「石の導きのもとに」
第三回
ゲームマスター:高村志生子
深手を負ったルリエは、ビリー・クェンデスの手厚い看護を受けてめきめきと回復していっていた。今ルリエがいるのは、城主の座に就く前にスルファから与えられていた私室だった。部屋の片隅には曲線が美しい高さ54cmくらいのミニチュアの塔の形をした置物が飾られてあった。それが部屋の空気を神気に満ちたものにしていた。 「はい、あーん。しっかり食べな元気にならんで」 まるで子供が親の世話をするように、ビリーがルリエの世話を焼いている。結局スルファとの間には子宝に恵まれなかったルリエにとっては少しばかり気恥ずかしいものではあったが、陽気なビリーに世話されるのは心地よいものでもあった。栄養満点な病人食に、適切な看護、特にビリーの治療は神の技を使った特殊なものであったから、一日ごとにルリエは回復していき、ベッドに半身を起こせるまでになっていた。 しかし犯人が捕まらないせいか、ルリエは時折顔を曇らせていた。スルファに塔から落ちた以外の傷は見当たらなかったが、全く関連付けないわけにもいかなかったからだ。スプーンを持つ手が止まっていることに気づいたビリーがぽむぽむと布団を叩いた。 「あーだこーだ考えてもしゃあないで。ボクが手伝ったるさかい、あんさんはとにかくはよ体を直すことを考えぇや」 「あ、ごめんなさい。そうね」 「この部屋の中にいれば大丈夫や。あんさんはもう狙われたりしない。安心し?」 「ええ……」 「ルリエさん?」 口ごもったルリエは、ふとため息をついてビリーの頭を撫でた。 「サリィにも護衛がついていることは分かっているのだけど、次はあの子が狙われたりしないかしら。犯人の目的が個人ではなく、城主を狙ったものなら……」 「え?」 怪訝そうに問い返したビリーに、ルリエははっとしたような顔をした後、柔らかく微笑んだ。 「そうね貴方には話してもいいかしら」 そこへティルドがやってきた。ティルドはこうして定期報告を兼ねて見舞いに顔を出しているのだ。ルリエはティルドとビリー以外の人間に人払いを命じると、重い口を開いた。 「私はね、サリィが20歳になったら城主の座を譲ろうと思っているの」 「サリィ様に?」 一度口にしてしまえば、気も楽になるのだろう。ルリエは真っ直ぐな視線で同じことを繰り返した。 「やはり正統な後継者はサリィですもの。遺言があったから私が引き受けたけれど、本来ならあの子がなっていたはず。だからあの子が成人したら改めて譲り渡そうと思っていたの。こんな不幸な形ではなく。だから今死ななくてよかったわ。ねぇ、ティルド。その時は今度はサリィの味方になってあげてね」 真っ直ぐな視線はルリエの強い意志によるものだろう。ティルドは逆らいがたいものを感じて自然と頭を下げていた。 サリィはアンナ・ラクシミリア、マニフィカ・ストラサローネとともにシェーラをルリエのところに案内していていた。本当は城に連れてきてすぐにルリエと会わせたかったのだが、ルリエの体調がまだ人と会うほどに回復していなかったので、医務官たちに止められていたのだ。仕方なく壊れて城の人間の占いなどをして時間をつぶしていたのだが、やっとビリーから許可の連絡が来たのでさっそく部屋に向かっていた。 シェーラはそれが呪い師の正装だからとフードを目深にかぶっていた。しかし足取りに迷いはなく、城に上がるのは初めてだと言っていたが、とても慣れているように感じられた。アンナはそんなシェーラに1つの確信を抱いていた。 『やはり彼女はサリィ姫の乳母ですわね』 サリィの母親は彼女が小さい頃に死んでいる。ルリエと再婚したのはつい最近だ。ということはその間にサリィの面倒を見ていたものがいるはずだ。それがシェーラではないかと見当をつけていた。だからこそサリィはシェーラに見覚えがある気がしていたのだ。アンナは自分の推理に満足していたが、不意にシェーラの忍び笑いにもの思いを破られた。 「なんですの?」 「いいえ、たいしたことではないわ。ただあんまり見当外れだからおかしくなって」 「見当はずれ、ですか?」 サリィとマニフィカも怪訝そうにシェーラを見た。