『Velle Historia・第3章〜固き地の意志』 第6回

ゲームマスター:碧野早希子

 思い出すのが嫌なくらい、あの男には嫌悪の対象になる。
 セプトという男は、昔から人体実験をするのが趣味だったという。
 皇帝の命令ならば、意気揚々と即座に実行に移すのが彼らしいといえばそうなるのだが。
 自分も、何度傷を負わされた事か。
 忘れもしない、27年前の出来事。
 あれも兄である皇帝からの命令で、背に異物を取り付けられた事がある。
 同じ容姿を持つ者を実験台として、どう見られているかを。
 馬鹿馬鹿しい事だが、頂点に立つ者の命令には逆らう事などできない。
 だから、渋々受ける事にした……皇帝の罪を引き受けるように見えてしまうが。

 しかし、取り付けられても、いつかは飽きる時が来る。
 皇帝の気まぐれさには、毎度の事ながら嫌な気分にさせられる。
 突然それはやってきて、麻酔をかける事もなく命令により切り取られてしまった。
 その模様は、音声無しではあったが国内中に放映されたというのを後で知った。
 顔を映さず、ただ切断する部分だけを一部始終流したという。
 特に有翼人種にとって、心に傷を負うほどの印象が残るものとなってしまった。

 まるで公開処刑だ。
 自由という翼が、奪われるかのように――。

Scene.1 日常に戻る、という事

 ワイト・シュリーヴ大統領救出時、彼が地の賢者ディオス・”ヴェルト”・パンジーアだという事、そしてSDSの『親』というのがセプトという人物であった事が明らかになった。
 グーラだけでも捕らえる事ができたものの、残念な事にマリアン・ルクスリアとジョー・アヴァリティアを逃がしてしまう。
 セプト本人が何処にいるかも分からぬまま、一行は大統領官邸(グロウヴネスト)へと戻ってきた。
 本当は、一晩そこに過ごす予定だったのだが、
「私は大丈夫です。顧問官こそ家に戻られてゆっくり休むべきではないでしょうか」
 と言われた。
 ツァイト・マグネシア・ヴェレ特別顧問官は眉間にしわを寄せる。
「俺を追い出したいのかな?」
「そういうわけではありません。ずっとグロウヴネストに居っぱなしだったでしょう。SDSは今のところ目立った活動の報告がないみたいですし」
「つまり……お前も『今日は休むから、後の事は職員に任せろ』と。そう言いたいのかな?」
「そういう事です。一度落ち着かせなくては、頭に入れるべき事もやるべき事もできなくなりますよ」
 考え込むツァイト。
「そうだな……そうするか。と言いたいところだが、ここで少し仮眠をとりたい。でないと、何が起こるかわからないからな」
「やっぱり……そういうと思っていましたよ。では、夜までなら構いませんが、無理をさせないように監視役でも付けておきます」
 ワイトはナーガ・アクアマーレ・ミズノエを呼び出す。
「という訳でナーガ、頼んだよ」
「あー、はい。では失礼します」
 ナーガに肩を押され、ツァイトは部屋を出て行った。
 ふう……とため息をつき、机上の書類を見つめる。
 埋もれるほどではないが、20〜30センチぐらいに積み上げられている。
「私がいない間、一部やってくれていたとはいえ……こんなに残ってるとは。そういえば、フェ・アルマ部隊の一時凍結や他の傭兵部隊に一部行動制限を解除しなくてはならないな」
 後者の件は、副大統領のマクシミリアン・フィンスタインに告げる。
 彼にも色々と迷惑をかけた。近い内に特別休暇を与えて英気を養ってもらわなくては。
 書類に関しては急ぐようなものではない。明日に回す事にして、ワイトも仮眠をとる事にした。



