「ゲット!フリーダム」 第二回

ゲームマスター:高村志生子

 ジェルモン・クレーエンの策略によって、収容所から後宮へと連れて来られたアーニャは、豪奢な一室を与えられ、あまりの待遇のよさにさすがに不審を抱いていた。なにより女好きで有名なレゼルドのことだ。いつやってきて自分に目をつけるかわからない。長居はしたくなかったが、常に身の回りにはメイドが付き従っていて逃げ出すこともかなわなかった。
 本来なら縁のないきらびやかなドレスを着せられ、銀の髪をわずかに金色の混じったプラチナブロンドに染め替えられたアーニャは、鏡に映る自分の姿にため息をつきながらメイドに髪をすかせていた。そこにジェルモンがやってきた。後宮という特殊な場所にどうやら自由に出入りできるらしいジェルモンに、アーニャは跳ね上がるように椅子から立ち上がると必死の表情で詰め寄った。
「お願い、私を早く家に帰して。膝元なら油断するなんて嘘なんでしょう。このままここにいたら、きっとすぐに王に……。それは、いや。それくらいなら死んだほうがましだわ」
「ほう、これは美しい。さすが評判になるだけはあるな」
 結い上げられた髪にはいくつもの飾りが差し込まれ、顔には化粧が施されている。衣装も華美にならなさ過ぎずともアーニャの美しさを十二分に引き出すだけのデザインがなされていた。今のアーニャは充分には貴婦人で通るだけの品格が備わっていた。それらはすべてジェルモンの指示によるものだった。出来栄えに満足すると、ジェルモンはアーニャを椅子に座らせた。
「そういきり立つものじゃない。騙したのは悪かったが、こちらにも思惑があってな」
「思惑?」
 警戒を解かないアーニャにジェルモンは押し付けがましくならないよう気遣いながら話を進めた。ジェルモンから見てレゼルドたちの行動は、確かに堕落方向に逸脱していると言えなくもなかったが、まだ矯正できる範疇にあるように思われた。貴族支配を覆すほどの動きがないのならば、その歪みを直してやればいい。そのためには民と支配階級の任務と責任の違いからくる役割分担をそれぞれに教え込まなくてはならない。幸いレゼルドは自分を信頼しているようだ。裏切らなければ話を聞いてくれるだろう。あとは民のほうだが、アーニャに民の視点とは違う暮らしをさせることで、その違いをわからせるのは有益なことだと語った。
「王の役割は、民を外敵から守ることが本分だ。代償として地位や権威を得るのだ。だからこそ、有事には軍事的基盤を持ってことにあたり、外敵から民衆を守りその暮らしを平安にさせなければならないんだ。騒動を起こそうとしている反乱分子を狩るのもそのためではないかな?町の治安を守るために警護団を使うんだ。レゼルドが王としてどれほどその本分から外れているか、自分で確かめて見るといい」
 ジェルモンはアーニャを伴って後宮の中の王の間に行った。レゼルドはアーニャの姿を見ると、情けないほどに相好を崩し、ジェルモンに下がるよう命じた。ぐいっと手を引かれ抱きしめられたアーニャが悲鳴を上げる。もがく体を力づくで押さえ込み胸をまさぐる。アーニャが泣きながら頭を激しく振ると、髪が乱れ飾りが弾けとんだ。それがますますレゼルドを燃え上がらせたが、ジェルモンが退室せずに冷ややかな目でその場にたたずんでいるのに気づくと、不快気に再び退室を命じた。アーニャが救いを求めるような目をジェルモンに向ける。ジェルモンはすすっと近寄ると、レゼルドの腕の中からアーニャを取り返した。
「なにをする!その娘はわしのもんだ。どう扱おうとわしの自由ではないか。さっさとよこさんか」
「反乱分子……フリーダムとか名乗りましたか。連中は陛下を悪の権化、圧制の主として民に陛下の価値を刷り込んでおります」
「なんじゃ、急に」
 とたんにレゼルドが弱腰になる。ジェルモンは床に散らばった髪飾りを拾い上げ手でもてあそびながら言葉を続けた。
「陛下を悪とみなして、そこからの解放と自分たちの行動の価値をつけているところを逆手に取れば、連中の行動こそを悪となせることもできましょう。多少の譲歩で、連中の派手な建築物を壊すような戦い方を封じることもできようかというものです。多少は陛下にもご不便を感じさせるかと思いますが、連中が自分たちの行動に善もしくは正義の旗を掲げる以上、連中にも従わなければならないルール、今現在は書庫の奥で眠っているかのような誠実にして雅やかな王族貴顕の振る舞いを見せつけねばなりません。この娘の扱いはそれにはうってつけなのではありませんか。この娘をどう扱うか、その振る舞いに対して粗野な礼儀知らずの行動を起こしてくれば、連中の求心力も落ちましょう。兵役をになう貴族が自分たちの代わりに戦ってくれることの幸福を知らぬ民からの」
 もっともな言葉にレゼルドはうなるしかなかった。悲劇のヒロインとも言えるアーニャを丁重に扱えば、民の反発も少しはおさまるはずだ。壊れた城の修復にはまだ時間がかかる。今ここでまた同じようなことをされたら、貴族の威厳も下がろうというものだ。仕方なくレゼルドはアーニャを連れて下がるよう言った。しかしその目の好色な色はおさまってはいなかった。女の勘でそれを感じ取っていたアーニャは、再び部屋に戻されてからジェルモンに告げた。
「今は……確かに大切にされるかもしれないけれど。きっと家には帰れない……帰してもらえない予感がするの。むしろ私さえ言うことを聞かせてしまえば、町の人たちを説得できると思っているに違いないわ。後宮にいながら女の身で自分を守るのは難しいでしょう」
「貴女の身は必ず守りましょう」
 ジェルモンが請合うと、アーニャはそれでもはらはらと涙をこぼした。そこへバタンと扉が開いてリュリュミアが飛び込んできた。リュリュミアは朗らかに笑いながらアーニャに近づいてきた。
「こんにちはぁ」
 明るい挨拶にさすがにアーニャが毒気を抜かれて挨拶を返した。
「新しい方ですよねぇ?お名前はなんていうんですかぁ。アーニャさん?どこかで聞いたような名前ですねぇ……まあいいですか」
「あの、あなたも無理やり連れてこられたの?」
 貴族とは見えないリュリュミアにアーニャが問いかける。リュリュミアはしばらく頭を傾げてからふるふると首を振った。
