ゲームマスター:高村志生子
学内新聞より 「今年も学園祭の時期がやってまいりました。文化交流が目的のお祭りですが、お祭りはお祭りです。各種展示や催しもの、出店などで賑わいを見せることでしょう。近頃、不穏な事態も起きているようですが、みんなの力で乗り切って盛り上げてゆきましょう。なお件の事件につきましてはすでに調査が入っていますので、近日中に解決の見通しです。犯人よ、首根っこ洗って待ってらっしゃい!」 文責 探偵部副部長レイミー・パッカート 亜熱帯気候のSアカデミアの夏の祭典は学園祭だ。文化交流が主目的だが、学内関係者の交流を深めようという目的もある。最近ではそちらの方が中心なくらいだ。だから参加者は思い思いの方法で祭りを楽しんでいた。 「は〜い、ハウアー先生は研究発表の展示ですね。ご自分の研究塔はお使いにならない?教室を借りての展示ですね。わかりました。割り当てが決まりましたらお知らせします。え?イグリード先生も展示で参加ですか。わかりました、こちらも決まり次第お知らせいたします。武神先生は、出店ですか?外と教室とどちらがいいですか?」 「うーん、教室がいいな」 「わかりました。ではこちらもお知らせいたします。まもなく申請の締め切りになりますので、近いうちにお知らせできると思います。よろしくお願いいたしま〜す」 のほほんとした口調で教室や講堂の使用申請を処理していたフェリシェル・ローラは、仕事が一段落ついたところで立ち上がった。それを潮に、申請に来ていたエルンスト・ハウアーやアスリェイ・イグリード、武神鈴は、学園祭実行委員会の本部になっている教室を雑談しながら出て行った。 そこへばたばたと走りこんで来たのはホウユウ・シャモンだ。片づけを始めていたフェルを捕まえると、申請用紙を突き出した。 「あ、申請ですね。え〜と、内容は。っと、これは……」 一瞬フェルが沈黙する。ホウユウが不思議そうに問いかけた。 「だめなのか?」 「だめというか、文化祭にはちょっとふさわしくないかと……。体育祭だったら良かったんですけどね。でもせっかくやる気になってらっしゃるんですものね〜なんとかできないか検討してみます〜」 「もうすでに参加者は募っているんだ。よろしく頼む」 「は〜い」 ホウユウが申請してきたのは、ビーチバレー大会だった。なんでもありの学園祭とはいえ、基本的には文化発表が目的の祭典だ。いかにも体育系の競技では、難色を示されたのはやむを得なかった。 ざざーんとお湯の流れる音がする。石鹸の甘い香りがあたりに漂う。学園内の共同浴場で、リリア・シャモンは母親のチルル・シャモンに背中を流してもらいながら、聞いた言葉を問い返していた。 「ミス・ミスターコンテストの審査の一つとしてですか?」 「そうなのよ。もともとミスコンはやる予定だったんですって。それの水着審査を、ビーチバレー大会に置き換えようってことになったらしいわ」 泡を流し落としながらチルルが答える。そばでほぎゃあほぎゃあと泣き声が上がった。赤ん坊を抱いていたアーニャ・長谷川が困ったようにあやし始めた。弟の世話をしていたせいか、手つきは手馴れているが赤ん坊は一向に泣き止まない。チルルが笑いながら手を差し伸べた。 「あらあら。おなかがすいたのね」 「ごめんなさい、お願いしますわ」 アーニャが苦笑しながら手にした赤ん坊をチルルに手渡す。チルルは受け取ると、さっそく授乳を始めた。リリアが微笑みながら赤ん坊の顔を覗き込んだ。 「赤ん坊のセイラを見ることになるとは思わなかったわ。嬉しい。この学園に入学して良かった」 「この児が産まれたときはあなたもまだ小さかったものね。お姉ちゃんになったことが嬉しかったのね。一生懸命に世話をしようとして可愛かったわよ」 「お母様ったら。そんな昔の話」 リリアがぽっと頬を染める。アーニャが楽しげに母娘の会話を聞いていた。 「子供は可愛いわよね。私もいつか授かるかしら」 結婚したばかりのアーニャにはまだ実感がわかないらしい。チルルが笑いながらうなずいた。 「大丈夫よ。きっと可愛い赤ちゃんに恵まれるわ。そのときは私にも面倒見させてね」 「ええ、ぜひとも。先輩母親にいろいろ教わりたいわ」 「アーニャ様、手が空いたならお背中お流しいたしますわ」 リリアがアーニャの後ろに回る。背中を洗ってもらいながらアーニャはチルル親子の様子を楽しげに見守っていた。やがて満足したセイラがチルルに抱きついてきゃっきゃと笑い始めた。チルルが特別に用意してもらった赤ん坊用の湯桶でその体を洗ってやってから、4人で大浴場の湯桶に身を沈めた。ざわざわとざわめく浴室内でも、赤ん坊連れというのは目を引くらしい。ましてやそろっているのがみなプロポーションには自信のある面々である。好意や嫉妬の混ざった視線を受け止めながら、リリアとチルルだけは平然と湯につかってセイラと戯れていた。アーニャだけが衆目を集めて恥らっていた。それでも赤ん坊の存在は偉大だ。笑い声を聞いているうちに自然とアーニャも仲間に入っていた。 亜熱帯気候のためか、島には温泉がわいていた。学園の大浴場もそのお湯を引いていた。だから入る人々はみな肌がすべすべになって内から輝くようになっていた。温まってほんのり上気したリリアが、アーニャを誉める。胸の豊かさではリリアも負けてはいないのだが、人妻の色香が母親にだぶって見えて美しく思えたのだ。アーニャが思わず手で胸を隠しながらリリアのことも誉めた。リリアは少しだけ恥らったような笑みを浮かべた。 風呂から上がり、学園内の娯楽スペースである喫茶室に行くと、そこにホウユウがやってきた。まるっきり普通の挨拶と変わらぬ様子で、ホウユウとチルルがキスを交わす。リリアの世代でもこの光景は当たり前のものだったのだろう。リリアは平然としていたが、アーニャは顔を赤くしてしまった。唇が離れると、ホウユウはさっそく手にしていた紙を広げた。そこには水着姿のチルルとリリアの写真がばーんと映っていた。 「一応は認められたからな。さっそくポスターを作ってみたんだ。どうだ」 事情が事情だけにミス・ミスターコンテストの文字が入れられてしまっていたが、どうみてもメインは母娘の2ショットだった。嬉々として作ったのだろう。自慢げなホウユウにチルルは黙って嬉しそうな笑顔を浮かべ、リリアは自身の水着姿に照れたような笑いを浮かべた。 「がんばろうな、チルル」 「ええ、あなた」 すでに夫婦で参加することを決めているホウユウとチルルがうなずきあう。リリアが胸を張って宣言した。 「私も負けません。お父様たちが相手でも、手加減は一切いたしませんからね」 「それでこそ我が娘。でも、パートナーは決まったのか?」 男女混合ペアでの参加である。娘の水着姿は見たいが、相手の男が気になるのも事実だった。ホウユウの言葉にリリアがうーんと首をかしげた。 「まだですけれど……必ず見つけますから。覚悟しておいてくださいませ」 「それなら俺と組まないか?」 会話に割って入ってきたのはグラント・ウィンクラックだった。リリアとチルルが軽く頭を下げて挨拶する。ホウユウだけがちょっとむっとした顔になった。グラントは童顔を満面の笑みでたたえながらリリアに言った。 「身体能力ならそれなりに自信があるし、腕っ節なら負ける気がしない。リリアなら対戦相手にしても面白いかなと思うんだが、俺もパートナーのあてがあるわけじゃないんでな。