『十二支の結呪』

第四回(最終回)

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★

 寒風。
 斬りつける様な痛い風がヨシワラの街を吹き抜ける。
 雰囲気が暗く歪んだ大通り。
 近づくのは三十人の黒い烏異図忍者と三角木馬にまたがった奇態の美女。
 それを迎え撃つ者は巨乳美女の『甘い喘ぎ』という窒息に抗わなければならない。
 更に忍者軍団の先頭を走るのは全裸のくノ一。
 その手刀、足刀が首を狙って走る切れ味に挑まなければ勝利は得られないだろう。
 くノ一の名は銀紫(ギンノムラサキ)。玉露太夫(タマツユダユウ)の妹によく似るとされている少女だ。
 ヨシワラ自治隊である封魔忍軍も走る。
 クライン・アルメイス(PC0103)は魔獣の喘ぎ対策に自分の耳に布切れをつめ、外界の音を遮断した。いわゆる耳栓だが果たして効果はあるのか。
「色々と腑に落ちない事が残ってしまいましたわね。十二支に何か意味があったのかとか銀紫のお守りとか」
 手元に束ねた『電撃の鞭』をしごくクラインは、女豹の様に姿勢を低くして烏異図を迎え撃つ。
「さておき、余計な事に気を取られずに護衛の仕事に専念しましょうか」
 彼女は掌に隠し持った『小型フォースブラスター』で烏異図忍者を撃つ。
 当然命中すると思われた光速の射線を黒忍者がよける。握る掌の角度と位置で射線を見切っているのか。
 しかし回避までもクラインの計算の内だった。
「自治隊の皆さん、はっきり言ってここまでよいところありませんでしたわよ! 最後に意地を見せなさいな!」
 敵が人数で圧倒的優位に立っていると見たクラインは射撃で牽制して隙を作り、自治隊がとどめを刺させる様に立ちまわる。
 後に控えた自治隊の者達が投げられた敵忍者を三人、その刃の内に沈めた。
 だが。
『んっふ〜ん……!』
 まるで桃色の波状紋が見える様な魔獣『ヌエ・ボンテージガール』の甘い喘ぎ。それは一〇〇m距離を隔てて球状に広がる。
 それに飲み込まれた者達が窒息に苦しみ、足が止まる。理解した。これは心臓に悪い。
 荒縄で拘束された美女がまたがる三角木馬は地面の上をふわふわと浮く。それを背後に黒忍者達が突撃の最前線を築く。
 この魔獣がいる限り防衛側圧倒的不利。
 自治隊の者達が二の足を踏む。
 水切り石の如く跳んで突撃忍者の最前線をかわしたビリー・クェンデス(PC0096)。その離散的なスピードのままで一気にヌエ・ボンテージガールに肉迫する。
 確かに魔獣ヌエ・ボンテージガールの異能は脅威だ。
 しかしその効果範囲は半径一〇〇mくらい。つまり範囲外に出れば無効。
 もしかしたら前回のヌエ・ドラゴンと同じく陽動や足止めが目的か、とも座敷童子は思う。
 『神足通』でボンテージガールの背後に瞬間移動したビリーの手から『鍼灸セット』の針が消える。この技の名は『ニードルショット』。あたかも時代劇『必殺シリーズ』の様に零距離から針を首筋に撃ち込む。
「あかん! ミスった!」
 叫んで離れたビリーを追って桃色の甘い喘ぎが放たれる。
『んっふ〜ん……!』
 神足通によってきっかり一〇〇と一m離れたビリーが桃色の波状紋に捕まる。一メートルは誤差か。首を手で押さえて窒息による苦悶に耐えながら福の神見習いは地に落ちる。
 その一瞬を見逃さない烏異図忍者。黒い刃を構えて闇色の斜線が集中する。
「『乱れ雪桜花』!」
