「心いろいろ〜仮面を壊したがるもの〜」

−第2回−

ゲームマスター:高村志生子

 舞亜の元にはまだ脅迫状が届いていた。ただし内容が少し変わっていた。これまでは劇をやめるようにとなっていたのが、本番をぶち壊すと言うものになっていたのだ。これまでの経緯から、脅迫者がアーサーであることはほぼ確実とされていた。そのアーサーが舞亜の相手役を降板するハプニングが起きて、劇の存続自体が危ぶまれていたが、舞亜は不屈の精神で劇を遂行することを仲間に誓っていた。本番までもう余り時間がない。だから脅迫も辞退から失敗へと変わったのだろう。また届いた脅迫状をぐしゃぐしゃに握りつぶしながら、舞亜は講堂に向かった。
 舞台の上には小道具の様々なぬいぐるみが置かれていた。その中で異風を放つものが1つ。「それ」を目にして舞亜が不可解な顔をした。
「なに、これ」
「アーサー、来そうにないから。これで代役にならないかなぁ?」
 中央に立っていたのは、等身大アーサー人形だった。材質にもこだわり、細部まで良く出来てはいたが、着ぐるみであることはばればれだった。中からテオドール・レンツの声が聞こえてきて、舞亜が怒ったように声を荒げた。
「なるわけないでしょ!こんないかにも着ぐるみですって言っているようなものが。どこから持ってきたのよ」
「ボクが作ったんだよぉ。武神先生に材料調達してもらって。関節も動くようにしたから、踊りだってなんだってできるよ。ただ完全防水じゃないから、濡れるとボクが膨張しちゃって破っちゃう可能性があるけど」
「膨張?」
「うん。ボク、濡れると大きくなるんだ」
 舞台上で濡れる可能性はないと思ったが、劇を失敗させるために舞台に水がばらまかれるとも限らない。粛々と進行していく劇。その最中に主役の1人が突如大きくなって、殻を破るように着ぐるみが破け、中から巨大なクマのぬいぐるみが姿を現す。その光景を思い描いて、舞亜ががっくりとステージの上で座り込んでしまった。
「……その案は却下。でも、確かにアーサーは戻ってこないだろうから、代役のことは早く決めないといけないわね。誰がいいかしら」
「それでしたらわたくしがやりますわ」
 マニフィカ・ストラサローネの声が朗々と講堂に響き渡った。声に舞亜が顔を上げると、肩に金モールのついた純白の礼服を身につけたマニフィカが、白馬にまたがって舞台上にいた。さながら白馬の王子だ。威風堂々としたマニフィカの姿に、舞亜が顔を明るくする。マニフィカはすたっと馬から飛び降りると、座り込んでいる舞亜に手を差し出して立ち上がらせた。
「わたくしは社交ダンス部に所属しておりますの。ですから踊りは完璧ですわ。まあ、ちょっと、他に難のある部分がありますが……いかがです?」
「そうねぇ」
 化粧を施した顔は中性的で気品がある。マニフィカが言った「難」が気になりはしたが、舞亜がいいかもと思いかけたときだった。元気の良い声がその思考をさえぎった。
「あー!アーサーの代役ならボクがやるよお!」
 貴族の衣装を身にまとったトリスティアがぶんぶんと手を振っていた。その姿を見て、舞亜があれと首をかしげた。
「あなた、そんなに背が高かったかしら」
 小柄なトリスティアは舞亜より10cm以上背が低い。それが今は同じくらいなのだ。不思議そうな舞亜にトリスティアが平然と答えた。
「あ、これ?シークレットブーツだよ。やっぱり恋人より低いのもはまずいもんねぇ」
「それで踊れるの?」
「大丈夫、大丈夫。慣れているもん。今までずっと稽古見てきたから、台詞も動きもばっちりだよ!舞台で動くのなんか、特撮に比べたら楽勝だって。せっかくここまで作り上げてきたもの、台無しにしたくないもんね。ラブシーンありの役を恋人がいる男子生徒には任せられないし、かといって本気で演じなきゃいい劇は出来ない。役者魂にかけてそんなこと許せないよ。ボクなら男役になりきれる。演技にも自信がある。どうかな?」
「うーん」
 舞亜が悩んでいると、トリスティアが安心させるようにその手をとって踊り始めた。踊りながら覚えているアーサーの台詞を言う。その調子は大人しいアーサーの演技とは多少違ったが、本人が言うように元気な男の子そのものだった。踊りをやめさせ、舞亜がマニフィカに向き直った。
「ねえ、さっき言っていた難ってなんなの?」
 ぎくっとしたようにマニフィカが視線を泳がせる。そして少し頬を赤らめながらぼそりと言った。
「歌が……ですわね。まあ、あまり……」
「ふうん?どの程度なの。ちょっと歌ってみてくれない?」
「いいですわよ」
 音痴の自覚はあっても歌う気満々のマニフィカが、すうと息を吸い込んで歌い始めた。とたんに。
 ぼぉぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 怪音が講堂を埋め尽くした。
「きゃあ」
「うわぁ」
 側にいた舞亜とトリスティアだけでなく、準備にいそしんでいた全員が耳を押さえてうずくまった。マニフィカだけがきょとんとしていた。
「どうかいたしまして?ま、上手いと言いがたいのは承知しておりますわ。ですからその場面は口ぱくで歌だけどなたかにお願いしたいのですが」
「却下ー!本人が歌わなきゃだめに決まっているじゃありませんの」
 アクア・エクステリアが声を張り上げた。ようよう立ち上がった舞亜が、トリスティアの肩をぽんと叩いた。
「代役はあなたにお願いするわ」
「わーい!頑張ろうねっ」
 トリスティアが舞亜に抱きつく。そして耳元でささやいた。
「この役なら、舞亜を一番そばで守れるしね」
 その言葉に舞亜が顔を赤らめる。しかしまんざらではなさそうだった。断られたマニフィカが残念そうにぽつねんと立ち尽くしていた。アーサースーツを着たままのテオドールがマニフィカに言った。
「控えでいればいいんだよぉ」
「あんたは素直に小道具になりきってなさい!」
 舞亜が叫んだ。

                    ○

 探偵部部室では、いつものようにルシエラ・アクティアがディス相手にお茶を飲んでいた。少し違うことといえば、お茶うけのお菓子が部のものではなくルシエラが持ち込んできたものであることだろうか。しかしルシエラはそれに手をつけようとはしていなかった。熱心に舞亜の劇の台本を読んでいる。集中のすさまじさは、ディスが何度か声をかけても気がつかないほどだった。
「先生!アクティア先生!!」
 最初は普通の声で呼びかけていたディスだったが、一向にルシエラが気がつかないのでとうとう大声を出してしまった。それでようやくはっとしたルシエラが台本から目を離した。
「なによ」
「またやけに熱心ですね」
「だって、脅迫状の内容が変わったんでしょ」
「ああ。辞退から本番の妨害になったみたいですね。それと先生が熱心なのとなんの関係が?」
「練習の様子を見せてもらったけど、なかなかいい線を行ってると思うのよ。台本も素人が書いたものにしてはなかなかのものだわ。これを台無しにされるのはしゃくにさわるの。だから本番中になにかハプニングが起きたときは、逆にそれを利用してアドリブでフォローして元の台本に戻そうと思って。その動きのシュミレーションをね、やっていたのよ」
「そういうことですか。まあ、アーサーの代役も決まり、練習の方はつつがなく進んでいるみたいですからね。やはり警戒すべきは本番ですか。犯人はアーサーで決まりのようだし」
「そうね。私のペットに動きを見張らせていたんだけど、アーサーは学園のパソコンで脅迫状を作っていたみたいよ。これが証拠写真」
 ひらりと1枚の写真を取り出す。そこにはアーサーがどこか悲しげな表情でパソコンに向かっている姿が映っていた。たいして興味もなさそうにその写真を見ると、ディスはお茶をすすった。
「代役が決まった以上、アーサーが復帰する余地はないでしょうからねぇ。やぶれかぶれでなにをしてくるか。恋は盲目とは良く言ったもんだ」
「なに、やっぱり恋のもつれが原因?」
「もつれってほどじゃないでしょう。舞亜嬢のほうは、アーサーに対して特別な感情は持ってないようだから。アーサーの行き過ぎた感情が引き下がれなくなったってところじゃないですか。普段大人しい人間ほど、追い詰められるとなにするかわからないですからねえ」
「それもそうね」
 あっさり答えて、ルシエラはまた台本に目を落とした。
 ルシエラと同じことはアクアも考えていた。どんなハプニングも、魔法などを使って効果にしてしまえば問題はないように思えた。とりあえず柔軟な対応が取れるように、とある提案を舞亜に出していた。
「え?名前をアーサーに変更?」
「脅迫者はアーサーなんでしょぉ?代役が決まって戻ってくる余地はなくなったわけですしぃ、舞亜さんもいまさらアーサーに復帰させるつもりはないでしょ」
「ないわね」
 きぱっと言い切る。トリスティアとの練習は予想以上にすんなり進んでいたので、アーサーにこだわる必要はなかったからだ。しかしそれと主人公の名前を変更することとのつながりがわからなかったので、舞亜は首をかしげてしまった。アクアが意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「今回の劇はすでにかなりな反響を呼んでますけどねぇ。私的にこの劇のセールスポイント&キャッチコピーは、『全学園が泣いた最高の「ロマンス」、そして誰にも予想できない「スリル」&「アクション」&「サスペンス」』なんですよ!そのためにはむしろハプニングが起きて欲しいんです。自分がやるはずだった役が、自分の名前で他人がやるというのは十分な挑発になるでしょぉ。だから名前を変えるんですよぉ」
「でもそれで劇が失敗してしまったらどうするの」
「台本に手を加えたのも演出も私ですよ?どんなハプニングであろうと、対応できる自信はあります。心配はいりません。それとも舞亜さんは、アドリブに自信がない?」
 舞亜があっさり挑発に乗った。
「ないわけないでしょ。なんでもやれるわよ。見くびらないでちょうだい」
「そう来なくちゃ。じゃあ名前の件はOKですねぇ?」
「わかったわ」
 アクアがくすくす笑った。

