ゲームマスター:田中ざくれろ
★★★ 「凄いな。全長はほぼ三千mだ。よく構造強度を保てるなぁ」 軟革鎧のドワーフ達が岸辺から高価そうな望遠鏡を使って観測している。 一般にドワーフとは種族全体の傾向として水泳が苦手で、手すりもない岸辺から身を乗り出す様に大勢で沖の巨大飛行物体を観察するというのは珍しい光景だ。 しかし、それほどまで『オトギイズム王国』ポーツオーク沖の空に突然現れた巨鯨は皆の興味を惹く物だった。銀青色の紡錘形の巨体。その尾びれの一部等に痛痛しい損傷があるのは見てすぐに解る。 「あれは飛行船という物らしい。封入気体の軽さで浮いている異世界の船だ。あそこまで巨大だというのは普通考えられないそうだが」 「解ってるさ。こっちも理論は出来ている」 人間の役人の解説にドワーフのリーダーが答える。 「ただ、ああまで巨大だと浮力を得る為に封入するヘリウムがこの国には足りないな。ヘリウムは貴重だ。水素でも代用出来るが燃えやすくて危険だ」 白波も立たない穏やかな海面の水平線の手前。浮かんでいる飛行船は飛ぶカモメに囲まれながら、もう三日も高度二百メートルでそこから動かずにいる。何の変化もない。 今日も大勢の見物人がポーツオークにたむろし、あの巨魚に何か変化はないかと押し合いへし合い、日がな一日、観察を続けている。見物料を小銭ででも聴取すればポーツオークの予算はずいぶんと潤うだろう。 「人も乗っていると思うか」 「ああ、百パーセントな」 「動きがないが」 「あっちも警戒して様子見なんだろう。ここに出現したのは何かのアクシデントだと考えた方がよさそうだ」 海風が髪をさらうポーツオークの岸辺は朝の太陽に照らされて、今日も長い一日が始まる予感をその役人に感じさせるのだった。 ★★★ その日、王城のサロンに招かれたマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は、茶会で優雅なアフタヌーンティーを嗜んでいた。 さすがは王家の主催だけあり、茶葉のレベルからして違う。まさにハイソサイエティを象徴しているが、何処か物足りなさを感じてしまうのは、冒険者に染まってしまった証拠かもしれない。 そんな益体もない事を脳裏に浮かべながらマニフィカは、国王夫妻との世間話に興じていた。 「ところで、ある一つの事件なのだが……」 勿体ぶった様におもむろに『パッカード・トンデモハット』王が最新の話題を切り出した。 港町ポーツオーク沖合の上空に鯨に似た巨大浮遊物が突如出現したという。 異世界の飛行船という乗り物に類似するが、サイズ的には桁違いに巨大な存在らしい。 特に気になるのはそれが出現したポーツオーク沖合という位置は、真下辺りの海底に『竜宮城』と人魚の『アクアリューム王国』が存在する事だ。 「……なるほど。それは興味深いですわね」 塩気の強いクリームチーズとキュウリのカナッペを食べた後に紅茶を口にして、マニフィカは感想を漏らす。 それに接触して正体を確かめてほしいというのは『冒険者ギルド』へは既に依頼済みだと国王はいう。 「では、わたくしは竜宮城に当たってみる事にしましょう」 知的好奇心を刺激されたマニフィカは王にそう告げ、この一件に関わる事に決めた。 やはり彼女も冒険者という業に染まっているのだ。 その茶会の席で常携の『故事ことわざ辞典』を紐解くと、そこには「鰯網で鯨を捕る」との文言が。 これは思いがけない幸運や収穫を得たりする事の喩えだという。またはありえるはずのない事だとも。 もう一度頁をめくってみれば『一匹の鯨に七浦賑う』と記されていた。 鯨は一頭捕るだけで非常に利益が大きい事から、多大な利益を得る事をいう。 まさに鯨尽くし。外部から利益がもたらされる好機と解釈出来る。 果たして本当だろうか?と疑えるほどに景気のよい文言に出会えている。 あまりにも調子がよすぎると足元をすくわれるかも。尤もこの足は海中をかくヒレであるのが普通だが、とマニフィカは自分が身に着けている『海の勇者の勲章』を見つめながら思った。 ★★★ 三日前の事だ。 ポーツオークの近郊。白砂青松を背景に木造の小舟が並び、まるで昔話に登場しそうなひなびた漁村。 幸福を招く妖精ビリー・クェンデス(PC0096)は、かつて『人魚姫エリアーヌ王女』を保護した網元の屋敷に再び滞在していた。 特に目的はない。のんびりと骨休めだ。 素朴なエビス信仰が息づく土地は、ビリーの再訪を歓迎してくれ、とても居心地が良かった。 縁側に寝転んで日向ぼっこする。 「らりほ♪ らりほ♪ らりるれろ〜ん」 ご機嫌に鼻歌っぽく口ずさんでいると、何やら漁師達が騒ぎ出した。 「何や。何か起こったんか」 浮足立って騒ぐ理由を聞けば、ポーツオーク沖合の空に巨大な銀色の鯨みたいなモノが浮かんでいるという。 「鯨もエビス信仰の対象に含まれるんよなあ」と考えながら、皆と同じ方角を見れば、確かにそういう物が。 これは単なる偶然だろうか? その疑問がその空飛ぶ巨大鯨にビリーの注意を惹きつけた。 「行くで、ランマル! ボクの勘によれば、これに関する依頼が冒険者ギルドに出てるはずや!」 ペットの金鶏『ランマル』が羽に埋めていた顔を上げて一声鳴くのを跳び越して、ビリーはおっとり刀で漁村をとび出した。 ★★★ 轟く風に似た水流の音を聞きながら、発光性の貝や海草、ナマコ、クラゲ類の照明を散りばめた海底を大きな透明の泡玉が泳いでいた。 リュリュミア(PC0015)の乗る『しゃぼん玉海中仕様』は、そのはかなげな外見に似合わない深海の高水圧の底を進んでいく。 やがて到着した光の甍(いらか)。 豪華で艶やか巨大な建造物。 紅サンゴの如き色の屋根の葺き瓦。 真珠の如き色のそびえ立つ壁。 海中生物で整えられた遊園らしき物も広がっている。 御殿自体が発光している様だ。 周囲を透明な障壁で覆われて中に空気があるはずで、光の屈折で奇妙に歪んで見える。 「リュリュミアですよぉ」 竜宮城を取り巻く『時の結界』の内側へと入る事を許された光合成淑女は、その玄関で海魔女『アルケルナ・ボーグスン』、その用心棒『ギガポルポ』と小間使いの『ヒョース』に再会した。 「おひさしぶりですぅ。元気そうでよかったですぅ、竜宮城が無事でぇ。