『紅の扉』  〜ヴェルエル編 第五回

ゲームマスター:秋芳美希

 いらっしゃいませっ!
 ようこそ『バウム』の『緑の窓』へ。
 ヴェルエル世界へ行かれる方ですねっ!

 足元もおぼつかない暗闇の中、案内役のウェイトレスであるヤヤの明るい声が響く。ヤヤの指し示す世界は、
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 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは未だ、それぞれが鎖国状態が続いていた。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏。その中で、変わらずのんびりと構えていたのは、セントベック統治者のフィルティ・ガルフェルト。体調が思わしくないのが、ユベトル統治者ミシュル・アルティレス。そしてエルセム統治者ソルエ・カイツァールは……。そのエルセムでは、未だモンスターの脅威はおさまらなかった。

 この状況下で、多くの異世界人たちが様々な困難に立ち向かっている。
 その中でも大きな事件となっているのは、セントベックにて引き続き統治者と謁見できる機会を得ている異世界人リュリュミア。
 一方、エルセムでは、クレイウェリア・ラファンガードが統治者ソルエ殺害の犯人とされてしまう事件が勃発している。そのソルエの生死は、未だ正確には伝えられていない。
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 ……というものだった。

 『ヴェルエル』世界に向かうには様々な制約があり、冒険者たちにとっては難儀な世界であるといってよかった。けれどその制約を乗り越え、ヴェルエル世界に向かおうとする来訪者たちはいたのだ。そんな彼らに、
 ××おじゃましますぅ。『バウム』フロアチーフのララですぅ××
 という毎度おなじみな声がかけられる。その声の方向に向かった彼らに、ララの声が届けられる。
 ××ヴェルエル世界にご来訪中の皆様のご活躍によりましてぇ、『バウム』でも調査不能でした各勢力圏の情報がさらに明らかになってまいりましたぁ!
 礼を伝えるララは続ける。
 ××そしてぇ、「指定座標の鍵」をお任せできる「ポイント付与」が、いよいよ開始されておりますぅ××
 ララの示した「指定座標の鍵」とは、ヴェルエル世界の特定座標に関る理解度を測るものであった。すなわちヴェルエル世界の特定の地域をより理解することで、この世界における他世界の干渉を排除できるというものなのだ。その理解度判定に応答した者たちにララは言う。
××ご参加いただいた皆様、ありがとうございましたぁ! 今回は、鍵ゲットまではいきませんでしたがぁ、ポイントは加算・譲渡など様々にご利用いただけますのでぇ、ご活用くださいですぅ××
 そうして来訪準備を整えた者たちに、ヤヤが声をかけた。
「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界へ向かわれますか?」
 頷く者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。
「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」
 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。緑の深い世界が目の前に広がった。



○セントベック首都ベック_ベック芸術館《E21事件中心地/7の月24日/16:00》

 重厚な造りをした白い大きな建物。その前に広がる緑の芝。その芝には、点々とオブジェが置かれている。その中でも一際目を引く純白のオブジェに、たんぽぽ色の幅広帽子をかぶる乙女がまたがっていた。その乙女は、赤毛の馬に騎乗する赤い髪の青年を眼下にみつけると、大きく手をふって呼びかける。
「早く案内してもらいたくて待ちきれなかったんですよぉ!」
 乙女は、異世界人の人外生命体リュリュミア。そして呼びかけられたのは、セントベック勢力圏の統治者フィルティ・ガルフェルトだった。フィルティは、時間通りに出現した元気なリュリュミアに苦笑しながら応じる。
「ベック芸術館へようこそ! ベック芸術館自慢のオブジェの乗り心地はどうだい?」
「そうですねぇ、風もおいしいですしぃ、とっても気持ちいいですよぉ!」
 こうしてヴェルエル世界においての時間的には、二時間後の再会となったリュリュミアとフィルティ。フィルティは、リュリュミアがオブジェから降りるのを待って握手で歓迎したのだった。
 
 緑の芝をゆったりと歩く二人。セントベックにおいて普通に二人の姿を見かけた者がいたら、その距離感から兄妹程度には仲の良い者たちに映るだろう。しかしながら、ベック芸術館周囲は厳重な警戒網がしかれ、実際にベック芸術館にいる者たちは警備関係者たちのみというものものしさなのであった。
「案内してくれるのはベック芸術館の中ですかぁ?」
 邪気のない笑顔で言うリュリュミアに、フィルティが頷く。
「そうだな。せっかくだから、ベック芸術館の庭から案内しようか」
「嬉しいですぅ! 他の国のモノもあるかも知れないけど、多分、見たこと無いものばかりだと思いますぅ」
 芸術に深い造詣はないフィルティなのだが、勢力圏を代表する芸術品のいくつかはそれなりの知識を有していた。
「さっき、君が乗ってたのは、『風の魔法使い』って、オブジェだ。もともとはユベトルの魔法使いの一人が風の力で岩を削った、って伝説があるヤツなんだ」
 その言葉に、リュリュミアが不思議そうな顔になる。
「えーと、ユベトルって、セントベックから遠いんですよねぇ?」
「ああ。そのユベトルの小国スフォルチュア国ってとこから贈ってもらったものなんだ。随分昔にもらったものだって聞いてるよ」
 フィルティの説明に、リュリュミアが感慨深げに言う。
「こんなに大きな物をもえるなんてぇ、すごいですねぇ。スフォルチュア国っていうとこと、昔は贈り物をもらうくらい仲良しさんだったんですねぇ」
 そんなリュリュミアの表情を読みながら、フィルティは言う。
「……スフォルチュア国を知ってるのかい? 魔法使いがいるって国だよ。なんてったって今の統治者からして魔法ってヤツを使うらしいからな」
「そうなんですかぁ」
 フィルティの説明にあまり興味を示さないリュリュミアの様子に、フィルティは少し胸をなでおろした。
『てことは、このリュリュミアってユベトル出身でも、ユベトルの関係者でもないってことか』
 言葉の駆け引きで探りを入れる自分に、フィルティは盛大なため息をつく。
『あーあ。どうもこういうのは生にあわないよなぁ』
 そのフィルティに、リュリュミアが一枚の絵を差し出した。
「本当は、最後にお礼にあげたかったんですけどぉ、今、見せちゃいますねぇ」

