「心いろいろ〜孤高の少女〜」

−第4回−

ゲームマスター:高村志生子

 探偵部の部室では、のほほんとした顔でルシエラ・アクティアがディスを待っていた。やがてディスが帰ってくると、レイミーが面白くなさそうな顔をしながら茶菓子の準備をした。
「で、どうなの?」
 ルシエラの問いに、ディスはずずっとお茶をすすってから澄ました顔で情報収集の結果を話し始めた。
「次元物理学の先生が研究した結果なんですが、政志くんの能力はかなり微弱なもののようですよ。少なくとも詩歩嬢のように異世界人を通すだけの力はないようです。ま、月の魔力が関係していますから、新月に向かっている今では特に力が小さくても仕方がありませんが。けれど異世界人、オリジンとか言いましたっけ?を捕まえたのは大きな成果でしたね。彼の性質を研究して、詩歩嬢の能力に頼らなくても異世界にいけるようなゲートを作っている先生がいます。さすがに強度はさほどではないようですが、詩歩嬢の力とあわせれば行き来はかなりたやすくなるんじゃないでしょうか」
 つまんだクッキーを食べながら、ルシエラはふんふんとうなずいていた。
「救出作戦の決行はいつなの」
「念には念を入れて、次の半月まで待つそうですよ。ゲートの完成にも時間がかかりますし」
「そう。じゃあ、それまでもうちょっと時間があるわね。ならオリジンの尋問にでも行ってこようかしら。いろいろ聞きたいこととかあるし。そういえば学園側は、あの世界との交流をどうしようと考えているのかしら?」
「先生はどうなんです?」
 逆に問われて、ルシエラはうっすら笑った。
「私は友好的に行きたいと思っているわよ。ガウ先生は戦う気満々のようだけどね」
「やっぱりそう来ましたか。全体的にも、対立より友好派のほうが多いようですよ。詩歩嬢を強引に連れ去ったやり口は気に入らないようですが、異世界交流はこの世界の本質でもありますしね。それでガウ先生を説得しようとしている生徒もいるようです」
「あらまあ。それはまたチャレンジャーね」
「勝算はあるようですが」
 ディスは存外真面目に答えた。

 そのチャレンジャー、ジニアス・ギルツは、緊張した面持ちでミナのいる部屋の扉を叩いていた。ほどなく室内に招き入れられたジニアスは、不愉快そうにしているミナに向かって熱っぽく語りだした。
「あの時、オリジンが言ってましたよね。嫌な気配がするから攻撃したって。それって、ガウ先生が自分の能力をコントロールできないからじゃないかと思うんです」
「どういう意味よ」
「詩歩のほうも異世界との通路を開いていたのは無意識だったでしょう。似たような状態なんじゃないかと思うんです。思念波のほうは以前からわかっていたようですけど、異物を排除する能力の方は最近わかったことじゃないですか。つまりこれまでは無意識に常時発動されていたと考えられるわけですよ。これって弾かれる側からすれば、会って早々にガン飛ばされて威圧されている、敵意がむき出しにされているような状態です。不快に思われても仕方ありませんよ」
「じゃあどうしろって言うの」
「能力コントロールが出来ればそれもなくなるはずです。敵意がなくなれば、連中だって無意味に攻撃したりしてこないんじゃないですか。融和的な詩歩に対しては優しい存在だって言うんですから。ねえ、先生。戦うのは簡単ですよ。こちらの攻撃が通用しないわけじゃないことはこれまでのことからしてわかっていますから。けど、それはこのアットにとって有益ではないでしょう。ここは1つ、友好的になれる方法を探しましょう。先生だってむやみやたらと攻撃されるのは嫌でしょう。理解しあう努力は必要じゃありませんか」
 ミナはあごに指を当ててふうと大きく息を吐いた。ジニアスの意見には一理あった。異世界人との交流での己の心理状態の変化について考え合わせても、単純に反発していると言われても仕方はなかった。それに懇親パーティーの際、詩歩が連れ去られてしまったことに、一抹の罪悪感も持ってはいた。それが己の未熟さから来ているものなら、努力してみる価値はありそうだった。
「わかったわ。次に異世界との通路が開くまでにまだ時間がかかるようだし、その間努力してみるのも悪くはないわね」
 ミナの同意を得られてジニアスがほっとする。さっそく能力コントロールのためのアイデアを説明しだした。それはまずは式神となっているラングリア夫妻を利用することだった。懇親パーティーでの状態からして、力が反発していても心情的には反発していないと踏んだからだ。いきなり敵対しているオリジンと対峙させるよりはやりやすいだろう。ミナも納得して、さっそくラングリア夫妻と接触することにした。
 思念波の研究をしている教師と一緒にラングリア夫妻とミナが実験を繰り返している頃、学園内ではオリジンの世界との融和を図ろうとする者が活動を行っていた。アルトゥール・ロッシュは探偵部を訪れて、学内新聞でこれまでの経緯を残らず公表するようにレイミーに交渉していた。
「そりゃ、被害を受けた人は大勢いるけどさ。向こうだって好き好んで騒動を起こしていたわけじゃないと思うんだ。結局は能力者である詩歩を手に入れるためにやったことが、騒ぎになっていただけだろう。それも、詩歩が自分の能力をきちんと使いこなせればなくなるって言うじゃないか。今、詩歩は向こうの世界に連れ去られてしまっているけれど、奪還することは出来るはずだ。その上で、奴らと交渉して新しい世界と交流しようとしている人がいるんだ。それはアットにとっても有益だろうしね。そういったことも含めて、記事を書いてもらえないかな」
「ええ、それはもちろんかまいませんよ。学園的にも、新しい世界との交流が始まるのは望ましいことですし。詩歩さんが強引に連れ去られたのはマイナス要素ですが、意思疎通不足によるものだとわかればあちらも納得するでしょうから、まずこちらが好意的に出るのは良いことでしょう」
「ガウ先生の能力開発も順調みたいだしな」
 ちょうどやってきたディスが口を挟む。アルトゥールが首をかしげた。
「なにやっているんですか」
「ラングリア夫妻を使って能力のコントロール実験を行っているんだ。あの異世界人たちとガウ先生が対立してしまうのは、ガウ先生が自分の能力をコントロールできないからだろうってことで。詩歩嬢が能力コントロールできなくて、怪異を引き起こしていたようにさ。なかなか上手くいっているみたいだぜ。一応教師やっているだけはあるな。この分なら次の段階のオリジンとの接触も上手くいきそうだ」
「それも記事にしますか?」