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)は雪と桜花が混じった吹雪を吹かせて、ビリーを中心に集まった黒忍者達の視界を奪う。
 真剣攻撃のないこの攪乱版が座敷童子の命を救い、アンナの手に抱かれて忍者の攻撃からビリーは脱出した。
 だが、素早い忍者がすかさずに追って跳ぶ。
 これに関してアンナはビリーを放り出し、真剣版の乱れ雪桜花で確実にその一人をモップで捉えて葬った。
 放り出されたビリーがまだ宙にある内に二度三度と繰り出された乱れ雪桜花が烏異図忍者を各個撃破する。
 ビリーの身体が放物線を描いて地に落ちる前に受け止めたのはジュディ・バーガー(PC0032)だった。
「サムラーイの偉い人が言いまシタ」ビリーを肩に担いだジュディはホッケーマスクをかぶった表情でチェーンソー『シャーリーン』を振り回した。「戦場の極意とは、ひたすら意識を闘争に専念させる事ナリ! まさしく単純明快な理屈、つまりシンプル・イズ・ベストの心構えデ〜ス。何処かの世界の鬼退治する人も全力集中とか言ってたヨ! ベリーテリング、とっても意味深いネ♪」
 躍りかかる黒忍者が宙にある内に、振り回された回転刃がその身体を叩き落とす。
 魔獣ボンテージガールの能力は、その対象を約六〇秒ほど呼吸困難に陥らせる事。
 単純ながらも効果的で厄介な攻撃手段だ。
 しかしながら、元プロアスリートの驚異的な肺活量に着目すべし。
 無論ジュディも例外ではない。
 スポーツ科学によれば、高強度の無酸素運動を持続できる時間は約一分から三分程度とされる。
 つまり約六〇秒ほど呼吸出来なくとも存分に暴れる事が可能なはず。
 ジュディは短期決戦を挑んだ。
 無酸素状態のままにチェーンソーを手にしてヌエ・ボンテージガールへ走り寄る。
「イピカイエェェェェェェェェェェェッ!」
 名は体を表す。魔法や魔術において象徴的な意味が重要とされる。
 ましてやデザイン原理のこのオトギイズム王国だ。
 おそらく魔獣ボンテージガールはマゾヒズム属性に相応しく、異常に打たれ強くて防御力が高いか、もしくは攻撃を受ける度に攻撃力が強化される可能性を予測。
 では、どうすれば?
 結論。三角木馬や荒縄やギャグボール等のギミックを破壊し、魔獣にとっての『プレイ』を中断させる。
 高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処し、敵の弱点を的確に見切って逆襲するのだ!
『んっふ〜ん……!』
 そんなジュディを桃色吐息の甘い疼きが正面から襲う。
 だが魔獣の甘い疼きが腹の底にもたらす快楽は、そのままジュディの闘争心への刺激に変換される。
 脳内物質が分泌され、いわゆるナチュラルハイと呼ばれる心理状態。
 彼女は怖いモノ知らずな無敵モードが発動されるが、それでも理知的判断を失わない。戦場慣れしているのだ。
 女傑は三角木馬の上で身をくねらす女魔獣にかかった。
 高速回転する鮫の歯の如き鉄爪。
 巨乳美女の身をくびらせていた荒縄がちぎれて宙に舞う。
 二度三度と甘い疼きを受け、ジュディは魔獣の攻撃は責めを負うほどに威力を増していくタイプだと看破。
 段段と窒息が生み出す苦悶の時間が強まっていく中で、ジュディは自分のランナーズハイがネガティブな方へとベクトル変換していくのに捕えられる。
 艶のない刃をひるがえす黒忍者が身の強張ったジュディを一斉に襲った。
 が、そのつま先が同時に止まる。
 クラインの鞭が弧を描く様に忍者の足の踏み場を荒したからだ。
