ピストン・マン

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★

 外はざあざあ降りの雨。
 ふと旅先で立ち寄った『ナヌカ村』の小さな教会で、ジュディ・バーガー(PC0032)は老騎士ドンデラ・オンド公の冥福を祈っていた。
 眼をつぶれば公の愛馬ロシュナンテとして流浪の騎士に従った冒険の日日が脳裏に蘇る。
 懐かしくて大切な思い出。
 でも少しだけほろ苦くもあった。
 日頃から底抜けに明るく、精神的なタフネスを誇るジュディでも、やはり喪失感は拭えないものらしい。
 最後のツーリングは真っ赤な夕日に包まれ、その印象的な光景が瞳に沁みた。
 そういえば、元従者であるサンチョ・パンサは元気だろうか。
 あれからシューペイン領の教会で寺男となり、ご老公の菩提を弔い続けているはず。
 冒険の合間にでも会いに行こう。
 もちろん墓参りを兼ねてだ。
 祈りの中でそこまで考えて、ふとジュディは喧騒に気がついた。
「WHAT?」
 なんだか教会の外が騒がしい。
 礼拝堂への玄関の扉が開くと、わっと大勢の慌てふためく人間達が我先にと入ってきた。
 雨に濡れた者達はこの村の民や子供達もいれば、兵士達もいる。
 何十人もの人間達が走りこみ、最後に白衣の男と立派な身なりの男がやってきた。
「どうにか出来ぬのか!? お前は!?」
「『あれ』の電子頭脳は狂いながら自律的に動いていますです! もう外部からの電波を受けつけませんです! 燃料が切れるまで動き続けるでしょう!」
「燃料はいつ切れるのだ!?」
「生憎、実験開始前に高純度アルコールを満タンにしてしまったので今の効率だと半日近くはもつような……」
 村の小さな教会へ逃げ込んだ領主と『平賀幻代』はびしょ濡れのまま、そんな大声を交わす。
 雷鳴が聞こえる。
 ジュディは感じた。
 今、この村で何かが起ころうとしている。
 教会の外から機械的な足音と破壊音が聞こえてきた。