「ガウ先生が異世界交流に積極的ってのは書いてもいいんじゃないかな。この間の新聞で、研究チームの要になっているのがガウ先生ってのは書いているんだし」
「公に出来ることは全部書いたほうがいいんじゃないかな。下手に隠し立てするよりはさ。生徒たちを納得させるには、思わせぶりなのよりはっきりしている方が絶対効果的だと思うんだ。特にこれからあいつらの世界と交流しようって言うならさ」
 アルトゥールが身を乗り出して断言する。ディスは軽くそれをけん制した。
「詩歩嬢が連れ去られたことは知れ渡っているから仕方ないにしても、目的のためには手段を選ばない連中だと思われたら、今後の交流にも差し支えるからな。その辺は無事に詩歩嬢を取り戻してからだ。まだまだ異世界人の調査も終わっていないしね。ま、情報は適当に取捨選択してくれ」
「わかりました」
 レイミーはさっそく新聞記事の執筆に取り掛かった。アルトゥールはやや不満げだったが、没頭しているレイミーに声をかけるのはためらわれた。そしてディスはさっさと立ち去ってしまっていた。
 式神となって実体化しているラングリア夫妻とミナとの能力研究はディスが言ったように順調だった。間に思念波の専門が入っていることもあるが、元は互いに研究者ということもあって、実際の力について忌憚なく意見を述べ合うことが出来たからだ。ミナの力は詩歩と違って月には影響されないらしい。本人の意思が大きく物を言っているようだった。それが返って能力のコントロールに役立っていた。
 そうやって研究しているところへやってきたのはファリッド・エクステリアだった。能力の加減にかなり上達していたミナは、ラングリア夫妻の存在を安定させることに成功していた。圧迫感がなくなって落ち着いていた2人は、呪符にこめられていた霊力が弱まっても、消えることなく存在を安定させていられるようだった。それでも連れ去られた娘のことは心配らしい。どこか不安げな2人の下にやってきたファリッドは、しばらく安心させるような話をしたあと、おもむろに切り出した。
「それにしても、そうまで異世界人とのコミュニケーションをとりたいのには、なにか訳があるのでしょう?論文には異世界人と詩歩とのつながりを匂わせるようなものはありませんでした。それは、それが秘密だからじゃないですか。異世界人と詩歩との間には、論文に書けない秘密があるんじゃないですか。例えば出生に関わるような」
 父親の毅は、しばらくきょとんとしていた。そして考え込むようなそぶりをしたあと、きっぱりと否定した。
「私にも妻にも、家系的にそういった潜在能力があると聞いたことはありませんしね。知っていたら、生まれる前から詩歩の能力について危惧していたはずです。論文を読まれたならわかるでしょう?私たちがテーマを変えたのは、娘が生まれてからのことだと。そもそも隠しておきたい秘密があるなら、すべてにおいて公表したりしませんよ」
 母親の方も言葉を添えてきた。
「研究を始めてわかったことなのですが、この世界ではそういう能力者は珍しくないようなんですよ。力の強弱には差があるようですけれど。だからこそ、異世界交流が盛んなのかもしれませんね」
 ファリッドはがっかりした様子も見せないで頭を振った。
「ならなぜまだ異世界とのコミュニケーションをとろうとするのですか?今さら論文が書けるわけでもないのに、無意味なんじゃないですか」
 毅が微笑んだ。
「そもそも私たちが、異世界交流という、アットではメジャーなテーマを研究していたのは娘のためなのですよ。論文を書いたり発表したりと言った功名心からではありません。今、娘は救いを求めている。助けるためにコミュニケーションを図るのは不自然なことですか?」
 簡単明瞭な理屈にファリッドが言葉に詰まる。予測がことごとく外れて、先の行動が思いつかなくなってしまった。話を聞いていたミナがつまらなそうに口を挟んできた。
「コミュニケーションといえば、あの捕まえた異世界人のほうはどうなっているの?調査しているんでしょう」
「あ、ええ。向こうの連中が奪還のために異空間通路を詩歩に開かせるはずですから。そのチャンスを逃さないためにも、いろいろやっているみたいですよ。幸いにして、世界が隔てられていると言っても座標的にはそう遠くないところに詩歩はいるらしいですし。こちらでもこの世界にもとからある異世界との通路の原理を応用して、ゲートを作っているらしいですね。双方が上手く組み合わされば、詩歩を助けるのもそう難しくないんじゃないですか」
「そうですか、それは良かった。平和的にことがおさまれば、私たちも安心です」
 毅が顔をほころばせた。

 オリジンの身柄は、先の実験準備室から特別に用意された学園内の施設へと移されていた。そこは武神鈴が作り上げた次元断層装置やら月光遮断機などが組み込まれていて、オリジンが逃げ出せないようになっていた。鈴は施設内に異世界に通じるゲートも設置しようとしていた。オリジンの肉体を魔術的に分析・解明し、アット内に存在する近い魔力を持った物質を選び出し運び込ませる。それを使ってすでにアット内にある次元通路を応用して、扉を作ろうというのだ。もちろん月の魔力が鍵になると知っていたから、その流れを組み込むことも忘れてはいなかった。
「オリジンはどうしているかな?」
 作業の合間に室内に設置した監視カメラでオリジンの様子を伺う。監禁しているとはいえ、室内では自由に行動できるようにしてあった。オリジンは今、何かを熱心に観ているようであった。それは鈴が用意したテレビモニターだった。モニターには仲間と引き離されて孤独に陥った主人公が苦悩する様を描いたドラマが流れていた。
「……効果あるのか?あれ」
 アルヴァート・シルバーフェーダが大量の疑問符つきの声音で鈴に問いかける。鈴はふふんと笑った。
「興味はもっているようじゃないか。この間のことは、向こうにも言い分はあるだろうが、拉致は拉致だ。だが、それをわかっていない可能性がある。精神構造の違いまではわからないからな。文明の違いもわかっていないし。ただそれなりの知能は持っているんだ。理解させることは不可能ではあるまい。違うか?」
「こいつらは学園内に不法侵入して女生徒を誘拐しているんだぜ。本当なら、問答無用でぶった切られたって仕方のないところだ!」
 ちきと小さな音を立てて剣を抜きかける。そのあまりに殺気立った様子に鈴が軽く肩をすくめた。いきり立つアルヴァートをなだめたのは、恋人のアリューシャ・カプラートだった。アリューシャはそっとアルヴァートの手を取ると、柔らかい表情で首を振った。
