『紅の扉』  〜ヴェルエル編 第七回

ゲームマスター:秋芳美希

 『緑の窓』サポートへようこそっ!
 『ヴェルエル』世界へのご来訪ですねっ!

 暗闇の中、可憐なヤヤの顔立ちの少女の笑顔が迎える。異空間のお店『バウム』の『緑の窓』案内役ウェイトレス、ヤヤである。そのヤヤが指し示す世界は、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは未だにそれぞれが鎖国状態を続けている。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏であった。

 そんな中、セントベック勢力圏の統治者フィルティ・ガルフェルトが昏倒したまま目覚めなくなってしまう。その原因は、異世界人の乙女リュリュミアであるという疑いがかけられるが、統治者付護衛長官ライアンとの対話によって疑惑は払拭したかのようにみえる。
 一方、ユベトル統治者の出身地スフォルチュアにある異国人収容所には、異形の収容所係官たちが存在していた。彼らによって尋問された娘たちは、ひからびた皮と骨になりはてていたのだ。それをつきとめたアリューシャ・カプラートとアルヴァート・シルバーフェーダによって、収容所係官たちは葬られている。
 他方、エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァールを害するという罪を被せられた、異世界人クレイウェリア・ラファンガード。クレイウェリアの罪はまだ払拭されてはいない。そのエルセムで起こるモンスター騒ぎの根源も、ソルエの義兄ゲイル・カイツァールに仕組まれたものだということは、異世界人ジニアス・ギルツとラサ・ハイラルとによって解明されつつあった。だが、その証拠となる異世界人収容所は、爆破されてしまうこととなる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ……というものだった。

 『ヴェルエル』世界に向かうには様々な制約があり、冒険者たちにとっては難儀な世界であるといってよかった。けれどその制約を乗り越え、ヴェルエル世界に向かおうとする来訪者たちはいたのだ。そんな彼らに、
 ××おじゃましますぅ。『バウム』フロアチーフのララですぅ××
 という毎度おなじみな声がかけられる。その声の方向に向かった彼らに、ララの声が届けられる。
 ××ヴェルエル世界にご来訪中の皆様のご活躍によりましてぇ、『バウム』でも調査不能でした各勢力圏の情報がさらに明らかになってまいりましたぁ!××
 礼を伝えるララは続ける。
 ××そしてぇ、「指定座標の鍵」をお任せできる「ポイント付与」が、開始されておりますぅ××
 ララの示す「指定座標の鍵」とは、ヴェルエル世界の特定座標に関る理解度を測るものであった。すなわちヴェルエル世界の特定の地域をより理解することで、この世界における他世界の干渉を排除できるというものなのだ。その理解度判定に応答した者たちにララは言う。
 ××今回も、新たに鍵ゲットの方がいらっしゃいますぅ。そして、鍵のかかる地域も広がっておりますねぇ。おめでとうございますぅ!××
 来訪を重ねるごとに、高い理解度を示す来訪者たち。その来訪者たちの中でも、協力者を得ることでさらに高いポイントを得た者たちは、特定の座標のみに留まらずに周囲の鍵をも獲得していたのだ。そんなララは、鍵を得た者には、「鍵をかける・かけない」の選択ができるシステムを用意していた。そしてララは、鍵をゲットしていなくてもその回の来訪時に獲得できている予測が立つならば、鍵の開け締め申請を「行動予定」の中で告知することも可能であると伝えていた。
 そうして来訪準備を整えた者たちに、ヤヤが声をかける。
「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界へ向かわれますか?」
 頷く者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。
「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」
 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。緑の深い世界が目の前に広がった。



○セントベック首都ベック_統治者官邸《E21事件中心地/7の月26日/16:00》
 重厚な造りをした赤茶色の大きな建物。その建物は、白いベック芸術館から一区画南側の位置に存在した。
「赤茶色の建物っと、ここですねぇ」
 その建物の入り口に突然現れたのは、たんぽぽ色の幅広帽子をかぶる異世界の乙女だった。

 リュリュミアがセントベックに現れる前の刻。
 ヴェルエル世界にほど近い『緑の窓』で、リュリュミアはフロアチーフであるララの声に呼び止められていた。
××……おじゃましますぅ××
「えーっと? 今回はここでの用意はないですよぉ」
 首をかしげるリュリュミアに、何かを確認しているらしいララの声が届く。
××……すみません〜。申告していただいた内容を検討しましてぇ、『鍵』に関するレクチャーを先にさせていただきたいのですぅ。ちょっとだけお時間いただけますかぁ?××
「あ、『鍵』、ですかぁ!? それは助かりますぅ。困ってたんですよぉ!」
 リュリュミアは、ララの声の方角に笑顔を向けた。リュリュミアのいう『鍵』とは、『バウム』で行っている“世界理解度判定”によってポイントがたまると付与されるアイテムのことである。この鍵があると、異世界の力を排除する力を得られるのだ。
××それでですねぇ、申請いただいたポイントの移動はちゃんとできてますぅ。今回で、無事にE21座標の鍵ゲットですねぇ!おめでとうございますぅ!!××
「よかったですぅ! これでいいのか、とっても不安だったんですよぉ!」
 リュリュミアを不安にさせていたのは、鍵のゲットの中でも“理解度ポイント移動”という難儀な方法だった。特定座標の“理解度判定ポイント”が“200ポイント(指定座標の基本的部分を完全に理解し、座標周囲の将来を多面的に予測する力があります)”に達すると、特定座標周辺の前後左右4方向のうち、一つの座標へと「取得ポイント」を移動させることができるものである。猶、すでに周辺が「鍵のかかった座標」である場合は、周囲にある鍵のかかった座標から4方向のうちの一つを指定できるという。
 一つの不安が解消したリュリュミアが、ほがらかにいう。
「わたし、他の人たちにもとってもお世話になってるのにぃ、ポイントを譲渡するのもままならなくて困ってたんですぅ」
 リュリュミアがさらに不安に思っていたのは、ポイントの“譲渡”という方法である。ポイントの“譲渡”とは、自分の得た“座標ごとのポイント”を他の者にプレゼントするシステムのことである。この譲渡システムによって、リュリュミアは多くの者たちから本来の理解力を超えたポイントを得ていたのだ。だが、そのポイントをどう鍵にしていけばよいかがわからなかったのが、これまでのリュリュミアなのだった。そうして不安解消に喜んだリュリュミアが、軽くスキップをしてそのまま緑ゆらめく世界に進んでゆく。
「じゃ、行ってきますねぇ! 今回はちょっと大変そうだからお土産はないと思いますけどぉ」
 軽い足取りのままヴェルエル世界に吸い込まれてゆくリュリュミアに向かって、慌てたララの声が届けられる。
××あのですねぇ、鍵を得ただけで、「鍵をかける・かけない」の選択は別なんですぅ! 鍵の開け閉めは専用のシステムを個別にお知らせしてますので利用してみてくださいねぇ!××
 その声はリュリュミアに届いたかどうか。笑顔のまま、リュリュミアの姿は緑深い世界に吸い込まれていった。

