『Velle Historia・第2章〜煌めく風の息吹』  第5回

ゲームマスター:碧野早希子

 病院襲撃からこの3日間、何事もなかったかのように平和であった。
 とはいえ、今後もそのままというわけではなく、いつ何処で何が起こるかわからない。
 そして、約束の買い物の日をむかえた。

Scene.1 夜明けの素振り

 夜が明けて間もない時間、薄暗いせいか、少し空気が澄んでいるように感じられる。
 レイアイル邸の広い庭に一人――ツァイト・マグネシア・ヴェレが素振りをしている。
「やはりここでしたか。朝からその調子ですと、仕事に支障をきたしそうな気がするのですが」
 ナーガ・アクアマーレ・ミズノエが声をかける。
「ただの素振りのせいで怪我されたら愚かだ。それより、お前も素振りをしに来たと見てよいのだな。木刀を手にしているところを見ると」
 着物姿のナーガを見ていると、男物の服を着ている女性にしか見えない。
「お願いします、『師匠』」
 久しぶりにそう言われて、ツァイトはため息をつく。
「未だ体力と外見が追いついていないんだろう? 無理はするなよ」
 道着や防具を身につけるわけではなく、着物のまま始める。動けば動くほど、裾がめくれて『すね』や『ふくらはぎ』が見えてしまうのだが、二人はそれを気にせずに木刀を交える。
「少しは劣っているのではないかな」
「そうですね……仕事や遺跡調査でなまってしまったのかもしれません」
 木刀に気をとられ、突然足がつまづくナーガだったが、とっさにツァイトが手を掴んで転ばずにすんだ。
「あ……有難うございます」
「ったく、あの時と変わらんな」
「大丈夫ですよ」
 ナーガは笑んではいたが、少し悲しげな表情になり、話を切り出す。
「……ツァイト、おかしな夢を見ました。私の顔を覗き込んで、貴方が泣いているんです。私はお腹に痛みを感じたような雰囲気でしたから、多分死ぬ前の夢なんでしょうね……昔の記憶にそれは無かったから、未来に起こるようなものだったら嫌だなと――」
「お前に予知夢の能力は無い筈だから、夢のままだ。だが、お前は死なない、死なせない。お前の両親やナスカディアとの約束があるからな」
 双子の兄であるティーマ・マギステリウム・ヴェレの言葉を信じるわけではないが、例え不死の身体になったとしても、ナーガの両親や先代の水の賢者であったナスカディア・アクアライドとの約束――ナーガを護る事を果たすまでは、自分も死ねない。
 心地よい風が吹く。ナーガの結わえた髪が揺れ、思わず手でかき上げる。
「だと良いのですが」
「邪魔するぜ、朝からカンカンカンカン鳴ってたから気になってた」
 グラント・ウィンクラックがやってきて、突然土下座をする。
「ど、どうしたのですか?」
「頼む! 今のままじゃ悔しいが、あの変態野郎をぶちのめす事ができない。力が必要なんだ……力があれば、他人を踏みにじっても構わないと思ってる馬鹿野郎の手によるあんな犠牲を、二度と出さなくてすむ筈なんだ」
 変態野郎とは言うまでもなく、ティーマを指している。
 いい様に暴れられ、しかも逃げられた。このままでは済まさない。未だに心を縛り付けられているナーガの為にも、ろくに抵抗も出来ずに殺されてしまった病院の者たちの為にも、ティーマは絶対ぶちのめさなければならない――グラントは心の中で誓う。
「つまりは修行……強くなる為のか。だが、更に強くなる必要はないだろう」
「それでも限度がある。頼む、俺に修行をつけてほしい」
 困ったような表情のナーガ。彼とて、教える側としては不十分だ。ツァイトは少し考える素振りを見せるが、
「俺とて仕事がある。あまり時間は取れないが……それで良ければ構わんぞ」
 顔を上げるグラント。
「本当か? 有難い」
「ツァイト、もしかしてここに留まってくれるのですか?」
 ナーガが驚く。惑星キャエルムに帰る時間が迫っているというのに、今の返答は向こうに帰らない事を選択したように聞こえたからだ。
「いつまたノヴス・キャエサルの連中が襲ってくるか分からんからな。ナーガの身体も精神も未だ不安定に近い。それに、ティーマの気を強く感じるのは俺とナーガだけだから、少なからず役に立てるのではないかな?」
「私はあまり感じたくありませんが……それで、グラントさんは強くなる為の修行だけではなさそうですが?」
「ああ。俺に最も適正があるんじゃないかと思われる炎――あれの力を融合させた剣技を編み出したいと思ってるんだ」
 異界の存在とはいえ、火の精霊の加護もある。炎術の心得もある以上、四大精霊では一番相性が良い筈だと言うグラント。
「炎か……他世界の魔法がどのくらい通用するか分からんが。新たに火術魔導を覚えるにしろ、『火の賢者』は25年前に亡くなってるから、今のところ俺が火術魔導を教えるのが適任という事になるが……」
 それでも、ツァイトの持つ火術魔導の威力は少し下だ。無論、彼には使えない魔導も存在する。
「魔導を教えてもらえるのでしたら、わたくしからもお願いします」
 話を聞いていたのか、マニフィカ・ストラサローネが立っていた。
「お話を邪魔するつもりではないのですが……ナーガ様、私を弟子にして下さいませんか」
「え……?」
 武器関係ではない事はわかっている。つまり、水術魔導を教えて欲しいという意味での弟子志願なのだ。
「私に弟子なんて……」
「出来るだろう? 『ナガヒサ』として技術を社員に教え込んだお前なら、こういった魔導での弟子がいてもおかしくない」
「でも、私には教えるなんて自信が――」
「ナーガ様なりの教え方で構いませんわ。水の如くゆったりと、そして厳しく……ゆとりも大事ですけれども」
 マニフィカの言葉には、他の理由もあった。ティーマに手出し出来ないというリミッターの件、事無きを得たとはいえ、ナーガが大きなハンデを抱えているという現状に変化は無い事を。
 このような由々しき事態に対し、ティーマの魔の手からナーガを護る為、水術魔導を猛特訓する事を決めたのだ。
 彼本人が精神的に余裕が欠けてしまったように感じ、マニフィカはその点が気になってしまう。気持ちも分からなくはない。トラウマの古傷をえぐられる真似をされたのだから。
 ツァイトに対する依存心が――或いは恋心か?――目立つようになったのも原因は同じと考えている。
 どうすればナーガをメンタルケアできるのか、そこが難しいのだ。
 正式に弟子入りした以上、他人事では済まされない。その意志が、マニフィカが真正面から取り組む覚悟を固めるのだ。
 真面目な気を感じたのか、ため息をつくナーガ。少し考えて、
「……マニフィカさん、本当に宜しいのですね?」
 大きく頷くマニフィカ。決意は固い。
「分かりました。ただ、私にも仕事がありますから、時間を作るのは大変ですが……そういえばツァイト、今日買い物でしたよね。彼女に水術魔導用の増幅器が必要かと思うんですけれども」
 増幅器――外見はシルバーアクセサリーだが、魔導が殆ど使えないアスール人にとって、大変便利なものであると同時に、生活に欠かせないものであり、最低限魔導が使用できる代物だ。
「それと火術用のもな。出かけるには未だ早いから、朝のラッシュアワーを過ぎた頃に出かける」
「買い物じゃったら、ワシが費用を出そうかの」
 今度はエルンスト・ハウアーがやって来た。
「皆起きるのが早いのう。若者はこうでなくてはいかん」
「天空遺跡に行ってるのではなかったのですか?」
「ちょっと、色々とな」
「申し出るのは有難いが、お前のほうが損するのではないか?」
 自分で費用を出す予定だったツァイト。一応『元ヴェレ王族』だ、それなりの貯えはあるが、現在の仕事での給料も貰っている為に、多過ぎるほどお金はあるらしい。
「心配ご無用じゃ。出掛けながらの観察もなかなかのもんじゃて」
「観察?」
「若返りという事例は、真偽はともかく様々な文献にも出てくる。しかし、精神面での変化というのは初耳じゃ。ワシは医学には詳しくないがの、ひょっとすると若返りとは肉体の変化に伴って、分泌物の作用が活性化し、かつての雄雄しさを取り戻すなどの作用があるのかもしれんのじゃ。ただ今回の場合、青年期を振り切って少年期近くまで戻ってしまった感があるがの。まあ、ナガヒサ君――じゃなくてナーガ君か、君には悪いがその状態は全く興味深い」
「なるほど、観察というのはそういう理由ですか。どのくらい戻ってるかは分かりませんが、十八から二十歳の頃まで戻ってると見ていいでしょうね。精神面での変化は、リミッターのせいかもしれないとツァイトが言っていますが……わかりませんね」
「ともかくじゃ、色々あったしの」
 ただジロジロ見るのも悪いと思い、改めて買い物の費用はエルンスト自ら出す事を告げる。
「申し訳ありません、それではお言葉に甘えさせていただきます」
「ただし」ツァイトが割り込む。
「ナーガの洋服代は俺が出す。オーダーメードだからな、結構金がかかってるんだ。そこまで甘えるわけにはいかない」
 どのくらいかは教えてはくれない。だからあまりエルンストに負担をかけさせたくはないのだ。
「ツァイト君がそういうのなら、ワシは増幅器のほうだけを負担するぞい」
「それがあれば、すぐにでも使えるという事なのでしょうか?」
「いや、そういうわけではない。時間はかかるが、魔導を1つも覚えてなければ、ただの飾りだからな」
 因みに、ツァイトの増幅器はクナイ型のシルバーイヤリングだ。ティーマがナーガの肩を刺した時に投げてきた物である。
「お前のはどうした? 未だ首にぶら下げてるのか」
 ネックレスを取り出すナーガ。ヘッド部分が指輪であり、それは青色の水晶のような素材で出来ていた。水の流れを表したような模様がある。
「購入するのはシルバーアクセサリー型のだ。ナーガを始め、八賢者は水晶のような増幅器を持っている。元から持っている魔導を更に引き出すといった機能があるが、所有者以外扱う事が出来ないんだ」
 今指にはめたら、一発で八賢者だという事が分かってしまうなとツァイトは言うが、ナーガは何故か困った表情で悩んでいる。はめなければ魔導が増幅しないのは分かっているが、これはナスカディアの形見の1つでもあるのだから。
「増幅器が必要なものでしたら、それを使いこなせるように頑張らなくてはなりませんね。第9王女の誇りにかけて……物事の大半は気合と根性で克服できますわ」
 握る手に力を込めるマニフィカなのだった。

