「心いろいろ〜仮面を壊したがるもの〜」

−第3回(最終回)−

ゲームマスター:高村志生子

 学園祭も終盤に近づき、一般客もそろそろ帰り始めた頃。とある教室でホウユウ・シャモンががさごそと箱からなにやら本を取り出していた。
「間に合ってよかった」
「あなた?なんなの、それ」
 妻のチルル・シャモンが不思議そうに聞くと、ホウユウは自慢げにその本を差し出した。それなりの厚みがあるその本は、ど派手なピンク色で『シャモン夫婦のイチャラブテクニック』(民迷書房刊)というタイトルが印刷されていた。堂々とシャモン夫婦のキスシーンの写真も使われていた。
「あらあら」
 チルルが中身をぱらぱら見ながら微笑む。ホウユウが胸を張った。
「アルトゥールがアメリアとの仲を進展させたいから、俺たちの夫婦円満の秘訣を教えて欲しいといってきてな。どうやら本命には弱いらしい。それを克服したいそうだ。なかなかの男気じゃないか。だから、この間、発刊したこの本を送ってもらったんだ」
「喜んでくれるといいわね」
 他人が読んだらどう思うかわからないが、書いてある内容は普段自分たちが日常的に行っていることばかりなので、チルルも平然とうなずいた。アルトゥール・ロッシュがアメリア・イシアーファを伴ってやってくると、さっそくイチャラブ本を手渡した。もちろんアルトゥールだけでなくアメリアにもだ。
「なぁに、これ?」
 アメリアの素朴な疑問に、アルトゥールがどぎまぎする心を表に出さないよう努めながら答えた。
「この2人の仲の良さの秘訣を教えてもらおうと思ってさ。アメリアと……もっともっと仲良くなりたいからね」
「わぁ、素敵だねぇ。うん、じゃあ私も読ませてもらおうっと。そぉだ、フェルにも読ませてあげようかなぁ。アーサーと上手くいくように」
「そっか、彼女はアーサーが好きだものな。アーサーは舞亜をダンスに誘うつもりらしいけど、舞亜のあの性格じゃどうなるかわからないし。どうせならフェリシェルと上手くいくといいな」
「うん。じゃあ、後片付けも残っているしぃ、ちょっとフェルのところに行ってくるねぇ。アルトゥール、後夜祭でね」
「それじゃ俺はアーサーのところに行ってくるか。ホウユウ、ありがとうな」
「いやいや、これくらいお安い御用だ。頑張れよ」
「ああ」
 廊下から歩きながら本を読んでいるらしいアルトゥールの短い悲鳴が聞こえてくる。ホウユウとチルルは顔を見合わせてにっこり笑いながら軽く口付けを交わした。
 ジュディ・バーガーは終わりかけの屋台を回ってあちこちで食べ物を買い込んでいた。
「あああ〜パンケーキがぁ〜」
 武神鈴のフライングパンケーキももちろん買っている。だが、食べているとはいえ、買いすぎて両手がふさがってしまったジュディがパンケーキをうっかり手放して浮遊させてしまった。慌てていると、一緒に回っていたアーサーが掴んでくれた。
「はい。でもジュディ、ちょっと食べすぎじゃないのかい」
「Oh!No!お祭りで食べ歩きをしないナンテありえまセン!アーサーも食べて元気だしてクダサイ。舞亜サンを誘うんでショウ?腹が減っては戦は出来ぬデスよ〜」
 強引に焼きそばを持たせる。アーサーが困ったように苦笑いしていると、隣りを同じ匂いが通り過ぎていった。
「終わったー!これでやっと劇から開放されるわー!」
「……楽しそうだったけど?」
 通り過ぎていったのはレイシェン・イシアーファと相棒のティエラだった。レイシェンはもぐもぐと焼きそばを食べていた。
「ま、まあそこそこ楽しかったけど、ずっと劇の練習ばっかで他のこととか出来なかったから。今日だってあんまり回れなかったし。レンだってそうでしょ」
「そうでもない、かな。俺、小道具係だったし(もぐもぐ)」
 そこでティエラがはたと気づいた。
「あーっ!レンってばいつの間に焼きそばなんか買ったのよ!ずるーい」
「さっき。あ……はい、これ、ティの」
 そう言ってティエラにクッキーの袋を手渡した。
「あと、まだいくつか屋台残ってた。スイーツパーラーとか」
「レン……ありがと!ちょっと行ってくるっ!」
 ティエラが一目散に飛び去っていった。後を見送りながら、レイシェンは手に持っていた紙袋をがさごそと抱えなおした。
「……おれも、詩歩のところ、行こう。……気に入ってくれるといいな、これ」
「ナンですか、ソレ」
 ジュディが音につられてひょいと顔を覗かせると、レイシェンが生真面目な顔で振り返った。
「ドレスと、髪飾り。詩歩に、プレゼントしようと思って。後夜祭で、ダンスパーティーあるだろ」
「プレゼント!素敵デス〜。きっと詩歩サン、喜びマスよ〜」
「そう、かな。だと嬉しいな」
 ちょうどそこに詩歩がやってきた。レイシェンを見つけて明るい顔になる。駆け寄ってきた詩歩にレイシェンがばさっと紙袋を手渡した。
「……はい」
「なに?」
「詩歩に、あげる。これ、着て、一緒に行こう?ダンスパーティー」
「わぁ……素敵」
 紙袋から取り出されたのは、淡い紫色のふんわりとしたドレスと、銀色に輝く羽の形をした髪飾りだった。詩歩が嬉しそうにぎゅっとドレスを抱きしめる。そして笑顔で告げた。
「すぐに着替えてくるから。待っていて」
「うん」
 レイシェンが詩歩にしかわからない程度に微笑んだ。
 着替えに行った詩歩にレイシェンがナイトよろしくついてゆく。ほのぼのとしたやり取りに、ジュディがぐっと握り拳でポーズを取った。
「さすがデス。アーサーもアノくらいの根性で行きまショウ!さあさあ、焼きソバ食べて。OK?」
「ジュディにはかなわないな」
 少し緊張がほぐれたのか、アーサーがまだ暖かい焼きそばに口をつけた。そこへ赤い顔をしたアルトゥールがやってきた。
「アルトゥール、ドウしました?顔が赤いデスよ」
「いやぁ。ホウユウに恋愛テクニック本をもらったんだけど、やっぱりあの夫婦くらいになるのはなかなか難しいなぁと思って。でも進展はさせたいしなぁ……」
 ちょっぴり遠い目をするアルトゥール。逆に目を輝かせたのはジュディだ。
「恋愛テクニック本デスか。そんなスバラシイものを……。ジュディも欲しいデス〜」
「言えばくれると思うぞ」
「さっそく行って来ます〜。あ、アーサー。ちゃんとダンスパーティーに舞亜サンを誘うんデスよ。GoForBroke!中途半端はダメね。きっちり気持ちの整理をシテ来るんデスよ」
「当たって砕けろ、か。そうだね。頑張るよ」
 ジュディがだーっと駆け出してゆく。残されたアーサーにアルトゥールが問いかけた。
「アーサー、ダンスパーティーのパートナーを舞亜に申し込むつもりなのかい」
「うん。ま、結果は見えてそうだけどね」
「でも、自分の気持ちに正直になるのはいいことだ。結果がどうであれ、ね。わかってると思うけど、断られても恨んだりするなよ。あれだけのことをしたんだから」
「大丈夫。覚悟は出来ているよ。ジュディの言ったとおり、当たって砕けろの精神で行ってくるよ。どこかでふんぎりをつけないとね」
「それならいいんだ。まあ、お前のことだから、彼女に振られてもいいパートナーが見つかるさ」
 フェリシェルの顔を思い浮かべながらアルトゥールがアーサーを励ます。アーサーは食べ終わった焼きそばのパックを手近なゴミ箱に捨てながら、手を上げてその応援に応えた。その心意気を暖かく見守っていたのはエルンスト・ハウアーだ。エルンストはふぉふぉふぉと笑いながらアーサーの背中をぽんぽんと叩いた。
「噂は聞いたよ。随分、派手にやったようじゃの。まあ、結果的には劇に貢献した形になったようじゃが。まったく、最初からそれだけの度胸を彼女に見せておれば、また違った結果になっておったじゃろうに。若いのぅ」
「はあ、まあ、そうですね。ハウアー先生みたいに堂々としていられたら良かったんでしょうけど……」
 アーサーがそう言うと、エルンストは少し照れたような顔になった。
「ワシか?ワシが大学生時代に婆さんを射止めたのは、中途半端な付き合いを続けたあげく、学徒出陣の日にようやく「もし戦争から生きて帰ってこられたら結婚して欲しい」と言ってのことじゃったからな。実はあまり人のことをとやかく言えんのじゃよ。はっはっは」
「先生でもそうだったんですか」
 平和なアットで学生生活を送っている身としては、戦争といわれてもあまり実感がわかなかったが、かなり切羽詰った状況だったのだろうということだけは理解できた。それこそ学祭前に毒を盛られて(実際には嘘だったのだが)死を身近に感じたのと同じくらいには危機感があったのだろう。あのときの捨て鉢な勇気とは種類が違うだろうが、追い詰められたときの勇気には大きなものがあることは確かだ。アーサーが感動して瞳を潤ませていると、エルンストは笑いながらもう一度、背中を叩いてきた。
