「心いろいろ〜夢みる未来〜」

−第1回−

ゲームマスター:高村志生子

 無数の多世界との交流を特性としているアット。その交流を維持する人材育成のための学園が世界の中心にある人工の島に存在していた。生徒は基礎課程から始まり、学業成績によって専攻過程へと進む。エレイン・リアスはこの島で生まれ育った人間として、ごく普通に学園に入学して専攻過程へと進んだ少女だった。不思議なことへの興味を強く持っており、学園で学んでいるのも多世界民俗学だ。そしてもちまえの探究心からとフィールドワークのため、専攻課程に進みバイト解禁になると同時に実家の近くにあるワイス探偵社でアルバイトを始めたのだった。
「で、彼女はなぜ探偵部には入っていないの?」
 探偵部の部室でがさごそと資料をあさっていたルシエラ・アクティアが、ちょっと手を休めてお茶とお菓子を口にしながら部長のディスに唐突に問いかけてきた。主語が抜けてはいたが、誰のことだかはすぐにわかったディスは、新しい資料を引っぱり出してルシエラの前に並べながらけらけらと笑った。
「エレインは一応、部員ですよ。入部当初はけっこう真面目に部活やっていたんですけれどね。最近はすっかり幽霊部員になってしまって。ま、うちはそんなのばかりですけど」
「レイミーとは仲がいいみたいだけど」
「エレインは一人っ子だから、妹みたいで可愛いんじゃないんですか」
 さらりとはぐらかす。が、それで引き下がるようなルシエラではない。お茶をすすりながら話を続けた。
「どこかの誰かさんを嫌っているといううわさを聞いたのだけど?」
「あはは。面白いから、つい」
「つい?」
「からかいたくなるんですよね〜。彼女、母子家庭なんです。小さい時に病気で父親を亡くしたとかで。そのせいか男慣れしていないっていうか、いちいち反応が楽しくってね。ま、こっちも昔は大概ガキで加減を知らなかったもんだから、気の向くままにいじめていたらすっかり嫌われてしまったと」
「あら、なあに。好きな子ほどかまいたくなるって奴なのかしら」
「ん〜ちょっと違うかなぁ。情報屋としては人間観察は必須でしょう?感情表現が素直な人間が手ごろだったってところですかね。近づきすぎたら見えるものも見えなくなってしまうじゃないですか。ですから今だったらある程度は自制できますけれど、僕にだってやんちゃな時期があったということで」
 悪びれもせず言い放つディスだったが、ルシエラも似たようなものだったので素直に納得してしまった。
「積もり積もっていまだにってことなのね。ふうん、じゃあ付き合いは長いのね。昔はまじめに部活をしていたってことだけど、才能のほどはどうなのかしら。今は確か探偵社でバイトしているのよねぇ」
「直観力には優れていますよ。基本的に根が素直でアット出身でしょう。割と鋭いというか、本質を見極めるのは早いですね。専攻が多世界民俗学だから、思い込みだけで物事を考えたりしませんし」
「じゃあ……今度の一件、やっぱりそうなのかしら」
 ディスが新たに出した資料を手に取ってルシエラがしげしげと眺める。それはレイミーがスクラップしておいた新聞記事だった。載っているのは最近巷を騒がせている吸血事件だった。
「確かに地球には吸血鬼という存在があるけれど、アットなら地球以外の世界からやってきた吸血生物の仕業ってこともあり得るでしょう」
「その辺は確かめていると思いますよ。最近発生したゆがみが地球とのものであったことは間違いありませんし、事件はゆがみが発生した後に起こっています。それにバイト先に依頼があったってことは、被害者とも接触しているはずですから。思い込みで動いたりしないと言いましたでしょう」
「そうねえ。ただ、被害者は壮年の男性ばかりだっていうじゃない。普通、地球の吸血鬼は若い女性を狙うわよね。どうもそれが気にかかってね。違和感があるっていうか」
「気持ちはわかりますけどね。ま、吸血鬼にも好みがあるってことじゃないんですか」
「好みねぇ。事件現場のあたりをレイスに探らせてはいるんだけど、場所が点在している上に、あまり負の力がないみたいでこれといった情報がつかめないのよね」
「人外だからって負の生き物とは限りませんからね。生血やエナジーを食料としているなら、むしろ正の力のほうが強いでしょう」
「それはそうだけど」
 それでもまだ腑に落ちない顔をしているルシエラをよそに、ディスはエレインが調査のためにレイミーを連れて行ったためにたまってしまった書類の整理をしていた。と、突然ガラッと部室の扉が勢いよくあけられて、アンナ・ラクシミリアが飛び込んできた。
「ディスさん、わたくしたちも調査に行きましょう!」
 せき込むように言われて、ディスは分かっていながらにっこり笑いながら首をかしげて見せた。
「調査って、なんの?」
「なんのって、エレインさんが依頼してきたあの吸血事件のですわ。地球の吸血鬼の仕業ではないかと言われておりますけれど、吸血鬼なんて大人が子供を寝かしつけるために作り上げただけの存在ですもの。地球の変なイメージが定着などしてしまったりされては嫌です。その前に犯人を捕らえたいですわ。それに被害者の性格が変わってしまったりしているそうですわね。もしかしたら細菌か何かに侵されているのかもしれませんわ。伝染性でもあったら大変でしょう。それならば一刻も早く隔離しなくては」
 アンナが一気にまくしたてると、ディスが苦笑した。