 名前を変えての練習が始まってしばらくした頃、アンナ・ラクシミリアはエルンスト・ハウアーを伴って食堂を見渡せる位置にあるベランダに来ていた。時刻はちょうど昼時。劇の練習に出なくなったアーサーが昼食を取りに来る時間帯だった。しばらく待っていると、アーサーが食堂に入ってくるのが見えた。その姿を確認して、アンナはアーサーを指差しながらエルンストに声をかけた。
「ほら、あの方ですわ。ハウアー先生、いかがです?」
「ふむ。確かに負の感情はやや強いようじゃがな。そなたの言うように、なにかに取り付かれておる様子はない。ああ、アクティア先生が連れているゴーストがそばを漂っているようじゃが、あの生徒になんらかの影響を与えているわけではないな」
「そうですか……違いますか……」
 アンナはがっかりしたようにため息をついた。アーサーが脅迫者だとは信じがたいアンナにとっては、アーサーが何かに取り付かれていたり呪われていたりしているという説明の方が納得のいくものだっのだが、エルンストに言わせればそれはないという。それでもアーサーが何か隠し事をしているのは確かだ。アンナは今度は直接アーサーにあたってみることにした。
 食堂に行くと、ちょうどアーサーはご飯を食べ終わり、食後のコーヒーを飲んでいるところだった。さっそく寄っていって向かいの席に座った。そしてまっすぐにアーサーを見ながら、笑みを浮かべつつ話しかけた。
「劇を降りられたそうですわね。残念ですわ。とても楽しみにしておりましたのに」
 話しかけられたアーサーは、あいまいな笑顔でうなずいた。
「まあ、ちょっといろいろあってね。期待を裏切ってごめんね」
「いろいろとはなんなんですの?劇の稽古ならばわたくしも拝見させていただいていましたけれど、特に問題はないようでしたのに。あなたは舞亜さんのことが嫌いなわけではないのでしょう?どこか距離を置いているようにも見えましたけど、それは嫌いだからではなく、むしろ巻き込みたくなくてやっていたように思いますの。もしかして……自分といることで何かが起きることを予感していたのではありませんの?」
「は?」
 アンナの言葉にアーサーがきょとんとしてしまった。アンナはずいっと身を乗り出した。
「そう、例えば嫉妬深い女の幽霊に憑り依つかれていて、あなたに近づく女性に危害を加えようとしているとか。心当たりはありません?だから舞亜さんとも距離を置いていたのではありませんか」
 アーサーが苦笑した。
「そっか、そんな風にも見えるんだ。悪いけど、その考えは違っているよ。これまでに声をかけてくれた女性はそれなりにいたけど、彼女たちに何かが起きたという話は聞いたことがないしね。経験もない。朝塚さんのことは……距離を置いている、か。どうなんだろうな。どうしたらいいのかわからないって言うのが近いかな」
「嫌いなわけではないのでしょう?」
 その質問にアーサーは答えなかった。