 リュリュミア出現と同時に、リュリュミアの周囲には多くの警備隊員たちが集まって来る。しかし、今回ばかりは警備隊隊員たちの反応はこれまでとまったく違っていた。
「リュリュミア様ですね!」
「セントベック統治者官邸へようこそおいでくださいました!」
 慇懃な態度でリュリュミアを歓迎する隊員たち。その壁の向こうから、リュリュミアの出現を待ち構えていた男が穏やかな声をかける。
「さすがに時間どおりですな。よくぞお越しくださった」
 リュリュミアを出迎えた男は、統治者付護衛長官ライアンだった。これまでリュリュミアに対する警戒を解いていなかったライアンが、満面の笑顔をリュリュミアに向ける。
「出自はどうあれ、異能力をもつ貴殿が再度お越しくださった。わたしは貴殿の勇気をもって、貴殿の言葉を信用させていただきたい」
「えっとぉ? わたしは約束を守っただけですよぉ」
 ライアンの変化を不思議に思うリュリュミアに、ライアンが右手をリュリュミアに差し出す。
「それは、たやすくできることではないのですよ」
 リュリュミア自身には、未だ“統治者昏倒の主犯疑惑”がある。その中での再来は、策を弄する者にできる所業でないことをライアンは知っていたのだ。口調までも変化したライアンは言う。
「リュリュミア殿。貴殿は、我がセントベックの賓客です。どうか長くセントベックに留まり、力になっていただきたい」
 そんな変化を不思議に思うものの、リュリュミアは素直にライアンの右手を握る。
「よくわからないですけどぉ、これで仲良くお話できるってことですよねぇ。よかったですぅ!」
 リュリュミアは素直にこの状況を喜んでいた。
 この時リュリュミア自身が気づいていたかは不明だが、今回の来訪は明らかに“情報収集される”ことが目的でのセントベック訪問である。そして他勢力の情報をもたらすリュリュミア再来は、セントベックの国防機関でも賞賛をもって迎えられていたのだった。

 ライアンにリュリュミアが案内されたのは、ほどよい装飾がほどこされた一室だった。
「この統治者官邸の来賓室の椅子は、セントベック一の家具職人の業物です。どうぞおすわりください」
 リュリュミアが勧められたのは、シンプルな皮製の椅子であった。
「すわり心地は悪くないですよぉ。これなら長くおしゃべりしてても疲れないと思いますぅ」
 リュリュミアの感想にライアンが頷き、リュリュミアの向かい側の椅子に腰をおろす了解を得る。すると、歓談の流れを壊さぬように数種のお茶と菓子が彼らの前に用意された。
「えーっと、この前いただいたお料理とは別ですねぇ。何だか、どれもおいしそうですぅ」
「味の方は、どの国にも負けるといわれていますが……わたしはこの味で育っていますので、おいしいと思いますよ」
「食べてもいいんですかぁ?」
「もちろんです。どうぞ、召し上がってください」
 ライアンの勧めで茶菓子を口に運んだリュリュミアが、“おいしいですぅ!”と感嘆の声をあげていた。そのリュリュミアとたわいのない会話を続けた後、ライアンの口調がやや固くなる。
「……ではあらためてお昨日の話、詳しくうかがいたいのですが、よろしいですか?」
「あ、ユベトルとエルセムの収容所の話ですかぁ」
 リュリュミアの即答に、ライアンが頷く。
「わたしは、まだ行ったことがないのですけどぉ、行ってる人たちから聞いたのですよぉ。収容所で魔族の人たちが好き放題してるってぇ」
 リュリュミアの言葉を一言一句、聞きもらすまいとするライアンは気になる言葉を捕らえる。
「……“魔族”というのは?」
「えっと、背の高い修羅族みたいな人ですねぇ。修羅族の人は恐怖が好きなんだそうですよぉ。でも、ユベトルの収容所を管理してるのは別の魔族だったみたいですぅ」
 要領を得ないリュリュミアの説明に、ライアンはやや困惑する。
『……魔族というのはモンスターのようなものなのか?』
 そうして気を取り直そうとするライアンに、今度はリュリュミアが聞く。
「セントベックはそんなこと、ないですかぁ?」
 リュリュミアに問われて、ライアンは自勢力圏の収容施設についての情報に不足がある事実に気づく。
「リュリュミア殿にいわれてみれば……異国人収容施設は詰問施設として適当ということ以外、詳しくは……」
 その件について考えようとすると、ライアンの思考が曇ってゆく。昨日までは、リュリュミアをその収容施設への連行を急いでいた自分であるのだが。
『……確か……元々はユベトルの大使館官邸であったばず……施設の管轄は……係官は……今は……誰だったか……』
 思い出そうとすればするほど、ライアンの思考が重くなる。そんなライアンにリュリュミアは言う。
「そういえばユベトルのミシュルって人も倒れたみたいですよぉ。フィルティが倒れたのも何か関係ないですかねぇ。」
 リュリュミアの言葉を、ライアンは重い思考の中で反すうする。
『ユベトルのミシュル……ユベトル勢力圏の統治者で、勢力圏内の小国スフォルチュア国の女王……のことか……彼女も倒れたとなると……フィルティ様も……』
 重苦しい思考の中、ライアンは自分がこれ以上の対応ができないことを自覚する。
「……大変申し訳ないのですが……わたしの体調に狂いがあるようです。対応する者を変えさせていただきたいのだが……」
 賓客に対してはなはだ失礼である自分を叱咤するライアンが、己の拳を血がにじむほど握りしめて言葉をつくる。
「……わたしの対応でよろしい場合は、また明日の同時刻、この部屋に……」
 それだけ言って昏倒してしまうライアン。すると、ライアンを助けようとする者たちが乱入してくる。
「大丈夫ですか!?」
「担架を用意しろ!!」
 賓客であるはずのリュリュミアの前で、ライアンの状態確認と応急措置をほどこす者たち。彼らにリュリュミアが声をかける。
「何だか、フィルティと同じ倒れ方ですよねぇ……どうしたら目が覚めるのかなぁ」
 そんなリュリュミアに乱入者たちは、一斉に不信の瞳を向けた。緊迫する空気の中、乱入者の一人が表面上にこやかに会釈する。
「……突然のこと、失礼致しました。すぐに別の者が対応しますので」
 この時、リュリュミアは一つのことに思いついてしまう。
「あ、ここの場所に鍵を掛けたらいいんですかねぇ」
 一人納得したリュリュミアがつぶやく。
「う〜ん、方法がよくわからないけどなんとかなるかなぁ。ヤヤかララに聞いたらわかるのかなぁ。それともまだポイントが足りないのかなぁ」
「……リュリュミア様……?」
 リュリュミアに対する警戒色が一層強くなるセントベック側の乱入者たち。その乱入者たちの前でリュリュミアの姿がゆらめく。
「じゃ、もう一度、バウムに戻って聞いてきますねぇ」
 リュリュミアが声をかけると同時に、リュリュミアの体はヴェルエル世界を離れていた。
《E21事件中心地/7の月25日/16:00》

