「心いろいろ〜祭りだ祭りだ!〜」 第3回

ゲームマスター:高村志生子

 第2ステージ終了。川の中から謎の穴に吸い込まれていったアルトゥール・ロッシュは、テオドール・レンツを抱きかかえているアメリア・イシアーファをしっかり抱きしめて落下のショックにそなえていた。乗っていた舟は途中で分解して空中に消え去っていく。やがてふわりとした感触があって3人は地上と思しき場所にたどり着いた。らしいのはそこが真っ暗な空間だったからだ。精霊の力は使えるらしい。風の精霊に頼んで着地の補助をしたアメリアが、きょろきょろしながら抱きしめてくる手を頼りにアルトゥールを見上げた。
「ここからどう進めばいいのかなぁ」
「異次元ゾーンだって言っていたよな。下手に動くとやばいか」
 と、どさどさどさっと仲間たちが落ちてくる音が聞こえた。
「レン、大丈夫!?」
「……ああ」
 後続のレイシェン・イシアーファが精霊のティエラに答える声が聞こえる。そこへ光る球体に包まれた梨須野ちとせが浮遊バスケットに乗ってきてバスケットに積んであった小型の発信機を皆に配り始めた。
「大丈夫だろうと思いますけれど、下手なところにでたりしたら危険ですからね。道に迷ったらこの発信機で連絡してください。実行委員がお迎えに上がります。まあ、多少コースを戻ってもらうことになりますが、そこはペナルティということでご了承くださいませ」
「よーし、このまま1位でゴールを目指すぞ。行こう、アメリア」
「うん」
 アメリアを抱えたままだっと駆け出そうとしたアルトゥールは、アメリアに抱えられているテオドールの声にこけそうになってしまった。
「どうして1位になりたいの?」
「どうしてって……競争だし」
「1位になったら何か起こるの?それとも何か変わるの?」
「いや、変なことは起きないと思う……が」
 学校行事だし、と考えつつ答える。テオは興味津々の声で質問を続けた。
「じゃあ2人の関係が変わるの?すでにお互い大好き、な状態以上にどんな風に変わるの?」
「テ、テオォ」
 さすがのアメリアも赤くなる。抱きしめる腕に力を込めながらしどろもどろに答えた。
「大好き、なのは変わらないと思うよぉ。でもそうだねぇ。一緒に1番になれたら、もっともっと心が近くなるような気がするなぁ」
「心が?どんな感じなのかな、それって」
「わー遅れる!」
 会話に気を取られていたアルトゥールが、すり抜けていく気配を感じ取って慌てた。テオドールは意に介さずアメリアの答えを一生懸命にメモしていた。
「くっついているのが少し恥ずかしいって言ったでしょぉ。それがなくなるんじゃない、かなぁ」
「恥ずかしくなくなるの?」
「うん、多分……」
 さすがのアメリアもいささか自信なさげに答えた。テオドールはそれに満足したのか、身じろぎしてアメリアに降ろしてくれるよう頼んだ。
「え?どうせだから一緒に行こうよぉ」
「うん、ありがとう。でも向こうの人たちにもいろいろと聞いてみたいから。じゃあね」
 降ろしてもらったテオドールは、後方の気配に向かってほてほてと歩いていってしまった。
「出遅れた。急ごう、アメリア」
「はぁい。その前に体力回復してあげるねぇ」
 照れ隠しに術を使うアメリアだった。
 前方で騒いでいるのはジュディ・バーガーとシエラ・シルバーテイルだった。シエラはレイシェン・イシアーファの首根っこを捕まえていた。走ろうとして止められたレイシェンがきょとんとしている頭の上でティエラが騒ぐ。シエラは手をそのままにジュディに向かって喋っていた。
「だからっ。ここは異次元なんでしょ。いい、生きて帰りたかったら、ていうか人の形のまま帰りたかったら無闇に動かない!」
「ヒトのカタチ?そりゃ、犬のカタチになってしまったら怖いデスけど。シエラ、だからそうイウ姿だったりして?」
「犬って言うの禁止!私はもともとこの姿よ。って言うか犬じゃないし!あ〜ん、真面目な話なんだから茶化すの禁止!いい、三次元以上の軸を移動しちゃったら、無事に帰れないってことなの。良くても肉体か精神の一部が欠けてしまうことになるわ」
「シエラ、良く知っているデス〜」
「図書室で読んだのよ、そういう駆逐艦の話。詳しくは話せないけど、そうとうやばい状態になってしまったって」
「でも、進まなかったらゴールにたどり着けない」
 ぼそっとレイシェンが言った。シエラはその首根っこを掴んだままぶんぶんと手を振った。
「わかっているわよ。じっとしていてもらちがあかないってことは。落ち着いて、感覚的に『解る』方向にだけ移動するの。いいわね」
「……感覚」
 レイシェンの言葉をどう取ったものか、シエラが胸を張って言った。
「そうね、人には三次元以上の感覚ってないものね。いいわ、ついてきて。感覚で動くのは得意だから」
「さすが犬デス!」
「だから犬って言うなーっ」
「デモ、ジュディなら大丈夫ネ!野生の勘には自信あるデス!」
「ティ、解る?」
「まかせて!こっちよ」
「聞いてよー!」
 シエラの叫びもむなしく、2人はさっさと駆け出して行ってしまった。
 アルトゥールたちもアメリアの感覚を頼りに走っていく。やがて急に空間が開かれて、おどろおどろしい雲空の下にそびえたつ古びた塔の前に出た。

