「心いろいろ〜夢みる未来〜」

−第3回−

ゲームマスター:高村志生子

 捕縛された吸血鬼はとりあえず学園へと運び込まれた。昏睡状態に陥ったケスも学園付属の病院へと収容された。ケスの被害の度合いは、吸血鬼の方に余裕がなかったせいか、これまでの被害者と異なりかなりひどいものだった。奪われた血は輸血で事なきを得たが、精気、というか感情までは回復させることができず、意識は失われたままだった。泣きながら枕元に突っ伏しているラーネイの姿を直視することもできず、エレインは部屋の片隅に立ち尽くして唇をきつくかみしめていた。
 そのそばに寄り添っているのはアンナ・ラクシミリアだった。あまり周囲のことに気を回らせるたちではないアンナですら、ラーネイとケスの仲にはさすがに気が付いていた。病院に来るまでの間、エレインにあれこれ声をかけていたのだが、エレインは自分を責める思いに沈み込んでいてほとんど反応を返せないでいた。
「エレインさんは、ファザコンなのですわね」
「え?」
 それでもぽつりとかけられた言葉にエレインが顔を上げた。言葉の内容に驚いているエレインに、アンナが優しく笑いかけた。
「あら、それが悪いことだとは思いませんのよ。わたくしも小さい頃はお父さんのお嫁さんになるって言っていたみたいですし」
 エレインがくすりと泣き笑いのような苦笑を漏らした。
「そりゃあ、ケスさんのことは好きだったし、そうね、本当の父親の記憶がほとんどないあたしにとっては父親みたいなものだったけれど……。そこまで執着していたのかなぁ」
「わたくしはファザコンは小学生で卒業していましてよ。付き合いの長さでいって、この事件がなかったら卒業するきっかけになったんではありませんの」
「2人のことを祝福できたってこと?」
「そうですわ。ケスさんは亡くなられたわけではありません。まだ間に合いますわ。ケスさんが目を覚まさないのは、感情と気を大量に奪われてしまっているせいです。それを補えるのは、妻になるであろうラーネイさんと、娘になるであろうエレインさんだけ。2人で語り掛けてあげてくださいませ」
 そういってアンナは、泣き臥せっているラーネイとエレインをベッドの両脇に座らせ、ケスの手を取らせた。わずかに感じる脈拍に、エレインは心がほぐれていくのを感じていた。
 エレインの雰囲気が柔らかになったのを感じ取ったのだろう。それまで無言でかいがいしく輸血や点滴の交換などの身の回りの世話をしていたアルトゥール・ロッシュが、その手を休めてエレインの肩に優しく手を置いた。 「警戒していたのにみすみす襲われることになった原因は僕らにもある。エレインが1人で抱え込むことはないよ。それよりはこれからのことを考えよう」
「これからのこと?」
「犯人は捕まったしね。きっとみんなが気力の回復方法も聞き出してくれる。ケスさんはきっと大丈夫だよ、目を覚ます。そうしたら3人で今度こそきちんと話し合おう。今後のことをね。きちんと向き合って、これからどうしたいか考えるんだ」
「これから・・・・・・」
 ラーネイが戸惑ったように呟いた。つい少し前、結婚をあきらめるかという話をしたばかりなのだから。それをエレインに伝えるべきかどうか。しかし今のエレインは、ケスのことを本気で心配しているようにも見えた。それならば家族としてやっていけるのではないかという希望も見えたからだ。ちらりと視線を向けたのに気づいたのだろう。アルトゥールがエレインを見つめてやさしく言った。
「これまでちゃんと話し合っていないんだろう。こういうときだからこそ、自分の本当の気持ちに気づけると思う。僕としては3人に幸せになってもらいたいな」
「あのね、エレイン」
「なに、お母さん」
 こくりと息を呑んでラーネイが告げた。
「さっき、ケスと話をしていたの。どうしてもエレインがいやだって言うなら、結婚の話はなかったことにしようって」
 さすがにそれにはエレインも驚いてしまった。
「お母さん!お母さんはそれでいいの?ケスさんも納得したの?」
 ラーネイが寂しそうに笑った。
「正直言うと、お母さんもケスも、あきらめるのはつらいと思っている。でも、エレインを悲しませたいわけでもないから」
「エレインはお母さんに幸せになってもらいたいと思っている?」
 アルトゥールに問われて、エレインはとうとう泣き出しながら小さくうなずいた。
