『毛皮の靴』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 王都『パルテノン』の冒険者ギルド。
 階段を降り、いかがわしい地下酒場。
 甘い桃色の香りで薄く煙る室内で、男女共に露出過多が多い冒険者達が卓上の酒を酌み交わしている。
 人ごみの隙を縫って、バニーガール達が木盆の酒や料理を運んでくる。彼女らはすれ違い際に尻を揉まれる事には慣れている様子で、客もそれに慣れている。
 だが、ただ一人が違った。
 蠱惑的な意味でも筋肉的な意味でもダイナマイトなボディのジュディ・バーガー(PC0032)はきわどいバニーガールの衣装を着て、地下酒場の一角に立っている。その尻を触ろうとする不届き者はいない。
 何せ二百十三センチの巨身。そのバニーのコスチュームも巨人族の娘からの中古だという噂だ。首に巻いたペットのニシキヘビの怖さもあいまって、彼女の周囲が人ごみの中の空隙地帯になっている。
 ジュディは観ていた。
 艶っぽい生演奏を背景に、幾筋ものライトを浴びて悩まし気に踊る裸のダンサーを。
 地下酒場の観客席に囲まれたステージでシンデレラ・アーバーグは煽情的なダンスを踊っていた。
 タンバリンのリズムで乳房が揺れ、へそが揺れ、ヒップや太腿が揺れる。
 寝そべり、突き出した左足には毛皮の舞踏靴。
 右足は裸足だ。
 見守るジュディは豊かな胸の前で腕を組みつつ、思う。
 やはり、あの夜以来、シンデレラの踊りにハキハキとしたものが感じられない。
 実母の唯一形見だという毛皮の靴の片方を、舞踏会場に脱いで忘れてきたという事が影響しているのか。
 小さく、むぅ、と唸る。。
 シンデレラを舞踏会に引っ張り出した一人として、このまま彼女を放ってはおけない。
 近く花嫁探しコンテストというイベントが開かれる事は好都合だ。
 再びジュディは一肌脱ぐと決めていた。
 だが、と、ふと思う。
 シンデレラがハートノエース・トンデモハット王子の事をどう思っているのかが、いまいち、ジュディには解らない。
 雲の上の存在として憧れてるのか?
 それとも一人の男性として愛しているのか?
 シンデレラ自身が花嫁探しコンテスト開催という急展開に困惑してるだけかもしれない。
 いや、それでも構わない。
 右の毛皮の靴を取り戻すにせよ、王子との関係を発展または終了するにせよ、立ち止まっていたら何も解決しない。
 とにかく前に進むのだ。肝心なのは勇気だ。
 ジュディがそんな事を考えていると、いつの間にかシンデレラの舞台はクライマックスを迎え、拍手と口笛の中で全ての照明が消えた。
 舞台では暗闇の中でシンデレラが奥の楽屋に引っ込み、次のダンサーと入れ替わっているはずだ。
 ジュディは楽屋へと向かった。

★★★
「結婚に興味はないんですかぁ」
 影を作らない照明が仕込まれている鏡の前に座るシンデレラに、先に楽屋を訪れていたリュリュミア(PC0015)は話しかけていた。。
「もし今の生活に満足しているのなら、それもいいのかなぁと思ってますけどぉ、もし本当はお城での生活に憧れているのなら、お化粧とかしないで、素顔でコンテストに参加してみたらいいですよぉ。それで断られる様でしたらそれまでだと思うしぃ」
 到着したジュディは忙しげに着替えたり、化粧をしている踊り子達にどいてもらって、シンデレラの横に立つ。
 リュリュミアは振り向いた。
「あ、ジュディさん」
「ジュディもリュリュミアの言うコト、賛成するワ」
 身長二メートル越えのバニーガールの声は、今から化粧を落とそうとしてるシンデレラを振り仰がせた。
「ア・ブライド・セレクション・コンテスト、花嫁探しコンテストに出るべきヨ。それも素顔と普段着デ」ジュディの主張に楽屋の全員が一斉に注目する。「シンデレラは素顔に自信がな事はコンセント・イズ・ハンドレッド、百も承知デース。バット、舞踏会での虚構を引きずったまま、身分違いのブライドになるのを望むのデスカ? 違うワヨネ? 恋愛なら外面だけでも可能だろうケド、真に重要なのは当人同志の本質ネ。生涯の伴侶となる相手の全てを受け入れなけレバ、本当の意味でカップル、夫婦は成立しないワ」
「でも、あたし……」妖艶な踊り子の顔は哀しげに沈む。「すっぴんに全く自信がないし、身分だって……」
