「心いろいろ〜孤高の少女〜」

−第2回−

ゲームマスター:高村志生子

 アット世界の月も満ち欠けをする。夜は煌々とした光を闇に放ち、昼はそ知らぬ顔で白い姿を青空にさらしている。半月より少し膨れ上がった月は、今日も澄ました顔で天空にあった。
 心理学実験室での事件から数日がたった日の朝、ジュディ・バーガーはいつもの時間にぱちりと目を覚ました。心身ともに健康なジュディに目覚ましはいらない。毎朝決まった時間に自然に目を覚ます習慣がついていた。外は良い天気だ。隣のベッドでは同室のトリスティアがむにゃむにゃとまだ睡眠をむさぼっていた。その安らかな寝顔に微笑みかけてから、ジュディは手早く着替えた。
「ウーン、イイ天気ネ!例の計画実行にはウッテツケの日デス。さっそく調理部に材料を運ばないと」
 大きく伸びをしてから、ジュディは機嫌よく飼育小屋に向かって行った。

 午前の授業の休み時間、詩歩は人目を避けるように1人でぽつねんと裏庭のベンチに座っていた。それを見つけたのはエルンスト・ハウアーだ。エルンストは驚かせないようにすすっと近寄ると、有無を言わさず隣に座り込んだ。
「この間はすまなかったのう。あとでガウ先生にいじめられたそうじゃな」
 自在式机事件のことだろう。ひょうひょうとしたエルンストに、詩歩は小さな声で答えた。
「……大丈夫です。助けてくれた人が、いたから……」
「それは良かった。悪気はなかったんじゃがのう。他にもああいったことが出来る奴がいると証明したかっただけなんじゃが。通じない輩には通じないもんじゃな。ところで詩歩君に1つ聞きたいことがあるんじゃが」
 ふいに真面目な顔になったエルンストに、詩歩は黙って首をかしげた。
「助けてくれた人がいたと言っていたな。彼らは今でも君に優しくしてくれるんじゃろう。詩歩君は1人でいることが好きだそうじゃが、もしやそういったみんなと、もっと仲良くしたい、もっと活発に動きたい、もっと感情をあらわにしたいといった気持ちを、心の奥底に押し込めてはおらぬか。ワシが思うには、これまでの一連の事件は、そう言った抑圧された感情が顕在化したんじゃないかと」
 詩歩はしばらく考え込んでから、ぷるぷると首を振った。
「いつも……どこに行っても、最初はみんな優しかった。こばんだつもり、ないです。でもいつも変な事件が起きた……そしてみんな離れていった。両親は、私に悪い噂が立つと、私が傷つくのを恐れて離れた場所に引っ越して……でもね、先生。私、寂しいって思ったこと、ないんです」
「ほう。それは何故じゃね?両親がいたからかね」
「それもありますけど……いつも何かがそばにいて、守ってくれているような……そんな感じがして。お父様やお母様、政志兄様と一緒にいるときに似ている……暖かいなにかがいるって……「それ」が私を傷つけたりしないって、どうしてかわかっていたから……」
「なるほど。まあ、じゃが、頭のいい詩歩君のことじゃから理解できると思うが、人とのつながりを持つことは重要じゃ。この先社会で生きていくにはな。幸い、仲良くしようと言う連中がおるじゃろう。大切にしなさい」
「……離れて、行かない?」
「ふぉふぉふぉ、そんな性根の腐った奴らではあるまいて。彼らなら多少の事故がおきたところでへいちゃらじゃよ。安心したまえ」
 髭を撫でながら明るく断言するエルンストに、詩歩も表情を緩めたように見えた。そんな詩歩を観察しながら、エルンストは心の中で思っていた。
『ふうむ。この事件は思春期の子供の周りでよく起きる超能力的現象、ポルターガイストじゃと思ったんじゃが。どうやら違うようじゃな。なにかがやはりいるのか?それの独占欲のようなものが原因とも考えられるな。これはもうしばらく観察せねばならんな』
 考え事を気取られないようによっこらしょと立ち上がり、まもなく次の授業が始まることを示唆してエルンストは立ち去って行った。
 その様子をモニターで見ていたのは武神鈴だった。鈴は椅子にうずくまるように座り、机に積み上げた菓子を忙しなく口に運びながら、目だけはじっと画面を見つめていた。
「案の定、いろいろと動き出している連中がいるな……おせっかいなことだ。まあ、給料が上がるわけでもないのに、趣味でこんなことをやっている俺も似たようなものだが」
 ずずっと激甘なコーヒーをすする。脳をフル回転させながらいくつかのモニターを見てまわった。
「とはいえ、1人くらい学園全体を把握している奴がいないとな。おや、あれは……」
 と、視線がそのうちの1つにとまった。映し出されていたのは、詩歩と敵対する生徒たちと、少し離れたところでなにやら会話している親和派の生徒たちだった。
「では、今日のランチでですのね」
「うん。ジュディが食材をたくさん届けてくれたのぉ。お天気もいいしねぇ。中庭でバーベキューにしようって。私たちは調理部でも詩歩を誘って料理するつもりだけどぉ。ちとせも参加する?人数は多い方が楽しいもんねぇ」
 アメリア・イシアーファの誘いに、梨須野ちとせは満面の笑みで応じた。
「もちろんですわ。あ、そうだ。お願いがあるのですけれど」
「お願い?なぁに」
「そのランチパーティに、詩歩さんと仲たがいしている方々も参加していただいてもよろしいでしょうか。今のままでは、事件が解決しても本当の意味で詩歩さんの笑顔が見られないと思いますの。わだかまりが残ってしまいますものね。説得は私がしますから。いかがですか?」
「うん、わかったぁ。ジュディたちには私から伝えておくねぇ」
 アメリアが手を振って去っていく。ちとせはさっそくその生徒たちを探して、程近いところにいる見覚えのある連中と遭遇した。そしてさっそくランチパーティーの件を話した。詩歩と仲直りと言われて生徒たちに緊張が走ったが、なにせ相手が小動物さながらのちとせだ。すごむにすごめず、仲間内で顔を見合わせてぼそぼそと言いあっていた。ちとせはここぞとばかりに愛くるしい表情としぐさで言葉を続けた。
「事件のことならば、探偵部が動き出していますもの。きっとじきに解決すると思いますわ。けれど、このまま解決しても、あなた方とのわだかまりが残ってしまったのでは、詩歩さんのためにもあなた方のためにもよろしくないと思うのです。詩歩さんだって心からの笑顔を浮べられないと思いますし。聞けば一度は手を差し伸べようとされたのでしょう。どうかもう一度勇気を出してみてくださいませ」
「けど、なぁ……なんか怖いんだ」
「それはわかりますわ。恐ろしい目にあわれたのでしょう。恐怖に打ち勝つのは確かにたやすいことではありませんわね。けど、詩歩さんの心からの笑顔って、それはそれは素敵だと思うのですわ。見てみたいと思いません?」
 それを想像してみたのだろう。相手が真っ赤になった。あと一押しと思ってちとせがくるみを抱えて浮遊バスケットで相手の目線まで上がってから真摯に訴えかけた。
「この小さな手でよろしければ、背中を押して差し上げますから。あなた方のためにも、ね?」
 くすりと小さな笑いがもれた。確かにちとせの手は小さい。それでも真剣さは伝わってきた。1人がうなずくと、他の人間もどこかほっとしたような表情で口々に了承を伝えてきた。その和やかな雰囲気を破ったのはミナだった。
「恐怖に打ち勝つですって?そんなことが出来るのかしらね」
「ガウ先生」
 ちとせが眉をひそめる。ミナはどこか引きつった表情で一同を見回した。
「あれは原始的な感情だわ。あらがいがたいもの。それに勝とうなんて無駄な足掻きでしかないわね」
 そうだそうだとミナの後ろにいた生徒たちがはやし立てる。和みかけていた生徒の方が困ったように目配せしあった。
「いい加減にしてください!」
 再び高まった緊張に割って入ったのはミルル・エクステリアだった。ミルルはミナを臆せずにらみつけると、腰に手を当ててはっきり言い切った。
「できるかできないかなんて、やってみなきゃわからないじゃない。これで学園の風紀が正されるならいいことだわ。邪魔しないでよね」
「あなたはあの恐怖を知らないから言えるのよ」
「うーん、やっぱりガウ先生、オバサンになってきたから、若くてかわいらしい詩歩ちゃんに嫉妬しているのかなぁ」
「なんですって!?」
 声の主はテオドール・レンツだった。愛用のメモ用紙になにやら書き込んでから、ふと思い出したように言葉を発した。