「伝承に出てくる吸血鬼ではなくても、地球に吸血する生き物がいることは確かじゃない。そういったものの仕業かもしれないし。UMAっていうんだっけ?未確認生物。そういった存在かもしれないよ。伝染性がないことははっきりしているけれどね。犯人、っていうか、事件を引き起こしている存在?に被害者を操る能力があるかは、確かに捕らえてみないとわからないけれどね。ま、エレインががんばっているなら僕が出張ることじゃないよ」
「部長はあまりご興味がないのでございますか?わたくしはてっきり行きたがっているものだと思っておりましたが。レイミーさんもご一緒されていらっしゃるのでしょう」
「相手の好みは壮年の男みたいだからね。そういう意味ではうら若き乙女のレイミーやエレインが標的になる心配はないと思っているよ。単純に女の子の夜歩きはあまり感心できないかなぁって感じなだけ。まあ、だから付き合ってやろうかなとはしたんだけど……」
 そこで珍しくディスが口ごもる。理由を察したルシエラが茶々を入れてきた。
「反射的にからかってエレインに嫌がられたんでしょ」
「習慣って怖いですね」
 図星だったらしい。ディスが軽く肩をすくめた。実際、エレインの顔を見るといじめたくなるのは確かだ。ディスといえどもまだまだひよっこの部分があるということだろう。アンナがため息をついた。
「ならば一緒に行動しなければよろしいのでは?わたくしたちはわたくしたちで調査してゆきましょう。これまでの被害者が殿方ばかりという意味では、わたくしも自分が標的になるとは思っておりませんし、相手がどんな存在であれ戦闘能力は持っておりますから怖いとは思いませんけれど、事件が起きるのはいつも夜中なのでしょう。わたくしは普段は規則正しい生活をしておりますので、慣れない夜更かしが及ぼす影響が心配なのです。夜の都会なんて自制が効くかわかりませんもの」
「抑え役向きじゃないんだけどな、僕は。知っているだろう」
 確かに面白がり屋なディスだったら、アンナの暴走をあおりこそすれ止めることはしないだろう。ルシエラが笑いを必死にかみ殺す。アンナも複雑そうな顔になった。
「そうですわね……あなたはそういうかたでしたわね。わかりました。それではわたくし一人で行ってくることにいたします」
「きっと大丈夫だよ。事件は人目の多い繁華街では起きていないようだから、アンナが心配しているような状態にはならないんじゃないかな。被害者の傾向から、狙われそうな人物に心当たりはあるけれど」
「まあ。いったいどなたですの」
「んー?エレインが気が付いていないからまだ言えないんだよねぇ、これが」
「ということはエレインさんのお知り合いの方なんですの?」
「うん、そう。事件のことを調べていけばきっと誰だかわかるよ。その前にほかの被害者が出るかもしれないけれどね。学園関係者で被害にあいそうな人がいるから」
「それはいけませんわ。でしたらその方に警告しておかなくては」
 ディスが再びにっこり笑った。
「とりあえず今のところ死人は出ていないしねぇ。黙っていておとりになってもらうのも一興なんじゃない?」
 とうとうこらえきれなくなってルシエラが吹き出した。
 あまりといえばあまりなセリフにアンナが意気消沈して部室を後にする。食い下がっても見たのだが、生徒ではない年上の学園関係者としか教えてもらえなかったのだ。確定情報ではないからというのが名前を言わない理由だったが、面白がっているのも確かなようだった。
 ともあれ日はまだ高い。事件が起きるのは決まって夜中だったから、調査に赴いている面々はどこか余裕を持っていた。捜索範囲が町全体と広範囲だったため、固まって調べるのは効率が悪いと、ジニアス・ギルツはエレインたちと夜に落ち合う約束をして単独で調査に赴いていた。とりあえずすぐには事件が起きないことを見越して、もらった情報をもとに地道に事件の発生場所を中心に聞き込みを行っていた。
「ふうん。灯りは苦手なのかな。単に人目を避けているのかな。繁華街では事件は起きていないなんて。それにしても出現方法も逃走経路もわからないってのはどういうことなんだろう。まるで空中に逃げて行ったみたいだなぁ」
 ワイス探偵社の許可ももらって被害者への聞き込みも行っていたのだが、不意に襲われてはっとした時には血を吸われ、相手は煙のように消え去ってしまっているらしいのだ。背後から抱え込まれるようにされた被害者もいたことから、少なくとも成人男性並みの身長がある奴であることははっきりしているにもかかわらずなのに。
「変身能力とかテレポート系の能力を持った奴なのか。どっちなんだろう」
 調べてもう一つ分かったことがある。壮年の男性と聞いていたので比較的中年に近い人物を連想していたのだが、被害者はみな歳より若々しく下手したら20代の若者で通じそうな人物もいたことだった。それは共通事項だった。
「それなりに経験を経ていて、肉体年齢は若いってのが好みなのか……?」
 悪趣味には変わりなかったが。
「ま、変質者の好みなんかどうでもいいけどさ」
 あっさり割り切ってすたすた調査を再開させたジニアスだった。
 調査組にはもっとのんきな者もいた。調査という名目を忘れて浮かれきっているのはアルヴァート・シルバーフェーダだ。
「吸血事件といっても、被害者は成人男性ばかりだっていうからな。見た目はともかく実年齢が14のオレは絶対に対象外だ。それより今日はアリューシャとデート♪」