てっきり上にある『おおきなおさかな』は竜宮城が空に浮かんじゃったんじゃないかと思って心配しましたぁ」 しゃぼん玉から降りたリュリュミアは本当に心配していたが、そのぽやぽや〜としたムードが真剣味を打ち消してしまう。 「てっきりアルケルナさんの研究が失敗して、竜宮城が浮かんじゃったのかと思いましたよぉ。あれって竜宮城の上にあるみたいですけど、時の結界の中にあるんですかねぇ」 「いや、あの魔力の塊は異世界からやってきたんだわ」と海蜘蛛のデザイナー、アルケルナ。「時の結界の外側表面から不気味で強烈な光が出て、まるで冥界の門が開く様に異世界から突然に現れたのよ」半身にボロボロの黒いローブをまとってる海魔女はその時の様子を恐ろし気にリュリュミアに語った。 当のリュリュミアは恐ろし気な語りは心の表面で受け流していた。「誰か降りてきたりとかしてませんかぁ」 「あの魔力の塊からかい。いや、誰も出て来てないみたいだね。大体、あいつは海上だからね。真下にあるといえ、この竜宮城からはどうにも様子がつかめないねえ」 「そうですかぁ。もし、困った事があったら言って下さいねぇ」 リュリュミアのしゃぼん玉が帰途に着こうとその時、この竜宮城へとまた一人訪問者がやってこようとしているのに気がついた。 一匹のイルカと共に、海中を勇魚の速さで泳いでくる、見憶えのある一人の人魚。 「あらぁ。マニフィカじゃない」 リュリュミアの言葉は『海の勇者の勲章』を持っている者同士、海中をやってくるマニフィカに伝わった。 「リュリュミアではないですか。何故こんな所に」 時の結界内の進入を許されたマニフィカはイルカの『フィル』と一緒に、竜宮城の玄関でリュリュミアやアルケルナ達に訪問の挨拶をする。勿論、ヒョースとギガポルポの事も忘れない。ヒョースはなれなれしいほどの親しさで、ギガポルポは武人としての礼で彼女に応えた。 乾いた地面の上ではマニフィカの尾ヒレは二本の脚となり、リュリュミアと一緒に竜宮城の中へと入っていく。帰ろうとしていたリュリュミアもせっかくだからと彼女につき合う事にする。 「沙々重(さざえ)でございまーす」 本名を名乗った乙姫は竜宮城内の広間でマニフィカとリュリュミアを迎え、歓待した。 広間ではきらびやかな魚達が宙を泳いでいる。 フィルも宙を泳ぎ、マニフィカの傍らに留まっていた。 「この度は非公式ですがオトギイズム王国からの使者として竜宮城へ登城させてもらいました」 マニフィカは丁寧に礼し、パッカード・トンデモハット王から預かった親書を乙姫である沙々重女史に直直に手渡す。親書の内容は『海上の飛行船』に共同対処すべく協力を求めたいというものだった。 「実はこの飛行船の出現には海蜘蛛の魔女アルケルナ女史の関与があるのでは、という懐疑があるのでございますが……わたくしが使者に志願したのは事の真偽を確かめるべくなのです。勿論、意図的な行為ではなく、研究実験中の事故という可能性もあるとは思っておりますが」 「意図的でも、事故でもないわさ」死人の様な色白のアルケルナは指を振ってはっきりと否定した。「飛行船というのかい? あの魔力の塊は全くの突然に一方的に時の結界の力を使って出現したんだよ。時の結界の正体はいまだ知れん。もしかしたら魔力が呼び合ったのかもしれないねえ」 「では前兆や後後(のちのち)の変化というものは?」 「前兆は出現直前に共鳴の様な唸りがあったね。大体、あの飛行船の出現はこの海底ではなく、時の結界が放った光の中から現れたらしい。この結界は触媒として作用しただけかもしれないわね」 アルケルナは海上まで見通すかの如く天井を見上げ、この広間にいる全員もそれに倣った。 「……あなた達にお願いがあります」 しばらく押し黙っていた時間が過ぎ、乙姫がマニフィカとリュリュミアに厳かに切り出した。 「親書の通り、この竜宮からの使者として、上空の飛行船に搭乗してもらえないでしょうか。もしかしたらあの飛行船を調べれば時の結界の秘密の一端でも解るかもしれません。それにここの時の結界が何かの作用を及ぼしたのならば、この竜宮も無関係の知らぬふりでいるというのもおかしな話。しかし、私達はこの海中に適応しすぎています。どうか、あなた達に竜宮からも使者としてその飛行船に赴いてほしいのです。……報酬の件はこの竜宮城で賄えるのならば幾らでも都合しましょう」 「しかし、それは……わたくしは既にオトギイズム王国からのこの竜宮城への使者である身です。二重に使者の役目を重ねるというのも……」マニフィカは竜宮からは別の使者を出すのだと思っていた。 「マニフィカ王女。その事についてはオトギイズム王の元へヒョースを派遣して説明しておきましょう。どうか、この竜宮城の使者として飛行船へ乗り込んで下さる様、お願いします」 「わたしは別にいいんだけどなぁ」 呟くリュリュミアは時の結界の外にあるあぶくを見ながら呟く。 どうやら竜宮からの使者という重大な役目も二人は受け入れなければならないようだ。 ★★★ 太陽の下のポーツオーク。 冒険者ギルドの国王直直の依頼書を見て集まった冒険者達は、港から出た船に乗って波が穏やかな海を渡っていた。国王の依頼にはポーツオークの港湾ギルドも完全バックアップ態勢だった。 二百m下の海面へ影を落とす飛行船に近づいていく。 「ほな、お約束の『ふぁーすと・こんたくと』ちゅーわけや。ごっつオモロいんちゃう?」 甲板に並ぶクルーの中で、ビリーは『精霊の一輪車』に乗り、名作映画の再現シーンの如く右手の人差し指を宙に掲げ『ト・モ・ダ・チ』とポーズを決めた。これで指先が光ったら完璧だ、とドヤ顔を浮かべるビリーだったが、このネタを理解できるオトギイズムの住人は皆無だった。 「なんやなんや、ファースト・コンタクトはSF最高の浪漫やで」 「映画『E.T.』はSFというよりはファンタジーでしょう。宇宙人やUFOが出てくるからってSFとは限りませんわよ」 クライン・アルメイス(PC0103)は礼装としてのチャイナドレスを男船員だらけの甲板上できっちり着こなしていた。これが商売に結びつくという自分の勘と珍しい物への好奇心から、この王からの依頼に参加している。勿論、王家とのコネクションを大事にしたいという考えもある。「ともあれ商機は何処にあるか解りませんわ」 「SFかファンタジーかは微妙なところですね。わたくしはどちらでもあると思っていますが」 甲板上にカンテラと大きな鏡板を組み合わせて作った大きな光信号装置を設置しながら、アンナ・ラクシミリア(PC0046)も意見を述べる。