ゲームマスター:高村志生子
臨海学校のイベントも正式に決まり、出発を間近に控えたある日。ルシエラ・アクティアは図書館に来て過去の新聞記事のチェックをしていた。調べているのはローランドが遭遇したという15年前の海難事故のことだった。プールでさえ嫌がるほどのトラウマをもたらした事故なら、必ず記事になっているはずだ。マイクロチップに収められた様々な記事の中から、海の事故に絞って検索をかけていく。パソコンの画面を見つめる目はいつになく真剣だった。 「あった。多分これのことね」 それはちょうど15年前の今頃に起きた海難事故の記事だった。異世界とのつながりが乱れて大嵐がおき、大型客船が沈没したというものだった。死者の名前は多数出たためか要人以外は発表されていなかったが、逆に生存者の名前が全員公表されていたのだ。その中にローランドと言う名の12歳の少年がいた。苗字はエクセルではなかったが、事故の後キリエの両親の養子になったのだとすれば説明はつく。かちゃかちゃとキーを操作して関連記事を探してみると、一枚の写真が見つかった。どうやら慰霊祭の様子を撮ったものらしい。幼いローランドが沈痛な表情で大きな花束を慰霊碑にささげている姿が映っていた。すぐ後ろにキリエに良く似た面立ちの夫婦らしき男女がいる。女性のほうは赤ん坊を抱きかかえていた。 「どうやらアルトゥールの推測が大当たりだったようね。生存者のほうが少なかったみたいだし。まあ、原因が原因ってのもあるんでしょうけど。これじゃトラウマになるのも仕方がないかも」 ローランドの水の怖がり方は尋常ではなかった。やっとプールの水を眺めていられるようになったとはいえ、いざ入ろうとすると足がすくむらしく、うずくまってしまうのだ。船上観光が予定として発表されたときもひそかにため息をついていた。船の沈没事故でのトラウマなら、船に乗るのはそりゃ嫌だろう。しかしこのままでいいはずもない。トラウマの克服が出来るかはわからなかったが、妹のキリエとの距離が微妙に離れてしまっているように見えるのはいただけなかった。せめてそれだけでも何とかしてやりたいと思った。 風紀委員会では決定した旅程のパンフレットを広げながら、テネシー・ドーラーが直前の最終確認を行っていた。 「宿への到着はお昼少し前になるそうですわ。先にチェックインして、お昼は船上で取る予定です。時間は2時間ほど。戻ってから夕食までは自由行動。夜の準備があるためです。肝試しの組み合わせもその間に決めておくそうですわ。夕食後にロビーに集合して肝試しに向かいます。肝試しはそうですわね、人数がそう多くないのでやはり2時間程度とみておけばよいでしょう。就寝予定時刻は11時です。起床時刻は6時です。見回りの順番はわかっていますわね。注意点も。わたしが全体指揮を執りますので、なにかありましたらすぐに報告してくださいませ。アクティア先生からレイスやその仲間をお借りして行きますので、連絡用に使ってください。出発前の全体集会で注意事項は生徒たちに伝えておきますが、万が一ということもありますからね。皆様も気を抜かないように」 レイスというのはルシエラが飼っている(?)ゴーストだったので、それを連絡係に使うのは気味の悪い話だったが、風紀委員たちにとってはテネシーのほうの怖さが勝っていた。 そして出発前に行われた全体集会で、予告どおりテネシーが壇上に立った。テネシーはさすがにここでは竹刀は持っていなかったが、十二分に迫力のある視線で集まった面々を見回した。 「パンフレットにも記載されておりますが、夜間の無断外出、男女部屋の行き来は厳禁です。部屋でのタバコや飲酒も禁止です。各日就寝予定時間は11時、起床時間は6時です。朝食は7時から8時の間。夕食は6時から7時の間となっておりますので、時間に遅れないようにしてくださいませ。お昼は初日とオリエンテーリングのときは宿から提供されますが、あとは各自自由ですので、学園の生徒として節度ある行動を心がけるように。くれぐれもナンパやカツアゲ、ケンカには気をつけてください。絡まれたら近くの教師か風紀委員に知らせること。売ることは……絶対にしないように。もし規則を破りましたら……」 そこでいったん言葉を切り、まるで人が殺せそうな冷ややかな目で全員を見つめた。そして目の迫力はそのままに、表情だけは冷静な顔で再び口を開いた。 「見回りは昼夜問わず随時行いますので、見つからないだろうという甘い考えはお捨てください。発見したら証拠を押さえて翌日厳しく処罰いたします。イベントへの参加禁止の上、イベント中しっかりお説教いたします。少なくとも正座で聞く覚悟はしておかれますように。よろしいですわね」 浮き立っていた雰囲気がテネシーの言葉にぴーんと張り詰めたものに変わる。そのくらいテネシーの言葉には冷たい迫力があった。動じないものも中にはいたが。 集会の後、職員室ではちょっとした騒動があった。 「え?往復の運転を猫間先生がされるのですか」 ローランドの言葉に猫間隆紋が嬉しそうな顔でうなずいていた。 「先日、別の世界で大型車の仮運転免許を取ったのだよ。それで次の路上研修までの実践教習にちょうどよいと思ってな。学園長の許可はもらったぞ。運転手代の経費削減にもなるからな。まあそれにしてもマニュアル車は難しいの。半スクラッチは足が吊りそうじゃ」 ボソッと言われた台詞にローランドが顔を引きつらせる。それに気付かず隆紋は嬉々とした顔のままローランドに言った。 「それでな、ナビをローランド殿にお願いしたいのだが。同じ島内だから迷ったところで大した問題にはならんだろうが、時間制限があることだしな。いかがかな」 「わかりました。ルートを調べておけばいいんですね」 こわばった顔のままローランドが承諾する。「ハンドルを握ると豹変する性格だったらどうしよう……」という誰かのひそひそ声が聞こえてきたが、隆紋はしらっと無視して笑った。 「私の運転を怖いと思う生徒がいるかも知れぬが、それも仲良うなるよいきっかけとなろう。恐怖体験の共有は何よりの心の接着剤だから、のう」 「安全運転でお願いしますよ」 懇願するようにローランドが言う。隆紋は笑ってそれも無視していた。 そして出発当日がやってきた。隆紋は一番乗りで運転席で待機していた。集まってきた生徒たちが運転席にいる隆紋を見てぎょっとした顔になる。あきらめ顔のローランドが席順を告げて乗るよう促していた。 「エクセル先生、これはどこに積んだらいいですかぁ」 マニフィカ・ストラサローネがなにやら大きな荷物を指差してローランドに声をかけてきた。 「なんだい、それ」 「水泳大会用のライフジャケットですよぉ。用意は万全にしておかないといけませんものねぇ」 量からして全員分用意したのだろう。ローランドがバスの中央にある荷物置き場の扉を開いてそこに置くよう指示した。マニフィカ1人では大変そうだったので、ローランドも手をかして荷物を積み込む。マニフィカは置き終わると、自分用の荷物を持ってローランドに問いかけた。 「先生、どちらの席に座られるのですかぁ」 「僕はナビ役だから一番前だよ」 「お隣に座ってもよろしいでしょうか?」 「空いているから別に構わないけど……大丈夫かい」 なにがとは言わなかったので、マニフィカは普通にうなずいた。 「お話したいこともありますしぃ。よろしくお願いいたしますぅ」 「……話する余裕があるといいんだけどな」 ローランドの独り言はマニフィカには聞こえなかったらしい。てくてく歩いてバスに乗り込んでいった。 「さて、これで全員だな。じゃあ猫間先生、時間も迫っていますし、出発しましょう」 最後に乗り込んだローランドが最前席に座って隆紋に声をかけると、隆紋が大声で叫んだ。 「6号線の謎の外人・アクセル=フミッパナシーノ、いざ出陣!」 「なんですか、その名前はって、うわああああ!?」 発車するなりぎゅんとスピードが上がる。早朝のため道はそれほど混雑していなかったが、それでもそれなりに行き交う車や人がいるにも関わらず、隆紋はぐんぐんスピードを上げていった。カーブでもその勢いは衰えない。普通ならば車窓の眺めを楽しめるところだったが、過ぎ去る景色はどんどんとめまぐるしくなっていった。 「ここはどっちじゃ」 「左っ左っ!先生、もう少しスピードを落としてくださいっ」 「左じゃな」 ぐいんと車が左折する。勢いに押されて椅子から転がり落ちそうになった者たちから悲鳴が上がる。気分がいいのか、車内に隆紋の高笑いが響き渡る。ローランドが後方を気にしながら必死に隆紋の暴走を止めようとしていたが、自分も耐えつつナビをするのが精一杯だった。なにしろうかうかしていると曲がり道を通過してしまいそうになるのだ。目的地まではさほど複雑な道ではないのだが、目印を探す余裕もほとんどない。スピードに耐性のある人間はともかく、さほど慣れていない人間は悲鳴をこらえることすら出来ずに座席にしがみついていた。 「エ、エクセル先生……きゃああっ」 さすがのマニフィカも、いつになく可愛らしい悲鳴を上げて、隣のローランドにすがりついてしまった。本当は目的地までの道のり、ローランドとゆっくり話したかったのだが、よもやこのような事態になるとは思わなかったのだ。スピードにめげずに何度か話しかけようとは試みてみたのだが、相手のローランドにも応対している余裕がなかった。バスはエンジンフル回転で猛然と走っていた。 「おお、海が見えてきたぞ」 奇跡的に事故も起こらず、かなり時間に余裕を持ってバスを走らせていた隆紋が、前方を見てのんきに言った。目的地が近いと思ってほっとしかけたローランドだったが、だがその考えが甘いことをすぐに悟らされた。海が見えてさらに意気が上がった隆紋が、楽しげにアクセルをさらに踏み込んだのだ。海という言葉にうかつにも身を乗り出しかけていた生徒が加速に腹にシートベルトを食い込ませてぐえっとうなった。 「大丈夫か!」 「合って良かったシートベルト……」 呟いてその生徒は気を失ってしまった。 やがてバスは海岸線の道を走り始めた。ここまでくれば宿まではほぼ一本道だ。ローランドは無茶な運転に自分も失神しそうになりながら隆紋に最後の道案内をした。隆紋はそこでようやくややスピードを落とした。 「海がきれいだぞー」 どうやら海景色を楽しませてやろうという気持ちになったらしい。実際、晴天の下の海は波がきらきらと輝いて美しかった。恐怖に耐え抜いた生徒たちは海を見てきゃいきゃいとはしゃぎ始めた。人魚であるマニフィカも故郷を思い出し懐かしげな顔になったが、ふと隣りを見てローランドが真っ青な顔でうつむいているのに気付き、心配になってしまった。 「先生、大丈夫ですかぁ」 「大丈夫、ちょっと酔っただけだから」 「なんだ、これしきで。