 倒れたまま意識の戻らないセントベック勢力圏の統治者フィルティ・ガルフェルト。そしてまた新たにリュリュミアと対談中に倒れてしまう統治者付護衛長官ライアン。その昏倒の原因は異世界人の乙女リュリュミアであるという疑いは、まだ完全には払拭されてはいなかった。そんなリュリュミアが次に現れる場所は、リュリュミアにしかわからない。



○ユベトル首都ユーベル_ユーベル宮殿《M21事件中心地/5の月26日/4:30》
 まだ夜も明けきらぬ時刻。ユーベル宮殿の外壁近くに、二人の異世界人が現れていた。現れたのは、女性的な容貌を持つ少年アルヴァート・シルバーフェーダと、小柄で細身な可憐な少女アリューシャ・カプラートであった。

 二人がセントベックに現れる前の刻。二人はヴェルエル世界にほど近い『緑の窓』内で様々に話し合っていた。
「……あの凄惨な光景を見せられて、黙ってはいられないよ……俺にできることなんてたかが知れているけど」
 アルヴァートは、ユベトルの首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所の凄惨な光景を思い出して拳をふるわせる。
「……それでも、2度とこんなことが起こらないようにしないと……」
 未だ収容所に残る老婆たちが気がかりなアルヴァートは言う。
「収容所のおばあさんたちのことは心配ではあるけど……安全なところまで護衛するわけにも行かないし」
 考えたアルヴァートは、とりあえず自分たちが収容所係員を倒したことで、捕らえられた人々の多少の安全は守られたと考える。
「ならば、この後は王宮にいるミシェル女王に直談判した方がよくないか?」
「そうですよね。わたしも収容所の皆さんに直接的な危険はないと考えてよいと思います。それにユベトルの異国人収容所が、統治者ミシュルさんの出身地スフォルチュアに存在することがわかりましたし……」
 アリューシャも基本的にアルヴァートの意見に賛成であった。
「収容所の係官が異形の者で、生命力を吸いとる能力があるらしい事と、ミシュルさんが長く体調不良に陥っている事とは何らかの関係がありそうですし」
 アルヴァートの意見に賛同するアリューシャもまた決意する。
「思い切ってユベトルの王宮に出向きましょう!」
 こうして座標移動先を決めた二人は、行動の確認を始める。
「一応、敵地と考えて準備はしておかないとな」
 最悪の場合アリューシャだけでも逃がせられるようにと、アルヴァートは自分の長髪をポニーテイルにまとめる。
「以前、ユベトルの王都で捕まってるから、一応その時とは違う格好をしておかないとね」
 服装はいつものソフトレザーのローブと変えないせいか、それだけで十分ロングスカート姿の女性に見えなくもない。アルヴァートの姿を確認したアリューシャは、自分の服装はこれまでと変えないことにする。
「アルバさんに選んでいただいたリボンも可愛いですし」
 アリューシャが嬉しげに大きなリボンを整える。
「そういってもらえると何だか気恥ずかしいよ」
 この経緯については、ひっかかるところのあるアルヴァートが自分の整った鼻をかいた。
「……よし、あとは、矢で狙われたりすることを考えて風の結界は事前に張っておこうか」
 と、自分たちの周囲にアルヴァートが結界をはる。その時、
××おじゃましますぅ……××
 という声が邪魔してくる。
「今回は特に用はないと思うけど?」
 片眉をあげるアルヴァートに、声が謝る。
××すみません〜、ヴェルエル世界への特殊な移動に際しましてはぁ、術はあらかじめこちらで用意していてよいのですがぁ、ヴェルエル世界に出現した瞬間に有効になりますぅ。猶ぉ、移動中には無効化されますのでご了承くださいねぇ××
「ということは、この窓で結界をかけておいて、ヴェルエル世界で有効になるってことだよな。まったく問題ないだろ」
 アルヴァートの指摘に、ララがの声が小さくなる。
××……そのとおりですねぇ。失礼しましたぁ××
 そんなララの声の方角に、アリューシャが声をかける。
「それよりも、今回の移動は事件中心地へ転移したいのですが……宮殿に出るのか、宮殿の中ではなく、城下街に転移するのかわかりませんよね」
 もしも王宮の中に転移してしまったら、周囲の者を『眠りのルビー』で眠らせて強行突破、とまで予定をたてたアリューシャが確認する。
××座標の“事件中心地”は、基本的に『バウム』で捕捉している場所になりますぅ。ですからぁ、来訪している皆さんの出現・消失地点そのものが“事件中心地”となる場合もありますねぇ××
「……ということは、以前ミシュルさんに面会した後でディックさんが消えた場所……ということですよね」
 アリューシャのいう“ディック”とは、本来ヴェルエル世界の住人である。かつて『バウム』を通じてユベトルを訪れ、統治者ミシュルとの面会を果たした者でもあった。アリューシャは、ユーベル宮殿を訪問したディックの名前を借り受けて、ユベトルの行政官吏プリュスと接触しようと考えていたのだ。そんな彼らの会話を聞いていたアルヴァートが、よくとおる声をかける。
「消えた瞬間の位置までは、さすがに特定できないかな」
××……座標的にはユーベル宮殿外と確認できますがぁ、その時のユベトルにおける周囲の位置関係までは把握できておりません〜××
 あてにならない返答をうけて、アルヴァートが肩をすくめる。
「とにかく行動は、アリューシャに任せるよ。オレはアリューシャ守ることにだけ専念するから」
 もし自分にも攻撃されるのならば、自身も守るつもりのアルヴァートがいう。
「じゃ、行こうか」
「はい!」
 特に収穫もない『緑の窓』から、術を使うアルヴァートと術に守られたアリューシャが緑ゆれる世界に消えていった。

