「心いろいろ〜アーユーレディ?〜」

−第1回−

ゲームマスター:高村志生子

 次元博物館見学2日目。試験としては本番のレポート作成提出の日だ。朝食後のミーティングで本日の予定が言い渡されていた。
「昨日の見学をもとに、今日はレポートを書いてもらいます。なお昇級試験を兼ねているため、レポートには必ず希望進路を書いてくださいね。期限は今日中です。ここは夕方まで貸し切りにしていますので、早めに提出して自習として見学の続きをするもよし、レポートのための見学を引き続き行ってから書いてもかまいません。ただし必ず学校に戻るまでには提出すること。アーユーレディ?」
 ミリがそういうと、ジュディ・バーガーが元気よく答えた。
「イェッス!レッツゴー!」
 快活な返事にミリはにこにこしていたが、リセが苦虫を噛み潰したような顔になった。
「元気がいいのは良いけれど、進路は決まったの?」
「ハイ!ジュディには叶えたい夢ができマシタ!ココには図書室もありマスよね?ソノ夢のために調べたいことがありマス。良いデスか」
「それはかまわないわよ。昨日の娘が案内してくれるから行ってらっしゃい」
 やる気に満ちた顔に安心したのか、リセがほっとした顔でうなずいた。

 ミーティングが終わって、三々五々ばらばらに館内を移動していく。アルトゥール・ロッシュとアメリア・イシアーファは仲良く連れ立って図書室に向かっていたが、どこかぎこちないというか、触れそうで触れられないような雰囲気を醸し出していた。特にアメリアの顔がうっすら赤くなっていて、視線は時折アルトゥールに向けられていた。ただ、喧嘩したというような雰囲気ではない。むしろ以前より、距離が縮まっているようではあった。その微妙な雰囲気にいち早く反応したのは那須野ちとせだった。
「今朝はずいぶんとおとなしいですわね。いかがなさいましたの?」
 ちょとんとアメリアの肩に乗って耳元でささやく。突然の言葉にアメリアが飛び上がった。
「きゃあ!あ、ちとせぇ?う、ううん。なんでもないのぉ」
「ふうん、本当に?あらそういえば、今朝はアメリアさん、アルトゥールさんの部屋からいらしていましたね」
 それまで素知らぬ顔を決め込んでいたアルトゥールも、さすがにぎくりとした顔になった。ちとせの目が笑っている。さすがに進級試験の真っ最中にこれまで以上にいちゃいちゃしていたとは思わないが、見かけたのは事実だ。好奇心がつつかずにはいられないでいた。
「もしやあんなことやこんなことを……」
「し、してないしてない!レポートをやっていてうっかり寝付いてしまっただけだよ!」
「あら、せっかくの恋人同士ですのに、レポートをやっていただけですの?」
「そうだよぉ。朝になっていた時は驚いたけどぉ、本当にレポートやっている途中で2人して眠っちゃってぇ。あ、あんなことやこんなことって」
「いやですわ。別に悪いことではないでしょうに。まあリセ先生あたりが聞いたら怒りそうですけれど」
「黙っていてくれ……」
 それを想像したのか、頭を抱えてアルトゥールが頼み込んでくる。実際、言ったことは本当だったのだ。進路を決め、夜のうちからレポートに取り掛かっていたのだが、わいわい和やかに話しながらやっていたら、うっかり2人して眠り込んでしまったのだ。いわゆる寝落ちというやつだったので、決して不埒なことは何もなかったのだが、朝になって目が覚めた時の2人の衝撃はなかなかのものだった。
「えええ〜ごめんねぇ、ここで寝ちゃったのぉ!?」
 とアメリアは叫び、アルトゥールも寝ざめた直後は寝ぼけていたので隣にアメリアの顔があって微笑んだのだが、次の瞬間に状況に気づき、同様に真っ赤になったものだった。ちょっと残念だったという本音がなかったとは言わないが、もともと根はまじめな2人だ。結婚もしていないうちから同じベッドで寝てしまったのは驚き以外の何物でもなかった。
 予想通りの反応にくすくす笑っていたちとせは、さりげなく話題を変えた。
「レポートをやってらしたというと、お2人は進路は決められましたの?」
 話題が変わったことにほっとして、アルトゥールがこれ以上つつかれないように気真面目に答えた。
「アメリアには昨日のうちに話していたんだけど、僕は歴史学科に進もうと思っているんだ」
「歴史、ですか」
「ちとせも知っていると思うけれど、僕は故郷では跡取りだろう?それが当たり前だと思っていたし、今でもいつかはと思っているけれど、ただ家督を継ぐだけでなく、いろんな世界の歴史を学んで、自分の家や世界の繁栄に役立てたいと思ってね。そう、テーマは歴史から学ぶ貴族社会の在り方といったところかな。どんな世界にも賢王や暴君がいて、慕われる貴族と堕落した貴族がいて……国の発展と衰退に大きくかかわってきた。僕はもちろん自分の国は発展させたいからね。歴史を学ぶことによって、よりよい貴族の在り方が見えてくるような気がするんだ」
「それは素晴らしいですわね。アメリアさんは?」
「私は教養学科に進みたいなぁって思っているのぉ。私ってずっと故郷では神殿の巫女として過ごしてきたから、それ以外のお作法って知らないの。もちろん巫女の作法が全く役に立たないわけじゃないだろうけどぉ、あんまり社会的ってわけじゃないじゃない。ドレスとか着こなせないしねぇ。それ以外にもダンスとか音楽とかテーブルマナー、覚えることはたくさんあるものねぇ。貴族社会ってそういうの厳しそうだしぃ」
「貴族社会の教養ですの?」
「うん、そう。って、あ!」
「ふふふ、やっぱり2人は将来は結婚を見据えているのですわねぇ」
「ああ〜それはそのぉ〜」
「あら、お2人の様子を見ていれば、結婚というのも当然の帰結だと思いますわ。そうなったらいずれは赤ちゃんの姿も見ることができますわね」
「赤ちゃんって……」
「アメリアの子供だったかかわいいだろうな。ってそうじゃなく、そういうちとせはどうなんだよ」
 思わず話をそらそうと、アルトゥールがちとせに話を振った。ちとせは少し困ったような顔になった。
「まあ私も女としての幸せは得たいですけれど。子孫を残さねば生物としては失格と、ジャンガリアンハムスターの友達にも言われましたし。けれど私はこんななりですしねぇ。決まった方でもいればよいのですが」
「ハムスターは子だくさんだもんな」
 何かが違うと思ったアルトゥールとは裏腹に、アメリアは肩にいるちとせの頭を優しくなでていた。
「ちとせだってこんなにかわいいのにもったいないねぇ。大丈夫、きっといつか素敵な人が現れるよぉ」
「ふふ、そうですわね。そうだといいですわね」
 ちとせはようやく笑顔を浮かべた。
「進路の方は?決まってるの?」
「ええ。環境学科ですわ。この先、昔みたいな森林警備の仕事に就くかまでは決めておりませんが、環境学と一言に言っても基礎だけでも多岐にわたりますからねぇ。他の方々と協力してやっとといったところですが、その分やりがいもあるものですわ」
「うん、素敵だねぇ」
「ま、まずはそのためにレポートを完成させなくちゃだな。僕たちは図書室で夕べの続きをするけれど、ちとせはどうする?」
「ではご一緒させてくださいませ。お邪魔かもしれませんけれど」
 何気なく付け加えられた言葉に、2人はまた真っ赤になって首を振った。

