『Velle Historia・第1章〜忌わしき水の記憶』 第2回
ゲームマスター:碧野早希子
気が付けば、いつの間にか過去へ引き戻されそうな感覚に陥ってしまうのかもしれない。 それがどの原因であれ、それと向き合う時が来てしまったのかもしれない。 だが、それには覚悟が必要だ。 自分の場合、その過去があまりにも辛すぎて、覚悟を決めるのに未だかかりそうな気がする――。 Scene.1 華の皇子の情報 ヴェレシティの夜明け。雲一つない空。 レイアイル邸では、トリスティアが夜が明ける前に起き、『ホログラフィー・コンピューター』(通称『ホロコン』)という端末を起動させる。 このアスールを含めたソラリス太陽系では、画面もキーボードもホログラムとなっており、指の体温を感知して打ち込む事ができる。それを使用するには小型の起動装置が必要だが、携帯で持ち運びやすく、どこでも使用できるというのが利便である。 彼女は泊まりながら、アール・エス・フェルクリンゲンの言った『華の皇子(はなのみこ)』を検索していた。 すると、意外なものが画面に飛び込んできた。 「小説のタイトル? なんだろう」 画面は中央図書館のデータベース。簡単ではあるが、あらすじが載っていた。 小さな島国に華の皇子と呼ばれる美青年がいて、国の象徴である彼を倒そうとする外国の赤毛の武人――『赤鬼の武人(せっきのぶじん)』が出てくるが、花の香りにつられて皇子を好きになってしまうという話。 「これって……男同士の恋愛小説? えーと、これって内容からして大人向けって事だよね……読んでみたいような読みたくないような」 少し顔を赤くしてしまうトリスティア。画面をスクロールすると、この話は約100年ほど前に出版された小説であり、原作者はアスール人の女性であったが、既に死亡していた事が書かれていた。また、この小説は伝説からヒントを得ているという事も書いてあった。 「伝説……?」 伝説の内容はこう書かれていた。 500〜600年ほど前から、ソラリス太陽系第7惑星キャエルムに伝わる伝説。 花の香りをまとう者が逝く前に、赤き髪の軍人に「忘れない為に自分の血を飲んでほしい」と言った話。「生まれ変わったら探してほしい」という、いつになるかもしれない約束を交わした悲恋的な話。 キャエルムはアスールと同じく蒼い惑星だが、縦に何重ものリングがある。そこに住むキャエルム人は皆『両性具有者(アンドロジャイン)』であり、理知的で顔立ち・容姿が美しく中性が多い。また、魔導であるマグナの能力も太陽系の中では高い。その為に『神の眷族』と呼ばれる事もある。 「だから伝説では男とか女とか性別が使われてないんだね」 いくつか気になるのはあったが、少し画面に見入ってしまった。我に返って検索作業に戻り、『いくつもの通り名を持つ有名人』や『微かに花の香りがする人物』を追加してみた。 だが、現実に華の皇子と言われているという人物に該当するものは出てこなかった。たとえこの世界の有名人でも(美男子だろうが美女だろうが)、名の似合う者はいないという事になる。また、花の香りでは香水としてのイメージとしては多く出てくるのだが、実際には数人だけ検索できたものの、香りがバラばかりであった。 「しかも、体臭対策のサプリとは……ありきたりなものばかりだね。ナガヒサの持っているサプリとは違うものだし」 うーんと考え込むトリスティア。そこへ、エスト・ルークスが入ってきて、パンとジュースをトリスティアに渡す。 「ごめんね、ボクのやってる事に付き合っちゃって。で、どうかな?」 「実はその事で思い出したんだけど、博士の知り合い……私もラウリウムも知っている人で、『おじさま』って私は呼んでるんだけどね、その人が昔博士の事を『華の皇子』って言ってたらしいわよ。