                    ○

 どうやって仕掛けたものか、ここにもマイクが設置されているらしい。空中からディスの声が聞こえてきた。
「こちらはエルンスト・ハウアー先生の研究塔です。ラストステージ最初の障害はこの研究塔を抜けて行ってもらうことです。それではハウアー先生、説明の方をどうぞ」
 見ると塔の入口の前に長い白髭を生やした老人がいつの間にか立っていた。エルンストは固唾を呑んで見守っている参加者たちを見回すと、ふぉふぉふぉと笑いながら口を開いた。
「さっきの話通り、ここは学園内にあるワシの研究塔じゃ。もちろん普段は変哲もない場所じゃが、今は違うぞ。この大会用に、場のバランスを負の方向に傾けて、出来てから数百年経っているダンジョンの深層と同じ状態にしてあるのじゃ。ここではこの世ならざる現象が山のように起きる。例えば、無器物が勝手に動き出す怪異などじゃ。同時に生あるものは活力を奪われ精神をすり減らされていくことになるじゃろう。つまり長くいるとそれだけ不利になるということじゃ。仕掛けてある障害を早く抜けたものが勝ちということじゃな」
「障害デスか?どんなモノなのでしょう」
 ジュディが問うと、エルンストは脇に退いて入口を指し示しながら説明を続けた。
「諸君にはこのダンジョンを徘徊するリヴィング・アーマーやゴーレムを倒してもらい、その体内の結界に隠された「世界の名品」を完食しつつ前進してもらおうかの。出てきた料理は必ず食べるんじゃぞ。でないとよみがえったり別な生き物になったりしてしまうのでな。なに、食べれば問題はないのじゃよ。食べられないものは仕込んでおらんから安心するが良い。食べやすいかは別じゃがな」
「まずモンスターを倒さなきゃならないのか」
「うん、頑張るねぇ」
 はりきるアメリアに複雑そうな顔をするアルトゥールだった。
「……ダンジョンにもなっているんだよな」
「おお、そうそう。壁や器物を破壊するのは禁止じゃぞ。いくらダンジョン化しているとはいえ、れっきとした学園の建物なんじゃからな地道に裏口まで抜けて行ってくれい」
「じゃ、行くデスー!」
 真っ先にジュディが飛び込んでいく。レイシェンが続き、アルトゥールとアメリアも遅れじと扉の中に入っていった。
 塔の内部は薄暗く、壁に灯されている松明の灯りが頼りだった。アメリアがペアの精霊ジルフェリーザを呼び出して、出口を尋ねた。ジルフェリーザは水色の髪を揺らしながら分かれ道を指差した。
「負の力の少ない方でいいんでしょう。あちらよ」
「よし行こう……っとさっそくお出ましか」
 アルトゥールがアメリアをかばいながら歩き出そうとしたとき、目の前にやや大きめのリヴィングデッドが現れた。腐臭に息が詰まる。アルトゥールはすかさず剣で相手の胴をなぎ払った。とたんにリヴィングデットは元のバケツやモップへと変化した。がらがらと崩れる仲、缶詰が転がった。アルトゥールがそれを拾い上げた。
「これが名品か?にしても……ふくらんでいるな」
 その缶詰はまるでビア樽のように膨らんでいた。どこからともなく缶切りを調達してきたアメリアがアルトゥールに渡す。不審に思いながらあけようと穴を開けた瞬間、ふたが内部からの圧力で吹っ飛んだ。同時にものすごい悪臭があたりに漂いだした。
「いやぁぁぁ」
 人一倍においに敏感なシエラが脱兎のごとく逃げ出して分かれ道を反対に行ってしまった。アルトゥールも顔をしかめながら中を覗き込んでいた。アメリアが気の毒そうに言った。
「食べられないものはないって言うしぃ」
「仕方がない、か」
 意を決して中身にかぶりつく。それはどうやら魚のようだった。味はともかく匂いがすごい。ふたが吹っ飛んだ衝撃で飛び散った汁からも悪臭が漂っている。辟易しながら食べているとアメリアに別のリヴィングデッドが襲い掛かった。とっさのことにアルトゥールが攻撃できずにいると、アメリアは勢いをつけてそいつを蹴り飛ばしてしまった。
「ああ、驚いたぁ」
「……うん」
 やっぱり蹴り技なんだなぁとアルトゥールが内心で嘆いていると、それに気づかないアメリアが崩れ去ったリヴィングデッドからたっぱを拾い上げた。赤い固形物が入っている。においはひどくないようだ(解らないだけかもしれないが)。アメリアはスプーンですくってそれを口にすると、ほっとしたようにうなずいた。
「うん、割りと美味しいよぉ。チーズみたい。これなら全部食べられそう」
 しかしぱくぱくと食べていくうちにアメリアの様子がおかしくなってきた。
「アメリア……?わーっ」
「らいじょーぶ、らいじょーぶ」
 見ると顔が真っ赤になって目がとろんとしている。へろへろと手を振る様子は今にも倒れそうだ。
「酔っ払っているのかー!?大丈夫かい、気分は?」
「よってらんか、いなひ、よぉ。なんかあっつうい、けどぉ」
 ぱたぱたと襟口を仰ぐ。においにかまってられずに自分の分を食べ終えたアルトゥールは、慌ててアメリアを支えた。と、たっぱのふたに書かれた注意書きが目に入った。
『泡盛使用のためアルコールに弱い方の飲食はお勧めしません』
「アメリア弱かったのか……」
「う〜ん、アルトゥールぅ。頑張ろうねぇ」
 ぴとりとしなだりかかられてアルトゥールが硬直してしまった。酔っているせいで普段にはない色気がかもし出されている。うっとりと見上げられた視線はアルトゥールを誘っているようだ。ゆらゆらとした松明の灯りに金の髪が映えて美しい。状況を忘れて思わずキスしてしまいそうな衝動に駆られたアルトゥールだったが、それは直前で追いついてきたジュディの歌声に阻まれた。
「ヘイヘイヘイ♪アイムナンバー1、ヒ〜ロ〜さ!あれ、アルトゥール、ドウしました?」
「いや、ちょっと。アメリアが酔っちゃって」
「それは大変ネ。アメリア、お水どうぞ」
 ジュディが特製ミネラルウォーターを差し出す。しかしその頃にはぐったりしてしまったアメリアには、自分で飲むことが出来そうになかった。アルトゥールが困っていると、ジュディが明るく笑いながらその背中をバシッと叩いた。
「口移しとイウ手があるネ」
「うぉえ」
 今度はアルトゥールが真っ赤になってしまった。言ったジュディは、2人が恋人同士だと知っているから、無邪気に笑っていた。
「う〜ん、アルトゥールぅ、熱いよぉ」
 服でも脱ぎだしてしまいそうな感じのアメリアに、アルトゥールは緊張しながら口移しで水を飲ませてやった。柔らかな感触に胸が高鳴る。ジュディは見て見ぬ振りをしてあげていた。
 一方、においから逃れるように走っていたシエラは、空中を浮遊していた何かにばしっと顔面に張り付かれて悲鳴を上げていた。いや、それもまた強烈なにおいがしたのだ。視覚も嗅覚もふさがれてシエラがじたばたとあばれる。ようやく剥がすと、メモが張り付いていた。
『くさやの干物です。完食して出口に向かってください』
「食べなきゃいけないの〜?」
 思わず投げ捨てたら、またもやぴっとり顔に張り付いてきた。シエラは泣く泣くそれを食べ始めた。
 すやすやと眠ってしまったアメリアを背負ってアルトゥールが走り出す。ジュディは目の前に現れたゴーレムにアメフトの要領でタックルを食らわせていた。その腹から出てきたのはありの炒め物だった。封印のせいか出来立てのようにほかほかと湯気を上げている。深いことは気にしないジュディは、走り回っておなかがすいていたこともあってあっさりそれを平らげてしまった。
 モンスターたちは大して強くはなかったが、中に封印されていた名品は、名品というより選りすぐりの珍味であって参加者たちをうならせていた。
 ミルル・エクステリアは生の蜂の子のぷちゅぷちゅした食感に顔をしかめていた。テオドールが不思議そうに聞いてきた。
「なんでそんなに嫌そうなの?美味しくないから?」
「味……は悪くないけど。この感触が」
「感触がどうなの?」
「気持ち悪いのよっ。気にしないようにしているんだから聞かないでよねーっ」
 そして半ばやけくそのように口の中に無理やり残りを押し込んだミルルだった。
 あとはイナゴの佃煮やら簡単なところで直径30cmくらいのブルーチーズ(チーズダニつき)などなど。気色悪さに吐いたものがいたのか、ダンジョンにその音が響き渡って参加者をびびらせたりしていた。
 ともあれトップに躍り出たのは頑健な肉体と精神を持ったジュディだった。とにかく匂いから逃れようとダッシュを続けたシエラがそれに続く。最初に遅れて入ってきたホウユウ・シャモンも、珍味を難なくクリアして再び上位に上がってきた。ジニアス・ギルツやワストレーヤも続々と出て来た。アルトゥールたちは、出口までたどり着いたものの、アメリアの酔いが覚めなかったのでしばしそこで休憩することにした。
 中では古びた塔につき物のほこりやくもの巣と、アンナ・ラクシミリアが嬉々として格闘していた。アルヴァート・シルバーフェーダは手に入れた食材をまず自分が毒見してからアリューシャ・カプラートに手渡していた。
「アルバさん、食べられないものはないっておっしゃってましたし」
「変なものは食べさせられないよ」
 川で怪我をさせられてしまったことに憤りを感じていたアルヴァートは、ぴりぴりとした声でアリューシャに答えた。自分を心配するがあまりだと気づいていたアリューシャは、手渡された食べ物を黙々と食べ終えた後、にっこりと微笑んでみせた。そのときは安心したようにアルヴァートも笑い返したが、またすぐに険しい顔に戻ってしまった。出口でアルトゥールたちに会って経緯を聞く頃には、アメリアも正気に戻っていた。しかし酔っている間の記憶はないらしく、アルトゥールはちょっと残念な気持ちになった。
「遅れちゃったな」
「多少遅れても安全なコースを行くさ」
 言い切ったアルヴァートを見ながらアメリアがひそひそ声でアリューシャに問いかけた。
「アルヴァート、どうしたのぉ?」
「ええ、ほら。私が怪我してしまったでしょう。それを気にしてらっしゃるみたいなの」
「そうかぁ。うん、わかるよぉ。私もアルトゥールが私をかばって怪我したの、悲しかったもの」
「だから、1位は大切ですけど、無理はしないように進むことにしましたの。楽しみたいですもの、少しでも緊張をほぐして差し上げたいわ。あと少しでゴールだから、お互いに気をつけましょうね。アメリアさんが怪我したらきっとアルトゥールさんも気にしてしまいますものね」
「そぉだね」
 同時に振り返ってきた男性陣を見て、アリューシャとアメリアが笑いかけた。

