『Velle Historia・第3章〜固き地の意志』 第3回
ゲームマスター:碧野早希子
「……そうか、まだあいつの居場所が掴めんか」 外務特別顧問官ツァイト・マグネシア・ヴェレは考えるような格好で、連絡を受けている。 相手は惑星キャエルムのアスール担当外務長官――時の賢者ザルドズ・クロノである。 「陛下は何処かで静観しているのは分かってはいるが、どうも我々のとは違う所にいる気がする」 ザルドズの声は相変わらず機械音が混じっているが、長年聞きなれているせいか、ツァイトにとって不快とは思わない。 「俺もそう思う……何らかの形で、突然現れるのはいつもの癖だと思って諦めるしかないが」 二人はヴェレ王国最後の皇帝ティーマ・マギステリウム・ヴェレの事を話している。しかし、これ以上は進まないので別の話――ワイト・シュリーヴ大統領の件に切り替える。 「で、大統領に関しての進展は?」 「いや、未だだ……芳しくない。それとは別に、妙に気にかかるのがある」 「誘拐事件とは別に?」 「スペルビア――それを聞いて、何か思い当たる節はあるか?」 ザルドズは暫く考えたが、首を横に振る。 「残念ながら知らない。すまないな。それは何かのスラングか?」 「スラングじゃない。人の名だ。珍しい名字だったからな」 そう。確かに珍しい姓ではあるが、姓につけるような単語ではない。 ツァイトはそう思った。 マイ・スペルビア秘書官に関しては、気になる事がもう1つ。 本当に政府の人間としての行動をしているのかという不安――いや、疑問か。 この前の、隠れて写真を撮ろうとした時だ。 まるでスクープ写真を狙う写真家のようだと思えば、政府の人間らしからぬ発言をする時もある。 よくこの世界に入れたなと思ってしまうくらい、何処にでもいる追っかけの一般人と変わらない。 またツァイトが考えているのを見て、ザルドズはくすくす笑う。 「人にも滅多に使わんものを付けたがるからな」 「そうだな。俺もザルドズも人の事は言えんか……また何かあったら連絡を頼む」 「分かった。大統領の件も進展がある事を祈る」 回線を切り、背もたれに身を預けるツァイト。 (あの『地の増幅器』を渡したとしても、ディオスはやれるのか……?) 「ツァイト、寝るなら仮眠室でお願いします。0時過ぎましたからね」 顎を上げると、ナーガ・アクアマーレ・ミズノエが立っていた。 「別に寝てはいない。ただ、スペルビア秘書官が気になってな」 「え……」 ナーガの表情が少し困惑しているようだった。 「言っておくが、ああいうのは興味は無い。それで安心するかね?」 「え? いや、別に私は……」 「顔に出ているぞ。気になるというのは、名字の意味だ」 「ああ、そうなんですか……なんだ、そうですか」 ホッとした表情のナーガ。ツァイトは呆れたような表情をする。 「何かツァイトは、本当に身分を気にせず人と接している。それが一番嬉しい事です」 「俺は元ヴェレ王族であるが、お前達と同じ人間だ。コミュニケーションをとらねば見えない部分も知らないままだろう? 知らなくて良い事もあれば、知らなければならない事もある」 「貴方のプライドは、良い意味で謙遜してますね」 「プライド……?」 その言葉に反応するツァイト。そういうのを考えた事が無さそうな彼が珍しかったのか、ナーガは返答を待っているかのようだ。 「俺はプライドなぞ考えた事はないし気にはしない。その言葉は良くも悪くもとれる」 「自慢、高慢、自尊心、誇り、得意、満足、軽べつ、盛り、矜持――人としてのプライドとは、他人に言われて初めて分かるもの。違いましたっけ?」 「いや、その線で合っていると思う。ならばティーマは負でのプライドによる塊か……俺とは逆だらけかもしれない。或いは同じなのかもしれん」 手を顎に当てて考え込むツァイト。 世界は表と裏がある。光と影、白と黒……それらは一体であり別物なのだ。 だが、彼が考えていたのはプライドという言葉。 妙に頭の中にひっかかっている。その理由が分かるのは少し後になるのだが――。 Scene.1 スナックバーにて 夜中の11時半。スナックバー『バブルアイル』。 探偵のエスト・ルークスと共に中へ入るのは、姫柳未来とトリスティア。 ナガヒサ・レイアイルも連れて行こうかと思っていたのだが、向こうは忙しいらしく、行かれないとの連絡があった。 「お出かけですかぁ? 一緒に行きたいですぅ」 ニコニコ顔のリュリュミア。外見は大人ではあるが、話し方が疑問である。 とはいえ、世界には声が幼く聞こえる大人もいる。その逆も然り。 遺跡へ行っていたリュリュミアは海水で濡れた身体を洗おうと、近くの川に入っていたが、この話を聞いてすぐさま飛んできたのだ。 「あー、リュリュミアは楽しい事は好きみたいね……未来は、よくその服調達できたわね」 「エストに褒められちゃった。ここに入るんだもん、それぐらいはしとかなくちゃ」 サングラスにミニタイトのスカート、ヒールを着こなす未来。 背丈のせいで未成年に見られる大人もいる。彼女は「自分は大人だ」と繰り返し呟きながら、あえてその気持ちで入るつもりだ。 3人……いや、エストと未来の目的は、ジョー・アヴァリティア曹長の調査。 リュリュミアの場合は、ただ単に楽しい所に行きたいというだけであるが。 ともかく、3人は扉を開けて中へ入る。 ○ 「いらっしゃいませ」 中は質素なつくりだ。照明は雰囲気作りの為か、少し暗い。 大人向けの店だという事を肌で感じ、連れてくるのはまずかったかなあとエストは心の中で後悔し始める。 奥のカウンターでジョーが酒を飲んでいるところを発見する。 少し離れた席に3人は座った。 (エスト、盗聴器用意してきた?) (一応ね……でも手がかりになるような事話すのかしら?) (一般客の眼に届くところで、あの人物が怪しい事とか重要な話すると思う? その為の盗聴器でしょ) 確かにそうだ。 エストは耳の穴に入るくらいの大きさの器具を未来に渡し、それを瞬間移動させる。 (膝の位置の棚に移動したけど、声は拾える?) (……大丈夫みたい) 「ご注文は?」 妖艶な女性店員が注文を伺う。が、 「そちらの方は未成年ね。お酒類は提供できないわよ。飲み物は炭酸入りのになるけど」 未来の事を言っている。 「伊達にここの仕事をやってないって訳ね。わたしはそれでもいいけど」 「私はアルコール低めね」 考え込むような仕草で注文するエスト。リュリュミアは別の場所のを指差して、 「あそこの女の人が飲んでるのと同じピンク色のがいいですぅ」 「そっちは話し方が変わってるわね。幼系の声優さん?」 「声優さんじゃないですぅ、リュリュミアですぅ」 「ふふ、本当に面白いわね。他にオーダーがなければ、すぐ持ってくるから」 店員が離れると、すぐにジョーを見やる。 未だ酒を飲んでいるが、時々何かを書いているようだ。 「何を書いてるのかな?」 「かといって近づくわけには行かないし……」 注文したドリンクが届く。女性店員はジョーのところに行った。 「何を書いてるの?」 「マリアンにラブレター」 「馬鹿……私の好み、知ってるでしょ?」 その紙には落書きのように見えるが、一応ハートマークが描かれていた。 マリアンと名乗る女性は、確かに色っぽい。 片目が隠れる黒いロングヘアに、胸と背が思い切り開けているドレス。その胸は異様に大きく見える。 「女は胸じゃないわよね」 「何処見てるの?」 エストは胸の大きさが気になるのかなと、未来は首を傾げる。 そんな事で気にするエストではないが。 とにかく、ジョーの会話に専念しなければ。 「この国へいたって、何かが起きるわけじゃあるまいし。別の国なら傭兵として雇ってくれるんじゃないかしら?」 「あるんかねえ……それよりも、別件でミツパ州へ行かなきゃならなくなっちまった」 「あんな辺境へ? 軍の命令?」 「特命ってか。まあ、あそこにゃ先行してる奴もいるからよ」 「もしかしたら大変な事になるかもしれなかったりして」 「なるんかねえ……その前に訓練あるかんな。じゃ、ごちそうさん」 ジョーは立ち上がり、代金を支払って店を出る。 「記録できた? じゃ盗聴器を回収するよ」 未来は再度超能力で盗聴器を移動させる。 「トリスティアにも録音した内容を転送するね」 見つからないように転送を始める。終わるまでの間、エストはマリアンを指名する。 「ご指名ありがとう、マリアンです。追加注文かしら?」 「違うわ。あの軍人さんについて、聞きたい事があるんだけど」 「もしかしてああいうのがタイプなの? やめたほうがいいわよ。あの人は強欲が強いから」 「違います。評判ってどうなのかなって」 マリアンは職業柄、エストの職業を感じ取る。 「……なるほど、探偵さんね。そうね……口は悪いけど、軍人としての腕は確かかしら。戦術とかは言われてもさっぱりわからないけど」 「そう、答えてくれてありがとう。貴方は結構お客さんを相手にするけど、職業も言い当てるわけ?」 「そりゃあねえ。色んな職業の人間と相手してるんだもの、自然と仕草とかで分かるものよ。水商売をなめてはいけないわ。今度来る時は、ダンディな人連れてきてね」 投げキッスをして、仕事に戻るマリアン。 「それじゃ出よ……って、リュリュミアは?」 エストが見回すと、ふらふらと歩き回るリュリュミアの姿が。 「暑いですぅ……あれれ? そこに座ってる人の顔が歪んでますよぉ。言ってる意味が分からないですぅ」 相当酔っているのが分かる。少しして笑い出した。 「きゃはははははははは、ちゃんとしゃべってくらはーい」 ピンク色の飲み物は既に空っぽ。他にもう1つ注文していたらしく、水色の酒だった。 「何か恥ずかしいわ……急いで出ましょ。迷惑かけちゃう」 「そ、そうだね」 飲食代はエストが全て払い、リュリュミアをガシッと掴んでそそくさと店を出る。 「今後この店に行き難くなるわね……2〜3日後にはこの界隈に広まってるわよ。『要注意人物として』かもしれないけど」 深いため息を出すエスト。 ジョーの言っていた、ミツパ州で何の特命なのだろうかと考え込む。 「意味深だよね……辺境って言ってたけど、そんなに田舎?」 「のどかだなーってイメージはあるわね。ヴェレシティより人口は少ないけど」 Scene.2 演習場へ L・Iインダストリー、動物総合課。 その中には、何故か動物用の温泉が設置されている。無論、人間用のもあるが。 「えーゆやのー」 のんびりくつろいでいるアホ……もとい、犬のジョリィ。隣には大きいネズミのような動物も。 「にゃーんっ、かぴぱらちゃんだー」 「カピバラ……なんだけどな」 一番大きいネズミであるこのカピバラ、やはりジョリィと同じく人語を解する事ができる。 つまり、ヴェレ生まれだという事だ。 「えー、かびばらー? かびのはえたばらはにゃだなー」 「だからカビの生えたバラじゃないよ……耳悪いだろー」 「おみみはわるくないぢょー」 「何やってるんでしょうかねえ……」 窓の外で、テツト・レイアイルが頭を押さえ込むように手を当てている。隣には課の職員が。 「社長、賑やかなのは良い事だと思いますが」 「別な意味で頭が……それよりも、また頼んでしまってすみません。ジョリィをお願いします」 「安心して行ってきて下さい」 「いや……戻ってくるまでの間が心配なんですが」 そうしていても仕方がない。しかし今日も色々と心配の種が続々出てきそうでもっと怖い。 テツトは気持ちを切り替えて玄関ロビーへと足を運ぶ。 トリスティアとラウリウム・イグニスが待っていた。 「仕事が忙しいのに、運転を押し付けてしまいまして……」 「構わないわ。大事な義弟の頼みだもの、もしかしたら新たな情報が収集出来るかもしれないし」 「乗っていく車見せてもらったけど……これがアノールなんだね」 黒のテスト・アノールではない、碧緑に輝くナガヒサ――正式にはナーガのだが――所有のプロト・アノール。 「許可をもらってあるわ。一応、テツトの所有物でもあるんだけどね」 「社長専用にしては、ちょっと……」 「年齢的にはピッタリでしょ。