「全く、せっかちな人は女性に嫌われますわよ」
 クラインの鞭はヌエ・ボンテージガールの首に巻きついた。そのまま喉を潰すかの様に締め上げる。
「今や!」
 たとえ一瞬の間でも呼吸困難に陥れば、気力も体力も大きく削られるのは必定。魔獣の甘い疼きが止まったその隙に、肩の上のビリーはジュディの肌を親指でグッと押した。お家芸の『指圧神術』で秘孔を突いて急速に体調を復活させたのだ。
 ジュディのチェーンソーを抱える腕が力を取り戻す。
 ヌエ・ボンテージガールは間合いをとる様に木馬を後方へ下がらせる。
 クラインは鞭の電撃を発動させた。
 肌表面に疾る紫電。ヌエ・ボンテージガールの全身が痙攣した。
 まるで跳ね馬の様に三角木馬が暴れる。
 ヨシワラの大通りは魔獣と忍者を迎え撃つ者達とヨシワラ自治隊が入り乱れて、まるでハチの巣をつついた様な騒ぎだ。
 アンナは戦の風景に銀紫を捜した。
 彼女が玉露太夫の心の隙につけ込んだのは確かだが、居心地のよさを感じていなかったとは思わない。
 きっと何処かに親兄弟がいるはず。誰か探している人がいるのか、烏異図に人質にとられているのか解らないが身につけているお守りは家族につながる物だろう。
 アンナは眼をこらした。
 戦場の中心から外れて自治隊の者達の首をはねている銀紫を見つける。
 肌色を剥き出しにした女忍者の手首には小さなお守りがある。
「銀紫さん!」アンナは叫んだ。「あなたは何がしたいのです!? 烏異図によほどの恩義があるのでもなければこんな事をする必要はないですよね!?」
「烏異図こそ正義! 真義!」
 銀紫の声が通りの喧騒に負けじと張り上げられた。
 彼女は狂信者なのか。
 軽い絶望がアンナの視界を打った。
「ヨシワラでリセットしてやり直しましょう!」それでもアンナは彼女に強い言葉を送る。「ヨシワラ双六だからこそやり直しが可能だと思います!」
 銀紫は玉露太夫とは一時的な姉妹関係にすぎないかもしれない。しかし烏異図にいても彼女が前向きに生きられるとは思わない。
 アンナは銀紫を説得したかった。
『んっふ〜ん……!』
 その瞬間にヌエがまた甘い喘ぎを挙げた。傷つけられるほどに威力を増す窒息効果にアンナは巻きこまれた。
 だが、地に崩れそうだったアンナの背後に、ビリーが神足通で駆けつける。
「アンナさん!」
 ビリーは指術でアンナの窒息を解消する。
 そして福の神見習いはこれまで活かす機会に恵まれなかったとっておきのスキルをここで初披露。
 『コピーイング』!
「んっふ〜ん!」
 まるでセクシー美女の様なポーズをとりながらビリーは『あまいあえぎ』を全力を持って模倣した。
 お子様の教育に悪そうな魔獣ボンテージガールの異能をコピーし、烏異図忍軍に対して使用したのだ。
 しかし……これは……。
 恥ずかしい!
 普通に役に立てる技能ならば別に変なポーズや声をしなくていいのだろうが、これはコレ……ソレである!
 ソの代償により変な声を漏らしながら悶絶する羽目となるビリーの羞恥心!
 しかし、これは羞恥を代償とするにふさわしかった。ビリーの声を聞いた黒忍者達が窒息を覚えたらしく、皆、胸に手をやり、うずくまって動きを止めた。
 何と、魔獣ヌエ・ボンテージガール本体までもが。
「今や!」
 赤面したままビリーは神足通で魔獣の背後へと跳んだ。
 そして本日二回目の『シャドーニードル』。
 ビリーの手から放たれた針がぼんのくぼを穿つと思われたが、それは身悶えるヌエ・ボンテージガールの首筋を外れた。

