『チークちゃんに叱られる! ゲージュツって何だ!?』

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 蝉時雨が遠くに聞こえる窓のそば。
 今日もジュディ・バーガー(PC0032)は『冒険者ギルド』二階の酒場に陣取り、キンキンに冷えたビールジョッキを飲み干す。気泡の多いガラス製だが水滴がついた冷たいジョッキは、熱がこもっていた彼女の身体を一気飲みのビールで冷やしてくれた。その温度差がよりいっそう美味に思わせる。
「KU〜! アイ・ライブ・フォー・ディス・ジョッキ、この一杯の為に生きてるルワ」
 クエスト達成後のお約束、いわゆる自分へのご褒美はまさに至福の瞬間だ。
 テーブル上の木の盆には、濃緑の枝豆が山盛りになっている。
 ヨーロッパの様な『オトギイズム王国』の気候では地中に根粒菌がいなくて豆類が育たないのでは、と思えるが、この枝豆の濃厚な塩味はそんな心配など危惧である事を教えてくれている。まあ、色色と故郷の地球とこの世界は事情が違うのだろう。
 何杯目かのジョッキのおかわりをこちらへ歩いてきたウェイトレスに頼もうとしたジュディは、その時にふと階下が騒がしいのに気がついた。
 耳をすませば、階下の大掲示板の周囲から雑多な叫びは伝わってくる様だ。
 既にアルコールでいい気分になった彼女の巨躯は、ご機嫌な笑みを浮かべて立ち上がる。

★★★
 街角の小洒落た喫茶店で優雅にアフタヌーンティーを嗜むマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は、おもむろに『故事ことわざ辞典』をバッグから取り出した。
 愛読書をいつもの如く紐解くと、そこには書かれていたのは「枯れ木も山の賑わい」という言葉。
(……これは何を示唆しているのでしょうか?)
 天の啓示へのヒントを求め、再び頁をめくれば「蓼食う虫も好き好き」という言葉が目に入る。
 ますます意味解明から遠ざかった風に思った人魚姫は、カップの熱い茶を飲み干すととりあえず冒険者ギルドに顔を出す事にした。常日頃の彼女の日常である。
 大通りを五分も歩かない内に冒険者ギルドに着いた。
 玄関をくぐってすぐの大勢の冒険者達の群れ集う大掲示板のある受付ホールは、何かいつもと違う感じのまるで大神降臨のムードさえある騒めきに包まれていた。
「OH! マニフィカ!」
「あら、ジュディさん」
 そこでマニフィカは今、二階から階段を降りてきたばかりのジュディに会った。アルコールの香りがある。
 二人はすぐに騒めきの中心が大掲示板の低い位置に貼られた、一枚の依頼書である事に気がついた。
 最初に『いらいしょ』と書かれた文字を二重線で消して『ちょうせんじょう 期限、あしたのひるまで チーク(五さい)』という文から始まったその羊皮紙は、次のように続いていた。
『「観客の前で音を一切、音を奏でないピアノ曲は芸術なの?」
 「芸術家が市販の物品をただ出しただけで論客がけんけんごうごうとなった作品は芸術なの?」
 「誰も聴かなかった、自然が奏でた世界で一番美しいメロディは芸術なの?」
