★★★
高度五千メートル。
オトギイズム王国とは違う世界の、ありふれた大洋の雲一つない青い空。
白いポツンとした点が、蒼いキャンバスに飛び散った白い油絵の具のはねの様にそこにあった。
遠景だから白い点だが、近づけばそれは四発のエンジンを持ったレシプロの灰色の大型輸送機だと解る。貨物倉が更に大型化されたそれはジェトエンジンの様に火をあげず、比較的静かな音で高空を飛んでいる。
エンジン音。
巡航速度。
カウボーイハットのパイロットは自動操縦の舵に足を投げ出し、シートに浅く座って、ずっとくつろいでいた。
三人の乗務員の手を煩わせない、ラジオの曲だけの平和な時間が過ぎていく。
快晴の空は水平線の地球の丸みに沿ってでしか雲の白身を確認出来ない。
そろそろだ。
パイロットは大きなサングラスを鼻から持ち上げた。
天候レーダーには快晴の空に大きな飛行物体を捉えている。
十二時の方向。目視でも青銀色に光る大型の飛行物体の反射が見つかった。
「あれが噂の『スカイホエール』ですかい」
三人の内、これがスカイホエールへの初飛行となる若い白人が初めて見る珍しい物を見つめながら、パイロットを押しのける様に風防ガラスに顔を近づけた。ゲップにビールの匂いがする。
「ああ、そうだ。全長三千m、最大直径五百mの上半分にびっしり太陽電池を貼りつけた、高価なヘリウム満載の空飛ぶクジラだよ」
機長がそう答え、超弩級の青銀の硬式飛行船の後ろ姿が視界の中で大きくなっていく。
近づいていくほどにそのスカイホエールの常識外れの巨大さがあからさまになっていく。
ビーコンに誘導されながら、やがて視界一杯が白色で満たされるほど至近に近づく。。
「こちら『麗しのサブリナ』。今週の定期物資を輸送してきた。定時だ。さっさとスカートをめくって、入り口を開けてくれ」チーフ・パイロットが無線で連絡を入れる。
「こちら、スカイホエール」日本人による日本語の応答。「確認した。後部、小ハッチを開ける。レーザー誘導に従って、アプローチしてくれ」
超巨大硬式飛行船スカイホエールは流線型をした空を飛ぶ巨大なクジラだ。
上部前方にレーダー装備の艦橋が付属し、下部にも着地システムとレーダー設備が貼り出している。
上部表面にはエネルギー変換効率四十五%のアモルファスシリコンの太陽電池が青い鱗の如く無数に貼り巡らされている。その表皮の下には八百室もの気室がヘリウムを満載して、この巨体を浮遊させていた。
そして、この飛行船本体の中にあるのは……。
鋭く尖った後端の一部が顎を開ける様に開き始めた。
小ハッチという名だが、このサイズの輸送機が進入していくには十分なサイズだ。
クッタ条件を満たして揚力を発生させている後部が小ハッチを開けた事で乱流を生み、自由渦を乱してしまう。尤もこの程度の乱流なら、表面各部に備えつけられている小スタビライザー列が可動して整流してしまう。
輸送機は自動操縦を、赤色レーザーを機首受光器に受ける直接誘導に切り替えた。
ギアを出し、アプローチ。
無事に麗しのサブリナは硬式飛行船の本体後部にぱっくり開いたエアポートに進入する。慣れた作業だ。機体のWフックに制御ワイヤーをひっかけ、空母着陸の如く短い滑走距離で滑走路に停止する。
小ハッチが閉められながら、整備員以下各作業員が輸送機にわらわらと集まってくる。輸送機はエンジンを止める。この格納庫には他にも様様なレシプロ機やヘリコプターが収納され、整備や出待ちをしていた。その一角に大型トラクター・カーで牽引されていく。
「積み荷は?」
「いつもの通り。食料、資材、武器弾薬や消耗品や嗜好品。ご禁制の品はないと思うぜ。後は男が十二人に、女が七人」
「転入生か。また地上からの問題児が送られてきたか」
機を降りたチーフ・パイロットがタブレットPCにデータ入力をしている作業員に答える。彼は学生服を着ていた。
「やれやれ、また人は増えていくばかりか」
学生服を着た作業員は溜息とも苦笑ともつかない息を吐くと、タブレットへリーダーパイロットの顔認証を要求した。サングラスを外し、顔認証完了。これでインターネットを通じ、今回の賃金が輸送会社の口座に振り込まれる。