「未熟者が悶々として小細工を労しても、なんの解決にもならん。それは今回の一件でよぅくわかったじゃろう?深く考える必要はない。口下手でもいいんじゃよ。美辞麗句で彩ろうなどとせずに、今は若さに任せて思ったとおりの想いを伝え、突き進むことじゃ。先程あたって砕けろと言っておったようじゃが、たとえ、何度も砕け散っても!……焦ることはないんじゃよ。若いということは、まだ何度でもやり直せる、そういう特権を持っておるということなんじゃからの」
「はい!」
 アーサーと一緒になってアルトゥールもうなずいていた。エルンストが「ん?」と首をかしげた。
「アルトゥール?君にはもう可愛い恋人がおるじゃろうに」
「え?あ、あはは。いや、まあそうなんですけど。いざっていうときにどうも緊張してしまうもんですから。他の女の子相手だったら平気なんですけどねぇ」
「本命には弱い、と」
 図星を指されてアルトゥールの顔がこわばる。エルンストの笑い声がいっそう高まった。
「これも若さゆえの悩みかもしれんのぅ。まあ2人とも頑張りたまえ」
「はい」
 校内はそろそろ祭りの終わりの寂しさが漂い始めていた。
 フライングパンケーキの好調な売り上げに気を良くしていた鈴は、後片付けをしながら、後夜祭の準備に取り掛かっていた。パンケーキの残りの材料を使って料理を作ったり、近所の教室で出た廃材を使って打ち上げ花火などを作ったりしていたのだ。そこへやってきたのはアルヴァート・シルバーフェーダだった。アルヴァートはいつもの軽装ではなく、きっちりとした漆黒の礼服に身を包んでいた。
「あの、お忙しいところ申し訳ないんですが」
「なんだ?なにか作ってもらいたいものでもあるのか」
「はい。実は、後夜祭のダンスパーティーで使う録音・再生機が作れないかと」
 鈴がアルヴァートの格好を見て納得したようににやりと笑った。
「お前な……オレのこと何でも屋かなんかと勘違いしてないか?まあ、いいが。裏方ばかりじゃ寂しいものな」
「すみません。最後くらいは自分たちが楽しむことを考えてもいいかなって。どうでしょう」
「オレにかかればそんなの造作もないことだ。すぐに作ってやるから、ちょっと待て。おい、C4。アレを用意しろ」
「はい、ご主人様」
 まだメイドモードだったアンドロイドがしとやかな動きでがちゃがちゃと近隣から材料を集めてくる。鈴はあっという間にそれを組み立ててアルヴァートに手渡した。
「ここを押すと録音。こっちが再生ボタンだ。録音時間は長めに設定しておいたから、何曲か入れておくといいぞ。同じ曲ばかりじゃつまらないからな。音量は曲によって勝手に変わるから心配するな」
「はい、わかりました。って、この部分はなんですか?」
 スピーカーの上になんだかわからない穴がある。アルヴァートの素朴な疑問に鈴は肩に手を置いて一言言った。
「気にするな」
 有無を言わせない迫力にアルヴァートが黙り込む。そして材料費は要らないというので、大人しく作ってもらった機械を持って去っていった。鈴は元の作業に戻りながらふんふんと鼻歌を歌っていた。
「この学園にはカップルが多いからな。雰囲気くらい読んでやらないと可哀相だろう。さてどんな曲を入れるやら」
 アルヴァートが気にした穴は、鈴が勝手に取り付けたその場の雰囲気を読んで自動的に曲を選択する機能だった。

 各種の催しの終了時刻がせまり、後は締めくくりの後夜祭を残すだけとなった頃。劇も無事に終わりほっとしていたジニアス・ギルツは、アンナ・ラクシミリアと一緒に校舎内の後片付けに追われていた。もちろん各自それぞれに片付けはしていたのだが、客が出していったごみなどがあちらこちらに散乱していて、アンナの使命感に火をつけていた。
「あー!あんなところにもごみが。まったく、きちんと捨てるということがどうして出来ないのでしょう」
 ぷりぷり怒りながら目に付くごみを片っ端から手にしたゴミ袋に放り込んでいく。ジニアスもそれにならいながらアンナに話しかけた。
「けど、劇が無事に終わってよかったな。狙い通りにハプニングが起きたときはちょっとどきっとしたけど、良い演出になったみたいだし。お客さん、けっこう喜んでいただろ?」
 アンナは胡乱気な顔でジニアスを見つめ返した。
「劇がうまいこといったのは喜ばしいことですわ。けど、わたくしには本当に妨害してきたアーサーの気持ちが理解できません」
「まあまあ。妨害が失敗に終わって、本人もほっとしたらしいよ。やっぱり自分でも悪いことだと思っていたんじゃないかな。だからやけくそって奴だよね。どうやら本当に舞亜に嫌われたって思っていたらしいし」
「その心理が理解できないというんですわ。わざわざ嫌われるような行動を取るなんて、不思議でたまりません」
「ま、確かに子供の発想的なところはあるね。でも、ちゃんと反省しているみたいだし、それでもって素直になる気になったみたいだし。後夜祭でダンスを申し込むつもりらしいよ。妨害させるための挑発はわざとだったから、舞亜も多分まんざらじゃないと思うんだ。今なら劇の成功で気を良くしているから、案外うまくいったりしてね」
「そう、ダンスを……」
 アンナはなにやら考え事を始めた。ジニアスはそれに構わず話を続けた。
「そういうアンナは?誰かと踊るの?」
「いえ、とくにお相手はおりませんが……」
「じゃあ、俺と踊ってくれない?参加してみたいんだけど、俺も相手がいなくてさ。アンナさえよければだけど」
 その申し出に、アンナが何かを思いついたようにふと表情を変えた。
「ええ、けっこうですわよ。踊りたくないわけではありませんし。それにそのほうが好都合……」
「え?」
「いえ、なんでもありませんわ。ではよろしくお願いいたします。そうと決まれば、さっさと片づけを済ませてしまいましょう」
「そうだね」
 アンナが思いついたことには気づかずに、ジニアスは単純にダンスパーティーに参加できることを喜んでいた。
 ジュディと別れたアーサーはダンスパーティーの申し込みをしようと舞亜を探して校内をうろついていた。それを捕まえたのはアクア・エクステリアだ。アクアは戸惑うアーサーを強引に音楽準備室に連れて行った。
「一体なにを」
「後夜祭で舞亜さんと踊るのなら、それなりになってもらわないとですねぇ。練習を重ねたから、舞亜さんはかなり上手になっているんですよぉ。あなたは途中で降板してしまったから、練習も中途半端になってしまいましたでしょう。私が特訓して差し上げますから、自信をつけてください」
「ああ、そういうこと。じゃあ、お願いしようかな」
 アーサーが素直に納得すると、アクアは準備室にあったレコーダーで曲を流してアーサーと踊り始めた。少しだけは練習していたアーサーだったが、舞姫であるアクアの合格ラインには程遠いものだった。リードしながら弱点を見抜き、踊りながらその弱点を修正して行く。最初はぎこちなかったアーサーも、アクアの教え方が上手かったため次第にリラックスした様子になり、動きも滑らかになっていった。何曲か踊り、一応は合格点をあげてもいいかと言うくらいになってから、アクアは曲を変えた。スピーカーから流れてきたのはしっとりした曲だった。アクアがアーサーの肩に手を置き、体を密着させる。
「ア、アクア?」
「今度はチークダンスですよぉ。ほら私の腰に手を回して。しっかり体をつけてくださいぃ。足元に気をつけて。ステップはこう。今は私がリードしていますけどぉ、本番では貴方がリードして差し上げなくてはならないのですからねぇ。ちゃんと動かないとぉ」
「はい、先生」
 アーサーが厳しい声音に苦笑しながらアクアと体を密着させて踊り始める。ステップが完璧になるまではあれこれ指図していたアクアだったが、アーサーが覚えてリードできるようになると、ひそかににやりと笑って黙りこんだ。
『そろそろ来る頃ですねぇ』
 実はアーサーを誘う前に、舞亜を呼び出していたアクアだった。目的は自分を好きなはずの男が他の女と仲睦まじく踊っているところを見せ付けて、舞亜にやきもちを焼かせることだった。そうとは知らないアーサーは無心にアクアと踊っていた。
「ふうん、そういうことだったの」
 がたんと言う音とともに扉が開かれ、舞亜の冷ややかな声が降ってきた。アーサーがはっとして入口を見ると、舞亜が腕を組んで壁にもたりかかりながらじっとこちらを見つめているところだった。ダンスの途中だったのでアーサーとアクアの体は密着したままだ。その体勢と舞亜の言葉の意味を理解すると同時にアーサーが慌ててアクアから離れた。そして舞亜に向かって必死の弁明を始めた。