「お母さん、ごめんなさい。ケスさんが嫌いなわけじゃないのよ。突然で驚いただけなの。考えてもなかったし。でも、私のせいで幸せをあきらめてしまうのはいや。2人とも大好きだもの・・・・・・だけど……危険だってわかっていたのにこんな目にあわせてしまって・・・・・・許してもらえるかしら」
 そこへ探偵部部室からやってきたルシエラ・アクティアがエレインの頭をこつんと叩いた。
「アクティア先生?」
「あっちはあっちでがんばっているわ。ちょっとばかりうっとうしい犯人だけど、まあなんとかなるでしょ。それよりは貴女よ、まったく。探偵部員ともあろうものがくよくよして」
「あ、だって・・・・・・ケスさん、あたしのせいでこんな目にあっちゃたんだし・・・・・・」
 ルシエラはわざとらしいくらいに大きなため息をついた。
「それが間違いだって言うの。この人が次の標的になるだろうってことは、動いていた連中誰もが知っていたのよ。それでも防げなかった。その責任は全員が負うべきものであって、貴女が1人で抱え込むものじゃないわ。ここでくよくよしている暇があったら事件の解決に向けて動いたら?」
「でもケスさんをほうっておけないです」
「これは探偵部の副顧問としての意見だけど、貴女は探偵部員だし、町の探偵社でもアルバイトもしている。そもそもこの事件の解決については、その探偵社の依頼で動いていたのよね?依頼された事件を途中で放り出す気なの?どんな状況でも、最後までやれないのであれば、いますぐ探偵を辞めなさい」
 言葉こそきつかったが、内容はエレインをはっとさせるには十分だった。感情に振り回されて失念していたが、確かにそもそもはバイト先に依頼された事件なのだ。ほうっておいてはいけないのは、事件の解決のほうだ。エレインはさっと涙をぬぐうと、まっすぐにルシエラを見た。
「そうですね。アクティア先生、すみませんでした。探偵が一番に考えなくてはいけないのは、依頼人のことなのに」
「そうよ。さあ、わかったなら部室に行きなさい。最後の幕は自分で下ろすのよ」
「はい。お母さん、ケスさんのことは任せたわ。あたしは向こうに行ってくる。今後のことはすべて終わってからちゃんと話そう?お母さんたちも自分たちだけで結論を出さないで。あたしだって小さな子供じゃないのよ。大丈夫だから。じゃあ、行ってきます!」
「あ、エレイン!」
 とっさに引きとめようとしたラーネイの手を、ルシエラがそっと押しとどめた。
「エレインが自分で言っていたでしょ。小さな子供じゃないって。そりゃ、いきなり本当の家族のように振舞えるかはわからないけれど、『お父さん』と呼んだりとかね。でもそれなりに長く親しくしていたのなら、そこから徐々に距離を縮めていけばいいじゃない。子供の成長を見守るのも親の務めではなくて」
「ええ、そうですわね」
 ラーネイはいまだ目を閉ざしたままのケスの顔を見て、改めて力強くうなずいた。

 その頃、アメリア・イシアーファは入手してきた食料を抱えて探偵部部室に向かっていた。
「さすがにこんな時間じゃ、あんまりいいものは残ってないねぇ。吸血鬼さんのおなかを一杯にさせられたらいいんだけどぉ」
 持っているのは売れ残りのパンがいくつかと牛乳パックだった。血などを養分としている吸血鬼にそういった人間の食べ物が役に立つかはわからなかったが、いざというときは自分の血を吸ってもらう覚悟がアメリアにはあった。男ではないが恋愛感情を持っていることには変わりはない。なんとかなるだろうとどこか楽観的なアメリアだった。
 かちゃりとドアを開ける。真っ先に耳に入ったのは、鬼の風紀委員長ことテネシー・ドーラーが振るう竹刀が床を打つ音だった。学園内ということで獲物を持ち替えたのだが、再度、愛する人を襲った吸血鬼への殺意は燃え滾っていた。
 ひゅんと竹刀がうなりをあげて吸血鬼に向かう。それを片手で押しとどめたのはグラハム・アスティレイドだった。
「テネシー、怒ってくれるのはうれしいが、ここは学園内だぞ。ほどほどにしておけ。お前がいられなくなっちまう」
「・・・・・・グラハム様がそうおっしゃるのなら。では、尋問タイムと行きましょうか」
「その前にこれぇ」
 そそくさとアメリアがパンと牛乳を差し出す。吸血鬼はテネシーの勢いにふるふると震えていたが、アメリアが差し出したものが何かわからなかったらしい。不思議そうに小首をかしげた。
「食べ物だよぉ。人間のだけど。どうかなぁ?」
「人間の?食べ物……は食べたことがないからどうだろう?」
「おなかがすいているんでしょぉ?人を襲っていたんだもの。もし大丈夫そうなら食べて」