「アルバさん、落ち着いてくださいませ。お怒りはわかりますが、詩歩さんだって無駄な争いは望んでらっしゃらなかったでしょう。新しい世界との交流を望む仲間も大勢いることですし、まずはお話し合いをして見ましょう」
「わかっている……アリューシャがそういうから、すぐに戦う気はないけどな。でもこれだけは言っておくぞ。連中は、嫌な感じがするってだけでガウ先生に攻撃してきたんだ。不当に侵入してきたのが向こうであるにも関わらずね!これはこの世界への挑戦行為だよ!Sアカデミアとしては、こんな行為を許しておいたら、世界最高議会に対しても示しがつかない。次元戦争をも視野に入れた、断固とした態度を取るべきだ」
「それはいけませんわ。さきほど武神先生もおっしゃってましたが、精神構造の違いで自分たちのしたことをわかってらっしゃらない可能性がありますもの。戦争は悲劇しかもたらしませんし、問題解決の努力が無駄ではないなら、試してみるべきですわ。ね?」
 アルヴァートは剣から手を放してはいたが、気配だけは不穏なままだった。しかしアリューシャに笑いかけられると、眉をしかめたままそっぽを向いた。
「だからわかっているって。すぐには手を出さないよ。ただし!今度、アリューシャ……たちに危害を加えるようなことがあったら、手加減はしないからね」
「ありがとうございます。さ、それではみなさん、参りましょうか。武神先生、部屋の入口を開けていただけますか」
 アリューシャが一緒に来た仲間に声をかけて、机に置いておいたバスケットを手にした。バスケットからは甘い香りが漂っていた。
 アルヴァート、アリューシャに続いたのはテオドール・レンツだ。その後ろには何事か考え込んでいるリオル・イグリードがいた。どこか面白そうにしているのはルシエラだ。部屋のロックを外してもらい一行が入っていくと、ちょうどドラマが終わったところだったらしく、オリジンが床にうずくまって、またもや頭から始まっている画面を見つめているところだった。アリューシャがテレビによって電源を落とす。そこではっと我に返ったのか、オリジンが目をしばたかせながら入ってきた一行を見回した。
「狭いところに閉じ込めてごめんなさい。でも少しだけ我慢してくださいませ」
 アリューシャがお茶の用意をしながら声をかける。床に座っているオリジンは、見た感じは大型の獣のようだった。実体化しているため姿がはっきり見える。上半身は人間に似ているだろうか。下半身は狼かライオンのような感じだった。全身が金の毛並みに包まれている。ふさふさした毛がきらきらと輝いていた。
 とりあえず敵意は感じられなかったので、アルヴァートがそっとすぐに立ち向かっていける位置に離れる。テオドールやリオルはオリジンを取り囲むように周りに座った。見てみればガラスのような瞳には知性の色が伺える。アリューシャが恐れもなくクッキーを差し出すと、甘い香りに心が和むのは同じなのか、オリジンが素直に受け取った。おそらく同じような菓子は存在するのだろう。ためらいもなく口にしたオリジンは、口の中でほろりととける感触に目を和らげた。
「こんにちは!ボクはテオドールって言うんだよ。君はオリジンさんでいいんだったよね。あ、キャンディがあるんだ。これも食べる?」
 どこからともなく大量のキャンディを取り出しオリジンの手の中にばらばらと落とし込む。包み紙のむき方を説明したり、オリジンの世界のことを矢継ぎ早に質問したりして、他の人間の介入を許さない。オリジンは最初は警戒していたのかろくな返事もしなかったが、子守に長けたテオドールの敵ではなかった。見た目が小動物(オリジンにとっては)なのも幸いしていたのだろう。オリジンは次第にくつろいできたようだった。ぽつりぽつりと話を始めた。それは主にオリジンの世界についてだった。何か言うたびにテオドールが「それはなんで?」「どうしてそうなの?」と突っ込みを入れる。普段、自分の世界に疑問を持つこともなかったのだろう。問い返されるたびにオリジンの口が重くなってくる。長くテレビを見させられていたせいもあるだろう。疲れが出たのか、オリジンが眠そうな様子になった。すかさずテオドールが言った。
「じゃあ本当に聞きたいことを聞くよ。嘘はついちゃだめだからね『オリジン』」
「……わかった」
 最後に呼んだ名前には、言霊が秘められていた。仲良しの教諭に教わってきたものだ。オリジンの目がとろんとしたものになる。テオドールはリオルたちを振り返って、もうオリジンには嘘はつけないことを告げた。さっそく身を乗り出したのはリオルだ。リオルには危惧していることがあった。
「ねえ、きみたちはなぜ詩歩のことを狙ったの?提案を跳ね除けてまで連れ去ったのはなぜ?詩歩や政志はきみたちを暖かな存在だと言っていた。それって仲間ってことだろう。なのにその意志を跳ね除けたのは……もしかして、詩歩がきみたちの世界に行くことによって、きみたちはこのアットだけではなく他の世界にも通路を開けるようになるんじゃないのかい。そしてそこに移住、いや、侵略しようとしているんじゃないのかい」
「侵略?意味がわからないな。私たちは詩歩を尊いものだと考えている。光り輝く存在だ。いると世界が穏やかな感じになる。だから欲しいと思った」
「自分たちの世界に不満があるわけじゃないんだ」
「特にないな。この世界も美しいが、わたしたちの世界もそれなりに美しいものだ」
 自慢げなオリジンの言葉は誇らしげだった。嘘がつけない状態だというのを信じるなら、リオルの予想は外れていたことになる。少しほっとした気持ちで、リオルは引き下がった。変わって質問したのはルシエラだ。
「あのとき、詩歩を連れて行けないなら代わりに政志を連れて行くと行っていたわね。あれはなぜ?あなたの言ったことが本当なら、詩歩の代わりなんていないんじゃないの」
「政志にも資質はあるが……巫女ならば、ああいえばやってくると思った。実際にとめに行っただろう。私たちが本当に欲しいのは詩歩だけだ。それに変わりはない」
「詩歩ちゃんのこと、巫女って呼ぶけど、それはなんでなのかなぁ?」
 テオドールがひょいと口を挟む。オリジンはうっとりした顔になった。
「詩歩は美しい。世界を潤す水のような存在だ。いるだけで誰もが幸せな気持ちになれる。そういうのを巫女と呼ぶのではないのか?この世界では違うのか?」
「力ある存在って訳ねえ。だから詩歩を欲しがったの」
 ルシエラがふんふんとうなずく。テオドールが質問を続けた。
「どうすればオリジンちゃんの世界とこの世界との通路が開くのかなぁ?知っていたら教えてよ」