 上の三つのしつもんになっとくするこたえをくれた人に50イズムあげます』
 ふむふむ、とジュディとマニフィカは更にこの具体的な内容をそこに集まっていた冒険者達から聞いて、この挑戦状を出した五歳の女児に並みならぬ興味を抱いた。
「偉大なるタロー・オカモトは言っタ。『芸術は爆発だっ!!』 アートの真理とは即ちエクスプロージョンであるト。太陽の塔とか、グラスの底に顔が……とにかく、そんな尖った感性がジュディは大好きデスヨ」
 ジュディはほの赤い頬に右手をやって、何やら考え始めた。
 どうやらチークちゃんの挑戦を受けて立つつもりらしい。
「五歳の子供に芸術とは何か?という定義を、論理的かつ学術的に説明してあげる必要がありそうですわね」
 マニフィカもクールに笑うと挑戦状の文面をあらためて吟味し始めた。

★★★
「あいしゃるりたーん! やっぱしオトギイズムの空気は旨いで、ホンマに」
 ビリー・クェンデス(PC0096)はオーバーアクション気味に深呼吸。
 お供の金鶏『ランマル』も返事の如くコケッコーと鳴く。
「兄貴、どうでもええんけど『あいしゃるりたーん』やと『私は帰ってくる!』っちゅう未来に対する意思表現する形になるんじゃありやせんか」
「ええ、そうやっけ。じゃあ、あいるびーばっく」
「それも違(ちゃ)うよーな」
「兄貴、帰(けえ)ってきた気持ちを素直に表現してえんなら『アイ・カムバック』でええんじゃねえですかい」
『あいかむばっく……ええい、うるさいんや! 学をひけらかすよーな芸人は将来、クイズ番組の芸人枠解答者かミステリー番組の現地レポーターで終わりやで! 一生、お笑いだけで食いたかったら、馬鹿になりきる事も必要なんや!」
「わかりやした、兄貴」
「肝に命じときやす、兄貴」
「…………」
 王都『パルテノン』の緑濃き公園で、ビリーは公園の住人である『レッサーキマイラ』を叱りつけた。
 久しぶりの再会を果たしたビリーとレッサーキマイラの獅子頭、山羊頭、蛇頭は、いつの間にか結んでいた兄弟仁義で露天の宴会を繰り広げていた。
 どーせ公園でゴロゴロしとるんやろ? ほな、パーっと宴会でもしたるわ!というビリーの読みは当たって、今、頭を三つ持つ合成魔獣はビリーの前で、コップ酒をかっくらいながらバケットで出されたフライドチキンを貪り食っていた。勿論、これらはキューピー頭の座敷童の十八番『打ち出の小槌F&D専用』の賜物だ。
「ところで最近、スランプやて聞いたんやけど、調子はどうなんや、ホントのところ」
「それが兄貴、ここんところ、どーも客の受けが悪くって」
 このレッサーキマイラのギャグがスランプなのはここんところではなく生まれついてからずっとの気もするが、とにかくビリーはこの弟分の悩みを親身になって聞いてやる事にした。
 レッサーキマイラ。駄目芸人という印象も強いが、なんとなく愛嬌がある変なトリオだ。元元ギャグがサブいというのは言わぬが花。よく考えると知性を与えられた合成生物が冗談を言えるだけでも凄いのに、色色とそれを台なしにする寒いギャグ感性によって不遇の人生を送っていると言える。。
 ビリーは考えた。このトリオの良き手本となる人物は居ないだろうか?
