『A FIRESTARTER』
第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 様様な言葉と共にコートを着込んだ人達で、広場はごった返していた。
 昼前だというのに暖かくはない。
 寒風吹きすさぶ町を、粗末な服をまとった貧しい子供達が走っていく。
 様様な屋台が並ぶ並ぶ市場。冬服の人ごみの間を抜けて、子供達がジグザグに走る。
 と、その内の一人が走りながらリンゴ売りの屋台に手をのばし、カゴに積まれていた赤い果実を手に取った。
「コラッ! 金を払いな!」
 屋台の売り手である中年女の怒声が飛んだ。
 しかしリンゴを盗んだ少年はその怒声など慣れた風で、走るスピードを緩めない。走りながらそのリンゴを齧る余裕さえある。
 中年女が少年を追って走りだそうとして、勢いで屋台を傾かせた
 屋台のカゴがひっくり返り、リンゴの山が崩れて地面に幾つも転がった。
 すると囲む人ごみの四方八方から子供の手がのび、地面のリンゴを一斉に拾った。そしてそれぞれがめいめいの方向へ走り出す。
 中年女の足は誰を追おうか躊躇して止まり、やがて全員に逃げられたのを知って、冬空を仰いで毒づいた。
 子供達の『泥棒ごっこ』は今日も無事に成功したのだった。
「って、こんなもんさ」
 リュリュミア(PC0015)の分までリンゴを取ってきた子供達のリーダー格が、彼女にそれを放ってよこしながら自分のリンゴを齧る。
 裏路地。
 めいめいの方向に逃げていた十人の子供達は再び集まり、屋台から盗んできたリンゴを食べている。中には一人で三個も盗ってきた強者もいた。
「泥棒ごっこって、そのものズバリ泥棒の事だったのねぇ」
 裏路地のリュリュミアは呆れたとも驚いたとも区別がつかない口調でぽやぽや〜と感想を述べた。
 先日、自分がしていた『マッチ売りの少女ごっこ』の事を知人に話したら叱られたリュリュミアは「ならば貧民街の子供達は何をして遊んでいるんだろう」という興味で、子供達に遊びを教えてもらっていた。彼らが日常茶飯事に行っているという泥棒ごっことはまさしく泥棒そのものだった。リアル泥棒ごっことでもいうのか。
 で、結局は泥棒につきあう形となったわけだ。リュリュミア自身は泥棒はしていないが。
「他に遊びはないかしらねぇ」
「他の遊びねえ……」ボロボロのネッカチーフを巻いた子供達のリーダー格が大人びた感じで唸った。「後は年少の子供達がやる縄跳び数え歌とかかな」
 五歳くらいの小さな女の子達がリュリュミアの前へ出て、洗濯物干しとしても使われているロープで縄跳びを始めた。「ワン! ツー! アグニータが来るぞ!」二人の間で回されるロープを跳ぶ子供達が、跳んだ回数を囃す調子で歌い始める。「スリー! フォー! マッチに火を着けろ! ファイブ! シックス! 火が燃え広がる! セブン! エイト! アグニータは焼けちゃった!」
 幼児性とは残酷な一面を持つのかもしれないが、あまりにも恐ろしそうな歌を子供達は面白げに歌った。
「何なのぉ、その歌ぁ?」
「アグニータの数え歌だよ」
 リーダー格の少年がリュリュミアに教える。
「何ぃ? アグニータってぇ?」
「さあな。俺らも物心がつく前から歌ってるし。今の大人がガキの頃にはもうあったんだろうな」
 少年の答を聞いて、リュリュミアは小首を傾げた。
 アグニータ。
 どうも人の名前の様だが。
「ところでお望み通り、俺達の遊びを教えてやったんだから、約束のお駄賃をいただくぜ」