「月が輝くとき、月光に導かれて次元の壁に亀裂が入る。私たちはその亀裂から見えた光を探して詩歩を見つけた。詩歩の周りでは力が渦を巻いているようだった。その渦に巻き込まれて私たちも己の力の制御を失ってしまったが」
「わざとじゃないんだ」
「詩歩を欲したがために力が乱れたことは認めよう……それはすまなかったと思う」
「すまなかったですむもんか」
 アリューシャが怪我した時のことを思い出してアルヴァートが吐き捨てるように言う。アリューシャが竪琴をかなで始めた。
「うーんと、ボクとしてはね。詩歩ちゃんとだけ仲間……って言うか、友達?になるより、ここにいるみんなとも友達になって、たくさんたくさん暖かな存在が出来た方がいいって思うんだ。ボクだったらそのほうが嬉しいと思うんだけど、オリジンちゃんはどうなのかなぁ」
「仲間……仲間はいい。だが詩歩は特別な存在なのだ」
 アリューシャがそれを聞いて、竪琴を弾く手を止めた。
「仲間がいいとおっしゃる……それならば、詩歩さんを、詩歩さんの仲間である私たちから無理やり奪うようなことはしないでくださいませ。詩歩さんは自分が傷ついてもあなた方を守ろうとしていた。きっと詩歩さんにとってもあなた方は特別な存在だからなのでしょうね。けれど詩歩さんは同時にわたしたちの仲間なのですわ。大切な絆を持っていらっしゃるんですの。その絆を切らないで欲しいとおっしゃっていましたのに、引き離されて知らない世界に連れて行かれてしまった。どんなにか心細くていらっしゃるか……。どうか詩歩さんをわたしたちに返してくださいませ。詩歩さんが能力をコントロールできるようになれば、あなたがたも自由に詩歩さんにお会いできるでしょう」
「……詩歩の、仲間」
 オリジンの脳裏には見せられていたドラマの悲喜がよぎっていた。仲間を思う気持ちは同じなのだろう。瞳に困惑の色が浮かんだ。アリューシャが再び竪琴をかなで始める。一緒に癒しの歌を歌い始めた。その歌は困惑していたオリジンの心を癒し、詩歩への思いやりを浮かび上がらせた。特別な存在に変わりはなかったが、詩歩を個人として捉えるようになったのだ。自分も1人、異世界に取り残されてさびしい思いはしていた。詩歩も同じだという認識が出来つつあって、オリジンの心を痛ませた。
「詩歩は……こちらにいたほうが幸せなのか……?」
「本人はそう望んでいらっしゃいますわ。大切ならば、望みをかなえて差し上げることも必要なのでは?」
「オリジンちゃんたちだって、これで絶対に詩歩ちゃんに会えなくなっちゃうわけじゃないしね」
「……そうか……そういうものなのだな」
 頭を抱え込むようにしてオリジンがうつらうつらとし始める。すかさずテオドールが子守唄を歌い始めた。それはオリジンがすっかり眠りにつくまで続けられた。
 しゅんと軽い音がして入り口が開く。入ってきたのはミナとジニアスだった。アルトゥールがはっと警戒する。しかしオリジンはミナの存在に気がつかないように寝入ったままだった。
「……成功、みたいですね」
「そのようね。なに、眠っているの?」
「起こさないでくださいませね」
 アリューシャがそっとささやく。ミナが近寄れば、また争いになるかもしれない。それを心配したのだ。しかしミナは恐れることなくオリジンに近づいていった。オリジンはそれでも目覚めなかった。ジニアスが様子を伺っている面々に、ミナの能力コントロールの話をした。近寄っても目覚めないということは、それは成功しているのだろう。ひざを突いてしばらく不思議そうにオリジンの寝顔を見ていたミナは、やがて立ち上がって振り返った。
「気配を感じられるようになったのよ。正確には、違和感って感じだけど。それと意識を同調させるようにすると、弾いてしまわないみたいね。これで一安心かしら。あなた方は彼らと交流したいんでしょ」
「はい。そうすれば、詩歩さんだけが連れ去られることもないでしょうから」
「そうね。ゲートの方はだいぶん完成しているそうよ。ラングリアさんからもいろいろ向こうの話を聞いているみたい」
「話を?」
「出来る状態みたいよ。気になるなら心理学教室に行って御覧なさい。あたしももうちょっと訓練して、コントロールを完全にしておくから。そうすれば通路が開いたとき、すぐにわかるでしょ」
「ありがとうございます」
 アリューシャが深々と頭を下げる。リオルは頭の中で情報を整理して、相棒の精霊に伝えていた。それは詩歩救出班に伝わるはずだ。それから一行は、オリジンが目覚める前に部屋をあとにした。

 心理学教室では、梨須野ちとせが詩歩と会話をしていた。主に聞いているのは、詩歩の現状だった。近いとはいえ、場所が特定できないのでは助けに行くのも難しいからだった。
「そうですか。特に不自由はしていらっしゃらないのですね」
『うん。町みたいなところにいるのだけど、大きな建物とかはなくて、みんなテントみたいな家に住んでいるみたい。私もそういうところの1つにいるの。みんな親切にしてくれるから、体は元気。食べ物とかもくれるし。でもね、ここにはいろいろな人が出入りしているみたいだけど、私のところにはあんまり来ないの。どこか遠巻きにしている感じ。興味はあるみたいで、気配は感じるのだけど。なんかね、来る人とかもそうなんだけど、まぶしいものを見ているみたい。どうしてかな』
 エルンスト・ハウアーがあごひげを撫でながらほくそえんだ。
「こっちに捕らえている異世界人、オリジンとかいう名前だそうじゃが、そやつが詩歩君のことを巫女と呼んでいたんじゃ。つまり、奴らにとって詩歩君は神聖な存在ということらしいな。これは好都合じゃぞ」
『好都合?』
「奴らも簡単には詩歩君を手放したりはせんじゃろう。強引に連れ去ったくらいじゃからな。救出に向かおうとする連中も多々いるが、ただ行ったのでは争いは避けられんじゃろう。それは詩歩君も望むまい?一番いいのは、詩歩君が召還術師として成長し、通路を開きつつ奴らを黙らせて帰って来ることじゃ」
 ちとせがくるみをぎゅっと抱きしめて眉をしかめた。
「争いは出来るだけ避けるつもりですわ。そうなる可能性が高いのはわかっていますけれど、詩歩さんが望まないでしょうし。黙らせるって、どうやってですの?説得は、詩歩さんは苦手そうですけど」
「うむ。いいかね、詩歩君。通路が開けるようになるまでまだ間があるから、その間に術者としての訓練を積むんじゃ。魔術学において、古今東西みても召還術に際し、召還対象を従属・契約させる方法というのは大きく4つにわかれる。その中で一番、詩歩君にあったやり方は、己が相手より高位であると認知させることじゃ。幸い、どうやら奴らは詩歩君を元から神聖なものとしてとらえているようではないか。これが一番確実じゃろう」