Scene.2 共同開発〜第一歩は生みの苦しみから

 アスールで最大のコングロマリット、L・Iインダストリー本社。
 遺跡発掘課では、ナガヒサ・レイアイルがエスト・ルークスと共に出社している。
 社員達は彼を見るなり心配したり、安心したりして声をかけてくれた。
 ナガヒサはニコニコしているが、「本来声をかけられるべきはナーガなんだけどねぇ……」と、エストは心の中で苦笑いする。
「『初めて』ここに着ましたが、雰囲気もいいですし、設備もしっかりしています」
「一応、『博士』としての役割を持って下さいね。テツト以外の社員達は、本物が若返ったなんて知らないんだから」
「分かってますよ、エスト。行動や発言には気をつけますから」
「で、遺跡の調査はどうするの? ナーガは当分そこには出かけられない。若返った分、記憶も鮮明に戻ってきている部分もありそうだし、どちらにしても博士の姿でないと指揮は出来ないんでしょ?」
「そうなりますね……仕事内容は一応インプットしているのですが、分からなければナーガに教えてもらいますよ」
 今日は遺跡に行く事は控える事にした。ナーガの入院中、たまった書類の整理が多くて追いつかず、代わりにナガヒサがそれを優先的にこなす事にしたのだった。



 同、防衛開発課。
 ここは、国家の防衛に必要な武具類を開発している部署である。
 ただ、ヴェレスティア共和国内でのみ商取引を行っている為、他国への輸出は大統領のワイト・シュリーヴから許可が下りないと行えないシステムなのだ。
 あくまでも殺人目的ではなく、自衛のみを目的とした武具類。
 トリスティアはそこで、武器共同開発をしているのだ。
「いつまたティーマガ現れるか分からないから、来るべき再戦に向けて備えなくちゃ」
 いずれ再び戦う事は確実であり、先日の戦いであの力を見せ付けられた。今のままでは太刀打ちできないかもしれない。
 そこで、ワイトに武器開発の許可を貰い、ここへ赴いているわけである。
「そんなにすぐできる代物ではないですよ、武器というのは。車や家電製品、食品に至るまで、それらは長い時間の試行錯誤で完成されるものだという事を覚悟しないと」
 テツト・レイアイルがそう告げる。母親の『産みの苦しみ』ではないが、生産者や企業人としての『生みの苦しみ』は何処の職業でも同じ。だからこそ、開発や実験を重ねていかなければならない。
「わかってるよ。ボクだけでは難しいけど、テツト社長には技術面で協力を感謝してるし……でも、ワイトから大地革命時の状況を教えてもらったんだけど、実際にティーマとは戦ってないんだよね」
 革命当時、ティーマと戦ったのはツァイトであり、その時にナーガもいた事。剣を交えている途中で天井が崩れ落ちて、ティーマが埋もれる寸前にワイトが到着した。無論、このティーマは本人ではなかったというのが、25年経った今ツァイトによって知られる事になるわけだが……。
 ワイトはそこへたどり着く前に、同胞を引き連れて地上にいたヴェレ軍と対峙していた記録が残されている。天空での戦闘は主に八賢者や王国に不信感を抱いた天空階級の者達が戦っていたという記録も残されている。二つとも政府の極秘管理の下で管理されている為に、余程の事がない限り開示する事がない。
「皇帝の双子の弟がツァイト長官だとは知らなかったけど、まあ、あの顔で皇帝になってもおかしくないですよね。もしも皇帝を見てしまったら最後、その部分の記憶が制御されるかもしれないって事だろうし……君達はある意味ラッキーだったってわけだね。長官と父さんがいれば、そんな事はされないですむみたいだから」
 でもピンと来ないのは、社長として忙しい毎日を送っているテツトにとって非日常的な事が起こっているという事だ。四半世紀経った今、皇帝によって忌まわしき記憶――ヴァーヌスヴェレ王朝の起こした歴史を掘り起こそうとしている。
 考えてもきりがないので、話を変えるテツト。
「で、一体どんな武器を?」
「ボクは銃を使った射撃戦と、魔力を込めた超破壊力のキックが得意なんだよ。これらの特技を生かす事ができる武器を作りたいんだけど……」
 若いながらも大胆な特技を持つトリスティア。苦笑いしながら少し考え込むテツト。
「足元に銃口を仕込んだものとかを思い出しちゃうんだけど……それではおかしいよね。使う人に安全で、力もコントロールできれば良いかもしれない。幾つかデザインや機能の要望があったら教えて欲しいんだけど。材料はそれによって違ってくるからね」
 何事も始めが肝心。デザインや機能で時間をくうのは覚悟の上だった。トリスティアは難しい顔をしながら、一生懸命考え込んでいたのであった。

