「心いろいろ〜絆つむいで〜」

−第5回(最終回)−

ゲームマスター:高村志生子

 前夜の荒波の音をいささかきかがりな気分で聞いていたテネシー・ドーラーは、それでもいつものようにきっちり予定起床時刻の1時間前に起きだしていた。多少調子が狂っているような気がしたが、それはきっと波の音が気になったからだと自分に言い聞かせていた。
 早起きだったのはグラハム・アスティレイドもだった。こちらも職業柄慣れていたのと、騒がしくない早朝の海を楽しみたかったからであった。Sアカデミアの生徒たちが午前中に海岸清掃をすることは夕べのうちにテネシーから聞いていた。その前に散歩をしゃれ込むことにしていたのだ。
「静かな方がよろしいのでしょう。私も2人だけで浜辺を散策したいですわ」
 グラハムの肩に乗った小さな精霊の娘エリナがグラハムにねだる。彼女はテネシーの故郷の遺跡で発見された精霊だったが、グラハムに好意を持ってしまい行動をともにしていた。エリナの気持ちには気がついていないグラハムだったが、契約によって力を与えてくれているエリナのことはそれなりに大事に思っており、エリナの希望に素直にうなずいていた。
「この時間だとテネシーはまだ寝ているだろうしな。よし、行ってくるか」
「夕べはどうやら時空嵐があったみたいですわよ。海岸になにか漂着しているかもしれませんわね」
「へえ。どうりで波がうるさいと思ったぜ」
 宿を出て行くグラハムの姿を窓から見かけたテネシーの胸がとくんと鳴ったが、すぐさま平静を取り戻して朝の巡廻を始めた。
 海岸に行ったグラハムは、様々なものが散乱している浜辺を見て面白そうな顔になった。大半はただのごみのようだったが、時空嵐によって漂着したのなら、異世界の品物もなにかあるかもしれない。その期待を寄せるには充分な光景だった。危険物を避けながらゆっくり歩き、エリナと一緒にあれこれ品定めをしていく。2人っきりということもあって、エリナはいつになく饒舌だった。
「あら、あれは」
「なんだこりゃ?モーニングスターのようだが」
 グラハムが拾い上げたのは、先が丸くなってしまったとげのついているモーニングスターだった。ぶんぶんと振り回してみると、鎖部分はまだ大丈夫そうだった。
「これは……『チェス』という世界の武器のようですわね」
「へえ。とがってない分、威力はなさそうだが、せっかくの異世界の武器だ。もらっておくか」
 戦闘好きのグラハムは、もちろん自分専用の武器は持っていたが、異世界の武器というところに魅力を感じてそれを振り回しながら散歩を再開させた。
 続いて早起きしてきたのは武神鈴と猫間隆紋だった。鈴のほうがいくらか早かったらしい。隆紋が目覚めて室内を探したときにはもう姿は無かった。帰る前に頼みたいことがあったので式神に探させると、鈴は駐車場でなにやらごそごそやっている最中だった。駐車場にはもう帰りのバスが用意されていた。どうやら鈴はそのエンジンをいじっているようだった。
「鈴先生、ちょうど良かった。ちょっと頼まれてくれぬかな」
「おや、猫先生も早いな。頼みか?かまわんぞ。ちょっと待っていてくれ。こっちはもうじき終わるから」
「エンジンをいじってたのか?」
「どうせ帰りのドライバーも猫先生なんだろう。だから、ちょっとな」
 安全のためといわなかったのは、もちろん目的が違っていたからだ。隆紋は鈴のいたずら心に気がついたが、あえて触れないで自分の要望を口にした。鈴はそれを聞きながらふむふむとうなずいていた。そしてにやりと笑った。
「それならお安い御用だ。まあ大丈夫だろうとは思うが、ドライバーの猫先生が希望するならやっておいた方がいいんだろうしな」
「うむ。事故にはもちろん気をつけるが、生理的・身体的恐怖が心の距離を近づけることは往路でわかっておるからな。生徒諸君の仲を近づけるために、この猫間隆紋、あえて憎まれ役を買って出てやろうではないか!腐腐腐」
「ふむ、その分だとエンジンの改造も役に立ちそうだな」
 鈴の言葉に隆紋が楽しそうに問いかけてきた。
「なにをしたのだ?パワーでも上げてくれたのか」
「それは走ってみてのお楽しみって奴さ。みんなの反応やいかに、だな。心の距離を近づけるかもって点では、猫先生の意図には外れんと思う。ふはははは」
 鈴がいつもの高笑いを上げる。返して言えばそれは同乗者たちにとっては過酷な試練になると同義なのだとわかったが、隆紋も澄まして一緒になって笑っただけだった。
 鈴の改造は朝食の時間までには終わり、鈴は何食わぬ顔で食堂にやってきた。食堂にはすでに生徒たちが集まり始めていた。鈴はきょろきょろとアリューシャ・カプラートの姿を探した。アリューシャは長めのチュニックにショートパンツという、いつもよりやや男の子っぽい服装で、どこかぎこちない表情でアルヴァート・シルバーフェーダと並んでやってくるところだった。アルヴァートも珍しくアリューシャから視線をそらして歩いていた。その隙を突いて鈴がアリューシャを連れ出す。鈴の顔を見てアリューシャが戸惑ったような笑顔を見せた。やはり昨日の出来事の後遺症があるのだろう。アリューシャの反応に苦笑いしながら、鈴がなにやら透明なビンを差し出した。反射的にアリューシャが受け取る。ビンは一見空のように見えたので、アリューシャがいぶかしげに眺めていると、鈴が明るく説明を始めた。
「そいつには胸を美しく整える、気体タイプの薬が入っている。まあ、昨日のお詫びということで受け取ってくれ」
「お詫び、ですか?」
「やったこと自体は反省していないが、結果として泣かせてしまったのは本意ではないからな。それになんだ、謝らないとお前の彼氏が殺しそうな目でにらんでくるし」
 ちょうどアリューシャ不在に気づいたアルヴァートが駆け寄ってくるところだった。一緒にいる鈴を、まさに殺せそうな視線でにらんでいる。鈴は軽く肩を竦め、アリューシャに片手を上げて歩き出した。
「とにかく泣かせたりしてすまなかったな。そいつは有効に使ってくれ。吸い込むだけでOKだから」
「それはどうもです。わざわざありがとうございました」
 鈴なりの誠意を感じ取って、アリューシャは素直に頭を下げた。駆け寄ったアルヴァートがアリューシャを背にかばいながら去って行く鈴をなおもにらみつけた。
「アリューシャ、あいつになんにもされなかっただろうね」
「大丈夫ですわ。先生は昨日のお詫びをおっしゃいにいらしてくださったんですの。ですからアルバさんももう許して差し上げてくださいませ」
「う……ま、まあ今までもいろいろ世話にはなっているし、毒性チェッカーについてはこちらにも非がないとは言えないからな。アリューシャが許すっていうのなら、不本意だが俺も許すか」
「ええ。わたしはお詫びも言っていただきましたし、それでもう結構ですわ。先生も泣かせてしまったのは本意ではないとおっしゃっていましたもの」
「どうだか」