★★★

(――時が少少さかのぼる)
「ところで兄ぃ。そのロボなんちゃらは、話に聞くゴーレムの親戚みたいなもんでっか?」
 虫歯だらけになった口の中みたいな村の景色。
 会場となる荒れ果てた古城には、すでに一〇〇人を超える野次馬が集まり、そうした有象無象に暇を持て余す一柱と一匹も溶け込んでいた。
「ゴーレムに似とるけど、魔力を使わんとこがちゃうねん。内燃機関とか電池とか、科学の力で動くわけや」
 ポップコーンを頬張るビリー・クェンデス(PC0096)は、話しかけてきた合成魔獣レッサーキマイラに答を返す。
 この村でいわゆる戦闘ロボットの起動実験が行われるらしい。
 そんな怪しげな噂を嗅ぎつけた座敷童子と合成魔獣のコンビは、酔狂にも辺境のナヌカ村を訪れていた。
「はあ。難しい話でやすなあ。そのカガクは……異世界の錬金術でしたっけ」
「当たらずとも遠からずやな」
 既に十八番のアイテム『打ち出の小槌F&D専用』で周囲の野次馬を巻き込んで大宴会に突入している彼ら。
 呑めや歌えや浮世も忘れる戦国舞台♪と大騒ぎし、居並んで規制している会場警備の兵士達から、無言の威圧で叱られてしまう。
「どうですかな。この機体は」
「随分と強そうな外見であると認めるが、どうなのだ、性能の方は」
「それはもう、領主様を満足させるには十分すぎますです」
 最低限の兵士達と大勢の野次馬に見守られながら偉そうにふんぞり返る高貴そうな身振りの男の横で、丸いサングラスをかけた白衣の男が猫背のまま、不敵な笑みを浮かべている。
 白衣の男、平賀幻代が手元のプロポ型コントローラーを操ると、その黒い巨体が翼の様な排気管から白い煙を噴き出した。
 駆動音が大きくなり、共振する装甲の音まで高めて歩き始めた。
 それは円筒形の腕を持ち上げると、指のない砲丸みたいな拳を前方に向けた。
 ピストンの様になっている腕が白煙と共に眼前にある城壁を殴りつけた。前方にスライドしたパンチは三〇cmも厚みがある石壁を粉砕した。
 野次馬や兵士が感心した声を挙げた。
「おお! こいつは凄いな!」
「でしょ、ましょ?」
「で、こいつの名前は何という」
「名前ねえ……」
 幻代の頭上で、それまで薄曇りだった天候がにわかに急変してきた。
 黒雲が天を覆って太陽を完全に隠し、近辺からゴロゴロと不吉な音が鳴り響き始めた。
「あれ。降ってきやしたぜ、兄ぃ」
 傘もないレッサーキマイラがかざした肉球に大粒の雨の雫が落ちてきた。
 いきなり大粒の雨が激しく降ってきた。
 いつのまにか天上を占めていた暗雲からの雨はひっきりなしに人人の頭を叩く様になっていた。
 兵士達の硬い革鎧の表面で雨音が音を立てて弾ける。
 宴会は解散だ。野次馬の九割ほどが雨を避けて、近くの『ナヌカ村』に逃げ込んでいく。
「やばい! 撤収! 撤収だ!」
 ロボットは最初に首を巡らして眼の位置にあるカメラで幻代の姿を確認すると、機体全体を旋回させながら歩きだした。
 城の残骸である壁の名残をよけ、二足でギクシャクと歩く。
 関節の隙間から侵入した雨水によって、身体のあちこちから紫煙と共にパチパチと火花を放ち始めた。
 と、その時。
 頭上の黒雲から一条の紫電が走った。ほぼ直下にまっすぐ落ちたそれは暗天とロボットの頭頂にある棘を結んだ。
 生木を裂く様な物凄い轟音。
 黒い騎士は一瞬、眩しく白く輝き、見ている者達は全員、機体が爆発したのだと勘違いした。
 雷鳴と土砂降りの雨の中、ロボットは落雷のダメージで装甲の黒い塗料が焼き?げながらも原形をとどめて立っていた。
 背からの白煙が灰色に濁っている。
「ワ……ワタシハダレ……ワタシハナンノタメニソンザイ……スル……」
 ロボットは合成音声で発声した。
「……ワタシハハカイスル……」
 無造作に水平に伸ばされた左手のピストン・パンチがそこにあった城壁を砕いた。
 そして、その横の太い石柱も連打して破壊する。
「ちょっと待て! 止まれ! おい!」
 しかし焼きが入った様に鈍い銀色の輝きを帯びたロボットは停止信号を受けつけなかった。完全に暴走している。
 しっかりと幻代を見つめたまま、両手で周囲の壁を破壊しながら近づいてくる。むしろ、彼を追いかけるより、周囲の壁の破壊を優先している様に見える。
 神聖宗教の教会へ、領主や幻代、大勢の野次馬達が逃げこんだ。
 ビリーとレッサーキマイラも『神足通』で閉まる寸前の扉にとびこむ。