早く行きましょ」 ○ 北東の州『イグニシア』の州都アグリア。山間部の演習場。 「未来から送られた情報によると、ジョー達はこっちに訓練しに来るらしいよ」 トリスティアが持ってきた対ティーマ兵器用に開発されたレーザーキャノンには、威力を落とさないレベルで軽量化を施している。 「で……ティーマに対抗する為の兵器を開発しているのね。普通なら未成年は銃刀所持は勿論、使用も禁止されてる筈だけど」 ラウリウムは難色を示すが、テツトが割り込む。 「殺意等犯罪には適用されますが、護身用のは許可ができますよ。とはいっても、皇帝相手にそんな事は言ってられないでしょうね。その人が近い将来表舞台に立って、大地革命よりも酷い事になるかもしれない。それを未然に防ぐ為にも、こういうのは必要なのかもしれません……効くかどうかは疑問ですが」 トリスティアはエアバイク『トリックスター』に乗り、訓練を開始する。高速移動戦を想定したもので、時速400kmを誇るトリックスターで何処まで対処できるかを見る為――というのは建て前。 本当は、ジョー等フェ・アルマ部隊の興味を引く事。『子供が派手な戦闘訓練を行なっている』とくれば、こっちに来るだろうという理由だ。 「また懲りずにやって来たんかね」 案の定、ジョーがやって来た。だが、彼以外の部隊は来ない。 「武器が好きなのですね」と、テツト。 「そう見えるかい? 派手にやるのも好きだがよ」 テツトは呆れ顔を隠さない。 「ところで、貴方も訓練中でしょう。ここで油を売っているわけにはいかないでしょうに」 「今休憩時間だ。個人の行動は誰にも止められんさ」 「ですが、機密情報レベルまでは止めるわけにはいかないでしょう。相当、あの武器に興味があるみたいですね」 二人は一度目線をレーザーキャノンに移す。 「そりゃ気になるだろうさ。隣国との戦闘かい? また噂が流れるぞ。『ヴェレスティアはやはり戦争の呪縛から逃れられないのか』ってな」 「そのつもりは全くありません。デマな噂は聞かないほうが良いですよ。これはあくまでも自衛……個人の意志によるものなので」 突っかかる様なテツト。彼の仕事に関しての誇りは、誰にも負けていないつもりだ。 「もしかしたら聞いてると思うけど、大統領が誘拐されたのって知ってるよね?」 トリスティアが話に割り込む。 「……らしいな」 「このレーザーキャノンがあれば、大統領を誘拐した連中だって簡単にやっつけられるよ」 「本当かよ?」 「へー」と言いながら、トリスティアの訓練を見学するジョー。 「何か少年兵の雰囲気に似てんな。ピリピリ感っつーか」 ジョーが意外な事を言うので、テツトがその意味を問う。 「少年兵と出会った事があるのですか? それとも貴方は昔そういうのに所属していたとか?」 「入った事も会った事もねえよ。ドキュメンタリーで見た。これも勉強になるからな。道具のように生かされてる気に見えなくもねえが……存在価値は当人他人じゃ食い違ってしまうんだしな」 二人のやり取りを見ながら、ラウリウムは考え込んでいる。暫くしてジョーのほうから電話音が鳴り響く。 「おう、俺だ……もう休憩時間終わりなんか。わーった、すぐ戻るよ」 通話を終え、「すまねえな」と詫びでも入れるかのように手を上げ、ジョーは去っていった。 「何も起こさなかったね。ただの見学で終わっちゃったよ」 「そうでもないわ。大統領が誘拐された事は、極秘扱いでニュースにもなっていない事は知ってるわよね」 「みたいですね。それが?」 「それを知っているのはグロウヴネスト――大統領官邸にいる職員や報道陣、そして私達よ」 「僕はツァイト顧問官から聞いているから、部外者としては珍しいかも」 直接大統領捜索に携わっていないテツトにとって、知って良いものかどうか疑問だと思っている。 「それってどういう意味なのかな?」と、トリスティア。 「実はさっき、コネを使って宇宙軍の幹部に問い合わせてみたんだけど……」 交渉官は色々な職業の者から交渉の依頼を受ける事がある。ラウリウムは数年前に依頼を受けたヴェレスティア宇宙軍の副司令官を思い出したのだ。 「彼から聞いた話では、陸海空と宇宙軍でも知っているのは幹部クラスだけよ。軍曹は元より、部隊も知らない筈だわ。祝典以外大統領に直接会う機会が殆どないし、混乱を避ける為に伝えてないらしいから」 トリスティアが口にした誘拐の件で、ラウリウムは引っ掛かりを感じていたのだ。 「無関係とはいえ、幹部会議でこっそり聞いたって事も……」 「テツト、それは難しいんじゃない? 極秘事項は絶対に漏洩してはいけないって事、基本でしょ」 「なるほど」と腕を組んで納得するトリスティア。 「普通、知らなかったら驚いちゃうよね。或いは冗談だろうと思ってしまう。でも、あの軍曹は知ってた。落ち着いてたもん。やっぱり関わりがあるとみていいのかもしれないね」 Scene.3 分析中 大統領官邸。別名、グロウヴネスト。 情報分析室(IAR)では、梨須野ちとせとマリー・ラファルが新たに届いたビデオメールの解析を行なっている。 「この砂嵐……クリアに出来ないのですか?」 しかし、分析官は残念そうに首を横に振る。 「申し訳ありません。何度も試みましたが、この状態のままでした」 「という事は、何も映っていないという訳ですね」 加工されている映像ではないという事がわかると、ちとせは少し落胆する。 「仕方ないさね。それにしても、共通点がなかなか見つからないね」 マリーはエアバイク『ラリー』の人工知能に任せつつも、画面を凝視している。そうすれば肉眼でしか発見できない事があるかもしれないからだ。 「マリーさん、頼まれたもの持って来ましたけど」 ナーガとツァイトが入ってくる。手にしているのは、大統領が拉致された証拠があるかもしれないデータ――防犯カメラや音声データの類である。 「すまないね。助かったよ」 「アノール搭載されている防犯ビデオの画像の他に、それらにも録音されている声の主を判明しないと」 受け取ったデータを調査し始めるちとせ。 