「ある人のメイドとしてやってきたんですけどぉ。そうそう、貴女と同じ名前の人と交換ってことでレゼルドさんに渡されたんですよぉ。ここは食べ物も美味しいしベッドもふわふわでいいところですねぇ。レゼルドさんも、少し甘えん坊ですけどぉ、優しくしてくれますしぃ」
「……甘えん坊?」
 予想外の感想にジェルモンとアーニャが言葉をはもらせる。リュリュミアはくすくす笑いながらこくりとうなずいた。
「よくすがりついて安心したように寝てしまうんですよぉ。乱暴なことなんて全然なくてぇ。ああ、なんだっけ、フリーダムとか言う反乱軍が襲ってきて疲れているみたいですぅ。リュリュミアの花粉を吸うと気分が落ち着きますからねぇ。だからかも知れませんねぇ」
 フリーダムの名前を聞いてアーニャが表情をこわばらせる。リュリュミアがその顔を覗き込んではいと手を差し出した。
「なんだか貴女も顔色が悪いですねぇ。大丈夫ですかぁ?そぉだ、お近づきに良いもの差し上げますね。リュリュミアの花粉から作った匂い粉なんですけどぉ、気分が落ち着きますから良かったら使ってください」
「あ、ありがとう」
 可愛らしい端切れで作られた小袋からは甘い香りが漂ってきた。確かにかいでいると気持ちが穏やかになっていくようだった。アーニャが顔を和ませると、リュリュミアもにこにことした。
「一応ここでは先輩ってことになりますから、困ったことがあったらなんでも言って下さいねぇ。それじゃあこれからよろしくお願いいたしますぅ」
 ばいばいと手を振ってリュリュミアが出て行くと、ジェルモンも退出した。アーニャは小袋の匂いをかぎながらほうっとため息をついた。入れ違いに顔なじみになったメイドが入ってきた。しかしどこか様子がおかしい。リュリュミアの匂い粉で落ち着いていたアーニャは、その変化にすぐ気づいた。いつもだったら感情のない人形のようにアーニャに接するのに、今日はやけに親しげだ。行動は変わらないはずなのに、雰囲気がどことなく違うのだ。メイドは室内に他の人間がいないことを確認すると、すたすたとアーニャに近づいてきた。そしていきなり砕けた口調で話し始めた。
「いやぁ、上手くいって良かった。新人なんて目立つからすぐにわかるだろうとは思ったけどさ」
「え?」
 メイドは屈託なく笑ってぽんぽんとアーニャの肩を叩いた。
「あ、驚かせたかな?悪い悪い。オレ、本物じゃないんだ。あんたに会うために化けているんだ。ちょっと渡したいものがあってさ」
 化けるのはお手の物の睡蓮は、外から後宮の様子を調べていてアーニャの部屋付きのメイドを数人ピックアップしていたのだ。メイドたちの噂話でアーニャがレゼルドの下に連れて行かれたことを聞いて少し焦ったのだが、直に戻ってきたのでまだ大丈夫と安心していた。わけがわからなくてきょとんとしているアーニャに、隠し持っていた瓢箪から取り出したものを渡す。ころころとしたそれは一般的なお香に良く似ていた。不思議そうにしているアーニャに睡蓮は得意げに説明した。
「この香は、炊いておけば性欲を霧散させてしまう効果があるんだ。レゼルドにやられそうになったら炊いておくんだぜ。意識を奪うようなもんじゃないし、こういう場所でなら香を炊いていてもおかしくはないから、怪しまれないと思うんだ。オレは都合であんたを助けてやることは出来ないけれど、これで貞操は守れると思うから頑張れ。な」
「あの、あなたは……?」
「本当は人間に直接関わっちゃいけないんだけどさ。やっぱりいたいけな女の子がいけ好かない奴の毒牙にかかるのを黙ってみているのは出来なくてさぁ」
「充分、関わっていると思うがの」
 瓢箪から声がしてアーニャがぎょっと身を引く。睡蓮が困ったように瓢箪に話しかけた。
「師匠には黙っていてくれよな。このくらいなら許されると思うけど、折檻はごめんだぜ。さて、表の見張りにはばれてないようだけど、着替えの手伝いと言って入ってきたんだし、あんまり早く出て行くと疑われるよな。ここは一つ掃除でもしていくか」
 疲れているようなアーニャを着替えさせ、ベッドに入らせるとぱたぱたと掃除を始める。軽快な音にアーニャはいつしか眠りに落ちていた。静かな寝息を聞いて睡蓮が服を片付けそっと部屋を出て行く。念のため香を代わりに炊いておくのは忘れなかった。アーニャは久しぶりに安心した眠りに落ちていった。
 アーニャを物に出来なくて苛立っていたレゼルドのもとには、賓客として滞在していたマニフィカ・ストラサローネが訪れていた。いくらレゼルドが女好きでも、他国の貴族の娘をアーニャのように扱うわけには行かない。しぶしぶ謁見に応じたレゼルドは、マニフィカの申し出を受けて目をむいた。
「後宮に移られるですと?なにゆえ」
「王宮は先日の攻撃でいささか居心地が悪くなっておりますでしょう。わたくしのようなものがいては、修繕する職人たちにも気を使わせてしまいますし。ですから後宮のような女ばかりのところに移ったほうが皆様のためですわ。違いまして?」
「う、うむ。それはそうだが」
「それに、聞きましてよ。わたくしにくださるとお約束なされた娘も後宮にいるそうではありませんか。ちょうど良い機会です。約束を果たしてくださいませ」
「なぜそれを!?」
 ぎょっとしたレゼルドに、マニフィカはすまして答えた。
「メイドたちが教えてくれましたの。先日の襲撃の際、微力ながら救出活動に尽力させていただきましたでしょう?おかげでみんないろいろと打ち解けてくださいましてね。そうそう、父親の細工師も王宮にいるそうですわね。そのうちわたくしのためにも何か作っていただこうかしら。かなり腕が良いそうですから。いかがです。だめかしら。もちろん相応の報酬は出しましょう」
 しゃらんとマニフィカの装飾品が鳴る。王宮襲撃で恩を受けたことも確かだ。レゼルドは冷や汗をかきながら要求を呑んだ。
 さっそく後宮にやってきたマニフィカは、そのままアーニャの部屋に居座ってしまった。初めは少し警戒していた様子のアーニャも、貴族でありながら優しく、またリュリュミアとも仲が良さそうなマニフィカに次第に心を開き始めた。メイドたちもどうやらマニフィカを慕っているようだ。理由はわからないまでも、態度が信用するに値するように思えた。クナスまでも連行されたことには驚かされたが、目的がその腕前にあるとわかって安心させられた。マニフィカはアーニャをメイドとしてではなく、友や姉のように接していた。貴族にもマニフィカのようなものがいるとわかり、アーニャはやがて後宮暮らしに慣れていった。