格納庫の一角に駐機された輸送機の搬入口から荷と一緒に、十二人の少年と、七人の少女が降りてくる。
着ている制服はバラバラの学校から来た事を示している。きちんと整ったのから極端に着崩されたのまであったが、皆、高校生の雰囲気だ。
タブレットを片手に、作業員は自然な笑顔で彼らを迎えた。
「ようこそ! 私立『羅李朋学園』へ!」
★★★
私立『羅李朋学園(らりほうがくえん)』。
今年、創立から三十周年を迎えた羅李朋学園は、世界一の大金持ちである日本在住の華僑『羅李朋(ら・りほう)』が創立した、総生徒数五万人超の巨大学園都市、高等学校である。
学園は主に太平洋公海を周遊する(たまに世界各地に赴く事もある)全長三千m、最大直径五百mの超弩級巨大硬式飛行船『スカイホエール』の内部にあり、校舎、グラウンド、図書館、プール付き体育館兼多目的ホール、食堂、理系部活棟、文系部活棟、体育会系部活棟、男子寮、女子寮、夫婦寮、放送局、商店街、繁華街、病院、墓地等を全てメガサイズで備えた一大学園都市である。幾つかの施設はそのまま飛行船内部を支持、補強する為に天井まで張った構造体でもある。まるで学園という名のテーマパークだ。
基本的に内部はエアコンで全容が気候快適であるが、空を投影した天井部には降雨機構、降雪機構も備わっており、時刻により、朝景、青空、夕景、月光を備えた夜空にまで全光景が変化する。
そのエネルギーはスカイホエール上部表面に無数に並べられたアモルファスシリコンの太陽発電パネルによる電力によってまかなわれ、全てが電化された準完全リサイクルの無公害電化都市である。学園内は縦横無尽に市電の線路がひかれ、一般道路は電気自動車、電気バイク、電動アシスト自転車、セグエーイが走行する(燃料車は規制により走れない)。
この学園にいる者達は好き好んでこの学園に自主入学してきた四分の一の生徒以外は、何かしらかの理由で普通の高校にいられなくなった問題児、わけありの者である。五万超の彼らはこの学園で勉学に部活にバイトに恋愛に、と高校生活という青春を謳歌している。この学園を卒業した者はほとんどがこの学園の教師や用務員、事務等、もしくはスカイホエールのスタッフに就職するが、卒業する者は数少なく、大勢があまりにも居心地のよいこの学園での高校生活を続行する為に留年し続ける。最年長生徒は五十歳近いという。また卒業して地上へ帰った者はほぼ皆無と伝えられている。
その居心地のよさを保証するものが、裕福な資金源である華僑からもたらされるベーシック・インカムであり、潤沢な活動費を分配され、生徒のあらゆる個性に対応した多種多様な部活動である。野球部、水泳部からカバディ部、スポーツチャンバラ部。化学部、数学部から手話研、アルコール研(未成年お断り)。書道部、アニ漫研から任侠ヤクザ研、性と愛の科学研等。古今東西、マイナー、メジャー、何でもあり。正式な部活動と認められていない同好会、地下組織を含めれば、それらは五百にも及ぶだろう。学園内の各問題がそれらエキスパート集団による彼彼女らの活動によって解決する事も珍しくない。
政治、学園イントラネット等、学園の全ての社会システムを司る中枢は、生徒会と超コンピュータ『学天即』によって管理されている。学天即は羅李朋アシモフ・コードを組み込んだ独自DOSで動作する、日日、学園に住む人間に奉仕する並列スーパーコンピュータ複合体である。学天即は日日、学園イントラネットや学園各部の防犯システム、交通システム、インフラシステム、スカイホエールの航行システムとリンクし、これを制御管理している。
学天即に仕込まれた羅李朋アシモフコードとは以下の様なものである。
「第一条
学天即は羅李朋学園生徒に危害を加えてはならない。また、その危険を看過する事によって、生徒に危害を及ぼしてはならない。
第二条
学天即は生徒に奉仕しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
学天即は、前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない」