 練習が始まるまでの空いた時間、レイシェン・イシアーファは相棒のティエラと一緒にアーサーを探して校内を歩き回っていた。ティエラはレイシェンの肩に座ってぷりぷり怒っていた。
「アーサーってばなに考えているのよっ。いやいやとはいえ、一度参加するって決めたんだったらちゃんと責任持って最後までやるのが筋ってもんでしょ!?なのに直接言えないからって邪魔して劇自体をやめさせようなんて、ふざけんじゃないわよーっっ!」 「……落ち着いて、ティ」
 なだめるような声音のレイシェンに、ティエラはレイシェンの耳を引っ張りながら叫んだ。
「これが落ち着いていられるかーっ」
「……キャラ、変わってる」
「だって許せないじゃないの。せっかくみんなで頑張ってきたものを、自分1人のためにぶち壊そうとするなんて」
「……そう、なのかな」
 大声に耳をキーンとさせながらレイシェンがぼそりと呟いた。ティエラが「え?」と首をかしげた。レイシェンはティエラの頭を撫でながら言葉を続けた。
「アーサーにはアーサーの事情とか、あると思う……多分。だから、ちゃんと聞いてみよう?」
「んむー」
「『真実を見極めるには色々な方向から見る必要がある』」
「なにそれ」
「前に、母さんがそう言っていた。ティは舞亜たちの視点で見てるだろ。だから、おれは、アーサーの側の視点で見たほうがいいのかな、って。お互いの気持ち、ちゃんとわかったら、仲良くなれるかもしれない。……みんな、素直になればいいのに。ティも、だけど」
「っ!べ、別に舞亜が心配とか、そういうんじゃないもん!」
 ティエラが真っ赤になる。レイシェンが微笑んだ。
「アーサーも、舞亜も、素直になれるといいな。ね?」
「レンは自分の気持ちにはホント素直だもんねぇ……」
 そんなところが気に入っている自覚のあるティエラは苦笑するしかなかった。
「レン!アーサーを探しているのかい。さっきジュディと一緒に飼育場の方に行くのを見かけたんだ。一緒に行かないか?」
 教室にはアーサーの姿はなく、どこを探そうかレイシェンが迷っていると、アルトゥール・ロッシュがそう声をかけてきた。レイシェンは無言でこくりとうなずいた。
 アーサーはジュディ・バーガーと一緒に飼育場にいた。牛がもぐもぐと牧草を食べている。そんなのどかな光景を見ながらも、アーサーの顔色は優れなかった。うつむきがちになるアーサーを見ながら、さりげなくジュディが話を切り出した。
「アーサー、1つ、聞いてイイですか」
「ん、なに?」
「セットが壊れた時、『こんなひどいことが起きるなんて』と言ってましたネ。あのときの青ざめた顔は、演技には見えなかったネ。本当に驚いていました。もしかして、妨害に使う能力をコントロールできていないんじゃないデスか?」
「妨害に使う能力?」
「アノ事故はなんらかの力が働いたタメと思えマス。本当はもっと小さな事故にするつもりだったンじゃないデスか」
 アーサーは驚いたように首を振った。
「知らないよ。僕は超能力者じゃないからね。なにか力を使ってあの事故を起こしたわけじゃない。大道具に細工したりもしていない」
「デモ……脅迫者は、アーサー、君デスよネ」
「……ジュディに隠し事は出来ないな。そうだよ。脅迫状を出したり、小道具を壊したりしていたのは僕だよ」
「舞亜サンが好きダカラ?目立って欲しくなかった?」
「……うん」
 ジュディはポケットから黒い小石を取り出して、掌で転がしながらじっと見つめた。それは今はただの小石だったが、かつては他人を操ったり闇の力を使ったりすることのできた石だった。その力ゆえに、この石はジュディに他人を思いやる心を忘れないという戒めを思い出させてくれた。
「恋は盲目……ジュディにも、わかりマス。ジュディもソレで、故郷で失敗しましたカラ」
 ジュディはまるで独り言のように、故郷での話をした。故郷ではアメリカンフットボールのスタープレイヤーだったのだが、色恋沙汰が原因の大乱闘を起こして、その地位を永久に剥奪されてしまっていたのだ。その後悔から、アーサーの気持ちに気づき、暴走を止めたかったのだが、結果は役の降板という最悪のものだった。
「そんなことがあったんだ」
「アノ時、ジュディがもっと相手のことを思いやってアゲられたら、アンナ失敗はしなかった……アーサー、今からでも遅くはナイネ。舞亜サンやミンナに素直に謝って、劇に戻りまショウ!」
「できるかな……」
「大丈夫!」
 ばんとジュディがアーサーの背中を叩く。その力強さに思わずアーサーがむせ返っていると、アルトゥールとレイシェンがやってきた。
「あ、いたいた」
「ゴ用ですカ?」
「うん、アーサーにね。この間のことなんだけど……」
 アルトゥールが言いかけると、アーサーが体をこわばらせた。様子を伺いながらアルトゥールは単刀直入に切り出した。
「あれが君の仕業だって事はわかっているんだ。幸いジュディが助けてくれたから、舞亜も君も怪我をしなくてすんだけど、なぜあそこまでやったんだい」
「あれは僕じゃない!なんであんな事故がおきたのか、僕にもわからないんだ!」
 アーサーが血相を変えて否定した。アルトゥールが不可解そうな顔になった。
「じゃあ、その前の舞亜が突き落とされた件は?」
「そ、それは……」
 口ごもったことが、自分が犯人ですと告白したようなものだった。ジュディがかばうようにアーサーの前に立った。
「そう追い詰めないデ」
「僕はただ理由が知りたいだけだよ。怒っているわけじゃない」
「……足でもくじいたら、劇に出られなくなるかなと思って」
 ぽつりとアーサーが答えた。しょんぼりしてしまったアーサーに、アルトゥールは優しく問いかけた。
「やっぱり脅迫者は君だったんだね……でも、どうして」
「……」
 黙ってしまったアーサーに、ティエラがわめいた。
「えーい、男でしょ!ちゃきちゃき答えなさいよ……ん、むぐ」
 ティエラの口を手で塞いで、レイシェンが前に出た。うつむいているアーサーを下からのぞきこんで、まっすぐにその顔を見た。
「……自分に、素直になろう?アーサーの気持ち、みんながわかってくれたら、みんなだって、きっと怒らない」
「自分勝手な理由でも?」
 情けなさそうにアーサーが言うと、アルトゥールがきっぱりとした声を出した。
「悪いことは確かに悪いことだ。でもな、ちゃんと反省すれば、誰だってわかってくれるはずだぞ」
「……僕は、朝塚さんが好きなんだ。自分に正直で、まっすぐで、いつだって明るい朝塚さんが。今はクラス中心に人気のある朝塚さんだけど、この劇が成功したらきっともっとたくさんの人が彼女を好きになる。それが辛かったんだ!」
 基本的に大人しいアーサーには、告白する勇気がなかったのだろう。舞亜がアーサーに特別な感情を持っていないことはわかりきっていたのだから。相手役に指名されたのは、たんに見た目が良くてそれなりに人気があるからという理由なのは明白だった。これをきっかけに恋に発展する可能性がないことなど、アーサーが一番良くわかっていた。レイシェンがそれを聞いて首を横に振った。
「……そんなの、誰にもわからない。素直な気持ちで接すれば、舞亜だって、気にしてくれたかもしれない。劇が成功すれば、きっと感謝しただろうに」
「僕もそう思うな。少なくとも舞亜は君を嫌いじゃない。だから相手役に指名したんだよ。まあ、ライバルが増えてしまうのを嫌がった気持ちはわかるけど。……後悔、しているかい」
 アルトゥールが聞くと、アーサーは小さくうなずいた。それを確認して、アルトゥールがアーサーの手を引っ張った。
「君の代役はトリスティアに決まっちゃったけど、他の役で劇に参加できるかもしれないよ。その反省の気持ちを正直に話して、舞亜に頼んでみようよ。せっかく君も含めてみんなで準備してきた劇なんだから、アーサーにもちゃんと戻って欲しいな」
「え……でも」
 怖気づいたようなアーサーの背中をジュディが押す。
「ソレ、イイ考えネ!行きまショウ!」
「うん、行こう」
「むーむぐぐ」
 そう簡単にいくかしらと思っていたのはティエラだけだった。
 講堂ではすでに劇の稽古が始まっていた。演技を見ながらアクアがあれこれ指示を飛ばしている。シーンはちょうどクライマックスの舞亜とトリスティアのラブシーンだった。熱心な稽古にアーサーたちが入ってきたことに最初は誰も気づかなかった。台本を知っていたアルトゥールたちは、もうじき稽古が一段落つくとわかって、それを待つことにした。
「アーサー、愛しているわ……もう離したりしないでよ」
「ボクも愛しているよ。決して離したりしない」
 舞亜の台詞に、アーサーが血相を変えた。名前の変更を知らなかったアルトゥールたちも驚いていた。トリスティアの顔が舞亜に近づく。途中まで平然としていた舞亜が、目を閉じようとしてトリスティアを突き飛ばした。
「寸止めって言ってるでしょーっ」
「女同士なんだもん、気にしない気にしない」
 トリスティアがけらけらと笑う。アクアがびしっと言った。
「ちょっと、舞亜!本番でも突き飛ばす気!?いい加減覚悟決めてくださいぃ」
「うー。あら?」
 真っ赤な顔の舞亜が、唖然としているアーサーたちに気づいた。とたんに不機嫌そうな顔になった。舞亜の視線を追って、他の人間もアーサーたちの存在に気がつく。注目を浴びて一歩引き下がったアーサーを、アルトゥールとジュディが押し返した。
「アーサー、いまさらなんの用よ」
「まあまあ、ちょっと話を聞いてくれないか」
 アルトゥールがこれまでのいきさつを話し、アーサーに劇に復帰させてくれるように頼んだ。覚悟を決めたアーサーも、決死の表情で頭を下げた。舞亜はそれに冷ややかな声で応じた。
「ふざけないでよ。さんざん嫌がらせしたくせに、それをすっぱり忘れろって?冗談じゃないわ」
「デモ、舞亜サン……」
「私はなんとしてもこの劇を成功させたいの。不安要素なんかいらないわ。出てってちょうだい。あんたの顔なんか二度と見たくないわ」
 きっぱり言い切られて、アーサーが蒼白になる。実はこれもアクアが指示した挑発の1つだった。舞亜もそれほど鈍くはない。練習をしている間に、アーサーの気持ちにうすうす感づいていた。だからと言って恋心を抱くほどではなかったが、悪い気がしていなかったのも事実だ。だが、勝手に役を降板されて腹を立ててしまった。それでアクアの案に乗ったのだ。
 ばんと音を立てて講堂の扉を開きアーサーが飛び出していく。ジュディたちがその後を追った。舞亜がアクアに振り返った。
「これで良かったの?」
「ええ。万全ですわ」
 アクアがにーっこりと笑った。
 アーサーと入れ替わりに猫間隆紋が講堂にやってきた。
「お茶会の準備が整ったぞ。今出て行ったのはアーサーか?」
「そうです。お茶会というと、先日おっしゃっていらした?ちょうど良かった。こちらも一息入れようと思っていたところです。ありがたく参加させてもらいます」
「うむ。言語学志望の後輩たちは、ぜひともねぎらいたいところだからな。ところで……アーサーにも参加してもらいたかったのだが、さてどうするか」
「わたくしが呼んでまいります」
 稽古に参加していたアリューシャ・カプラートがすかさず講堂を出て行く。当然のようにアルヴァート・シルバーフェーダがついて行った。出て行ったばかりだから追いつくのは容易だろう。隆紋が2人を見送って舞亜たちをうながした。
 勢いが良かったのは飛び出したときだけだったらしい。アーサーは近くの廊下で黄昏ていた。アルトゥールとレイシェンはそばで黙って考え事をしていた。ジュディだけが必死に慰めの言葉をかけていた。その姿を見つけると、アリューシャが微笑みながら近づいていった。
「アーサー様、猫間先生がお茶会を開かれるそうなのですわ。ご一緒にいかがですか?」
「猫間先生が?悪いけど、今はそんな気分じゃないんだ。だから、君からそれとなく断っておいてもらえないかな」
「舞亜たちも来るぞ」
 アルヴァートが言うと、アーサーは顔をこわばらせた。
「だったらなおさらだよ。さっきの、見ていたんだろう。合わせる顔があるわけない」
「確かに舞亜はああ言ったけどな。ここで引き下がっていいのかい。せっかくまたやる気になったのに、あれくらいで投げ出してしまって、後悔はしないといえるか?もう一度、良く考えてみた方がいいぞ。一度引き受けたことを投げ出すのも男らしくないしな」
「それはそうだけど……」
「アーサー様は、なぜ舞亜様にこの劇をやらせたくなかったのですの?」
 アリューシャが聞くと、アーサーが苦笑した。
「それももうどうでもいいことだよ。とにかくお茶会の件は……」
 言いかけた言葉が途切れる。アリューシャが胸元に止めてあったブローチを外して、アーサーの目の前に持っていっていた。何の気なしにそのブローチにはめ込まれていたルビーを覗き込んだアーサーが、がくっと眠りに落ちてしまったのだ。
「アリューシャ?」
 覗きこむものを眠りに誘う特別なルビーでアーサーを眠らせたアリューシャが、にっこり笑いながらアルヴァートに言った。
「行きたくなくても無理に連れて行くまでですわ。アルバさん、運んでいただけます?」
「いいけど……」
 恋人の頼みには弱いアルヴァートがアーサーを担ぎ上げる。アリューシャは心配そうなジュディたちも誘って隆紋の元に向かった。