 一人ぼっちになってしまったトーニャは、レックスに身を寄せていた。しかし姉や父親の情報が入ってこない状況でじっとしているのは性に合わないらしい。騒動から日がたって落ち着きを取り戻し、遊郭や近々開催されるという武闘大会の話題で浮き足立っている町民たちの説得に乗り出すと言い出した。止めたのは行きがかり上、なにかと面倒を見てやっていたアスリェイ・イグリードだった。
「おまえさんは、警護団員に目をつけられている可能性があるんだぜぇ。今度こそ命が危ないかもしれないんだぞぉ。無茶はやめたほうがいい」
「いやだ!このまま何もなかったように暮らしてなんかいけないよ。父さんも姉さんも帰って来ないのに……。町はなんか浮かれているみたいだけど、大人の事情なんて知るもんか。大切なのは黙ってしまうことじゃなく、今を変えることだろ。そのためにフリーダムは結成されたんじゃないか」
「俺もそう思うな」
 口を挟んできたのはディック・プラトックだ。ディックはトーニャの頭を撫でながら顔を覗き込んだ。
「トーニャは町の人の説得に向かってくれ。俺はミハイル卿のところに行って、貴族の中に仲間になってくれそうな奴がいないか聞いてくるから」
「貴族の中に?」
「ミハイル卿の様な人が必ずいると思うんだ。新体制を整えるには、王を倒すだけじゃだめだ。やっぱり貴族の力が必要だからな。俺みたいな庶民が言うより、あの人のようにそれなりに権力を持った人が言った方が説得力があるだろ。町のほうは任せたからな。お互い頑張ろうぜ」
「うん!」
 満面の笑顔でうなずいたトーニャを見ながらアスリェイががりがりと頭をかいた。
「やれやれ、無茶をするのは何も知らない若さゆえの特権かねえ」
 そう言いながらも放ってはおけないのだろう。勢い良くレックスを飛び出していったトーニャの後を、見つからないようについていく。案の定、トーニャが人だまりで家族の悲劇を絡めてフリーダムへの協力を話し始めると、遠くからばらばらと警護団員たちがやってきた。力説しているトーニャはそれに気づかない。アスリェイはそっと移動して次々と警護団員たちを倒していった。
 トーニャの説得はなかなか功を奏さなかった。もちろん同情する声はたくさんあったが、実際に王を倒すとなると実感がわかないらしい。子供のたわごととして片付けられることが大半だった。最初は意気込んでいたトーニャも反応の薄さにだんだん力を失っていった。それでも気力を振り絞って説得に飛び出していく姿に心を打たれたのか、アスリェイはあるとき一通りいつものように警護団員を片付けた後、トーニャの背後に現れて肩に手を乗せた。そしてトーニャを囲んでいる町人たちに向かって言い放った。
「なあ、いくら身内のためとはいえ、こんな子供が街の状況をどうにかしようと必死になって頑張ってんじゃないの。この子の姿を見ておたくらは何も思わないのかい?おじさんは恥ずかしいと思うねぇ。だからおじさんは少年に協力することに決めたのよ。フリーダムの面子も若い奴が多いみたいだし、ここいらでこの街の大人の意地ってのを見せてみるのもいいんじゃないかねぇ」
「おじさん……」
 トーニャがアスリェイを見上げて慌てて目をこする。にじんだ涙を見せまいとして返って幼く見える行動に、大人たちに動揺が走った。ざわめきの中から一つの声が上がった。
「ほら、こないだの襲撃で王宮が壊れちまっただろ。それでその修復に人手が借り出されているんだ。そこからなにか情報が掴めるかも知れない。どこまでやれるかわからないけど、できるだけ集めてみよう。情報はどこに伝えたらいいんだ」
 トーニャの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう!僕はレックスでお世話になっているから、そこに来てくれれば」
「わかった。そういえばレゼルドは遊郭にも良く顔を出しているらしいぜ。味見をしているって噂だ。そっちの方も調べてみよう……っと、これは子供にゃ言いにくいかな」
「大丈夫だ。そんときはマスターやおじさんにでも言ってくれよぉ。頼んだぜ」
「そうだな。了解」
 ようやく得た手ごたえにトーニャがはあと息を吐く。アスリェイが肩にトーニャを担ぎ上げた。
「わっ」
「良く頑張ったな、少年。この調子で行こうぜ」
「うん……と、なに?」
 いきなりアスリェイが走り始めた。周りの大人たちもてんでに散っていく。新手の警護団員がやってきたのだ。隠れて倒すわけにも行かない状況に、アスリェイはトーニャを担いだまま逃げ出したのだ。
「なんせ数が多いからなぁ。こういうときは……にぃげるんだよぉぉ」
「わ、わわわ」
「待て!貴様ら、なにをやっていた!」
「あ〜ばよ〜」
 軽々とトーニャを担いで全力疾走するアスリェイに追いつける警護団員はいなかった。

 ミハイルのところにやってきたディックは、ミハイルからクナスやアーニャのことを伝えられていた。どうやらレゼルドにはクナスを尋問する気はないらしい。もともと持っていた願望に忠実に、お抱え細工師として王宮内の工房に専用の部屋を与え、作業をさせているとのことだった。それは決してクナスの意にかなったものではなかったが、娘を人質に取られている状態では逆らうことも出来ないらしい。命の保証はあるらしいことがせめてもの救いだった。
「アーニャのほうはどうなんですか?後宮にいるってことは、もしや……」
「いや、まだ王の手はついていないらしい。というのが、賓客として招かれていた異国の王女が、アーニャを気に入って側に置いているのだ。それでおいそれとは手が出せなくなってしまったようだね」
「そうですか、それは良かった。ところで今日お訪ねしたのは、ミハイル卿にお願いがあってのことなのですが」
 ディックは安堵の表情を浮かべながら、本題に入っていった。