 そんな時、ある冒険者ギルドが謎の幼女に挑戦され、震撼しているという噂を福の神見習いは聞いた。
 勿論、その幼女とはチークちゃんの事だ。
 よくよく話を集めてみると、実に面白そうな状況だという事が解った。
 伝え聞くに幼女の言動は奥深く、それは『お笑い』にも通じる鋭い感性に思えた。
 どうやって注目を集め、いかに話術を駆使するか、幼女から学ぶ点は多いだろう。
「ちゅーわけで明日、あんさんらと一緒にチークちゃんのアシスタントに志願するつもりやから」
「チークちゃんでっか。あの子はわいらん中でも赤丸急上昇中でっせ」
「タイトルBGMに『カリキュラマシーンのテーマ』を使ってるトコなんか『解ってるなー、このスタッフ』って感じがして感心させられるんでやすねえ」
「……あかん、何かズレとる」ビリーは脱線しそうな話題を無理やり元に戻す事にした。「ともかく明日、その子のアシスタントとして絡むつもりやから、そのつもりでいてや。ともかく今日は明日に影響が出ん程度でパーッと宴会を楽しもうや」
 再開される宴会。
 袋の中の南京豆をついばんでいたランマルがコケーと鳴いた。

★★★
 そして当日の正午になった。
「ぅわーい! わいわいわーい!!」
 ビリーとチークちゃんは手をつないでスキップしながら、冒険者ギルドの玄関から受付ホールへ入場してくる。
「チークちゃんでーす」ビリーは彼女を紹介する。「よろしくお願いしまーす」
「どーもー、チークでーす!」頭の大きなピンクのワンピースの女児が元気よく挨拶する。「永遠の五歳でーす! 今日もよろしくお願いしまーす!」」
 受付ホールにいた冒険者達がどっと沸く。
 いや、今日は冒険者だけではない。この騒ぎを一目見ようという近隣の一般市民達が見物にあふれかえっていた。
 受付ホールにはハリボテで作られた急ごしらえの講壇が四つ据えられ、解答者達がこのおかっぱ頭の五歳児を迎え討たんと、今や遅しと待ち構えていた。
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)。
 ジュディ・バーガー。
 マニフィカ・ストラサローネ。
 姫柳未来(PC0023)。
 その彼女達の前にチークが立った。
 五歳児の背後に控えるのはアシスタントとして立候補したビリーとレッサーキマイラだ。
 それにしても大きな頭やなあ、という体でレッサーキマイラが刈り上げのうなじをまじまじと見ていると「レディの後頭部をあんまり見つめないでくれる?」とチークちゃんに怒られる。
 今、この場の主導権はチークちゃんが握っていた。
「今日はあたしの挑戦状に答えて下さってありがとうございます」チークがぺこりと大きな頭を下げる。「ねえねえ、仮面バッター・ジュディ」
 なれなれしくチークちゃんがジュディに話しかける。
「何デスカ、いきなり!?」
「いいじゃない。あなたが仮面バッター・ジュディだっていうのは今じゃ有名よ」
「そんなにフェイモス・キャラクター、有名なんデスカ。……もしかして最初の解答者はジュディデスカ?」
「ううん。今回は一つずつの質問に皆に答えてもらう形式にするわ。さて、そんなあなた達に訊いてくわよ」 チークちゃんはポーズを決めた。「『芸術』って一体ナニ!?}

★★★
 今こそオトギイズム王国全ての冒険者達に問います!
 芸術とは何か?
 芸術といえば、今や絵画、小説、彫刻、俳句、舞踏に音楽、歌と様々なジャンルのものが一杯ありますが、果たして何を基準に「これはもはや芸術のレベルだな」と決めているのでしょう?
 そんな事も解らずにやれ「前衛芸術が解るオレ、カッコイイ」だの「ピカソみたいな絵、俺でも描ける」「ジャパンアニメってクールな芸術だよね」等と言っている人間のなんて多い事か。
 しかしチークちゃんは知っています。
 チークが四人の冒険者達に問いかけた。
「芸術って一体、何なの? なんで?」

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「観客の前でピアノの蓋を開け閉めするだけで一切の曲を弾かないピアノ曲は『芸術』なの?」