 恋人のアリューシャ・カプラートとはキスは済ませた仲だったが、アルヴァートは正直もう少し進展したい、欲望に忠実なお年頃だった。もちろん命より大切に思っている恋人に無理強いするつもりはなかったが、いわゆるB……近くくらいはというよこしまな思いがなかったとは言い切れなかった。並んで歩きながら想像してにやけそうになるのを必死にこらえているのだが、アルヴァートを信じきっているアリューシャはそれには気が付いていなかった。
「あ、あそこデパートじゃないかな。ちょっと入ってみようよ」
 街中はアットらしく普通の店の横にあからさまに異世界の品を扱っているような店があったりして、普通に歩いているだけでもなかなか楽しいものだった。アリューシャは将来アルバイトをすることを視野に入れて、酒場や歌わせてくれそうな飲食店を見て回っていたのだが、そういうところはやはりアットでも夕方からしか営業しないらしい。仕方なく看板だけチェックしていて少しだけつまらなくなっていたので、嬉々としたアルヴァートの誘いに素直に乗ってきた。
 ちょうどお昼時だったので、屋上に行って適当に昼食を買い込んできた。
「はい、どうぞ。レストランじゃなくてごめんね」
「いいえ、気になさらないでくださいませ。わたしたち学生の身なら、こういうところのほうが分相応というものですわ。お天気も良いことですし、こうして風に吹かれながら食べる料理もおいしいものですものね」
「確かにおいしそうだね。あ、ナゲットが揚げたてだからやけどに注意してくれってさ」
 そういって1つつまむと、ふ〜ふ〜と息を吹きかけて冷ましてやり、それをアリューシャの口元に持っていった。アリューシャは受け取って食べようとしたのだが、アルヴァートが「 あ〜ん」と言うと、意図を察して真っ赤になった。それさえも微笑ましく、アルヴァートはもう一度「あ〜ん」と言ってナゲットをちょんとアリューシャの口にくっつけた。アリューシャがそっと口を開いてそれをのみ込んだ。
「どう?」
「おい……しいです。アルバさんも食べてくださいませ」
「食べさせてはくれないの?」
 さり気なくおねだりすると、アリューシャはますます赤くなりながらもナゲットをつまみあげてアルヴァートの口に運んでやった。頬は紅かったがいやではなかったらしい。幸せそうに目線を緩ませているのを見て、アルヴァートが内心でガッツポーズをとった。ナゲットだけではなくフライドポテトなどもそうやってたがいに食べさせあう頃には、アリューシャもなれたのだろう。嬉しそうにほおばっているアルヴァートを優しい目で見ていた。さすがにハンバーガーの回し食いは食べっぷりが違うので無理だったが、わざと違う味にしたシェークを交換するのには成功して、『間接キス……』とアルヴァートを喜ばせた。できるならジュースかパフェを2人でつつくという技もしたかったのだが、さすがに恥ずかしさが限界点に達しているようなアリューシャには言い出せなかった。
 一通り食べ終わってほっとしたようなアリューシャが、まじめな表情でアルヴァートに告げた。
「それにしても今回のこの事件、なぜ被害者は男性なのでしょうね」
 今日街に繰り出したのは吸血事件の調査という名目であったことをコロッと忘れていたアルヴァートは、一瞬話題についていけなかった。が、すぐに気を取り直して思いを巡らせた。
「うーん。確か地球の吸血鬼って、若い女性を狙う話だったよね。でもそれって伝承というより作り話じゃなかったっけ?吸血鬼のモデルとなった貴族は、単純に残虐さで有名なわけだし、くっついてイメージモデルとなったのは女で、若い美女の血で自分の若さを保とうとした……だったよね。ということは、この事件の犯人は若い男で、男の血で若さを保とうとした……とか」
 可愛い恋人がいる健全な青少年のアルヴァートとしてはあまり想像したくない光景だったが、アリューシャは生真面目に考え込んでいた。
「その可能性はありそうですわね。働き盛りの男性のパワーで自分の力を保とうとしているのでしょうか。作り話の存在なのか未知の生物なのかはわかりませんが、現実に吸血されたり気を奪われて衰弱してしまった被害者がいらっしゃるのですから。とりあえず彼、ということにして、彼はどうやって被害者を選んでいらっしゃるのでしょう。良く殿方は仕事帰りに疲れをいやすために酒場に寄ったりいたしますでしょう。やはりそういうところで見つけられるのでしょうか」
「うん、そうかもしれないね。その手の店は夕方からしか営業しないみたいだけど、目星だけつけておこうか。あと、盛り場では事件は起きていないんだったよね。だとしたら店からの帰り道ってこともあるから、もう少し街中を調べておこう」
「そうですわね」
 夕暮れにはまだ時間がある。店の目星はすでにある程度ついていたので、そこから事件の起きた場所との関連などを考えつつ歩いていると、大きな公園に出た。まだ日が高いから若い母親や子供たちの喧騒で公園はにぎわっていた。出店などもあって、日が暮れるまでの時間つぶしと2人は他愛ない話をしながら出店をのぞいたりしていた。
「あら、素敵ですわね」
 アリューシャが足を止めたのは手作りアクセサリーの店の前でだった。ビーズ細工だろうか。キラキラ光る小さな玉が連なって、さまざまな形を描き出していた。店番のお姉さんが明るく話しかけてきた。
「これ全部、私が作ったのよ。アットでしか手に入らない特別品!彼氏さん、おそろいのアクセサリーなんていかが?学生さんでしょ。サービスしちゃうわよ〜」