組んで見るのも悪くはないんじゃないか。ホウユウが対戦相手なら不足はないし、リリアもやってみたいだろ」 「そうですわね。グラント様ならパートナーとして不足はありませんわ。よろしくお願いいたします」 あらためてリリアがぺこりと頭を下げる。ホウユウはグラントの肩をがしっと抱いて言った。 「お前が相手なら確かに不足はないな。リリアともいいコンビになりそうだし、当日が楽しみだ。こっちも全力で行かせてもらうから覚悟しておけよ」 「そっちこそ」 グラントが不敵に笑うと、その耳元でホウユウがそっとささやいた。 「リリアが信頼しているからパートナーになることは認めるが……手は出すなよ」 「わかっているって」 うかつに手を出せば血を見ることはあきらかなのでグラントは素直にうなずいたが、頭を下げる直前に見せたリリアの生真面目な表情にはときめかずにはいられなかった。 ルールは図書室に本があるというので、まずはそれで基本を習得し、それぞれに特訓に入る。ホウユウが設定したルールで、ユニフォームは水着(全裸は即失格)。魔法や必殺技もサーブやアタックに使用するなら可ということで、グラントはさっそく特訓に火の玉アタックを取り入れ始めた。 「組む以上、あいつにみっともない姿を見せるわけにはいかないからな。しかしもう少し加減しないとボールがもたないか」 砂地で敏捷に動けるよう足首に錘をつけた状態でアタックの練習を繰り返す。最初のうちは炎が強すぎてボールを燃やしてしまっていたが、次第にこつを覚えて思ったような効果を出せるようになっていった。自信がついたところでリリアと合流する。リリアは水色のビキニでハイレグTバックの水着を着用していた。非常に露出の高い水着姿に悩殺されて、グラントが必死に「無心、無心」と心で唱える。リリアはといえば、自分の姿がいかに目を引くのかまったく気にしていない様子で、これまでの練習で集まってきた観衆ののぶとい声援にもまったくの無反応だった。 「リッリアちゃ〜ん!」 「こっち向いてくれぇ!」 「ナイスバディ!最高〜萌え〜」 様々な声と嫉妬の視線にグラントが呆れたような顔になる。 「すごいな」 「え?なにがですか?」 まったく意に介していないリリアがきょとんとする。それにはさすがのグラントも苦笑せざるを得なかった。 ちなみにポスターを貼りまくって宣伝していたホウユウは、リリアに近づこうとする男は片っ端から締め上げていた。しかしリリア・グラント組の練習風景を拝もうという輩は増える一方だった。 チルルは夫の行動を止めようとはせずに、ただ足を引っ張らないよう練習に励んでいた。こちらも、さすがにTバックではなかったがなかなかきわどい水着を着ており、豊かな肢体を披露していた。さすが夫婦だけあって、攻撃などの動きは息がピッタリだ。アタックなどが見事に決まると、ハイタッチの代わりにキスでお互いを誉めあう。その堂々としたラブっぷりが妙に受けて、こちらもなかなかの見物人を集めていた。 浜辺での喧騒をよそに、校内でも各種の催し物の準備が着々と進められていた。教室の割り当てが決まったエルンストやアスリェイ、鈴たちもそれぞれに準備を進めていた。 エルンストは割り当てられた教室の大きさを測ると、出来る限り大きなスクリーンを用意し、フォーラムの原稿作成に取り掛かった。テーマは「死者と生者の付き合いの歴史と文化」だ。自ら望んでアンデットとなったエルンストにとって、死者が昇天するのが正しいあり方であり、自然の摂理であるという見方は納得のいかないものであった。世界によっては祖先の霊を守護者としているものもある。他にも様々な宗教や民族がいて、それぞれに考え方が違う。エルンストがそうであるように。このテーマでいけば異論反論がきっとたくさん出てくるであろう。エルンストはそれを狙っていた。 「ふふふ、さすれば死者が行っていた研究も、それが風化する前に世に広めてやることが出来るじゃろう。それこそ研究者としての本望じゃないじゃろうか。世に広まってこその研究じゃからな」 黒いオーラがにじみでて、教室の外にまでもれだす。ひんやりした空気をいち早く察知したのは、見回りをしていたテネシー・ドーラーだ。竹刀を手に教室に飛び込む。ひらりと黒いレースが揺れる。テネシーは眼鏡を指で押し上げながら、含み笑いをしていたエルンストに冷ややかな声をかけた。 「ハウアー先生?なにをしていらっしゃるのですか。なにやら不穏な気配を感じたのですが、なにか危険なことをなさっているのではありませんでしょうね」 「おや、これは風紀委員殿。さすがに敏感じゃな。いや、しかし悪かったの。原稿に熱中するあまりオーラを撒き散らしてしまったようじゃ。なに、わしはここでスクリーンを使って講演会を開くだけじゃよ。生徒たちに危害が及ぶようなことはせん。見てわかるじゃろう」 確かに教室は書き散らかされた原稿が散乱しているだけで、怪しげなものは見当たらない。テネシーは鋭い視線を一通りめぐらすと、きびすを返した。 「わかってらっしゃると思いますが、万が一学内で騒動を起こすようなことがあれば、即刻中止にしていただきますからね」 「大丈夫じゃよ。ほれ行った行った。準備の邪魔じゃ」 テネシーを追い出すと、また原稿に戻る。積み上げた資料を読みながら高笑いを上げる。教室の外でそれを聞いたテネシーが、不審そうに教室の扉をにらみつけた。 また別の教室では、鈴が自作のアンドロイドにウェートレス機能を仕込んでいた。それが終わると、教室の飾り付けをする。そして自分の研究室に戻ると、届いていた荷物を開いた。中身は白い粉だ。鈴はそれをらんらんとした目で見つめた。 「くくく……いいぞ、この粉は上物だ。十分な利益を出してくれること間違い無しだ……粉物は末端価格が跳ね上がるからな。美味しい商売が出来そうだぜ……くくく、ははは」 「武神先生!麻薬は!」 魔眼で鈴の言動を察知したテネシーがやってくる。瞬間きょとんとした鈴は、低く笑いながら粉を一すくいするとテネシーに差し出した。 「やあ、いいところに来た。試してみたまえ。こいつはまれに見る上物だぞ」 「……それをどうしようというのです」 「売るに決まっているじゃないか。出店の許可はもらっているぞ。俺は客商売には少々自信がないが、アンドロイドにウェートレス機能をつけておいたから接客もばっちりだ。この学園祭では稼がせてもらうぜ」 「やばい代物であこぎな稼ぎをするというのですか」 「店名は……フライング・パンケーキだ!」 両者の声が重なる。思いがけず出てきたファンシーな名前に、テネシーが目を丸くする。 「は?」 「あんたは何か勘違いしているようだな。こいつは小麦粉だぞ?」 「小麦粉!?ま、麻薬じゃなくて?上物だとおっしゃっていたではありませんか」 「実際そうなんだから当然だろう。これを購入するには苦労したんだぞ」 疑いのまなざしを向けたままテネシーが白い粉を検分する。それは確かに紛れもない純粋な小麦粉だった。とんだ勘違いにテネシーががくっと肩を落とした。 「当日はぜひとも食べにきてくれたまえ。ただのパンケーキでは芸がないからな。俺の知識を結集させて、みなをあっと驚かせるものを披露してやろう。味も研究しておくから安心することだな」 「芸がないって……何をするおつもりですか?」 「ちっち。それは当日までのお楽しみって奴だ。