「ああ、そうねえぇ。じゃぁ、これあげるぅ」リュリュミアは布袋に入った沢山のジャガイモを子供達に与えた。彼女の能力で速成栽培した物だ。「ちゃんと公平に配るんですよぉ」
「ありがてえ。これで一週間ぶりに家でまともな食事を出来るぞ」
 子供達は皆で一つのジャガイモの大袋を抱えて、リュリュミアの前から走り去った。
 貧民街へとその姿が消えていく。
「アグニータねぇ」
 それは女性の名前に思える。
 濃灰色の曇天の下。リュリュミアは以前に遭遇した、人の言葉を喋る木に変身した、燃える炎の様な姿をした少女を思い出していた。

★★★
 姫柳未来(PC0023)がざっと調べたところによると『マッチ』製造は錬金術ギルドが仕切っているらしい。
 といっても錬金術ギルドはただマッチを便利な実用品として作っているだけで、それが卸し元によって家庭用、軍用、冒険者用、その他とどんな風に買われ、使われるかにはタッチしていない。
 ただ、それらを大量に買いつける顧客の中にはその一部を少女に渡し、性犯罪まがいのハレンチ事に使っているのは事実だ。ヤクザとかマフィアとかその手の犯罪組織の様な気がする。少女の稼ぎをピンハネするのだ。
 未来は怒った。
 必ず、かの邪智暴虐の奴らを除かなければならぬと決意した。
 未来には政治が解らぬ。
 未来は、JKのエスパーである。
 ミニスカートを履き、仲間と遊んで暮してきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
「貧困で困ってる子供を利用して、ふしだらなマッチ売りをさせるとか、ホント最低ね!」
 だから、未来はその性犯罪まがいの事させている悪党のアジト(仮に犯罪者ギルドと名づけておこう)に一人で殴りこんだ。
 未来は彼らの活動拠点である裏街の小さな建物に入るなり、制服のミニスカから『マギジック・レボルバー』を取り出した。中から出ようとしていた人相の悪い男に粘着ゴム弾三連射を見舞う。
 パンチパーマに似た髪型の男は顔面に一発、胸に二発の弾着を食らい、後方の事務所へ吹っ飛ぶ。
 ミニスカがひるがえり、その素晴らしく白く長い脚が躍り込んだ。
 中ではチンピラ風の若い男達がテーブルについて談笑していた。だが、その空気が乱入に一瞬で緊迫する。
 純白のパンティが見えた。
 そう思った瞬間に相手は顔面を蹴り飛ばされ、犯罪者ギルドの壁に叩きつけられた。
 敵の一人が武器を抜いた。大型のナイフだ。
 しかし、それが斬りつけたのは瞬間移動した未来の残像だ。
 未来は蹴った。
 蹴った。
 蹴った。
 更に蹴った。
 蹴る度に純白のパンティが雪景色の様に清冽に眩しく輝き、男達に物理的打撃と心理的衝撃による鼻血を見舞う。テレポートを交えたアクションに幻惑され、犯罪者ギルドの男達が床で埃を噛む。
 しかし嵐の様な連続蹴りは彼女の体力を消耗した。空振りも多くなる。
 未来は事務所の奥の大机に陣取った一番偉そうな男に、まっすぐ腕をのばしてマギジック・レボルバーを向けた。引き金は今にも指を絞らんとする。
「お金を出しなさい」未来は大きな黒瞳で男を睨みつけてストレートに要求を述べた。自分の息が上がっているのが解る。「そのお金は元元あの子達が稼いだものなんだから、あの子達の為に使ってもいいよね」
「随分と威勢のいいお嬢ちゃんやな。わてはあんたみたいなお嬢ちゃんは嫌いやないで」
 親玉らしい派手な、それでいてデザインセンスのいい服をまとった男はこの事態に眉一つ動かさない。
 実力者だ、と未来は感じた。
「まあ『マッチ売り』が原因で来たっちゅう事みたいやな」