博士の若い頃って、結構美人さんだったみたいだから」 「ほ、本当!? どうして先に教えてくれなかったんだよ」 怒るトリスティア。 「黙ってたわけじゃないのよ。でもあの時は思い出せなくて。時間がかかったから」 詫びるエスト。だからその代わりにパンとジュースを持ってきたのだ。 「あー、でもおじさまと連絡するのはちょっと無理かも」 「え、何で?」首を傾げるトリスティア。 「この人、惑星キャエルムに住んでいるアスール担当外務長官でね、毎月こっちに来るんだけど……今月は君達が来る約2週間前に来ちゃったし。それに、あっちに連絡するには色んな手続きをとらなくてはならない。あの惑星は複雑だから。向こうから連絡してくれれば良いのだけれど」 エストの言う複雑というのは、ヴァーヌスヴェレ王朝時代にキャエルムが襲撃を受けて一度滅亡した事をさしている。キャエルム人の多くはヴェレに連行されたという記録があるのだ。 その為、キャエルムは慎重かつ神経質的になっているらしく、余程の事がない限り通信も一般航路も閉鎖中のまま沈黙を貫いているのだが……。 「この事は教科書で少し載ってるからね。おじさまは昔ヴェレの特別な天空階級だったんだけど、王国のやってきた事に罪の意識があってね、革命後にそっちに移って、その贖罪をしているって。一応キャエルム政府からの信用は得ているようよ」 それ以上詳しい事はエストでも知らない。ため息をつくトリスティア。 「そうか……政府の人間じゃ忙しくて聞くのも難しいかな。でも来月来る予定があるんなら、会ってみたいな。ところで、『おじさま』って言うからには、血の繋がりがある……わけないよね。特別な天空階級の人間じゃ」 「血は繋がってないけど、孤児だった私とラウリウムを博士に託したのが、おじさまなの。顔は怖いけど、他人には優しいから」 その人物が、ナガヒサにとってどんな存在なのか、現時点では知るよしもない。今度その人の事もエストやナガヒサ・レイアイルから聞いてみようかなと考えるトリスティア。 「お詫びにもう一つ。おじさまは赤い髪をしているの。昔軍人をしていた事もあってか、『赤鬼の武人』なんて呼ばれてたそうよ」 「小説と一緒だね。それにならってつけたのも偶然みたいだけど……そんなにあの小説、人気があったのかな?」 「大人向け――しかも女性向けだったから、そんなには人気はなかったんでしょうね。ああいうの苦手っていう人いるし」 もしかしてエストって、こういうの好きなんじゃないだろうか。それとも仕事でこんな知識を蓄える必要でもあったのか。トリスティアは問いたい気がしたが、今はやめておく。 「あ、それとアール・エスの事も調べたんだけど……あれ、偽名じゃないんだね」 トリスティアは偽名だと思っていた。読み方の同じ『R・S』というイニシャルの人物がいるかもと調べていたのだが、該当する者はいなかった。華の皇子の関係者にいそうな気がしたのだが、それは外れたようだ。あの小説の原作もR・Sではなかった。 「名前には意味がある。ただ単に名付けられている訳じゃないでしょ。気に入った言葉をつける場合もあれば、好きな名前をそのままつけるってのもあるしね」 「なるほどね……そういえば、ナガヒサと出会ったのっていつなんだろう?」 「久しぶりに会ったのがごく最近とみていいのかもしれないわね。アール・エスは博士より若いもの。でも何か引っかかるのよね……」 Scene.2 中央行政府にて ルーク・ウィンフィールドは、ヴェレシティの中央行政府にある高層ビルに赴き、依頼主である政府高官に報告する。 「今のところは内部の人間の犯行、単独犯ばかりだな。現時点ではマークする必要もないだろう」 これまでの依頼を考えれば、ルークの実力を試すようなものであった。発掘現場に行かせた本来の理由――ナガヒサがアール・エスに狙われている事と関係があるのではないか――を依頼主に問う。 