「声の主……?」 「その声が、ジョー・アヴァリティア曹長と同一人物かどうか」 「声紋か。で、誰に確認をさせるのだ?」 「テツトさんとトリスティアさんにですよ。最初に会ったのがこの二人ですからね」 ○ 再びアグリアの演習場。 「――分かりました。実は先程軍曹がこっちに来ましてね。見学して向こうへ行ったばかりです。また来る事はないと思いますが」 テツトが電話に出ている。ラウリウムがそれを察してか周囲を見回すが、ジョーは勿論、不審者がいる気配がない。 「聞かれてはまずい内容?」 ラウリウムの問いに、テツトは頷く。 「トリスティアさん。向こうからのお願いで、今からビデオメールの犯人の声を流すそうです。それが軍曹のと一致するかどうか見極めて欲しいと」 「声質チェックだね。でも大丈夫かな? 電話って、音声の状態によって違って聞こえる場合があるんじゃない?」 「とりあえず聞いてみましょう……では、お願いします」 メールの音声を流し、テツトとトリスティアが慎重に耳を側立てる。ラウリウムはその間、音を立てないように腕を組んでじっとする事にした。 数分後、聞き終えた二人の感想は。 「……確信は持てないけど、似てる気がするね」 「たった二回会っただけで声の特徴を覚えてられるのが怪しいですが……確かに似ている気はします」 ○ 通話を終了し、ちとせはくるみパンを食べながら少し考え事をしている。 二人の返答には自信の無さが見え隠れしているものの、それも参考にしなくては先へ進めない。 これと同時に行なった、機械による声紋チェックは、間違いなく一致している。 マリーがベーコンエピを口にしながら画面を凝視して確認してみたのだが、細工は無かった。 「目がチカチカするさね……」 「画面を凝視すると本当に目を悪くしますよ。近眼になったら大変ですし」 ナーガはマリーの目を気遣ってか、目薬を側に置く。 「あ、ありがと……それにしても、細工は見当たらないね」 「ねー、手伝う事ある?」 マイが入ってきた。 「秘書官としての仕事はあるだろう」と、ツァイト。 「いやーそれがね、一応終わったから。こっちのほうが最優先かなと思って」 絶対楽しんでいるような表情だなと、ツァイトは呆れながら心の中で呟く。 「人手は足りていると思うが……エンジュ・ケストレル秘書官は?」 「彼女は本来の仕事に戻ったわ。それにしても仕方ないわね……あ、後でナーガにちょっとお願いしたい事があるんだけど」 「ここでは言えないのですか?」 「今必要のないことだから。後で一人で大統領執務室に来てくれる? 大統領に渡す為の資料作成とか、個人的に顧問官の事とか聞きたいしね」 最後の部分だけ、小声で言ってくるマイ。 「ええ、構いませんが……そこだけ内緒に聞きたい事なんですか」 苦笑いのナーガに「じゃ、宜しく」と言って、マイが出て行く。 「で、犯人の一人は確信できると考えているのだろう?」 ツァイトの問いに頷くマリー。ちとせは神妙な面持ちで口に出す。 「やはりジョー・アヴァリティア……それしか考えられません。ほぼ確定でしょうね」 二度にわたってトリスティアやテツトのほうにやってきた事が気になる。武器のほうが気になると言ってはいたらしいが。 「そういや、外から調査して欲しい物が届いてるって聞いたけど……これかい?」 型取りされた足跡、そして粉末――いや、菓子らしき食べかすの入った袋。 「足のサイズからして、やはり体格が大きいのは間違いなさそうです。それと、唾液が付着している筈なのでDNA鑑定を行なってほしいと書かれていましたので調べてみました」 「結果は?」 ツァイトが問う。 「該当する者は未だいません。でも、防犯ビデオに映っている人のではない事は確かです。でも、画面のは頭だけ映ってたのがいましたからね、もしかしたらその人かもしれませんし」 確たる証拠がある訳ではないが、実際、大統領の車に菓子の類の欠片は発見されていない。 「割り出せなかった場合は、国外者の可能性も否定できないという事か……」 ため息をつくツァイト。 「引き続き、新たな結果は外で調査中の人にも送ります。向こうから知り得た情報もこっちに送ってくれれば、気付かなかった真実が出てくるのかもしれませんね」 ○ シエラ・シルバーテイルは、廊下を歩きながらあれこれ考えている。 (ごつい男ねぇ……あたりをつけたのはいいけど、『軍人は○○だ』なんて先入観で言ってるようなもんよ。そういうわたしも『獣人は野蛮で好戦的』って見られる事がよくあるからね) 仮に当たりだとしても、それ以上の突っ込んだ捜査の権限は得られないのではないか。 軍人ならば政府にデータはある程度ある。防犯ビデオなどの音紋照合等はちとせやマリーが調べている。 「どうしたのですか?」 マクシミリアン・フィンスタイン副大統領が声をかける。 「色々とね……ところで前から思ってた事だけど」 「何か疑問でも?」 「あくまで可能性の話なんだけどね……誘拐は大統領の自作自演じゃないかなって。余りにおざなりな車の防犯ビデオ内容っていうか、計画的ならそんなもの残しとくかしらってね。誘拐された事実の主張みたいなものと、今回のビデオメールでの大統領のメッセージ、そんな不明瞭で本人達にしか分からない内容を、慎重な犯人が許すかしら? 彼が賢者を表舞台に引っ張り出す為の――って思えるのは、突飛な発想かしら」 「そう考えもないではないでしょうが……『大統領として最優先事項だ』と言って、許可を得たのでは?」 「わたしは大統領の事をよく知らないわ」 「それは右に同じです。顔見知りとはいえ、インフルエンティアのリーダーだった頃より前の事は知る良しもないですが」 Scene.4 寂しい州都ツァファ ルシエラ・アクティアは、ミツパ州の州都ツァファへ来ていた。 「本当に田舎なのですね……」 ツォアル村より人口は多い筈だが、人が少ないせいか活気が感じられない。 ビルはある。しかしヴェレシティより少ないのは当たり前。 