「随分と察しがいい、と言っておこうかしら」
「市井の噂っちゅうのを集めやすい仕事をしてますさかい」
 その親玉は眼線で合図して、若い者に未来が座る椅子を用意させた。
 銃を突きつけたまま、未来は腰を下ろした。
「話が早いわ。あの『マッチ売り』をさせてる少女達から集めた売上金を全部出しなさい。彼女達を解放してあげるのよ」
 未来は売上金を町の孤児院に寄付し、その潤った孤児院で貧しい少女達を手厚く保護してもらうつもりでいる。
「フィーナの両親は病気でね」男はマッチ売りの一人の名前を口にした。「祖父や祖母も亡くなってるんで、その子が何としてでも彼女が日日の生活費を兄弟の分まで稼がねばならへんかったんや。そのフィーナに仕事を与えたんはわいや。もっとえげつない仕事をさせる事も出来たんやで」
「まともな仕事を与える事も出来たんじゃないの……!」
「まあ、少なくともフィーナには働かないで金を恵んでもらうって気持ちはなかったんやろな。幼い少女が出来る仕事なんかたかが知れとる。マッチ売りはその子が選んだ仕事なんや」
 語る親玉につきつけた銃を下ろしながら、未来はショックを受けていた。
 その時だ。
「おい! お前達!」
 張りのある呼び声が聴こえてきた。
 突然、揃いの武装をした大勢の男達がこの犯罪者ギルドにどやどやと侵入してきた。
 衛士だ。
 このオトギイズム王国で兵士と警察を混ぜた様な職務についている。
 彼らは未来のキックによって気絶していたチンピラ達を起こして立たせ、機敏に縄で拘束していく。
 一番、偉そうな衛士がサーベルを親玉に突きつけた。
「逮捕する!」
 衛士を呼んだのは未来だった。
 あらかじめ連絡をつけておいたのだ。
 犯罪者ギルドの男達を拘束して外に連れ出していく衛士達の列を、未来は満足げに眺めた。
 犯罪者ギルドの親玉も捕縛された。
 後は、この事務所にあるはずの売上金を探し出して、寄付するだけだ。
 だが、衛士の隊長は未来の前に立って大きな声を張り上げた。
「王城も来てもらおう!」
「……え、ウソ!? 何で!?」
 未来は『パルテノン』の王城へと連れていかれた。

★★★
 あの火事に立ち会って、貧民街救済キャンペーンを始めた者達がいた。
 夜が明けてからの事だ。
 食事も出来る洒落た喫茶店。
 水の精霊『ウネ』様から力を借り、消火活動に貢献出来たマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は、購入した資材が役立った事にも満足しつつ、お約束の『故事ことわざ辞典』を紐解いた。
 するとそこに記されていたのは「情けは人の為ならず」という言葉。
「なるほど、利他主義の本質はエゴイズムに通じるという解釈に似ていますわね」
 先日、ジュディ・バーガー(PC0032)と、何やら思い悩んでいるビリー・クェンデス(PC0096)から相談を受けていた事もある。
 これもまた『最も深遠に坐す母なる海神』のお導きだろう。
 マニフィカは貧民街で慈善事業を志すジュディとビリーに全面的に協力する事にした。
 貧民街の困窮者を救済したいという彼を大いに励ますのだ。
 しかし、どんなに立派な事業でも財源を確保出来なければ運営の維持は難しい。
 故にマニフィカは資金集めを重視した。
(残念ながら、善意だけで世の中を変えるのは難しいですわね)
 他者を動かす為には、何かプラスアルファが必要になってくる。
 その相手が権力者や資産家であれば尚更である。
 たとえ口実に過ぎなくても、善意を引き出す切っ掛けは重要。