 リュリュミアがセントベックに現れる前の刻。
 ヴェルエル世界にほど近い『緑の窓』では、リュリュミアお持ち帰りの“冷めかけたセントベック料理二人前”をヤヤとララはプレゼントしてもらっていた。ララは、別の場所にいるために残念ながら食べられないといったのだが、ヤヤの方はその場で食べられたようで、『素材がいいからおいしいですっっ』という感想をリュリュミアに伝えていた。その二人は、リュリュミアからのお願いを受けてパニックに陥ることとなる。
「絵……え……エッッ?」 
 ××紙とクレヨン……ですかぁ??××
 『バウム』ウェイトレスのヤヤと、『バウム』フロアチーフのララ。二人がこれほどまでに困ってしまうリュリュミアのお願いとは、「『バウム』のみんなの絵を描きたい」……というものだった。そのために、紙とクレヨンがほしい、ということだったのだが……。
「そうですよねっ。暗すぎて顔は見えないですよねっっ」
 納得したヤヤが動き回る音が響く。
「えーっと、……光度を高く設定するのは、異世界接続上ちょっと難しいですねっ」
 そうして『緑の窓』を案内するヤヤの声がしばし途切れた後、明るい声が戻ってくる。
「そうですねっ。他の方からも“顔がみたい”とのリクエストがあったことがあるそうですしっっ。……えーっと、まずは私の顔だけでも見えるように、『緑の窓』を調整させていただきますねっ! 調整完了までお待ちくださいですっ」
 一方、ララの方からは、沈みがちな声が届く。
 ××残念ですがぁ、『バウム』の『緑の窓』内で、ご希望の紙とクレヨンとを用意することはできませんですぅ××
 ララが言うには、“冷めかけたセントベック料理二人前”をヤヤが食べられたのは、リュリュミア自身が“冷めかけたセントベック料理二人前”を維持できる質量を得たゆえだという。
 ××今回、ヤヤがいただいた分は、ヴェルエル世界の質量を継承して消費した形になりますからぁ、もう残りのお料理はヴェルエル世界にはお持ちになれないのですけどもぉ、このわたしが食べていないお料理を活用すれば……××
 ララから、リュリュミアの能力に期待する声が届く。
 ××リュリュミアさんがお持ちの知識と能力と、わたしの“消費権限”とで、何とかなると思いますですぅ♪××
 その後、リュリュミア自身による長きに渡る知識と能力による努力の時が始まる。その一方で、ララによる質量調整作業も開始された。ちなみにララが質量調整可能な理由は、本来ララが食べるべく用意された料理が、時間的に継続性のある条件下にあること。さらに、質量を調整するララ自身に“消費による調整”の権限がゆだねられていたことによるものであった。

 こうして出来上がったのは、“手作りの紙”に“花の汁”で描かれた異世界人の絵であった。
「角とか翼とかあるクレイウェリアですぅ。エルセムに行ってる人ですねぇ」
 リュリュミアが指先だけで懸命に描いた絵は、ぼんやりとしていて顔の形まではよく判別できないものであった。しかし、異世界人クレイウェリア・ラファンガードの特徴を示す姿形は、しっかりと現されていた。
「クレイウェリアはモンスターじゃありませんよぉ。あとぉ、ユベトルに行ってるアルバとアリューシャっていう人たちも描きたかったんですよぉ。二人はいつも一緒でとても仲良しなんですよぉ」
 そこまで説明したリュリュミアは突然睡魔に襲われる。
『えーっとぉ、ちょっと疲れが出ちゃったんですかねぇ?』
 今までの経過もあって、疲れがたまっている自分を自覚するリュリュミア。そのリュリュミアの前で、フィルティもまた睡魔に襲われているらしい姿を目撃して混乱する。
『どうしちゃったのでしょうぅ……また一緒に遊んでくださいねぇって約束したかったのに……』
 リュリュミアの意識がセントベックを離れる間際、倒れるフィルティを助けようと駆け寄る護衛官たちの姿が見える。
『あれぇ? ずっとついてきてたんですかぁ? 大変ですよねぇ』
 リュリュミアの閉じゆく視界の中で、統治者付護衛長官ライアンが自分の腕を強く握った。
「フィルティ様に何かしたのか!?」
 リュリュミアがその声に応えるよりも早く、リュリュミアの姿はセントベックから消失していた。

 倒れるセントベック勢力圏の統治者フィルティ・ガルフェルト。その原因が異世界人の乙女リュリュミアであるという疑いがかけられてしまう。その疑惑を払いのけられるのかどうかは、セントベック勢力圏を訪れる異世界人の手にゆだねられている。
 
セントベック首都ベック_ベック芸術館《E21事件中心地/7の月24日/16:20》



○ユベトル異国人収容所《N24/5の月26日/0:30》
 ユベトルの首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所。その施設で、人ならざる者と、異世界の少女と少年とが戦いの中にいた。異世界の者は、可憐な少女アリューシャ・カプラートと大人びた少年アルヴァート・シルバーフェーダ。婚約者同士の二人は、再び離れた世界に戻るべく動き始めていた。

 アリューシャは、再度『バウム』に帰還したのを好機として、アルヴァートに情報を伝えていた。
「あ……あのっ、アルバさん! わたし、収容所係官の緑色の体液に捕らえられそうになった時に、全身の力が抜けていったんですけど……」
 帰還する直前、自分の方向に転がってきた収容所係官の頭。頭から流れる緑の体液が、アリューシャの靴つくと吸い取られたかのようにアリューシャから力が抜けていったのだ。その時の不安や恐怖を思い出し小さな肩をふるわせるアリューシャ。そのアリューシャを、“アルバさん”と呼ばれたアルヴァートが引きよせた。
「怖かったよね。間に合わなくてごめん。もう大丈夫だよ」
「……はい。そうですよね。作戦の立て直しもできるのですから……」
 あの時の恐怖は残っていても、アリューシャの体そのものにはもう何事の影響も残っていなかった。その上、今はアルヴァートも側にいるのだ。はりつめていた緊張をほどくアリューシャに、安心したアルヴァートがあらためて経過を分析する。
「緑色の肌って時点でただの人間じゃない……もしかしたら魔族じゃないかと警戒していたけど……どうやら魔族かどうかはともかく悪い予感 は的中したようだね……でも、あいつはとんでもないミスをしたよ」
 そうしてアルヴァートはわきあがってくる怒りに拳を握った。
「……よりにもよってアリューシャに手を出そうとするなんてね……絶対許さない!」
 対策を考えたアルヴァートは、いくつかの細工の用意をするべく声を上げた。
「『バウム』の関係者はいるかい?」
 アルヴァートが持つよく通る声が、闇の中に響いてゆく。
 ××おじゃましますぅ××
 すかさず、『バウム』特有の声が反応した。
 ××フロアチーフのララですぅ。何かお困りですかぁ?××
「蒸発しやすいアルコール度数の高い酒の入った樽と、火種を用意してほしいのだけど、できるかな?」
 問われたララが謝る。
 ××えーと、お酒は『バウム』で、おつくろぎいただくためにご用意できる品ですねぇ。ですがぁ、『緑の窓』への持込みは、お断りしているのですぅ××
 この言葉を聞いたアリューシャが、これまで不安に思っていたことを口にする。
 「でも、『緑の窓』では服装の用意はできるのですよね……できることとできないことがあって、よくわからないのだけれど……」
 高貴な雰囲気をかもしだすアリューシャの言葉に、ララが謝る。
 ××すみません〜。特にヴェルエル世界に行かれるのは難しいですよねぇ……××
 ララの説明によると、特殊な機能のない服飾の場合は、比較的自由に空間移動が可能なのだという。
 ××服は、いわゆる毛皮のようなもので、『体の一部』として認識しやすいのですぅ。ですのでぇ、『緑の窓』では、“特別に必要と思われる場合”には、移動前に用意できる服装を準備・調整させていただいてますぅ××
 服飾が『バウム』で用意できるのは、“特別な場合”のみと説明したララは言う。そして服飾以外のものを“特別に必要と思われる場合”と『バウム』で定義するまでには、通常2,000時間以上の時間を設けて実地調査・検証・運用テストが行われ、『バウム』来訪の異世界人全員が基本仕様を利用できる条件を整えるのだという。
 ××基本的に『緑の窓』では、冒険者自身が空間移動前に準備していただいた能力や持ち物持以外は一切ないのですぅ。でないと、異空間移動時に障害が発生し、『バウム』自体の存在が維持できなくなる可能性が高いのですぅ××
 そうしてララは、今回のヴェルエル世界移動のように『緑の窓』内部で相談・準備できること自体が特別なのだと言った。
「そっか。……まあとにかく、今回はできないことは確かだよね。じゃ、最終手段の方を使うしかないよね」
 ただ切るだけでは倒せない収容所係官を倒すための方法を様々に考えていたアルヴァートは、腹をくくった。
「助かります、アルバさん。わたし、もしも行方不明になった娘達が同じか、それ以上の恐怖を味わっていったのだとしたら許せないと思っていたんです」
 自分の恐怖よりも、収容所の過去を思うと気持ちが強くなるアリューシャだった。そんな彼らが行動しなければ、あの収容所は再建され、悲劇はくり返されてしまうのだろう。
「じゃ、行こうか」
「はい!」
 そして、二人の戦いの場が、再び目の前に広がった。

