フィアレルの希望 第6回

ゲームマスター:高村志生子

 精霊の封印が解けたさいに洞窟の天井が崩れて、封印の間は今は開けた広場になっていた。世界に再び力が満ちたせいか、上空には澄んだ青空が広がっている 。しかし精霊の怒りを受けてか、森の木々は激しい風に揺さぶられて荒れ狂っていた。
 光の精霊レイフォースから情報を受けていたリオル・イグリードが、怪我の手当てを受けていたマリーを中心に集まっていた仲間たちに向かって告げた。
「つまりね、長い間の封印に怒りを感じて、我を忘れている状態らしいんだよ」
「正気を失っているようなものなのかしら」
 リリエル・オーガナの問いにリオルがこくんとうなずいた。
「レイフォースが言うにはね。それで暴走しているみたいだよ」
「そう。じゃあなんとかして説得しないといけないわね」
 リリエルの言葉に、はいはいといくつもの手が上がった。このまま放っておいては本当に世界が破滅しかねない。説得に赴こうという仲間たちを心強く思いながら、リリエルがある提案をした。
「一度にすべての精霊を説得することはできないと思うわ。あたしの世界にある テラフォーミングの理論にしたがってやってゆきましょう」
「テラフォーミングじゃと?」
 魔術には造詣の深いエルンスト・ハウアーは手を上げたうちの一人だったが、 物質文明界特有の言葉は聞きなれなかったらしく、怪訝そうな顔になった。
「そう。簡単に言うと惑星開拓改造の理論なのよ。はじめに太陽(火)、そして 惑星に風(空気)があり、空気の存在によって水が存在でき、大地(土)が育ま れるという考え方ね。だからその理論にしたがっていくと、火、風、水、土の順 で説得するのが一番無理がないと思うの。どうかしら」
「まあそれはいいんじゃが、そんな余裕があるじゃろうか」
「順番はそれでいいとしても、手分けはしたほうがいいね。シルドナや凶暴化し たモンスターの相手もしなきゃならないんだからさ。連絡役は僕が務めるよ。レ イフォースがいるから気配でわかるんだ」
「そうね。じゃあそれはリオルにお願いするとして、誰がどの精霊に行くかね。 あたしは地の精霊に行くつもりだけど」
「ワシも地の精霊の説得に行くつもりじゃ。一番相性がいいはずじゃからな。あ の若造から奪い取った力も説得に役立つじゃろうて」
 エルンストの体内には、シルドナから吸い取った力が満ちていた。リリエルが うなずくと、エルンストの背後からリューナが顔をのぞかせた。
「火の精霊のところにはわたしが行くわ。あ、そうだ。リーンとマリーにも協力 してもらえないかしら」
 マリーの怪我の具合を確かめていたリーンが振り返った。
「あたしたち?」
「そのテラフォーミングとかの理論で行くと、最初が火でしょ。一番肝心だと思 うの。リーンたちは封印した者の末裔なんだから、そのへん役に立つんじゃない かな」
「いいわね、行きましょう」
 戻った魔力で怪我を治してもらったマリーが、魔法剣を手に立ち上がった。リ ーンが心配そうにその顔を覗き込んだ。マリーは安心させるように微笑み返した 。
「私もあなたも、シルドナと対峙するわけにはいかないでしょう。でも黙って待 っているのは嫌。リューナの言うように、封印をしたのは私たちの祖先なのだし 、だとしたら今のこの事態のきっかけを作ったのもその祖先ということよね。そ の責任というわけじゃないけれど、少なくとも封印を解くことに協力したのは私 だもの。なんとなくだけど、このサークレットと魔法剣があれば交流がとれそう な気がするし」
 マリーの手には祭壇から持ってきたサークレットが握られていた。リーンはそ っと寄り添って、サークレットに触れた。
「火の次は風だね。それにはオレが行くよ」
 次に名乗り出たのはアルフランツ・カプラートだった。アルフランツは横笛を 掲げながらリリエルに言った。
「特にシルドナと同調しているみたいだし、この荒れ狂い方、うまく同調しない とならないよね。オレは自分が使うのが風の魔法が多いし、なんとかできると思 う。火の精霊を説得している間、まずは同調できるか試しているから」
「火、風ときたら次は水ですねぇ。私もシルドナさんのところには行けないです からぁ、そちらを担当しますぅ」
「そう言えば大丈夫なの?」
 シルドナに操られていたらしいことを思い出してリリエルが問うと、アクアが 困ったように笑った。