 その頃、天空遺跡ではリュリュミアが日当たりの良い場所で寝転んでいる。
 人のいない場所を選び、そこにシロツメクサの種を蒔いて一面の白いじゅうたんと化す。
「ここなら日向ぼっこができますぅ」
 悲しい事を忘れたい時はこうするのが一番だと、彼女は思っているのだ。
 色々な事がありすぎて、頭の中が混乱しかかる。
 ワイトが大統領なのは分からなかったが、いつもレイアイル邸に顔を出しに来ているのを思い出す。
 しかも、大鎌を持っていた事からいつのまにか彼を『草刈りする人』だと記憶して。
「豚さんから助けてくれたのは嬉しかったですけどぉ……マリアンに嫌われちゃいましたぁ……」
 ため息をつくリュリュミア。
 別れの挨拶をしたのに追いかけて行ったからだろうか。
 そんなつもりではなかったのに。
 考えれば考えるほど、リュリュミアは悲しくなってくる。
 夕方まで寝転んでいたが、未だ気分が落ち込み気味。
「一日ではちょっと足りないですぅ……夜になったら、あの家へ行ってみるですぅ」
 リュリュミアの向かう家というのは、誰の家なのだろうか。



 レイアイル邸は変わらずに主達の帰宅を迎えてくれる。
 何日ぶりの帰路だろう。
 見慣れた家なのに、不思議と懐かしさを感じる。
 ツァイトとナーガは部屋に入り、電気をつけようとした。
「待て、誰かいる」
「え? こんなところに誰がいるんですか? 物好きな人でしょうか? 或いは――」
「いや、頭が痛くなりそうな感じだな」
 照明のレバーを少しずつ明るくしていくと、ベッドに誰か寝ている。
「いい香りがするですぅ……」
「……リュリュミアさん? どうしてここにいるんでしょうか?」
「というより、いつもは何処で寝ているんだ?」
 すると、部屋にアホ……もとい、犬のジョリィが入ってくる。
「ふに〜……」
 とっても眠たそうだ。ベッドまでとことこ歩いて、リュリュミアの側で寝る。
「ふかふかーであったかいぢょー……」
「……犬と花が寝ているな」
 呆れているツァイト。ナーガは笑っている。
「今日は寝場所をとられてしまいましたね」
「仕方がない、ソファで寝るか」
 照明を落とし、二人はそっと部屋を後にした。

Scene.2 未だ見えぬ天空遺跡の謎

 次の日。
 天空遺跡に戻ってきたシャル・ヴァルナードとエルンスト・ハウアー。
「ただ今戻りました。さて、調査再開ですね」
「向こうへ行ったのが半分骨折り損かもしれんが、収穫はあったから良しとするかのう」
「二人とも、お疲れ様です」
 相変わらず、ナガヒサ・レイアイルは笑みを浮かべて出迎えてくれる。
「その後の進展とかありましたか?」
 エスト・ルークスがシャルの問いに答える。
「今のところはないわね。ただ……博士が何かしらの気配を感じたようで」
「何をですか?」
「もしかしたら勘違いだったかもしれないって事よ。私達以外、誰もいなかったし」
「この翼の白骨について語っていた最中だったので、センサーが狂ったのかもしれませんよ」
 にこやかに付け足すナガヒサ。