「あ、でもそういえばね。ボクがまだ動けなくて、ママを見ているしかできなかった頃なんだけど、ママは月に一度、カリカリしているのが普通だったよ。おばあちゃんになった頃にはそういうのはなくなっていたんだけど。なんかね、ボクの親戚みたいな……ツキノワグマ?そんなののせいなんだって。そうそう、それでね、ガウ先生と同じくらいの年頃のときに、コーネンキショーカイとかいうのがやってきて、イライラがひどくなったの。ツキノワグマがやってきたりこなかったり、不規則だからなんだって。コーネンキショーカイっていうからには、貝の仲間なんだよね?それが苦しめているんだね。ね、みんな、だからその悪い貝から先生を守ってあげようよ。そうすれば、詩歩ちゃんだって先生のことを心配しているっんだってわかるよ」
「ツキノワグマ?コーネンキショーカイ?それってまさか……」
 意味のわかってしまったミルルが赤くなる。同じく意味を察したミナが地団駄踏みながら怒鳴り散らした。
「誰が更年期障害よ!失礼なクマね!」
「違うの?」
 テオドールはミナがなぜ怒るのかわからなくてきょとんとしている。生徒たちから笑いがこぼれた。ミナがますます赤くなった。
「どこからそんな話になったのよ、まったくもう!」
「え、だって、異変に月が関係してるって聞いたから。それで思い出したの」
「月違いでしょ。え、月?」
 ミナがはっとした顔になった。そしてぱっと向きを変えると図書館の方に向かって行った。笑っていた生徒たちは、その変化にあっけに取られて見送ってしまった。まだきょとんとしてメモ用紙を抱えているテオドールの頭を、ためいきつきつつミルルが撫でた。
「ボク、何か変なこと言った?」
「もういいよ……」
「なにがあったんだい。ガウ先生がすごい勢いで歩いて行ったけれど」
 途中ですれ違ったらしいアルトゥール・ロッシュが後ろを気にしながらやってきた。そして思い出し笑いをしている生徒を見つけると、にこにこしながら近づいてきた。
「ちょうどよかった。君たちに聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
「うん。今、探偵部のディスを手伝って事件の調査を行っているんだ。それで君たちに、事件にあったときの話を聞こうと思って。辛いかもしれないけれど、話してくれないかい。どうか事件の早期解明のため、捜査に協力してくれないだろうか」
 そういって手近にいた女生徒の手を取った。紳士的な微笑を浮かべてずいとせまる。女生徒が頬を赤らめた。テオドールのおかげで雰囲気が打ち解けていたせいもあって、ややして生徒たちがぽつりぽつりと話し始めた。
 それによってわかったのは、教室内の物品の移動などは詩歩の編入直後からあったということだった。ただ初めは誰もそれを詩歩と結び付けて考えてはいなかった。噂が立つようになったのは、詩歩と交流を深めようとした者が事故にあってからだった。誰かが物品移動事件の起きた場所が、詩歩と深い関わりのある場所だということに気付いて騒ぎ立てたのだ。言い出したのが誰だったのかは、もうはっきりしていない。ただ事件が続くのに比例して、噂はどんどん広まって行った。
「別に悪意があったわけではないんだ?」
「ないわ。むしろ仲良くなろうとしていたのよ。彼女、両親を亡くしたばかりだって言うじゃない。歳だって幼いし、あの風貌でしょ。同情したっておかしくないじゃない。慰めたかっただけなのに……」
「なのに事件が起きた」
「あの子、驚きもしなかったわ。平然としていた」
 それが余計に反感を買ったのだろう。ミルルが憤然として言った。
「小さい頃からあったっていうじゃない。諦めがあったのかも知れないよ」
「だとしても、もうちょっとこう、なんていうか……うまく言えないけど。傷ついた顔でも見せるならともかく。それに、なんて言うのかしら。なんだかすごく怖いものがいるって感じがしたの」
「怖いもの?姿は?」
「見えなかったわ。ただ感じただけ。でも絶対に気のせいじゃないわ!あなたたちも気をつけることね!」
「たいそうな怖がり方ですねぇ。いいですよぉ。関わりたくない人はどうぞお引き下がりください。その代わり、余計な口出しはなしにしてくださいねえ」
 いつの間に現れたのか、アクア・エクステリアが笑いながら立っていた。笑っていると言っても、目は笑っていない。一番前にいた生徒のあごを指で持ち上げると、アクアは駄目押しをした。
「詩歩さんには私たちがついていますからねえ。心配なさらなくてもけっこうなんですよぉ」
 それで余計に怖くなったのだろう。ミナに追従していた生徒たちがミナの行った方に向かう。ちとせに説得された生徒たちはしばらくぐずぐずしていた。ちとせがランチパーティーのことを口にすると、それは不承不承、承諾した。
「そのときは意地悪はなしにしてくださいませね」
「……努力する」
 その生徒たちも行ってしまった後に、授業に出ようと詩歩がやってきた。
「あ、詩歩ちゃん」
 テオドールはてててと駆け寄ると、おもむろに言った。
「あのね、貝がガウ先生を苦しめているの。だからそれから守ってあげればいいんだよ」
「……貝?」
 さすがに詩歩が怪訝そうな顔になった。
「なんかね、月も関係しているみたい。先生は月違いって言っていたけれど、どういうことなんだろう。詩歩ちゃん、わかる?」
 月と聞いて詩歩の顔にわずかに驚きが浮かんだ。そして空を見上げる。青空には白い月が浮かんでいた。詩歩はためらいがちに口を開いた。
「そういえば……お父様とお母様に言われたことがあるの。月明かりに当たっちゃいけないよ……って。どうしてなのかは教えてくれなかったけれど……まだ知らなくていいって、それだけ……もう聞けない……」
「そっかー。やっぱりツキノワグマは関係あるんだ」
 テオドールは1人納得したようにそのままいなくなった。
「ツキノワグマ……?」
「それはいいから」
 ミルルががっくり肩を落としながら詩歩を止めた。ちとせがくすくす笑いながら詩歩にランチパーティーのことを話した。詩歩が迷っていると、ミルルががしっと肩を掴んできた。
「これはいいチャンスよ。詩歩は全部1人で背負い込もうとしているけど、するべきなのは現状の維持じゃなくて変革だわ。それが必要なのよ」
「……」
 詩歩は答えあぐねているようだった。ミルルは言葉を重ねた。
「あたしもね、昔、なんとか1人でやろうとして失敗したことがあったの。そのとき助けになったのが、仲間だった。1人じゃないって、本当に心強いもんよ。それであたしはいい風に変わった。詩歩にもこうやって力になろうとしてくれる人たちがいるんだもん。きっといいように変われるよ。大丈夫!」
「そうですわ。私たち、もうお友達でしょう?」
「うん……わかった」
 詩歩がぽそっとつぶやくと、ミルルが晴れ晴れとした顔になった。
 実はアクアは、詩歩の周りを見張っていた。そしてミナや生徒たちが対立している場面に詩歩が向かっていることに気付いて先回りしたのだが、とりあえずそれは杞憂に終わったようだ。代わりにアルトゥールのおかげで得た情報もある。だから授業を放棄して学食へと向かった。そこでは夫のファリッド・エクステリアが待っていた。
「やっぱり、直接手出ししてないものの、なにかしらの要因はありそうですねえ」
「なにかがいる、か。いったいなんなんだ、それは。まだ情報が足りないな。よし、図書館に行こう」
 図書館に着くと、ファリッドはアクアに新聞記事を調べるように言った。
「彼女の両親は車の事故だったというが、なにか関係があるかもしれない。資料を調べてくれ」
「わかったですう」
 ファリッド自身は詩歩の両親が書いた論文や著作物を探していた。数はそう多くないものの、コンピューターで検索をかけるといくつかがヒットした。それらを集めてざっと目を通す。隣でコンピューターを操っていたアクアがため息をついた。
「うーん、ありふれた事故だったみたいですねえ。エンジントラブルとかみたいですよぉ。後部座席にいた詩歩さんだけが助かったみたいですね。続報は特になし。前後にも、学内で起きているような事件を匂わせるものはなし。新聞で得られるのはこの程度ですねえ」
「そうか……あまり有名な学者ではなかったみたいだな。研究内容も、超常現象下における心理状態についてのものがほとんどだ。ああ、待てよ。ちょっとは変わってきているのか」
