『サーカスがやってくる』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 夏の陽射し。
「ピンクの象だー!」
「ピンクの象が走ってるわー!」
 周囲を逃げ惑い始めた観客達の中で、明らかに酔っぱらっていると思しき人間だけがその『空気獣』が見えている様だった。他の人間にはどう眼をこらしても見えない。
 その巨象の足跡はまっしぐらに先ほどまで『エスマ・アーティ」団長がショーを行っていた大テントをめざしていた。
 途中にあった回転木馬が圧倒的パワーに踏み蹴散らされて、残骸と化す。
 今や、王国の夏のエスマ・サーカスは逃げ惑う観客で大騒動になっていた。
「このままではいけませんわ!」
 パニックの中、アンナ・ラクシミリア(PC0046)は一瞬で昨晩の夢の中と同じ『レッドクロス』を装着すると、モップを伸長させて、自分の眼には見えない『何か』に挑みかかった。
 フルスイングされるモップはローラーブレードの滑走によって様様な角度から振り下ろされるが、それらは必ず空を切る。地上についている足跡を目安に攻撃するが、あるはずの巨体に武器が触れる事はなかった。
 そうしている間にも象の足跡は一歩一歩、エスマ団長のいる大テントに近づいていく。
 一向に手応えのない苦戦をしながら、アンナはその『空気獣』をピンク色の象として捉えているのは酔っている観衆だけではないのに気がついた。
 ヤバイ薬物をキメているんじゃないかと思えるアナーキーな若い衆も、その空気獣の実体が見えている様だった。
 ジュディ・バーガー(PC0032)にも既にピンクの象の姿が見えていた。
 この直前、大勢の子供達とリュリュミア(PC0015)とマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)と一緒にサーカスの興行を巡りながら、ちょっと酒が回って御機嫌な大人達とすれ違ってたジュディは、思わず自分も飲みたくなっていた。
 お祭り騒ぎを楽しむなら、やはりキンキンに冷えたビールが一番!
 子供達の手前、なんとか我慢をしているけど、さりげなく屋台として出ているビール売店との位置関係を把握する。
 その時、いきなり「空気獣が逃げたぞ!」とサーカスの団員達が叫び出し、もしやハプニング系のイベント発生かと思ったが、どうやら本物のトラブルらしい。
 ピンクの象が、と騒いでいた酔っ払いが、実際に踏み潰されてしまった。
 この光景にどうやら酔っ払いにしか空気獣=ピンクの象は見えないらしい、とジュディの眉間に稲妻の如き直観が走った。
「ジュディ!」果敢に手応えのない空気獣に攻撃を繰り返すアンナも、彼女に叫ぶ。「急いでお酒を飲んで!」
 二メートル越えのヤンキー娘は、売店に駆け寄ってカウンターに並べられていた大ジョッキを満たす冷えたビールを一気飲み。
 その途端、どんな理屈か解らないが本当にピンクの象が見えた。
 ショッキングピンクに全身を染めた巨象が、柱の如き鼻をしならせ、中央の大テントへと突進している。その前方にある施設は一瞬で倒壊させられる。
 人は怪獣を姿が見えないから空気獣を恐れるのであり、見えてしまえば少し変わった色の暴れ象に過ぎない。
 ジュディは、ひょいと地面に転がっていたメガホンを拾い上げ、パニック中の観客達に大声でアナウンス。
「ちょっとミステリアス・エレファント、不思議な象がランニングアウト・オブ・コントロール、暴走中デ〜ス! ナウ、今すぐ大テントからリーブ、離れまショウ!」
 何処に象が!?と一瞬、観客は戸惑ったが、すぐに一斉の逃走へとモードが切り替わった。