「やはりここより首都のほうが稼ぎが良いという事ですか。格差というのは恐ろしいものです」 ビル群を中心として、周囲は自然があるものの、砂が多く目立つ。 対策本部に届けた足跡の型取りと菓子類の欠片を送ったのは彼女であるが、暫くして結果を知る。 「DNAのほうは分からずじまいという事ですか……仕方がありませんね」 バイオ犬のハンターに匂いを見つけたら辿るように指示をする。 この町へ来る前に、足跡や欠片のあった現場で犯人の匂いがあったかもしれないと思い、あらかじめハンターに嗅がせておいた。 ルシエラは観光者を装いながら、聞き込みや怪しい場所を探し始める。 町外れは寂れたところが多く、いかにも怪しい感じがする。 住民に聞いてみたが、分からないの一点張りだった。 (一帯が共謀しているのか、それとも本当にわからないのか……) 後ろからトタトタと走ってくる音が聞こえるかと思えば、いきなりぶつかってきた。 「ご、ごめんズラブー」 急いでいるらしい10歳前後の男の子が手を上げ、顔を合わせずに走り去っていく。 フードを被っていたせいもあってか、どちらにしろ子供の顔は見えなかった。 「危ない、気をつけて下さいよ」という声をかける時間もなかったルシエラだったが、 「……ずらぶー? 本当に田舎みたいですね」 ワンワンとハンターが吠える。ふと地面を見ると、粉末らしきものがあった。 さっきの子供がこぼしていったものらしい。 「まさか、あの子が関わっているというのでしょうか」 信じがたいが、あり得なくもない。 ルシエラは後を追いかけていくと、町の外れにある一軒の古びた家に着く。 家というよりは、小屋に近い。修復して住宅用にしているのだろうか。 窓を覗き込むと、あの子供が楽しそうに電話をしている。 フードは取らない。よく見ると、目の部分以外布で覆われている。体格は太っているようだ。 電話も結構古い。貧乏なのだろうか。 「うん、さっき畑の手伝いに行ってたズラブー。ちゃんとお留守番やって……だから大丈夫ズラブー。今日はイジメられてはいないズラブよ。それよりお土産は? おいしいもの期待してるズラブー」 電話を切ると、一人で食事をする。ただし後ろ向きだ。 (顔を見せないのが怪しいですね。それにしても、行儀が悪そう……) 子供がガツガツ食べている。まるで暴飲暴食。もしかしたら食いしん坊なのか。食い散らかしで床やテーブルには汁物や食べこぼしが落ちている。 ハンターはおとなしく座っている。突然吠えて驚かさないように指示を出すルシエラ。 (暫く様子を見ましょうか……関係のある行動をとるかもしれませんし) Scene.5 海底にあったものは……? 天空遺跡(ヴァーヌスヴェレ・ルイン)、海水の溜まっている地下14階。 「せっかくここまで来たんじゃからの、試しに潜ってみるわい」 エルンスト・ハウアーはそう言うと、瓦礫を持ってきて身体にくくり始める。 「あ、あの……ダイバースーツとか着ないで直接潜るのですか?」 心配そうな表情のナガヒサ・レイアイル。 「大丈夫じゃよ、ワシには潜水服なぞ不要じゃ。先に行って、目ぼしそうな施設や通路の下調べしてくるわい」 目的の地下格納施設までは未だずっと下層にある。666階まで到達するのに何日かかる事やら……。 おまけに人間のようでそうでないような存在であるエルンストにとって、こういった事は楽勝らしい。 「道のりの目印は付けておくからのう、ゆっくり準備してから来なされ。では、行くとするかの」 ちゃぷんと小さい音を立て、エルンストは潜っていった。 「とはいっても……今のところ水に入る手立てがないですからね。この階も気になるといえば気になりますが」 シャル・ヴァルナードはこの階の調査を行う事にした。 辛うじて濡れなかった天空遺跡地下見取り図を広げながら、構造を調べて書き込んでいく。 ナガヒサは歩きながら周囲を見回し、壁に残っている水面の跡を見つめる。 「ここは一度水に浸かり、長い時間をかけて引いてきたってところでしょうか。まあ、床に穴を開けたら水が勢いよく噴出したわけですからね」 「それでも、このくらいの水面上昇は許容範囲と見ていいかもしれませんね。一応危険地域があるかもしれないので、ボクのアーマードエアーバイクを用意してきましたけど」 シャルのそれはパワードスーツモードにしている。便利な機能だとナガヒサは思った。 「多くの扉が腐食して開ける事が出来ないようです。試しに一つをこじ開けてみましょうか」 しかし、腐食した部分がサビによって膨張しているらしく、思うように出来なかった。 それでなくとも、水面が80センチぐらいの高さまできている為、水圧で開け辛い可能性もある。 「それ以上無理にやったら、エアーバイクが駄目になってしまいますよ。それに、ここの構造を考えないと崩れる場所が出てくるかもしれません。これらは後回しするべきでしょう」 「そうですね……今のところ調査できる範囲が狭まってしまうけど、残念ですね」 ○ シャルとナガヒサは可能な所のみを調査している間、エルンストは下へ進んでいく。 「どのくらいかかるんじゃろうなあ。それよりも、何階じゃろうか」 やはり階の表示が掲げてあるパネルは、長年海水に浸かっていたせいか腐食と海藻に覆われて見えづらい。 「上層階はやはり研究施設やら資料庫の類じゃろうな」 降りていく度に探索をし、漂っている紙媒体を見つけては見つめる。 インクや紙が耐水性なのか、文字が読めるのが幸いだ。 「えーと……ヴァナー人とキャエルム人の女性による次世代胎児出産計画?」 外見が美しい事で知られているヴァナー人、そして魔導能力が一番高いキャエルム人。その惑星の女性との混血児を生み出そうという計画である事が読み取れる。 「じゃ、この階はそういった施設じゃろうか……どのくらいの階をこれが占めてるのか分からんのう」 エルンストは一応その紙を破れないように懐にしまい、更に下へ降りる。 数分後、35階と書かれたパネルを見、階段を下りようと先を見ると……。 「……砂? 