だらしがないぞ」 「はは、そうですね」 隆紋の軽口に力なく笑ったローランドだったが、何かを必死にこらえているようだった。バスに酔ったと言うのが嘘であることにマニフィカは気づいた。ローランドは海を見て具合を悪くしたのだ。やはりプールなどとは違うのだろう。 「先生、宿まではあと少しなのでしょう。もうナビも必要ないみたいですし、それまで休まれたらいかがですか。わたくし、アイマスクを持っておりますの。お貸しいたしますわ」 見えなければ少しは恐怖もやわらぐだろう。マニフィカが差し出したアイマスクをローランドも素直に受け取った。 「ありがとう。悪いけど、少し休ませてもらうよ」 アイマスクをしてシートに深々と身を沈めたローランドの顔色は、それでも蒼白なままだった。 バスは快調に進み予定よりかなり早い時間に宿についてしまったが、アカデミアは顧客だったので、宿側は快く受け入れてくれた。まだどこかふらついているローランドをマニフィカが支えながら降りていった。キリエは後ろから憮然とその様子を見ていた。 全員を降ろすと、まだどこかしら物足りなそうな隆紋が、旅館の人の指示に従ってバスを駐車場に移動させていった。 何とか平静を保とうとしながらチェックインを済ませ、ローランドはみなに船上観光のための集合時間を告げ、それまで部屋で待機しているよう伝えた。テネシーがさっそく風紀委員たちに指示を飛ばす。他の生徒たちには、具合の悪そうなローランドに代わって昼食の受け取りや集合場所などを指示した。生徒たちはがやがや話しながら部屋に向かった。 最初の予定は船上観光なので特に必要はないのだが、気も早く水着に着替えたりしているものもいた。ホウユウ・シャモンもその1人だった。と言うか、ホウユウには観光する気がはなからなかった。着替えを済ませるとさっさと部屋を出て行こうとした。グラント・ウィンクラックが不思議そうに声をかけてきた。 「おい、ホウユウ。時間はまだあるぞ」 「みんなが観光している間にタコを獲って来ようと思ってな。出店の準備もせにゃならんし」 「そうか。タコなら俺も観光中に見かけたら獲っておいてやるぜ。約束だもんな」 「ああ、頼む」 特製生簀をグラントから受け取りながら部屋を出る。宿から弁当をもらい手早くロビーで腹ごしらえしていると、武神鈴がやってきた。 「もう食べているのか?昼食は船上で取ることになっていたはずだが」 「ああ、観光には参加しないんだ。その間にたこ焼き屋用のタコを獲ってこようと思ってな」 「そう言えば生簀を頼んだのはホウユウだったな。そうか、海の家をやるのか。ならちょうど良かった。これをホウユウに貸してやろう」 「これは?」 それは小さな箱のように見えた。鈴が横のボタンを指差して説明する。 「ここを押すと瞬時に海の家を建てられる『ポータブル海の家』だ。本当は俺が使うつもりだったんだが、残念ながらそこまで暇ではなくなってしまったのでな。まあ良かったら使ってくれたまえ」 特製生簀も鈴の自信作だ。ホウユウはありがたく使わせてもらうことにした。簡単に礼を言って食事を済ませると、気合を入れて海に向かった。 ざばーんざばーんとエメラルドグリーンの波が浜辺に打ち寄せている。ホウユウはまず魔白翼で沖合いに出ると、潜息珠を口に含み水中へと入っていった。 『おお、いるいる』 海底ではもぞもぞとタコが蠢いていた。近づいてくるホウユウを察知してさっと逃げ出そうとするところに、斬神刀で流星天舞を叩き込んだ。殺してしまってはいけないので多少手加減はしてあったが、刀から飛び出した衝撃波はホウユウの狙い通りタコどもに突き刺さり、気絶させていった。タコは墨を吐く間もなく倒されていった。 『大漁♪大漁♪』 ほくほくした気分で大きめのタコを選別しつつ生簀に放り込んでいく。この特製生簀はどれだけ入れても満杯にならないし、重くもならない。ホウユウはポイントを変えつつタコの捕獲に熱中した。 海の中でホウユウがタコ獲りにいそしんでいる頃、集合時間になって集まってきた一同はぞろぞろと船着場に向かっていた。最初は先頭を歩いていたローランドの足取りが、船着場に近づくにつれ遅くなっていく。キリエが気にして様子を伺っていたが、マニフィカが側についていたので声をかけられずにいた。最終的に先頭に立ったのはテネシーだった。案内役の船員が手を振って皆を歓迎する。ぞろぞろと乗船していく最後にローランドとマニフィカがいたが、そこでローランドが躊躇してしまった。すかさずマニフィカがライフジャケットを差し出した。 「まだ泳げないのですもの、船はお嫌とは思いますが、頑張ってくださいませ。気休めですけれどこれを着ていてくださいな」 「そうだね、そうするよ」 ジャケットを受け取り着込むと、悲壮な顔でローランドは船に乗り込んでいった。 船はチャーター便で広々としていた。デッキに出て海を眺めるもの、船室で早々と昼食をとるものと各自思い思いの行動をとっていた。リリア・シャモンは大きな包みを持ってグラントをデッキに誘っていた。適当な場所を見つけると、リリアは楽しそうに荷物を広げていった。それは巨大サイズの重箱だった。中には出発前にリリアが用意した弁当が色鮮やかに詰め込まれていた。それはとても美味しそうだったが、いかんせん量が半端なかったので、さしものグラントがごくりと息を飲んだ。 「お口に合うとよいのですが」 「美味そうだな。ありがたくいただくぜ」 少し恥らったリリアは愛らしく、量に対するグラントの不安を吹っ飛ばす色香があった。ここで完食しなかったら男がすたる。おそらくリリアはこの弁当を作るために早起きして頑張ってくれたのだろう。そのいじらしさに応えなくては婚約者は名乗れない。グラントは嬉しげな笑みを浮かべて弁当に手を伸ばした。それを見てリリアもつつましやかに自分も食べ始めた。 今頃ホウユウはタコ獲りにいそしんでいる頃だろうとか、天気に恵まれてよかったとか、もちろん料理を誉めることも忘れずに2人は他愛ない時間を過ごしていた。しかさすがのグラントも、リリアの健啖ぶりについていくのは至難の業だった。食べ終わる頃には腹がはちきれそうになっていた。だが味は良かったので、食べ終わると満足な顔でごろりと横になった。リリアはきちんと重箱を片付けると、横になっているグラントの脇に膝を崩して座った。そしてどこからともなく酒瓶を取り出してきた。 「いかがです?」 「ああ、いいな。もらおう」 腹はまだ一杯だったが、リリアの誘いを断れるわけがない。起き上がってぐいのみを手にした。酒もまた上等な物で、グラントは良い感じに酔っ払っていった。同じくらいリリアも飲んでいたのだが、こちらはけろりとしていた。くらくらする視界にリリアの他人には見せない笑顔が映る。誘われるように手が伸び、自然と肩を抱き寄せていた。リリアも大人しく体を預けてきた。 「愛してるぜリリア」 「私もですわ」 リリアの体の匂いに鼻腔を刺激されて、グラントは思わずキスをしたくなり、顔を近づけていった。リリアは少し頬を染めながら目を閉じた。だがあともう少しで触れ合うといったところで、テネシーのこほんという咳払いに邪魔をされた。 「あまり野暮は言いたくありませんが……いかに婚約しているとはいえ、もう少し場所をわきまえていただけませんか。他の生徒にあまり良い影響を与えませんので」 「あ……」 ふと気付けば、あちらこちらから好奇の視線が向けられていた。なにより冷ややかなテネシーの視線に、グラントの酔いが一気に醒めた。親が評判のラブラブカップルなりリアはきょとんとしていたが、グラントは照れ笑いを浮かべながらテネシーに謝罪の言葉をのべた。そして立ち上がると、持ち込んでいたエアバイクの凄嵐を引っ張ってきて、後部座席にリリアを座らせた。 「どちらへ!?」 「またやらかしそうだからな。ちょっと2人でクルージングしてくるぜ。下船時刻までには戻るから」 残り時間は1時間ほどだった。基本的に真面目なカップルのこと、それくらいなら大目に見ても構わないかと、言うより、へたにいられて今みたいな事態を引き起こされるよりはましかと、テネシーは黙ってそれを見送ることにした。 「船着場と時間をセットしてと、じゃあ行こうか、リリア」 ナビをセットして飛び上がる。海はかなり深いようだったが、天候は良く波も穏やかだったので、エアバイクはすいすいと海上を飛行していった。 「あ、あそこにいるのはタコではありませんか」 「そうだな。よし、獲っておいてやるか」 事前に海鱗鎧を身にまとっていたグラントが、リリアがタコを見つけるたびにどぼんと飛び込んでタコを捕獲し、生簀に放り込んでいった。しばしそれを繰り返していたが、時間もあまりないし、どうせホウユウがたくさん獲っているだろうからと適当なところでクルージングを切り上げ、グラントは肝試しが行われる予定の洞窟へと向かった。洞窟は思ったより複雑で暗かった。灯り代わりに火の精霊を呼び出すと、少し開けた場所で石に座りこんだ。生簀を下ろしグラントがうーんと大きく伸びをした。 「こうも歯ごたえのない相手ばかりだと腕がなまるな。海の神とは言わんが、海竜ぐらい出てきても良さそうなもんだが……っと、自分が楽しむことばかり考えちゃいかんな。リリアはつまらなくないか」 リリアはにっこり笑いながら首を振った。 「いいえ。海の上を飛ぶのは気持ちよかったですし、なにより…2人きりでいられましたから」 自分の言葉にぽっと赤くなる。つられてグラントもなんとなく照れてしまい、いささかぎこちない口調で辺りを見回しながら言った。 「そういえば夜はここで肝試しをやるんだよな。本当に参加しなくていいのか?そりゃ、必ずしもペアになれるわけじゃないらしいから、別の野郎なんかと組まれたりしたらいやだけどな」 「脅かし役も気合を入れてやってきますでしょうから、うかつに反撃して相手を叩きのめしてしまっては申し訳ありませんもの。それはグラント様もご一緒でしょう?」 「叩きのめすくらいですめばいいが、怪しいのは確かだな。お楽しみイベントを台無しにしかねないってのは言えてるか。ところでリリア。頼みがあるんだが……」 「はい、なんでしょう」 「その……な。2人きりでいるときは、呼び捨てにしてくれないか?」 リリアの笑みが一層柔らかくなった。 「グラント……?」 名前を呼ばれて、グラントが嬉しそうに肩を抱き寄せた。 船ではみな昼食もすみ、デッキに出て潮風に当たりながら写真を撮ったりしてわいわい楽しんでいた。マニフィカはペットのイルカのフィルに飛び上がらせるなどの芸をさせてみなを喜ばせていた。餌を求めて海鳥たちが寄ってくる。あらかじめ用意されていた餌を生徒たちが撒くのを、アンナ・ラクシミリアが注意していた。 「あまりやりすぎないようにしてくださいませね。