『高位?』
「これは近しい存在同士で成立する特殊なパターンじゃがな。奴らは詩歩君を近しい存在として認知しているから、可能じゃろう。術者としての潜在能力も持っているから、魔力をコントロールできるようになりはったりを聞かせれば、ただの巫女ではなく最高位の姫巫女として奴らのトップに立てるかもしれんと言うことじゃよ。神に等しい存在とも言えるかも知れん。そういったものの言葉に逆らえるものはそうはおらんからな。少なくとも数人は身近に出入りしているんじゃろう。そやつらを相手にやってみい」
『はい……頑張ります……』
「自信を持ちたまえ。大切なのは心の強さじゃ。帰りたいのじゃろう?」
『うん……みんなと一緒が、いい』
「じゃったら弱音は吐かぬようにな」
『はい』
「もうじき月が半月になりますわ。こちらからも行けるようにゲートを作っておりますの。信じて待っていてくださいませね」
『こちらの月もだいぶん大きくなってきたの。それにあわせて力が増していくみたい。こちらの方が力をはっきり感じられる。だからハウアー先生が言っていた方法を試してみるね』
 これまでの会話で、詩歩は月の通路をくぐった後、近くの町に連れて行かれたことがわかっていた。町の様子や、詩歩が軟禁されている場所の様子も詳しく聞き取ることが出来た。
 あちらの世界は砂漠が中心で、オアシスの周辺に町を構えているらしかった。町の規模は大きくないが、オアシスはあちらこちらに点在していて、たくさんの集落がつかず離れずの距離で生活しているようだった。
 詩歩が連れて行かれたのは比較的小さな集落のようだったが、ある意味特別な集落のようだった。詩歩を連れ去った異世界人がまっすぐにそこに向かったからだ。詩歩を迎え入れる準備も整っていた。女たちが待ち受けていて、すぐさま沐浴させられ食事を与えられた。向こうの住人は姿が様々で、オリジンのような半人半獣のような者もいれば、頭だけが獣のようなもの、直立歩行する獣人、人間と見た目がまったく変わらないものもいた。祈りの場でもあるのだろうか。町は静かだった。時折訪れる世話役もみな物静かだった。
 詩歩は、見張り付きではあったが街中を散策することも出来た。子供の姿を見かけることはなく、通りすがる人々は、詩歩に出会うと一様に頭を下げた。
 この集落を囲むように、周りに大きな集落があるようだった。次元を渡って力を増した詩歩にはそれを感じ取ることが出来た。たくさんの人の気配を感じたからだ。それらはみな、詩歩が来たことを喜んでいるようだった。ただどこか一線は置かれているようで、詩歩は寂しさを感じずにはいられないようだった。
 そういった事柄をちとせは救出に参加する仲間に伝えた。アクア・エクステリアはエルンストの案を聞いて協力を申し出てきた。
「意志の実が通用する距離でよかったですぅ。能力コントロールのやり方は私が教授できると思うんですよぉ。詩歩さんが力を自覚した今、それは比較的簡単だと思うんですぅ。そうそう、それでね。通路が開いたとき、向こうから私たちを召還してもらえたらって思うんですけどお。そうすれば次元の狭間で迷子になることなく異世界に到達できると思うんですよぉ」
「ま、万が一のときはこれをつかえ」
 ゲートの完成を伝えに来た鈴が小さな装置を各々2〜3個持たせた。
「これはディメンショナルアンカーといってな、まあ、この世界とお前らをつなぐリード線のようなもんだ。もし次元の狭間にはまり込みそうになったら引っ張って合図しろ。根っこはゲートにつないであるから、こちらから引っ張りあげてやろう」
「わかったですぅ」
「残念だが、ゲートの強度はあまり保証できない。天才の俺でも、即席の代物、しかも実験もしてないようなもんじゃ、どうしても不安が残るからな。だから詩歩を見つけたらすぐに帰って来るんだぞ」
「詩歩さんがいればきっと大丈夫ですよぉ。必ず帰って来ます。ねえ?みんな」
「当然ですわ」
 ちとせが小さな腕を振り上げた。
 詩歩から連絡があったのはそれから間もなくのことだった。オリジンは向こうの世界ではかなり重要な人物らしかった。迎えに行くために通路を開いて欲しいとの要請があったというのだ。月の魔力が満ちるにつれて、詩歩の魔力も強くなっているようだった。それが詩歩をよりいっそう輝かしい存在にしているようだった。エルンストの言葉を信じて力を開放させていた詩歩を、周りの異世界人たちは畏怖をこめて見ている様だった。お願いをされたときも、低姿勢だったという。それが自信に繋がったのだろう。アクアと連絡を取っていた詩歩の言葉には、それまで無かった力があった。
「いよいよですねぇ。詩歩さん、同時にゲートを作動させますので、合図してくださいねぇ」
『うん。今晩やることになっているの。オリジンさんを助けにそちらに行く人もいるみたい。出会ってしまうと思うけれど……来てくれるって、信じているから』
「その調子ですぅ」
 救出作戦にはミナも参加していた。あれから幾度かオリジンと接触し、こちらも能力コントロールに自信をつけていた。戦いが不可避とはいえ(というか、若干ながら怪我させられた恨みがミナには残っていたので、お仕置きは絶対にしたいと思っていた)、最優先なのは詩歩の救出だったので、排除する力を応用しようと考えていた。
 ゲートにはすでに救出組みがスタンバイしていた。通路を開く役には立たないが、政志もその場にいた。異世界人の気配を感じることが出来るので、役に立つと言い張ったのだ。
「政志さん、必ず詩歩さんを連れて帰りましょう!」
 ライン・ベクトラが政志の手をぎゅっと握って宣言した。緊張した顔の政志がこくんとうなずく。そこへテンガロンハットを小粋にかぶったジュディ・バーガーがやってきた。今日のスタイルは帽子に合わせてカウガールファッションだ。ジュディはくいっとつばを持ち上げると、ぱちんとウインクした。
「Hey!そこのステディなお2人サン♪良かったらジュディのバイクに乗りマスカ?」
 ジュディはばかでかいバイクに寄りかかっていた。確かに3〜4人は楽に乗れそうだ。政志がうなずき、ラインがジュディの言葉に赤くなった。
「す、ステディですって」
 すすっとジュディが擦り寄った。そしてがしっと肩を抱き寄せると、耳元で明るく言った。
「ンン〜。ラインお嬢サンは政志が好き?」
「い、いきなりなにを。わたくしは……」
「OK!OK!ミナまで言うな、デスネ?ジュディもちゃんとわかってイルですヨ!」
「ですから!わたくしは!」