 ビリー・クェンデスは見学の続きをしていた。途中でアメリアたちの姿を見かけて、前日のスイーツトラップの成功にほくそ笑んだ。
「ちーとはストレス発散になったはずや。ふふふ、すべては計算どーりやで……んなわけあるかい!」
 自分でもおふざけのいたずらなのはわかっていたので、つい一人突っ込みになってしまったが、聞きとがめたのは館内の見回りをしていたリセだった。
「こら、あんまり大声を出さないの」
「リセ先生!ちょおどええところへ。見回りしてるんやろ?同行してもええかな」
「レポートはいいの?進級は希望していないとは言っていたけれど、最低限レポートの提出は必須よ。それが条件で今回の見学参加を許可したんだからね」
「もちろん!おかげで心理実験のデータは十分とれましたんや。やー、いい結果でしたわ。やっぱり『美味いは正義』やな」
 ビリーの作り出す甘味が美味しいことは昨日の出来事で確かなようだったが、あれを心理実験と言ってしまうあたり、自分もちょっとは気になるお年頃としては複雑な思いを抱くリセだった。しかし、ビリーがひらりと取り出したレポート用紙を反射的に受け取ってしまい、同行は断れなくなってしまった。
「はい、確かに。仕方がないわね。貸し切りでほかのお客さんはいないとは言っても、みんな勉強中なんだからおとなしくしているのよ」
「わかってまんがな。それにしてもリセ先生は、怒りっぽいところが玉に瑕やけど、ほんまええ先生やわ。なんやかんや言うても慕われはってますし。そう思いますやろ?ちゃいまっか」
「慕われ……」
 脳裏をよぎったいたずらっ子の笑顔に、リセが顔をしかめる。ディスはだいたいが如才なく人と付き合うたちだ。あれを慕われている範疇には含めたくなくて、リセがぶんぶんと頭を振る。そしてきっとビリーをにらみつけた。
「わ・た・し・は!みんなが真面目であればそれでいの!」
「おっとっと。まあまあ、せんせ。怒りっぽいのはカルシウム不足なんでっせ。心の潤いに甘味も不可欠やし、チョコとアイスなんてどうでっしゃろ」
 さらりとかわし、見た目もおいしそうなデザートがビリーの手に現れる。リセはしぶしぶ受け取って一口食べると、その優しい甘さに頬を緩めた。ビリーがニコニコしてその様子を見つめる。微笑んだことにハッとしたリセだったが、ここで突っ返しても大人げないとそのまま食べ続けた。
 そのままなんとなく連れ立って歩き、ビリーの質問に答えたりしていた2人だったが、リセの足がふと止まった。少し険しい顔をして正面を見つめている。ビリーがその視線をたどると、そこにいたのはアンナ・ラクシミリアだった。アンナはまだ展示の見学を続けていたが、その表情はどことなく浮かないものだった。
「アンナさん?どうかしたの。見学も良いけれど、そろそろレポート作成に入らないと提出できなくなってしまうわよ」
「リセ先生。はい、わかっていますわ。わたくしは魔法についてもっといろいろな知識を深めたいのですが……」
「そうみたいね」
 アンナが見ていた展示はフィアレル世界のものだった。魔法の力に満ちていて、いろいろな魔法具も充実している。アンナはそれら魔法具の展示を特に興味深く見ていたようだった。昨日もケイトス世界のように魔法の力が強い世界を見学したりしていたので、そちら方面に進みたいのであろうことはわかったが、それにしてはいささか浮かない顔であることがリセの意識を曇らせた。
「魔法はいろいろな世界で使われているものね。あなたたちがこれから旅するうえでも重要になる事もあるでしょうし、勉強することは悪いことじゃないと思うけれど。何か問題があるの?」
「この次元博物館は興味深いところですわね。見ていて興味の尽きるところはありませんわ。特にこのフィアレルは魔法道具が充実していて、その変遷には目を見張らされます。これはやはり魔法環境が影響しているのですわね。魔法具を作り出す職人の腕によっては新しい技が生み出されたり、逆に使えなくなったりして。こんなの調べていたらそれこそ何か月いたって時間は足りません。ですのでまずはレポートを書かなくてはですが……レポートを……」
「アンナ?」
 どうやら好奇心とレポートを書く使命との狭間で気持ちが揺れ動いているらしい。というか……。
「レポートなんてなかったらこの世は天国なんですけれどねぇ」
 レポートそのものがどうやら苦手なようだ。気持ちを落ち着かせようとしてビリーがお菓子を差し出そうとするのをリセが止めた。
「なんでとめるんや?」
「今は集中させてあげましょう。苦手を克服するのも勉強の一つなんだから、他人がたやすく手出しするものじゃないわ。行くわよ」
 なおも展示を見ながらぶつぶつ言っているアンナを後にして、リセとビリーはその場を立ち去った。