まあ、危険はないから安心したまえ。喜んで食べてもらう、それが目的なんだから。そして評判が広まれば一山あてられるぞ……くくくくくくく」 笑い声が怪しい。粉を手にして笑うものだから、あたりに粉が飛び散ってしまい、テネシーが咳き込んでしまった。お定まりの黒い服にも白い点々が出来る。咳き込みながらそれをはたきおとしたテネシーは、なにやら設計図を書き始めた鈴に心を残しながらもその場を去っていった。 1人になった鈴は、学園のあちらこちらを回って必要な廃材を集め、調理用ロボットやかくし芸用のロボットの製作にとりかかった。調理用ロボットは、客前で調理させることを考慮して、親しみを持たせるために優しそうな太っちょおじさんコック型にした。教室に運び込み、そのロボットが自由に動けるような調理台まで作り上げると、あれやこれや動作テストを繰り返して一連の作業が流れる用な滑らかな動きになるよう調整していった。合間合間に町や学園の喫茶室で仕入れたパンケーキの成分配合を調べ、味が再現できるよう研究していく。目的完遂のため、教室内は部外者立ち入り禁止にして不休で働く鈴の笑い声は、時折廊下に響いて通りがかる人をびびらせていた。 ○ 女子寮ではチルルとアーニャが同室になっていた。チルルはアーニャもビーチバレー大会に参加しないか聞いてみたのだが、アーニャは笑って首を横に振った。 「私は運動向きじゃないし、舞台の方が好きだし。だから舞亜さんの劇の手伝いをしようと思っているの。いろいろ協力できると思うから」 「そうなの。舞亜さんも大変みたいね。なんでも事件が起きているとか」 「ええ。この間も小道具が壊されたりしていたの。脅迫状も相変わらず来ているみたい。本人は笑って強がっているけど……」 「それは心配ね」 「早く犯人が捕まってくれるといいわ。劇を成功させたいもの」 「そうね」 探偵部が動き始めたことで、他の生徒たちも事件解明に向けて動き始めていた。リオル・イグリードは劇そのものに原因がないか調べるために舞亜に台本を借りようとした。 「そうなの。貸してもいいけど、なんか演出とかいろいろ変わる予定なのよね」 「台本に原作はあるのかい」 「あるわよ。『薔薇の運命』っていう、アットではわりと有名な恋愛小説。ま、私風にけっこうアレンジしちゃってるけどね。読みたいなら図書館にあるはずだから行ってみたら?」 「ああ、あれか。ありがとう、わかったよ。じゃ、一応台本も借りていくよ。なにかわかったら知らせるから、無茶はしないように。そっちの仲間にボディーガードを入れてはいるけど、本人が気をつけないとどうにもならないこともあるからね」 「ボディーガード?そんなのいなくても大丈夫よ。大きなお世話だわ」 つんとそっぽを向いて言い放った舞亜は、本気で大したことがないと思っている風だった。リオルが言ったボディーガードとは、恋人であるミルル・エクステリアのことだった。メインは劇が面白そうだったからでボディーガードはついでのつもりらしいが、リオルとしてはミルルが巻き込まれて無茶をしないといいと思っていた。 借りた台本を手にさっそく図書館にいくと、原作の本は割合簡単に見つかった。原作ではヒロインがどちらかというと大人しめの人物だったのだが、それは舞亜のキャラに合わない。そこで台本の方は気位の高い貴族のお嬢様という設定になっていた。この台本は舞亜が書いたものだが、他にもいくつかすでに脚本化されたものがあるらしい。それらも借りて並行して読んでいると、アスリェイが飄々とやってきた。リオルを見ると手を上げて笑顔を見せた。 「やあ、リオル君。実はおじさん、お願いがあるんだけど〜」 「断る」 即言い切られて、アスリェイがよろめいた。 「ひどっ!おじさんまだなにも言ってないじゃないかぁ」 リオルは上目遣いにアスリェイを見ながら冷たく言った。 「どうせろくなもんじゃないのはわかっているからね」 「しくしく……おじさん、本を探して欲しいとお願いしようとしただけなのに」 本気でいじけているかのような台詞に、リオルがはぁっとため息をついた。 「……で、なんてタイトル?知っているものなら置いてある場所を教えるから、ちゃんと手続き踏んで借りていけばいいよ」 アスリェイの顔がぱぁっと明るくなった。 「ありがとぉ。さすがおじさんの頼れる末弟様だねぇ。タイトルは『○○○式調合法』って奴なんだけど」 「そんな本、なんに使うのさ」 「いやぁ、おじさんも展示で参加しようと思って。その資料だよぉ」 「ま、いいけど。そう言えば例の件、どうなってる?」 「まだ調査中だよぉ。舞亜姫はなかなか手ごわいね。今のところ大きな事件は起きていないから、強気に出ているみたいなんだな。その辺が良いって言う生徒がけっこうたくさんいるみたいだけど。アーサーの方は顔良しで性格も穏やかで優しいって理由で人気があるみたいだ。ま、ちょっと押しに弱いみたいだけどねぇ。誰かさんと一緒で」 「誰かって誰さ」 「いやぁ、別に。でも2人の人気はけっこうなもんみたいだねぇ。やっぱりこれは2人が競演することに嫉妬した誰かの仕業じゃないかねぇ」 「人間関係は複雑そうだな」 「特にアーサーは人当たりが良いからなぁ。ミルルちゃんが浮気しないといいねぇ。リオル君ってば、劇に一緒に参加したいって言う希望を断っちゃったんだろう」 「な、なんでそれを!」 「ミルルちゃんからちょこっとねぇ。あの娘はいい娘だねぇ。ああいう娘はしっかり捕まえておかないといけないよぉ」 「放っておけ!」 リオルに拳骨を喰らってアスリェイがけらけらと笑う。リオルは真っ赤になって、それでも律儀に聞かれた本の場所を教えて自分の作業に戻った。しかし過去の歴史をたどっても、劇そのものには不審な点はないようだった。 「予算が足りなーい!」 叫んだのは舞亜だ。事件のせいか劇の参加者が増えて、劇そのものも当初の予定より派手になりそうだったので、予算が足りなくなりそうだったのだ。そこでなんとかならないかと実行委員会に掛け合いに行った。 「そうは言ってもねぇ。何とかしてあげたいのは山々だけど、これ以上は増やせないのよぉ」 「フェル〜」 恨めしげにフェリシェルを見るが、フェリシェルは首を縦には振ろうとしなかった。うーと舞亜がうなっていると、猫間隆紋にたしなめられた。 「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」 「予想より派手になっちゃたんだもの。仕方ないじゃない!」 「劇は演技が重要なのではないかな?見た目にこだわって肝心なことをおろそかにすると、せっかくの芝居がつまらないものになってしまうぞ」 「……はぁい」 もっともなことを言われて舞亜が黙り込む。そこへ見知らぬ生徒がやってきて舞亜に手紙を渡した。 「下駄箱に落ちていたわよ」 「あら、どうも。って、これ……」 封筒の表書きはワープロ打ちで「朝塚舞亜様」となっていた。差出人の名前はない。すでに見慣れてしまったそれがなんであるかすぐにわかった舞亜は、きーっと叫びながら破り捨てようとした。 「また脅迫状!?しつっこいわねっ」 「あ、待って!」 止めたのはフェリシェルだ。腕をつかんで必死にそれを取り上げる。 「これ、もらってもいいかなぁ?」 「なんにするのよ」 フェリシェルの手から脅迫状をひょいと引き抜いたのは隆紋だ。