Scene.3 隠れた脅迫

 ヴェレスティア総合病院。
 ルシエラ・アクティアは、3日前に倒した不審者を見舞いにやって来た――というのは建前で、本当は彼にまた用事があってやってきたのだった。
 トイレにそのまま置き去りというのも何なので、医療資料室にある使用していないロッカーを選んで閉じ込めておいた。
「元気そうですね……少し痩せましたか?」
「何も食ってないんだ。痩せるのも当たり前だ」
「そう……ところでお願いがあるのだけど、雇い主との連絡手段で使用している器具がある筈よ。それを渡してもらおうかしら」
「渡して壊そうとか俺の情報を得ようとする気だろ。破壊は出来ても個人情報までは無理だな、色々と認証の手続きが面倒くさくてな」
「破壊するわけでも貴方の個人情報を得るわけでもありません。その器具を頂戴します。貴方に成り代わってね」
「どういう事だ?」
「ある程度わかる筈だと思いますが、知る必要はないでしょう。渡さない気なら、わたしのペットが何をするか分かりませんよ」
 笑みを浮かべるルシエラだったが、表情は薄笑いで冷たく感じる。ペットのレイスが徐々に姿を現しながら、男の目の前に寄ってきた。
「ば、化け物……!」
「化け物とは失礼な。これでも役に立ってくれるのですよ。で、渡すのですか?」
 とりつかれそうで怖くなったのか、渋々ルシエラに掌サイズの器具を渡した。実は電話機能を持たない、旧式のメールオンリー器具だった。商品名は『リシーヴィングセット・テレメール』で、既に販売終了されている代物だ。しかも、名のとおり受信のみ。
 つまり『雑魚は口答えをするな』という事であり、雇い主からの連絡を待つしかないのだ。
「困りましたね。電話ではありませんし、これも受信だけというのが惜しいですわね。雇い主がどのような声を出すのか楽しみにしていましたのに」
「俺だって聞いた事がない。無論、他の仲間もだ」
 仕方がないと思ったルシエラは、男を2〜3日分の食料(非常食用)と共に再度ロッカーに閉じ込めた。
「誰か助けに来るかもしれませんが、その時までに無事でいられるよう祈ってますよ」
 医療資料室を出るルシエラ。受信履歴を見ると、二通受信していて、3日前のが最新だというのが分かる。
「病院襲撃の命令ですね。送信者は……二通とも違う。複数いるという事でしょうか?」
 内容も一定していない。最初のはテストを兼ねた訓練実施だった。
「まあ、待ってれば新たな指令が来るでしょう。その時に通じる人物に出会えれば雇い主にも連絡が取れるはず」
 今からルシエラは、その不審者に成り代わって行動する事にした。
 因みに、ロッカーに閉じ込められた男は、1日経って発見された。衰弱しきってはいるが意識がハッキリしている為、数日間本当に病院の世話になり、その後司法公安局に引き渡されたのだった。

Scene.4 DNA鑑定結果

 集中治療室が工事による封鎖中の中、別館にある『血液分析室』では、梨須野ちとせとマリー・ラファルが骨の欠片とティーマの血液を調べていた……というよりマリーの場合は、妨害者が出てくるかもわからないので護衛をしているという事なのだが。
「変なのといえば、今日も入口付近でカメラマンや記者らしきのがワンサカいるね」
「『一部の天空階級の強硬派による病院襲撃』という一件で、これだけのマスコミが動くのよね。これじゃ、救急患者の受け入れがし難いですね」
 風の賢者で医師のウィンディア・シュリーヴが困っている。マスコミ関係者は中には入れないようにしているが、ある事ない事を色々探りを入れられているようで気分が悪い。
「ま、とりあえずラリーにセキュリティ管理を任せてもらってる。今のところは妨害するのは出てこないさね。あとティーマも」
「皇帝陛下は一度現れたら、次に現れるのはいつになるか分かりません。気紛れなところもあるみたいですが、詳細は私でさえも把握していないのです」
「ともかく、襲撃してこない限り関係者以外入れないって事ですよね。事態が変わる前にやっておかなくては」
 ちとせはティーマの血液を調べ始める事にした。また、マリーも護衛する傍ら、骨の調査をする事にした。
「そういえば、ツァイトさんがここに寄ると伺っていますが……玄関のほうが問題ですね。ナガヒサ――じゃなくて、ナーガさんも一緒に出かけてるわけですし。それと、ツァイトさんの血液も採取したいのですが」
 ため息をつくちとせ。だが、マリーは心配していないような事を言う。
「大丈夫なんじゃないのかい。二人の護衛がいるわけだし、マスコミがしつこかったら喝でも入れるんじゃないかな」