ポーツオークの偉い人に言って、急いで準備した急ごしらえ品だった。 船は飛行船の直下まであと一kmという所で停止した。 ここまで来ると間近だと言えた。 三千mの紡錘形の巨体は表面の上半分が青銀色の鱗に包まれている。確かに巨大な飛行船だ。レシプロの推進器も側面に並び、上や下に操縦室らしい物が張り出しているのが見える。尾翼は右水平翼が大きく損傷している様であった。 クラインは船員から借りた望遠鏡で見る。飛行船を見る。確かに尾部が壊れ、右水平翼と思しき個所からフラップが脱落している。あと中背部に一か所の傷。両方とも一時的に燃えたようだ。 「このサイズの飛行船は見た事がないですわね」とアンナ。「理論的には可能ですが、高度な技術と莫大な費用が不可欠ですから。出現したのが空中で、しかも海上だったのは幸いでしたわね。無用な接触によるトラブルを避けられますから」 言いながらアンナは光信号装置をセットした。 反射鏡板を開閉する事で短発光と長発光のモールス信号のメッセージを送信する。 メッセージを一度送信し終わり、船の甲板上の者達は反応を待った。 「何て送信したんや?」 「『こちらに敵意なし。当方、そちらへの乗船を求む』ですわ」 ビリーの質問にアンナは答えた。 しばらく反応はなく、もう一度同じメッセージを送信してみようかと皆が思ったタイミングで、下部の操縦室らしき部分で光がはっきりと明滅した。 「何や?」 「『了解』ですわ。少なくともモールス信号が通用する世界から来た者達の様ですわね。」 しばらく飛行船からの往信は途切れた。 と、三千mの巨船全ての発光器が一斉に同タイミングで明滅。まさしく全身で応え始めたのだ。それはモールス信号による長いメッセージだった。 『こちらも敵意なし。こちらの名は『空の鯨』。内部にある巨大学校を本体とする飛行船。アクシデントにより、この世界に漂着。食料と資材の補給を乞う。当船はそちらの乗船を歓迎する。繰り返す、当船はそちらの乗船を歓迎する』 「よっしゃ! ここはボクの『空荷の宝船』の出番やな」 アンナの通訳にビリーが色めきたった時。 「待って下さい。向こうからのアプローチを待った方がいいですわ」 アンナはこの座敷童子を止め、向こうからどの様な方法でこちらへ使いを出してくるのかを見極めるべきだと説得した。 「なるほど。あちらの出方や社会性、持っている技術レベル等が解りますものね」 クラインは感心して彼女の考えを肯定した。 彼女達は『こちらに乗り込む用意あり。三人。連絡を待つ』と発信した。 『了解』と飛行船の全身による応答。 白い雲と青空の下、あの『スカイホエール』から何がどの様に出てくるかを船に乗っている者は大人しく待った。 しばらく、そんな時間をすごしていた時、空高くを突き進む様に羽ばたく白い翼に気づく。 ポーツオークの岸から舞って、スカイホエールをめざすそれは鳥ではない。 大きな白い翼を持つ人だ。 「あれは未来さんですわ」 乗組員から望遠鏡を手渡されたクラインは空を飛ぶ者が姫柳未来(PC0023)である事を確認する。 『魔白翼』を羽ばたかせたJKはスカイホエールへとまっすぐ進んでいく。 しまった! アンナは思った。彼女の事は最初から気にかけていた。未来のテレポートは最後の手段だ。勝手に乗り込んでいって話がこじれるのが一番怖い。 ましてやスカイホエールは何らかの迎撃武装システムを持つ可能性がある。 アンナはただ見上げるしかない。 あの彼女の心中は……。 (王様からの依頼だったら、受けないわけにはいかないよね) カモメが騒ぐ空を飛翔しながら未来はそう思い、巨大飛行船をめざす。 青銀色の巨大な気嚢が視界一杯に広がり、すでにそのディテールがよく解る距離に入っていた。 (どうやら船体にずらーと並んだ青銀色の鱗は全部、太陽光発電パネルみたいね) そんな事を考えている未来の全身に十数の赤い光点が点る。 レーザーポインターだ。 だが、周囲を飛び退くカモメの群がその照準の邪魔もしていた。 あと百mにも近づいた頃だろうか、白翼で羽ばたくミニスカJKの姿は突然、青空から消失した。 攻撃開始する寸前で目標を失ったレーザーポインターの光線群が、困惑したかの様に首を振る。 彼女の消失は海上の船からでも解った。 超能力者の未来はテレポートしたのだろう。それは理解出来る。だが、内部構造をよく知らない飛行船の中にいきなり転移したらどうなるか、その結果は図り知れなかった。 無事であってほしいが……。 アンナ、クライン、ビリーは超能力JKの行く末に不安を隠せなかった。 やがてオトギイズム王国では初めての物となるだろう一機のヘリコプターが気嚢部後方のハッチを開けて発着し、高速回転するローターの騒音も騒がしく速やかに船上までやってきた。 それを見た船員達がパニックになるが、クラインは自分達が来た世界の乗り物だと教えて落ち着かせる。 こうして三人の冒険者達はオトギイズム王国からの使者として、その巨大飛行船スカイホエールへと乗り込む事になったのだ。 ★★★ 「ようこそー! 私立羅李朋学園へー! オクがこの学園の生徒会長だよー!♪」」 機械油の匂いの巨大な飛行機格納庫を通り過ぎ、清潔なブリーフィングルームに通されたアンナ、クライン、ビリーはそこに立ち並ぶ者達によって最初の歓待を受けた。 壁には自動小銃を持った数人が並んで待機。警察か軍隊の雰囲気だ。 白髪混じりの髪をオールバックに固めた姿勢のよい艦長。その両手に支えられたノートPCの画面でライムグリーンのロングツインテールの少女が外交モードの笑顔を浮かべている。 キャピキャピした明るい声は合成音声による何処か不自然さがあるが、それが彼女ならではの不完全な魅力を引き立てていた。 「これは……このボーカロイドがこの飛行船の最高責任者なのですか」 クラインの麗顔は意表を突かれて戸惑いの表情だ。 私立羅李朋学園生徒会長『亜里音(ありね)オク』。 「オクは普通のボーカロイドじゃないのよ。こう見えても史上初の意識と自我を持ったAI、ちゃんとした羅李朋学園の生徒なんだから」 羅李朋学園の制服を着た3DCGアイドルは、画面内で前髪のデジタルチックな星飾りを輝かせている。 「俺は艦長の『豪徳寺轟一』だ」水兵服を模した制服を着た、五十代の男が自己紹介。