 その為にマニフィカはいざという時の為に宝石箱にしまっている真珠を使う事にする。
 人魚族の真珠。
 涙が出るほど心動かされた数だけ、マニフィカが生み出してきた白輝の宝珠だ。
 それを丘の魔女『バレッタ・オリクエフ』に頼んで、彼女のデザインセンスで素晴らしい魅力を持つ真珠のピンバッジとして再成させた。
 それを八つ作った。
 マニフィカは以前オトギィズム世界で面識を得た裕福な高貴な身分の人達にそれを付した書状を出す。ネプチュニア王国の第九王女としての地位と名声を最大限に利用した。一国の王女としてこの町の貧民街の現状を訴え、真珠のアクセサリーと引き換えに寄付を募るのだ。
 まず資産家子女『サンドラ・コーラル嬢』。
 竜宮城の『乙姫』。
 人魚王国『エリアーヌ・アクアリューム王女』。
 オトギイズム王国『バラサカセル・トンデモハット王子』『トゥーランドット・トンデモハット王女』。
 獄門島の『桃姫』『むらさき姫』。
 デリカテッセン領『フローレンス・デリカテッセン女公爵』『スノーホワイト・デリカテッセン姫』。
 思い起こすにこれだけの人物を友にして冒険をしてきた。
 あの時以来の『友情も込めて』、マニフィカ。
 そして、しばらく待つにほぼ全員から幾らかの寄付が返信されてきた。トゥーランドットが寄付をよこさなかったが、それは彼女の性格だろう。
 ともかく息の長い活動を志向する為、あえて大金では無く、定期的な少額の寄付を希望した。送られてきたのはその通りの金額だ。
 ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)。
 率先垂範(人に先んじ、模範を示す)。
 この貧民街を徐徐にでいいから、恒久的によくするのだ。
 貧民街の救済を始めているちっちゃな福の神見習いビリーとたくましきジュディ。それにマニフィカに加わった彼女達の揃った意志だった。

★★★
 彼らにも想いはあった。
 なりゆきから、火災で焼け出された人達に炊き出しを施したビリーは、ある種の達成感を覚えていた。
 小さな事からコツコツと。
 しない善より、する偽善。
 たとえ偽善であっても、それが役立つのなら大いに結構。
 理想論や批判するよりも実際に行動してみるべき。
 まだ今は力不足かもしれないけど、だからこそ地道に経験を積んでいく努力が大切。
 ビリーはほんの一歩だけれども前に進めた気がする。
 そして、ジュディ。
 あの火事の時、子供を救出した直後だ。
 再び小腹が空いてしまった燃費の悪い彼女は、炊き出しの握り飯でも分けてもらおうとビリーに声をかけた時、何やら思い悩んでいた座敷童子から相談を受けた。
 貧民街の貧しき人達を救えないか。
 ジュディもビリーとその想いを共有した。
 二人の親しい友人であるネプチュニア王国の姫もそれに加わった。ビリーはマニフィカにも相談したのだ。
 ビリーとジュディとマニフィカ、三人の想いが固まった。
 そこまで確固たる意志を持ち、具体的には何をする?
 マニフィカは寄付を呼びかけた。
 ビリーとジュディは、それ以外にも何かやるべき事があると思えた。
 未来とリュリュミアから悲しい『マッチ売りの少女』や怪しい『燃える少女』の話を聞いたビリーは、そもそも貧民街の劣悪な環境が元凶なのではないかと感じていた。
 貧民街で目撃した光景……地面に座り込む老人、寄り添う痩せた犬の姿が脳裏に浮かぶ。
 やはり彼らを『救済』すべきでは?
 明日の食事も目処が立たない生活に絶望し、それが犯罪や怪異を招く温床になっているのでは?