「なんかぁ、シルドナさんがすごく怒ってるってことは感じるんですよねぇ。そ れ以上のことは今のところ影響ないみたいなんですけどぉ、やっぱり怒ってるシ ルドナさんには近づきたくないって言うかぁ。近づいたらまた従わされちゃいそ うでぇ。だから精霊さんの方に行きますねぇ」
「じゃあそういうことで分かれようか」
 リオルが近づいてくるモンスターの気配を感じ取って名乗りを上げた仲間を促 した。リューナがはっとしてモンスターの方に向かおうとしていたトリスティア とシャル・ヴァルナードを引き留めた。
「待って、マホロビには手を出さないで」
「なんで?巨大化して危険だよ」
 トリスティアが危うく踏みとどまって答えた。リューナは軽くうなずいて言葉 を続けた。
「その巨大化したって言うのが気になるのよ。もしかしたら火の精霊と深い関わ りがあるかもしれないわ。だから説得に利用してみたいのよ」
「そういうことなら、マホロビの方はお任せします。ボクたちは他のモンスター の方に行きましょう」
 シャルの言葉に、トリスティアが早速やってきたバッファローに流星キックを くらわしながら応じた。
「了解、行くわよ!」
 はじき飛ばされた一体の後ろから集団となったウルフが詰め寄ってくる。だだ っと駆けだしたトリスティアは、かけ声も勇ましく身軽に回転しながらその群れ の中に入り込んでいった。足に炎がまとわりつき、獣の体に触れた瞬間、爆発が 起きる。焼けこげる臭いがしてウルフたちがばたばたと倒れた。
 さらにはその背後にバッファローの群れが姿を現した。トリスティアはウルフ の群れに集中していて離れられない。シャルが閃光弾を先頭の集団に投げつけた 。ぴかっとあたりが輝き、バッファローの動きが一瞬とまる。シャルはすかさず 両手に魔銃を構えて撃ちはなった。遠くにマホロビらしい炎の揺らぎが見える。 シャルはウルフの群れを一掃したトリスティアに向かって叫んだ。
「マホロビからは離れましょう。リューナの邪魔にならないように、後のモンス ターを引きつけておかないと」
「そうね」
 上空からはキマイラが滑空してきた。シャルはとっさに横飛びになって空中で くるりと回転した。動きながらねらいを定めキマイラの眉間に弾を発射させる。 すたっと地上に降り立ったシャルの脇に、打ち抜かれたキマイラの体がどさっと 落ちてきた。
「まだまだ!」
 トリスティアのキックがきれいに決まり、バッファローの巨体が遠くに飛んで いく。マホロビとは離れた方角に、シャルが再び閃光弾を放って注意を引きつけ た。明かりに影が映るようにトリスティアとシャルが駆ける。残りのバッファロ ーが追いかけてきた。
 集団が去るのを見計らって、リューナが合図を出した。
「リーン、マリー行くわよ」 「わかったわ」
 リューナにリーンとマリーが続く。目指すはマホロビの明かりだった。広場か ら離れたところで揺らめいている。リューナがリーンに言った。
「炎を出せる?」
「大丈夫。それで接触するのね」
「結界が張れそう。やってみるわね」
 マリーが魔法剣を地面に突き立て意識を集中させた。対の魔法具の手助けもあ ってか、寄ってきたマホロビを包み込むように結界の淡い光が辺りに広がった。 リューナとリーンは小さな火の玉を出現させると、マホロビに向かってゆっくり 近づいていった。巨大化したマホロビは精霊の怒りを表しているのか、炎を激し く渦巻かせていた。その中に出現させた火を潜り込ませる。とたんにぱあっと輝 きが増した。火の玉には2人の魔力が込められていた。それがマホロビの炎に溶 けこんでしまう前にさらに魔力を注ぎ込んだ。マホロビの勢いがますます激しく なる。熱気に耐えながらなおも魔力を注ぎ込んでいると、不意にマホロビの姿が 消えた。急に暗くなった視界に3人がとまどっていると、頭の中に声が響いてき た。
『おまえたちには懐かしい気配を感じる』
 声の元を探して目をこらすと、マホロビの居たところに小型の竜が居た。闇に 溶けこむ黒地の表皮に、炎の形をした赤い文様がくっきりと浮かび上がっている 。その視線はマリーとリーンに向けられていた。リューナが一歩前に踏み出すと 、竜は火を吐いてその動きを牽制した。ぽつぽつと火の玉が周辺に浮かび上がる 。リューナは仕方なく一定の距離を置いて竜に向かって話しかけた。
「懐かしい感じがするのはわかるわ。この2人はあなた達を封印した魔法使いの 子孫だから」
『なるほどな』