しげしげと眺めてから舞亜の方を向いた。 「ちょうど良かった。私ならこの脅迫状から差出人を調べ上げることができる。犯人がわかったほうがそなたも安心できるであろう。任せてみないか」 「そんなものに用はないもの。好きにすればいいわ。代わりに予算……」 「それは無理」 きっぱり言い切られてさすがの舞亜もしぶしぶ引き下がった。 講堂に行きがけ、同じ図書委員のレイシェン・イシアーファを見つけた。 「あ、レン!やっと見つけた。さあ練習に行くわよ!」 右手でレイシェンの首根っこを捕まえる。 「え……でも天文部……」 「そんなのあとでもいいでしょ。こっちは演出とかいろいろ変わって大変なんだから協力しなさいよね」 「ちょっと、舞亜!レンにだって都合ってもんがあるんだからね!」 いつもレイシェンのかたわらに寄り添っている精霊のティエラが舞亜に文句を言った。舞亜が左手でがしっとティエラを掴んだ。 「ふふふ〜人手は足りないの。ティにも脇役で出てもらうから覚悟しておきなさい」 「え〜!ちょっと、レン!何とか言ってやってよ」 「うーん。まあ、人数足りないのは確からしいし」 「天文部はどうするのよ!準備、したいでしょ!」 「そうだけど……多分、何とかなる」 「もー、相変わらずお人好しなんだからっ」 ずりずり引っ張られながらレイシェンがこそっとティエラに耳打ちした。 「人手もなんだけど……舞亜、脅迫状とか来て大変そうだし。おれは裏方だから」 「あたしなんて無理やり登場人物よ!小さくて便利だと思って〜」 「なにごちゃごちゃ言っているの?」 「なんでもないわよっ」 ティエラが舞亜の手から逃れようと暴れながら怒鳴る。レンがふっと優しい目になった。 「ティも、ホントは手伝ってあげたいって思っている」 「べ、別にそんなことはないわよ」 その目で見つめられてティエラがかーっと赤くなった。レイシェンがぼそっと言った。 「……一緒に、劇、成功させよう?」 赤い顔のまま固まっていたティエラがやがてこくんとうなずいた。 「もー、こうなったら絶対成功させるわよー!」 「当たり前でしょ!」 「舞亜に言ったんじゃないもん!」 そのまま講堂に着くまで舞亜とティエラの掛け合いは続いた。 講堂では舞亜の劇の手伝いをする者たちが集まっていた。台本を書き換えたアクア・エクステリアがさっそく駆け寄ってきた。 「出来ましたよぉ、新しい台本。これで完璧!Sアカデミアの歴史に名を刻むことは間違い無しですぅ」 「あまり大道具とかこってないでしょうねぇ。予算増えなかったのよ。この間、小道具を壊されちゃって、作り直さなきゃならないって言うのに」 「大丈夫ですよぉ。加えたのは歌と踊りの要素ですからぁ。これからの演劇は、歌と踊りで魅せるべし、ですぅ!」 舞亜が感心したようにぱらぱらと台本をめくった。アーニャがそっと声をかけてきた。 「歌は任せてね。指導も出来るし……演出にはこれを使って」 そう言って腕を出した。そこには紫の宝玉がはめ込まれた腕輪が光っていた。かざすと舞台上にきらきらと幻想的な光景が映し出された。 「私の意識を読み取って、映像や音を出してくれるの。これがあれば大道具とかあまり凝らなくても大丈夫よ。その分、小道具や衣装に予算を割けるのではないかしら」 「あら、それは便利ね。じゃあ、台本を渡しておくから、演出は任せたわ」 「踊りの練習は私に任せてくださいねぇ。ダンス部として全面的に協力しますですぅ。びしばしいきますよぉ!」 アクアがてきぱきと出演者に出来上がったばかりの台本を手渡していった。 「アクアのこだわりもすごいなぁ」 裏に回ったレイシェンを迎えたのはジニアス・ギルツだ。台本を書き換えるにあたっていろいろと資料をそろえるのに協力していたのだが、張り切りすぎて暴走気味のアクアを抑えるのが大変だったらしい。しかし弱音を吐くのは好きではない。ぽんと膝を叩いて客席にいる舞亜に向かっていった。 「大道具とかの準備は俺がやるよ。台本をくれないか」 「いいわよ。頼んだわね」 「ああ、大きなセットは舞踏会のセットがいるのか」 台本に目を通しながらジニアスが呟く。周りはアーニャの腕輪で演出できても、中央に階段を作ってその上で舞亜とアーサーが芝居をするようになっていた。 「あ、そうだ、余っている役とかないのかな。やらせてもらいたいんだけど」 「そうねえ。舞踏会のシーンでは下で踊る人たちが必要だから、そこに混ざってもらえる?」 「わかった」 「踊りのシーンは大変ですよぉ。厳しく指導させてもらいますから、覚悟しておいてくださいねぇ」 アクアの言葉にジニアスが苦笑した。 「楽譜はないんですの?」 声をかけてきたのはアリューシャ・カプラートだ。側にアルヴァート・シルバーフェーダが立っている。2人とも台本を手にしていた。ジニアスが積み上げてあった資料の中から楽譜を取り出してきて2人に渡した。 「ああ、この曲ならば知っておりますわ」 アリューシャがセイレーンの竪琴で奏でてみる。アーニャが耳を澄ませてそれを聴いていた。やがて手元の台本を見ながら歌い始めた。澄んだ歌声が響き渡り、しばし穏やかな時間が講堂を流れた。 「うん、うまくいきそうね」 舞亜が満足したように胸を張った。 「音楽係はオレたちがやるよ。台本を見たところ、演出でも協力できると思う。精霊を使って雷の効果とか。闇の精霊を使えば暗転も可能だし。役者と裏方を兼ねるのが多いなら、そこまで手が回らないだろう?演技指導はアーニャさんやアクアさんがやってくれるにしても」 「そう。じゃあ、遠慮なくやってもらうからね」 アルヴァートの言葉に舞亜が不敵に笑った。 「せっかくこんなに頑張っているんだ。なんだか邪魔が入っているようだけど、頑張っているのを阻むなんて許せない。絶対に成功させような」 「当然よ」 舞亜が言い放つと、アーニャがぽんぽんとその頭を撫でた。舞亜が子ども扱いに赤くなる。 「な、なによ!子ども扱いしないでちょうだい!」 「あ、ごめんなさい。私、弟がいるのよ。だからつい癖で。気に障ったなら謝るわ。本当にごめんなさいね」 「わかればいいのよ」 舞亜がつんと赤い顔でそっぽを向いた。トリスティアが腕に抱きついてきた。 「舞亜ってば可愛い〜。子ども扱いされてすねるなんて」 「なんですってー!誰がすねているのよ」 舞亜がきっとトリスティアを見つめ返した。ぶんぶんと腕を振って振り解こうとする。トリスティアはしっかりしがみつくと、肩先に頭を乗せた。 「あ、ボク衣装係希望ね。舞亜に可愛いの用意してあげるから、楽しみに待ってて」 「衣装もあまり凝れないのよね……どうしようかしら」 振りほどくのはあきらめて、舞亜がいらついたように言葉を放った。手を離したトリスティアは、舞亜の肩をたたきながら請合った。 「大丈夫!特撮研にいっぱいあるから、見繕ってくるよ。ドレスはちょっと手直ししなきゃならないかもだけど、そのくらいへっちゃらだって!」 「特撮研の……?」 一抹の不安を覚えたのか、舞亜が微妙に困惑した顔になる。しかしあまりにもトリスティアが自信満々なので、ため息をついただけで深くは追求しなかった。 やがて舞亜は舞台に上がって客席を見渡し始めた。その目には大観衆が映っているかのようだった。だが実際に目に入ったのは、背後に黒薔薇をしょったかのようなライン・ベクトラの姿だった。