 くるりと振り返ったアルヴァートは、アリューシャと視線が合うとぼっと赤くなって目をそらせてしまった。そしてギクシャクした動きで食堂に向かった。アリューシャはその後を追いながら、何気なしにもらったビンのふたをあけて中の気体を吸い込んでみた。かすかにハーブ系の爽やかな香りがするのは鈴なりの心遣いだろう。その香りに瞬間ほっと心を和ませかけたアリューシャは、だが自分の体に起きた変化に思わず顔を赤らめてしまった。まだまだ未成熟なつつましい胸が、薬を吸ったとたんにむくむくと巨大化していったのだ。幸いチュニックであったためぱっと見はそんなに変わった感じはなかったが、ずしんと重たくなった胸にさすがに恥じらいが出た。先を歩いているアルヴァートはそんなアリューシャの変化には気がつかなかったが、アリューシャはつい前かがみ気味になってしまった。
 食堂では一晩中津波を警戒していたマニフィカ・ストラサローネが、どうやらおかげで寝不足になってしまったらしく、赤い目で時々あくびをかみ殺していた。
「ずいぶんと眠そうですわね」
 食べ終わっても食器を片付けずにぼんやりとしていて、ついにかくっと首が垂れたのを見つかり、アンナ・ラクシミリアに呆れた声を出された。マニフィカは気合を入れなおしつつアンナに答えた。
「夕べ、沖合いで時空嵐があったんですのよ。津波が来るかもしれないと警告されて、こちらのほうまで被害が出ないかと心配していましたら、すっかり寝不足になってしまいましたの。幸い津波の被害は浜辺だけですんだようですけれど」
「時空嵐で津波が浜辺を荒らしたですって!?」
「ああ、そうらしいんだ。夕べ、マニフィカと散歩していたときに水の精霊に教えられてね。規模はそれほど大きくなかったから、船とかは巻き込まれたりしなかったそうだけど、海岸だけはやられたらしい」
 マニフィカの隣に座っていたローランドがアンナの悲鳴をやや勘違いして、眠たげなマニフィカの代わりに答えた。時空嵐には悲しみの記憶しかないローランドにとっては、被害が海岸が荒れただけだったのは僥倖だったが、アンナにとっては昨日までは綺麗だった海岸が津波に襲われて荒れてしまったということのほうが大切だった。
「なんてこと。ちょっと様子を見に行かなくてはいけませんわね」
 そして急いで荷物をロビーに預け海岸へとおもむいたアンナは、予想以上の荒れっぷりに愕然としてしまった。
「昨日まではなんともありませんでしたのに……」
 無論時空嵐はアット世界では自然現象とも呼べるものだったから、学園に非があるわけではないことはアンナとて頭では承知していた。だが個性派の生徒や教師陣の顔ぶれを思い浮かべると、呼び寄せてしまいそうな面々がどんどん思いおこされて疑心暗鬼に駆られずにはいられなかった。
 アンナが呆然としていた頃、再びこっくりとし始めたマニフィカを気にしていたローランドに梨須野ちとせが話しかけてきた。
「おはようございます、先生。キリエさんに聞きましたわよ。悩み事は無事に解決されたそうですわね。まあそれがお2人にとって最良ならばもうなにも言うことはございませんけれど。なにかまだちょっと引っかかっていらっしゃるようですわね。ほかに誰かと何かございましたのですか」
 多少声音にからかうような調子があったのは、ローランドとマニフィカとの間の雰囲気が変わったことに気がついていたからだ。ちらっと隣りのマニフィカを見られて、ローランドがぎくりと顔をこわばらせた。
「な、なにかって……いや、別に、その」
 意識し始めたばかりの感情を素直に告げられなくて、もごもごとローランドが口ごもる。ちとせがぷっと吹き出した。
「うふふ、みなさま青春ですわね」
「あー、えーと……」
 言外の意味を悟ってローランドが赤くなる。ちとせはそのまま場を離れて、キリエの元に向かった。
「キリエさん、気がついていらして?さっそくどなたかのアプローチを受けたみたいですわよ。お兄さんも大変ですわね」
 食事中だったキリエが口を動かしながらいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「んっふっふ〜知ってる。うまく行っていたらいいなぁ。応援するって決めてたから」
「そうでしたの。大丈夫なんじゃありません?そんな感じでしたわ。ほら」
 ちとせに指し示されて、キリエが少し表情を緩ませた。
「あ、ほんと。この旅行では、あたしのやきもちのせいでお兄ちゃんにもいっぱい迷惑かけちゃったもんねー。だから幸せになってくれたら嬉しいって思っていたんだ。良かった」
 キリエのさばさばした言葉に、ちとせが安心したような表情になった。
 海岸でしばし呆然としていたアンナは、食事を終えてやってきた生徒たちを呼んでいるローランドの声に気を取り直すと、集まった生徒や教師に向かって宣言した。
「ここまで荒れたのは時空嵐が原因だといえ、使った場所は元通りにしなくてはいけません。手分けして片付けてまいりましょう。大物や危険物は力のある方にお任せするようになってしまいますが、あとのこまごましたものは分担してやれば時間内に終わらせられるはずです。皆様、わたくしが指示を出しますので順次、作業に取り掛かってくださいませ」
「ああ、漂着物が雑菌などに汚染されている可能性がありますので、わたくしが術を使って純水洗浄いたしますわ。塩分も取り除いておいた方がよろしいでしょうし」
 やっと目が覚めてきたらしいマニフィカがアンナに提案する。かたわらにはごく自然な形でローランドが立っていた。マニフィカがちらっと伺うように視線をめぐらすと、ローランドが優しく微笑みながらうなずいた。
「それはいい考えだな。異世界から来たものなんか、どんな作用を及ぼすかわからないし。頼むよ」
「はいですぅ」
 ローランドに喜んでもらえたなら、これに勝る幸せはない。マニフィカは嬉々としてアンナのサポートを始めた。
「お兄ちゃん、あたしはあっちの担当になったから行ってくるね」
 キリエがぽんとローランドの背中を叩いて駆け出す。マニフィカとうまく行っている様子に、キリエは走りながら笑いをこらえた。
 行った先で待っていたのはアスリェイ・イグリードだ。アスリェイは笑いをこらえているキリエにこそっと耳打ちした。
「キリエちゃん、ローランド先生と一緒じゃなくていいのかなぁ?なんかマニフィカちゃんと良い雰囲気みたいだけど」
 キリエがこらえきれずに笑い出した。
「そう、それなんだけど、実はあの2人、夕べデートに出かけたの。マニフィカがお兄ちゃんを好きなことはわかっていたからね〜。あの様子だと上手く行ったみたいね。先生もそう思うでしょ?」
 やきもちばかり焼いていたキリエが幸せそうに笑っているので、アスリェイも遠方にいるマニフィカたちをキリエと一緒に眺めてから、キリエに語りかけた。
「うん、どうやらこの臨海学校はキリエちゃんを女性として大きく成長させたみたいだねぇ。どう?キリエちゃんにはいい思い出になりそうかい」
 キリエは屈託のない笑顔で大きくうなずいた。
「なんだかいろいろばたばたもしたけど、結果的には大切なものを見つけられた、とっても素敵な旅だったよ!一生思い出に残る旅行になったんじゃないかなぁ。あ、イグリード先生もお兄ちゃんにアドバイスしてくれたんでしょう?ありがとう、先生」
 まぶしいほどの笑みにアスリェイの笑みも大きくなった。いつものようにキリエの頭をわしわしと撫でながらその成長を喜んだ。
