで寝息を立てて、床や小テーブルや椅子に身を預けて眠り込んでいた。
 催眠花粉の影響を受けなかった子供達が、すやすや眠っている寝顔を心配そうに覗き込んでいた。
 熟睡した彼らは身を揺すったくらいでは眼を醒ます事はなかった。

★★★
 雲を踏む様な世界だった。しかし足場はしっかりと固い。
 派手で奇矯な世界だ。
 リボンで飾られた、天上まで届かぬ無意味な白柱の羅列。
 まるでオモチャ箱か、ハロウィンの為に用意された菓子箱を日繰り返した様なメタリックな赤や緑の色彩が視界周辺にぶちまけられている。
 頭上には虹色の綿菓子の様な雲が空を渡っていた。
 同時に気がつけば、皆、ここにいた。
 リュリュミアと未来、そしてエスマ団長、レッサーキマイラの三つの頭。おまけでリュリュミアが連れていた中から四人の子供。
「うわー、悪趣味み。まるでパラノイアでちゅ。やばたにえん」
 未来は『サイコセーバー』の銀の光刃を構えながら周囲を見回す。世界の端が魚眼レンズの様に持ち上がっていた。
「ここがエスマ団長の夢の世界なんでしょうかねぇ」
 皆をここに連れてきた張本人のリュリュミアはあまり驚いた様子もなく、感想を述べる。
「結局、レム睡眠とやらを起こしているのか、私は。ここはディス・マンのいる世界なのか」
 団長が呆然としている。
「やや、あそこにブリキの城みてえな小さな建物(たてもん)が」
「ディスマンとやらがいるのはあそこでっしゃろか」
「…………」
 先頭を歩くレッサーキマイラに皆もついていく。
 エスマ団長だけが過剰に怯えて、皆と一緒に歩きながら時折、手を顔の前にかざす。
 城みたいな小屋みたいなそれは前面に壁がなく、桃色のマネキンを積み重ねた様な玉座にエスマ団長そっくりな黒マント、ディス・マンが座っているのが解った。その傍らには大きなライオンが寝そべっている。
「敢えて眠る事で、皆で一緒に私を倒しにやってくるとはちょっと驚いたね」王様の如く足を組んで玉座に深く腰掛けたディス・マンが乾いた音を立てて、両掌で拍手する。「でも、私に勝てると思うのかね。ここは私のホームグラウンドだよ」
 そう言ながらディス・マンが自分の額に指をかざすと、髪の薄い頭に金色の王冠が現れた。
 ライオンが唸りながら立ち上がる。その瞳は訪問者達をまっすぐ射貫いていた。
「うわぁ! ……君達、私を助けてくれ!」
 エスマ団長が、今にも腰を抜かしかねない表情で皆の最後方に下がった。
 念の為にディス・マンの玉座には距離をまだ置いていたが、一触即発の間合いであるのは誰にも解る。
「GO!」
 ディス・マンの指差しで夢ライオンが襲いかかった。
「団長さん! 例のポーションはあるんでしょうね」
「ここは私の夢の中の世界だといって、そう都合よく持っているはずが……あ、あった」
 未来の問いかけを否定しようとした団長だったが、彼が派手な上衣の前をまくると、その内側のホルスターにはエスマ印のポーションがずらりと沢山、収納されていた。
「マジ卍。夢の中って便利かもね。一本、ちょうだい!」
 未来の催促に、団長がポーションの一本を彼女に投げる。
 エスパーJKはサイコセーバーを持ってない方の手で小瓶を受け取ると、コルク栓を親指で弾き、中身を一気に飲み干した。
 その瞬間、走った夢ライオンが襲撃の跳躍。
「ひええっ!」
 レッサーキマイラが一目散に団長の更に後方へ逃げ出した。ガチでやり合うんじゃなかったのか、という皆の記憶が無効になるほど無様だ。
 ピシッと地面を打ち鳴らす音がライオンの突進を制止した。
 急ブレーキに爪で地を掻く夢の猛獣。
「悪い子ですねぇ。悪い子にはビスケットはあげないわよぉ」