シェーラの笑いは苦笑に変わっていた。 「で、では申し上げさせていただきます。シェーラさん、あなたは幼いサリィ姫の面倒を見ていて、今も気にかけているのではないのですか」 「城に慣れているように見えたから?前にも言ったでしょう、動きくらいは読めると。私は初めての場所に来たときは、そこに慣れている人の動きを読んで行動するのよ。サリィ姫やあなた方の動きを読めば、この城がどういう構造になっているかぐらいわかってよ」 「では……ここにいらっしゃるのは本当に初めてですの?」 今度はマニフィカが問いかけた。シェーラはフードの奥の目を面白そうに瞬かせた。 「ふふ、少なくともお世話係だったことはないわね。姫が生まれたころはこの城下にいなかったし」 「姫様、彼女のお顔に既視感があるのですわよね」 アンナはシェーラを無視してサリィに問いかけた。と、なぜかサリィが真っ赤になった。 「あ、うん、そう……いえ少し違うわね。理由は分かったの」 「あなたは城に慣れている。そうですわね!」 相変わらず人の話を聞かないアンナに、シャーラがさすがに困った顔になった。と、声を聞きつけたのか、ルリエの部屋からティルドがでてきた。アンナの声が聞こえたのだろう。少し眉がひそめられていた。シェーラはさりげなくフードでさらに顔を隠し、軽く会釈した。サリィはティルドの顔を見て確信していた。 『やっぱり、似ているわ。でも気のせいよね。それとも親族の誰かなのかしら』 「姫?こちらが……」 ティルドの言葉にハッとして、サリィが口早にシェーラを紹介する。マニフィカがサリィの様子を不審に思って、小声で話しかけた。 「どうかいたしましたの?」 シェーラはアンナとともに部屋に入るところだった。サリィは戸惑ったようにマニフィカに答えた。 「マニフィカは思わない?シェーラとティルドが似ているって」 「あのお二人が、ですか」 確かに髪や瞳の色は同じようだ。だが寒冷地で金髪はそう珍しいものではないだろう。似ていると言えば似ているような気もするが、マニフィカはサリィほどティルドと親しいわけでもない。とっさには答えられなかった。だが恋する女の勘を簡単に否定もできなかった。 『……シェーラ女史の明るさには、どこか作り物めいたものがありますものね。城に上がるのは初めてかという問いに、はっきり否とは答えてらっしゃらなかったですし。やはり何か裏があるのでしょうか』 「さて、占いはどう出ますでしょう。ルリエさんがまた狙われたりとか……?」 アンナがシェーラに続いて部屋に入っていく。ルリエが再び狙われるかはわからなかったが、ビリーが寝ずの番をしていることを知っていたマニフィカは、意を決してシェーラの呪いを聞かずに、城内の人間関係について調査を開始するべく部屋から離れていった。 マニフィカが接触したのは城でも古参の使用人だった。スルファの先代の頃からの使用人らしいその女性は、アンナの疑問を聞いてあっけにとられていた。 「あらいやだ、サリィ様の乳母は私ですよ」 「あらそうなんですの」 いかにも肝っ玉母さん的な恰幅の良いその女性は、軽く肩をすくめた。 「サリィ様の母君が亡くなられたのは、サリィ様がほんの赤子だった頃でしねぇ。そもそも王族がご自分で子育てするはずないじゃないですか。だから、親の代からこの城に仕えていて、同じ頃に子供を産んだ私が乳母に抜擢されたんですよ。スルファ様も私にとっては弟のようなもの。放ってはおけませんでしたし。本当にねぇ……ご結婚なされて、やっと落ち着いてくださったと思っておりましたのに」 「落ち……?何かありましたの」 サリィの乳母は少しためらっていたが、相手が賓客であることを思い出したのだろう。もしくは誰かに話しておきたかったのかもしれない。少し声を潜めながら口を開いた。 「スルファ様はお若い頃から女癖の悪い方でしてねぇ。先代が生きておられたころは使用人にこそ手を出してはおりませんでしたが、城下にちょっと美人がいると片端から手を付けていたといううわさがあったんですよ。この城にもよく連れ込んで、その……手籠めにしていたとか」 「まあ」 「私も事実は知りませんよ。そんな立場にありませんし。