 こうして大サーカスは中央から周囲へ逃走する観衆でいっぱいになった。

★★★
「何だって。そんな馬鹿な……!」
 大天幕の入り口から姿を現したエスマ団長もこちらへ向かってやってくる見えない象の足跡と、その進路にあって破壊されていく屋台に仰天していた。
 思わずふらふらと足がそちらへと歩き出す。
「ちょい待ち、そっち行ったらアカン! えらいこっちゃ!」
 『神足通』と『テレポート』で、ビリー・クェンデス(PC0096)と姫柳未来(PC0023)は一足先にテントの中のエスマ団長の所へ駆けつけていた。勿論、彼に警告して被害が及ぶ前に逃げ出させようとするつもりだったが「空気獣がこちらへ向かってくる!」という言葉を団長は一笑に付していた。空気獣という物が存在しないまやかしである事はこのサーカス団長の彼こそが一番よく知っているからだろう。
 団長が二人の報告をまともにとらず、何よりもそれをデマだと決めつけたいらしく、そこにいた十数人のサーカス団員と一緒にテントを出て、直接確認へ出向いたのだ。
 しかしテントから外の陽射しの中に出て、向き合ったのはパニックになっている観衆の交錯する悲鳴とこちらへ迫ってくる見えない四脚動物の巨大な足跡だった。
「ピンクの暴れ象だー!」
 酔客の叫び。
 そして広場中に聞こえる、逃走を勧告するジュディの叫び声。
 踏み潰し続ける象の足跡は団長の方へと一身に向かっていた。
「サーカスの団員として訊くわ。あの空気獣にはどう対処したらいいの」
「空気獣なんて物は実際には存在しないんだ! いない物をいる様に見せかける、ただの仕掛けだ。イベントだ」
「せな事言ったって、現に被害が出とるやないか。論より証拠や。とにかく団長には避難してもらいまっせ!」
 未来の質問に慌てるエスマ団長へ、ビリーはとにかく避難を呼びかけた。ターゲットは恐らく団長だ。
 様様な嘘・大げさ・紛らわしいが溢れているエスマ・サーカス。
 ならば、団長が売っているポーションや、団長のテントを目指している空気獣も嘘なのでは、と未来は考えていたが、団長が嘘と認めながらも空気獣は彼をめがけて迫ってくる。こうなると焦っている団長をとにかく避難させなければいけない。観客からも遠い所に一緒にテレポートして、周囲の被害も抑えなければならない。
 団長から空気獣への対処法を教えてもらうつもりだったが、未来はエスマ団長の腕を取って、一緒に瞬間遠隔移動を試みる。
 団長と未来の瞬間移動には、オマケの様に神足通のビリーがついてきた。
 エスマ団長以外の団員達は三三五五と散っていく。
 ビリーは提案した。「とりあえず一旦、姿を隠した方がええ! 何処か、ここから離れた所で、ある程度の大きさがあって、客がいなくて、壊されてもそんなに惜しくもないテントに隠れるんや!」
「ええ、そんな都合のいい所あるの!?」
 ビリーの提案に戸惑った未来だったが、すぐこの座敷童子の考えが解った。
 二人は『レッサーキマイラ』のテント内にエスマ団長を瞬間移動させた。

★★★
 思えば、昨日の真夜中から怪しかった。
 これは夢か、現か、幻か?
 海底に潜む鋼の鯨から黙示録の騎士達が飛び立ち……閃光が世界を覆い尽くす。
 眼が醒めるまで延延と続く不条理劇。
(オーマイガっ!!)
 ジュディは真夜中に飛び起きた。
 薄暗い部屋を見渡してから、ここは王都の宿屋と思い出す。
 ベッドに横たわり安堵の溜息を吐く。
 満を侍してサーカスに入場しようという前夜に、まったく縁起でもない。
 逆夢だろうと自分を納得させる。
 そして再び寝息を立てて、闇の中へと寝入っていった。

 果たして誰の夢だろうか?