 ツァイト達が買い物前に総合病院の本館入り口に着いた途端、案の定マスコミに囲まれてしまった。
「マグネシア長官、ここで襲撃事件があったと聞いていますが、貴方もいたのでしょう?」
「……あの襲撃事件でここへ取材に来ていたとはな。すまないが、私は答えられない。シュリーヴ大統領から公式の発表がある筈だ」
 別の記者では、紺色の着物姿のナーガに質問をぶつけている。ある意味目立っている。
「あのー、冷凍保存から解放された時はどんな気分でしたか?」
「あ、あの……」
 情報操作とはいえ、どう返答すればいいのか迷うナーガ。それを察したのか、シエラ・シルバーテイルが遮るように立ちはだかった。
「マスコミの方々、あまりしつこいと政府から制限されるわよ。それとも、彼等の意思を無視するのかしら? 天空階級の過激派が紛れ込んでいたら、政府は黙ってはいないでしょうね」
 腕を組んで目つきを鋭くさせるシエラ。それが効いたのか、マスコミ陣は少し尻込みしてしまう。周囲を見回したが、過激派らしき人物は見かけなかった。もしいたら、突然暴れだしてパニックに陥っているかもしれない。
 落ち着いたところで、ツァイトはこう言った。
「ナーガ・アクアマーレ・ミズノエは現在、大統領及び私の管轄下にある。本来彼への取材は大統領を通じて許可が出されるから、突然の取材は遠慮してもらいたい」
 ツァイト達が中へ入ろうとした時に、また別の記者が声をかけてきた。
「マグネシア長官。貴方が現職の地位を退いて、ヴェレスティア政府で別の役職を拝命するという情報を聞いているのですが……本当ですか?」
 足を止め、振り向くツァイト。
「耳に入るのが早いな。未だ正式ではないが、シュリーヴ大統領から誘いを受けている。近いうちに公式発表されるから、それまでは記事にしないで欲しい」
「となると、後任は誰になる予定なんですか?」
「惑星キャエルム政府アスール担当外務長官には、副官のザルドズ・クロノ氏に任命をする。向こうへは正式に伝達してあるので、先程の正式発表と同時に、引継ぎを行う事になっている――忙しいので、これで失礼する」
 今度こそツァイト達が病院へと入っていき、それを見守ったマスコミ陣は……。
「つり目のせいもあるが、さすが見た目貫禄あるよな……長官。他にも凄みのあるのもいたけど……」
「でもカッコいいよねー」
「ところで、ナーガっていう人物なんだけどさ、本当に男性か? 女性だったらなあ……」
「プロポーズは無理。大統領やマグネシア長官に許可を得ようとして話をしても弾き帰されるのがオチね」
 ウーンと考え込む男性記者やカメラマン達。苦笑いする女性記者達。人の感想はそれぞれだ。



「シエラさん、助かりました。もし割って入ってくれなかったらどうなってたか」
「わたしごときの護衛なんて、あなた達に必要があるのかなと思ってたけど、お役に立てたのなら……で、今後も仕事を続けさせてくれれば有難いんだけど」
「勿論お願いしたいです。貴方の都合が良ければ」
 ナーガが微笑んで言う。シエラは喜んだものの、少し不安もあった。有事の際であれ、今後も役に立てるかどうかが。
 血液分析室に着くと、ウィンディア達が出迎えてくれた。
「長官、マスコミの群からよく抜けてこられましたね」
「知る権利があるとはいえ、ここ最近過激になってないか? それとも、過去の事で敏感になっているのかもしれんが……」
 話の途中で、ちとせが駆け寄る。
「お待ちしてました、ツァイトさん。早速ですが、血液の提供宜しいでしょうか?」
「ああ。俺は別に構わないが」
 ちとせは血液を採取し、早速取り掛かった。血液をジッと見ていたナーガが少しめまいを感じている。
「大丈夫?」
 シエラが支える。「大丈夫ですよ」とナーガは言ってみたものの、気持ち悪く感じているようにも見えなくはない。
「ヴェレ王国が存在していた当時、何度も血液採取をされたからな。それと生まれつきなのかもしれんが、医療関係のドキュメンタリーや事故現場のニュースで大量の血液の映像を見ると力が抜けるらしい。ま、自分の流した血を見てどう思ったかは知らんがな」
 ツァイトが呆れながら言う。
「仕方ないですよ……あまり見慣れないものですからね。医師や看護師にならなくて正解ですよ」
 ナーガは椅子に座り、落ち着くまで動かない事にした。というよりは、麻痺しているような感覚がして動けないのだ。
「何か蛇に睨まれたカエルみたいだね」
「申し訳ありません……」
「謝ることはないさね。さて……ちとせ、DNAのパターンが出たら言って。それまでにこっちも骨のDNAパターンを出すからさ」
 扉が開き、グラントが入ってきた。どうやら亡くなった者達の墓前に花を手向けていたようだった。守れなかった事の謝罪とティーマの首を土産に持って頭を下げさせる事の誓いを立ててきた。
「入り口にすごい人だったが、何ともなかったのか?」
「お陰様で。怪しい人はいなかったみたいですね」と、ナーガ。
 ツァイトとティーマの血液を顕微鏡を通じてモニターで映し出されている。あの輸血用の血液と同様、細胞のように活発にうごめいている。
 結果の用紙が出てくるまでの間、ちとせはツァイトとナーガに聞いておきたい事があった。
「自分のクローンを作る――この事をあの皇帝自身の矜持が許すかどうかで、現れたのがオリジナルかどうかの判断材料になると思います。皇帝の性格的にどうなのでしょうか?」
 考え込むツァイト。ナーガと目が合ったが、彼も困ったような表情。
「矜持、つまりはプライドか……はっきり言ってしまうと、あいつはあまり複製には興味がない。自然のクローンたる一卵性でも虫唾が走ると言っていたからな」
「自然のクローン……確かに一卵性ならば、人工的に行わなくてもお互い目の前が複製であり、分身が出来るという意味になるわけだからね。だから邪魔者として認識しているのかもしれないのね」
 ティーマを想像しながら、目の前のツァイトを比べてみるシエラ。
 自然に生まれる双生児、或いはそれ以上の人数による一卵性。生まれ方が同じでも、時間が経つにつれて違う方向に進む事がある。一方は外交で積極的に和平を望んでいたが、もう一方はあまり外に出ずに私利私欲の為に行動する。それが彼等なのだ。
 暫くして、ティーマとツァイトの血液、そして遺跡から持ち出した骨のDNAパターン結果が出た。
 血液に関しては、全て一致していた。つまり、あのティーマは本物という事になる。だが、骨だけは全く一致していなかった。
 ツァイトが説明をする。
「あいつは、無作為に同じ身長と体格の人間を選び、外見を整形させて記憶を改ざんさせ、一時的に身代わりとさせていた事のほうが多かった。いわば影武者だな。今後、本人が出てくるか、或いは無関係な人間を捕まえて影武者をさせる事も考えられるが」
「影武者か……厄介な事をするもんだな」
 グラントは眉を寄せる。
「つまり、この骨は影武者のものというわけなんだね」と、マリー。
「そうなる。ティーマとは関係のない、連れられてきた人間だろうと思われる。せめて丁重に葬ってさし上げたいが……」
 ちとせは別の質問を、ウィンディアにぶつけてみる。
「血液にリミッターをかけられるのならば、それを逆手に取れないでしょうか?」
 この前ウィンディアに渡された、『O−SDDDeSb/ZMV』と印刷された輸血用IDカード。ZMVはツァイト・マグネシア・ヴェレの頭文字である事は何となく分かる。本人以外持つ事はないのだから。
 ちとせの質問には理由があった。例えば同じ血液型を持つツァイトやナーガの血液をベースに、「ナーガ達に関わるな」というリミッターをかけて、それをティーマに撃ち込んで注入できれば事態も少し変わるのではないかと考えている。総合病院内の施設でそれが可能ならば出来るかどうかを知りたいのだ。ただ、人道的にどうかという疑問のあるのだが……。
 しかし、ウィンディアは首を横に振る。
「施設という形では、それは出来ません。リミッターは元々『無属性の上級魔導』で、使用できる人が限られています。私たち八賢者も使えますが、かけられた本人の意思を無視して使うのは気が向きませんからね。それに、ナーガも非人道的だとして使いたくはない。でも、王国の――皇帝陛下の命令は絶対でしたから、逆らう事はできなかったのです。使用する場合は、絶対に陛下の目の前で反するような行動をしないようにされていましたので」
「リミッターを使用するには、精神力と魔導力が強くなければ効果が無い。ティーマはその両方がずば抜けて強いという事だ」
「ツァイトも双子なんだから、同じじゃないのかい?」
 マリーの言葉に、首を横に振るツァイト。
「俺はあいつより下だ。口だけ逆らう事はできても、武器を持って傷つける事ができないようにされている。それに、血液にリミッターをかけるのは通常は有り得ない。遺伝子レベルでも同様だが、やり方さえ知らないのだぞ」
 考え込むツァイト。ふと思い出したのは、ツァイトのあの言葉――。