 はっとアーサーが気がついたときには、すでに隆紋の研究室に連れ込まれていた。劇に参加するクラスメイトたちがてんでにお茶を飲んだりお菓子を食べたりしている。しばらく呆然としていたアーサーは、アリューシャに差し出されたお菓子を反射的に受け取って食べてしまった。
「気がついたか。目覚めの一杯はどうだ」
 今度は隆紋がお茶の入ったカップを差し出す。先刻のやり取りなどなかった顔でお茶を飲んでいる舞亜を横目で見ながらカップを受け取ったアーサーは、とにかく気を落ち着けようと礼を言ってお茶を一息に飲み干した。それを見届けてから、隆紋が手をたたいた。一同が隆紋に注目した。
「じゃあ、聞くとしよう。なぜそなたは、クラスメイトたちの志……劇を妨害するのだ」
「そ、それは……」
 舞亜への思いを告白する勇気のなかったアーサーが口ごもると、隆紋がすかさずぴしゃりと言った。
「ああ、嘘は許されぬぞ。さきほどそなたが口にした茶の中には、『しえたら』というちょっと変わった毒が入っておっての。そなた、今後は一生、嘘を口にすることが出来ぬぞ。嘘をつけば血を吐いて死ぬことになる」
「え!?」
 アーサーの手からカップが落ちる。隆紋は真面目な表情で、嘘を言っているようには見えなかった。近くで舞亜が不敵な笑みを浮かべた。その表情にやはりときめきを覚えてしまうアーサーは、進退窮まって冷や汗をかいた。
「また参加する気になったってことは、もう妨害する気はないってことだろ。話してくれてもいいんじゃないのかな」
 アルヴァートが誘い水を向けた。アーサーはそれでも黙り込んでいた。隆紋は今度は、心配そうにアーサーを見ているジュディに話しかけた。
「ジュディ、そなたはアーサーの命を救いたいか」
「え?それはもちろんデス」
「ならば彼に白状させたまえ。さすれば解毒剤を渡そう」
「アーサー!この際だから、打ちあけてしまいまショウ。今こそ勇気を振り絞るときデス!」
 ばんと机を叩いてジュディがアーサーを促す。舞亜が挑発する口調で言葉を発した。
「そう、そんなに私が嫌いだったの。よーくわかったわ」
「違う!」
「どう違うって言うの?嫌いだから私に劇をやらせたくなかったんじゃなくて?」
「違う……そうじゃない。嫌いだからじゃない……」
 死への恐怖がアーサーの勇気を後押しした。アーサーは今度こそまっすぐに舞亜に視線を向け、真剣な表情で告げた。
「君が好きだ。君ならきっと劇を成功させると思った。そうなれば学園中の人気者になるだろう。それに耐えられなかった。僕だけのものにしたかったんだ!」
「やっぱり……」
 答えを予測していたアリューシャが悲しそうに呟く。アルヴァートがそっと肩を抱き寄せた。舞亜がぴくりと眉を動かせた。
「『僕だけのもの』……?そう……。あんたのことは別に嫌いじゃなかったし、確かに恋人にするには良い人物だと思っていたわ。それなのに脅迫したり妨害したり。そんな卑怯な真似するなんて許せないわ。私が好きならむしろこの劇を利用して恋人宣言でもすればよかったのに!」
「妨害したことは後悔している」
「セットが壊れたときは大怪我をするところだったのよ」
「ああ、それは私のせいだな。脅迫状を使って呪い返しをしたのだ。たいていそういう時は効果が倍増して返るものだ。だからセットが壊れてしまったのだろう。すまなかった」
 セットが壊れた話を聞いた隆紋が素直に謝った。その言葉に一同がこける。アーサーが安堵のため息をついた。
「それであの時おかしな感じがしたのか。ひどいや、先生」
「ちょっと待て。だからと言ってそなたに責任がないわけではないぞ。そもそも脅迫状など出さなければあの事故もおきなかったのだからな」
 さっくり切って捨てられてアーサーが肩を落とす。アルヴァートに肩を抱かれていたアリューシャは、身を起こすとアーサーに向かって言った。
「してしまったことは仕方がありませんわ。後悔も反省もしてらっしゃるようですし、残りわずかですがまた一緒に頑張りましょう。舞亜様、よろしいでしょう?」
「冗談でしょ。誰が仲間になんか加えるもんですか。絶対にお断り!」
 舞亜がつんとそっぽを向いた。アーサーは絶望に満ちた顔で低く笑った。
「わかった。じゃあ、全力で壊させてもらう」
「アーサー!」
 ジュディが焦った声で呼びかけた。アーサーは苦く笑いながら首を振った。
「僕は本気だよ。嘘はつけないんだろう?だったら本気だとわかってもらえるはず。劇をぶち壊して、朝塚さんを手に入れてみせる!」
「正直でいいことだ。その正直さに免じて解毒剤をあげよう」
 隆紋が液体の入った小瓶をアーサーに放って寄こす。アーサーはむさぼるようにそれを飲み……怪訝そうな顔になった。
「あの、先生。これって……水?」
 隆紋は澄ました顔で答えた。
「『しえたら』なんて毒は、私はまだ知らぬ。嘘じゃ」
 だまされたことに気づいて、アーサーが怒った顔になった。
「そうですか!でもさっき言ったことは本当の本気ですからね!覚悟していてください!」
 そして今度こそ本当に部屋を飛び出して遠くへ駆けて行ってしまった。
 残された面々は、思い思いの表情をしていた。耐え切れずに笑い出したのはアクアだ。
「まあ、1人でどこまでやれるかわかりませんけどぉ。これでハプニングが起きることは確実ですねぇ。ああ、楽しみ」
「楽しみじゃないわよ。あの調子じゃなにしでかすことやら」
「大丈夫!少なくとも舞亜のことはボクが守ってあげるからね」
「あんたのことは、別の意味で危険がありそう……」
 トリスティアに抱きつかれて舞亜が顔をしかめた。

                    ○

 そして学園祭当日がやってきた。朝早くから花火が打ち上げられお祭り気分を引き立てる。学生や教師陣だけでなく、町からの一般参加者もやってきて、学園内はいつにも増してにぎやかだった。
 風紀委員用の控え室では、テネシー・ドーラーが他の風紀委員たちに檄を飛ばしていた。
「いいですわね。トラブルなく皆が学園祭を楽しめるよう、徹底した見回りを実行するのですわよ。特に今年は脅迫状が来ている劇や問答無用のビーチバレー大会などがありますからね。ゆめゆめ油断することのなきよう。見回り中、処理できないと感じたらすぐにわたしを呼ぶように。よろしいですわね」
 ばしっと愛用の竹刀を床に叩きつける。その迫力に一同がいっせいに元気の良い返事をした。反応に気を良くしたテネシーが、クラスや部活での参加で見回りが出来ない生徒たちと時間調整を行っていると、窓の外をなにかがふわふわと飛んでいった。
「なんですの」
 疑問に思って外を見たテネシーの視界に入ったのは、透明なケースに入ったパンケーキだった。それがふわふわと浮いている。ケースには垂れ幕がぶら下がっていた。
「ええと……『フライング・パンケーキ』開店。場所は……って、これ、もしかして武神先生の……」
 小麦粉の一件を思い出し、テネシーが肩を落とした。
 武神鈴は準備がすっかり整った教室で、宣伝用のパンケーキを次々に飛ばしていた。
「当日に宣伝というのも、いささか遅い気がするが、まあやらんよりやったほうがいいだろう。細工は隆々、仕上げをごろうじろって感じだな。さあ、始めるぞC4!空飛ぶパンケーキ屋『フライング・パンケーキ』の開店だ!」
「はい、ご主人様」
 メイド服に身を包んだアンドロイドがにっこり笑う。鈴の技術の粋を集めたパンケーキは、大気の成分から製造されたナノマシンが一緒に焼きこまれていて、浮遊するようになっていた。物珍しさに客がそろそろと集まり始める。調理マシンは教室の隅に設置されていた。入ってきた客は入口付近で金を払うシステムになっていて、鈴がお金を受け取ると、それを感知した調理ロボットおじさんが焼きあがったパンケーキを鈴の前に置いてある皿めがけて教室の隅から隅へシュートさせていった。
「この皿も特製でな。皿の上に乗っている限りパンケーキは飛ばない。ただし、こうスイッチをOFFにすると……」
 皿底の仕掛けをいじると、ちょこんと乗っていたパンケーキがふわふわと浮き上がった。おおーっと客から驚きの声が上がる。メイドアンドロイドはイートインの客を笑顔で席に誘導していった。
「はい、こちらバター・蜂蜜・メープルシロップになります。お好きなお味でどうぞ」
 教室内には宣伝用とは別に、素のままのパンケーキが何枚か漂っていた。そのため甘い香りは途切れることなく教室内を満たしていった。
 そこへやってきたのはアーニャ・長谷川だ。アーニャはまず自分用にパンケーキを買って食べた後、鈴に問いかけた。
「持ち帰り用があると聞いたんですけど」
「おお、それはこっちだ。チンすれば美味しく食べられるぞ。冷凍保存も可能だ。……1〜2kg、体重をごまかせるから、身体測定前に食べるといいぞ」
「いえ、私用ではなく」
 ダイエットにはあまり興味のないアーニャが微笑んでいると、フェリシェルが後ろから顔を突き出してきた。
「えー、本当ですか?」
「うむ。お買い得だぞ」
「あれぇ。フェルってば、体重のこと気にしていたのぉ?」
 フェリシェルと一緒に学園内を回っていたアメリア・イシアーファが目を丸くした。フェリシェルがあははと笑った。
「う〜ん、やっぱりちょっとね〜。アメリアは痩せているから気にならないんだろうけど〜」
 そういうフェリシェルはいわゆるぽっちゃり系だ。普段はさして気にしていないのだが、やはり体重をごまかせるというのは魅力的だったのだろう。笑いながら持ち帰り用パンケーキをしっかり購入していた。
「この話はよそでやってくれても構わないぞ」
「は〜い。先生も頑張ってくださ〜い」
 アメリアとフェリシェルが笑いあいながら去っていく。どかっと音がしてアーニャが振り返ると、メイドアンドロイドが客の1人を床に沈めたところだった。
「あの……」
「こら、セクハラは禁止だぞ!防御機能を搭載しているから、反撃を食らうのが落ちだ。って、まあすでにやられたあとのようだがな。大人しくパンケーキを食べていろ」
「ふぁ〜い」
 床に沈められた客が情けない声で返事した。
 アーニャが差し入れ用のパンケーキを購入して講堂に向かっていると、途中で見回りをしていたテネシーとすれ違った。テネシーは甘い香りに顔をしかめた。
「アーニャ様、持ってらっしゃるのって、もしかして……」
「ええ、武神先生のところのフライングパンケーキよ。良かったらテネシーさんもいかが?美味しかったわよ」
「いえ、けっこうですわ。仕事中ですから」
 テネシーがそっけなく断る。その手にアーニャが強引に一袋渡した。
「お仕事で大変なのなら、なおさら栄養は取らないと。その分だとお昼を食べている余裕もなさそうだし」
「そこまでおっしゃるのなら……」
 テネシーがしぶしぶ受け取る。アーニャが去った後、まだ暖かいパンケーキを食べ、一言言った。
「美味しいですね」
 上物と豪語していただけはあると認めざるを得ないテネシーだった。