                    ○

 亜空間通路で繋がっているのだろう。塔を出るとそこは町だった。たまに買出しに出かける学生には馴染みの町並みが広がっている。その中の1軒の前でテネシー・ドーラーが待っていた。
「ココが次の障害デスか」
「そうですわ。注意書きの紙とスタンプ用紙をお渡しいたしますので、よくお読みになってくださいませね。ここで起きることはすべて自己責任になりますので」
「自己責任?」
 ホウユウががさごそと手渡された紙を広げる。紙にはテネシーの字でびっしりと注意事項が書いてあった。
「えーとなになに」
 珍味の毒気に当てられたのか、いまだに気持ち悪そうな顔をしている葛城リョータが、次こそは順位挽回する気でいたところをくじかれて、げんなりとした声を上げた。
「武器の使用は禁止ね。一般家庭を使っているためか。たしかにそんな感じだよな」
 テネシーの背後にある家はアットでは一般的な部類の一軒家だった。そんなところに生徒が大挙して押し寄せていいのだろうかと少し不安になる。続く説明を読んで小声でうわぁと言った。
「参加者の体が数cmに小さくなってしまうけれど、家屋はもちろん人やペットへの攻撃は一切ダメだとぉ?あ、害虫はいいのか」
「けれど後片付けはきちんとしていただきますわよ。でなければスタンプは差し上げられませんからね」
「チェックポイントは4箇所か。なににもあわないことを祈るしかないな」
「そうですわね。ちなみに武器の使用などで家屋や人的被害が出た場合、アカデミアはいっさい責任を負いませんわよ。自己責任というのはそういうことですの。損害賠償は本人にやっていただきます」
 フレア・マナが胸を張って言った。
「ルール違反者が罰則を喰らうのは当たり前だって。大丈夫、僕が風紀委員としてちゃんとチェックしておくから」
「在宅者は知っているのか?」
 ホウユウの質問に、テネシーは含み笑いで答えた。
「人はいますわよ。参加者の存在に気がつくかどうかは解りませんが」
「考えていても仕方ないデス。行きまショウ!」
 ジュディが宣言すると、含み笑いをしたままテネシーがそっと扉を開けた。家の奥のほうで人の気配がする。テネシーの手招きに従ってジュディたちが門をくぐると見る間に体が縮んでいった。小柄なはずのテネシーがとほうもない巨人に見える。その巨人が家の中を指差した。リョータとワスが吼えながら走り出したが、サイズの関係でその吼え声はかすかに聞こえるか聞こえないかくらいになっていた。
「まずどこだ!?」
「上から行くか。下に人の気配がするし。子供部屋だな、あっちだって、うぇ高ぇ」
 ワスに怒鳴り返して階段に向かったリョータは、段の高さに一瞬うろたえた。背丈の倍はあるのだ。ただジャンプしても届きそうにない。仕方なくワスと組んで肩車して1人がまず上り、もう1人を引き上げる作戦に出た。
「ファイトォ!」
「一○ーっ」
 へとへとになって子供部屋にたどり着くと、そこは巨大ビル郡だった。いや、子供のおもちゃが乱雑に散らばっていた。通常なら何てことないサイズなのだが、ミニチュア参加者にはそれらがすべて巨大な物体に見えた。ひゅーと窓から風が吹き込んできてほこりを飛ばす。それすら牧場の牧草の束のようで不気味だった。しかしその不気味さにおびえている場合ではなかった。ちょっとした風でも体が吹き飛ばされそうになったのだ。慌てて手近なプラスティック製の電車の車輪にしがみつき難を逃れる。掴まったままリョータは部屋の中を見回した。スタンプを押してくれるはずのテネシーのペットの仲間を探していたのだ。しかし視界はおもちゃの群れにさえぎられて非常に悪かった。
「おもちゃ箱だったよな。どこにあるんだ?端から探すか」
「仕方ないな」
 風で飛ばされそうになるたび体を支えて、部屋の中を駆けずり回る。そこへ闖入者がいた。
「んにゃーっ」
「ぎゃー、ね、猫か?」
 別に猫嫌いではないが相手が小山のような図体となると話は別だ。猫は新しいおもちゃを見つけたときのように瞳を輝かせながらリョータたちに襲い掛かってきた。小さい体を駆使しておもちゃを盾に逃げ回るリョータとワス。どたんばたんと猫は部屋の中を駆け回る。そのたびに散乱しているおもちゃが吹っ飛んで2人の体にぶつかりそうになった。
「ええい、らちがあかない。隠れるぞ」
 吹っ飛ぶおもちゃに必死にしがみつくと、タイミングよくおもちゃはおもちゃ箱の中に落っこちた。ひとまずスタンプを押してもらい、今後の対策を練る。
「あきらめてくれるといいんだが」
「怪しいぞ。そら来た!」
 がしゃんとおもちゃ箱をひっくり返されて2人の体が投げ出される。ずざざざーっと滑って扉をくぐりぬけ階段落ちしてしまう。さすがに体術には自信のある2人だったので受身は取れたのだが、高さが高さだけに痛みもひとしおで、しばらくは動けなかった。せめてもの救いは猫がそれ以上追ってこないことだった。
 1階から回り始めたのはミルルとレイシェンだ。ティエラは参加者ではないのでゲートの効果がなかったらしい。同じくらいの背丈になってしまい(むしろレイシェンのほうが幾分小さいかもしれない)、なにやら新鮮な気持ちで互いを見詰め合っていた。その脇を「お先に!」と言ってミルルが駆けていく。向かったのは台所だ。さーさーと軽やかな音がして、若奥様が洗い物をしている。目指す場所はシンクの隣においてある冷蔵庫だ。見つからないように横を向いている隙に駆け出す。と、若奥様が急に向きを変えた。ぎょっとしたミルルがテーブルの足の影に隠れる。レイシェンはちゃっかり冷蔵庫の脇に転移していた。
「あーいいなぁ」
「……道具じゃないから」
 ミルルがぼやくと、レイシェンは上空を指差した。ミルルが見上げると、ティエラが若奥様の気をひきつけてくれているところだった。精霊の姿は一般人にはそれなりに物珍しかったらしい。若奥様がにこやかにティエラと話している。ミルルがてててと駆けてレイシェンのそばに近づいた。
「スタンプはこの裏で押してもらうのよね」
「そう。あ」
「きゃああああああああああああああああああ」
 盛大に(ただしそばにいたレイシェンにしか聞こえないほどの大きさで)ミルルが叫んだ。裏に回りこんだとたん出くわしたくないものの一番に出会ってしまったのだ。そう、黒光りする羽を持った奴に。普段ならミルルとてこんなに驚きはしないのだが、今はサイズが同じくらいなためまるで怪獣に遭遇したときのような衝撃があったのだ。レイシェンが転移して背後に回りこみ無作為に蹴飛ばす。ぶんと奴が飛び立った。顔面すれすれに複数の足が通り過ぎていってミルルがひっくり返る。そのまましばらく硬直していたのでさすがのレイシェンが起こしにやってきた。
「……大丈夫?」
「気持ち悪いよお」
 半べそかきながらミルルがうめいた。
「えさと間違われなくて良かったじゃない」
 飛び立った奴は若奥様と遭遇したらしい。騒動が聞こえてきて、ティエラが姿を見せた。2人の様子にちょっとむっとした感じでつんと澄ましながら言ってのけた。ミルルの方はそれどころではなかったらしい。ぐったり疲れた様子でうつむいてしまった。
「食われてたまるもんですか」
「ティ、スタンプもらった。次に行こう」
 ちゃっかりその間にスタンプをもらってきたレイシェンだった。
 奴を追いかけた若奥様は無事にしとめたらしい。今度は居間の方からがーがーと掃除機の音が聞こえてきた。そこで若奥様の動向に注意を払っていたのはフレアとジニアスだった。
「見つかったらやっぱりやばいかな」
「じゃない?知らないはずだし、虫と間違われてあの掃除機で吸い込まれでもしたら」
「ごみと一緒に捨てられるってか、あはは」
 おおらかに笑われてフレアががくっと肩を落とした。それはあまり笑い事ではない事態な気がする。万が一窒息したらとか掃除機の中で元の大きさに戻って掃除機を壊してしまったらやはり弁償だろうなとか嫌な考えがよぎってしまうのだ。
 居間のチェックポイントはソファーの下だった。若奥様はちょうどそのあたりを掃除している。忍び寄るには不向きなタイミングだった。と、またもやくるりと向きを変えて窓の方に行ってしまった。
「ラッキー」
 すかさずジニアスが走り出す。フレアは若奥様の動向をうかがいながらその後ろを走っていた。ミニマムな体では入口からソファーまでの普通なら短い距離もちょっとしたマラソン並みの長さになる。身軽なジニアスは平然としていたがさすがにフレアは少し息が上がってしまった。
「おい、大丈夫か」
「このくらいなんでもないよ。あともう少しだし、って、えっ」
 またもや向きを変えた若奥様とフレアの視線が合ってしまう。双方しばし沈黙。おもむろに若奥様が掃除機を持ち上げたので、ジニアスがとっさにサンダーソードで掃除機を攻撃しようとしてしまった。
「武器の使用は禁止されているって」
「そんな場合か。本当に吸い込まれちまうぜ」
 く、くく。どこからともなくそんな声が聞こえた。言い争っていた2人はきょとんとして声の主を探した。笑っていたのは若奥様だった。掃除機を止めて喉を鳴らして笑っている。
「テネシーも面白いことを考え出すわね」
 それからそうつぶやくと何事もなかったかのように別の方角を掃除し始めた。
「あーわたくしも掃除したいです。う、うらやましい。この体がにくい」
 不思議に思いながらジニアスたちがソファーの下にたどり着くと、先に来ていたらしいアンナがスタンプ用紙を握り締めながら体を震わせていた。
「ああっ、だめです。掃除機は丸くかけちゃいけないんですよー」
 どうやら掃除の仕方が気に入らなかったらしい。フレアがぽんぽんと肩を叩いてなだめた。
「まあまあ。そのうち仲良くなれるだろうから、掃除の仕方はそのときにでも教授してあげたら?」
「仲良くなれるだろうって、なんでわかるんだ?」
 ジニアスの素朴な問いに、フレアはスタンプを押してもらいながら答えた。
「だってテネシーと知り合いみたいじゃない。名前言っていたもん。だったら紹介してもらえばいいじゃないか」
「それもそうですわね」
 アンナが嬉しそうにうなずいた。
「さ、次の地点に行くよ」
「おー!」
 ラストポイントは風呂場だった。またもや長距離走をやった3人は、協力して風呂場の引き戸を開けたがそこには誰もいなかった。
「あらあ?ここですわよねえ、スタンプ押してもらうの」
「あ、風呂桶の中のアヒルのおもちゃの上だって」
「どうやって中に入るんだ」
「ちょうどホースがあるから登りましょう」
 軽くても一度に登るとせっかく引っかかっているホースがずり落ちてしまうかもしれない。まずは身軽なジニアスがよじ登っていった。 ジニアスはてっぺんまで行くと感嘆の声を上げた。
「おお、すげー」
「どうしたんだい」
「大海原」
「はい?」
「水が張ってあるぜ。目標地点までは泳いでいかなきゃならないな」
「また濡れるんですか〜」
 川に落ちてしまったアンナが疲れたように言った。
 ともあれ遠距離マラソンの次は遠泳だ。水には弱いフレアをジニアスとアンナで助けながら泳いで行き、無事にスタンプをゲットした。
                     ○