 ビリーは、その考えをジュディとマニフィカに打ち明け、相談された二人には大いに励まされ、全面的な協力を約束してくれた。
 ビリケン坊やは純粋に嬉しかった。
 三人寄れば文殊の知恵。
 どうせなら色んなところを巻き込んで、短期的な一過性のイベントではなく、中長期的に継続可能な慈善事業の組織化を目指したい。
 話が大きくなりすぎ、ちょっと戸惑いも感じたが、あえて開き直った。
 それに応えたマニフィカの元へは、やがて返信と共に多くの寄付が届く。
 ビリーはというと『打ち出の小槌F&D専用』『指圧神術』をフル活用して貧しい人達に連日、炊き出しと治療を行った。今後の事業継続も考え、あえて安価で栄養がある簡素な食事の提供を心がける。
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)を手伝って炎上する住宅からジェレミー少年を救出したジュディは、彼が両親と再会する様子を笑って見送った後、陰ながらその後も応援する事にした。
 勿論、金銭も含めて物理的にだ。
 尤も応援する対象は彼らだけではない。貧民街の人間はそろって救われるべきなのだ。
 役割分担はチームプレイの要。資金集めや協力者の確保はビリーとマニフィカに任せ、自分は現場に出て最善を尽くす。ジュディはそう決めていた。
 明るいジュディは自然とムードメーカーでもある。
 戦火の絶えない故郷でも教会や地域コミュニティが慈善事業を積極的に担っていた。
 ジュディも子供の頃はボランティアに参加し、粗大ゴミの撤去に怪力を活躍させた思い出がある。
 この世界でも貧民街を教区とする教会があり、以前には慈善事業が試みられたはず。恐らく何らかの理由で中断を余儀なくされたのだろう、とジュディは考えた。
 例えば財政難や協力者の不足が予想とか。
 それで日をあらためてジュディはオトギイズム王国の教会を訪れ、貴重なノウハウを有する聖職者に相互協力を求めた。
 足りない部分を補い合えば、生まれた力は何倍も大きくなる。皆が幸せになる為の努力を諦めずに続けましょう、と彼女は教会を説得した。
 実質的な人手不足に関しては、マニフィカの伝手で消防隊のメンバーに協力を求めた。
 自分の故郷世界で知った『割れ窓理論』を例に出し、貧民街の環境改善に成功すれば結果的に放火が減るという可能性を示唆する。
 その意見はこの町の青年達を動かした。
 オトギイズム王国では消防隊は専門職ではない。
 非常事態に応じて、市井の青年達が防火服に身を包み、臨時のチームを組むのだ。勿論、消火訓練は時時に行っている。
 その青年達が防火の為として、町のゴミ処理や修繕を始めた。
 ゴミを生活用具としている貧しい民に慎重に許可を取りながら活動する。
 貧民の一部はその事に居住まいの悪さを感じている様だったが、確かに町は以前より奇麗になった。
 冒険者ギルドにも協力を求め、受付や酒場の片隅に募金箱を設置させてもらう。
 たとえ気まぐれでも、小銭を寄付した事が見知らぬ誰かを救うのは悪い気分ではないだろう。
 そう思うが、ギルドでの募金箱で見る冒険者達の生活は結構かつかつな様だった。
 それでも先日の火災で五件の家が燃えてしまった家族には、なかなかの見舞金を渡す事が出来た。
 喜ばれた。
 それは素直な感動だった。
 しかし最近の連続放火で家を失くした家族は彼らだけではない。
 それに貧しさにあえぐ者達がいるのもこの町だけではないのだ。
 それらの状況の中に身をさらしていると、自分達の手が届く範囲とは何故こんなに狭いのだろう、と感じざるを得なかった。
 そうしている内に気になる情報が手に入った。
 この貧民街の教会は焼失していた。
 時期的には連続放火ではない。それよりもずっと早く火事になったのだ。今の大人が子供だった時の話だ。
 それは放火かそうでないかの微妙なライン上の火災だった。
 火事は一人の少女の死をもたらしていた。