「この外壁……宮殿のものでしょうか」
「こんなに近くに現れるとはな、時間的には夜明け近くだ……多少の時間の余裕は持てるか?」
 現れた二人は、警戒しつつ周囲をうかがう。その二人の方向に松明の炎がゆらめいた。
「そこに誰かいるのか!!」
 人の気配を察した衛兵のものだろう。厳しい誰何の声が響く。緊迫する空気の中、アリューシャがアルヴァートにささやいた。
「では一度、逃げてもらってよいですか? プリュスさんに会う準備をしたいんです」
「了解だよ!」
 アルヴァートがアリューシャを結界でかばいつつ走り出す。その動きに衛兵が声を荒げて矢を射かけてくる。
「待て!!」
 だが、その矢はアルヴァートの風の結界によってはじかれてしまう。
「魔法を使う者なのか!?」
 あらぬ方向に飛ぶ矢に、衛兵が警戒色を強くする。
「もしやスフォルチュアの魔法使いたちか? と、とにかく兵を集めねば!」
 薄暗がりのため、相手の顔の見えない衛兵が警笛を鳴らそうとする。そんな兵の動きを止めたのは、アリューシャだった。
「すみません。今、騒がれては困るんです!」
 アリューシャの胸元につけた深紅のブローチが強い光を放つ。その光を目の当たりにした衛兵は、一瞬にして深い眠りについていた。こうして夜明けの光が差し込む中を、二人は城下街の方向へと走り去ったのだった。