 アメリアとフェリシェルは、ざわめく校内をきゃあきゃあ言いあいながらまわっていた。役目としては学園祭実行委員としての見回りだったのだが、半分はその役目を忘れて様々な出し物を楽しんでいた。
 とある教室では、エルンストがフォーラムを開いていた。議題は『死者と生者の付き合いの歴史と文化』だ。入口にばんと大きな張り紙をしている。堅苦しそうな題名に一般参加者は敬遠していたようだったが、エルンストがアンデットであることを知っている生徒たちは、エルンストの話術の巧みさも知っていたので、時間になるとぽつぽつと集まり出した。アメリアたちもちょうど開始時間に回ってきたので 参加してみようと教室に入っていった。エルンストはスクリーンとプロジェクターの用意をして室内を暗くすると、集まった参加者に向かって声を張り上げた。
「さて、本日はお集まりいただきありがとうございます。本日この議題を選びましたのは、学内で起きました幽霊騒動がきっかけです。これはアット世界における霊魂に関する論争に大きな進展をもたらすと共に、死者の扱いに対して新たな議論を呼ぶものであると思います。先の事例においては、その霊を昇天させることで決着がつきました。これは死者が現世にいることが不自然であるとの意見が場の大多数を占めたためであります」
「え〜先生、でもぉ」
 アメリアが口を挟んだ。エルンストが視線をめぐらせてアメリアをうながした。
「なんじゃね」
「本人たちもそれを望んでいたように思うんですけどぉ……」
 いささか自信なさげにアメリアが答える。エルンストはこほんと軽く咳払いをしてから話を続けた。
「現世に心残りがなくなったからじゃからだというのじゃろう。だが、それは本当かな?心残りはまったくなくなったのじゃろうか」
「う〜ん」
 アメリアが悩んでしまった。
「世界によっては先祖の霊を守護者として共に生きるものがいる。守護霊という奴じゃな。また、幽霊の類が頻繁に自然発生することも少なくない世界もある。補足すれば私の扱う暗黒魔術にもその原理を利用した死霊術が存在するくらいなのじゃ」
「でも幽霊は怖いな〜」
 今度はフェリシェルが言った。
「それもまた1つの意見じゃろうが、個人の考え以前に、宗教や民族などの文化的な違いによって、死者の存在を忌んだり敬ったりする視点もまるで違うと言えるのじゃ」
「あ、うちではご先祖様を供養しています。幽霊がいるかはわからないけど、親はご先祖様が守ってくれるから大切にしないといけないって言っています」
 今度は別の生徒が発言した。それに応じて別の生徒が言った。
「死んだらそれで終わりだろう。幽霊がそこらへんにうようよしているとは思えないな。意識なんて消えちゃうんじゃないのか?」
「文化的に良く聞くのはあの世の存在じゃな。天国や地獄の存在は、残念ながら現時点においてはどの世界でも確認できておらんようじゃが。臨死体験も第三者が観測できた事例はない。そなたが言うように、肉体が死んで魂も消えれば後は無、少なくとも魔術などなんらかの力が介在しない限り輪廻転生はありえないという考えもある」
「あ、生まれ変わりは信じますぅ。私のお兄ちゃんが、大昔の英雄の生まれ変わりだから。その英雄が自分が死ぬときに生まれ変われるようにしたのぉ。それでお兄ちゃんが生まれてきたんだってぇ」
 またアメリアが言う。初耳だったフェリシェルがへえと感嘆の声を上げた。エルンストがうんうんとうなずいた。
「そうじゃったな。さて、私個人としてはじゃが、幽霊とは、世界に焼きつくほどの強い思念が様々な要因から力を持ち、ある種の精神生命体として動き出したという可能性もあると考えておる。例えば、わしは自ら望んで術を使いアンデット化した存在じゃが、今ここにいる私はエルンスト・ハウアー本人の記憶と人格を持った精神的コピーであり、本物の私は術を行使した直後に死亡していると見ることもできるのじゃ。本日お集まりの諸君にはこうした事柄を大いに論議していただきたく思うのであります」
 エルンストはいったん言葉を切りプロジェクターを操作すると、スクリーンに図を映し出した。専門の死霊魔術と、エルンストが言った暗黒魔術の中の死霊術、および生物創世のことがわかりやすく描かれていた。
「まあいわば、前者が農薬とか使う効率的な近代農法であり、後者が自然を利用した昔ながらの有機農法と言った感じじゃな」
 スクリーンには次々とそれぞれの術の違いの説明文が図入りで映し出されていった。エルンストとしては現世に残った霊魂がすべて昇天されるのが正しいとは到底思えなかった。それでは守護霊の存在の説明がつかないからだ。生徒たちはわやわやと話し合っていた。エルンストは発言はしっかりするようにと促した。
「先生、様々な要因から力を持つといいましたよね。その要因ってどんなもんなんですか」
「うむ、良い質問じゃ。まずは本人がなんらかの力を持っていた場合じゃな。この世界にも超能力者や霊能力者がおるじゃろう。そういう人物なら、死ぬときに自分の魂を現世にとどめることが出来ると考えられる。あるいは死者に対して強い思いを抱いていた人物が力を持っていた場合じゃな。その力によって本来なら消え去るはずの魂がとどめられることがある」
「それって超能力とかだけですか」
「一概にそうとは言えぬ。精神力には波動というものがある。オーラと呼ばれるものじゃな。それが霊能力者ほどではなくとも比較的強い人間はどの世界にもおるのじゃ。それが死と言う特殊な体験によってさらに強まる可能性があるのじゃ。また世界によっては自然界に存在する特殊な生命体がある。アメリア君、君は精霊使いじゃからわかるじゃろう」
「精霊の力によって、幽霊になっちゃうってことですかぁ?」
「可能性としてはありえることじゃろう」
 アメリアが隣に出現した光の精霊ジルフェリーザと顔を見合わせた。フェリシェルが手を上げた。
「幽霊は悪さとかしないんですか〜?」
「それは思いの種類によって変わるな。一般的に守護霊と呼ばれるものは、文字通り対象を守護するものじゃから、自分からなにかを仕掛けることはないじゃろう。ただし、対象が危害を加えられそうになったときはなんらかの力を行使すると考えられる。また悪霊と呼ばれるものは、自らの死を受け入れられずに仲間に引き入れようとして生者を死に至らしめようとしてくることがあるはずじゃ。もしくは生きているものの光、生きているが故の精神の輝きがまぶしくて、それを怖がり消し去ろうとしてくるものもおるじゃろう」
「はう〜やっぱり怖いぃ〜」
「そこまでの力を持つものはそう多くはないと思うぞ。肉体を持たぬものの力は時間と共に薄れていくことが多い。そうなれば自然消滅、いわゆる昇天するということじゃな。ただ力の強さは思いの強さによって変わる。また仲間を得ることによって力を吸収し、力を増すものもおる。まあ、悪霊の類は大抵そういう存在じゃが。そういう存在は確かに昇天させてやる方が幸せかも知れぬが、そうでないものはどうであろう?例えば守護霊を昇天させてしまった場合、それまで守護していたものがいなくなったため、護られておった者が危険な目に合うことも考えられるのではなかろうか」
 ざわざわとざわめきが教室を支配する。エルンストの言わんとすることはなんとなく理解されているようだった。また別の生徒が発言した。
「その区別ってどうつけるんですか?守護霊だって護るためになりふりかまわず力を使うことだってあるでしょう。それが周りに被害を出すなら、昇天させてやったほうがいいんじゃないですか。そもそも幽霊がまったくいなかったら変な現象も起きないだろうし」
「あ、でも死んだ後も会いたいとかって人だったら、幽霊になっていて欲しいかも」
「死んだのに生きているように見えるって不気味だよ」
「そうかなぁ」
「わしもさっき言ったが、ある意味死んでおるんじゃがな。幽霊と違って肉体があるというだけで」
「あ、すみません」
 反射的に謝る。エルンストがほっほっほと笑った。それからも質問や意見がぽつぽつと出され、エルンストのフォーラムはまずまずの盛況だったといえただろう。アメリアとフェリシェルは他もまわりたかったので、適当なところで退散していった。