 火の玉がゆらゆらと近寄ってきた。緊張しながらもリーンとマリーは逃げなか った。リューナはその間に割り込むように体を入り込ませた。
「ずっと閉じこめられていて、色々な思いを抱いてきたんでしょうね。ごめんな さい。あの頃は、こちら側の人間はあなたがたと上手につきあう術を見出すこと ができなかったんだと思うの」
 すっと1つが頬をかすめた。痛みを感じてわずかに顔をしかめたものの、リュ ーナはできるだけ平静を装って言葉を重ねた。
「遠回りしてしまったけれど、もう1度、対話するところから始めることはでき ないかしら。封印したのは彼女たちの祖先だけど、封印を解いたのは彼女たちな の。わたしたちも協力したわ。あなたたちとつきあって行きたいから。ねえ、わ たしたちの思いは届くかしら」
『本気か?』
 リーンが身を乗り出してきた。 「もちろん本気よ。祖先たちだって好きこのんで封印した訳じゃないの。魔法使 いにとって精霊は何より身近な存在だもの。仕方なくやったことでも身を切られ るように辛かったと思う。封印を解いてそれがわかったの。お願い、罪があると いうならつきあうことで償わせて」
「あなたの気配を感じるわ。やっぱり魔法を使うものにとって精霊は大切な存在 だわ。それが痛いほどわかる。あなたたちは感じない?わたしたちの力を。とも に生きていくことはできないかしら」
 サラマンダーは再び炎ををはき出したが、どうやらそれは笑っているためのよ うだった。雰囲気が変わっている。火があるにもかかわらず、リューナは雰囲気 につられて手をさしのべた。サラマンダーがその手に飛び乗ってきた。
『変わった人間だな。でも同種の気配を感じることはできる。それでは対立し続 けることもできまい。つきあってみるのも悪くはないか』
 リューナの顔がぱっと明るくなった。そっと竜の体にほおずりする。竜はそれ を受け入れた。

                    ○

 その頃、広場から苦心惨憺して外に出ていたアルフランツは、荒れ狂う風の中 に身をさらしながら横笛を奏でていた。風の音にかき消されそうなそのメロディ ーは、怒りを静めるような素朴で暖かなものだった。しかしやはりすぐには同調 はできないようだ。不協和音をなんとかつなぎ合わせようとアルフランツが心を 込めて演奏しているところへ、エアバイクに乗ったトリスティアがやってきた。 背後に浮き上がると、風音に負けないように大声を張り上げた。
「リオルからの伝言だよ!サラマンダーは怒りを解いてくれたって」
 地下からは無数のサラマンダーがはい出てくるところだった。いずこともなく 消えていく姿を見ながら、アルフランツは演奏にいっそうの熱をこめた。と、空 気がなんとなく暖かくなってきた。同時に風の勢いが少し弱まってきた。アルフ ランツは横笛に自分の魔力を込め、そよ風のような流れを生み出した。その流れ に周辺の風が同調して行く。やがてアルフランツの前に小柄な女性が姿を現した 。逆立つ髪と陽気そうな瞳は水色だ。人間とは明らかに異なる気配に、アルフラ ンツがそっと横笛から口を離した。
「会えて良かった。もう怒ってないかい」
「私も仲間も怒ってるわよ!でも、あなたの笛の音は気持ちが良いわね」
「仲間って言うのはあの吸血鬼のことだよね。怒りが同調しちゃったんだ。それ はわかるけれど、せっかくこうして自由になれたんだからさ、どうせなら外の世 界で楽しいことをたくさん見つけていこうよ」
「楽しいこと?」
「世界って不思議に満ちているだろ。キミたちが解放されたことでそれはもっと 増えてると思うんだ。一緒にそれを見つけて行こうよ」
「一緒に……」
 シルフは考え込むように首をかしげた。アルフランツは再び横笛を演奏し始め た。その曲は先ほどよりももっと明るく楽しげだ。心が浮き立つような曲調に、 シルフの目が輝いた。
「いいわね、その音楽。もっと聴かせて」
 シルフの願いにアルフランツもほほえみを浮かべながら音を高らかに鳴らして 風に乗せた。ネコ耳がぴくぴく動く。体も自然に陽気に動き出していた。その周 りをシルフが舞い踊る。荒らしのような風は穏やかになって木立の間をすり抜け ていく。はずれの音が笛の音と相まって和音をなしていた。
「なんだか怒ってるのがばからしくなっちゃった。遊びに行きましょうよ」