「あ、この形。アットの音符をモチーフにしていらっしゃるんですのね。アルバさんも見覚えがあるんじゃありません」
「本当だ。うん、音符モチーフなんてオレたちにぴったりだね。よし、せっかくだからなにか買ってあげるよ。アリューシャはどの色がいい?」
「ありがとうございます。嬉しいですわ。ではお言葉に甘えまして……そうですわね、やっぱり一番好きなのはルビー色ですけれど、できたらおそろいが……欲しいですから。この金色と藍色のデザインのものなど……わたしの髪と瞳の色に似ていますし。アルバさんに持っていていただけないでしょうか」
「アリューシャ……」
 ささやかな自己主張にアルヴァートがじーんと胸を熱くさせた。売子のお姉さんがごちそう様といった感じで微笑んでいた。アルヴァートが満面の笑みでアリューシャが示したものを指さした。
「じゃあ、これを2つください」
「まいどありがとうございま〜す。良かったわね、彼女!ちょっと待ってて。カバンにつけられるように金具を取り付けてあげるから」
 そういってお姉さんが素早くモチーフをストラップにしてくれた。代金を払ってアルヴァートがいそいそとアリューシャのカバンに取り付ける。アルヴァートの分はアリューシャが取り付けてくれた。どちらからともなく手をつないで歩き始めた2人をお姉さんは暖かい目で見送っていた。
「だいぶん日が短くなってきたね。暗くなってきたな」
「この公園は通勤によくつかわれていらっしゃるのでしょうか。男性が良く通られますわね」
「あまり多くはないけどね。郊外に行く人とかが使うのかも」
「そうですわね。町の中心部から住宅街に抜けてゆきますから」
 夕方になって親子連れはみな家に帰ったのだろう。ときおり仕事帰りらしい人物が通るほかには人気はすっかりなくなっていた。いかにもデートしていますといった風情でベンチに座っているアルヴァートたちには誰も目をくれない。肩に頭を預けながら通り過ぎる人を見つめていたアリューシャの唇が、不意にアルヴァートの唇にふさがれた。優しい求めにしばしうっとりしていたアリューシャだったが、アルヴァートの手が胸に伸びてきたときにはっとしてしまった。
 アルヴァートは胸に触れながら首筋にキスをしようとしていた。こんなロマンチックな状況に欲望を抑え切れるはずがない。抱きしめる華奢な体の柔らかさがその欲望を加速させていた。アリューシャの名前を呼びながら顔を胸に近づける。と、アリューシャがいつも身に着けている深紅のルビーも当然ながら間近になった。胸元を露にさせながら無意識にそのルビーを覗き込んでしまう。ルビーは深い輝きを増して……アルヴァートの体からくたっと力が抜けた。
「あ、あ、あ、アルバさんったら」
 眠りのルビーの効果で寝入ってしまったアルヴァートの頭を膝に乗せながら、アリューシャは真っ赤な顔であわてて乱された胸元を直した。
 寝息を聞きながらアリューシャがどきどきしている心を落ち着けていると、アンナがやってきた。アンナはぐったりしているアルヴァートを見てどきっとしたようだ。
「いかがなされたのですか。もしや例の犯人が?」
「あ、いいえ。違うんですの。ちょっとわけありで……眠らせてしまって……」
「犯人はどちらへ!?」
「ですから、あの事件の犯人に襲われたのではなく」
「繁華街では事件は起きない。ということは住宅街に行ったのですわね。追いかけます!」
 相変わらず人の話を聞かないアンナが、すちゃっとレッドクロスを装備してローラースケートで住宅街のほうへ走っていく。嵐のように去ってしまったアンナを止めることもできず、伸ばされたアリューシャの手はむなしく空をかいた。
 すっかり日も暮れ、夜闇に包まれた学園では図書室で吸血生物について調べていたリオル・イグリードが、ミルル・エクステリアにせっつかれていた。
「もー、調べ物は十分したでしょー。これだけ暗くなったんだもん、いつ次の被害者が出るかわからないよ。あたしたちも早く街に出ようよ」
「今行くから。そんなに焦らないで、ミルル。事件はいつも夜中に起きているんだろう。まだこの時間ならまだ大丈夫だよ」
「善は急げっていうじゃない。早いに越したことはないよー」
「わかってるって。そうだ、行くのはいいけれど、無茶は絶対にしちゃダメだからね」
 相変わらず過保護なセリフにミルルが口をとがらせた。
「わかってます。ていうか、この事件の犯人って男ばっかり狙っているんでしょ?危ないのはリオルのほうじゃない……かな」
 とたんにリオルが眉をひそめ、ミルルがあたふたしてしまった。
「うん、誓う、誓います、無茶はしないって……できるだけ」
「できるだけ?」
「だーって。もし、もしもよ?リオルが襲われたりしたら、きっと自制できないもん……」
 語尾をごにょごにょとごまかしたが、意図するところは伝わったらしい。リオルがふっと目を和ませた。
「じゃあこういう作戦で行こうか」
 学園の外に出ながら考えていたことをミルルに告げる。ミルルは話を聞きながらふんふんとうなずいていた。
 学園に残っていて調査に出かけようというものはほかにもいた。アメリア・イシアーファは意気揚々と街の灯りを見つめていた。そしてくるっと振り返り、恋人のアルトゥール・ロッシュがディスと何やら話し込んでいるのに目を丸くした。
「アルトゥール?どうしたのぉ」
「男手が多いに越したことはないからね。一緒に来てもらえないか頼んでいるんだ。で、どうですか?」
