『Velle Historia・第2章〜煌めく風の息吹』  第1回

ゲームマスター:碧野早希子

 新暦(A.H.)25年5月2日。
 ヴェレスティア共和国の首都ヴェレシティで起きた交通事故により、ナガヒサ・レイアイルこと水の賢者ナーガ・アクアマーレ・ミズノエは意識不明の重体に陥ってしまい、ヴェレスティア総合病院の集中治療室へと運ばれた。
 時を同じくして、アスールで毎月行われる担当外務長官同士の会談の為に、惑星キャエルムからツァイト・マグネシア担当外務長官が下り立ったのだが、迎えに来た交渉官ラウリウム・イグニスと探偵エスト・ルークスからナガヒサが事故に巻き込まれたと聞かされ、急遽総合病院へと向かう事になった。
 それから1日経ったのだが……。
 
Scene.1 集中治療用ポッドの前で

「手伝ってくれるのは有難いけど……」
 大統領夫人で医師のウィンディア・シュリーヴは、少し困惑そうな表情をしていた。
 申し出たのは、マニフィカ・ストラサローネとグラント・ウィンクラック。
「気休め程度にしかならないのは承知の上ですわ」
 天空魔法の『天空願』は生存率を高めるもの。マニフィカはそれを使用して手助けしたいのだ。水や槍を使えたとて、傷を癒す術を知らないのが今更ながら悔やまれる。
(まだ水術魔導を教わってないんですもの……それに、博士はこの世界にとって必要な存在なのですから)
 人前で涙なぞ見せるのは王族の恥ではあるが、泣いたとしてもナガヒサの容態は変わらない。
 ラウリウムやエストのように、出来る事に最善を尽くしている事を見習わなくては。
 マニフィカはポッドに手を当てて天空願を始めた。最も深き海底に坐します我等が母なる大神に。
「どうか博士が助かりますように……でも効いているのかどうか、確認するのが難しいですわね」
 グラントは拳を握り締め、同じように悔やんでいる。
「くそぅ……用事でナガヒサの側を離れている時にこんな事になるなんてな……」
 自分の怪我ならば内気功で治せる。だが、他人の怪我の場合は外気功(内養功)でしか治せない。だが、グラントはその外気功を習得していない。
(死ぬんじゃないぞ……アンタには未だ教えてもらいたい事が山ほどある。それに、アンタには悲しませたらいけない奴だって大勢いるんだぞ。俺の目の黒いうちは死なせたりしねえ。アンタはどう思ってんのか知らねえが、今の俺にとっちゃただの護衛対象じゃねえ。大事な友人だと思ってるからな)
 もし容態が悪化した場合は、マグナエネルギーを使用した治療システムに、内気功による干渉を行おうかと考えている。現時点ではナガヒサの容態は安定しているようだが……。
 ナガヒサの入っているポッドは液体で満たされている。酸素マスクが装着されているので酸素吸入の件は心配ない。
「聞きたい事がある、ポッドに満たされているその液体は……?」と、グラント。
「これは人工羊水。一応治療用なのですが切開をせずに内部スキャンをする事が出来ます」
 ウィンディアがナガヒサの顔色を伺う。眠っているような彼の表情に苦痛は見られない。
「彼は大丈夫ですよ。夫――大統領から聞いてると思うけど、博士は水の賢者ですから。生命を司る者は、自然治癒力も一般人に比べて数倍早いみたいですよ。外傷内傷共にね」
 因みに、ポッドに収容した後で内部スキャンをしてみた。心配していた内臓は殆ど損傷は見られなかったという。ただ一つ――胃と肺の一部、その周辺に圧迫した痕以外は。心臓も少し衝撃は受けていたものの、今は殆ど心配ないという。これもナガヒサの自然治癒力が強いからか。
 とはいっても、こんな状態では治る力が遅いのではないだろうか。グラントとマニフィカは少し心配そうになる。それに、ウィンディアが八賢者の事を知らないわけではない。ワイト・シュリーヴ大統領から一部は聞かされているのだろう。
「少し落ち着いたら、再度検査して手術するかどうか決めなくてはいけませんね。手術の場合は輸血が欠かせないのだけれど……それが問題ですね」
「問題? まるで輸血自体が気になるって事の様に聞こえますわ」と、マニフィカ。
「他人から博士への輸血が問題なのです。逆も然りですが……珍しい型ですからね」
「ABO式やプラスマイナス式以外のが合わないっていうのか?」
 グラントは元より、マニフィカも血液型の種類がどのくらいあるかは知らない。