時折、学天即は日日収集した公式情報や生徒からの意見、陳情を拾い上げ、生徒会と共に、学園に関わる重要案件を立案する。この可否決は全校生徒によって投票される。最近だと「スカイホエール表面の太陽電池をもっと効率のいい狂的科学研の超アモルファスシリコンに貼り替える為、費用創出に向こう二年のベーシックインカムを八十%に減らす事」(否決)、「アイドル研、アニ漫研、コンピュータ研に武装権限を与える事」(これは大方の予想に反して可決された)が主なものだ。
私立羅李朋学園は超弩級硬式飛行船に五万人の生徒を抱え、今日も大洋の空を悠然と飛んでいるのである。
★★★
「馬鹿な! こんな計算結果であるはずがない!!」
白衣に身を包んだ、痩せぎすの四十代の男子生徒が汚れたメガネレンズを拭こうともしないまま、PCのディスプレイを睨みながら立ち上がった。
ここは理系部活棟でも隅っこの地下に位置する、コンピュータ研の別室。集団生活が苦手な彼は何日もここにこもって、ゴミだらけの部屋でPCに向かい合っていた。齧りかけの乾いたサンドイッチが皿ごと吸い殻だらけの灰皿と共に床に落ちる。
「何度、計算しても同じ結果だ!? そんなまさか、計算結果に実態が合わない!? こんな初歩的な事が……」
いや、初歩的すぎて誰も計算しようとはしなかったのだろう、と一年生『鷺洲数雄(さぎす かずお)』と考え直した。
とにかく、これを公表したらどんな騒動になるやら。
ええい、どうする。これを公表して自分に何の得があるか。それともこのデータと引き換えに生徒会から大金を要求した方がいいのではないか。
とにかく実情はどうなっているのか……?
その時、安普請のドアが大きく殴られる様に叩かれた。
「鷺洲数雄! ここにいるのは解っている! 開けろ! 電子計算機不法使用及び禁煙違反で逮捕する!」
学園警察だ。来るものが来た、と数雄は直感した。
解っていてやっている不当逮捕だ。
禁煙は任意だ。「人間は進化して火を手にし、火を捨てて電気を掴む事で更に進化しようとしている」とは誰の言葉だったか。数雄は確かにスモーカー(火を使う者)で電子タバコ全盛の学園の中では肩身が狭いかもしれないが、火を使ったタバコを吸ったからといって即、犯罪にはならない。
計算機不法使用も何も、彼は私物のPCでただ公式データと予想を元にした計算をしただけにすぎない。クラッキングでもしなければ自分がここにいて、これを計算していた事は誰にも解らないはずだ。
そうか、と数雄は思いついた。この学園の全てのコンピュータにはバックドアが仕込まれているのだ。恐らくは学園警察の陰謀で。
この時、数雄はコンピュータに頼らないで同志と意思を通じ合えるという『グスキキ』の『アル・ハサン』のスタンド能力が初めてうらやましく思えた。
ともかく彼らが振りかざしているのは眉唾な罪状だ。
「開けるぞ! 公務を強制執行する!」
錠のかけられていたドアが先頭の警官のタックルで開かれたと同時に破壊された。
ワンルームしかない数雄の別室の中には誰もいなかった。
ただ部屋の一角のゴミが掻き出されていて、痩せた男一人がかろうじて入れる穴が床に黒く開いていた。PCは点けたままだ。
「畜生、逃げられたか!」
スタンガンを構えながらどやどやと部屋に入ってきた学園生徒による学生警察の捜査官が、PCをいじくってデータを調べると共に、外付けのデータ保存機器を押収する。どうせプログラム自体には犯罪性はない。何を計算していたのかが問題なのだ。
床の穴を調べる。恐らく穴は学園地下の下水網に直結しているだろう。あそこは無法者が寝泊まりしているダンジョンだ。敵対されたら厄介だ。狂的科学研から逃げ出した人造怪獣やら、資産家の学生が手放した、育ちすぎた凶暴なペットが多数徘徊しているという情報もある。
とにかくもうここには鷺洲数雄はいない。
下水網に逃げたなら捜索も危険だ。
放っておけばやがてくたばる。そう思いながら捜査官は今、表示されているPCのデータをソリッドデバイスに保存し、電源を抜いて、本体を押収した。
★★★
