「ゲット!フリーダム」 第四回

ゲームマスター:高村志生子

 民衆の意思がまとまり、いよいよ決起へと勢いが乗ってきた頃、プロンテア親子は久方ぶりに家に帰って来ていた。数々の困難を乗り越え、しばらく会わないうちにすっかり大人びた子供たちを見て、クナスは感慨にふけっていた。特にアーニャの変わりようは目を見張るものがあった。内気で引っ込み思案な娘だったのが、瞳には強い意志が宿り、表情もすっかり大人のものになっていた。レゼルドの暗殺の話を聞いたときは驚いたものだったが、強くなったものだとしみじみ思っていた。
 その家にやってきたのはディック・プラトックだ。ディックは貴族の説得に使っていたクナスから譲られた細工品を返そうと思っていた。無事にアーニャが戻ってきたのだ、嫁入り道具をいつまでも持っているわけにはいかないだろう。今ならクナスも受け取ってくれるはずだ。それに、ディックには予感があった。
 家の前まで来ると、そこで長谷川紅郎に会った。紅郎はちょうど家に入ろうとしていたところだった。
「やあ。紅郎もクナスに用事が?」
「あ?ああ、いや。俺はアーニャに聞きたいことがあって来たんだ。決起の前にどうしても聞いておきたくてな」
 そういう紅郎の顔はいつもどおりを装っていたが、ディックの予感を裏付ける雰囲気は漂っていた。ディックはそっと嬉しそうに笑うと、扉をノックした。ほどなく返事が返り、アーニャが扉を開く。紅郎の顔を見てアーニャが花開くような笑顔になった。紅郎が来訪の意を伝えると、その後ろからディックもクナスに用事がある旨を伝えた。アーニャは2人を招き入れると、ディックを居間に通し、紅郎は自分の部屋へと誘った。
 居間ではクナスがトーニャの話を聞いていた。ディックが入っていくと、顔を覚えていたクナスが快く迎え入れた。
「良く来たな。話はトーニャから聞いていたよ。貴族側の説得に回って行ってくれていたそうだね。そのおかげで貴族の仲間も出来たそうじゃないか。ありがとう」
「俺は大したことしてないさ。ミハイル卿がいてくれたからやれたようなもんで。……無事に助け出したいな」
「そうだな。で、今日はなんの用事なんだ」
「ああ、これを返しに来たんだ」
 ディックがクナスから買った細工品を差し出すと、クナスは売ったものだから気にするなと笑った。
「アーニャの嫁入り道具なんだろ、これ。どうも、アーニャは嫁に行きそうな雰囲気だし、必要なんじゃないか。目的は果たしたから、俺にはもう必要ないものだしね」
「アーニャが嫁に?」
「好きな奴がいる雰囲気だよ」
 クナスが複雑そうな顔になる。ディックがその手に細工品を押し付けると、うーむとうなった。
「アーニャが嫁に、か。好きな男が出来たなら文句は言えないな。王の慰み者になるよりはるかにましだ。それならこれはありがたく返してもらおう。ただ、代金をもらっているからその分は返してやらないとな。そうだ、ちょうどいい。王宮にいるときに気に入った細工品が出来たんだ。代わりにこれをやろう」
 そう言ってごそごそと取り出したのは、ダイアモンドが燦然と輝くネックレスだった。王宮の質の良い材料を惜しげもなく使ったのだろう。大粒のダイヤの周りをきらきら輝くプラチナが波打つように取り囲んでいる。ところどころにあしらわれている少し小粒のダイヤも一目で上質のものだとわかる。ディックが戸惑っていると、クナスはさっさと小袋にしまいこんでディックに手渡した。
「どうせ王宮の材料で作ったものだ。気にせず取っておいてくれ。代金代わりだ」
「わかった。じゃあ遠慮なくもらっておくよ」
 と、トーニャがディックの服の裾を引っ張った。
「姉さんに好きな人がいるって本当?」
「俺の勘だけどな。じきにはっきりするよ。そのときはちゃんと祝福してやるんだぞ」
 ぽんぽんとトーニャの頭を叩くと、トーニャは口をへの字に曲げて居間を飛び出そうとした。その首根っこを捕まえて阻止する。
「今は来客中。姉離れも大切だぞ。アーニャだってもうか弱い女性じゃないんだから」
「うー」
 アーニャの変化はトーニャにも良くわかっていた。いつかは離れなければならないことも、そのためには自分が大人にならなくてはならないことも理解していた。それでも寂しさは募ってくる。すねた顔で椅子に座りテーブルに突っ伏してしまったトーニャを見て、クナスとディックが苦笑しあった。
 その頃、アーニャの部屋では紅郎がいつものように飄々とした口調でアーニャに問いかけていた。
「なあ、お前は俺の隣に立つ気はあるか?」
「え?それって……」
「あー、だからっ。俺と一緒に来る気はあるかってことだよ。見ての通り俺は堅気じゃない。普通の娘として、普通の幸せを望むならやめておけ。それでも俺でいいなら……我が存在をかけてお前を護ろう」
 紅郎の言葉にアーニャが顔を輝かせた。そしてひしっと紅郎に抱きついた。
「あなたこそ私でいいの?歌うことしか出来ない娘よ。それでいいなら……あなたについて行きたい。連れて行って」
「芯の強さを持った娘、だろう。だから気に入ったのさ」
 固く抱き合いながらキスを交わす。奪ったり、ごまかしたりではない、心の通い合った口付け。息が苦しくなるまで互いをむさぼりあった後、紅郎は抱きしめてアーニャの髪を撫でながら耳元でささやいた。
「一生もんの契約だな……一緒に数多の世界を見て回ろうぜ」
 そして赤い顔を上げて見つめてくるアーニャににかっと笑いかけた。
 それから2人は連れ立って居間にやってきた。そのときディックはもう帰っていた。紅郎を見てトーニャが顔をゆがめる。クナスが面白そうにそれを見ていた。アーニャはまだ赤い顔しながら、父親に向かって宣言した。
「お父さん、私、この人と結婚します」
 がたっとトーニャが椅子から落ちる。それを無視して、クナスはディックから返された嫁入り道具を持って娘に近づいていった。
「お前が選んだ人だ。反対はしないさ。幸せになるんだぞ。これは結婚の祝いだ。持って行きなさい」
 髪飾りやブローチをつけてやる。そして紅郎に向き直って話しかけた。