 言いかけて、否定の言葉が出てこないことに驚く。しかし今ひとつ素直になれないラインは、つんとそっぽを向いた後、きょとんとしている政志に視線をめぐらせて、さらに赤くなって両頬を手で押さえてしまった。
「ジュディ?」
「ナンでもないネ!サア、乗った乗った」
 手の中で小型フォースブラスターをくるくる回してジュディがうながす。困惑しながらも政志がラインに手を差し出した。ラインがためらいがちに握り返す。ぎこちないやり取りを、ジュディが温かい目で見守っていた。
 政志とライン、執事ロボットのセバスを後ろに乗せ、ジュディが運転席にまたがる。このバイクにはバーナーロケットが装着されていたので、空中を走ることも可能だった。なにしろ異世界人たちは空を飛んでいたのだ。それくらいの準備は必要だろう。
 ぶるんぶるんとエンジンをふかせている横では、ちとせがレイシェン・イシアーファの肩によじ登っていた。精霊のティエラが叫ぶ。
「あー!なにちゃっかり乗っているのよっ」
「いいではありませんの。レイシェンさんは空間転移を使って詩歩さんのところに行くのでしょう?一緒に行かせてくださいませ」
「そこはあたしの場所なのに〜!」
「たまには譲ってください。非常事態なんですから!」
 一歩も引かない構えのちとせに、ティエラがうう〜とうなる。レイシェンがそっと頭を撫でてそれをなだめた。
「ティ、我慢して。詩歩のこと、助けるのに、人は多い方がいいから」
「そんなに助けに行きたい?」
 ティエラに問われて、レイシェンが少し考え込んだ。
「……詩歩が、連れ去られたの、おれのせいかもしれないから。詩歩があいつらのこと、優しいって言っていたから、無理はしないって信じたくて、アルトゥールたち止めちゃっただろ。なのに……。せめて近くにいればよかった。そうしたら、詩歩のこと、1人になんかしなかったのに。だから、今度は絶対に間違えない」
「熱心ねっ。そんなに詩歩が心配?」
「心配……?うん、それもあるけど。1人にしたくないって……でも、ちょっと違う。おれが、詩歩の側に、いたいんだ」
 レイシェンの顔にはいつになく真剣な表情が宿っていた。
「ずっと、考えていた。前にティに聞かれたこと。その答え、やっとわかった。おれ、詩歩のことが好きだ。だから側にいたい。詩歩のしたいこと、手伝ってあげたい……今度こそ、絶対に手を離さない」
 ティエラがややひるんだ。
「んもう、いざって時は直線的なんだから、レンってば」
「ライバルが多くてたいへんですわね」
 ちとせがからかうと、ティエラがべーっと舌を出した。
「いいもん、あたしだってレンの特別なんだからっ。寂しくなんかないもんっ」
 ぷんぷん怒っているティエラを微笑ましく見ながら、ちとせも一抹の寂しさを感じていた。
『詩歩さんのことですから、いずれ殿方に……と言うのはわかっていたのですけれどね』
 なにやら荷物を抱えたアメリア・イシアーファが連絡にやってきた。
「そろそろだってぇ。みんな、準備はいい?」
「アメリア、後ろに乗って」
 エアバイクにまたがったトリスティアがアメリアに言う。アメリアがよいしょとその後ろに乗る。ひらひらとトリスティアのセーラーカラーが風になびく。アメリアが不思議そうに聞いた。
「なんでセーラー服なのぉ?動きにくくないぃ?」
「戦う美少女戦士って言ったらやっぱりこれでしょ。詩歩を強引に連れ去った奴らは、月に代わってお仕置きしてやらなきゃ!」
 詩歩と連絡を取り合っていたアクアが、待機していた鈴に合図した。鈴がスイッチを入れるとゲートがぶうんと鈍い音を立て始める。屋内なのにそこから風が吹き込んできた。 アクアがさっと手を上げた。
「詩歩が通路を開いたですぅ!ここと繋がっているみたいですよぉ。敵が来る前に向こうに行くですぅ」
「イヤッホゥ!」
 真っ先に飛び出したのはジュディのモンスターバイクだ。政志が振り落とされないようにしっかりラインを支えている。赤くなりながらも、ラインは大人しくしていた。続いてトリスティアのエアバイクがゲートを走り抜けていく。空間の歪みを感知しながらレイシェンがそれに続く。ミナがごくりと息を飲んだ。その肩を叩いたのは猫間隆紋だった。
「これを持って行け。守りの呪符だ」
「あ、ありがとう」
「なに。守ると言った言葉を違えたくないからな。言葉といえば、言って置くが言葉には「言霊」が宿るものだ。不用意に呪いの言葉は吐かぬ方が良い。忘れるな」
「肝に銘じておくわ」
「そうは言っても、しつけの足りない悪い子にはお仕置きが必要ですわ!もちろん彼らなりの言い分があることはわかっていますけれど、本人の意向を無視して連れ去ることは、とても容認できることではありませんもの。欲しいから奪う、嫌だから傷つける、と本能のままに行動されてはコミュニケーションが成り立ちませんわ。本当に、暴力に屈せず未熟な感情の育成のために厳しく指導、教育に勤しむなんて、ガウ先生は教師の鑑ですわね」
 ミナの行動を褒め称えたのはアンナ・ラクシミリアだ。思いがけない賞賛の言葉をもらってミナが照れる。さあさあと鈴がゲートに入るよう促した。

 ゲートをくぐり抜けると、眼下にたくさんの天幕が張られた町並みが見えてきた。こちらも夜らしい。月明かりに町並みはぬれていた。町の中心部に明かりがともっている。レイシェンたちがその近くの空き地を見つけてすたっと降り立つ。テネシー・ドーラーがルシエラから借りてきたペットのレイスを探索のために街中に放った。本人は詩歩と話をしていた。
「え?どこにいるんですか?町の中心部の噴水のところ?異世界人は側にいるのですね。ああ、何人かが次元通路に向かって行ったのですか。まだ追いつけそうですか?こちらも近くにいるようですが。大丈夫?わかりました。位置は捕捉出来そうです。待っていてくださいませ」
 戻ってきたレイスから情報を得ると、テネシーはさっそく噴水めがけて走り出した。傍らを走っているのはシエラ・シルバーテイルだ。シエラは情報を得るためにまず1人、異世界人をとらえようとしていた。
「Hey!鬼のゴスロリ番長……アワワ、ジャなく、ゴスロリ風紀委員殿!コッチです!ラッキーちゃんがソウ言ってイマス!」
 ジュディのペットのにしきへび・ラッキーセブンが一方向をじっと見つめていた。空間の歪みを感じてレイシェンも同意する。と、街角から出てきた異世界人と不意に接触した。すかさずシエラが回り込んで相手を捕らえる。夜闇も手伝って、捕獲は容易に出来た。その異世界人は戦う意志は無いのか、震えながら大人しく捕まっていた。シエラは手の力は緩めずに、言葉だけは穏やかに話しかけた。