 彼女の名は『アグニータ』。
 『マッチ売りの少女』だった。
 どうやら寒い冬に教会の傍でマッチをまとめて燃やし、それが教会の火事となり、彼女自身もそれに巻き込まれたらしいのだ。
 新たな教会を作る力は貧民街にはなかった。
 その情報はマニフィカ、ジュディ、ビリーに『燃える少女』と結びつくのではないかと予感させた。
 また最近『マッチ売り』が仕事の最中に死んだ家族の姿影を目撃した者が少なくない事も解った。その幻影は彼女達に放火をそそのかすという。幽霊か、寒さが見せる幻影かそれは解らない。
 そして、三人の冒険者が慈善事業を始めてから少しすぎたある日。
「ホワット!?」
 貧民街で、大きな金属ゴミを自前の怪力で運んでいたジュディを、集まってきた衛士に呼び止められた。
「マニフィカ・ストラサローネ! ジュディ・バーガー! ビリー・クェンデス! お前達は我らと一緒に来てもらおう!」
 一番、威厳のある衛士が、何やらの書状と思しき羊皮紙を両手で掲げながら三人の名を呼んだ。
 現場を監督しに貧民街に来ていたマニフィカと、食事の供給を行っていたビリーも思わずその手を止めて、声の主を振り返った。
 衛士隊長は更に大きな声を張った。
「オトギイズム王国国王『パッカード・トンデモハット』陛下からの召喚である! パルテノンの王城へ来てもらおう!」

★★★
 オトギイズム王国王都『パルテノン』。
 その市街の中央公園によりそってそびえる石の王城。
 広い謁見の間。
 冒険者の六人が中央に立つ。
 リュリュミアとアンナもいた。
 状況は整然としていた。
 豪華であるが過美ではない。高貴で威厳のある、絶妙なバランスのデザインが成された玄室だった。
 奥の二段高い所に立派な王座があり、左右の壁には武装した衛士が壁の縁取りであるかの如く並んでいる。それは冒険者達と王との距離より近い。
 もし、謁見に訪れた者が何かしらかの意志で国王に対して襲いかかろうとしても、王に辿りつくより早く、武装衛士達が取り押さえるか打ち倒してしまうだろう。
 王座には略式冠をかぶった、貴族らしいデザインの衣装の、痩せた身を細い筋肉で締めた男が座っていた。
「私が国王『パッカード・トンデモハット』だ」
 黒髪が炎の如く逆立ち、黒瞳。
 大臣を横に立たせたオトギイズム王国の主権がまず名乗った。四十歳ほどの外見だが若い声だ。
「お前達がリュリュミア、アンナ・ラクシミリア、ジュディ・バーガー、ビリー・クェンデス、姫柳未来だな」
国王は冒険者一人一人の名を、その顔を見つめながら呼んだ。「そしてネプチュニア王国王女、マニフィカ・ストラサローネ姫」
 王に召喚された六人の冒険者達は礼儀として頭(こうべ)を垂れた。
 お初にお眼にかかります、陛下。お招き感謝いたします」
 マニフィカはいっそう慇懃に礼を尽くす。
「お前達に会おうと思ったのは他でもない、私財を投じ、また我が国の王子王女、貴家の子女、外国の王家の者から寄付を募り、我が国のある町の貧民街の救済活動をしている様だな。私の手の届かない事業に対して、先んじて行動し、成果を上げつつあるその手腕、オトギイズムの国王として礼を言う」
「かたじけありません、陛下」
 マニフィカは高貴なる口調で返礼した。
 この謁見の間では世俗とは別の厳かな時間が流れている様だった。
「この国の事情がこれで解ったであろう。この国は悲惨な国ではない。しかし、貧民達が私の眼の届かぬ所でつらい目にあっている実情が、この国にはあるのだ。私の愚をあからさまにする様であるが、なかなか手が届かない。貧民街はあちこちの町に自然発生してしまう傾向にあるのだ……あー」国王はそこまで言って一旦、言葉を切った。「やめた。ここからはフランクに行く」王は揃えて座っていた足を広げ、右腕を肘掛けにおいて、頬杖をついた。「ぶっちゃけ、王としては幾ら善政を布きたくとも細かいところには手が届かないんだ。すまんな。すまんのは解ってはいるんだが、国民一人一人、全ての民を差別なく満足たらしめるというのは俺の器量と予算と時間と治安力に限界があるんだわ」