★★★

 魔獣と銀紫含む黒忍者達をまとめて相手にしている大通りの戦場を『表』とすれば、この裏道の戦場は『裏』となるだろう。
 ここに一人、表の三〇人とは別に路地で五人の烏異図忍者の前に立ちはだかる形となった、人魚姫マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)。
 マニフィカにはこの奇襲が読めていた。
 呪術都市ヨシワラを機械仕掛けの巨大な魔方陣に見立てたとする。
 すると現状は幾つもの歯車を狂わされ、その波及効果で呪術的防護の機能停止を狙った状態だと推察出来る。
 しかしメンテナンスの手段があれば、ヨシワラの機能回復も比較的容易なはず。
 敵側の立場で考えると、機能回復を妨害する為には、そのノウハウを有する者を排除する必要がある。
 それは誰か。
 つまり敵が殺害すべきは宇宙太夫ことソラトキ・トンデモハット王妃という事。
「ようやく全ての辻褄が合いました」
 マニフィカは三叉の槍を滑らかな動作で回転させて、腰の位置で前に突き出した。
「煙幕に惑わされましたが、思えば最初から目的は明確だったと言えましょう」
 ズバリ。今回の襲撃の本命はソラトキ王妃暗殺。
 しかし、そんな非道は許さない。
 水が凍てつく様な、張りつめた雰囲気。
 佳境を迎えるに当たり、先ほど神聖な儀式として『故事ことわざ辞典』を紐解いた。
「人間至る処青山有り」という文言が眼に入った。
 青山とは墓地の事。
 なるほど。
 異世界の地にて死力を尽くすべし、という意味に人魚姫は解釈した。
 最も深き海底に坐す母なる海神の導きに感謝を。
 いつもの如く再び頁をめくる事はあえてしなかった。
 聞こえない笛が鳴った気がした。
 同時にマニフィカと忍者達は走り寄った。
 『センジュカンノン』!
 空中からまっすぐ降臨した仏の拳が三人の黒忍者の背を叩き潰す。
 残る二人は速度を緩めずスピードで槍術に対抗する。精鋭か。
 回転する三叉槍が迫る黒刃を弾き返す。
 今ここには他に自治隊の者はいない。
 突破されれば後方のソラトキ王妃控えの大廓まではすぐだ。
 忍者二人の連携が取れたコンビネーションをさばいて槍を突くが、敵は敏捷さを活かしてそれをかわし続ける。
 『魔竜翼』。
 革の翼を羽ばたかせてこの路地の天の位置をとる。
「『ブリンク・ファルコン』プラス『カルラ』!」
 マニフィカの言葉と共に、毒毒しい光をまとった急降下攻撃が一人の忍者を襲った。
 一人が襤褸の如くなり、黒い身を散らす。
 残る黒忍者は一人。
 最後の忍者はマニフィカの隙を突いて、この戦場よりもソラトキ王妃のいる大廓を目指した。
 走り去る忍者は路地を出、神速で大廓に突入しようとする。
 海の人魚姫は振りかぶった三叉槍を一直線に投げた。
 門をくぐる寸前で黒装束の背に槍が突き立つ。
 黒煙と紅蓮の爆炎。
 黒忍者は爆発し、大廓の門が吹き飛んだ。
 危なかった。火薬を背負っていたとは。廓内で爆発していたら王妃や忘八が巻き込まれていたかもしれない。
 突然の大爆発に慌てふためく自治隊の者達を見ながら、マニフィカは腹底の息を抜いた。