 自分の掌から『ブルー・ローズ』の蔓を生やしたリュリュミアはもやが立ち込める地を打って、まるで鞭を振るう猛獣使いの様。
 ライオンは予想以上に鞭の前で怯む。
「何をやってる! いいから行け!」
 ディス・マンの声に再びライオンは獲物を睨みつける。
 だが。
「ほーらぁ。いい子にしてたらご褒美をあげるわよぉ」
 リュリュミアは手の内から新しく出した植物の実をライオンへ放った。
 するとライオンの表情が喜色満面に変わった様に見えた。
 そのちっぽけな物に自分からじゃれつきに跳ぶ。それは酔っているかの様だ。
「マタタビじゃあ!」
 瞬間、レッサーキマイラも跳びついてきた。正確に言えば、獅子頭が他の頭の意思を無視して、無理やり全身を引きずる様に走りながらだ。
 まるで子供同士のじゃれあいの様にマタタビを奪い合う二頭の獣に、ディス・マンが戸惑った表情を見せる。
「……馬鹿な、夢ライオンがこんなにあっさりと……君達、なんか私達の力を緩める工作をしたな……!」
 その時、瞬間移動で一気に距離を詰めた未来は玉座のディス・マンにサイコセーバーを振るった。
「消えなさい! 夢の中から!」
 光の銀刃がディス・マンに挑みかかる。
 マネキンを積み重ねた様なディス・マンの玉座は、下部が人間の足をほどいて立ち上がった。タコの様だ。玉座に座ったまま立ち上がらせたディス・マンが手にした剣でサイコセーバーを受け止める。剣は精神エネルギーの刃を受け止めて叩き折られるが、ディス・マンがそれを放り捨ててて、新たな剣を抜いて構えた。その剣は手の一振りで生えてきた物だった。どうやらこの夢の世界ではディス・マンの身の回りの事は基本的に彼の思うがままになるらしい。
 酩酊効果のあるエスマポーションを飲んだ未来はポォッと熱に浮かれた様な顔をしているが、その精神力は効能によって研ぎ澄まされている。
 ただし、その顔はまるで恋に浮かれている様にしまりがない。その半開きの唇はどうにもいつもに増して色っぽい。汗もかきっぱなしだ。
 ポーションの効果は確かにある様で、このディス・マンにとって万能のはずの夢の世界で、それにより対等以上に戦う一縷の望みとなっている。
 しかし、その効果はすぐに切れていくのを未来自身は自覚する。
「おかわり!」
 未来の要求に、エスマ団長が次のポーションを投げる。
 受け取ってすぐに飲み干す未来。眼がまるで淫魔の様にキラキラグルグルとなる。
 どうもポーションは彼女の快楽中枢に強く作用している様だ。
 ディス・マンが剣を振るう。
 未来の制服の胸元が切り裂かれ、膨らんだ肌が半ばまろび出た。薄ピンクに汗ばんでいる。
 逆手で未来がライトセーバーを振るう。
 桃色の王座の脚が二本ももげた。
 幾度となく武器が切り結ばれる。
 持続効果の短いポーションを次次と飲みつつ、恍惚とした表情で戦う未来の様子は、荒い息を吐き、短いスカートの裾を乱し、リュリュミアの連れてきた子供達には見せられないほどエロティックだ。
 尤も子供達はそのエロい戦いざまにずっと視線を釘づけにしている。
「ほーらぁ。ぐるぐるぐるぐるぅ」
 そうこうしている内に第二、第三のマタタビを投げていたリュリュミアは、夢ライオンとレッサーキマイラの二頭をブルー・ローズの蔓で一まとめに梱包してしまった。
「あなたもせっかく生まれたんだから、団長にこだわらないで自由にしたらいいのにぃ。夢ライオンとか、空気獣とか、色色持ってるんだからぁ」
 ディス・マンに説教しながら、リュリュミアのブルーローズはざっくばらんに畳まれた野獣二頭を遠くへポイッした。
「夢が現実に縛られたらダメですよぉ」
 魚眼レンズの視界の端に、奇妙な放物線を描いて消えていく二頭。
 未来は荒い息で悦楽に耐える。