「よしよし、良い子だ」
「う〜、子ども扱いしな〜い!あたしはもう大人なんだからね」
 そう自分で言ってしまうあたり、アスリェイからすれば充分お子様な反応だったが、それでも旅行前より成長したことは確かだろう。健やかな成長ぶりを微笑ましく思いながら「悪い悪い」と謝った。キリエはほんの少しむくれていたが、じきに笑顔を取り戻して指定の場所に向かって歩き出した。
「あ〜あ、あたしも素敵な恋がしたいなぁ」
「キリエちゃんならきっとすぐに相手を見つけられるよぉ。おじさんが保障するって」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと。キリエちゃん、良い女になったからね」
 ウインクしてみせると、キリエがまた嬉しそうに笑った。
「さて、清掃にいそしもうか。ちょっと大変な量だけど、みんなでやれば大丈夫だよねぇ。運悪く危険なものが飛んできたりしたらおじさんの背中に隠れるんだよぉ。守ってあげるから」
「はぁい」
「ねぇ、キリエぇ。せっかく一緒の班になれたんだから、お願いがあるのだけどぉ」
 呼び止めたのはアメリア・イシアーファだ。キリエが首をかしげると、アメリアはぎくしゃくしているのがありありとわかるアリューシャたちを指差していった。
「アリューシャ、昨日のことですっごく傷ついていると思うのぉ。だからなにか慰めてあげられるような可愛いものを見つけてあげたいなぁって。それをプレゼントしたら、アリューシャの心の傷も少しは癒えると思うのだけどぉ」
 タコの触手の感覚を思い出して、キリエの背筋をぞわぞわしたものが走り抜けた。自分はすぐに助けてもらえたが、完全暴走状態になったタコにいいようになぶられて泣き出してしまったアリューシャは、確かに深い傷を心に負ったはずだ。キリエは真剣な表情でぶんぶんと首を振った。
「そうだね!それナイスアイデア。よーし、気合入れて探すぞー」
「アルトゥールも協力してねぇ」
「もちろん」
 アメリアと行動をともにしていたアルトゥール・ロッシュも、気持ちは良くわかったので快く承諾した。
 今日のアメリアは、はちみつ色の髪にも負けないくらい明るい色のひまわり柄のノースリーブワンピースと素足にサンダル、頭には麦藁帽子という夏コーデで決めていた。ワンピースの丈はやや短めで、すんなりとした白い脚がかがむたびに露出を大きくさせて、アルトゥールの胸をときめかせていた。本来の目的は清掃だったので、いちおうごみなどもきちんと支給された袋に詰め込んでいた女性陣だったが、あちらこちらに点々と散らばっている光物にキリエが突進していってしまい、気がつけばアメリアはアルトゥールと2人っきりになっていた。まあ別段キリエやアスリェイが視界からいなくなったわけではないのだが、あちらはあちらで和やかにお喋りしながら作業に没頭していてこちらを気にする様子がなかったので、アルトゥールは思い切ってアメリアの体を抱き寄せた。
「あっ……」
 瞬間、驚いたアメリアだったが、近づいてくる顔に自然に目が閉じられ、2人は甘いキスを交わしていた。抱き寄せられた拍子にアメリアの肩が片方はだけてしまい、なめらかな胸元もかすかにのぞいてしまう。優しいキスにうっとりしていたアメリアは自分の格好に気がついていなかったが、アルトゥールのほうが気がついて、顔を赤らめながらそっと乱れを直してやった。それでアメリアも気がつき、ぽっと頬を赤らめた。うつむきそうになった顔にもう一度アルトゥールがキスを贈る。アメリアが照れ隠しにえへへと笑った。
「急なんだものぉ。ちょっと驚いた……」
「嫌だった?」
「ううん!嬉しかったよぉ!」
 慌ててアメリアが言葉を返す。ちょっと強引だったかなと心配してしまったアルトゥールは、それを聞いてほっとしたような顔になった。アメリアも嬉しそうに微笑みかけたが、足元にきらきらしたものが点々と落ちているのを見て、ぱっとしゃがみこもうとした。その動きが勢い良すぎてバランスを崩してしまう。
「あっ!」
「アメリア!」
 とっさにアルトゥールが抱きとめる。アメリアがてへと笑って礼を言う。それから足元を指差した。
「ありがとう。ところでこれなにかなぁ?きれい……」
 アメリアの代わりにかがんでそれを拾い上げたアルトゥールが、手にしたものを光にかざした。 「なにかの装飾品の一部かな」
「嵐で壊れちゃったのかもしれないねぇ。でもペンダントにしたら素敵かもぉ」
「そうだね。ちょうど穴が開いているし。ほら、ここ。色も海色でいいね。きっとアメリアに似合うよ」
「ほかにも落ちているから、アリューシャとおそろいにしようっと」  穴の開いた碧玉を大事そうにアメリアが握り締めた。ペンダントではさすがに自分もおそろいにとは言えなかったアルトゥールが少しだけさびそうにする。アメリアが無邪気にもう一つ拾い上げてアルトゥールにはいと差し出した。
「アルトゥールにペンダントはちょっと合わないだろうけどぉ、これってブローチにもできると思うのぉ。マントにつけて?この色だったらアルトゥールの瞳の色にも似合うものねぇ。うふふ、これでアルトゥールともおそろい。嬉しいなぁ」
 アメリアの暖かな心遣いにアルトゥールは胸がじーんとなって、差し出された手を引っ張ると力強くアメリアを抱きしめた。
「僕も嬉しいよ」
「うん」
 アメリアが笑ってぎゅっとアルトゥールを抱き返した。
 海岸には排除されたはずのタコ型ロボットが鎮座ましましていて生徒たちをぎょっとさせていた。鈴が手をひらひらさせながら言った。
「心配するな。昨日みたいな事態にならないよう、今度はしっかりAIを搭載させて置いたから。ちなみに今度の機能はお宝分別だ。どうもごみもお宝もごちゃまぜになっているみたいだからな、こいつに判断させよう。ああ、そうそう。その機能はお前らに配った奴にも搭載してあるからな。銀かくんで吸い込めば自動的に分別して、ごみは集積所に、お宝は異空間に移動するぞ。ただし!生命体や生命体の所有物は吸いこめないようにしてあるからな。女生徒の服を剥ぎ取ろうとかしても無駄だぞ」
 鈴の言葉にどっと笑いが起こる。異空間に繋がっている袋は肩から提げられるようになっていて、さっそくホウユウ・シャモンが起動させながら浜辺を歩いた。
「なんか土産を持って帰らないとあいつらがうるさいだろうからな。役に立つものでも見つかればもうけものなんだが」
 まだ午前中とは言え日差しは結構きつい。片手に銀かくんの吸い込み口を持ち、もう片方で持った水筒からきんきんに冷やした麦茶を口に運ぶ。津波に襲われたと言っても、規模が小さかっただけあって散乱しているごみも大物はあまりなさそうだった。
「うーん、あまり期待できないかな」
「なにがですぅ?」
 ホウユウの呟きに反応したのはアクア・エクステリアだった。ホウユウは首をこきこき鳴らしながらつまらなそうに答えた。
「いや、大物はなさそうだからさ」
「津波も規模は大きくなかったみたいですからねぇ。だから浜辺には小さいものしかないじゃないでしょうか。きっと大きいものは打ち上げられずに海底に沈んでいるんですわ。さあ、皆様の出番ですわよ!」