「どうしようかなぁ。エレインにはきっぱり断られちゃっているしね。女の子ばかりで出歩くのは危ないっていう気持ちはわかるけど」
「一緒に捜査しようっていうんじゃありませんから。後ろからついてきてくださるだけでもいいんです。いざっていうときに駆けつけられればいいじゃありませんか。それにあなたの能力なら、遠距離攻撃も可能でしょう」
「まあね。牽制程度の物質を動かすならそうとう距離を稼げると思うけれど。わかった。いいよ、行こう」
 本心では動きたくてたまらなかったディスだ。女子だけじゃ危ないからという建前より、事件そのものの不可解性が興味深かったからではあったが。そこはすっとぼけてアルトゥールたちに同行することにした。
 学園を出るときにリオルたちと出会い、途中まで一緒に行くことになった。
「エレインたちは今頃どこにいるんだろう」
 ミルルがつぶやくと、答えたのはディスだった。
「今はダイナミック街を抜けたあたりを捜索中らしいよ。アクティア先生がレイスで位置を把握していてくれてね。繁華街から少し外れているから、事件が起きやすい場所じゃないかな。多分、辺りをつけてその辺にいるんだと思う」
「ダイナミック街というと……ああ、この辺ですね」
 図書室にあった地図をコピーして持ってきていたリオルが場所を確かめる。確かに繁華街からは外れているようだった。リオルたちは知らなかったが、アルヴァートたちがデートしていた公園もその近くだった。ミルルが「よーし!」と腕を突き上げて駆け出そうとする。リオルがあわてて引き留めた。
「ミルル、勝手にいかない」
「あ、あはは。はぁい。と、ディスさん、遅れてるよー!」
「僕はエレインに見つかるとまずいんだ。大丈夫、見失わない程度の距離にはいるから。先に行ってて」
「わかりました。犯人を見つけたら光の魔法で合図しますから、その時はよろしくお願いいたします」
 リオルは契約している光の精霊レイフォースに照明代わりになってもらいながらミルルと並んで歩き出した。アルトゥールとアメリアがそれに続く。ディスはのんきな顔で言った通りつかず離れずの距離を保って後ろについてきた。
 途中合流したのはリシェル・アーキスだ。リシェルはにこやかに笑いながら先頭を歩くリオルに話しかけてきた。
「事件のことを調べに行くんですか?学生が危険なことをするのを黙認するのはできませんから、ご一緒させてくださいませんか。止めても無駄なんでしょう」
「うーん、リシェルさんだと犯人に狙われそうな気がするんですけれど。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、自分の身くらい守れますから。ああ、気になるならディス君と一緒に後方にいましょうか?そのほうが都合がいいでしょう」
「そうですね。お願いします」
 会話が終わるとたたっと離れて歩いているディスのそばにリシェルが走っていった。澄ました顔で並んで歩き始めたリシェルに、ディスが怪訝そうな顔をした。
「面倒なことが嫌いなあなたが良くいらっしゃいましたね」
 ひそひそ声にリシェルががらっと表情を変えてささやき返した。
「これでよ、学生に被害でも出たら危機管理委員会の出番じゃねぇか。そのほうが面倒なんだよ。話がでかくなるのはちょっとごめんだぜ。なんか、中心になっている生徒がいるんだろ?」
「エレインのことですか。まあ、今回の事件の被害者は男ばかりだっていうから、たぶん彼女が被害者になることはないと思いますけど。手伝い募集をかけてくれたばかりに、こうして動き始めた生徒も確かにいますからねぇ。気になる気持ちはわかります、けど」
「けど、なんだよ」
 ディスはリオルを相手にしているときと打って変わった調子のリシェルに含み笑いを漏らした。
「いやぁ、見事な化けっぷりだと思って」
 リシェルはふんと鼻を鳴らした。
「放っておけ。仕事モードも楽じゃねぇが、仕方ないだろ。ややこしくなるから余計なことはしゃべるなよ」
「わかってますって。これでも口はかたいですから。面倒が嫌なのはお互い様ですし」
 リシェルはそれきり黙ってしまった。前方では地図を眺めながらリオルとミルルがあれこれおしゃべりしていた。はたから見たらそれは初々しいカップルが夜のデートに出かけているようだった。アルトゥールもその雰囲気につられて、そっとアメリアと手をつないだりしていた。
 やがて公園を通り過ぎて、住宅街の近くまでやってきた。夜も大分更けてきて、あたりから人気はすっかりなくなっていた。ふとあることに気づいて、ディスが隣を歩いているリシェルに話しかけた。
「そういえばこの道は確か、学園に出入りしている業者が使う道だったような」
「それがどうかしたのか?」
「運転手が、被害者になりそうな男性なんですよね。これまでの傾向からの推察なんですが。朝食に間に合わせるために、ちょうど今くらいの時間に納品に来ていたはずです。案外通りがかって事件に巻き込まれたり……」
 大型車の急ブレーキとバタンというドアが閉じられる音、さらに男の怒鳴り声が聞こえてきたのはその時だった。
「誰だ、そこにいるのは!」