 キビート植物屋「サンディール出張屋」の看板が飾られた露店。長く開店休業状態続く露店の周囲は、日が差し込まない薄暗い街並みの中でもにぎやかな通りに面していた。
「一番よいのは、ここにいたディックさんのお店から買い求めることなんでしょうけど……」
 この一ヶ月を越える日々、二人はユーベルの街で過ごしていた。年季入った石畳の続く街で、香りの良い花か香木を扱う店がないものかと街中を探しあぐねた結果である。
「この土地の方は、“ハーブ”を知らないのはわかっていましたけれど……まさか香木などの癒し系植物を取り扱う店もないとは思いませんでした……」
「……そうだね。“人を楽しませる事も好きで、娯楽事業にも力を注いでいる”とかいう統治者のミシュルが、園芸事業にはまったく感心がなかったっていうのも、意外といえば意外かもね」
 これまでアリューシャ警護中心に動いてきたアルヴァートも、深い疲労感に包まれながらつぶやいた。
 アリューシャたちが一ヶ月以上をついやして城下街の商店をつぶさに調べたところによると、ユーベルの街に生花を専門に取り扱う店はなく、花といえば食用の大型のものがほとんどであったのだ。
『ディックさんは一体……どこからハーブなどを手に入れていたのでしょう……』
 かつてこのユーベルにおいて、多くの珍しい植物を仕入れたディック。食用の種子や野草からも植物を見分けることもできたディックとは違い、土地勘のないアリューシャたちには戸惑うことの方が多かったのだった。これまで首都ユーベルの文化は、服装意外に目立った情報は届いていなかった。けれど、こうして直接文化と触れ合ってみると、人の心を癒す効果があるものといえば、各種効能があるといわれる“パワーストーン”や神聖文字と呼ばれる特殊な文字が刻まれている“ルーンストーン”の石文化が中心であることがわかってくる。そもそも石造りの街ユーベルでは、花を飾る習慣もないらしい。道の両側に丈高く並ぶ建物はどれも旧い石の面があるばかりであったのだ。そんな街で始めたディックの商売は、街の者たちに歓迎されていたというのだが、そのノウハウを引き継げる者はいないようなのであった。
 ただ、二人は長くこの土地に留まったためか、いくつかこのユベトル勢力圏についてわかったことがある。ユベトルとは、ユベトル勢力圏の小国の中でも国土と勢力の大きかった国“ユル”“ベオーク”“トラティア”という三大国の文字を組み合わせてつけたものだということ。そしてユベトルの首都ユーベルは、元々は300年前に滅んだトラティアの王都であったということ。さらに元トラティア王都は、今はどこの国にも属さないユベトル勢力圏の中心として“ユーベル”という名に改名されたこと等である。その一方で、滅びたトラティアそのものは分断され、その一つは統治者ミシュルの国スフォルチュアなのだという。
「……それと……スフォルチュアは、ミシュルさんの指導で魔法使いたちが集められていた国……というのもわかりましたけれど……」
 アリューシャは数々の情報を得た収穫は感じるのだが、肝心の目的を達するまでの大きな壁を感じていた。
「そろそろ二人合わせた滞在費用もつきそうですし……」
 二人が持ち込んだ費用をあわせると、一ヶ月は暮らせる費用になっていた。それを切り詰めて今日まできたのだが、それも限界があると感じ始める。そんな時、アリューシャたちにかけられる声があった。
「お、この店のお客さんかい?」
 陽気に声をかけてきた男は、ディックよりもやや年上に見える青年だった。
「悪いな。この店の主は、先月の24日からもどってきてないんだよ」
 青年が言うには、統治者ミシュルとの面会の後からもどっていないのだという。
「おおかた仕入れにでも手間取ってるんだと思うぜ」
 青年が言うには、ユベトル勢力圏の鎖国以来、草花の仕入れ先といえば遠く離れた“ユル”と“ベオーク”等の大国になるという。
「何せ植物といえば食用中心だったこのユーベルに、珍しい草花を持ち込もうっていうんだ。仕入れだけでもずいぶん手間がかかるみたいだしな」
 この情報に、そもそも植物の商取引などやったことのないアリューシャは考え込んでしまう。
『困りました……ディックさんのようにはできそうもありませんし……』
 そのアリューシャが、意を決して青年に言ってみる。
「あの……そのディックさんのお使いで来ているんです。元気の出る植物を届けてほしいところがあるって。5の月24日に統治者ミシュルさんに面会した時に、行政官吏のプリュスさんと約束したから、って」
 アリューシャの言葉に驚いたのは青年だった。
「え!? ディックの使いなのかい! 俺はジョルジュっていうんだけど」
「あの、ディックさんの相談をかってでてくださった方ですよね。うかがっています」
 気は引けるものの、アリューシャは『バウム』にて得ている情報を伝える。すると、ジョルジュはアリューシャを信用して案内を始めた。
「ディックとは何かと知己があってさ、不在の間、植物の水遣りを頼まれてたんだ」
 そう言いながら、露店の脇道に置かれた植木蜂を見せる。
「ここにあるのは、わりと日差しが少なくても育つ植物らしいぜ。あとはこれかな?」
 ジョルジュは、露店にかぶせられた布の端をまくってみせる。そこにあったのは多種類の種子や木の葉・幹など乾燥状態の植物だった。それらを見たアリューシャは、迷わず“木の幹”を手に取った。
「頼まれていたのはこれです! これで届けられます!」
 アリューシャが手に取ったのは、よい香りを放つ香木であった。そのアリューシャには、今回はつれて来ていないがペットにシュシュという精霊がいた。疲れると植木鉢で盆栽状態になる精霊のおかげで、多少なりとも木の知識があったのだ。アリューシャは香木の料金分を、露店の物陰にそっと置く。
『以前ミシュルさんに面会したことのあるディックさんの名前をお借りしてすみません……そして助かりました。もし、プリュスさんに会えたらディックさんのハーブのように、自分の歌が癒しの力を持っていることを伝えてみますね』
 こうしてアリューシャが様々な用意をする間、アルヴァートは常に周囲への警戒していた。
『この場所は、最初に捕縛された位置に近い……』
 かつて私服の警備隊員に疑惑を持たれたアルヴァートたちである。アルヴァートは、かの日と同じ姿をしているアリューシャを自分の影に隠すことをおこたらなかった。
『あの時、オレはセントベック風のつなぎ姿だったが……今のアリューシャの姿を見覚えている者がもしいれば……何があってもおかしくないからな』
 無意味に他人を傷つけないアルヴァートであるが、アリュ−シャに害を与える者があるならば全力で排除するつもりがあった。そんなアルヴァートは、いつでも聖剣『ウル』を握れる臨戦体制をとっていたのだった。

 ようやく香木を手にした二人が向かったのは、ユーベル宮殿の正門だった。正門の前に陣取るのは、宮殿の衛兵たちである。
『うん。幸い転移時に、誰何してきた者はこの衛兵の中にはいないようだな』
 確認するアルヴァートの横で、アリューシャが言う。
「ディックさんのお使いで元気の出る植物を持ってきたので、プリュスさんに取り次いで欲しいのですが」
 アリューシャのどこか高貴な物腰に、衛兵らは二人を疑うことなく宮殿内の窓口へと案内する。そこでしばし待たされた二人に、宮殿内の事務方の者だろうか、穏やかな声がかけられる。
「先月24の日にお約束されている件でございますね……プリュス様からディック様へ伝言をことづかっております」
 二人に丁寧に対応する壮年の女性は、一枚の紙を差し出す。それは、矢印の描かれた略図であった。
「お約束した植物はこちらに届けてほしてほしい、とのことでございます」
 その略図をのぞいたアルヴァートは、『バウム』で確認している地形と照らし合わせてアリューシャにささやく。
『この位置だと座標位置は“L21”……かな?』
『ユーベル宮殿から遠く離れたナニク国でなくてよかったです』
 小声で相談する二人に、女性が説明する。
「こちらは、プリュス様の私邸でございます。実は、お約束後すぐにプリュス様も体調を崩されまして……今は宮殿の外にございますこちらの邸宅で静養されておられます」
 プリュスの体調を気遣っているのだろう、女性も二人に頭を下げる。
「プリュス様もミシュル様と同様の症状のようでございますよ。ディック様のご来訪を心待ちにされていたご様子だったのですが……ぜひ届けていただけると助かります」
 壮年女性の願いに、アリューシャとアルヴァートは顔を見合わせてから宮殿の外に出ていた。

 ユベトル統治者の出身地スフォルチュアにあるユベトル異国人収容所において魔物を倒したアリューシャとアルヴァート。その二人は、ユベトル勢力圏の首都ユーベルで様々な行動を開始する。
 二人にとっては異世界の地であるユベトル勢力圏。多数の小国から構成され、人種も様々な多民族勢力圏ユベトルには、その歴史も含めて数々の謎があるらしい。異世界よりの来訪者が選ぶ道は、まだこれからだった。
《M21/6の月35日/17:30》
 


○エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所《K14/6の月20日/17:00》

 モンスター製造施設であったエルセム勢力圏のマノメロ異国人収容所。この収容所において、多くの情報を得たのは異世界人ラサ・ハイラルとジニアス・ギルツの二人だったが、収容所そのものは何者かによって破壊されてしまう。その爆音が響いた瞬間、一瞬だけ姿の消えた二人。だが、彼らは一瞬消えただけで再び爆発の中にその身をさらした。

 可憐な容姿をした青年ジニアスと一見普通の少女ラサ。そんな二人が話し込むのは、恒例の『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』内である。
「うーん。収容所爆破されたのは大失敗だな。せっかくゲイルのやってた事の証拠が手に入れられると思ったんだが……」
 ジニアスが今後の行動を検討する。
「せめてラサがこの赤い薬を確保してくれたのは良かったけど、それだけじゃ証拠として弱すぎるし、さて、どうしたものか」
 事態打開に苦慮するジニアスに、ラサが追い討ちをかける。
「そこが問題だよねー!」
 赤いカプセルの入った小ビンを握り締めるラサが強く主張する。
「この赤い薬はモンスター化の重要な証拠になるけど、コレだけじゃ誰が作ったか分からないし、ゲイルがやったってことは、言えないよね」
「ああ。残念ながらそうだろうな」
 ゲイルが行ったという確たる証拠がない限り、ゲイルならば自分たちをモンスター化の犯人に仕立て上げることなど造作もないことだとジニアスは思う。
「それに、あのマノメロ収容所を爆破したのだって、俺等異世界人を犯人にして、異世界人と戦う事を正当化させる可能性だってある」
「何それ! 絶対、許せないよ!!」
「とにかく油断は禁物ってことだよ」
 肩をすくめてみせるジニアス。一方、怒りがおさまらないラサは言う。
「ねぇ、収容所を爆破した人たちって、もしかしたら収容所の研究データとか持って行った……とか、ないかな。もし、持ってたら追いかけていって奪っちゃおうか♪」
 ラサの意見に、ジニアスは難しい表情になる。
「研究データは常に電送されている可能性はないか?」
 ゲイルのこれまでの関り方を考えて、研究データを紙等の媒体に残す愚を犯すようには思えなかったのだ。そんなジニアスに思いつく点が一つあった。
「そういえば、俺らが地下で大蛇相手にしてた時、上に周辺を警備する部隊がいたようだな」
 研究員たちと警備隊員たちの様子の違いを思い出しながら言う。
「あの警備隊員たち……多分、研究員の安全確保と収容所爆破のために来たんだと思うけど……」
 そうしてジニアスは手を一つ打った。
「……あ、研究員がいるならもしかしたら記録とか隠し持ってるかもしれないな。いくら証拠隠滅のためとはいえ、研究成果全てを灰にするとは限らないし。……最悪でも、研究員そのものが証拠にならないか?」
 ジニアスの言葉に、ラサが飛び上がって喜ぶ。
「それ賛成!!」
「まだ、それ程遠くに行ってないだろうから、本隊と合流する前に研究の証拠強奪するか?」
「もちろん!!」
 そして彼らは、周辺警備をしていた軍隊が持っているかもしれない証拠品奪取・証人捕獲に動きだしていた。

「……だからって爆発の中にもどらなくったってよかったかもーっっ!!」
 一秒後とはいえ、爆発本番中への転移である。ジニアスのフードに入ったネコぬいぐるみのラサが悲鳴を上げる。
「あッチチチ!」
 だがその熱波は、ジニアスが広げた黄色い翼で守られる。
「しっかり捕まってろよ!!」
 そのまま熱波による上昇気流を利用したジニアスが、アクロバティックに飛翔する。そのスピードは、ラサの予測を超えていた。
「うっわ!! 早すぎ!」
「これくらいじゃないと、急襲ってのは成功しないんだ!」
 ラサに応じながら、かなりの高度に達したジニアスが撤収してゆく一団を見つけた。
「あそこだ!!」
 ジニアスが見つけた一団は、収容施設の管理関係者と研究者研究員たちを伴って進む警備兵たちだった。彼らの移動手段は、鳥型の動物を使うらしく、見た限り数が足りないようだった。その場所を確認したラサも応じる。
「攻撃がボクだよね!」
「ああ、任せたよ」
 二人の姿が夕日の差す空に舞った。

 尾を引いてとどろく爆発音。熱風が周囲の大気をも上昇させる。その中に、突然青い雷が走った。
「な、何事だ!!」
 その雷の正体を一団の多くは予測してしまう。
「も……もしやさっきの!?」
「い、いや。奴は先の爆発で爆死しているはず……」
 慌てふためくエルセム警備兵たち。一方この状況にあっても、管理関係者と研究者研究員たちだけは無表情のままだった。そんな中、夕日を受けて金に輝く翼を広げた青年が彼らの頭上で不敵に笑った。
「どこに逃げようと、あんたたちを逃がす気はないよ!」
 ジニアスの宣言とおり、魔剣技によって放たれる雷は一団の周囲を取り囲むように降らせてゆく。その雷の合間を、ラサが連続精密射撃を加えて兵たちの武器を奪ってゆく。
「ジニアスに回避とか、してもらわなくてもこれで十分!」
 とはいうもののすべての武器を打ち落とすまでには至らなかった。幾本かの高熱の閃光がジニアスらを襲う。だが、その銃による攻撃は、ジニアスの軽業的動きによってすりぬけてゆく。
「しっかり狙えって! そんなんじゃ、俺の羽ひとつ当たらないよ!」
 そして、ジニアスは相手の攻撃避けながら、重要物を運んでいそうな人物を探す。しかし、ジニアスの見る限り、該当する人物は見当たらなかった。
「くっそ!! 特別なものとかなさそうだな!」
 舌打ちしたジニアスが急降下し、兵たちの表情までも読んでゆく。
「ひいっ!! 青い雷獣!!」
「あのネコは白い怪猫だ! 逃げろ!」
 ジニアスに“青い雷獣”、ラサに“白い怪猫”との異名をつけ、恐怖のままに雲の子を散らす兵たち。その中で、ただ一人ジニアスたちに向かって真摯な瞳を向ける兵がいた。その様子に気づいたのはラサだった。
「ね、あそこの警備兵だけ、様子がおかしくない?」
「ああ。何か、俺たちに言いたいことがありそうだな……」
 ラサの言葉で、ジニアスは目標兵の周囲の者たちだけを排除してゆく。ジニアスは軍隊式の規律はうとかったが、もしその兵が自分と接触した場合を考えての措置だった。