「あ、それの事なのですが……」
 シャルが白骨を指しながら話を切り出す。
「再度見つけた部屋を調べたいのですが、いいですか?」
「ええ、構いませんよ」
 もしかしたらあの部屋には未だ何かあるのかもしれない。
 事務室らしき空間。大きなガラスの奥には手術台らしきもの。
 簡素に書かれた『シンス』、そのメンバーらしき七つの大罪の名を記した紙媒体。
 そして、根元を斬られた様な痕が残る、大きな翼の白骨。
「気配というのは、もしかしたら事件の黒幕がここにいるのかもしれませんよ」
「黒幕?」
「セプトという人物です。SDSを作り出した『親』ですが、姿は残念ながら見せてくれませんでした」
 ツァファでの出来事を話すシャル。
「なるほど、意識を乗っ取って話したようなものですね。で、その本人がここにいるのかもしれないと」
「それは難しいんじゃないのかのう」
 顎に手を当てて考え込んでいるエルンスト。
「どういう意味ですか?」
「セプトやらがどういう人物かを、物的証拠から地道に迫ってみたいんじゃよ。考えてみい、資料材料なぞ惜しんだ様子がないじゃろ?」
「そう言われてみれば……もしかしたら見逃している可能性だってありますし」
 話を続けながら、部屋の内部を再度調べるシャル。しかし、それ以上の成果はなかった。
「やはり、それ以上は見つかりませんか……隠し扉とか棚とかあるのではないかと思っていたんですが」
「ほぼ間違いなく、大事な資料ごと脱出したという事じゃろうな。そしてそれは、スッパリ無くなっていた部分の内部にあったか、それとも近くだったという事じゃ」
「地下格納施設も失われた部分に該当する……余程、必要なのでしょうね。武器や戦闘機類が」
 少し暗い顔をするナガヒサ。
「まさか向こうは戦争でも起こす気ではないでしょうね?」
 しーんと静まり返る。
 最悪のシナリオを想像するだけでも怖い。
「ともかく話を戻すがの、上に残されたのはセプトと無関係のものという事になるわい。どういう意味か分かるかの?」
「知られても何の問題もないって事ですか?」と、シャル。
「そういう事じゃな。つまり、研究の詳細はどうでもいいから、ここを含む残った施設の大まかな研究分野を調べていけば、ある程度の専門分野は絞られてくるというわけじゃ。それが先端技術であるなら尚更じゃな」
「先端というのは、当時のですか? それとも――」
「現在進行形と見てよかろうな。最先端の技術の先頭を走る人間ならば、詳細は出ずともそれなりに人の噂になるものじゃ。面倒臭いがの」
「噂……ですか」
 ナガヒサは考え込む。しかしそんな噂を聞いた事も、ましてや当てはまる人物も思いつかない。
「ごめん、話についてけないわ……」
 エストは話の内容を理解しようとしたが、調査に加わっていない事もあって混乱する。
「まあ少しずつ整理していきましょう。時間はかかりますが」
「そういや、あの手紙は向こうへ届いてるかのう」
「手紙?」
「大統領への手紙じゃ。引退しようかと言っていたじゃろ。わしなりの意見を書いて送っただけじゃが」