 人間五十年、下天の内を比ぶれば……燃え盛る寺院で舞い踊る人影。
 夢を夢見る人魚姫、マニフィカ。
 意識は火から離れ、あぶくの如く大海原に漂う。
 是非もなし。
 涼しくない夏の夜が彼女にそんな炎の悪夢を見せたのかもしれない。

 そんな夢を昨晩に見た二人は今、王都『パルテノン』の大広場でまるで悪夢の如き対象、酔っ払いからはピンクの巨象として視認され、向こうからは足跡など物理的なアプローチが叶うのに、こちらからは一切手を触れる事すら叶わない不条理な存在『空気獣』を眼の前にしていた。
 今日のマニフィカはイベントを見回りながら、すぐに『ウソ』『まぎらわしい』『おおげさ』なサーカスの演出を見抜くも、エンターテインメントの観点から感心をしていた。
 あえて客達が騙される事でサーカスの非日常性は成立するのだろう。舞台裏を指摘するのは、かえって無粋と理解できた。
 しかし現在、逃げ散っていく群衆。
 これはエンターテインメントなどではない。リアル・トラブルだ。
 マニフィカは戦闘態勢に入った。
 ジュディは子供達を無事に避難させる為につきそう事を選んだ。
 エスマ団長の大テントまで辿り着き、全てを踏み蹴散らして大暴れする空気獣。
 幸い、着いた時には既に団長達も団員も客も中央の大テントから避難していた様で、人的被害は最小限ですんでいる。
 しかし、それも今のまま、空気獣を放っておいたらどうなる事か。
 大テントをさんざんに蹂躙した空気獣は、ここにエスマ団長がいないのを納得したらしく、隣のテントを襲い始めた。
 このままでは全てのテントを踏み潰すまで止まらないだろう。
 リュリュミアは、この破壊被害に子供達が巻き込まれないように、逃げ遅れた子を蔦で引き戻したり『ブルーローズ』のバリケードでガードしたりして、子供達の避難に専念していた。
 だが何も見えないし、攻撃も当たらない。
 ブルーローズも相手の攻撃を食い止める役には立っていない様だった。
 アンナも苦戦。
 ジュディ達など仲間に飲酒を勧めながら、アンナ自身はそれをする事は戸惑っていた。
 何故ならば、アンナはまだ未成年だから。
(そういえば、ウイスキー・ボンボンを売っていた菓子屋があったはず!)
 思い出した彼女は踵を返し、記憶の中にある菓子屋へとローラーブレードを疾走させた。
 象の足跡から空気獣の位置を目算したマニフィカはお家芸である『水術』を使い、大量の水流を空気獣へと浴びせかける。
 単純に姿を目視出来ないだけなら、水に濡れた事で全身の輪郭が浮き彫りになるはず。逆に水が素通りすれば、非物理的な存在である事が証明される。
 果たして、結果は水流はそこにいるはずの象の巨体をすり抜けてしまった。夏の地面を湿らせただけだ。これで相手が物理的アプローチが通用しない事が明らかになった。
「ならば、これはどうです!」
 次の手として『魔術』や『心霊系の攻撃』が通用する可能性を試してみる。
 マニフィカの考えでは、空気獣の属性から夢は『闇』に通じ、酒酔いは『毒』とも関連するはず。
 『カルラ』召喚。
 空気獣にダメージを与えるべく闇属性の猛毒突撃をマニフィカは敢行。
 マニフィカの眼前に鴉天狗の様な外見を持つ老獪な姿が浮かび、その全身から毒毒しい闇色の光が放射される。放射の一端は波濤をぶつけるかの如く、空気獣のいるべき位置を撃った。
 しかし、だ。
 毒気は空気獣がいると思しき場所を何の抵抗もなく、透過してしまった。
 カルラがそれ以上、為す術もなくその場を退散した後も、マニフィカは暴れ続ける空気獣の透明性を確認するしか出来なかった。
 しかし闘志が折れるるわけではない。これすらも不発に終わるとしたら、もはや未知の要素が介在する事を疑う余地はない。実に興味深い現象だとして、知的好奇心が疼いてしまう。
「リュリュミアさん! 口を開けて!」
 突然、アンナの声が遠くからし、リュリュミアは反射的に口を開けた。
