ゲームマスター:田中ざくれろ
★★★ 死ね。 死んじまえ。 お前の人生を無意味にしてやる。 屋敷内で子供達の悪霊が笑う。 水彩画の部屋でクライン・アルメイス(PC0103)の受信機からあふれかえる無邪気な笑い声を振り払う様に、三人は部屋の重いドアを開け放って走り出した。 「誰か三階をお願い!」 アンナ・ラクシミリア (PC0046)は叫びながらローラーブレードで滑走する。 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)とクラインは部屋に残った。 悪霊の敵意が明らかである以上、いつ奇襲があってもおかしくない。 この部屋には相続人『トレーシ・ホワイト』嬢が残っているのだ。彼女の傍について護衛し、常に周囲を警戒しなくては。 クラインは対霊戦闘に『小型フォースブラスター』を準備する。 「本来は護衛任務ですし、フィーナ嬢は皆さんにお任せしてわたくしはトレーシ様の護衛に専念いたしますわ」 そう言うクラインに、マニフィカは同意していた。 マニフィカも眼には見えない子供の悪霊に警戒して、何事も見逃さない様に気を張る。 (悪霊がトレーシ様の身体を乗っ取る、それが遺産相続の真の意味という可能性もありますわね) クラインはそんな思惑を秘めながら、フォースブラスターのトリガーに指をかけ、周囲に眼を配った。 ★★★ 「フィーナ! リュリュミア! 何処にいるの!」 二階の通廊を全速力で滑走しながらも通りすぎるドアを叩きながら廊下を駆け抜ける。 しかしアンナの号令に従って三階へ昇る者はいなかった。 ジュディ・バーガー(PC0032)は野生の勘で、リュリュミア(PC0015)と『フィーナ』がいるのは屋敷の主人である『エリザベス・ティアマン』の寝室だと決めつけていた。案ずるよりも生むが易し。まるで野生の牛の様に廊下を突進、階段を駆け下りる。 二人とは対極的に姫柳未来(PC0023)は立ち止まり気味だった。 彼女の予知能力、精神的な力はこの悪霊達が作っているであろう結界の中では不調にされていた。まるで妨害電波の真っただ中で無線アクセスを試みている如きだ。 屋敷全部が悪霊達の影響範囲だ。それでも未来はアンテナ感度を上げる為にスカートのポケットからトランプ一組を取り出した。その配置で二人の居場所を表示しようというのだ。 しかし不可視のエネルギーの様な大風が未来を襲った。スカートがめくれ、トランプの束は風に吹かれてバラバラとめくれて乱れ舞った。 絶望に捕らわれそうになった未来の眼線は、その舞い散ったトランプの乱流から一枚のカードが木の葉落としで、まるで彼女を誘う様に宙を滑っていくのに吸いついた。 そのハートのAが行く方向は確かにエリザベスの寝室だ。 鬼と出るか。蛇と出るか。 未来はそのカードを追う為に大階段を駆け下りた。 アンナは二階に反応がなかったのを確認した上で、大階段の手すりに車輪を乗せて一気に一階をめざす。 ★★★ 何処か無機質な異界の雰囲気。 ベールで顔を隠したエリザベスの寝室では、ベッドの上で朱色の着物の少女人形が園丁用の大きな植木ばさみをじゃきんじゃきんと鳴らしていた。 その無表情な白い顔に睨まれたリュリュミアは、フィーナを背後に隠しながら敵に正対していた。 少女人形がシーツの上を走り、全開にしたはさみを前に押し出してとびかかる。 「えぇい」 リュリュミアの掌より急速生育された『ブルーローズ』の茨が盾となって、その攻撃を跳ね返した。 しかし、代わりにその盾が大きくはさみに切り取られて、緑の汁を切断面より滴らせる。 一旦は退がった少女人形は再び、ベッドの上に立ち、大きな黒い刃を鳴らした。 また走る。 リュリュミアは一層太く濃く茂らせた緑の盾でそれを防ぐが、はさみが真っ向から噛みついて、断ち切ろうとする。朱色の着物の裾の乱れと千切れて飛び散る葉と緑の汁が、まるで異世界の様な鮮やかさを見せる。 この状況に居住まいを少しも乱さないエリザベスは逆に不気味だった。、 「早くこっちから逃げてぇ」 リュリュミアの手から一本の太い蔦が別に伸び、自分達が入ってきたドアを開けた。 そこから逃げようとするフィーナを追いかけようとする少女人形を、リュリュミアの育てた濃緑の茨が行く手をふさぐように牽制する。 