 アリューシャがヴェルエル世界で出現した場所は、先までアルヴァートのいた場所と同じであった。
「よし! 成功!!」
 アルヴァートは、自分の腕の中に、すっぽりと収まっているアリューシャにウィンクする。
「はい! よかったです!」
 アリューシャは軽くアルヴァートの手を握ると、すぐに自分の行動に移る。
「じゃ、アルバさん、よろしくお願いしますね!」
 収容者達の避難させる用意に走るアリューシャに、「任せて!」とアルヴァートが手を振った。アルヴァートが、改めてアリューシャが転送前にいた位置を見ると、そこでは、
「ぐががががっ!?」
 目標を見失ったのだろう収容所係官であった者の首が、その場で回転していた。
「うっわ。結構、間抜けってヤツだね! まだ目標は見つけられないのかな?」
 それでも緑の液体をまき散らして転がる首は、自分が切り落とした時とはわずかに形状が変化していた。
『首の組織が再生されてきている……? もしかして、アリューシャの力が抜けたことと関係があるのかもしれなよね』
 そうして無様に回転していた首は、新たな目標を定めたのだろう。アリューシャの動いた方向に転がってゆこうとする。
「反応しているのは、“若い娘”なのか!? それだけはさせないよ!」
 アルヴァートが奏でる笛の音に合わせて、辺りの空気が熱くなっていった。

 アリューシャが収容所にいた女たちのもとに駆け寄ろうとした時、女たちから悲鳴が上がった。
「こ、こっちに来ないでくれないかい!」
「あんた、ま、魔女……ってヤツかい?」
 収容所の首よりもまずアリューシャを怖がってしまう女たちにアリューシャは言う。
「確かに、わたしは特別な力を持っています。けれど、その力は、決して人を害する為に持って生まれた力ではありません」
 説得するのではなく、心に思っていることを理解はされなくても伝えておきたいとアリューシャが言葉をつむぐ。そんなアリューシャの願いが伝わったのか、穏やかな声があがった。
「そんなにすごい力があるんなら、わざわざこんな牢獄に戻ってきやしないさね」
 しわがれた声をあげたは、つい先までアリューシャがもたらした眠りの中にあった老婆のものであった。
「あんたは、本当に優しい子だねぇ。逃げようと思えば逃げられただろうに……ここに戻ってきてくれたんだねぇ。あんな化け物がここにいたんじゃ、何があるかわかったもんじゃないからねぇ」
 詳しい経過までは知らない老婆の声に、アリューシャを怖がっていた女たちの恐怖が薄れてゆく。
『おばあさん……おばあさんが眠っていたうちにもいろいろあったのです』
 アリューシャは、老婆に感謝しつつ後から経緯を説明しようと思う。だがその時、アリューシャの後ろから転がる首が近づいていたのだ。
「あ、あんた! く、首が、あんたを狙ってるよ!!」
 アリューシャに危険を知らせる女の声に続いて、アルヴァートの笛の音が響いた。その音色に安心したアリューシャが、あらためて女たちに向き合う。
「首は、アルバさんが何とかしてくれるので大丈夫です。それよりも皆さんは逃げてください。ここにいては危険なんです!」
 アリューシャの指示でその場から離れるために動きだす女たち。その背後で炎がゆれた。

