フィアレルの希望 第4回

ゲームマスター:高村志生子

 うっそうとした森の中、失われたものを思ってマリーが嘆いていた。
「リーンが行ってしまうなんて……」
 ディック・プラトックがつとめて明るく言い放った。
「ま、なんだな。リーンは洗脳されているようなもんだろ。まずは取り返して、 正気に戻らせてやらないとな。それにしても、指輪の事とか過去の事とか、一気 にいろいろありすぎてるけど、マリーはよく頑張ってるよな。このことが解決し たら……今まで2人がバラバラに信じて思ってきた道を、リーンと2人で歩んで ゆけたらいいよな?唯一の家族なんだからな!」
 その明るい口調に少しは救われたのか、マリーが顔を上げてふふっと小さく笑 った。
「ありがとう。そうね、落ち込んでいても仕方がないわね。指輪の事なんてもう どうでもいい。リーンさえ無事に戻ってくれれれば」
「そうですねぇ。どうせなら指輪をシルドナに渡しちゃったらどうですかぁ?」
 リュリュミアが首をつっこんできた。
「もちろんただでなんて言わないですよぉ。リーンの呪縛を解く事を条件にする んですぅ。マリーにとって大切なのは、指輪よりもリーンでしょぉ。渡す事に抵 抗はないんですよねぇ」
 それに異議を唱えたのはリューナだった。
「そんなことしたら魔法具が向こうにそろっちゃうじゃない」
「どうせ魔法は今はあまりうまく使えないんですしぃ、いいんじゃないですかぁ ?あとで取り返す事だってできるでしょうしぃ」
 それではっとしたようにリューナがマリーを振り返った。
「そういえばさっきちょっと言いかけていたわね。予言ってなんのこと」
 問われてマリーがああとうなずいた。
「精霊界の扉の封印に関係してる事なんだけれど」
「封印ねぇ。どうしてされちゃったんですかぁ」
 マリーは思い出すように言葉を選びながら言った。
「その昔、時の国王が精霊の力をおそれて、私たちの祖先に命じて精霊界につな がる地点を封印したらしいの。それは極秘事項だったから、公には記されていな いわ。ただ祖先が書き残していたの。この世界の魔法の力の源は精霊の力だから 、いずれ力は使い果たされて魔法が使えなくなるだろうって。今がきっとそのと きなのね」
「じゃあ封印に何かあったから魔法が使えなくなったわけじゃないのね」
「逆ね。たぶん封印が解けたら、また前のように魔法が使えるようになると思う わ」
「そう。じゃあその扉を探してみない?」
 リューナの問いにマリーがかすかにほほえんだ。
「これだけ魔法が深く浸透している世界だもの。使えなくなるのは問題があるも のね。いずれ探して、封印を解くのもいいかもしれないわね」
 リュリュミアがう〜んと顔をしかめた。
「勝手に封印を破っちゃったりして大丈夫ですかぁ?家が取りつぶしになったり しちゃいませんかねぇ」
「そのときはそのときよ。魔法が使えないままでいるよりはいいでしょう」
「どうせならシルドナに破らせちゃったらどうですかぁ。マリーやリーンが関わ るよりいいと思うんですけどぉ」
 そこでディックが口を挟んできた。
「そう、まずはリーンの事が優先だろ」
 と、坂本春音がディックの服を引っ張った。
「あ、それでわたし、ディックさんにお願いがあるんですけど」
「俺に?なんだ」
「眠りのエキスを少し分けて下さいませんか。リーンを正気に戻すにしても、ま ず身柄を確保しないといけないですからね。そのときに抵抗されないように、使 いたいんです」
「ああ、いいぜ」
 ディックが手荷物の中から「眠りのエキス」を取り出して春音に渡す。その様 子を見ていたマリーのそばには、佐々木甚八のパートナーであるソラがぴったり くっついていた。ディックがなんとなしに自分は離れて立っている甚八に問いか けた。
「なんで甚八じゃなくてソラがそばにいるんだ?」
 眉間にしわを寄せた甚八がマリーを見ないようにしながら答えた。