 いきなり、くだけた態度になった王の態度に冒険者達は面食らった。
 今は国王というよりはただの偉そうなおじさんだ。
 この謁見の間にいる大臣や衛士達は、彼の態度の軟化に慣れている様で何の動揺もない。
「全て政治が悪い、というのは簡単だが、それを国王本人が言うわけにはいかない。貧民街は犯罪組織が横行しているが、それらはかろうじて貧民街を支配する事でバランスをとっているんだ。必要悪、とまでは言わんが、だが、もし奴らがいきなり壊滅してしまえば、貧民街はくつわを失い、新たな実権支配を目論む輩が暴走していっそうカオスとなるだろう。悪の存在がより酷い悪への抑止力になってるとは皮肉だが……。民にとっては聞きたくない言葉だろうが、これは自然の流れなんだ。言っとくが私は『悪』が嫌いだ。だが、こういう時には王としてはどうも後手に回ってしまう。衛士も強引に治安を守る以外はあまり役に立たん。強引すぎると民の心は離れる。それに影の中でしか生きられないという人間は存在するんだ。私が出来る事はそういう人間のリスクを減らす事くらいだ」
 まるで国王は市井の意見屋が政治を語る様に冒険者達に語っていた。
 マニフィカは驚いていた。
 アンナは呆れていた。
 ビリーは鳩が豆鉄砲食らった顔をしていた。。
 ジュディは親近感を覚えていた。
 未来は必死に理解を追いつかせていた。
 リュリュミアはぽやぽや〜としていた。
「お前達は外国に寄付の親書を送って資金を集めただろう。それはお前達のプライベートな活動かもしれない。だが、王としては頭上を越えてそういう外交をやられてしまうと『国王は今まで一体、何をしていたんだ』と面子を失いかねないんだ。バラサカセルとトゥーランドットにも寄付を募っただろう? 私としては王子王女のそれを知らんふりするわけにはいかん。それにある意味、我が国は外国に借りを作った形になってしまう。本人にその意思がなくともそれを政治的に利用しようとする輩が出ないとも限らんしな」
「では……」マニフィカはあくまでも気品ある人物に応対する様に振る舞う。「私達はどうすればいいのでしょう」
「私は冒険者というものを信頼してる」国王は一見、関係ないと思える言葉を言い切った。「俺もあちこち回ったからな。……、いや、それはいい。王は政治や歴史を相手にするのが精一杯だ。だが冒険者は直接、市井の声を冒険依頼として拾って、傷の治療にまわれるフットワークがある。だから、この国に『冒険者ギルド』という支援組織がある。出来る事ならばお前らにはあくまでも『冒険者』として活動してほしいんだ。冒険者にも光と影はある。お前らには清濁併(あわ)せもつ、民の一人一人の心と涙を知れる冒険者として動いてほしい」
「それはジュディ達のアクション、行動を制限しろという事デショウカ!? プア・タウン、貧民街の救済活動ヲ!? あくまでも冒険者としてのリクエスト、依頼された以外の事はスルナ、と」
 ジュディは数歩前に出て、大きな声を国王に張り上げた。
 大柄な彼女が王との距離をつめた事に一瞬、並び立つ衛士達が緊張した。
 国王が動じた様子はなかった。
「いや、冒険者としての本分は自覚してほしいという事だ。少なくともしばらくは救済活動の流れは止まらんだろう。それよりは町の連続放火の犯人を直接どうにかしてほしい。逮捕するか、退治するか、それはお前らに任せる。五千人の軍隊が渡れない橋も十人の冒険権者なら渡れる事がある。ここにお前らに直接、冒険を依頼する。連続放火犯をどうにかせよ。国王からの命(めい)、報酬は一人頭、五十万イズム。この報酬をどう使うかは勿論、お前達次第だ。……長広舌が過ぎたな。すまん」
「ええやん」と屈託なくビリー。「玉座にふんぞり返って苦虫を噛み潰している王よりも、くだけたおっさんでいる方が好感度上がるとちゃうん?」