Scene.3 豚から情報を引き出せるか?

 ヴェレスティア中央拘置所。
 ここはIGK(インペリアル・ガーズ・ナイツ)のメンバーであったアール・エス・フェルクリンゲンが数ヶ月前に勾留し、その後地下深くの凍結安置所に安置されている。
 今回はSDSののメンバー、通称『暴食のグーラ』が拘置所にいる訳だが、空腹時の音がすごく大きい。
「お腹すいたズラブー……」
「色々教えてくれたら、お菓子を食べさせてあげるよ。どう?」
 姫柳未来がそう約束するが、グーラの表情は怪訝そう。
「本当ズラブか? あんまし信用できないズラブー」
 今度はルシエラ・アクティアがこんな事を言った。
「ちゃんと話してくれればの話です。でないと……このルイスが勝手に脅しますよ」
 ゆらゆらと現れたり消えたりしながら、グーラの身体を何度も通る。
「そんな幽霊で出来るズラブか?」
「ゴーストを甘くみない事です。身体の中から切り裂く事も可能ですから」
 未来も念の為、ツァイトに頼みこんでLI-2500を受け取っていた。戦闘に巻き込まれた時の護身用である。
「話せる範囲でなら大丈夫だよね?」
 にこやかな未来を見て、ようやくグーラが頷く。
 動物の勘という訳ではないが、信用してもいいかなと思っている。
 未来が最初に質問する。
「えーといいかな? 大統領誘拐事件、その真相を知りたいんだけど……」
「あのおじさんズラブか?」
 グーラにしてみれば、例え大統領であってもワイトはただの中年男性しか認識していないのだ。
「見張ってるだけでいいからと言われただけズラブよ。あと、おいしい物が食べられる条件で付いてきたズラブー」
 つまり監視役を与えられていたという事だ。
「やはり真相を知るのはジョーやマリアン、セプトぐらいかな」
 そうとしか考えられないと、未来は目線を上に向ける。
 ため息をつくルシエラが割り込む。
「目的を聞いても、あまり知らなさそうな気がしていましたよ。ずばり聞くけど、『親』のいる所は何処でしょうか?」
「いきなりそこを聞くズラブか? んーでも知らないズラブよ。あちこちいるみたいズラブし……一つの場所に留まらない性格だったりするズラブかねー」
 悩むように考え込むポーズをするグーラ。一生懸命思い出そうとしているところを見ると、嘘はついていないらしい。
「では、あなたの生まれた場所は?」
「ボクの生まれた場所ズラブか? 機械がいっぱいつまった場所ズラブよ。音もうるさかった様な気がするズラブね。でも、初めて外に出た時は目隠しされていたからわからないズラブー」
「『親』からは場所を教えてくれなかったの?」
 未来の問いに、首を横に振るグーラ。
「もし誰かに教えたら後々面倒だって、機械のとこ以外全く見せてくれなかったズラブよ」
「それ、本当でしょうね。嘘でしたらルイスが――」
「本当ズラブよ。疑い深いズラブねー」
 少し頬を膨らませて怒るグーラ。何度も言うが、本当に嘘はついていないようだ。
「……セプトは用意周到な事してるね。視覚情報も価値があるという事は把握しても良さそうだよ」
「その人物の話し方からして、何か合わなそうですしね」
「食い意地張ってるだけの奴で情報源になるとは俺も思えんが……それでも、あんな奴のいい様にされるのは気分が悪い」
 グラント・ウィンクラックが神妙な表情で言う。
「なあ、菓子を与えてもいいか? 何かフラフラしそうだしな」
 フラフラというより、グーラが持て余して身体を揺らしているように見える。
「んー……そうだね。脳には甘いものがいいと言うし」
 大量に持ち込んだ菓子の山を見るなり、お預け状態だったグーラの眼が光る。
「これ今すぐ食べたいズラブー! いいズラブか?」
「無理してノド詰まらせるなよ」
「いただくズラブー!」
 名は体を表す通り、グーラは菓子類をガツガツ食べている。
「んーんまっ、こんなにおいしいもんがまだあるなんて羨ましいズラブー」
「気に入ってもらえて何より」
 豚のような顔をのぞけば、本当に子供と変わらない。未来は笑みを浮かべながらそう思った。