ラインは舞台の袖に立っていたアーサーを見ると、ふふんと笑った。 「あんなお子様で満足するなんて、舞亜さんもまだまだお子様ですわね」 その言葉にムカッと来たのか、舞亜の眉がぴくりと上がった。ラインはさらに挑発するように体のラインを強調する服でポーズを決めた。 「ま、お似合いといえばお似合いかしら?まだまだ未発達のようですものねぇ」 黒いドレスは胸元が大きく開いていて谷間が見えている。いかに舞亜が美少女で通っているとはいえ、さすがにその大人の色香にはかなわない。舞亜が悔しそうに顔をゆがめながら怒鳴った。 「なによ。関係者以外立ち入り禁止!出て行ってよ」 「用はありましてよ。セバスちゃん」 「はい、お嬢様」 呼ばれた執事アンドロイド・セバスが2階席の最前列をがたごとと壊し始めた。さすがの舞亜が驚いて舞台から飛び降りてきた。 「ちょっと、何しているの!?」 「わたくし用の席を作っているだけですわ。あそこなら舞台が良く見えますでしょう。せいぜい素敵な舞台を見せてくださいませね」 そこは舞台だけでなく観客席全体が見渡せる場所だった。舞亜が脅迫されていることを知っていたラインの本当の目的は、劇の上演中に何かあったとき、犯人を狙撃できる場所を確保することだった。 「じゃあ、セバスちゃん。あとは頼んだわよ」 準備には余り感心がないラインは、恋人と一緒に講堂を出て行って準備に浮かれている学園内をまわり始めた。特に何かで参加するつもりはなかったので、一緒に回りながら舞亜やアーサーの周辺事情の聞き込みを始めた。特にアーサーの身辺には気を配っていた。脅迫者がアーサーに恋心を抱いているものではないかと思ったからだった。しかし人気があると言っても、なにぶん本人が大人しいせいかファンクラブとかが出来るほどではないアーサーに浮いた噂は見つからなかった。 「なんなのよ」 講堂では莫迦にされたことは敏感に悟った舞亜がうなっていた。アンナ・ラクシミリアがまあまあとなだめた。 「ラインさんにも何か考えがあってのことですよ。脅迫のこととかありますしね。朝塚さん、この間、階段から突き落とされたんでしょう?犯人のこと何かわかります?わたくしはこの脅迫は、やきもちややっかみというよりは、劇の上演自体への警告のような気がしますの。内容をずいぶん変えてしまったみたいですし。いかがです?」 「なんですかぁ?それじゃ私が悪いみたいじゃないですかぁ」 台本を書きなおしたアクアがむくれる。アンナは慌てて手を振った。 「いえ、そういうわけでは。だってもともとの台本を書いたのは朝塚さんでしょう?アクアさんは演出効果を付け加えただけですもの。ねえ、いかがです?」 「ないわ」 きぱっと舞亜が言い切る。 「この劇自体はけっこう昔からいろいろなところで上演されてきたものよ。そりゃ、ヒロインの性格を変えたりとかはしたけど、そんなことで脅迫されるなんて考えられないわ。そんな事例、いくらでもあるもの」 「そうですか……。とにかく、わたくしはせっかくの出し物ですからしっかり観たいですし、準備中に何かあったら大変です。これからは練習の前と後にしっかりステージのチェックをさせていただきますね」 準備はまだまだこれからだった。 それからというもの、練習の前後に掃除をかねてアンナが舞台をチェックし、レイシェンやジニアスは道具係としてせっせと準備を進めていた。 公約したとおり、トリスティアはどっさりと衣装を持ち込んできた。舞亜は自分用にと渡された衣装を見て、ずっこけていた。それはフリルひらひらのミニスカドレスだったのだ。 「貴族のお嬢様がこんなの着るわけ無いでしょーっ」 「可愛いと思うんだけどなぁ」 最初のを却下されて次々に新しいのを手渡す。それらはどれも一言で言えば「可愛い」もので、舞亜が頭を抱えてしまった。さすがにその他大勢の人物衣装は、フリルこそふんだんに使われていたものの、一応は貴族っぽいものだった。ミルルがほっと胸をなでおろした。 「本当に男役でいいの?」 「ドレスなんて実家に帰ったときだけで十分。あんなの着て踊れなんて絶対に無理。男役がいいの。まあ、リオルが参加してくれてたらちょっとは考えたんだけど……って、なんでもない!」 舞亜が頭を抱えながらミルルに確認すると、口を滑らせたミルルが赤くなりながら微笑を浮かべた。お菓子の差し入れを持って来ていたアリューシャがふふふと笑った。 「と・に・か・く。私の衣装も、ちゃんとドレスにしてよね」 「可愛いほうがいいのになぁ」 「トリスティア〜!」 「わかったって。舞亜ってばシャイなんだから」 「そういう問題じゃなーい!」 踊りの指導は厳しかったが、舞台稽古はそれなりに楽しいものだった。アーサーだけは相変わらず今ひとつ気乗りがしていない様子なのがアリューシャの気にかかったが、舞亜は気にしていないようだった。 脅迫状のほかに地味な嫌がらせも続いていた。ある日のことなど、舞亜が下駄箱を開けた瞬間に中から数匹の蛇がにょろりと出てきて、舞亜に悲鳴を上げさせた。 「毒蛇かも!さがって!」 トリスティアが得意の投げナイフで蛇たちをしとめる。落ち着いた舞亜が串刺しにされた蛇を見て胸をなでおろした。 「大丈夫。これは林なんかによくいる、害のない奴だわ」 「あ、手紙が入ってる」 下駄箱にはいつもの手紙が入っていた。読んでみると、一言「次は毒蛇だ」と書かれていた。 「毒蛇、いるの?」 「生物部で飼育してたんじゃなかったかしら」 さすがにちょっとぞっとしたのか、舞亜が顔をしかめた。 そのほかにも廊下を歩いているときにボールが飛んできたりした。硝子ががしゃんと割れて舞亜に降り注ぐ。それをかばいながら、ボールが飛んで来た方向に向かってトリスティアがナイフを投げる。木の影にいたので姿はわからなかったが、ナイフは腕に当たったらしい。木陰にまぎれるように逃げ出した人物は二の腕を押さえていた。そこには確かに血がにじんでいた。 そんなどたばたが続いていたある朝、アーサーは飼育小屋で牛や鶏たちに餌をやっているジュディ・バーガーの元を訪れていた。 「朝塚さんはやっぱり劇をやめる気はないみたいなんだ」 意外な話だが、アーサーとジュディは特撮マニアという共通の趣味を持つ友達だった。根が大人しいアーサーは、だからこそヒーロー物にあこがれる傾向があった。アーサーのひそかな秘密だったが、嗅覚の鋭いジュディにはばればれで、以前から仲良くさせてもらっていたのだ。底抜けに明るいジュディは、アーサーにとってヒーローそのものだった。 アーサーの話を聞いていたジュディは、ふむふむと何度もうなずいた。 「……アイシー、なるほど。アーサーが心配するのわかりマス。脅迫状なんてノーグッド!ん、OKネ。ジュディもステージを手伝いマス」 スーパーサイズの特製ジャージ姿の胸をドンと叩いて、ジュディがニカッと笑う。アーサーがため息をついた。 「……本当は、辞退してもらいたいんだけど」 気弱な言葉に、ジュディがなんとなくもやもやしたものを感じた。 「アーサーは、舞亜サンに劇をやって欲しくないデスか?」 「正直言うとね。朝塚さんは、そうでなくても目立つ存在だから」 「ンー?」 引っかかる言葉にジュディが首をかしげる。アーサーがはっとして、笑顔を取り繕った。 「目立つから危険もあるってことだろ?でもジュディが手伝ってくれるなら安心だね」 「まっかせなサーイ!」 