「だから、あきらめるって言うのぉ」とリュリュミア。植物系淑女は握った小さな拳を胸の前で固めた。「コンテストに参加するだけでもいいじゃないですかぁ。断られたなら断られたでそれなりにぃ」
「母の形見、ファー・シューズ、毛皮の靴を取り戻す為に行くって考えればいいじゃナイ」
 何を選び、何を決断するかはシンデレラ嬢の意思次第。ジュディは無力な踊り子の勇気を後押しするつもりで、声を大きくした。
「そうよぉ。シンデレラ、ファイトぉ」
 リュリュミアの言葉で、ためらう様に動きを止めていたシンデレラの瞳がきっと鏡を睨んだ。
 そして、おしろい紙でメイクを落とし始める。
「解ったわ。やるだけやってみる」鏡の中で過剰だった付けまつ毛や口紅が拭い取られていく。「考えてみたら、あたしにはこれ以上、失う物はないものね。出来れば、靴を返してらう、その気持ちだけで挑んでもいいよね」
「イエス! ヒット・イット&ブレイク・イット、当たって砕けろネ」
「ファイトぉ」
 ジュディとリュリュミアが彼女を励ますのを見ていた他の踊り子達が、シンデレラの後ろに並んで小さく握った両拳を胸に一斉に声を出した。
「ファイトッ!」

★★★
 ビリー・クェンデス(PC0096)とアンナ・ラクシミリア(PC0046)は『独身男性連続怪死事件』を捜査中、アーバーグの義母義姉妹に辿り着いた。
 どうやら事件があった当日にはシンデレラの義母ブランカ、義姉妹ロゼ、フラウの三人は家を空けていたらしいという証言を多く取る事が出来た。
「大舞踏会の夜、独身男性枯死事件は起こりませんでした。つまり、犯人は大舞踏会に参加していた可能が高いという事ですわ。やはり……」
「王子サンは一人なんやから、母と娘の三人で奪い合うちゅー事やろ? サッキュバスかナンか知らんけど、ホンマに勘弁してほしいわ」
 地味な張り込みだ。
 町中。昼間のアーバーグ家を、隠れながらよく見える路地の影からビリーとアンナは『打ち出の小槌F&D専用』で出した食事を取っていた。
 張り込みの定番である牛乳とアンパンをビリーはかぶりつき、ビリーのペット、金鶏『ランマル』は地面に置かれたそれをついばむ。
「もしかすると、次は王子が狙われるかもしれませんわ」
 アンナはジャムパンを牛乳で喉に流し込みながら呟く。
 地味な張り込みと尾行。
「捜査は足で稼ぐもんやで。警視庁には靴屋があるんやで」
 まるで迷宮入り事件を追う定年間近の老刑事みたいな台詞をビリーは呟く。
 ちょっと前までハードボイルド探偵物だったムードが、今はバディ物刑事ドラマになっていた。
 二人の連携が士気高揚につながっている様だ。
「……しかしシンデレラ嬢の家族がサッキュバスでしたとは……」
 アンナは呟く。幸いな事に彼女達は舞踏会で王子のハートを盗んだ恋敵の正体が、義理の末娘シンデレラ嬢とは気づいてない様子。
 しかし同じ一人の王子を巡るラブ・トライアングルどころではないラブの多角形が一つの家庭で成立しているという状況は物凄い。もし、真相が明らかになればどうなるか予想がつかなかった。
「今んところ、ぎりぎりセーフやねん。運命の女神サンも悪戯がすぎますわぁ」
 そんなビリーの言葉を聞きながら、アンナはアラームを鳴らし始めた『かるごっち』の面倒を見る。
 『かるごっち』。
 液晶画面のSDプロレスラーの面倒を見る携帯型育成ゲームだ。
「とあるベテラン刑事によれば、張り込みにおける最大の障害は眠気、その次が退屈や」とビリーから聞いたアンナは暇潰し用に念の為「た○ごっち、ありませんか?」と冒険者ギルドの受付に訊いてみたのだが、受付トレーシ嬢から借りられたのはその類似品の『かるごっち』だった。勿論、異世界からやってきたセールスマンから入手したそれなりに楽しい小物だが、思いがけない時間に持ち主に面倒を見させようとするのでちょっと困りものだ。ぷろていんを与えたり、トレーニングや試合をして強く育てていけば、最終的にはプロレスの芸術『じゃーまん・すーぷれっくす・ほーるど』を憶えるというのだが、アンナのレスラーはなかなか『せみふぁいなる』から育ってくれない。
 それはさておき。
 陽が暮れても張り込みは続く。
 むしろ、これからが真骨頂。
 独身男性連続怪死事件は事件の傾向から、恐らく犯行は夜間。