「それもあるが、天空階級の一部に不穏な動きがあるという情報を得ている。詳細は不明だ」 「不穏な動き……? 25年前の大地革命に関係があるんじゃないのか? いや、ナガヒサ博士が天空階級の人間で八賢者である事に関係があるのでは?」 しかし、依頼主は首を横に振る。 「レイアイル博士が八賢者かは残念ながら私も知らない。だが彼の知識からしても、ありえる話かもしれないな。そもそも、八賢者は人前に出てくる時はフードで頭部を覆い、仮面をかぶっていたという。誰もその正体は知らないのだ」 落胆するルーク。依頼主は話を進める。 「彼がヴェレにいた事は私とて知っているよ。当時、彼は若くして魔導科学博士であり天文学博士をやっていた事で有名だったからな。ただ、大地革命との関係は否定できん」 「というと?」 「レイアイル博士は地上階級出身でな、幼少の頃より博学で神童と呼ばれていた事もあるらしい。昔は女性のような顔立ちもあって、27年前にヴェレに付け狙われ連れ去られたというのを聞いている」 「知識と外見が仇って事か……それにしても地上階級だったとはな。何処の出身だったんだ?」 「遥か極東の島国、『皇和(おうわ)』という国。あそこは自然が多く、観光客も多いから人気がある」 皇和国。和を重んじ、着物等の皇和服を民族衣装とする国。因みに『皇』という漢字が当てはめているが皇族はいない。国家元首が首相だからだ。 そういえば、ナガヒサは家にいる時は着物を着ていた事を思い出すルーク。 「大地革命との関わりは、自分を連れ去ったヴェレへの復讐か?」 「それは本人に聞かないとわからんな。確かに大地革命は、皇帝を中心とした天空階級と、反天空勢力『インフルエンティア』である地上階級との戦いでもあったわけだが」 インフルエンティアとは影響やインフルエンザの語源で『星の感化力』を意味する。昔、星の光が体内に流れ込み心身に影響を与えると考えられ、後に一般的な『影響』という意味となったという。 星の感化力というと、この世界ではマグナエネルギーを思い出すが、もしかしたらそれに当てはまるのかもしれない。 「インフルエンティア……それが、ヴェレ王国に反旗を翻した組織か。ナガヒサはそこに加担していたという形跡は?」 「記録がないから何とも言えんが……していたとみていいのだろうな。今のヴェレになった産業発展の背景には、彼の協力なくしてはありえん話だったのだから」 Scene.3 重い過去と空気 青い空の下で、ナガヒサ達は今日も天宮遺跡(ヴァーヌスヴェレ・ルイン)で発掘調査を行っている。 「これって何なのかしら?」 リーフェ・シャルマールの手には、平たい板状の物が。一部が光る円形になっていて、板状の物に挟み込んでいる。円形はどうやらディスクである事には間違いないのだが……。 「ディスクはわかりますよね。その板のは薄型のプレイヤーですよ」と、ナガヒサ。 「こんな薄型のがプレイヤー……これは音楽専用なの?」 「どこかに書いてあるはずですよ」 リーフェが板状プレイヤーの裏を見ると、マルチプレイヤーと書かれてあった。音楽だけではなく、データの読み取りも出来るらしい。 「昔も今も、生活基盤は変わらない。だけど、ここの生活用品を見る限り、少し立派ね」 ディスクは音楽用であった。スイッチを入れると動く。まだ使用できるようだった。ディスクが回りだして悲しげな音楽が流れてきた。 (別れの曲……?) 音楽は時代を反映させるものとして捉える事がある。この曲は終末を感じさせるものであり、たとえ作曲者が革命が起こる事を知ってて作ったわけではないのかもしれない。ただ、ここの生活には何らかの辛さがあったのだろうと思った。 「幸せだけではないのね……きっと誰かが亡くなってしまったのか、そんな感じの曲」 リーフェはふと我に返り、他のディスクを探し出す。 