ジュディはアーサーを励ますようにその背中を叩いたが、一抹の疑念を抱いていた。 学園祭の準備のため、しばらくの間、授業は休みになっていた。校内のあちらこちらでとんてんかんてんとにぎやかな音がしている。学生食堂も普段と違ってお昼に限らず生徒や教師が入れかわり立ちかわり出入りしていた。ジュディを舞亜に紹介したアーサーは、練習が始まる前に早めの昼食をとっておこうと食堂にやってきた。講堂で出くわしたアルトゥール・ロッシュが一緒に食事をしようとついて来ていた。適当に食べ物を選んで空いている席に座ると、アルトゥールは何気ない調子で劇の仕上がりなどについてアーサーと話をしていた。 「そういえば、ジュディを連れてきたの、手伝いってのは口実で、もしかしてボディガードのつもりなのか?」 「あ、ああ、うん。ちょっと知り合いでね。彼女なら頼れるだろう?」 「確かに。大道具とかも出来てきたし、大きな事件がこれから起きそうだもんな。脅迫状がまだ来ているって聞いたぞ。地味な嫌がらせもあるみたいだし」 「……そうだね」 付け合せの野菜をちょんちょんとフォークでつつきながらアーサーが沈んだ声を出す。憂いを帯びた表情が似合っているのか、周りからざわめきと視線が集まってきた。その中に特殊なものがないかアルトゥールが気配を気にしていると、アメリア・イシアーファがフェリシェルと一緒にやってきた。アメリアはアルトゥールとアーサーに気がつくと、明るく笑いながら手を振ってよこした。 「アルトゥール、アーサー。今、食事?」 「これから練習が始まるからね。先に済ませておこうと思って。そっちも?」 「ううん、私たちは見回りだよぉ。私も学園祭実行委員だものぉ。当日はここも開放するからねぇ」 「そうなんだ」 何気なく会話をしながらアルトゥールはアメリアの後ろに立っているフェリシェルの様子を伺っていた。フェリシェルはアーサーを目の前にして緊張しているのか、うっすら顔を赤くして体を固くしていた。アルトゥールはさりげなく話題を振ってみた。 「劇の仕上がりは順調だよ。フェリシェルも楽しみだろう。なんと言っても舞亜とアーサーの共演だものね」 「え?ええ、そうね。やるのは『薔薇の運命』なんでしょ?あれって、昔からアットでは大人気の小説なのよ。私も大好き。主人公の恋人たちが舞亜とアーサーなら、すごく見栄えがするわよね。その、ラブシーンとかもあるの?」 おずおずとフェリシェルが問いかける。その視線はアルトゥールを見ているようで、ちらちらとアーサーに向けられていた。アルトゥールがフェリシェルの気持ちを確信しながらも、気づかないそぶりで答えた。 「もちろんさ。あのラブロマンスで無かったらおかしいって。気になる?」 「う、ううん、別に。ただ」 「ただ?」 「アーサーは嬉しいんじゃない?相手が舞亜だもの」 その言葉にアーサーがむせ返った。アルトゥールがおやと目を見張った。 「あとで劇の様子も見に行くねぇ。レンも手伝っているんでしょぉ?励ましてこなくちゃ」 「うん……」 「レンねぇ。彼も頑張ってくれているよ。ティはしょっちゅう舞亜と喧嘩しているけど」 「あはは。でも、気が合いそぉ」 「気は合っているみたいだよ」 アーサーはますます沈んだ様子でアメリアとアルトゥールの会話を聞いていた。アメリアが励ますように腕に手をかけた。とたんにアーサーが顔をしかめた。 「痛っ」 今日のアーサーは7分丈のシャツを着ていた。そのため見えなかったが、どうやら怪我をしているらしい。アメリアはトリスティアに聞いていた先日の騒ぎを思い出しながらアーサーに聞いた。 「怪我しているのぉ?」 「うん、ちょっとね。この間転んじゃってさ。柱の角にぶつけちゃったんだ」 ぺろりと袖をめくると、大き目のシップが貼ってあった。 「主人公が怪我しちゃだめだよぉ。治してあげるねぇ」 アメリアが回復魔法を使う。アーサーはほっとしたように礼を言った。 「なんだ、それで元気が無かったんだ」 「そういうわけじゃ……」 アメリアとフェリシェルが立ち去ると、アーサーがはぁっとため息をついた。アルトゥールはずいと身を乗り出してアーサーに言った。 「どうもアーサーはあんまり乗り気じゃないみたいだけどな。一度決めたからには最後までやるべきだと僕は思うんだ。だから、劇、頑張れよ。事件の方は僕たちが解決するから」 「……努力する」 アーサーは短く答えただけだった。 食堂を出たアメリアたちは、校内の各所を見回りながら雑談を交わしていた。 「レンって誰なの?」 「甥っ子なのぉ。舞亜と同じ図書委員だからって巻き込まれちゃったみたい。好きな子と一緒にいられる時間が減っちゃったってぼやいていたけど、責任感の強い子だから、なんだかんだいいながら頑張っているみたいねぇ。そぉだ。好きな子っていえば、フェルはアーサーのことが好きなのぉ?」 突然の質問にフェリシェルが真っ赤になった。アメリアが無邪気にじーっと顔を見つめてくる。フェリシェルは赤い顔であさっての方向を向きながら呟いた。 「うーん、好きは好きだけど、憧れって言うか、恋じゃないと思うのよねえ。だってアーサーは舞亜のことが好きみたいだもの」 「え、そぉなんだぁ」 「見ていればわかるわ。舞亜には全然そんな気ないみたいだけど。なによう、そういうアメリアはどうなの?さっきアーサーと一緒にいた彼、恋人なんでしょ?どこまで行ったの?」 思わぬ反撃に今度はアメリアが真っ赤になった。 「ど、どこまでってぇ……。キスはしたけどぉ……フェルの意地悪〜」 「あは、ごめんごめん」 笑って小走りになったフェリシェルをアメリアが追いかけた。 探偵部の部室の扉には「舞亜事件対策本部」と書かれた紙がひらっと貼ってあった。部室にやってきたディスが額に指を当てながら中に入っていった。 「アクティア先生、勝手に変なもの貼らないでください」 レイミーにいつものようにお茶を入れさせてくつろいでいたルシエラ・アクティアは、ディスの呆れた声に軽く眉をひそめた。 「調査しているんでしょ。何か間違っていて?」 「いいですけどね……」 どうせルシエラになにを言っても無駄と悟っていたので、ディスもそれ以上は何も言わずにルシエラの向かいに座った。ルシエラの隣ではマニフィカ・ストラサローネが同じようにのんきに紅茶をすすっていた。 「話は副部長さんから聞きましてよ。なにやら複雑な人間関係が潜んでいそうですわね」 「今のところ状況はどうなの?朝塚さんが突き落とされた現場に居合わせたんでしょ。犯人のめぼしはついたの?」 ディスは肩をすくめて首を振った。 「逆光で突き落とした人物は良く見えなかったんですよ。けっこう周りに人もいたし。逃げ出した人物はなし。みんな驚いて集まって来てましたからねぇ。そういう人間がいたら目立っていたはずなんですが。ああ、ちょうど劇のことで話をしていたみたいなんですよ。だからアーサー君とか劇の関係者もそろっていて大騒ぎになっちゃんですよね。と言っても落とされた当人が周りを抑えちゃったから、その場限りの騒ぎでしたが。ま、でもあれでフェリシェル嬢が脅迫されていることを打ち明けてくれたから、公にして身辺警護を強化させることは出来ましたけどね」 「脅迫状がいくつも届いているんでしたわよね。一体犯人の目的はなんなのでしょう。ただ単純にその劇をやらせたくないのか、舞亜さんに劇をやって欲しくないのか。