「その二つは赤血球の持つ抗原の種類によるもので、輸血の際には重要になるものです。とはいっても、血液や血しょうに含まれる色素タンパク質――血液色素等、有機的に構成されている事によっているけど、まだまだ未知の多い研究分野なのです」
 ウィンディアの専門分野は遺伝子医療・外科・内科である。ある程度知られている血液の事は分かっているが、彼女でも把握していない事があるのは確かだ。
「白血球の型だけが合わない人もいますし、同じ血を持つ家族間でさえも遺伝子的に合わない例があります。博士の場合……例外を除いて、輸血されたら魔導の威力が半減されるし細胞の親和性も危ういかもしれない。中には細菌の病原体を知らずに保持してしまっている人もいるみたいですからね」
「例外というのは?」
 リーフェ・シャルマールが集中治療室に入ってくるなり、気になる事を問う。
「彼へ輸血可能なのは、ごく一部の『珍しい型を持つ者』だけです。何処にいるのかさえ把握していないのが実情ですから。アスールにも殆どいないでしょうね」
 考え込みながら、少し苛立ちを感じ始めるグラント。
「だが輸血可能のがあるらしいんなら、かけてみるしかねえだろうな。もし見つかっても遅せえよな。渋滞に巻き込まれてるんじゃねえだろうな……非常事態だってえのに」
「そういえば、輸血の手配をしてくれたのってマージナル・クロックワーク博士って人でしたよね……一体何処の血液センターに連絡したのでしょう? 知り合いのところとはいえ、もし遠かったら本当に生命に関わる問題です。それに、本当に型の合うのがあるのかも疑わしいですね」
 ウィンディアがモニターを確認しながら考え込む。
「その間にもナガヒサの命の灯火が弱まっていくかもしれないわよ。例え治癒力が早いといっても血液は少ないまま、内臓はまだ一部が危ういんでしょう?」
 リーフェは樹脂凍結されたアール・エス・フェルクリンゲン――要するにクローン体なのだが――に関する資料を手に抱えていた。ナガヒサの損傷を受けた生体部分とクローン体のが移植可能かどうかを調査と研究しようと考えている。だが、あまりにも資料が少ない為、時間はかなりかかりそうだ。
「当面の間、ナガヒサを凍結状態にする事を提案するわ。今のところ問題なさそうだけど、これ以上悪化させたら大変だしね」
「貴方の言い分も最もなのですが……」
 ウィンディアはリーフェから身体データが記載されている紙を確認する。
「先程話した事も含め、血液型が合わないのもそうですが、DNA的問題もあります。臓器も移植の際に別の型の血が入っているでしょうし、例え同じ型としても拒否反応があるかもしれません。因みに、輸血等で性格が変わる例もあるようですが……どちらにしても、これはオリジナルもクローンも同等の問題となるかもしれません」
 因みに、ナガヒサの血液型はO型、アール・エスはB型である。輸血や臓器移植をしたら拒否反応を示して事態を悪化させそうな気がする。
「それでも納得できるまで調べたいし、不可能でも何らかの情報収穫は得られると思うけど?」
 リーフェの言葉に対し、ため息をつくウィンディア。
「そうですね。でも、凍結はしなくても大丈夫ですよ。この人工羊水もある意味凍結のようだから」
 母体に還るようなもの。精神を和らげ、安心して治癒に専念する為の準備。
 ウィンディアにそう説明されて、そんなものかなあと首を傾げる三人であった。
「一応、息子さんにも連絡はしてありますから……やっぱり心配はしてましたからね」
 ナガヒサの一人息子――L・Iインダストリーの二代目社長でもあるわけだが――テツト・レイアイルは、「仕事が忙しくて見舞いに行かれるかどうかわからない」と言いながらも、やはりたった一人の肉親の安否には不安を隠せなかった。
「血液型ならば、その息子さんでも大丈夫なのではないのでしょうか?」と、マニフィカ。
 しかし、ウィンディアは首を横に振る。
「確かに同じO型ですが、肝心の部分が合わないんです。その半分は一般人であった母親のDNAが入ってますから。もし知らずに輸血してしまったら、魔導の能力が半減してしまう恐れがありますし、最悪の事態になりかねない……親子であっても不適合という事もあるのですよ。テツト社長は何故か博士のように強い魔導を持っていないようですから」

Scene.2 天空遺跡

 ナガヒサが天空遺跡(ヴァーヌスヴェレ・ルイン)に来れなくとも、いつもどおりに調査を続ける者達がいる。
 自分に今出来る事はこれぐらいだが、心はナガヒサが無事に治る事を案じているのだ。