 各自ほうほうの体でスタンプをゲットし戻ってくる。外にでればテネシーが若奥様と手を振り合っていた。そこへちとせがやってきて容赦なく次の障害へと誘導していった。門のところが亜空間ゲートになっているらしい。通り過ぎると皆もとの大きさになり、場所は再び暗い空間になっていた。光る球体の中のちとせの姿が唯一の目印だ。先立って進んでいた方向に参加者たちがこぞって駆け寄ると、きらきらと空間が輝いて、たくさんの鏡が出現した。ぱっと灯りがつく。いつの間にか一行はドーム状の大広間に入り込んでいた。鏡は等身大の大きさで、一見したところは普通の鏡だった。しかしなにも仕掛けがないはずはない。警戒しているとリーフェ・シャルマールが現れて障害の説明を始めた。
「ここに配された魔鏡は、映し出されたもののドッペルゲンガーを影として現出させるわ。皆にはその影と戦って倒してもらう。自己の特性を見つめ返し、自己の限界を乗り越えていくことが課題よ」
「戦って倒せばいいのか?」
 ホウユウが問うと、リーフェはこくりとうなずいた。
「影は攻撃性を特化させていて、オリジナルを最優先で襲ってくるわ。また心がないため、恐怖や痛みを感じることはない。そのかわり不測の事態への対応には弱いけれどね。それと1人のオリジナルから現れる影は1人だけだから、何度も戦うことはなくてよ。ただし鏡を割っても影は消えないわ。さあ、頑張って戦ってちょうだい!」
 広間にしつらえられた無数の鏡は不気味に静まり返っていた。ただ通り過ぎても影は出現しないらしい。フレアが不思議に思って手近な鏡を覗き込んでそこに映った自分の姿をしげしげと眺めたときだった。とたんにその鏡の中からフレアそっくりの影が出現してきてフレアに襲い掛かってきた。
『僕なら!』
 自分ならそうするであろう攻撃方法を予測して、フレアが影の予想進路に爆炎珠・改をぶちまける。影は間合いを一気に縮めてきたが、フレアも同じアイテムでその間合いを維持し、進路を誘導して行った。炎帝剣・改を互いに向け合い激しくぶつからせる。正面攻撃では腕は互角のはずなので、隙を狙って剣から光を放出させた。しかし影も同じことを考えていたらしい。それは相打ちになった。ぱっと離れると今度はペットの大鷲エアロが滑空してきて影に攻撃した。だが影も影のペットを所有していて、大鷲同士の空中戦と相成った。
『そろそろ時間。行くよ!』
 爆炎珠・改の爆発時間を予測してフレアが剣を振り回す。わざとめちゃくちゃな振りで揺さぶりをかけ、トラップゾーンに押し込んだ。タイミングを計って自分は飛びのく。ばばばんと珠が爆発した。影に隙ができる。すかさずフレアは飛び込んで行って影を切り払った。
「よし、僕の分は終了!みんな〜加勢するよ」
 そばで戦っていたのはアンナだ。互いにレッドクロスを装着してスピード勝負をしている。どうやらアンナは武器であるモップで影を遠くに飛ばしてしまおうとしているようだが、装備が同じな上、影は倒すことに執着しているので本体の方がいささか不利な状況にあった。防御力の高さでなんとか攻撃をしのいでいるが、隙はなかなか見つからないでいた。そこへフレアが駆けつけて影の背後から攻撃を仕掛けた。目前の本体に集中していた影はさすがに驚いて瞬間、動きが止まった。
「いまだよ!」
「はい!」
 フレアの声に余裕を取り戻したアンナが、すかさずモップの柄を最大限に延ばして影に激突させる。影は勢いではるか遠くに吹っ飛んで 消えてしまった。
「助かりました〜」
 アンナがお礼を言うと、フレアが明るく笑った。
「他人からの攻撃には弱いみたいだね。さ、皆を助けよう!」
「はいです〜」
 とっさの対応に弱いという点を突いたのはリョータだ。前のステージで自分に仕掛けられたおでん缶に食材の残りを詰め合わせた物を持ってきていたのだが、影に向かってそれを投げつけたのだ。自分と同じ行動パターンならば絶対に食らいつくはずという読みは見事に当たった。影が飛んできたおでん缶をキャッチしに走ったのだ。そこに隙ができた。
「やっぱりオレだよなぁ。食い物に弱い弱い」
 がつがつと残り物の煮豆などを食べている影を巴投げで放り投げると、影は床にたたきつけられると同時に消えた。
 小細工せずに真っ向勝負に出たのはホウユウだ。影が出現すると同時に高々と飛び上がった。
「受けてみろ!奥義・雲雀の太刀!」
 上空から一瞬の間で影に向かって飛び込み相手を切り裂こうとする。しかし影もその攻撃は予測していたらしい。ほぼ同じ間でこちらは流星天舞を繰り出してきた。無数の衝撃波がホウユウの体を切り裂く。それでホウユウの技の切れ味が少し鈍ってしまった。そのため剣と剣が激しくぶつかり合う結果になった。長期戦は避けたかったホウユウだが、力が均衡していて次の一手を打つ隙がない。ホウユウはやむなく切り結んでいると、そこにジニアスが雷をホウユウの影に向けて放ってきた。それが転機になった。雷に打たれた影がよろめく。すかさず血風乱華を繰り出した。剣先から出現した竜巻が影を巻き込み、ついでに周辺の鏡も巻き込んで粉砕して行く。ホウユウはちんと刀を納めると、加勢してくれたジニアスに向かって礼を言った。
「助かった、ありがとう」
「いいっていいって。奴ら、自分のオリジナルしか目に入ってないんだろう。だから自分の影を攻撃するより、他人の影のほうが消しやすいと思ってさ。っと、こっちが来たか」
 ジニアスの影がサンダーソードで雷を放ってくる。ジニアスはそれをかわすと、剣を交えつつ戦いの場をそばで戦っていたジュディの方に移動させていった。ジュディは何も考えてない様子で自分の影と無心に組み合いをしていた。実力は互角。くんずほぐれつしている様子はいつ終わるとも知れなかった。ジニアスはそれを見て取って、わざと両者が離れた隙に間に割って入った。ジニアスの影が勢い余ってジュディの影を倒す。思いがけない展開にジュディが目を丸くした。ジニアスは楽しそうに笑っていた。
「さて人のことばっかりしてないで自分のことも何とかしなくちゃなぁ」
「ジュディ、おレイをするデス」
 ジニアスの影は嬉しそうなジュディによって倒された。
 戦いの場でいっそう緊張していたのはアルヴァートだ。リーフェに向かって怒鳴りつけた。
「戦いに不向きな参加者がいるってことも忘れるなよ!」
「影は自分の実力以上の力は持たないから。大丈夫、それを忘れないで」
「そういう問題じゃないだろ!アリューシャ、下がっていろ。オレが相手をするから」
「はい」
 アルヴァートの指示に従って素直に下がったアリューシャだったが、そっとその背後から離れて自分の影に向かって突進していった。アルヴァートが日ごろ大人しいアリューシャの意外な行動に驚いていると、影を押し倒したアリューシャは影から眠りのルビーを奪い去っていた。
「眠らされては困りますものね。あとはお願いいたします、アルバさん」
「わかった」
 ひっくり返ったままのアリューシャの影をまず片付けると、アルヴァートはその間に迫ってきた自分の影に、その行動を予測してカウンター攻撃を仕掛けた。怒りがアルヴァートの実力をいつも以上に引き出していたらしい。また背後にいるアリューシャを己が絶対に守るんだという気持ちがアルヴァートの体を満たしていた。戦いの歌で自己の能力を強化し、影の剣を叩き折る。返す刃で影を切り倒した。
「アルバさん、やりましたね!」
 嬉しそうなアリューシャの肩に手を置いて、アルヴァートは真剣な声で言った。
「このくらい当然だ。もう二度と、誰にも君を傷つけさせはしない、絶対!」
「……はい」
 ぽっと頬を赤らめてアリューシャがうなずいた。
 淡々と戦っているのはレイシェンだ。戦っているというか、短い転移を繰り返して様子を伺っている。転移は影も行っていた。2つの姿が消えたり現れたりとめまぐるしい。こんがらがってきたティエラが空中で止まったまま声援を送っていると、片方ががしっとその姿を掴んだ。
「え?きゃー」
「よし」
 ティエラを掴んで相手の前に転移させたのはオリジナルのレイシェンだった。大切な精霊を戦いの場に放り込むという無謀が功を奏して、影に隙ができる。それを見逃さず、レイシェンはインフィニティ・ロッドをぐんと伸ばして影に突き刺した。
「ほんとにやるとは思わなかった〜」
「でも実際攻撃してこなかった。おれなら、できないから」
「ありがとう、へへ」
 信頼が心地よくてティエラが嬉笑いをした。
 影との戦いは不意打ちに成功したものが上位に立ったが、フレアやジニアスのように他者の加勢して上位に食い込んだものもいた。リーフェが満足そうに2人に先に行くように命じたのだ。
「こういうのを求めていたのよ。よくやったわね。この先も頑張りなさい」
「はい、先生」
 フレアが嬉々としてちとせの誘導に従って走り出す。おのおの影を倒したものもそれに続いた。
 ところがここでリタイアを宣言してきたものがいた。ライン・ベクトラとスカーレット・ローズクォーツだ。2人とも得意のブラスター攻撃で影と戦っていたのだが、影も同じ攻撃をしてきたので姿がぼろぼろになってしまっていた。
「着替えもありませんし、体力的にももう限界ですわ。残念ですけれど、リタイアさせていただきたいですわ」
「ここまで頑張ったんだけど、自分のブラスターの威力を思い知らされちゃったわ。ゴールで待っているね」
「あら、そう。じゃあちとせさん」
「はぁい。じゃ、リタイアということでいいですね。ここが非常口になっていますからゴールで待っていてください」
 誘導役のちとせがジッパーのようなものを降ろすと、その先にグラウンドが見えた。ラインとスカーレットは一生懸命身だしなみを整えながらゲートをくぐった。グラウンドにはゴールらしき門が見えた。それを見て2人が瞬間目配せしあったことにちとせは気づかなかった。