それとも相手役のアーサーさん絡みなのでしょうか。動機が気になりますわ」 マニフィカがどこかわくわくした調子で言葉を挟む。ディスはレイミーからカップを受け取って紅茶を一口飲むと、指を一本突き出した。 「僕が思うに、これまで大げさな事件が起きないことを踏まえると、真相は案外単純なものじゃないかと。劇そのものをやめさせたいなら、もっと被害が大きくてもいいはずだし」 「言われてみればそうですわね。脅迫状は舞亜嬢だけに届いているんでしたわよね。なぜでしょう……。やはりここは聞き込みしかありませんわね。舞亜嬢にただ聞きに言っても答えてはくれなさそうですし、彼女と同室のフェリシェル嬢に協力してもらいましょうか。今どちらにいらっしゃるかご存知ですか?」 「フェリシェル?ならアメリアと一緒に校内の巡廻に出ているはずだよ。さっきはビーチバレーの練習を見ていたから、そろそろ講堂に向かっている頃じゃないかな」 「それは好都合ですわ。さっそく行ってまいります。鍵となるのは舞亜嬢とアーサー氏の2人。舞亜嬢が素直に話してくれるとは限りませんから、アーサー氏から当たってみましょう。何かわかりましたらご報告いたしますわね」 「よろしく」 お茶を入れてくれたレイミーに礼を言ってマニフィカがさっと出て行く。ディスは残ったルシエラに問いかけた。 「で?アクティア先生はどうするつもりなんですか?あんな貼り紙を出したくらいなんだから、事件に興味はあるんでしょう」 「んー?まあ、事件にも興味はあるけどね。どちらかというと、演劇部顧問として彼女がやる劇の方が興味深いわね。台本、彼女が書いたそうじゃない。言語学希望ってことだから、かなりまともなの書いたと思うのよね。今後の演劇部に活動に役立ちそうだから、ぜひともその台本を見せてもらいたいわ。それに動きとかアドバイスしてあげられると思うし」 「なるほどね。そういえば演劇部のほうは放っておいていいんですか?参加するんでしょう」 「学園祭は生徒が楽しむためのものですもの。多少の演技指導はしているけど、基本的には部員たちに任せているわ。だから私たちも行きましょう」 「……って、どこへ」 「講堂に決まっているでしょう。劇の練習も佳境に入っているでしょうし、アドバイスするなら今しかないもの。付き合いなさい」 「はいはい」 逆らっても無駄、というよりもとより自分もその気だったディスが立ち上がる。そして思い出したようにレイミーに言った。 「そうそう、掲示板に面白いものが張ってあったよ」 「なんですか?」 「猫間先生が書いたものみたいだけど、舞亜嬢の事件の詳細と、その犯人に対する警告。文句があるなら自分に言って来いだってさ」 そこへかちゃりと隆紋が入って来て告げた。 「あれは私の式だ」 「猫間先生、式、ですか」 「呪術をかけていて、あの式になにかあったら私に判るようになっている。今のところ反応はないようだがな。ところで例の脅迫状のことなのだが」 「何かわかりましたか」 隆紋は懐から脅迫状を取り出すと、すっと机の上に置いた。 「学内のコンピューターで作成されたもののようだな。関わったものの雑念が多くて作成者を特定することは出来なかった。だが少なくとも演目自体に何かがあるわけではないようだ。間違いない、犯人は学園関係者だ。それもおそらく劇に関係しているものの仕業であろう」 「そうですか。劇の関係者となるとだいぶん絞られてくるかな。これ、どうします?」 ディスが手紙を手にとって問うと、隆紋は腕を組んで答えた。 「人を呪わば穴二つという言葉がある。誰かを呪えば、その呪いは己にも返ってくるものだ。それを利用してみようと思う」 「では、そちらはお願いいたします。俺たちは練習をちょっと観にいってきますので」 「うむ」 手紙をディスから受け取って、隆紋が去っていく。ルシエラとディスも部室を出て講堂へと向かった。 講堂では出来上がったセットをジニアスたちが組み立てているところだった。他にもアーニャに歌の稽古をつけてもらっている者、アクアにダンスの稽古をつけてもらっている者などが散らばっていた。客席では先に来ていたマニフィカがフェリシェルを介してアーサーに質問をしているところだった。暇になったアメリアは、トリスティアの姿を見つけて手招きした。 「あのねぇ……この間の件なんだけどぉ」 「いた?」 「それが、アーサーだったのぉ。本人は柱にぶつけたって言っていたけどぉ。その割には大きなシップが貼ってあってねぇ。もしかしたら傷なのを隠すためだったのかなぁと思ってぇ」 「アーサーが?そういえば、あまり乗り気じゃないみたいだもんね。でもやりたくないだけなら自分が辞退すればいいんじゃないかな。ううん、そんなこと舞亜が許すわけないか。だから舞亜にやめさせようとしているのかな」 トリスティアが疑わしそうにアーサーを見た。 マニフィカに協力を申し入れられたフェリシェルは、舞亜に気づかれないように談笑している振りでマニフィカとアーサーを引き合わせていた。事件のことでと聞いてアーサーの顔がこわばったことにマニフィカは感づいていた。 「脅迫状は舞亜嬢だけに届いているんでしたわよね?嫌がらせも彼女に集中しているとか。なぜなのかわかりますかぁ?」 「僕にはなんとも。彼女は容姿でも性格でも目立っているから、狙われやすいんじゃないかな」 「目立っているのはあなたもでしょう?この劇は、主役2人の人気で盛り上がっていると聞きましたものぉ。でも、あなたには何も起こっていない。そうですわね」 「それは確かにそうだけど……目立ち方の違いじゃないかな。朝塚さんにはきついところもあるから、それで敵を作ってしまったのかも」 「それはありそうですねぇ」 アーサーからはこれ以上の情報は引き出せそうに無かった。舞台の上ではちょうど最後の力仕事をジュディが終えたところだった。階段は木の板を組み合わせた質素なものだったが、白い布がふわりとかぶせられ、スポットライトが当たり、稽古を中断したアーニャが幻影を投影すると、そこはあっという間に舞踏会の会場に早変わりした。ジュディが明るい大声でアーサーを呼んだ。 「ヘイ!コッチの準備はOKネ。ちょっと上がって芝居シテみてくれまセンカ」 「あ、じゃあ呼んでいるから。あまり役に立てなくてごめんね」 「いいえ。頑張ってくださいませ」 マニフィカが軽く手を振る。フェリシェルにも礼を言うと、芝居の様子を見ようと客席に座った。 ルシエラとディスは舞亜と話をしていた。こちらもつんけんした返事が返ってきただけでこれといった収穫はないようだった。 「ま、事件のことは大事にならないならそれでいいわ。とりあえずみんなの演技を見せてもらえない?演劇部顧問として、なにかアドバイスできると思うから」 「ご親切にどうも。でも、そうですね。専門家の意見を聞く価値はありますね。じゃあ、みんな!通し稽古を始めましょう!」 ばらばらと出演者や裏方が所定の位置に着くまでの間、ルシエラはもらった台本に目を通していた。原作は当然知っていたが、ヒロインが小気味良い性格にうまく書きなおされている。言語学志望とはいえ、素人が書いたにしてはなかなかのものと言えた。やがていったん舞台が暗くなって劇が始まった。 出会い惹かれあった若きヒロインたちの波乱万丈の恋物語が、テンポ良く進んでゆく。アーニャの演出が舞台を華やかに彩り、アルヴァートとアリューシャの音楽が講堂一杯に響き渡った。