フィーナは怖がりながらも、リュリュミアを残して自分だけが逃げるのに抵抗ある様だった。 「フィーナ、皆の所へ行って応援を呼んでぇ」リュリュミアはうごめくツルと大ばさみが牽制し合う中で彼女に呼びかけた。「あなたが安全な場所に行ってくれたらぁ、多少無茶しても大丈夫ですからぁ」 その声を聴いて、意を決したフィーナが扉から外へ出た。 ドアをリュリュミアの蔦が固く押さえつけて閉める。 「フィーナとトレーシをぉ、エリザベスや今まで連れてきた大勢の子供達と同じ目にあわせる気ですかぁ」 「エリザベス?」リュリュミアの叫びに、自分の名を呼ばれたベールの向こうの老女は彼女の見当違いを嘲笑った様だった。「私が何だって? それにフィーナととトレーシを儀式の前に傷つけるつもりはないよ。フィーナも今までの子供達と同じに『救わなきゃ』ねえ」 リュリュミアの見立ては間違っているらしい。 黒い大ばさみが太いツルの束を断ち切った。 これで今出せるリュリュミアの防護手段は全て断ち切られた。 彼女は最後の手段に出た。フィーナがまだ部屋にいたら使えない手段だった。 植物系淑女の黄色い帽子がまるで煙が噴きあがった様に大量の黄色い花粉を放出する。それは催眠能力を持った花粉だった。それはあっという間に室内に充満し、まるで部屋中にもやがかかった如くなる。 催眠など恐らくは少女人形の様な非生物には効かないと思えた手だが。 「花粉が充満した部屋で刃物なんか振り回したら、どかーんですよぉ」 恐らく粉塵爆発の事を言っているだろうリュリュミアの言葉は、はさみが刃を打ち鳴らしたところで簡単に火花で着火するとは思えなかったが、聞かされた敵に一秒の躊躇を生み出した。 その瞬間、フィーナが出ていったばかりの扉のドアが、外から思いきり蹴り開けられた。 ドアを破片として吹き飛ばす、猛烈なキックを放ったのはジュディと未来だった。 未来は、下着の見える大胆な飛び蹴りの姿勢のままに寝室へとび込んできた アンナとジュディもとび込んできて、この異常な事態を一瞬で把握した。 とにかく、リュリュミアのピンチだ。少女人形とエリザベスは敵だ。 「やはりエリザベスは死んでいて、今まで彼女の代わりに話していたのはあなたなのね!」未来はサスペンスの緊張の中で少女人形に質問を投げつけた。「あなたの名前と目的は何なの! チャックを殺したのもあなたね!」 少女人形は突然増えた相手に眼移りしている様だったが、一番大きくて目立つジュディに大はさみを投げつけた。 ジュディは首筋を狙って旋回してきたそれを右フックで弾き飛ばした。 大はさみの刃が寝室の天井に突き立ち、ぶら下がる。 素手になった少女人形は位置的に最も近くになった未来に走り寄った。白いシーツからジャンプする。 「なるほど……そうやってあなたがチャックを殺したんだね」 未来はわざと口を開けて、少女人形を誘っていたのだ。跳躍した相手へ、ミニスカの内側に隠していた『サイコセーバー』を抜き振るった。バズ音を鳴らした銀の眩光の刃は少女人形を空中で縦一文字に叩き斬った。少女人形は朱色の着物ごと、左右に分断され、未来の足元の床に転がった。中身は中空だった。 未来の感応力はその少女人形から十以上の『何か』がごっそりと流れ出したと感じた。それは床を通過して地下へと速やかに逃げ去る。 ベッド上にローラーブレードで乗り込んだアンナは、ベールで顔を隠していたエリザベスへ問答無用でモップのフルスイングを横薙ぎに叩きこんだ。 老女はその一撃で粉砕された。 正確には老女を模していたマネキンの如き人形が、だ。 「イッツ・ア・ドール・トゥー!? エリザベスの正体もただの人形だったノ!?」 それを見ていたジュディはひどく驚いた。その精巧に出来た人形は、確かに自分達に向けて言葉を発していたのだ。 老女の人形が粉砕された破片となって、そばの壁に叩きつけられる。 未来はその時にも老女人形から一体の大きな『何か』がごっそり抜け出て、屋敷の地下へと床を貫通して逃げ去ったのを感じた。 「アー・ユー・OK、リュリュミア? フィーナは無事に確保してアル……ワ」 エリザベスと少女人形が共に傀儡にすぎないと確認したジュディ達は、とりあえずリュリュミアの無事を確認して安心し、……その安心で気が緩んでめいめい欠伸を押さえられなかった。 