 全てはエスマ団長を助けたい一心からだ。
 効果が切れる度に追加されるエスマ印のポーション。その快楽の味は蓄積されている様だ。
 常に半開きの赤い唇から雫がツーと糸を引く。
「ああん! もうイキそう!?」
 未来が叫んで横薙ぎにサイコセーバーを振るうと、桃色の玉座が上下に二分された。ディス・マンが足を引っ込めなければ、それごと切断されていた状況だ。
 玉座が空中にある内にそれを蹴って跳躍したディス・マンは、大きく振りかぶって、新しい剣で未来を両断しようと斬り下ろした。
「これでショーは幕引きだよ、お嬢ちゃん!」
「イってェ!」
 未来のサイコセーバーは敵の剣を受け止めた。
 そしてそのまま、刃を分断して、勢いを殺さずにディスマンの身体を縦に一刀両断する。
「馬鹿な……この私が夢の世界で敗れるだと……!?」
 夢は死して夢に還るのか。左右に分かれた黒いマント姿は、まるで眼醒めた人の夢の記憶が速やかに薄れていく様に透明化しながら溶けていく。血も内臓もない。ただ、消えていくのみだ。
「えーと、逝っちゃった?」その場で内股でしゃがみこんだ未来「ああ、もう! 下着がグチャグチャ……汗で。ぴえん」。蓄積した酩酊効果が足に来たのだ。
「あー……こっちも消えてきやすぜ」
「別に戦いやしなかったけど、強敵でやしたぜ。あんさん」
「…………」
 夢ライオンもディス・マンの死とほぼ同時に消えていき、余裕が出来た荷作り紐から一緒に梱包されていたレッサーキマイラが抜け出る。
「自分と同じ姿が斬られるのを見るのは気持ちよいものじゃないな。……それにしても無事に助けてくれてありがとう」
 エスマ団長が手を振りながら、未来とリュリュミアに握手を求めてきた。四人の子供達の眼をふさぐ様に彼らの前に立ちふさがりながらだ。
 今、未来の姿は淫らなまでに乱れていた。
「ところで……報酬が一人、百万イズムというのは勿論、冗談だよな」
 しつこく念を押すエスマ団長の姿がまず最初に、そして順に未来やリュリュミア達はその姿が透明化していく。
 勿論、ディス・マンの様に死んだからではない。
 夢から醒めていくのだ。
 赤と緑と虹色のオモチャ箱の世界は皆の記憶から徐徐に薄れていく。
 夢の世界が消えていく。
 そこを訪れてきた者達も実体や気配、自覚さえもがあやふやになり、音もなく空気に溶けていくのに任せるしかない。
 確かな眼醒めの刻が来たのだ。

★★★
「ピンクの象を倒した時も思ったケド、モノクローム・ポルカドット・ウルヴス、黒白水玉狼を倒してもレアアイテムをドロップしないのでデスネ」
 ジュディのぼやきに、ビリーは「アホかい! ゲームちゃうわ!」と『神足通』で彼女の頭まで瞬間移動してスパコーン!とハリセンを見舞う。
 ジュディは『伝説のハリセン』を体感して納得した。成程、このハリセンは小気味よい音を大きく鳴らすが、頭はほとんど痛くない。
 そんなジュディを首に巻いた愛蛇『ラッキーセブン』がクールな眼で見る。
 夏のパルテノン。
 人人の混乱は一時間ほどで収拾した。
 結果として、王都の透明の狼騒動は突然、消えた。
 へべれけに酔っぱらいながらも何とか活動した冒険者や衛士達の活躍もあり、街中を荒し回った首輪だけの狼達はやがて五匹ほどにまで数を減らした。
 それでいてその手強い五匹は捕まらず、尚、駆け巡り、人を襲い続けていた。
 首輪と鎖だけで疾走し、街を混乱させていた透明の五匹だったが、ある瞬間をきっかけに空の首輪は一斉に路上に落ちた。
 酩酊して、黒と白の狼を見ていた者達は、その姿が突然、消滅するのを見ていた。
 その瞬間が夢の世界がディス・マンが倒された時だと気づいた者はいなかった。
