脱出!

 神殿の西側。
 多くの者の去った小さな村に、新たな脱出希望の民と応援に向かう神官とが集まって来ていた。
「もはや刻がない……行く者は共に来られよ」
 幼女の姿をした神官長補佐役のルニエの指す先からは、バリアの効力も消えた外界から乾いた風が吹き付ける。先行した一団の戦闘の残り火香る旅路に向かったのは、異世界からの協力者ラティールとアルフランツ。そして90名を越える神官と東トーバの民300余名であった。

 これまでバリアの届いていた範囲を越えた地は、乾燥した荒野が続く。
 この地を前にした民の誰もが、東トーバの地を振り返ってしまう。
 そこにはまだ、鳥がさえずり緑の大地が横たわる。
 帰りたくても帰れぬ故郷。
 荷物も何も持たず、心に多くの傷を抱えたまま振り返る人々の目に涙が浮かぶ。
 すすり泣く声の途切れぬ中、その静かな楽の調べは聞こえて来た。
 穏やかな音色。透き通る響き。
 心に染み入る楽を奏でるのは、黒ネコの耳と尻尾とを持つアルフランツであった。幼い頃より愛用の横笛を奏でつつ、アルフランツは思う。
 『苦しい旅になることはわかっていますが、少しでも人々の心に希望と安らぎを抱いてもらえるように……』
 アルフランツの演奏に、しばし心を癒された民は、再び苦難の道を進み始めていた。

「……貴公の笛の音には私も励まされた。名は何と申される?」
 アルフランツの横に立つのは、彼の背丈の半分もないルニエであった。
「オレ? アルフランツっていうんだよ。よろしくね」
 子供に笑顔を絶やさぬつもりのアルフランツ。そのアルフランツを見て、表情の乏しいルニエに微かな笑顔が浮かぶ。
「私を子供扱いするとは……大した者よの。アクア殿といい、異世界の者には驚かされるものよ」
 そうしてアルフランツと語らうルニエに、護衛役を自ら引き受けたラティールが声をひそめて伝える。
「……気をつけた方がいいよ。付けられてるね」
 彼らの視線の先には、先発の一団による戦闘の跡であろう焼け焦げた地面が映る。
「おそらくは警備兵の残党だろうね……様子をうかがってるけど……戦闘をしかける気はないみたいだ……でもこのままにしておけば、いずれは味方を呼びよせるよね」
 戦いを仕掛けられれば、単身でも迎え撃つつもりのラティール。しかし追っ手の数を増やす愚は、避けたいところである。
「追っ手は始末して来るよ! みんなは先に行ってて!」
 自らの世界ではハーフヴァルキリーと呼ばれる種族のラティール。背中に生える2枚の翼をひろげ、追っ手との距離を測って、一兵づつヒット&アウェイで切り捨ててゆく。その見事な太刀さばきに感心するルニエの横で、アルフランツは一つの事が気にかかっていた。
「……でもこれだけはっきりとした痕跡があれば、追っ手がかかったりしたらすぐ見つかってしまうよね」
「ふむ……この後発の一団の足跡もまたたどりやすかろうな……」
 白い眉をひそめるルニエの言葉を受けて、風術魔法を使うアルフランツが辺りに砂を大きく回せる。そうして戦いの痕跡と、一団の足跡を風で消し去ったのだ。
「全部まではできないけど、砂で隠すくらいはできるよね」
 こうしてアルフランツによって先行脱出の足跡をも消し、アマラカンへ向かう一団が“行方不明者”となることに成功させたのであった。


合流への道筋

「……そろそろ後発の皆さんは、脱出された頃でしょうか〜」
 早駆けの馬を駆り、腕の立つ神官2名をつれて逸早く西への進路を取ったアクア。その途上アクアは、先発の一団を追跡している敵部隊を補足する。
「気取られないように付かず離れず追尾しましょう〜。敵が村人達に接触するようならば、背後から奇襲を仕掛けることもできます〜」
 同行の神官たちに、小声でこれからの行動を伝えるアクア。そんなアクアの言葉に、神官たちは信頼の視線を向けて頷いた。