「誤解だよ!これはただ、エクステリアさんにダンスの練習をつけてもらっていただけなんだ。僕が本当に踊りたいのは朝塚さんなんだから」
「その割には良い雰囲気だったじゃない。私も見事にだまされたものだわ。あなたは私が好きだと言っていたけれど、本命はアクアだったのね。アクアの提案もそのせいだったとは」
「提案?」
「妨害者があなただってわかっていたから、その妨害を演出に利用しようとアクアが言い出したのよ。だから事前にわざわざ挑発して、本当に妨害させるように画策したの。まさか2人が通じていたとはね。どうりですんなり妨害工作が演出に切り替えられたわけだわ」
「え!?」
 アーサーが驚いた顔でアクアを見つめる。アクアはくすくす笑っていた。
「気にするってことは、やきもちですかぁ?」
 舞亜は顔色1つ変えずにふんと鼻を鳴らした。
「別に。いちいち呼び出して見せ付けるなんてのは、意地が悪いとは思うけれど。真実がわかってすっきりしたわ。ありがとう」
「違うって!その画策のことも知らなかったし、今のも本当にただの練習だって。信じてくれ」
「どうだか」
 慌てふためいているアーサーを尻目に、アクアがほくそえみのまま舞亜に近づいていった。
「あらぁ。それならアーサーさんと踊る気はまったくないって言うんですかぁ?それなら私が代わりに踊っていいですかぁ?」
「好きにすれば?私に遠慮することなんかないわよ」
 心底どうでもいいといった感じで舞亜が言い放つと、予想外の反応にアクアが表情を変えないまま内心で舌打ちした。
『これは困りましたねぇ。ショックで逃げ出すかと思っていたのですけどぉ。もしかして本当に舞亜さんはアーサーさんのこと、なんとも思っていないんでしょうかぁ。ちゃんと好意を持っていると思っていたのですけどぉ』
 やきもちを焼いて逃げ出したなら、自分に素直にさせて2人をくっつけようとしていたのだが、どうやら逆効果だったようだ。アーサーがアクアを押しのけて前に進み出ると、舞亜に向かって手を伸ばした。そして肩に手を置こうとしたのだが、舞亜がすかさず一歩引いてその手から逃れた。空をつかんだ手を握り締めて、アーサーが懇願するように舞亜に言った。
「遅くなったけど、劇の成功おめでとう。色々と迷惑かけて本当にごめん。二度とこんなことはしないと誓うよ。だから僕と踊ってもらえませんか」
「だめー!舞亜はボクと踊るのっ♪」
 緊迫した場面に割って入ってきたのはトリスティアだった。トリスティアは劇の衣装のまま、背後から舞亜に抱きついていた。
「見〜つけた。舞亜ってば片づけが終わったらさっさといなくなっちゃうんだもん。もうじき後夜祭が始まるよ。ボクと一緒に踊ってもらえませんか、お姫様」
 そういって離れると、うやうやしく礼をする。猫間隆紋が厳しい声で叱った。
「なに、女性同士とな。それは許さんぞ!」
「え〜なんでだめなのさ。ボクたち、キスも済ませた仲なのに」
「あ、あれはお芝居の中でのことでしょ。演技だもの。キスになんかカウントしないわよ。あれがファーストキスだなんて情けないじゃない」
「舞亜、初めてだったの?わーい、嬉しいな」
 失言に真っ赤になる舞亜と、嬉々としているトリスティア。渋い顔をしている隆紋。アーサーが今度はちゃんと舞亜の肩を掴んで再び言った。
「ううん、やっぱり僕と踊ってくれないかい」
「アーサーにはアクアがいるでしょ」
「エクステリアさんは結婚しているじゃないか。浮気させるわけにはいかないよ。本当に、なんでもないんだし。だから僕と」
「だからぁ、舞亜と踊るのはボクだってば」
 隆紋がこほんと咳払いをした。そしてアーサーとトリスティアに取り合われている舞亜に向かって手を差し出した。
「こら、舞亜殿が困っておるではないか。無理強いをするものではない。というわけで舞亜殿、ダンスの相手は先輩である私が勤めよう。いかがかな」
 見れば隆紋はしっかりタキシードなどを着込んでいた。取り合われて眉をひそめていた舞亜は、素直に差し出された手を取った。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします、先生」
「ええっ」
「あー!」
 アーサーとトリスティアが見事にはもる。その声にはかまわずに隆紋は掴んだ手をぐいぐい引っ張って後夜祭の会場である校庭に向かい始めた。トリスティアが騒ぎながら後を追いかける。
「一曲くらいいいでしょー!」
「あー、わかったわよ。一曲だけよ。一曲だけ付き合ってあげるから抱きつくのはやめてちょうだい!」
「だから女性同士など許さぬといっておるだろう。教師としてそんな不自然な関係は見逃せん」
「女同士だから健全なんじゃないかぁ」
 がやがやとした声が遠ざかっていくのを、アーサーが呆然とした顔で聞いていた。思わぬ展開にさすがのアクアも、あっけに取られながらアーサーの様子を伺った。アーサーはしばらく呆けていたが、やがて表情を引き締めた。
「誤解を解かなくちゃ。これじゃふんぎりなんてつきやしない。エクステリアさん、練習に付き合ってくれてありがとう。行ってくるよ」
 初めて見る男らしい表情に、アクアの顔も緩む。
「あれはやっぱりやきもちだと思うんですよぉ。だとしたら、舞亜さんもにくからず貴方のことを思っているはず。頑張ってくださいねぇ」
 校舎内に後夜祭の始まりを告げる放送が流れてくる。駆け出すアーサーをアクアは暖かく見送った。

 校庭の真ん中では丸太が組まれ、赤々と燃え盛っていた。放送を聞いた生徒や教師たちが集まってくる。まずはミス・ミスターコンテストの表彰式が行われることになっていた。司会を務めるルシエラ・アクティアが用意された誘導をかねてマイクのテストをしていた。テネシー・ドーラーが風紀委員を集めて指示を飛ばしている。
「いいですか。後夜祭が終わるまでが仕事ですからね。ダンスだなんだと浮かれて風紀を乱す者がいないとは限りません。しっかり最後まで取り締まるように。よろしいですわね」
「え、じゃあダンスパーティーには参加できないの!?」
 テネシーの言葉に反応してしまったのはミルル・エクステリアだ。テネシーは無表情に返答した。
「約束があるならそちらを優先して構いませんわ。ただし羽目は外さないように」
「ありがとう、テネシー!」
 嬉しげにミルルが立ち去る。その会話を聞いて、アメリアはフェリシェルと一緒に校庭の片隅に移動してイチャラブ本を読んでは小声で嬌声を上げていた。
「そぉおなんだぁ。恋人ってこういうことをしなきゃいけないんだぁ」
「キス!?キスが基本なの〜!?確かにあの夫婦は人前でも平気でキスしているけど〜」
「キスだけじゃないよぉ。ほらここぉ、抱きしめるって。あと、髪を撫でる?膝枕かぁ……ちょっぴり恥ずかしいけどぉ、恋人ならこれが当たり前なんだねぇ。頑張らなきゃぁ」
「うう〜アメリアはちゃんと恋人なんだからいいけど〜私なんかそれ以前の問題よ〜」
 嘆くフェリシェルの手をアメリアががしっと握った。
「そんなこと言わずに、フェルも頑張ろぉ?アーサーのこと、あきらめたくないんでしょぉ」
「そうだけど〜」
 そんな会話を聞きつけたのは、アーサー人形を持っててくてく歩いてきたテオドール・レンツだった。
「え?フェリシェルちゃん、アーサーのこと、好きなんだー」
 その台詞にフェリシェルがぼっと赤くなった。代わりにアメリアがうなずいた。
「そぉなんだよぉ」
「アメリア〜そんなはっきり言わなくても〜」
「でも、アーサーって舞亜ちゃんが好きなんだよね?一方通行なのは悲しいなぁ……そうだ!フェリシェルちゃんに、これ上げる」
 テオドールがぐいっとフェリシェルの手にアーサー人形を押し付けた。着ぐるみとはいえ等身大で妙にリアルな人形にフェリシェルが目を白黒させた。
「え、ええと。これをどうしろと……」
「このままじゃせっかく作ったのに無駄になっちゃうもん。舞亜ちゃんの気持ちはわからないけど、もしアーサーの恋が実ったらフェリシェルちゃんは失恋ってことでしょ?せめてこの人形が慰めになればいいなぁって。でなかったらねぇ、フェリシェルちゃんが望むならだけど、別の使い方もあるんだよ」
「なに〜?」
「あのね、専門の魔法じゃないけど、人形を使って両想いにさせるおまじないを教えてあげる。ブードゥーだったっけ……。この人形と、あと本人の持ち物か髪の毛が手に入ればできるんだ。ちょうどチャックあるし。フェリシェルちゃんの思い通りになるよ!」
「それって、無理やり心を向けさせるってこと……?」