「マルチプレイヤーならば、データディスクも見られるはず」 大地革命当時に、公式以外での顛末を記した映像や文章があるはずだ。ほこりのかぶった棚からディスクを取り出しては、手間をかけて再生するリーフェ。長い時間がかかったものの、一つのディスク内容に手を止める。 「日記……?」 ありがちな日記のデータだった。閲覧すると、いかにも一般人らしい日記の内容だった。 内容は赤い空、多くの炎、多くの人が倒れている風景、争い、赤い血。ただそこには赤が広がっているように見え、この世の終わりにも似た感覚を味わうかもしれないと書かれている。何故自分はこんな事に巻き込まれているのかと。自分は悪くないのにという文章が最後に記してあった。録画していた映像はニュースの一部で、見ていて気持ちの良いものではないものが映っていた。 「これを書いた人は、革命が起こった本当の意味を知らずに巻き込まれたのね……」 それを聞いたナガヒサが眼を伏せる。こびり付く赤い記憶は、そう簡単に消えはしない。 「……あの、ちょっといいですか?」 マニフィカ・ストラサローネがナガヒサにたずねる。 「何でしょうか?」 「今度水術の教え、お願いします」 「構いませんけれど……どうしてですか?」 マニフィカは無邪気に微笑んだ。 「……マーメイドの直感です」 実はマニフィカも、ナガヒサが『水の賢者に近し者』か、水の賢者そのものかもしれないと思い、L・Iインダストリーの設立経緯やナガヒサのプロフィールを確認してみた。 会社の設立は25年前、大地革命からわずか2ヵ月後であった事。そして、プロフィールは確かに地上出身である事が表記されていた。しかし25年前よりも前の事は、革命の混乱からか残念ながら無かったのだが。 ナガヒサの意図的な遠回しの表現。詳細を知っていなければ言えない内容。何よりも第三者的な立場での発言と表情に関わらず、他人事を語っているとは思えない感情の発露。 つまり、優しい嘘。 そのギャップが、マニフィカにとって不自然に思えてならなかった。 仮説も立ててみたものの、迷う。 天空階級の評判は悪いが、全てが悪人であるわけは無い。それに対する偏見は根強いし、逆に(地上階級出身であっても)裏切り者として狙われる事も恐れて過去を隠している筈だと。 ナガヒサの気持ちを考えると、これ以上は水の賢者に触れないほうが良いのではないか。仮説も含めてあえて触れない事にした。彼が気の毒だと感じていたからだ。 ○ そんなナガヒサとマニフィカのやり取りを見つめるマリー・ラファルは、護衛しつつも彼に関して調査をしているのだが、自分を含めて多くの人は天空階級の事は詳しく知らないのだ。普通の人間とどう違うのかを把握できれば、アール・エスに対する護衛もやりやすくなるだろうという考えである。 「お邪魔してすまないけど、天空階級と八賢者について、知っている箇所だけでも構わないから聞かせてほしいね」 ナガヒサは考え込む。 「知っている範囲ですか……ヴェレ王国は皇帝を中心とした天空階級と大地に住む地上階級の二つに分けられますが、力も魔導も天空階級のほうが上です。八賢者は天空よりも上で、皇帝直属とも言われています。まあ、八賢者全てが天空階級の出身者ではないという事らしいですが」 ナガヒサは更に、八賢者の素顔は誰にも知られていない事、人前に出る時はフードをかぶり仮面で顔を覆っていた事を告げる。実はマリーの知り合いであるルークと同様に聞いた内容であった事を、彼女は後に知る事になるのだが。 「お話中のところすみません。ナガヒサさん、あの精神安定剤の事なのですが……どこか悪いところでもあるのですか?」 シャル・ヴァルナードが、住居跡から回収した透明な磁気カードを調べつつ問う。 「精神安定剤といっても、サプリメントには変わりないので。そうですね、気休めみたいなものでしょうか。