「う、うん……」
 伸ばし掛けた手を叩いたのはテネシーの竹刀だった。
「ご褒美はきっちり落とし前をつけてからです。まずこちらの質問に答えていただきましょう。なぜグラハム様を襲ったのですか?」
「あいたたたた。グラハム様?」
「俺のことだよ。テネシーも、あれが気にかかったのか?」
「ええ。グラハム様もですか?」
「不思議に思わない方がどうかしてるぜ。ありえんだろ」
「わたしもですわ。そうでしたら好きになったりなどいたしませんもの」
「何の話?」
 2人だけで通じ合っているものだから、アメリアが困惑してしまった。テネシーは竹刀でびしっと吸血鬼をさししめしながら言った。
「あなたは『迷いのある強い感情』に惹かれてケス様を襲いに行きましたが、恋愛感情だけならばともかく、迷いがグラハム様にあるとは思えません。なのに2度にわたってグラハム様は襲われました。その理由が知りたいのですわ」
「良くも悪くも悩まないのが俺だからな。迷いのある感情が選考基準なら、どうしたって対象にはならねぇぞ」
 くすんくすんとこぶしを口元に当てて泣きべそをかきながら、吸血鬼がテネシーの視線におびえながら答えた。
「迷うってことは感情が揺らぐってことだから、わかりやすいんだ。彼、グラハムさん?の力をもらえたら本当は良かったんだけど、強そうだったし、でもいろいろと難しかったから、わかりやすいほうに逃げ出すしかなかったんだよぅ〜〜〜〜」
「迷いのある感情が絶対条件ではなかったということですか?」
「そうだよう〜〜。気がついたらこの世界に飛ばされていて、自分の世界に帰るには今の自分の力じゃ足りないって思ったから、強い感情となじみやすい血を求めていたんだ。それで力を蓄えていたんだけど、あともうちょっとあればなんとかなりそうってところで邪魔されちゃって〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「邪魔して当然です!」
 びしりと竹刀が床を打つ。吸血鬼がびくりと身を縮こまらせた。
 見た目だけは少年少女のテネシーと吸血鬼のやり取りは、ある意味愉快ではあったが、この吸血鬼が、死人こそ出てはいないとはいえ最後の被害者となったケスが昏睡状態になるなどそれなりに危険な存在であることに変わりはない。こうして身柄を確保できた以上、被害者が増えることはないだろうが、そもそもなぜこの吸血鬼がこんな事件を引き起こしたのか、それが気になっていたリシェル・アーキスが先生モードでテネシー達の間に割りこむ様にしながら(そうしないと吸血鬼がおびえて話ができなさそうだったのだ)問いかけた。
「自分の世界に帰るために力が必要だと言っていたね。回復していないのかい?」
「うん……なんか、次元を飛ばされたはずみで消耗しちゃったみたいで……力を取り戻す方法なんてこれしか知らないし」
「そうか。一連の事件の少し前に、時空がゆがんで地球との穴が開いたと聞いていたが、それが原因か?あんた、ああ、面倒だな、名前はあるのか?」
「名前?僕の?」
 今日は床に立っていた梨須野ちとせがうんうんとうなずいた。
「名前は大切ですわね、チュパカブラさん」
「だからあんなけだものと一緒にするな〜〜〜〜」
「ですから名前をおっしゃい。言わなければいつまでもチュパカブラ呼ばわりいたしますわよ」
「名前……名前は、ええと……そうだ!僕の名前はインファンタイルっていうんだ」
 がくーっと肩を落としたのは、病室からやってきたエレインだ。頭痛をこらえているかのようなエレインに、リシェルが問いかけた。
「こいつの名前がどうかしたのか?」
「インファンタイルって、たしか地球の英語という言語で『幼稚な』という意味だったはずです」
 自分でも知らなかったのだろう。衝撃の事実に吸血鬼ことインファンタイルががぁんとショックを顔に張り付けている。リシェルが思わずぶはっと噴出した。
「まあ、実年齢は知らないが、たしかに幼い感じがするから似合ってはいるかもな」
「幼稚……幼稚って……」
「男が男をチューチューするような輩にはお似合いですわね。で、出身はどこなのですか?地球ではあるようですが、世界を股にかけていたわけではないのでしょう」
「出身地?僕がいたところってこと?」
「元の世界に帰りたくてこのような事件を起こしていらしたのでしょう?さっさと白状なさいませ」
「えええっと、えええっと……そうだ!ステラマリって呼ばれていたところだよ」