★★★

 激しい土砂降り。
 傘も雨具もない顔ぶれ。
 扉の閉まった教会の前では見知った顔が並び、教会へ迫ろうとしているロボットを遠方に見ながら、万全の態勢で待ち構えていた。
 近くを旅していたアンナ・ラクシミリア(PC0046)は破壊音と逃げてくる人達の喧騒を聞きつけ、ロボットが暴れているとの悲鳴に応じて駆けつけた。
「ロボットはいかにも頑丈そうでモップやナイフでは傷もつけられそうにありませんね……」
 厚く泥が引かれた地面にローラーブレードの轍を刻んだ彼女は、戦闘用モップを構えながら、雨滴越しに鈍重な人型の影を見る。
 その時、彼女の横に立つジュディは逃げ込んできた人人から事情を聞いていた。
 試験中の戦闘ロボットの暴走。
 ゆっくりナヌカ村を破壊しながら、この教会に巨体を進撃させている。
 いま一つピンと来ないが、このまま暴走ロボを放置しておくわけにもいかない。そんな事をしたら、天国のご老公に怒られてしまう。
 胸のポケットに仕舞ってある形見『厚紙製の護符』が彼女には頼もしい。
 土砂降りの雨に濡れながら、飄飄とした態度で待ち受ける。
「仕方ありませんわね。たまたま事件現場にいただけでも見て見ぬふりをしていた事が解ったら会社の評判に傷がつきますわ」
 濡れそぼる黒髪のクライン・アルメイス(PC0103)は手の鞭をしごく。
 被害を最小限に食い止める為に行動しようという彼女。特に人命救助を重視して住民避難を行おうとしている。
 既に部下を伝令に走らせ、ざっくりと周囲の地形を把握し、小道具を調達させていた。
「破壊による経済的な損失については、領主なり平賀幻代とかいう輩なりが責任をもって補填すればよいのですわ」
 クラインは真っ赤な唇に余裕の笑みを浮かべる。
 頼もしい仲間を眺めつつ、ジュディは役割分担として、仲間達に原因究明や解決策を任せる事にきめていた。
 彼女がすべきなのは、被害拡大を防ぎ、友人達が解決策を実行するまで時間稼ぎ。
 その為には尽力をする。出し惜しみはなしだ。
「あれぇ。みなさん雨宿りですかぁ」
 突然、気の抜けたサイダーの様な声がここに加わった。
「リュリュミアは壁際でひなたぼっこをしていたのですぅ。ロボットが追いかけてくるのですかぁ。それは困りましたねぇ」
 晴れていた時、この村の日向で日光浴をしていたリュリュミア(PC0015)は、まるで濡れるのが他人事であるかの様に雨の中で微笑んでいた。
 今は光合成よりも、植物の生育に必要な水を十分味わっているらしい。
「この危急の時において、あなたは……」
 呆れた声をあげるアンナには気づかずに、リュリュミアはゆらゆら〜と雨の中で踊る、
「それでは建物の周りにバラやツタの種をまいて成長させて、すっかり覆い隠しちゃうというのはどうでしょぉ」リュリュミアはロボットによる被害対策を提案した。
 早速、実行に移す。
 非力な腕によって種が投げつけられる。
 地面から濃緑の太いツルが伸び、生えた傍から村に残った様様な建造物を覆い隠し始める
「ところでロボットって誰なんですかぁ。……はぁ。体がきかいで頭がでんしずのぉな人なんですねぇ。もしかしてオクの仲間なんですかぁ」
 リュリュミアの理解に、他の皆はハッとした。
 羅李朋学園の元生徒会長、自我を持った人工知能だった亜里音オクを思い出したからだ。
 過去の邂逅で出会った彼女も、言わば暴走する機械であった。
 重なる所など何もないアイドルとこちらに近づいてくる鈍重なロボットが一瞬ダブって見える。
「ワ……ワタシハダレ……ワタシハナンノタメニソンザイ……スル……」
 関節部から火花を散らす名もないロボットは、合成音声を発しながら、すぐそばに現れた群生ツルによる壁を叩こうと腕を伸ばした。
 そのカメラはその茨のツルに咲いた白い花に気づいたのか。
「……ワタシハハカイスル……」
 破壊する物を見失ってまっすぐクライン達に近づいてくるロボット。
 皆は武器を手に、暴走する戦闘ロボを待ち受けた。

★★★

「あんさん、羅李朋学園の生徒やろ。それに巨大ロボットなら狂的科学研究部とちゃう?」
 ビリーは暴走ロボットを放っておいて逃げ込んできた領主と幻代に気づき、その無責任な様子に怒った。
「自爆ボタンは狂的科学者の嗜みやろ! それにアシモフの三原則はスルー禁止や!」
「……そんな事を言っても現実にはフレーム問題とか、人工知性には未解決の問題がありますしですし……」
 猫背に白衣を背負った男は、円いサングラスの内側で卑屈そうな声を出す。
 さっきまで領主の前で偉そうな事をほざいていたのとはまるで別人だ。
「偉そうな事を言うんやない!」
 ビリーの『伝説のハリセン』が幻代と、おまけに領主の禿頭にも炸裂した。
「あ、兄ぃ!」それを見たレッサーキマイラが大きな声を挙げる。「そんな奴らにくれてやるなら、わしらにもちょいとおこぼれをくだせえ!」
「やかましいわ!」
 ビリーはハリセンを構えた手を胸の前で組み、宙に浮きながら不貞腐れた。
 あのロボットは自爆さえ出来ずにただ破壊の限りを尽くしているのか。
 福の神見習いは、落雷のショックで人工知性に自我が誕生した奇跡に気づいていた。
 どうにか不意打ちでロボットを非常停止させ、自我の生じた電子頭脳を保護したい。
 そうも思ったが、果たして教会の外で待ち受ける友人達の活気はそれを許してくれるのか。
 