 アルヴァートが奏でるのは、『召魔召神の笛』。その妙なる笛の調べによって呼び出された存在があった。
“ボゥゥ……ボゥゥゥボゥゥゥゥゥゥゥゥゥ”
 調べは炎の精霊の形をなし、音色に合わせて炎の力が“人ではないものの首”にそそがれてゆく。
「グゴォオォォォォォォ!!」
 人の声とは思えぬ叫びを上げて燃える首。その首が、炎を散らして飛び上がった。
「グガアッ!!」
「く!」
 不意の攻撃に、とっさに身を引いたアルヴァートが再び音色に熱をこめる。
『燃えろ! チリ一つ、残さずに!! 完全に焼き尽くすまで』
 アルヴァートが奏でる調べの意に、召喚された炎の精霊が同調し、首を燃やす炎の火力が強くなる。
「ギッガアッ……ガッッッ」
 意味をなさない断末魔の咆哮が響き渡り、収容所係官であった首は跡形もなく燃えつきていた。アルヴァートはその後も力をゆるめず、辺りに残った収容所係官の体をすべて燃やし尽くす。
『一気に丸焼きとはいかなくても、確実に燃やしつくしたら鎮火するようにしないとな』
 目的のすべてを燃やし終えた時、アルヴァートがアリューシャの避難した方向に足を向ける。すると、女性用房を出たばかりのところにアリューシャが微笑んでいる姿が見えた。
「アルバさん、あの係官、倒せたようですね。アルバさんなら、大丈夫って、思ってました」
「首以外は再生能力がないみたいなのが幸いしたってカンジかな?」 
「お疲れさまでした」
 照れ笑いのアルヴァートをねぎらうアリューシャ。その背後では、未だに異界の力を恐れる者たちがささやく声がある。
「……あの青年? モンスター以上の力があるってどういうことだい?」
「あの男も爪とかのびるんじゃないのかい? このまま一緒にいて大丈夫なのかい?」
 形としては助けられているはずの女収容者たちの言葉に、アルヴァートは言う。
「この力が怖いと思う? そうだよね……オレの世界じゃ当たり前でも この世界では奇異な力だ……でも、オレは大切な人を守るためならこの力 を振るうことはためらったりしないよ」
 そんなアルヴァートを、アリューシャがかばう。
「アルバさんの力は、進んで人を傷つけるためのものではありません。守るために振るわれるものだと、わたしは信じています」
 そんなアリューシャの手を握ったアルヴァートが、自信をもって胸をはる。
「理不尽な理由で大切な人と引き離される……そんなことを黙って受け入れるぐらいなら、たとえ力を使った結果化け物と罵られることになっても構わない。オレにとってアリューシャより大事なことなんて全ての世界を探してもあるわけないんだから」
 言い放つアルヴァートに、老婆から拍手が上がる。
「優しい娘に、お似合いの恋人だよ。あんたらは、あんな化け物とは違うさね」
 老婆は花があったら渡したいほどだと、感謝の言葉を言った。その老婆に、アリューシャが気恥ずかしげに言う。
「あ、あのっ。わたしたち実はもう……」
「おや、結婚してたのかい??」
「こんなにまだ小さいのにねぇ、こりゃ、驚いた!」
 女たちの早合点に、アルヴァートが口をはさむ。
「ていうか、オレたち婚約してるだけ、だよね」
「……はい」
 甘いマスクをした一見青年風のアルヴァートと、純情可憐な少女アリューシャ。そんな二人のかもし出す雰囲気に、辺りの空気がなごやかになる。
「いつか世界が平和になったら、あんたらにはわたしの故郷で結婚式をさせてあげたいねぇ。わたしの故郷はセントベックの田舎町だけど、そりゃあ花のきれいなところさね。花嫁はみんな花に飾られた馬に乗って、相手の家まで行くものさね」
 そんな老婆の言葉につられて、他の女たちが生まれ育った国の自慢話になっていた。そんな女たちに、アリューシャはふと聞いた。
「あの、すみません。皆さんの中にユベトル出身の方はいないようなのですけれど……この収容所のある場所って、ユベトルのどこなのか……知っている人はいませんか?」
 アリューシャの問いに、今まで彼らを一番毛嫌いしていた女から声があがる。
「ここはね、スフォルチュアって国の中にあるらしいよ。そうはいってもこの収容所は隣の国との国境近いらしいんだけどさ」
 その国名に覚えのあるアリューシャが、アルヴァートと目を見交わす。
「“スフォルチュア”といえば、ユベトル統治者の出身地、ですよね」
「あの収容所係官といい、国の中枢に関る何かにこの収容所は関係があると考えていいようだよね」
 アルヴァートは余力十分な気合を、聖剣『ウル』にこめる。
「そうとわかれば、まずはもう一人の尋問担当の収容所係官を探そう!」
「確か、もう一人は体長が2メートルはある頑強な体格の男……ですよね」
 そんな二人が、この場に残るという女たちと別れを告げて進み出す。女たちは、もう一人がいるならば、男女の房の中間にある尋問室にいるかもしれないという。そんな二人が警戒しつつ進む間もなく、周囲の闇が深くなる。そうして、低く唸る音が響き始めた時、二人の姿はヴェルエル世界からかき消えていた。

 異世界人の二人ならば、一時帰還後にどの世界への移動も可能なユベトル異国人収容所。その収容所は、ユベトル統治者の出身地スフォルチュアにあるという。
 異世界人の危機だけは、一旦『バウム』に帰還することで解消できる。表出場所も、アイテムも、その能力すらも、『バウム』を通じて新たになるのだ。しかし、その収容所に残る者たちの危機は、変わることはない。異世界よりの来訪者が選ぶ道は、まだこれからだった。
《N24/5の月26日/2:30》



○エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所《K14/5の月30日/16:00》
 エルセムにおいては異端の者として周知されてしまっているジニアス・ギルツとラサ・ハイラル。二人が捕らえられているのは、元研究所であったというエルセムのマノメロ異国人収容所である。

 捕らえられているジニアスとネコのぬいぐるみとに、『赤いカプセル』を飲めと言ったのは収容所係官だった。無表情の係官が、“
飲み終わってから、尋問を始める。……逃げられるなどとは思わぬことだ”などと言ったその直後、ジニアスらの姿はかき消えたのだ。
「……!……」
 無表情のまま言葉のなくなる係官。しばらくそのまま立ちつくした係官は、再び動きだすまでに多くの時を費やしていた。

 収容所係官が立ちつくしていたのと同じ時刻。
「ま、これで、当面の心配はない、か」
 エルセム勢力圏にあるマノメロ異国人収容所の郊外の現れる一人の青年がいた。そんな青年が着るフードのついたベストの中にはフードの中には白く丸いものが収まっていた。

 可憐な容姿をした青年ジニアスと一見普通の少女ラサ。そんな二人が話し込むのは、恒例の『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』内である。
「うっわー、また窮地ってカンジだね! ジニアスなんか、ヤバイ薬飲まされそうだし、どうしよっか?」
 明るく言うのは、体が半分透けた少女ラサだった。そんなラサの表情を見ながらジニアスは思う。
 『……『赤いカプセル』の薬の影響は、俺の持っている『浄化の印』で打ち消せるだろうし、薬飲んで尋問に付き合うってのも良い案だと思うがー』
 その案については、ジニアスが口にすることなかった。ラサが怒ることは知れていたからである。そんなジニアスの気持ちを知ってかどうか、ラサが言う。
「いっそのこと、ソルエのとこまで行く? あっちも大変なことになってるみたいだし」
 ラサはかねてより、セム宮殿のほとんどの人が、ソルエの指示よりゲイルの意見を尊重している状態が気になっていた。
『あれじゃ、ソルエが可哀想だよ』
 力になれるものなら、ソルエの側にいて暗殺の罪をなすりつけられた異世界人クレイウェリアに助力したいと思ったのだ。
「その方法は、俺も考えていろいろ調査してみたんだ」
 実はジニアスは、ラサと相談するよりも早く、『バウム』の“具体的な移動方法”のサポートについて調査していた。
「結局、指定座標で経過してしまった過去の時間へは、“見に行く”ことしかできないんだよな。それで、見たあとは、自動的に『バウム』へ帰還することになるんだそうだ。見たあとにその場に残って“行動”する……っていうのができないんだよ」
 そんなジニアスの声に、どこからか、
 ××すみません〜××
 と応じる声が響いていた。
「ソルエを助ける手段も色々考えたけど良い案思いつかないし……」
「ジニアスが思いつかないんじゃ、しょうがないよ! それよりもボクたちには、ボクたちにしかできないことって、ありそうじゃない?」
 ラサとしても、ソルエは気になるものの、マノメロ収容所の謎を解明する必要性を感じていたのだ。
『マノメロ収容所のって、異国人を収容するところだけど、本当は何らかの実験をしているよ!』
 ラサの気合いで、ジニアスが自分たちの方向性を決める。
「じゃ、そっちは他の人に任せて、引続き二手に分かれて情報収集をするか」
 ラサも元気よく頷き、彼らによる計画がまとめられていくこととなる。
「前回の情報収集した感じだと、捕まっている人よりエルセム兵の方が“何か”の操り人形的な感じで重症だと思うんだよな。マノメロ収容所のどこかにそうなってしまった原因があると思うから、ラサにはその辺りを重点的に調べてもらえるか?」
「うん。具体的にどの辺りがいい?」
「そうだな。実験を行ってる部屋とか兵に指示を出している部屋とか」
「わかった!」
 即答するラサの後、ジニアスが腕をくんで考えをめぐらせる。
「……ただ、これまで通り、牢屋で捕まったフリをしているのはもう無理だから、俺が脱走して囮になって兵士を引き付けるか……」
「大丈夫?」
「俺? 俺の方は大丈夫だって。それにラサが探索しやすくするってのもあるし、次回は多分マノメロ収容所近辺の異世界干渉を排除できるから、エルセム兵を直ぐに戻れないぐらい収容所から遠ざけられれば、本格的にマノメロ収容所を探索するのに障害が大幅に減るだろうからね」
 そんなジニアスの説明に、ラサが感心する。
「さすがジニアス、だよね! 頼りになるよ!」
「それは成功したら、言ってくれると嬉しいかもな。じゃ、ヴェルエル世界では俺の方が先についているから、後で会おうな!」
「うん!」
 そして彼らは、緑の世界へと向かったのだった。