 発表順に並べてみると、霊現象の研究から、異世界交流下での心理状況に研究テーマが変わっていることがわかった。だがそれは異世界交流が当たり前なアットでは、特に目新しいとはいえないテーマだった。
「変わったのは詩歩が生まれた後だな。なにか理由があるんだろうか」
「そうですねえ……」
「もう少し事件についてさぐるか。アクアは詩歩の見張りを継続してくれ。また事件が起きるかもしれないから」
「そういえば、今日、ランチパーティーをするとか言ってましたよぉ」
「なにか起きるかもしれないな」
 ファリッドが難しい顔をした。これまでの事件も、生徒たちが詩歩と交流を深めようとしたときに起きていたらしい。昼間とはいえ、そのランチパーティーで何かが起きる可能性はじゅうぶんにあった。

 ミズキ・シャモンは日本の有名武将を取り上げて、領国経営についてとくとくと語っていた。それを聞きながらホウユウ・シャモンは政志へのアプローチを考えていた。せっかく仲良しになったのだ、このさいもっと親交を深めようと思っていた。というか、話したいことがあったのだ。ホウユウは懐に忍ばせた愛娘の写真を思い浮かべて、つい上の空になってしまった。とたんにミズキの厳しい声が飛んできた。
「兄さん、なにぼうっとしているんです。授業中ですよ。子供が生まれたんですからね。これまで以上にしっかりしていただかないと」
「わかっているよ。ちゃんとノートも取っているだろう」
「むう、確かに。では、先ほどあげた2人の武将の違いを説明してください」
 びん底眼鏡を指で押し上げてホウユウのノートを確かめたミズキは、教壇に戻り質問を出した。立ち上がってそれに答えながら、ホウユウは政志をまたランチに誘うことを決めていた。上手くすれば詩歩も誘えるかもしれない。女の子が喜びそうな手荷物を思い浮かべて、再びにやけるホウユウだった。
 授業が終わるとすぐに政志を探す。渡り廊下で見つけて話していると、アリューシャ・カプラートがやってきてランチパーティーの件を切り出してきた。
「詩歩さんにはもう調理部で料理のお手伝いをしていただいているのですわ。政志さんもご一緒にいかがです」
「そりゃいいな。ちょうど食後のデザートを持ってきているんだ。政志、行こうぜ」
 ホウユウが手にした風呂敷包みを持ち上げて、政志の肩を叩く。政志も微笑を浮かべてうなずいた。
 中庭では即席のかまどを作って、ブロック肉をじゅうじゅうとジュディが焼いているところだった。詩歩はアメリアたちと一緒にパンを焼いていたらしい。あたりには焼きたてパンの香ばしい香りが漂っていた。詩歩が少々形がいびつなパンを手にとってしげしげとながめていた。どうやらそれは詩歩が焼いたものらしい。できばえを気にしているものと思って、アメリアが一生懸命ほめていた。
 肉の焼き加減を気にしつつ、ジュディが大きな瓶をぶんぶんと上下に振り回し始めた。中に入っているのは今朝、彼女自らが搾った新鮮な牛乳だ。ジュディの怪力に振り回されて、牛乳はたちまちのうちに水分と脂肪分に分離して行った。完全に分離してしまうと、水分は飲料用に別の瓶に移し変えて、脂肪の塊を取り出し器に盛った。
「ヘイ!アメリアサン、お塩、取ってクダサイ」
「はぁい」
 受け取った塩を適量混ぜ込み、柔らかく練りこむ。それを一さじすくうと、詩歩に向かって差し出した。詩歩が不思議そうにしていると、明るく「味見ネ!」と言う。つられて詩歩が出来たてバターを口に含んだ。まろやかな味が口中に広がって、詩歩が「おいしい」とつぶやいた。そんな詩歩を安心したように見ている政志のそばでは、ホウユウが持って来たというデザートを広げていた。子供が生まれたお祝いの紅白饅頭に、実家付近の名物のドラ焼きやら水羊羹やらがぱぱぱっと並べられる。その間もホウユウは、わざわざ休みを取って見てきたという娘の自慢話を続けていた。
「いや〜赤ん坊は妹たちで見慣れていたつもりだったんだけど、わが子となると一段と可愛く見えるものだな。妻に似ているかな?うちのは目元は俺に似ているって言うんだけどな。あ、写真あるんだけど見るか?リリアは本当に可愛いんだぞ〜」
 親ばか丸出しである。しかし幸せっぷりが微笑ましくて、政志はいちいち相槌を打って話に付き合っていた。
 肉が焼けると、さっそく豪快に切って、バターをたっぷり塗ったパンに野菜とともに挟み込んでジュディがみんなに手渡した。
「バーガーさん特製のバーガーです。たっぷりあるから、タクサン食べて」
 笑いがあふれる。事故にあった生徒たちが現れると、一瞬、緊張が走ったが、それもアメリアから話を聞いていたジュディの明るさに救われた。
 空は青く、食べ物のにおいに混じってどこからか花の香りも漂ってくる。がやがやと騒ぎながらのランチは楽しいものだった。
 ちゃっかりパーティーに参加してアメリアの隣を陣取っていたアルトゥールが詩歩に言う。
「今、情報収集中だからね。君が安心してみんなと仲良くできるように、ちゃんと原因を突き止めて、必ず事件を解明するよ!だから心配しないで。それでアメリアと仲良くしてくれたら嬉しいな」
「アメリアさんと……仲いいのね」
「え?あ、まあね。レンとみたいなわけには行かないけど」
 アルトゥールが照れながら話題を振る。パンにバターを塗っていたアメリアは、話を振られてにこっと笑った。
「叔母と甥?アメリアさんとレイシェンさんが?」
「そうなのぉ。私たちはともに異世界から留学してきたんだぁ。だから時空が違っちゃって、歳の近い関係になっちゃったのぉ」
「……姉と弟みたいなもの?」
 やはりさりげなくパーティーに参加していたレイシェン・イシアーファが、一緒に調理部で作ったと思しきスープを器によそいながら答えた。会話が続くことにアメリアはニコニコとしていた。面白くなさそうな顔をしているのはレイシェンの相棒の精霊ティエラだ。不機嫌を知ってか知らずか、レイシェンがよそったスープの器をティエラに差し出した。
「ティ、食べる?」
「レンの作ったものなら喜んで……って、なに詩歩にも同じものを渡しているのよーっ」
「……変?」
「変じゃ、ないけど。いやっ」
 ティエラににらまれて、詩歩が固まる。受け取ろうと差し出した手を引っ込めかけたが、レイシェンが無頓着に押し付けた。ティエラがきーっとうなっていると、アリューシャのペットの精霊シュシュが賛同してきた。
「気持ちわかるでしゅー!ボクもアリューシャしゃまに悪い虫がついたらいやでしゅ!絶対に反対でしゅーっ」
「そうよねー!」
 シュシュは天気がいいので、木の精霊らしくアリューシャの周りをうろちょろとしながら光合成していたのだが、レイシェンとティエラの会話がたまたま耳に入ったらしい。思わぬところで意気投合して腕など振り上げている。シュシュの視線は政志に向いていた。それに気付いてアリューシャが苦笑した。政志を誘ったのは変な意味ではなく、詩歩に気を使ったのと、知りたいことがあったためだ。変な誤解を誰からもされないために、用件はさっさと済ませてしまおうと、アリューシャは延々と続いているホウユウの話に耳を傾けている政志の元に行った。
「お話中すみません。政志さんに少し伺いたいことがあるのですけれど」
「僕にかい。なんだい」
 アリューシャは詩歩がジュディたちに囲まれていることを確認してから、聞こえないように小声で話し始めた。
「詩歩さんには、あなたやご両親以外に可愛がっていらした方はいらっしゃいませんの?」
「うーん、そうだなぁ。近い親戚はうちくらいだし、引越しが多かったから、近所づきあいもなかったはずだよ。学会での付き合いまではわからないけれど、僕の知る限りではいないな」
「そうですの。それでは政志さんの身の回りで、これまでに霊現象が起きたことはございません?」
「霊現象?今起きている事件のような、かい?それが、ないんだ。だから詩歩が、今のような立場になるなんて思っても見なくて……驚いているんだ」
 ついと政志が暗い顔をする。政志の生霊の仕業とも疑っていたアリューシャだったが、生来の優しさが頭をもたげて慰めの言葉を口にしようとする。その直後だった。ティエラがレイシェンに抱きついた。
「レン!来たわ!なにかいる!」