「あの二人の血液を輸血した。俺に逆らえんように遺伝子レベルでリミッターを施しておいた。俺が死んでも解除できぬし、その姿のまま年をとる事も死ぬ事もできないようにしていたからな」


 ナーガも父親とナスカディアの血液に関して考え事をしていた。
「考えられるのは、殺害する寸前にリミッターをかけられたとしか……でも父さんは陛下に会った事など――」
「それがあるんだよ、ナーガ。隠し撮りされたお前の写真が雑誌で掲載されてすぐ、ヴェレ王国へ外交訪問しに行った事が。その時にお前を手渡すよう命令したんだろうな。だが、あの時は拒否をしたらしいが、同時にリミッターをかけた可能性があるかもしれない。不死もかけたかどうかは不明だが」
「ちょっと待て。雑誌に掲載? どういう意味だ?」
 グラントが問う。
「ナーガの父親は、本当に皇和国で元環境局長官だった。彼も外見が若かったし、性格も受けが良かったからな、時々スクープ合戦で追い回された経験があった。ナーガが誕生した時、なるべく撮られないように注意を払ったのだが……」
 ツァイトが言うには、27年前――ナーガが拉致される数日前、ある写真週刊誌で気づかれずに撮られたナーガの姿が掲載された。その時の内容が環境長官の一人息子に関する内容で、すぐにティーマに知られる事になったという。
「何かのきっかけで人の運命をも変えてしまうなんて皮肉ね。報道の自由とはいえ、節度と限度があるわけだし」
 シエラの言うとおりだ。外のマスコミに対して、ナーガはただ困った表情だけをしていた。当時はマスコミに対する不安と恐怖はあったかもしれないが、25年の間にそれが薄らいでいったのだろう。
「ともかく、リミッターの話に戻るけど、出来ないって事ですね。まあ、オリジナルかどうかの判別が分かっただけでも良しとします」
 データをまとめ始めているちとせ。ウィンディアは少し考え事をし、ツァイトに進言した。
「貴方とナーガは未だに陛下からのリミッターが有効でしたのよね。でしたら、あの方に対して少しでも逆らえるように緩和する事ぐらいはどうでしょう。自らを暗示させる、或いはお互いにカウンセリング形式で」
「どのくらい強力なリミッターなのか分からんのに、それをやって効果がなかったら意味が無いぞ」
「ですから時間をかけるべきですよ。急いでやったって効果がすぐに表れるわけではありません。モノも然りですよ」

Scene.5 買い物

 血液分析室のある病院の別館の入り口で、ツァイト達を待つ4人――エルンストと、リーフェ・シャルマール、リュリュミア、ジュディ・バーガー。他に、ジュディのペットであるヘビのラッキーセブンとアホ……もとい、犬のジョリィもついてきた。
「ひとがいっぱーいっ。なにかちゅごいものでもうってるのかにゃー?」
「語尾がネコっぽいですネー。でもそれではないですヨ」
「でも私達はここで待ってるようにと言われてるけど、ここからなら不審な行動をする者や不自然なものがないか確認できるわ。確かにガルガンチュアとドラグーンは目立つけどね……」
 頭上を見上げるリーフェ。2体とも3メートルの高さであるが、近くの窓から患者の子供達が興味津々で見ている。どうやら、この別館には小児科病棟も兼ねているらしい。現時点では幸い怪しい奴はいなかったが。
「デモ全員が怪しいと思っちゃうヨネー」
「私達を含め、こんなにナーガとツァイトを護衛するのがいるんだもの、狙う者への抑止力になる事は間違いないわ」
 それでも、ナーガを狙う輩はいる。リーフェは引き続き2体のゴーレムに監視を命じさせる。
「なんかこれでちょーばいできちょーなきがちゅるぢょ」
 上を見上げるジョリィ。ラッキーセブンも上を見上げたがヘビなので仰向けに倒れこんでしまった。
「ラッキーちゃん、体が細いから疲れたんだネ。それにしても、よりかかれないと頭まで見る事が出来ませんネー」
「ねー、いつ買い物に行けるのかなぁ? っていうか、買い物って何ですかぁ? した事ないから分からないんですぅ」
「……した事がないって人、初めて見たわ。そうね、生活に必要な物とか、自分が買いたいと思った物をお金を払って手に入れる事よ。そのお金が作った人に渡る。そしてそれを励みにまた作った物をお店を通じて売る。大まかに言えばこういう事ね」
「へぇーそうなんだぁ」
「それにしても……結構時間がかかるのう。まさか、また内部で戦闘が――!」
「そんなわけあるか。用は済んだぞ」
 即座に茶々を入れるツァイト。ナーガの他にシエラも来た。グラントはもう少し病院にいるという。
「やっと買いものに行けるねぇ。で、何処に行くのかなぁ?」と、リュリュミア。
「『白群』という皇和服専門の店ですよ」
「ビャクグン?」
 首を傾げるリーフェ。白群とは色の名の1つで、白っぽい群青色の意。別名『白群青』とも言われる。名のとおり、薄い青色の壁が目印だという。
「皇和国もそうだが、自然豊かな国の場合は空気が澄んでいる事もあって空が綺麗に見える事がある。それをイメージして名付けたと聞いている」
「綺麗な空ですかぁ。分かるような気がするなぁ。ここ空が綺麗だから散歩でもして、芝生の上で横になってひなたぼっこしても気持ちいいかもしれないですぅ」
 遠い目をしているリュリュミア。気がついたら、既に誰もいなくなっており、歩き始めている彼等の姿を見て、慌てて追いかける。
「待って下さいよぉ。置いていくなんて酷いですぅ」