あと、デッキにこぼさないよう気をつけてくださいませ」 船酔いの生徒のためにエチケット袋の準備をしていたアンナは、ローランドが力なく船室に続く階段に腰掛けているのを見て近づいていった。 「先生、あまりお辛いようでしたら、無理せず中で横になられていたほうが……」 「ああ、ありがとう。大丈夫だから。引率役としてはここから離れるわけにいかないからね」 「でも」 ローランドの顔色は蒼白になっていて、大丈夫ではないことは一目瞭然だった。アンナに心配させまいと気丈に笑ってみせるが、呼吸もどこか苦しそうだった。それでも動かないのは生徒への見得もあったのだろう。意地を感じ取り、アンナはとりあえエチケット袋を渡して、念を押してその場を離れた。入れ替わりにルシエラが側に来て隣に座った。 「やっぱり船はだめのようね」 「あともう少しですから頑張りますよ」 「船の事故で水がだめになっているんだもの、仕方ないわよ。悪いけど、事故のこと調べさせてもらったわ。新聞に載っていた写真も見たの。やっぱりご両親を亡くされていたみたいね。名前を見たけれど、苗字が違っていたもの」 「アクティア先生!」 様子を伺いにやってきたマニフィカが慌ててルシエラを止めようとする。ルシエラは片手を挙げてマニフィカを押しとどめると、目をそむけているローランドに再び話しかけた。 「事故のこと、キリエには話さないで欲しいと頼んでらしたけれど、私としてはむしろきちんと話したほうがいいと思うのよ。隠し立てしているせいかしら?最近のあなたたちはどこか距離があるような感じがするのよね。以前は微笑ましい兄妹だったのに。ねえ、キリエだってもうそんな子供じゃないのよ。どんな話だって受け入れられるのではないかしら」 ローランドが黙ってうつむいてしまう。マニフィカがはらはらした表情で成り行きを見守っていた。ルシエラは言いたいことを言って気が済んだのか、さっぱりとした顔で立ち上がった。 「女の子の成長は男が思うより早いのものよ。いつまでも子ども扱いじゃかわいそうだわ。御覧なさい」 船べりでは友達とはしゃぎながらキリエが時折ちらちらとローランドのほうへ視線をやっていた。その目には深い気遣いが込められていた。顔を上げたローランドとはったと視線が合うとぷいっと背けられたが、怒っているよりは心配している感じがありありと表れていた。その様子は確かにローランドが普段思っているよりはるかに大人びたものだった。いつの間にあんな表情をするようになったのだろうとぼんやりとローランドが考える。キリエの肩には梨須野ちとせがちょこんと座っていて、なにやら話しかけていた。それにあいまいな微笑でキリエが受け答えしている。アルヴァート・シルバーフェーダが近づいていくのを苦痛に耐えながらローランドは眺めていた。 ちとせはせっかくの旅行が始まっても不機嫌そうなキリエを心配して、できるだけ明るくあれこれ適当な話題を振っていた。キリエが気遣いに感謝しながら応じていると、アルヴァートが声をかけてきた。 「ちとせちゃん、ちょっといいかな」 「はい、なんですか」 呼びかけられてちとせが首をめぐらせる。アルヴァートは赤い顔をしながら手を差し出した。その手には高級くるみが乗っていた。 「あの……この間はなんというか……その、ごめん。これ、お詫びの品なんだけど……」 それは波のプールでおぼれたちとせの裸を偶然見てしまった一件のことだろう。ちとせもそれを悟り、瞬時に赤くなった。その場に居合わせたキリエも苦笑いしていた。やがてちとせがアルヴァートの手の平からくるみを取り上げて言った。 「どうかお気になさらないでください。アクシデントであることは承知しておりますので。けど、それでは気がすまないでしょうから、これはありがたくいただいておきますわ」 「うん!本当、ごめんね……って、うわ、アリューシャ。いつからそこに」 背後に立っていたアリューシャ・カプラートが、驚いているアルヴァートに無邪気な笑みを向けた。 「いつからって、ずっと一緒にいたではありませんの。ちとせさんと何かありましたの?」 素朴な疑問にアルヴァートが言葉に詰まる。いくらアクシデントだったと言っても、他の女性の裸を見てしまったなど何より大切な恋人に言えるわけがない。ちとせもあまり思い出したくない記憶だったので、ついごまかしに走ってしまった。 「ちょっと私のミスで、アルヴァートさんにご迷惑をおかけしてしまったんですよ。ささいなことですのでアリューシャさんが気にされることはありませんわ。ね、キリエさんもそう思いますでしょう」 「あはは、そうだね。ちとせには不運だったけど、アルヴァートにとっても不運だったのかな?まあ済んだことだし、もうお互いに忘れよう」 「そうなんですの?」 アリューシャが小首をかしげる。しかし赤い顔で困った表情を浮かべているアルヴァートを追求しようとはしなかった。その代わりに問いかけた。 「まあ、そうおっしゃるのでしたら無理にお聞きはしませんが……アルバさん、キリエさんに何かおっしゃりたいことがあったのでは」 「ああ、そう!なんか元気なさそうだったから!キリエ、大丈夫?前にも言ったと思うけど、考えても仕方ないことは1人で溜め込まないほうがいいよ。役に立てるかどうかわからないけど、オレも他の皆も力になるからさ。ね、アリューシャ」 「ええ。お話はアルバさんから聞いておりますわ。いろいろとお辛いでしょうけれど、キリエさんはやはり元気なほうが似合っていらっしゃいますもの。話して楽になれるのでしたら、打ち明けてくださいませね」 キリエが苦笑いのまま頭をかいた。 「あー、うん、まあそれもあるんだけど。ちょっとこれは、別件、かも?」 「別件?」 キリエの視線をたどると、そこにはマニフィカに励まされているローランドがいた。キリエがボソッと言った。 「……美人だからって、でれでれしちゃって」 「いや、あれはでれでれとは違うような」 つい突っ込んでしまったアルヴァートをじろっとキリエがにらむ。不機嫌の理由を悟って、アルヴァートが肩をすくめた。 ローランドのほうは、実際、別にでれでれしているわけではなかった。言うだけ言ったルシエラが去った後、告白すべきなのかを考え込んでしまって、そばにいたマニフィカが精一杯の優しさをこめて話しかけていただけなのだ。 「泳げないのも個性のうちですよぉ。こうして船に乗れただけでも素晴らしいではありませんかぁ。弱点など誰にでもあるものです。それって決して恥ずかしいことではありませんのよ?大切なのは、その弱点に立ち向かっていく勇気ですわ。そういう意味では、苦手な船に乗れたことは大きな一歩ではないでしょうかぁ」 そのときだった。凪いでいた海が大きくうねり、船がぐらりと揺れた。揺れは幾度も続かなかったが、ローランドのトラウマを刺激するには充分だった。悲鳴はかろうじて飲み込んだものの、半ば意識を失うように体を傾げさせる。マニフィカが慌てて支えた。 「大丈夫ですわ。この船は沈んだりしません。ちょっと揺れただけです。しっかりしてくださいませ」 「うう……」 マニフィカの言うとおり、船はもう落ち着いていた。しかし揺れに想起された記憶がローランドをさいなんでいた。冷や汗までかき始めたローランドを、マニフィカが必死に支えていた。 「あー、こりゃだめだな。ローランド先生、医務室に行きましょう」 アスリェイ・イグリードがやってきて、マニフィカに支えられていたローランドをひょいと肩に担ぎ上げた。抵抗する気力もなくローランドが運ばれていく。様子を見ていたキリエが驚いて追いかけてきた。 医務室にはアルトゥール・ロッシュもやってきた。蒼白を通り越してどす黒くなってしまった顔でベッドに寝かされたローランドは、しばらく目を閉じてうなっていたが、やがて意識を取り戻し周囲にいる人間に侘びを言った。 「すみません……やっぱり船はよしておいたほうが良かったな」 「ローランド先生が水が苦手なのは、やっぱり船の事故のせいなのかい?昔、海難事故にあって水が苦手になったって聞いたけど、トラウマになるくらいの事故なら津波とか船の事故だもんねぇ」 てきぱきと鎮静剤の注射やらをしていたアスリェイが何気ない風を装って話しかける。ローランドがキリエがいることに気付いて顔をしかめたが、仕方なくうなずいた。 「ええ。乗っていた船が嵐で沈没しましてね。助かったのは奇跡だって言われましたよ」 アルトゥールは美味しい香りの紅茶を入れて、ローランドに差し出した。 「いかがですか?少しは落ち着きますよ」 「ありがとう、いただくよ」 半身を起こしてカップを受け取り飲み干すと、ようやく頬に赤みが戻ってくる。だが表情は暗いままだった。キリエが「お兄ちゃん……」とベッドの脇に座って心配そうに顔を覗き込んできた。ローランドはまだ心を決めかねてこわばった笑顔を妹に向けた。アスリェイがぽんぽんとその背中を叩いた。 「死にたくないって思った気持ちは人間としては普通の感情だよ。おじさんも戦場で死にかけたことがあるから、その怖さは少しは理解できるんだよぉ。ちなみにそのときに勝手に体を改造されちゃって、おじさんも一生向き合わなくちゃならなくなったんだけどねぇ……普通の人間じゃなくなったって言う現実に。さすがに最初はショックだったねぇ。けど、そのトラウマにきちんと向き合うことで、おじさんは人間の振りして前に歩いているんだ。先生も、ゆっくりでいいから、心を落ち着かせてその傷と向き合うといいよ。そうすれば少しでも前に進むことが出来ると思うんだよねぇ。大丈夫、ローランド先生も1人じゃないんだから。そうそう、キリエちゃんが言ってたよぉ。どんな現実が来ても受け止められるよう強くなりたいって。ね、キリエちゃん」 「うん!お兄ちゃんが1人で苦しんでいるのよりずっといいもん」 「偉い偉い」 すくっと立ち上がって力強くうなずいたキリエの頭を、アスリェイがくしゃくしゃっと撫でる。心配そうな顔だったキリエが、にこっと笑った。 「ほら、キリエちゃんもこう言っているんだし。ローランド先生もがんば☆」 飄々とした口調に優しさを感じ取って、ローランドがわずかに表情を和らげた。 「じゃ、あとの看病はキリエちゃんに任せたよぉ。じきに薬が効いてくると思うからもう大丈夫だと思うけど、側についていておあげ。それが何よりの特効薬だろうからねぇ」 「はぁい!」 元気のいいキリエの返事を聞いて、アスリェイは手をひらひらと振りながら医務室を出て行った。それを見送ってから、キリエがローランドに向き直った。 「お兄ちゃんが海難事故で水恐怖症になっちゃったって話は聞いていたの。それなのに無理やり特訓させようとしたりして、後悔している。ごめんね?」 「そうか……謝ることなんかないよ。