 王宮の66階。ヴァーヌスヴェレ王朝最後の皇帝が使用していたエリア。
 そこには梨須野ちとせとマリー・ラファルが再調査している。
 エアバイク『ラリー』にコンピュータに関する調査を任せ、マリーは瓦礫とその周辺を警戒する。
「L・Iインダストリーの遺跡発掘課の社員と土木課の社員を何人か連れてきたまではいいんだけどねえ」
 信用できるとのお墨付きとはいえ、気がつかぬ内に天空階級等の敵勢力による紛れ込みや妨害の可能性もある。慎重にかつ念入りに調査をしなければならない。
「忙しいところ集まっていただいてすまないね。調査の為に瓦礫を撤去しなければならないんだが……怪我のないように頼むよ」
 その間、ちとせは同じ階の他の部屋を調べる事にした。
「ナガヒサさんの事は心配ですけれど、現時点ではこの星の医療技術とナガヒサさん自身の生命力に期待するしかありませんね」
 全ての部屋の中を見て、ちとせは首を傾げる。
「広い部屋が多すぎます。しかも各部屋にベッドが置いてあるって……皇帝以外に使用する人がいたって事でしょうか」
 もし来客用としての部屋だったとしても無駄に大きい。皇帝は気分や日にちによって部屋を変えるという事なのだろうか。
 それだけではない、しかも全ての部屋には何処も香水やお香の入っていた入れ物が散乱していた。その多くがイランイランやムスクと書かれていた。中身は空だったが。
「なんか……トイレの芳香剤のような香りを置いてたんですね……」
 軽い頭痛にならないよう、額を手に当てつつ部屋を見回る。他に日記等の記録媒体があるかどうか探してみたが、残念ながら発見されなかった。
(皇帝は記録を残さないのでしょうか。仕方がないですけど、大事なのはこれから。ナガヒサさんが回復されてから、その後の事に対してできるだけ準備と対策をしなければ……その為の調査ですからね)
「ちとせ、瓦礫をある程度撤去したよ。今やるかい?」
 マリーが呼びにきた。無論、ちとせはすぐに向かった。
「ところで、人の痕跡らしきものは見つかりましたか?」
「やっぱり一体分あったよ……といっても、人骨になってたけどね」
 粉々に砕かれてはいるが、確かに骨らしき白い塊がたくさん見つかった。着ていた服もそこから見つかっており、材質はシルクでとても良いことが伺える。
「間違いなく皇帝……ってところですね。でもそう簡単に死ぬなんて、やはり人間だという事ですね」
「だが、本当に本人かどうかはこれから調べてみないとね」
 これ以上粉砕せぬように、骨のかけらをを丈夫な保存容器に入れるちとせ。
「問題はDNAです。検査をしても、肝心のそれをどうやって皇帝のだとわかるかが――マリーさんのほうは何かわかりました?」
「前とあんまり変わらないね。他のところを探してみるかないようだね」