 好物のチャーハンを食べながら訊くそのチークの言葉に、四つの講壇の後ろに立った冒険者達は順に見解を語り始めた。
「音を奏でないピアノ曲、そんなものは芸術とは言えませんわ」まずはピンクの洋服を着たアンナからだ。「数の議論を始めてしまうと、じゃあ何音弾けば芸術なのか?という話になってしまいますわ。観客はピアノを聴きに来ているのだから、弾かないというのはただのパフォーマンス、とても芸術とは認められませんわ」
 きっぱりとした語りにチークはウンウンうなずく。「でもパフォーマンスもある域まで達すれば芸術じゃないかな」
「……そうですね」アンナは答えた。「でも、わたしはそのピアノはその域まで達していると思えませんわ」
「No! 芸術じゃないネ」次は仮面バッター・ジュディだった。いや今はそのコスチュームを着ているわけではないが。「ピアノ曲を聞こうとしているのに、肝心の音がないなんて話にならナイ。演奏しないピアノ曲という作品自体がナンセンス。ある種のパフォーマンスかもしれないケド、オーディエンス、観客の期待を裏切っている点もマイナス」
「ええ、違います。これは哲学の分野です」平静に答えたのは高貴な青い貫頭衣のマニフィカだった。「ピアノ曲も含める音楽というジャンルは、そもそも聞き手の聴覚に依存します。音が出なければ演奏と言えず、演奏しないピアノ曲を音楽と呼べず、音楽ではないピアノ曲を芸術に扱わない。芸術を問う以前に、演奏しないピアノ曲という自体が矛盾です」きっぱりとした口調で論を述べる。「むしろ哲学に類する極めて観念的な作品と認識するべきです」
「じゃあ、音楽と哲学は両立しないのかしら」
「します」チークちゃんのツッコミにマニフィカは即答した。「しかし、この作品は別次元の問題です」
「そのピアニストにとっては、それだって芸術なのかもしれない」手持ち皿上のチャーハンをレンゲで食べながら、次にJK未来は語った。この場にチャーハンを持ち込んだのは未来で、チークちゃんが食べているチャーハンも未来のおごりだ。勿論、おごる事で自分に対する有利を得ようとしているわけではない。「ピアニスト自身には、それで表現したいものがあったのかもしれないし、こだわりがあったのかもしれない。だから、そのピアニストが芸術だって言えば、それはきっと芸術なんだよ。ただ……その人がピアニストとしてピアノを弾く事を期待されて、観客から対価をもらっていた以上、それに応えなかったピアニストは、プロの芸術家としては失格だと思うな」
「ふーん」四人の意見を聞いたチークちゃんは手を後ろで組みながらその場を歩いた。
 そして。
「ほわほわ生きてんじゃねーよっ!!」と突然、五歳児の表情が火と蒸気を噴く悪魔のそれになった。
 解答者の四人と周囲の観衆がその烈火の勢いにおののいた。
 アシスタントのビリーとレッサーキマイラも同じだ。
 しかし、それは皆が恐れていたと同時に期待していた事でもあった。
「『無音』を音楽に取り込んだってえ奴ぁ意外といるみてえでやすな」ここでレッサーキマイラがアシスタントとして前脚に持った小さなメモを読む。「有名どころではビートルズでやす、異世界の楽団らしいけど。あと十分間、無音の曲が近年『あいちゅうん』とかゆうとこでトップ50に入ったとか。あとデスメタルでカバーに挑戦した猛者もいるとか……なんすか、デスメタルって?」
「このオトギイズム王国ってデザインが原理だけど、デザインでは『無意味』は許されないけど、芸術は『無意味』を表現するのは許されるわ」チークは言葉を添える。
「じゃあ、無意味な無音は芸術だって言うの?」
 その未来の問いかけにチークは答える。「あたしなりのその答は全ての質問に解答が出そろった後で☆」

★★★
「過去に例のない物を作り続けてきた前衛芸術家が市販の男性小便器に『清涼』ってタイトルをつけたら、それは芸術なの?」
 チークちゃんが提示した次のお題でも、四人の解答者の態度は基本的に変わらなかった。