「シル子はマリーを狙ってくるはずだろう。護衛だ、護衛。いいかマリー。油断 するなよ。妹を思う気持ちがあればシルドナの精神攻撃には耐えられるはずだ。 それを忘れるんじゃないぞ。体はソラが守ってくれるから、自分を見失うなよ」
「なんだ、自分で守ればいいじゃないか」
 わかっていてやっているのだろう。不意ににやりとしたディックが、マリーの 体を甚八の方に押しやった。とたんに甚八が飛び下がった。
「わ〜ばかやろう!寄せるんじゃねえよ!」
 極度の女アレルギーで涙声になってしまった甚八の反応にディックが気をよく していると、いきなりあたりが火に包まれた。いや、雷が落ちて周囲の木々を燃 え上がらせたのだ。突然の襲撃に、誰しもが一瞬、反応を遅らせた。
「あっ!」
 交換などと面倒なことはやめにしたらしい。リーンを伴ったシルドナが、手下 を引き連れて現れていた。リーンの姿にマリーが思わず前に出ようとする。それ をソラが押しとどめた。
「ソラ!マリーは任せたぞ」
 甚八が言い捨ててシルドナに向かっていく。ディックも真正面に立ち向かって いった。
 リーンはすっかり敵方と化していて、威力の落ちた魔法をそれでもたくみに操 って、マリーに向かって来ようとしていた。ディックはその姿に思わず声を張り 上げていた。
「リーン!元に戻って、マリーと一緒にいてくれよ!マリーはリーンにとって、 唯一生き残った家族なんだ。リーンにとってもそうだろ!家族を見捨てるような 、家族を敵に回すような、そんなことはやめにしようぜ。戻って来いよ!お前の 居場所はそっちじゃないだろ」
 しかしディックの必死の訴えはリーンには届かなかった。
「あたしはシルドナ様と一緒にいるの!家族と一緒にいろというなら、マルグリ ット姉様がこっちにくればいいじゃない。一緒にシルドナ様の僕になりましょ。 ねえ、姉様」
「リーン!」
 泣き出しそうな声でマリーが叫ぶ。立ち向かってこられても、リーンを攻撃す ることはマリーにはできなかった。短い距離を転移しながら近寄ってくるリーン の後ろから、シルドナが駆けて来ていた。マリーが傷ついてもかまわないのだろ う。ひゅっと音を立てて風があたりをなぎ払う。真空の刃に切り裂かれて、ディ ックが立ち止まった。
「シル子!そんな男のなりをしたって俺はだませないぞ!」
 陣八が意味不明な決め台詞を言う。ディックががっくりきていると、正面にリ ーンが現れた。
「わ〜」
 陣八が反射的に逃げ腰になる。入れ違いに前に出たディックが、とっさに拾い 上げた枝を構えながら、リーンとマリーの間に割って入った。リーンがむっとし た顔で閃光を放つ。威力は弱かったが、若干の隙を作ることはできた。思わず目 を細めたディックの横をリーンが通り過ぎる。マリーがやむなしと剣を構えよう としたときだった。背後の茂みから人影が躍り出た。正面きってやってきていた リーンに注意していたソラがあわててリーンを抱えて逃げようとしたが、それよ りわずかに早く、人影はマリーに組み付いて、そののど元に銃剣の切っ先を突き つけていた。
「この女はもらったぜ」
 ルーク・ウィンフィールドはもがくマリーをしっかり抱えて後退しようとして いた。ソラが足元まで伸びるウエディングベールを瞬時に装着し、飛び寄ろうと した。それをルークが言葉で押しとどめた。
「おっと、この女の命が惜しくないと見えるな。こっちは指輪さえあればそれで いいんだがな」
「ソラ、待て!」
 甚八の命にソラがぐっと押しとどまる。ルークはマリーを引きずりながら、そ の耳元でそっとささやいた。
「おまえに協力してもらいたいことがある。今は一緒に来てくれ。身の安全は保 障する」
 意外な言葉にマリーの手から力が抜けた。
 ルークの周りをシルドナの配下の者たちが取り囲むようにして追っ手を阻んで いた。それよりなにより、リーンとシルドナはまだ攻撃をやめていなかった。シ ルドナの放った雷で木が倒れ、ルークの逃亡を手助けする。リーンは森に火を放 っていた。ぱちぱちと音を立てて薄暗い森が赤い炎に包まれる。リーンはシルド ナに絶対の信頼を置いているのか、炎を背にしながらシークスの面々と一緒にと どまっていた。その相手をしているのはグラント・ウィンクラックだった。