 こうしてマノメロ収容所の郊外に現れた青年ジニアス。
「ということで、ラサが収容所内を動き回りやすいようにマノメロ収容所の郊外に出現したわけだけど……」
 ジニアスが現れた場所は、遠くにマノメロ収容所の白い頭頂部が見おろせる場所だった。元研究所であったという収容所は、高い壁で囲まれているものの、その周囲には一軒の民家もない。ただ緑の芝が大きく広がり、見晴らしのよい小高い丘が続く場所。それがジニアスの現れた場所であった。
「一応、ここは収容所の外、ってカンジだな。一応郊外なのに、ここまで何もない芝の野原っていうのは、かえって不自然だと思うんだけどな。やたらに見晴らしも良すぎるしな……」
 そんなジニアスは何者かの襲来に備えて、首・肩・腰と、上から順にほぐす軽い柔軟を始める。ジニアスのフード部分に入っている白く丸い物体が、動きにあわせて飛び跳ねた。白い物体は、『バウム』で用意してくれる白衣をまるめたものだった。そんな彼らの姿を見咎める者が現れる。
「そこにいるのは誰だ!」
 男の誰何の声に、ジニアスが胸をはってみせる。
「え? この俺たちを知らないの? 俺の顔ってまだ知られてないのかな?」
 ジニアスに問われた男の動きが固まる。
「……ボディデータ……SAクラス指名手配犯……二体……捕縛確認……不能?」
 その声を聞きつけたジニアスがわずかに驚く。
「へぇ。俺たちって、SAクラスなんだ。これで重要度は、“消失事件に関る重要危険人物”だってぬれ衣けられたトリスティアと一緒なんだな」
「!? ……“消失事件に関る重要危険人物”の仲間なのか!?」
 ジニアスを問い詰める男の問いに、ジニアスは一瞬考える。
 『この男の白衣の形からして収容所管理関係者じゃなくて、軍の警備兵の方か。トリスティアと知り合いといったら、知り合いだよな。いろいろ協力してる関係だし……だけど、まあここでそれは教えてやる必要はないよな』
 そうして不敵な笑顔になったジニアスは言う。
「さあね。だが、重要度だけは、その危険人物を上回ることを教えてやるよ!!」
 実際、重要度が上回るかどうかはともかくとして、ジニアスは派手な口上をあげる。
「マノメロ収容所のどんな奴が来たって、この俺の剣には適わないからな!!」
 言葉と同時に、ジニアスは自分の背に黄色に広がる翼を現す。そして、手にしたサンダーソードから雷を放ったのだ。その雷は、警備兵を直撃せず、兵の足元近くに落ちる。ジニアスには、それで十分だった。
「ひっ!! ば、化け物!? と、とにかく……っSAクラス手配犯による犯罪予告! 至急、関係者の増援を願う!!」
 とたんに、ジニアスと対峙していた警備員は弱腰になり、増援を願う悲鳴を上げた。
『悲鳴の報告か……収容所の人間とはカンジが違うな。おそらくは、エルセムのセキュリティシステムに報告と確認をしているだけなんだろうな』
 ジニアスは、自分のたてた“少数では対処できないと思わせる策略”に成功した後の行動に移る。
『あとは、俺ができるだけひきつければいい! ラサ、頼むよ!!』
 適度に魔剣技で雷による威嚇をしかけつつ、ジニアスは軽い動きで飛び上がった。