変なプライドで真実を打ち明けられなかったのは僕なんだからね」 「その真実ですけど」 生真面目な声を出したのはアルトゥールだった。 「キリエもうすうす感づいていますから、あえてこの場でお聞きしますが。15年前の事故のとき、先生の本当のご両親は亡くなられたんじゃないんですか?それでキリエのご両親に引き取られた。違いますか?」 アルトゥールの質問に、ローランドがぎくっとした顔になった。アルトゥールが言葉を募った。 「下手に隠そうとするほうが、かえってキリエを傷つけることになりますよ。ちゃんと真実を打ち明けて、悩みを一緒に解決していった方がいいです。せっかくの臨海学校なんですから、先生とキリエにも楽しい思い出を作ってもらいたいんですよ。そのためには隠し事はなしにしないとね」 「お兄ちゃん、あたし、なに聞いても驚かない。さっきイグリード先生が、心の傷と向き合うことで前に向かって生きているって言っていたでしょ?あたしもそうありたいよ。お兄ちゃんは?」 「いつまでも子供じゃない……か。本当だな。でも、どう話したもんか……あの日のことは思い出すのは正直言ってまだ辛いんだ。上手く話す自信がない……」 「それなら任せるがいい!」 ばんと勢い良く扉を開けて入ってきたのは鈴だった。片手に一冊の本を持っていた。もう片方の手にはなにやらコードがいろいろついている映写機のような装置を抱えている。嫌な予感にローランドが顔を引きつらせた。鈴はそんなローランドの態度には頓着せずに、ドンとその装置を机の上に置いた。 「15年前の事故のことはルシエラに聞いた。それで詳細をアカシックレコードで調べたのだよ。当事者の主観が入らない記録が必要だと思ってな。その記録をまとめておいたから見てみたまえ」 「見るって、どうやって?」 キリエが疑問を口に出すと、鈴はふふふと笑いながら本を装置にセットした。 「星の記憶再生装置、リ・プレイヤー、GO!」 「なんですか、その名前は」 発明品に妙な名前をつけるのはいつものことだったが、ついアルトゥールが呆れたような声を発してしまった。鈴はさらっとそれを聞き流して、空中を指差した。ぶぶぶと軽く装置が作動している音がする。やがて筒状のところから光が出てきて、空中に映像を映し出していった。 良く晴れた日のようだった。大海原を豪華客船が滑るように走っている。その航海は順調に見えたが、突然空に光が走った。雲が渦巻き、強風が吹き荒れる。優雅な客船が嵐に巻き込まれて激しく波に揺さぶられ始めた。と、光が一直線に走り船に衝突した。轟音とともに船は粉々に砕け、乗員が脱出する間もなく次々に海に放り出されていくのが見えた。 「ひどい……」 映し出される惨状に、キリエが息を呑んだ。 嵐はそう長くは続かなかったらしい。砕け散った船が沈んでいく頃には空は明るさを取り戻していた。海上には残骸が漂っていた。突然の出来事に救命艇を出すことも出来なかったのだろう。見渡す限り、海上に人の姿はないようだった。 「なんでも異世界とのつながりが乱れたための嵐だったそうだな。それに巻き込まれたのは不運だったとしか言いようがないが……」 映像が消えると、鈴がぼそりと呟いた。ローランドが痛みをこらえるような顔で目を伏せていた。キリエが心配そうにベッドに投げ出されていた手をぎゅっと握った。暖かな感触に、ローランドが目を開け、悲しそうに笑った。その笑顔に今度はキリエが泣き出しそうな表情になった。 装置から本を抜き出した鈴は、淡々とコードを手に取りローランドの頭に取り付けた。ローランドが不審そうな顔をすると、鈴が悪気ない声で答えた。 「客観的な事実は今のでわかっただろう。今度はエクセル先生が助かったときの記憶を映像化するんだ。口で説明できなくても、これで理解してもらうことは出来るだろう」 「……そうですね」 あまり気は進まなかったが、口にするよりは楽だろうとローランドがため息をついた。 「記憶映像化装置、メモリプレイヤー3略してMP3、GO!」 「名称、変わっているし」 頭痛を覚えてアルトゥールが額に手をやる。鈴がふんと鼻を鳴らした。 「名称が違うくらい気にするな」 「3ってのはなんなんですか」 「3というのはすごいメカにはつきものなんだ」 自信たっぷりに断言されて、アルトゥールが黙ってしまった。やがて再び装置が動き始め、映像が映し出され始めた。先の事象の記録と違って、ローランドの記憶を再現しているせいか、それは鮮明でいて場面はかなり飛び飛びのものだった。こちらを向いている見知らぬ男性が、隣にいた女性からライフジャケットを受け取って目線の持ち主に着せようとしている。場所は船室だろう。窓の外は暗く、船の揺れに合わせて周囲が上下していた。やがて着せ終わった男性が、女性とともに自分たちも着ようとした瞬間だった。周囲の壁が砕け散り、3人は海へと投げ出された。ライフジャケットを着ていたローランドが、波間に消えようとする男女に必死に手を伸ばす。しかしそれもむなしく、男女の姿はあっという間に見えなくなってしまった。海が静まり返ったのはそれからすぐのことだった。視界に映るのは美しい青と、それにそぐわない船の残骸。ローランドはしばらく呆然としていたのだろう。穏やかな青い海と晴れ渡った青い空で映像は一杯だった。やがて場面が転換し、ヘリの中の光景となった。あきらめきれないのか、ヘリから海を見下ろしている。そしてまた場面が変わり、献花式になった。ローランドの目が捉えた男女を見て、キリエが「お父さん、お母さん!?」と叫んだ。そこで映像は終わった。ローランドが小さな声で状況の捕捉をした。 「アルトゥールの想像通りだよ。あの事故で僕は両親を目の前で失った。僕の両親とキリエの両親は親友でね、天涯孤独になってしまった僕を引き取ってくれたんだ。事故のショックでしばらく放心状態だったらしい。それを救ってくれたのは、生まれたばかりのキリエの存在だった。なんど事故のときのことを夢に見ただろう……その度に無邪気なキリエが僕を癒してくれた。心に開いた穴を、キリエが埋めてくれたんだ。エクセルの両親も優しかったし、だから悲しみは封じ込めて、新しい家族と生きていこうとしたんだ」 「お兄ちゃん……」 キリエが泣きじゃくりながらローランドにすがりついた。封じ込めたと言っても、消え去ったわけではないのだろう。水恐怖症がその証拠だった。辛い思い出を自分のせいで無理やり引き出してしまった罪悪感がキリエを責め立てていた。血が繋がっていないという事実はもうどうでも良くなっていた。いつだってローランドは自分には優しかったのだから。自分の両親に引き取られ、新しい人生を生きていこうとしたときから確かに家族だったのだ。その絆は、しかしとてももろいもののように思えた。 「ごめ、ごめんなさい……嫌なこと思い出させてごめんね、お兄ちゃん。ごめん、ね……」 「言っただろう?僕を救ってくれたのはキリエだって。謝ることはないんだよ。泣くのはおよし」 すがりつくキリエの背中をさすってやる。そしてアルトゥールに連れて行ってくれるよう頼んだ。 「さすがにちょっと疲れたな。少し休ませてもらうよ。キリエも今は興奮しているだろうから、どこかで休ませてやってくれないかな」 「いいですよ。彼女のことは任せてください。もうじき下船時刻ですし、先生はそれまで休んでいてください」 アルトゥールがキリエをつれて医務室から出て行く。鈴は見聞きしたことを考えていたが、さすがに真相は重いものと感じ、これを乗り越えるのは至難の業だと思った。そして疲れた顔で眠っているローランドを見ながら今後どう動くか思案し始めた。 真実を知ってさらに落ち込んでしまったキリエはさておいて、ローランドのほうは下船時刻には目を覚まし、どこか吹っ切れた様子で甲板に出てきた。 「なんだかすっきりしていらっしゃいますねぇ」 マニフィカが聞くと、ローランドは明るく答えた。 「イグリード先生にさとされてね。なんだか勇気が湧いてきたような気がするんだ」 「それは良かったですぅ」 声に今までにない力強さを感じて、マニフィカも笑顔になった。そのためキリエの様子がおかしいことに2人が気づくことはなかった。やがて船は港に戻ってきた。グラントとリリアも船着場に戻ってきており、観光を終えた一行はぞろぞろと宿に向かった。 ○ 自由行動の時間になって、水着に着替えた生徒たちが浜辺で楽しく遊んでいた。グラントから収穫のタコを受け取ったホウユウは、別件で使う分を残してさっそく海の家の営業を始めていた。くるりくるりと器用に回転させてたこ焼きを焼き上げていく。たこ焼き機の隣には紙コップとポットが置いてあった。 「たこ焼きはどうだね〜冷やしあめもあるよ〜遊びつかれたら一服していってくれ〜たこ焼き1パック4ザイル、冷やしあめは1杯1ザイル〜」 「わあ、美味しそう。お兄ちゃん、食べてみようよ。ねえ、冷やしあめってどんな味なの?」 「日本の関西地区独特の飲み物だよ〜。麦芽水飴をお湯で溶いて、生姜で風味付けした甘いジュースってところかな。疲労回復にも効果がある。先生もいかがですか」 「そうだな。じゃあもらおうか。2つずつくれるかい」 「毎度っ!トッピングはいかがしますか」 「そうだなぁ。キリエは何がいいかい」 「んーとね、ソースとかつおぶしと青海苔と〜」 水着までは行かなかったが、いつもとは違うラフな格好のローランドの腕につかまりながら、こちらは旅行用に購入してきた赤い花柄のワンピースの水着を着用したキリエがはしゃいでいる。心の奥底には船上観光での罪悪感が残っていたが、まだ海が怖いはずのローランドが来てくれたことに喜びを感じて、普段以上にキリエは明るく振舞っていた。元気を取り戻したように見えるキリエの様子にほっとしながら、ローランドはホウユウからたこ焼きとコップを受け取り、全体が見渡せる場所に陣取ったビーチパラソルの下に座って食べ始めた。海の家はなかなか盛況のようだ。威勢のよいホウユウの掛け声が浜辺に響き渡っていた。少し離れた場所ではグラントとリリアもたこ焼きを食べていた。 穏やかな海をぼんやりと眺めていたローランドに、キリエがわざと明るい声で話しかけた。 「冷やしあめって美味しいね〜癖になりそう」 「飲みすぎておなかを壊すなよ」 「そこまで子供じゃないもん!」 「そうかそうか、悪かったな、つい癖で。そうだよな、もう子供じゃないよな」 すねてみせるキリエにローランドが困った顔で謝ってきた。その表情はどこか懐かしむような感じだった。キリエはローランドが小さく呟いた「15年か……早いな」と言う言葉を聞き逃さなかったが、あえて追求しないでたこ焼きをほおばった。 誰かが女生徒にちょっかいを出してきたらしい。騒ぎが起きたのでローランドが立ち上がったが、それより先にテネシーが飛び寄っていった。