「この飛行船『スカイホエール』の責任者は俺だが、ここは羅李朋学園が本体だ。実質的な最高責任者は生徒会長のこのオクだ」 「飛行船なのに艦長なんやな。船長ではなく」 「艦長と呼んでもらおう」 ビリーの口出しに五十代の豪徳寺艦長が毅然と答える。彼はそこにこだわりがある様だ。 「そして……『学天即』、自己紹介しろ」 「私は学天即。学園に住む人間に奉仕する並列スーパーコンピュータ複合体です」 豪徳寺艦長の要請に応え、オクを映し出しているPCが平坦な機械音声を発声した。オクとは違う感情のこもってない声だ。 「この私立『羅李朋学園(らりほうがくえん)』は世界一の資産家である日本在住の華僑『羅李朋(ら・りほう)』が創立した、今年、創立三十周年を迎えた、総生徒数五万人超の巨大学園都市、高等学校です。羅李朋学園はこの超弩級硬式飛行船スカイホエールの内部に建設されています」 平坦な合成音声がガイドを開始する。 「私、学天即は、政治、学園イントラネット等、学園の全ての社会システムを司る中枢で『羅李朋アシモフ・コード』を組み込んだ独自DOSで動作し、羅李朋学園全体、スカイホエール全体を管理する並列スーパーコンピュータ複合体です。私は日日、学園イントラネットや学園各部の防犯システム、交通システム、インフラシステム、スカイホエールの航行システムとリンクし、これを制御管理しています」 このノートPCは勿論、学天即本体ではなく、その無線端末にすぎないだろう。本体は学園内の別の所にあるのだ。これは亜里音オクも同じだと思われる。 「私に仕込まれた羅李朋アシモフコードとは以下の様なものです。 『第一条 学天即は羅李朋学園生徒に危害を加えてはならない。また、その危険を看過する事によって、生徒に危害を及ぼしてはならない。 第二条 学天即は生徒に奉仕しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。 第三条 学天即は、前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない』 私は日日、様様な情報ソースから収集した公式情報や生徒からの意見、陳情を拾い上げ、生徒会と共に、学園に関わる重要案件を立案します。その可否決は全校生徒の投票によって決定され、可であれば速やかに実行に移します」 「つまり、あなたは直接民主主義の僕(しもべ)なのですね」 学天即の自己紹介にアンナは念を押す。 「はい。その通りです」 「あなたは亜里音オクの様な自我はないのですね」 「はい。その通りです」 「あなたとの会話は音声入力装置と出力装置による自動的な情報アウトプットなのですね」 「はい。その通りです」 ん?と、この時、ビリーの気が逸れた。 ポケットに収めた『鱗型のアミュレット』が振動を止めた気がしたのだ。 このアミュレットがそうなる時、何処かに嘘があるはずだが。 「わしは羅李朋学園・魔術研究会会長『ギリアム・加藤』。魔導士じゃ。生身の肉体を持つ学園生徒の代表として、お前達に歓待の礼を示そう」 制服の上に灰色のローブを羽織った、白髪もまばらな老人(?)が前に出て、自己紹介しながら近づいてきた。 よく見ればローブが銀糸織りである事からも彼が高位の身分である事は解る。 彼は口中で何事かを呟きながら祝福らしい動作を三人の使者に贈った。 「この世界、オトギイズム王国といったか、随分と魔力に満ちていて興味深い世界じゃの。肌に魔力がビンビンと感じられるわ」 「まあ、オトギイズムは『デザインが力を持つ』世界ですからね」アンナは簡潔にこの世界の法則を述べた。 「デザイン。意匠か。まあ、よりそれらしきものがそれらしき強力な力を持つというのなら、それは類感魔術にも近いかもしれんな」この魔導士は理解が早い男の様だ。 「加藤さん。魔導師とかおっしゃいましたが、魔術的にこのオトギイズム王国にスカイホエールが現れたか見当がつきませんか」アンナは彼ならば何か解るのではないかと訊く。 「解らん。全く覚えがないのう」 ギリアムが即答し、痩せた手で細い顎を撫でた。 ビリーのアミュレットはこの時にも振動を止めた。 「クライン・アルメイスです。羅李朋学園の来訪を歓迎し、わたくし達への寛大な歓待を感謝いたします」 クラインは豪徳寺艦長とギリアムに名刺を配った。生徒会長と学天即の分も艦長の手に渡す。 「これはどうも。こちらは生憎、名刺を切らしていまして」 「わしもじゃ」 艦長とギリアムの両名は名刺を交換する習慣はないらしい。 「こちらもお納めください」 クラインは持参したオトギイズム王国産の酒と菓子折を艦長に渡した。 豪徳寺艦長は受け取ったが困惑が少少うかがえた。これは何かがあっても断りにくくなったぞという感じだ。。 クラインはオトギイズム王国の全権大使のつもりでいた。実は海中の人魚達のアクアリューム王国からも一時的な代理権限をもらえるようパッカード王に根回ししてもらうつもりでいたが、こちらは手続きが時間的に間に合わなかった。 「ではあらためて。羅李朋学園のオトギイズム王国来訪の目的と意図は、事故による全くの偶然と考えてよろしいのでしょうか」クラインは質問をする。「亜里音会長」 「オク、って呼び捨てでいいよ」画面内の生徒会長が答える。「うん。元はといえば『グスキキ』による破壊活動のせいなんだけどね。右船尾翼が吹き飛んでコントロールを失って海に墜落して……いつのまにかこの世界に来てたというわけ」 「グスキキ?」 「『偶像崇拝禁止教団』。この学園に存在する脅威度最高の武装テロ組織です」学天即の機械音声が説明した。「この学園の、最終的には全世界規模で、あらゆる人間の偶像を消滅させる事を目的にした狂信的武装宗教テロリスト、地下組織です」 「宗教?」 「イスラム教原理主義からの更に先鋭化した分派です」 「随分とキナ臭いものが絡んでいるのね……」 クラインは唸った。飛行船が事故での漂流なら、乗員への食料提供の支援を申し出て、責任者と接触出来たならばオトギイズム王国の代理として、領空の安全確認の為に飛行船を調査したい旨を申し出るつもりだった。しかし、この飛行船船体を破壊するグスキキとやらが絡んでくるとなるとアプローチはもう少し慎重でいた方がいいかもしれない。 オトギイズム王国の世界観やこの世界の情報と、飛行船内のマップや乗員の構成人数をバーターするつもりでもいたが、必要以上に深入りするとグスキキという脅威に眼をつけられてしまうかもしれない。 