海底についてしまったのじゃろうか? それともここから先は埋まってるのか?」 天井から数十センチ下にすぐ砂が見えるのだ。 エルンストは壁のあたりを掘ってみる。埋まっているのならば見えなかった壁や床や出てくる筈だ。 「……出てこん。しかも、壁が接地面である砂のあたりで切れておるとは……」 砂と接している部分の切り口が綺麗である。墜落したならば、崩れて瓦礫が出来ていてもおかしくない。ところが、それすらも見当たらないのだ。 まるで、何者かによって切った様な――とはいえ、人が切るにはあまりにも対象となるものが巨大で広すぎる。 「どういう事じゃ? もしかして、この階以降は失われているって事じゃろうか」 そうとしか考えられない。これ以上行動しても仕方がないので、エルンストは14階まで戻る事にした。 ○ 再び14階。 入室可能な場所を発見したシャルとナガヒサが中に入って見ると、巨大なガラスケースがずらりと多く並んでいるのに驚く。しかもかなり昔に割られており、臭気は感じられないものの、床には無数の白骨体が転がっていた。 「ここは何かの実験室でしょうか?」 「或いは保存室かもしれませんね……一つのケースには、大人の人間が一人入れるぐらいの大きさが」 「どちらにしても嫌なものですね」 ナガヒサはふとこんな事を口に出す。 「ヴェレ王国には二つの顔があるという事でしょうか。表向きは戦争を仕掛けるくらいの巨大な空中国家、しかし裏の――本来の顔は更に非人道的な事をやっていた。一部の関係者以外、ヴェレの国民に知られる事なく」 「この部屋は他の国や惑星から連れ去られた人達を入れる為のものとでも言うのですか?」 「考えたくはありませんが……連れてこられた者達の一部が実験体として扱われていたのならば、そう考えるしか」 「つまり、『人体保管庫』って事ですか?」 「細かく言えば、『実験体用捕虜保管区域』の名が相応しい気がしますが、あまり気分の良いものではありませんね」 黙り込む二人。このガラスケースの部屋はここだけではないのは確かだ。 つまり、この階が全て『実験体用捕虜保管区域』という事になる。 床に転がる白骨体がそれを物語っているかのように。 長くいると気が滅入りそうなので、別の部屋を探索しようと再び移動するシャル。 他とは明らかに別格の、扉が頑丈そうな場所にたどり着く。 「一番怪しい部屋ですね……慎重に開けないと入室出来ませんから」 と言ってみたが、何故か楽に扉を開く事に成功する。見た目より軽い金属でも使用しているのだろうか。 中へ入ってみると、事務室っぽい。大きなガラスがはめ込まれており、その奥に手術台らしきものが見える。 「非常電源は入れられていないようですね。おまけに資料は全てデータ化されているらしい……紙媒体は殆ど見かけませんし」 「ナガヒサさん、ここに紙が収納されています。もしかしたら重要なものが記されてるかも」 棚には収納されている紙のファイルが一つだけ。他は何故か見当たらない。 シャルが手にとって中身を拝見する。走り書きではあるが、簡素に書かれている。 「シン……ス? 『罪』って意味ですよね。これ、7つ書いてあるみたいです」 「思いつくのは『七つの大罪』――という事でしょうか? 傲慢とか嫉妬とかっていう、負の感情とでも言うべきものが本当に書かれてあるのでしたら何故?」 「さあ……でもここにあるという事は、それを司るようなものを創ろうとしていたというべきなのでしょうか。スペルしか書かれてありませんが……」 歩きながら口に出そうとするシャル。足が何かにつまずいて転びそうになるが、ナガヒサが腕を掴んで事無きを得る。 「す、すみません。有難うございます」 「薄暗いですから気をつけて。えーと、つまずきの原因は……骨? しかも大きな翼」 確かに大きな翼の白骨。ナガヒサがとっさに思い出すのは、秘書官のエンジュ・ケストレルだ。ソイル人の中でも、亜種に当たる有翼人種。その翼の骨格によく似ている。付け根の部分は切られた形跡がある。 「ケストレル秘書官は昔、ヴェレにいた頃誰かの公開処刑で翼を切り取られた映像を見た事があったと――」 「え? そんな事があったんですか? じゃあ、これってその時のでしょうか」 「それは何とも言えませんね。公開とはうたっていたけれど、翼の部分のみ映し出されてたらしいですし、顔等は最後まで明かされていなかったようですから」 シャルは大統領官邸に連絡を入れる。発見した事物が今後の状況に役立つかもしれないからだ。 ナガヒサはシンスの書かれている紙を見る。そのうちの一つに目をやり、深刻そうな表情をする。 「このスペルは……何故ここに?」 「どうかしましたか?」 シャルが番号を打つ途中で、ナガヒサが手を差し出す。 「誰か出たら最初に宜しいですか? 気になるものがあったので」 Scene.6 スペルビア 再び大統領官邸。 グラント・ウィンクラックはSPのフリを続けるも、習得途中の魔導を自己流にアレンジしようかと考えている。 「一つの策を弄している時に、違う策を動かすのはやっぱ良くねえよなあ……状況が動いたわけじゃねえし」 かといって、ツァイトやナーガの側を離れる訳にもいかない。 下級の火術魔導『ファイアウォール』と『ファイアボール』、どちらも時間の空いた時にツァイトから教えてもらっている。防御系と攻撃系――どちらも基礎となるものだが、未だ不十分だという事は彼も承知している。 「体力は申し分ないが、精神が未だ不安定だな。喧嘩っ早そうなところとか」 「そうかな? ツァイト師匠にそう言われると厳しいなあ……実は、魔導のアレンジを考えてみたんだけどさ」 グラントの手に握られているのは、1枚の紙。ツァイトが受け取ると、そこには9つの魔導アレンジの名称と内容が書かれていた。 「この2つは同じようなものだな……わざわざ二つに分けなくとも一つに出来そうなものだが。それと、ネーミングも微妙だな」 ウォールの高さを低くする代わりに面積を広げて足元を火の海にする魔導、逆に天井に展開して吊り天井状態にする魔導。