 先行して脱出した一団。その一団の後方を守った異世界人のリューナもまた、敵部隊の存在に気づいていた。
「東トーバ圏脱出の際に警備兵に見つかってるし、全部を倒せたわけではないから……追っ手が来ることはわかってたけど……」
 生来黒色のコウモリ型の翼を持つリューナ。己の世界では神と呼ばれる種族でもあるリューナの暗金色の瞳が曇る。
「どの程度相手方に情報が伝わっているかが心配だけど……とりあえず、どこへ向かっているかはまだ知られてないみたいね」
 進行の遅い自分たちの一団の前に回り込もうとはしない敵。この様子に、リューナは団の先頭へと向かっていた。
 先頭を進むのは、背の高い青年ディックであった。そのディックに、リューナは言う。
「追跡部隊が付いて来てるわ。ある程度戦える者を少数選んで、戦えない人組とは別ルートを取らせて行き先をカモフラージュできればいいんだけど……」
 そこまで言って、リューナは考え込む。
「でも今の状態じゃ、戦えない人組が戦力不足になってとても無理よね」
「そうだな。戦えない人組の戦力か……精神防御壁を応用してさ、こんなのどうだ?」
 そう言ってディックが示すのは、“強い魔が現れた時でその魔を動けなくする”案の応用であった。まず、数人の神官が敵に向かって球のようなバリアを作って閉じ込めるというものである。
「……戦えない人組はオトリってことになるわね」
「オトリは俺がやるよ。戦って足止めするんじゃなくて口で足止めしてやるからさ。その間に、戦えない組がバリアを展開させて、一体一体を……って、とにかく敵を一箇所に集めなきゃ効果がないか」
 陽気なディックは、言いながら考える。
「そうだなぁ……俺が亜由香側に寝返りたいってでも言って集めしようか? こう見えても伊達にばっちゃんと言い争ってきわけじゃないぜ。口であいつらに負ける気はしないよ」
 その時であった。敵の奇声が後方から上がったのである。敵部隊は、一団の戦力が低いとみると、攻撃に転じたのである。
「残念! お互いに作戦はお預けみたいね! 非戦闘員を固めて精神防御壁で守ってくれる?」
「了解。神官たち、まずはバリアで村人を守ってくれ!」
 ディックの声に応えて、15名の神官たちが瞬時に周囲にバリア状の防御壁を展開させる。
「お? バリア展開が早くなってないか?」
 驚くディックに、神官の一人は言う。
「あなたのお陰ですよ。あなたの人柄とお茶とで、ここにいる神官たちの心身が安定してきたのです」
 この言葉に喜びつつ、自身も防御壁の強度を上げるべく防御壁を展開するディックであった。
 そのバリアの外に飛び出したのはリューナであった。
「村人がバリアで守られるなら、安心してアタシの術が使えるってものね!」 
 火炎系魔術の中でも広範囲型のものを得意とするリューナ。多くの敵を巻き込んで紅蓮の炎を燃やす魔力が、リューナの持つ『魔玉杖』に集中する。
「覚悟しなさい!!」
 リューナの魔力解放の瞬間。敵のさらに後方から、水氷を操る魔術が閃く。
「ブリザード!」
 相反する魔法が敵部隊の中央で融合した一瞬、無音となり、辺りの大気が固まる。
 続いて起こる水蒸気爆発の中で、生き残れる敵は誰一人としていなかった。

 この後、水氷魔術によって挟撃の形で援護したアクアが先行の一団と合流を果たす。
「まさか、これほどの威力になろうとは思いもよりませんでした〜。私も同行の神官さんがいなければ、危ないところでした〜」
 術者が魔法を使う時、自身が無防備になるのを、其々に味方する神官たちが守ったのである。そうしてのんびりと笑うアクアは、ルニエの一団が合流するべくこちらへ向かっている事を伝えたのであった。やがて、草木の育成を得意とする神官も多い後発の一団が、彼らに合流しようとしていた。

続ける