「市販の物品をただ出すという行為も芸術とは言えませんわ」きっぱりとアンナ。「頓知ではないのですから、幾ら御託を並べても便器は便器。その造形美を言うなら、むしろ便器をデザインした人が賞賛されるべきですわ」
「No! 芸術じゃないヨ」ジュディの態度も変わらない。「確かに議論の対象として話題性が高く、注目度は高ソウ。でも、それを芸術として扱うことに疑問を感じるワ。普通の市販品に名札を貼るだけでは、作品をクリエイトした事にならないから」
「そうです。違います。これは問題提起の道具です」マニフィカも毅然としている。「絵画に模写したり、映像を撮影する等を経た作品ならば芸術です。しかし題名を与えるだけでは、創作とは認められない。おそらく問題提起の為、芸術家が意図的に引き起こした騒動でしょう」
「いくら人気のある芸術家だからって……そんなの、ただの手抜きだよね」JK未来の弁はこの議題についてはいっそうの熱がこもっている様だ。「それで『実は深いテーマが込められている』とか、芸術として評価されるなんておかしいよ! 例え人気があっても、テレビ版の最終回で絵コンテを放送したり、何年も劇場版の続きを作らなかったり……それまでの人気があるからって、そんなのまで評価されるなんて絶対に間違ってるっ!!」
 怒りをあからさまにしたミニスカ女子高生は講壇を両拳でダンッと叩いた。
 何か具体的な前例を思っているらしい。
「どうどうどう」チークちゃんがそんな未来を手であおいでいさめた。「と、一応は空気を収めた後で……ほわほわ生きてんじゃねえよッ!!」
 幼女の顔が眼から火を噴く鬼面に変わる。
 皆がおののき、そしてお約束の展開にホッともする。
「……ただジュディやマニフィカの『議論の対象になる』『芸術家自身が騒動を引き起こした』って部分はチークってるわね」チークってるというのはチークちゃんと考えが合っているという意味らしい。ただそれだけではまだ何か足らない様だ。
「えーと突飛な芸術というと」レッサーキマイラがメモを読む。「世の中には漫画の一コマを忠実に拡大した絵画や、大学講義に使われた色付きチョークによる図版や汚れだらけの黒板が芸術品として美術館に飾られてる、という例もありやすね」
「あなた達はそれを芸術だと思う?」チークちゃんがあらためて問いかける。「……じゃ、この答も全ての質問に回答が出そろった後で」

★★★
 ここに来て、遅れてきた光合成淑女リュリュミア(PC0015)は解答者として合流する。
 リュリュミアは講壇はないが未来の更に端に立った。
「森の奥で木の葉から水滴が落ち、下の葉に次次とぶつかって、偶然、世界で一番、美しいメロディを奏でた。でも、周囲にはそれを聴いた人は一人もいない。そのメロディって『芸術』なの?」
 チークちゃんの最後の質問だ。
「自然が奏でたメロディに芸術性を感じるのも人の心次第ですわ」アンナは厳かな表情で答えた。「なので聴く者がいなければそれはただの自然現象、残念ながら芸術とは言えませんわ。芸術とは作り手と受け手のキャッチボール、どちらが欠けても成り立たないと私は考えますわ」
「つまんねー奴だなあ……」
 そのアンナの答にチークちゃんがつまらなそうにこの言葉を返した。
 皆はハッとする。幼女がこの言葉を言う時は意見が的確だった時だ。
「Yes! 芸術デース」ジュディは意気よく意見を述べる。「『世界で一番美しいメロディ』という形容が正しければ、芸術に相応しいと感じマス。少なくとも自分は感動を覚えるハズ。極論すれば、素晴らしい作品と感じるなら、それは芸術でアル!」
「でも、そう感じる人がそのメロディを聴けた範囲内にいないのよ」チークがポツリと返す。
「ソレはソレでいいんじゃナイ」ジュディはあっけらかんとスマイル。「テイク・イット・イージー、ネ」