★★★

 降りしきる雨。
 精霊『ウネ』を呼び水として黒雲が自然に湧き、頭上に集まっていた。
 教会の外で壁に隠れながら、友人達が今にもロボットと接敵するのをマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は見守る。
 王家の密命により王女マニフィカは、この地に赴いていた。
 実は水の精霊ウネを召喚し、天候操作で落雷を発生させた張本人はマニフィカだった。
 その目的は戦闘ロボットの採用試験を失敗させる事。
 いわゆる妨害工作の実行役。
 何故、彼女はこの汚れ仕事を引き受けたのか。
 開発者の平賀幻代に自覚はないらしいが、野放図な戦闘ロボットの普及という彼の仕事は『ネプチュニア連邦王国』の諜報にいちはやく捉えられていた。
 ゴーレムに類似し、誰でも使える兵器としての凡庸性、生産性の高さは充分に脅威となりえるという未来予測。それに王家は危惧を抱いたのだ。
 仮にロボットが採用された場合、中世的な世界観のオトギイズム王国では地方領主間における軍拡競争を招き、社会全体の不安定要素を増大させるはず。
 スリラー事件の黒幕、故ジャカスラック侯爵の野心を忘れるなかれ。
 王国内部の不相応な武力は制限すべし。
 つまり予防措置として、王国は在野の一ロボット工学者の芽を徹底的に摘む事にしたのだ。
 ヒステリックとも言える対応。
 だがマニフィカは、王家の姫としてこの公務に逆らう余地がなかった。
「……止めてくれ」
 マニフィカは思わず彼女らしからぬ呟きをこぼしていた。

★★★

 クラインは接敵範囲に入った戦闘ロボットを冷静に観察している。
「見たところ高額な部品が使われているとは思えませんが、パワーは大したものですわね」
 時間稼ぎに小技を繰り出し続けるジュディとの様子を見ながら、クラインは判断する。
 ピストンパンチの空振りを連発する戦闘ロボットは確かに高価な機材があるとは思えない。全ては急ごしらえの間に合わせ品だ。流用も多い。
「精密なセンサーは搭載されていない様ですしカメラが弱点になりそうですわ。どう見ても小回りは効きませんし、搦め手で攻めるのがよさそうですわね」
「となると破壊よりも足止めを目的にするのが現実的ですが、穴を掘ったり罠を準備する余裕はないでしょう」
 戦闘用モップで打ちかかりながらアンナは、クラインの言葉に答えた。
 アンナの打撃はやはりというかあまり効いていない。
 クラインは周囲に黒いペンキを探しに眼を配った。
 しかし中世からさほど発達していないナヌカ村にペンキがあるのは見えない。
「では泥水を調達して桶に入れてカメラにかけましょうか。濡れたシーツを頭部にかぶせるのも手が使えないなら有効そうですわ」
 皆、ロボットに聴覚はないと踏んで周囲で作戦内容を話し合っていた。
 確かにロボットはそんな会話などお構いなしに両腕を愚直に振り回している。
「ロボットの人はハカイが好きなんですねぇ」
 眺めるリュリュミアはその様子を見ながらぽやぽや〜と感想を呟く。
 クラインは雨の中の大きな水たまりへ走った。近くに転がっていた木桶に泥ごと水を掬い取る。
 泥水をロボットの顔にあたる部分へ眼潰しを浴びせかける。
 ロボットのカメラはドロリとした泥まみれになった。しかしすぐに雨に洗い流されてしまうだろう。
 クラインは更に雨ざらしになっている村の洗濯物を探し出し、濡れたシーツを洗濯竿から引き剥がした。
 それを思い切り振って、ロボットの頭にかぶせようとする。
 四メートルもある戦闘ロボットの頭上から濡れシーツをかぶせようとするも上手くいかなかった。
 それでも端がかろうじて頭頂に引っかかり、前面にかぶさったのは上出来といえる。
 指のないロボットが関節部からの感電の火花を噴き出してじたばたともがく。シーツを?がす事さえ出来ない。
 狙い通り更なる感電を引き起こした成果に女社長は満足する。
 慌てている。そんな感じだ。
「よいですね! ではこのまま池まで誘導しましょう」
 アンナはもがくロボットを戦闘用モップで力強く叩いて刺激した。
 するとロボットの足がもがきながらアンナの方を向く。戦闘や破壊よりも彼女へ向かう動作が優先された。
 アンナはシーツの上からモップで叩き続け、近くにあった池へと誘導する。水に沈めるのは更に暴走する可能性もあって最後の手段だったが、今は絶好の機会だ。
 ロボットがギックリバッタリと鈍重な歩を進ませる。破壊行為を行わないのは感電のせいだろう。
「OK! ジュディも手伝ってインドゥーシング、誘導スルネ!」
 装甲に散る火花。『マギジック・ライフル』を連射し、ジュディもロボットの歩く方向を微調整する。
 泥を蹴散らし、手を前方にかざして二人を追うロボット。
 眼隠し鬼の成果は抜群に現れた。
 最後にアンナとジュディが進路から左右に退くと、鋼の巨体が池の縁を踏み越えて土砂降りの水面へ倒れこんだ。
 人の背の高さを越える、重い水飛沫。
 池は倒れた巨体が完全に沈むほど深くはなかったが、それでも防水仕様でない物の息の根を止めるには充分。
「ワタシハダ……レ……ピギーッ!」
 断末魔の様に全身から盛大な火花とスパークを挙げた戦闘ロボットが、一切の動きを停止させる。
 駆動音は止み、激しい雨の音だけがナヌカ村の風景に染みいった。
「あれぇ。ロボットの人、動かなくなっちゃったんですかぁ」見ていたリュリュミアは寂しそうに口に指を当てた。「いっしょに辺りをお花畑にしようとおもってたのにぃ。ハカイとサイセイはセットなんですよぉ」
 その言葉に応える者はいない。
 暴走する戦闘ロボットは倒された。
 水浸しの電子頭脳。
 終わってみれば楽勝な戦いだった。