 一方、地下の胎児育成施設では、シャル・ヴァルナードとエルンスト・ハウアーも調査をしている。
「考えてみれば、ここあまり暗くないですよね。もしかしてマグナストーンによるものでしょうか」
 太陽光――恒星ソラリスの光と熱によるソラリスエネルギーは、昔から生活を中心に活用されている。マグナストーンのエネルギーも然り。
「ナガヒサさんの事も心配ですが、あのEE事件……これだけでは終わらない気がしますね」
「そうじゃのう……ワシも調べものがあるし、シャル君も調べたい。当分ここで調査をするんじゃろ?」
「ええ。もしかしたら隠し部屋があるのかもしれません。ここ以外に重要な資料があるかもしれませんから」
 隠し部屋や隠し棚に重要な資料が隠されているかもしれない。それは知られてはまずいものか、それとも第三者に見せないようにするための物か――シャルはそれを探し始めた。
 その間にエルンストは、前に聞いたナガヒサの意見を元に、こんな考察をしていた。
「ワシの魔術学の中で、皇帝の志向とあの状況下で不老不死を考えるにおいて、とりうる方向性を考察した結果が二つの選択肢じゃ」
 一つは、人間に近い肉体を持ちつつも、不死に近い生命体になる事。いわば神の次元に近づく事。
「古代、人間と交わった神がいたという伝承が多少なりとも真実ならば、肉体を持った人間に近い『不老不死に近い生命体』は存在する事になる筈じゃて。そして他の世界での東方の伝承にある、修験者による解脱や仙人といった、修行の末に不死性を体得した例から、人間がより高次の生命体へと進化し得る可能性は十分あると考えられるのじゃ」
 ただし問題もあると、エルンストは続けて言う。
「これは文明が発展途上の純な人間が修行の末にというならいざ知らず、頂点を極め欲にまみれた文明の人間では不可能に近いというわけじゃ。それにのう、こうした高次の生命体は、大抵肉体という縛りは大して意味がないときているのじゃよ」
「確かに。このソラリス太陽系で長生きの異星人がいるかどうかはわかりませんが、不死を持ちたいというのは人間の永遠の憧れかもしれません」
「いたらぜひ会ってみたいものじゃな」
「もう一つはなんです?」
「さっきのは未だ無理じゃろうから、とりあえず不老不死の実現には時間がかかる。だから死んだフリをして時間を稼いで研究続行しているというものじゃ」
 早い話が、皇帝は幻術か何かで死んだように見せかけ、逃げたという事だ。
「さすれば、痕は誰も探そうとせんから自由に動けるしのう。一番有力なのはクローンを作って影武者にし、術で相手に本物っぽく見せかけるといったところかのう」
「なるほど」と壁を触りながら頷くシャル。
「もし現実路線をとったなら、皇帝のクローンを作った痕跡が見つかるはずじゃろて。最初に話した理想主義路線の場合は、精神に関する研究の痕跡が見つかるはずじゃ」
「可能性としては……後者っぽい気もしますけども。ん? この壁……」
「どうしたのじゃ? 何か見つかったかのう?」
「僅かですが、壁にズレがあります」
 シャルは近くに落ちていた金属を拾い、ガリガリと削り始める。時間はかかったが、現れたのは扉だった。
「やはり隠し部屋がありましたね」
「どっちの痕跡が見つかるか、楽しみじゃな」
 近くの機械を操作して扉を開ける。中に入ってみると、確かに資料の山が目に飛び込んできた。
「これは凄いのう……」感嘆するエルンスト。
「これは精神に関する資料ですね。エルンストさんの言うとおり、もしかしたらその研究資料があるかもしれません。えーと、これは……?」
 シャルが手にしたのは、長命種族のリストが書かれている紙媒体だった。
「異星人の……これって連行されたソラリス太陽系の全惑星人種のリストって事ですよね」
「ほう……珍しいのう。一番長生きのはどの種族じゃな?」
 よく見ると、キャエルム人を筆頭に、ジョヴィス人、ソイル人、マリーヌス人、ヴァナー人の順に書かれていた。
「平均寿命……200〜500歳ぐらいですよ! 今の平均寿命と比べてどうなんでしょうね」
「ふむ……一応調べてみる必要はあるぞい」
 長期になる事は一応覚悟しているシャル。この世界には未だ知らない部分がある。この先が触れてはならない部分があるとしても、知る権利はあるのだから。