「違います。美しさの全てが芸術とは限らない」マニフィカは親友のジュディとはまた違う意見を述べる。「『世界で一番美しいメロディ』とはいえ、誰も聴かない、つまり作品を認識する者が皆無という状況。認知されなければ存在しないと同じ。故に芸術として成立しない。だけど自然の美しさは、たとえ芸術でないとしても素晴らしく尊いのですわ」
「つまんねー奴だなあ……」チークが口をとがらせてそう呟いた事に観衆の顔が明るくなる。
 そんな中で未来は自分の主張を発表する。「もし世界で一番美しいメロディなんてものがあったら……それはたとえ誰も聴いていなくたって、やっぱり自然が作った芸術なんだよ。私はそう思うし、そんな自然の芸術作品を是非聴いてみたいな……なんてね♪」
「芸術ですかぁ」リュリュミアが最後にぽやぽや〜と解答する。「作った人がこれは芸術だと思えば、芸術なんだとリュリュミアは思いますぅ。だから、この偶然に出来てしまったメロディはどうなんでしょうねぇ」
 その言葉を聞いた瞬間にチークちゃんの悪魔が眼醒めた。五歳の可愛らしい女児が火山の爆発的に変貌する。「……ほわほわ生きてんじゃねーよっ!!」
「ほわほわですかぁ、そうですかぁ」リュリュミアのぽやぽや〜はチークちゃんのほわほわ生きてんじゃねーよをあっさり中和した。「自然が作り出したメロディですかぁ、どんな音がするんでしょう。それじゃあ行きましょうかぁ。誰も聴いた事がないなら、聴いてみないと解らないですよぉ。チークちゃん、誰も聴いた事のない音、一緒に探しに行きましょう。街の外れにいい感じの森があるんですよぉ」
 今にも幼女を連れていきそうなリュリュミアを、アシスタントのビリーは「まあ、それは後のお楽しみっちゅー事で」と元位置に戻させる。
「さて、これであたしの三つの質問に対する全ての解答が出そろった様ね」
 チークちゃんが八重歯を光らせながらニヤリと笑った。

★★★
「意見は様様に出たけど、実は全てのお題に共通する答が一つあるわ」
 三つのお題の回答が全て終わった後に、チークちゃんが総評として持論を発表する準備が整った。
 正解まで五秒前。
 観客が息を飲む。
 三秒前。
 二秒前。
 一秒前。
「芸術とは何なのかっていうのは……」
 ビリーとレッサーキマイラは持ち込んだ太鼓を叩く。ドドン!
 チークちゃんが叫ぶ。「『鑑賞者も芸術の参加者であり、作品の一部である』ーっ!」
 え、それはどういう事なの?と受付ホールの全員にハテナマークがつく。
「美しいものだけが芸術ではない事は、ムンクの『叫び』や山海塾やタロー・オカモトの一連の作品を観れば、解るわよね」チークちゃんがホールをゆっくりと歩き回りながら話し出す。「芸術とはその作品を評価する者の感動……たとえそれが快感だろうと不快感だろうと怒りだろうと恐怖だろうと無常感だろうと……を含めてのものなのよ。それを観て何か思う者がいなくてはたとえそれがどんなに美しかろうとも芸術ではない。つまり芸術とは作品単体だけでなく、それの発表された環境、影響が込みのものなのよ」
 五歳児はチャーハンを片手に延延と語る。
「だから、ある意味、評価が分かれたっていいのよ。それについて、何かを思う者がいて芸術。鑑賞されて批評されてナンボなのよ。大人が感動しても子供が泣いても誰かに金返せと思われても、その作品が誰かの心を動かせるのが芸術なのよ。作品と鑑賞者はワンセット。昔の『浮世絵』というグラフィックアートは、元元は大衆向けの大量生産品だったのに海を越えてその作風を斬新だと思った外国人達によって芸術品として評価されたわ。そしてその評価は今や世界的な価値となっている。まさに芸術は環境を含めてナンボね」
 チークちゃんがさっきまで食べていたチャーハンの皿を床に置き、食後の合掌をする。