「娘をよろしく」
「まかせておけって。必ず幸せにしてやる」
「ありがとう、お父さん。トーニャも……許してくれるわね?」
 ようよう立ち上がったトーニャは、どんと紅郎の胸を小突いて怒鳴った。
「泣かせたら承知しないからな!」
「そんなへまするか」
 からからと明るい声を立てる。紅郎はクナスに力強く言った。
「決起には俺も参加させてもらうぜ。さっさとこんなごたごたはおしまいにしてやろうじゃねえか」
「そうだな」
 クナスもきっぱりと言い切った。

                    ○

 フリーダムがあじとにしているミハイルの別荘では、ルーク・ウィンフィールドがマニフィカ・ストラサローネの手紙を読んでいた。手紙にはいくばくかのお金も同封されていた。
「ミハイルが殺されるのはフリーダムにとっても不都合だしな。ちょうど良かった」
 手紙の内容は、ミハイルの命を守る依頼だった。ミハイルの幽閉場所なども詳しく書かれてあった。正式な依頼を断る理由などルークにはなかった。ましてやこちらの思惑と一致しているならなおさらだ。ルークはさっそく王宮に向かった。見つからないように少し離れた場所からトランジション・クロスで王宮内に転移する。転移先はミハイルの幽閉されている部屋だった。さすがにレゼルドに次ぐ大貴族のミハイルをぞんざいに扱うわけには行かなかったらしい。ミハイルはそれなりに広い部屋に軟禁されていた。部屋の外には見張りが立っていたが、室内にはミハイル1人だった。だが外の状況がわからない状態におかれ、またいつ命を奪われるかわからない緊張がミハイルを憔悴させていた。室内に見張りがいないことは手紙で知っていたルークは、転移すると驚いているミハイルに大声を立てないよう身振りで指示しながら近づいていった。
「君はフリーダムの……どうやってここへ」
「マニフィカがこの場所を教えてくれた。自分ひとりなら空間移動できるんでな。今はマニフィカがレゼルドをおさえているが、いつあんたを殺しにやってくるかわからない。これを渡しておくから、いざというときは呼びかけてくれ。すぐに駆けつける」
 ルークは意志の実をミハイルに渡すと、すぐさま姿を消した。
 マニフィカはごく少数となったレゼルドの忠臣に指示して、レゼルドの国外脱出の準備を進めていた。船で出航してしまえばあとはなんとでもなる。海はマニフィカの味方だったからだ。だがその前にやらなくてはならないことがある。王位をミハイルに譲らせることだ。マニフィカにはレゼルドがミハイルを憎む気持ちは理解できた。外見とは裏腹に通常の人よりははるかに長く生きてきたマニフィカにとって、レゼルドのプライドを傷つけるミハイルがいかに邪魔な存在だったかは手に取るようにわかった。だからこそレゼルドを見捨てるのではなく、王位を譲らせて本人を国外に脱出させようと思ったのだ。財産はあっても王位を失っての放浪の旅はレゼルドには辛いものになるだろう。それが国を傾けかけさせたレゼルドの罪の償いになればと思った。それに地位は失っても目利きの腕を持っているレゼルドならば、新たな道が開けるのではないだろうか。
「姫君には先見の力でもおありのようだな」
「そういう力はありませんけれど、わたくしの種族は人間よりはるかに寿命が長いんですのよ。こう見えてもわたくしですら陛下よりはるかに長く生きております。これまで旅したところも数多く、出会った人間もまたたくさんおります。経験が多いからこそ、見えてくるものがある。それだけの話ですわ」
「ミハイルに王位を譲る、か」
「警護団の戦力が大きく損なわれた今、反乱は避けられないでしょう。けれど、主権をフリーダムに渡しては、これまでの階級制がなくなる恐れがございます。そうなったら反体制派の貴族たちも利権を守ろうとして立ち上がるでしょう。それではこの国は内乱になってしまいます。それだけは避けなくては。それが出来るのは陛下のお心のみですわよ」
「そうだな……」
 マニフィカの説得に、レゼルドもようやく己の愚かさに気づき始めていた。うかうかと好き放題にさせて、民衆だけでなく、ミハイルや他の貴族たちに非道な行為を繰り返してきてしまった。そのつけは払わねばならないだろう。マニフィカの説得はレゼルドの心の理解があった上でのことだったので、言葉の重みが違っていた。それにやはり死は恐ろしかった。
 だがそんなレゼルドの心境の変化とは裏腹に、テネシー・ドーラーが独断行動に走っていた。
 テネシーはミハイルの幽閉されている部屋に行くと、止めようとした見張りの者を魔眼で動けなくさせ、ペットのケルベロスに高熱波を吐き出させ、扉を強引に開いた。
「そなたは……くっ」
 入ってきたテネシーを見て即座に命の危険を感じたミハイルは、すかさず意志の実でルークに助けを求めた。そうとは知らないテネシーは、無表情に近づいてくると、ウィップをしならせた。
「あなたを処刑いたします」
 瞬時にウィップがソード状になってミハイルの胸を貫き通そうとせまってきた。しかしその剣先は届かなかった。
「くぅっ!」
「悪いがミハイルはやらせない」
 トランジション・クロスでテネシーの背後に飛んできたルークが、銃剣でテネシーの背中を切り裂いたのだ。そのままミハイルを背後にかばうように前に立って銃口をテネシーに向け、立て続けに弾丸を発射させた。テネシーは傷の痛みで魔眼を使うことも出来ず、反撃できないまま弾を体に受けていた。不利を悟りテネシーはやむなく撤退していった。
 同じ頃、ルシエラ・アクティアがレゼルドの様子を伺っていた。最近ではすっかり大人しくなってしまったレゼルドは、女遊びもしないで王宮にこもりがちだった。唯一、心安らがせてくれるリュリュミアだけを王宮に呼び寄せ、一時の安息をむさぼっていた。
「なんだかばたばたと落ち着かないですねぇ」
「近いうちに国を離れることになるからな」
「ええっ、お引っ越しですかぁ?そぉですねぇ。ここにもけっこう長くいましたから、そろそろ新しいところに行くのもいいかもしれませんねぇ」
「……リュリュミア、わしと一緒に来てはくれぬか」