 と、すると睡眠という習慣がないビリー大活躍のチャンスがありそうだ。
 しかしサッキュバスをどう相手にしたものか。
 とりあえずアンナは特にロゼ・アーバーグが怪しいと踏んでいた。
 一応、シンデレラも容疑者の一人として見ている。一応だが。
「まぁ、あちらは大勢はりついているから大丈夫とは思いますが」
 アンナは眠気を押さえていると、かるごっちがまた彼女を呼び始めた。
 サッキュバス達の決定的な現場を押さえたい。
 だが、張り込みは今のところ、空振りに終わっている。
 昼にシンデレラが買い物に出て、夜にまた彼女が踊り子としてギルドに通う以外は人の出入りがない。
 あの舞踏会以来、義母義姉妹が出かける事はなかった。
 そして独身男性連続怪死事件もぱったりと止まっていた。
 ビリーも少なからず焦りを感じていた。
 シンデレラの義母義姉妹が淫魔ならば、彼女達に対して『コピーイング』と『コピーイング(中立向け版)』を密かに試し、エネルギードレイン等のスキルを複製出来たら犯人と確信出来ると思っていたが、当人達が姿を見せないのでは仕方がない。
「状況的に真っ黒なのに、ほんまにかなんなぁ」
 今夜もビリーは眠らない夜を過ごす。
 アンナが仮眠をとる中、オールタイムモードになっているかるごっちが呼んでいるのに気づいたビリーは、彼女を起こさず、自分がレスラーの世話を見てやった。
 その時、ビリーの脳裏にふと閃くものがあった。
「……もしかしたら、ボク達が張り込んでのに気づいてるから、出てこれんとか……?」
 それはそれで事件発生を防ぐ予防にはなっているのだろうが……。

★★★
「貴方みたいな人が他にいると、城の警備というものを一から考え直さねばならなくなりますね」
 それがコンテスト前日の午後、姫柳未来(PC0023)に会った、ハートノエース・トンデモハット王子の第一声だった。
 王子は波打つブロンドの長髪をした、青を基調にした普段着(それでも十分高貴と解るが)に身を包んだ若い美形の男だ。
 テレポートで直接、王城内にお邪魔した未来は、城内で王子を捜してテレポートを繰り返し、テラスで二人でお茶を飲んでいる所を見つけだした。
 もう一人というのは未来の知り合いである、マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)だった。
「やっほー☆ マニフィカ。インスタ映えするコトしてるねー☆」
「やっほーではありませんよ。あなたも超能力ではなく正門から入ってくればよかったのですわ。あなたの事はこの間の舞踏会で皆に知られているのですから」
 舞踏会でキレッキレのダンスを披露した未来はその夜の正門での騒動もあり、城の衛士にもよく知られているはずだ。
「あ、そうそう。私、あなたが探してる娘の事知ってるよ!」
 未来はハートノエース王子にいきなり切り出した。
「シンデレラ嬢の事ならわたくしが話しましたわ。わたくし達の連れでしたものね」
 あー、せっかく自分が話そうとしたのに、と未来の頬がちょっと膨らんだ。
「じゃあ、この事までは知らないでしょ」
 未来は自分が知っているシンデレラの事を王子に色色と語りだした。
 シンデレラは義母義姉妹から虐げられて、酒場の踊り子に身をやつしている事。
 そんなシンデレラの義母義姉妹が、今度のコンテストで王子の花嫁に選ばれようとしている事。
 そして、シンデレラは現在、片足だけ毛皮の靴を履いて踊り子をしている事。
 確かにマニフィカの知らない詳細もあった。
 お人好しな未来は、ハートノエース王子とシンデレラの事を応援していた。
「コンテストにはシンデレラを絶対に連れていくよ!」
 未来はそう王子に約束して、その代わりにシンデレラを義母義姉妹から助けてあげてほしいとお願いした。
 その事を聞きながらマニフィカは、今朝方、人影のない静かな海辺を訪れ、無心にイルカの『フィル』と戯れていた事を思い出していた。
 その思い出の中でも、彼女は更に舞踏会の事を思い出していた。
 波間であの夜を回想する。
 特にシンデレラ嬢が落としていった靴にハートノエース王子が頬擦りする様子は思わずドン引き……もとい、大変に興味深かった。
(靴に恋する……というより足が好き?)