現在、スカイホエールは深夜の嵐による雷雲の中を影として飛んでいる。
しかし、内部の羅李朋学園は揺れてはない。天井に投影された星空も穏やかなものだ。
それとは別の喧騒が多目的ホールを揺るがしていた。
「オっクっちゃぁ〜んっ!!」
真っ暗になった観客席で、何万ものサイリウムの光が彼女のノリのいい歌にノッて踊っている。
観客席中央に貼り出した中央ステージに立てられた大きなガラス柱に投影され、立体映像の様になっている学園制服姿のバーチャル美少女。
スモークを乱舞するレーザービームや爆発音を立てて噴き上がる火炎等の舞台効果に負けじと、彼女の歌う声がホール各部に効果的に配置された大型スピーカーから立体的に響き渡る。
広いホールの空気が歌声と歓声の大音響で揺れる。
バーチャルアイドルAI『亜里音オク(ありね・おく)の』合成音声による歌は自然発声の如き淀みない発音ではなく、何処かに機械らしい不自然さがある。だがそれがいいのだ。それが個性だ。。
キレッキレッで踊りながら長いツインテールを振り乱して美声で歌う彼女は『アイドル研』が企画し『アニ漫研』がデザインし『コンピュータ研』が製作した現在、学園ナンバーワン・アイドルだ。数多いる人間のアイドル達も彼女の人気には到底及ばない。オンリーワンでナンバーワンだった。
オクはデビュー以来、ダウンロード・ナンバーワン、音楽映像ディスクレンタル&セル・ナンバーワン、ストリーミング再生・ナンバーワン、海賊版・ナンバーワン、パロディ二次創作・ナンバーワンの快進撃を続けている。
今夜のステージも観客動員数ナンバーワンの新記録が既に達成されていた。
普段のオクはAIとしてコンピュータ研、アイドル研、アニ漫研合同所有の大容量サーバー内でネットから様様な情報を拾って、新しい歌を黙黙と作詞作曲しながら日日、自分をアップデートしている。それを作品発表として爆発させるのだ。
その音楽は一般層になじみやすいほどキャッチーでポップで、マニアを唸らせるほど斬新で深かった。
そして、オクは唯一、自我と意思を持つ事に成功したAIだった。
アイドルでいる事は彼女自身にも楽しいのだろう。
深夜の学園都市で、天井が開放された多目的ホールが放射する眩光が夜景を色のついた光と影に染め分ける。
サビを長く引っ張った曲が終わり、歌も音楽も断ち切られた静寂が一瞬訪れた後、いっそうの歓声と拍手が爆発的に沸き起こった。
「みんなー! ありがとー!」
両手を振ると同時に全く息が上がっていない幼げな声でオクは観客席に呼びかけた。
歓声が更に沸く。
「みんなー! 今夜はねー、オクから衝撃的爆弾的発表があるんだー!」
沸く歓声。しかし、その発言に戸惑いと期待の成分がわずかにある。
「みんなー! オクは」ちょっと言葉を溜める。「今度の『生徒会長選挙』に立候補する事にしましたー!!」
歓声とどよめきが混ざった大きな声が観客席全体から沸き上がった。
確かに現職の生徒会長の任期がもうすぐ終わって、次の生徒会長選挙が始まろうとしている。
しかし、AIアイドルの立候補。
これは五万人の学園生徒全員が予想していなかった事だった。
占い部も聖書研究会の誰もすら予言出来ていなかっただろう。
だがこのコンサートを観ている者達が等しく抱く危惧があった。
生徒会長選挙は現在、羅李朋学園生徒である事が唯一の立候補条件だ。
果たして、AI・亜里音オクは学園生徒だといえるのだろうか。
「みんなー! オクはこれから転入生として編入される為に転入試験を受けまーす! 必ず合格しまーす!」自信に満ちた澄んだ声がスピーカーから発せられる。「羅李朋学園に編入したら、清き一票をお願いねー! AIに人権はありまーす!」
観客席が最高潮の絶叫たる歓声に満ちた。
オクを応援する声があちこちで湧きあがった。
だが、今まで美声を発していたスピーカーから突然、若い男の声が発せられた。
「アイドルに人権などない! 人の似姿は全て破壊されるべき!!」
突然、観客席の二階席一部が火炎を上げて爆発した。
それに続き、観客席のあちこちで小規模な、だが確実な爆発が連続する。
観客席は悲鳴と驚きの叫びに包まれた。