「わたしですかぁ?そうですねぇ、アーニャもいなくなって寂しいですし、いいですよぉ。レゼルドさんについてゆきますぅ」
 リュリュミアがのほほんと笑いながら答える。レゼルドがほっと肩の力を抜いた。リュリュミアは小首を傾げてからレゼルドに言った。
「レゼルドさんは女の人が好きみたいですけどぉ、一番好きな人っていないんですかぁ?その人にはお引越しのことを言っておいた方がいいですよぉ」
「これまでは特に執着する女もいなかったがな。そうだな、遊郭に良い女がいたな。伝えておくのもいいだろう。あとはリュリュミアや姫がいてくれるならばそれでいい」
「そうしてくださいねぇ。じゃあ、お休みの準備をしてきますぅ」
 リュリュミアが寝室へと下がる。王の間には護衛の兵士もいなく、レゼルド1人きりだった。
「そう、1人になったのね」
 ペットのレイスにレゼルドの周辺を探らせていたルシエラは、レゼルドが1人になった報告を受けるとさっそく王の間に向かった。部屋の前には警護の兵士がいたが、レイスの仲間を呼び寄せとりつかせると、部屋の前から引き離した。外の様子はレゼルドにはわからない。玉座に座りぼんやりしていたレゼルドは、ルシエラが部屋に入ってきたことにもしばらく気づかなかった。
「陛下」
「む?なんだ、ルシエラか。わしはもう休む。用ならば明日にしろ」
「すぐ済みます。お伺いしたいことがあって来たのです」
「聞きたいこと?」
「このところの様子から感じたのですが、陛下は国外脱出をお考えなのですか」
「そ、それがどうかしたのか」
「本当なのですね」
 静かに問いかけるルシエラに、底知れぬ恐怖を感じてレゼルドが黙る。ルシエラは残念そうな顔をしてぽつりと言った。
「……残念ね」
 そしてすかさずナイフを取り出してレゼルドの心臓めがけて投げつけた。
「だめぇ!」
 レゼルドの代わりにナイフを受け止めたのは、戻ってきたリュリュミアだった。レゼルドが驚愕の顔でリュリュミアを支えた。リュリュミアは胸に刺さったナイフを平然とした顔で抜き取ると、ルシエラに言った。
「こんなのが刺さったら死んじゃうじゃないですかぁ。リュリュミアだったら死なないですけどぉ」
「誰か!誰かおらぬか!曲者じゃ!!」
「ふん、運のいい。戦わない無能な王になど、契約の価値はないものを。それではごきげんよう」
 レゼルドの声に兵士たちが集まってくる。ルシエラは瞬時にメイドの姿に変装し、その場から脱出していった。
 城外まで逃げ出してくると、そこで先に脱出していたテネシーと落ち合う。深手を負っていたテネシーに、ルシエラが冷ややかに命令した。
「例の件、やれるわね」
「大丈夫ですわ」
 テネシーも傷の痛みを押して無表情に応じた。
 夜の帳に町が寝静まる頃、騒ぎは起きた。テネシーが炎のアーツを使って建物に火を放っていく。傷のせいで力が足りない分はケルベロスの高熱波が補っていた。寝込みを襲われて民衆が慌てふためいて飛び出してくる。ルシエラが逃げていく民をペンデュラムリングで攻撃していった。闇に白い翼がひるがえる。リングの先についた水晶は刃を現出させていて、民を次々に絶命させていった。火が充分に回ると、攻撃にテネシーとケルベロスも参加した。殺されて霊体となった者をルシエラが操り逃げ惑う民衆を追い詰めていった。
「ちくしょう、一体誰がこんなことしているんだよぉ。みんな、こっちに来るんだ!」
 駆けつけたアスリェイ・イグリードが生きている民を安全な場所に誘導する。フリーダムのメンバーは消火活動を開始した。アスリェイは怪我人の手当てに追われていたが、その数は増える一方だった。
「おじさん!手伝えることある?」
「おお、トーニャ。無事だったか。よし、ひどい怪我人の手当てはすんだから、あとは軽傷の人間を休ませるためになにか飲み物でも与えてやってくれ」
「私も手伝います」
 アスリェイの指示でトーニャとアーニャがお湯を沸かしお茶を配り始める。アスリェイはぽんとトーニャの頭を叩いてから、外へ飛び出していった。
 火事は必死の消火活動にもかかわらず一向に衰える様子がなかった。それどころかあちらこちらから新たな火の手が上がる。それをかいくぐり、原因を調べていたアスリェイは、逃げてくる民を殺そうとしているルシエラとばったり遭遇した。
「お前さんたちが原因か。これ以上町に被害は出させないぜぇ!」
 愛用のハルバート・シロナギを構え、飛んでくる水晶を弾き落とす。本気モードになって高々と飛び上がると、屋根を使ってルシエラに攻撃を仕掛けた。槍の穂先に取り付けられた斧頭がぐんと大きくなって振り下ろされる。ルシエラはくるりと宙を舞い攻撃を避けた。テネシーがウィップでハルバートを絡めとろうとしたが、アスリェイはその攻撃を見切ってくるりとハルバートを反転させ、その勢いを使って反対側についていたピックで逆にテネシーに攻撃を仕掛けた。テネシーが間一髪のところで攻撃をかわすと、ルシエラが撤退を命じてきた。
「もう十分でしょう。引くわよ」
「わかりました」
「ちっ、逃げるのか!」
「やるべきことはやったもの」
 上空から町中に広がった火の手や転がる死体を見下ろし、ルシエラがくすりと笑う。そしてテネシーを従えて闇の中に消えていった。空を飛ぶ手段を持たないアスリェイは、忌々しげにその姿を見送った。
 町を焼く火は一昼夜燃え盛った。フリーダムのメンバーだけでは手が足りず、貴族たちも部下を出して消火や怪我人の救出に当たった。アスリェイはトーニャたちに手伝わせながら手当てに従事していた。遺体はかろうじて燃え残った教会に運び込まれた。町の惨状に王宮からもさすがに兵士たちが駆けつけた。身分の隔てなく動き回る様子を見ていたトーニャに、アスリェイが話しかけた。
「身分の隔てがない、これが本当の姿なんだよぉ。しっかり目に焼き付けておくんだな。これからこの国をこんな風に変えていくのはお前さんたちなんだからさぁ」
「うん」
 しっかりうなずいたトーニャの頭を、わしわしとアスリェイが撫で回した。