「ごめんなさぁい」 自分の危機一髪を助けてくれた皆に感謝しながら、リュリュミアはエリザベスだった砕けた人形を調べた。眼や唇のない簡素なデザインの人形頭部はぞっとするほどうつろだ。手は精巧に出来ていたが、普段は服に隠れている肘や肩は球状関節だった。 「完全に……人形ねぇ……どうやって……動いたり……喋ったりしてたのかしらぁ……それ……に……あの声ぇ……男の……裏声……みたい……なぁ……」 リュリュミアは極度の睡魔に襲われる。 彼女の睡眠花粉の力にはこの寝室にいる全ての生きるものは抗えなかった。放出したリュリュミア当人を含めてだ。 破壊された人形以外の皆はその場で突っ伏し、寝息を立てて眠り込んでしまった。 ドアの向こうの廊下で待っていたフィーナも床に伏して寝息を立てていた。 子供の無邪気な笑い声の中で、無防備な時間は過ぎていく。 これがフィーナの誕生日の午前中の出来事だった。 ★★★ 皆がエリザベスの寝室で戦っている時、クラインとマニフィカは水彩画の部屋で待機し、トレーシの護衛をしながら壁一面に貼られた水彩画の群を吟味していた。 「キーワードはそのまま『デッサン』でしたのね、やはり芸術関係は苦手ですわ」 クラインは部屋の中心でぐるりと壁を見回した。 「アンナもそう言っていましたたね……けれども」 マニフィカは手鏡を使って、天井を照らしていた。 デッサンとは誠実であり、誤魔化せないもの。 だから稚拙な描写に共通する要素こそが隠されたヒントと彼女は推理していた。 手だ。どの水彩画も指が上を差している人物が描かれている。 ならば天井に時計の長針の行方を示す何か書かれているのではとマニフィカは思い、鏡で明るくして観察しているのだ。 しかし丹念な観察にも天井に何かが書かれている様子は見当たらなかった。 マニフィカにはまだ幾つかの考察が残っていた。 上。 つまりここは二階なのだから、三階に答がある部屋があるのかもしれない。 また、素直に時計の針を最も上にあるゼロ時、つまり12に合わせるのかもしれない。 今日が誕生日であるフィーナの年齢の実際、つまり時計を10時ジャストにするという考えもあった。 様様な推理が思い浮かぶマニフィカに、トレーシが声をかけた。 「アンナさんは『デッサンの狂いのない絵を選ぶのならば、絵を壁から剥がして裏から透かして見るのが最もいい』と言ってましたね。でも一枚一枚、それをやるのは大変だから、鏡に映して見るのが現実的だ、と」 トレーシが自分の手荷物から手鏡を出す。館に来る途中で化粧を直すのにも使っていた品だ。 クラインは手鏡を受け取り、それを使って周囲の水彩画を調べ始めた。 鏡像反転させれば、立体を上手に再現していないデッサン狂いの絵が解るはずだ。 クラインはただ一枚あるはずの子供の描いた絵を探した。だが思惑が外れた。鏡に写して解ったのは、どの絵もデッサンが狂っている事だ。身体の輪郭や眼鼻の位置がずれてアンバランスに崩れて映る。 子供の描いた絵らしきものばかりだ。 「あのう」トレーシが慎重に慎重を重ねて難しい顔になっている二人に声をかけた。「子供の描いた絵ではなく、大人が描いた絵を探すんだ、とアンナさんは言っていましたが」 そうか。大人の中の子供ではなく、子供の中の大人の絵を探すのだ。 マニフィカも自分の持っている手鏡で、クラインの探査を助ける事にした。 それを前提にすると沢山の絵から探し出すのは時間がかかったが、一時間ほど経つと二人はどうやらそれらしい絵を特定出来た。 他のと同じく稚拙に見える絵だが、鏡に写しても絵のバランスが崩れない。これは確かなデッサン力を身につけた、子供のふりをした大人の絵だ。 大人の描いた絵はそれ一枚しかない。 その絵では一番背の高い人物がまっすぐ上に伸ばした両手が左三本、右四本の指を立てている。 これだ。3+4=7。 長針の位置は7だ、と確信をもって断言する事が出来た。 眠りから醒めたリュリュミア達と合流し、エリザベスの寝室で起こった事が伝えられたのは丁度、正午の事だった。。 ★★★ 水彩画の部屋から出ずに正午の食事を持ちこみの食糧で摂ると、皆はすっかり暖炉の上の大時計に挑む準備は完了した。 