 さすがにそれは多少気が引けるのか、フェリシェルが悩むような顔になった。テオドールが何も考えてないつぶらな瞳で1人(1頭?)はしゃいでいた。
「アーサーも舞亜ちゃんに振られるようなら心に穴が開くだろうから、その穴をフェリシェルちゃんに塞いでもらえばいいんだ。わーい、ボクってアタマいい〜」
 頭と言っても、テオドールの頭には綿しか入っていないのだが。いまいち人間のこころが理解しきれないテオドールの無邪気なはしゃぎっぷりに、フェリシェルは困惑してしまった。
「でも、もし舞亜もアーサーを好きになっていたら……友達としては祝福してあげたいな〜」
 つぶやきを聞きとがめたのはマニフィカ・ストラサローネだ。マニフィカはフェリシェルの言葉に優しげな笑顔を向けながら、そのあごを指で持ち上げた。
「あらあら。友情を取るのも、好きな人の気持ちを尊重するのもいいですけどね。あなたの本心はどうなんですか。物分りの良い好人物が悪いとは言いませんけれど、もっと素直になっては如何かしら?自分を偽る仮面を壊してごらんなさいな……きっとすっきりしますわよ。くすくすっ」
 悪気の感じられない言葉に、フェリシェルがうつむいてしまう。マニフィカは優しくその頭を撫でた。フェリシェルが答えを出しあぐねてアーサー人形をぎゅっと抱きしめる。アメリアがそっと口を挟んだ。
「あのねぇ……舞亜を脅迫していたの、アーサーだったのぉ。告白する勇気が持てなくて、でもこれ以上目だって欲しくなかったからだって。それは卑怯だって、舞亜は怒っていたよぉ。フェルはそんな卑怯者にならないようにしよぉ?」
「アーサーの仮面は一連の騒動で壊れましたわね。今頃は自分に素直に行動していることでしょう。その結果は誰にもわかりませんけれど、そこに貴女の入り込む余地がまったくないとは言えませんわ。それこそ誰にもわからないこと。はっきりしているのは、素直にならなければ決して結果は出ないということだけですわ。それでもまだ仮面をかぶり続けます?それとも失恋は怖いですか。まだ決まってもいないことですけれど」
「私……は……」
 騒ぎが起きたのはそのときだった。舞亜の怒鳴り声が聞こえたかと思ったら、直後にアーサーの悲鳴が聞こえたのだ。一同が声のほうに視線を向けると、レッドクロスを装着したアンナが、ピンクの髪を夜風になびかせながらモップの柄でアーサーの襟首を引っ掛けて持ち上げ運んでいるところだった。パートナーのジニアスが驚いた顔で呼び止めると、アンナがきっぱり言い切った。
「不燃物を片付けます」
「いや、不燃物って……ごみじゃないだろう」
 アンナにとってはアーサーなど廃棄されるごみと大して変わりない。ジニアスの突込みを無視してアーサーを釣ったまますたすたと人の輪から外れようとした。アーサーが青い顔でじたばたと暴れている。舞亜はどうやら無視を決め込んでいるようだ。フェリシェルはごくっと息を飲み込むと、意を決したようにそちらへ走り出した。
「ま、待って〜。アーサーにひどいことしないで〜」
 アンナはフェリシェルに止められると、釣ったアーサーを器用にひょいっとフェリシェルに向かって放り投げた。
「わぁっ」
「きゃあ。アーサー、大丈夫〜?」
「なんとか。ああ、びっくりした」
 フェリシェルに抱きとめられてアーサーがほっとしたように肩で息をした。アンナはつんと澄ましてフェリシェルに言った。
「リサイクルされるなら、最後は責任もって処分してくださいね」
 そしてレッドクロスを外し、ジニアスの元に戻っていった。
「一体なにがあったの〜?」
「いや、ちょっと、エクステリアさんとの仲を朝塚さんに誤解されちゃって。それを解こうとしていたら急にあんなことになっちゃったんだ」
「誤解?」
「なんか、仕組まれたみたいなんだけど……って、うわっ。なに、その人形」
 間近に自分の顔を見てしまいアーサーが悲鳴を上げる。フェリシェルがアーサー人形を抱えたままだったのだ。フェリシェルが気まずそうにあははと笑った。追ってきたマニフィカがフェリシェルの背中をつついた。意味を察してフェリシェルが赤くなる。人形をマニフィカに預け、そっとアーサーに問いかけた。
「あの、ね。聞いて欲しいことがあるの……いいかな」
「聞いて欲しいこと?なんだい」
 舞亜の親友であるフェリシェルにアーサーは優しかった。フェリシェルは気を落ち着かせようと数回深呼吸をすると、一気に言葉を吐き出した。
「あなたが好きです。一緒に踊ってもらえませんか〜?」
 突然の予期せぬ告白に最初はきょとんとしていたアーサーだったが、うつむいているフェリシェルの肩が小刻みに震えているのに気づいて真面目な表情になった。
「……ありがとう」
「じゃあ」
 ぱっと顔を輝かせてあげたフェリシェルに、しかしアーサーは首を横に振った。
「気持ちは嬉しいけれど……僕はやっぱり朝塚さんが好きだ。きっぱり振られたんだったらあきらめもつくけど、こんな風に誤解されたまま気持ちが離れてしまうのはいやなんだ。ちゃんと向き合いたい。その機会を僕にくれないかい」
「舞亜は……どう思っているのかな……」
 舞亜はこちらのことなど眼中にないかのようにトリスティアとじゃれていた。時折、隆紋が口を挟んでいるようだ。その様子を見つめながらアーサーが言った。
「エクステリアさんは、誤解はやきもちを焼いたからだって言ったけれど……だから、多分、僕のことを思っているはずだって。本当かどうかはわからないよ。でもそれがはかない希望なのかはっきりさせない限り、他の人のことは考えられないんだ。ごめんね」
 真剣な言葉に、フェリシェルがため息をついた。
「謝らなくていいよ〜。私もはっきりさせたかっただけだから。入り込む余地はなさそうね……それがわかっただけで充分。誤解、解けるといいね。応援しているよ〜。舞亜にも、幸せになってもらいたいもんね〜」
 泣きそうな笑顔でアーサーを見つめたフェリシェルは、本当に涙が流れてしまう前にくるりと背中を向けた。アーサーはもう一度「ありがとう」と言った後、舞亜たちのほうに向かって歩き始めた。テオドールがこそっとフェリシェルにささやいた。
「やっぱりおまじない使う?ちょうど今の騒ぎで髪の毛を手に入れたんだけど」
 フェリシェルが目元を赤くさせながらにっこり笑った。
「ありがと〜。でも、いいの。マニフィカの言ったとおりだね〜。なんか言ったらすっきりしちゃった。しばらく辛いかもしれないけど……でも、後悔しなくてすみそう」
「そう?じゃあ、人形どうしよう」
「良かったら私にそのままくれる〜?部屋においておいたら舞亜が嫌がるかもしれないけど、ちょっとくらいは意地悪してもいいよね」
「もらってくれるなら喜んで。無駄にならなくて良かった〜!」
 テオドールの正直な言葉にフェリシェルが笑っていると、その頭に手が置かれた。その手はくしゃくしゃとフェリシェルの頭を撫で回した。
「見てたよぉ。いや〜青春だねぇ」
「イグリード先生?やだぁ、変なところ見られちゃった〜」
 手の主はアスリェイ・イグリードだった。フェリシェルが慌てて目のふちをごしごしこする。あふれてきた涙をごまかすためだ。アスリェイはそんなフェリシェルの頭を微笑みながらぐいと引き寄せ、自分の胸に寄りかからせた。
「ちょいとおじさんの昔話なんかしてみようか。おじさんにもね〜若い頃、好きな女性がいたんだよ。傭兵仲間の魔法使いだったんだけどさ。けど彼女におじさんの思いは届かなくてね。けっきょく彼女は、やっぱり傭兵仲間で優秀な軍師だった幼馴染とゴールインしちゃったんだ。ま、そいつもいい奴だったから、悔しかったけど素直に祝福もできたよ。ただ、残念なことが1つあってさ〜」
「残念なこと?」
「2人の結婚式の直前に、おじさん、戦いで瀕死の重傷を負って改造されちゃったんだよ。あげくに2人には、おじさんはそのとき死んだと伝えられちゃってね〜ちゃんと祝ってあげられなかったんだ」
「改造……」
 確かに当てている胸からは心臓の音が聞こえない。重いはずの話をさらっと言ってくるアスリェイの真意がわからなくて、フェリシェルは大人しく頭を撫でられながら黙り込んでしまった。アスリェイは手を止めないで話を続けた。
「おじさんはあの2人にもう一度、会えるかどうかわからないけれど……言いたいのはね、今は辛くても、フェリシェルが望めばアーサーたちとまた笑いあえる日が来るってことだよ〜。その可能性があるってのは、幸せなことだとおじさんは思うね〜それに、そのときにはフェリシェルは今よりずっとずっと美人になっている。おじさんが保証するよ〜」
 くしゃくしゃだった手の調子が、ぐしゃぐしゃに変わる。乱暴だけど優しい手の感触に、とうとうフェリシェルが嗚咽を漏らし始めた。