 あらかじめレイシェンに言い含められていた通り、空間の歪みに気を配っていたティエラがいち早く異変に気付く。穏やかな天気だったのに、突風が吹いてきた。パンをもしゃもしゃかじっていたちとせがコロコロと転がり、ホウユウが慌てて支える。どん!と何かにぶつかってこられたのはジュディだ。見えない力に押し倒されて、反射的に腕を体の前にやる。
「掴めマス!えいっ」
 見えざるそれを掴んで放り投げる。ひたひたと心が冷えて行った。突然のことにパニックを起こしているわけではない。意識ははっきりしていたが、出会ってはならないものと出会ってしまった恐怖感がみんなに押し寄せてきていた。アリューシャとアメリアが悲鳴を上げる。恐怖を押し殺して戦っているのはジュディとホウユウ、アルトゥールだ。どうやらやってきたものには口があるらしい。噛みつかれて腕や足から血が流れる。離れた場所で様子を伺っていたアルヴァート・シルバーフェーダが飛び込んできて剣で倒れているアリューシャの上をなぎ払った。確かに手ごたえがあった。
「実体があるのか?くそ、アリューシャに近づくな!」
「ア、アルバさん」
 震えながら抱き合う2人をかばうようにアルヴァートが剣を振り回す。政志は詩歩を抱きしめていた。詩歩はそっと政志を見上げて言った。
「政志兄様……感じない?暖かい何か……でも、どうしてみんなを……」
 暖かい雰囲気は政志も感じ取っていた。どうやら「それ」は詩歩や政志を害する気はないらしかった。この2人だけは恐怖を感じることもなかった。他の生徒たちがパニックを起こして逃げ出していく。詩歩はただ悲しげな目でそれをみていた。
 見えないものと戦うのはなかなかに辛い。ホウユウが心眼で気配を読んで、攻撃を予測していたが、相手の出方は変幻自在だった。たちまち怪我人が増えていく。と、突然あたりが霧に包まれだした。霧はどんどん濃くなってあたりを閉ざしていく。霧が揺れて影が形作られる。それを頼りに反撃に出ようとしたが、視界が完全に霧に覆われてしまうと、不意に攻撃が止んだ。
「いなくなった!?」
「そうみたいですわね……」
 まだそれでも油断なくアリューシャをかばいながらアルヴァートがあたりに気を配る。霧は次第に晴れてきて、その向こうにアクアが立っているのが見えた。どうやらこの霧はアクアの霧氷珠によって発生させられたものらしかった。
「確かになにかいたみたいですねえ」
「レンー、大丈夫!?」
「大丈夫……それより、詩歩……」
「こんなときに女の心配!?」
 ティエラが叫ぶ。ジュディが政志に抱きかかえられている詩歩のほうにやってきた。詩歩は流れ出る血をじっと見つめていた。
「怪我……」
「こんなの大したコトないネ!詩歩サンこそ大丈夫デシタか」
「……やっぱり」
「詩歩さん、待ってくださいませ。お願い、どうか逃げないで……」
 詩歩が政志の腕の中から抜け出すと駆け出そうとした。アリューシャが必死になってそれを引き止める。恐怖はまだ身の内にあったが、それ以上に、今、詩歩に逃げられてしまうことの方が怖かった。しかし詩歩は軽く眼を伏せるようにしながらきびすを返した。残された言葉がアリューシャたちの胸に突き刺さった。それは確かに「さようなら」と聞こえた。
「どぉして、どぉしてさよならなんて……」
 アメリアが泣き出してしまった。アルトゥールが肩を抱いて慰める。アルヴァートもアリューシャを支えていた。ジュディがきつく口をかむ。ホウユウがため息をついた。
「どぉしたらいいのかなぁ……」
「手を、離さないこと」
 珍しいことにはっきり言い切ったのはレイシェンだった。泣いていたアメリアが顔を上げる。レイシェンはその顔を見返しながら言った。
「こちらから……手を離さなければ……きっと」
「そう、だねぇ」
 ようやく落ち着いてアメリアがこくりとうなずく。ジュディが笑顔を取り戻してあたりを片付けだした。
「はっきりしているのは、詩歩サンは悪くナイというコトネ!このままサヨナラには絶対にしないネ」
 無事な食材をきちんとバスケットに詰めていきながら宣言する。アリューシャも笑顔になった。
「そうですわね。私たちさえしっかりしていれば、このままになったりしませんわよね」
 明るい笑顔に、アルヴァートをげしげし蹴っていたシュシュが喜んでばたんと倒れた。
 その頃、詩歩を追っていた政志は、渡り廊下で捕まえると、そっとその顔を覗き込んだ。意に反して詩歩は泣いてはいなかったが、代わりに決意のようなものが浮かんでいた。
「詩歩、このままわかれてしまっていいのかい」
「いいの……もう、いや。原因、やっぱり私みたいだし……だったら離れていたほうが、いい。それに、政志兄様はいてくれるでしょう」
「それはそうだけど」
 詩歩はついと窓から空を眺めた。天空には白い月がぽかりと浮かんでいた。
「あの月も……悪い事なのかしら……」
「え?月がどうしたって……詩歩?詩歩!?」
 急に詩歩がぐったりとなる。政志の腕の中で詩歩は気絶していた。
 食べ物をバスケットにつめ終えると、後片付けを任せてジュディは鈴のいる準備室に向かった。部屋に入ると背中を向けたまま鈴が言った。
「ずいぶんたいそうな騒ぎだったじゃないか」
「見ていたデスか。あんなのドウってコトないネ。本番はまだまだコレからデス」
「そうか。ところで見たところ、被害にあわなかったのは件の少女と、その従兄だけのようじゃないか。これは政志が怪しいな」
 ようやく振り返ると不穏なことを言う。バスケットからバーガーを取り出して机の上に並べていたジュディが、ぴくりと眉を動かして怒鳴った。
「ヘイ!何を根拠に、そんなコト言うデスか」
「現段階では無罪と断じる証拠はない」
「ソンなコトないネ!」
 すぱっと言い切った鈴の頭に、空のバスケットがずぼっとかぶせられた。力任せに口を封じると、ジュディはプリプリしながら部屋を出て行った。残された鈴は、頭からゆっくりバスケットを引き抜くと、シニカルな笑みを浮かべた。
「ふ、青いな……だが、うらやましくもあるか。……いや、それは俺らしくないな」
 そしてバーガーを片手に再び椅子にうずくまった。モニターには図書館の様子が映し出されていた。
 図書館ではミナが熱心になにかの文献を読んでいるところだった。やがて納得したのか、それを書棚に戻し出て行く。後からやってきたジニアス・ギルツが、その本を手に取った。
「著者は……毅・ラングリア。詩歩の父親だな。ガウ先生はなにを調べていたんだろう。超心理学関係はこのあたりに固まっていたはずだから、他にもあるといいんだが」
 きょろきょろと探していくつかの本を探し出す。ミナの研究論文も、専門誌の中から見つけ出した。得意分野ではないので、内容は少しわかりにくかったが、詩歩の両親が霊現象の肯定派、ミナが否定派であることはわかった。どうやら時期的に、学会でぶつかり合ったこともあるらしい。自分ひとりではそれ以上のことはわからなかったので、ジニアスは教員室に行って心理学専攻の教師をつかまえ話を聞くことにした。初老の教師は、穏やかな目をしながらジニアスの質問に答えてくれた。
「ああ、確かにそんなことがあったはずだよ。もっとも、それは大分若い頃の話でね。のちにラングリア夫妻は研究テーマを変えてしまったから、それ以上の接点はなかったはずだ。ガウ先生?もちろん今でも否定派だよ。授業でもそのように教えているようだね」
「わかりました、ありがとうございます」
 教員室を後にすると、ジニアスはミナの準備室に向かって行った。ミナはぼんやりと窓辺に座って空を眺めていた。
「ガウ先生、ちょっといいですか」
「なに?授業でわからないことでもあった?」
 さっそく疑念をぶつけてみる。ミナは面白くなさそうに鼻を鳴らしただけだった。
  「学会でやりあったことなら確かにあったわよ。異世界の存在は私だって認めているけれど、霊魂は別でしょ。生きている人間が思念波を飛ばすことはわかっているけれど、それは生きていればだわ。死んでしまったら思念波のエネルギー供給源もなくなる。つまり存在することは出来なくなる。その辺でちょっとね、ぶつかりあったけれど……でも、だからと言って嫌ったりはしなかったわ。学会で意見が対立するなんて当たり前のことだもの。ライバル意識こそあれ、嫌うまでには至らなかった。だいいち、向こうはいつの間にか研究テーマを変えてしまったんだもの。その後はほとんど接点がなくなってしまったの。だからあの夫婦が亡くなって、その娘が編入してきたときは驚いたわね」