舞台の上ではアクアの地獄の特訓に耐えた役者の踊りが展開される。悲運の恋人たちが出会い、恋に落ち、やがて戦が始まり引き裂かれる。戦いにおもむいた恋人を待つヒロインを精霊たちが慰める(精霊の大半はアルヴァートが召還したものだったが、ティエラも頑張って演技していた)。やがて城に敵兵が乗り込んできて、戦いが始まる。そこへ飛び込んでくるのは、満身創痍の恋人だ。戦いはアーサーの活躍によって勝利を収め、国が平穏を取り戻す。救国の戦士となったヒーローはヒロインとめでたく結ばれる。舞亜とアーサーの演技も、素人なりに熱の入ったものだった。台本を見ながらチェックをいれて、ルシエラが時折口を挟んで動きの指導を行った。やがて物語は進行して、クライマックスの舞踏会のシーンになった。中幕が開き大道具の階段が姿を現す。両側から役者たちが踊りながら登場してきて、舞亜とアーサーは手と手をつないで歌いながらその階段を上っていった。最上段までいくと、2人が見詰め合ってラブシーンを演じる。と、階下で男役でダンスに参加していたミルルが、みしっと言うかすかな音を聞きつけた。慌てて上を見上げて叫んだ。 「危ない!」 ミルルの声と一緒に、アーサーが急にふらついた。階段が揺れ、バルコニーを模した柵が壊れた。アーサーと抱き合っていた舞亜は、アーサーとともに下に落下していった。 「きゃああ!」 「舞亜サン!アーサー!」 すかさず待機していたジュディが駆け寄って、両肩でがしっと落ちてきた2人を受け止めた。ばらばらと木の破片が降ってくる。見上げると演技していた場所の板やバルコニーの柵が壊れてしまっていた。肩に担ぎ上げられた状態で舞亜が「なにが起きたの?」と青ざめている。アーサーは失神しているようだった。ひとまず2人を降ろすと、ジュディがぱんぱんと軽くアーサーの顔を叩いて気を取り戻させた。 「あれ……いったいなにが……なんだか急にめまいがしたんだけど」 「大道具が壊れて、上から落ちたのよ。道具係!点検しなかったの!」 舞亜が気丈に立ち上がって叫んだ。その間、ジュディは壊れたセットを検分していた。 「作ったとおりに組み立てたハズなんですケドネ。へんデス。つっかい棒が足りナイネ。板の強度も低いものが使われているみたいデス」 「そんなはずはないぞ。人が乗って演技するんだ。最上段は特に丈夫なのを使ったのに」 ジニアスががたがたと階段を上って調べる。そして用意してあったはずのものと実際に使われたものが違うことがわかった。 「いったいいつの間に……さっきまではちゃんとしていたのに」 「……上がってしばらくして、感覚が変わったような気がしたわ。そしてアーサーがふらついて柵にぶつかったら壊れちゃったのよ」 舞亜の意見に誰もが首をかしげた。 その頃、隆紋が脅迫状にこもった念を、呪詛返しで送り返していた。脅迫状がぼっと燃え上がっていた。 アーサーは青ざめた顔で壊れた大道具を見上げた。 「こんなひどいことが起きるなんて……」 「大丈夫!板の予備はまだありマス。急いで補修すれば、マダ間に合うネ!」 「本番まで間がないわ。急いでやって!」 「ハイ。舞亜サンは大丈夫デスか?」 「これくらいなんでもないわ」 高さはけっこうなものがある。ジュディが受け止めてくれなかったら、骨の1本や2本やられていたかもしれない。見上げてその可能性には気づいていたが、ここでひるむような舞亜ではない。ひとまずこのシーンは後にまわすことにして、ラストシーンをルシエラにチェックしてもらった。終わると、ルシエラは騒ぎには興味を示さないで、演技のアドバイスだけを繰り返して去っていった。ジニアスとジュディが急いで補修にかかる。レイシェンが材料の調達に走り回っていた。 「大丈夫かい」 アルヴァートがまだ青い顔をしているアーサーに声をかける。アーサーは気難しげにうつむいてしまった。 劇中には、ヒロインが恋人を部屋で待つシーンもあった。そこには花やぬいぐるみが飾られていた。いろいろなところからかき集めてきたものだが、中に1つ、動くぬいぐるみがあった。テオドール・レンツは事故のあった晩、舞亜に言って小道具の中にそのまま潜むことにした。 「今度は小道具や衣装が狙われるかもしれないからね。ボクだったら寝なくても大丈夫だし、みんなはボクをただの小道具だと思っているでしょ?紛れ込んでいてもわからないと思うんだ。だから見張っていてあげるよ」 顔は茶色いが、そのままの姿では正体がばれてしまうので、ウサギの着ぐるみをテオドールは着ていた(たんに舞亜がクマよりウサギが好きだったと言うのは2人だけの秘密だった)。この着ぐるみはもちろんテオドールの手作りだった。 準備室に割り当てられている教室に小道具や衣装はしまわれていた。夜も遅くなって生徒たちが帰ってしまうと、テオドールはさっそく見えないように教室の入口にりんごの汁で陣を描き始めた。陣は2種類だ。防御と侵入者追跡用のものと。描き終わるとぬいぐるみの中に紛れ込んでじっとしていた。 そして夜更け。異変は起きた。全身黒ずくめの衣装を着た人物が教室内に入ろうとしたのだ。見回りの教師はいたので見つかることを恐れてか明かりはつけない。それだけにただでさえ見えない汁で描かれた陣にはまったく気がつかず、侵入者は忍び込もうとした。抜き足差し足で教室内に入ろうとする。とたんにばちっと火花が上がって侵入者は廊下に弾き飛ばされてしまった。何度か挑戦してみたが、そのたびに弾かれてしまう。やがてあきらめたのか、侵入者は去っていった。 「追跡用にもちゃんとひっかかってくれたみたいだね」 テオドールの目には侵入者の逃走経路がはっきりと見えていた。それは特撮研の部室に続いていた。どうやらあの衣装はここで調達したらしい。中で着替えている音がする。テオドールは犯人が出てくるのをじっと待っていた。やがて出てきたのはアーサーだった。予想外の人物にテオドールが首をかしげたが、翌日、見たままを舞亜に伝えた。舞亜が激怒してアーサーに詰め寄った。 「アーサー!夕べ、この部屋に侵入しようとしたそうね。なにをしようとしたの!」 「ちょっと待ってくれ。なにを根拠にそんなこと」 「目撃者がいるのよ。入れなかったでしょ?侵入妨害と、追跡システムを用意しておいたの。それは今でもあなたの体に残っているのよ。さあ、きりきり白状しなさい!」 アーサーがくっと顔をゆがめた。そして吐き捨てるように言った。 「僕はただ、道具が無事か確かめに行っただけだよ。小道具がこの間壊されていただろう。昨日は大道具もおかしなことになったし、気になってね」 「変装していった理由は?」 「そ、それは……」 「そ・れ・は?」 舞亜の容赦ない追求に、ついにアーサーが開き直った。 「目立たないためだよ。いいよ、それほどまでに疑うなら、こんな劇やめてやる。どうせ乗り気じゃなかったんだし。今からでも誰か代役を立てるんだね。脅迫されているのは朝塚さんだから、脅迫が止むとは思えないけど」 そして準備室を飛び出していってしまった。 「アーサー!」 アルトゥールがアーサーを呼び止める。舞亜がぷんぷん怒りながらアルトゥールをにらんだ。 「放っておきなさいよ。頭が冷えたら戻ってくるでしょ」 「そうかな……そうだといいけど」 しかしそれ以来、アーサーは練習にあらわれようとはしなかった。 |