Scene.3 事故現場にて

 国立会議場。ナガヒサが事故に巻き込まれた事故現場。
 エストはヴェレスティア司法公安局の警察官数人と話をしていた。それが終わるのを見て、トリスティアが寄ってくる。
「結構親しいんだね。情報交換?」
「私は元警察官だから、彼等はある意味私の後輩達よ。まあ、さっきは情報交換というより、博士の安否を気遣ってくれてるみたい」
 今のエストから想像もつかない、警察官時代を想像するトリスティア。彼女はエストに探偵の仕事を教えてもらいながら、事故現場の検証を始める。実はボーイフレンドが私立探偵である事から、見様見真似で挑戦しているのだが、そう簡単に出来るわけではない。
「ところで本題に入るけど……赤い車を自動操縦か遠隔操作でナガヒサにぶつけたんじゃないかなあって思ってるんだ。ブレーキ痕ないしね。ボクのエアバイク『トリックスター』にも自動操縦機能がついてるから、こういう手口って案外簡単に行えちゃうと思うよ」
「車にブラックボックスみたいなのがあるかどうか、私が調べましょうか」
 A・ナガヒサ・レイアイル。本物のナガヒサの代理として投入された、擬似人格OS『ペルソナ』内蔵のアンドロイド。因みに、Aはアンドロイドの略である。
「これがただの事故ならただの検証なんでしょうけど、事故なら現場にナガヒサを狙った相手が現れたら、どう動くかしらね。囮捜査として彼を連れてきたっていうのはつまりそういう事でしょ?」
 シエラ・シルバーテイルの言葉に、エストは苦笑いしながらも否定はしない。
「まあ、未だ公式としてアンドロイドが代理を務めるってニュースは流してないけど、無事だという事を誤認させるという目的は間違ってないわね」
 本当は彼に包帯と松葉杖で怪我人を装ってもらいたかったのだが、本物の怪我した場所が主に胸だった為に、巻いても無駄だった。だが、首と手首に包帯を巻いて、病み上がりを演出している。
「仮に犯人が今回手を出してこなかったとしても、本物と思わせる事ができれば、入院中のナガヒサが狙われる事はないと思うわ。それに機械人間であっても、ナガヒサの形をした者がバラされるのは嫌だもの」
 確かに見知った者が目の前で失うのは辛い。だからこそ、目の前のが作られた者であっても守らねばならない。
 A・ナガヒサは現場に残されている車に近づき、内蔵されているセンサーを使って調べ始めた。それを見ていたジュディ・バーガーは感心してしまう。
「すばらしいデスネ〜。ジュディはそんなこと出来まセ〜ン」
 足元にはアホ……もとい、ジョリィがいる。犬特有の嗅覚が役に立つんじゃないかと思い、連れてきたのだ。しかし……。
「おちゃんぽおちゃんぽ」
 ……長いお散歩だと思っているのか、何だかとっても嬉しそう。
 ジュディの首に巻かれているペットのラッキーセブンが、ちろちろと舌を出しながらジョリィを見ている。
「うーん、なんかからみちょーなきがちゅるぢょー」
「たぶん気のせいデース。それにしても車の暴走、事故と故意の両方の可能性がありマース。でもジュディには難しいデスネ〜」
 世界によって、常識が通用しない事がある。わからない事や知らない事は決して恥ずかしい事ではない。ジュディはA・ナガヒサを見て、こんな事を考えていた。
 搭載されている擬似人格OSペルソナは自我があるのだろうか。仮にあったとしてもアイデンティティに悩むのかもしれない。クローンだったアール・エスの事を思い出し、少しブルーになった。
「おなかぽんぽんでちか?」首を傾げながら、気にするジョリィ。
「ゴメンね〜、でも痛くないデスヨ〜。おバカなジュディはハッピーかもネ……あー、故意に起こした事故なら目的なんでしょうネー?」
 A・ナガヒサはエストに確認を取っている。
「所有登録者は個人ですが……どうやら盗難されたものですね。盗難届がでています。3〜4日前に」
「という事は、これには無関係って事ね」
「それから、走行記録から無人操縦だった事がわかりました。この車は何故かナガヒサ博士の体格と外見もデータに残ってますから、予め彼のみを狙っていたような形跡があるみたいです」
 A・ナガヒサの言葉に、トリスティアは腕を組んで考え込む。
「盗難場所ってわかる?」
「登録データから、南東の隣町『メッツァ』の賃貸アパートらしいですね」
 メッツァという町は、ヴェレシティより大きくはないものの、森が多くて住みたい地域として人気のある町である。
「でもそこからヴェレシティまで早くても20〜30分かかるわ」
「プログラムは向こうか、それともこっちに来てからか……難しいね」
 トリスティアは、エストからホログラフィー・コンピュータを借りて、大統領官邸に電話をかける。本来、大統領に直接かけるには何十もの手続きが必要であるが、エストのは直接かかるように許可が下りている。
 電話をかけたところ、会談期間中ではあったが丁度この日は終わったところであった。トリスティアは「賢者であるナガヒサが何者に狙われたし、先日のアール・エスの件もあるから注意が必要」だと継げた後で、
「天空階級等の不穏な動きに備えて、武器が欲しいんだけど……ボク達もナガヒサをこれからも守りたいし」
 ワイトは暫く黙っていたが、
「わかった。調達できるよう準備はしておく。ただし、LI-2500しかないが」
 LI-2500とは、L・Iインダストリー製の拳銃で、主に護身用として司法公安局など一部の人間に使用されている。因みに、ワイトは元より、ラウリウムやエスト、ナガヒサも護身用として所持はしているものの、余程の事がない限り使用する事はない。
 ジュディも念の為に、総合病院に用心するように連絡を入れた。
 しかし、未だに犯人は不明のままである。