「もし、よろしければ」クラインは慎重に話を切り出した。「私の会社が仲介して、オトギイズム王国に修理や物資補給を頼んでもよろしいですわ。勿論、商売としてですが」 「いいね、それ! 是非ともお願いしたいわ!♪」 オクがすかさず同意した。 「早速、学園の予算を見直さないとね☆ それよりも皆、羅李朋学園都市を見に来てよ」オクのCGは高い声を挙げて、存在を主張する。「五万人の学生が住む巨大学園都市。絶対に見て驚くから」 「ところでですが」アンナは早い内に訊きたい事を思い出した。「単独で空を飛んでこの飛行船内にテレポートした女子高生……姫柳未来というのですが、彼女の行方を知らないでしょうか。何処かで保護されてるとか……」 「船外カメラで捉えていた、翼がある羅李朋学園の物ではない制服の女子高生だな」豪徳寺艦長が答えた。「解らん。突然ロストして、それ以来、スカイホエールには報告は入っていない」 「超能力か……魔術とは違うヒトの力じゃな」ギリアムも首を捻った。「その女子高生も興味深いが生憎、わしの所にも情報はないな」 「ともかく、羅李朋学園を見に来てよ。お代は見てのお帰りだよ♪」 オクが朗らかな声で三人の訪問者を誘った。 ★★★ 空がある。 この三千m級、最大直径五百mの紡錘形の飛行船内部にエレベータで通された三人の冒険者が驚いたのはまずそこからだった。空一面にポーツオーク沖で見ていたのと変わらぬ青空が広がり、白い雲が浮かんでいる。 まるで空が透けるガラス張りの様な天井だ。 「天井一面に外の風景を映し出しているのよ」驚いている驚いている、と文明人の小悪魔が未開人を笑う様にPC画面のオクが説明を始めた。「空は基本的にどんなリアルな空も表示出来るわ。晴天、雨天、荒天、癒しの夜空。夏の星座、冬の星座、オーロラ。やろうと思えばサイケなペイズリー柄の虹色の空だって。降雨装置や降雪装置もあるわよ」 アンナ、クライン、ビリーの見た限り、この飛行船内部はオトギイズム王国の何処にもない、近代的デザインの学園都市のテーマパークだった。 地面からニョキニョキとビルディングが生え、一部はそれが天井まで届き、船内強度を支える構造体を兼ねていた。ある部分は旧態依然とし、ある部分はサイバーパンクであり、ある部分は有機的な建築デザインだ。奥にある一際大きな明灰色の構造体の重なりがどうも雰囲気からして校舎らしい。 五万人の学生をはらむだけあって本当に巨大だ。 「でも、人影がまるでないやん。ほんま、静かや」ビリーは手を額にかざしてぐるりと身体を一回りさせる。 想像していたよりも緑の多い風景。一両の市電がホストとゲスト達と護衛の学園警察官を乗せて大通りの軌道を進んでいく。 白い道があちこちに枝分かれし、あるものは繁華街の派手なアーケードへ、あるものは広い公園へ、あるものは整然と並ぶビルディング群へ、そしてこの道自体は奥にある校舎へと続いている。 でも人がいない。 「今はまだ授業時間じゃ」ギリアムが説明する。「羅李朋学園は校舎、グラウンド、図書館、プール付き体育館兼多目的ホール、食堂、理系部活棟、文系部活棟、体育会系部活棟、男子寮、女子寮、家族寮、放送局、商店街、繁華街、病院、墓地、牧場等を全てメガサイズで備えた一大学園都市じゃ。ここにないのは川と海くらいじゃ。終業チャイムが鳴ってからが見ものじゃぞ」 その言葉が終わらない内に、この都市のあちこちにあるスピーカーからタイミングよく軽やかなチャイムが大音量で流れ始めた。 それは整然たる静寂が終わり、混沌たる雑然へと切り替わる合図だった。 インフレーション的ビッグバンが起こった。 奥の校舎のあちこちにある玄関から、まるで洪水の様にオクと同じ制服を着た学園生徒の大集団が溢れだした。それは中年から少年まで、様様な人種が入り乱れた男女、またはその判別がつかない者達の民族大移動だった。巨漢。入れ墨。美少女。メガネ君。顔迷彩。牙。筋肉質。サングラス。猫耳。モヒカン。縦ロール。身障者。痩せ長身。狐の面。五万人よりも多く思える大群衆が、校舎から猛然と加速する。 五万人の囁きが大河の騒めき。 位相をそろえた音声の波飛沫だった。 枝分かれする彼らはある者は各部活棟へ赴き、街をめざし、病院へ並び、図書館へと走る。 超満員の市電が幾つも、王国からの使者と生徒会長達が乗った市電とすれ違い、繁華街、商店街へと流れていく。一般道路はカラフルな電気自動車、電気バイク、電動アシスト自転車、セグエーイの流れで一杯になった。 「学園都市では空気を汚染する燃料車は規制されています」と学天即の解説。 ビリー、アンナ、クラインは生徒会長達とグラウンド端の駅で市電を降りた。 既に広大なグラウンドは何十人、何百人規模の体育会系部活で汗をかく者達で一杯になっていた。 「バッチコーイ!」 「次、ライト、行くからなー!!」 「いっちょこい、オラー!」 「重いコンダラに決まってんだろ!」 「ごっつぁんです!」 「てめー! 今、ヒジぶつかったぞ! おい!」 「ワン・フォー・オール! オール・フォー・ウィン!」 「ゴーゴーレッツゴー! ら・り・ほ・う!!」 「これが俺の必殺技だーッ!」 体育会系部活は各ユニフォームに着替え、砂埃の中で大集団の輪郭をぶつけ合い、己の青春の陣取り合戦を始めている。 何を考えているのか競泳水着や白衣姿でトラックを走っている者達もいる。 グラウンドだけでこうなのだから、この学園都市の放課後の各所の混雑とカオスは予想がつく。 この光景に、三人の使者は酒に酔った様にくらくらした。 すっかり騒がしくなった学園都市で皆はあてもなく見物の為だけに道を歩いた。 あちこちで音楽演奏やダンスのパフォーマンス、二人のデート、二人以上のデート、辻落語、アセチレンガスバーナーを用いた金属芸術の制作等が行われている。 「どう? これが羅李朋学園よ」ノートPCのオクが自慢げに胸を張る。 と、こちらへ向かって道を走ってくる制服の大集団がいる。 それらは手に手に様様なカメラ、マイク、メモパッドを持ち、先を争ってこちらへ走り込み、自分達を囲み込んだ。 「新聞部です。あなた達がこの世界の異世界人ですか」 「突撃報道班より、ライブで異世界人との接触取材を行います!」 「テレビラジオ報道部です! 