 グラントはただ闇雲に手下たちを相手にしているのではなかった。状況を把握 しつつ、手下たちとリーンが離れるよう戦いながら移動していた。馬の形をした AI「凄嵐」で炎の中を縦横無尽に駆け巡りながら、手にした破軍刀を一閃させ る。なぎ払われて手下どもが悲鳴とともに倒れた。ざわめきが起こる中、挑発す るように声を張り上げた。
「おらおら、お前らの腕はこの程度かよ!」
 シルドナが面白そうににやりと笑い、グラントに向かって風の刃を放ってきた 。
「へっ、そんな攻撃が通用するもんか」
 ざん!と破軍刀を突き立てると、風の刃は切り裂かれて周囲の木の枝を散らし た。リーンがシルドナに向かって言った。
「あたしにやらせて!」
 自分のことは攻撃してこないと計算してのことだろう。リーンが自信たっぷり に火球を連続して放ってきた。威力のあるものは出せないまでも、それを数で補 うつもりなのだろう。炎が加勢してくれることも期待して、グラントに向かって かけてきた。
 がグラントは焦らなかった。リーンの前にアクア・マナが立ちはだかったから だ。リーンのことはアクアに任せることにして、グラントはシルドナと手下たち が邪魔をしないよう、再び凄嵐を浮き上がらせた。
「さあさあ楽しい踊りの時間ですよぉ」
 アクアはわざと陽気な声を出してリーンの注意を引き寄せた。リーンが魔法を 放とうと身構えると、すかさず普段着ているドレスを脱いで歓喜の舞衣姿になり 、さらりと足を踏み出した。
 しゃらんらと鈴が鳴り、アクアの舞が始まる。攻撃を予想していたリーンは、 意表をつかれてさすがに動きを止めた。
 アクアの踊りはただの踊りではなかった。動くたびに衣からかすかに響く鈴の 音が、さまざまな感情を引き出してくる。リーンは支配された心の奥から姉を失 ったときの悲しみや怒りの感情を浮かび上がらせて、とまどいとともに悲哀の表 情を見せた。
「あ、ああ」
 アクアの動きに気をとられていた手下たちも、それぞれに自身の感情に振り回 されて混乱し始めた。そこへグラントの攻撃が襲い掛かる。
 シルドナも感情の変化を感じていたが、頭に立つだけはあった。とっさの判断 で手下どもに撤退を命じていた。その頃にはマリーを連れ去ったルークの姿は見 えなくなっていた。長居は無用なだけだった。
「逃げるな!」
 グラントが身を翻したシルドナの後を追う。シルドナはすっとどこかへ転移し てしまった。
 残されたリーンは、まだ混乱の中にいた。それでも僕となったつながりが、シ ルドナの移動を伝えたのだろう。視線をさまよわせながら逃げ出そうとしたとき だった。
「きゃあ!」
 瞬間移動でリーンの背後に現れた姫柳未来が、勢い良くステッキを振り下ろした。それは混乱していたリーンの首筋に見事に当たり、リーンはたまらず地面に 倒れこんだ。
「春音!」
「わかってます!」
 駆け寄ってきた春音が、ディックからもらった「眠りのエキス」をリーンの体 に振りまいた。リーンはしばらくもがいていたが、やがておとなしくなった。春音が静かになったリーンの頭をそっと抱えて、その顔を覗きんだ。
「どう?」
「効いたみたいです」
「ちょっと手荒だったけど、うまくいったかな」
 未来がかすかに笑いながら春音に言った。春音もリーンをささえながら笑い返 した。
「おい、連中が戻ってくる前に撤退するぞ。このあたりは炎がやばそうだしな」
 未来と春音がほのぼのとしていると、シークスの面々が去ったのを確認してい たグラントが呼びかけてきた。確かにシルドナやリーンの放った魔法のせいで、 あたりには炎と煙が渦を巻いていた。アクアが水氷魔法を使って消火にいそしん でいたが、いかんせん魔法の威力が足りない。未来と春音は慌ててすっかり意識 を失っているリーンを抱えて立ち上がった。