 王宮ではレゼルドがリュリュミアの身を案じていた。当人はけろりとしていたが、普通の人間ならば死んでいてもおかしくはないのだ。町の惨劇に王宮からも人手は出したが、今さら気遣ったところでこれまでの悪評が消え去るわけではないだろう。それはレゼルドにもわかっていた。犯人がルシエラとテネシーという現体制派の人間であったこともあって、再び刺客が現れるのではないかとレゼルドは戦々恐々としていた。
 町の状態がひとまず落ち着いた頃、レゼルドはマニフィカとリュリュミアのほかに護衛の兵士を部屋において、禅譲について話し合っていた。そこへひょっこりともう1人のレゼルドが現れた。本物のレゼルドがぎょっとする。窓から入ってきた方のレゼルドは、どこからどうみても本物そっくりで、気味が悪いほどだった。玉座に座っていたレゼルドが立ち上がり、兵士に捕縛を命じた。
「おっと、手荒には扱わないほうがいいぜ。この人形には呪いをかけてあるんだ。手荒に扱えばそれは王様にも降りかかってくるんだぜ。自在に操ることも出来る。例えば」
 偽者のレゼルドに続いて部屋に入ってきた睡蓮が兵士を止める。そして偽者のレゼルドに土下座をさせた。と、本物のレゼルドも意志に反して土下座してしまった。
「あわわ」
 目を白黒させるレゼルドを面白そうに見たあと、兵士を下がらせ睡蓮が言い放った。
「こいつを使って調印させてもいいんだけどな。できたら禅譲は自発的なのがいいからね。そうしてもらおうと思って。でないと、痛い目に合うことになるよ」
 人形のレゼルドの指を掴むと、ぐいと捻りあげる。とたんに本物のレゼルドの指に痛みが走った。
「あうっ」
「わかっただろ。禅譲した後は、そうだな、反省のために歓楽街で下働きでもしてもらおうか。この国にいる間は命は保証されるけれど、逃げ出したらその限りじゃないぜ。首根っこ捕まえて連れ戻してやる。そして……」
「その必要はありませんわ。地位を失い、帰る場所を失うだけで陛下には充分な罰になるんですもの。この国にいれば、あなたが保証しても他の誰かが命を狙うことでしょう。それは避けたいですわ」
 マニフィカが間に割って入った。睡蓮は少し考え込んだ。
「死んで終わりってのは確かに嫌だな。贖罪の時は誰にだって必要なんだから……禅譲を約束できるかい」
「もはやそれ以外に術はあるまい」
 悄然としてレゼルドが言う。
「本当だな」
「本当だ、とっとっと」
 睡蓮が人形を操って両手をあごに当てたぶりっ子ポーズを取らせる。当然、本物のレゼルドも同じ格好になる。さすがに嫌そうな顔になったレゼルドを見て、睡蓮が笑った。
「その気になるとは思わなかったぜ。後でやっぱり嫌だなんて言うんじゃねえぞ。そのときは……わかっているな」
「わ、わかった。わかったとも」
 これ以上怪しげなことをさせられてはたまらないとレゼルドが勢い良く首を振る。マニフィカがほっと息を吐いた。思わぬことに疲れ果てたレゼルドが、少し休むといってリュリュミアに支えられながら寝室に下がった。ほどなく人形がくたりとなった。
「あ、時間切れか」
「え?」
「あんまり持たないのが難点なんだよなぁ。まあ、呪いに使う髪の毛はまだまだあるから、いくらでも作れるけど。お?」
 力を失った人形を睡蓮が玉座に座らせる。一見したところ、レゼルドが玉座でぐったりしているように見えた。その首が突然飛んだのだ。不意のことに睡蓮もマニフィカも唖然としてしまった。
「次はないといったはずだよ、レゼルド。町を破壊しやがって。当然の報いだ」
 姿を現して吐き捨てるように言ったのはアルトゥール・ロッシュだ。毅然とした顔ではねた首を拾い上げようとしたが、そのときには人形は元の草人形に変わっていて、アルトゥールのほうがぎょっとしてしまった。
「え?レゼルドじゃないのか?」
「殺せばいいだなんて短絡的な考えですわね。反乱は逃れようがなくとも、命までは奪わせませんことよ。どうしてもというならわたくしがお相手いたしましょう」
 マニフィカが三叉槍をアルトゥールに突きつけた。レゼルド以外を相手にする気のなかったアルトゥールは、軽く肩をすくめると構えていたジルフェスをおさめた。
「それはやめておくよ。でも、町を破壊した罪はあがなってもらわなきゃ。でないと民衆も納得しないんじゃないか」
「あれはテネシーとルシエラの独断行動ですわ。陛下には関わりのないこと。でなければ町を救うために兵士を派遣したりなさらないでしょう」
「死んで終わりってのも、逆に考えれば罪を軽くするようなもんじゃないのか?生きていればこそ、贖罪は成り立つんだ。そのために王位をミハイルに譲るってさ」
「そうなのか」
 アルトゥールが驚きの声を上げる。睡蓮は草人形をもてあそびながら呟いた。
「あとはそれを公表するタイミングだな」
「それはお任せくださいませ。ミハイル卿にも禅譲のことを話さなくてはなりませんから」
 マニフィカが言葉を引き継いだ。

                    ○

 ホウユウ・シャモンが降伏勧告の使者として王宮にやってきたのは、それから数日が経ってのことだった。その少し前のこと。クレイウェリア・ラファンガードが王宮を訪ねていた。クレイウェリアは以前レゼルドからもらったお墨付きを門衛に見せて、謁見を申し入れていた。ちょうど国外脱出に関してクレイウェリアに伝えておこうと思っていたレゼルドは、思惑も知らずすんなりクレイウェリアを中に通させた。
「おお、良く来た。そなたには伝えておきたいことがあったのだが、この騒ぎでは遊郭に行くわけにもいかなくてな。ちょうど呼び出そうと思っておったところなんじゃ」
 クレイウェリアは妖艶な笑みを浮かべながら、遊郭への投資策を大絶賛しレゼルドに擦り寄っていった。もともと大の女好きのレゼルドは、そうなったら状況も忘れて室内にいた兵士たちを下がらせた。
「フリーダムとも通じていると聞いたが、女1人で乗り込んでくるとはさすが大した度胸よの」
「遊女は生き抜くためにはありとあらゆる組織にコネを作る必要がありますから。フリーダムとの関わりもそのうちの一つに過ぎません。女が1人で生きていくのは大変なんですよ」