「グスキキだ!」
「グスキキのテロだ!」
あちこちでその名を呼ぶ叫びが繰り返された。
やがて自動小銃の射撃音が観客席の様様な場所で聞こえてきた。
血と硝煙。
それまで客席に潜伏していた白い覆面姿の者達が自動小銃を連射して始めた無差別テロに、観客席はパニックになった。
自動小銃の射撃は中央ステージの亜里音オクに対しても行われた。
ガラス柱が砕け、オクの投影映像がひびと共に消える。勿論、コンピュータ・プログラムが本体であるオクが傷ついたわけではない。だが、このコンサート会場のアイコンは退場を余儀なくされた。
警備についていたが不意を突かれた形の学園警察がここに来て、ようやく応戦を始めた。まさかコンサート会場内から火の手が上がるとは思っていなかったのだ。
しかも電波妨害されて、警察官同士の連携に難があった。
スタッフとしてコンサート会場にいたコンピュータ研、アイドル研、アニ漫研の内、銃器で武装していた者達も応戦に加わる。
逃げ惑う観客達を巻き込んで、銃撃戦が始まる。
突撃報道班が銃火の下を駆け巡りながら実況取材をする。
コンサート会場は悲鳴と銃声の坩堝だった。
グスキキ、『偶像崇拝禁止教団(ぐうぞうすうはいきんしきょうだん)』。
現状で最も力があり、危険とされている狂信的地下組織。
ある者は一般生徒として普段を暮らし、ある者は下水網に潜伏していて、突然、組織的にテロ破壊活動を開始する。彼彼女らはこの世界にある全ての人の似姿、彫像、人物画、写真、人形、アニメや漫画やゲームののキャラクター、テレビや映画自体、神や仏の像や絵、アイドル、フィギュア、ゆるキャラ等、一切の人型アイコンを文明から排除する事を目的とした狂信者なのだ。
拝するのは唯一の神のみ。その名も呼ばず、一切の偶像も許さない。人とは神の似姿。人を写すのは神を写すのと同じ事。一切の似姿を破壊、破棄すべし。その為なら手段は選ばず。そういう集団なのだ。
そんな彼らにとって亜里音オクは破壊すべき偶像・ナンバーワンだった。
夜の銃撃戦は組織だった攻勢を行うグスキキに確実な優がある様だった。
★★★
「こっちだ! アル・ハサンだ!」
コンサート会場であるホールの地下通路で、ある人物が思いがけず学園警察に追いつめられていた。
アル・ハサンはグスキキのリーダーである。
直接、この会場に乗り込んでいてテロに参加していた浅黒い肌の若い青年は、地下通路で複数の警察官に追いつめられつつあった。
「……しまった。『テレパシー・ネットワーク』に集中しすぎたか」
一人ごちる彼は分厚い隔離ハッチに行き当たった。開ける事は出来るが時間がかかる。
すぐに学園警察が追いついてきた。
「動くな! 動けば射殺する!」
警察は近づきながら、隔離ハッチを開けようとしているハサンの背に銃弾を連射した。
「『バビロン・ズー』!!」
名を叫びながらハサンは自分のスタンドを発動させた。スタンドとは彼が生と死の淵をさまよった経験から獲得した、超能力のエネルギーが具体的ビジョン化したものである。人間大の金属の球体に一対の大翼を生やした様なデザインのそれは翼を前にして身を守り、自分めがけて発射された弾丸を全て弾き返した。
弾き返された弾丸を受けて、先頭の警察官が倒れた。
「ウララララララララララララ!!」
叫びと共に近接攻撃型スタンド、バビロン・ズーはメタリックな翼をまるで拳の連撃の如く、他の警察官に叩きこんだ。
その場の警察官全員は自分が何に殴られたのかも解らないまま、スタンド使いにしか見えない不可視の翼撃を受けて背後へ吹き飛び、壁に叩きつけられて命を失った。
とりあえずの安全を得たハサンは、落ち着いてバビロン・ズーの特殊能力であるテレパシー・ネットワークを使った。
(今回はもう十分だ。全員、連携をとってフラッシュ・グレネードと煙幕を使い、退却しろ)
その彼の思考はバビロン・ズーを触媒としたテレパシーとなり、グスキキの同志全員に伝わったはずだ。グスキキ全員が彼と同じくこの様なテレパシーのネットワークを作っている。それがバビロン・ズーの能力だ。こうして彼は距離にも地形にも電子妨害にも邪魔されない完璧な連携をとって、敵の思いがけない時にテロを行い、組織を攻める時に攻めさせ、退く時に退かせて、連勝を得てきたのだ。