「仮に曲のないピアノと世界で一番美しいメロディの立場を取り換えて考えてみるわ……誰も聴いてない場所で曲を弾かないピアノを弾いたって本当に無意味よね。でも、今ではあたし達がその場面を想像する事でその無意味に『それへの感想を考える』という意味が生まれているのよ。逆もまた然り、偶然が生み出した最高の音楽を聴いた人達が『果たして人の手ならざる偶然が生み出したものは芸術か?』という感想を抱く事は、それを芸術の域に参加させるべきかどうか?という批評を生み出しているのよ。……曲のないピアノ曲も、タイトルがついただけの大量生産品もそれを発表した事によって鑑賞者がどう思うか、どんな議論が巻き起こるか、そこまで計算されたものと考えていいわね……こうして、あたし達が批評してる事自体が作品を芸術にしてるのよ。絵を観る者はその時点で作品の一部なのよ」
 冒険者ギルドの受付ホールにいる大勢の観客達は、五歳児らしからぬ長口舌にほとんどがついていけない様だ。
 観衆の九割以上が、話から落ちこぼれてハニワになっていた。
「オークションで高値で落札された直後にシュレッダーで裁断された絵、なんてのもあったけど、その絵は裁断された時点で終わりじゃないのよ。『高値がついて認められたのに裁断された』という物語が付加された事で芸術品としてまた新しいレベルの価値が生まれたのよ」
「ええー、そーですかい」チークちゃんの言葉にレッサーキマイラが不満を訴えた。「裁断されて絵じゃなくなった時点で、それはただのゴミなんじゃねえんですかい」
「こういう風に議論される事は大事ね。勿論、鑑賞した万人に等しく美しさの感動を与える作品ってのもあるんだけども。何より大切なのは胸の内の心よ」
 どうもチークちゃんの解説は観客全員を納得させていない様だ。
 観客達の間から騒めき、戸惑い、溜息、怒りの声、嘆きのすすり泣きさえ聞こえ始めた。
 まるであの無音のピアノ曲の発表会の様に。
 ここでビリーとレッサーキマイラは声を合わせて、手持ちのメモを読む。「えー、芸術についてはあくまでもチークちゃん個人の見解です。芸術の定義については諸説あります」
「五歳児にしては背伸びしすぎた意見だったかなぁ。……さて、じゃあ、行きましょうか」
 え、何が?と突然のチークちゃんの言葉に観客達が戸惑う中、彼女はリュリュミアへ駆け寄り、その手を取った。「言ったわよね、誰も聴いた事のない美しい音が森にあるかもしれないって。じゃあ、一緒に探しに行きましょ。芸術にはアクションも必要よ」
 リュリュミアの手を取ってチークちゃんはスキップで走り始めた。
 緑色淑女はその軽やかさに置いていかれないように慌てて小走りをする。
 玄関へと通じるところに立っていた群衆達が二人の前から退き、道を作る。
「わいらも一緒に行くで!」
「へえ、兄貴!」
 ビリーとレッサーキマイラも二人の後を追って走り出す。
 講壇の解答者と観客達を置いて、三人と一頭は冒険者ギルドから出ていった。
 不思議な事にチークちゃん達のスキップは大した速さでもないのに、後を追おうとした観客達は誰も彼女達に追いつけなかった。
 そして追う者の視界から三人と一頭の姿は消えた。

★★★
 ひだまりの町外れの森で……。
「レッサーキマイラのバカー!」
「誰が馬鹿やねん! 阿呆って言われるより馬鹿って言われる方がドタマくるわ! ホンマに!」
 誰も聴いた事のない美しい音楽を探しにチークちゃんとリュリュミアとビリーとレッサーキマイラ、あとチークのペットであるカラスの『キョエー』は町外れの森に来ていた。
 森の音楽を聴きに行くという態度。確かにリュリュミアは一番正しかったのかもしれない。
 尤も森は何処まで分け入っても蝉の鳴く声がうるさいばかりで、美しい水滴の連弾など聴けそうにはなかった。
 木の枝にとまったキョエーが、レッサーキマイラにタメ口をきいて怒らせたりするが、それ以上は何もハプニングはなく、皆はいつの間にやらピクニック気分になっていた。
「ピクニックと言えばお弁当やな。皆、好きな物を言いや。何でも出したったるさかい」ビリーは打ち出の小づちを取り出す。「キョエーちゃんは何が食べたいんや?」
「生ゴミー!」
 え、と小槌を振り上げたビリーの手が止まった。
(生ゴミってボクらには食べ物じゃないやん。……果たしてこの小槌で生ゴミを出せるんか? 食べられない生ゴミ同然の食べ物は出せる気がするけど……それってゴミなんか? 食べ物なんか?)