 とりあえず炎の危険がない場所まで逃げてくる。リーンはいささか火傷を負っ ていたが、それは春音が癒した。昏々と眠り続けるリーンを横目に見ながら、未来が悔しそうに歩き回っていた。
「マリーが奪われてしまったのは計算外だったな。マリーがリーンの心に強く呼 びかければ、あるいは洗脳が解けるかと思ったのに」
「ねえ、リーンが向こうにいたって事は、精霊界の扉の封印の事もシルドナに伝 わっていると考えていいわよね」
 リューナが未来に言った。未来は足を止め、少し考えた後、同意するようにう なずいた。
「そうね。魔法具がそろったでしょ。きっと封印を破りにくるんじゃないかな」
「だったらこっちも封印の扉を探してみない?リーンなら知っていると思うのよ 。扉を見つけるまでマリーの事は殺さないだろうし、闇雲に行方を追うより効率 がいいんじゃないかしら」
 真っ先にリュリュミアが賛成した。
「そうですねぇ。封印を破ろうとするときに隙ができるかもしれませんしぃ、シ ルドナに封印を解かせて油断したところを狙えば、マリーも魔法具も取り返せる かもですねぇ。うまく倒せたらリーンの呪縛だって解けるでしょぉ」
「問題はマリーもシルドナに洗脳されてしまった場合だな」
 グラントの危惧は、あながち誤りではなかった。
 そのころ、マリーを連れ去ったルークは、一足先にアジトに戻っていた。追っ 手を警戒して、残り少なくなってしまった手下どもに周辺の警備を頼み、自分だ けがマリーの見張りに立つようにしむける。二人きりになったわずかなチャンス に、ルークはマリーに自分がシルドナを殺すために雇われた暗殺者で、見方の振 りをして仲間に入り込んでいるのだという事を告げた。
「信じろって言うの?」
「シルドナは封印を解いて精霊の力を手に入れようとしている。そのとき必ず隙 ができるはずだ。そこを狙うつもりだ。手を貸して欲しい。おまえだってシルド ナが生きていたら妹を取り戻せないだろう。悪い取引じゃないと思うが」
 それでも信用していいのかマリーは迷っていた。そこへシルドナが戻ってきた 。リーンが一緒じゃない事に気づいて、マリーがいぶかしげな顔になった。
「リーンは……」
「向こうの手に落ちたらしいな。まあ、その気になればまたこちらに戻ってくる さ。それより指輪を出せ」
「指輪は渡すわ。だからもうこれ以上、私たちに関わらないで!」
 指輪をはめた手をぎゅっと握りしめてマリーが叫ぶと、シルドナは無造作にそ の腕をつかんで体を引き寄せた。銀髪のポニーテールが揺れ、白い首筋に後れ毛 がかかる。むき出しになっているそこへ、シルドナがいきなりかみついた。鮮血 がしたたり、シルドナの喉にごくりと飲み込まれていく。マリーは恐怖で失神し てしまった。
 力の抜けた体から指輪を抜き去ると、あっけにとられて見ていたルークの方に 放ってよこす。反射的に支えながらルークが問いかけた。
「僕にしたのか?」
 シルドナはサークレットをはずして指輪をはめ込んでいるところだった。
「いや。その必要はないからな。まあちょっと仕掛けはさせてもらったが。とり あえずリリューティアが戻ってこなかったら、こいつに精霊界の扉まで案内して もらおう……それにしても、やはり若い女の血はうまいな」
 マリーの血で濡れた唇の端をあげて、シルドナがにたりと笑う。ルークは無言 でかすかに顔をしかめただけだった。
 シルドナが去ってからすぐに、マリーは気がついた。洗脳はしていないとシル ドナは言っていたが、ルークは一応警戒して、様子を伺った。
「やっぱり吸血鬼だったのね」
「正確には貴族の女とのと間に生まれたハーフだそうだ。吸血鬼の血の方が濃い らしいがな。気分はどうだ」
「大丈夫……みたい。なにか変わった感じはしないけれど」
「おまえに封印の場所への案内をさせる気らしいぞ。どうする」