 シルフは風にアルフランツの体を乗せた。上空に舞い上げられても、怖いとい う感じはしなかった。どこか安心できるような気配がアルフランツを取り巻いて いる。気分良く演奏を続けている視界に、近くを流れている小川のほとりに立っ ているアクアの姿が映った。アクアはしゃがみ込んで水の流れに手を差し入れて いるようだった。

 アクアは穏やかになった風に身を任せながら、水に差し入れた手から水氷魔術 を放っていた。その波長は水を小波だたせ、流れを変えた。ごぼごぼと水面が泡 立つ。少しずつ魔力を高めながら、水の精霊の気配をアクアは探っていた。
「絶対に仲良くなるんですぅ」
 しゃりんと音を立てて、もう片方に握った氷皇杖を水の中に突き立てた。全身 で精霊の気配を感じ取ろうと意識をとぎすます。やがて自分の魔力とは異なる気 配を感じ取った。流す魔力はそのままに気配を意識で追うと、自然に視線が水の 上に行く。そっと立ち上がると、目の前に長い青の髪をなびかせた女性が現れた 。
 身長はアクアよりやや高いだろうか。髪と同じ色の瞳がまっすぐにアクアを見 ていた。アクアがシルドナの怒りを感じ取っていたためだろうか。ウンディーネ の怒りをひしひしと感じ取って、アクアが悲しい思いに駆られる。それを少しで も癒そうと、アクアはすかさず歓喜の舞衣姿になって怒りを鎮める踊りを踊り始 めた。
 それだけではなく「解放された悦び」や「楽しい」感情をも呼び覚まそうとす る。アクアは魔力が混ざり合うのを感じながら、自分の中の会えたことに対する 喜びや嬉しい気持ちを一生懸命につかもうとしていた。そうすることによって精 霊やシルドナの怒りに巻き込まれないようにしていた。
『私は私ですもんねぇ』
 やがて少しずつではあるが怒りの感情が治まってくるのを感じた。それは風に 乗って流れてくる音楽も手伝っていた。
 ウンディーネはしばらくアクアの踊りを眺めていた。そこには不思議なつなが りが存在していた。混ざり合った魔力が歓喜に包まれて行く。癒しの力がアクア に注ぎ込まれ、アクアの中の呪縛がだんだんに解けていった。舞い踊るアクアの 側にウンディーネが近づいてくる。ひんやりした指先がアクアの頬に触れた。ア クアは踊りをやめると、ウンディーネに向かって言った。
「癒してくれてありがとぉ。そうですよねぇ、本来、水の精霊は自由な姿であり 、命の源ですものねぇ。怒りはわかりますけどぉ、その本質は忘れちゃ行けない と思うんですぅ。わかりますかぁ?」
「そうね。私は生み出す存在。破壊は似合わないわね」
「そうですよぉ」
 アクアがにこりとする。怒りがなくなったせいか、ウンディーネの表情は穏や かだった。

 広場ではリオルが嬉しそうにしていた。リリエルがリオルの肩をつついた。
「どうかしたの」
「みんなうまくいったみたいだよ。あとは地の精霊だけだね」
 側ではエルンストが積み上がった土砂の前にしゃがみこんで、地に手を当てて いた。シルドナから奪った力を開放して地中に流し込んでいる。注ぎ込まれた力 が大地に影響を与え、小人の老人が姿を現した。白いひげを長く垂らし、緑色の 服ととんがり帽を身にまとったノームは、難しい顔をしてエルンストをにらんで いた。エルンストも同じような表情で見返していた。
「冷静ではあるようじゃな」
「みなの怒りは鎮まったようだな」
 しわがれた声がエルンストのつぶやきに返る。エルンストは鷹揚にうなずいた 。
「何事も循環じゃて。光と闇が切っても切れぬように、怒りが治まればそこには 喜びがわくようなもんじゃ。周りを見渡せばそれがわかるじゃろう」
 リリエルも傍らにひざをついてノームを見下ろした。
「あなたたちを封印した者はもはやこの世には存在していないし、その子孫であ るあたしたちは魔力を失うという代償を支払った。精霊の力がなくなればこの世 界は滅んでしまうわ。そのことを学んだと思うの。地の精霊は慈愛と恵みの力で 満たされていると聞くわ。その力でもってあたしたちを見守って欲しい。あなた たちを封印した者の直接の子孫は仲違いしていたけれど、その関係も改善されて きているの。だから、お願い。今一度見守ってはくれないかしら」
「おや、とうの2人が戻って来たようじゃぞ」
 サラマンダーを連れたリーンたちが歩いてくるのを見て、エルンストが立ち上 がった。遠方ではまだトリスティアやシャルが戦っていたが、それもだんだんに 静かになっていくようだった。いまだ気むずかしい顔をしているノームを見て、 エルンストは諭すような声を出した。