「嫌ってはいなかった?本当ですか」
「しつこいわね。それほど深い関わりじゃなかったってことよ。気にしてなかったわけじゃないけど、私も教師になって学会とはちょっと縁遠くなっていたしね。娘の方は、最初は同情していたのだけど。少しとはいえ関わった同業者の忘れ形見だったから。専門は少し異なるけれど、やはり心理学関係に進んでいたし」
「同情……」
「なによ。私がしちゃおかしい?」
「いえ、そんなことは。そういえば、ラングリア夫妻の研究テーマが変わったって言ってましたね。どんな風になんですか」
 ミナが読んでいた文献を思い出しながらジニアスが問う。ミナは少し考えて思い出しているようだった。
「霊現象から、異世界交流での心理状態の変化についてだったかしら。異世界交流そのものについても調べているようだったわね」
「そうですか。ありがとうございます」
 どうやらミナも初めから詩歩を敵視していたわけではないらしい。むしろ親身になっていたのだろう。生徒たち同様。過去の研究に接点があって、それがミナを幾度も事件に遭遇させていたのだと考えていたのだが、それもどうやら違うらしい。そこへ中庭の騒動を知らせに走ってきた生徒がいた。聞くなりミナが部屋を飛び出していく。残されたジニアスは、1人頭をひねっていた。
 保健室では、気絶した詩歩が運び込まれていた。怪我の手当てをしようとやってきたアメリアたちが、心配そうに見守っている。枕元に 座り込んでいたちとせが、そっと額に小さな手を当てた。詩歩の顔色は蒼白だった。何も感じないようでいて、やはり心労はたまっていたのだろう。ちとせは手を放すと小さくため息をついた。
 そこへ生徒を従えたミナがやってきた。入ってくるなり、やいのやいのと騒ぎ立てる。ちとせの顔が険しくなった。
「静かにしてください、先生。詩歩さんが目を覚ましてしまいますわ」
「おおかた、なんかの力を使って倒れたんじゃないの。目を覚ましなさい!もう言い訳なんて通用しないわよ」
「う、うん」
 さすがの詩歩もうなって目を覚ます。状況がわからず、起き上がってきょとんとしている詩歩の肩にちとせが乗る。そしてぎっとミナをにらみつけた。政志がそっと背中を支えた。
 ミナやついてきた生徒たちが相変わらず騒ぎ続けている。アルトゥールたちがかばうように前に立って反論している。保健室が大騒動の渦に巻き込まれたときだった。冷ややかな声が騒ぎを鎮めた。
「なんの騒ぎですの。ここは保健室ですわよ。他の生徒の邪魔になるではありませんか。静かになさい」
 入口に立っていたのは黒一色にふりふりフリル満載のドレスに身を包んだテネシー・ドーラーだった。腕には風紀委員の腕章、手には竹刀を持っている。騒いでいた生徒の1人が顔色を変えた。
「げっ。鬼のゴスロリ風紀委員だ」
「あら、私のことをご存知のようですわね。でしたら話は早いですわ。双方の言い分は私が聞きましょう。さあ話してくださいませ」
 無表情さは詩歩と並んでいたが、かもし出す迫力が違う。生徒がぼそぼそと中庭の1件を話した。テネシーは顔色も変えずにただ一言告げた。
「で、証拠はあるのでしょうね」
「証拠って……言われてもなぁ」
「確たる証拠もなしにこの騒ぎですか?あんがい、詩歩様の能力をねたんだものの仕業かもしれませんことよ。学園から追い出そうとしてこのような騒ぎを起こしているのかもしれませんわね。現実にこうやってあなた方が騒いでいるのですから」
「関係ないとは言えないじゃない」
「ですから。それならば証拠を出してくださいと申し上げてるのです。証拠もなしにこのような騒ぎを起こしているのであれば、風紀委員としてなんらかの処罰を与えなくてはならなくなりますわよ」
 びしっと竹刀を突きつける。生徒が黙るとミナが前に出てきた。それにも冷たい視線が投げかけられた。
「ガウ先生も、教師という立場にありながらこのようなことに加担なさるなんて。これではいじめと同じですわ。きちんと事実を調べてから発言なさってください。調査ならば宿直のときにでも出来ますでしょう」
 ミナがぐっと言葉に詰まった。アメリアとレイシェンが手を叩いた。とたんにちろりと視線が移った。
「とはいえ、確かに詩歩様がこれまでの事件の要注意人物であることに変わりはないようですわね。少なくとも、生徒間の騒ぎについては責任があると言ってもよいでしょう。今後もこのような騒ぎが続くようならば、詩歩様にも相応の処罰を受けていただかなくてはなりませんわね。もちろんまわりのあなた方にも」
「そんなの言いがかりだよぉ。なんで詩歩や私たちが処罰されなきゃならないのぉ。騒いでくるのは向こうなのにぃ」
「反論があれば聞きましょう。でもそうですわね。ここでは他の生徒に迷惑がかかります。お話は別室で伺いますわ。詩歩様、起きられまして?」
「大丈夫……」
「無理なさらないで」
 ちとせが止めようとしたが、詩歩はゆっくりベッドから降り立った。政志が付き添いながらぞろぞろとテネシーについていく。使われてない教室に来ると、テネシーはぴらりと紙切れを取り出した。
「先ほどは失礼いたしました。これはお詫びですわ」
「お詫び?」
「喧嘩両成敗ということですわ。風紀委員としては中立を守るのは義務です。ですから両方に処罰を与えると言ったのですわ。中立を守るためには仕方のなかったこと。しばらく我慢してくださいませね」
 そして紙切れを詩歩に渡す際に、耳元でそっとささやいた。
「1人でいるときになにかありましたら、これで呼んでくださいませ。すぐに駆けつけますわ」
 手の中に紙と一緒に押し付けられたのは意志の実だった。詩歩が驚いてテネシーを見返したが、テネシーの目にはなんの感情も浮かんでいなかった。
 テネシーはそのまま部屋を立ち去ろうとした。そして入口で振り向きざま言った。
「詩歩様にお渡ししたのは森林公園のチケットですわ。皆様の分もございますから、ご一緒に行かれてはいかがですか。詩歩様、ああいった場所がお好きなのでしょう」
「気前のいいことだな」
「いただきものですからお気になさらずにどうぞ。そうそう、詩歩様」
「え?」
「そんな無感情な顔でいるより、笑顔の方があなたらしく似合っていましてよ。ですからなるべく笑顔でいらしてくださいませ」
 そういう自分は無表情のままテネシーは出て行った。詩歩は渡されたチケットと意志の実を手にしながら、うつむいてしまった。
「……うん。これから行こう」
 うながしたのはレイシェンだ。ちとせも詩歩の頭に抱きついて言った。
「そうですね。お天気もいいことですし、どうせならこれから行っちゃいましょう」
「……でも」
 逡巡している詩歩を抱えあげたのは、駆けつけたジュディだ。
「さっきのコトなんかノープロブレム!詩歩サン、行きましょう」
 そして有無を言わさず公園に向かって出発して行った。

 図書館では他にも調べものをしている人間がいた。リオル・イグリードは異世界交流についての文献をたくさんまわりに積み上げて、一つ一つを丹念に読み漁っていた。その量にミルルが感心したような顔を見せた。
「これ全部読んでいたの?すごいなー。あたしには出来ないわ」
「慣れの問題だよ」
「で、何かわかった?」
 リオルは開いていた本のページを繰ると、一箇所をとんとんと指で叩いた。読む気のないミルルが説明を求めた。
「引力ってわかるかい」
「物質が引き合う力だったっけ?それがどうかしたの」
「一番大きな引力は、月らしいんだけど、その引力によって異世界との通路が開くって説があるんだ」
「へえ」
「しかもその説を唱えているのがラングリア夫妻なんだ」
「え!?」
 さすがにミルルが驚いて身を乗り出してきた。リオルは本をぱたりと閉じて表紙を見せた。そこには確かに詩歩の両親の名前が書かれていた。リオルは別の本を手にとってぱらぱらめくりながら自説を語りだした。
「娘のことには触れられていないけれどね、もしかしたら彼女はサモナーかもしれない。今回の事件は、彼女の無意識が呼び出した魔物の仕業と考えられるんじゃないかな。だから召還者への愛着があり、彼女に関係した人物や場所への被害がある」
「無意識なら、詩歩にわからなくても仕方ないわね」