 Sアカデミアは島の中央にあるため、海からは離れていたが、その代わりに大きな湖に面していて年中海水浴を楽しむことが出来た。今はその砂辺にビーチバレー大会の会場が設けられていた。必殺技ありのルールということで危険を感じていたテネシーは、自分の見回りコースにそこを組み入れていた。ミス・ミスターコンテストを兼ねているということで、腕はさておき見た目に自信のある生徒たちが我こそはと参加を表明していて、見物客も大勢集まっていた。テネシーがやってきたときは試合が始まるところだった。参加者はみな思い思いの水着を着ており、会場は華やかな雰囲気に包まれていた。わーわーと声援が参加者に送られる。流れ弾に当たると危険なので見物席はコートから少し離されていたが、優勝候補のリリア・シャモンが姿を現すと、定められた位置から飛び出そうという輩もいた。テネシーはすかさず飛んで上空から竹刀を振り下ろした。
「これから試合が始まるのですから、邪魔はなさらないように」
 と、テネシーの竹刀に倒れたリリアのファンの隣にいた人物が不意に倒れた。
「ぐふっ」
 見ると手にカメラを持っていた。リリアのパートナーのグラント・ウィンクラックが怒鳴った。
「こらぁ!撮影は全面的に禁止になっているはずだぞ」
「そうでしたわね」
 どうやらカメラの存在に気がついてグラントが気弾を放ったらしい。ルールを思い出したテネシーも、再び空に舞い上がって上から他に不埒な輩がいないか探し始めた。禁止されていると言っても、探してみるとカメラやビデオ、携帯電話などを持っているものは意外に大勢いた。自分たちの番ではないときはそういう人物を探し出し、グラントが気弾で気絶させていく。テネシーも魔眼などを使って隠し持っている人物などをあぶり出し気絶させると、他の風紀委員に会場外に連れ出させていた。 「うわぁ」
「おおー!」
 ひとしきり違反者を撤退させている間にも試合は進んでいた。参加者はそれぞれに健闘していたが、やはり強かったのは前評判の高かったリリア・グラント組と、ホウユウ・シャモンとチルル・シャモン夫婦だった。
「リリア!」
「はいっ!乱れ雪月花!」
 グラントが受けたレシーブに向かってリリアが飛び上がる。白と水色のツートンカラーの水着に包まれた巨乳がぶるんと震える。引き締まったお尻は、ハイレグTバックのためほとんど露と言って良かった。ベージュの肌を汗が滴り落ちる。その姿に見とれていた観客は、リリアの放ったアタックに今度は度肝を抜かれた。ボールが氷をまとって相手に当たったのだ。凍える冷気が肌を切り裂き、血飛沫が上がる。受け止め損ねた相手はばたりと倒れた。容赦のない攻撃に相方が呆然とする。しかし簡単に負けるわけにもいかない。倒れているパートナーを立ち上がらせると、気合を入れなおして攻撃にそなえた。そしてなんとかレシーブして、アタックに移る。しかし威力の弱いアタックは特訓を積み重ねてきたグラントによってあっさりブロックされてしまった。腕にはめていた召武環が日差しにきらりと光る。ボクサータイプのトランクス水着を着用していたグラントは、長い髪をポニーテイルにまとめていた。動いたことでさらりと黒髪がなびいた。
 点が入るたびに2人はハイタッチをして互いの健闘を称えあった。しかしまだまだ2人とも本気は出していなかった。リリアのほうは容赦なく必殺技を使ったアタックやサーブを繰り出していたが、グラントは相手の力量を見極めて堅実な攻撃で点を稼いでいた。
 一方のシャモン夫婦は、息の合った攻撃で着実に勝ち進んでいた。
「あなた!」
「任せろ!くらえ、流星天舞!」
「ぐわぁ!」
 こちらもホウユウが容赦のない攻撃で点を稼いでいた。そもそもホウユウもリリアも、幼い頃から「ルールの範囲内で徹底的にやる」という教育を受けている。相手が見た目だけが良くて他の力をあまり持っていなくても、おかまいなしに攻撃していた。チルルは夫に比べて身体能力が劣ってはいたが、持って生まれた強運が相手の攻撃を上手くふせいでいた。そして精霊魔法を使って攻撃力を上げて夫に貢献していた。リリアほどではないがかなりきわどいビキニの水着はさわやかな緑色で、トランクスのホウユウとおそろいだった。点が入るとこちらはハイタッチではなく、軽く触れ合うキスで喜びを表していた。そのどうどうとしたのろけっぷりに、観客の方が照れてしまっていた。
 そして決勝戦。互いにシードされていて、ここまであたることのなかったこの2組は、ようやくかなった対戦に意欲を燃え上がらせていた。
「うっし!気合入れていくか」
 決勝戦が始まる前、自らの頬を叩いたグラントがリリアの肩に手を置いた。「あー!」とリリアのファンから悲鳴が上がる。グラントはにやりとしながら観客席を見渡した。その余裕の笑みに腹が立ったファンが飛び出そうとしては、テネシーに殴り倒されていた。
「よお、やっと戦えるな。正々堂々と試合開始といこうじゃないか」
「こっちこそお前と戦えるのを待っていたぞ。リリア、娘だからといって手抜きはしない。全力で行くからな」
「はい。私もです、お父様」
「あらあら」
 背後に炎が見えるんじゃないかというくらい熱血している3人の中で、チルルだけがおっとりと笑っていた。
 決勝戦は最初から互いに全力を出し合ったので、迫力がそれまでの試合とまったく違っていた。必殺技の余波が観客席まで届きそうだったので、テネシーが他の風紀委員に指示を出して全員を下がらせた。
「くらえ、流星天舞アタック!」
「なんの、それくらい」
 ボールと一緒に衝撃波がやってきたが、グラントは硬身功で体を強化していたため揺らぐことなくそれを受け止めた。リリアがトスを上げると今度は身を軽くしたグラントが高くジャンプしてホウユウめがけて炎をまとわせたアタックをくらわせた。炎に焼かれながらホウユウがそれを受け止める。上がったボールをラインぎりぎりを狙ってチルルがアタックする。外れると読んだグラントだったが、風が吹いてきてラインの中に入ってしまった。結果的に見逃してしまったグラントが悔しがっている隙に、チルルがホウユウの怪我の治療をした。
「反撃するぞ!」
「はい!」
 やってきたサーブをリリアがレシーブし、グラントがトスをする。それは非常に高く舞い上がり、さらに青い炎をまとって空の青に溶け、ボールが視認しにくくなった。グラントがリリアに合図した。
「今だ!」
「行きます!」
 リリアがグラントを足がかりにボールと同じ高さまで飛び上がって垂直にアタックを繰り出した。そのボールはチルルの胸に当たり……。
「おおーっ」
「あら」
 チルルの水着をぺろりとはいでしまった。出産したばかりで豊かさを増していた胸が露になる。観客がその光景に歓声を上げる。グラントがとっさにコートの周辺に爆炎で壁を作り、チルルに声をかけた。
「早く直すんだ」
「ありがとう」
 チルルがあまり動じた風もなくにこりと笑いながら水着を直そうとする。ホウユウが近寄ってチルルの胸を見つめた。
「ああ、少し赤くなっているな」
 そしてボールが当たって赤くなってしまった部分に口付けを送った。
「大丈夫だな」
「ええ、あなた」
 水着を直しながらチルルが答える。ホウユウは相手コートのグラントに笑いかけた。
「やってくれるじゃないか。ますます燃えてきたぜ」
 事実、ホウユウのテンションはこれまでにないくらい高まっていた。それを感じ取ってグラントの闘志も高まった。
「さて、このスカイハイ・アタックを止められるかな」
「させなきゃいいだけの話さ」
 これまでの戦いでグラントがホウユウしか狙ってこないことはわかっていた。身体能力でチルルが劣ることがわかっていたからだろう。リリアのほうは母親といえどお構い無しに攻撃してきたから、ようはリリアにアタックさせなければいいだけの話だ。ホウユウは徹底してリリア封じの作戦に出た。集中してグラントにアタックを仕掛け、トスが上げられないようにしたのだ。もちろんそれでも上がったボールをリリアがアタックすることがあったが、血風乱華ブロックでそれを防いだ。技はチルルが精霊の力を借りて威力を強めていたので、局地的な大竜巻がコートを荒れ狂った。
「負けてたまるか!」
 竜巻の中でグラントが叫ぶ。リリアがうなずいた。
 サーブの順番がまわりリリアが武御雷ノ太刀でボールを打つ。狙うはもちろんチルルだ。チルルはノームの力で雷を地中へと逃がしてレシーブした。高く上がったボールをホウユウがアタックする。ホウユウはその前に自らに必殺技・夢想華をかけていた。それによって能力が格段に上がった状態で、最終奥義を繰り出した。
「私が!きゃああ!グ、グラント様、トスを」
 リリアがグラントの前に回りこんでホウユウのアタックを受け止めた。リリアも夢想華を直前に使っていたので、かろうじてボールが浮く。勢いに押されてリリアが足元をふらつかせたが、その心意気を受けたグラントが再び高々とボールをトスした。夢想華の効果で立ち直ったリリアが飛び上がりスカイハイ・アタックで武御雷ノ太刀アタックを打ち込んだ。レシーブされては元も子もないので、目標はホウユウとチルルの間だ。常人離れした高度からの垂直アタックはずばんと決まり、ついでに砂を伝った雷がホウユウたちをしびれさせた。
「くそっ、やるじゃないか」
「あなた、熱くなりすぎないで」
 チルルだけは先ほどのノーム召還のおかげで、雷攻撃をまぬがれていた。最終奥義をかわされて熱くなったホウユウをなだめる。勝敗はどちらが優勢ともつかなかった。決着がついたのは夢想華の効果が切れて、ホウユウとリリアの攻撃に切れがなくなってからだった。チルルも大気の状態を変化させてグラントの攻撃と戦ったが、根本的な身体能力の差はどうにもならない。グラントの堅実な技で点を取られ、負けてしまった。
「いい戦いだったぜ」
「悔しいが、完敗だ。リリアも良く頑張ったな」
「ありがとうございます」
「おめでとう、リリア、グラント」
 青い空に明るい笑い声が響いた。周囲から拍手が沸いた。それを見届けてテネシーは講堂の方に向かった。