 はーいと明るい返事がこだまする。ホウユウが見回してみると、幾人かの生徒が大きな網をよいしょよいしょと運んでくるところだった。アクアがなにやらその生徒たちに指示して、自分は潜息珠をくわえて海に飛び込んでいった。
「ああ、海底ね。それはありか」
 行動を納得したホウユウだったが、別に本気で大物狙いをしていたわけではないのでそちらはアクアたちに任せることにしてまた適当に海岸線を歩き始めた。そしてきれいな貝殻などを拾っていたのだが、ふとちょっと変わった形の貝殻に目が止まった。銀かくんの勢いに引っ張られてはいたのだから、生物ではないのだろう。しかしなにか不思議な感じを受けたのだ。拾ってしげしげ眺めていると、ルシエラ・アクティアが声をかけてきた。
「あら?それってもしかしたら……」
「わかるのか?」
「今昔世界にあった燕の子安貝じゃないかしら。んー、でもちょっと違う……ああ、わかった。これレプリカよ」
「レプリカじゃ別にこれといった効果はなさそうだな」
「そうでもないわよ。本物の子安貝だったら治癒能力を高めてくれるのだけど、これは……確かにその力はないけれど、安産のお守りにはなるわね。奥さん、確か妊娠中じゃなかった?あげたら喜ぶんじゃないかしら」
 ルシエラの鑑定にホウユウが顔を明るくした。
「安産のお守りか。確かにそれはいいな。なら土産にしてやるか。ありがとう」
「どういたしまして」
 レイスを使って周囲を見回っていたルシエラは、それくらいお安い御用だとばかりに軽く応じた。ほくほくしながらホウユウが去っていくのを見送りながら、ルシエラは海底に潜ったアクアの様子を探り始めた。アクアはけっこう深いところまで行っているようだった。近場ではたいしたものは発見できなかったらしい。異世界のお宝探しと聞いて怪盗の血を騒がせていたルシエラですら、これといったものを見つけられずにいたのだ。仕方がないよなーとルシエラは思っていた。
「本当に規模が小さかったのね。ちょっとがっかりだわ」
「せんせーい!なにか見つかりました?」
 清掃なんだかお宝探しなんだかわからない様子のキリエがぴとっとくっついてきてルシエラを見上げた。元気一杯といった感じのキリエに、ルシエラがにこっと笑いかけながら、手にしたものを強引に押し付けてきた。
「なんですか、これ」
「日焼け止めよ。こう日差しが強くてはねぇ。いまいちめぼしいものもないようだし、私は監視役に徹底させてもらうから塗ってちょうだい」
「え?あたしが?」
 キリエが戸惑っていると、ルシエラが額を小突いてきた。
「さんざん心配をかけてくれたんだから。これくらいは罪滅ぼしと思いなさい」
「はぁい」
 キリエが苦笑して、上着を脱いで砂浜に寝そべったルシエラにオイルを塗り始めた。
「キリエは何か見つけたの?」
「あ、こういうの見つけたんですけど、これって異世界のかわかります?」
 キリエがポケットから紅色の石のようなものを取り出した。わずかに金色の金具がついている。ルシエラはああと目を細めた。
「今昔世界の紅玉の首飾りの一部ね。鬼の宝なんだけど、別にこれといった効果はないわ。壊れてしまっているし。けど石はそれなりに高価なんじゃないかしら。記念にはなると思うわよ」
「わあ。アメリアたちが似たようなのを見つけて、アクセサリーにするって言ってたの。あたしも一緒に加工してもらおうっと」
「アクセサリーはいいわね。女の子ですもの」
 その間もルシエラは周囲の監視を行っていた。アクアは持っていった網を浜辺で待機していた生徒たちに引っ張らせてそれらしいものを引き上げていたが、今のところ収穫らしい収穫はないようだった。と、レイスが意志の実で鞄がいくつも漂流していることを報告してきた。転送してもらった情報は明らかに異世界のものであると告げていた。中身まではわからなかったが、何も収穫がないよりはましだ。レイスにそれらを浜に打ち上げるよう伝達すると、ルシエラは目を輝かせながら立ち上がった。
「先生?」
 急に身支度を始めたルシエラに、キリエが不思議そうに声をかけた。ルシエラはキリエの手を引いて歩き始めた。
「どうやら異世界から来た鞄が見つかったようよ。何が入っているのか確かめてみない?」
「あ、行きます!異世界からの鞄かぁ。なんかわくわくする〜」
「でしょう」
 そして他愛ないおしゃべりをしながら2人は歩き始めた。
 ジニアス・ギルツは割り当てられた区域でせっせと清掃作業にいそしんでいた。元々冒険者であるジニアスは、清掃しながらも異世界からの漂流物がないかあれこれ物色していた。銀かくんに任せてしまっても良かったのだが、それではやはり味気ない。それらしきものを拾い上げてはちとせに鑑定してもらい、その結果を楽しんでいた。
「ああ、これあの世界のか。また行ってみたいよなぁ」
 なんと交流が始まったばかりのラーグ世界からの漂着物もあった。バラの形をした結晶は半透明で美しかった。
「今は昼間ですからわからないと思いますけれど、それは月の光が当たると光るようですわ」
「ふうん。月光で光るなんてラーグのものらしいな」
 そうやってジニアスたちがわいわい騒いでいると、アリス・イブが後ろからぴとりとその背中に胸を押し当ててきた。いきなりふにっと柔らかい感触がしたので、ジニアスがいぶかしげな顔になって振り返る。アリスはわざとらしく胸を押し付けながらするりと尻をなで上げたりした。
「……イブ先生」
 動揺することの少ないジニアスも、アリスの微妙になれなれしい行動にはさすがに少々腰が引けた。ちとせが首をかしげた。
「先生?エクセル先生はあちらですわよ」
「わかっているわよ?」
 しれっとアリスが答える。その間もジニアスに擦り寄っていて、その意図がわからずジニアスは困ってしまった。アリスはジニアスが困っているのを見て、けらけらと笑いながらようやく体を離してくれた。
「いやぁね、ただのスキンシップなのに。おしゃべりもいいけれど、清掃にも励みなさいよ」
「スキンシップ……ま、いいか。清掃なら大丈夫ですよ。ちゃんとやらないとアンナに怒られそうですしね」
 確かにゴミ回収よりお宝探しに熱中しているような生徒をしかりつけているアンナの声はびしばしそこいら中に響き渡っていた。その声にアリスがうなずいた。
「それは言えてそうね。じゃあ頑張ってちょうだい。さて、と。次はローランド先生のところに行ってこようかしら」
 そのローランドはマニフィカと楽しそうに作業をしていた。ちとせがキリエの言葉を思い出して、なんとなくアリスを引き止めてしまった。
「今のようなスキンシップは、その……」
 せっかくマニフィカとうまく行っていると言うのなら、あまりややこしい事態にはしないほうが良いだろう。しかしはっきり止めるのも、アリスが本当にローランドを好きならば良くないのではないだろうかとちとせは考えてしまった。アリスがちとせの頭に手を乗せた。
「別にあの2人の邪魔をしようとか思っているわけじゃないわよ。ローランド先生って、からかうと反応が面白いでしょう?それを楽しみたいだけ。ついでに、まだちょっと距離があるようだから、それでもっと親密にさせてあげようかしらってね」