 ラサとジニアスが、おおかたの人払いをすませたのは夕闇が迫る時刻であった。暗い黄色の翼を広げるジニアスが、ゆっくりとその兵の前に降り立ってゆく。
「何か俺たちに用があるかい?」
 ジニアスが兵に声をかける中、ラサは念のため魔銃の銃口は兵に定めたまま動かさなかった。すると、新兵らしい若者は、ジニアスに向かって重い口を開いた。
「あの……事情はどうあれ……わたしはゲイル様の行動に不信感を持つ者です」
 その声を聞きながら、ラサとジニアスの二人の姿はヴェルエル世界を離れていた。
《K14/6の月20日事件中心地/18:00》

 モンスター製造施設であったエルセム勢力圏のマノメロ異国人収容所。ラサとジニアスの二人は、この収容所において多くの情報を得つつも、収容所は何者かによって破壊されてしまう。この施設の真実を示す『赤いカプセル』だけは、ラサによって持ち出すことに成功している。そんなラサとジニアスとが新たに接触するエルセム新兵。未だ、数々の疑惑の晴れない二人は、どう対応していくのか。そもそも二人がヴェルエル世界に現れる時はいつになるか、そしてどの場所に現れるのか。その行方はまだ誰にもわからなかった。


○エルセム村落シラセラ村《I05事件中心地/7の月20日/12:00》
 『はちみつ色の少女』と呼ばれる異世界の少女トリスティアと、エルセムにおいてはモンスターの容貌を持つと恐れられる異世界の乙女クレイウェリア・ラファンガード。二人は、トリスティアが拠点とするシラセラ村において合流を果たしていた。
「何だか、いろいろ大変だったみたい?」
「そりゃ、お互いさまだろ?」
 これまでの長い時間、それぞれの場所で自分なりの役割を果たしてきた二人である。二人は、互いの顔を見合って笑いあう。この時、側には村の若者たちがいたのだが、彼らはわけがわからず目を白黒させるばかりであった。

 『バウム』を通じて情報を共有する異世界人トリスティアとクレイウェリア。そのクレイウェリアがまずトリスティアに持ちかけたのは、自身が助けた統治者の件であった。
「さっそくだけど、シラセラ村にソルエの受け入れ態勢を作ってくれないかい」
 前後の事情を知るトリスティアに、クレイウェリアは単刀直入に願い出る。
「とりあえず何とかここまでソルエの身柄をかくまう事には成功してるよ。だけど、あのままエル街で身を潜めていてもいつ発見されるかわからないんだよ」
 もしゲイル側に発見されてしまえば、世話になったエル街に迷惑がかかってしまうのは明白であったのだ。
「何しろこちら側からしたら、ソルエの生存というのは強力な切り札なんだけどね。いつまでも身を潜めているだけでは状況は何も改善しないだろ」
 クレイウェリアの言葉は、そのままトリスティアがこれまで気にかけてきた内容と同じものであった。
「その点、トリスティアの活動の拠点であるシラセラ村はソルエの生誕地だっていうじゃないか。ソルエが再起を計るにはうってつけの場だと、あたいは思うんだよね」
「うん。以前クニミから『ソルエが昔はシラセラ村に住んでいた』という話を聞いたときから、ずっと気になっていたんだ」
 トリスティアは、自分の心にひっかかっていたことを口にする。
「ボクもずっとソルエをシラセラ村につれてきたいと思ってたんだ。シニセラ村村長のクニミならソルエを守ってくれると思うし」
 そして、トリスティアは自分の構想を語る。
「それに、ボクはソルエをクニミに会わせたいな。もし同時に二人から話を聞けば、ゲイルを中心にした“中央”のことについてもっと詳しくわかるんじゃないかと思うんだ」
「トリスティアがそう言ってくれて助かるよ。あのままゼフ、それとエル街の好意に甘え続けて身を潜めているだけじゃ、ソルエにとってもあたいにとっても事態は何一ついいことはありゃしないからね」
 こうして協力関係を構築したクレイウェリアとトリスティア。時間が惜しいクレイウェリアは、シラセラ村にソルエの受け入れを願い出た後、自身はソルエを迎えに行くためにエル街へ舞い戻っていったのだった。

 シラセラ村に残ったトリスティアがまず行ったのは、クレイウェリアの容貌について、周囲の者たちに敵ではないことを告知することだった。その上で、クレイウェリアがエルセム統治者エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァールを害するという無実の罪を被せられた事情を説明する。この説明には、シラセラ村の村長クニミを含めて、トリスティアを疑う者は一人もいなかった。『はちみつ色の少女』と呼ばれる英雄、トリスティアは言う。
「このクレイウェリアのおかげで、瀕死状態だったソルエはある街の住人宅にかくまわれているんだ。でも、命は取り留めたけど、未だにソルエの命は、義兄ゲイルによって狙われているんだよ。みんなはこのままでいいと思う?」
 トリスティアの言葉に、“いいわけがない”と皆が賛同する。
「じゃ、ソルエをこの村にかくまってもかまわないかな。現にエルセムで指名手配されているボクも、いままで中央から見つからなかったんだ。シラセラ村ならソルエにとっても安全だと思うんだ」
 このトリスティアの説明に不服を唱える者は皆無であった。一方、村長のクニミにいたっては、トリスティアの提案の間ずっとトリスティアの手を握りしめ続けていた。
「ソルエ様の命をそこまで気づかっていただき、ありがとうございます!」
 深く頭を下げて涙にむせんでしまうクニミは言う。
「トリスティアさんには今まで詳しい話はうかがっておりましたけれど……どこか、すべてを信じたくない気持ちは残っておりました……でもクレイウェリアさんという方がいなければ、ソルエ様は今ごろ亡き者にされていたのですね……このエルセムに、異世界の方が来てくださって、本当によかった!!」
 そして、感激のおさまらないクニミは、
「ソルエ様の命が助けられるものならば、シラセラ村はどんな協力も惜しみませんよ。何でも言ってくださいね」
 と確約してくれていた。