それぞれ『カーペット』と『フォール』の名称が付けられている。 「そうか? 他にもあるんだが――」 「この『フラッシュ』……光量だけを限界まで高めた魔導なら、似たようなものが光術魔導にもあるぞ」 「え? 似たようなものがあるのか?」 「強い光と熱、高速で相手に放つ『グラヴィティ・ライトニング』というのがある」 因みに、グラヴィティ・ライトニングは上級の光術魔導である。つまり、習得している人間が少ない=取得者が限られているという事だ。 「この内容を拝見する限りでは、上級魔導に相当するものが多いようだ。精神の疲労を増加する恐れのあるものばかりだな。言っておかなければならないが、二つ以上の魔導同時使用は、上になればなるほど寿命を縮める確率が高くなる。それに、成功するとは限らんぞ」 魔導の応用を作り出すなぞ聞いた事がない。もし成功したとしても、それはその時点で亜種となるからだ。 どんな作用が及ぶか未知の範囲になる。一番の心配はそこにも……。 「そういうツァイトはどうなんだい?」 「さあな……ただ、特殊な血液を持つ者は、精神面が完全とはいえないが魔導使用の際に安定はしている可能性が高い。寿命はどうなのか知らんが」 「特別な血液って、ナーガのあれの事か?」 細胞のように活発に動くSDDDeSb型。ナーガもツァイトも流れているその血液。 「俺もナーガと同じO型――つまり、兄のティーマも同じ。一筋縄ではいかないという事だ」 ツァイトは二ヶ月前の事を思い出す。もう少し早く自分の血液を輸血していればと思うと、ナーガに申し訳なく思ってしまうのだが、過ぎた事は仕方がない。 「ともかく、もう少しでファイアウォールとボールは習得できそうだな。ただ、下級魔導だからといって連続使用すると疲労が溜まる事を忘れるな。お前はこの世界の人間ではないから、余計に身体を気遣う事も忘れんようにな」 ○ その頃。大統領執務室にナーガが入ってくると、そこには既にマイが来ていた。 「あら、よく来てくれたじゃない。ちゃんと一人で来たとは偉いわね」 「手伝うのは……どれでしょうか?」 大量に積まれているものだと思っていたナーガだが、周囲を見回しても書類らしきものが見当たらない。 「作成はいつでもできるけど、私には時間がないかも。で……あなたに囮になってもらいたいんだけど」 「……え? 囮って誰かを罠にかけるって事ですよね?」 執務室の扉から鍵をかける音が聞こえる。 「マイ……さん?」 コホンと咳払いをし、内部スピーカーを通じて官邸内に声を流す。 「あーあー、感度良好ね。マグネシア特別顧問官いる? いたら執務室まで連絡ちょうだいな」 ○ 呼び出しを受け、ツァイトが情報分析室に入り、内線を繋げる。 「スペルビア秘書官、用なら直接こっちに来て告げるべきだと思うが」 「そうしたいのは山々だけど、そうもいかないのよね。時間ある? 貴方だけに用事があるのだけど」 「『だけ』というのが気になるが、公務の事なら尚更こっちに――」 「ナーガを預かってるわ。そういう意味でも用事があるのだけど」 「……どういう事だ?」 ツァイトの顔色が変わる。状況が読み込めないでいるが、嫌な予感である事は分かっている。 「この内線は今から執務室とIARのみ繋げているわ。単刀直入に言――」 その時、別の場所から連絡が入る。発信元は天空遺跡、シャルからだ。 「割り込みされちゃったわね。そちらの用件を先に済ましてからにするわよ」 マイはそれまで先を言わないつもりだ。ちとせが出る。 「どうしたんですか、シャルさ――あ、ナガヒサさんでしたか。え? ツァイトさんならここに」 「今忙しいから後にしてくれ」 「それが緊急な用事があるとかで……」 渋々代わるツァイト。 「どうした? なるべく簡単に済ませてくれ」 「マイ・スペルビア秘書官、いますよね?」 「最悪のタイミングだな。今彼女と話をしている。代わるか?」 「いえ、用があるのは貴方達です。他の事はシャルさんから伝えますが、これから良く聞いて下さい。シャルさんが走り書きのメモらしきものを見つけたのですが、そこに『スペルビア』が書かれていました」 室内に緊張が走る。目を細めるツァイト。 「そんなメモ初めて知ったぞ……他に書かれていたのは?」 「『シンス』というスペルらしきものと、『スペルビア』を含む7つの単語のみが」 「……なるほど。そういう事か」 ツァイトはその二つを聞いて、納得する。 「シンスは罪を意味し、スペルビアを含めて7つも書かれているという事は、七つの大罪を思い出す。どうりでプライドという言葉が引っかかるわけだ」 「どういう意味だよ?」 グラントが考え込むが、いまいち内容が理解し難い。 「スペルビア――プライド、つまり傲慢を象徴するもの。七つの大罪を意識して名付けられた事に間違いない。そういうのに名や姓をつける物好きがいるものだ。誰かは分からんが」 本名でないかもしれない。彼女のプロフィールには革命孤児と表示されているから。 内線を切らずに聞いていたマイが割り込む。 「ご名答。でもね、私はプライドというのを感じないのよ。生まれてから今まで、何故この単語が付いたのか」 「自問自答しているとでも言いたそうだな」 凝視したまま、ツァイトはちとせに通信を渡す。 「今度はシャルから連絡があるそうだ」 「はい、代わりました……何でしょうか?」 「他の6つはこちらから伝えます。もしかしたら読み方が違うかもしれませんが……いいですか? 『インヴィディア』と『イラ』、『アケディア』、『グラ』……あとは『ルクリア』って読むんでしょうか。綴りが難しい。で、最後は『アヴァリティア』」 「アヴァリティア!?」 思わず声を上げるマリー。真っ先に思い出されるのは、あのジョーの名字。 「という事は……仲間だったというわけですか?」 ちとせはマイに問う。 「仲間? だって、私は生まれてからすぐにここに来たわけだから、ほんの数回しか会ってないわよ」 面識なさげな言い方。それに、何か言葉の意味が分からない。 