「あら、それは言えますわね」
「何の話だい?」
 女性同士で通じ合われてジニアスが不思議そうになる。アリスとちとせは目配せで分かり合って、別れる。顔に疑問符を貼り付けているジニアスに向かってちとせが明るく作業の続きをうながした。
「うわっ!?あ、ひょっとしてイブ先生ですか?」
 遠くからローランドの叫びが聞こえてきた。どうやら手で目隠しして胸を背中に押し付けたらしい。マニフィカの「あーっ」という声も聞こえてきた。にぎやかな様子にちとせがくくっと笑った。
 海底から上がってきたアクアは、せっかく引き上げた代物がどれもただの岩だったり魚だったりしてがっかりしていた。網の中でぴちぴち跳ねている魚を海に帰してやりながら、ため息をついていると、ルシエラがやってきた。
「あ、ねえ、ちょうど良かったわ。なんだか異世界から鞄がたくさん流れついているみたいなのよ。レイスたちに浜に打ち上げるよう命じたんだけど、ちょっと難しそうなの。だからその網で引き上げてやってもらえないかしら」
「異世界の鞄ですかぁ。中身はなんなんですか」
「引き上げてみないとそれはちょっとわからないわねぇ。でも嵐でも壊れないような鞄に入っているならいいものかもしれないわよ」
「それは楽しみですぅ。じゃあみんな、もうひとふんばりですわよ」
 待機していた生徒たちも楽しそうに歓声を上げた。場所を聞いてアクアが網を持って再び海に入る。散らばっている鞄を術で集めて、全部すくい上げるように網を広げると、生徒たちが掛け声をあげながらそれを引っ張った。
「なにが見つかったのですか」
 読書家のミズキ・シャモンは、どうせ己の知識欲を満たしてくれるような書物は流れ着いていないだろうと、清掃そっちのけでお宝探しに熱中している生徒たちを叱りながら巡廻をしていたが、アクアたちが引き上げた鞄を浜辺に広げているのを見て近寄っていった。嵐にも壊れなかった鞄ならば、あるいは本が入っているかもしれないと思ったのだ。アクアとルシエラがきゃいきゃい言いながら頑丈そうな銀色の鞄を開けようとしていた。鞄には鍵がかかっていたが、ルシエラが気付かれないようにこっそりその鍵を開けた。
「んー?洋服?」
 入っていたのはローブや帽子だった。ルシエラが広げてそれを眺めた。
「あらこれ、チェス世界のだわ。黒いのは穴が開いちゃっているわねぇ。すすけて灰色になっちゃってるのもあるし。でもこの形状は魔術師や神官のものね。情報収集するときくらいには役立つかしら。穴の開いた奴は使えないだろうけど」
 それでも衣装としてなら使えそうだったのでルシエラがしまいこむ。ミズキが残念そうに口を尖らせた。
「書物はなさそうですわね」
「あ、これには本が入ってましたよぉ」
「え、本当?……って、絵本じゃありませんか」
 アクアが差し出したのは確かに絵本だった。表紙に『まっくろ怪盗ゼロと真・まっくろ怪盗ゼロ』と印刷されてあった。アクアがなだめるようにミズキの肩に手を置いた。
「これってチェス世界で人気のシリーズなんですよぉ。きっと誰かが入れておいたのが流されてしまったんでしょうねぇ。奥付からして少し前に発売されたものみたいですけど、このシリーズはどれも人気がありますからねぇ。あの世界に行って見せたら、子供が喜ぶと思いますよぉ」
「子供をてなづけてもねぇ。でもまあ、本には違いないからもらっておきましょうか」
 ミズキがぱらぱらと絵本をめくっている間に、アクアは網に引っかかっていた瓶を拾い上げていた。中に紙切れが入っている。ふたを開けて丸まっていたそれを広げ、印刷されていた文字に目を通した。
「キャビネット探偵社割引券?ああ、でも有効期限が切れていますわ。では仕方ありませんねぇ……あ、期限後でもいちおう30%は割引してくださいますの。ふうん、なら使えるかしら」
 そしてうっかり破いてしまわないようにまた瓶に戻してしまいこんだ。
 他の生徒たちは缶を見つけてわいわい言いながらふたを開けていた。中から出てきたのはなにやら光る物体だった。腕に貼り付けてみると、その光は前方を明るく照らし出していた。
「おお、光る光る」
「こっちも同じかな。わっ」
 別の生徒が開いた缶からは、開けた瞬間に輝く羽虫が高速で舞い上がった。その虫はまるで昼間の花火ように輝きながらしばらくあたりを飛び回っていた。
「あらきれいね」
「どうやらフルーツ缶大の缶が懐虫コミネジ入りで、飲料缶みたいな奴に懐虫コネジが入っているみたいですねぇ」
「ああ、ヴェルエル世界にいるあの虫ね。話には聞いていたけれど、こんなに強い光を放つとは思わなかったわ。もっとも懐中電灯代わりになるってことだから当然かしら」
 コネジのほうは寿命が短いらしい。腕に貼り付けたコミネジはまだ光っていたが、コネジはのんびり話しているうちに光が消えて虫も霧散してしまった。
「……虫?」
 コミネジを腕に貼り付けた生徒が、虫と聞いて少し気味悪そうな顔になった。どうやら虫は苦手らしい。今は光のほうが強くて形が良くわからないので我慢できているようだが、ひっぺがそうがどうしようか迷っているようだった。アクアが脅かすように言った。
「確かその光は24時間続くはずですよぉ。で、光が消えたら小さなナメクジみたいになってしまうはず」
「んぎゃっ」
 ナメクジと聞いてさすがに耐えられなくなったのだろう。はぎ取ってべしっと砂に叩きつける。コミネジはそれでも光っていた。その光に誘われたのか、アンナがやってきた。そして話を聞いて楽しそうな顔になった。
「ナメクジなんてキモカワいいじゃありませんの。24時間も光り続けるなら便利でしょうし。こっちの缶に入っていますの?もらってゆきましょうか」
 平然としているアンナの背後を、グラント・ウィンクラックがリリア・シャモンの手を引っ張りながら忍び足で通り過ぎていった。一番やかましいテネシーは遠くの班だったし、ミズキも話に混じってこちらを気にしている様子はなかった。見張られている手前しぶしぶ清掃に参加していたグラントだったが、人手はそれなりに足りているし、道具もそろっている。だからすでに海岸はだいぶんきれいになっていた。海中もアクアのおかげできれいになっているはずだ。せっかくの最終日にデートしないではいられない。見張り役の目がそれている今がチャンスと、リリアを連れ出したのだ。
「ここまでくれば大丈夫かな」
「これからどちらへ行かれますの?」
「せっかくだから海中散歩に出かけようぜ。武神先生から海中アイテムを借りてきたんだ。オイルと薬。塗ってやるよ」
「お願いいたします」
 これまで休みなくはしゃいでいた分、さすがに多少の疲れを感じていたグラントだったが、2人っきりの海中散歩はやはり魅力的だった。リリアのために鈴にわけてもらった撥水耐圧オイルを滑らかな肌にくまなく塗ってやる。オイルはすぐに乾燥するタイプだったが、やはり多少はぬるぬるする。うっかり手を滑らせて胸に触ったりしてしまったが、触れられる感触が気持ちいいのだろう、胸や尻に触れられてもリリアもうっとりした顔で大人しくしていた。