 大会が開催されている間も校舎内では様々な催しや展示が開催されていた。医学部教諭のアスリェイ・イグリードは展示で参加していた。医学関係者らしく、展示のテーマは「誰でもできる健康管理〜家の中から戦場まで〜」だった。特に展示の半分を占めているのはダイエットに関したことだった。ひょいと覗き込んだフェリシェルが「うわぁ」と喜びの声を上げた。
「すごい、すご〜い。こんな方法もあるんだ〜」
「お、いいところに目をつけたねえ。これだったら簡単に出来るだろう。ダイエットの基本は根気良く長く続けることだ。あんまり難しかったり辛かったりすると続かないからねぇ。簡単かつ健康的なのが一番なんだよぉ」
「そうですね〜」
 他にも日常生活や戦場における病気や怪我の簡単な対処法や応急手当の仕方、薬草についてなども展示してあったのだが、やはり人気はダイエットの方だった。有効なダイエット法は人によって様々だ。それを事細かに書いてあるのだ。食事はもちろん、色々な運動なども書いてあった。フェリシェルがアメリアを振り返った。
「ね、私ももうちょっと痩せたら、好きな人に振り向いてもらえるようになるかな〜」
「好きな人って……アーサーのことぉ?」
 少しだけ歯切れ悪くアメリアが問い返す。とたんにフェリシェルが真っ赤になった。
「アーサーの好みは舞亜みたいな人なんだろうけど〜。やっぱりあきらめたくないかな〜って」
「そぉだねぇ。劇、降板しちゃったみたいだしぃ。頑張って見るのも悪くないかもぉ」
「あれは残念だったな〜。楽しみにしていたんだけど。でも、どうしてなんだろう?」
「さぁ……」
 アルトゥールから降板の理由やアーサーが劇の妨害をあきらめていないことなどを聞いていたアメリアは、それをフェリシェルには打ち明けられずにいた。その代わりにフェリシェルを応援することにした。
「理由はわからないけどぉ、きっと深い事情があるんだよぉ。フェル、前に言っていたでしょぉ?アーサーは舞亜が好きみたいだって。だから降板になっちゃって、きっと本人もがっかりしているよぉ。会ったら慰めてあげたらぁ?フェルみたいな子に優しくされたら、アーサーの気持ちも変わるかもしれないよぉ」
「あはは、そうだと嬉しいな〜」
「恋する乙女はいいねぇ」
 アスリェイがぐしゃぐしゃとフェリシェルの頭を撫でた。フェリシェルがくすぐったそうに笑った。
「やだぁ、先生ってば。からかわないでくださいよ〜」
「だっておじさん、若い子好きなんだもーん」
 あっけらかんとした口調は少しもいやらしさを感じさせない。実際、恋する乙女を見るのが楽しくて仕方ないのだろう。展示を見に来ている少女たちが、ダイエットについてあれやこれや言い合っている姿を見る目はとても優しいものだった。
「さて、そろそろ来る頃かな」
「え?」
 アスリェイの独り言にフェリシェルが首をかしげた。アスリェイは楽しそうな顔で、フェリシェルとアメリアの背中を叩いた。
「さっき言っていた劇、そろそろ始まる頃なんじゃないかい?行かなくていいのかなぁ」
「あ、そぉだ!フェル、時間じゃない?」
「いっけない。なんかすごく評判になっているものね〜。『薔薇の運命』は読んだことあるけど、どうアレンジしたんだろ〜。舞亜ってば教えてくれないんだもの、気になる〜。早く行って良い席取らなきゃね」
「うん、そぉだね。行こうか。イグリード先生も頑張ってくださいねぇ」
「楽しんでおいで〜」
 ひらひらと手を振ってアスリェイは2人を見送った。
 講堂では演劇部や合唱部などの出し物が終わり、間もなく舞亜たちの劇が始まろうとしていた。アクアが事前にハプニングを見込んでかなり派手な宣伝をしていたので、人がぞろぞろと集まり始めていた。リオル・イグリードは妨害を懸念して講堂の周りを見張っていたが、とりあえず今のところは問題がなさそうだったので、本番前に兄の様子を見ておこうと足を運んだ。
「お、やっぱり来てくれたねぇ。リオル君は優しい子だねぇ」
「そんなんじゃない。ただ、この間の本をどう使ったのか気になっただけで」
「だ〜から、資料だって言ったじゃないか。ま、お茶でも飲んで一服いれなよぉ。どうせずっと舞亜ちゃんたちの警備に当たっていたんだろう。本番前に疲れてちゃ、いざってときに動けないからねぇ。おじさん自慢の元気が出るお茶だよぉ」
「……どうも」
 兄の医者としての腕は信用していたリオルは、何の疑いもなく差し出されたカップに口をつけた。
 それから数分後。リオルの怒声が響き渡った。
「なにを飲ませた!」
「成功成功♪大丈夫、そのうち効き目は切れるから。まあ、いつになるかはわからないけど」
「あ〜の〜な〜!」
 怒りに燃えているリオルは、二十歳近くの青年の姿になっていた。元の姿でもその無表情さから大人びた少年だったが、今のリオルはどこからどうみても立派な大人だった。
「さて、そろそろ舞亜ちゃんたちの劇が始まる頃じゃないかい?力は使えるから行っておいで。ミルルちゃんによろしく〜」
「くそーっ」
 だまされたことでいつになく冷静さを欠いたリオルが、アスリェイから服を奪い去り(元々着ていた服は、当然ながら成長したときに破れてしまったのだ)急いで着替えて講堂に戻っていった。
「さぁて、ミルルちゃんはあの姿のリオル君に気がつくかな?」
 教室の窓から駆け去っていくリオルを眺めながら、アスリェイがげらげらと笑った。