知っていたとしても、主に口出しはできませんしねぇ。正直こんな国ですから、妾を囲うなら囲うでおおっぴらにやってくださった方が面倒もなかったんですけど、あの方はわがままにふるまっているようでどこか小心なところがありましたから。力の弱いものにしか強気に出られなかったみたいなんですよ。実際、結婚されてからは奥方のどちらに対しても、一見強気にに見せかけても実は弱かったんですよ。女癖が悪いうわさも結婚後は鳴りを潜めましたし。それにサリィ様が可愛かったみたいでねぇ。いつだったか、嫌われるようなことはしたくないなんて、お守りをしていた私に打ち明けたぐらい。ルリエ様と結婚されたのは強引と言えば強引でしたけれど、弱小とはいえ貴族の出でしたから、結婚も可能だろうと思われたんでしょうね。サリィ様もすっかり大きくなられましたし」 「女癖……そういう女性に、石を贈られたりしましたかしら。ご存知ではありません?」 乳母は少し首をかしげていたが、やがてうなずいた。 「あったと思いますよ。さすがにそんないいやつではないでしょうけれど」 「ちなみにどんな石かわかりますか」 「そうですね。ムーンストーンとか?この国では割と多く産出される石ですし。あの石の石言葉をご存知かしら」 「ええ、いくつかは」 ティルドが所持し、スルファがサリィに残そうとした石だ。マニフィカは当然調べていた。乳母がクスッと笑ってささやいた。 「恋の予感……ですってね!スルファ様らしい無邪気なこと。もっとも私にも褒美としてくださったことがあるんですけど」 「えっ」 まさかのこの乳母も……と思い焦ったマニフィカに、乳母がけらけら笑いながら告げてきた。 「母性本能という言葉もあるそうね。乳母だからですって。スルファ様のご両親は厳しい方でしたから……淋しかったのでしょうかね」 最後はしんみりした言葉だったのでおやと思って顔を見ると、乳母はわずかに涙ぐんでいた。 リュリュミアはティルドを捕まえて、スルファの事故やルリエの事件の現場となった塔についてあれこれ問いただしていた。ルリエは嫁いで間もないから詳しく知らなくても無理はないが、生まれ育ったサリィや長く仕えているティルドなら裏を知っているのではないかと思っていた。ルリエ襲撃犯がどうやら抜け道を使ったらしいということを聞き及んでいたからだ。 「塔に抜け道か……まああっても不思議ではないがな。あそこは王家の人間しか出入りできないとはかねがねスルファ様がおっしゃっていたし」 「抜け道って城の外に通じているんですかねぇ。あんまり外と出入りできるイメージはないんですけどぉ」 「いや、抜け道があるとしたら城の外とつながっているだろう。もちろん簡単には出入りできないだろうが、そもそもが有事の際の脱出路なわけだし、出られなかったら困るんじゃないのか」 逆に問われてリュリュミアが首を傾げた。そこへ険しい顔をしたジュディ・バーガーがやってきた。そして、サリィの許可が下りたので、塔の中を徹底調査したいと願い出てきた。 「サリィ様が許可を出されたならばかまわないが」 「ティルド卿にも手伝って欲しいのデス。お願いデキませんカ」 「わかった」 真剣な顔のジュディに、ティルドも快く応じた。この先のことは分からないにしても、不安の種をつぶしておきたいのはティルドも同じだったからだ。リュリュミアもそれについていくことにした。 ルリエが襲われた部屋はすっかり片付けられていたが、悲鳴と血の匂いがまだ残っているようで、ジュディの胸を痛ませた。ほっと肩で息をしていると、ちょこちょこやってきたリュリュミアが問いかけてきた。 「足音が聞こえてきたのはこのあたりですかぁ?」 「そうですネ。暗かったカラ、姿が消えた場所マデははっきりシナイのですが、音は確かにコノ向こうからデシタ」 「ん〜このへんの隙間から行けそうですねぇ」 しゅるしゅると青いバラの蔦を操って、見つけた壁の隙間から外へと這わせていく。そうして壁の向こう側に空間がないか探っていた。ジュディはあれこれとティルドに質問を投げかけていた。 「私はここに入ったことがないからな。役に立てなくてすまない」 「イエ。では城の中に抜け道はありマスカ」 「実は……あるんだ。