 塗り終わり自分も鎧をまとって海中仕様の格好になると、グラントはリリアに固形酸素の錠剤を渡した。
「これを口に含んでいれば水中でも呼吸には困らないそうだ。さあ、行こう」
「はい。楽しみですね」
 そして手に手を取って海中に姿を消したグラントとリリアだった。
 呼吸には困らないと言ってもさすがに言葉は交わせない。だが幸福のペンダントの効果で互いが楽しんでいるという気持ちはしっかり伝わってきていた。熱帯の色鮮やかな魚の群れに遭遇してリリアが喜ぶ。2人は魚と一緒に泳いだり、海底から襲い掛かってきた大だこを協力して倒したりと、楽しい時間を過ごした。合間にグラントがそっとキスを送ると、リリアも自ら唇を寄せてきた。
 そうやってしばらく時を過ごしていたグラントたちだったが、やがて海底につき、手をつないでゆっくり歩き始めた。光はあまり届かなかったが、心が通じ合っているので不安はなかった。
 特にお宝を狙っていたわけではないグラントだったが、見つかればラッキーとは思っていた。リリアもその気持ちを感じ取っていたので、歩きながら海底の様子を探っていた。と、こつっとなにかが足に当たった。拾い上げてみると、欠けた石の鉢だった。形状に心当たりの合ったグラントがはっとした。
『グラント様?』
『今昔世界にあった仏の御石の鉢じゃないかな?欠けてしまっているけれど』
『そうなんですの。何か特殊な効果があるのですか?』
『欠けているからどうだろうな』
 本来の力はどんなに強い酒を飲んでも悪酔いしないというものだったが、欠けてしまった分、効力は落ちているだろう。だが酒に関する効果はなにかしらあるはずだ。酔っ払ったリリアに脱ぎ癖があることを知っていたグラントは、下心を隠してそれを抱えこんだ。
 時間はそろそろ昼になろうとしていた。それぞれに清掃やらお宝探しやらに精出したおかげで、海岸はようやく元の状態に近くなってきた。テオドール・レンツはほてほてと海岸線を歩きながらお友達になれそうなぬいぐるみなど探していたが、残念ながらそういうものは流れ着いていないようだった。しかしあまり気にすることなく歩き続けていた。近くでは宝飾品の欠片やきれいな貝殻を見つけた生徒たちが「可愛い」だの「きれい」だのと騒いでいた。
「かわいいってどういうことなのかな〜。ママも良くボクを抱きしめてかわいいって言っていたけれど。これってやっぱり人間特有のこころのうごきなのかなぁ」
 はしゃぎ声を聞いて考え込むテオドール。そうしているうちに砂浜を抜けてしまい、いつしかテオドールは岩場へとでていた。そこではアリューシャとアルヴァートがごみ拾いをやっていた。2人の様子はテオドールから見てもどこかいつもと違って見えた。
「こころのうごきっていえば、アリューシャちゃん、夕べはなんかいつもと違っていたみたいだけど?みんなも焦っていたものね〜。どうしてなんだろう。よし、聞いてこようっと」
 旅行中ずっとメモを取っていた手帳とペンを取り出し、テオドールはさっそくアリューシャたちに向かって走り始めた。
 タコ事件の痛手は鈴が謝ってくれたおかげでだいぶん和らいではいたが、侘びといってもらった薬のせいで変わってしまった体が気がかりで、アリューシャはなんとなくアルヴァートに対して照れてしまっていた。そうでなくともちょっとしたはずみで夕べの己の所業を思い出してしまうのだ。変な食べ物のせいだとわかってはいたが、思いがけない自分の大胆さが恥ずかしくて、アリューシャはアルヴァートの顔をまともに見られないでいた。
 キャンプファイアーでの一件にどぎまぎしていたのはアルヴァートもだった。
『正気じゃなかったとはいえ、アリューシャから体を絡ませてあんな激しいキスなんて……うあーやばい。思い出しただけで顔から火が出そうだよ。こんなんじゃ顔が見られない。なんて話しかけたらいいのかもわからないよ』
 悶々と悩み、結果として2人はぎくしゃくとしながら作業を進めていた。そんな悩みにはまったく気付かなかったテオドールが、のんびりとアリューシャに声をかけてきた。
「ねえねえ、アリューシャちゃん。夕べはどうしちゃったの?なんだかいつもと違っていたね〜。どうしてそうなっちゃったの?」
 無邪気な問いにもアリューシャがぎくりと体をこわばらせた。
「ゆ、夕べはですね、その……」
 困ったような顔を「悲しそう」と思ったテオドールは、てててっと近寄ってアリューシャをなぐさめようとした。まだまだ感情の理解は完全ではなかったが、誰かが悲しいと自分も悲しいのだとテオドールはおぼろげに理解していた。
「悲しいの?アリューシャちゃんが悲しんでいたら、アルヴァートちゃんも悲しんじゃうよ〜」
「テオ……」
 優しい言葉に少しだけほっとして、アリューシャは駆け寄ってきたテオドールを抱き上げた。テオドールが頬を撫でる。柔らかな毛の感触になぐさめられて、アリューシャはぎゅっとテオドールを抱きしめた。その親密な様子にアルヴァートがぷつっと切れた。
「ええい、このバカクマ!うるさいんだよ!どこかにいきやがれっ」
 反射的に銀かくんの吸い込み口を突きつけてテオドールを吸い込もうとする。厳密には生物とは違うテオドールが、アリューシャの手の中から銀かくんに吸い込まれそうになってしまった。
「あ〜れ〜」
 突然のことにびっくりして無意識に尻尾をぽんとふくらませながら、アリューシャは銀かくんに吸い込まれそうなテオドールを必死に掴んだ。そして焦りながらアルヴァートに声をかけた。
「ア、アルバさん。テオに悪気はないのですから」
「アリューシャに近づくなったら」
「アルバさ〜ん」
「うっ」
 はったと互いに避けていた視線が合う。今日ようやくまともに見られたアリューシャの顔は困り顔だった。アルヴァートとてアリューシャのこんな顔を見たかったわけではなかった。テオドールへの苛立ちとアリューシャへの気遣いの間で葛藤していたアルヴァートは、しばらくそのままでいたものの、やがて銀かくんのスイッチを切ってため息をついた。抵抗がなくなってほっとしたアリューシャは、テオドールを地面に降ろすとかがんで目線を合わせながら質問に答えた。
「あれは意識してやったのではないのですわ。うっかり妙なものを食べてしまったせいなんですのよ。だから誰が悪かったというわけではなかったのですけれど、やっぱり自分らしくない行動が恥ずかしくて、それで困ってしまいましたの。でもそうですわね。あまり気に病んでいたらアルバさんに申し訳ありませんわね」
「うん、そうだよ〜。アリューシャちゃんが笑っていると、アルヴァートちゃんもうれしそうだものね。これってアルヴァートちゃんがアリューシャちゃんをたいせつに思っているからなの?たいせつにするってこういうことなのかなぁ」
「いいから消えうせろっ」
 のほほんとした言葉に、腹立ちが収まっていなかったアルヴァートがテオドールを蹴り飛ばした。
「アルバさんってば」
 胸のことを忘れ背後から抱きついてアルヴァートを止めたアリューシャだったが、直後にはっと思い出してばっと飛びのいた。顔が真っ赤になっている。抱きつかれたことでアルヴァートもアリューシャの体がいつもと違うことに気づいた。