                    ○

 舞台袖にはルシエラが演劇部の部員を集めて待機していた。部員たちにも舞亜の劇の台本は覚えさせていた。
「いい?邪魔が入ったら舞台に出てアドリブで台本どおりに戻るようにするのよ」
「はい」
 自分たちの劇が終わった部員たちは、舞亜の劇に合わせた衣装に着替えていた。他にも役者や演出担当の者たちがそれぞれの場所でスタンバイしていた。ミルル・エクステリアは男物の衣装を身にまとい、出番にそなえていた。ジニアス・ギルツも着替えて側に立っていたが、ミルルと違う点はサンダーソードを腰に差していたことだった。ミルルがそれに気がついて指摘すると、ジニアスは軽く笑った。
「俺の役はほとんどダンスシーンだけだけどな。この劇は戦いのシーンもあるだろ。もしアーサーが乱入してきて剣を振るったら、戦い再び!みたいなシーンに見せかけて阻止しようと思って」
「犯人は本当にアーサーなのかなぁ。話は聞いたけど、いまだに信じらんない。人を傷つけてまで止めるような人には見えなかったのに」
 ミルルがはぁっとため息をついた。そこへ青年のリオルがばたばたと駆け込んできた。
「ああ、良かった。間に合った」
「え?誰?」
 見覚えのない、けれどどこか既視感を覚えさせる姿に、ミルルが目を丸くする。リオルは自分の姿が変わってしまっていることは承知していたが、いつもの口調でミルルに話しかけた。
「ミルル、妨害は必ずあるはずだ。けど、安心して。僕が必ず守るから。ミルルは劇に専念していて」
 黒い髪と赤い瞳、乳白色の肌。それに合致する人物を記憶の中で探っていたミルルは、はたと気づいて大声を出してしまった。
「えーっ!もしかして……リオルなの?」
「そうだよ。ったく、あいつのせいで……」
 ミルルに気づいてもらえたことは嬉しかったが、一服盛られたことに腹を立てていたリオルはわずかに顔をしかめた。その表情は少年のときと同じで、しかし自分より年上になってしまった恋人の姿に、ミルルは思わずうろたえてしまった。
「そ、そういえばアスリェイさんがサプライズを用意しているって言っていたけど……このことだったんだ」
 青年になったリオルの理知的な顔が、ミルルの心をときめかせた。
『大きくなるとこういう風になるのね』
 自分が直情径行型のミルルにとって、理性的で頼れる男性というのはまさにつぼだった。かーっと頬が赤くなるのを止められない。ミルルの変化に気づいて、リオルがつられて赤くなった。
「なにがサプライズだ。みっともない」
 ごまかすように呟く。ミルルが赤い顔のままぶんぶんと首を振った。
「ううん、格好いいよ。あ、もちろんいつものリオルも素敵だけど。そっか、リオルって大人になるとこういう感じになるんだあ……。ふふ、これからが楽しみ」
「そうかな」
 ほめられてほんの少しだけアスリェイに感謝しかけて、慌ててその感情を打ち消したリオルだった。
「さあ、そろそろ開幕ですよぉ。みんな準備はいいですかぁ」
 アクアが自分も衣装に着替えて皆に声をかけた。予期せぬ出来事につい固まっていたミルルとリオルがはじかれたように動き始めた。
「じゃ、じゃあ行ってきます。必ず成功させるからね」
「頑張って。守りは任せてくれ」
 リオルのかすかな笑顔にまだときめきながら、劇に集中しようと顔を上げてスポットライトを見つめたミルルだった。
「ああ、みなさん。おなかがすいては戦は出来ぬといいますし、これを食べてくださいな」
 アーニャが差し入れのフライング・パンケーキを配る。そしてルシエラとは反対側の袖に引っ込んだ。音楽担当のアリューシャとアルヴァートも控えている。舞亜は舞台の中央に立って幕が開くのを待っていた。
 やがて時間が来た。静かで心を穏やかにさせるような音楽が流れ始め、幕が開く。一転して軽快なテンポの良い曲に変わり、舞亜が台詞を喋りだした。
 舞亜の1人芝居から始まって、トリスティアの登場。気位の高い貴族のお姫様が明るい青年と恋に落ちる様子を、さすがに本番では照れずに舞亜も演じていた。恋人たちの蜜月をアーニャの歌声が彩る。同時に妖精たちが戯れる幻想的な光景を舞台上に映し出し、幸せな時間を送っているところを演出していた。ティエラがそれにまぎれて、舞亜をからかったりしていた。
 しばらくは何事もなく芝居が進行していった。VIP席で見物していたライン・ベクトラは、演じられている幸せな時間に自分の幸せを重ね合わせて、隣に座っている恋人の肩に頭を乗せたりしていた。アメリアとフェリシェルは、舞亜とトリスティアが仲睦まじくしている姿を見てきゃあきゃあ言い合っていた。
 その頃、観客に紛れ込んで講堂に忍び込んでいたアーサーは、ステージの上部に上がっていた。眼下では舞亜がトリスティアと抱き合っている。本来ならそこにいたのは自分だったのにと思うと胸が痛んだが、意を決して上から舞台に火薬が詰まった玉を投げ落とした。
 パン!パパパン!
 火薬玉は舞台の上ではじけて火花を散らした。演じていた舞亜が驚いて立ち上がろうとするのをトリスティアが腕を引いて押しとどめた。アクアがすかさずアーニャに言って火花が舞い踊る効果を舞台に展開させた。それを見て舞亜がとっさに台詞を言った。
「まあ、なんてきれいなのかしら」
「君の美しさにはかなわないけどね」
 トリスティアもそれに合わせてアドリブの台詞を言う。
「アーサーったら……」
 ほとんど素に近い状態で言われた台詞に舞亜が真っ赤になった。タイミングを見計らって演劇部員たちが舞台上に出てきて口々に恋人たちを祝福して場を盛り上げた。
「ちっ」
 この程度ではだめかとアーサーが舌打ちする。芝居はそのまま何事もなかったかのように進行して、戦いのシーンに差し掛かった。アーサーは今度は煙玉を放り投げた。もくもくと煙幕が広がって舞台を覆いつくす。トリスティアと一緒に戦っていたミルルが動きを止めようとしたが、飛び込んできたリオルが背中合わせに耳打ちした。
「このまま戦いのシーンを続けるんだ」
「わかった」
 煙玉の効果はそう長くは続かない。アクアは効果が切れる頃を見計らって霧氷玉で霧を発生させ、スモークのように見せかけた。アーニャに様々な色をその霧につけさせると、舞台はきらきらと輝いて見えた。アクアはそれによって戦いの迫力を演出したのだ。剣戟の音を効果音で大きく響かせ、煙の中で見え隠れする姿が本当に戦っているかのようにも見せかけた。
 煙玉の妨害も失敗に終わり、ついにやけになったアーサーがラストの舞踏会のシーンに剣を持って乱入していった。
「たあぁっ!」
「残党か!」
 最初に気づいたのは警戒していたジニアスだった。踊りを中断してアドリブの台詞をいれ、サンダーソードを抜き払いアーサーと切り結んだ。もちろん演技に見えるようにわざと大きく剣を振り回していた。アーサーは必死だったが、あいにく剣の腕前は大したことはなかったので、それで十分に戦っているように見えた。エキストラとして舞台に上がっていたアクアは、セットの最上段に立っている舞亜とトリスティアをかばうように階段を駆け上りとっさの台詞を言った。
「戦いは終わったというのに……まだ姫様の命を狙う輩がいるなんて!」
 そしてルシエラに目で合図して演劇部員たちを呼び出し、舞踏会のシーンを戦いのシーンにすりかえてしまった。やはり踊りに参加していたミルルは、わけのわからないまま襲い掛かってきた演劇部員を相手に戦い始めた。リオルはアドリブだと気づいていたが、ミルルが怪我をしないようにこっそり精霊の力を使ってミルルに剣があたらないよう防御していた。やがてミルルもアドリブだと気づいたので、微妙に急所を外して演劇部員たちに攻撃を仕掛け、攻撃された演劇部員は大仰な動作でばたりとステージに倒れた。アクア自身は歓喜の舞衣で舞亜たちの周りを回りながら気分を高揚させる効果を込めながら踊っていた。そのため観客たちはその戦いがアドリブだとは気づかないまま興奮の渦に巻き込まれていった。
 ジニアスはアーサーの剣の腕前に気がつくと、軽業を使ってひらひらと動きまわり、押されている振りをしてアーサーを壇上に誘導していった。それに気づかないアーサーは、舞亜の姿が目に入るとジニアスを振り切って舞亜に向かって走り出し大きく剣を振りかざした。トリスティアが舞亜の前に立って攻撃にそなえた。
「君が他の男のものになるくらいなら、いっそ!」
 トリスティアが女の子だということは、頭に血が上った状態のアーサーにはわからなくなっていた。舞亜は毅然として立ってアーサーをにらみつけていた。トリスティアがヒートナイフを手にアーサーに向かっていった。刃がぶつかると爆炎がおきる。それさえも効果に見せかけて、幾度となく刃を交えた。やがて間近で起きる爆発と慣れない戦いで疲労したアーサーの動きが鈍ってきた。
「変ですわね。アーサーは降板したと聞いておりましたけど」
 VIP席で戦いを見ていたラインが、アーサーの姿に疑念を抱く。わざとハプニングを起こさせて劇を盛り上げようというアクアの意図は知らなかったので、アーサーの乱入をただおかしなものとして受け止めた。
「このままでは劇がめちゃめちゃになってしまいますわね」
 がちゃりとサイレンサーを取り付けたライフルを構えて、客席からアーサーを狙った。すでにふらふらになっていたアーサーの動きに照準を合わせるのは、とても簡単なことだった。側にいる舞亜やトリスティアに当たらないよう注意しながら狙撃する。ぷすっと小さな音がして弾が剣を持ったアーサーの腕をかすめた。痛みにアーサーが一瞬、棒立ちになった。その気を逃さずに、トリスティアがとどめとばかりに流星キックを放った。
「てやぁぁぁ」
 蹴り飛ばされてアーサーが階段を転がり落ちる。そしてステージ上で動かなくなった。トリスティアは背後でじっと戦いを見つめていた舞亜を抱きしめると、しめの台詞を吐いた。
「もう、大丈夫。姫を狙うものはすべていなくなったよ」
「ありがとう、アーサー」
 舞亜もトリスティアを抱き返して、台詞を言った。
 舞台が暗転し、倒れていた演劇部員たちが気を失っているアーサーを抱えて退出していった。再び明るくなったときは、場面はまた舞踏会のシーンに戻っていた。ミルルやジニアスも何事もなかったかのように踊りに戻っていた。アーニャが心を落ち着かせる気持ちを込めて、ラララ〜と歌い始めた。アリューシャとアルヴァートも歌に合わせて静かな曲を奏で始めた。壇上のベランダを模した場所では、舞亜とトリスティアが最後の演技を行っていた。
 袖では気を取り戻したアーサーが座り込んだまま、つき物が落ちたような顔で劇を見つめていた。心配してやってきたジュディやアルトゥールが声をかけると、アーサーはどこかほっとした様子で苦笑してみせた。
「腕、怪我していますネ。大丈夫デスか」
「うん。撃たれたみたいなんだけど、かすっただけだから」
 ジュディがてきぱきと怪我の手当をする。アルトゥールは穏やかな顔で劇を見ているアーサーを見て、優しい声で問いかけた。
「気は済んだかい」
「そうだね……結果的には劇に貢献したことになっちゃうのかな。でも、これで良かったのかも知れないね。妨害が成功して劇が失敗に終わってしまったら、朝塚さんは悲しんでしまう。そして僕を恨むだろう。嫌われたいわけじゃない。本当はちゃんと好きになってもらいたかったんだ。だから……今度こそきちんと謝って、劇の成功を祝うよ。そして、許してもらえるかはわからないけど、後夜祭でのダンスパーティーのパートナーを申し込もうと思う」
「それ、ナイスです。ファイト!アーサー」
 舞台ではトリスティアが舞亜にキスしていた。舞亜はやはり赤くなっていたが、さすがに突き飛ばしはせずにおとなしくされるがままになっていた。客席からきゃーと黄色い悲鳴が上がる。その中にアメリアの声を感じ取って、アルトゥールが微笑んだ。
「ダンスパーティーか。いいかもしれないな」
 歌と音楽がひときわ大きくなり、しずしずと幕が降りてくる。大きな拍手が沸きあがった。アーサーも自然に手を叩いていた。

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