「よろしくお願い致します!」
 もう一人、リセと同じく館内を見回っていたミリに勢い込んでレポートの束を差し出していたのはマニフィカ・ストラサローネだった。一枚目には大きくタイトルが書かれている。根が真面目なマニフィカらしく、そのタイトルは『テラフォーミング構想における魔術的代替手段と実現化への可能性について』という非常に真面目なものだった。なかなか分厚いレポートをパラリとめくると、そこにはびっしりとテラフォーミング、いわゆる惑星環境の再構築についてが書かれていた。
「希望専攻は環境工学?」
「はい。昨日、地球の展示を見学させていただいたのですが、物質文明である地球ですら、将来的な計画としてテラフォーミングが構想されていたようなのですわ。太陽系では地球以外の惑星では生物が住めないような環境です。それを地球型の惑星にしようという壮大な計画でした。わたくしには地球にはない魔術的な力があります。またそれ以外にも多種多様な魔法論理が存在いたしますでしょう?それらを応用して最適な自然環境を構築することは可能なのではないかと思いまして。それこそは惑星環境工学に相応する新しい学術分野ではありませんでしょうか」
「テラフォーミングはなかなか難しい技術よね。あえてそれに挑戦しようというの」
「現状の魔術体系を応用することで、それは十分に実現可能と思えるのですわ。デメリットがあるとすれば、計算ミスによる環境破壊でしょうか」
「そうね。神の領域とも呼ばれるものだものね」
 マニフィカは真剣な表情でうなずいた。
「禁忌に触れる行為なのかもということは承知しております。地球世界における宇宙開拓史でも、まさに暗黒面とも呼ぶような概念があり、巨大な力の対立で絶滅の危機に瀕したこともあるとか。まさに光あるところに影ありですわね。わたくしもそのことに触れた時、恐怖を感じました。それでも地球の偉大なる人物が『充分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない』と述べられておりました。物質文明の世界でですのよ。ですので、デメリットは承知の上であえて挑戦してみたいと思うのですわ」
「そうなの。その熱意は研究するに十分値するわね。ではレポートは確かに受領しました。お疲れ様。あとは時間まで好きに過ごしてかまわないわよ」
「はい。ではこのまま資料をあたってみますわね」
 希望に満ちたマニフィカの顔は明るく、意欲に燃えていた。