どうやらテネシーの恐ろしさを知らない一般客が女生徒をナンパしてきたらしい。小柄なテネシーを侮って最初は威勢良かった男たちは、魔眼で体の自由を奪われてようやく相手が只者ではないことに気づいたらしい。発せられる殺気と氷のような視線にさらされて、必死に逃げ出そうとしていたが体が麻痺しているため逃れることが出来ない。相手がだらだらと冷や汗を流しているのを見て、一度は立ち上がったローランドが気の毒にと多少同情しながらまた座った。 「あーあ、テネシーを甘く見るからあんな目に合うんだよね」 「そうだな。でもおかげでこちらは助かるけど」 「って、生徒を守るのはお兄ちゃんの役目でしょ!」 「あはは」 腕力に自信もなければ特に秀でた能力を持っているわけでもない上に、どちらかと言えば気弱なローランドが荒事に向いていないことはキリエにもわかっていたが、素直にテネシー任せにしてしまったのを見て、思わず肩を落としてしまった。 そのやり取りは周囲の注目を集めていて、それ以降、生徒たちにちょっかいを出してくる変な野郎はいなかった。 やがて時計で時間を確かめたローランドが、生徒たちを集合させて宿に戻るよう伝えた。ホウユウも売り上げにほくほくしながら海の家を片付けていた。宿に向かってぞろぞろと歩いていると、テネシーが声をかけてきた。テネシーは色こそ黒かったが、子供が着るようなふりふりのスカートがついた可愛らしい水着を着ていた。無表情なのはさておき、黙って立っていれば人畜無害に見える。実際には建前上この世界では行わないだけで、人殺しすら平然とやれる人間なのだが。それを知る者は少ない。ただ実力だけは学園の生徒なら誰でも知っていることだった。しみじみ風紀委員でよかったよなぁとローランドが思っていると、テネシーが問いかけてきた。 「申し訳ありませんが、夕食が終わりましたら先に休ませていただけますか」 「え?そのあと肝試しをやるけど、参加しないのかい」 「はい。夜間の見回りのために仮眠を取っておこうかと思いまして。今日の自由行動を見ておりましたが、みんなやはり浮かれているようですので、見回りをしっかり行いたいのです。この分ですと、規則を破るものがいそうですからね。徹夜でも大丈夫ですが、念のため疲れを取っておきたいのですが、だめでしょうか」 真剣な目で訴えるテネシーの背後に風紀委員魂が燃え盛っているのが見えるような気がして、ローランドが苦笑しながら承諾した。 「ふぉふぉふぉ、参加しないのか。それは残念じゃのう」 「あれ?ハウアー先生、今までどちらにいらしたんですか」 エルンスト・ハウアーが問いかけられてにたりと笑った。 「今日は肝試しをやるんじゃろう?ただ暗い洞窟を行って帰って来るのでは芸がないというものじゃ。だからちょっと下調べをのう」 「下調べ?」 「いやあ、なかなか面白い話が聞けたわい」 「聞いたって、地元の人か誰かにですか」 「さて」 エルンストの瞳の輝きが、怪しげに瞬いた。青白い肌に浮かび上がる赤い光はどこか不安を誘う色をしている。かもし出す雰囲気がどことなくおどろおどろしい。ローランドが心配そうな声を出した。 「なんだかよくわかりませんが……生徒に危害が及ぶようなことはありませんよね?」 「おお、それなら大丈夫じゃ。大丈夫。……多分、な」 「多分、ですか」 エルンストはそのまま含み笑顔で立ち去って行った。取り残された兄妹が困惑した顔を見合わせてしまった。 そして夕飯は、多少騒がしかったものの滞りなく終わり、肝試し参加者たちが洞窟の入口に集合していた。用意しておいたくじを参加者たちに順番に引かせる。 「同じ番号でペアを組んで、洞窟の奥にある番号を書いた石を持って来るんだ。途中に脅かし役がいるけど、みんな頑張れよ。あと、足元が暗いから転んで怪我をしないように」 「怪我をしたらすぐに戻ってらっしゃい。無理をしてはだめよ」 保健教諭のアリス・イブが忠告した。生徒たちが番号を確かめながら「はぁい」とのんきな返事を返した。 「やった。アメリア、一緒だね」 はしゃいだ声を出したのはキリエだ。アメリア・イシアーファも嬉しそうにうなずいた。 「脅かし役が来たら私が撃退してあげるから、安心してねぇ」 「撃退?アメリア、戦えるの?」 精霊魔法が使えることは知っていたが、あまり攻撃向きには見えないアメリアにキリエが首を捻った。アメリアは清楚な純白のワンピースからすんなり伸びた足を思い切り良く振り回した。くるりと回転した足はそばにあった石を粉々に砕いた。その威力にキリエがぎょっとした。 「護身用に踵落としとか後ろ回し蹴りを教わっていたのぉ。さすがにワンピースで踵落としは恥ずかしいからぁ、こっちで、ね」 「う、うん。頼りにしている……」 意外な一面を見た気がしてキリエが慄いていた。 「え、アリューシャはテオとなの?」 「ええ。アルバさんは?」 「……2番って誰?」 アリューシャと組めなかったことにがっかりしながら投げやりにアルヴァートが声を張り上げる。手を上げたのはアンナだった。 「わたくしですわ。よろしくお願いいたします」 「よろしく」 アリューシャ第一のアルヴァートは挨拶もそこそこにアリューシャの手を握って真剣に訴えかけていた。 「いいかい、アリューシャ。お楽しみイベントだから危険はないと思いたいけど、脅かし役が何を仕掛けてくるかわからないからね。怪我には充分注意するんだよ。万が一怪我したら、すぐにリタイアしなよ。襲われたら逃げて。ペアがテオじゃアリューシャを守ることは出来ないだろうから。ああ、もう!先生、ペアを変わってもらうことは出来ないんですか!?」 必死の形相のアルヴァートにローランドが苦笑した。 「気持ちはわかるけどね。これも運のうちだから。まあ、道が複雑なわけじゃないし、距離もそう遠くない。大丈夫だよ……多分」 「多分ってなんですかっ」 付け加えられた言葉にアルヴァートが血相を変える。アリューシャがそっと握り締められた拳に手を添えた。 「きっと大丈夫ですわ。いざとなったら眠りのルビーで脅かし役を眠らせてしまいますから安心してくださいませ。まさか危害は加えてこないでしょうし。かすり傷程度でしたらシュシュが治せますし」 「はい〜!ボク、頑張るでしゅ」 木の精霊のシュシュが小さな手を上げた。元気は良いが、あまり頼りにはならなそうだ。アルヴァートが盛大なため息をついた。 「とにかく、なんといってもアリューシャは病み上がりなんだし。決して無理はしないこと。約束しておくれ、オレのお姫様」 「病み上がりと言っても……まあ、女なら仕方ないものですし。もうすっかりいいのですわよ。けれど無理はしないと約束いたしますわ。心配はかけたくありませんもの」 そんな2人のやり取りを、テオドール・レンツがせっせとメモしていた。いちおうテオドールにもお願いしておこうと振り向いたアルヴァートは、その光景にさらに肩を落とす羽目になった。 「テオ……なにしてるんだい」 「え、これ?ほらボクってぬいぐるみだから肝ってないでしょ?心臓もないし。だから僕自身はびっくりとかってあんまりしないし、怖いっていう気持ちも良くわからないんだけど。そういうのを知りたくてこの学園にいるからね。みんながどういう反応をするのかしっかり観察しておこうかと思って」 「アリューシャが怖がるのを見て楽しむつもりなのかよ」 「楽しむ?なに、それ?」 素朴に問い返されてアルヴァートが頭を抱えた。テオドールはなぜアルヴァートがそんなに必死になっているのかわからなくて、これも参考になるかとまたせっせとメモを取っていた。 「ま、下手に他の男と組まれるよりは安心か」 「アルバさんはアンナさんとなんですね。守って差し上げてくださいませね」 アルヴァートの気持ちも知らずにのほほんとアリューシャが言った。アンナがそれを聞いてうーんとうなった。 「驚かされるのは別に構わないのですけれど……汚されたりしたら嫌ですわね。脅かし役はもちろんですが、みなさんもごみなど落とさないようになさってくださいね」 「わかってるって。最後は俺たちか。どんな手を使ってくるのかなぁ。ちとせはどう思う?」 わくわくした顔でちとせに話しかけたのはジニアス・ギルツだった。ジニアスはすっかり面白がっていた。ジニアスにあわせて人間形に変身したちとせはあまり興味なさげに答えた。 「さあ?本物が現れるわけではないでしょうからあまり気にしていませんわ」 そう言いながらもどうやらお化けは怖いらしい。ノースリーブの白いワンピースからのぞく肩をそっと抱きしめていた。それに気付いてジニアスがにっこりしながら手を握った。 「岩場の影から飛び出してきたりとか、きっとそういうのだよ。いざって時は俺が守ってあげるからさ、心配しないで。足元が危なそうだけど、ちゃんとフォローしてあげる」 「暗闇を歩くのは慣れておりますわ」 人間の姿になってしまうとどうしてもいささかひねくれてしまうちとせは、つんと澄ましてそっぽを向いたが、握られた手が暖かかったことに少し安心していた。 「じゃあ、アメリア・キリエペアが1番、アルヴァート・アンナペアが2番、テオドール・アリューシャペアが3番、最後がジニアス・ちとせペアで決まりだね。最初のペアが出発してから10分後に次のペアが出発して。洞窟内は暗いから懐中電灯を使って。僕たちは入口で待機しているからね。ルールはさっき言ったとおり。じゃあ行っておいで、キリエ。アメリア、キリエをよろしく」 「はぁい」 「大丈夫だもん!」 てんでに返事しながらアメリアとキリエの姿が洞窟内に消えていった。それから時間を計って全員を順々に送り出していく。ちとせがジニアスに手を引かれながら洞窟内に消えていくと、あたりはしんと静まり返った。ローランドとアリスは先発組が戻ってくるのを手近な岩に腰掛けて待つことにした。 「行って戻ってくるのに、何事もなければ1時間ってところかな」 「そうね。脅かし役が気合を入れて待っているはずだからすんなりはいかないでしょうけれど、気長に待ちましょう」 「あはは。そういえばハウアー先生がなんか下準備していましたっけ」 ローランドが思い出し笑いをすると、それからしばらくは沈黙がその場を支配した。ざざーんざざーんと波の音が響き渡る。暗くて海は良く見えなかったが、ローランドは厳粛な顔で海のほうを見ていた。やがてアリスが穏やかに話しかけてきた。 「ローランド先生もご両親を亡くされていらしたのね」 「えっ!?あ、どうしてそれを」 「船上観光のとき、体調を崩されたでしょう。アスリェイ先生がいらしたから必要ないかとも思ったんだけど、一応念のため部屋の外で待機していたのよ。それで中の会話が聞こえちゃったの。ごめんなさい」 「そうだったんですか。いえ、気になさらないでください。って、あれ?もって……イブ先生もなんですか?」 