「そうそう、大人しくしていれば危害は加えないわ。わたしたちは仲間を取り戻しに来ただけなんだから。それに、この世界と交流も持ちたいと思っているのよ。あなたたちの中にそういった人はいないの?いたら教えてちょうだい」
「仲間?姫巫女様のことですか?あなたがたは姫巫女様の世界の方々?どうやってここに」
「いいから!聞かれたことに答えてちょうだい!」
 グルルと脅すように喉を鳴らす。食いつかれそうな気がして、相手が小さく息を呑んだ。
「……姫巫女様は、待っている人がいるから帰りたいとおっしゃっていました。この世界を見捨てるわけではないということも。私はそれを信じたいと思います。ただ、意地でも姫巫女様を留め置こうという輩もいます。オリジン様があちらにいることも、彼らの闘志に火をつけているようです。……交流は、可能なのでしょうか」
「あなたたちしだいね。わたしたちの世界は、ここだけじゃなくいろんな世界と繋がって交流しているわ。だからそっちに戦う意志が無いなら交流は可能だと思うのよ。オリジンだって解放したってかまわない。詩歩さえ返してくれるならばね」
 シエラの言葉に、捕まっている異世界人が戸惑った様子を見せた。
「しかしもう、戦士たちが向かってしまっています」
 それを聞いてホウユウ・シャモンが走り出した。敵の位置は心眼で捕捉することが出来た。詩歩の気配も近くでしている。周りを数人が固めているようだった。ホウユウは空中にある通路に向かっていこうとしている異世界人の前に立ちはだかった。
「行かせはしない!」
「邪魔をするな!」
 光線が走り、ホウユウを貫こうとする。ラインが光術を使ってその軌道をそらせた。
「間に合ったようですわね」
 テネシーが眼鏡を押し上げながらつぶやいた。武器を持っていた異世界人たちが襲い掛かってきた。見ていた詩歩が悲鳴を上げた。異世界人たちの攻撃を退けたのはミルル・エクステリアだった。愛用のトンファーで叩きのめしていく。光線が肩をかすめ血がにじみ出てきたがミルルはかまわなかった。詩歩を無理やり連れさらい、今もその身柄を拘束している異世界人たちに対する怒りの方が勝っていた。
「仕方が無いな」
 様子を伺おうとしていたホウユウが戦いに参戦する。テネシーもウィップをしならせて異世界人たちを切り裂き始めた。ただ、急所は微妙に外して殺さないよう気遣っていた。しばらくどたばたとその場は戦場となった。
「詩歩ぉ、大丈夫だったぁ?」
「怪我はございませんか」
 どさくさにまぎれてレイシェンがアメリアたちを連れて詩歩の側に転移していた。ちとせがぴょんと詩歩の肩に乗り移った。
 周囲を固めていた異世界人たちがざわめく。アメリアはすかさず持っていた荷物の中から、アリューシャから預かったお菓子を取り出して差し出した。
「戦うつもりなんてないよぉ。仲良くしよぉ?これはその約束の証だよぉ」
 詩歩の周りを固めていたのは、どうやら戦士ではなく詩歩の世話役をやっていたものたちだったようだ。お菓子の香りとアメリアの優しい笑顔に、緊張がほどける。アメリアからお菓子を受け取って、顔を見合わせている。その間にレイシェンが詩歩を背中にかばった。
「姫巫女に近づくな!」
 戦士の1人が状況を察して怒鳴り声を上げた。
「勝手なことを言わないでくださいませ。詩歩さんはあなた方のものではありませんのよ。間違えてもらっては困ります」
 テネシーが詩歩に近づこうとした一人をウィップで絡め取った。ホウユウが切り捨てようとして、妹のミズキ・シャモンに止められた。
「詩歩さんの前で無益な殺生はおやめなさい。ここで本格的に戦ってどうします。今後の交流に差し支えてしまうではありませんか」
「しかしなぁ、ミズキ」
「シャモン先生の言う通りよ」
「ガウ先生!?いらしてたんですか」
 それまで気配を感じさせなかったミナが戦場に進み出ていた。護衛役の隆紋とアンナがつき従っている。ミナは己の能力を最小限まで低めていた。だから異世界人たちもミナの存在に気がつかなかったのだ。ミナは救出組と異世界人との間に割って入ると、異世界人たちに向かって言い放った。
「あなたたちはあたしが邪魔な存在だと言っていたわね。詩歩を連れ去るのに邪魔になると。それがあたしの能力によるものだと今はわかっているわ。その力のコントロールは出来ていると思っているわ。今も不快な感じがしているかしら」
 異世界人たちからざわめきが起きた。確かにアット世界に行くたびに感じていた不快なものはほぼ感じないと言って良かった。お世辞にも下手にでているとは言えない態度だったが、反発をもたらすようなものではなかった。戦士たちの中でも指揮官に当たるらしい一人が前に進み出てきた。
「確かに。不快な感じはしないな。どうやったんだ」
「反発があたしに備わっている能力によるものだとわかったから、それをコントロールする術を身につけたのよ。詩歩がここで次元通路を開く力を磨いていたようにね。アット世界はこの世界との交流を拒まない。詩歩がこの世界と深いつながりを持っているなら、定期的に交流を行ってもかまわないと思っているわ。ただし、詩歩そのものはアット世界に属するものだから、こちらの世界に連れ戻させてもらうわ。力づくで阻止するというなら……こんなのはどう!」
 抑えていた力を一気に最大に引き上げる。異世界人たちが吹っ飛ばされた。ばたばたと倒れるのをみて、ミズキがあきれたように言った。
「交流するつもりではありませんでしたの」
「この間のお礼って訳じゃないわよ。暴力には暴力しか返らない。まずはそれをわかってもらわないとね」
 それはこの一連の騒動を通して、ミナ自身が学んだことでもあった。再び力を最小限に抑えて反応をうかがう。瞬間の敵意がなくなって、吹き飛ばされた戦士たちは立ち直るとミナに襲い掛かろうとした。アンナがレッドクロスを装着して己の体でミナの身を守り、モップを武器に敵を蹴散らしだした。隆紋が天空に輝く月に向かって声を張り上げた。
「月読の神よ!今しばらく輝くのを止め給え!」
「な、なんだ」
 言霊を秘めた隆紋の呪力に応じて、月が不意に現れた雲に隠される。同時に通路が封じられた。詩歩も力の放出をやめていた。通路に吹き込んでいた風がやんで世界に凪が訪れる。詩歩が精一杯、声を張り上げて通路が閉ざされたことを告げた。戦士たちも感じ取ってはいたのだろう。天空の通路ではなく、邪魔をした隆紋たちに向き直った。ミナがアンナと隆紋を押しのけて前に出た。力は抑えたままだ。敵意を感じられなくて、戦士たちに戸惑いが生まれる。殺気がなくなったのを察知して、ミルルが詩歩に駆け寄った。
