東トーバ崩壊

 神官の心が不安定な今、そのバリアの範囲は急速に狭まっていた。
 ディックが向かった先の神官長ラハは、君主に裏切られた衝撃が誰よりも大きな者であった。最低限の指示を出した後は、自室にこもってしまっていたのだ。今や、神官の分裂状態を収拾する気力すら失われた状態であったのだ。そんな神官長ラハの自室の側で、ディックは神官たちに呼びかける。その声が神官長ラハの耳にも届けとばかりに。

 外に居る神官や仲間達は必死の思いで戦っているのに
 俺達なんかさ安全なところに非難してるみたいなもんだぜ?
 情けなくないか?外で戦っている仲間は魔族と恐怖と戦っているのに
 神官や俺達は自分の気持ちと戦っているだけだろ?
 悔しくないか!?どんな思いだ!?外に居るやつらは前に向かって
 戦っているのに、俺達は立ち止まって何にもしてやいない!
 このままでいいのか!?そとの仲間のことなんとも思ってないのか!?
 なんとか言えよ!

 ディックの説得する声の後、神官長ラハが自室の扉をゆっくりと開く。
「ディック様……かつての戦いで……わたしは数多くの神官を失いました……国の人々も見殺しにしました……いつかは君主マハが再び立ち上がって、この戦いを終わらせるから……と。その時の為に、異世界からの助力があれば……それはありがたい事だと…………わたしは……君主マハと同じなのです……」
 誰かに頼らねばいられない者。その弱さを神官長ラハも持っていたのだ。
「今思えば……君主マハは、《亜由香》に戦いを仕掛ける事に積極的ではありませんでした……その理由がわかった今は……皆様に……死んでいった者たちに……そして今も戦っている皆様に何とお詫びしてよいか……」
 “立ち止まって何にもしてやいない”神官長ラハ。その状況さえも、神官長ラハを自縄自縛の罠に陥れていたのだった。

 一方、アクアは、補給食料の育成に回っているという神官長補佐役“ルニエ”を探していた。
 上空をくまなく飛ぶと、それなりに広い東トーバ。緑豊かな東トーバの上空を紅の翼で飛ぶアクア。その視界の先に、数十名の神官の集まっている場所があった。その中心で、会話している人物を見つけてアクアが降り立つ。そこにいたのは、一見幼女にも見える女性であった。幼女はアクアを白い瞳で見つめて言った。
「……私に何かご用か? 異世界の方」
 冷たく言われるのを覚悟していたアクアは言う。
「ルニエさんですね〜。自分たち異世界人もまた元の世界に戻る算段を失った以上、一人の「ムーア人」です〜」
 アクアの答えに、冷たかったルニエの声色がわずかに変わる。
「それは失礼した。ご用があるならば、申されよ」
「ルニエさんは、今、神官が分裂状態にあるのはご存知ですね〜。その理由も〜。この大変な時に東トーバ……ひいては人間同士が諍いを起こしてしまうのは良くない事だと思います〜」
 アクアは、ルニエの側に控える神官たちを見回す。その中には、この時刻、バリアを張らねばいけないはずの神官の姿が混ざっているのを、アクアは見逃さなかった。
 「そもそもあなた達はムーア世界のこの事態に対して、一体何をしていたんですか〜? 君主マハは、結果こそ悪かったけれどムーア世界の為に色々手を尽くしてらっしゃったようですが〜?」
 君主マハに離反する者たちを前に、アクアは穏やかでいて鋭い言葉をつむぐ。
「結果だけを見てマハの所行に憤る資格はない事と思います〜今、敵がますます強くなっているらしいこの情勢、みんなで一致団結して事に当たらないと東トーバは敵に蹂躙されて滅びの道を突き進むだけですしね〜」
 アクアの指摘を受けたルニエが苦笑する。
「いかにも……その通りであったな」
 そしてルニエは神殿にいなければならない神官を一喝する。
「戻られよ! 為すべきことを為せぬ者に、正道を説く資格などないわ!」
 そして神官を送り出した後に、ルニエがアクアに神官流の会釈をする。
「貴公には世話になったな。名はなんという……?」
 この時、東トーバの一角に火の手が上がった。そして押し寄せる雄叫び。その中心には、修羅族の長、邪鬼がいた。
「キーヒヒヒヒヒ! バリアがはってないところがあるたぁなァ! 異世界人は逃したが、今度は東トーバの人間を血祭りヨ!!」
 東トーバの人々の断末魔の声が、響き渡る。
 戦いが始まる。


戻る