                    ○

 影のトラップをクリアした一行を待っていたのはミズキ・シャモンだった。アリューシャの怪我を根に持っていたアルヴァートがさっと手を伸ばしてアリューシャを下がらせる。ぎんとにらみつけてくる眼光を意に介せず、ミズキはびん底眼鏡を指で押し上げながら背後のゲートを手で指し示した。
「ここまでお疲れ様でしたわ。まだ先は長いので、ここで一息ついていただきましょう」
「どういう意味だ。トラップじゃないのか」
 警戒心露に問いかけてくるアルヴァートに、無感情な声が返ってきた。
「トラップといえばトラップですわね。この先はわたしの故郷の温泉地帯に繋がっています。そこに入っていただきましょう。温泉は全部で8つありますので、お好きな番号のお湯に入ってくださいませ。効能は温泉によって違います。癒しの湯もあれば鍛錬の湯もあります。なにに当たるかは皆様の運しだいですわ。さあどうぞ。あ、ちなみに温泉ですので水着の着用は禁止となっておりますのでご了承ください」
「温泉って、父さんは知っているのか」
 ホウユウの質問にミズキは当然といわんばかりの表情を浮かべた。
「もちろん了承は得ていますわ。兄さん、お義姉さまが応援にいらしていますわよ。みっともないところはお見せになられませぬよう」
「ってことはあれがあるのか……父さんも何かしていそうだな」
 ホウユウの独り言にアルヴァートの緊張が高まる。アリューシャはそれが痛々しく思えて、背後からそっと手を握ってきた。
「癒しの湯にあたるといいですわね。アルバさん、ずいぶんと緊張してしまっているようですから」
「あ、ああ。そうだね」
 暖かな感触に、少しだけ肩の力を抜いたアルヴァートだった。
「では行ってらっしゃいませ」
 亜空間通路を通り抜けると、異国情緒あふれる世界に出た。あちらこちらから湯気が立っている。ミズキの作戦を聞いたシャモン家当主が、ここぞとばかりに宣伝用のポスターを貼りまくったらしい。当主夫人やホウユウの妻や妹たちの麗しい姿で温泉地帯はあふれかえっていた。また見物客が押しかけてきて声援を送っていた。
「よし、オレは一番だ」
 リョータがどんなお湯か確認もせずに1番と書かれた札のあるお湯に飛び込んだ。とたんにおんぎゃーと威勢のいい赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「ああ、転生湯にあたったみたいですね。おお、よしよし」
 どうやら赤ん坊になってしまうお湯のようだった。おぼれないようにざばりと引き上げて適当な衣につつんで使用人に渡す。意識だけはそのままだったので、リョータは泣き叫びながら心の中で叫んでいた。
『元に戻せーっ』
 それが聞こえたのどうか、ミズキが淡々と告げた。
「競技が終わるころには元に戻りますからご安心を」
 つまりはそれまではどうにもならないということだった。リョータ、無念のリタイアだった。
「では行きましょう。2番でよろしいんですわよね?」
 アリューシャがアルヴァートを誘導する。つられて進み出たアルヴァートは、服を脱いで温泉に向かったが、やはり裸のアリューシャとばったり出くわしてうろたえてしまった。アリューシャもさすがに真っ赤になってしまった。
「そういえば……同じ温泉に入ることになるんですわね」
『うわーうわーうわー。目のやり場が』
 急いで視線をそらせたが、一瞬目に入った白い肌が目に焼きついて鼻血が出そうになったアルヴァートだった。ちとせににこやかに「あらあら青春ですわね」と言われ、照れ隠しにアリューシャの手を引いて2番のお湯に急ぐ。そこは轟々と音を響かせてお湯が渦を巻いていた。
「……ここに入れと?」
「渦に巻き込まれないようにしてください。自力で脱出できなくなりますよ」
「やめておこう、アリューシャ」
「端の方は大丈夫そうですよ。少しだけ入ってすぐに出ればきっと大丈夫ですわよ」
「無理はさせたくない」
 アリューシャがにこりと笑ってそっと身を寄せた。柔らかい体を間近に感じてアルヴァートの胸が高鳴る。ごくりと息を飲んでともにどぼんと湯に入った。渦は油断していると飲み込まれそうだったが、温度は程よく疲れが吹き飛ぶようだった。アルヴァートはアリューシャが巻き込まれてしまわないようにしっかりと抱きかかえた。この際、裸だということは意識しないようにしていた。アリューシャの方が今度はどぎまぎしてしまった。それでも大人しく腕の中に納まっていた。
 3番を選んだのはジニアスだった。見た目は普通の温泉に見える。なにに当たるのかわからない状況ではためらってはいられない。だがせっかく上位にいることだしためらっていても仕方がない。念のためサンダーソードで自分の周りに電気幕を張った状態でどぼんと飛び込んだ。
「ああ、いい湯加減だな」
 これまでの疲れが吹き飛ぶばかりでなく、体の奥底からなにか力がわいてでてくるようだ。程よく温まったところで勢いよく飛び出す。何故だか無性に戦闘意欲がわいていた。
「ああ、闘湯にあたりましたね。そのお湯に入ったものは、数分間戦闘能力がアップするんですよ。よかったですね、この先の障害でがんばってください」
 そういいながらミズキは内心で舌を出していた。
『その代わり、効果が切れたときの疲労もアップしますけれどね』
 そうとは知らないジニアスが手早く着替えて走り出していた。
 4番はやはり混浴にどぎまぎしていたアルトゥールとアメリアだった。アメリアは兄とよく一緒に風呂に入っていたので、その感覚が多少残っていたが、アルトゥールは「無心無心」とつぶやいていた。
「わぁ。いい香り」
 柚子の香りが漂う湯の中にそっと入った瞬間。2人は飛び上がってしまった。
「つ、冷たいい〜〜」
「柚子の湯が冷たい?そんなばかな」
 悲鳴を聞いたホウユウが首をかしげた。体を温めても冷めることはないはずだ。その目が見物に来ていた父親とあった。にこやかな笑顔に真相を悟ってしまったホウユウだった。
『可哀想に。父さんのいたずらだな』
 柚子と見えたものは大半が氷の塊だった。冷たい風呂に入らされて、恥じらいも何も吹っ飛んだアルトゥールが、がたがたと震えているアメリアの体を必死にふいてやる。生まれ育った環境で熱いのには慣れているアメリアだったが、逆に冷たいものには非常に耐性が低かった。幾度となく盛大なくしゃみをしてアルトゥールを心配させてしまった。
「なんてことをしてくれるんだ」
 ぼやきながらホウユウが5番の湯に入る。とんでもないものを予想していたのだが、お湯の肌触りは滑らかで温度も気持ちよく、これまでの戦いで失われた体力が回復してきた。
「あなた〜」
 妻の声援に、自分が大当たりの癒しの湯に入ったことを知る。ミズキがほおと目を丸くした。
「運の良さが分けられたのでしょうか」
 身も心も軽くなってすっかり上機嫌になったホウユウは、ミズキににやりと笑って見せる余裕さえ見せた。
 困っていたのは6番を選んだアンナだった。
「裸……ですか」
「このさい思い切って行っちゃいましょ」
 シエラにぐいと手を掴まれて温泉に引きずられていったアンナは、脱衣所にきちんと着替えを置いて湯船に向かった。
「川に落ちたり遠泳させられたりしましたから、さっぱりしたいのですけど。どんな温泉なのでしょう」
「さて、どうかしら。って、わぁ……」
 さすがのシエラもしばし絶句してしまった。温泉の表面はあぶらぎっており、周囲ではかがり火が炊かれていた。お湯の中央には笹船が浮べられており、火のついたろうそくが立っていた。
「これがシャモン家自慢の油風呂ですわ。ろうそくの火が消えるまで入っていていただきます。そうそう、うかつに身動きしないことですわ。ろうそくの火がお湯の油に引火して大惨事になりますから」
「あのお。周りのかがり火は一体」
「お湯の温度を上げるためです」
 ミズキのきっぱりとした物言いにアンナがごくりと息を飲んだ。
「油で毛並みが汚れてしまうわ」
 シエラはそうぼやいた。
 最初は適温だった温度も、火によってどんどん上がっていく。しかしうかつに動いたら小さな笹船などあっという間にひっくり返ってしまうだろう。アンナとシエラは世間話などしながら気を紛らわせていた。しかしようやくろうそくが燃え尽きたときには、緊張感と湯あたりでぐったりと疲れ果ててしまっていた。
 ざわざわと周囲がざわめく中、鼻歌を歌いながらいそいそと7番の温泉に向かったのはジュディだ。
「ラッキーセブンといいマスからネ。ジュディは絶対にコレで決まりデス」
 ここも見た感じは普通の温泉だった。湯船を形作っている岩に鉱石が含まれているのかきらきらと輝いている。ジュディは見事な裸身を惜しげもなくさらけ出しながらざばんと湯に入った。
「ああああああ〜し〜び〜れ〜る〜っ」
 とたんにびりびりとした刺激が全身に走り、ジュディが飛び上がった。どうやら電流が流されているらしい。それもかなり強いものだ。しかしジュディは不敵に笑うと、再度湯の中に体を沈めた。刺激は強いものだったが、それが返ってジュディの闘争心をくすぐったらしい。
「うう〜ん、スパらしい、デス」
 素晴らしいとスパを掛け合わせたらしい。遺伝子操作の申し子と呼ばれただけあって、頑丈な体のジュディは体をもみくちゃにする電流に見事耐えてのけ、ミズキを悔しがらせた。
 番号の最後、8番を選んだのはレイシェンだった。ティエラに「何で?」と聞かれ「末広がりで縁起よさそうだから」と答える。レイシェンはあちらこちらから聞こえる悲鳴やら鼻歌やらを聴きながら黙々と着替え、湯に入った。ティエラが心配そうにささやきかけた。
「レン、大丈夫?痛かったりしない?」
「……全然」
「男じゃ意味なかったですね」
 あきれたようなミズキの声が聞こえた。レイシェンが視線をめぐらすと、ミズキはがっかりしたような表情で首を振った。
「そのお湯は通称『クオンの湯』と言いまして、女性には大変評判の湯なのですわ。お肌はピカピカ、胸は豊かに、子宝にも恵まれるというそれはそれは素晴らしいお湯なのですけど」
「レンは妊娠なんかしないわよっ」
「ええっ」
 悲鳴を上げたのは先に入って岩影に隠れていたフレアだ。ミズキの顔が輝いた。
「あ、女性も入ってらしたのですね。ゆっくり浸かって元気になってくださいませ。美人になること請け合いですわ。ほら胸も豊かに」
「……そうなの?」
「こっち向くなーっ」
 確かに胸が豊かになったような気がして、フレアが赤くなって湯の中に体を隠す。お肌がつるつるのすべすべになったのは温泉だからだと思っていたのだが、他にもそんな効果があるとは思わなかったのだ。
「うう、しかも混浴……」
 思わず煙玉で煙幕を張って着替え姿を隠してしまったフレアだった。ミズキは心外そうに言った。
「女性らしくなることのどこが悪いんですの」
「恥ずかしいものは恥ずかしいのよ。しょうがないでしょ」
 美肌効果がひそかに気に入ったことは内緒のフレアだった。