 途端にちとせがあきれ顔になった。しばらく考え込む様子を見せていたが、クルミを抱えていない方の手でインファンタイルをびしっと指さし宣言した。
「そこならばアットから定期バスが出ていましてよ。本数は少ないですけれど。地球ですもの、そんなことではないかと思っていましたわ。このアットは異世界との交流が盛んな場所。いくらでもそういう手立てがありましたのに、おかしな事件を起こしたりして。はた迷惑なお子様です事」
 なぜかどや顔のちとせに断言されて、インファンタイルがまたしくしくと泣き出した。
「まったく、誰かに相談をすればよかったものを。困ったら人に尋ねる、それが基本でしょう」
「そんな、知らない人に聞くなんて恐いよう」
「だから幼稚ななんて名前を付けられるんです。名前が恥ずかしいなら大人になりなさい。とりあえず、帰る算段はつけて差し上げますから、その前に奪った恋心を皆さんに返してくださいませね。あなたのせいでどれほどの人が傷ついたと思っているのですか。とらわれる直前に襲った人など、いまだに目を覚ましていないのですわよ。ですわよね?エレインさん」
 エレインがきっとインファンタイルをにらみつけた。
「そうよ。あなたに気を奪われたせいでケスさんはいまだに意識が戻らないでいる。ほかの犠牲者も、みんな配偶者への態度が変わってしまって、たくさんの人が辛い思いをしているわ。目的が故郷に帰ることで、力を使わずとも帰れるのならば、奪ったものを返してちょうだい」
「ケスさんが結婚をやめるなんて言い出しかねませんものねぇ」
 ちとせがつぶやくと、エレインがばつの悪い顔でうつむいた。
「ケスさん……それ、迷ってたんだって。あたしがどうしても嫌ならって。そんな風に困らせたかったわけじゃないのに。このままじゃ本当に別れちゃう。お母さんの悲しむ顔は見たくないわ」
「ごめんなさい……」
 インファンタイルがしゅーんとして頭を下げた。リシェルが苦笑いしながら口を開いた。
「で、それは可能なのか?」
「僕の力とすでに混ざってしまったものもあるから、全部は無理かもしれないけど、できるよ。僕が奪った力を解放すれば……でも、そうしたら今度は僕が倒れてしまいそうなんだけど、なんとかなる?」
「力の源は魔力なんだろう。なら大丈夫だから心配するな。見たところ大きなけがをしている様子もないからな。生命力くらい俺が回復してやれる。血はやらないがな」
「わかった、じゃあ」
 インファンタイルが両手を掲げる。その体がわずかに揺らいだように見えた途端、グラハムが口笛を吹いた。
「グラハム様?」
 テネシーが気づかわしげにグラハムを覗うと、グラハムはテネシーの頭を撫でながら言った。
「確かに力が戻ってきたぜ。心配かけたな、もう大丈夫だ」
「良かった……」
 テネシーもわずかに顔をほころばせた。エレインが慌ててバイト先に電話をかけ報告をする。そして病室に向かって走り出した。

 インファンタイルが言ったとおり、探偵社の事後調査で依頼人やほかの被害者たちも、ほぼ元の状態に戻ったことが確認された。ケスも目を覚まし、改めてエレインの祝福を受け、ラーネイとの結婚が決まった。インファンタイルは、もともとが次元嵐に巻き込まれたせいで地球からアットに飛ばされてやむなく犯した罪ということで、学園の尽力で無事に地球に帰還することができた(次元バスに乗って戻っただけだが)。最後までちとせにからかわれていたのはご愛嬌というものだろう。学園への報告をしたリシェルはその様子を呆れたように見ていた。
 そしてケスとラーネイの結婚式の日がやってきた。
「部、部長だから仕方なく呼んだのよ!あんたはお母さんのお気に入りだし。本当はレイミーだけでよかったんだけど」
「この人は1人にしておくと何をしでかすかわかりませんからね。呼んでくれてありがとう、エレイン。結婚おめでとう」
「レイミー……ありがとう」
 眼鏡の奥の瞳を細めたレイミーにエレインが抱き着く。ディスはけらけらと笑いながらラーネイたちにお祝いを言うために式場に入っていった。周りでは事件解決に尽力してくれた仲間たちがにぎやかに騒いでいた。
「エレインー!式が始まるわよ」
 ルシエラの手招きに、エレインは晴れ晴れとした笑顔でレイミーとともに式場に入っていった。そこでは純白の花嫁姿のラーネイが幸せそうな笑顔で待っていた。

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