 ルーク・ウィンフィールドは事故現場から数百メートル離れた場所で、雇った情報屋と暫くして接触して調査内容を確認してもらった。
 調べるといった依頼はあまり得意ではないが、自分なりのやり方で調べるのがルーク流だ。
「所有者はメッツァタウン在中でブティック店員の女性。事故当時は仕事中だったというアリバイはある。事故車の運転方法はオートでプログラムされていた……つまり、そういったプロでなければ出来ないって事になる」
「なるほどな……すまないな」
 プロフェッショナル。世界によって同じ職業でも微妙に扱うものが違ってくる。ルークは深刻そうな表情をしながらも、エスト達に互いに得た情報を交換した。一部は得た情報と同じものであった。
 情報屋と別れ、偶然車で病院へ向かっているマージナルと出会い、追いかけて声をかける。
「すまないが、聞きたい事がある」
 車を止め、窓を開けるマージナル。左目にかけているレンズが印象的だ。オールバックの青髪に黒の縦縞ダブルスーツを着ている事もあって、まるで金持ちのように見える。
「……何でしょうか?」
「あの赤い車の事だが……隣町からの盗難車である事がわかったが、所有者の事について知っているか?」
 マージナルは首を横に振った。どうやら知らないらしい。助手席には、容器のような物が乗せてある。
「いえ、その人は知りません。でも何故私にそれを聞くのですか?」
「もしかしたら公安局から聞いているかもしれないと思ってな。すまなかった」
 マージナルは車を走らせて病院へと向かった。ふとさっき見た容器が気になる。
(あの容器って、もしかして輸血用の血液か?)
 そういえばナガヒサの容態はどうなっているのだろうか。ルークは気にはなっていたが、自分が出来る事をしなければと気を引き締めた。

Scene.4 会談の場にて

 ヴェレシティ中央行政府。その中央に大統領官邸がある。
 周囲を緑で覆われており、別名『グロウヴネスト』(小さな森の巣)と呼ばれる事がある。
 毎月ソラリス太陽系の全惑星からアスール担当外務長官が集まり、ここで会談をしているのだ。


「元気がありませんね、キャエルムの外務長官。それとも――」
 広い回廊でワイトがツァイトに声をかける。
「ツァイトでいい。俺の心情を知ってて言っているのだろう。ならば放っておいてもらいたい」
 1日目の会談が終わり、ツァイトは1人でナーガの身を案じている。だが会談の最中でも彼の事を考えていても、気分が晴れる事がない。自分はただ祈る事しかできない。
「申し訳ありませんが、放っておけないのが私の性格でしてね……今のところ、ナーガの容態は安定しているようです。ウィンディアと協力者が尽くしてくれていますよ。彼は本当に幸せ者ですね」
「だが、こんな形で事故に遭うとは不運だとも聞こえる。先月の誘拐の件、天空階級の輩が起こしたとニュースで知ったが」
 事実の詳細を知らないツァイトに、ワイトは落ち着いて簡潔に話した。
「ヴェレ王国近衛騎士団……IGKのアール・エス・フェルクリンゲンをご存知だと思いますが……」
 驚きの表情で反応を示すツァイト。
「……あいつが? 生きていたのか?」
「どうやらクローンだったようです。現在、樹脂凍結されて地下の凍結安置所に安置されています」
「そうか……あいつといえば、27年前の事を思い出す。あの時、もう少し早く来ていれば――」
「悔やんでも仕方がないですよ。これが運命ならば、誰も逆らう事などできない」
「だが、それでも逆らう事は出来る筈だ。例えリミッターをかけられていても」
「未だ……解除されていない部分がおありですね」
 フッと苦笑いするツァイト。
 その時、ラウリウムが近づいてきた。