 彼女は飛び込んできた物を思わずゴクリと飲み込んでしまう。
 口に入った瞬間に感じた甘みと苦みはすぐに身の内に入り、すると身体がカーッと熱くなってきた。
「甘くて美味しいですねぇ、なんだか身体が熱くなってきましたぁ。……あれぇ。ピンクの象さんが見えますよぉ」
 リュリュミアは眼の前に現れたショッキングピンクの象を見つめながら、ぽやぽや〜と呟いた。
「うふふぅ、悪さをしているのはあなたですかぁ。悪戯する悪い子はブルーローズでぐるぐる巻きの刑ですぅ」
 次に起こった事はマニフィカも驚愕するしかなかった。
 マニフィカには空気獣が見えない。
 しかしリュリュミアの放ったブルーローズの長く太い蔓は、見えないはずの空気獣の身体をグルグル巻きにしてしまった。水も毒気も透過してしまった怪獣の輪郭に沿って、ツタだけが巻きついてその身体の形を皆に見える様にしてしまった。ツタは確かに透明の『象』に絡みついている。
「マニフィカさん!」
 アンナの声と共に飛んできたウイスキー・ボンボンを、マニフィカは唇で受け止める。するとチョコは容易に崩れて、アルコールが口の中に広がった。
 身の内に熱が広がる。
 酔いを自覚する。
 するとその瞬間、面前にブルーローズの蔓でグルグル巻きにされたショッキングピンクの巨象の姿が出現した。
「うふふふぅ、ぐるぐるぐるぐるぅ、あたまもぐるぐるぐるぅ」
 リュリュミアは縛り上げたブルーローズを更にきつくさせ、空気象の身体を絞る。
 マニフィカの耳には今では苦しそうな怪獣の叫びまで聞こえる様になっていた。
 ビールを飲んで酔っているジュディにもこの光景は見えている。
 巨象は見えれば、攻撃が当たるのだ。
 ボンボンで酔っているアンナはモップを振り上げて巨象を痛打する。
 避難の手伝いを主にしていたジュディも手伝おうとしたが、そうする前にあっけない決着がやってきた。
 縛られて動けない空気獣の眉間に、アンナの思い切りの大振りの一撃が叩き込まれた。
 くぐもった様な空気獣の断末魔の叫び。
 それきり、巨象の四肢は崩れ、自分が踏みにじっていたテントの残骸の上に力なく倒れた。
 マニフィカは見る。まるで空気に溶けるみたいにショッキングピンクの巨体が薄れていく。
 五秒もしない内に空気獣の姿が消えてしまった。それをしめつけていたブルーローズも拘束する相手を失い、ばらばらとほどける。
 リュリュミアが守っていた子供達もどうやら安全になったらしい事を悟り、騒いでいたのが治まって、遠巻きにテントの残骸を囲んだ。
 逃げ惑っていた観客達も騒ぎの中心が静かになったので戻ってくる。もう「ピンクの象だ!」と騒ぐ者はいなかった。夢の記憶が起きた途端に忘れ始められる様に脳裏から薄れていく。
 踏みにじられた大天幕の残骸など空気獣のもたらした被害が大きかったが、幸いにも人的被害は少ない様だった。最初に空気銃にぺしゃんこにされた男は大怪我を負っていたが、命は助かった様だ。
 逃げていた酔客はこの騒ぎですっかり酔いは醒めてしまった様だが、ウイスキー・ボンボンを食べた三人やビールを飲んだジュディは長年の冒険者稼業で肝が据わっているからなのか、まだ酔いは残っている。リュリュミアは酔いのままにその場の地面に寝転がって、寝息を立てている。
 酔いが残っている者達は見る。
 すぐそこにあるジプシー占いの屋台の店先にある水晶球にエスマ団長にそっくりな顔……『ディス・マン』が映ったのを。
「どうやら空気象ではエスマ団長を仕留められなかった様だね。……まあ、いいか。こちらにはまだ手駒がある。ついでにこの町を混乱に陥れるのも面白そうだね」
 ディス・マンは酔人にのみ聴こえる声でそう呟くと、次の瞬間、水晶球のくもりに紛れて消えてしまった。

★★★
「どうやら、外の騒ぎは治まったみたいね」
 テントの入口から外を覗いた未来は、事態の収拾を眺める。