 足に関しては詳しくない人魚のマニフィカは判断がつきかねた。
 フィルの背に上半身を預けながら、お約束の『故事ことわざ辞典』を紐解く。
 開いたベージには『恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの』と記されていた。
 なるほど。実に奥深いものだと感心。
 果たして王子の思慕は恋なのか、愛なのか。
 念の為、再びページをめくると『乗りかかった船』や『恋は盲目』という言葉が。
 最も深遠に坐す母なる海神のお導きだろう。是非もなし。
「それにしてもハートノエース王子って本当に奇麗な顔してるね。マジ卍」
「そんな、ハッハッハッ! 本当の言っても世辞にはならないよ。奇麗だろう。父や母にも頬を打たれた事ないのだよ。どうだい、君も私の恋人にならないか」
 未来とハートノエース王子の明るい会話が、回想に回想を重ねるというややこしい事をしていたマニフィカの意思を一気にテラスにまで引き戻した。
 マニフィカは熱い紅茶を一口飲み、思い直した。
 シンデレラ嬢がマニフィカの同行者である事は、すぐに解ったはず。
 彼女の身元を調べるにせよ、毛皮の靴を返還するにせよ、まずマニフィカやその連れに問い合わせるのが筋だろう。
 わざわざ花嫁探しコンテストを開催するのは、何か別の思惑が隠されているのではないか?
 恐らく第一王子は次期国王。
 その妃ともなれば、宮廷における権謀術数の対象。
 自由恋愛が許されるとしても、相当の根回しを必要とするはず。
 仮にコンテストによる既成事実化を目論むとしたら、かなり強引な印象を拭えない。
 もしや国王どころか王族の誰からも了承を得ていないのでは?
 まさに『恋は盲目』かもしれないが、王子の立場が危うくなる可能性を忠告した方がいいのか?
 王子の周りにはイエスマンしかいないのか?
 いやはや、パッカード国王が心配する訳だ。
「今回の花嫁探し、国王の賛成はどうなのですか」マニフィアは平静を装いつつ、王子に質問してみた。
「父かい」プリクラがあれば未来と撮っていておかしくないテンションの王子が答えた。「賛成も反対も、今回のコンテストを立案者は父だよ」
 え?未来とマニフィカは驚いた。
 花嫁探しコンテストはハートノエース王子の意思ではないのか?
「私は大げさすぎるのではないか?と訊いたのだが、父はこれでいい、と言ってね。まあ、私も花嫁『候補』を捜す程度ならいいか、という事で」
 思わず話を理解するのに頭を捻り始めたマニフィカと未来に背を向け、外の中庭を眺めなら「大丈夫さ。シンデレラという娘も、結果の如何に関わらずに守ってあげるよ」と王子が受け皿上の紅茶を飲んだ。
 非常に多くの『恋人達』を持っているという彼の背中が何故か遠く見えた。
 三人はテラスの同じテーブルを囲んでいる。
 王子はメイドに、新しい銅のポットを未来の為に運んでくる様に命じたが、未来は熱い紅茶を飲む気になれずに断った。
「ともかくです、王子」マニフィカは空咳をしつつ言った、「念の為、シンデレラ嬢の残した毛皮の靴と全く同じ複製品を『錬金術構築知識』で錬成し、本物と交換しておきましょう。コンテストで人に履かせるのは複製品で十分です」
「うーむ」王子は唸った。「……それでもいいかな。しかし、今からでは時間が……仕方ない、地下のトゥーランドットにも協力を頼むか……」
 王子はひねくれ者の妹、トゥーランドット・トンデモハット姫の名を出した。

★★★
 コンテスト当日は晴天だった。
 パルテノン王城はパルテノンの町の中央に位置し、中心にこの町の時間感覚を支配するドワーフ製の時計塔を据えた、周囲に二重の堀や大公園がある巨大な構造物だ。。
 跳ね橋の降ろされた正門から、多くのコンテスト参加当事者と野次馬の一般市民達が長蛇の列をなして王城へ入っていく。