私の知り合いで武術――剣の師匠だった方ですが、毎月調合したものを持ってきてくれるんですよ」 「知り合いで師匠……ですか」 それにしては武術とは無縁の生活していますねえと、ナガヒサを見て思うシャルだった。 因みに、磁気カードには個人情報が入っていたのだが、大地革命に直接繋がるような情報はなかった。どうやら天空階級の中でも一般人と変わらぬ生活を送っていたのだろう、そんな感じの生活観が見えてきそうだった。 「あの、薬――じゃなかった、サプリについて、私調べたんですけれど……」 地面から声がする。下を見ると、さっきまで発掘の手伝いをしていた梨須野ちとせ(りすの――)が、マリーからの手土産であるくるみパンを食べながら歩いてきた。身体が小さいので、マリーの肩に乗り、挨拶もそこそこに本題に入る。 「どうやって調べたのですか?」 手渡した覚えはないんだけどなあと、ナガヒサが考え込む。 「秘密です」と、即答するちとせ。 数時間前、朝食後にナガヒサが口にしようとしてマリーがわざとよろめき、ぶつかった際にサプリが地面に落ちた。「ばい菌が付いてるかもしれないから捨ててきてやるよ」と言って、こっそり回収してちとせに渡したのだ。 「おもしろい成分ですね。確かに漢方薬……生薬だけでしたよ。ハーブも入ってましたしね」 サプリの中身は牡丹皮(牡丹の根の樹皮)や桜皮(桜の樹皮)、桃仁(桃の種の内核)、蓮肉(蓮の果肉や種子)、キャラウェイの実、フェンネルの果実、ローズマリー等々が微量に混入している事が判明した。 「身体に優しいものばかりですけど……精神安定剤というよりは消炎・鎮静や止血作用といったものですね。やはり何か体調不良なところがありますか?」 心配せずにはいられない。シャルはナガヒサに問う。 「まあ……ね。昔、血を結構採られたという事がありましたし、化学薬品も結構飲まされまして……」 「血って……一体どのくらい採られたんだい」 呆れそうなマリーに対し、苦笑いのナガヒサ。だが、少し辛そうな表情をし、これ以上は話さない。何かされたような感じはするのだが……。 「で、ちとせ。この前突然咲いた花の件を調べてるって言ってたけど?」 マリーが問う。立ち入り禁止の、発掘許可区域でない中心部近くの事を言っている。とはいえ、ちとせは小さな身体の為、人目につかず行く事ができた。だが、ため息をつく。 「土も花も普通でした。多分、魔導……マグナエネルギーが強いのでしょう、この遺跡は。でも自然は、自然のままが一番美しいのですから」 「ちとせさんの言う事はもっともですね。ここはヴェレ王国の首都でしたし、王宮もある特別な浮遊大陸でしたからね」と、ナガヒサ。 花という言葉に反応したのか、花を咲かせた張本人のリュリュミアが、後ろから花の首飾りをナガヒサにかける。 「こんにちはぁ〜。お近づきのしるしですよぉ。よくお似合いですぅ」 「あ、ありがとうございます……」 「お花好きですかぁ?」 「ええ、好きですよ。庭にも色んなのが植えてますし」 「うわぁ、良かったですぅ」 リュリュミアはとても嬉しかった。彼女が実際にここへ来たのは、アール・エスの興味対象がナガヒサだったからであり、一緒にいればアール・エスにまた会える可能性があるからだ。 アール・エスがナガヒサを好きなのならば、ナガヒサもアール・エスが好きなのだろうか。ちょっと気になるリュリュミア。 「和んでるところ、申し訳ないけど」 シエラ・シルバーテイルが割り込む。 「ああすみません、どうしました?」 ナガヒサの笑みにシエラは少し呆れていたが、気を取り直す。 「ナガヒサの過去の事、アール・エスとの関係、ちゃんと聞かせてもらいたいわね。わたしは……いえ、ここにいる者達も、名前と今の役職という『記号』でしか知らないわ」 それは護衛の解雇を覚悟しての台詞だった。どんな過去があるにせよ、辛い過去を抱えるのは貴方一人ではない。