玉座の間とかにな。だからこの塔にあっても不思議じゃないんだ」 「ソウでしたカ!」 やはり抜け道かと、ジュディはあの日の記憶を呼び覚ましながら、マニフィカから借りた『錬金術と心霊化学』といった本を開いた。これは生身の体を精神体に変えてくれるものだった。リュリュミアが声をかけてきた。 「この向こうに何か通路みたいなところがあるみたいですぅ」 「わかりマシた!」 精神体になったジュディが壁をすり抜けると、そこは確かに隠し通路となっていた。本を閉じて生身に戻ると、階段状になっているそこをじっくりと見分していく。通路と部屋は暗号の鍵がかかった扉で隔てられているようだ。逃げるのに精いっぱいで、鍵は閉めていけなかったらしい。ジュディがノブをつかむっとあっけなく開いた。その暗号をなぜ賊が知っていたのかは謎だったが、今はとにかく賊の行方を追うことが先決だ。通路にリュリュミアとティルドを招いて、ジュディは3人で手分けして通路を調べ始めた。その通路は脱出のためだけではなく、一時的に身を隠す役割も持っていたらしい。調べてみると、ところどころ広くなっていて、休憩ができるようになっていた。 「この本は?」 その休憩場所の1つに日記のようなものが残されていた。筆跡はスルファのものだった。ティルドが困ったように隠そうとしたが、何かの手掛かりになるかもしれないとジュディに言われて困った顔をしながらも手渡してきた。と、その時だ。ふいにティルドの身が傾いだ。 「大丈夫デスか!?」 「あ、ああ。なんでもない。ちょっとめまいがしたんだ……」 「働きスギなのデハ?無理は禁物ネ」 「いや、ちょっとな……このところよく夢を見るものだから」 「夢デスか?」 ティルドはどこかぼぅっとしたように隠し通路を眺めまわした。 「ここに……見覚えがあるような……いや、そんなはずはないか」 「ティルド様?」 ティルドはそれ以上は口を開かずに、どこか悲しげな顔で通路を見回していた。 見つけた日記は、スルファの若い頃のものだった。それによるとこの塔は元は特別な場所ではなかったらしい。スルファが親から与えられた、いわば別邸だったようだ。城下で見つけた女を秘かに連れ込んでいたために他人の立ち入りをかたくなに禁じていたのが、いつしか習慣となり、城主のみが出入りできる場所と伝わってしまったらしい。とんだ結末にジュディが怒った顔になった。 「そんな理由でルリエ様を一人にしてシマッタなんて……」 通路はやはり城の外に通じていた。ということは、知っているものならば自由に塔の中に出入りできたことだというわけだ。それがどれだけいたかはわからないが(女遊びは記述によればかなり派手だったようだったので)、とりあえずこの通路はもう使えないよう、手配して封鎖することになった。 ルリエと接見したシェーラは、初めてサリィと会った時と同じように、サリィがティルドと結婚するであろうことを告げていた。ルリエ自身が狙われることはもうないはずだとも告げていた。その先見にルリエもサリィも安堵の表情を浮かべた。と、ルリエがシェーラの耳元でささやいた。 「……サリィが狙われるようなことはないかしら。私のことよりも、それが気がかりで」 シェーラは安心させるように笑いかけながらルリエの手をそっと撫でた。 「犯人が見つからないことを気にされてらっしゃいますのね。あいにく犯人が見つかった様子は見えないのですが、姫様が危害を加えられる未来も見えませんわ。ご安心くださいませ」 「そう、それならよかった。サリィも思いがかなうようだし……」 ふっとシェーラが無表情になった。そしてぽつりとつぶやいた。 「姫様のお相手は……彼でなくてはなりませんわ」 「え?」 ルリエがきょとんとすると、シェーラが取り繕った笑みを見せた。 「あ、いえ。呪い師が自分の力を信じられなくなったら大変ですものね」 「そうね」 ルリエはシェーラの言葉に特に不審を抱いた様子はなかった。ささやきの会話が聞こえなかったサリィだけが、不思議そうに2人を見つめていた。 アルトゥール・ロッシュはティルドと一緒に城内の警邏に出ていた。