「それもそうじゃな」
 玉座でクレイウェリアを横抱きにすると、するりと衣装を肩から落とした。豊かな胸があらわになる。艶やかな肌がレゼルドを誘う。膝にまたがるように座り直させると、谷間に顔をうずめた。両手が胸をもみしだくと、クレイウェリアがしどけない吐息をこぼす。その体におぼれながらレゼルドがささやいた。
「そなたにこうして触れるのも最後かも知れぬ。実は、王位をミハイルに譲り、わしは国を出ようと思っているんじゃ」
「え、そうなんですか」
 クレイウェリアが驚いて身を離す。それでは思惑を果たせなくなってしまうからだ。もの惜しげに体を引き寄せようとしたところを、クレイウェリアはそのみぞおちに気を打ち込んで昏倒させてしまった。
「今まで良くしていただいてありがとうございます。国民皆ご恩が多くて返しきれないので、仇を持って替えさせえていただきます」
 乱れた服を手早く直し、昏倒しているレゼルドを抱えあげると、すばやく窓から飛び出していこうとする。ホウユウが兵士に連れられて室内に入ってきたのはそのときだった。ぎょっとしたのは双方。反応はクレイウェリアのほうが早かったが、ホウユウが鋭い声でそれを止めた。
「待て!何をする気だ」
「レゼルドの処遇を民意に任せるため、群衆の中に放り込んでくるのよ。ま、リンチは免れないだろうけどね。けど、黙って国を出て行かせるなんてさせないよ」
「国を?本気で逃げ出すつもりなのか」
「そうらしいね。それじゃ民衆も納得しないだろ。だから突き出してやるのさ」
「いや、待て。確かに決起の気運は高まっているが、まだ時期尚早だ。手はずは整えてある。どうせ突き出すなら、ただ騒いでいるだけの今よりそのときのほうがいい。ここは俺に任せてくれないか」
 ホウユウを連れてきた兵士が、会話を聞いて仲間を呼ぼうとする。それをみねうち一つでとどめると、ホウユウはクレイウェリアに振り返った。クレイウェリアは頭をがしがしかいてレゼルドの体を床に放り出した。
「時期尚早は確かに言えるね。わかった。あんたに任せるよ」
 そして窓から飛び去っていった。
 ホウユウはレゼルドを玉座に座らせると、意識を取り戻させてやった。気がついたレゼルドは、しばらくなにが起きたのかわからない風であったが、やがてクレイウェリアに気絶させられたことを思い出し、顔を真っ赤にさせた。ホウユウはレゼルドが落ち着くのを待って、来意を告げた。
 ホウユウの目的はミハイルやこれまでに捕まえられたフリーダム関係者の解放と、禅譲だった。禅譲についてはすでにその気だったレゼルドだったが、敵側から要求されるとやはりむっとするものがあるらしい。助けてもらった恩も忘れて、もったいぶるように考え込んだ。そんなレゼルドに、ホウユウはいくつかの書状を手渡した。それは現体制派の貴族たちが寝返ったという偽の証文だった。
「きゃつらめ!」
 中には国外脱出の手はずを依頼した忠臣もいた。このままでは本当に命が怪しいと思ったレゼルドは、震える手で書状を破ってしまった。
「返事は3日後に。良くお考えを」
 慇懃無礼に挨拶をするとホウユウは平然と王の間を退出していった。
 返事をその場でもらわなかったのには訳があった。王の間を出たホウユウは、兵士たちの詰め所などでこっそりレゼルドが国外脱出を図っていることや現体制派の貴族たちが次々に寝返っていることなどを噂としてばらまいていった。王宮内だけでなく、街中でもその噂はばらまいた。それによって現体制派の士気を下げようとしたのだ。また同時に、反乱軍側の士気を高めていった。
「返答は3日後にもらうことにしてある。そのときがチャンスだ」
 適度に噂をばらまいて戻ったホウユウがマイトに告げた。マイトはフリーダムの仲間や味方の貴族たちに急ぎそれを伝えた。

 王宮前で騒いでいた民衆もいたが、王宮内は不穏な静けさに包まれていた。レゼルドはミハイルとマニフィカを交えた会見を開き、禅譲についてひそかに打ち合わせていた。マニフィカはその間もレゼルドの国外脱出の準備を進めていた。期日が切られたことで、決起の様子もわかったため、騒ぎに乗じて逃げ出す算段を立てていたのだ。すでに船の準備は整っていた。後は無事に出航するだけだった。
 そして3日が経った。真っ先に動いていたのは紅郎だった。見張りの手薄なところから王宮内に飛び込んで、適当な兵士を捕まえてジェルモン・クレーエンの居場所を聞き出していた。ジェルモンはレゼルドの機嫌を損ねた罪で、地下牢に放り込まれていた。これまで処刑されなかったのは、レゼルドが自分のことで手一杯でそこまで気が回らなかったからだ。場所を聞き出すとさっそくそこへ向かう。見張りの兵士を倒して牢を開くと、静かにうずくまっていたジェルモンが驚いた顔を向けてきた。
「よ!お前とは戦う約束をしてたろ。やる事さっさとすませて、このごたごたを終わらせたら死合おうぜ」
「なるほど。それでここに来たのか。いいだろう。フリーダムの連中は集まっているのか?だったら突入しやすいように内側から混乱させてやろうじゃないか」
「おお!思う存分暴れてやるさ」
「一方的な搾取をする支配者などいないほうがましだ。ここにいる連中も、忠誠心のみで働いているわけじゃない。情勢が変われば必ず寝返るはずだ。行くぞ!」
「フリーダムはすでに城門前で待機している。突入のきっかけを待っているはずだ。派手に行こうぜ!」
 まずは武器庫に潜入して奪われていた己の武器・防具を取り返す。手にしっくり馴染むバスタードソードをひらめかせながら、ジェルモンは紅郎ともども地下から王宮入口に向かって走り出した。反逆者の脱走にわらわらと兵士たちが群がってくる。紅郎が創造した槌を使って入口をぶち壊す。ジェルモンは群がる兵士を切り裂きながら声を張り上げた。
「棒給分の仕事で十分だぞ、諸君。おのが命に、その程度と値札をつけて納得しているなら私の前を塞ごうとすることだ」