貝のように押し黙っていても、過去は無かった事にはできない。過去と向き合い決着をつけなければ、いつまでも何も変わらぬままだと。 「……そのとおりですね、シエラさん。私が話せる事は、アール・エスに一方的に告白を言い寄られた事と、左肩の傷はアール・エスによってつけられた事。傷に関しては儀式の一環だったそうですが」 「告白は愛のっていう意味みたいね。で、何の儀式?」 「皇帝への寵愛を受ける為の……私にとっては、貢物に感じたんですけどね。私が恐れていたのは、皇帝からの強制的な愛だったって事ですよ」 少し震えるナガヒサ。いつもと違う反応だ。 「物扱いって事かい? その皇帝はわがままなのかね。でも、革命で死んだんだろ?」 マリーの問いに頷くナガヒサ。 「そしてアール・エスに関してもう一つ……彼は死んだものだと思っていたんですよ。大地革命時に目の前で彼の死体を見ましたから」 「し……死んでたって……現にいるじゃないの。じゃあナガヒサがそう言っているのなら、あのアール・エスって、一体何者なの?」 シエラ達が驚く。 「わかりませんが……確かに、あの男はアール・エスに間違いない。だけど……」 ナガヒサもわからないようだった。外見もあのままだというアール・エスとは本当に何者なのか……。 「ともかく、今までの話から聞いて、あんたは本当は天空階級の人間で、八賢者の一員――水の賢者じゃないのかい?」 マリーから潔く言われるナガヒサ。 「それは俺も聞こうとしていた。まあ、無理に回答したくなければいい。俺が勝手にこうじゃないかと思ってる事に過ぎないし、あんただって隠しておきたい過去もあるだろうしな」 グラント・ウィンクラックも口を開く。 「一応大前提として、ナガヒサもアール・エスも天宮の関係者……もしかしたら賢者の一人じゃないかと思ってるんだ。あいつがあんたを付けねらうのは、天宮関連の何かについてあんたが何かを――儀式の他に握っているからではないのか? それから個人的関係が二人の間にあって愛憎に発展したんじゃないのかと」 ナガヒサは首を横に振らないが、首を傾げる。 「マリーさんの問いから答えましょう……私は天空階級ではありません。生まれた時から地上の人間です。27年前、突然ヴェレ王国の兵士がやってきて、目の前で両親を殺されましたからね。その時に連れ去られました」 続けて、グラントの問いに答える。 「天宮に関しては、皇帝が非人道的な事を命じていた事が多かったですよ。快楽と子孫繁栄と不老不死を得る為の……文字通り皇帝の為の場所だったのですから。アール・エスには個人的に怒りはあります。私を連れ去っただけならまだしも、肩に傷をつけられた事も含め、目の前で両親を殺したのも彼です。アール・エスは賢者ではないのですが、特別な天空階級を守る役職についていました」 ナガヒサは少し黙り、落ち着かせてから自分の事を告げた。 「それと……知ってたんですか、私の昔の特別役職――賢者だって事」 「皆ではないと思うけど、うすうす感づいてたんじゃないかな。嘘が下手だね、顔に表れるところをみると」 ふ、と悲しげに笑むナガヒサ。もうこれ以上隠す必要は無い、そう改めて皆に向ける。 「ならば、この事は内密に。会社の従業員も含めて、あまり一般人の耳に入らないようにお願いします。でなければ、貴方がたに『リミッター』をかけなければならなくなる」 「リミッター……って、何ですか?」 「情報操作とでもいうべきでしょうか。上級の魔導でね、八賢者と皇帝、一部の天空階級にしか使えないものです。口封じにも使えるんですよ。出来れば……私はそんなものは使いたくありません」 対象の人物に禁句であるキーワードを意識に暗示させる事で成立する魔導。かけた本人が変更や解除、或いはどちらかが死亡しない限り解ける事は無い。死亡してもリミッターが永久に解けないという事も出来るようだ。 