ローランドの驚きにアリスがくすっと小さく笑った。 「やっぱり昔、ね。ああいうのって、忘れようと思っても忘れられないものね。けど、わたしは忘れてはいけない!って思っているわ。どんなに辛い過去でも、自分の中で受け止め明日に進むための糧としなくてはってね。けど、心のよりどころが妹だって所まで同じだとは思わなかったわぁ」 「イブ先生にも妹さんが?」 「キリエと違って、体が弱く病気しがちな妹だったわ。けど2人きりの家族だったから、大事にしたいって思った。そう思うことで随分と救われたものよ。その妹ももう亡くなってしまったけれど。でも、3人ともわたしの心の中で今でも生きているもの。だからわたしは生きていけるの。辛くないっていったら嘘にはなるわよ?この学校で保健教諭なんてやっているのも、妹の面影を追っているのかもしれない。学生の頃が懐かしいってのもあるけど、やっぱり何かを教えてあげたい、守ってやりたいって気持ちは、妹に対して思っていたものと同じだから」 「そう……でしたか。辛いことを聞いてしまいすみません」 アリスはそれを聞いてコロコロと笑った。 「いやね、謝ることなんてないのに。言ったでしょ。受け止めて明日の糧にするんだって。わたしがこんな話をするのはね、ローランド先生にもそうなってもらいたいからよ」 アリスからは潮風に乗って馨しい香りが漂ってきてローランドはどぎまぎしてしまった。火照る頬を見られなくて良かったと思っていたら、アリスが隣に座ってきて抱きしめてきた。ローランドが柔らかな感触に慌てた。 「イ、イブ先生!?」 アリスはローランドの髪を手ですきながらささやくように言った。 「そりゃあ、人はすぐに変われるものじゃないけれど……。大切なのは過去を忘れないで頑張っていくことだと思うの。幸い先生にはまだ元気な妹がいるんだし、義理のご両親もいらっしゃるんでしょう。支えてくれる家族がいるなら大丈夫。強くなれるわよ」 ローランドが薄く息を吐いた。 「なれますかね……今でも時々、あの事故のときのことを夢に見るんですよ。そのたびに12歳の子供に戻ってしまう自分がいる。あのときから成長していないような、そんな気もするんですよね。キリエはどんどん大人になっていくって言うのに」 「わたしの妹は体こそ弱かったけれど、心はわたしを支えるほど強かったと思っているわ。きっとキリエもそうなってくれるはずよ。2人でなら苦しみを乗り越えられる。違って?」 アリスの言葉は同じ痛みを知るからか、心に染み入るようだった。思いがけず涙があふれてきて、ローランドがあたふたとアリスの腕から逃れようとしたが、アリスはしっかり抱きしめてきて、それを許さなかった。 「今はまだ弱くてもいいのよ……まだまだ人生これからじゃない。先生もキリエもね。大人になれていないって言うなら、キリエと一緒に成長してゆきなさいよ。焦ることはないわ」 「そう……ですね」 流れる涙はもはや止めようがなくなっていた。ローランドが手で顔を覆っているのを抱きしめながらアリスはそっとなだめていた。星明りが優しく2人を包み込んでいた。 一方、その頃洞窟の中では。キリエの悲鳴が響き渡っていた。懐中電灯の明かりにぼうっと暗い影が浮かび上がったからだ。アメリアがキリエを背後にかばって足を上げかけ……相手がエルンストであることに気付いて思いとどまった。エルンストは特に変わった格好をしているわけではなかった。いつもようにちょっとしゃれっ気のある服装だ。ただ雰囲気がどことなくどんよりとしていたので、薄暗く感じられたのだ。落ち着いてみればなんでもない様子に、アメリアがはぁっと息を吐き出した。 「ハウアー先生だったんですかぁ。危うく攻撃しちゃうところでしたよぉ。先生はどうしてこちらに?脅かし役とも見えないんですけどぉ?」 エルンストは2人をちょいちょいと手招きすると、適当な岩に腰掛けるよううながした。 「いや、なに。ちょっとこの洞窟について面白い伝説を聞いたのでな。話しておいてやろうと思ったんじゃ」 「伝説?」 アメリアとキリエが顔を見合わせる。確か事前情報では伝説などなかったはずなのだが。エルンストは軽く咳払いして、口を開いた。 「地元の民話にあった話じゃがな。その昔、この地に戦があった。そして敗退した軍の落ち武者がこの洞窟に隠れていたのじゃ。残党狩りの出現に怯えながらな。当時このあたりにあった村はどちらにも属してはいない、小さく平凡な村じゃったから、落ち武者の存在に気づいてもあえて関わり合いになろうとはしなかった。1人の心優しき娘以外はな。その娘は傷ついた兵士を哀れに思い、せっせとこの洞窟に通ってはかいがいしく世話をしていたそうじゃ。そして2人はいつしか恋仲になって行った……」 しんみりした口調が話の先に待つ不幸を予測させて、わかっていてもアメリアたちはついごくりと息を飲んで続きを待ってしまった。 「やがて残党狩りの連中が村にやってきた。彼らは残党を捕らえるために賞金を出していたのじゃが、その賞金に目が眩んだ村人がいた。その村人は兵士と娘が恋仲であることを知っていたが、欲に惑わされて兵士の情報を残党狩りの連中に売ってしまったのじゃ」 「それでどうなったんですか!?」 展開を予測しつつも、キリエが身を乗り出してきた。エルンストはわざと悲しそうな顔を作って話を続けた。 「その頃には兵士の怪我もだいぶん良くなっていた。他の村人が関わってこないこともあって、心のどこかに隙ができていたのじゃろう。2人は浜辺で逢瀬を楽しんでおった。そこへ裏切った村人が残党狩りを連れてやってきた。村人を見て娘は叫んだ。「お父さん!」と」 「ええっ、その村人って、娘の父親だったの!?ひどい……子供の恋人を売るなんて」 「娘の言葉を聞いて、兵士は娘が裏切ったと思い込んでしまった。残党狩りの連中は娘を無視して容赦なく襲ってきた。それも原因じゃったのじゃろう。実際には情報の見返りに、娘には手出ししないよう父親が頼んでいたのじゃが。ともあれ、抵抗する術もない兵士は死に至る深手を負ってこの洞窟まで逃げてきたが、それが限界じゃった。助からないと悟った兵士は、娘を恨む言葉を吐きながら自害してしまった。その怨念はいまだにこの洞窟に渦巻いているのじゃ」 まるでエルンストの話にあわせるかのように、洞窟の奥のほうから冷たい霧が漂ってきた。冷やりとした空気に思わずキリエがアメリアに抱きついてしまった。アメリアはそっと光の精霊ジルフェリーザを呼び出し、洞窟内を探らせた。負の感情に敏感なジルフェリーザが首をかしげているのを見て、アメリアはこれが作り話であることを見抜いた。そしてキリエを安心させようと口を開きかけたとき、先にエルンストが話を続けてしまった。 「娘のほうも恋人の死を知って悲嘆のあまりこの洞窟で命を絶ってしまったそうじゃ。それからというもの、この洞窟を風が吹き抜けるたび、男の責め立てる声と、違う、違う……とすすりなく娘の声が聞こえるようになった。ほれ、耳を澄ませてみたまえ。聞こえぬかのう」 洞窟の奥からは相変わらず冷たい霧がやってきていた。わずかな風に乗って本当に声が聞こえるような気がして、キリエが泣き出しそうになった。アメリアはジルフェリーザにキリエをなだめさせながら、エルンストに向かってびしっと言った。 「ここにはそんな強い負の感情はないですよぉ。これってハウアー先生の作り話でしょぉ!」 決め付けられてエルンストがふぉふぉふぉっと笑った。 「やれ、さすがに光の巫女はだませんかの。その通り、数百年はここにはそんな事実はありゃせんよ。長い住人に聞いたんじゃから間違いないわい」 「そうだったんですか〜良かった〜」 へたりこみそうになったキリエに、エルンストが追い討ちをかけた。 「地縛霊はワシに嘘をつかぬからのう」 「……はい?」 アメリアがジルフェリーザを見ると、ジルフェリーザがこくりとうなずいた。さすがにアメリアが顔を引きつらせた。 「じゃあ、本物もいるってことぉ……?」 「えええっ」 「彼らは悪さはしないから安心したまえ。ただ、どうやら呼び出された霊もいるようじゃが。っと行ってしまったか」 だーっと駆け出した2人に笑いが収まらないエルンストだった。 ちなみに、アルヴァート・アンナ組は、アルヴァートがずばりと見抜いてエルンストの肩を竦めさせていた。テオドール・アリューシャ組は、テオドールがその伝説に出てくるカップルの感情について質問攻めにしてエルンストを困らせ、アリューシャにはその霊を慰める音楽を捧げると真剣に言われてこれまたエルンストの肩を竦ませていた。かろうじてお化け話にちとせが怖がってくれたのでエルンストが胸をなでおろしていたが、相方のジニアスには一笑に付されてしまったので、つまらなそうに2人を送り出した。 「あはは、本当に本物がいるとはねぇ」 「やめてください〜」 のんきなジニアスにちとせが半べそをかきながら訴えた。ジニアスは他意もなくちとせの手を握って引っ張った。 「大丈夫だって!幽霊だってそうそういたずらはしてこないから」 「わかっていますわ」 おびえをみせてしまったことが恥ずかしくて、赤くなりながら強がってしまったちとせだった。 脅かし役の2番手はアクア・エクステリアだった。エルンストの話の最中に漂ってきた霧は、実はアクアの仕掛けた罠だった。奥に行くにつれ霧は濃くなり、視界はどんどん悪くなっていった。必死に走っていたアメリア・キリエ組は、足元の危うさに仕方なく速度を落としたが、霧の中からお化けに仮装したアクアにいきなり飛び出してこられて再び走り始めた。逃げ出す2人を奇声を上げながら追いかけるアクア。幽霊だとか脅かし役だとか確かめる余裕もなく、アメリアたちはひたすら走って逃げていった。 「ふう、どうやらやら仕掛けには気付かれなかったみたいですねぇ。良かった」 実はアクアは、空き時間を利用してオリエンテーリング用の仕掛けを洞窟内に仕掛けていたのだ。この霧はその仕掛けに気付かれないためでもあった。 「おや、どうやら2番手が来たみたいですねぇ。では、今度はじっくりと」 アルヴァートはペアがアリューシャではなかったので、多少投げやりに適当な話題を振りながら後方を気にしていた。霧が濃くなってきて視界が悪くなると、アンナが顔をしかめた。 「これではごみが落ちていてもわかりませんわ」 「さっきの悲鳴からして、アメリアとキリエはすぐさま突破していってしまったみたいだし、ごみを落とす余裕はなかったんじゃないかな。ただどんな仕掛けで脅かしてくるのか。次のアリューシャが困らないようにしておかないとな。あんまりひどいようだったら、ルクスの電撃で気絶でもさせておこう」 かなり本気な台詞に、アンナが苦笑した。 「肝試しは怖がってなんぼじゃありませんの?