 ジニアスがヴェルエル世界に現れた翌日の同じ刻。
 エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所に現れたのは、異世界の少女ラサだった。
『……結局、ジニアスがどうなってるのかまではわからないけど……とにかく、今回はいけるとこまで行こうっと』
 ラサが現れた場所は、前回自分が電気的なショックではじかれた研究室らしき場所だった。同じ場所では、昨日と同じ研究員が端末に向かっていた。研究員は、突如現れたラサの気配に気づくことなく、作業に没頭している。
『んー、こんなに無防備なのはもったいない気がするよね。でも収容所内の人に憑依するのは難しいみたいだから今度は、見つからないように慎重に行動しないとね♪』
 そう思いながら、ラサは研究員の操作する端末をのぞいてみる。けれどその端末に表示されていたのは、ラサの知識では理解できないものだった。
『うーん。○とか=とか、……そういうのがいっぱいだよね。何だかよくわからないや』
 研究員の手元を見ていたラサの目が、研究員の切り替えた画面を見て固まる。
「え? ジニアス!?」
 思わず叫んでしまうラサ。ラサが見たものは、寝台に横たえられたジニアスの体。眠らされているのだろう、寝台に体を固定されているというのに身動き一つしていない。
「一体、どういうこと!?」 
 ジニアスは、ラサが行動しやすいように警備兵を引き付けておいてくれるはずだったのだ。確かに、ジニアスは警備兵をひきつけることには成功した。けれど、暴れるジニアスを捕縛するために、深夜に投入されたものは別にあったのだ。
 一方、叫んでしまったことで潜んでいたはずのラサに研究員が反応してしまう。
「不法侵入者発見……照合データ……なし」
「やっば!」
 ラサは、とっさに近くにあった扉に『完全同化』を果たす。
『これで、データが取られたかどうかはわかんないけど……んー、ま、いっか』
 言葉では軽く言うもののその後のラサの行動は慎重だった。施設内の研究員と思われる者の後を気づかれないようにつけな始める。そんなラサはまずは、実験に使われているのかもしれないジニアスを探していた。しかしラサは、ジニアスのいる実験室をみつけられないまま探す過程で見つけたのは、モンスター化しつつある人間たちだった。
『うっわ! やっぱりこの収容所って、モンスター製造所なの!?』
 ラサが見たのは、『赤いカプセル』の投与を続けられた収容者が、研究員につれて行かれた先だった。毛深くなった体。成人した人間の体が、さらに大きくなり、形相は人のものではなくなる。そのモンスター化の経過別に、檻は分けられていた。
『収容されている人は、元気いっぱいだったのは、もしかしてこのせい!?』
 しかも、モンスター化しつつある人間たちは、研究員や収容所係官に対しては、とても従順な様子であった。
『で、何でか分からないけど収容所の係官とも仲がいいみたい……だった理由も?』
 確信までは得られないまでも、ラサは『赤いカプセル』の薬による変化であることは気がついた。
『……もしモンスターが足りなくなったとしたら……』
 その答えもわかった気がするラサ。
 この後も多くの日時を費やして、ラサは研究所の詳細を知り得る。すなわち、このマノメロ異国人収容所とは、収容所の名を借りたモンスター製造施設であったのだ。
『でも、このままじゃ、ジニアスだって助け出せないよ! どうしよう』
 そんなラサは、もう一つの疑問点を目撃してしまう。すなわち、研究施設の地下で見つけたのは巨大な一体の蛇だった。大蛇は、その体の中にモンスターを取り込むと地下を移動してゆく。ラサはその瞬間を目撃することとなる。
『このモンスターたちが向かう先って……』
 様々な事柄がつながってゆく。モンスター製造施設・そのモンスターを取り込んで運ぶ大蛇。それを命令しているのはおそらく……。
『でも、全部わかったって、ジニアス! ボクはジニアスが一番見つけたいのに!!』
 エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所における情報のすべてを得たラサの体がヴェルエル世界を離れたのは、6の月に入り、20日になってからのことであった。
《K14/6の月20日/16:00》

 一方、眠らされ、体を寝台に固定され続けたジニアス。彼が目を覚ました時、そこにいたのは見覚えのある青年の姿だった。
「ゲ! ゲイル・カイツァール!!」
「おやじギャグのつもりか? 笑えないな」
 ジニアスの前にいた青年はすました顔で言うと、自分の作業に没頭する。その背中に向かって、ジニアスは言った。
「俺を一体、どうするつもりだ……?」
「君の能力は、研究する価値が高い。それに君には、モンスターと大蛇とを大分減らされてしまった恨みもある。君のせいで、計画が大幅に狂ってしまったのだよ」
 ゲイルに言われて、ジニアスが過去の時間を思い出す。確かに、自分が深夜のアクロバット飛行で魔剣技をちらつかせていた時、兵に混じって現れた大蛇の集団に雷を放った記憶があった。
「そう言われてみれば、人間じゃない方には本気の攻撃をしたっけな」
 一体が倒せる程度のサンダーソードの雷は、密着していた大蛇の集団に途切れることなく走り抜ける。そして麻痺した大蛇集団に向けて、特殊能力を使い果たした剣とアクロバット飛行とで攻撃を続けたジニアスだったのだ。そう、ジニアスが捕らえられてしまったのは、深夜に現れた大蛇集団相手に力を使いつくしてしまったためであったのだ。
「……まあ、よいデータが取れたのでよしとするがね」
 その一方で、ゲイルはジニアスが陽動作戦時の能力に、興味を持ってしまったのだ。そしてこの時のゲイルは、クレイウェリアとの確執も重なり、異界の力探求に執念を持ってしまっていた。そんなゲイルに、ジニアスは問う。
「じゃ、念のために聞くとくけど、ここはどこで、何月何日かい?」
「答える必要性を感じないな」
「そっか、ならいい。どうせすぐにわかるさ」
 ジニアスがゲイルに応えた時、彼の姿はヴェルエル世界から消えていた。
《J06/6の月20日/16:00》 

 それぞれの場所での目的を果たした異世界人ラサとジニアス。二人は『バウム』を通じて再会できる機会を得る。その二人がヴェルエル世界に現れる時はいつになるか、そしてどの場所に現れるのか。その行方はまだ誰も知らない。