 ジュディとビリー、そしてアンナとマニフィカだけは、ディス・マンを退治に行った者達が、夢の世界で彼をどうにかしたのだろうと予想はした。
「サーカスに戻った方がいいでしょうね。もしディス・マンが倒されて安心になったのなら、エスマ団長を確認しに行きませんと」
 王都の石畳。地上に降ろした空荷の宝船の甲板に腰かけたマニフィカは、騒動が治まった旨をスピーカーで町の一般都民にアナウンスする。
「さて……と」
 包帯で怪我人達を看護していたアンナは、凶暴な狼が荒しまくった街並みを手にしたモップで掃き清め始めた。
 狼の疾走はあらゆる混乱を生んでいた。
 それを整理整頓するのは、アンナの清掃欲を満足させるのに充分以上になるだろう。

★★★
「そんな真相だったのか」
 『パッカード・トンデモハット』国王は目立たない様にフード付きの地味なマントを深く羽織ったお忍びスタイルで、手にしたココナッツジュースをパスタ製のストローで飲んでいた。ココナッツの実に開けた穴に直接ストローを射し込んで飲むワイルドなスタイルだ。
 簡素な量産品の木のテーブル。国王、ジュディ、ビリー、マニフィカ、アンナ、未来はリュリュミアに誘われる形で、中央広場のエスマ大サーカスの屋台の一つでココナッツジュースを飲んでいた。
 冒険者達の飲み代は全て国王のおごりだった。
 この騒ぎの中心人物が特に見知りの冒険者だと知り、国王は秘密裏に情報収集しに来たという事らしい
 もしかしたらサーカスというものを体験したくて来たのかもしれないが。
 屋台の店主や周囲を通りすがる人達はマント男の正体に気がついていないが、こんな暑い夏の日にフード付きマントを着こんだ男をいぶかしんではいた。
 今はもうディス・マンの騒動があった翌日。
 ザ・ショー・マスト・ゴー・オン。サーカスは限定的ながら、ほとんど団員の意地で開催を続けられたが、あの騒動の後、来場者は極端に減っている。興行は最終的には大失敗だろう。団員達にはつらい一週間になりそうだ。
 その上、冒険者の報酬は百万イズムという情報は何処からか漏れて、しかも今回の騒動収拾に緊急参戦した全冒険者にもれなく配られるというのがいつのまにか大衆の常識になっていた。
「仕方がない。今更、否定するのは新しい騒ぎになる。冒険者ギルドを通じて、今回参加した冒険者達全員に一人五十万イズムを払うという令を出そう。エスマ・アーティ団長には一人につき十万イズムを払ってもらう。残り四十万イズムは王国が国庫の予備費で負担する。それが今回の騒動の落としどころだ」
 国王はそう妥協策を出した。
 負担が十分の一に減ったとはいえ、エスマ団長にパルテノンの冒険者数×十万イズムは凄まじい負担だろう。
 それに沢山のテントや屋台など出し物が損失し、団員や一般都民に大量の怪我人を出した。その代償も馬鹿にならない。
 安上がりな宣伝方法を発明した代償がこれだけの失財とは、泣くにも泣けない。
 もう夢を使った宣伝方法など使わないだろう。
 マニフィカは固い殻の内側のココナッツの果肉をスプーンですくって上品に食べる。
「王国も国民の損害に対して、色色と補償するんでしょぉ。大変ねぇ」
「ああ。今回はかなり頭が痛い」
 リュリュミアの言葉に国王が答え、席を立ちあがった。
 勿論、国王のおごりでここの料金を全て払い、マント姿は雑踏の中を王城の方へ消えていく。
 ともかく、最終日までエスマ大サーカスの興行は続けられる。
 たとえ、大赤字だとしても途中で興行を投げ出すわけにはいかないのだ。
「そーいえば、大事な事ひとつ忘れとるん気がするんやけど」
 ビリーはココナッツの果肉をスプーンでほじくる。
 レッサー・キマイラのテントは終日まで一人も客が訪れなかったという。

★★★