                 ○

 強制リタイアのリョータを除き、それぞれに元気になったり体を洗うので時間を取られたり(油風呂の2人だ)と騒動を起こしながら温泉をクリアする。トップに立ったのは癒しの湯で体力全開となったホウユウと元気をもらったジニアス、恥ずかしさのあまりダッシュをかけたフレアだった。手招きするちとせの背後の亜空間通路を通ってまた暗闇の中に戻る。しばらく進むと、大きな鏡が出現した。どこからともなくディスの声が響く。
「ここは猫間隆紋先生の障害です。鏡から現れた相手と対峙してください」
 隆紋が鏡の後ろから姿を現し言葉を引き継いだ。
「この鏡から現れるのは自分と同等の者だ。ただし自分が一番大切に思っている相手が現れる。その悪夢にどう立ち向かうかがこの障害の要となる」
「そんな、戦闘能力を持たないものはどうするんだ」
 怒ったのはやはりアルヴァートだった。隆紋は優しく笑った。
「戦闘能力が同等だから、自分より強いものはでない。また「倒す」ことばかりが勝因ではないんだ。戦いにくい相手と戦う悪夢からどうやって逃れるかが重要なんだ」
 ぐっと言葉に詰まったアルヴァートを軽く抱きしめてから、アリューシャが前に進み出た。当然でてくるのはアルヴァートだ。剣を構えている。アリューシャは両手を広げてその剣を受け入れた。
『この人に討たれるのであるならば……それはそれでかまいませんわ』
「やめろーっ」
 アルヴァートが叫ぶ。すっと剣がアリューシャの体をすり抜けた。アリューシャも驚きに目を瞬かせる。痛みどころか何の感触もなかったのだ。しかし確かに相手は消えうせていた。
「そういう……ことなのですわね。大丈夫、アルバさん。私はクリアしました。アルバさんも迷わずいらしてくださいね」
 その言葉がヒントだった。するりとアリューシャの姿が闇の先に消えると、アルヴァートの番だった。普段は見られない戦うアリューシャの姿にアルヴァートが見ほれる。無意識に戦っていたが、アルヴァートにアリューシャが(偽者とわかっていても)倒せるはずもない。やはり「この人になら」という気持ちになって負けを受け入れた。
 同じようにホウユウも妻と戦ったが、こちらは「許せ」と相手を倒してしまった。それはそれで正解だったらしい。相手が消えると同時にゲートが現れた。
 迷って戦いを長引かせてしまったのはミルルだ。現れたのは、今は閉会式の準備をしているであろう恋人のリオル・イグリードだったが、倒してしまうことも負けを受け入れるのもミルルの性格が災いしてできなかったのだ。
「弱気になっちゃダメーっ」
 自分に活を入れてみるも、リオルの姿を見ると意気がそがれてしまう。そのくせ戦いは自分と一緒なのだ。やっと心を決めて倒すことを決めるころには、順位が大分落ちてしまった。
 そうとも知らないリオルはといえば、グラウンドでくしゃみをしていた。
「ミルル、頑張っているかな。っと、やっぱりだめだ。代わってくれないか。準備が終わらない」
 おぎゃーおぎゃーと泣くリョータをひょいと先にリタイアしていたスカーレットたちに渡す。ラインはつんとそっぽをむいたので、スカーレットがあやし始めたが、心は青年のままのリョータがそれで泣き止むはずもない。スカーレットはラインに困った顔を向けた。
「どうしましょ。このままじゃ目的が」
「そのうち元に戻るんでしょう。放っておいても大丈夫よ。私たちは目的を完遂するまでだわ」
 ラインの視線はリオルが立っているゴール付近に向けられていた。