 その中にはシンデレラの義母で未亡人の『ブランカ・アーバーグ』と二人の娘『ロゼ・アーバーグ』『フラウ・アーバーグ』。妖艶で美しく、見目のよい高価なドレスを着ての登城だ。
 その三人からやや距離を置いて、一般人の列にビリーとアンナとランマルは並び、見張っていた。
 張り込み中、とうとう彼女達は尻尾を出さなかった。
 果たしてこのコンテスト会場で何かを起こす事はあるのか。
 そして義母達の更に後方、目立たない様に並んでいるのがシンデレラ・アーバーグだ。
 今、彼女は化粧も奇麗な衣装も着ていない。あちこちにツギのあたった普段着の地味子だ。
 メイクをしていない自分が、こんな青空の下の晴れの舞台に立とうとしている事におどおどしている様子。
「大丈夫! テイク・イット・イージー、ネ」
「おかあさん達からはバレてませんよぉ」
 そのシンデレラの後押しをする様に並んで立っているのがジュディとリュリュミア。
 周囲に位置する衛士達に見守られながら、列は城内へ呑み込まれていく。

★★★
 城内警備の衛士達がそこかしこに配置されている。
 大階段を上がり、先日、大舞踏会の会場にもなっていた大広間。
 装飾は黄金と赤に染まっていた。
 天井は高く、宝石で作られた様なシャンデリアが列をなして吊り下げられている。
 壁には神話を描いた華美で豪華な絵画が巨大な額縁に入れられて飾られている。
 今、そこには大勢の一般市民が壁際にひしめき合い、中央に並んだ数十人の女性達に視線を集中していた。
 上座には並べられた二つの上等な大椅子。
 パッカード・トンデモハット国王とハートノエース・トンデモハット王子。
 二人の前には赤いビロードを敷いた上に毛皮の片方の靴を置いた台がある。
 客達の騒めきは国王が手を振り、注目を集めた事で突然、おさまった。
「これよりハートノエース王子の花嫁候補の審査コンテストを始める!」
 よく通る大きな声を張り上げたのは大椅子の横に並び立つ伝令官だった。
「これはハートノエース・トンデモハット王子の花嫁候補探しのコンテストである! 先に舞踏大会で脱ぎ忘れられた靴を候補の女性達に足を通していただく! この靴にすっぽりと足を納められた者はハートノエース王子の婚約者となる事が出来る。まず最初の一人から始めたまえ!」
 皆が見守る中で、最初の女性から順に台の上の毛皮の靴に右足を通し始めた。
 この靴は複製品だが、寸分たがわず本物を再現している。
 コンテストは進む。
 幾人もの白い素足が毛皮の靴を履こうと順番に挑戦し、ある者は足が大きすぎ、ある者は足が小さすぎ、合わずに失敗していた。
 驚いた事にコンテストに挑む者達の中には舞踏会の時に王子の取り巻きをしていた女性達も混ざっている。彼女達が王子にまとわりつくだけで当日、踊ったという事はないと思ったが。
 見物客の中にいるマニフィカは、ハートノエース王子が靴を履こうとしている女性達の足を見るのを楽しんでいる気がした。
(王子ってやっぱり足が好きだったのでしょうか? いや、シンデレラの件で足の魅力に眼醒めたとしたら……)
 そうこうしている内にアーバーグ家の義母義姉妹の番が来た。
「……で、あれがシンデレラの義母と義姉妹だよ。向こうのまだ列の後方にいる娘がシンデレラ」
 大椅子の横に立った未来は、王と王子にこっそり囁く。
「化粧っ気のない娘だな」
「そう。それが重要なの。見て、彼女の右足だけない靴を……あれ?」
 シンデレラが順番を待っているのを見た未来は、彼女が両足とも普通の靴を履いているのに気づいた。
 毛皮の靴は舞踏用なので今は履いていないのだろう。
「……だけど片方の靴は持ってきてるはずだよ」
 囁きを交わす未来と王子の眼の前で、失敗した挑戦者達の列が進む。
 そして、とうとうアーバーグ家の母姉妹の番がやってきた。
 義母ブランカが毛皮の靴に足を入れようとする。