「あれ……アリューシャってこんなに胸あったっけ……?」
「え、ええと、ですね。これにはちょっとした事情がござ……きゃっ」
 ずりずり岩場を後ずさりしていたアリューシャが、うっかり足を踏み外してしまった。
「危ない!」
 すかさず飛び出して転落しそうになったアリューシャをアルヴァートがすくい上げるように抱き上げた。
「大丈夫かい、アリューシャ」
「ありがとうございます。助かりました」
 アルヴァートはアリューシャを姫抱っこしながら安全な場所に連れて行った。いたわりの気持ちが伝わってきて、アリューシャの心から罪悪感が消えていく。大人しく運ばれながらアルヴァートにささやきかけた。
「ねえ、アルバさん。テオは心の研究をしているからあんな風に聞いていらしたのですわ。けれど、自覚はなくともちゃんと悲しい気持ちや辛い気持ちというものをわかっているのだと思います。それでわたしをなぐさめようとなさった。わたしだけでなく、アルバさんのためにもね。わたしが悲しいとアルバさんも悲しいんだっておっしゃってましたでしょう。ですからあまりきつくあたったりしないでくださいませね」
「う、うん。悪気があったわけじゃないって言うのはわかっていたんだ。ただ、その……昨日のことでアリューシャの顔をまともに見られなくて、苛々してしまってたんだ。八つ当たりだったな。反省しているよ」
「ふふ、わたしたち、同じ気持ちでいたんですのね」
 ぎくしゃくした雰囲気が、いつものほんわりとしたものに変わっていく。蹴飛ばされて転がっていたテオドールは、その雰囲気に「たいせつに思う」という感情を学んでいた。
 適当なところで降ろしてもらったとき、アリューシャの視界に淡い紅色に光るものが飛び込んできた。
「あら、なんでしょう」
「何か見つかった?」
 それはかんざしの飾りが壊れたもののようだ。細工はキレイなのだが、金具が切れてしまって髪にはつけられそうになかった。ひょいと顔をのぞかせたちとせが、アリューシャが拾ったものを鑑定してくれた。
「今昔世界の鬼の宝に、珊瑚のかんざしがあるのですけれど、どうやらそれのようですわね。これではかんざしとしてはもう役にはたたないでしょうけれど、珊瑚ならば良い記念品になりましてよ。珊瑚は海のものですし、それなりに大きいですしね」
「まあ、鬼の宝なんですの?では貴重なものなのですね。あ、あら」
 珊瑚はそう硬いものではない。嵐でひびでも入っていたのか、アリューシャが手の上で転がしていたら2つに割れてしまった。とはいえ元々それなりの大きさがあった奴だ、2つになってもそれなりの存在感があった。アリューシャはそのうちの1つをアルヴァートに渡した。
「これでおそろいですわね」
 にっこり笑うアリューシャを、感極まったアルヴァートががばっと抱きしめる。温もりが心地よくて、アリューシャはそっと目を閉じ、アルヴァートの胸に顔をうずめた。
「2人が暖かくなって良かった〜。たいせつにするってこういうことなんだね〜」
「テオったら。ええ、そうですわ。あら?ところで何を持っていらっしゃるのですか」
 アリューシャが幸せそうにしながら顔だけテオドールに向けたが、テオドールが手にしているものを見て首をかしげた。テオドールは手首に通していたが、どう見てもそれは首輪だった。サイズから言って中型犬用のものだろうか。テオドールも言われるまで気がつかなかったらしい。
「え?なんだろ。転んだひょうしにはまっちゃったのかな」
 そして手をぶらぶらさせながらそれを見つめた。
「うむ?それをちょっと見せてくれたまえ」
 ぶらぶらしていてそこにやってきた鈴が首輪を検分する。内側に「ジョリィ」と名前が書いてある。調べていくうちに鈴の目がわくわくと輝いた。
「どこの世界のものかわからないが、こいつにはGPS機能がついているぞ。厳重な防水加工もされている。ということは少なくともそれなりの技術を持った世界のものだな。もしかしたらソラリス太陽系のものかも知れぬ。首輪ということは、GPSは迷子防止用かなにかだろうが。ふむ、このサイズならテオドールの首にはめたらちょうどいいかも知れんぞ」
「ボクは迷子になったりしないよ〜」
 反論しながらもなんとなくその首輪をはめてみる。鈴の言葉どおりそれはテオドールの首にぴったりフィットした。
「……ボクは犬じゃなくてクマなんだけど」
「可愛いですわよ」
「首輪をつける犬なら愛玩用だろう。愛玩ならテオにも当てはまるんじゃないのか」
「GPSで事前に来るのを察知できれば、邪魔もされないな」
 アルヴァートがむすっと言うと、アリューシャが苦笑した。鈴はニヤニヤし、テオドールだけがきょとんとしていた。
「あ、いたいた〜。そっちは終わったの?そろそろ戻る時間だって〜」
 呼びに来たキリエの声にアルヴァートが肩の力を抜く。アリューシャがアルヴァートの手を引いた。
 反対側の隣をテオドールが歩いてアリューシャとおしゃべりを始めてしまったので、アルヴァートは前にいたキリエに話しかけた。
「そういえばキリエは悩み事が解決したんだって?良かったね」
「あ、聞いたの?うん、そうなんだ。アルヴァートたちにもたくさん心配かけちゃったね。ごめんね」
 キリエの言葉にアルヴァートは軽く首を振った。
「キリエが元気になったんだったらそれでいいんだ。謝らないで」
「わかった。じゃあ、ありがとうだね!」
「そうそう、キリエはそうでなくちゃ」
 元気なキリエにつられるように、アルヴァートも元気を取り戻していった。
 清掃作業中、遠泳で無人島まで避難していたグラハムは、のんびりひなたぼっこしながらエリナと久しぶりに会ったテネシーの話などしていたが、おなかがすいてきたのでいったん宿に戻ろうかと浜に戻ってきた。浜では最後の後片付けをアンナがしている脇でテネシーが点呼を取っていた。
「ん、そっちも終わったのか?」
「グラハム様!」
 不意をつかれてテネシーが赤くなる。昨日に引き続いての珍しい行動に生徒たちがひそひそと私語を交わす。テネシーはじろりとそちらをにらみつけてから、平静を装ってグラハムを見上げた。
「これで旅行の予定はすべて終わりました。あとは昼食を取って学校に戻ります。グラハム様は?」
「俺はもう一泊する予定だ。そうか、もう帰りか。気をつけてな」
「ありがとうございます」
 穏やかに会話をするグラハムとテネシーのかたわらでエリナは少しさびそうな顔をしていたが、グラハムがテネシーの頭を撫でて最後の挨拶をし振り向いたときには、それは押し隠していた。
「あのっ」
 頭に置かれた手が離れてしまったことを寂しく感じたテネシーが思わずグラハムを呼び止めた。
「また、会えますよね」
 うぶな少女のように頬を染めているテネシーが可愛くて、グラハムはもう一度頭に手を乗せた。
「当たり前だろ。次の仕事は一緒にやろうな」
「はい」
 はにかんだ微笑みは普通の少女と同じで、テネシーを恐れていた生徒たちさえもがなんとなくほんわかした気持ちになった。