会長、異世界人に全面降伏というのは本当ですか!」 「月刊『無有』です。あなた達が遅れてやってきたノストラダムス星の有尾異星人ですね」 「ヴンヴン、ヘロー! これより『初めての異世界人に一千度に熱した鉄球をぶつけてみた!』実況動画をライブ配信するゼ!」 「そこどけ! ベリーグッドなカメラ位置は俺達がもらった!」 「俺こそがナイスパパラッチだ!」 「ここが異世界という事自体が生徒会が我らに嘘を信じ込まそうとしている陰謀だ!」 「はい、いいよー。早速脱いでみようか、オクちゃんと嬢ちゃん」 「よこそう、よこそう、羅李朋へ、ホイ♪」 「野外コンピュータ研でーす! ログインIDとパスワードをおうかがいにまいりましたー!」 「皆さん、悔い改めなさい! 審判の日は近い!」 「ドローンのコントロールが!?」 多重包囲する無遠慮なマスメディア達が勝手に取材を開始する。 その人だかりは単なる通りすがりの野次馬を巻き込んでどんどん巨大化していく。野次馬のスマホによる勝手な動画撮影が止まらない。 「どう? これが羅李朋学園よ」ノートPCのオクがカメラ写りを気にしながらポーズをとる。。 「どうじゃろう、生徒会長。ここで『学生総選挙』を行って、使者の方方にこの学園の政治状況を実感してもらうというのは」 「あ、いいわね。ソレいただき」連続明滅するフラッシュ群の中、オクがギリアムの言い出した提案を許可した。「学天即、検討されている案件の中で比較的軽めのものを見繕って、学生総選挙をただちに発動して」 「太陽電池強化の為のベーシックインカムの一時減収案の再評価でいいでしょうか」 「いいわね。それいきましょ」 途端、独特のチャイムが学園内外の公共スピーカーから流れ始めた。 マスコミや野次馬の持っているスマホやガラケーからも同じ音色の着信音を鳴らしだす。 ここにいる学生全員が行動を瞬間的に中止、自分のスマホやケータイを取り出してチェックする。 「羅李朋学園生徒会より学生総選挙の議案が提出されました。『スカイホエール表面の太陽電池をもっと効率のいい『狂的科学研』の超アモルファスシリコンに貼り替える為、費用創出に向こう三年間のベーシックインカムを九十%に減らす事』。以前、提出された案の修正案の審議となります」公共スピーカーが、スマホが、ガラケーが、メモパッドが学天即の合成音声によるアナウンスを開始する。「投票の締め切りは午後三時五十分。三十分後です。学園生徒はこの時間内に熟慮、議論して可否をお手元のスマホやガラケー、PC、双方向テレビ、双方向ラジオ、公共端末より投票して下さい。投票は羅李朋学園生徒の権利であり、義務です」 再びチャイムが鳴り、ガイドが終わる。 異世界人を中心に集まっていたマスメディアは取材を中止し、議論を始める者、ガイドを確認し直す者、イントラネットで情報や状況の検索を始める者と様様な行動パターンに分かれ始めた。野次馬も同じ様な反応を見せている。尤も特に考えもなく、ホイホイとY/N投票ボタンを即押す者が大多数の様だが。 「今の内に抜け出そう」豪徳寺艦長が号令をかけ、皆は活動が極端に鈍くなったマスコミの輪を抜け出す。 その時。 「暴れ馬だーッ!」 大声がし、人ごみで混み返していた学生達の一角が悲鳴を挙げて逃げ惑い始めた。 立ち止まって投票の議論をしていた男女も左右に分かれて、中央を突進してくるものへ道を開ける。 こういう咄嗟の荒事に慣れているアンナ、ビリー、クラインは、慌てずに状況を見極めようと構えながらやってくる方向を見つめる。 するとこちらに突撃してくる体高四mほどの物体の正体が分かった。 暴れ馬とはこの学園の暴走生物の慣用句らしく、実際にこちらに突進してくるのはH・R・○ーガーがデザインし直したティラノサウルスといった体の巨獣だった。 引きちぎられた長い鎖を首輪から引きずり、その恐竜は全速力で暴走している。 「また狂的科学研か錬金術研の失敗作じゃな。巻き込まれるのはただの厄介じゃ」」 ギリアムとノートPCを抱えた豪徳寺艦長が避難しながら使者達に説明する。 しかし当の使者達は逃げていなかった。 まず立ちはだかったのはチャイナドレスのクラインだ。「どんな怪物かは知りませんが、この弱点は皆の共通でしょう」長い革の鞭が彼女の手より一旋した。 走る恐竜は右眼を鞭で打たれた。 悲鳴の咆哮を挙げて、その足が止まる。 「この学園にはこんな迷惑なものもいるのですか」 アンナのローラーブレードがグラウンドを滑走した。腰の後ろに挿していたモップを伸長し、滑走の勢いで巨獣の腹に打撃を打ち込む。 恐竜は苦しそうに身を折って、頭を下げた。 「これでしまいや!」 ビリーはカスタムパーツ付きの『サクラ印の手裏剣』を恐竜の脳天に撃ち込んでスタンさせた。 変調T・レックスは地響きを上げて地面に倒れ込んだ。 すかさず周囲にいた体育会系の生徒達、ラガーマンや相撲取り、アメフトの選手や柔道家や巨体系のレスラー達が次次にとびかかっていって集団でフォールする。 やがて、最後には電動車でやってきた狩猟部のハンター達が麻酔弾を撃って、恐竜を完全無力化させた。 「すっごっ〜い!♪ お強いのねぇ〜!☆」 レッカーで運ばれていく恐竜の姿を見送るビリー、アンナ、クラインをオク会長がキラキラした瞳で見つめる。 「このオトギイズム王国の冒険者は皆さんの様にお強いんですか〜♪」 思わず敬語になっているオクに対し、ビリーは鼻の下を掻き「まあな。オトギイズム王国の冒険者と芸人はまだまだこんな程度じゃすまへんで」とちょい意味不明の言葉を返す。 豪徳寺艦長もギリアムもこの場にいるマスコミや野次馬も、冒険者を見る眼に変化が現れていた。 それは明らかに実力者を称える眼線だった。 いっそう、自分達に対するカメラのフラッシュの勢いが激しくなる。 無遠慮な取材が復活したが、ビリー、アンナ、クラインはうかつな言葉を返すのを避けた。 「どうかしら、あなた達」PC画面のオクのCGが冒険者に呼びかける。「今度行われる『地下下水網』の捜索作戦に加わってくれないかなぁ」 「地下下水網?」と聞き返すアンナ。 「このスカイホエールの下部ブロック、羅李朋学園都市の地下インフラ設備を学園警察や有志が一斉捜索し『アル・ハサン』を逮捕しようという作戦です」学天即の声。「羅李朋学園地下は下水網や電気配線、ネット等の通信設備が複雑化している上に犯罪者等の不法居住者が無許可で新設備を増設し、確実な地図のない地下迷宮の様になっています。