 夜の闇にまぎれて飛ぶ影。それは、体中に泥を塗りたくったクレイウェリアのものであった。その影は、ひっそりとエル街の一角へと消えていった。
 エル街に入ったクレイウェリアは、住人代表ゼフ宅へと向かう。そこには、ソルエがかくまわれているはずだったのだ。しかしクレイウェリアの来訪を、ゼフは幾分苦々しい表情で迎え入れる。
「…………ああ、虫か」
 場にそぐわない言葉を発したゼフは、クレイウェリアに対しては何も言わず家の戸を閉める。そして、自分の頭と周囲、そして『生体索敵機』との場所を順に指し示した。
『何かあったのかい?』
 ゲイルがソルエ探索のために打つ布石。その強化が計られた可能性を、クレイウェリアは考える。各地にて異世界人によりゲイルの青写真に狂いが出てきている現状では、より直接的な行動に出てこられてしまう事も考えられたのだ。悪い予感に襲われつつも、クレイウェリアがソルエが休んでいた部屋に飛び込んでゆく。そこには、幸いにしてまだソルエは元気な姿で存在していた。ソルエは、クレイウェリアの姿を見ると、声を出さずに笑顔で身振りをしてみせる。それをクレイウェリアが解読するところによると、“この場所で話をしてはいけない”……というものらしい。
『“生体索敵機”の音声認識でも、機能が強化されたのかい?』
 状況はわからないものの、この場所でソルエと交渉するわけにはいかない事情はのみこめた。
『ならばいっそ健在を示しながら移った方が良いね。……ただ、エル街が警戒されるのだけはさけないとね。移動は早ければ早いほど良いね…街の安全を護る為にも』
 クレイウェリアもまた身振りで状況の説明を示そうとする。だが、ソルエにはその詳細が理解できず、当惑するばかりであった。ただ一ついえることは、ソルエが全幅の信頼をクレイウェリアにおいている、ということだろうか。
『ここは行動で示すしかないようだね』
 クレイウェリアは、ソルエの身に纏っている布をなるべく黒揃えでまとめる。そうして、ソルエをお姫様だっこする形で宵闇の上空にむけて飛び立っていった。その姿を、ゼフは頭を他所に向けて、背中ごしに見送る。
『ありがとうございます……ではソルエ様を受け入れる場が他にできたのですね……ソルエ様をよろしくお願い致します』
 ゼフは、クレイウェリアの行動によって理解していたのだった。

 闇の中移動距離を稼ぐクレイウェリア。エル街を十分離れた位置で、クレイウェリアがソルエに語りかける。
「そろそろ声を出してもいいかい?」
 すでに声を出して言ったクレイウェリアに、ソルエが明るい笑い声をたててしまう。
「声、出していうところが、クレイウェリアらしいよね!」
 その時、辺りに突然の警報が鳴り響いた。
「やっば! 声出しちゃいけないのは、本当は私なんだよ!」
 ソルエの語るところによると、ソルエ自身の声紋が索敵されるように“生体索敵機”の機能強化がなされたらしい。しかも、今回のようにソルエと会話する声を捕捉した場合、クレイウェリアの声紋も捕捉された可能性があったのである。
「ずいぶん、やっかいなことしてくれるね!」
 ゲイルの余裕のなさを垣間見た気分のクレイウェリア。開き直ったクレイウェリアは、追っ手に対して魔物クレイウェリアとして対することを決める。
「身の程知らずが、揃いも揃って括り殺されたいかい?」
 一時的にポテンシャルが上がったフリをしてみせる。
「それともそんなちんけな防護服であたいが炎止められると思ったか! もしくはあたいを倒すって名目でソルエもついでに始末しろとゲイルに命じられたか?」
 と、豪快に威嚇したクレイウェリアは、実際は「土石魔体術」で台地の魔力を追っ手たちの集まる地点に注ぐ。瞬く間に泥沼に変わる大地に足を取られる追っ手を尻目に、彼らをまく事に成功した、クレイウェリアであった。

 トリスティアとの合流ポイント。
 そこは、森の入り口に位置していた。ソルエをエアバイクで迎えに来た少女トリスティアの姿があった。
「ソルエ、キミをかくまう準備は整ってるよ。ソルエの育った地のみんなが歓迎してるから!」
 かつて自分がヴェルエル世界に始めて転移した時、ソルエを驚かせてしまったことがあるトリスティアである。禍根を謝ってから、改めてソルエに自己紹介するつもりで待ち構えていた。
 そんなトリスティアを見つけた瞬間、トリスティアを覚えていたソルエが声を発しそうになる。それをとっさにふさいだのはクレイウェリアだった。
『話をしたいのはやまやまだろうけど、ここで声を発すれば今度は森が危険になるよ』
 もし“中央”との戦いとなった場合、森の民たちの勝てる確率は限りなくゼロに近かったのである。そうして、クレイウェリアがまだ事情を知らないトリスティアたちと合流した瞬間、異世界人たちの姿は森から消えたのだった。

 義兄によって暗殺されかけたエルセム統治者ソルエ。そのソルエと会話することで、声紋が索敵されるという機能強化がなされた“生体索敵機”。ソルエを助けて移動中に会話することで自身の声紋をとられたといってよいクレイウェリア。一方、森の住人たちと対話しながら、自然に“中央”に対抗する意識と団結力とを育てていたトリスティアは、ソルエの受け入れ態勢を整えている。そんな彼らが、この後どのように行動するのか。動く世界の先を知る者は、まだ誰もいなかった。
《I05事件中心地/7の月22日/4:00》

 様々な土地で、様々な人々、そして様々な事象に出会う者たち。
 彼らはまた『バウム』へと帰還する。
 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。
 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。
 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられている。

参加者有効技能一覧
戻る