 街の不満は歪んだ現体制にある。それに対抗するには新しい体制が必要だ。大切なのは貴族と民衆との協力体制だ。民衆の方にはトーニャが行っている。時間は掛かっても、あの真剣さがあればきっと民衆の心を動かすことが出来るだろう。あとは貴族側からの協力者が出ることだと考えていた。そういう人物が出てくれば、現体制を倒すための民衆の説得にも勢いがつくからだ。そして民衆の意識を高めることも出来るはずだ。
「協力体制が整えば、民衆は必ずそれを後押ししてくれます。貴族の中に現体制に対抗してくれるような人はいませんか?住民たちは結束しつつある。ここで手を取り合って、みんなが平和に暮らせる新体制を作り上げましょう。貴族の力は必要だと思うんです。ただ、俺みたいな一般市民が言うより、あなたのように貴族たちに大きな力を持っている人が言った方が説得力があると思うので。力を貸してくださいお願いします」
「貴族の暮らしも民衆あってのものだ。確かに民衆に支持される政治は必要だろう。レゼルド王ではそれは無理だ……民衆をここまで追い詰めたのは彼だと言っても良いからな。わかった。心当たりはいくつかある。話をしてみよう」
「ありがとうございます!」
 ディックが嬉しそうに頭を下げる。ミハイルがふと思い出したように言った。
「そう言えば、アーニャを気に入っている異国の姫君だが。なかなかの才女らしい。王とも堂々とやりあって王宮内での地位を着実に築いているようだ。使用人の信頼もかなり集めている。彼女にも接触してみようかね。プロンテア親子のこともわかるかも知れないし」
「そうなんですか。ぜひとも!」
「ただ、一つ。フリーダムのことはかなり警戒されている。改編の中核になるとはいえ、まだ小さな組織なのだろう?もしものときは頼ってきなさい」
「わかりました」
 レックスに戻ってきたディックは、トーニャの活躍ぶりを受けて民衆と貴族との橋渡しになることを改めて決意していた。そして両者の進捗状況を互いに教えあっていった。幸いにして貴族側にも民衆の立場に立って考えてくれる人たちがいるようだった。時代の流れが変わっていく実感をフリーダムのメンバーは味わっていた。
 とはいっても浮かれ立っている民衆の側には、そう大きな変化があったわけではなかった。触書で今度の武闘大会に凶悪犯を出場させ、その勝敗によって刑罰が変わることが張り出されたからだ。その案を出したエルンスト・ハウアーはレゼルドにこう入れ知恵していた。
「試合は血を見ることによって盛り上がり方が違います。ですから、防具は必要最低限に。犯罪者は勝つごとに減刑されてゆき、負けたら即、死。ただし、とどめを刺すのはレゼルド様が観衆に委ねるのです」
「む?どうせ出すのは凶悪犯のみだぞ。殺してしまっても良いではないか」
 エルンストは含み笑いをもらした。
「他人の生死を左右できることに、観客は興奮するでしょう。その自由を与えたレゼルド様を尊敬するやも知れませぬぞ」
「なるほどのう。賢者殿の言うことはやはり一味違うな」
「そうそう。先日の反乱、なにやら怪しげな術を使う輩が混ざっていたとか。手前も修行の中で多少のまじないを心得ておりまする。観覧の際に手前がレゼルド様の側におりますれば、妖術の類は防げましょう。さすれば安心してご観覧できますかと」
「うむ。期待しておるぞ」
 笑いが重なる。しばし笑いあったあと、エルンストが問いかけてきた。
「そういえば娼妓たちの味見の方はいかがでしかたな」
「確かに接客に不慣れなものが多いようだな。そなたの案の大会での接客は有益だろう。多少の儲けを自分のものにして良いと言ったら、みな食いついてきたぞ。レベルの高い者にはお墨付きも与えてきた。これがなかなか面白い女がいての」
「ほう、そうでしたか」
 それからレゼルドは女好きらしく遊郭での味見について得々と話し始めた。
 遊郭では集められた娼妓たちが客相手にいやいやながらその身を売っていた。客層は主に貴族階級だったが、格下の娼妓たちには庶民の客もついていた。そのためトーニャの働きで遊郭は自然と情報交換の場にもなっていた。
「いいかい、ばらしたりしたら……二度と家族と会えなくなるようにしてやるよ」
「ひ、ひい。わかりました。噂ですけど、町の人たちは……」
 マイトの手伝いとして遊郭に潜入していたルシエラ・アクティアは、民衆を相手にしているような女たちを集めて脅しをかけていた。借金を返して晴れて家族の元に返ることを夢見ている娘たちにとって、ルシエラの脅し文句はとても効果的なものだった。町の動向を探り、王宮に出入りしている職人にもフリーダムのメンバーやその協力者がいること、また貴族側にも現体制に反抗する動きがあることなどを掴んだルシエラは、非情な笑みを浮かべながら娼妓たちに伝えた。
「マイトがフリーダムの首謀格らしいのよ。それを確かめてちょうだい。現体制派の貴族にそのうわさが届くのもいいわね。やってくれるわね」
「マイトさんが?」
 裏方で世話になっている相手を売るような真似はしたくない心情が透けて見えたが、ルシエラのそこはかとない迫力に娘たちは了承せざるを得なかった。
 しかしルシエラも気づかなかった。入手した情報に嘘が混じっていることに。それは自ら娼妓として遊郭に乗り込んできたクレイウェリア・ラファンガードの仕業だった。
 クレイウェリアは最初はこの世界の住人と同じと見せかけるために、異形といえる竜人の特徴を服や帽子で隠していたが、閨に入って裸体になればそんなものは意味を成さない。ただその前にしこたま酒を飲ませて思考力を奪っていたのと、服を着ていてもかもし出される色気が相手の欲望をそそっていたので、ただ「異郷の民ゆえに」という言い分が素直にまかり通っていた。むしろ珍しい物好きの貴族たちの間では、そのテクニックとともにクレイウェリアの評判は高まっていくばかりだった。
 また、戦闘能力においても秀でているクレイウェリアは、遊郭での酔っ払い立ちの騒ぎをいともたやすくおさめてしまい、娼妓たちの信頼を得ていた。自然とクレイウェリアには各種方面からの情報が集まってきていた。逆に彼女がもたらす情報は、たとえそれが偽であっても信憑性を持って遊郭に広まっていった。ルシエラが入手した情報には、そんな偽者が混じっていたのだ。