「命は地に還り、また再生するもんじゃろう。その流れを変えることは精霊なら ばよけいにできぬはずじゃ。違うかな」
「あなた達の怒りが治まれば、モンスターもおとなしくなるんじゃないかしら。 むやみな戦いはしたくないわ。わかって」
 ノームは相変わらず気むずかしい顔をしていたが、ぱちんと指を鳴らした。小 さな体では鳴らした音はささやかなものだったが、モンスターには十分伝わった らしい。急に撤退されて焦ったようなトリスティアの声が聞こえてきた。
「おもしろい奴らだな。まあ、せっかくの世界だ。様子を見るのも良いかもしれ んな」
「じゃあ」
「怒りを感じてる奴はまだおる。さてどうでる?」
「それはあの若造のことじゃな」
 エルンストが上空を見つめた。

                  ○

 はじめ、深手を負ったシルドナの周りは怒りで満ちていた。長く封じ込められ ていた精霊の怒りは、半分は人ではないシルドナの怒りとも同調していた。自分 の怒りか精霊の怒りか判別がつかなくなっていたシルドナは、しかしその怒りの 気配が急速に失われていくことに困惑していた。
「こうなったら奴らだけでも……」
 精霊の怒りが失われたわけが敵対していた者たちのせいだと直感でわかったシ ルドナは、世界は滅ぼせなくともせめてその者たちは滅ぼしてやろうと、眼下に ぽっかり開いた穴めがけて下降して行った。
 シルドナの行方を追っていたルーク・ウィンフィールドは、洞窟にたどりつい たものの崩れた土砂に阻まれて先に進めないでいた。そこへ上空からやってくる 影に気づいた。
「シルドナか?」
 影が向かっている先にトランジション・クロスで転移する。転移した先ではマ リーたちが仲間になった精霊たちと和やかにすごしていた。
「ルーク、シルドナは?」
「残念ながらとどめはさせなかった」
「こっちに来るわ!」
 ルークの台詞にかぶさるようにリーンが叫んだ。ルークはきっと上空を見つめ ながらマリーたちに言った。
「お前たちはここから離れていろ。邪魔をされると面倒なんでな」
「邪魔なんてしないわ」
 マリーが憮然として言うと、ルークは自嘲気味に笑った。
「また間に入られちゃ迷惑だって言っているんだ。それにお前には自分のすべき ことがあるだろう。あとで後悔するような真似はするな……お前はな」
「ルーク?」
「いいから行ってろ!」
 怒鳴りつけて自分は広場の崖を身軽に登って行く。シルドナの接近をひしひし と感じ取っていたリーンがみなをうながして、洞窟からの脱出を図り始めた。
 襲い掛かってきたシルドナに向かっていったのはルークだけではない。凄嵐に 乗ったグラント・ウィンクラックも真っ向から飛び降りてくるシルドナをめがけ ていた。
 立ちふさがる存在に気づいたシルドナが、崖の脇に方向転換しながら火球を放 ってくる。それをするりとかわしグラントがシルドナの正面に来る。そして破軍 刀を呼び出しながらすたっと飛び降りた。
「長いこと封印されてきた精霊たちの怒りはもっともだとは思うぜ。だけどそれ でその子孫まで恨むのはやりすぎだろ。手前ぇの、自分の思い通りに行かなかっ たから世界を滅ぼすなんていう考えもな!」
「やりすぎがどうした。人間など滅んでしまえばいいんだ」
「止めて見せるさ。さあ、今度こそ逃げはなしだぜ。決着つけようじゃないか。 それともお前の怒りってのは、自分ひとり滅ぼす賭けもできないほどちんけなも のか!?」
「ほざけ!」
 だっと詰め寄ってきたグラントに向かって、シルドナが雷を落とす。雷に打た れて倒れてきた木をグラントが破軍刀で切り払う。背後からルークが呼びかけて きた。
「手下どもが来るぞ!」
「まとめて来いってもんさ!」
 散らばっていた手下どもが首領の危機を察知して集まって来ていた。とっさに 煙玉で煙幕を張りその動きをけん制すると、周辺の手下どもに向かって気弾を放 った。ルークは空間を転移してグラントとは反対側にでて、シルドナを挟み撃ち にする形をとった。
「ルーク……貴様」
「お前とはもっと違う出会いがしたかったな。が、今さら言っても始まらん。お 前はここで倒す!」
 シルドナの魔法は広範囲の攻撃ができる。挟み撃ちにしたところで、追い詰め られたとはルークもグラントも思ってはいなかった。じりじりと距離を狭めてい く。先に攻撃に転じたのはグラントだった。
「でやぁ!」