 暗に協力をほのめかす。シルドナが言った「仕掛け」が気にならないわけでは なかったが、マリーの様子は至って普通に見えた。
「妹を取り返したいか?」
「もちろんよ!」
 その質問には即答される。まっすぐに見つめてくる瞳に偽りは感じられない。 僕にしてはいないというのはどうやら本当らしい。ルークが黙ってマリーの返事 を待っていると、マリーが困った顔になった。
「あなたを信じていいのか……私にはわからないわ」
「俺は俺の役目を果たすだけだ」
 ルークの返事に、マリーは目を閉じて思案にふけった。

                ○

 それより少し前のこと。コート渓谷の洞窟の中に、洞窟よりも深いため息が流 れた。
「冗談じゃない」
 ため息をついたのはリオル・イグリードだった。ため息をつきながらも表情か らはなにもうかがえない。触れない障壁をしげしげと眺めていたエルンスト・ハ ウアーが、ため息の先が聞こえないことに振り返った。
「どうしたんじゃ」
「精霊の気配がまったく感じられない」
 簡潔な返事に、エルンストも簡単に応じた。
「そういう世界じゃからな」
「精霊界との間が封印されているってのはマリーに聞いていたさ。けれど僕は精 霊の力には敏感だからね。封印越しにでも話ができると思ったんだよ」
 封印から何も感じられないだけではない。身近な力の存在も今は微小だ。もの に動じることのないリオルをもってしても、ため息の一つも出ようというものだ った。
 障壁の周辺は光る苔に埋め尽くされていて、ぽうっと明るい。どこか幻想的な 雰囲気の中、リオルの嘆きにはかまわずにエルンストは障壁に向かって手を伸ば した。しかしやはり障壁に触れることはできず、伸ばした手はすかっと空を突き 抜けた。
「ふむ。モンスターどもはどうやって現れとるんじゃ?」
 一人ごちていると、近くで苔を採取していたアルフランツ・カプラートが顔を 上げた。
「そうだよね。いきなり出たりいなくなったりで、どっかからわいて出ていると しか思えないんだけど。やっぱりここだと思うの?」
「ワシの考えじゃが、そう、モンスターどもの出現・消失の仕方が変じゃろう。 この障壁の性質はよくわからんが、いわゆる『門』みたいなもんじゃなかろうか 。不可視の次元の裂け目があって、封印はそれに作用しているんじゃろう。で、 モンスターじゃがな。その裂け目から漏れ出した精霊の力がモンスターという歪 みとなっているか、あるいは実体のある精霊界の生き物がこの『門』を自由に行 き来できるんじゃないかと思うんじゃが」
 犬のハンターに周囲の空間を探らせていたシャル・ヴァルナードが、探索をハ ンターに任せてエルンストの方にやってきた。その空間では風が未だ渦を巻いて 吹きすさんでいた。シャルはその吹き出し口を探していたのだが、どうもそれら しい場所が見つからないのだ。
「この空間に来たら、魔法の威力が弱まりましたでしょう。なにかこことそれが 関係していると思うんですけど、エルンストさんはどう思いますか」
 エルンストは軽く首を横に振りながら答えた。
「魔法の威力が弱まったのは、ワシらがここに来たからというわけじゃなかろう て。おそらくそれも封印に関係しているんじゃなかろうか。さっき言ったように 、モンスターと精霊界になんらかのつながりがあるとすれば、封印されたのはモ ンスターの大量発生を危惧しての事じゃろう。この世界の魔法の源は精霊の力じ ゃからな。封印してしまえばいずれは枯渇してしまう。たまたまその時期に来た という事ではないじゃないかな」
 とハンターがわんわんと吠えてシャルを呼んだ。シャルが急いでそこに向かう と、洞窟の壁に亀裂が入っていて、風はその向こうからやってきているようだっ た。亀裂の向こう側にはまだ広い空間があるようだ。幸い通り抜けられそうなの で気配に気を配りつつ、さっそく入ってみようとして、リリエル・オーガナに止 められた。
「待って。行く前にちょっと調べてみるから」