 あるとき、レゼルドが査察と称して味見しに遊郭にやってきた。すでにトップレベルの娼妓としての座を獲得していたクレイウェリアのもとにレゼルドはさっそくやってきた。上質の酒もそこそこに閨にクレイウェリアを連れ込んだレゼルドは、角隠しの帽子をばさりと取り去り、その異形をしげしげと眺めた。クレイウェリアは妖艶な笑みをたたえながらベッドにレゼルドを押し倒し、激しくキスを交わした。手馴れたレゼルドはその間にクレイウェリアの服を脱がせ、互いに裸身を絡ませあった。
 しばし荒い息が閨を支配する。レゼルドの上にまたがったクレイウェリアが甲高い声を上げると、レゼルドも肌に手を滑らせながら野獣のような叫び声を立てた。それからクレイウェリアを組み敷いて、豊満な体をむさぼっていった。
 夜が更け、満足した顔のレゼルドが緩やかな手つきでクレイウェリアの体を優しく撫でていた。クレイウェリアはまだまだ余裕といった感じで甘い吐息を漏らしていた。
「素晴らしい体じゃ。此度の大会では客から高い料金を取ることも許そう。これはその証じゃ」
「ありがとうございます」
 くいっとあごを持ち上げると、開いた胸元に王家の意匠をほどこしたネックレスをつけてやった。クレイウェリアは手でそれをもてあそびながらレゼルドにささやいた。
「お礼にいいことを教えて差し上げます。フリーダムのことなんですが……」
 わざと中立よりやや現体制よりの貴族がフリーダムになびきかけていることを伝える。もちろんそれは嘘だったが、レゼルドは本気にしたようだった。険しい顔になって処分を考え始める。現体制の貴族が力を失えばそれだけフリーダムに有利になるだろう。クレイウェリアはここぞとばかりに、言葉と体を使ってレゼルドにそういう貴族たちを始末するようそそのかしていった。貴族の後押しがなかったら、フリーダムがいくら民衆を味方につけようと、勝てる見込みはなくなる。また自分に仇なす貴族がいなくなればレゼルドの身辺も平穏なものになる。レゼルドはいともたやすくその嘘を信じ込んだ。
 嘘を信じたレゼルドは、さっそくその貴族たちが失脚するよう手を回していった。中には大物もいたので、それは巧妙な罠となって仕掛けられていった。遊郭でもクレイウェリアが、どの貴族が危ないか娘たちに伝えていた。その情報は娘たちからルシエラに流れていった。とうの貴族たちは何も知らずに遊興にふけっていた。疑っていたのはミハイルから情報を得ていたマイトくらいだったろう。それもクレイウェリアの方からつなぎが取られ、真実が明かされると納得できた。
「フリーダムの方はどうなっているんだい」
「反体制派の貴族と交渉しているところだ。レゼルド側の力が衰えたらやりやすくなるだろうな」
「それはこのクレイ姐さんにまかせておきな!このお墨付きがあれば連中を客にとるのもたやすしね。奴らが保身に走れば好都合ってもんだろ」
 ネックレスを見せながらからからとクレイウェリアが笑う。が、ふと顔を引き締めた。
「けど、あんたたちも気をつけな。どうもここで変な動きがあるんだよ。フリーダムを探っているような、ね。あじとを襲われでもしたら大変だ」
「そうなのか。わかった、心得ておくよ」
 マイトも真剣な表情で答えた。
 裏での情報の行き交いはそれぞれの思惑にのっとって虚実混ざって行われていた。その結果、レゼルドの味方となるはずだった貴族たちは弱体化して行き、またフリーダム側もマイト、そしてレックスが中心になっていることが敵に知られる結果となった。

 ルシエラから情報をもらっているのはレゼルドだけではなかった。フリーダムの仲間になったルーク・ウィンフィールドもひそかに情報をもらっていた。逆に仲間として得た情報をルシエラに流すことも忘れていなかった。ルシエラがその情報をどう扱うかにはあまり興味のないルークだった。ただフリーダムから報酬をもらっていたので、その分の働きはしようと決めていた。
「ここがあじとだとばれているんだろう。警護団の方はどうなんだ」
「ちょうど良かった。さっきもらってきた情報なんだけどね、明後日、警護団がここを襲撃しにやってくるらしいわよ」
「明後日か」
「間違いない情報よ。私は戦いには参加しないけれど、あんたはどうするの」
「まだ味方だと思わせておきたいしな。それに報酬分の働きはしないと。とりあえず主力をひきつけておいて、後の連中をミハイルのところに逃がすことにしよう。その方が、ミハイル以外のフリーダムに味方する貴族の情報がなかなか入らない現状よりは入手しやすくなるだろうしな。情報交換のためにはあんたにもまだこちら側にいてもらいたいが?」
「戦いに参加しないのは、非力と思わせているからよ。だから、もちろんそのつもり」
「そうしてくれ」
 ルークはそれからマイトに警護団の様子を探ってくると告げてレックスを出て行った。
 そして予告の日がやってきた。何も知らないマイトたちはいつものようにレックスに集まっていた。ルシエラは襲撃を避けて姿を消していた。黙々と酒を飲んでいたルークは、不意にがたりと立ち上がると銃剣を手にして入口に走った。そのとたん入口が乱暴に開けられ、警護団員たちが次々に飛び込んできた。
「ここがフリーダムのあじとだということはわかっているんだ。全員、逮捕する!大人しくしろ」
 マイトがカウンターの下から剣を取り出してきて構えながらアスリェイに叫んだ。
「アスリェイ、トーニャを頼む!例の場所で落ち合おう」
「あいよ!あんたも気をつけな。トーニャ、来るんだ」
 アスリェイがトーニャをかばいつつ裏口の警護団員を倒しながら出て行く。集まっていたフリーダムのメンバーはてんでに警護団員に殴りかかっていた。だが、戦闘のプロと素人では力量が違いすぎる。店の中は大混乱になっていった。ルークはメンバーを捕まえようとする警護団員をしとめながらマイトに怒鳴った。
「皆を逃がすんだ!ここは任せろ!」
「わかった」
 マイトが不慣れな剣を扱いながら仲間に退却を促す。幸いなことに裏口の警護団員たちはアスリェイが倒してくれていたので、マイトの指示に従ってフリーダムの面々が逃げ出し始めた。
「マイト、お前も早く行け」
「しかし」
「あら、余裕ですわね」
 静かな声とともに入ってきたのはテネシー・ドーラーだ。その手には細身の剣が握られていた。表にいた民を傷つけたのだろう。その剣は血に濡れていた。すかさずルークがテネシーと対峙した。