 店に着いた時、確かに壁の色が印象的な建物だった。中に入ると、落ち着いた白っぽい色の壁で、色々な皇和服が目に付く。皇和国は着物が民族衣装ではあるが、それを発展させた洋服のようなものもある。動きやすい洋服のような皇和服は若者に人気があるようだ。
 ツァイトを見るなり、女性店員が声をかけてきた。彼の顔を知らぬ者はいない。月に一度の会談ではよくニュースで流されるし、旧ヴェレ王国側の外交を努めた経験もあるが、年齢問わず誰も悪い印象を持ってはいない。
「お待ちしておりました、マグネシア様。ご注文の品はこれで宜しかったでしょうか」
「有難う。こいつに試着させても宜しいかな?」
「構いませんけど……お嬢様でしたか」
 ツァイトに押され、ナーガが恐縮そうに手を上げた。
「いや、こいつは男だ。別に気を使わなくていい」
「え?」
「すみません、こんな外見で驚かせるつもりはないのですが……」
 驚く店員。ナーガは更に申し訳なさそうに肩を小さくさせる。
「し、失礼しました。では、こちらへ」
 ナーガに更衣室へ通す店員。
「あのー、わたしも試着したいですぅ。いいですかぁ?」
 リュリュミアが別の店員に声をかけ、何点か着物を着てみた。
「ツァイトも見てくださいよぉ。いつも身に着けている色と同じものを選んでみましたぁ」
 丈の短い若草色の着物に、タンポポ色の帯で締めている。
「……悪くはないと思うが」
「今の間は何でしょうねぇ。何か呆れたような顔してるようにも見えますぅ。でもそれ以外に感想ないんですかぁ?」
「まあ、突然言われても難しいじゃろうて。で、買うのかの?」
「んー……今のところは止めておきますぅ。もう少し考えて、買いたくなったらそうしたいですぅ」
 数分後、出てきたナーガの服装は民族衣装のような緑色の服に、青い布を肩にかけた格好。
「ど、どうでしょうか……? でも何か緑尽くしで変かなあって」
「別に悪くはないが。まあ、緑をメインに幾つか色の違った組み合わせのも頼んどいてあるから」
「ナーガには薄桃色の服とか似合うと思いますけどぉ」
 青は賢者でのパーソナルカラーであるから外せない。緑はナーガの好きな色だという。
 ツァイトが代金を支払い、ナーガは着物を入れた紙袋を持った。着替え直しても良かったのだが、新しい服のほうが動きやすい。
 全員いることを確認して、アクセサリーショップへ向かった。



「今のところは怪しい人はいないわね。でももしかしたら様子見をしているのかも」と、リーフェ。
 年の為にLI-2500を装備しているが、気は抜けない。
「手を出してくれなければ、安心に越した事はないでしょう。それよりも、逆にこっちのほうが怪しいと思われていそうで……」
 ジョリィを見やるナーガ。ジョリィは意味なくくるくる回りながら踊っている。ラッキーセブンも同様に。
「おどおど、おどおど、おどっちゃうぢょー」
 ため息をつくナーガ。
「ナーガ君、先日のあれじゃが……」
 エルンストの言う、病院襲撃での『怪しい輩の魂を死んだ彼等の肉体に入る』という話の事を言っている。
「正確には『ワシが出来る』んじゃあないぞい。昔話とかで神が生物に憑依したとか、幽霊がとり付いたとかあるじゃろ。要はアレと同じじゃ。ただ、死体を含んだ無生物は別じゃが、ワシの術では生身の別人の身体に対して、執念を増幅して背中を押すまでが精々なんじゃ。世の中そう便利にはいかんからのう」
 つまり、乗り移れるかは当人の根性次第であり、未練の無い者は昇天する事になる。どれだけしがみ付いていられるかも本人の執念次第だという。
「そうですね。無限に出来るわけではない……人にも限度がありますからね」
「世の中便利にはいかないという台詞、ティーマに聞かせてやりたいな」
「ツァイト君には、汗と筋肉溢れる『男らしさ』でも叩き込んでやるぞい。髭生えたり雄雄しくなったりするかもしれんぞ」
「……それは遠慮しておこう」
「そうか? それは残念じゃ。ところで例の血液についてじゃが……もし若返りによって精神も若返ったのならば、朝に述べた体内の分泌物の影響も有り得るのう。こちらも何らかの薬物を投与して、そういったものを制御すれば、精神面では多少は状況も改善できるかもしれん。或いは老化を促す何かがあればのう。老化のほうが、若返りより余程簡単かもしれんから、案外いける可能性もある」
 不死は魔法的なものか、医科学的なものか、どちらにしろネタが不明である限り、現時点では手のうちようがない。
「エルンストさん、老化を早めるには紫外線を浴び続ければ、光老化の作用でシミやシワができるなんて事を聞いた事があります。でもそれは、体内の細胞を傷つけるような危険な行為でもあるわけですし、下手をすれば皮膚がんの恐れがあります。気長に自然に年をとるのを待つしかありません」
 ナーガは更に、「薬物は勘弁してほしい」と告げた。ヴェレ王国にいた頃、何度も薬物投与された記憶があり、革命後も障害が残った時期があった。どちらにしても、化学薬品には過剰に反応する。逆に漢方薬や自然由来の薬は難なく服用できる。ツァイトが時々贈ってくれる、あの微かな花の香りがするサプリメントがその例だ。
「難しいのう。自然由来に老化を早める薬があれば良いのじゃが、探すのが容易ではないからの。逆に健康第一で考えてるのが多いじゃろうて」
 二人の会話を聞きながら、ジュディは考え事をしていた。
「影武者のA・ナガヒサがナガヒサ・レイアイル博士とナッテ、ナガヒサはナーガ・アクアマーレ・ミズノエに戻ル……好きな刑事ドラマでも証人保護プログラムで新しいプロフィールを巡るストーリー、面白いデース」
「ドラマではなく、本当にそう名乗るのだから仕方がない。時には味方や顔馴染みの一般人を欺く必要性もある例えになってるわけだが」
「欺くデスかー。ナーガだった人は革命を機にナガヒサという人生を始めテ、今度は怪しい輸血によって若返った結果がナーガに戻ったんだよネ。本物の彼ってどっちなんだろうネ。まあ、答えは両方だって事は分かってるケド」
 無論、両方とも同一人物であった事は理解しているジュディ。だが、彼のアイデンティティは混乱しないのだろうかと疑問がよぎる。人の心がそう簡単に切り替えられるとは思えないからだ。過去の自分があるからこそ、現在の自分を実感する事ができる。
 真面目に考えているジュディだが、どう見てもジョリィとラッキーセブンにスキンシップをしているようにしか……。
「考えスギルと知恵熱出そうデース。あ、ツァイトにジュディの使ってる部屋を譲りたいんだケド……」
 ナーガがツァイトのベッドで寝てしまい、ソファーで寝たのを知ったので、ジュディはそれを伝えた。頭を下げた彼に好意を覚えたというのも理由の一つではあったが。
「気持ちだけ受け取っておこう。こいつには別の部屋に――」
「申し訳ないですが、ツァイトの部屋にそのままいたいなあと。だって広いじゃないですか」
 割り込むナーガ。眉間にしわを寄せかかるツァイト。
「お前に家を譲渡する前から、元々俺の部屋だ。たくさんの書物もあるからな、おいそれ移動は出来ん」
「ならば間仕切りをするだけでもいいと思いますが?」
「どうせカーテンだけだろうが。他の空き部屋はたくさんある。それにお前の部屋はどうするんだ」
「あれはナガヒサに渡します。L・Iインダストリーの社員も訪れた事のある部屋ですからね。そこから訪問者が見えるんですよ」
 来る人によって出迎えるか否かを決めていたというナーガ。
 話しているうちにアクセサリーショップに到着し、火術魔導専用と水術魔導専用のシルバーアクセサリー型増幅器を一つずつ購入した。どちらも指輪で、グラントとマニフィカへ渡す用意も出来た。