「食べながらでいいが……『親』や他の兄弟の事についてもっと教えてくれないか?」
 グラントの言う他の兄弟とは、SDSのメンバー6人の事である。
 ただし、傲慢のスペルビアことマイ・スペルビアは既になく、残されている中で確認されている者は、グーラの他にマリアンとジョーのみ。他の3人は未だ行方知れずであり、名もわかっていない。
「父ちゃんは一生懸命研究というのに没頭してるみたいズラブね。何かはわからないズラブよ。それ以外に興味はないって感じズラブー。で、兄弟って誰を知りたいズラブか?」
「マリアンとジョーについて。あと他に3人いるんだろ? そいつらの事も教えてくれねえかな?」
「マリアンは色恋をも武器にするって言ってたズラブよ。本気のように見せかけて好みの男性を自分のものにしたいって言ってたけど、良く分からないズラブー。ジョーは何でもかんでも欲しいものは手にしたいらしいし、興味のある事は首を突っ込むズラブー」
「名は体を表すっていうが、その通りだな。で、他の3人は?」
「『嫉妬のインヴィディア』と『憤怒のイーラ』、『怠惰のアケディア』の事ズラブね。嫉妬のはしつこいズラブよー。ボクが黙って食べ物を食べたら怒って、代わりのものを持ってくるまでずーっと睨みつけてくるズラブー。眼が怖いズラブよ」
 当時の事を思い出したのか、グーラは少し青ざめている。インヴィディアという人物は相当執念深いのだろうか。
「憤怒は名前の通り、いつも怒ってるって感じズラブよ。こっちも眼が怖かったズラブー。怠惰は……怠け者ズラブねー。面倒臭いのかなー、いつもやるべき事を先延ばしにしてる事が多いズラブよ」
「名前の通りか……それ以外は知らねえのか?」
「どうも苦手で付き合いがないから、あんまりわからないズラブー」
 動物の本能とも言うべきか、近寄り難いものは無意識に遠ざける。
 グラントはこれ以上は聞いても無駄かもしれないと判断した。
 黙々と、しかし満足げに食べ続けているグーラを残し、隣の部屋に移動する三人。
「あの子、これからどうなるのかな? やっぱり凍結処分になっちゃうの?」
「マリアンやジョーに加担していた事実がありますからね、それ以外の処分になるかもしれませんし」
「その事なんだが……」
 グラントは意を決して話す。
「マイと同様、赤い球体上の核が埋め込まれている事は確かだ。いつか、もしかしたら近い内に彼固有の消滅信号ともいうべき自壊プログラムが受信される恐れがある。ただ、その発動条件が電子的指示か魔導的指示かはわかんねえ。両方を遮断する部屋に保護するのが一番だと思うんだ」
「まるで殺されないようにしたい、助けたいという意図が見え隠れしてるのですが」と、ルシエラ。
「その通りだ。マイは助ける事ができなかったが、あいつは何とか保護したい。二人を徹底的に調べて、自壊プログラムの停止方法を研究機関に依頼しないとな」
「L・Iインダストリーなら守秘は大丈夫かもしれないよ。あそこなら遮断する部屋がありそうだし」
 未来の言葉にグラントは頷き、停止方法を含めた極秘裏調査がL・Iで行われる事になったのである。
「連中の言ってた最低な父親の名前がセプト。しかもノヴス・キャエサルのメンバーだという事もわかった。ナーガや師匠のような人材が閑職に追いやられ、変態皇帝やあんなのが幅を利かせてたというんじゃ、当時の王朝が滅ぶべくして滅んだと言われても仕方がねえ。それをひっくり返そうとするSDSのしてる事は、稚拙な反動主義にすぎねえって事がよくわかった」
 要するに、不当な特権を教授していた彼らが過去の栄光を再度取り戻そうとしているのだ。グラント曰く『精神がガキ以下のオッサン共』の犠牲にされる子供にとっては救えない話だという事が。
「私達個々がやるべき事は色々あるとはいえ、共通点は同じですけれどもね」
「SDS――ひいてはノヴス・キャエサルの行動を阻止する事、だよね」
 彼等との戦いは、まだまだ続くようだ。
 その先が希望かどうかは、想像もつかないが。