 『レッサーキマイラ』のテントに客はいなかった。
 いるのは未来とビリーとレッサーキマイラ、そしてエスマ団長。
 皆は楽屋の中で騒ぎが治まるのを待っていた。ただ待っていただけではない。エスマ団長に質問をぶつけている。
「嘘が真になる……前にもこないな事あったな」座敷童子ビリーは褐色の腕を組んで団長の前で呟く。「空気獣と同様に、おそらくディス・マンも架空の設定で、サーカスを宣伝する為の話題作りやったやろけど、しかし、このオトギイズム世界の法則は『デザイン』がパワーを発揮するんや。『設定』もデザインに含まれるんちゃうか? 嘘が現実になる……これはもしや夢が現実化しようとする前兆なんか?」
「わかりみ」
 ビリーの言葉を一言で肯定したのは未来だった。
「おいおいおい。何を言ってるんだ。まるでディス・マンが実在するみたいじゃないか。夢の世界なんてあやふやな中で」
 サーカス団長っぽい派手な身なりのエスマ団長が皆の思いを即座に否定する。
「いいかい。ディスマンなんてのは存在しない架空存在なんだ。……しょうがない。君らにディス・マンを用いた宣伝キャンペーンについて話そう」
 その時、テントの入口が開いて、一斉に人間達が押しかけてきた。
 アンナやジュディやマニフィカ。そしてジュディの肩に担ぎ上げられたままで寝ているリュリュミア。そしてリュリュミアの連れの子供達だ。
「エスマ団長」レッドクロスを解除してワンピース姿になったアンナが詰め寄る。「団長はディス・マンをサーカスの宣伝の為に作り出したキャラクターにすぎないと思っているかもしれないけど、事態はあなたの想定を超えて動き出しているんですよ、彼はいったい何者なんですか」
 真面目な顔で見つめるアンナに、団長は「ふうむ」と唸る。
「ディス・マンは夢の中でこう言っていましたわ。『そろそろ向こうに退場してもらってもいい。もう向こうが死んだらこっちが消えるなんて事はないだろう。ここはもう私の世界だ』と」マニフィカはディス・マンに会った夢を眼を閉じて思い出す。「まるで、彼は独自の自我を得ているかの様でした。現実の世界から独立する為、エスマ・アーティ団長の死を望むという不穏な言及は、特に」
 ふと言葉を思い出す。『胡蝶の夢』。蝶になったリアルな夢を見ていた男は眼醒めて思う。自分は蝶になった夢を見たのか。それとも今の自分が蝶の見ている夢なのか。
 マニフィカを見、エスマ団長は真面目な顔で語り出した。
「ディス・マンはそもそも霊的な物とは一切、関係がないんだ。人の心理を利用した単なる安上がりな宣伝さ。……最初にある町でちょっとした噂をポスターと共に広める。『この人物が夢に出ませんでしたか』とね。すると一般人は不思議な出来事にとびついて参加したがる。自分も夢でその人物を見た事がある様な気分になるのさ。夢なんて曖昧なもんだ。本当に見たかなんて、いや見なかったかなんて証明出来ない。『自分もディス・マンを見た』という思い込みで大勢の人間が我が身の問題と考える、大きな話題となる。人人は積極的にディス・マンについて語らい、そして噂とポスターのコピーが広がると共に『ディス・マンの目撃者』はあちこちの町に指数的に増えていく。いやあ、この目撃者の増加スピードだけはこちらの予想を大きく上回ったね。そしてディス・マンの噂が大きく膨らみきった所で、このエスマ大サーカスの登場さ。人々は皆、驚き、興味を惹かれる。そりゃそうだ。おなじみの不思議なディス・マンとそっくりな男が団長をやっているサーカスなんだから。皆、こぞってこのエスマサーカスに釘づけになる。団長とディス・マンは同一人物なのか。誰にも解らない。とにかく自分もサーカスへ行ってみよう、参加者として。……結果的には私のサーカスの興行は大成功さ。少ない元手で大きな動客。見事にこの宣伝法の有効性が証明されたね」
 最後に団長は悪戯をした時みたいな笑みで「私の神秘性も増すしね」