 ヴェレスティア海浜公園へ足を運ぶツァイト達。遠くにはあの遺跡が見える。
「んー、芝生に寝転がるのって気持ちいいですぅ」
 リュリュミアはナーガに日向ぼっこを誘ったが、「気持ちだけ」といって遠慮された。
「この世界でもホットドッグとアイスクリームおいしーデース」
 ジュディは近くの屋台で3人分買ってきた。自分の分の他に、ラッキーセブンとジョリィの分まで。
「ジュディさん、ホットドッグにタマネギ入ってませんよね? 犬ってネギ類を食べると溶血作用を起こしてしまうので避けてください。犬にとって毒なので」
「WHAT!? そうなんデスカ?」
 慌てて確認するジュディ。幸いパンとウィンナー、からし、ケチャップだけだったので、ジョリィに渡した。
 ツァイトはナーガに、今後の仕事の事を聞く。
「あの発掘調査の仕事だが、ナガヒサに継がせるとして、お前はどうする?」
「この姿でも行かれなくはないでしょうが……身体も精神も落ち着くまで当分の間は控えます。貴方は現職をザルドズに継がせた後、何の職に?」
「ワイトが言うには、ヴェレスティア外務特別顧問官だそうだ。公式上はワイトの直属という事になっている。それから、八賢者の管轄を戻したいとも言っていた」
「管轄を戻すって……ヴェレ王国での八賢者は皇帝直属だったわよね」と、リーフェ。
「表沙汰はな。元々俺が管轄していたが、命令はティーマが直接していた。つまり、民衆の前では賢者をも動かすという意味で誇示していたのだろうな」
「顧問官なら、秘書が必要ですよね」
 ナーガの言葉に、ツァイトは何となく後の言葉を想像できた。
「俺の秘書官になろうってのか? 秘書に性別は関係ないが、今までエンジニアや会社経営でリーダーシップやってた奴が、そう務まると思うか?」
「やってみせますよ。一応考慮をお願いします。さて、帰りましょうか」
「ナーガ、やる気満々みたいですネー」
 思わずチラ……とツァイトを見るジュディ。彼はただため息をつくだけだった。
 風が吹く。それを身に受け、さわやかな青い空を見上げながら、ナーガは三度目となる新たな人生を歩む事を決めた。

Scene.6 新たな人生の分岐点

 夕刻、レイアイル邸。
 門の近くで、ラウリウム・イグニスとシャル・ヴァルナードが話し込んでいる。
 久しぶりに遺跡から出たので、ナガヒサの事故以降の事は相棒犬ハンターを通じて知ったぐらいで、実際は詳細は知らない。
「もう退院したんですか。結構早かったですね」
「色々と事情があってね……退院は長官の意向によるものなの」
「それなら仕方ないですね。後どのくらいで買い物から帰ってくる予定ですか?」
「もうそろそろだと思うんだけど……あ、帰ってきたわよ。直接本人に聞かないと」
 数人の集団はある意味目立つ。シャルは駆け寄る。
「待ってましたよ。ところで、ナガヒサさんは……?」
「目は節穴か? 目の前にいるぞ」と、ツァイト。
「シャルさんはずっと遺跡に居っぱなしですから知らないんですよ」
「あれ? 声がナガヒサさんに近いですが……この人は?」
 緑の服を着た黒髪の人物を指すシャル。
「その……私がナガヒサなのですが」
「え? 嘘でしょう? こんな女性の人がナガヒサさんなわけが――」
 驚きながら未だ指しているシャルを見て、ナーガは苦笑い。ツァイトは呆れている。
「お帰りなさい。着ているのが特注品ですか。お似合いですよ、ナーガ」
 今度はアンドロイドのほうのナガヒサが家から出てきた。
「あ、ナガヒサさん……でも声が若干違って聞こえるみたいですが」
 ナーガは事の成り行きを説明する。シャルは首を傾げるが、
「つまり、輸血でナガヒサさんが若くなってナーガさんになったと。アンドロイドのほうがそのままナガヒサさんになってると。慣れるまでこんがらがっちゃいますね」
「で、私に何か用ですか?」
 ナーガに用があるという事になるので、シャルは紙と一つのビンを取り出す。
「このラベルに書かれてある『リョクウ・アクアヴィット・ミズノエ』の事ですが、ご存知でしたら教えてください」
 急に表情が曇るナーガ。察してか、ツァイトが代わりに答える。
「リョクウ・アクアヴィット・ミズノエは、ナーガの父親だ」
「父親……じゃあ、このビンには父親の血液が――」
「やはり抜き取られていたんですね。27年前に目の前で殺され、その後ヴェレ王国に持ち出されて血を抜かれたという話は本当だったというわけですか……」
 遺体に関してはツァイトがこんな事を言った。
「一応遺体は未だ惑星キャエルムで安置されている。防腐剤も施してあるから、当時のまま保たれているが」
「何故他の星に?」シャルが問う。
「革命後に不可侵惑星に指定されたから。実は当時引き取らなければ、遺体をも切断されてしまうところだったのだ」
「遺体を切断しなくとも、火葬すればいいじゃないですか」
「違う。特殊な血液――SDDDeSb型を持つ者は、血液だろうが肉体だろうが、ティーマが中へ取り込むんだよ。言っている意味が分かると思うが」
「――人を食らう者。死人を冒涜する者。父親はその寸前でツァイトが預かってくれましたが、ナスカディア様の場合、ツァイトから聞いた話では……」
 青ざめるナーガ。思い出したくないものを嫌でも思い出してしまう。
「そういう意味ですか。あれでも人間ですか!? 本当に犯罪者じゃないですか!」
「すまない。俺がティーマを止められなかった力の無さが原因でもある」
 首を振るシャル。
「謝る事はありませんよ。ティーマというのは確か皇帝の事ですよね。命令したのはあの皇帝でしょう? ならば、ナーガさんにも唯一の血縁者であるツァイトさんにも今後そうなる可能性が出てきてしまうのならば、止めねばなりませんね」
 しんと静まり返る。ナーガはシャルがもう一つ持っている紙を指す。
「これは?」
「八賢者の血液型リストです。ただ色と幾つかの血液型しか書かれてなかったので、司っているものを教えてくれたら幸いなんですが……」
 ツァイトがそれを受け取り、説明する。
「青は『水』、つまりナーガが司っている。緑は『風』で、ウィンディアの司っている属性だ。赤は『火』、黄は『地』、白は『光』、黒は『闇』となる」
「それらは予想通りですね。だけど、残りの紫と灰のがわからないのですが」
「灰は『時』だ。これを司っているのが俺の副官をしてくれているザルドズ・クロノ。紫は『夢』、そして『無属性』を表す」
「夢? 司るのがあるんですか?」
「一応無属性にはされているがな。夢は無から生ずるもの。だからそれと結び付けているらしい。ただし、この二つの属性は特殊で、一般には習得も使用も出来ない。家系等でそれを受け継いでいる人物のみ扱えるという。どちらも詳しくは知らないが」
 八賢者の内、既に三人出てきた。だが残りの五人の行方は知れない。革命時に亡くなった人もいる。
「ウィンディアさんのように転生した賢者っているのでしょうか?」
「わからん。だが、可能性は考えられる。ティーマが出てきたのならば、例え転生をかけていなくとも、自然に思い出される事もあるかもしれない」