★★★

 村の壁に隠れたままのマニフィカは見ていた。
 遠くから届いたリュリュミアの言葉は、彼女には耳が痛いものだった。
 マニフィカは自分がした行為を省みる。
 天啓を求めて『故事ことわざ辞典』を紐解けば『コギト・エルゴ・スム』という言葉が眼に入る。
 我思う、故に我あり。
 それは恐らくロボットに生じた自我を示唆してるのでは。
 再び頁をめくれば『杞人天憂』という地球の中国語の四文字。
 杞憂の語源でもあり、取り越し苦労を意味している。
 もしや妨害工作は過剰反応だったのでは。
 天候操作は一時的な現象である。だが、それが呼び水になってナヌカ村は土砂降りの豪雨に見舞われている。
 雨水に濡れたマニフィカは下半身が魚身に戻り、飛翔以外が不自由な状態に。
 歩く事は出来ない。
 気ままにここに現れたふりをして、友に会いには行けない。
 いや今更どんな顔をして会いに行けばいいのか。
 ……悩ましい。
 ――因果応報。
 マニフィカの脳裏にその四文字が焼きついた。
 いずれにせよ、なるべく穏便に事態の収拾を図る事が大事だった。
 試験の妨害自体には成功した。しかし落雷で自我が目覚めたのは全く想定外のトラブル。
 暴走しているロボットを止めねばならないのは解っていたが、友に言えない秘密を抱えた身にはこのまま表に出るのがためらわれた。
 ――。
 躊躇している内に戦闘は終了してしまった。
 今、マニフィカに出来るのは、壁際で息を殺してじっと身を潜める事だけ。
 友が気づかずにこの村を立ち去ってくれるまで。
 ――。
 豪雨は降り続けた。