執事『アダム・ボーマン』は姿を現さなかった。 彼に疑問をぶつけたい、もしくはそれ以上の積極的アプローチをぶつけたい者はいたが、少し捜しても見つからず、皆は大時計のある広間へ向かった。 三階分の吹き抜けになった一階。 周囲を彩る女神像。 内側から板が打ちつけられてふさがれた窓。 天井から下がっているシャンデリア。 暖炉のマントルピースの上にある大時計。 仕掛けとなっている短針と二つの小窓は答が求められている。 残りは長針の位置だけだ。 皆が見守る。 ジュディは大時計の長針を手で動かした。 カチカチと音がして長針の向きが変わる。『7』だ。 短針の『10』。 左の小窓の『3』。 右の小窓の『双魚宮』。 これで全てのキーがそろったはず。 ジュディは時計の下部にある大きく固いネジを回し始めた。怪力の彼女でも巻き上げるのに二分かかった。 ネジがゆっくり戻り始める。戻るのには十分かかるはずだ。それと同時に大時計の中から機械的な騒音が軋りを立て始めた。今までにはなかった事象だった。 その音はこの暖炉の裏側の壁全体へと広がっていく。 皆は絨毯のひかれた床も震え始めているのに気がついた。 幾つもの歯車が噛み合い、大きな仕掛けが動き始めた。 皆が固唾を飲んで見守る。 「やっと正解なさいましたね」 仕掛けが動き出して五分ほどすぎた頃、その冷静な声が聞こえた事が皆を振り向かせた。 その声の主はやはり執事アダムだった。しゃっきりとした身の丈を黒い執事服に身を包んだ老執事だ。 固くドアの閉まった玄関を背後にした彼は皆を見つめつつ、こうべを垂れた。 「これで地下室への通路が開きます」 「これはどーゆー事なの!」 未来の質問に執事は口の端を曲げて笑った。 「我らの信仰する女神の御慈悲があなた達を待っているのですよ。あなた達は無事に試験に受かりました。トレーシ嬢、あなたには私の主、エリザベス様の財産を継承していただきます。ご主人様の魂の新たな器となるのです。……フィーナ、あなたの背負った業(ごう)からあなたを自由にして差し上げます。生贄は多い方がいい。皆、女神の慈悲の下に今度は幸せな転生をするのです」 その言葉を聞きながらクラインは、これを予言していたという『冒険者ギルド』のジプシー女の言葉を思い出していた。 『あんたには悪い星が近づいている。あんたをその館で待つ未来は……』彼女はトレーシにそう忠告していたという。『あんたは謎を解かなければならない! 正体を暴き、心の弱みを突くんだ! でなければ、あんたとフィーナは、皆は……彼に殺される!』 女占い師が言っていた『彼』とはアダムの事ではないのか。 では『心の弱み』とは何だ。 彼女はアダムこそが黒幕だという前提にたって今まで推理していた。 それが外れているというのか。 「ボーマン!」アンナは執事の姓を叫んだ。「悪霊となった可哀相な子供達、館の主人達も皆、被害者かもしれません。この異常な館で、普通に生活出来る人間などいるはずがありません。館や仕掛けを管理し、犠牲者達を集めていた真の黒幕……ボーマン、それはあなた以外ありえません!」 その時、館の全ての空気が子供の声として大きく震えた。 その凄まじく大勢の子供の声は、今回はただの笑い声ではなかった。 歌っているのだ。 幼年の少年少女の一斉の歌声が明るくこの風景の背景音楽として響き渡った。 ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・ディア・フィーナ♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ 何十人という明るく無邪気な歌声が大きくこの館全体を震わせる。それが繰り返される。 決して不吉な歌ではない。しかし、フィーナは眼を固く閉じて両手で耳をふさいだ。 この緊迫の情景に不似合いな、自分の誕生日を讃える歌がひどく不条理な恐怖を直観させるのだ。 ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・ディア・フィーナ♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ 幸福の歌はこの場所では凶兆だった。 