「謎の人物霊も彼女に召還されたと考えることも出来るな。事件は詩歩の意志によるものではなく、その人物霊によるものかもしれない。ただ、彼女を傷つけようとしてではなく、守ろうとしてだろうけどね。結果としては悪い方に向かっているけど」
 ミルルが本を覗き込んだ。読むためではなかったが、リオルのしていることに少しでも近づこうとしての行動だった。近い距離にどぎまぎしてしまったのはリオルの方だった。
「どうしたらいいんだろ」
「解決方法としては、彼女に自分の力を自覚させ、コントロールできるようにすることだな。コントロールさえ出来れば、やたらと魔物が暴れることもなくなるだろう。問題はそれをどうやってやるかだが」
 赤くなりそうな顔を隠すように本に視線を落とす。ミルルは気付かずに今度は腕を組んだ。
「みんなの協力が必要だな。それとその筋の専門家」
 2人の頭をミナの姿がよぎった。ミルルが嫌そうに額に手を当てた。
「うー、でもガウ先生には頼みたくないなぁ」
「けれど、異変に何度もあっている先生だから、むしろ適任かもしれないよ。ま、引き受けてくれるかは謎だけど」
「詩歩の味方も嫌がりそう」
「そこは説得するしかないだろう」
「わかっているわよっ。いいわ、みんなにはあたしが話をする。で、その……」
 言いかけて口をにごらす。リオルがくすっと笑った。
「ガウ先生のほうは僕が引き受けるよ」
「お願い」
 ミルルが照れ笑いをした。

 探偵部のディスの元には続々と情報が集まっていた。リオルたちの論理もそのうちの1つとして寄せられていた。部室ではディスと顔をつき合わせるようにしながら、ルシエラ・アクティアがお菓子を食べていた。レイミーが「部のなのに」とぶつくさ文句を言っている。ルシエラはクッキーをつまんだ手を振りながらそれを軽くいなした。
「天気図はそろったの?」
「ここに。先生の言ったとおり、事件のあったときと天気は関係してるみたいですねえ。必ず晴れている。そして新月のときは事件は起きていない」
「大きさは?」
「それはあまり関係ないようですよ。新月以外だったら、関係なく起きているみたいです。リオル君によれば、月の引力が関係しているんじゃないかということですから、見える大きさは関係ないんでしょうね」
「そう。そういえば、昼間でも大きな事件があったみたいね。あの時は真昼の月が出ていた。やっぱり月は関係あるのね」
「月というか、月光かもしれませんよ。曇りや雨のときは事件は起きていないんですから。月光が異世界通路を開くのかも」
「そうね。予報ではしばらくはあまりいい天気じゃないようだし、静かかしら。この天気、いつまで続くのかしらね」
「それも調べておきました。超能力研究グループの仲間に予知能力者がいるので。ちょうど満月のあたりに天候は回復するらしいです」
「そう。じゃ、それにあわせてまたガウ先生を宿直に回してもらいましょう。ふふ、そういえば前回の時、面白いことを言っていたわね。なにかあの人の弱みを握っているの」
 わかれば利用しない手はない。しかしディスは含み笑いをしただけだった。
「手の内を明かす莫迦はいませんよ。秘密は知るものが少なければ少ない方がいい。教えるわけには行きませんね。なに、先生の演技力があればガウ先生を丸め込むくらいたやすいでしょう」
「言ってくれるじゃない。わかったわよ。任せておきなさい。当日は私も同行するつもりだし、1人じゃないとわかればガウ先生も安心するでしょうからね。あの人がいれば事件が起きる確率は高くなる。何か起きたら意志の実で連絡するから、対処をよろしく」
「了解です。そうそう、その後、人物霊の動きはどうですか」
 ルシエラは相変わらずゴーストのレイスを詩歩の身辺に張り付けていた。話してはいなかったが、お見通しということだろう。驚きもせず、ルシエラはまた1枚クッキーをつまみながら答えた。
「満月が近いからかしらねえ。気配は相変わらずしているわよ。動きがないから、詩歩は気付いていないみたいだけど。悪意は感じないから、詩歩にとっては悪いものではなさそうね」
「やはり彼女の死んだ両親の霊かな。今度、コンタクトが取れるようなら取ってください」
「言われなくてもわかっているわよ。さて、それならガウ先生のところに行ってこようかしら」
「結果を期待しています」
 ディスに見送られて出て行ったルシエラは、教員室でミナをつかまえると、あれやこれや言いくるめてガウに宿直を引き受けさせることに成功した。通常は1人で行うのだが、ルシエラが一緒だと言ったことも大きかったかもしれない。味方する振りで、怖がって見せたのがガウの負けん気に火をつけたとも言える。ともあれ、その日を待つことになった。
 夜中の警備要員にもそのことは伝え、当日に備えさせた。ただ、人物霊とコンタクトを取ろうというものは例外だった。ミズキは寮の見回りと言って詩歩の部屋を訪れていた。基礎過程なので当然、詩歩も2人部屋のはずだった。だが前の同室者は事件の被害者で、事件以来、詩歩を怖がって部屋を替わってもらっていたので、今は2人部屋を1人で使っている状態だった。しとしとと雨の降る晩、灯りを持って詩歩の部屋に来たミズキは、詩歩が眠っているのを確認してから、起こさないよう気遣いながらさっそく呪符を取り出した。床に印を記し、呪符を置く。すぐさま霊体が見えてきた。それは2人いた。男女のようだ。パワーが弱いらしく、霊力の高いミズキですらその姿ははっきりとは見えない。それでもかすかにその意思が伝わってきた。
「あなた方は……詩歩の両親ですね」
 確信を持って言うと、わずかにうなずいた気配が感じられた。それから事件についてあれこれ質問して見たが、向こうもなにやら混乱しているのか、伝わってくるのは詩歩を守って欲しいという感情ばかりだった。ともに事故にあって自分たちだけが死んでしまったから、娘を思う気持ちばかりが強く残ってしまったのだろうか。まずはこの混乱を静めないことには、話にならないようだった。
「むう、しかしうっかり浄化させてしまってもいけませんし。どうやら大分力の弱い幽体のようですから、パワーを与えるところから始めなくてはなりませんか。その際、暴走してしまわないようにしないと。え?なに?力を貸してくれる?そうですか。では協力していただきましょう」
 そばについていたレイスと会話すると、詩歩には見つからないように部屋の四隅に呪符を貼り付けていく。これで消滅は免れるはずだ。レイスが自分のパワーを両親の霊に与える。とたんにミズキの視界にはっきりとその姿が映し出された。2人はミズキを無視して、眠っている詩歩をじっと覗き込んでいた。そこからは娘を案じる気持ちがひしひしと伝わってきた。ミズキが呪符を手に近寄っていく。呪符にふっと息を吹きかけると、呪符は霊体に吸い込まれていった。それでようやくミズキの存在に気づいたのだろう。2人が振り返った。今度はだいぶん落ち着いているらしい。再び質問を繰り返すと、リオルの推測を裏付ける証言が得られた。
「なるほど。彼女は召還者だったのですね。それもかなり強大な。それゆえ不安定であるのと、月の魔力に左右される要素を持っているというわけですか。彼女自身の心に召還された異世界の住人は反応するのですか?少し違う?自分たちの世界に連れて行こうとしている!?本当ですか」
 だから詩歩が心を開きかけると、攻撃してきたのだ。詩歩があちら側に行きやすくなるように。ただ、家族である両親や血の近い政志までは攻撃できなかったのだ。素質が近いということらしい。ミズキは得た情報に考え込んでしまった。
「ガウ先生を近づけさせなかったのは?」
 初めはやはり同情心で近づいたからだったらしい。その後は、どうやらミナの好奇心が影響しているらしかった。怖がりながらも、本音では超常現象に深い興味を抱いていた。それが彼らにとっては煙たい存在として映ったのだ。さらにはミナには異物を排除する力があることがわかった。だから警告しようにも、霊力の劣る詩歩の両親は近づけなかったし、異世界からの来訪者は反発しあったのだ。
 まだ幼い詩歩に、自分の能力のことを教えるのを両親はためらっていた。しかし娘の聡さに、気付かれるのは時間の問題と思い、教えようとした矢先に事故にあってしまった。守らなくてはという強い感情だけがそのとき残った。それが両親の霊をこの世に引き止めていたといえるだろう。