「大丈夫だった!?」
「私は大切にされていたから……ミルルさんこそ、怪我……」
 にじんだ血を見て詩歩が悲しげな顔になる。ミルルは明るく笑いながら腕を振り回した。
「平気だって!これくらい、かすり傷よ」
 平然とした様子に詩歩が安堵の色を浮かべる。肩に乗り移っていたちとせが、雪のように白い花を詩歩に差し出した。その花の香りは詩歩の緊張をほぐした。
「これはある世界の魔王から、感謝の印としていただいたものなのですよ。そのように、頑張れば魔王とだって仲良くなれるんです。きっとこの世界の人たちとも。頑張りましょう」
「そうね」
 詩歩が前に進み出た。雲から出た月はちょうど中空に浮かび上がり、詩歩の銀色の髪を輝かせていた。そばではアメリアが手土産のお菓子をせっせと周囲に配っていた。それで場がなんとなく和んだ。アメリアは詩歩の周りを固めていた異世界人だけでなく、ミナと向き合っていた戦士たちにも配り始めた。それで完全に戦意が喪失されたのだろう。ミナは状況を見てまた後方に下がって行った。
 噴水はオアシスでも重要な役割を果たしているのだろう。だから詩歩が通路を開くのにもその場所が選ばれたのだ。レイシェンに肩を支えられながら異世界人たちの前に進み出た詩歩は、祈るようなしぐさを見せた。月光がまっすぐに届き、懇親パーティーのときのように詩歩の体を輝かせた。その光は、詩歩の能力コントロールの力が増したことによって、よりいっそう美しい輝きを放っていた。神々しいとも言える姿に、異世界人たちがひれ伏す。光の中から詩歩の声が響いてきた。
「私は居るべき場所に帰ります。けれど、この世界とのつながりを断つつもりはありません。この世界はやっぱり私にとっても特別な存在だから。たまにしか会うことは出来ないけれど、もっともっとこの世界のことを知りたい。この世界での私の役割を知りたい。それではだめかしら……?」
 心の底から思っている言葉は異世界人たちの心にも届いた。神聖なる月の魔力に満ちた少女は、そのとき確かにこの世界の神だった。奪われまいとする戦士たちも、抵抗する気力を失って行った。
「あちらにとらわれているあなた方の大切な人のことも、必ず帰すと約束するわ。だから安心して」
「姫巫女様……」
 侍女たちがひざをついて指を組みながら詩歩を見上げていた。背後にいたレイシェンが、感動して詩歩に抱きついてきた。暖かな感触に詩歩がぽっと頬を赤らめた。
 と、急にミルルが焦った声を出した。ミルルはここに来る前に、リオルから精霊の宿ったペンダントを渡されていた。それでオリジンの尋問の様子なども聞いていたのだが、今その精霊レイフォースはたいへん焦っているようだった。
「なにがあったの!?」
「リオルたちが見張っていたんだけど、通路が開いたことでオリジンの力も強まっちゃったらしいのよ。それで暴れているんですって。暴走って奴ね。どうも月光遮断装置のキャパシティーを越えちゃったみたい。幸い部屋からは出られないみたいなんだけど、側によることも出来ないらしいわ。リオル、それで困っているみたい」
 詩歩に駆け寄った政志が首をかしげた。
「詩歩が力をコントロールできたら、暴走はなくなるんじゃなかったのか。近くにいないからなのか?だとしたら早く戻らなくちゃならないな」
「通路は開いているから……行きましょう」
「詩歩サン、乗ってクダサイ!」
 ジュディがバイクを乗りつける。レイシェンがそれを断った。
「ゲートは空中にあるみたいだし、おれが転移して連れて行くよ。ジュディはみんなを運んで。トリスティアも手伝って」
「了解!」
 空を飛べるアイテムは数少ない。順々に運んで行って月光の道筋に従って通路をくぐる。異世界人も事の重大さを感じて協力してくれた。みなが行ってしまうと、最後に残った詩歩がレイシェンに抱えられながら言葉を残した。
「これからしばらくは通路を開きやすくなると思う。待っていて。交流方法も上手いものがきっと見つかるから」
「そうだね。詩歩ならきっとできるよ」
「政志兄様!残ってくれたの?」
「これで詩歩だけ残されたら元も子もないからね」
「わたくしもいましてよ。戦える人間がいないとね」
 ラインが政志の後ろから顔をのぞかせる。もちろん側にはセバスちゃんが控えていた。
「よし、じゃあ行くよ」
 レイシェンが残りのメンバーを連れて通路に向かって転移する。どうやら鈴が作ったゲートは、オリジンの力の影響を受けてかなり不安定になっているようだ。詩歩たちが無事に戻ってくると、ゲートはがらがらと崩れてしまった。鈴が「ま、間に合ったからよしとしよう」と自分を納得させていた。
 詩歩が力を弱めて通路を封じる。それでオリジンの暴走も収まったらしい。しばらく経ってから部屋の様子を伺うと、消耗したのかオリジンは眠りについていた。
「アレも向こうにとっては特別な存在みたいね」
「ガウ先生。はい……言って見れば、王族のような存在みたいです」
「帰してやらなきゃならないわね。でないと戦争になってしまう。その前にあなたたちが話し合って交流を深める約束を取り付けられないかしら」
「やってみます」
 もう少ししたら満月だ。それまでに穏やかな交流方法が見つかるのだろうか。詩歩とミナの力はだいぶん強くなっている。それが鍵となりそうだった。
 その場には詩歩の両親もやってきていた。娘の無事な姿を見て安堵しているようだ。こちらもそろそろ行くべきところへ行かなくてはならないだろう。残された時間がわずかなものであることは、言わなくても理解できていた。そこに言い尽くせない悲しみはあったが、詩歩は黙って見送ろうと決意していた。隣に立っていたレイシェンが前を向きながら詩歩の手をぎゅっと握り締めた。生前と変わらぬ姿で笑っている両親を前に泣き出しそうになっていた詩歩は、その手の暖かさにぐっと涙をこらえた。
「お帰り。無事にすんだみたいだね」
「アルトゥール!うん、アリューシャから預かったお菓子は喜んでもらえたみたいだよぉ。ちょっとは仲良くなれた、かなぁ?」
「きっと大丈夫だよ。アメリアの真心は通じたさ」
「えへへ」
 アルトゥールに頭を撫でられてアメリアが照れ笑いをする。ミナがさあさあとみんなを促した。
「今日はお疲れ様。今晩はもう遅いし、これからのことは明日話しましょう」
「結果はきっちり教えてくださいね」
 ひょっこり現れたディスがミナに釘を刺す。「はいはい」と言ってミナが追い払う。なんとなく誰からともなく笑いが湧き上がった。

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