 最後に国王はこう締めくくった。「でも、今のこの態度は国民には秘密だぞ」
「えー、ええやん」

★★★
 六人の冒険者が国王に召喚されてから二日がすぎた。
 黒い夜空の下。
 町の広場は北風が止まない寒い冬の底にあった。
 相変わらず、救済活動は続いていた。
 割れ窓理論。一枚でもガラスが割れた窓があるとそれはもっと沢山の窓ガラスが割られてしまうきっかけになるという理論から、町のゴミや浮浪者は出来得る限り、一つ一人も漏らさない様に救済活動の対象とされた。
 今夜は回収されたゴミの内、燃える物を組んで町広場の中央に三mもの高さの櫓(やぐら)の様にしていた。
 これはアンナの提案だ。
 先日の火事現場で幾本もマッチの燃えカスを見つけたアンナは、これが火種であるのは間違いないと確信していた。
 しかし、あそこまで燃え広がるものだろうか。
 これにはリュリュミアと未来が言っていた、あの『燃える少女』が関係しているに違いない。マニフィカが召喚する精霊の如く。
 この世界で力を発揮する為に、きっかけを焚きつけているに違いない。アンナはそう思った。
 年端も行かない子供達が、悪魔の囁きにのるのを見逃せない。
 では彼女とどう相対するか。
 先手を打って、誘い出す手立てを考えるべき。
 それでアンナは消防隊をしている青年達に頼んで、この様な『燃やす為』の櫓を組んだのだ。
 その作業を手伝っていたジュディや炊き出しを終えたビリーも完成した櫓の周りに集まってきた。
 悪そうな奴らが近寄ってこないかを見張っていた未来やマニフィカも。
 ぽやぽや〜としつつ、さりげなく救済活動を手伝っていたリュリュミアも。
 近くの建物や通りからも野次馬が集まってくる。
「イズ・ディス・キャンプファイヤー?」
「違いますわ、ジュディさん。でも……ファイヤー!」
 油をかけられた櫓に消防隊の一人の手によって、火が着けられる。
 櫓は猛然とした炎を上げて燃え盛った。
 広場が一気に明るくなる。
 周囲の空気は熱風になった。
 野次馬は騒然となったが、近くで消防隊が見守っている事に気づいて安心している。
 勿論、消火設備の準備はしてある。
 轟轟とした音と共に、櫓は夜を焦がす。
 貧民街の民や野次馬達はこれが暖をとる為の物と勘違いしているらしい。
 長い影を背後に引きながらアンナは待っていた。
 来るのか?
 来ないのか?
 果たしてこの誘い出しは成功するのか?
 少少、櫓が崩れかかり、事情を知る者はこの計画が失敗したものと思ったその時。
「キャーハッハッハッハッ!」
 甲高い少女の笑い声が明るく照らされた夜空に響き渡った。
「……アグニータねぇ」
 リュリュミアは空を見上げ、思い当たる名を呼びながら火の粉をよける。植物系の彼女は火が苦手だ。
 櫓から上る炎の先端に少女が浮かんでいた。全身が燃える炎だ。少女の形をした意志を持つ炎だった。
「なかなか燃える展開じゃないの! こんなに炎が燃えるならば、小細工せずともあたしもパワー全開ね」
 アグニータがさぞ楽し気に大笑いした。
 野次馬達は大騒ぎになった。
「アグニータ!」アンナは彼女に呼びかけた。「一体、あなたは何故、こんな事を続けますの!? あなたの望みは一体、何なのですの!?」
「あたしの望み!?」赤く燃える邪悪な眼が笑いの形になった。「決まってるじゃない! この世界を燃やしつくせ! こんなダメな世の中、爆弾一発で大爆発させたい!」
 宙に浮かぶアグニータが両腕を大きく振り回した。
 すると燃える櫓がいっそう大きく激しく燃え上がり、大きな火花が四方八方に散った。
 それは飛び火として周囲の家の屋根に着地して、炎を上げ始めた。
 今、火事が広がろうとしている。
「もはや悪霊ですわね……」
 騒然となる消防隊を背後に、アンナはそう呟かざるを得ない。
 夜の町は炎のシルエットとなろうとしている。
 この町に大火が襲いかかろうとしていた。
 生きた発火装置、アグニータの禍禍しい笑いと共に。
★★★