「いっぱいお泣き。涙は心をきれいにしてくれるからねぇ〜。心がきれいになれば、見た目だって変わってくる。だからこらえないでたくさんたくさん泣くんだよぉ」
「う、うぇええん」
 フェリシェルの泣き声に、アスリェイが破顔する。見守っていたアメリアがそっとその場を離れた。

 ルシエラのマイクテストの声を聞きながら後夜祭が始まるのを待っていたグラント・ウィンクラックは、集まってくる人の間を所在なげに歩きながら考え事をしていた。
「ふう……正々堂々とホウユウたちと戦って優勝したし、いつもだったらやりとげた満足感で満ち溢れているんだが。なんだ、この一抹の後ろ髪を引かれるような思いは……」
 と、その視界にシャモン夫婦が仲良く睦みあっている姿が入ってきた。チルルはダンスパーティー用に嫁入り道具で故郷から持ってきていたドレスに着替えていた。側では娘のリリア・シャモンがやはりちょっとこじゃれた衣装を着て笑っていた。母娘はまるで双子の姉妹のように見えた。周りには人の輪が出来ている。ときおりホウユウがうっとうしげに睨み付けていた。その姿を見てグラントがはっとした。
「そうか。俺らしいことじゃないんで気づかなかったが、リリアとパートナーを解消するのがいやなのか……。ふっ、俺もあの連中のことを笑えんな。パートナーを申し出たときはそんな風に意図していたわけじゃなかったのに、気がつけばこのあり様だからな……」
 そこでぐっと表情を引き締めた。
「だがこの気持ちに気づいた以上、やることは1つだ。結果がどうであれ、この想いをリリアに伝えるのみ。うじうじ悩んでいるのは俺の流儀じゃないからな」
 ちょうどそこでルシエラが後夜祭の開始を宣言した。表彰式のためグラントとリリアを呼び寄せる。ついでに余計なことまで喋っていた。
「表彰式を始めるわよ。ふう、コンテストには本当はわたしも出たかったけど、みんなが入れて一位を独占しちゃうからあきらめたのよ。ね、ディス」
「人を巻き込まないでください」
 フリルひらひらの丈の短い白いウエディングドレス風の衣装を身にまとってディスにウインクしたルシエラは、呆れたようなディスの返事にけらけらと笑ってグラントとリリアを向かい合わせた。そして2人の首にペンダントのようなものをかけてあげる。白くつるんとした石には金色の筋が入っていて、炎の光を受けて輝いていた。ルシエラが明るい声で健闘を称えている間、グラントはいつもとは雰囲気の違うリリアに見とれていた。リリアは母親と良く似た服装をしていた。普段は生まれ育った世界の服を着ているので、爽やかな色合いのフリルがついた服装はどこか見慣れなかったが、本人はさして気にしていないようだった。ルシエラが一通り祝辞を述べると、2人に一言言うようにうながした。それを受けて、グラントががしっとリリアの肩を掴んだ。
「……正直、最初は勝負のパートナー、ただそれだけだった。だけど、一緒に特訓したりしているうちに、俺にとってそれだけじゃなくなっていったんだ」
 真剣な表情で話すグラントに、リリアが軽く目を見張った。面白そうな成り行きに、ルシエラがマイクの音量を変えた。周りからはリリア親衛隊と思しき連中からざわめきの声が上がっていたが、グラントはそれを無視してはっきり言葉にした。
「好きだ、リリア。……これから先の人生でも、俺のパートナーになってくれ」
 堂々とした告白にわーっと歓声が上がる。リリアはわずかに頬を赤らめながら、それでもしっかりうなずいた。
「私でよろしければ……ともに、生きてゆきましょう」
「ああ。どこまでも一緒に行こう」
 OKの返事に、グラントが喜びを隠さないままにリリアを抱き寄せた。そしてためらいなく顔を近づけていった。意図を察してさすがにリリアが驚いた顔になる。しかし避けようとはしなかった。衆人観衆の中でしっとりと唇が重なる。たっぷり数秒重ねた後、顔を離したグラントが呟いた。
「……初めてだが、いいものだな。ホウユウたちがいつも人目をはばからずにしているのも、今ならわかるような気がする……」
「そうですわね。お父様やお母様がいつも仲良くしていられる理由が、なんとなくわかる気がいたします。あまり、その……公衆の面前でというのは恥ずかしいですが」
 突然のキスにリリア親衛隊からブーイングが飛ぶ。いささか殺気だった周辺に、グラントが不敵な笑みでリリアを横抱きにすると、近くに止めておいたエアバイクにすかさず飛び乗った。
「悪いな、今日は暴れる気分じゃないんでね。喧嘩でも闇討ちでも果し合いでも、次の機会に付き合ってやるから、ここで失礼するぜ。あばよ!」
 どるんと排気音を残して凄嵐が空中に浮かぶ。抱きかかえられたリリアが苦笑する。なしくずしに主役がいなくなってしまったマイクに向かってルシエラが平然と式の進行を進めた。
「ではこれにてミス・ミスターコンテストの表彰式を終わりにします。ほらほら、そう騒ぎ立てないで。新しいカップルに祝福の拍手を贈ってやりなさいよ。次はお待ちかねのダンスパーティーなんだから。音楽の用意は良くって?」
 ルシエラの合図に、アルヴァートが曲を録音した機材を運んでくる。鈴がマイクを奪い取った。
「は〜はっはっは、Sアカデミア一の奇才、武神鈴先生のおごりだ!祭りの締めくくりをぱーっと盛り上げるがいい!」
 どーんどーんと打ち上げ花火が上がる。夜空に大輪の花が咲いた。見ると周辺には0ザイルの札がついた皿が飛び交っていた。皿には美味しそうな料理がたくさん乗っていた。表彰式での出来事にあっけに取られていた生徒たちも、花火と漂う料理の匂い、始まった軽快な音楽に我を取り戻し、炎を囲んで踊り始めた。
 その中で元気をなくしていたのはアメリアだ。頑張ろうと誓い合ったフェリシェルの失恋の現場を目撃して、自分ばかりが楽しむことは出来ないと思いつめていた。それでアルトゥールから隠れていると、当のフェリシェルに呼びかけられた。フェリシェルは、目はまだ赤かったがいつもののほほんとした笑顔を取り戻していた。
「どうしたの〜踊らないの?」
「だってぇ……私だけが楽しむなんて出来ないよぉ」
 その言葉に、フェリシェルがつんとアメリアの額をつついた。
「私のことだったら気にしちゃいやよ〜。自分に素直になってすっきりしたんだもの。失恋しちゃったのは残念だったけど、告白は後悔してないの〜。思いっきり泣いたら落ち着いたしね。男はアーサー1人じゃないんだから大丈夫。新しい恋をちゃんと見つけられるよ〜。とりあえずね、慰めてもらったお礼にイグリード先生と踊ってこようかなって思っているの〜。アメリアも恋人が待っているんでしょ〜?進展させるんだって言っていたじゃない〜ファイト!」
 アメリアを探していたアルトゥールが近づいてくる。背中を押されてアメリアもようやく笑顔になった。
「そぉだねぇ。せっかく本をもらったんだし、頑張らなくちゃ。ありがとぉ」
「行ってらっしゃ〜い」
 フェリシェルの声援を受けて、アメリアもようやく笑顔になってアルトゥールの元に向かった。
「探したんだよ。なにしていたんだい」
「ごめんねぇ。フェルが失恋しちゃってぇ。それがショックで……ちょっと隠れていたのぉ」
 すまなそうな顔になるアメリアに、アルトゥールが納得したようにうなずいた。
「そうか。彼女はだめだったんだ……で、もう大丈夫なのかい」
「うん。フェルも新しい恋を見つけるんだって張り切っていたよぉ。さ、私たちも踊ろぉ」
 炎の周りではすでにレイシェンが詩歩とステップを踏んでいた。不慣れなダンスに動きは多少ぎこちなかったが、それでも2人は楽しそうだった。レイシェンが詩歩に贈った衣装は母親に見繕ってもらったものだったが、詩歩にとてもよく似合っていた。髪飾りは売っていたものをレイシェンが見つけ、詩歩に似合いそうだと思って購入したものだ。髪と一緒にきらきら輝いている。
「似合っているよ。可愛い」
「嬉しい。レンのおかげ……ありがとう」
 レイシェンが素直に誉めると、詩歩がくすぐったそうに礼を言った。知らぬうちに手配されていたことにティエラがむっとしていたが、幸せそうな雰囲気に文句が言える状態ではなかった。
 曲はリズミカルで気持ちを楽しくさせるものだった。さっそくアルトゥールがアメリアをリードして踊り始める。いつもだったら緊張でがちがちになってしまうアルトゥールだったが、今日は一味違っていた。読破したイチャラブ本の内容を実践すべく、機会をうかがっていた。アメリアも本の内容は恋人ならやらなくてはならないことだと思い込んでいて、ためらいなく体をアルトゥールに預けていた。ダンスは教養としてたしなんでいたアルトゥールが、アメリアをリードしながらそっと抱きしめた。抱きしめるのも基本のうちと信じていたアメリアが、素直にアルトゥールを抱きしめ返す。その雰囲気を察知して、曲がしっとりしたものに変わった。ムーディーな曲にどぎまぎしながらアルトゥールがアメリアの耳元でささやいた。