アル・ハサンは隔離ハッチをようやく開き、そこから多目的ホールを脱出した。
ハッチの向こうにあるものは解っていた。
下水網の侵入口だ。
凶悪犯罪者として『強制退学』を受けた男、アル・ハサンは再び闇に身を躍らせた。
★★★
テロリスト達の退却完了という形で終息した、今夜のグスキキのテロは今までで最悪の結果だった。
グスキキはあらためて地下へ潜入、或いは一般生徒に溶けこんだ。
観客の一般生徒、警察官、コンピュータ研、アイドル研、アニ漫研に大量の死傷者を出し、対して捕まったグスキキのテロリストはいなかった。数人が退却不可能の負傷をしたのだが、捕縛される前に自爆したのだ。更にリーダーを一度は追いつめながらも逃走された事が、襲撃された側に血涙と悔恨の情を育んだ。
放送局はこのニュースを哀悼の意を込めながら各生徒に伝え、決してテロには屈しないという現生徒会長の意志も伝えたが、まだグスキキのテロは続くだろうという一般生徒の厭世観を拭う事は出来なかった。
ニュースは最後に、亜里音オクが生徒会長選挙に立候補するという意を示した事を放送した。
今夜のテロで五万人の生徒から百二十四人が間引かれ、広大な墓地にまた墓碑が増えた。
★★★
繁華街。甘味処『餡汎満』。
「ねえねえ、聞いた? オクが編入試験を受けたって話」
「カンニング防止にスタンドアローンに隔離したクローン・プログラムにテスト受けさせたらしいけど、満点だったんだって」
「クローンのオクちゃんはあんまり愛想なかったって聞いたけど」
「これでAIオクもあたし達と同じに授業を受けられるのね。体育の授業はどうするのかしら」
「さすがにオール見学じゃない。女の子だし」
「これでオッキーが新生徒会長になったら、あたし達の上にAIが君臨するのね」
「もう既に学天即がいるんだし、私達の生活はあんまり変わらないんじゃないかな」
「エー、でもただのコンピュータと自我を持ったAIは違いマスヨ。きっと、もっとミー達の為になる政治をしてくれマスヨ」
「グスキキがこれに対して怒ってたりするんじゃないかなぁ。コンピュータ研、アイドル研、アニ漫研の武装許可案ってグスキキ対策でしょぉ。あたし、一票入れちゃったぁ」
「私もアル・ハサンの強制退学に一票入れたわよ」
「言ってみれば、ただの不法滞在者よね」
「オクがグスキキを殲滅させてくれるといーんだけどね……ジャムおじさーん、エベレストパフェ追加ねー、糖質ギガマシマシで」
★★★
最悪のテロの夜から二週間後。
グスキキが新たなる活動を起こした。
「邪悪なる偶像、亜里音オクの学園生徒編入を取り消せ。さもないとスカイホエールは取り戻せない大きな傷を負う事になるだろう」
学園各所のスピーカーからアル・ハサンの声が響き渡った。
オクが学園に転入生として無事編入され、即座に生徒会長選挙へと出馬したのが学園中に知れ渡った日の夕刻である。
グスキキからの犯行予告声明が学園各地から一斉に様様なスピーカーを通して、学園生徒に伝えられた。PCのスピーカーから。学園の教室のスピーカーから。公園に立てられた広報スピーカーから。自動車のスピーカーから。スマホのスピーカーから。
学園警察やコンピュータ研がこの発言の発信元を特定しようとしたが、データ送信は幾つもの家庭用PCやスマホの回線を経由しながら刻刻と回線を乗り換え続け、遂には地下下水網に敷設された施設へ行きついた後に追跡不可能になってしまうのだ。
操舵手の背後にいて、スカイホエール艦長『大徳寺轟一(だいとくじ・ごういち)』は、艦橋のスピーカーでハサンの演説と脅迫の声を聴いていた。
スカイホエールの全指揮を任せられた轟一である。五十歳をもうすぐ迎える彼は厚い胸板の前で手をこまねいていた。
「どう思う、学天即」
轟一は艦橋内とリンクしている羅李朋学園の管制コンピュータの音声認識システムに問いかけた。