Scene.4 大統領の決断

 数時間後、大統領官邸。
 大統領執務室では、ためていた書類の束を終えたワイトが客人と話をしている。
 相手はトリスティアだった。
「疲れているのに、御足労だったね」
「ちっとも。でもそんな余裕はないんだけどね」
 既に未来から中央拘留所での出来事を伝えられている。トリスティアだけでなく、ワイトにも。そしてここには来ていないツァイトにも。
「で、私に何か聞きたい事は何かな?」
「せっかく皆が時間を割いてまで、大統領救出の為に頑張ったんだよ。ここまできたら色々教えてほしいなあなんて」
「色々?」
「この誘拐事件……大統領はどう絡んでいるのかなって事」
「私との繋がり?」
 ワイトは考えてみたが、何か思い出したようだった。
「そういえば……拉致される数日前、差出人不明の手紙が来ていた」
 机上に敷いてあるシートの下から封筒と一枚の紙を取り出す。
「それ怪しいね。でも何でそこに隠したのかな?」
「悪戯だと思っていたし、もし本気の脅迫文ならば内密に事を片付けたかったというのもある」
「ツァイトにも奥さんであるウィンディアでも内緒に?」
 風の賢者で医師のウィンディア・ゼファー・シュリーヴは、彼が拉致されている間だろうと仕事を抜け出すわけには行かなかった。自分も救出に加わりたかったらしいが、医師として最優先すべき仕事がある為、ツァイト達に任せるしかなかったのだ。
「心配かけたくなかったんだ。負担はかけたくなかったしね」
 愁いの表情を浮かべ、紙を眺めるワイト。
「中身は今時珍しい切り貼りした文字を並べただけの文章だ。今思えば、SDSかノヴス・キャエサルが差し出したのかもしれない」
 機械でメールのやり取りするこのご時勢、紙媒体の手紙自体やり取りが滅多に少なくなったとはいえ、好む輩もいる。
 差出人が誰なのか、調査するには足りなさ過ぎたのだ。ワイト自身も公務で忙しかった為に、手をつける事が出来なかったのだから。
 トリスティアが確認すると、こんな文章であった。
『大統領を辞任し、時期大統領に天空階級の議員を就任させろ。さもなくば、直接実力行使に出る』と。
「最初はノヴス・キャエサルについている議員か近しい者による嫌がらせかと思っていた。まさか数日後にああなるとは思ってもみなかったよ」
「実力行使がジョーによる誘拐……と見ていいよね」
「あともう一つ、セプトの事だが」
「ノヴス・キャエサルのメンバーだよね」
 頷くワイト。
「ヴェレ王国では、科学者兼医師をやっていた。前世のウィンディアが医師をやっていたが、ある意味正反対な事をしていたよ」
「正反対?」
「『表の医師』とウィンディアは称されていたんだ。生命を助ける側のね……だが、セプトはその逆。『裏の医師』と称されていた。性格からしてマッドサイエンティストだからな、欲求が強く実験したいものが多いのだろう。人体実験や動物実験の先頭に立っていた事が多かったそうだ」
「実験って……」
「人間に異物を融合させる実験。動物を兵士や兵器にする為の改造……ヴェレ生まれの動物が何故言葉を話せるのか、元をたどればここに繋がる。その2世や3世は、遺伝子操作されたのがそのまま記憶され受け継がれているんだよ」
 トリスティアは言葉が出なかった。想像もつかないのだから。
「殿下――ツァイト顧問官もある意味実験にされたなんて事を前に聞いた事がある。私はその時地上にいたから直接見た事はなかったが、戻ってきた時、背に包帯が巻かれていたのと大量の血がついていた布が置かれていたのを見かけたよ」
 ワイトは思いつめたようにソファーに座り、垂れた頭を支えるように手が支えている。
「ところで……大統領辞めちゃうの?」
 トリスティアの言葉に、顔を上げるワイト。
「25年も同じ職に就くのはすごい事だと思うし大変だと思う。でも、何事も途中で投げ出すのは良くないよ。できれば大統領の仕事を続ける事で、今まで大統領の為に頑張ってきた人達への責任を果たすべきじゃないかな」
「似たような内容の手紙も、そんな感じだったな」
「あの手紙にそんな事が?」
「あれとはまた別だ。エルンストからの手紙だよ」
 スーツの内ポケットから一枚の紙を取り出す。
 それには以下の文章が書かれていた。


 大統領を辞職すべきか否かを民主主義に則るのあれば、国民に真実を告白して再選挙により信を問うべきじゃ。
 が、そんな綺麗事で世の中すんだら世話ないわい。
 今のところは政治家の常套手段『臭い物には蓋』で素知らぬ顔をして、大統領を『任期満了まで』続ければよかろう。
 国の為、国民の為に清濁併せ呑めるのが良い政治家というものじゃ。


「伊達に年はとっていないな」
「大統領の任期って、どのくらいなのかな?」
「4年で1期分だ。他国では最長2期8年で交代する。実は去年再任されたばかりだから、あと3年という事だ」
「群を抜いて最長記録だね」
「まったくだ……貴重なご意見、心から感謝する」
 ワイトの意を決したような表情。しかし曇りはない。
「ご期待にそえる為にも、もう少しやってみるか。元気に動けるうちは」