 破軍刀の長い間合いをうまく使って、詰めの1歩を踏み出すと横になぎ払う。 シルドナは風の結界を張ってその攻撃を防いだが、勢いに押されて吹き飛ばされ た。ルークが入れ替わるように飛び出すと、銃剣の切っ先をシルドナに向けて突 進していった。シルドナは転がりながら複数の火球を立て続けに投げつけ、足止 めしようとした。しかしそれで止まる勢いではない。体勢を立て直せないままで いたシルドナの体に銃剣の切っ先が吸い込まれようとした。その瞬間だった。
   シルドナの背後からいきなり高熱波が襲い掛かってきた。思いがけない攻撃に ルークとグラントが慌てて間合いを取る。その間に蝙蝠の翼を持った人影がシル ドナに近寄っていた。
「大変遅れて申し訳ありません」
 テネシー・ドーラーはウィップソードを構えてシルドナを背後にかばうように 立つと、冷静な声でシルドナに告げた。ルークとグラントが同時に駆け寄ってく る。テネシーは2人に向かってウィップをしならせ、炎を走らせた。
「ちっ」
 グラントが空を走ってきた炎を破軍刀で左右に切り開く。ルークはトランジョ ン・クロスでシルドナの背後を取ろうとした。
「邪魔をするなぁ!」
「こちらの台詞です!」
 現れたルークに、テネシーは火の珠をウィップにはめ込んで火鞭とし攻撃した 。シルドナも風の刃でルークを攻撃した。ルークがごろごろと転がる。しかしそ のときには正面からグラントが攻撃を仕掛けていた。
 気弾が発射され、テネシーを襲う。テネシーの小柄な体が弾き飛ばされそうに 見えたが、テネシーは無表情にウィップをふるい、今度は風を呼び出すと気弾を 相殺した。
「まだだ!」
 グラントは再び間合いを詰めてテネシーと対峙した。テネシーは武器をソード 型に変えて身軽にグラントの攻撃をかわしていた。その間にルークがシルドナに 銃剣を突きつけていた。弾がシルドナの腕を貫く。片腕を振り上げたシルドナは 、火の雨を降り注がせた。防御を無視したルークの銃剣がシルドナの腹に突き刺 さる。すかさずルークがグラントに合図した。
「離れてろ!……零距離だ、もらうぜ。吼えろ、ファントムファング!」
 高圧エネルギー弾がシルドナの体内に吸い込まれていく。爆発がおき、全身ぼ ろぼろになったシルドナが吹き飛ばされる。さすがに吸血鬼なだけあって、並の 人間よりはタフだったのか、それでもシルドナは立ち上がってこようとしてきた 。
「シルドナ様!」
 テネシーが宙に飛んでグラントの攻撃をかわすと、そのままシルドナの元に舞 い降りた。グラントがとどめを刺そうと詰め寄りテネシーのソードをはじく。ケ ルベロスが背後に控えているのを警戒しつつもろともに切り裂こうとしたときだ った。
「待って、もういいでしょう」
 リュリュミアの必死な声がグラントを止めた。
「この怪我では、もう戦えないと思うんですぅ。シルドナさんももうやめません かぁ?精霊も開放されたんですしぃ、シルドナさんも怒りから解放されてもいい と思うんですぅ」
 リュリュミアは息を切らしながらシルドナの前に座り込んで訴えた。シルドナ はくっと短く笑った。
「おまえも僕になりたいのか」
「そうやっていつも血を吸って僕にしていたんじゃ、誰も信用できなくなってし まいますよぉ。あなたの部下全員がそうなわけじゃないでしょぉ」
 言われてシルドナはルークにチラッと目をやった。ルークが苦笑いを浮かべた 。
「確かに俺は僕にされたわけじゃないな」
「わたしは人間じゃありませんからぁ、血を吸って僕にすることはできませんよ ぉ。血、流れてませんからぁ。それでもシルドナさんに生きていてもらいたいで すよぉ。可哀想だものぉ、こんな大怪我をしてぇ」
「まあ、盗賊なんだからな。このまま官憲に引き渡してもかまわないが」
 グラントがそれでも油断なく破軍刀を向けながら言った。シルドナに肩を貸し ていたテネシーがシルドナを見上げた。
「わたしはシルドナ様を裏切りません。僕にされようとされまいと、どこまでも ついてゆきます」
「俺ははじめからシルドナを倒すことが仕事だったんだ。裏切られたといわれて も仕方はないが、後悔はしていない」
 ルークの台詞にとうとうシルドナは笑い出してしまった。
「雇われ者か。ならわかる」
「おとなしくお縄につくんだな」
 グラントが宣言すると、シルドナは不適な笑みを口の端に乗せた。
 自由なほうの手が上がり、開いた手のひらの上に赤い球が現れる。それはぱち んと弾けて消えた。