「こいつはお前の手に負える相手じゃない。俺が相手をする」
「そうですの。こちらも手加減はしませんわよ。命が惜しかったらその首謀者を引き渡しなさい」
「行け、マイト!」
「くっ、ルーク、お前も必ず来るんだぞ」
 ルークとテネシーは椅子やテーブルを蹴倒しながら剣を交えていた。身軽さではテネシーの方が有利だったが、力はルークの方が上だった。がちゃんがちゃんとグラスや酒瓶が割れる。時折ルークは、逃げ出した連中の後を追おうとする警護団員を銃で撃って撃退していた。そしてすぐさまテネシーとの戦いに戻る。テネシーは雑魚は部下に任せて自分はルークに集中していた。互いに体を剣先がかすめ傷ついていく。しかしそんなことでひるむ2人ではなかった。マイトが残った仲間をせかせて逃げ出していく。テネシーがひらりと飛び上がって上から攻撃を仕掛けてきた。ルークが銃でテネシーの羽を撃つ。がたりとテネシーが落下した。その喉もとに剣先が突きつけられた。
「勝負あったな」
「……仕方ありませんわね。引き上げますわよ」
 首領をおさえられないのでは意味がない。テネシーが部下に撤退を命じた。警護団員たちが引き上げていくのを見届けると、ルークはミハイル邸へと急いだ。怪我の手当てをしていたマイトが、ルークの姿に安堵の表情を浮かべる。ルークは無表情にフリーダムの面々を眺めやった。
「店の様子はどうだ」
 マイトの質問に、ルークは短く答えた。
「奴らは撤退して行ったが、戻らない方がいいだろう」
「そうか……」
 意気消沈してマイトが肩を落とす。騒ぎを聞きつけてやってきていたミハイルがマイトを励ました。
「ほとぼりが冷めるまでは仕方あるまい。私の別荘を提供しよう。しばらくはそこで休むといい。怪我人も大勢いるようだしね。ちょうど貴族側の情報も入ってきていることだし、それで作戦を練ったらどうだね」
「そうですね。そうさせてもらいます。ルークもありがとう。おかげで助かった」
「報酬をもらったからな。見合うだけの仕事をしただけだ」
 ルークの態度はそっけないものだったが、マイトの信頼は上がったようだった。あとから何気ない振りでルシエラが合流してきた。マイトはミハイルの別荘に移ると、ディックから貴族の情報を受け取り、今後のことについてルークを交えて話し始めた。その情報はルークからルシエラに渡され、さらにルシエラからテネシーへと渡されていった。

 レックス襲撃からしばらくたった頃、町の繁華街にある闘技場では武闘大会が開催されていた。エルンストの提案で出場させられていた犯罪者たちは、ろくな装備も持たされずに次々に敗退していった。負けるたびにレゼルドが観客に問いかけしていた。
「この者は勇者であったか?勇者ならば生を、違うならば死を!」
 初めの頃は戸惑っていた観客たちだったが、負けた凶悪犯罪者たちがふてぶてしい態度でいるのを見て口々に死を望む言葉を発していった。声が怒涛のようになると、さしもの犯罪者たちもひるんだ様子を見せた。しかしテネシーの手によってあっさりととどめを刺されていった。そのたびに血飛沫が舞う。息絶えた犯罪者は首を落とされ観客にその顔を晒された。醜く歪み血に汚れた顔に歓声が沸く。大会はいつしか犯罪者たちの公開処刑と化していった。血に酔った観客たちに娼妓たちが寄り添う。めったにないことにさらに観客席は沸きあがり、見物客たちは少ない身銭を娼妓の胸元に差し込んでいった。
 そんな様子を青ざめた顔で見ていたのはレゼルドに連れ出されたアーニャだった。いかに相手が凶悪犯罪者と言っても、こうもたやすく命が奪われるさまを見せ付けられては、性根の優しいアーニャにはむごい仕打ちにしか見えなかった。真っ青になってよろけるところを、隣で観戦していたマニフィカが支える。戦いにおいても秀でているマニフィカは、さすがにこの光景にも動ぜず冷ややかにレゼルドの様子を伺っていた。レゼルドは観客の反応に歓喜の色を浮かべていた。
「お、お願いです……もうこれ以上は耐えられない……」
 アーニャの懇願に、マニフィカがうなずいた。レゼルドに退出を願い出ると、レゼルドは不思議そうにしていた。
「こんなに盛り上がっているというのに」
「……」
 アーニャはそんなレゼルドに嫌悪しか抱けなかった。
 メイドや護衛の兵士を引き連れて2人が退出する。そして大会は決勝戦を迎えた。順調に勝ち進んできたリリア・シャモンは、素性を隠すために蝶の形をした仮面をつけていた。対する相手はグラント・ウィンクラックだ。こちらも素性を隠すために髪を金色に染めていつもの服を光翼鎧に変え、得物も愛用の破軍刀ではなく普通のグレートソードを持っていた。ラントと名乗ったグラントが城の襲撃犯と気づかない警護団員たちに内心で舌を出していたグラントは、ここまで格闘術とグレートソードで切り抜けてきたが、リリアを相手にしてその力量を見定め、覚悟を決めた。
『並の相手じゃねえな。仕方ない、破軍刀を使うか。正直、こいつは隠しておきたかったが……負けるよりはマシだわな』
 わーわーという歓声の中、礼を交わすとすかさず破軍刀を呼び出す。それを見てリリアが破魔刀・小烏丸をひきつけて構え叫んだ。
「魔利支天の加護ぞある!リリア・シャモン、参ります!」
「さあて、楽しませてもらうぜ!」
 グラントがうぉおおと掛け声をかけながら破軍刀を横薙ぎにする。それをひらりとかわし、リリアが技を放つ。
「二の秘剣・乱れ雪月花!」
 リリアの剣から吹雪が舞い起こりグラントを包み込む。極度の冷気にグラントの動きが鈍る。すかさずリリアが間合いに入って刀を振るった。刀がきらりと光り、グラントの体を切り裂く。血飛沫が華のように散った。しかしグラントも負けてはいなかった。次の攻撃を受け止め、刀ごとリリアの体を弾き飛ばした。巨大な破軍刀を軽々と扱い、リリアを間合いに入れさせない。斬り結びではリリアが不利になる。とっさに高く飛び上がって上空から突撃して来た。今度は炎がグラントに襲い掛かる。しかし火はグラントにとっても相性の良いものだった。常に寄り添っている火の精霊ファイルが火炎弾を発射してその炎を相殺してしまった。