Scene.5 死に至る病より生に至る薬

 数時間後。同じ官邸の中にある顧問官執務室。
 中央拘置所から戻ったグラントは、ツァイトやナーガの護衛をしている。
「グーラの相手で大変でしょうに……疲れが見えますね。少し休んでは?」
「有難うナーガ。その気遣いだけでも十分だ。俺だけ休むわけにはいかねえだろ」
「では俺達も休憩する。それなら一緒に休める」
 手を止めて、ナーガに茶と菓子を持ってこさせる。
「で、俺に聞きたい事がありそうだが……?」
 右手で頭をかくグラント。
「セプトに関しての現状情報が少なすぎる。同じ王国にいた師匠とナーガなら……他の賢者もか、ともかく知っている事を少しでも教えてほしい」
 グラントの頼み事とはいえ、ツァイトとナーガは顔を合わせる。
「思い出したくねえ事かも知れねえけど、敵の事を知らずに敵地に向かうってのは死にに行くようなもんだからよ……頼む」
 その熱意に負け、ナーガが語る。
「彼の過去はあまり知られていません。あまり外に出なかったのもありますから。ただ、いつもというわけではありませんが、陛下と共にいる事が多かったですね」
「ティーマの素顔を知る数少ない者の一人だ。それだけ信頼しているのだろう。何を研究しているのかは俺もあまり把握していなかったからな。動物関連の事は一部しか聞いていなかったし……エデニア伝説上の武器探索に関しては、ついでといったところらしいな」
 ツァイトの兄、ティーマ・マギステリウム・ヴェレは一体何をしたいのか。3人は首を傾げる。
「という事は、相当上の地位にいるって事か?」
「セプトは『IGK』――インペリアル・ガーズ・ナイツの一人です」
「なっ……!」
 絶句するグラント。だが、すぐに心を落ち着かせる。
「なるほどな、それだったら変態皇帝の側にいてもおかしくねえし納得いく。だったら失敗したときの為に、特定音波を出すあいつ専用の万年筆型抑制装置がある筈だぜ?」
「それが、セプトだけにはないらしい。それを造ったのは他ならぬあいつだからな」
「それが真実なら、倒す方法難しいんじゃねえか」
 グラントが残念そうに肩を落とす。ツァイトは冷静を保ちつつ、茶を一口すする。
「地道に探すしかないようですね」
「ティーマの命令による『天翔ける方舟』の探索ってのが、セプトが現在受けている仕事か……元々ヴェレの小型戦艦とか言ってたけど、そんなに脅威なのか?」
「殺傷能力のある重火器類を大量に搭載すればの話だ。方舟というよりは大きいほうの『箱舟』に近いな。長い流線型ではあるがOSが搭載されている船は、ある意味目立つ。本来はヴェレ王国の旗艦とする筈だったのだろう。だから約30年前に隙を突いて奪取し、大地の下に封印したのだ」
「封印先って何処に?」
 ツァイトはナーガのほうを見る。
「……え? 私と何か関係があるんですか?」
「船は皇和国に封印してある。詳細は極秘だが。お前の父が生きていた頃、管理役を引き受けてくれていた」
「父さんが……」
 その事に関しては、ナーガ本人も知らされていなかったのだ。
「しかし、ナーガの親は殺されたんだろう? 今は誰が管理してんだ?」
「皇和には10の天干階級――上流みたいなものがいて、その内の一つがナーガのミズノエ家だ。現在、表面上は俺が当主代理を務めている」
 皇和国は元首が首相なのだが、王族は存在しない。
 この国が建国される以前から国民の祖先ともいうべき民をまとめ上げていたという。
「ミズノエ邸及び船の現管理者は、アベル・オプト・ミズノトがやってくれている」
「アベルさん、いつ見ても痛々しい気もしますが……大丈夫でしょうか?」
「問題はないだろう。義体がサポートしてくれているしな」
 また知らない人物の名が挙がってきた。グラントは勿論質問する。
「そのアベルって奴は誰なんだ?」
「元ヴェレ王国の天空階級者で農学者です。色々とありまして……脳以外は全て機械化されています」
「ミズノト家には子供というか跡継ぎがいなかったからな、養子に入ったんだよ」
「敵ではありませんよ。むしろ……同類ですかね」
「同類?」
 二人は黙っている。思い出すには辛い事があるのだろう。
 グラントは慌てて話を変える。
「そういや、色々とあったよな。きっかけがアール・エス・フェルクリンゲンの事件」
「5ヶ月前でしたもんね」
「俺はその時キャエルムにいたな。5月には輸血でナーガが若返って――」
「あの変態皇帝のお出ましってわけだ」
 6月から8月にかけては何事も無かったが、この9月でまた動き出した。
 大統領の誘拐事件、SDS、セプト……その裏には必ずノヴス・キャエサルが、そしてティーマがいる。
「――死に至る病に捕らわれるな、生に至る薬を求めよ」
 突然、ツァイトが呟く。
「それ、何の意味だ?」
「死に至る病は絶望、そして、生に至る薬は希望。何事にも動じず、明るい未来を持てという事だ。例え事の重大さになろうとも、そして何も知ろうとしない人達が背けずに現実を見る事で人生の経験をする事を」