そのスリルを楽しむのが醍醐味だと思うのですが」 「ただ怖がらせるだけなら、まあ肝試しだから仕方ないと思うけどさ。誰がなにをしてくるかわからない学校だからね。それが危険なものだったりしたらやばいじゃないか」 「この霧も仕掛けの1つでしょうかねえ」 アルヴァートの心配をよそに、アンナがのんびり言った。アルヴァートについてきている光の精霊ルクスの灯りが周囲を照らしているが、一面真っ白ではそれもあまり意味がない。むしろ視界不良を促進させていた。 アメリアたちの悲鳴はもう聞こえなくなっていた。かなり先に行っているらしい。まあ慌てることもないかと、アルヴァートたちは慎重に歩を進めていた。滴でも垂れているのか、ぴちゃんぴちゃんとかすかな音がする。気もそぞろになっているアルヴァートはアンナに話しかけるのも忘れて歩いていた。アンナも会話が途絶えたことをさして気にすることなく、一生懸命に足元を確認しながら歩いていた。 「……なんだか寒くなったような気がするんだけど、霧のせいかな。って、うわっ!?」 「あら、これは」 急に気温が下がったかと思ったら、外は暑いというのに洞窟の中が吹雪きだしたのだ。薄着の2人が寒さに凍えて歩みを止めてしまった。そのタイミングでアクアがゆらりと姿を現した。 「け、けけけけけけ」 普段は束ねられている長い髪がざんばらにほどけて風になびいている。そのため顔が良く見えない。だが額に締められた鉢巻で止められている2本のろうそくの炎だけははっきりと見えた。服は真っ白な着物で、袂がばたばたとしている。最初はゆっくりとした動きだったのが、急にすばやい動きになってアルヴァートたちに迫ってきた。両手は前に突き出されている。その腕に撒きついていた蛇が、しゃーっと鎌首を持ち上げて威嚇してきた。 「これは逃げるのが正解ですかしらね?」 アクアが近づいてくるにつれ、吹雪もひどくなってくる。長い髪が襲い掛かってくるように見えて、アンナがたっと駆け出そうとして……つるりと足を滑らせた。 「きゃあっ」 不意のことにさすがにかわいらしい悲鳴をアンナが上げる。さすがに放っておくわけにも行かないので、アルヴァートが転んでしまったアンナを助け起こそうとし……。 「うわっ。こ、凍っている!?」 近づいたアルヴァートも凍結した石畳で転倒してしまった。 「くけけけけ、凍れ……凍れ……凍り付いてしまえぇぇぇ」 吹雪をまとったままアクアがわざとらしく低い声音で叫びながら近づいてくる。氷点下に近くなった気温にさすがに身の危険を感じて、アルヴァートが急いでアンナを助け起こし、剣でアクアをけん制しながら駆け出そうとした。 「走るのは危険ですわ!あちらこちら凍り付いているようですもの」 アンナが足元を見て告げた。アクアはすいすいと氷の上を滑りながら近づいてくる。アルヴァートはルクスを足元にやった。どうやら全面的に凍り付いているわけではないらしい。わずかながら走れそうな場所もあった。アルヴァートはアンナの手を掴むと、その方角に向かって走り出した。 「ここはまかせて!」 「お願いいたします」 アクアはしばらく追いかけてきたが、やがて霧とともにいずこへと姿を消した。吹雪もやみ、気温が上昇してくる。寒さにこわばった体をしばしほぐして、ほっとため息をついていると、前方から再びアメリアとキリエの悲鳴が聞こえてきた。かなり離れていたはずなのに、はっきり聞こえる。その声には恐怖が混じっていた。 「まだあるのか……」 「キリエの声、だいぶん怖がっていらっしゃるようでしたわねぇ。今度は何が待っているのでしょうね」 「さすがに命の危険はないだろ……と思うんだけど。でもキリエがあんなに怖がりだとは思わなかったな。アメリアも悲鳴を上げていたけれど、そんなに切羽詰った感じはしなかったし」 「まあ、行けばわかりますわ。時間的にみてあともう少しでしょう。たとえ戦闘になっても大丈夫ですわ。わたくしが戦って差し上げます」 「大丈夫だよ、戦うのはオレがやるからアンナは下がっていて」 さすがに女の子に守ってもらうのはプライドに関わるので、アルヴァートが宣言する。それも聞かずアンナはすたすたと歩き出していた。 「どうかされました?置いていってしまいますよ」 「あ、いや。だからね」 「とりあえず地面とかきれいなままのようですわね。良いことですわ」 アルヴァートの困惑を無視して、アンナは先に進んでいった。 肝試し3番手のテオドール・アリューシャ組は、テオドールが詩吟で鍛えた歌声を披露しながら進んでいた。洞窟内に水分があっては困るので、今日のテオドールは赤いチェックの長靴を履き、お揃いの赤い合羽を着ていた。着せ替えぬいぐるみ状態のテオドールが渋い詩吟を吟じているのはいささかミスマッチだったが、音楽に深い興味を持っているアリューシャは、そのアンバランスをまったく気にしないでテオドールの喉に聞きほれていた。 そんなのんびりペアが、アクアの罠を怖がるわけがない。いや、テオドールのほうは吹雪の水分が体に染み込むことを気にしていたが、幸い巨大化する前に突破することが出来た。 ジニアス・ちとせペアも、さすがにこれが本物ではないとわかったので力づくで突破を試みていた。ジニアスはちとせにリスの姿に戻ってもらい抱えて凍りついた地面を身軽に滑って行った。仕掛けのほうに行きそうになられてアクアが慌てる。吹雪をやませると、正しい方角を指差した。 「なんで怖がってくださらないのですのぉ。つまらないですわ。もういいから行ってくださいませ」 「いやいや、その演出はなかなか良かったと思うよ。楽しかった。ありがとう」 明るくジニアスに言われて、アクアが頭を抱えた。ちとせがまた人間形になってふふと笑った。 「確かに迫力はありましたけれど、本物じゃなければ怖くなどありませんわ。残念でしたわね」 「まったく脅かしがいのない……いいですわ。どうせその『本物』も控えておりますから。せいぜい頑張ってくださいませ」 「え?やっぱりいるの?」 微妙に腰が引けたちとせの肩を、ジニアスがぽんと叩いた。 「だから大丈夫だって。さあ行こう!俺たちが戻らないと終わらないからね」 「仕方ありませんわね」 人間形になるとどうしてもいささかひねくれてしまうちとせは、怖がりながらも前方をきっと見つめた。 最後の脅かし役はミズキ・シャモンだった。と言っても、実際に脅かすのはミズキ自身ではなかった。ホウユウには苦い顔をされていたが、シャモン家の先祖霊たちに来てもらって参加者たちを脅かしていたのだ。シャモン家の故郷では、年に一度、こぞって先祖が里帰りしてきて実際に会うので、個性派がそろっていることには自信があった。さすがにすっかり怖がっている1番手の女の子ペアには手加減してやったが、体が透けて見える本物さんがぞろぞろとひしめき合っている状景は、それだけで怖いものがあった。まだアメリアは人外の存在に耐性があったが、キリエのほうは悲鳴を上げっぱなしだった。 「キリエぇ、そんなに怖がらなくても大丈夫だよぉ。この人たち、悪い人じゃないみたいだしぃ」 アメリアが必死に慰めていたが、すっかりパニックに陥っていたキリエにはあまり効果がなかった。と、1人の霊が前に進み出てきた。キリエがびくっとしてアメリアの背後に隠れる。その霊はキリエに向かってふっと白い歯を見せて笑いかけた。 「お嬢さん方、美しいね。俺と一緒にあの世に行かないかい」 ちょっとお茶しよう的な口調で怖いことを口に出されて、キリエがぶんぶんと勢い良く首を振った。アメリアがため息をつきながら丁重に言った。 「間に合ってますぅ。先を急ぎますので失礼いたします。行こぉ、キリエ」 丁寧に頭を下げてから、固まっているキリエの背中を押した。イケメン幽霊は残念そうにそれを見送った。 アルヴァート・アンナ組が対峙したのはいかにも女傑といった感じの厳しそうな女性の霊だった。手に刀を持っていたことから、アルヴァートが剣を持って身構えた。アンナが首をかしげた。 「幽霊でも物理攻撃が出来るのでしょうか……?」 と、それを聞いた女幽霊がびしっと指差してきた。 「シャモン一門に対して何たる無礼な物言い!それくらい出来て当然であろうが。ええい、腹を切って詫びを入れよっ」 「お楽しみイベントで切腹とは物騒な話だな。死人は殺せないだろうけど、一戦やろうというのなら相手になるぜ」 こんな危ない幽霊をアリューシャに引き合わせるわけには行かない。アルヴァートがぐっと構えなおし、アンナもレッドクロスを装着して攻撃に備えた。女幽霊はその心意気に感動したのか、さっと手を上げて他の幽霊に合図を出した。とたんに幽霊たちがざっと陣を展開させてアルヴァートたちを取り囲んでしまった。そして見事な連係プレーで攻撃してきた。アルヴァートとアンナが必死に応戦する。だがにわかペアでは防御が精一杯だった。自分たちの優勢を見て取って、女幽霊が高笑いを上げた。乱戦で洞窟内に瓦礫がたまっていく。それにアンナの堪忍袋の緒が切れた。 「こんなに汚してー!許せませんわ。きっちり片付けてくださいませ。礼儀を知らないのはどちらですの!?」 「ほう、そう言うかえ。わたくしたちが悪いと申すか」 「そうですわ!脅かすのも結構ですけれど、限度というものがありますでしょう。自然破壊は悪いことです。そうではありませんの?」 アンナの言い分はつぼをついたらしい。女幽霊は高笑いを続けながら攻撃をやめさせた。 「それもしかり。すまなんだな。久しぶりに現世に来て、ちょっと浮かれてしまったようじゃ。直してしんぜよう」 ばらばらと落ちていた瓦礫が元通りになっていく。アンナが満足そうに笑みを浮かべた。 「そなたの勇気は賞賛に値する。名はなんと言うのじゃ」 「アンナですわ」 「わたくしはシャモン家4代目当主トモエじゃ。いや、なかなか楽しませてもらった。礼を言おうぞよ。そちらのおのこもなかなかの腕前。わたくしたちは年に一度は里帰りする。いずれ機会があったらまた手合わせを願おうかの」 「結構です」 アルヴァートがそっけなく答えると、トモエの眉がぴくりと動いた。 「わたくしたちとは戦えぬと申すか!ええい、この意気地なしが。切腹せよ!」 「それもお断りします。オレにはまだ生きて守らなきゃならないものがありますからね。それじゃ!」 そしてアンナをつれてすたこらとアルヴァートは駆け出した。トモエが楽しそうに笑っていたことには、振り向かなかった2人は気づかなかった。 困っていたのはアリューシャだ。幽霊という存在にペアのテオドールが歓喜してあれこれ質問を始めてしまったからだ。しかも問いかけた相手は可愛い物好きだったらしい。見た目は可愛らしいぬいぐるみのテオドールを抱きしめてほおずりしている。幽霊と動くぬいぐるみ。生物ではないもの同士の交流を微笑ましいといっていいものか、悩みどころではあった。しかもその幽霊は無骨な男性だったのだ。