「やはりエリザベスは死んでるの?」響き渡る愛唱の中、未来はアダム執事に指を突きつけた。「エリザベスの代わりに話していたのはあの少女人形なの。少女人形の名前と目的は?」 「エリザベス様はまだ生きています」執事は躊躇なく答えた。「話していたのはエリザベス様本人です。ただし、エリザベス様の代わりの大人形を介してですがね。……少女人形には名はありません。些細な用を叶える時のくぐつでしかありません」 「一応お尋ねしますが、これらの悪霊達はあなたの仕業なのかしら」 バースデーソングの時雨の中で、クラインはアダムに問うた。 「私が作り、エリザベス様が支配しているのですよ」執事は右手を頭上に持ち上げながら答えた。「悪霊とは酷い言い方でございますね。彼ら『エンジェル』を生み出す方法をご主人様もに教えたのは私ですがね」 クラインは抜いたフォースブラスターの照準に執事を捉えた。 クラインは自分の考えをアダムに披露した。 「エリザベスとアダムは身体が老化する度に、新しい別の身体に乗り移って存在を継続しているのではないですか」 「エリザベス様はそうするおつもりの様ですね。尤も今回が初めてとなりますが」 「恐らく新しい身体の条件は血縁関係にありませんか」 「やはり最も血の濃き者が安心でしょうね」 「あなたの信じる女神の言う『弱者は善人によって救済』とは、弱者である老人は善人の身体で救済されるという事ですか」 「それは違います」 『心の弱み』とは老化の事か、とクラインは考え、オーガスタが血縁であるアダムの身体に乗り移っているとも考えていた。 だが、それは違うのか。 「エリザベスはトレーシの容貌とそっくりなのではないですの。屋敷の結界は霊ののりうつりを補助しており、そのエネルギーとして子供達の霊が必要なのではないでしょうか」 「なかなか豊かな発想力ですが、決定的に違う事があります。私とエリザベス様は同一人物ではありません。真のエリザベス様はこの地下室であなた達を待ち受けています」 壁に埋まった大時計が壁ごと、上方へとせり上がり始めた。それにつれて暖炉のマントルピースもずれ、大広間の壁が割れて、地下へ降りる階段を露出した。 広い地下室への入口があった。 機械音が完全に止まった。 『弱者は善人によって救済される』というのが地下通廊の天井に飾られたプレートだった。そのプレートを讃える様に無数の女神の彫刻が皆を地下へと誘(いざな)っている。 「私達の女神は『転生』を死の基本にしています。死んだ人間は前世で犯した善行悪行によって転生後の人生が決まり、現在、様様な不幸な境遇で苦しんでいる者達は、前世に犯した悪行による自業自得であり、その苦行に耐え抜けば死んで次にまともな転生が出来るのです」 アダムの言葉にフィーナが怯える。 頭上に掲げた執事の手が光り輝き、次の瞬間には彼は奇妙な形の武器を握りしめていた。 ファイブブレード・カタール。 カタールという武器がある。通常の握りとは違い、拳を前に突き出したのと水平になったナイフの柄を握るのだ。拳の先にナイフの刃がある。ボクシングスタイルで刃を突きだすのだ。 そのカタールの刃が三方に分かれた物にスリーブレード・カタールがある。 そして、このファイブブレード・カタールというのは、拳に握り閉められた柄から五芒星状に鋭い短剣の刃が五本伸びている。珍しい武器だが、デザインは如何にも魔的な雰囲気をまとわりつかせている。 クラインはフォースブラスターを発射する。 しかし、その光線は素早く振られた執事のファイブブレード・カタールによって弾き返された。 「この館に満ち溢れたエンジェル達の結界の中では、私とエリザベス様は無敵です」執事は不敵に笑った。皆に対して近づいていく。 強い敵だ。今やアダム執事が自分の実力を隠す事はなかった。 冒険者達はフィーナとトレーシをかばう様に後退った。この場で後退るとは地下通廊を通り、地下室へと足を踏み入れる事だった。 「何コレ!」 未来は思わず叫んだ。 死臭あふれる地下室は館の全体ほど広い一室だった。 熱のない永遠の光が点るシャンデリアが天井に並んでいる。 そして、その広大な広間にはあちこちに死体の山が築かれていた。それは全て幼い子供達の死骸だった。 