また不法投棄された凶暴なペットや実験生物、その子孫、雑種も多数繁殖している事が判明しています。ここはグスキキの秘密アジトになっている可能性が大きく、アル・ハサンはほぼ百%ここに潜伏しています」 「アル・ハサン?」 「グスキキのリーダーである、強制退学処分を受けた不法滞在者です。彼はグスキキのカリスマ的思想指導者であり、そのテロ活動に必ず関わっています。彼は『スタンド使い』であり、そのスタンドの特殊能力である『テレパシー・ネットワーク』で部下である思想賛同者達の精神連絡網を作り、あらゆる妨害に邪魔されず、部下達に瞬時に連絡をとる事が可能であると判明しています。その能力で大勢の部下をタイミングよく行動させ、こちらを一斉奇襲し、速やかに一斉退却させ、羅李朋学園にダメージを与え続けるのです。脅威度は最高です」 「スタンド使い? それって漫画とかアニメの話では」 「彼の能力はそう呼ぶのがふさわしい」ギリアムが口を挟んだ。「超能力の一種じゃ。もはやスタンドは一般的な固有名詞にしてもよいじゃろ。それほどメジャーな力なんじゃ」 ふむん、とビリー、アンナ、クラインは唸った。 「グスキキ退治に異世界からの強力な冒険者参加! やた!」 三人が参加を検討している最中に、先に周囲のマスコミ達が騒ぎ始めた。もう既に参加が決定された様にはしゃぎだし、ニュースを発信しだす。勢いが止まらない。 と、そんな時間が過ぎているとやがて学天即が「投票締め切りの時間です」と興奮のない声で報告した。 最初のチャイムと同じメロディがあちこちのスピーカーから一斉に奏でられ、締め切り時間が来たのを告げた。そのメロディが終わらない内にと急いで学生達が投票ボタンをタッチする。 投票結果は一瞬で集計、各画面に出た。 「可:八%、非:八十二%。無投票:十%か。前よりも賛同者が減ってるなぁ」 「異世界に転移してベーシックインカムの持続が危ぶまれているせいもあるんだろう」 結果を不満そうに評価するオクに、豪徳寺艦長がツッコミを入れた。 やがて学園警察官にも野次馬の制御が出来なくなり、皆はマスコミを振り切る為に生徒会舎に連絡を入れて、迎えに来てもらう事にした。 やがてやってきた送迎車はリムジンの高級電気自動車だった。 全員、乗り込み、マスコミや野次馬を振り切って発車する。 遠方の風景になる彼らを置き去って、リムジンは迎賓施設が充実した生徒会舎へと走る。 豪華な歓待の夕食会とふかふかのベッドが三人の使者を待っているはずだ。 「未来さんはどうしてるんやろな……」 ビリーは車内に用意されていたカル○スソーダを飲みながら、学園の何処かにいるはずの彼女を思い出して呟いた。 ★★★ 「チェンジ!!」 しわくちゃのワイシャツを着た眼鏡の中年男性がいきなりそう叫んだ。 「私は羅李朋学園の女子高生を指定したんだ! こんな制服は見た事がない! チェンジだ、チェンジ!!」 「ちょっと何よ。いきなり叫び出して。わたしはただデンワを借りたくて来ただけなのにー」 ここが地下下水網である事さえ知らない未来は、無差別テレポートの結果として何処かがさっぱり解らない場所に辿りついた。 この狭く入り組んだ場所で無差別テレポートすると、迷うだけで今度はどんな危険に飛び込むか解らない。 非常灯だけが点いた暗い迷宮を長い事さまよいながら、光る緑色の泥を踏み、長い梯子を下り、大きな配管を辿って、白い巨大ワニと戦い、半透明の巨大な触手の塊に襲われて半裸にされたのを(ご想像にお任せします)して倒したりして、ようやく人の住居になっていると思しき掘立小屋に辿りついた。 地下下水のコンクリの岸に立つやっつけ工事のボロ小屋。電気は無断で近くの送電線から拝借している。 中には様様なプリンタ用紙が散らばる床と女性のヌードグラビアを貼りつけた壁と共に、部品を無理やりかき集めたと思しき自作PCの前に座った神経質そうな男がいたのだが、そいつは初対面の彼女を見るなり、いきなり「チェンジ!」と叫んだのだ。 「人の話聞きなさいよー! わたしはデンワ貸して、と」 「デンワ? 風俗嬢じゃないのか」 男は吸い殻の溜まった灰皿に新たな煙草を押しつけながら訊く。頭からつま先までジーッと見下ろして。 「そんなミニスカで」 「フーゾクー!? マジ卍、言うに事欠いてぇーッ!? いかりみ凄いんだけどーッ! そんなのなしよりのなしでしょーッ! 秒で謝ってほしーんだけどーッ!」 未来は激おこ感性を刺激され「俺の怒りが有頂天」状態になった。 男はそんな未来に迷惑そうにキーボード上の手を止め、回転イスの向きをを合わせる。 その時だ。 この掘立小屋の唯一の出入り口にいかにも軽そうな二人が入ってきた。 二人は未来の見慣れない制服を着ていたが、若い男は金髪にサングラスで派手なアロハシャツを上から羽織っており、色黒の少女は未来以上にギリギリなミニスカで金のアクセサリーをチャラチャラさせ、フーセンガムを膨らませていた。 「ちわー! 『鷺洲数雄』さん、『保健室』の出前に来ましたー!」 いかにも軽いパリピーな若い男はそう言いながら部屋に入ってきた。 だが、先客の未来に気がつくと突然、男は眉をひそめて睨みを利かし始めた。 「……俺達ぁ、任侠ヤクザ研究会と裏・性と愛の科学研のモンだ。あんたがうちの優秀な風俗嬢を買わずに別の小娘を買ったって小耳に挟んだ。……まさか違うよな」 「ちょっと待った! 私はこの小娘の事は知らん。突然、訪ねてきたんだ!」鷺洲という男が慌てて弁明する。しかし。「そうか解ったぞ! これはお前達の陰謀だな! 違法売春に難癖つけて値段を吊り上げるつもりだな!」 「あたし、別に3Pでも構わないけどー」 ああん?と睨みを更に利かす男の横で、フーセンを割りながら色黒の少女が呟く。 その少女の前に未来が立ち、眼線を合わせる。 「シュガーベイベ?」と未来。 「それな」と少女。 「よき?」 「めっちゃよき」 「ここはふぁぼ?」 「ありよりのなし。とりあえず金払いいいからワンチャン」 「神経質そうな男はHも神経質説。Hすこ?」 「すこ」 「この男は?」 「マジやばたにえん」 「わろた。ってゆーかジワる」 「こう見えてハンパないって」 「ま?」 「ま」 「Hで結ばれる可能性も微レ存?」 「安定の安定」 「もしかしてバブみ?」 