シェーラのルリエやサリィが狙われることはもうないという占いの結果は聞いていたが、犯人が見つからないことに変わりはなく、たとえ狙われずとも捕まえたいという一心で巡回していたのだ。ティルドはどこかぼーっとしているようだった。顔色も少し悪かった。 「ティルド、具合がずいぶん悪いみたいだな。少し休んだほうがいいよ」 「いや……大したことはないから」 大したことはないと言いながら、ため息をつく。アルトゥールは意地を張っているティルドに肩をすくめながら、世間話を装ってさりげなく話題を振っていた。 「そういえばティルドはずいぶん若くして城に上がったんだったよね。それだけ能力を見込まれていたのかな。ティルドの家系は代々騎士を輩出していたっていうし」 「……能力か。確かに将来を見込まれたのかもしれないけれどな。血筋は関係ないからなぁ」 「そうなのかい?結構いい家柄だって聞いたけど」 ティルドはそれを聞いて少しためらってから口を開いた。 「私は養子なんだ」 「養子?」 「ああ。赤ん坊の時に捨てられて、今の家に迎えられたんだ。だから城に上がったのは養父母への恩返しのつもりでもあるんだ」 懐から大切にしているというムーンストーンを出して眺めながら、ティルドがつぶやくように言った。アルトゥールも石を見つめながらわいた疑問を口にした。 「その石、大切にしていると聞いたけれど……やはり何か訳ありなのかい」 「孤児院に捨てられていた時、持っていたそうだ。実の親とつながる唯一の手掛かりというわけだな。まあこの国ではそんな珍しい石じゃないんだが。捨ててしまおうとも思っていたんだが、養父母から持っていた方がいいと言われていて……。優しい人たちだから、いつか実の両親と会うこともあるだろうしと。私は自分を捨てた親の顔なんか、別に見たくはないんだが。あの人たちや義兄たちを本当の家族と思って育ったし。ただ、そういわれてしまうとな。捨てるに捨てられなくて結局こうして持っているんだ」 「そうだったのか。すまないな」 「謝ることはないさ。貴族の家に養子に迎えられたおかげで、こうして城の騎士になる事もできたし。決して不幸ではないだろう?」 「そうだな」 それでも心に思うところはあるのだろう。さみしげな笑顔がそれを物語っていた。アルトゥールにはその笑顔が痛々しく見えて、思わず力を込めて宣言していた。 「何か僕にできることがあったら言ってくれよな。こうして出会ったのも縁なんだ。力になると誓おう」 「ありがとう、そうだ……っ」 ふっと目元を緩ませてティルドがうなずきかけ、不意に頭に手をやって体をふらつかせた。アルトゥールが驚いて手を差し伸べた。 「どうした!?やはり具合が……?」 「なんだこれは……あれは、お若いようだがスルファ様か……?と誰だ……?女が……」 ティルドの脳裏には、若きスルファが例の塔に若い女を連れ込む姿が映し出されていた。それはすぐに消え去ったが、覚えのない光景にティルドは混乱していた。ぼんやりした頭にアルトゥールの呼び掛けが次第に大きく聞こえてくる。気が付けばムーンストーンをしっかり握りしめた状態で壁にもたれかかっているところに、アルトゥールがひどく心配げな様子で呼び掛けているところだった。 「大丈夫か?僕の声が聞こえるかい?」 「あ、ああ、すまない。このところ寝不足でな。ちょっとふらついただけだから」 「寝不足……?」 「……夢さ、そう、ただの夢だ」 「夢ってどんな」 寝不足になるほどの悪夢なら、放っても置けない。問い詰められて、困ったようにティルドが言った。 「あんな日記を読んだせいだろう。あの城の夢をな。でもあの女……どこかで見たことがあるような……」 白昼夢に出てきた女性は、ティルドとどこか面差しが似ていた。ティルドがムーンストーンを握りしめているのを見てアルトゥールが言った。 「もしかしたら……夢見の力に目覚めたとか」 「まさか。今までそんな兆候はなかったのに。それにいったい誰の夢と同調したっていうんだ?スルファ様はもういないんだぞ」 アルトゥールの頭に浮かんだのは、シェーラだった。 その夜。深夜も遅い時間、アルトゥールに与えられた部屋ではまだ人の話し声がしていた。 