皆、ひどく損壊しているが何故か腐敗していない。 幾つかは性的暴行を受けた痕跡もある。 それだけではない。広間には所狭しと様様な種類の拷問器具が並べられていた。 溺れさせる、はりつけ用の水車。 殺さない傷を負わせる、鋼棘の並んだ鋼鉄の処女。 上方の縁が刃となった三角木馬。 閉じ込めて、外から火であぶる中空の鉄の牛。 座る事も立つ事も出来ない、中途半端な姿勢を強いられる狭い針金の檻。 その他、見た事も知識にもないが明らかに拷問用の責め具と解る、邪悪な器具達。 幾つかには腐敗していない子供の死骸がいまだに取り残されていた。 これら拷問具群の真に怖ろしいのは全てが子供用のサイズに統一されているところだった。 「悪趣味ですわね。さすがに不愉快ですわ……」クラインが苦苦しげに呟く。 この地下室は子供を拷問死させる専用室なのだ。 そして広間の一番奥の壁には、最も美しい女神像が描かれたステンドグラスがはめ込まれていた。 「エリザベス様は私の助言に応じて、私達の女神の信仰に眼醒め、その財産でもうすぐ十歳の不幸な境遇の子供達を手元に集めました。十歳からは大人になると考え、その誕生日の内に彼らを拷問死させ続けたのです」 執事も皆を追って、この広間に足を踏み入れた。 「長く生きる人生は苦痛を長引かせるだけです。前世の悪行に苦しんでいる子達に、更につらい所業を与えて早死にさせる事が自分の為せる最高の善行だと考えたのです。エリザベス様は地下に拷問室のある館を建て、子供達に拷問を与えて殺しました。それは彼らの前世の清算なのです。子供達に性的暴行を加える事もありましたが、それは子供達の為です。エリザベス様は沢山の子供を殺しました。そして、その死体をこの広大な拷問場に積み上げ、魂を私の技でエンジェルとして使役させました。この館は私に支配された死した子供達によって強固な結界となりました。これは一見、子供達の転生を妨害している様に見えますが、エリザベス様はいつか死ぬ時、苦行を終えた子供達と一緒に偉人として生まれ変わるのです。エリザベス様は長く生きて、より大勢の不幸な子供達を拷問死させれば、子供達は過去を完全に清算出来て、いつか皆でより立派な転生が出来るのです。これは救済なのです」 ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・ディア・フィーナ♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ 地下室いっぱいに耳を聾する如く、明るく無邪気な歌が響く。 この地下室自体が歌っている。 ジュディの足にしがみつくフィーナは顔面蒼白で恐怖に歯を鳴らしていた。 トレーシも年齢に似合わないほど、子供の様に怯えていた。 「エリザベスは何処!?」 マニフィカが自分の無敵に自信の笑みを浮かべる執事アダムに問いただした瞬間、リュリュミアは掌からブルーローズのツルを攻撃意図をもってアダムに放った。 その途端、風が入り込む方法がないこの地下室で嵐の様な激しい猛風が吹いた。 いや、その風は気流などではない。 エネルギーそのものが風の流れの如く、皆に叩きつけられたのだ。 その『エネルギー風』によって、リュリュミアのツルは大きく軌道を反らされた。 皆が風に薙ぎ倒され、ジュディでさえも床に這いつくばった。 身体が石床で滑り、エネルギー風の勢いでそれぞれ死体の山や拷問器具に叩きつけられた。胃の腑の空気を吐くほどの痛烈なダメージ。激痛を背骨が走った。 フィーナとトレーシがそれぞれ死体の山に激突し、崩れた子供の死体の中に埋もれた。気絶しただろうか、動かなくなる。 「おや。これはいけませんな」ファイブブレード・カタールを拳に握ったままのアダムがゆっくり近づいてくる。彼にはエネルギー風は避けて通るのだ。「二人の身体を傷めては。トレーシ嬢はエリザベス様の魂の新しい器になるのだし、その子供はたっぷりの拷問の果てに死んでもらわなくてはなりません」 その無情な言葉に皆の戦闘意欲が奮い立った。 ジュディはアダムに向かって大股で走り出し、クラインは再びフォースブラスターを構え、アンナは伸長したモップを構えてローラーブレードを滑走させ、未来の手から念動力の衝撃が放たれ、リュリュミアはブルーローズのツルを突撃させ、マニフィカは神気召喚術『狛犬召喚』の気合を入れる。 