 シャルとの長話の後で家へ入り、グラントとマニフィカに増幅器を渡すツァイト。
「魔導を使いこなせるには、まずは精神を鍛えないと駄目だ。苦労すればそれだけ魔導は答えてくれるはずだ」
「魔導が答えてくれる……ですか」
「体力も大事だが、精神も同じように鍛える……か。こりゃ大変になるな」
 電話の着信音がタイミングよく鳴った。相手はワイトだ。
「お疲れのところすみませんが、グロウヴネスト――大統領官邸での任命式は明日午前十時を予定しております。同時に衛星中継でキャエルム政府アスール担当外務長官をザルドズに拝命する式も同時に行います。宜しいですか?」
「俺は構わんが」
「ではお願いします」
 電話を切り、特別通信回線でキャエルム政府に繋げるツァイト。出たのは政府の首相だ。見た目は若いが、実は結構長く生きているようだ。二人ともアスール語ではなくソラリス語を話しているので、内容は分からなかったが、後で外務長官の件だという事を教えてくれた。



 夜。ツァイトの部屋で、考え事をしながら今後のスケジュールを確認する。
 次の日が正式にヴェレスティア外務特別顧問官を拝命する日で、今まで職についていた長官の座をザルドズに継がせる。これは間違いなく行われる。明日の時点で情報操作される事なくニュースとなり、ツァイトは正式に新たな職を就く事になるのだ。
 同じ部屋には、本当にナーガが自分のベッドを入れて寝ていた。因みにナガヒサはアンドロイドなので、ベッドは必要ないものの、代わりに調整装置が置かれている。
 呆れながら、ツァイトは明かりを消して床に就いた。数分後、背後から人の気配を感じ取る。
「……おい、俺が床につく時間を狙ってまた俺のベッドに入り込んできたな」
「いいじゃないですか、貴方が父さんに見えてしまいますから」
「俺はお前の父親じゃない。ちゃんと自分のベッドで寝ろ。本当にここに移りやがって」
 怒気を含んだツァイトの台詞。しかしナーガは気にしない。
「護ると言ったの、あれは嘘なんですか?」
「嘘ではないが、別に寝食を共にしながらという意味ではない」
「話す時はこっちを向いて下さいよ」
 ずっとナーガに背を向けたまま話をしているツァイト。向いたらどうなるか、相手の行動の予想が出来ない。
「父親で思い出したが、リョクウ……父親と母親の遺体、いつ引き取るんだ?」
 ナーガは答えない。
「もしアスールへ輸送したら、絶対にティーマに狙われそうだな。どちらにしろ、もう暫くそのままにしておいた方が良いかもしれん」
「わかっているのでしたら、言わなければ良かったのに」
 ふ、と笑うツァイト。
「すまん……皇和国にも里帰りしてないのだろう? お前の住んでいた生家は未だに残っているし、知り合いの政府関係者が管理してくれている。税金は今でも俺が払ってるが」
「……売り払ったんじゃないのですか?」
「生き残りであるお前の許可なくして、勝手に売却できるか。未だに遺品が残されているからな、もうそろそろ故郷に帰っても良いのではないかな?」
「それは……できません。私はヴェレスティアの人間として生活していますし、皇和国に戻ったってもう親はいないんですよ。あの頃が思い出されてしまうような気がして……」
 ツァイトの服を掴み、震えるナーガ。
「お前はある意味精神が弱くなっているんじゃないのか? 逆行したといってもいいのかもしれない。こりゃ本当に精神を鍛え直さなくてはならんな」
「お願いします……『赤鬼の武人』殿」
 久しぶりに通り名を言われ、体の向きを変えるツァイト。
 悲しそうに笑みを浮かべるナーガがそこにいた。
「『華の皇子』……先は困難だ。色々あると思うが、出来る限り俺が全力で支える。やれる事は自分で何とかしろ」
 ナーガも久しぶりに自分の通り名を言われて頷くと、しがみ付くようにツァイトの襟を掴み、顔をうずめる。
「申し訳ないですが……こうさせて下さい」
 ナーガの辛い気分がツァイトにも伝わっていた。
「仕方がないな、今日だけだぞ。今後もやったら追い出すからな」
「有難うございます……」
 嬉しそうなナーガ。ベッドから微かに花の香りがする。口にしているあのサプリの香り。
 暫くして安心したのか、寝息が聞こえる。
 ツァイトは離す事はせず、そのまま眠りに着いた。


 この日を境に選んだ新たな人生は、果たして選んで正解だったのか否か。
 現時点では分からないが、望んだ未来は選んだ者の意志にかかっている事は間違いないのだから――。

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