Scene.6 背の傷痕

 夜のレイアイル邸。
 ツァイトとナーガは部屋に入る。
 浴衣に着替えようと、諸肌を脱いだツァイトをじっと見つめるナーガ。
「どうした?」
「あ、いえ……鍛えてますね。私には永遠にそういう身体になれそうもないですが」
「そうだな。その顔で鍛えられたら、ボディビルダーになってしまうな」
 ナーガは背の傷痕を見て、少し悲しそうにする。
「その傷は……消さないのですか?」
「これも、記憶と共に留めなくてはならない。ティーマによって勝手に翼を付けられ、ティーマによって勝手に切られたからな」
「詳しく言えば、『陛下の言葉を通じて』ですよね。触っても……良いですか?」
「血塗れの俺を思い出して力が抜けても知らんぞ」
 そっとナーガの手が触れる。同時にツァイトが「っ……!」と声を出してしまう。
「す、すみません」
「何でもない、大丈夫だ」
 物心ついた時から、ナーガはツァイトの背を見て育ってきた。
 無論、両親の背も見てはいるのだが、やはりツァイトのほうに記憶が強く残っているのだろう。
 忙しかった父親の代わりに稽古を付けてくれたり知識を教えてくれた人に。
 気になるといえば、もう一つ。
 何度も戦闘に巻き込まれざるを得なかった証拠として、無数の傷痕がツァイトの背や腹、胸に幾つか残っているのだが、右肩の傷痕が妙に気になって仕方がない。
「私のは左、あの時かばってくれたザルドズのは右……貴方のも右なんですよね。偶然とはいえ、戦争時に刺されたものと――」
「何万か何億か分の一の確立だろうな。それより、お前のほうは身体に何か変化はあったのか?」
「そうですねえ……太ったくらいかな?」
「太った?」
「筋肉つけると、太ったように見えなくもないでしょう」
 輸血による細胞の活発でナーガは若返ったが、あれから約2ヶ月経ったのに見た目はそんなに変わっていない。
「何処が太ったのだ?」
 暫く考えた後、ナーガはその部分を手で当てる。
「……胸?」
「なるほど。確かに運動して筋肉をつければ、そう感じなくはないが……しかし、服を着ていてもあまり変わらんな」
「触ってみて下さいよ」
「誤解されるからやめておく。というか、お前触られるの嫌な筈だが」
「それは素肌の時です。でも貴方でしたら良いですよ」
「いや、やめておこう」
「そうですか……」
 何だかわからないが、ナーガはとっても残念そうだ。
「お前はお前のままで生きていれば、それで良いんじゃないかな。何か変化しようとしまいと」
「自分らしく生きろ。そういう事なら何度でも聞き慣れていますよ」
「わかっているなら、さっさと寝る。明日も忙しいからな――と、忘れるところだった。ワイトにも話したのだが」
 何かを思い出して、ナーガにも告げるツァイト。
「早い内に皇和国へ行かなければならない。それを話したら、ちょうどその首相への会談が来月行なわれるそうだ。セプトの探している船は厳重に管理されているから、すぐ発見される恐れは無いが……」
 まるで「故郷へ戻る気はあるか?」と問いかけるように見るツァイト。
「皇和ですか……」
「お前の問題だ。家とて残すか否か判断しなければならない。あと国籍はそのままになっている筈だ」
 現実味を帯びてくると辛い。それを決断する時期が来たのかもしれない……ナーガは気が重い。
「一度皇和へ戻って、気持ちの整理をするといい」
 ヴェレ王国が終焉してから25年。
 一度も戻った事がなかったナーガだが、果たして行く決心はつくのだろうか。
 そして、SDSやセプトに関わる事も未だ終わっていない。
 皇和国に行けば、片付く事象はあるのだろうか?
 その先は未だ見えずじまいだ――。

碧野マスタートップP