 力量差は明白だった。互いに背中を預け、兵士たちを倒しながら上階のテラスを目指す。そこから城門前にいる反乱軍に呼びかけようというのだ。最初のうちこそ戦いを挑んできた兵士たちも、仲間がたやすくやられるのを見てじりじり後退しはじめた。
 騒ぎはすぐさまレゼルドに伝えられた。報を聞いてレゼルドが蒼白になる。エルンスト・ハウアーがひょっこり現れて髭を撫でながらレゼルドに言った。
「やれやれ、陛下がはした金をケチるからこんな大事になるのですぞ。よろしい、ワシが時間を稼ぎましょう。その間に戦いの準備なり逃げるなりなさるといい」
「賢者殿。しかしそれでは賢者殿の命が危うくなってしまいますぞ」
「ワシの命?なぁに、ご心配には及びませぬ。暴力でワシは殺せないのですから。そういう体なんじゃ。ほれ急ぎなされ」
 城内にはエルンストの力の源とも言える負のエネルギーが満ち始めていた。それを心地よく感じながらレゼルドをせかせる。やせこけたエルンストが大きく見えて、レゼルドがうなずいた。
「すまぬ。頼みましたぞ」
 護衛に駆けつけた兵士はミハイル解放に向かわせて、自分はマニフィカやリュリュミアと一緒に王族しか知らない秘密の脱出口に急ぐ。その間にエルンストは王の間のテラスに出て、門前に待ち構えている反乱軍に目をやった。
 反乱軍の先頭にいるのはグラント・ウィンクラックだ。エアバイク「凄嵐」にまたがり突入の時期を図っていた。すぐ後ろにリリア・シャモンが馬にまたがって控えている。グラントは鎧に身を包んだリリアに振り返って声をかけた。
「民衆に呼びかけたのはリリアだ。だから大将はリリアだ。大将は後方でどんと構えて味方を守っていてくれ。先陣で敵を蹴散らしていくのはこの俺の仕事だぜ!」
「お前だけに任せられるか」
 すかさずホウユウが2人の間に割って入った。グラントがホウユウの親ばかぶりに肩をすくめた。
「なんだよ、ちょーっとリリアと仲良くしてみようかなぁと思っただけなのに」
「なにおう」
 馬に乗ったリリアはきょとんとしていたが、グラントの言葉にぺこりと頭を下げた。
「そうですか。ではお友達ということで」
「友達、ね。それもいいけど、あんたくらいの腕なら好敵手って方が好みだな」
「それは光栄です」
 色恋沙汰にはまだ少しばかり早いらしいリリアの返事に、ホウユウがしかめ面をしながら黙り込む。そして赤兎馬にまたがってグラントと並んだ。リリアはさっと手を上げて周囲にいる仲間に呼びかけた。
「目指すはレゼルドです!悪行の限りを尽くしたあの王を捕らえ、ミハイル卿を新たな王にし、新しい時代を築くのです。今度は民衆が民衆のために生きていける時代を!さあ、行きましょう!」
 城の入口が紅郎によって壊される。中の騒動が見て取れた。やがて2階のテラスでジェルモンと紅郎が暴れだし始めた。ホウユウが先にたって天壊怒龍撃滅破を城門に向かって放った。爆発が起き城門が粉々になる。城の中から兵士たちが駆けつけてきた。グラントが凄嵐から飛び降りて呼び出した破軍刀で城門前の大地に叩きつけた。
「くらえ、剛剣術中伝・破軍爆華!」
 大地がかち割られ土くれや瓦礫が兵士たちに降り注ぐ。グラントは城壁をも叩き壊してフリーダムの仲間が入りやすいようにしていくと、ひるんでいる兵士の群れに突っ込んでいった。
「この剣は人以外のものは容赦なく切り捨てる。この程度の障害で破軍の勢いを止められると思うなよ!」
 言葉通りそこいら中の目隠しにもなっている彫像や兵士の詰め所などを次々に破壊してゆく。飛び散る破片を避けながら向かってくる兵士には、殺さない程度の技で向かっていった。
「命まではとらん。お前たちにも家族もいれば泣くものもいるだろうからな。……その痛みは己の考えを放棄して王たる資格のないものに仕えた罪だと思うがいい!」
 ホウユウもグラントに並んで戦いながら城に向かいレゼルドの姿を探した。反乱軍がそれに続く。リリアは魔利支天具足の結界で反乱軍の仲間を守っていた。
 先陣にはアメリア・イシアーファも加わっていた。アメリアは向かってくる兵士を必死に説得していた。
「もぉあなたたちに勝ち目はないんだよぉ。素直にここを通してぇ。そうすれば殺しはしないからぁ。無意味な戦いなんかする必要はないんだよぉ」
 レゼルドが逃げ出したとは知らない兵士は、それでも歯向かってきた。アメリアは竜巻を起こしてそれらを吹き飛ばした。空から紅郎が創造した剣や鉛球が降ってきて兵士たちが足止めされた。開かれた通路を剣を手にしたマイトやクナスが走ってゆく。追いすがる兵士が切りかかろうとしているのを見て、アメリアが土の防御壁でそれを防いだ。
「ミハイル卿は無事だよねぇ」
「信じるしかないだろう」
 アメリアの質問にマイトが答える。剣と剣がぶつかり合い動きが止まる。相手の兵士をアメリアが蹴り飛ばした。ホウユウとグラントが城の入口の前まで来たとき、上からエルンストの声が降ってきた。
「ようこそ愚民ども。ワシが此度の元凶じゃ」
 2階のテラスではエルンストの暗黒魔術で攻撃されたジェルモンと紅郎が、ふらつきながら反撃のチャンスをうかがっていた。エルンストはテラスから負のエネルギーを放射しながら眼下の戦いに目をやっていた。前庭の後方では下っ端の兵士たちがフリーダムのメンバーとやりあっていた。ホウユウやグラント、マイトにクナスだけが前線でエルンストにきつい目をやっていた。アメリアが精霊の力を借りてまわりにいる兵士を退けている。そんな様子を見ながらエルンストはにやりと笑った。
「醜い、醜いのぅ」
「レゼルドはどこだ!」
 ホウユウが問いかけると、エルンストは高笑を放った。
「悪を単純化し1人を元凶に祭り上げる。「正義」こそが人間のもっとも深き業よ」
「やいやい、レゼルドが今回の件を招いたことは確かだろうが。つべこべ言わずに出しやがれ」
 グラントが息巻く。エルンストは一転して冷たい目になった。
「陛下は悪なんかじゃあない。単に女好きなだけの「普通の」人間じゃったよ。むしろ平時の政治家としては優秀じゃったろう。利があればイエスと答え、目的のための調整を惜しまない。「白を黒、黒を白」と言い換える『政治』をすればちゃんと通じる男じゃった」