 亀裂の向こう側もほのかに明るい。やはり光る苔が生えているのだろう。リリ エルは新式対物質探索機を操って向こう側の空間を調べてみた。やはり苔は探索 機には反応しないようだ。静まりかえっている機械を見ながらリリエルが考え込 んでいると、突然シャルがリリエルを突き飛ばした。
「危ない!」
 見れば目の前にマホロビが出現していた。魔法生物であったため、機械が感知 しなかったらしい。シャルは魔銃を抜きはなつと、精一杯の魔力を込めて弾を発 射させた。
「ち、だめか?」
 弾は出たが威力が弱かったためマホロビの姿は霧散せずにぶわっと広がっただ けだった。そこへトリスティアがコールドナイフを投げつけてきた。ナイフに付 与された氷の力がマホロビを消滅させる。からんと球状になったものをシャルは 拾い上げた。
「新手よ!今度は実体があるみたい」
 リリエルの声にはっとすると、背後にマホロビの集団を従えたバッファローが 突進してくるところだった。反射的に拾い上げたものを投げつける。ぱっと閃光 が広がり、目がくらんだのかバッファローの動きが混迷した。シャルはすかさず 駆け寄り、急所を銃で思いっきり殴りつけた。その周辺をマホロビが取り囲む。 かかっと高速でコールドナイフが空を飛んだ。ぱたぱたっとマホロビたちが閃光 弾と変化して落ちる。その早業にシャルが目を丸くした。
「いったいいくつ持っているんだ」
「へへっ」
 トリスティアはいくつも投げつけたにもかかわらず、まだ手に数本のナイフを 持っていた。
「まだまだ余裕はあるから安心してね!」
 そして言うなりヒートナイフを投げつけ、息を吹き返したバッファローの急所 につきたてた。爆炎が起こりあたりに肉の焼ける匂いが漂った。
 その間もリリエルは忙しく機械を操っていた。アルフランツが採取した苔を持 ってきた。
「こんなもので足りるかな」
「ありがとう。十分よ」
 岩肌からひきはがされた苔はそれでもまだ燐光を放っていた。触れるというこ とは実体があるものではあるらしい。が、やはり機械には反応がない。これも一 種の魔法生物なのだろうかとリリエルは思った。
 アルフランツは苔を渡したあと、ネコ耳をぴんとたてて亀裂の向こう側に聞き 耳を立てていた。風の音やモンスターの気配がやかましいが、その中に混じるで あろう何かを求めて、意識を集中させていた。
「あ」
 と、リリエルとアルフランツの声が重なった。アルフランツが感じたのは岩の 砕ける音だったが、同時に探索機が激しく反応しだしたのだ。アルフランツが亀 裂のそばにいたシャルに向かって叫んだ。
「危ない、離れろ!」
「え?」
 シャルが驚いて振り返った後ろで見る間に亀裂がびきびきと広がり壁が崩れだ した。シャルが降り注ぐ瓦礫を避けて戻ってくる。荒れ狂う風は勢いを増して壁 をどんどん破壊してゆく。亀裂のあった場所だけではない。部屋全体の壁が壊れ だしていた。どうやら2重構造になっていたらしく、実際にはそこはもっと広い 空間だったようだ。ほこりがもうもうと舞い上がる中、異変に気づいたのはリリ エルだった。
「苔が光らなくなっているわ」
 幸いというべきかわからないが、マホロビが再び集団であわられたので洞窟内 は明るい。しかし崩れた壁にへばりついていた苔は光を失い、消滅しだしていた 。壁自体がそのほとんどをその苔で構成されていたようだ。苔が魔法の力を失う ことで壊れたものと見える。風だけが勢いを増していた。
 壁が完全に崩れた向こう側で待っていたのは、キメイラの一団だった。囲まれ て一同が障壁の周りに集まった。
「足元!」
 機械の反応でリリエルがすかさず注意を促す。足元からはワームの群れが地中 から這い出てくるところだった。マホロビの炎に照らされて濡れた体がてらてら と光る。比較的小さいのでシャルの魔銃でも十分に倒せたが、いかんせん数が多 かった。リリエルも探索はいったん中止してフォースブラスターで応戦し始めた 。