「……好きだよ、アメリア」
「私もぉ……大好き、アルトゥール」
 視線が合うと、次の展開に思いをはせて互いに少し沈黙してしまう。しかしアメリアが踊りながら目を閉じたのを見て、アルトゥールが意を決したように顔を近づけた。優しいキスに、目を閉じたままアメリアが幸せそうに微笑んだ。
 トリスティアはそんな2人を横目で眺めながら感心していた。
『へたれのアルトゥールがあそこまでやれるなんてね〜』
 まさかそれがホウユウのイチャラブ本のおかげだとは知らないトリスティアは、負けじと舞亜の手を引っ張ってダンスの輪に入っていった。一曲だけは付き合うと約束してしまった手前、舞亜もその手を振り解けずにいた。曲が再び軽快なものに変わる。劇のために散々稽古したおかげで息がピッタリあっている2人は、楽しそうにステップを踏んでいた。なんやかや言っても、劇も成功したし、曲は明るいしで舞亜が笑顔になっている。トリスティアはその笑顔を見て、さっそく耳元でささやいた。
「勝気な舞亜も好きだけど……そんな風に楽しそうに笑っている舞亜は、いつもより可愛くて魅力的だよ」
「いやだ。からかわないでよ」
 舞亜がささやかれた言葉に赤くなる。トリスティアがぎゅっと抱きしめると、ますます赤くなって腕の中から逃れようともがき始めた。
「ダ〜メ。まだ曲は終わっていないよ」
「そんなにくっつかないでよ」
「ダンスだもん、いいじゃない。恥ずかしいの?そんな舞亜も可愛いよ」
「もう、トリスティアったら」
 あっけらかんとしたトリスティアに、舞亜が赤い顔のまま再び笑顔になった。それは先刻の騒動など忘れたかのようだった。しかし実際は舞亜の心に暗い影を落としていたのだろう。曲が終わると、ぱっとトリスティアから離れてしまった。
「え〜もう行っちゃうの?」
「一曲だけって言ったでしょ。猫間先生が待っているから、私は行くわよ」
「ちぇ〜」
 つれない言葉にトリスティアが口を尖らせた。
 無事に司会を終えたルシエラは、屋台で買いこんできた食べ物をぱくつきながら、人の輪から外れてのんきにダンスを眺めているディスに声をかけた。
「食べる?美味しいわよ」
 差し出したのはフライングパンケーキだった。ディスが礼を言って受け取り、食べ始める。ルシエラは並んで食べながらしばらくダンスの様子を一緒に眺めていた。レイミーはちゃっかり適当な生徒を誘ってダンスの輪に混じっていた。ルシエラが「いいの?」と尋ねると、ディスはむしろほっとした様子で肩をすくめた。
「うるさいのがいなくて楽ですよ」
「ふうん、そう。じゃ、暇なのね。だったら一緒に参加する?相手がいないなら、私がパートナーになってあげるわよ」
「おや、そうですか?ではお願いしようかな」
 誘った手前、ルシエラのほうから手を差し出す。ディスはのんきな顔を崩さないままその手をとった。
 風紀委員の役目から解放されたミルルは、もちろんリオル・イグリードとダンスに参加していた。兄の策略で大人の姿にさせられたリオルは、薬の効果がまだ消えないのか、大人の姿のままだった。ミルルはそんなリオルにどきどきしながら手をつないで踊っていた。
「ねえ、このまま戻れなかったらどうする?」
 ミルルとしてはいつものリオルも今のリオルも、リオルはリオルだからかまわないと思っていたが、リオルにしては不本意以外の何者でもなかったのでミルルの質問に即答していた。
「あのバカに意地でも元に戻る薬を作らせる」
 憮然とした言葉に、ミルルが笑った。
「そう。今のリオルも素敵だなって……ちょっとは思うんだけどな」
「僕は、同じ歳を取るなら、ミルルと同じ時間を過ごして歳をとって生きたい。こんなフライングみたいなのは嫌だ」
「同じ時間……うん、それっていいな。ずっと一緒ってことだもんね」
 思わず本音を漏らしたリオルはしまったと言った顔になったが、ミルルが喜びの声を上げたので、まあいいかと思い直した。それから数曲を一緒に踊る。大人リオルに慣れてきたミルルが肩の力を抜いてリオルにもたれかかった……ときだった。
 ぽんとリオルが元の姿に戻った。
「うわっ」
「きゃあ」
 さすがに服までは元に戻らなかったのと、ミルルがもたれかかっていたのとで、足がもつれて2人してどたんと転げる。覆いかぶさる形になってしまったミルルが、真っ赤になりながら慌ててリオルを助け起こした。リオルは痛みと恥ずかしさをこらえて、無言で立ち上がった。見慣れた姿になったリオルの格好は、だぶだぶの服に着られていていつもより幼く見えた。それが可愛いとつい思ってしまったミルルが、くすりと笑う。リオルがかーっと頭に血を上らせた。
「あんのバカ兄貴!絶対に仕返ししてやる」
 うなるとミルルが急いで笑いを引っ込めた。
「でも、元に戻って良かったね。これでさっきの約束、はたせるもん」
「……」
 ミルルの言葉に、リオルがしかめ面をよそおって頭をかいた。
 ライン・ベクトラはどこか浮かない顔で政志と踊っていた。いつもは強気なラインのらしくない態度に、政志が踊りながら心配そうに声をかけた。
「どうしたんだい。せっかくのダンスパーティーなのに、浮かない顔をして」
 と、ラインがぎゅっと政志に抱きついてその胸に顔をうずめた。
「とても怖い夢を見たの。この世界では貴方と結ばれないと神から宣告される夢を……」
「それはただの夢だよ。僕はここにいるじゃないか」
 本当に怖かったのだろう。ラインが震えているのだから。政志は安心させるようにその体を力強く抱きしめた。ダンスをやめ、校庭の片隅に連れて行く。木立の影に隠れて、髪や額、唇にキスの雨を降らせた。ラインは2人きりになると、心のままに弱気な表情を浮かべて政志にすがりついた。
「わたくしには貴方以外の人を愛するなんて出来ないのに……なぜ、神は……」
「悪い夢なんか忘れてしまうんだ。僕はどこにも行ったりしないよ。愛している……僕にも、君しかいないのだから」
「本当に?わたくしから離れたりしない?……お願い、どこまでもいつまでもわたくしを連れて行って」
 悲痛な声に政志の心も痛む。普段は強がりを言っていても、心根は一途なラインに政志が惹かれないわけがない。にじんでいる涙をぬぐってやると、安心させるようにきつくキスを交わした。
「卒業したら……結婚しよう。着いてきてくれるね」
「本当?嬉しい……愛しているわ」
 ラインが歓喜の表情を浮かべる。それを見て政志も安堵の表情を浮かべた。
「嘘なんか言わないよ。君だから結婚したいんだ」
「わたくしもですわ」
 心のこもった言葉にようやく安心したのだろう。ラインがあでやかな笑みを浮かべる。政志が再びダンスにラインを誘った。静かな音楽が流れている。ラインは政志に手を預けると、優雅に踊り始めた。それはいつものラインに戻っていた。流れるような滑らかな動きが周りの人々を魅了する。悪夢は去り、幸せだけがラインに残された。
 アリューシャ・カプラートはアルヴァートと一緒にパーティー用の曲を録音した後、請われるままに純白のドレスに着替えて校庭に姿を現していた。
「曲が勝手に変わるみたいですわね」
「機械は武神先生に作ってもらったんだけど……こんな機能がついていたとはね。まあ、ありがたいかな。これで安心して楽しめるね。たまには自分たちが楽しむことを考えてもいいよね。いこう、アリューシャ。オレだけの姫君」
「はい。よろしくお願いいたします」
 アルヴァートに誘われて、アリューシャが緊張した面持ちで前に進み出た。周りではそれぞれのカップルがいい雰囲気を作り出している。リードされるままに踊り始めたアリューシャだったが、その雰囲気に落ち着かないのか、どこかそわそわしていた。アルヴァートのリードが上手かったのでダンスはスムーズに行っていたが、曲がテンポの良いものからしっとりしたものに変わり、アルヴァートが腰に手を回してきたとき、アリューシャの頭はかなりパニック状態になっていた。くっつくのが嫌なわけではないが、どうにも恥ずかしさが勝る。初々しくうつむいていると、アルヴァートが優しく抱きしめてきた。2人の小指に銀のピンキーリングが現れる。リングは互いをいとおしく思っている気持ちを伝えてくれた。
「……伝わっているよね。心の指輪を通して、オレの気持ち……すごいドキドキしているよ。でも気持ちいいドキドキだよ……」
「わたしもですわ……」