「これでリリューティアたちは自由だ。そうだな、1からやり直すのも悪くはな いかもしれないな」
 それをつかまることへの了承だと取ったグラントが、足を踏み出す。と、そこ へシルドナが火球を放ってきた。不意打ちに飛び退ると、シルドナが高らかに宣 言してきた。
「シークスはこれからも続いてゆく!俺たちは自由だ!」
 そしてテネシーもろとも姿を消す。シルドナだけではない。手下たちも転移さ せたのか、姿を消していた。ルークが肩をすくめた。
「振り出しに戻るということか」
「でも人を信用するということを覚えてくれたみたいだねぇ」
「逃げられたのはお前のせいだぞ」
 グラントのつっこみにリュリュミアがえへへと笑う。ルークが銃剣をしまいな がら言った。
「どこへ行こうと関係ないさ。俺は俺の仕事が終わるまで、あいつを追い続ける だけだ」
 精霊が開放された森はさわやかな風が吹き、きらめく光が満ちている。ルーク はそのままシルドナの後を追って姿を消し、グラントとリュリュミアは仲間たち の元へ戻っていった。

                    ○

 出口がふさがってしまったため、エアバイクで運んでもらったり転移したりし ながら全員が広場から外に出る。風も収まった森は、モンスター生息地帯という 名にはふさわしくないくらい、明るく穏やかな雰囲気に包まれていた。精霊の力 が満ちているのがわかる。それは魔力をあまり持たないマリーにもよくわかった 。
 と、急にリーンが悲痛な声を出した。
「なに、なにかしら」
「どうしたの!?」
「よくわからないけど、なにかが失われたみたい……そんな感じが強くするの」
 長くシルドナの支配下にあったリーンにとって、その支配がなくなるのは自分 の一部がなくなるのと一緒だった。急激な解放は、喪失感を伴っていた。原因は わからなくても妹がひどく落ち込んでしまったことはマリーにもわかった。しか しどう言ったらいいのかわからないででいると、ディック・プラトックが2人の 背中に手を当てて優しく声をかけてきた。
「大丈夫だよ」
 当てられた手から温かな気が流れ込んでくる。それは落ち込んでいるリーンの 気力を復活させるには十分な力を持っていた。蒼白になっていた顔に血の気が戻 ってくる。「癒しのタッチ」を使いながらその様子を見守っていたディックは、 2人が落ち着いたのを見計らってぽんぽんと軽く背中をたたいた。リーンがほぅ っと長く息を吐き出す。マリーが笑顔になった。
 そこへ相変わらずソラの後ろに隠れた佐々木甚八がやってきた。
「どうやらすべて終わったようだな」
 見るとシルドナの元に行っていたはずのグラントたちがやってくるところだっ た。甚八はグラントの方に視線を向けたまま、マリーに言った。
「君はこれからどうするんだ」
「どう、って?」
「家に戻るのか、このまま冒険者を続けるのかと言うことだ。シルドナの件は片 が付いたようだからな。自分たちのことを考えなきゃならないだろう」
 問われてマリーはしばらく黙り込んでいた。リーンは期待に満ちたまなざしで マリーを見ていた。
「由緒ある家柄の、遥か父祖から受け継がれてきた理念を理解できないなら、家 を引き受ける資格はないだろう。そして冒険を続けたとしても地に足の着かない 浮かれ者でしかない。束縛が悪いことだとは必ずしも言い切れないぞ。人々はそ うやって歴史に根ざした共有の価値や秩序を守り伝えてきたのだから。封印の解 放を成し遂げた今なら、言っている意味はわかるだろう」
「魔法が使えなくなったことは、封印のことを知っていた私にもショックだった わね」
「実感していなかった?」
「それまではどうでもいいと思っていたわ。でも、みんなが困っているのを見て 、大変なことだってわかった。封印の解放後の精霊の怒りについてもそう。封印 をしたのはうちの祖先だけど、その影響は世界全体に及ぶものだった。真実を知 るものは少ないけれど、忘れてはならない事ね」
 ようやく視線をそろそろとマリーに向けた甚八は、それでも顔は直視はできず に足下に目をやっていた。
「冒険者にも誇りはある。それは確かなことだ。だが最初に自分に与えられた誇 り……家の心、家族の心を背負わずただ奔放に振る舞うことが誇りたり得るのか 。それを「今の」君が誇りとできるか。家に帰ることを無理じいする気はないが 、自分を見つめ直す時期ではあるだろう。そうだな、家や冒険以前に、大人にな るための努力をする意識の方が大切だ。違うか」