「詩歩が自分を守れるようになれば、あなた方は安心できるのですね」
 ミズキの問いに2人は幾度もうなずいた。
 そして満月の夜。予知どおり天候は回復し、月が美しく輝いていた。人物霊を求めて校内の見回りをしているのはアルヴァートとアリューシャだった。霊をなだめるための癒しの歌をアリューシャに歌ってもらい、アルヴァートはその伴奏をしている。しかし両親の霊がいるのは校舎ではなく、詩歩の側であったため(というより、そこから離れられない状態だった)、その見回りは徒労でしかなかった。
「では、見回りは順番に」
 宿直室ではルシエラがしれっとミナに告げていた。アンナ・ラクシミリアがちょこんとそこに居座っていた。ミナと一緒に見回りをするというのだ。理由がらしい。超常現象が起きたら、備品が散乱してしまう。それを掃除せずにはいられないからだというのだ。
「ガウ先生は異変に会い易いみたいですしね。起きたらそれを引き起こしているものに注意しなくては。物は大切にしましょうって。ねえ、ガウ先生」
「え、ええ。そうね」
 どこかピントのずれた意見にミナがあきれたように同意する。しかし1人ではないというのは心強い話だったので、アンナにはそばにいてもらいたかった。そわそわしているミナに、ルシエラが不思議そうに問いかけた。
「事件はラングリアさんのせいだと分かっているのでしょう。なんでそんなに怖がっているんです」
「なんでって……言葉では説明できないわ」
 原因はレイスからの報告で知っていたルシエラだったが、あえてそれは伝えないでいた。ミナにもリオルから要請が行っているはずだったからだ。ミナの返事は保留にされていることもわかっていた。それが恐怖によるものだということも予測がついていた。これは本人が乗り越えなくてはどうにもならない話だ。
「ではお先に」
 すたすたと宿直室を出て行く。途中であったアルヴァートたちを帰らせると、あとは何事もなく戻ってくる。数時間が経って、ミナの番になり、ミナとアンナが出て行くと、ルシエラも宿直室を出て待機していたディスと合流した。
「何組か、警備にでていますよ」
「あら、そう」
 そのうちの1人、猫間隆紋は、せっせとテオドールの腹に呪文を刺繍していた。本当は墨で書きたかったのだが、洗濯がたいへんだからと拒否されたのだ。
『それにしても、詩歩殿を巡る怪異を怖がる連中は、どうして命なきぬいぐるみが動くという怪異に怖がらないのだ?』
 じっと横たわっているテオドールはどこからどうみてもただのぬいぐるみだ。それが喋って動くというのは確かに怪異としか言いようがないだろう。しかし生徒たちは受け入れてしまっていた。そのほうがよほど不思議な隆紋だった。
『まあ、こうして役に立つ男……かおなごかよぉわからんが、なのは確かだからかまわないが。こやつならば取り付かれて暴れても、周りに大した被害は出さないだろうし』
「よし、終わった」
「これでどうなるの?」
 しげしげと腹に描かれた文様をながめながらテオドールが問う。隆紋は裁縫道具を片しながら答えた。
「現れるのが何かはわからないが、この呪文で貴殿の体に取り付いてくれるはずだ。そうすれば話も出来るであろう。呪はあとで糸を切ってやるから安心したまえ」
「うん、お願いね。そろそろガウ先生来るかなぁ」
「おお、そんな時間か。では待ち受けるとしよう」
 一緒にいるのはシエラ・シルバーテイルだ。シエラはすくっと立ち上がると、胸をそらしながら月をにらみつけた。
「初めに言っておくけど、霊なんかいないわよ!」
「でも何かはいるんだよな?それが事件を引き起こしているんだろう」
「そんなの全部プラズマで説明がつくわよっ。とにかく、いないったらいないのっ」
 見ると毛並みが微妙に逆立っている。どうやら本気で怖いらしい。ならばなぜわざわざ夜中の校舎の見回りになど買って出たのだろうと隆紋が疑念を口にすると、シエラは噛みつかんばかりの勢いで怒鳴り散らした。
「その何かは、この世界と別の世界の狭間にたまたまいる人!話し合えば説得できるでしょ」
「だからそれがいわゆる幽……」
「わーっ、その先は言うの禁止っ。ええい、出現ポイントはわかっているんでしょ。さくさく行くわよ。変に寄り道したら、無駄に怖い……あわわ、じゃなくて時間を無駄にするだけでしょ。で、どこなの!?」
「あー、多分、図書館だな。このところ、調べものをする連中が多かったから。ガウ先生もやっていたらしいし。それにあそこの窓からは月が良く見える」
「よし、じゃあ出発ー!って、なに!?なにが私の後ろにいるの!?」
「ボクたち以外に誰もいないよお」
「なに言ってるのよ、白いものがふわふわしているじゃない!さては猫間先生のいたずらねっ。わたしを怖がらせようたってそうは行かなーい。ほら捕まえたっ。こうしてやるわ。わぉぉん!?」
 がぶっとそれに噛みつく。とたんに激痛に見舞われて、シエラは飛び上がった。隆紋が思わず目を覆った。
「シエラ殿、それご自身の尻尾……」
「だ、だから霊なんていないって言ったでしょ〜痛いよう、しくしく」
「大丈夫?裂けちゃったんなら縫う?」
「裁縫道具なんかで縫わないでちょうだいっ。余計痛いでしょ!」
 しおしおと尻尾がたれたので視界から白いものが消える。シエラは涙ぐみながら隆紋たちについて行った。
 また別の場所では、ライン・ベクトラが執事アンドロイド・セバスちゃんを従えて歩いていた。約束を取り付けて、政志とトリスティアも一緒だ。取り引き条件としてトリスティアに衣装を押し付けられていたので、今のラインは体の線がぴっちりでる漆黒のドレスに黒いマントを羽織っていた。胸元が開きすぎている気がして、政志の視線が気になる。蛍光塗料で骸骨の絵がかかれた全身タイツに身を包んだトリスティアが、ラインの肩をぽんと叩いた。
「うーん、やっぱり似合うね。悪の女幹部」
「ほめてませんわ」
 声がいささか震えていたが、ラインは毅然とした表情を崩さないようにしていた。トリスティアはあははと笑ってから政志のほうを見た。
「ねえ。事件って詩歩と縁の深い場所でよく起きるんでしょ。心当たりない?」
 政志はラインのおびえを見て見ぬふりをして、聞かれた質問を考えていた。
「やっぱり図書館かな。進級試験のため、いろいろレポートを出さなきゃいけないらしくてね。最近よく利用しているはずだよ。それにあそこには叔父さんたちの著作物もあったりするから、たまに読んだりしているみたいだ」
「図書館ね。じゃあ巡廻がてら行ってみようか。ラインも早くー!」
「わかってますわっ」
 ラインはつんとすまして政志と並んで歩き出した。夜だから校舎内は当然暗い。非常灯の明かりが頼りだ。はしゃいでいたトリスティアは、サイ・フォースで怪異を引き起こしているのが生命体、あるいは元生命体(つまり霊)であるか探索していたので、しばらく静かだった。こつこつと足音だけが響き渡る。恐怖がこみ上げるのをこらえようと、ラインは早口で政志に話しかけた。
「そういえば、詩歩さんにはずいぶんたくさんのお友達ができたようですわね」
「ああ。うん、ありがたい話だな。この間もみんなで森林公園に遊びに行って来たらしいよ。詩歩も楽しそうだった」
「それはよろしかったですわね。詩歩さん、自然の中がお好きだっておっしゃってましたものね。政志さんも一安心でしょう」
「そうだね」
「政志さんはどういうところがお好きなんですの?」
「僕かい?そうだなぁ。やっぱり自然の中が好きかな。その辺、詩歩と僕はよく似ているみたいなんだ」
「本当に、ご兄妹のようですわね……」
 ラインがしみじみという。図書館は広いだけあって、なおいっそう暗かった。本棚の陰から何かが飛び出してきそうで、ラインは内心びくびくしながら歩を進めていた。かつんとハイヒールの音が響く。突然、暗がりからほの白く光る骸骨が飛び出してきてラインに抱きついてきた。
「きゃーっ!」
 反射的に悲鳴を上げて隣にいた政志に抱きついてしまう。政志がくすくす笑いながらラインの肩をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だよ、トリスティアがいたずらしたんだ。仲間を驚かしちゃだめじゃないか」
「えへへー。ラインだったら驚いてくれると思って。せっかくこういうの着てきたんだもん。活用しなくちゃ。良かったね」