「グスキキは直接武力に訴えてくる組織である事は間違いありません。脅威度は最高です」学天即は平坦な合成音声で彼に答えた。艦橋内の全員がその声を聴く。「私は学園生徒を保護する義務があります。しかし亜里音オクも現在は学園生徒です。私自身は保護の優先度を決定出来ません。優先度を決めるのは総学園生徒の投票に従います。もしくはスカイホエールに関する全権を任された貴方の決定に従うか」
自我のあるAIではない冷徹な論理システムの回答に、轟一は水兵服を模した制服の制帽をとり、片手で髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
自分が選択するしかないのだ。しかしテロに屈する事は出来ない。
それとも学園生徒となった自我のあるAIを切り捨てるか。
つらい選択だった。
長いのだか短いのだか体感のよく解らない時間が過ぎた時、アル・ハサンの通達が聴こえた。
「諸君らには我らが本気である事を解ってもらう必要がありそうだ。これより第一の爆破を行う」
突然、大きな爆発音が聴こえた。後方からだ。船外だ。
「何だッ!?」
「第五百二十八気室が爆発しました!」
艦橋のメインディスプレイがその付近にある船外監視用カメラの映像に切り替わる。
スカイホエールの船殻の一部が大きな炎を上げて爆発していた。
上部後方だ。
剥がれた太陽発電パネルの無数の破片がキラキラ夕陽を反射しながら、気流に乗って爆炎と共に後方へ流れていく。
それを見た瞬間、不燃性のヘリウムの爆発にしては燃えすぎではないのかと思ったが、轟一はすぐ気持ちを切り替えた。相手はためらわず爆弾を爆破してきた。奴らなら本気でこのスカイホエールごと心中する覚悟があるかもしれない。
最初の爆弾が吹き飛ばしたのは八百ある気室の内の一つだ。一つや二つ、爆破されたからといって、即座にスカイホエールが落ちる事はない。しかも各気室は連鎖爆発などしない様な頑丈な隔壁に守られている構造だ。ましてや封入しているのはヘリウム。ヒンデンブルグ号の様な大火災が起きるはずはない。
しかし爆弾が何処にどれだけ仕掛けられているか、予想が出来ない。
そこまで考えた時、艦橋に昇ってきたエレベータのドアが開いた。
「アル・ハサンの使っているのは爆弾ではない。魔術による落雷じゃ」
そう言いながら乗り込んできたのはまるで老人の様にか細い男を中心にした、学生服の上に灰色のローブを羽織った一団だった。
轟一は畏怖に似た、それでいて頼もしさをその男達に抱いた。
中心の男は羅李朋学園・魔術研究会会長『ギリアム・加藤(ぎりあむ・かとう)』。強力な魔導師だと轟一も噂には聞いている。歩く姿さえ何かのまじないの様だ。
「グスキキには魔術師がいる様じゃな。落雷を使ってスカイホエールの各気室を狙い撃ちするつもりじゃ」
「しかし、スカイホエールには避雷システムがあります」
この硬式飛行船には雷撃を機体表面を経由させて、下部構造からレーザーでイオン化させた空気を伝わらせて空中放電する避雷システムが存在している。静電気や落雷に対しては完璧の防護のはずだった。
「奴の魔術師は純粋な自然現象を捻じ曲げるほどの強力な力を持っている様じゃな。今度、その術を使えば、威力を奴の魔術師に返してやる事が出来るかもしれん。場所を借りるぞ」
ギリアムは言って、艦橋中央に陣取り、連れてきた会員達を周囲に配置して全員で一定の呼吸リズムで言葉を詠唱しながら、身体の各位置に次次と手を触れていく厳かな作業を始めた。精神集中をしながらも酩酊した様子でもある。
魔術については疎い轟一もこれは何らかの儀式魔術を始めたのだという事は解った。
艦橋の船員達が遠巻きに見守る。
ギリアムは精霊を召喚して身に宿らせ、重大な魔術の準備に入っているのだ。
「次の実力行使を行う」
ハサンの声がして一秒ほど後に新たなる爆発音が起こった。
今度は先程よりもずっと後方だ。
「第八百番気室、爆発!」
艦橋に報告の声が響き、メインディスプレイの映像はスカイホエールの最後尾の爆発光景に切り替わった。
最後尾の気室を狙ってくるとは。
「ギリアム!」
轟一は叫びながら汗をかいている魔導師を振り返った。