「だったらなぜここまで民衆の不満が募る。俺たちを追い詰めたのは貴族であり、その頂点に立つレゼルド王だぞ」
 マイトの言葉にクナスもうなずく。エルンストは冷たい目のまま見下ろしてきた。
「では問おう。心ある貴族は今まで何をしておったのかね。倫理にこだわって『政治』もせずに口をつぐんでいた。違うか?ワシは100年はかけて、上の金を下へ還流させる国へ作り変えるつもりじゃった。税金、安くなったじゃろう?娼婦だって、給金は近く是正するはずじゃった。そなたたちには「その後どうするか」の選択も与えた。そして結果を選んだのはそなたたちじゃ」
 マイトがぐっと言葉に詰まった。グラントがその様子を見て、代わりに声を張り上げた。
「ものは言いようだな。遊郭も闘技大会も、あんたの発案ってことだろ。それで傷ついた民はどうなる。死んだ人間は生き返りはしねぇんだぞ!」
「俺たちの仲間になってくれた貴族だって、なんにもしてこなかったわけじゃない。聞き入れなかったのはレゼルドのほうだ。挙句の果てに邪魔になったミハイル卿を捕らえて……それで悪じゃないと言うのか」
 ホウユウも言葉を添えた。エルンストは冷笑を浮かべた。
「高みから正論を吐くのは簡単じゃ。しかしそれで世の中が回ると思っているのは幸せな環境で育ったボンボンか世間知らずのガキか、坊主か田舎者じゃよ。1人で生きている一匹狼なら、なおさら言われる筋合いは無いわい」
 ちろりと目線を送られてグラントがむっとした顔になった。
「飲む、打つ、買うは昔からある娯楽。そして剣闘や娼婦も、昔の庶民が楽しめると実証したものさ……公開処刑も、な。実際、楽しかったじゃろ。下卑てはいてもとやかく言うのは野暮よ。それに関わる不幸も良くある話に過ぎん」
「良くある話だとぉ。そんな言葉で片付けるな。確かに踊らされた奴はいるだろうさ。それは否定しない。娯楽になったことも否定はしないさ。だからと言って不幸になった奴の痛みを見過ごすことは出来ない」
 故郷では上流社会の次期頭首であるホウユウには、聞き捨てならないエルンストの言葉だった。エルンストはまだ戦っている者たちを見ながら独り言のように言った。
「清流はなぜきれいか。それはじゃな、生き物が少ないからじゃ。そこで生きていけるものが限られておるからじゃ。澱んだ川は生きづらいかもしれんが、無数の生命にあふれ無限の可能性を秘めているものじゃよ」
「戦うことを選んだ以上、自分たちがきれいだなどというつもりは無い。ただもっと民衆が生きていきやすいようにしたいだけだ。そのためにはレゼルドが王であってはならないんだ。レゼルドはどこだ!」
「さあて、な。今頃は国を逃げ出しておる頃じゃろう。暴力でしか世の中を変えようとしない正義がまかり通るようでは、一時的には良くなったように見えても、いずれこの国は乱れる。貴族と名のつくものは庶民に蹂躙され、庶民は、階層・地域・貧富の差で誰が悪でも正義でもない争いを始める。これは人間が繰り返してきた歴史そのものよ」
「そうならないために貴族の味方も作ったのですわよ」
 リリアがやってきて反論した。攻撃のショックから立ち直ったジェルモンと紅郎がエルンストに攻撃しようとする。そこへやってきたのはミハイルだった。ミハイルは王冠をかぶっていた。
「みなのもの、これ以上の戦いは無用だ。レゼルド殿は私に王位を譲り、国を離れた。もはや帰って来ることはあるまい。今このときより私が王となった。全員、剣を引くんだ」
 朗々とした声があたりに響き渡る。分の悪い戦いに戦意を失いかけていた王宮の兵士たちは、レゼルドが国を離れた事実に衝撃を受けて次々に投降していった。マイトがミハイルに問いかけた。
「ご無事で何よりですが……レゼルドが逃げ出したのは本当ですか」
「マニフィカ姫がついて行かれた。レゼルド殿の行く末を見届けるために。この国のことは私に託されて。フリーダムの諸君には不本意なことかも知れぬが、地位を失い放浪の旅に出ることは、プライドの高いレゼルド殿にとってこの上ない罰となろう。それで許してやってはくれぬか。そしてこれからは国を荒らさないことに力を出してゆこうではないか。助力してくれたみなにも、それを願おう」
 ミハイルの言葉は静かだったが、力強くもあった。エルンストが面白そうな顔でミハイルの顔を一瞥した後、黙って下がっていく。ミハイルはテラスの一番前まで出てきて戸惑っている民衆に再度呼びかけた。
「国のありようを変えるのは決してたやすいものではない。貴族も民衆も一丸となってやらねばならないことだ。なにが幸せなのか、みなで考えてゆこうではないか。みな、私に力を貸してくれ」
 真っ先にクナスが手を上げた。
「ミハイル新王に万歳!」
 その声に誰からともなく歓声が沸き上がった。

                      ○

 城をマニフィカやリュリュミアと一緒に脱出したレゼルドは、目立たない様に作られた船に乗って離れていく大地を見やっていた。その胸には不安が渦巻いていた。肩を落とした姿にリュリュミアがぺたりと寄り添う。レゼルドはその髪を優しく撫でてやった。マニフィカがその隣に立った。
「これからの生き様がレゼルド様の贖罪となるのですわよ。大丈夫、わたくしが見守って差し上げましょう。どこまでもともに参りますわ」
「リュリュミアも一緒にいますからねぇ」
「ありがとう、姫君、リュリュミア」
 マニフィカの言葉にレゼルドは弱々しげな笑みを浮かべた。

 新王誕生に喜びの声が満ちている町では、新体制を整えるためにディックが奔走していた。王の補佐役に信頼のおける味方してくれた貴族をつけ、レゼルドについていた旧体制派の貴族は、財産を没収したりして力を削いでから、民衆からの信頼を得られるようなら再び要職につけることを約束したりしていた。
「宴?」
「はい。新王誕生祝の宴ですが、補佐役に選ばれた貴族はもちろん、フリーダムのメンバーやいろいろ影で協力してくれて人も招いて、改めてミハイル様から王としての決意を述べてもらい、皆の忠誠を確認するとともに、国の発展や平和を約束し誓い合いたいんです。しばらく国の混乱は続くでしょうけど、それを乗り切り、貴族と民衆が手を取り合って生きていける国を作るために」