 ごみが片付き、お宝と思われるものは純水洗浄されたのち学園に持ち帰るべくバスに積み込まれ、昼食を済ませた一行はぞろぞろと駐車場に向かった。アスリェイがエチケット袋を配り歩く。乗り込む前に締めの挨拶をしたのはエルンスト・ハウアーだった。
「こほん。えー、今回の臨海学校もこれで終了じゃ。これといった事故もなく終わったのは良いことじゃ。しかし、思い返せば大きな波乱もあった。例えばキリエ君があくまで妹として兄を振り向かせると宣言した、妹萌え事件」
「きゃーっ」
 キリエの悲鳴に場がどっと沸く。ローランドは苦笑いしていた。エルンストは悲鳴を無視してしれっと言葉を続けた。
「また、諸君も知っているように朴念仁と思われたローランド君じゃが、彼もせまり来る色気には抗しきれなかった。そう、ひと夏の経験を経て、ついにお手付きとなったのじゃ!」
「ハ、ハウアー先生っ。それはっ」
 今度はローランドが慌てふためいた。寄り添っていたマニフィカも周囲に視線を注がれて真っ赤になってしまった。キリエが仕返しとばかりにローランドをつんつんとつついた。エルンストがそれらの反応を見てにやっとした。
「それによってキリエ君は小姑として覚醒することにしたそうじゃ」
 つんつんつついて遊んでいたキリエが、思わずばんと背中を叩いてしまい、ローランドがけほけほとむせる。マニフィカがそっとローランドの背中をさすった。その間にもエルンストの演説は続いていた。
「まあ、ほかにもそれぞれ仲良くやっておったようじゃが、少なくとも2人の若者がいろいろな意味で確実に人生のレベルアップを果たしたのじゃ。実に、じーつーにー!めでたい!」
「大げさですよ……」
 力なくローランドがぼやく。エルンストがちっちと指を振った。
「他の参加諸君も、良い見本としてこの兄妹を生暖かく見守って欲しい」
「生暖かくって……ちょっと、なんか違うような……」
 エクセル兄妹がそろって頭を抱える。エルンストはふぉふぉふぉと笑っていた。
「と言うわけで諸君、帰りのバスではローランド君とマニフィカ君、キリエ君を祝福してレッツ・パーティーじゃあーーーー!さあさあ乗り込んだ乗り込んだ。忘れ物のないようにな。帰り着くまでが臨海学校なのだということをゆめゆめ忘れてはならんぞ」
 生徒たちをせかしているエルンストを見ながらキリエが口を尖らせた。
「ん、もう。ハウアー先生ってば」
「ま、まあ悪気はないんだろう。ほら、キリエとマニフィカも乗り込みなさい」
「ああ、ローランド先生。帰りは鈴先生がナビをしてくださるそうだから、先生はお好きな席へどうぞ」
 運転席で待機していた隆紋がローランドにそう声をかける。マニフィカが嬉々としてローランドの手を掴んだ。
「隣に座ってくださいませ」
「あ、うん。大丈夫、かな」
 運転席と助手席で楽しそうにしている隆紋と鈴を見やってローランドが呟いた。
「そうだ、説明しておかねばな。諸君にはこの帰り道で気力と胆力を鍛えてもらうが、万が一の時には酸素マスクを使うように。上から降りてくるから。それと非常口は左右の後方、中央、前方の計6箇所に設けてある」
 隆紋がぽちっとボタンを押すと、緑のランプが点灯した。
「いつの間に……」
「無論、事故には気をつけるが、念のため今朝改造しておいてもらったのだよ」
「使わずにすむことを祈ります」
 ローランドがはぁっとため息をついた。グラントはリリアを窓際の席に座らせて、話しかけようとするファンクラブの野郎どもをけん制していた。
「酔い止めの薬を用意してあるから、心配な奴は言ってくれな〜」
 過酷であろう運転を想像してアスリェイが呼びかけると、われもわれもと手があがった。
「しがみついていても良い?」
 アメリアが甘えるようにアルトゥールに言うと、アルトゥールから手を伸ばしてその肩を抱いた。
「しっかりつかまっていて」
「うん!」
 席に着くなり爆睡し始めたのはアンナだ。海岸清掃が思いのほかうまくいったので、達成感と心地よい疲労に包まれたのだ。深い眠りはどんな荒っぽい運転でも破られそうになかった。
「どうやら帰りもとんでも運転になりそうですし、抱えていてもらえませんか」
 ちとせはクッションをぎっしりつめこんだバスケットにすっぽり埋まってふわふわとキリエの席にやってきた。キリエはうっかり離してしまわないよう自分のシートベルトを確認して、ちとせのバスケットをしっかり抱え込んだ。
「全員乗ったか?では、チキンレースにしゅぱーつっっ!!」
 言葉が終わるか終わらないかのうちにバスが轟音とともに動き始めた。今度は海の景色を楽しむ必要はないので、くねくね曲がる道を威勢良く左右に揺さぶられながらバスは進んでいった。
「あん、もう。ガイドどころじゃないわね」
 立ち上がることすら出来ない揺れに、ルシエラがつまらなそうに顔をしかめる。アメリアはキャーキャーいいながらアルトゥールにしがみついて、アルトゥールをどぎまぎさせていた。グラハムのことでテネシーをからかって逆にお説教を喰らっていた生徒も、蒼白になって無意味にぺこぺことテネシーに謝り始めた。
「ロ、ローランド」
 とっさに名前で呼んでしまったことにも気付かず、マニフィカがローランドにすがりつく。ローランドはひきつりながら一生懸命にマニフィカをなだめた。この程度の恐怖ならまったく平気なエルンストが、前の席のそんな2人の様子に「これぞ青春じゃの〜」と面白そうにあごひげを撫でてていた。
「うわ〜ん、これって行きよりすごいよ〜」
 キリエがちとせのバスケットを握り締めながら悲鳴を上げた。バスはちょうど海岸線を抜けようとしているところだった。この先はそれなりに混む道だ。おびえながらローランドが事故を心配していると、ナビをしていた鈴がなにやら見慣れぬスイッチを押すのが見えた。
「おっ?」
「わっ!?」
「えっ?」
 スイッチを押すなり、前方になにやら穴が出現した。隆紋が鼻歌を歌いながらその穴の中にバスを突入させていく。穴の向こう側はなにやら変な空間だった。薄暗くなり、周囲の風景が消え去る。窓の外は怪しげな光に満たされていた。
「わっ、リリア!?」
「はい?」
 リリアの服がどことなくすけて見えて、グラントが慌てて抱きついてその体を隠そうとした。
「なんだかグラント様の体が三重になっておりますわ」
「なんだそりゃ。ここはいったいどこなんだー!」
 混乱したグラントが叫ぶと、鈴の高笑いが聞こえてきた。
「ワープゲートエンジンを搭載したのだよ。諸君、しばし異次元の旅を楽しみたまえ」
「やっぱりマッドサイエンティストだ……」
 ぎりぎりと歯噛みしているアルヴァートの隣りで、お土産の袋を手放さないようにしながらアリューシャは目を閉じていた。2人の手はぎゅっと握り合わされていた。
「最後まで騒動ですわね。まあ、うちの学園らしいですけれど」
 のんびりとしたちとせの言葉にキリエがわめいた。
「こんな騒動はいらないよ〜早く着いて〜」
 それは他の生徒も同じ気持ちだった。謎めいてもやもやした空間を、立ち込める悲鳴やらうめき声やらを乗せたバスは学園に向けてひた走って行った。

高村マスターシナリオトップP
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