 怒鳴ったのはディスの予測した人物、学園出入りの食材業者の従業員であるグラハム・アスティレイドだった。街で起きている吸血事件のことは相棒のエリナが知っていて、注意するよう心配していたのだが、あまり物事を深く考えないのと戦いの腕には自信のある性格がグラハムを油断させていた。いつものように食材を積み込んだトラックを運転してその道を通りがかったのだ。暗闇で頼りになるのは車のライトと街路灯だけだったが、慣れた道を行くのは気楽なものだった。この時間に歩いている人間はほとんどいないこともグラハムは良く知っていた。だから急に前を横切った影に驚いて急ブレーキを踏む羽目になった。誰かをはねそうになったことより、自殺願望者とも取れる相手の行動に腹が立って、グラハムは車から飛び降りると、前に立っているであろう存在に向かって怒鳴り声を上げたのだ。ライトにちらっと浮かんだ姿は細身の若そうな人間のようだった。そんな相手に臆するグラハムではない。わずかに揺らめく気を探知しながら攻撃を仕掛ける。が、探知グラスで姿を確認しようとしているにもかかわらず相手をはっきり見ることができないでいた。
「ちっ、逃げやがったか?う、うぉっ!?」
「グラハム様!?」
 エレナが叫び声を上げる。いつの間にかグラハムの背後に黒い影が忍び寄っていて、グラハムの首筋に牙を突き立てていたのだ。痛みはあまり感じなかったが、血とともに気も吸い取られているのがわかって、グラハムの体がぐらりとかしいだ。傷口からたらりと飲みきれなかった血が流れ落ちる。どうにも体に力が入らなくてグラハムが悔しそうに顔をゆがませながら膝をついた。異変を察知したリオルたちがバタバタと駆け寄ってくる。物音に黒い気配はグラハムから離れようとしていた。ミルルとアルトゥールが駆け寄って攻撃を仕掛ける。リオルとアメリアは気配を明らかにしようと光の魔法で辺りを照らし出そうとした。
 アメリアの陽光の杖から発せられた太陽光があたりを照らし出したが、どうしたわけかぐったりとしているグラハムとそばでおろおろしているエレナしか光の中には浮き上がらなかった。目測をつけて仕掛けたミルルとアルトゥールの攻撃も空振りに終わった。かろうじてリオルの放った光が高々と上空を照らし出した時、その光の中に怪しげな影が映っただけだった。黒い影はマントを翻らせ住宅の屋根から屋根へと飛び移りながら遠くへ去っていくところだった。
「届くかな」
 とっさにディスが小石を弾丸のように飛ばしたが、その時にはさすがのディスの能力でも届かないくらい遠く離れてしまっていた。
「何事ですか!」
 凛と響き渡ったのは、学生が夜間に校外活動をするというので見回っていたテネシー・ドーラーの声だった。ライバル意識も忘れてエレナがテネシーに呼びかけた。
「テネシー様、グラハム様が」
「え?グ、グラハム様!大丈夫ですか」
 今にも地面に倒れ伏しそうになっているグラハムを見てテネシーが血相を変える。急いで駆け寄ってその体を支えながら、周辺にいたミルルたちをきっと見やった。
「どういうことなんですの」
 鬼の風紀委員の静かな、それでいて渾身の気迫がこもった問いかけに、とっさにミルルが気まずそうに後ずさる。リオルがミルルを支えてあげなければ、きっと泣き出していただろう。犯人を取り逃がしてしまったアルトゥールとアメリアも困ったように黙り込んだが、リシェルとディスが素知らぬ顔で肩をすくめて見守っていたので、やむなくアルトゥールが説明を始めた。
 聞いているうちにテネシーの顔がどんどん険しくなっていった。そのころにはエレナも怒りに体を震わせていた。幸い奪われた血と気はほかの被害者ほどではなかったようで、しばらく休んでいるうちにグラハムは回復したらしく、立ち上がってきた。大勢で見まわっていながら愛しい男をむざむざ被害に合わせた面々にウィップソードでお仕置きしようとしていたテネシーの頭にグラハムがそっと手を載せた。暖かな温もりにテネシーが必死に気を落ち着かせようとした。グラハムが忌々しそうにテネシーに告げた。
「今回はちょっと油断しちまったな。事件のことは知っちゃいたんだが、てめえが襲われるとは思わなかったぜ。こいつらがすぐ駆けつけてくれたから大事には至らなかったようだけどよ。次に会ったら容赦しねえ。テネシー、お前も協力してくれ」
「当然ですわ。グラハム様を襲うなんて、絶対に許せません。あなたがたも!今度は逃がしたりしないでくださいませ。そしてわたしの前に引きずり出すのです。わたし自ら八つ裂きにしてやりますから」
 本気の言葉に、誰もがこくこくとうなずいた。
 とりあえずさらなる襲撃を警戒したテネシーをトラックに同乗させたグラハムが走り去ると、残されたメンバーは犯人が逃げ去った方角へと歩みを進めた。一晩に2件の事件が起きた例はこれまでなかったが、グラハムの回復ぶりからして犯人がまた事件を起こす可能性は高そうに感じられたからだ。それにこのままおめおめ学園に帰ったら、自分たちがテネシーにお仕置きされそうな気もしていた。
 夜が更けてきたといっても、繁華街はかなりな賑わいを見せていた。調査に赴いてエレインとレイミーは、そろそろ頃合いかと思って、繁華街での聞き込みで得た情報をもとに異動しようとしていた。レイミーは大きなクマのぬいぐるみのリュックを背中にしょっていた。そのクマが動き出したレイミーにそっと話しかけてきた。
「ねえねえ、街から離れるの?だったらボクのことは忘れ物ふりをして置いて行ってよ」
 クマのぬいぐるみ、もといテオドール・レンツの提案に、レイミーが首をかしげた。
「そんなことをして、大丈夫ですか」
「被害者になりそうな人を見つけられるかもしれないしねー。ボクだったら、じっとしていたらただのぬいぐるみだと思われるでしょう?このまま街の様子を探っているよ」