 しかし、それは指のつけ根の所でつかえてしまった。
「ぐぅぅっ!」
 悔しそうな彼女は無理やり突っ込もうとしたが、入らない。
 乱暴に何度も試みる。
 鬼婆の様な形相をしばらく浮かべた後、義母ブランカがあきらめた。それでも未練たらたらといった風だ。
 見守っていた人達は、あれが王子の花嫁でなくてよかったと本気で一斉に胸をなでおろした。
 次はフラウの番だ。
 彼女が絹の靴下を履いた足を突っ込むと、毛皮の靴は素直にそれを受け入れた。
 ただし、ぶかぶかだ。
 右足を持ち上げて足を振ると毛皮の靴は中途半端にふらふら揺れた。
 フラウは「ふん!」と怒りを隠さずにその靴を台の上に戻し、ドレスの裾をひるがえして敗者の列へ行った。
 次に来たのはロゼだった。
 彼女は右の素足を毛皮の靴の中に差し込んだ。
 だが、それは母の様に、指の付け根の最も膨らんでいる辺りで引っかかって止まってしまった。
 ロゼの眼がつり上がった。彼女は奇声を挙げながら力を入れて足を押し込もうとし、それは靴を破壊してしまうのでがないかと見ている者達を焦らせた。
「きぃやあぁぁぁぁぁぁっ!」
 どうにもならない事を悟ったロゼが、ドレスの帯留めから二十センチほどの金属の棒を抜き出す。
 ヤスリだ。
 見ている者達はそれで靴を破壊するのではないかと息を呑んだが、彼女は思いがけない使用方法を選んだ。
「きぃやあぁぁぁぁぁぁっ!」
 ロゼがそれで靴と足がつかえている所、自分の右足の最も出っ張っている所を直接削り始めたのだ。
 足を靴に合わせようというのだ。
 物凄い激しさで自分の肉と骨を削り取ろうとする残酷さ。
 見ている女子達の悲鳴が挙がった。
「……やめさせろ!」
 さすがに顔を蒼白にしたハートノエース王子が衛士達に声をかけ、彼らはその為に惨劇の中心へ近づこうとした。
 だが、その時、誰もが異常に気がついた。
 衛士達の足が戸惑う。
 凄惨にヤスリで足をこすり続けるロゼ。
 しかし一向に血は出ない。
 それどころか、一寸も肉が削れた様子がないのだ。
 ヤスリの方が削れて、火花が出ている。
 彼女の異質さが誰の眼にも見えて解った。
 火花が燃え移った毛皮の靴が煙を吹き始めた。
 複製品でよかった、と見つめるマニフィカが胸を撫で下ろす。
 魔法の道具や武器でなければ傷つかないという怪物がこの広い世にはいるという。
「やっぱりそいつは人間やない! サッキュバスや!」
 見物客の中に紛れていたビリーは叫んだ。
「連続独身男性怪死事件の犯人ですわ!」
 アンナも見物人の中から飛び出した。
 その二人の方へロゼがヤスリを投げつけた。
 すると大理石の床で跳ね返ったヤスリが二つに折れて、それぞれの方向へ飛び散った。
 転がったヤスリは粗いザラザラした面がすり減っているのが、見た者には解った。硬さでサッキュバスの肌に負けたのだ。
 ロゼの着ていたドレス、コルセット、ドロワースが膨れ上がる様に一気に弾け飛んだ。
 背で大きなコウモリの羽が広がったのだ。
 グラマラスな裸身。
 しかし鎖骨から下は真っ黒な剛毛に覆われていた。
 爪は鋭い。
 ロゼが到底、人とは思えない異形へと変身した。
 サッキュバスの正体を現したのだ。
 王と王子は大椅子から立ち上がり、衛士達がその前に盾として立ちふさった。
「武器庫へ行って、デザイナーズ・ブランドの武器で衛士を武装集合させろ! あと俺の剣だ!」
 パッカード王が衛士達に叫んだ。普通の武装ではかなわないと判断したのだ。
 その時、靴を履く順番が終わって待機していた女性達の中から新たな悲鳴が挙がった。
 ブランカとフラウも同じ様にドレスを破裂させてサッキュバスの正体を現していた。
 コウモリの黒い羽を羽ばたかせて、ドレスを襤褸にし、黒い獣毛に覆われた二人が宙に浮かんだ。
 悲鳴を挙げてこの大広間にいる人間達が逃げ惑い始めた中を、ロゼも羽ばたいて舞い上がる。