○エルセム首都セム宮殿《J06事件中心地/6の月10日/12:00》

 エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァール。そのソルエと二度目の会見の機会を得た異世界人の乙女クレイウェリア・ラファンガード。しかしクレイウェリアは、その会見中にソルエを害するという無実の罪を被せられてしまう。そのソルエの生死は未だ不明のまま、クレイウェリアには即時射殺の命がソルエの義兄ゲイルより下される。だが、クレイウェリアを狙った銃の一斉射撃は目標を失って空を切ることとなる。
「な、何が?」
 クレイウェリア消失にどよめきがあがり、ソルエの義兄ゲイルがそれを収拾しようとした、その瞬間だった。
“グオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!”
 圧倒的な熱波が、居並ぶ衛兵達に向かって吹き荒れた。
「が、がはっ!」
「い、息がっっ苦しい!」
 そして熱波とともに炎が立ち込め、その炎の中に竜の姿をした怪物が浮かびあがったのだ。その衝撃と驚愕とが、兵士たちの理性を奪う。
「ほ、本物のモ、モンスターだっっ!!}
「逃げろ!!」
 兵士たちは悲鳴を上げて会見の間から飛び出してゆく。
『牽制は成功だね!』
 にやりと笑ったのは、炎のブレスを吐き出す乙女クレイウェリアであった。クレイウェリアは、銃撃を避けられる時間と、兵らに隙ができる刹那の時間を計算してヴェルエル世界へ戻ってきていた。出現と同時に『竜珠」』の力を開放し、竜の血を覚醒させた炎のブレスが、会見の間に広がったのだ。
 だがこの混乱の中、ただ一つ別の方向に動く影があった。ソルエの義兄ゲイルである。ゲイルは、ソルエに向かって駆け寄ろうとした。一見するだけならば、モンスターから義妹を守る献身的な行為に見える。だが、そのゲイルの手には鋭い刃物が握られていたのだ。そのことを、竜の血を覚まさせたクレイウェリアは見逃さなかった。
「そうはさせないよ!」
 ソルエをこのままにしておく事は、忙殺されるのを見過ごすことになるとクレイウェリアは読んでいた。しかし、ゲイル自身が直接ソルエに手を下すまではしないと読んでいたのだ。けれど、ゲイルの思惑はソルエの息の根を完全に止めることにあったようだ。
「トドメでもさす気になってたのかい!? あんた、人間としちゃ最低だね!」
 クレイウェリアの吐き出す炎のブレスが、ゲイルの白衣を炎に侵食させる。
「く、ここまでなのか!」
 歯がみするゲイルの身を守るかのように、黒い陰がゲイルの周囲を包み込むと炎を吸収してゆく。その様子を見たクレイウェリアは、はきすてるように言う。
「あんた、ただの人間じゃないようだね! けど、今はあんたにかまってる暇はないよ!」
 事ここに至ってはゲイルの思惑も気にならないクレイウェリアではなかった。だが、それを問いつめたり調査する以前にしなければいけない最優先事項が、クレイウェリアにはあったのだ。
「あたいは、何が何でもソルエの命を救うよ!」
 クレイウェリアが覚まさせた竜の血は無限に呼び出せるものではなかった。別の衛兵たちが現れる前に、ソルエをつれてこの宮殿を脱出する必要があったのだ。クレイウェリアは、自分とソルエの現在位置と脱出経路の窓を確認し、拳に気合いを込める。
「いくよ! 『クレイウェリア流土石魔体術』」、石材床めくり!!」
 その一撃に、防御力のすべてをこめたクレイウェリア。宮殿を形作る堅牢な石板が、クレイウェリアを中心にして植物素材のようにめくれ上がる。そしてクレイウェリアとソルエ、そして脱出路を結ぶラインに誰も侵入できないよう防御壁を形成したのだ。
「ソルエ!」
 大量の出血があるソルエの体を、できるだけ負担のかからないように抱き上げたクレイウェリア。その体に触れる部分から、ソルエの体温が下がり始めているのがわかる。
『急がないとな!』
 ソルエを抱き抱えたまま、クレイウェリアは一気にて窓を破って外に飛び出した。そして『竜珠』の持つ『竜の血』の力の残り全てを竜翼にそそぎ、飛行速度を向上させて逃走を開始した。そんなクレイウェリアの背後からは、
「義妹を異世界人に連れ去られた!! このままでは異世界人に何をされるのかわからないぞ!! そうなれば、義妹は義妹ではなくなってしまうかもしれない!」
 と、ゲイルの計算高い叫びが聞こえて来る。クレイウェリアは、『役者だねぇ』とゲイルに口笛を吹いていた。
 ソルエ救出に成功したクレイウェリアは、先ず追っ手をまく為に、一度あらぬ方向に飛んで行く。そして方向転換の後、森の深い茂みの中に入り込み、ソルエの止血を試みる。
「心拍が遅くなってきてる……急がないと」
 ソルエの心配もさることながら、クレイウェリア自身も人としての限界を感じ始めていた。『竜珠』を使うことによる『竜の浸蝕』が始まろうとしていたのだ。クレイウェリアは、『竜珠』の力を収めると、木々の間をぬって超低空飛行を始める。そして着地点を悟られないように移動したクレイウェリアが向かった先は、かつてクレイウェリアが世話になっていたエルセム首都郊外にある住人代表のゼフの家であった。
 
 いきなり重傷のソルエを抱えたクレイウェリアが現れた時、何事が起きたか解らないゼフは呆然とする。
「こ、これは一体!?」
 このままでは出血死もまぬがれないのは、一目見ればゼフにもわかった。そんなゼフに、クレイウェリアは一応事情を掻い摘んで説明する。その上でソルエの治療と身柄を保護、隠匿し、誰にも引き渡さないで欲しい旨を伝える。
「もし、あたいがやったと思うならそれでも構わないさ……でも、今は先ずソルエの事を助けてやってくれないか」
「わかりました」
 ゼフもまたクレイウェリアがソルエと会見を持つために一役かった経過もあり、すぐにクレイウェリアの言葉を信用してくれた。そして、自分の家に常備されてあったのだろう通信装置の調整に走った。
「わが家にあるのは、この周辺の自警団に情報を知らせる“生体索敵機”の中継装置です。セム宮殿から発されるセキュリティシステムの位置情報などが、この装置から自警団の住人に電送されるのです」
 ゼフは、その装置を切るのではなく、特殊な操作をして情報の遮断を行っていた。
「実は……この郊外のエル街は、ゲイル様の提唱する“生体索敵機”の運用には……消極的な姿勢を貫いてきていたのです」
 それでも、モンスター襲来を頻繁に受けたエル街は、モンスター対策のために“生体索敵機”の運用を一部受け入れ始めていただ。その受け入れ部分は、ゼフなりに検証し、かなりの制限を加えたものであった。
「まさかソルエ様の義兄であるゲイル様がそのようなふるまいをなさるとは……」
 ゲイルの危険性を気づいたものの、ゼフにはエル街の住人を守る責任もあったのだ。
「エル街住人に害のない限り、できる限りのことはさせていただきます。しかし、いずれソルエ様を異世界の方に守っていただかねばならぬ時がくるかもしれません……その時は……申し訳ありませんが……ソルエ様をお願いさせてください」
 ゼフにかえって頼まれてしまったクレイウェリアは困惑顔になる。
「わかった。その時は、あたいもソルエを迎えに来るよ! まずは、傷の手当てを頼む! あたいは追手を引き受けるから」
 追っ手がやってくる事でエル街に迷惑がかかる上、ゲイルにソルエを奪取される可能性が増えるのをクレイウェリアは一番危惧していた。早々に首都郊外のエル街を離れるクレイウェリア。そしてエル街から大分離れた所でワザと追っ手に発見されるべく行動を開始する。ゲイル側の関心をクレイウェリア自身に向かわせようと計ったのだ。
『ゼフ! ソルエを治療してゲイルの魔手から守ってくれよ! あたいは、ソルエが快方に向かうまで、一人でも多く追っ手をひっぱり回してやるから!!』
 捕まるか捕まらないかといったギリギリの追跡劇を展開し、ソルエの命をつなぐ時間を稼ぐクレイウェリア。そんなクレイウェリアが疲れ果ててヴェルエル世界を離れたのは、生死をさまよったソルエの命が取り留められた頃であった。
 
 エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァール。そのソルエを害するという無実の罪を被せられたクレイウェリア。そのソルエはクレイウェリアの手によって、エルセム首都郊外にあるエル街の住人宅にかくまわれることとなる。命は取り留めたものの、未だその命は、義兄ゲイルに狙われているだろう。そのソルエの命を守れるのは、今はまだ異世界人だけなのであった。
《J06事件中心地/6の月20日/12:00》


○エルセム村落シラセラ村《I05/6の月11日/9:00》
 シラセラ村を中心にモンスター退治を続ける異世界の少女の名はトリスティア。鮮やかなはちみつ色の髪が印象的なトリスティアは、『はちみつ色の少女』の異名を持ち、エルセム勢力圏においてモンスター退治の救世主として敬意をもたれ始めていた。そのトリスティアが、シラセラ村村長クニミと話し合っていた頃、エルセム“中央”では統治者ソルエ傷害・誘拐に関る事件が進行中であった。