 固まったビリーの頭の中で考えがグルグル回る。
 それはまさしく「芸術ってナニ?」を突きつけられた冒険者達と同じ気分だった。
 ビリーのフリーズ状態は三分以上に及んだ。
「あのぉ」そんなビリーにリュリュミアが声をかける。「何だか解らないけれどぉ、早くご飯にしましょうよぉ」光合成を主とする彼女も美味しい食事は食べたいらしい。
 リュリュミアの声で縛が解けたビリーは、とりあえず打ち出の小づちからピクニック向けの様様な飲食物を出す事にした。
 余ったり、捨てたりする部分を生ゴミとしてキョエーにあげればいい。
 カラスもそれで満足の様だった。
「それにしてもチークさんは五歳児のくせにいろいろ知ってるんやなぁ」生のマグロを丸ごと貪り食っているレッサーキマイラの前で、ビリーは豆乳ケーキを食べながらチークちゃんに話しかける。「さては何も知ってないふりして色色と勉強してるんやないか?」
「それほどでも」チークちゃんはカレーチャーハンのレンゲをくわえながら答える。
「どうや、ボクと一緒にお笑いコンビを組まへんか」
「うーん。それはご遠慮しときます。チークはまだ五歳だから働くのはまだ早いの」
 その時、ビリーは自分が身に着けている、常に微振動している澄んだ鋼の色をしたアミュレットが動きを止めている事に気がついた。この『鱗型のアミュレット」は他人が何かをごまかそうとしている時、振動を止めて主に教えるのだ。
「……あの、もしかして、チークさん、本当の年は五歳じゃないんやないか?」
「あーあ、つまんねえ奴だなあ」チークががっかりした様な、それでいて笑っているかの様な顔をした。「あたしは『建物に憑く』タイプだからなぁ……チークは永遠の五歳児だけど『座敷童子』としてのキャリアは先輩だから、そこんところは憶えておいてね、ビリー。あ、あとそれから『幸運の五十イズム硬貨』はあんたの手から皆に渡しておいてね。ビリーの分もあげるから」
 チークちゃんが持っていたカレーチャーハンの器とレンゲを草の上に置いた。
 次の瞬間、チークちゃんの姿はかき消す様に消えていた。去ったという認識がないほどにさりげなく。
 枝に止まっていたキョエーもいない。
 地面の上には『五十イズム硬貨』が六枚、散らばっていた。
「チークさん……」
「あれぇ、あの子はどうしたんですかぁ」
 リュリュミアはビシソワーズを入れたマグカップを両手で持って木の陰からやってくる。今のやりとりは見ていなかったらしい。
 レッサーキマイラの方はマグロ一体の背に食いつくのに夢中だ。
「あらら、ナニやってんのかな。お食事会だったら未来も混ぜてよ☆」
「お掃除のしがいがありそうなほど、散らかしましたねえ」
 森の向こうの町の方からミニスカの未来とローラーブレードのアンナは走ってきた。
 ジュディの長身も歩いてくる。
「あら、チークちゃんは」
 マニフィカもやってきて大きな頭の五歳児を探す。
 彼女を探す冒険者達を見て、相棒ランマルが顔を突っ込んでいるピスタチオナッツの袋を取り上げて自分も食べながらビリーは思った。
 今日は姿を消したが、永遠の五歳児はまたいつか、あの冒険者ギルドに明るく姿を現すだろう。
 彼女は素朴な幼な心そのものだ。
 その時も面妖な疑問をぶつけてはとまどう冒険者をからかって楽しむに違いない。
 そして彼女は必ずこう叫ぶのだ。
『ほわほわ生きてんじゃねーよっ!!』

★★★