「でも、わいらは共通した一つの夢の中で、ディス・マンという一人の人物と語らったんでっせ」レッサーキマイラがくってかかる。「その記憶は皆、共通してるんでやすぜ」
「嘘から出た真や。どうやらディス・マンというのはいつのまにか独り歩きを始めてるらしいで」と福の神見習いビリー。「あんさんがデザインしたディス・マンが皆が考える共通設定を得て、実在し始めてるんやないか」
「彼は今や独自の自我を持ってますわよ」と人魚姫マニフィカ。「しかも本体であるあなたを邪魔だと思っている様ですわ。あなたを殺すつもりで空気獣を操ったのに違いありませんわ」
「こーゆーの何て言ったっけ。自分を作ったそーぞーしゅが憎くなる心……シンデレラ・エクスプレス……じゃない、バレンタイン・コンプレックス!」とエスパー未来。正しくはフランケンシュタインである。
「とにかく、これからもこういう事はまたあると考えた方がよさそうですわね」とモップを構えた魔法少女アンナ。
「あ、おはようございますぅ」ここで光合成淑女リュリュミアが眼を醒ました。「……あれぇ、どおしてリュリュミアはこんなところで寝てるんですかぁ。何をしてたんでしたっけぇ、なんだかふらふらして思い出せませんよぉ」空気獣退治に活躍したのを全然憶えていないらしい。まだ酔いが残っている様だ。「団長が鏡の中にもいますけどぉ、着てる服が違いますねぇ」
 え!?と、彼女の声に皆が反応した。
 この楽屋には一枚の鏡がある。
 レッサーキマイラの楽屋であるこのテントの一室には、生意気にも影を作らないように灯台を配置した立派な化粧鏡があるのだが、リュリュミアはその中に団長と同じ顔が一人、余計にいるのだと示していた。
 しかし皆、リュリュミアが指さしている鏡の中に余分な客を見る事は出来なかった。
 まだビールの酔いが残っているジュディ以外は。
「WHAT? 何でサーカス・リーダー、団長が二人もいるのカナ? いや、いやいや解っていマス、アイム・ジャスト・ドランキング、まだジュディが酔っているカラ、二重に見えているだけデスネ」二mを越えるジュディはまだ気持ちよさげな酔いの余韻の中にいる。「バット、なんで服装が違うんでしょうネ。一人はサーカスらしくゴージャス、ド派手。もう一人はブラック・マントで身を覆っテ」
 酔っているジュディとリュリュミアには鏡の中にディス・マンが見えているのだ。いや、あと一人、エスマ団長もらしい。
 ウイスキー・ボンボンで酔っていた者のほとんどは、すでに酔いから醒めていた。リュリュミアのみまだ醒めていないのは体質だろう。
 ディスマンは黒マントという服装で明らかに団長とは違う姿で、皆と一緒に鏡に写っているのだ。
 この楽屋にディス・マンが来ている。その事実を知った皆に緊張が走った。
「どうやら、その君達には私の姿が見えているみたいだね」
 黒マントのディス・マンの声は酔っている二人、ジュディとリュリュミア、そして団長にしかにしか聴こえなかった。
「直接会えて嬉しいよ、エスマ・アーティ団長。尤もこの声はほとんどの者には届いてないと思うがね。私の姿も見えてないだろう」
 ディス・マンの声も話っぷりも団長にそっくりだった。
「ともかく、私はエスマ団長によって作られ、私の噂を広めていった者達に育てられた。それは確かだろう。しかし、双子でもないのに同じ存在がこの世に存在するなんて気持ちよくないんだ。少なくとも、私は。だからね、私は君の存在がいらないんだよ」
「何て言ってるんや」
「どうやら、ディス・マンはエスマ・リーダーを殺したいと言ってるミタイ」
 ビリーの疑問をジュディが通訳した。
「私はいかにもファンタジー的な存在らしく『虚構』と『現実』の狭間の曖昧な物、つまりはさっきみたいな『いるのかいないのか解らない象』みたいな物を操れるんだ。まあ、君を殺すのは失敗したがね」鏡の中の黒マントは自分の傍らにいる物を撫でている。それは一頭のライオンだった。夢ライオン。これはエスマ団長の持っていない物だ。