「ツァイト長官、焦っていても何も変わるわけではありません。皆博士の為にやれる事をやっているのですから」
「そうだな……出来れば、俺も会談を放り出してでも見舞いに行くべきだが。それに事件も調べたいしな」
 外務長官という身分である以上、自由に時間を空けられないのが悔やまれるツァイト。
 ただ時間だけが流れていくだけだ。
 外からコンコンと窓を叩く音がする。
「ここ2階だぞ。一体誰が……」
 ワイトは近づいて窓を開ける。と同時に、何か細い紐のようなものが素早く入ってきた。
 ワイトとラウリウムが避ける。細いものがツァイトにめがけてきたのだが、いきなり剣で切られる。
「あーっ、切っちゃ駄目だよぉ」
 上ってきたのはリュリュミアだった。細いものはよく見ると蔦だった。彼女はしゃぼんだまで2階まで上ってきた。
 ため息をつきながら頭をおさえるラウリウム。
「馬鹿者、俺がそう簡単に捕まってたまるか」
 ツァイトの右手に長剣が握り締めている。
「久しぶりに見ましたよ、その『マーグヌス』」
 長剣マーグヌス。『大いなる』を意味するそれは、ツァイトの所有する剣だ。
「ここで振り回してすまんな、ワイト。ところでそこの女、ナーガとは違うが匂いがするな。で、何の用だ?」
「匂いはほめられたって事かなぁ。えーとねぇ、眠っている人を目覚めさせる方法聞いた事あるんだけどぉ、それには王子様がキスをしたらいいんですよねぇ」
「……何が言いたい?」
 目が怖いツァイト。ワイトとラウリウムはリュリュミアが何を言いたいのかを何となく理解した。
「ナガヒサを目覚めさせたいんだけどぉ、アール・エスは凍結されちゃったからぁ、ツァイトのキスで目覚めさせたらいいかなあなんてぇ」
「やっぱりね……」
 リュリュミアを帰してもまた来るのは目に見えている。ラウリウムはますます重いため息をついた。
 ツァイトは少し黙っていたが、
「ポッドに入ってる人間にどうやってするのかな? それに見た目の事を考えろ。中年同士のは見たくないだろう。昔のナーガだったらするかもしれんが」
 真面目な顔してどういう返答なんだ……ワイトも苦笑いするしかない。
 どうやらリュリュミアは蔦でツァイトを縛り、しゃぼんだまで吊り下げて総合病院まで連れて来る計画を立てていたらしい。
「俺はそんな事されなくとも、見舞いには行く」
 と、携帯用のホログラフィー・コンピュータが鳴る。どうやらTV電話のようだ。
「イサタゥ、アティスオドゥ?」
 聴きなれない言葉だった。リュリュミアが首を傾げる。
「今のはソラリス語。ソラリス太陽系で最も使用される言語だが、アスールでは殆どの人間は使用できない。ずっと昔――何代目かの皇帝がリミッターで使用できないようにしてしまったからね。今は外交や商業等で使用されるのみだが」
 ワイトはそう言うと、「さっきのは長官の言葉で言えば『俺だ、どうした?』と言っている」と付け加えた。
「別に極秘な内容ではなかろう。アスール語で話せ、ドクタートキホ」
 電話の相手は総合病院からだった。トキホ・ペインという医師がウィンディアの伝言を告げる。
「『レイアイル博士の件ですが、未だ面会謝絶ではないので来院可能です』との事です」
「いちいち連絡しなくとも俺はこれから行く。それと何か変わった事は……どうやら無さそうだな」
 トキホはサングラスをかけているので、どんな表情をしているのか読み取りにくい。
「はい。未だ輸血用の血液が到着しておりませんので」
「ナーガの血液型は特殊だからな、アスール中探してもそうそういない。数十億分の一の確立に近いが……見つけたって事か?」
「さあ」とでも言いたそうに両手を挙げるトキホ。
 通話を終え、大統領官邸にいても仕方がないので、ツァイト達は総合病院へと向かった。