★★★

 青空。
 やっと雨が止んだ。
 戦いが終わった事を知った皆は教会の外に出た。
 泥だらけの地面。
 ある部分は破壊され、ある部分は濃緑色のツタに覆われた村の景色がある。
「何や、終わってしまったのん」開発者である幻代と戦闘ロボットの停止方法を検討していたビリーは、思っていたより早く戦いが終わってぼやきを漏らす。戦闘の早期終了は目出たいのだが。「ロボットの懐にテレポートし、非常停止手段を実行しようと思っとったのに」。
「いや非常停止手段って具体的には何なんですますか」
「狂的科学者なら自爆装置の一つでも準備しとかんかい!」
 幻代のツッコミをいなしたビリーは、浮いていた足を下ろして泥に足跡をつける
 ビリーは暴走ロボットに亜里音オクを思い出している。
 以前に羅李朋学園を訪問して自我を有する人工知能『亜里音オク=学天即』に深く関わったが、あの時は助けられなかったのだ。
 今でも忘れられぬ苦い記憶。
 もしや今度こそとも思ったのだが、どうやら今度も叶わなかった様だ。
 大勢の野次馬達と一緒に池に倒れ伏したロボットを見る。
 こいつは、と言いかけてこのロボットには名前がついてなかったのを思い出す。
「これだけのパワーなら土木工事に転用すれば有効に活用出来そうですわね」池の縁に立ったクラインは既に後継機の運用に思いを馳せていた。「オトギイズム世界なら魔獣に襲われても自衛出来るというのもポイントですわ」
 クラインはロボットと幻代を高く評価していた。
「それにしても元羅李朋学園生徒による問題はどうしたものかしらね。人数が人数だけにすぐ大事(おおごと)ですわ。うちの会社でも、もう少し上手く運用出来ればいいのですけど」
 女社長の頭の中では計算が始まる。
 水際に屈みこんだジュディは伏したロボットの背を眺めながら、その鋼のアイデンティティに共感していた。
 とある食材がモチーフになった某スーパーヒーローは歌っていた。
 何の為に生まれたのか、解らないままで終わる。そんなのは嫌だ、と。
 自我に眼醒めたロボットが呟いていたアイデンティティの悩み。
 共感を覚えた彼女は複雑な心境だ。筋肉で判断してスカッと笑う、そんないつもの姿には見合わないほどに。
「いささかマッチポンプ的ですが、破壊された村の補修で土木工事の需要はありそうですし、あなたには責任を持ってこの村の補修に従事してもらいましょうか」クラインは誰よりも早く結論を出している。「土木工事用にロボットを改良するおつもりなら我が社の技術部が協力しますし、実績次第ではそこに採用してもよろしいですわよ」
「え。私の事ですますか!?」
 煙管を飲んで紫煙を吐いていた幻代が、直接自分に話題が振られた事に驚く。
「これは成り上がるチャンスですます……」
 思いがけない注目に幻代の顔が幸せそうに歪む。
 しかしその顔は悩みに曇った。
 首を捻って考え込んで、さんざん悩んだ末に残念そうに結論を出す。
「いや今回は就職を見送るですます……。もっと動けるロボットを作ってもっといい所に売り込むですます。自分の可能性を信じるですます」
 幻代が志を高くしたらしく、クラインの社員採用の申し出を断る。
「馬鹿馬鹿しい。何が可能性だ!」兵士達に囲まれた領主が、豪奢なタオルで濡れた身体を拭いながら憎憎しげな言葉を幻代に投げた。「こんなガラクタの騒ぎにつきあわせおって! どうせお前の作る物などこれからもろくでもない物に決まっておるわ!」
 領主の靴は泥を蹴った。
 泥は伏したロボットの背にかかる。
「人間が、機械の人間を作る事など出来はせぬわ! 偽物に心など出来るものか! お前はまだ怪物を作るつもりなのか!?」
 ふんぞり返って振り向いた領主の進路を塞いだのは、シリアスな顔をしたレッサーキマイラだった。
「あんたらには人に造られし怪物の心は解らねえ」
「ナニかっこつけてんねん!」
 ゴートヘッドとライオンヘッドに伝説のハリセンがスパコーン!と炸裂する。
「深刻ぶってないで炊き出しすんの手伝わんかい!」
「あ、待ってくだせえ! 兄ぃ〜!」
 ビリーの背を追ってレッサーキマイラはもたくさと走り始めた。

★★★

「あ、マニフィカさん」
 アンナは壁の裏に隠れていた彼女に気がついた。
 マニフィカはバツが悪い顔をしながら、親友達に会いに表に出てきた。

★★★