 ドキドキしている気持ちが心地よいのはアリューシャも同じだったので、素直に答える。アルヴァートは愛しさのあまり、抱きしめる手に力を込めた。アリューシャがそっと上を向いてアルヴァートの顔をうかがうと、アルヴァートはそれを了承の証だと思って顔を近づけてきた。周囲の目などこのさい気にしていなかった。しかし気にしていないのはアルヴァートだけだった。行動の意味を察したアリューシャが、のぼせて気を失ってしまった。
「アリューシャ!?」
「きゅう……」
 固くなっていた体が力を失ってぐったりとなる。アルヴァートが焦って呼びかけても返事はない。完全に気を失っているようだった。アルヴァートは落ち込みながらも、アリューシャが怪我しないように抱き上げて人の輪から外れていった。
 みんな校庭に集まっているらしく、校舎内に人気はなかった。せっかくのドレスが汚れないように気遣いながら気を失っているアリューシャを座らせると、そっと自分にもたらせかけた。
「アリューシャは、キス、嫌だったのかなあ……」
 雰囲気はいいはずだった。気持ちが同じなのもわかっていた。それなのに気を失われて、さすがにため息をこらえられないアルヴァートだった。外からはにぎやかな音楽が聞こえてくるが、ここは静かだ。それが落ち込みに拍車をかけていた。
 やがてアリューシャが気を取り戻した。
「あら……ここは?わたし、どうしたのでしょう」
 ぼんやりとアリューシャが問いかけると、アルヴァートが落ち込みを見せないようわざと明るく答えた。
「校舎の中だよ。のぼせちゃったみたいだね。アリューシャ、気を失っちゃったんだ。大丈夫?気分は悪くない?」
「運んでくださったのですか?すみませんでした……ちょっと驚いてしまって」
 アリューシャがすまなそうにもごもごと言った。アルヴァートが少し申し訳なさそうに言った。
「ごめん……嫌だった?」
「アルバさんが嫌だったんではありませんのよ」
 アリューシャがアルヴァートの落ち込みを見抜いてぶんぶんと首を振った。そして頬を染めながら打ち明けた。
「ただ……その……雰囲気に流されてしまうのが嫌だっただけで……アルバさんのことは好きなんですのよ。信じてくださいませ」
「嫌いになったりしてない……?」
「もちろんですわ!アルバさんは……?私のこと、嫌いになったりしてません……?」
 気を失ってしまったことが引け目になっているのだろう。アリューシャの声はか細かった。アルヴァートはその声を聞いて、落ち込みから立ち直った。
「嫌いになんかなるものか。愛しているよ、アリューシャ。世界中の誰よりも、何よりも……いつまでも、いつまでも、君はオレのたった1人の姫君だ」
「よかった」
 アリューシャがほっとしたように微笑を浮かべる。外の喧騒が2人きりであるという事を意識させて、アルヴァートがまたどぎまぎし始めた。今度は驚かせないよう気をつけながら、そっと肩を抱き寄せた。ピンキーリングが光る。暖かな感情が2人の心を満たしていった。
「……キス、してもいい……?」
 アルヴァートの言葉に、アリューシャは黙って目を閉じた。そっと羽が触れるようなキスが贈られる。柔らかな感触を胸に刻み込んで、アルヴァートが小さく息を吐いた。アリューシャも幸せそうにアルヴァートの肩に頭を乗せていた。鈴の作った花火がまた打ち上げられる。その光を浴びながら、2人は幸福にひたっていた。
 校庭ではダンスパーティーが続いていた。チルルは故郷の名物料理を作って踊り疲れた人たちに振舞っていた。合間合間にホウユウの世話をかいがいしく焼いている。
「あら、あなた。食べかすがついているわよ」
「ん?そうか?取ってくれ」
 ホウユウに言われてキスで口元についた食べかすを取ってやる。アーニャ・長谷川がその様子を見てため息をもらした。
「幸せそうでうらやましいわ」
「アーニャはダンスには参加しないの?」
「相手がいないし……」
 アーニャが寂しげに笑う。とそこへ急に声が降ってきた。
「よ。今戻ったぜ」
「あなた!おかえりなさい。遠征死合いはいかがだったの」
 声をかけてきたのはアーニャの夫の長谷川紅郎だった。ふらりと別の世界に旅立っていたのだが、戦い終えてアーニャの元に戻ってきたらしい。アーニャが夫の無事の帰還に喜びの笑みを浮かべる。紅郎は満足そうな声で質問に応じた。
「かなり手ごたえがあったな。次が楽しみだ」
「……また行ってしまうのね」
「すまないな、ほったらかしにしてよ」
 寂しがったのに気づいたのか、紅郎がアーニャを抱き寄せてキスしてきた。まだ新婚のアーニャはシャモン夫婦ほど開き直れないらしく、公衆の面前でのキスに真っ赤になった。ホウユウがぴゅーと口笛を吹いた。紅郎がふっと口元を緩めた。
「よお、ホウユウ。久しぶりだな。手合わせしたいところだが、今日は祭りなんだろう。だったら無粋なことはなしだ。アーニャの側にもいてやりたいし。また今度の機会にな」
「ああ、そうしよう。俺にも嬉しいこともあったしな、野暮はやめておくさ」
「嬉しいこと?」
 紅郎が怪訝そうな顔をする。アーニャがぽんと手を叩いた。
「ああ、もしかしてリリアさんのこと?」
「そう……っと、噂をすればなんとやらだ。戻ってきたみたいだな」
 ホウユウが空中を見上げて言う。降りてきたのはグラントとリリアだった。ホウユウの姿を見て、グラントがきゅっと顔を引き締めた。ホウユウはにやりと笑った。
「そう警戒するな。リリアが認めた男だ。反対はしないぞ?」
 隣りでチルルもにこにことしている。てっきり罵詈雑言でも吐かれると思っていたグラントは、リリアを抱えたまま拍子抜けしてしまった。
「……いいのか?かっさらっていっても」
 若干疑心暗鬼で問いかける。ホウユウはグラントではなくリリアに向かって尋ねた。
「お前はこいつでいいんだろう」
「はい、お父様」
 リリアが真面目な顔ではっきり言い切る。「というわけだ」とホウユウはグラントに向き直った。
「いくら親ばかだからって、娘を信頼してないわけじゃないぞ。見る目はちゃんとあると思っている。そのリリアがいいと言っているんだ。俺だってそれで反対するほど狭量じゃないさ」
 話を飲み込んだ紅郎が、グラントの肩に手をまわした。
「ほぉ、子煩悩なホウユウが娘の相手として認めたのか。おい、お前。今度戦おうぜ。どれほどか確かめてやる」
「いつでも受けてたつぜ。ま、今日だけは勘弁願いたいがな」
 グラントも不敵に笑いながら紅郎の挑戦を受けた。
 リリアはエアバイクから降り立つと、母親の側に寄っていった。チルルが「幸せになるのよ」と祝福すると、さすがに少し照れたのかはにかんだ笑みを浮かべた。チルルから料理を受け取り食べていると、アーニャも祝いの言葉を述べてきた。
「婚約おめでとう。幸せになれるよう、祈っているわ。グラントさん、リリアさんは強い方だけど、女性であることを忘れないで、大切にしてあげてね」
 それを聞いて、チルルがアーニャをからかった。
「祝福をありがとう。親としてとても嬉しいわ。あなたたちにも早く子供が出来るといいわね。せっかくだんな様が帰ってきたんだもの、頑張ってね」
「ええ、ありがとう」
「そのつもりだ。ホウユウには負けていられないぞ」
 会話に紅郎も加わる。アーニャが嬉しそうに紅郎を見上げた。
 ホウユウはグラントにイチャラブ本を手渡すと、とくとくと巨乳について語りだしていた。
「いや、俺は巨乳だからリリアを気に入ったわけじゃないんだが……」
「何を言う。巨乳はシャモン一門の誇りだぞ」
 胸を張って言う。そしてチルルを招きよせると、その胸を優しく撫でながらさらに延々と話を続けた。話は次第に巨乳自慢からシャモン一門衆となって、自分の家臣として暮らさないかという勧誘へと変わって行った。グラントが話の長さに辟易している間も、ホウユウはチルルの胸をまさぐり続けていた。気持ちがいいのか、チルルがうっとりしている。仲の良さにあてられて、紅郎がアーニャを伴ってダンスの輪の中に入っていった。
 紅郎は踊りながらアーニャにあれこれ学園での生活ぶりを聞いていった。アーニャは生徒として学んだことや、寮生活の楽しさなどを話していった。しかし最後に付け加えた。
「でも、あなたがいなくて寂しかったわ。今度は私も連れて行ってね。やっぱり……一緒がいいわ」
「俺もそうだった。お前がいなくて寂しかったぜ。今度は一緒に行こうな」
 踊りながら口付けていく。アーニャはやはりまだ照れていたが、大人しくその口付けを受け入れていた。