                    ○

 隆紋の障害を抜けて先に進むと、同じ姿の大きな館の前に出た。遊園地などにあるような巨大な館だ。その館の前で待っていたのは武神鈴だった。
「ここまで良く頑張ったな。俺の最後の障害のテーマは『住』だ。この館の中のトラップを抜けてもらう。ルールは簡単だ。この館のトラップをクリアしながら通過札を取ってくることだ」
「2つあるのはなぜですの?」
 アリューシャが問いかけると、鈴がにやりとした。
「トラップの難易度が違うんだ。向かって右がイージィ、左がハードだ。イージィモードのトラップは怪我の心配すらない可愛らしいものだ。時間さえかければ誰でも攻略できる。対してハードのほうは、引っかかれば大怪我間違いなしのトラップが待ち受けているぞ。その代わりタイムボーナスがある。己の技量に自信があるならハードで順位を上げることが可能なんだ。さあ選んでもらおうか」
 アルヴァートは迷わずアリューシャの手を引いて右に向かった。アルトゥールもアメリアの手を引きながらイージィに向かった。ほかにイージィを選択したのは、フレア、レイシェン、シエラたちだった。
「今ならなんでも出来そうだぜ」
 そう言ってハードを選んだのはジニアスだ。元気一杯になったホウユウも不敵な笑みを浮かべていた。
「虎穴にいらずんば虎児を得ずという言葉もあるからな。ここでハイレベルを選ばなかったら男がすたる。俺の剛剣こそ天下無双だ!」
「はいはーい、わたくしもハードを選びますわ。レッドクロスさえあれば防御は完璧ですし、わたくしの目にかかったらトラップなんて何でもありませんもの。隅から隅まできれいにして差し上げますわ」
 レッドクロスを装着したままのアンナが宣言する。ジュディも腕を組んでうんうんとうなずいていた。
「どんな困難も、ミナで助けあえば大丈夫ネ!頑張りまショウ」
 鈴がハードを選んだ面々にそれぞれカードキーを渡した。
「このカードには身代わり呪符と強制帰還呪符が組み込まれている。さっきも言ったとおり、ハードには引っかかったら大怪我間違いなしのトラップが仕掛けてるからな。万が一致命傷を喰らった場合はこの呪符が効果を発揮して、怪我を身代わり、そして強制リタイアが待っているぞ。改めて言っておくが、ハードのトラップは一撃必殺のものだ。己の技量はしっかり認識したな?その上でハードを選ぶというなら止めはしない。健闘を祈る」
「はい!」
 ハード組の面々の返事がはきはきと響き渡った。
 時間がかかるということでイージィ組は一足先に館の中に入っていた。扉を入ってすぐのエントランスは吹き抜けの明るい玄関口だった。一見したところトラップらしきものは見当たらない。それでも剣を持ってあたりを警戒しながらアルヴァートが慎重に歩を進めていた。 アルトゥールはアメリアに体力を回復させてもらうと、トラップなど怖くないとばかりに走り出した。深く考えることは苦手なシエラもふんふんと鼻を鳴らしながら駆け出した。レイシェンの頭上ではティエラが少し不満げにしていた。
「レンの運動神経ならハードでも良かったんじゃない?せっかくのタイムボーナス〜」
「……危ない橋は渡らない」
「ん、もう。慎重なんだから」
 どだだと階段を上がっていくアルトゥールに抱えられたアメリアがレイシェンに叫んだ。
「早くおいでよぉ。置いていっちゃうよぉ」
「あ、ほら。レン、行こう!」
「……うん」
 それでも動かないレイシェンの視線は、階段の2人に向けられていた。なにやらザーッという音がしてきた。
「おっと、危ない」
 転がってきたのは大量の小さな丸いガラス玉だった。うっかり足を踏み入れれば転んでしまうだろう。アルトゥールは風伯のマントで宙に浮かんでそれをやりすごした。そしてそのまま上階の部屋に向かっていった。
 10フィートの長い棒を持ってエントランスから1階の各部屋を順に調べて回っているのはフレアだ。トラップにひっかからないようにその棒で床や天井など行く先々をつついている。と、どさどさどさと天井から何かが落ちてきた。
「危なかったね」
「ほんと。張り付いたら毛が抜けてしまうところだったわ」
 つついたところにトラップが仕掛けられていたらしい。粘着テープの束がどっさり落ちてきた。迂回して歩きながらシエラがほっと息をついた。他にもカーテンの陰にかえるが潜んでいたり、2階の部屋ではアルヴァートが転がっていた風船の1つを剣先でつついたら連鎖爆発を起こして耳の痛い思いをしていた。
「通過札はどこにあるのかなぁ。あ、いいもの発見♪いっただきま〜す」
 厨房に行ったシエラは、並んでいた焼き立てパンを見つけてかぶりついていた。匂いで毒が仕掛けられていないことはわかっていたので安心して食べたのだが、1つ食べ終わったとたんにぱたりと倒れた。
「シエラ〜!?どうしたんだい。まさか毒でも」
「毒といえば毒〜チョコが入っていたとは〜」
「チョコ?あ、ほんとだ、甘い。それで何で倒れるの?」
「犬にチョコは毒なのよ〜」
「……犬だったの?」
「違うもん、狼だもん、あう、でもダメ……」
「わ〜しっかりして〜」
 ひくひくしているシエラの体を、フレアが一生懸命に揺さぶった。
 逆送する廊下に引っかかっていたのはレイシェンだ。足を乗せた瞬間に足元が動き始めたのだ。そのままエントランスに戻されそうになって、レイシェンはジャンプしてカーテンに掴まって難を逃れた。
「大丈夫?レン」
「……平気。動いているのはあそこからだね。転移しちゃえば大丈夫かな」
 廊下の終わりに向かって転移したレイシェンは、そこで頭上からざばりとバケツの水をかけられてずぶぬれになってしまった。
「くしゅん」
「アメリア、風邪?さっきの温泉のせいかな」
「んーん、大丈夫。なんかレンが濡れたような気がしただけ」
 血のつながりのせいかなにやら感じ取ったらしい。可愛らしいくしゃみをしたアメリアは、心配そうなアルトゥールに首を振って見せた。
「通過札ってどこに置いてあるんだ、一体」
 天井裏で小麦粉まみれになったアルヴァートがぼやいた。ぱたぱたとそれを払い落としながらアリューシャがしっぽを一緒にぱたぱたさせていた。
「大体探しましたわよね。一度エントランスに集まって情報交換しませんか」
「そうだな」
 みな考えは同じらしかった。ひっくり返っているシエラたちを除いてエントランスに戻ってきた一行は、地下を探していないことに気づいた。
「地下室の入り口なんてあったかなぁ」
「厨房に行ったフレアたちが戻ってこないから、そこにあるのかも。行ってみよう」
 さっそくアルトゥールとアルヴァートがそれぞれのペアを抱きかかえて厨房へ飛んでいく。話を聞いたフレアは、棒で部屋中つつきまわして地下の貯蔵庫の入口を見つけた。
「札があったら僕とシエラの分もよろしくね」
「う〜んう〜ん」
 いまだにうなっているシエラの介抱をしながらフレアが言う。貯蔵庫の樽の上に札は置いてあった。
「やったね、レン。見つけたよ」
「……音が」
 アルトゥールが札を取った瞬間、樽の後ろ側からねずみの大群が出現した。アメリアとアリューシャがそろって悲鳴を上げる。その悲鳴の合間に気になる音を聞いて、レイシェンが首をかしげた。
「アリューシャ、大丈夫だって。もう行っちゃったよ」
「ああ、驚きましたわ。あら、レンさん。どうかしましたか」
「扉が閉まっている」
 これもトラップだったのだろう。札を取ると同時に、貯蔵庫の入口の扉ががっちり閉まってしまっていた。アルトゥールとアルヴァートが力を込めて開こうとしたが、鍵がかかっているらしい。仕方なく大声を張り上げたら、復活したシエラの声が返ってきた。
「今あけてあげるから」
 外からかんぬきを外してもらい無事に脱出する。そして札を分け合って入口に戻っていった。
 一方のハード組はさすがにトラップに苦しまされていた。遅れてきたミルルは順位を挽回すべくハードに挑戦していた。だが入ったとたんに容赦ない小型爆弾の雨の歓迎を受けていた。
「なんのこれくらい」
 身軽さを活かして爆発を必死に避ける。先のほうではジュディが楽しそうにごろごろ転がってきた巨大爆弾を押しとどめていた。
「おい、そのままだと爆発するぞ」
 ホウユウに言われてジュディは鼻歌を歌いながらその爆弾をひょいと持ち上げた。そしてそのまま窓から外に放り出してしまった。ちゅどーんと派手な音がして外で爆弾が破裂する。勢いで館がぐらぐらと揺れた。
「ああ、ほこりが立ってしまいましたわ」
 レッドクロス装着で戦闘モードに入っていても、モップをしっかり持ったままのアンナが嬉々として言った。楽しそうに館中を掃除している。ローラースケートの音がごろごろと響いた。と、廊下の途中でがくんと羽目板が沈んで穴が開いた。
「危ない!」
 ジニアスが手を伸ばしてアンナの手をつかんだ。穴の底を見て嫌そうに顔をしかめた。
「落ちなくて良かったな。槍がびっしりしきつめられているぞ」
「ありがとうございました〜」
 さすがハードと思いながら札を探して各部屋を回る。2階の部屋では高性能爆弾が連鎖爆発を起こしていた。とっさの判断で部屋の外に避難したミルルは、崩れてきた壁の破片で体中に傷を作っていた。
 カーテンの陰から飢えたライオンが飛び掛ってきた。
「任せろ!これでも喰らえ、流星天舞!」
 衝撃波が剣先から走りライオンが倒された。
 屋根裏部屋では天井から槍が降ってきた。それをホウユウが爆発を起こして屋根裏ごと壊してしまった。
「ン〜見つかりませんネ〜」
 異次元空間では空は見えない。だがなんとなく気分で壊れて広々となった屋根裏から上を見つつジュディがつぶやく。アンナはせっせと瓦礫を片づけていた。
「上は探したから地下に行って見るか」
 ジニアスの提案で厨房から貯蔵庫に降りてゆく。と、暗い中を何かがひゅんひゅんと飛び回っていた。ジニアスが音を頼りに軽業の身のこなしでそれらを避けていく。もれいる灯りにぎらりとダンビラの刃が光った。これは確かに当たったら瀕死の大怪我間違いなしだ。ジニアスは温泉で得た力を使って軽々と避けていたが、急に疲労感に見舞われて足がもつれた。
「危ないですわ!」
 転びかけるジニアスにダンビラが容赦なく襲い掛かる。先ほど助けてもらったアンナが飛び込んできてジニアスの窮地を救った。
「サ、サンキュー。なんだろう、急に疲れが……」
 温泉の効果のせいだと知らないジニアスが、身をさいなむ疲労感にぐったりしながら礼を言う。ジュディがジニアスを担ぎ上げて厨房へと戻っていった。そこで見つけた栄養ドリンクを飲ませると、少しは楽になったのか再びジニアスが立ち上がった。
 地下ではダンビラの攻撃にホウユウが反撃していた。風切る気配を感じてダンビラを剣で切り捨ててゆく。部屋の片隅においてある札に気づくと、ミルルに取って来るよう指示を飛ばした。
「わかった!」
 札を取り上げると、樽が転がってきて中身がぶちまけられた。匂いからして油のようだ。ダンビラすべてを落としたホウユウが慌ててミルルを促した。
「火でもついたら大変だぞ。上に上がるんだ」
「すべるー」
 油でぬるぬるする床を走りながら厨房に戻る。瞬間の差で貯蔵庫が爆発した。
「火が回りきる前に館から脱出するんだ!」
「おう!」
 まだ少しふらついているジニアスをワスが背負い玄関に向かう。火はごうごうと燃え盛って追いかけてきた。ジュディが水術で作り出した水で類焼を食い止めていた。
「早く!今のウチに逃げるネ!」
 火の勢いは強く、全員がなんとか脱出したときには館は燃え落ちようとしていた。