「あ、これは」
 障壁を背にしていたリオルが小さくつぶやいた。つぶやきを聞きつけたエルン ストが視線を向けると、リオルは障壁に向かって真剣な顔をしていた。
「どうしたんじゃ」
「今、精霊の気配を感じた気がするんだ」
 攻撃は仲間に任せてリオルは意識を障壁に集中させた。一瞬感じた気がする気 配は今は感じられない。しかし障壁に何かが起きているのは確かだった。ぼやけ て見え、触れることさえできなかった障壁にゆっくり手を伸ばす。その手は障壁 の少し手前で阻まれた。見えない壁がそこにあるかのようだ。手ごたえをなでる ように探っていくと、その壁は球形に障壁を取り囲んでいるようだった。リオル の行動を見守っていたエルンストが首をかしげた。
「なにがあったんじゃ。さっきはなんの手ごたえもなかったんじゃじゃぞ」
「わからない」
 リオルたちは知らないことだったが、それはシルドナがサークレットと指輪を 組み合わせた直後のことだった。それが封印の本来の姿を回復させたのだろう。  リオルと一緒にエルンストも障壁の周囲を取り囲んでいる不可視の壁を探り始 めた。
「ふむ、強い魔力を感じるな」
「精霊の気配はなくなったけどな」
 2人が探っている間も、モンスターとの攻防は続いていた。飛び掛ってきたバ ッファローをトリスティアのとりもちランチャーが絡めとる。その上から飛んで きたキメイラにはヒートナイフの連射がお見舞いされた。バッファローの上に落 ちたキメイラからダークレイピアが転がり出た。それを拾い上げたトリスティア は、這い上がってこようとしていたワームをレイピアで貫いた。ワームは傷口か らぶすぶすといやな匂いのする煙を立てて絶命した。
「このレイピア、毒をもっているみたいだよ」
「じゃあ急所を狙えばいいかしら」
 フォースブラスターのエネルギー残量を気にしていたリリエルが、武器を持ち 返る。ワーム相手ならこれで十分そうだった。
「ワームは任せて。リリエルはキメイラとバッファローを」
「わかった!」
 マホロビは浮遊しているだけで襲ってくる気配もないので、明かり代わりに残 すことにして残りをとにかく片付けることにする。しかしきりがなかった。まる でモンスターは障壁を守っているかのようだった。
「あーもう、きりがないなあ!」
 トリスティアがスカートの内側からもナイフを取り出して放った。このままで はこちらに損害がでかねない。リリエルが探索機を操ってモンスターの気配のな い方角を探った。
「いったん退却したほうがいいわ」
「ってどっちへー!」
「向こうに洞窟が伸びているみたいだよ。行こう!」
 今いる部屋は風が吹き荒れていたが、空気の流れが穏やかな場所がある。アル フランツがそちらを指差した。
「そうね、モンスターもいなさそうだわ」
 リリエルも応じる。マホロビの落とした閃光弾を放って活路を開きながら一行 は洞窟の奥に逃れた。
 やはりモンスターは障壁を守っているのだろう。そこまでは追ってこなかった 。一息ついてから今後の対策を練ることにした。
「やはり魔法には魔法かしら」
 リリエルの言葉に、エルンストがモンスターの様子を見ながら答えた。
「魔力の落ちている現在で、封印が破れるじゃろうか」
「やってみないとわからないよ!」
 トリスティアがやる気満々で言った。リオルがマリーに聞いていたことを思い 出していた。
「封印の解除には対の魔法具が必要らしい。まさかと思うけれど、さっき障壁の 周辺にいきなり壁ができたのはその対の魔法具と何か関係があるんじゃないのか 」
「え、もしかしてそろったとか?」
 誰の手にとは言わなかったが、思い浮かんだ可能性にトリスティアがぎょっと したような顔になった。
「シークスの手に渡ったとしたら、ここにもやってくるだろうな」
 リオルがさらりとその可能性を指摘した。

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