 あちらこちらでカップルが親密度を高めているのを、テネシーは呆れたように見ていた。人手が足りないので見回り用にルシエラからゴーストのレイスとその仲間を借りていたのだが、報告を受けるたびに頭が痛くなっていくような気がしていた。とりあえず強引な手段に出てくるような輩がいないことだけは幸いだったが、ホウユウがばらまいたイチャラブ本などは、完全に風紀を乱すものとして見つけ次第に没収していた。その数は決して少なくはない。それも頭の痛い原因だった。テネシーがとんとんとこめかみを叩いていると、レイスが報告にやってきた。
「なんですって!」
 報告を聞いたとたんテネシーの顔色が変わった。飛び上がるとレイスに誘導してもらって問題の場所に向かった。そこではジュディが件のイチャラブ本を大声で音読していた。
「オハヨウのキス、オヤスミのキス。ふむふむ……ソレから、髪を撫でる、ネ。なるほど。ええっ、胸!?触るのがイイとは、オーマイガッ!」
「ジュディ様!何をなさっていらっしゃるんですか」
「ジーザス♪……え?ナニって、本を読んでいるダケですヨ」
「その本は……恋愛テクニック本ですわね。そんなものを大声で読むなんて……没収します!それから貴女はちょっと一緒にいらっしゃい!」
 テネシーはジュディの手からイチャラブ本を取り上げると、首根っこを掴んで空中に吊り上げた。そしてそのまま校舎内の風紀指導室に連行してゆく。ジュディがじたばたと暴れた。
「やめてクダサイ〜てか、やめろシ○ッカー!ぶっとばすぞぉ!」
「うるさいですわね。いいから大人しくいらっしゃい。きっちりお説教して差し上げます」
「あ〜れ〜」
 騒ぐジュディの声はやがて校舎の中に消えていった。

 トリスティアと別れた舞亜は、待っていた隆紋のところへとやってきていた。
「せっかくお誘いいただいたのに、お待たせしてすみません。トリスティアったら言い出したら聞かないんだから」
「まったく、女性同士でなど不謹慎な。しかし約束してしまったものは仕方がなかろう。口に出した言葉を違えるのは罪だからな」
 言霊を重んじる隆紋ならではの台詞に、言語学志望の舞亜も素直にうなずく。隆紋はぐいっと舞亜の手を引っ張って歩き始めた。その強さ乱暴さに舞亜が顔をしかめた。
「先生、そんなに引っ張らないでください!痛いわ」
「こちらの方が先約なのに、トリスティアと先に踊ったりするからだ。いいからついて来い」
 きつく言われて舞亜がむっとする。しかし仮にも教師に向かって反抗するわけにもいかない。それにトリスティアと踊るために隆紋を待たせてしまったのも事実だ。不機嫌になりながらも、大人しくついて行った。
 キャンプファイアーの周囲では、カップルたちが楽しげに踊っていた。アップテンポな曲にみんなのりのりになっているようだ。隆紋はそんな雰囲気など無視して、ほとんど無表情に舞亜を振り回し始めた。女王様気質の舞亜にとっては手玉に取られるのは不本意でしかなかったが、強引なリードになす術もなく踊らされた。ダンスは特訓をした舞亜の方が上手なはずだったが、大人の男の力にかなうはずがない。2〜3曲も踊るとへとへとになってしまった。そこでチークダンスの曲に変わる。隆紋は舞亜の腰をやはり強引に抱き寄せると、わざとらしく体を密着させて踊り始めた。踊りながら背中に回した手をいやらしくうごめかす。その感触が気持ち悪くて舞亜が身をよじったが、許されるはずもなかった。
「せ、先生……いい加減にしてください!」
「ん?このくらい耐えられんでどうする。付き合うといったのは舞亜殿の方だぞ」
「だって……」
 さすがの舞亜も泣きそうな声になる。隆紋はそれを聞いて、ダンスを続けたまま手の動きはやめてやった。舞亜が口をへの字にして黙々と足を動かした。
「ところで舞亜殿。劇の台詞を覚えているか」
「え?ええ、覚えていますけど、それがなにか」
「ラストシーンで恋人に言った台詞だ。ちょっと言ってみろ」
 有無を言わさぬ口調に、舞亜がしぶしぶその台詞を口にした。
「……アーサー、愛しているわ……もう離したりしないでよ……のことですか?」
「その台詞、そして恋人が言った台詞に込められた感情は理解しておるか」
「恋人同士の台詞だもの。愛情でしょ」
 意図がわからず、舞亜が嫌そうな顔で答える。隆紋が生真面目な顔で舞亜を見つめた。
「そうだ。君はアーサーに恋の告白をしたのだ」
「アーサーって、あれはアクアが名前を変更しただけで、本物のアーサーに告白したわけじゃないわ!」
 怒鳴る舞亜に隆紋は意地の悪い笑みを見せた。
「ふむ、舞亜殿はまだ言霊の強さというものを真に理解しておらぬようだな。たとえ劇という作り話の中の台詞であっても、発せられた言葉はすべて真実となる。ましてやアーサーは、本気で舞亜殿が好きなのだからな」
「嘘よ!アーサーはアクアと共謀して私をだましたのよ。私を好きといったのだってきっと嘘だわ」
「それはありえない。お茶会のとき、彼は嘘をつけない状態にあった。真剣に舞亜殿を思っておるのだよ。アクア殿とのことにしても、彼は認めたのかな?先程、必死に弁明しておったようだが、あれが偽りの姿だと思うか。舞亜殿の心はどう感じておるのだ。アーサーを愛してはおらぬのか。よぅく考えてみるがいい。もう一度、あの台詞を思い出してな」
 静かに響く隆紋の声に、舞亜は黙り込んでしまった。アクアとアーサーが踊っているのを見たときは、ついかっとなってだまされたと思い込んでしまったが、改めて問われれば確かにアーサーは嘘を言っているようには見えなかった。そして誠実になったアーサーは好ましいものだった。嫌がらせや妨害についても、心底悔いているのが今なら素直に信じられた。
 と、隆紋がくいっと舞亜のあごを掴んで視線を横の方に向けた。その先には、緊張して立っているアーサーの姿があった。それを見たとき、舞亜の心がとくんとはねた。
 曲が終わると、舞亜は気づいてしまった自分の心にたまらず、隆紋の手から逃れた。今度は隆紋も無理に引き止めたりはしなかった。
「私……アーサーのところに行ってきます。これで失礼します、先生」
「私は存分に楽しませてもらったからかまわんぞ。好きにすればいい」
 舞亜がぺこりと頭を下げてアーサーの元へ走っていく。隆紋はくすりと笑いながらそれを見送った。
「あとは貴殿たちの問題だ。さて、上手くいくか」
 隆紋から見たら、甘えんぼわがままお姫様とさして変わらない舞亜には、アーサー程度に優しい男性が似合いだと思えた。その辺の機微は、まだ幼いとも言ってもいい舞亜にはそうたやすく理解できるものではなかっただろうが。けれど、なんとなく上手くいくような予感が隆紋にはあった。
「アーサーは己が言うはずだった台詞を覚えているだろうか……まあ、いずれにしても舞亜殿が愛しているのは私ではないことだけは確かだからな。なるようになるだろう」
 そしてダンスの輪から外れていった。
 アーサーは舞亜が駆け寄ってくるのを、驚きの視線で見つめていた。だめもとでもう一度チャレンジするつもりではあったが、こういう展開は予測していなかったのだ。目の前で立ち止まると、舞亜は弾む息を整えた。そして2人は同時に言葉を発した。
「あの!」
 声がはもってしまったことに思わずどちらも照れてしまう。特に舞亜は、隆紋に乱された自分のペースがまだ戻っていないので、どうしたらいいのかわからずいらいらと唇をかみ締めていた。やがて気を取り直したアーサーが、舞亜に向かって精一杯の誠意を込めて告白のやり直しをした。
「朝塚さん、僕が好きなのは君だけなんだ。もう無理に好きになってくれとは言わない。ただこの気持ちが嘘でないことはだけは信じて欲しい」
「……舞亜でいいわ」
「え?」
 ぽつりと呟かれた言葉にアーサーが一瞬きょとんとする。舞亜は背を向けて赤くなった顔を見られまいとしながら、アーサーの手を握った。
「だからっ。信じるから……いつまでもよそよそしく苗字で呼ばないでちょうだい。名前でいいって言っているの。わかった!?」
 アーサーの顔がぱあっと明るくなる。握られた手を握り返し、舞亜を振り向かせる。舞亜はぱっと下を向いたが、顔が赤いのは隠せなかった。
「朝塚さん……いや、舞亜?あらためてダンスを申し込んでもいいかい……?」
「踊りたいんでしょ!さあ、行くわよ!」
 照れ隠しに怒鳴っても、握られた手は離れなかった。繋がった手の暖かさを感じながらダンスの輪の中に入っていく。アーサーの笑顔が炎に照らされて明るく輝いていた。うつむいたままの舞亜と踊り始めると、新たに誕生したカップルを祝福するかのように、鈴の打ち上げ花火が盛大に上がった。

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