 その後も2人の戦いは続いたが、決着は意外なところでついた。戦いに夢中になっていたグラントの正体に警護団員の1人が気づいたのだ。
「あ!あいつは!先日、城を襲った奴だぞ!」
「ち、ばれちまったか」
 グラントを捕まえようとわらわらと警護団員たちが競技場内に走りこんでくる。グラントはそれらをにらみつけると破軍刀を構えなおした。
「ばれちゃ仕方ねぇ。このグラント様が相手してやる!どこからでもかかってきやがれ!」
 ぐるんぐるんと刀を振り回し、敵をなぎ倒していく。突然のことに瞬間あっけにとられたのはリリアだったが、すぐさま立ち直って仮面を取り払った。
「みんな、今こそ立ち上がるのですわ!」
 毅然とした声が場内に響き渡ると、観客にまぎれていたフリーダムの同士や彼らに味方する貴族の兵士たちが武器を手に闘技場に降りてきた。たちまち闘技場内は戦闘の渦に巻き込まれていった。リリアは無関係の観客や仲間を魔利支天具足の結界で守りながら宣言した。
「我こそは魔利支天の化身なり!」
 身に着けている鎧が輝き、光の輪が広がる。戦闘能力において兵士たちに劣るフリーダムの仲間は、その光に守られて敵の攻撃を退けていた。リリアはそのまま戦闘に参加し、グラントと一緒に敵を蹴散らし始めた。しかしリリアの結界は長く続けられるものではなかった。わかっていたリリアは、頃合を計って同士を撤退させ始めた。当然、敵兵士は追いすがってくる。それにあわせて父親のホウユウ・シャモンが引き連れていた兵士たちを左右から敵兵たちに襲い掛からせた。
「あ、あわわ。いったいこれは……」
 レゼルドは突然の出来事に目を白黒させていた。そこへ飛行してきたグラントが破軍刀を振りかざしてきた。流星のごとき剣風がレゼルドの鼻先をかすめて周囲をぶち壊した。
「やい、この悪徳領主が!大人しくこの破軍刀の錆になりやがれ!」
「ほうほう、なかなかの使い手じゃのう」
「レゼルド様、こちらへ」
 ジェルモンが腰を抜かしているレゼルドを無理やり立ち去らせる。残ったエルンストがなおも攻撃をしようとしているグラントの精神に暗黒魔術でダメージを与えた。光翼鎧での飛行は消耗が激しい。そこへ精神へのダメージを与えられて、さしものグラントもふらついてしまった。隙を突いて警護団員たちが迫ってくる。
「ち、命冥加な奴だぜ」
 レゼルドにとどめをさせなかったのは残念だったが、今捕まるわけにも行かない。グラントはそのまま飛んで逃げて行ってしまった。
 闘技場内ではホウユウ率いる軍勢がレゼルドの兵士たちを追い詰めていた。
「リリア、左は任せたぞ!」
「はい、お父様」
 戦力は互角、いやシャモン親子がいるためフリーダム側のほうが優勢に見えた。それが覆ったのは、新たな手勢が観客席から現れフリーダム側に襲い掛かってきてからだった。
「なんだ!?」
「読まれていたみたいだな」
 戦いに参加していたマイトとルークがささやきあう。勢いを盛り返した内側の兵士たちとドーナツ状に挟み撃ちにされて、戦況はこう着状態に陥った。
「情報が漏れていたのか?仕方がない、ここは撤退するぞ」
 レゼルドも逃げてしまっていたので、ホウユウが戦いながらマイトに呼びかけた。リリアが軍勢をまとめ、突破口を開く。ホウユウがしんがりを勤め、追いかけてくる敵を切り倒した。観客たちも逃げ惑っていて出口は大混乱になっていた。これは逃げる側には有利な展開だった。リリアやホウユウといったいかにも戦士といった人員が囮になり、あとは逃げる人たちに紛れ込んだ。やがて混乱は静まり、闘技場にはレゼルド側の兵士たちだけがうろうろと残された。

 ちょうどその頃、後宮でも騒ぎが持ち上がっていた。先に退出したマニフィカとアーニャは、後宮の部屋で休んでいた。具合の悪そうなアーニャをメイドが淡々と介抱している。マニフィカは優しく肩を抱いていた。
「大丈夫です?」
「あんなひどいことがまかり通るような政治なんて……みんなどうかしているわ……」
「まあ、公平とは言いがたかったのは確かですわね。処刑された犯罪者たちは、ろくな装備を持たされていなかったようですから、負けて当然でしょう」
 マニフィカが冷静に判断する。アーニャはそれをきいてますます顔をゆがめた。
「私はやっぱり今の王を支持することは出来ません。これまでここで貴族の生活を見聞きもしてきましたけど、ジェルモンが言うゆがみを正すには……なんとかして町に戻らなくては。そして……」
 その頃、後宮の周辺で長谷川紅郎が3本足の八咫烏を使ってアーニャの居場所を探っていた。アーニャたちの部屋は後宮内でもかなり上等の部屋になっていたので、探し当てるのは簡単だった。大会のせいか警備も手薄のようだった。さっそく騒ぎを起こして乗り込もうとした紅郎は、その直前にアメリア・イシアーファとアルトゥール・ロッシュにとめられた。
「アーニャに怪我でもさせたら大変だものねぇ。だから先に私が乗り込んで部屋から連れ出すから、それに合わせて騒ぎを起こして欲しいのぉ」
「フリーダムが安全とは限らないだろ。任せる気にはなれないな」
「ここは信じてもらうしかないが。確かにあじとは使い物にならなくなってしまったが、潜伏場所は確保しているんだ。味方になってくれる貴族がいてな。これが証拠の品だ。手助けしてくれるならやろう」
「報酬のつもりか?」
「依頼ととってくれてもいい。どうだ?」
 紅郎は渡された短剣を日にかざしてみた。柄の部分は貴族の持ち物らしく凝った意匠とともに美しい宝石がはめこまれていて、きらりと光を弾いた。確かにそれなりの値打ち物のように見えた。刃も良く研ぎ澄まされていて、武器としてもそれなりに役立ちそうだ。紅郎はにやりと笑った。
「いいだろう、乗った。アーニャの部屋はあそこだ。どのくらいでたどり着ける?」
「姿を消していくから、見咎められることはないと思うのぉ。あの部屋までなら5分もあれば。中に入れたらジルフェリーザが連絡に行くから、そのとき騒ぎを起こして」
 水色の髪の精霊が姿を現して紅郎に挨拶する。紅郎が手にした袋を掲げた。
「連れ出すにはこの袋を使うさ。持ち運びに便利なんだ。どうやら部屋にはアーニャ以外の奴がいるようだからな。そっちを任せた」