「それは良い考えかもしれませんわね」
 小声の会話に参加してきたのは、エレインの方に乗っていた梨須野ちとせだった。酔っ払いが間違って子どもへの土産にでもしてこようとするかもしれないが、テオドールならうまいこと学園に帰ってくることもできるだろう。それに正直なところ、事件の起こりそうな場所へ行くなら、非戦闘員は少ないほうがありがたかった。
「エレイン、どうします」
「そうね。テオの言い分ももっともなんだけど」
 テオドールは本当はエレインに背負われて辺りを警戒しようとしていたのだが、さすがにいかにも子供っぽい恰好はと逃げられてしまっていたため、せめてこのくらいの役には立ちたいと思っていた。だからエレインが迷っていると、ダメ押しのように言葉をつづけた。
「もし犯人が現れても、ぬいぐるみのボクは絶対に襲われないと思うの。血や気なんてないからね〜って、動いているんだから一応気ってのはあるのかしら?まあ、でも性別ないし。心配しないで」
「帰ってこられるとは思うけれど……もし誰かに連れ去られたりしたら」
 人外の存在とはいえ一応学園の生徒をそんな目に合わせるわけにはいかない。エレインはなおも迷っておいた。
「あら?」
「え?」
「やあ、諸君。見つかってよかった。探していたんだぞ」
 エレインの肩をたたいたのは武神鈴だった。夜間でも白衣着用は趣味なのか、相変らずの恰好で、その姿はいささかにぎわっている街にはそぐわなかったが、その程度のことは全く気にしない鈴だった。だがいかにも教師ですと言った格好の鈴は、逆に説教されるのではないかという警戒心を起こさせた。エレインは基礎課程のちとせやテオドールをこんな時間まで4連れまわしてしまった責任を感じて、顔をこわばらせてしまった。警戒に気づいたのか、鈴は不敵な笑みを浮かべながら握りしめていた手をぐいと突き出してきた。
「こいつを渡しておきたかったんだ。エレインは実家住まいだし、こんな面白そうなことに首を突っ込まない奴がいるとも思えんからな。生徒の夜間外出を禁止しても無意味だろう。せっかくのやる気を奪うのも教育上なんだしな。ったく、教師ってのも因果なもんだ」
「なんですか、これ?」
 鈴が持っていた小袋を反射的に受け取ってしまったエレインは、中を確かめながら鈴に問いかけてきた。袋の中には錠剤と符が入っていた。聴かれて鈴は偉そうに胸を張った。
「おお、穏形符と吸血鬼化阻止薬だ。その符を張っておけば一時的に気配と姿を隠すことができる。犯人追跡の役に立つだろう。それに、まあ君たちなら大丈夫だとは思うが、万が一襲われて吸血鬼化などしてしまったらことだしな。ありあわせで作ったものだから万全とは言えないかもしれないが、いや、俺が作ったものだ、効果がないはずはない。とにかく飲んで危険回避に役立てるのだ。アンデットなんてエルンストのじーさんだけたくさんだからな」
「呼んだかね」
「うわっ」
 気配も立てずに鈴の背後に回り込んでいたエルンスト・ハウアーがひょうひょうとした声をかけてきた。不意を突かれて鈴がさすがにぎょっとしてしまった。驚きこそはすぐに消し去ったが、背中を取られていやそうな顔までは拭い去れなかった。
「じーさん……気配を立って忍び寄ってくるなって」
「驚かせたかな?それは悪いことをしたのう。見かけて声はかけようと思っていたんじゃが、都合よくワシの名前が出てきたんでの」
「なんだよ、じーさんも捜査に加わっていたのか」
「うむ。見かけだけなら女子よりは男のワシのほうが標的になれると思っての。襲われてもワシに吸血やら吸精は効かんし、夜目も利くから暗い場所に行っても調べ物ができるからのう。ま、さすがに動きは常人とあまり変わらぬから、敵が襲ってきたら若いやつらにはとっとと逃げてもらわぬと行かんがの。時間稼ぎはしてやるから」
「じーさんにこの薬を飲ませても意味はないだろうなあ」
「ボクもいらないよ〜」
「当たり前だっ。ぬいぐるみに入用なもんか」
 テオドールの申告に鈴が顔をしかめた。気を取り直してエレインたちに薬を飲むことを促す。どんな高価なのか聞いてきたエルンストに鈴が答えると、エルンストはエレインに向かって言った。
「お前さんのことじゃからわかっているとは思うがの、地球の吸血する存在は吸血鬼とは限らん。ただの人間が若さや美貌を保つためにどうにかしてその手段を得たとも考えられる。さすれば正体を隠すために夜にしか動かないのかもしれぬしな。暗闇のほうが都合が良いじゃろう。また本物の吸血鬼だとしても、人型とは限らないからその点も注意しておくのじゃぞ。それから、吸血鬼以外の吸血生物かもしれぬ」
「チュパカブラですわね!」
 ちとせがびしっと言い切る。エルンストが鷹揚にうなずいた。
「そう、チュパカブラしかり、ペナンガランという可能性もある。人型でない吸血生物となったらその種類は一気に増えてしまうな」
「絶対にチュパカブラですわ」
「あーでもあれって、牙の跡は一つじゃなかったかしら。私が吸血鬼だと思ったのは、吸血された跡が2つあったからなのよ。それに操られている節もうかがえたし。チュウパカブラにそんな能力あったかしら」
 ちとせは自信満々にこぶしを握りしめた。
「真相なんてどうでもいいですわ。むしろ本物の吸血鬼さんでしたら、チュパカブラ呼ばわりはプライドを傷つけるのではありません?それでひるんでくださればOKですわ」
「あ、そういうもの?」