「ええ〜!?ティルドさんにそんなことがぁ?」 「さすがに孤児だとは思わなかったな」 「そっかぁ。お父さんもお母さんもいないんだ……」 自分自身、両親のいないアメリアが悲しそうにアルトゥールの胸に頭を寄せた。アルトゥールはアメリアの頭をなでながら話を続けた。 「もしもティルドが夢見の力に目覚めたんだとしたら、きっかけはシェーラだと思うんだよね。能力者が身近で力をふるったことが、ティルドの潜在能力を引き出したんじゃないかな。彼女、城にきてから占いをしていたんだろう」 「うん。サリィにね、近い将来ティルドと結婚するだろうって言ってたの。サリィはとても嬉しそうだったなぁ。一途だもんねぇ。思いがかなうといいね」 「そんなことを言ったんだ。ティルドの方はまだまだ姫の気持ちに気づいてないようだけどね」 「でもきっと気付いてくれるよぉ。サリィには幸せになってもらいたいものぉ。なってくれるよねぇ」 にこっとアメリアが無邪気に笑う。そのまぶしい笑顔にアルトゥールの胸が高鳴った。 「あ、もうこんな時間。じゃあ私、自分の部屋に戻るねぇ」 アメリアがそういって部屋を退出しようとした時だった。歩き出したアメリアの手をぱしっとアルトゥールが捕まえる。そして驚いて振り返ったアメリアの体を引き寄せ、そのまま力強く抱きしめた。 「アルトゥール……?」 「アメリア、この件が解決したら……僕と結婚してくれ」 瞬間呆然としたアメリアだったが、言葉の意味を理解するとみるみる内に真っ赤になった。アルトゥールも赤い顔で、アメリアの耳元でささやいた。 「僕の家族になってほしい……返事を聞かせて?」 「うん……うん!大好きだよぉ、アルトゥール。お嫁さんにして」 アメリアは嬉し涙を流していた。紅潮し濡れた頬にアルトゥールがそっとキスを落とす。そして見つめ合ったあと、静かに、でも互いの思いの丈をこめて唇を重ね合わせる。 その夜、アルトゥールの部屋の扉が開かれるとこはなかった。 翌朝。幸せそうな顔でアルトゥールの部屋から出てきたアメリアは、一目散にサリィの部屋に向かった。サリィは朝食をルリエと済ませて部屋に戻ってきたところだった。胸元では贈られたムーンストーンのネックレスが揺れていた。 「おはよう、アメリア」 「おはよぉ、サリィ。うふふ、そのネックレス、やっぱり似合ってるねぇ」 「ありがとう。あら、顔がなんだか赤いみたいだけど、大丈夫?」 サリィに尋ねられ、アメリアは相好を崩した。 「大丈夫。あのね、サリィに一番に聞いてもらいたいことがあってねぇ」 「なにかしら?」 幸せそうな笑顔につられてサリィも笑みを浮かべながら、2人でソファに腰を下ろした。 「あ、あのね。その……夕べ、アルトゥールに、ね……」 「うん」 「プロポーズ、されたのぉ」 「ほんと!?わぁ、おめでとう!」 ぱっとサリィも目を輝かせてアメリアの手を握った。アメリアはその手を握り返しながら言った。 「この件が解決したら結婚しようって。サリィと一緒に結婚式があげられたらいいなぁ」 と、不意にサリィの顔がこわばり、アメリアが首を傾げた。 「どうかしたのぉ?」 「ううん、気のせいかもしれないけど……シェーラが見たっていう、私とティルドが結婚するって占い、もしかしたら嘘じゃないかって気がしてきて」 「どぉして!?」 アメリアの驚きに、サリィが弱々しく微笑んだ。 「ティルドはシェーラを信用していないみたい。どこかいぶかしげにシェーラを見ているのよね。まるで何かを探るように。何が気になるのかしら」 アメリアはアルトゥールから聞いた話を思い出し、ドキッとした。シェーラのせいでティルドが夢見の力に目覚めたのではないかということをだ。ティルドもその可能性に気づいているのだろうか。 「それに、占いの結果をシェーラはティルドに知られないようにしているみたい。ううん、それは誰かからはいずれ聞くだろうけど、なんだか直接会うのをわざと避けているみたいなのよね。2人が話しているところを見たことがないから」 外はスルファが死んだときのように雨が降っていた。空もどんよりと曇っている。サリィは肩をぶるっと震わせてアメリアにしがみついてきた。 |