 ディックの提案にミハイルは優しい顔でうなずいた。
「そうだな。私が王になったのは、決して私の力ではない。みなの努力があってのことだ。ねぎらいもしたいし、身分の違うものたちが枠を越えて手を取り合うのは良いことだろう。さっそく手配をすることにしよう。王宮だけでなく、国全体の祝いの宴になるといいな」
「そうですね。いつか、王や貴族だけが権利を持つのではなく、民衆にも政治に参加してもらえるようになってもらいたいんです。そのためにはまず関心を持ってもらわないと。この宴がそのきっかけになるといいですね」
「そうだね」
 宴の準備は滞りなく進められていった。その日をミハイルの正式な即位の日とすることで、国全体に政治的な意味合いを持たせた。宴でミハイルが行った決意の表明は国中に触書として張り出され、民衆の賛同を得られていった。

 宴が終わり、遊郭や闘技大会などエルンストが提案し町に浸透していた遊行産業に関する法律の整備が進められていた頃には、国も落ち着きを取り戻し始めていた。
 リリアはプロンテア家に遊びに来ていて、もうじき嫁に行ってしまうというアーニャと仲良く風呂に入っていた。
「アーニャ様は着やせして見えられるのですね。素敵なスタイルですわ。本当に、レゼルドなどに汚されなくて良かった」
「ふふ、ありがとう。スタイルだったらリリアさんだって素晴らしいじゃない。ホウユウさんが自慢するのもわかるわ」
 白い湯気が立ち込める浴室で、互いのプロポーションを誉めあう。ザーッと音を立ててリリアのベージュの肌を湯が滑り落ちる。細身だが胸の豊かさは歳に似合わぬ色香をかもし出していた。頬を上気させていたリリアは、にこりと笑った。
「私は母親似なんですのよ。妹弟は多いのですけれど、母も祖母も叔母たちもみなプロポーションが自慢で。でも誉めていただけるのは嬉しいですわね。私もいつかお父様のような素敵な殿方と結婚したいですわ。そうそう、アーニャ様は結婚されるのでしたわね。お相手はどんな方ですの?」
 アーニャは真っ赤になりながらのろけて見せた。
「自分では堅気ではないと言っているけれど、芯は優しくて、そしてとても強い人なのよ。戦うことがなによりも好きみたい。試合したい相手がいるからちょっと行って来るって言っていたわ。そうそう、ホウユウさんとも幾度か手合わせをしたことがあるそうよ」
「お父様と?それは期待できますわね」
 リリアの答えは戦士としてのものだったが、アーニャは別の意味で捉えたらしい。赤い頬をそっと手で押さえた。
 その相手、紅郎はジェルモンと十合の死合いの真っ最中だった。キン!と鋭い音がしてバスタードソードと日本刀がぶつかり合う。ぎりぎりと押し合い、ジェルモンによって力が受け流される。ジェルモンはそのまま横に剣を払ってきた。紅郎が飛び上がってそれを避ける。そして上から切りかかっていった。ジェルモンがとっさの判断で後ろに移動し下からすくい上げるように日本刀をはじいた。勢いでぶつかり合った直後に互いの剣が離れた。
「十!決着はつかずか。まあ、いい。次の楽しみにしておくさ」
「お前も変わった奴だな。10回剣がぶつかり合ったらおしまいだなんて」
 構えをときながらジェルモンがあきれた声を出す。紅郎はがははと笑った。
「楽しみは長いほうがいいからな。じゃあ、またやろうぜ。今日はこれから嫁さん迎えに行かなきゃならないんでな」
「アーニャ嬢と結婚するそうだな。彼女も物好きだ」
「放っておけ」  明るい声で応じてから紅郎はプロンテア家に向かった。家の前ではアーニャがリリアを見送るところだった。凄嵐に乗ったグラントが通りすがっていく。
「お、リリア!お前さんも旅立つのか?」
「はい。お世話になりました」
「礼なんざいらねぇよ。じゃ、気をつけていけよ。ホウユウによろしく。ま、縁があったらまたどこかで会うだろうさ」
「そうですね。それまでお元気で」
「そっちもな!」
 エアバイクがブロロと走り去っていく。リリアも手を振って迎えに来たホウユウと去っていった。見送っていたアーニャは紅郎に気づくと、手を振って家に招きいれた。
 トーニャはレックスに来ていた。アーニャの結婚話を知っていたマイトが苦笑しながら憮然としているトーニャを見守っていた。
「あ、やっぱりここだったかぁ」
「おじさん」
 かららんと扉を開けて入ってきたのはアスリェイだった。アスリェイは旅支度の格好だった。
「ようやくこの国も落ち着いてきたな。まあ、本当に大変なのはこれからだけだろうけどねぇ。頑張れよ、少年」
「うん……」
 今ひとつ浮かない顔のトーニャにアスリェイががしがしと頭を撫でてきた。
「なんだ。姉ちゃんが結婚するんですねているのか」
「そんなんじゃないよ!」
 とっさに反発してトーニャが叫ぶ。アスリェイは優しい目でトーニャの顔を覗き込みながら言った。
「そうそう、大人にならなきゃな。何年かしたらおじさんも少年に会いに来るよ。そのときは大人になった少年のおごりで酒でも飲みたいねぇ。この間の質問の答えも知りたいし。そのときは、この国がどう変わったか、いろいろ話してくれよ」
「……おじさんも行っちゃうの?」
「まあねぇ。んじゃ、挨拶もしたし、行くか。この国の皆に精霊の祝福がありますよ〜に!」
「おじさん!おじさんも元気で!絶対に会いに来てよ。約束だからね。たくさん話が出来るようにしておくから!」
 レックスを飛び出してト−ニャが遠ざかる後姿に大きく手を振る。アスリェイは振り向かずに手だけ振り返して来た。トーニャはため息を一つつくと家に向かった。

 問題がすべて解決したとは言えない。だが王の交代で国が大きく動いたことは確かだ。ミハイルは貧富の差がなくなるよう努力を続けた。貴族たちも民衆に対して優しくなった。民衆の発言権も大きくなった。アカルスの未来は確かに明るい方向へと向かっていた。

高村マスターシナリオ_オーディアス世界トップPへ戻る