だが猛然たるエネルギー風。 冒険者達はまるでコバエの群が人間の手の一振りで打ちのめされる如く、不可視の力でアダムに届く前に一斉に弾き飛ばされた。それはまさしくエネルギーの壁だった。 床や拷問器具、子供達の死体の山に激突する。 ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・ディア・フィーナ♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ 響き渡るハッピーソングの中、アダムがかろうじて身を起こす冒険者達に悠然と近づいてくる。カタールの白刃は切れ味鋭そうに輝いている。 マニフィカは思った。狛犬を召喚する為にはこの館の結界を無力化しなくてはならない。 だが、どうやって。 それにしてもエリザベスは何処なのだ。 アダムの言う事を信じるなら、この悪霊達の結界を支配するエリザベスがこの地下室の何処かにいるはずだけれども。 何か見逃している要因があるはずでは。 その時、マニフィカの隣で身を起こしたジュディは、チャックの残したダイイングメッセージの事を思い出していた。 もし、あれが『男性』を表すとすればチャックが掴んだエリザベスの秘密とは。 占い師は『彼』に殺される、と言っていたという。 「……もしかして、エリザベスとオーガスタ・モンローはセイム・パーソン、同一人物の男性ナノ?」 途端、エネルギー風がまた唐突にジュディだけを襲った。 ジュディは石床に激突するが、今のエネルギー風が何か勝手が違った事を皆は悟った。 まるで自分が言われた事を慌てて拒絶した様な。 それまでのものと比べてみれば風の勢いは幾らか弱まっていた。 「……トゥルース……図星を……突いタ?」 そのジュディの呟きと共に、皆の後方となる奥の壁のステンドグラスで氷が割れる様な音がした。 見ると色ガラスをはめこんで作ってある女神像に亀裂が走っていた。 小さな亀裂だ。 しかし確かな亀裂だ。 ジプシー女が言っていたという言葉が思い出される。 『あんたは謎を解かなければならない! 正体を暴き、心の弱みを突くんだ!』 心の弱み。 そういう事か。 この地下室でなお隠れる者がいるとすれば、そこは。 マニフィカはトライデントをそのステンドガラスへと投げつけた。 その途端、エネルギー風が吹き、トライデントは弾き返された。 クラインがフォースブラスターを撃つ。 しかし、それさえもエネルギー風が吹いて射線を反らされた。実弾でないものさえ、エネルギー風の前にはステンドグラスに届かないのだ。 と、すれば、あのステンドグラスの奥に隠れている者を討つ方法は。 エネルギー風が吹いた。 皆は転がされ、固い石床に激突する。 あそこにいる者がこの館の全てを支配しているのだ。 隠れている、という事は正体は晒したくないはず。 今まで一度も直に自分達の前に姿を現した事はない。 「相手の秘密を暴くのですね」 「的確な悪口を言えばぁ、それは相手へのダメージになるのねぇ」 アンナとリュリュミアはセンシティブな存在である敵の弱点に気づいた。 近づくアダムの足が速まった。 声に出さずとも「余計な事に気づいたな」と冷静なはずの表情が告げていた。 ファイブブレード・カタール。 「相手はサイコパワーに依存みだからメンタルのダメージに弱りみなのね」 未来はただバーカ、バーカと言いたかったが、いやもっと的確なものがあるはずだ、と心を引き締めた。 自分達にとどめをさす為にアダムが近づいてくる。 それに猛烈なエネルギー風にあと数回も転がされれば、自分達は再起不能にされてしまうだだろう。 ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデー・ディア・フィーナ♪ ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪ 骨が軋む。 自分達は生きて帰らなければいけない。 生きてトレーシとフィーナを無事に連れ帰らなければならない。 最後の対決の時が来た。 ★★★ |