「なにがですのっ。あ、政志さん、ごめんなさい」
 思わず抱きついてしまったことに気付いて、ラインが政志から慌てて離れる。トリスティアは光る骸骨の体でひらひらと踊っていた。まだどきどきしている心臓を押さえて、ラインはちらっと政志を見た。視線に気がついて政志が優しい笑顔を向けてくる。とっさにつんとそっぽを向きながら、ラインは自分の心に疑念を抱いていた。
『叩かなかったなんて……わたくし、もしかして政志さんに好意を抱いているのかしら』
 政志の方はすましたもんだ。その反応がなぜか悔しく感じられて、ますます自分に疑問を抱くラインだった。
 驚きがひとまず覚めると、疑念を無理やり押し込めて、ラインは政志に問いかけた。
「どうやら事件には月の光が関係しているようですけれど、月光と魔力との関わりについて、物理学的にどうお考えですの」
「物理学的に言えば、月光というより、月の引力の方が関係ありそうだな。魔法物理学では月光も関係あるらしいけれど。昔は魔術は夜行ったそうだし。迷信かもしれないけれど、まったく無関係とも思えないな。伝承は真実が含まれているからこそ伝えられているのだから」
「そうですの……今晩も、月がきれいですわね」
 窓の外は満月光で明るいくらいだった。室内にも差し込んで、ちらちらと影を躍らせている。楽しげに踊っていたトリスティアが急に立ち止まって声を発した。
「誰!?」
「誰じゃないわよ。あなたたちこそこんな時間になにをしているの」
 トリスティアの探索に引っかかったのは見回りに来たミナとアンナだった。怪現象を期待していたトリスティアががっかりする。人数が増えたことでほっとしたのはラインだ。すっと前に出て説明を始めた。
「わたくしたちも事件の調査を行っているのですわ。政志さんに聞きましたところ、この図書館で異変が起こる確率が高いと言う事でしたので、調べていたところですわ。ちょうど月も良い加減ですし」
「月……」
 嫌そうにミナが外を見る。つられて外を見たラインの視界を、何かが横切って行った。
「え?」
「出た!生命反応あり。霊じゃないね。生きているものだよ。わぁ、気をつけて!本が!」
 書棚から本が次々と飛び出してミナたちに襲い掛かってきた。ラインが影に向かって一喝した。
「いい加減にしなさい!なにか言いたいのならわたくしの体を使いなさい!」
「あー、それならこのクマに任せよう」
 のんびりした声をかけたのは隆紋だった。足元をテオドールがすり抜けていく。シエラはトリスティアに向かって問いただしていた。
「生命反応があるって本当なの!?」
「間違いないよ」
 飛んでくる本を蹴り落としながらトリスティアが答える。アンナはさっそく散らばった本を拾い集めだした。
「まったくもう!本なんか飛ばしたらほこりが立つじゃありませんか。本だって傷んでしまいますし。机などより弱いんですから。ああ、ほら破れている」
「そういう問題!?ええい、ほら、えーあなたは完全に包囲されている。大人しくしなさいーっ」
 シエラが書棚の方に向かって叫ぶ。本がぶち当たっても痛くないテオドールは、トリスティアの指示に従って「それ」がいる方向に進んで行った。縫い付けられた呪文がぽうっと光る。空中を舞っていた本がばさばさっと落ちた。そして代わりにテオドールの体が空中に浮かんだ。ミナが腰を抜かしてあえいだ。
「クマが浮いている……」
「よし、成功だな。話は出来るか」
 隆紋が浮いているテオドールに話しかけると、テオドールの目がぴかっと光った。「怖くない、怖くない。あれは生きているもの」とつぶやきながらシエラが身を乗り出す。ぱたぱたと本を片付けていたアンナは、手を休めないままテオドール(の中にいいるもの)に向かって説教を食らわした。
「いいですか。備品というのは大切に扱わなくてはならないんですよ。どうやらガウ先生に恨みを持っているようですけれど、だからと言って散らかしていいということにはなりません。お分かりですか!」
「……詩歩……仲間……にする……その女……邪魔……」
 テオドールの口から、テオドールとは違う声が聞こえた。政志が顔色を変えた。
「詩歩を仲間にするだって。冗談じゃない」
「お前も……近い存在……だから……守る……友達……」
「友達だったら迷惑かけないようにしなさーい!」
 ぶちきれたアンナがモップを構えて怒鳴る。シエラもぐるるるとうなっていた。テオドール(の中にいるもの)がぐるぐると旋回しだした。ついでに発光している。その様子を、入り口の影からルシエラとディスが伺っていた。
「出て行かなくていいんですか?」
「幽霊じゃないならレイスの仲間を使っても仕方ないし。クマのぬいぐるみが暴れたところで、大した被害はでないでしょ」
「そう言えば、彼女の両親だとか言う霊はどうしてますか」
「詩歩のそばを離れられないみたいね。異変が起きているのはわかっているようだけど」
「うーん、あれを説得できたらいいんだけどなぁ」
 室内では光るぬいぐるみがいっそう激しい動きを見せていた。あたっても怪我しないとわかっていても、つい逃げてしまう。骸骨トリスティアも踊っているように見えた。アンナがタイミングを計ってモップを振り下ろす。ばしっと当たってテオドールが落下した。
「おい、テオドール殿……?」
 落下したまま動かなくなったテオドールに隆紋が呼びかける。しばらくしてテオドールがむっくり起き上がった。ミナがひっと悲鳴を上げる。テオドールはいつもの調子でミナをじーっと見つめた。
「あ、呪文が千切れている。だから憑依したものが離れたのか」
「なにが起きたの?ガウ先生はどうしてあんな目でボクを見ているの?」
 どうやら憑依されていた間の記憶はテオドールには残っていないらしい。テオドールの腹を調べていた隆紋がやれやれと立ち上がった。
「憑依作戦は成功だったみたいだ。どうやら奴らは詩歩殿を仲間にしたがっているらしい。そのためにガウ先生が邪魔だとか言っていたな。先生、心当たりは?」
「あるわけないじゃない!怪奇現象なんて気のせいなんだから。でなきゃ無意識の超能力なのよ」
「異世界の存在までは否定しないんでしょう」
「う、それは……」
 このSアカデミアで教師をやっている以上、それまで否定はできない。ミナは黙り込んでしまった。ラインをかばっていた政志は、混乱した頭を整理しようとため息をついた。
「詩歩を連れて行こうとしているのか……」
「友達と言っていましたわ。案外、政志さんのことも狙っているかもしれませんわよ」
 ラインが憤然として言った。なぜだかそのほうが腹立たしかった。ミナはようやく立ち上がると、暗い笑いをもらした。
「連れて行きたいなら連れて行ってしまえばいいのよ。そうすれば平和が戻ってくるんじゃなくて」
「しかし、そのためには先生が邪魔だと言ってましたよ。ということは……」
 ミナがさーっと青ざめた。下手したら殺されるかもしれない。その可能性があることに気づいたのだ。
「詩歩嬢が自分の身を守れるようになれば怪異は収まるそうですよ」
 すたすたと現れたディスがミナに告げた。ミナが反応するより早く、政志がディスに言った。
「それは本当なのかい」
「彼女の両親の霊が、彼女のそばにいましてね。教えてくれたんです」
「霊っていうの禁止ーっ」
 シエラがぴょこんと反応する。ミナが忌々しそうに顔をゆがめた。
「じゃあ、あの子を研究すればいいのね」
「詩歩は実験材料じゃありませんよ」
 さすがに政志が反論する。ミナは鼻を鳴らした。
「未開発の能力者なんて危険極まりないもの、放置しておくわけには行かないわね」
「けれど先生がそばにいると、やつらも両親の霊もはじかれてしまうようですよ」
 ルシエラも姿を現して言った。
「じゃあどうしろって言うのよ!」
「両方研究対象にさせていただくしかありませんね」
 しれっとルシエラが言う。ミナが赤くなったり青くなったりした。その間もせっせと片づけをしていたアンナが、ミナに指を突きつけた。
「これも学園の、いえ、世界の平和のためです。協力してくださいますね」
「詩歩が嫌がらないといいけれど」
「そこはみんなで支えればいいんですわ」
 単純明快な論理に、政志が苦笑した。

→高村マスターシナリオトップP
「孤高の少女」シナリオトップPへ