「私が君みたいな物にむざむざやられると思っているのか」エスマ団長は自分そっくりに作り上げた者に静かにいきりたっていた。
「それは解らないよ。私にはまだまだ手駒がいるんだ。空気獣は象だけじゃないだろ。私は一斉にそれを解き放って、町中を襲わせる。この世界にネガティブな混乱を起こさせる事にするよ」黒マントの姿が薄れていく。「もし私に会いたくないんなら、これから一生眠らない事だ。夢の中ならこのライオンを君にけしかける事が出来る。眠らない。そんな解決方法が君にとれるかね。夢の中なら負けないよ」
 ディス・マンが見えない、声が聴こえない者もエスマ団長が見る見る蒼ざめていくのが確認できる。
「さらばだ。エスマ・サーカス団長、エスマ・アーティ。今度は夢の中で会おう」
 それを言い残してディス・マンの姿は鏡の中に消えた。今では化粧鏡にはそれを覗き込む者の姿、その背景だけが映っている。
 ジュディとリュリュミアはディス・マンが言っていた事を大雑把に会話が聴こえなかった者にも説明した。
 エスマ団長は恐怖と怒りで震えている様だった。
「皆、私を助けてくれ」団長は考えつめた挙句、周囲に訴えた。「金は幾らでも払う。象の空気獣を倒した君達なら出来るだろう」
「依頼なら一人、百万イズム」レッサーキマイラが勝手に話を進める。「でも、どうゆう風に夢の中のディス・マンを倒したらええんですかい」
「酒に酔ったり、ソレ系の薬物を摂取したりすれば、空気獣みたいな存在とは戦えるみたいだけど……長時間戦いたかったら深酔いするしかないのかしら……」アンナは呟いた後、黙りこくった。彼女は未成年なのだし、薬物を摂取したりなんて事は考えられない。
「そうだ。いや、実はね、私の『エスマ印のポーション』にはちょっぴり酩酊成分が含まれてるんだよ」突然、団長は自分の売り物の説明を始めた。「……そんなに強いもんじゃないよ。ただ、飲んだ時にちょっと気持ちよい気分になれるようにね。私の勘だが、それを飲めば、ちょっとの間、ディス・マンに対処出来るんじゃないか、と。……ディス・マンに確実に会える方法? それは私にも解らないね」
 団長の提案に、皆はう〜んと唸った。
 その時、楽屋内の子供達が騒ぎ出した。
 テントの外がまた騒がしくなり始めたというのだ。
「不味いな……空気獣は象の他にも『見えない狼』が三十匹ほどいるんだ。一つの大きな檻だがね。見えない狼に鎖に繋がった三十個の首輪だけが宙に浮かんで見える様になってるんだ。勿論、鎖は中に細い針金が通ってて、それで首輪が宙に固定されてる仕掛けなんだが……」団長の今度の説明は皆の不安を煽るものだった。

★★★
 今度は「白黒水玉の狼達が走り回ってるぞ!」とサーカスを行っている広場内が大騒ぎになり始めた。
 勿論その姿が見えているのは酔客だけだ。
 酒に酔ってない者も、檻をこじ開けた三十個の首輪が広場のあちこちを走り回っているのを見る事が出来る。首輪はあちこちに猛スピードで走り回り、人を突き飛ばし、噛みついていた。
 首輪からすれば一匹の体長は二mほど。二十数匹が広場を出て、パルテノンの街中へ逃げていた。
 おかげでパルテノン中が大騒ぎだ。
 王国の衛士達が対処に当たっていたが、何分、眼には見えない、触りも出来ない猛獣が相手だ。何の役にも立っていなかった。
 逃げ惑う無力な市民が手近な家や店に駆け込み、窓や扉を固く閉める。
 不可視の狼達は獲物を求めて、商店街を、住宅地を、貧民街を、公園を駆け回る。
 この事態に冒険者達が自主的に加勢に出ていたが、何せ見る事も触る事も出来ない敵が相手だ。戦果は一向に上がらず、怪我人だけが増えていった。
 応対に当たる者はどうすればこの透明の狼に対処出来るか、気がついていない。
 王都パルテノンはパニックになっていた。

★★★