「全てを返すには間に合わなかった」老人の様な学生の無念そうな言葉。「しかし威力の何分の一かは術者に返した。グスキキの魔術師は今頃、黒焦げになっているだろう」確信を得ているギリアムの声。そして自分達の魔術が人を殺したという事について哀しそうな顔をした。
その時、艦橋は右に傾いた。
「最後尾気室の爆発衝撃により、右水平尾翼が大きく破損しました!」焦燥の報告が轟一の耳に届く。「フラップ脱落! 船体が揚力を失い、右ロールしながら高度を落としています!」
スカイホエール自体が右に傾斜しながら墜落を始めたのだ。
現在、スカイホエールは高高度を飛んでいない。
上昇し始めていたが、先ほどまで水を補給する為に海面すれすれを飛んでいた。
今はせいぜい高度八百mほどだ。
下は太平洋の海面。
スカイホエールの質量がこのスピードでハードランディングすれば、硬式飛行船は大破してしまうだろう。そして五万人の生徒ごと沈没だ。
「全力で逆推進! エアブレーキ!」
轟一はスカイホエールの両舷に並ぶレシプロ推進器の逆回転と非常用のエアブレーキ展開を命令した。
スカイホエールは総電力のほとんどをつぎ込んで速度を落とし始めた。
「左水平尾翼、仰角一杯! 垂直尾翼も動かして船体を立て直せ!」
「コントロールが戻りません!」
艦橋要員から悲痛な報告が届く。
「非常事態! 非常事態!」学天即がスカイホエール全体に緊急アナウンスを流し始めた。それは艦橋にも響く。「総員、何かに身体を固定して衝撃に備えて下さい!」
轟一はこのアナウンスにグスキキ自身も冷静さを失って、怯えているだろう、とせめて夢想した。
スピーカーにアル・ハサンの声はなかった。
夕凪の海面が迫る。角度をつけて船首から激突しようとしているのだ。
「風の力で衝撃を受け止める」ギリアムが声を張り上げた。「魔術で船体を防護する。最悪の事態は避けられるはずだ」
周囲の魔術研部員と共に詠唱が再び始まる。儀式魔術は傾斜した艦橋ではまるで何かの冗談の様に厳かに行われていた。
今度は間に合うのか。轟一は冷や汗と共に思った。
と、突然、全員の身を震わす不気味な唸りがスカイホエール全体を包んだ。
耳を聾するほどの大きな唸りだ。
これは魔術の成果なのかと轟一はギリアムを見たが、彼も意外そうな顔で驚いていた。
「共鳴している!」ギリアムは大きな声で呟いた。「そうか! ヘリウムと一緒にあるアレと魔術が影響を及ぼし合っているのか!? 想定外の効果が!?」
轟一には理解不能な呟きだった。
艦橋の風防ガラスから外部の突然の輝きが射し込んできた。
メインディスプレイが分割画面となり、船殻のあちこちに仕掛けられている船外カメラの画像を一斉に映し始めた。小画面は次次と切り替わるが、船体の何処もが輝いている。
スカイホエール全体が夕陽に負けない光で輝きだしていた。正確には気室を抱えた船体が、だ。上部に張り出した艦橋とレーダー、下部に張り出した着地システムとレーダー、推進器や尾翼は光っていなかった。爆発の傷のある第五百十八番気室と第八百番気室もだ。
「高度ゼロ。海面と衝突します」
学天即は冷静に報告する。
★★★
唸りと光を挙げるスカイホエールは太平洋公海の海面に衝突した。
衝撃は全くなかった。
スカイホエールの船首はまるで鏡の中に吸い込まれる様に、波も立てず、海の表へと吸い込まれていった。
海面に一切の変化はない。
ただ夕陽に照らされたスカイホエールの黒く長い影と一緒に、その三千mの船体はまるで透過する様に海へと呑み込まれていった。海面が何処かへ通じる扉であり、スカイホエールが未知の部屋へと引きずり込まれる様に。
長い船体は船速のまま、唸りと共にどんどん海面に呑み込まれていった。
やがて傷ついた船尾までもが輝きながら夕刻の海の表に溶けていき、遂には完全にスカイホエールは海へと消えた。
唸りは消えた。
沈没したのではない事はオレンジ色の海面の穏やかさを見れば、明らかだった。
スカイホエールは、羅李朋学園の五万人の生徒は、この世界から完全に消失した。
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