「“中央”は、モンスター襲来は自分たちに都合がよいと考えているのではないでしょうか……」
 クニミは“中央”とは、現統治者のソルエのことを差すのではないいと言う。クニミの言う“中央”とは、エルセムにセキュリティシステムを構築したソルエの義兄にして『生体機械工学』の第一人者、ゲイル・カイツァールを中心とした組織を差すのだと。そのクニミの目の前で、一瞬だけトリスティアの姿が消える。けれどそれは、瞬きをするほどの間であった。再び、何ごともなかったかのように同じ姿で現れるトリスティアに、クニミはにっこりと歓迎の笑みを浮かべる。
「お帰りなさい。わたしは、あなたが帰ってきてくれると信じておりましたよ」
「あれ? 知ってたの?」
 きょとんとするトリスティアに、クニミは微笑む。
「知っている、というわけではありませんよ。ただ、わかるのです。この自然の流れと同じように……あなたも別の流れの中にいるのでしょう?」
 そう言ったクニミは、トリスティアの手をしっかりと握る。
「きっと、あなたはその流れの中で、どこにでも行けるのでしょうね……けれど、あなたはまたここに戻ってきてくれることを選んでくれました。だから、お帰りなさい」
 そして、深く青いトリスティアの瞳を見たクニミは言う。
「この場所を選んでくれて、嬉しいですよ」
 クニミの言葉に、トリスティアは今まで以上に自分ががんばらないといけない気持ちを強くする。
「ボクを信じてくれて、ボクも嬉しいよ! ねぇ、クニミ。ボクは、さっきクニミが言ってた“中央”は、モンスター襲来は自分たちに都合がよいと考えている……っていってたのが気になってるんだ」
 人一倍正義感の強いトリスティアは、多くの人を害するモンスターの襲来を、どんな形であれ“自分たちにとって都合がよい”と考えるような連中は、絶対に許せなかったのだ。
「ねぇ、クニミ。ボク、エルセム中央のことをもっと詳しく聞いてもいいかな?」
「もちろんです」
 トリスティアの確認する言葉に、クニミは大きく頷いていた。
 
 “中央”の喧騒から離れたシラセラ村。素裸に近い人々が笑いさざめく声が遠く響く中で、トリスティアは真剣にクニミに問う。
「『森の村落と中央の関係』って何なのかな? それと『なぜ中央はモンスター襲来を都合よいと考えている』って、クニミは思うの?」
 素直な瞳で聞くトリスティアはさらに疑問をあげてみる。
「なぜクニミの言う中央というのが、ソルエではなくゲイルが中心になっている組織のことを指すの?」
「そうですねぇ……難しい話ばかりになってお恥ずかしいですけれどね」
 しばし考えたクニミは、静かに語り始める。
「もともとこの森の民は、エルセムの進化についていけない者たちが集まりました……今から150年前にエルセム統一を果たしたセイム・カルツァールの許可を得て、です」
 それまでは、エルセム勢力圏もユベトルのように小国の集まりであり、戦いの絶えない土地であったという。そして、この森の自然を守るという名目の元に、この森が開放され、同じ主義を持つ者たちがそれぞれに村を作り始めたのが始まりだという。
「自治権は、その時に自然発生的に得ていたものでしょう……特に書面などはございません。エルセム勢力圏の政治や技術の進化に口出しはしない代わりに、森を守ることで勢力圏の一員という責任を守ってきたのですから」
 自然を守る者と進化を選ぶ者との不可侵の分化。それが、トリスティアの問う『森の村落と中央の関係』というものであったらしかった。
「中央は、モンスター襲来の度にその自治権の放棄を通告しております。モンスターに対応できないわたしたちは、森を守る意義を喪失しているのだそうです。守れないのならば、進化の道へ進めというのでしょうね……」
 実際、クニミは得体の知れない文明の機械を快く思っていなかった。当然、脳に直接情報伝達する“生体索敵”などもってのほかであったのだ。そしてクニミは、トリスティアの最後の問いに答える。
「“中央”がソルエ様をさすのではないのは、ソルエ様は進化の道へ進めなどとは決して言わない方なのを知っているからですよ」
 そしてクニミは、昔を懐かしむように表情をなごませた。
「ソルエ様がお小さい頃は、お母様とご一緒に、この村に住んでいらっしゃったのです。前エルセム統治者ゼドムス様に呼び寄せられるまでは……」
「えーっと、確か、ソルエって前エルセム統治者ゼドムスの養女で、1年前にゼドムスが死去後に統治者となったんだよね」
 トリスティアの確認する声に、クニミは肩をふるわせた。
「養女なものですか……実の娘のことをそんな風に扱う親があるものでしょうか……」
 様々な事情が飲み込めてきたトリスティアが、クニミの言葉に耳を疑う。
「え? ゲイルとソルエ、って実の兄妹なの?」
「腹違いではございますが……血はつながっておられますよ」
 事情はわからないものの、ソルエが正当な統治者の血統だということだけはトリスティアにもわかった。そしてクニミと一緒に、中央に対して今後どのように関わっていくべきかを相談したトリスティアは、一つの結論にたどりつく。
「とにかく森の各村落は中央に従わずに、これからも自治を守るべきだよ!」
 拳を握ったトリスティアが力強く主張する。
「詳しい方策は、もっと中央のことを調べてから考えるとして、当面は中央の兵士を村落に近づけさせないようにしようよ!」
 自分の考えを率直に言うトリスティアを、クニミは頼もしげに目を細める。
「そう言っていただけて助かりますよ。けれど……どうやって?」
 力ではエルセム兵に到底及ばない村の民たち。彼らを率いて、どう向き合うか考えあぐねるクニミに、トリスティアは明るい声で言った。
「具体的に中央の兵士を村落に来させない方法はね、ボクが一層モンスター退治に励むことで、兵士たちがモンスター討伐の名目で村落に訪れる機会をなくせばいいんだよ!」
 幸いにして、かつてよりもモンスターの襲来する回数は激減している。モンスター退治の連絡方法は今までと変わりなくても、様々な用意は必要だったのだ。
「だからね! シラセラ村の人たちにも協力してほしいんだ!」
 トリスティアの言葉は、クニミを通して村人たちに伝えられることとなる。今までトリスティアに助けられてきた者たちは誰も、それに反対する者はいなかったという。

 トリスティアがクニミと様々な情報の確認をさらに進め、準備を整えていた頃。エルセム“中央”では、名目上誘拐された統治者ソルエが生死の境にいた。その影響はシラセラ村にもどう関ってくるのかわからない。その情勢の中を、トリスティアはどのように行動するのか。動く世界の先を知る者は、まだ誰もいなかった。

《I05/6の月12日/12:00》


 様々な土地で、様々な人々、そして様々な事象に出会う者たち。
 彼らはまた『バウム』へと帰還する。
 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。
 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。
 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられている。

参加者有効技能一覧
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