 飛び上がった三人は高い天井より下がるシャンデリアに掴まった。
 ジュディと未来はシンデレラをかばう様に前に立つ。しがない踊り子は今まで一緒に暮らしていた義母義姉妹の思いがけない変身に呆然としていた。
「王家に入り込んで、この国をサッキュバスの国にしようとも思ったがもうやめだ! 正統王家の精を吸い尽せば、もっと強力な力が得られるだろうね!」
 ブランカが邪悪な台詞を吐いた。
 途端、フラウが羽を一杯に開いて舞い降りてきた。
 王と王子に向かってだ。
 屈強の衛士達がハルバードで迎え討つが普通の刃では突き切れない。
 マニフィカと未来が二人をかばおうとした。しかし間に合ったのは王一人だ。
 フラウの両手の鉤爪が青い服を捕まえた。
 そして羽ばたく勢いのまま、ハートノエース王子をシャンデリア傍で待つ母と姉の所までさらっていく。
 大広間の全員がそのシャンデリアを見上げる。
 王子の取り巻きの美女達が悲鳴を挙げる。
 人質をとった三匹のサッキュバスが妖艶で邪悪な笑みを浮かべている。
「確かパルテノンの西に誰も住んでいない廃館があったね!」抱きしめたハートノエース王子が喋れないように、片手をその口の中に突っ込みながらブランカが叫んだ。「明日の朝日が昇るまでに人をそこに十人、手下をよこしな! 衛士と王族は駄目だよ! 武器を持ってない奴を十人、そしてその十人に持てる限りのこの王城の財宝を持たせて廃館までよこすんだ! あたしらはこう見えても義理堅くてね! ただし、明日の朝までに財宝を渡さなかったら、このなまっちろい顔の王子がどうなっても知らないよ!」
 フラウが持っていた手錠を王子の両手にかけた。
 未来とビリーは王子の所へ瞬間移動しようとしてためらった。敵は三人いる。一人の不意を突けても残りの者に王子がどの様な目にあうか、ネガティブなイメージしか思い浮かばなかった。
「変な真似をするんじゃないよ!」
 ブランカが二人の能力に気づいたのか、恫喝する様に声を荒げた。
 サッキュバス達が飛んだ。
 ハートノエース王子をぶら下げ、大広間天井すれすれにあるステンドグラスに体当たりし、それを突き破って、外に飛び出した。
 騒然とする王城全体。
 城塞外郭に配備された衛士達も人質の前に手を出せなかった。尤も普通の弓矢やクロスボウではサッキュバスを撃墜出来なかっただろうが。
 この時、パルテノンの町を西へ向かって飛ぶ、男一人をぶら下げた三体の怪異が、沢山の町民にはっきり目撃されたという。

★★★
 大騒ぎの王城の大広間。
 気絶した女性も数多く出て、皆は突然の大事件に右往左往している。
 ようやく武装した衛士達が集まったが、時既に遅し。
 剣を手にしたパッカード王も、そして駆けつけてきた第二王子であるバラサカセル・トンデモハット王子も何が出来るわけでなく、ただサッキュバスが突き破ったステンドグラスを見つめていた。
 そんな大混乱の中、リュリュミアは一人、ポツンと赤いビロウドの上の毛皮の靴を眺めていた。
 一部分が少少、焦げている。
「あのー、これ、どうするんですかぁ。片づけないと誰かに盗られちゃいますよぉ」
 彼女の言葉を聞く者がない混沌で、ふとリュリュミアの脳裏に悪戯心が芽生えた。
「えぇい」
 マニフィカは右足をその毛皮の靴に入れた。
 しかし、彼女の素足は靴に対しては大きかった。
 次の瞬間。
 ツルンと滑る様に靴の中に全てが潜り込んだ。
 植物系のリュリュミアは骨格がなく、靴に入る様に足がしなやかに変形したのだ。
「あ、入っちゃいましたぁ。これでリュリュミアが一番ですねぇ」
 混沌としていた観衆の視点がやにわ、その一点に固定される。
 自分が大層な事をしでかしたのに気づいてないリュリュミアは、時間が止まった様な大広間の雰囲気の中でくすくすと笑うのだった。

★★★