「連携……ではなくて、個人で行動しているという事かい?」 「その通り。私は大統領の誘拐には関与してないもの」 「証拠はあるのか?」 「証拠なんてものはないわね。だって、私が興味あるのはナーガと、そこの元王子様である顧問官だもの」 「王子と言うな……俺はお前に興味はない」 機嫌を損ねているような顔のツァイト。 「つれないわね顧問官、私は興味あるの。一人で執務室まで来てくれる? 他の人が付いていったら……ナーガがどうなるか分からないわよ。あーんな事やこーんな事になっちゃっても。それに武器やら魔導を使ったら官邸の修繕費は誰が払うのかしらね」 「て、てめえ……卑怯だぞ!」 突っかかるように叫ぶグラント。ツァイトが手で制する。 「……分かった」 「ツァイト……!」 「質問だったら、誰が聞いても良いのだろう? それぐらいの許可は欲しいな」 「そうね。それだけだったらね。こことそこ以外は繋げないわよ。それと、事を穏便に運びたいのなら、報道の方々にはご遠慮してもらいたいわね。誘拐とは関係ない事だし」 「別な意味で関係大有りだと思うがね。こんな女が秘書官になれるとは正直言って驚きだ」 呆れ顔のツァイト。向こうからクスクスとマイの笑いが聞こえる。 「私、ナーガと同じなのよね」 「……同じ魔導が使えるという意味ですか?」 ナーガが問う。 水術魔導が使用できるのならば、何処かに増幅器が装着されている筈である。 だが、それらしき物が見当たらない。 「違うわよ、私これでも『男』だから」 「はあ、そうですか……って、ええっ!? 男性なんですか? 声質は女性なのに?」 「老若男女、色々な人がいたっておかしくないでしょ。大人になっても声の高い男性だっているじゃない」 「そ、それはそうですけど……」 「スペルビア秘書官、お前は虚偽のプロフィールを登録していたのか?」 少し語気を強めたツァイトの声。 「そうなるわね。IDも含めてね。だって個人情報データの内容は、自己申告制で正直に情報を公開しているところもあれば虚無もあるんでしょ? それを利用したわけよ。一応命令だから」 「誰の? まさか大統領ではあるまいな」 「違うわ。大統領じゃないけど、誰かは教えられないわね……でもその方、顧問官の知っている人らしいわよ」 ティーマの事だろうか。そうでなくとも、彼以外誰がいるのだろうか。 「とにかく、殿下一人で来てよね。約束破ったら、ナーガが何されるか分からないわよ〜」 一方的に切れ、大きく息を吐くツァイト。 「ったく……殿下と呼ばれるのも好かないと何度言わせれば」 「んで、一人で行かせるわけにはいかねえよ。罠だと思うし挑発で何をやらかすかわからねえからよ」 「いや、要求どおりにしてくれないか。行ってる間に、突入の準備だけはしておいてくれ。それまでに、彼女――男だと言っていたか。気付かれんように結界は張っておいてやる」 おまけにマイが本当に男かどうか調べたい気はあるが、何か誤解されそうな予感がするのでやめておく。 「どうやって?」 「目に見える魔導より目に見えぬ魔導のほうが、建物を壊されずに済むが……あまり使いたくないがな。緊急事態だから仕方がない。一応、ザルドズに協力を仰いでもらう」 「ウォール系という事か。しかし……」 「執務室から何らかの音や俺からの合図が聞こえたら、突入してくれ」 エンジュを呼び出すツァイト。 「ケストレル秘書官、今何処にいる?」 「ただ今第5会議室で仕事をしておりますが……マイの声が途中まで流れてましたけど、何があったんですか?」 彼女は先程までの内容を知らないのだ。話すべきかどうか迷ったが、話さない事にする。 「頼みがある。これより、警戒態勢に入る。執務室及び周辺を閉鎖するが、傷害の可能性もあり得るからな、報道者及び職員は一時的に外へ退避をしてくれ。急用であっても近づくなよ」 「え? ちょ、一体何が――」 「説明している時間が惜しい。すまないが、今すぐ始めてくれ」 「わ、分かりました」 仕事を中断せざるを得なくなったエンジュは、慌てるように誘導を始める。ツァイトは更にマクシミリアンにも同様の事を伝える。 「顧問官、もしかして爆弾を仕掛けられたという事では――」 「それは有り得んな。ナーガがいるんだ、そこまでやる時間もなかったと思う。ともかく、それまで宜しく頼む」 「……分かりました。ご武運を」 通信を終え、考える素振りをするツァイト。 「あのマイって奴は、アヴァリティアと関係あるんなら、SDSの人間って事になるんじゃねえのか? つまり、敵って事になるぞ」 「それは何とも言えんが……例えそうだとしてもだ、けりはつけなくてはならんな」 ナーガを人質にとられているのだ、救出とマイの捕獲をしなければ、何が起こるかわからない。 それとワイトの行方も未だ未解決なのだ。 ツァイトは一人、執務室へと向かった。 ○ 「本当にマイさんは男なんですか?」 「証拠見る?」 「いいえ、遠慮します……」 ナーガの慌てる姿が女っぽいなと、マイは思った。 「羨ましいわね……貴方は、顧問官といつも一緒にいられるんだから」 「そうですか? いつもというわけではありませんよ。何処か遠くにいそうな気がして……雲の上の人だと時々思ってしまうんです」 「彼がヴェレ王国の王族最後の生き残りだから?」 「それ以前に武術を教えてくれた師匠でもありますから」 マイが、ツァイトの他にティーマも生きている事を知らないのは確かなようだ。 ナーガは話を変える。 「話の内容からして、マイさんはまさかSDSの人間では――?」 「そうなるかな。でも、本当に誘拐事件に関しては、関わっていない事は確かよ」 マイがSDSの人間だという事を認めた。しかし、話がどうもかみ合わない様な気がする。 「マイさん、貴方は何故こんな事を……?」 「さっきも言ったけど、私には時間がないかも。だって、もうすぐいなくなるから」 悲しげな表情のマイ。とても同じ男性とは思えない。 その意味がなんなのか、ナーガは未だ知る良しもなかった。 |