ナガヒサはリミッターを非人道的な魔導だと思っている。 マニフィカが触れないようにしようかと思ったが、我慢できずに声をかける。 「やはりそうでしたのですね……この前あなたと話した時に、周囲に水気を感じ取った事がございます。水がない場所でこれを感じるのはおかしかったのですけれども……」 「黙っていて申し訳ありません。貴方はマーメイドだから水に関しては敏感に反応する。それを感じてどうでしたか?」 「そうですね……冷たくもなく温かくもなく、心地よい気がしました」 「そうですか……」 少し安心したようなナガヒサの表情。マニフィカも同じように安心したような気分になった。 Scene.4 再び引き戻されつつある過去 「もう少し俺の問いに付き合ってくれないか。アール・エスの言葉が気になる。あんたの昔の姿に似てるって事が」 グラントが考え込むように告げる。ナガヒサは思い出して赤くなった。 「あの事ですか……お恥ずかしいところを見せてしまって申し訳ない。確かに、グラントさんと初めて会った時は驚きました。昔ね、私は女の格好をして育てられた時期があったんですよ。無事に育ちますようにってね」 そのせいかどうか知らないが、昔のナガヒサは女性と見間違えるほどだったという。 「天宮にいる間、早くそこから出たい事と早く年をとりたい事だけを考えていました。或いは……死にたいとも」 「死ぬ……そんなに辛かったのか」 「でも、死ぬ事を止めたのは知り合いのおかげです。私は彼の為に恩返しをしなければなりませんね」 と、ジュディ・バーガーが暗い空気を吹き飛ばすように声を上げる。 「OH〜、そんな事考えてたなんて、重すぎまース。こんな場合はデスね〜ナゴむのが一番デース」 「うわーい、なごみなごみ」 アホ……もとい、犬のジョリィを隣に配置して漫才でもやりそうな雰囲気だったが、ジュディの首に巻いていたニシキヘビのラッキーセブンがいきなりジョリィに巻きつく。 「いやーんっ、からまないでぇぇ!」 「またやっちゃったネ。でもラッキーちゃん、スゴク気に入っちゃってるヨ」 「いや……ジョリィはすごく苦しんでいるように見えるのですが」 苦笑いしながらも、ナガヒサは声をかける。 ジュディはナガヒサのストレスを緩和しようと気を配っているのだ。 それを見ていたラウリウム・イグニスは、額に手を当てている。 「どうしましたカ? そんなにおもしろかったデスカ〜?」 「いえ……頭が痛いだけよ」 「頭痛いなら、もっと和ませてあげマ〜ス」 この先が不安になってきたような気がする。ラウリウムがふと上を向くと、上空から何かが落ちてくる。 「何……あれ?」 「ン? 何か落ちてきますカ〜?」ジュディもつられて上を向く。 それは大きくなり、やがて人の形となる。 「アール・エスだわ! 博士!」 「約束どおり迎えに来たぞ、『ナーガ・アクアマーレ・ミズノエ』!」 アール・エスの剣が振り下ろされると同時に、ナガヒサがよける。グラントが破軍刀を構える。 「……ナーガ・アクアマーレ・ミズノエとか言ってたな。ナガヒサの事か?」 「あいつの本名だよ。ナガヒサ・レイアイルは一般人としての名前であり、水の賢者である事を隠す為の偽名だ。そうだろう?」 ナガヒサは何も言わない。ただ、彼の武器――蒼い槍をシフトさせる。ただし、苦しい表情で。 「おや、『マラナ・タ』か……先代の賢者の武器を未だ大事に持ってたとはな。お前の刀はどうした」 「刀など出す必要はありません。貴方に殺された彼女の形見で十分ですよ」 「防ぐのが精一杯なだけのくせに……シフトさせる際に必要な精神力が足りないような表情をしてたぞ。それとも、槍の名の如く『主よ、来て下さい』とでも懇願するのかな」 向かってくるアール・エス。グラントが遮るようにして剣を止める。 「こいつ……見た目より強いのか?」 