「陽動なら任せてくれ。じゃあ、そういうことで。アメリア、いくら姿を消していくと言っても充分に気をつけるんだぞ」
「はぁい」
 アメリアが目呟しの指輪を陽光にかざす。しばらくしてその姿が消えうせた。「行ってきますぅ」という言葉だけが響いてきた。アルトゥールが紅郎を伴って塀の真下に陣取った。
 アーニャたちの部屋の外は人工の湖になっていた。さすがに窓には鉄格子がはめられていた。
「湖は空を飛んでいけるからいいとしても、あの鉄格子をどうするかだな」
「あんなちゃっちい代物、俺がぶち壊してやるよ。心配するな」
「わかった」
 簡潔に打ち合わせを済ませ、合図を待つ。中に入ったアメリアはずらっと並んだ扉や通りすがる着飾った女性の姿にどぎまぎしながら目的の部屋へと急いでいた。部屋にたどり着くとジルフェリーザに頼んでアルトゥールに合図を出す。合図を受けてさっそくアルトゥールが紅郎を抱えて空を飛び、湖を渡ると窓の下にたどり着いた。すかさず紅郎が鉄杭を創造して格子ごと窓をぶち壊した。
 がっちゃーん!派手な音を立てて窓ガラスが割れる。突然のことにマニフィカもアーニャもぎょっとして窓を見た。音を聞きつけて警備の兵士たちが部屋に飛び込んでくる。壊れた窓から侵入してきたアルトゥールと紅郎がその兵士を相手に戦い始めた。
「あ、あなたは」
 紅郎の顔を覚えていたアーニャがはっとして声をかける。紅郎はにやっと笑って袋を突き出した。
「この前はまんまと騙されちまったから、あらためて助けに来たぜ。さあ、早く袋に入るんだ。このままここにいたらレゼルドの野郎にヤられちまうぜ」
「行きなさいませ。王のほうはわたくしがごまかしておきましょう。町の人に伝えたいことがあるのでしょう」
 マニフィカが寄り添う振りをしてアーニャにささやく。紅郎がアーニャの手をぐいっと引いて袋に押し込んだ。その袋が宙に浮き、やがて見えなくなった。混乱に乗じて部屋に入り込んだアメリアが持ち上げたのだ。アメリアはそのまま出口へと向かう。マニフィカが兵士に命じて意識を紅郎たちに向けさせる。大した敵ではないと見て取った紅郎は日本刀で簡単に兵士をあしらっていた。後続はアルトゥールが疾風のブーツで駆け抜けながらジルフェスで真空波を飛ばして一掃した。
「紅郎、撤退するぞ」
「あいよ」
 適当に戦って、アメリアが逃げ出した頃合を計ってアルトゥールが紅郎に呼びかける。手ごたえのない敵につまらなさを感じていた紅郎はあっさりと手を引いた。鉛の塊をいくつも創造してバリケードにし、また窓から逃げ出していく。指輪の効果がきれ、袋を持った状態のアメリアが外で待っていた。袋を紅郎に渡したアメリアを、アルトゥールがぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫だったかい」
「うん、効果が完全に切れてしまう前に外に出られたからねぇ。ありがとう、アルトゥール」
「ほら、いちゃついてないでさっさと行くぜ」
 紅郎が催促すると、赤くなったアメリアの手を引いてアルトゥールが走り出した。

 3人は無事にミハイルの別荘にたどり着いた。置いてけぼりを食らっていたトーニャとアーニャが再会を喜び合っていると、大会での騒ぎから逃れてきたマイト達も戻ってきた。
 元気そうなアーニャの姿にマイトもほっとする。話を聞いたアーニャは、マイトやクナスがフリーダムのメンバーであったことに驚いていたが、返って心が決まったようだった。
 それからいろいろと詳しい話をしていく。アーニャははっきりと現体制を非難した。ジェルモンの話もしたが、その上での結論だった。反体制の貴族がいるのならば、王を倒すことに問題はないはずだ。このままでは暮らしが良くなるどころか、腐敗して行ってしまうだけだ。町の人が完全に懐柔されてしまう前にことを起こさなくてはならない。クナスが王宮に捕らわれたままであることだけが気がかりだったが、王の執着を考えれば簡単には殺されないだろう。問題はどうやって町の人の意識を変えさせるか、また王を倒すかであった。
 大会の興奮はしばらく町を包み込んでいた。死んだのが凶悪犯罪者だけだと言う事もあったのだろう。王宮の修復にわずかばかりとはいえ報酬が出ていたことも、町を現体制を指示する方向に導いていた。
 ほとぼりが醒めるまで情報収集に努めていたフリーダムの面々は、そんな情勢に焦りを感じていた。そんな折、ミハイルのもとに王から書状が届いた。それにはアーニャとマイトの身柄の引渡しを要求する文面が書かれていた。
「どうしてこうもこっちの情報が筒抜けになっているんだ!」
 ミハイルから書状を受け取ったマイトがうなる。要求に応じないときは、クナスはもちろんのこと、ミハイルや反体制の貴族にも何かしら咎が与えられることが書いてあった。ここで味方の貴族の力を失うわけには行かない。しかし行ったところで約束が守られる保証もなかった。少なくともマイトは町を混乱に陥れた犯罪者として処刑されるだろう。アーニャが悲愴な面持ちで告げた。
「あの王ならば、私だけが行っても時間が稼げると思うの。みんなはその間に、町の人の説得をして。隙があれば……いざというときは、私が刺客になるわ」
 アーニャが取り出したのは、家から持ち出してきた短剣だった。それをしっかり握り締めるアーニャには、強い決意の色が浮かんでいた。逆らいがたい雰囲気にトーニャですら黙り込む。マイトも、初めは気が進まなかったが、覆りそうにないアーニャの意思の前にその提案を受け入れた。
「それでも、無理だけはするなよ」
「大丈夫、みんなを信じているから」
「情報が漏れていることが気にかかる。それも調べたい。そして民衆を説得して、お前やクナスを助けるためには、できるだけ時間を稼ぐ必要がある。できるか」
「やるわ」
 それ以上アーニャを止める手立てはなかった。ミハイルのところに来た迎えにアーニャだけが乗り込む。見送ってから、マイトはさっそくトーニャに民衆の説得に向かうことを宣言した。
「時間はもうあまりない。急ごう」
 このままではミハイルとて安全ではないだろう。事態は一刻を争っていた。

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