Scene. 輸血用血液アムリタ

 再び総合病院の集中治療室。
 ツァイト達が到着したと同時に、マージナルが容器を抱えて入室してきた。
「遅れましてすみません。見つかりましたよ、O型でSDDDeSb型の血液です」
「エストリプルディー……何か長ったらしい血液型ですね」
 こめかみに指を当てるマニフィカ。初めて聞く型だ。これが、特殊な故に持つ割合が殆どない血液型らしい。特殊な容器に保存されており、その量は通常病院で見るパックにして2人分の量しかない。
「血液型にも色々な型のがあります。よく知られているABOやプラスマイナスの型だけではないのです。一般的に珍しい型といえば、−D−(バーディーバー)型とかありますよ」
 そのバーディーバーよりもかなり見かけない貴重な型の量を見て、不安になるグラント。
「だが、その量で足りるのか?」
「それしかないですが、とりあえず足りるみたいですよ。あとは博士の治癒力に任せるしかありません……ところで、マージナル・クロックワーク博士でしたわよね。一体何処から?」
「言わなければなりませんか? それは企業秘密です。もし知られたら、せっかく提供して下さった方に申し訳が立たないと知り合いが申していたものでね。それと、その様子だと手術の必要性はなさそうな気がしますが」
 最終検査の結果報告が出た。マージナルの言うとおり、確かに手術しなくても安定している数値を示しており、輸血のみという指示が出たからだ。
 トキホに血液を渡すマージナル。ジッと見つめたまますぐには取り掛かれないトキホ。どうやら、輸血してよいものかどうか躊躇しているのだ。
「安全性は保障します。細菌等異常は認められませんでしたから」
 にこりと笑むマージナル。
 ツァイトは黙ってはいるが、眉を潜めているのが見て取れる。
「俺はあまり輸血は賛成できない」
「ですが、博士は大量に血を流されているのですよ。彼がいなくなったら寂しいでしょう」
 マージナルの言うとおりだった。ツァイトがいなければ、話し相手も稽古相手もいなくなってしまう。それに、ナガヒサの両親から守るという約束も果たせなくなる。
 ツァイトはため息をつき、仕方がないようにトキホに輸血を開始するよう頼む。
「ところで……何処かでお会いになったかな?」
 マージナルとは初対面ではあるが、ツァイトは何処かであったような気がしてならない。無論、気のせいかもしれないが、とりあえず聞いてみる。
「私が、貴方と? いいえ、今日が初めてです。ですが、私も昔ヴェレ王国にいた事がありましてね……もしかしたら、見かけただけかもしれません」
 穏やかなマージナルに対し、相変わらず険しい表情のツァイト。
「何処の所属だった?」
「……天文学関連ですが」
「なるほど。それでナーガと天文学会議で会ったのか」
 それ以上会話は続かなかった。その間にチューブでナガヒサの腕に繋ぎ、輸血を開始した。ウィンディアはトキホと彼女の部下である医師のマーガ・グレイと何か話をしているが、内容は聞き取りづらい。
「あとは何もしなくても良くなるまで放っておけば大丈夫な筈です。空になった容器ですが、こちらですぐに処分して欲しいのです。細菌が入って、そこから空気感染でもしたら困るでしょう?」
「そうですね……」
 時間はかかったが、容器の血液が無い事を確認し、繋げていた部分の口は弁を閉めて容器を取り外すトキホ。
「博士に繋げているほうのは、輸血が完了次第自動的に取り外されます」と、マーガ。
「容器の処分も確認させてもらいたい。いいですね?」
「ええ……いいですよ」
 トキホがダストボックスの扉を開ける。そこは直接廃棄物処理施設へ直接送る為の小さいコンテナが設置されている。
 見えないように背を向けて、硬いものが転がり落ちる音がした。音が小さくなると、マージナルに見せる。
「タネも仕掛けもない、ちゃんとコンテナへ送りました。これで安心しましたか?」
 マージナルは少し納得はしなかったようだが、転がる音がしたのは確かだ。
「とりあえず、そういう事にしておきますか。では、私はこれから用事で行かねばなりませんので……お役に立てましたら幸いですよ」
 集中治療室から出るマージナルを見送った後、急いでトキホはダストボックスに頭を突っ込む。
「何をやってるんですかぁ?」
 首を突っ込むリュリュミア。
「これですよ……強力な粘着力とはいえ、いつ落ちるか心配でした」
 トキホが手にしているもの。それは処分した筈だった容器だった。
「ちょっと気になっていたから、処分したと思い込ませて見えないところに貼り付けておくように頼んでいました。あのクロックワーク博士は几帳面そうな方みたいでしたからね。代わりにコーヒーの空き瓶を処分しました」
 優しい顔をして、実は凄い事を考えてそうなウィンディア。
 近くに寄って容器を見るツァイト達。そこには黄金のプレートがはめ込まれており、小さい文字で書かれていたものがあった。

『Blood Type:O−SDDDeSb AMRITA』

「アム……リタ……」
 アムリタ――『甘露』を意味するそれは、蜜のように甘い飲み物でこれを飲むと不老不死になるという。『天酒』とも言われる言葉である。実際には樹木から取れる甘い蜜などの事を指すのだが。
「何かコードネームっぽい感じですね……どういう意味なのでしょうか?」
 マニフィカは首を傾げる。
「新鮮な血液を入れて活発にさせるような感じに見えるが……」
 目を細めるツァイト。嫌な予感が頭の中をよぎる。
「容器を捨てなかったという事は、調べたいという事だな。本当にあの血液型かどうか」
「そういうの、嫌でした?」
 ウィンディアの言葉に、ツァイトは首を横に振る。
「血液成分の件はお前に任せる。もう一つ気になる事もあるが……」
 それはマージナルの事だった。身分等も気になったのか、ツァイトは調べようと思い始める。
 あの輸血用血液アムリタを投与され、とりあえず一命は取り留めたように見えるナガヒサ。ツァイトが様子を伺うと、少し違和感を感じた。
(髪が伸びてないか? しかも顔が若く見えるような気がする……)
 顔の事はともかく、髪が伸びているのは本当だった。短い筈の髪が、肩辺りまで伸びているのが気になって仕方がない。
「もしかして、輸血のせいか……?」
 ナガヒサの異変は既に始まっているのかもしれない。輸血によって性格が変わってしまうのだろうか、それとも、そのままでいるのだろうか……ツァイトはその先の事を知る由もない。
 ただ解かっている事は、またナガヒサを中心として事象が動いているらしい――という事だけだった。

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