「ほお、なかなかやるな。逆らわなければ、ヴェレ王国の戦力になったものを!」 破軍刀をはじき返すと同時に、グラントがよろける。アール・エスがナガヒサの肩に刃を向けようとしたが、槍によって止められる。 「やはり防ぐだけしか使ってないな。ナーガ、お前はやはり武器を持たないほうが相応しい」 「だ……駄目だ……長年使ってないと衰えてしまうものですね……」 アール・エスがナガヒサに眼を向けている隙に、シエラが捕らえようとする。 が、寸前で上に跳び、ナガヒサの背後に回って首を捕まえる。 「あ……くっ……!」 圧力でナガヒサの力が抜け始め、手からマラナ・タが落ちて消える。 「アール・エス、完全に包囲してるのよ。いい加減悪あがきをやめたらどうなの!」 シエラが言っても、どこか余裕のあるような表情のアール・エス。少しひざを曲げたかと思うと、ナガヒサを捕らえたままいきなりジャンプした。 「ナーガは貰い受けた。取り返したくば、追って来い!」 「な……私は物ではない……!」 「あ、ちょっと待ってよぉ」 せっかくアール・エスに会えたのにまた行ってしまっては意味が無い。リュリュミアがしゃぼんだまに乗って後を追いかけていく。 去ろうとするアール・エスに向けて、ラウリウムが何か小さな物を投げつけた。 「それは何デスカ?」 「追跡レーダよ。100km以内ならいいんだけど……」 「行き先がわかるまで待てるか、行くぞ!」 グラントが後を追いかけ始めた。シエラも行く。向かう先はアール・エスの向かっている方向、天宮遺跡の中心部だ。 「途中から海面になってるわ。どうやって向こうへ行くの?」 「出ている瓦礫を渡るしかないだろうな」 二人はアール・エスが一番高い建物の中へ入っていくのを見、急いで渡った。 ラウリウムの持つ追跡レーダでも遺跡の中心で発信源が止まっている。 「場所からして、海の中……いえ、島みたいなものでしょうか?」マニフィカが問う。 「みたいね。でもここは確か……皇帝や八賢者が住んでいたと言われている特別中央区」 「特別中央区? 入る事は出来るのですか?」 現在は住宅区でしか発掘許可を受けていない。シャルはそこが気になっていた。 「今、中央行政府に連絡してみるわ。緊急事態だから、きっと大統領も許可が下りるはず」 時間はかかったが、本当に特別に許可が下りた。ただし条件付で。 「特別中央区のものは殆ど手を出すな……つまり、調査目的で持ち帰るなって事?」 「……表沙汰にされるのが怖いのかしらね。ヴァーヌスヴェレ王朝のしてきた事の記録があるのなら。でも調査はしたいんでしょ?」 頷くのはリーフェだ。 「できるならね。器具類とかだったらいいんでしょう? ならば、どちらにしても行くべきじゃないかしら」 この先に何があるのか、何が待ち構えているのか、現時点では知る由も無い。 だが、ナガヒサ――水の賢者たるナーガを連れ去られたのは事実だ。 ラウリウム達も急いで向かった。 ○ 特別中央区。ヴェレシティの高層ビル群よりも高くそびえる建物。発掘対象区域の住宅区より立派で、本当に王国の中心部だった場所にふさわしい。 一番高い建物は王宮なのだが、地下20階、地上66階建て。20階以下は部屋もたくさんあるが、その多くは研究や実験専用の部屋だった事がうかがえる。 64階のある部屋で、薄笑いしながらアール・エスがナガヒサを押し込める。 「一体何を考えている、アール・エス!」 「さあ……我が伴侶となるお前が知る必要は無い。それよりも懐かしいだろう?」 部屋を周囲を見渡すナガヒサ。確かに懐かしかったが、同時に嫌悪感を覚える。 「八賢者の正装をしろ。メガネは外せ。それと……もう一度リミッターをかけたほうが良いかな」 自分のものにふさわしくさせる為に。 窓越しに聞こえる不気味な笑いを背に、ナガヒサはゾクリとした――。 |
→戻る