「マルグリット姉様……」
 ディックが「癒しのタッチ」の力を強めた。2人に勇気を出させるために。
「マリーもリーンも本当はどうしたいんだ。このまま本当の気持ちを心の中にた めていてもいいのか。だってな……これから2人でやることなんてあるだろ。な にがしたい?誰と一緒にいたいんだ?ま、そんなの俺たちが言わなくても大丈夫 だよな。他人がどう言おうと、自分がどうしたいかが大事なんだ」
「まあもう少し冒険で見聞を広めてから、家に帰るのも手ではあるけどな」
 甚八が付け足すと、ディックがにやりと笑った。視線を落としていた甚八には その表情は見えなかったが、不穏な気配は察したらしい。案の定、ディックはマ リーたちの背中に当てていた手に力を込めて、2人の体をぐいっと甚八の方に押 しやった。とたんに甚八が逃げ出した。
「よけいなことをするなーっ」
「あはは」
 悲鳴を上げた甚八と明るく笑うディックを見て、マリーも笑い出していた。様子を伺っていた姫柳未来があきれたように肩をすくめた。
「まったく男どもは……」
 仲間の傷の手当てをしていた坂本春音もやってきて苦笑していた。
「しょうがないですねえ」
 未来はディックの手から2人を奪うと、グラントたちの周りに集まっている仲 間とは離れた方角に誘っていった。ディックがあわてて引き留めた。
「おい、どこに行くんだ」
「ディックが言ったんじゃない、自分がどうしたいかが大切なんだって」
「だから後は2人っきりで話をさせてあげましょう」
 春音もにこにこしながら3人の後に続いて歩いていた。
 4人の足下をサラマンダーがちょろちょろと着いて歩いていた。小川のほとり ではウンディーネが美しい歌声を響かせている。ざわめきから遠ざかると、未来 は適当な石に2人を座らせた。
「ちょっと待っててね」
 がさごそと手にした荷物をあさり、未来が紅茶を入れる。春音は腹ごしらえの できる物を用意していた。
「ここなら邪魔は入らないと思いますよ」
 携帯食料を手渡されてリーンが「ありがとう」とうなずく。春音がちょっと首 をかしげた。
「さっき聞いたんですけど、シルドナさん、また大けがを負って逃げ出してしま ったんですって。どこに行ったんでしょうねえ」
「さあ。もう全くなにも感じないの」
「……良かった」
 リーンの返事にマリーがぼそりとつぶやく。未来は春音を促すと立ち上がった 。去り際にちょっと振り返り、言葉をかけた。
「マリー、もうリーンを置いて逃げたりしないでね。リーンも、マリーが何を言 っても、気持ちをわかってあげてね」
「けんかはしないで下さいね。しっかり話し合って、わかりあってくださいね」
「わかってるわ。大丈夫よ」
 見返すマリーの目に迷いの色は見られなかった。リーンだけはまだ少し不安そ うだった。立ち去りながら春音が未来に言った。
「大丈夫でしょうか」
「結論を出すのはあの2人だわ。でも、何となく大丈夫な気がする。うまく行く わよ」
 取り残された2人はしばし無言だった。立ち上る紅茶の香気が鼻腔をくすぐる 。不意におなかがすいてきたことに気づいたマリーが、もらった食料を食べるよ うリーンに言った。
「いろいろあったもの。休息はしっかり取らないと」
「姉様」
 それをはぐらかしと捕らえたリーンの言葉尻がきつくなる。マリーは笑って紅 茶を一口すすった。
「冒険者としてやってきたことは無駄じゃなかったと思うわ。こういうときどう したらいいのかわかるもの」
「そうじゃなくって」
「でも、それも今日でおしまいね」
「え?」
 リーンがきょとんとした顔になった。マリーはまっすぐにリーンを見ていた。
「あなたがまだ望んでくれるなら、私は家に戻るわ。封印のこととかもっときち んと勉強して、同じ過ちを犯さないよう伝えて行きたいし、あなたにもこれ以上 淋しい思いをさせたくない。私もあなたを失いたくない。もうあんな思いはたく さんだわ」
「本当に?本当に戻ってきてくれるの?」
「魔法のことはやっぱりあなたの方が詳しいし、調べるの手伝ってくれる?」
「もちろんよ!大好き、姉様」
 リーンがマリーに抱きついた。その温もりを感じて、マリーの笑みが大きくな った。

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