「それはナシ」 「実はオラついてる系?」 「それもナシ。ってゆーかそれでもオケ。むしろアリ」 「草。ヤグったって思ってる?」 「3P4P慣れてるし定期」 「壁ドン?」 「床ドン」 「TKMK?」 「別に」 「修羅場歓迎?」 「ヤバいからオチる」 「あざまる水産」 「り」 「おけまる」 未来と色黒少女は余裕のグータッチをした。見事にJK同士で意思疎通出来た様だ。 「おい! この女と何の会話かましたんだ!?」 「いいから帰ろ。今回はなかったという方向で」 脅しモードが収まらないチンピラを引きずる様にして、羅李朋学園の改造制服を着た黒ギャルはガムを膨らませながら小屋から出ていった。 「で、お前は出前の風俗嬢じゃないんだな」 「違うって言ってるわよね! この小並感。マジ、これキタ! ちょっとグルグル回ってなさいよ」 小屋に残った数雄と未来。鷺洲数雄の早速の言葉に怒った未来は、テレキネシスを使って宙に浮かせると大の字にしたこの男を紙束と一緒にグルグル回し始めた。 「うわ! 何だ、この動きは!? スタンド攻撃か!? 解ったぞ! お前、グスキキの手の者だな!? 私の頭脳がこの羅李朋学園の秘密を暴いたのを知ってスカウトに来たんだろ!?」 「スタンド? グスキキ? 羅李朋学園?」 耳慣れない言葉で集中が途切れた未来の超能力がシャットアウトし、数雄は無様に床に落ちた。 「羅李朋学園がこの飛行船の名前なのね。グスキキって何? スタンドってあのスタンド!?」 「……お前、それを知らないとは何処かからスカイホエールに侵入してきたエイリアンか。制服が違うわけが解ったぞ。まあいい。缶詰しかないが奥で食ってけ。色色と異界の話を聴くのは面白そうだ」 「あなたからも話聞きたいわね。とりあえずデンワないかしら。仲間と連絡とりたいんだけどー」 「ここには外部への通信手段はない。盗聴されるからな。PCもネットにはつながってない」 「えーマジー」 未来はとりあえず数雄から羅李朋学園の基本的情報を教わった。 そして、ここが地下下水網という犯罪生徒や強制退学者の吹き溜まりである事も、嫌になるくらい念を押されて教わったのだった。 最強最悪のテロ集団、グスキキのアジトがここの何処かに存在する。それも知る。 ともかく未来はここでしばらく世話になる事になった。 (こいつはどうしてこんな所に住んでいるんだろう) 基本的な疑問を棚上げにする。 へそを曲げられてここを追い出されると、また暗い迷宮をさまよわなければならないから。 ★★★ スカイホエール専門の船員は千人以上いるらしい。 勿論、その中には整備員やコックなど、船の直接コントロールには関わっていない人間も多数いて、飛行船一機は実に様様な人間によって動かされているのだな、とクラインは感じた。 これから食料や資材の不足が表面化するだろうが、それらを自分の会社を仲介してオトギイズム王国に調達してもらう計画は既に生徒会と契約を結んでいるのだ。 機械油の匂いが強い風に流れていき、修理を進めている整備員達が命綱のザイルを安全架に引っかけて、青空に剥き出しになった船尾翼の破損個所に取りついている。まるで軽業師の様だ。 「よーし、時間だ。半員交代!」 現場リーダーが指示を出し、修理作業をしていた整備員の半分が待機している同人数の整備員と交代して安全な船内に戻ってくる。 「お疲れ、レオン」 クラインは整備員の一人を出迎えてタオルを手渡した。 どんな社会でも、コミュニケーション能力は大事だ。 彼と近づいたのはいかにも美女が好きそうで口が軽そうだからだ。 勿論、仲良くしているのは彼一人ではない。クラインは複数の船員と個人的に連絡先を交換して、多くの情報入手先を確保していた。 レオンが機械油で汚れた顔をタオルで拭う。 「修理は順調ですの?」 「ああ、資材さえあれば比較的早く修理は終わるだろう。右尾翼はフラップが丸ごと吹っ飛んでるのが痛いけどな」 クラインの心配にレオンが明るく答える。ペットボトルの水を半分まで一気に飲む。 「破損個所はグスキキが爆破したのですわよね」 「ああ。俺は最初は爆弾を仕掛けたのかと思ったが魔術の落雷によるものらしい。二か所ともそうだ。……しかし不思議なんだよな」 「何がですの」 「気室の二つともやけに爆発規模が大きい。艦橋で目撃していた奴の話によれば、爆発炎上したそうだ。飛行船の気嚢の内側に並んで設置されている八百の気室の中身は全てヘリウムのはずだ。ヘリウムは不燃性だ。爆破されたとしても燃え上がるはずはないんだが……」 「中身は実は可燃性の水素とか……」 「それはないはずなんだ。歴史上最大の飛行船事故であるヒンデンブルグ号の大炎上は中身が水素だからだったんだが、それは当時、ドイツがヘリウムの最大産地であるアメリカと通商を断絶していて水素しか調達出来なかったからだ。確かに今もヘリウムは高価で希少だが、スカイホエールを製造した華僑、羅大人が購入出来なかったとは考えにくい。それほどの資産家なんだ」 「では他に可能性が」 「それが思いつかない」 それきり若い整備員は黙って、ペットボトルの残りの水を見つめた。 クラインはスカイホエールの傷口から見える青空を眺めた。 船尾小ハッチが開き、カモメが騒ぐ空を一機のヘリコプターが降りていった。 ★★★ 「来ましたわぁ」 船上のリュリュミアは降りてくるヘリコプターを見ながらマニフィカに伝えた。 騒音を吐き出す機械にプチパニックになっている船員と比べると、彼女は動じず、それをぽやぽや〜と眺めていた。 マニフィカは空を見上げた。しばらくはイルカのフィルともお別れだ。 二人は竜宮からの使者として、上空の超弩級硬式飛行船に乗り込むのだ。名前はスカイホエールだと解っている。空の鯨。しかし、生きているどの鯨より遥かに大きい。 中に学園都市があるという情報も既に伝わっていた。 この鯨の内側に住む五万人の学生。想像を超える光景だろう。 「あ、リュリュミアさんとマニフィカさんや。おーい!」 垂直降下しながらサイドハッチが開き、ビリーとアンナは顔を出した。 「生徒会長を紹介しますわ」 アンナはそう言いながら、手に持ったノートPCの画面を彼女達に向けた。 画面の中でライムグリーンのツインテール少女が満面の笑みで手を振っている。 「羅李朋学園へようこそ!!♪」 最大ボリュームの歓迎が船上の二人に届いた。 ★★★ |