テオドールを可愛がるのはともかくとして、見た目はいささか気色悪い。そういう偏見は持っていないつもりのアリューシャだったが(とりあえずテオドールも嫌がってはいなかったし)、なんと声を掛けたらいいのか分からなかった。このままでは先に進めそうにないし、いくらテオドールが幽霊と似たような存在だとしても、ずっと一緒にいて良い影響があるとも思えない。だが幽霊相手に眠りのルビーが効果を発揮するか、少しばかり自信がなかった。 「あの、私たち、そろそろ先に進まないといけないのですけれども。テオも、観察もよろしいですが、後続の方もいらっしゃいますし、そろそろ……」 「いやぁん、離したくないわぁ。ねえねえ、連れて行っちゃダメ?」 野太いお姉言葉になんとなく脱力しながら、アリューシャは説得の言葉を捜していた。テオドールがアリューシャを見つめながら聞いてきた。 「連れて行くってどういうことなのかなぁ?」 「あの、その……いわゆるあの世というところだと思いますが。死者が旅立たれる場所ですわ」 「それってママがいるところ?そこに行ったらもう一度ママに会えるの?」 テオドールの言うママとは、亡くなった持ち主で、テオドールに魂を吹き込んだ人物のことだ。想像でしかないが、確かに彼女なら天国にいてもおかしくない。おかしくはないが、生物ではないテオドールがそこにいけるかははなはだ疑問だったので、アリューシャはますます困ってしまった。そんなアリューシャをテオドールは不思議そうに眺めた。アリューシャがため息をついた。 「残念ですが……生物とは異なるテオがそこにいけるかは私にはわかりませんわ」 「それもそうだねーって、なんでアリューシャちゃんはそんな困った顔をしているの?」 「ええと……そう、もしそれでテオが消えてしまったら悲しいからですわ。せっかく仲良くなれましたのに」 「ボクが消えちゃうと悲しいの?どうして?」 無邪気な質問に、アリューシャは言い聞かせるように返答した。 「仲良しと二度と会えないのは寂しい気持ちにさせられますから。それを悲しいというのですわ。私はまだまだテオと一緒にいたいですもの。テオは私と会えなるのはお嫌ではありません?」 「んーそうだねー。嫌って気持ちは良くわからないけど、アリューシャちゃんと遊べなくなっちゃうのはつまらないかなぁ」 「あらぁ、それなら貴女も一緒に逝く?」 とっさに思い浮かんだのはアルヴァートの姿だった。誰よりも自分を大切にしてくれる存在。そして自分が大切にしたいと思っている存在。ここでうっかり昇天させられてしまったら、アルヴァートはどれだけ傷つき悲しむだろう。その姿を想像しただけで、アリューシャも悲しくなってしまった。そこで悲壮な声で申し出をきっぱりと断った。 「私には悲しませたくない方がいらっしゃるのです。私が死んでしまったら、その方はどれほど傷つき苦しむでしょう。私を守れなかったといって、自分を責めることでしょう。私はアルバさんにそんな思いはさせたくありませんわ。人はいつかは死ぬものですが、今はまだその時期ではないと思います。私も、もちろんテオも。ですからあきらめてはくださいませんか」 「そうねぇ。でも離れがたいのよねぇ。いまさら現世に未練ができるとは思わなかったわぁ。困ったわねぇ」 なおもその幽霊がテオドールを抱きしめてほおずりしていると、隣からしくしくと泣き声が聞こえてきた。泣いているのはちょっと優男 な幽霊だった。その幽霊はひとしきり泣くと涙をぬぐい、ぐいっと未練たらたらな幽霊の胸元を掴んだ。 「現世のくびきから開放されて自己に忠実になったのはまだいい。だが、それで罪のない生者をあの世へ連れて行こうとするなど、誇り高きシャモン家の人間がすることか!俺は猛烈に情けなく思っているぞ!」 「いやぁねぇ。未練はあるけど、無理やりあの世に連れて行こうとするなんて、本気で思っているわけないじゃない。冗談よ、冗談。ごめんなさいねぇ、お嬢ちゃん。心配かけちゃったかしらぁ」 「いえ、本気でないならいいのですよ」 その間もテオドールはせっせとメモを取っていた。アリューシャと幽霊とのやりとりにはあまり興味がなかったようだ。というか、自分が死ぬということにぴんとこなかったのだろう。アリューシャはテオドールが解放されてほっとしつつ、せめてもの心づくしに癒しの歌を歌ってあげようとしたのだが、それは幽霊のほうから辞退された。まだあと一組残っているのに、うっかりあの世に戻ってしまっては呼び出したミズキに申し訳が立たないからだ。納得してまだメモを取っているテオドールをうながして目的地に向かい始めた。 それらの様子を岩場の影から見ていたミズキは、最初の組以外はこれといって怖がらせることが出来なかったことに不満を感じていた。 「次が最後でしたわね。ご先祖様方、しっかり驚かしてくださいね。これはそういうイベントなのですから」 やがてジニアスとちとせがやってきた。2人はしっかり手をつないでいた。『本物」が待ち構えていると知って、ちとせが怯えてしまったからだ。最後のペアとあって、幽霊たちは一斉におどろおどろしい雰囲気をかもし出しながらその前にいきなり出現した。ちとせがびくんと体を震わせる。突然の出現に、さすがのジニアスも驚いていた。行く手を阻まれて立ち止まったジニアスたちに、幽霊たちはおどろおどろしい雰囲気をまとわせたまま襲い掛かっていった。 「うーん、さすがに幽霊相手に戦ったことはないからなぁ。これって有効なのかな」 とりあえず怖がっているちとせもいることだし、ジニアスはサンバリーでバリアを張ってみた。本来これは物理的・魔法的な攻撃から身を守る結界なのだが、幽霊も精神エネルギーの塊と思えばあるいはと思わないでもない。実際、幽霊たちはバリアに次々と弾かれていった。 「なんとかなるもんだなぁ」 のんきにジニアスがつぶやく。がたがた震えながらちとせが話しかけてきた。 「で、どうしますの?」 「んー?結界を維持しながら進んでいこう。幽霊には瘴気があるかもしれないけど、それもこのお守りがあるから安心だよ。心配しないで。最後まで責任持って守ってあげるから」 「絶対ですわよ」 ちとせは内心の恐怖を押し殺して、精一杯強がった声を出した。 結界に群がってくる幽霊は、力づくで結界を壊そうとするもの、甘言で誘惑しようとするものと様々な人材がそろっていた。口が上手くて笑わされ、油断を誘われたときは危なかったが、気を張っていたちとせの叱咤でそれもなんとかクリアした。やがて奥の方に祠が見えてきた。そこには4と書かれた石が一つぽつんと残されていた。 「あれを取って来ればいいんだね。いやあ、それにしてもいろいろな幽霊がいたなぁ。しまいにはポルターガイストだもんな。あれってみんなシャモン家のご先祖様なんだろ?さすがすごかったね。でも、ま、貴重な体験ができてよかったかな」 「もう本物はごめんです」 行きと帰りは違う道らしい。用意してあった目印にしたがって別のルートを歩き始める。帰りのほうが近道らしい。てくてく歩いていくと、先に戻っていた面々が手を振ってジニアスたちを迎えてくれた。 「さ、あと一息だよ」 「ええ……付き合ってくださってありがとうございました」 人間の姿では珍しく素直にちとせが礼を言った。ジニアスはにこっと笑って「楽しかったね」と応じた。 出口では平静を取り戻していたローランドが石を受け取ってゴールを告げてくれた。 「みんな無事に戻ってこられたようで良かった。楽しめたかな?どうやらキリエが一番怖がったみたいだね」 「う〜おにいちゃんの意地悪っ。あれ?そういうお兄ちゃんも目が赤いね。どうしたの?」 不覚にも大泣きしてしまったことはキリエには言えない。ローランドはいささかあたふたしながら空を見上げた。 「暇だったからイブ先生に星座とか教えていたんだよ。ずっと空を見ていたから疲れたんだろう。さ、君たちも疲れただろう。脅かし役も戻ってきたし、宿に戻ろうか」 「ふうん?」 説明にいまいち納得できないでいたようだが、長時間海の側にいさせられて辛かっただろうことを考えると、追求する気にはなれなかった。キリエはぺったりローランドにひっついて宿に戻っていった。 肝試し参加組が戻ってきたのは、ちょうどそろそろ就寝時間になろうと言う頃だった。テネシーは起き出していて廊下をうろうろとしていた。ローランドがそんなテネシーに声をかけた。 「明日は海で泳ぐ予定だからね。見回りもほどほどにして、きちんと休憩を取るんだよ」 「わかっていますわ。とりあえず今のところ不審な人物はいないようですし、レイスやその仲間に見張らせていますから、多分大丈夫でしょう。時間を見計らって休ませていただきます」 「ああ、そうしてくれ」 「明日は水泳教室と水泳大会だったよね。お兄ちゃんも参加するの?」 「大会に出られるかはわからないけどね、教室の方には参加するよ。今ならなんだか泳げそうな気がするんだ」 意外とさばさばした表情でローランドが答える。キリエは心配そうに抱きついてきた。 「無理はしないでね」 「ライフジャケットもあるから大丈夫だよ」 「うん……」 解散を告げられて、各自ぞろぞろと部屋に戻っていく。沈んで見えるキリエに、アメリアがそっと近づいた。 「元気ないねぇ。大丈夫?」 「え?そう見える?大丈夫だよぉ。明日のイベントはあたしの本領発揮の場だもんね。頑張るよ!」 笑って答えたが、その笑顔もどこか無理をしているように見えた。心に負の感情があることはジルフェリーザを通して感じ取っていた。お休みの挨拶をしにきたアルトゥールに、アメリアが心配そうな表情をみせた。 「キリエが心配?」 「理由はわからないけど、なにか落ち込んでいるみたいなのぉ。先生との絆は信じているんだろうに、なんでなのかなぁ」 「真実がわかったばかりだしね、感情を消化しきれていないのかも。焦ることはないよ、フォローしていってあげよう」 そこにテネシーがやってきた。テネシーはテオドールを抱えていた。 「2人ともまだ部屋にいてなかったのですか。間もなく消灯時間ですよ」 「わかってる。もう戻るよ」 「じゃあ、明日ね。ところでテオ、どうしたのぉ?」 「ボク、女の子部屋がいいんだけどなぁ」 「テオドールは男子部屋!ちょうど良かったですわ、アルトゥール、彼を一緒に部屋に連れて行ってくださいませ」 どうやら女部屋に紛れ込んでいたのを発見されたらしい。アルトゥールが笑ってテオドールを受け取った。 「テネシーには逆らわないほうがいいよ」 「なにかおっしゃいましたか」 アメリアと女部屋に向かっていたテネシーが振り返る。アルトゥールは冷や汗をかきながらさらっと受け流した。 「いや、なんでもないよ。お休み」 「お休みなさ〜い」 そうして一日目の夜は静かに更けていった。 |