 微妙に何か違うと思いながらも、一理はあるかとエレンがうなずく。エルンストはそんなエレインの肩をたたいた。
「ともあれ夜の街を徘徊する怪人なんて固定観念には縛られんほうが良いじゃろう。でないと足元をすくわれて大やけどしてしまうかもしれんぞ」
「そうですね」
「そうだよな。ノーライフキングとかはたまた蚊やシラミといった存在の可能性もあるもんな。吸血生物って言ってもと地球だけで多種多様にわたる。ま、蚊やシラミで死ぬこたぁーないと思うけど、本物の吸血鬼だったら最悪しもべとかにされる可能性だってある。無事に帰ってこいよ」
「はい。ご心配ありがとうございます」
「生徒に被害が出たら俺の給料にも影響が出るからな」
 どこまで本気かわからない台詞にレイミーが苦笑する。エレインは微妙な顔になった。鈴はエレインの頭を乱暴に撫でた。
「うちの学校にアンデットはエルンストのジーさんがいれば十分だろっ」
 どうやら先ほどの台詞は半分照れ隠しだったらしい。エレインにもそれがわかって小さく微笑んだ。
「さて、行くとするかの。おや?あの光はなんじゃ」
「あ、影がこっちに!」
 遠方の住宅街で強力な光が発せられたかと思うと、その光の中にうっすらとした黒い影が映し出された。影は初めはそれなりに大きかったが、見ているうちに何やら小さなものに変化して脇へとそれていった。
「出ましたわね、チュパカブラさん。さあ、追いましょう!」
「待ってー。現れたんならボクも連れて行ってー」
「ふむ。また事件が起きたのかな。真実はどうなんだ。趣味の悪い女吸血鬼かホモで老け専の吸血鬼か。あるいはじーさんの言ったように、特殊な力を得た人間なのか」
「行ってきます!薬、ありがとうございました」
「おお。気を付けてな」
 走り出したエレインに軽く手を振ってこたえた鈴だった。
「吸血の跡は確かに2つなんですのね。1つではなく」
 ちとせの質問に走りながらエレインがうなずく。影の行方はレイミーが気を読んで確認していた。だが相手も早い。やがて見失ってしまった。
「これ以上は無理そうです」
 息を切らせながらレイミーが告げると、エレインが悔しそうに腕を組んだ。
「うむ。やはり気はここで途絶えたか」
 と反対側からやってきたのは猫間隆紋だ。上空からひらひらと式神の札が落ちてくる。やはり気の乱れを察知して追っていたのだろう。エレインが詰め寄った。
「消えたってことですか」
「そのようだな。どうやら消失能力があるようだ。向こうで事件が起きたので、式で追ってみたんだが」
「やっぱり事件が?」
「ああ、学園出入りの配送業者が襲われたらしい。どうやら奴はそこそこ年齢がいっていて、体は若いというのが好みのようだな。それにしても変身能力に消失能力か。ちょっと厄介な相手かもしれぬな」
「やはり男性なのですか?女ではなく」
 ちとせが問いかけると、式を回収していた隆紋があっさり言った。
「今回も男だ」
「……男好きなんですのね」
 趣味が悪いと鈴と同じ感想を抱いたちとせだった。
「ああ、ディスさんが一緒にいらしたら足止めできたかもしれませんわね。どうして同行してくださらなかったんですの」
「あんなうるさいやつの手なんか借りたくないわよ!」
 ちとせのつぶやきにエレインが反射的にかみつく。恨みつらみが積もり積もってというのは本当のことらしい。その迫力に毛嫌い具合がうかがえて、隆紋がつい笑ってしまった。ちとせも頭に手をやっていた。とっさの反応に気が付いてエレインが気まずそうにそっぽを向いたが、その視線の先でとらえた光景に固まってしまった。
「いかがなさいました?」
「知り合いか?」
 暗い道で仲良さそうに腕を組んでいたのは中年のカップルだった。男のほうがいくらか若く見える。しかし仲睦まじさはほほえましいものだった。だがエレインの体のこわばりは解けない。その2人の姿をしばらく見ていたかと思ったら、いきなり逃げ出し始めた。それはまるで2人の姿を見ていたくないといった感じだった。勢いに振り落とされたちとせがレイミーに救われる。みんながきょとんとしていると、事件現場からやってきたディスたちが合流してきた。
「あ、部長」
「やあ。こっちで変な影をみなかったかい」
「そちらも追っていらしたんですの?残念ながらここで消えてしまったんですのよ」
「ふうん。ところでエレインがいないようだけど」
「あのカップルを見て逃げ出してしまったんだ。知り合いかね」
 隆紋に指差されたほうを見てディスがあちゃーといった顔になった。アルトゥールが首をひねった。
「どうしたんだい」
「あれ、エレインの母親とその上司だよ。ケスって言ったかな。一応仕事のパートナーとなっているけれど、恋仲でもあるんだ。ああ、浮気じゃないよ?2人も独身。ま、エレインは仲を知らなかったはずだから、ショックだったんだろうなぁ」
「年下みたいですわね」
「実年齢は2つ下だよ。ま、もっと若く見えるけれど。ああ、あの犯人、やっぱりあの人を狙ってきたのかな」
「え?」
 みんなの声が重なる。ディスがしれっと言った。
「条件合っているじゃないか。さっきの事件では駆けつけるのが早かったから、あまり養分を取れなかったみたいでね。別の人を襲うんじゃないかって話していたんだ」
「では、次に狙われるのは……」
「彼かもしれないね」
 エレインの母親とその恋人はその間に姿を消していた。

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