 図書室ではアルトゥールとアメリアがほぼ同時にレポートを書き上げていた。互いに協力し合いながら書いていたのだから当然と言えば当然だったが、やはり仲の良いことだと提出のために出ていく2人をちとせがほほえましく見送っていた。その隣では大量の資料を積み上げたジュディがせっせとレポートをまとめていた。
「ジュディさんはやはり獣医を?」
 自分のレポートを終わらせて印刷を始めたちとせは、喜々としているジュディに話しかけた。ジュディもようやく書きあがったのか、大きく伸びをしてからどんと力強く胸をたたいた。
「ちとせのおかげネ!いろいろと迷ったケド、これが夢として一番しっくりきますネ。まずはこのアットでの獣医師免許を取ることを目標にシマス」
「そうなんですの。素敵ですわね」
 明るくまっすぐなジュディの表情に、ちとせもつられて笑顔を見せた。
「レポートを提出したら、後の時間は見学していても良かったデスよね」
「ええ、そうですわ。まだ時間は十分にありそうですわね」
「良かった!実は帰る前に見ておきたいところがあったのデスよ」
「あら、そうなんですの?どこかお聞きしてもよろしいですか」
 と、ジュディが少し痛そうな顔で答えた。
「エエ……獣医を目指すきっかけになった世界なんデスが、アマルティアを。ジュディ、不覚にモあそこの双子に最後まで手を貸してあげられなかったカラ。ずっとそのあとのコトが気になっていたんデス。今からどうこうするわけじゃないデスけれど、夢の要因にもなりマシタから、きちんと調べておこうと思いマス」
「ああそれで獣医を」
「それだけが原因ではありませんけれどネ。故郷のこととかもありマスから」
「これまでの道筋って大切ですわよねぇ。私も昔の仕事が大きな要因になっておりますもの。せっかくですから私ももう少し見学していこうかしら」
 図書室にやってきたリセにちとせとジュディがそれぞれのレポートを提出する。2人が出ていくのと入れ違いにアンナが図書室にやってきた。ビリーがちょっかい出そうとするのを軽くたしなめてリセがアンナを一人にしてやろうとビリーを引き連れて図書室を後にした。
 アマルティア世界の展示室にやってきたジュディは、記憶にあるのとだいぶん変わった世界に驚いていた。聞いていた通り酪農や農業が盛んになり、同時に大型生物が人間社会に侵入する様子に感動すら覚えていた。
 大型生物同士が争い、なわばりを得ていく。今、ジュディの目のまえに立っているのはホログラフィの熊だった。オス同士で争ったのだろうか。あちらこちらに傷がつき、特に肩の傷はざっくりと裂けだらだらと血が流れていた。しかし戦いには勝ったのだろう。音声は切られているため聴こえなかったが、たしかに勝利の雄たけびを上げていた。
「ヨシ!頑張るデスー!生きて、生き延びるデスよ!」
 ジュディが手を振り回して手負いの熊を応援する。ホログラフィの熊はまるでその生命力が輝いているかのように、光をまとっていた。酪農の点から言ったらこのような肉食獣は天敵ともいえるものだったが、このたくましさには畏敬を感じずにはいられなかった。
「熊デスか〜。熊鍋もおいしいデスよね」
 ホログラフィはさらにその熊がメスの熊と仲睦まじくしている様子、子熊が生まれる様子を映し出していた。そうやって生命の営みは続いていくのだろう。
 それぞれが選んだ道は、形こそ違え未来を見据えたものであることに変わりはない。
 夕方になり、学校に戻るバスの中でリセが生徒たちに告げていた。
「レポートは確かに受け取りました。合否については、後日、専攻課程在籍証の発行をもって知らせるわ」
 ミリもニコニコしながらその言葉に続いた。
「今回はお疲れ様。しばらくゆっくり休んで頂戴ね〜」
 そうしてバスは、夕闇の中、学校へ向かってひた走った。