                    ○

 タイムボーナスのおかげでハード組の方がやや先にクリアし出発した。現在のところトップはホウユウだった。やはり温泉で癒されたのが勝因だったようだ。ちとせの誘導に従って進んでいくと、ディスの声が響いた。
「では最後の障害です。この先で怪人が待ち受けていますので、戦って異次元ゾーンを抜けてください」
 空間がぐにゃりと揺れるような感覚があった。亜空間通路を抜けたらしい。待ち受けていたのはトリスティアと体にぴったりとした黒ずくめのいかにも怪しげな集団だった。やってきたホウユウたちを見かけて、トリスティアが声を張り上げた。
「武器とアイテムの使用は禁止だよ。こちらも素手で戦うからね。さあお前たち、やっておしまい!」
「おぉおお!!」
「あ、あれは特撮研究会の衣装!やばいデス、素手でもナニか仕掛けられていますヨ」
「さっすが、ジュディ。よく気がついたね。そう、この空間ではこちらの強さは通常の3倍になるんだよ。素手だからと言って安心してもらっちゃ困るからね」
「部の衣装をカッテに使うなんて〜」
「先生の許可はちゃんと取ったも〜ん」
 けらけらと笑いながらトリスティアも飛び出してくる。武器の使用を禁止されてやむなく剣をしまったホウユウはするどい蹴りをまずは様子見のためにかわしていた。
 アンナとフレアも怪人たちの攻撃を必死にかわしていた。混戦をまず抜けたのは、軽業を駆使したジニアスだった。まともに戦うより、回避する方が得策だと判断したのだ。逆に生き生きとして戦っているのはジュディだ。自慢の怪力で強さ3倍のはずの怪人どもをぶんぶんと投げ飛ばしてゆく。張り切るほどに楽しくなってくるらしい。息が切れるどころか歌まで歌いながら自分から敵に向かって行っていた。アルヴァートはアリューシャのために戦いを回避する方向に向かっていた。
「ったく、どいつもこいつも戦闘能力のない人間のことなんか考えないな」
「戦わなくてもいいみたいですよ。このまま飛んでゆきましょう」
「そうだな」
 アリューシャを抱えて怪人の間をすばやく通り過ぎていった。
「アメリア!」
「大丈夫、えいっ」
 怪人に掴まりそうになったアメリアは、すばやく身をかがめると、下から一気に怪人のあごに向かって足を蹴り上げた。見事にヒットして相手の怪人がふらふらと倒れる。トリスティアが喜びの声を上げた。
「その調子だよ、アメリア。上手に出来たじゃない」
「ト〜リ〜ス〜テ〜ィ〜ア〜」
 また変な技を教えてとアルトゥールが憤慨する。アメリアは無邪気に笑っていた。
「いいから抜けていこう」
「はぁい」
 ホウユウは武器の使用禁止ということだったので、斬神刀をしまい、秘剣・夢想華で潜在能力をフルに引き出すと、一気に怪人の中に突っ込んで行った。強化された手刀で相手を切り捨て、道を開いてゆく。
「この身、すでに鬼神なり!」
 その言葉のごとく、圧倒的な強さで持って敵陣を突破していった。
 ミルルとシエラは身のこなしの軽さで敵をかく乱させ、自滅へと追い込んでいた。レイシェンは素直に転移して戦いを回避していた。ジュディ同様まともに戦って活路を開いていたのはワスだ。しかしその前にトリスティアがやってきた。トリスティアはにっこり笑って油断を誘った後、思い切りよく足を振り上げた。
「流星キーーーーック!」
 防御力を無視したトリスティアの必殺技は見事に決まり、ワスはきらりと光る星になってしまった。

                    ○

 怪人たちの群れを抜けるとすぐに亜空間通路に入り、ゴールがあるグラウンドへと戻ってきた。ホウユウが赤兎馬に乗って華麗にかけっている。ジュディも負けじと走っていた。アルヴァートがアリューシャを、アルトゥールがアメリアをそれぞれ抱えて空中を飛んでいる。アンナはローラースケートを履きなおして一気に追い上げて行った。他のメンバーたちもグラウンドに戻ってくると最後の力を振り絞ってゴールめがけて走っていた。フレアもそんな中の1人だった。が、その視線がふとゴール脇に立っているラインとスカーレットに向けられた。
「あ、ちょっと!なにする気なんだい」
 2人はブラスターの筒先をゴールに向けていた。森での一件を思い出し、フレアは失格になるのもかまわずにグラウンドを突っ切って2人の元へと急いだ。
「まさかゴールを燃やしちゃうつもりじゃないだろうねー!」
「こんなもの、なくなってしまえばいいんですわ」
「このタイミングを待っていたのよ」
「わーだめーっ。誰か止めて!」
 フレアの叫びに反応したのはリオルだった。ブラスターから発射された炎を精霊の盾でさえぎる。炎はゴールを燃やすことなく霧散して消えた。スカーレットが意地になって第2射を発射させようとしたとき、背後からリョータが取り押さえてきた。ようやく温泉の効果が切れて元の姿に戻れたのだ。じたばた暴れるスカーレットからブラスターを取り上げる。ようやくたどり着いたフレアがかんかんになりながら怒鳴った。
「みんな一生懸命に頑張ったのにそれを台無しにしようなんて許せないね。あとで罰則があることを覚悟しておくんだよ」
「そんなもの、怖くありませんわ」
 ラインがつんとそっぽを向いた。
 その間に選手たちがゴールへとたどり着こうとしていた。リオルが慌ててテープを用意する。1着で飛び込んできたのはホウユウだった。パ、パン!と空砲が鳴らされる。ホウユウが馬上で腕を振り上げた。僅差でジュディが駆け込み、悔しそうに地団太を踏んだ。
 選手たちが次々にゴールに駆け込みあたりが騒然となる。最後に追い上げたものの、上の中くらいの順位だったミルルは、はあはあ息を切らせながらその場に座り込んでしまった。リオルがやってきて座っているミルルに手を差し出した。それに掴まって立ち上がると、ミルルはうつむいてリオルの肩に頭を乗せた。
「ミルル?」
「勝てなかった〜」
 悲しげな声に、リオルがその頭にぽんと手を置き、優しく撫でた。
「でも精一杯やったんだろ」
「うん」
「ならいいさ。結果よりも過程が大事だよ。頑張った自分をほめてあげなよ」
 くすんと鼻を鳴らしてから、ミルルは顔を上げてにっこり笑った。その笑顔をまぶしげに見ながらリオルが促した。
「さ、閉会式が始まるよ」
 選手が全員ゴールして、閉会式が始まる。優勝したホウユウが壇上に上がってトロフィーを受け取ろうとしたときだった。若奥様から怪盗伯爵へと姿を変えたルシエラ・アクティアが高笑いしながら学園の屋上に現れた。
「ふふふ、優勝トロフィーはいただいていくよ」
 ぼんと煙玉が発生してあたり一面が煙に包まれる。屋上のホログラフィーを消したルシエラは、壇上に上がると煙で咳き込んでいる学園長の手からトロフィーを奪って逃走した。しばらくすると煙がおさまってくる。焦っていたのはもらうはずだったホウユウだ。そこへ大きくなったちとせが本物のトロフィーを持ってやってきた。
「なんか嫌な予感がして用意しておいたのよ。まさか本当に盗賊が現れるとはね。はい、学園長。こちらが本物です。続きをお願いいたします」
 ざわめきがおさまるのを見計らって式が再開される。追っ手がかかることを予測していたルシエラは、偽者のトロフィーを持って学園内を走りながら騒ぎが起きないのを不思議に思っていた。
「変ですね」
「それが偽者だからですよ。底を調べてみてください、アクティア先生」
 急にディスに声をかけられて、さすがのルシエラも驚いてしまった。しかしなんとかそれは表に出さずにすんだ。そして言われたとおり底を調べてみた。と、ぱかりと取れて中から学食の食券10枚つづりが現れた。
「なによ、これ……なに?『残念でした。これは残念賞です。梨須野ちとせ』って、だましたって言うの。ふ、やってくれるじゃない。探偵部以外にも私を楽しませてくれるものがいたのね」
 道理で騒ぎが起きないはずだ。さすがのルシエラも、額に青筋を立てながら苦笑いした。
 閉会式も無事に終わり、三々五々散会して穏やかな空気が流れる。テオドールはゴール後の感想を聞きまくっており、アリューシャは手作りのレモンのはちみつ漬けなどを振舞っていた。ジュディが陽気に校歌を歌って仲間たちを奮闘をたたえあっている。日当たりのいい裏庭では力尽きて行き倒れてしまったミルルをリオルが発見して、そっと抱き上げ保健室に運んでいた。「お疲れ様」と声をかけながら。ちとせはアルトゥールの汗を拭いたりしてやっているアメリアの下に来てわいわいやっていた。
「え、どこに行くんだい。アリューシャ」
「おなかすきましたでしょう。教室にいいものを用意してあるんですよ」
 連れて行かれた先で美味しそうなお弁当を広げられてアルヴァートが顔を輝かせた。アリューシャは少し照れくさそうに自分の手作りだと打ち明けた。
「今まで黙っていてごめんなさい。わたし、アメリアさんと一緒に料理部に入ったんですよ。アルバさんに美味しいご飯を食べてもらいたくて。上達するまで言えなかったんですの。許してくださいませ」
「そうだったんだ。ありがとう」
「ありがとうはわたしのほうですわ。守ってくださって本当に感謝しています。ありがとう、アルバさん。これは、その……お礼です」
 そしてちゅっとアルヴァートの頬にアリューシャがキスを送った。弁当を食べかけていたアルヴァートの動きが止まる。アリューシャは真っ赤になりながらにこにこしていた。

『学内新聞速報
毎年恒例の障害物競走は、幾人かの脱落者を出しながらも無事終了することができました。本年度の優勝者はホウユウ・シャモンでした。おめでとうございます。賞金は生まれてくるベイビィのために使うのでしょうか。これからもがんばって下さい』

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