★★★

「ああ。リュリュミアのお馬さんだぁ」
 二撃目を失敗したビリーが三角木馬にロデオっぽく振り回されている時に、新たな影が放物線を描いてその鞍上に乗り込んできた。
 ブルーローズのツタで空中ブランコの様に飛び移ってきたリュリュミア(PC0015)はそのまま三角木馬に座り込む。
「お馬さん、お気に入りだったのに見世物小屋でゆずってもらえなくて残念だったんですよぉ。今度こそゆずってもらいますぅ。お馬さんの為なら干支にはないけど猫の様に頑張りますよぉ」
 ここに来て彼女は三角木馬の所有権を主張している。至近距離のリュリュミアは丸めた手で猫パンチをお見舞いし、女魔獣の眼隠しも口にハマっているボールギャグも手で外してしまう。
 見上げたジュディやクラインは、これでヌエ・ボンテージガールの『プレイ』が中断するだろうと予測した。
 リュリュミアの主張はわけが解らないがこれでヨシワラ側が大いに有利になるはず。
 数ある拘束具を完全に解かれたヌエ・ボンテージガールは三角木馬からも座を外され、今やその名に見合わないただの巨乳裸女と化している。
『んっふ〜ん……!』
 その甘い喘ぎも全く迫力がない。
 これならビリーの喘ぎの方が完全に勝っている。子供神様の窒息効果を食らった烏異図忍者達は遥かに劣勢になっていた。そして、その度、ビリーは羞恥を感じながら身悶える。
 鞍にまたがったリュリュミアは傾いた木馬からヌエ・ボンテージガールをポイッ!と落としてしまった。
 恐らく干支の獣の結合が解けたからなのだろうが、魔獣の身が地に落ちるまでに空気に溶けるように消えていく。
 巨乳美女も三角木馬も痕跡を残さず消滅してしまった。
 その時、皆の背後で爆発音。
 大廓の門が大爆発によって吹き飛ぶ様子に振り返った者達は驚いた。
 すぐに烏異図側の仕掛けかと見抜いたが、当の忍者達も思いがけなかったようだ。何故ならばそれは門ではなく、廓舎そのものを爆破する予定だったからだろう。
 その動揺に烏異図忍者達は撤退に移るかと思われたが違った。
 一桁にまで減った黒忍者は圧倒的劣勢の身で更に廓に突っ込もうとする。
 事実上、これは最後の戦力を出し切った総力戦なのだろう。
 ターゲットを仕留めるまで逃走はない。
 銀紫の燃える眼もそう語っていた。手首のお守り袋は風に揺れながらわずかに血の染みがついている。
「もう、やめてください! 勝負はつきました! もうあなた達はこの包囲網を突破出来ません!」
 アンナは若い声を張り上げた。
 忍者達はもう勝負がついた戦場で特攻に散ろうとする覚悟の戦士でしかない。無駄死にだ。
 さらにどんどん数が減っていく。
「やり直せばいいじゃないですか!」
「あちきの手は血まみれよ!」
 アンナの言葉に対する銀紫の返答はまるで血を吐く様だった。比喩ではなくその右手は血に染まっている。この娘の人生で忍業と無関係だったものはあるのだろうか。
 銀紫の身体に巻きついたのはリュリュミアのツタだ。
「魔獣が消えたら、木馬も消えちゃったわぁ。残念ですねぇ」
 リュリュミアは残念そうな顔をしながら、ジュディが銀紫を更に力強く緑のツタで縛るのを見守る。
 黒忍者は既に全員倒されていた。数少ない生き残りも奥歯に仕込んであった毒で自害したのだ。
「全員が死んでしまうとは……これは発信器を仕掛けるのも無駄ですね」
 クラインは呟いてハッとする。
 最後の生き残りである銀紫が口を噛みしめて自分も奥歯の毒を服しようとしていた。
 その瞬間。
 乾いた音が鳴った。
 喧騒にまぎれていつのまにか近寄っていた玉露大夫がその手で銀紫の頬を強くはたいていた。
 女忍者の口から作り物の奥歯がこぼれて宙を舞う。
「死ぬんは許しません!」玉露大夫が声を張り上げる。「あちきの妹によく似た顔で自害なんかせんでおくんなましに!」
 口端から細く血を流しながら銀紫は地面に膝をついた。
「銀紫が玉露大夫の妹に似ていたのが偶然なんてありますかしら」クラインは手元に鞭を回収しながら呟く。玉露大夫の動向も警戒していたが、混乱にまぎれた大夫が銀紫へ接近するのを許したのはちょっと痛恨事だ。
「イッツ・コインシダンス・ザット・イット・ハプンド、まァ、それが起こってしまったこそが偶然なんダカラ」
 ジュディは銀紫の手首からお守り袋をほどく。

★★★

 太陽が見られれば今は夕暮れのはずである。
 戦いは終わった。
 大廓の大広間の一角。
 布団を敷いた忘八・伊達屋藤一郎の周りに騒動の関係者が集められていた。
 正座が出来ない者以外は座布団に座っている。
 丈夫な紐で縛された銀紫も着物を着せられ、ここで座布団に座らされていた。紐の端は怪力のジュディが握っている。
 銀紫から外されたお守り袋が黒い盆に載せられ、皆の注視を受けていた。
「これが元凶らしいですわ」
 自らが持ち込んだ数数の呪具を前にしたクラインも、お守りを見つめる。
 『十二支の結呪』。
 銀紫はこのお守り袋をそう呼んだ。
「これは方位をも魔法陣にしたヨシワラの呪力を逆に利用した、結界破りの品だね」
 煙管を吸いながら忘八がお守りを眺める。
 十二支。
 方位。
 魔法陣。
 結界都市。
 方位と怪物の意味の一致。
 後付けで考えるに、デザイン原理のオトギイズム王国らしい呪具だ。
「十二支の怪物を最後まで出し切った今、この呪具にも大した威力はないね」
 忘八が確認する様に銀紫に訊く。
 彼女はうつむいたまま答えなかった。
「十二支の結呪をヨシワラ内で発動させる為に潜入したくノ一が、玉露太夫の生き別れた妹に似ていたのはたまたま偶然でありんしが」宇宙太夫が眼線を銀紫から玉露太夫の方へ移す。「思えばそれで烏異図の計画に色色と狂いを生じさせたかもしれないでありんすな」
 玉露太夫はただ黙り、強い視線を銀紫に注いでいた。
「殺せ……」
 口を封じられていない銀紫が毒の様な呟きを吐いた。
「忍務は失敗した。あちきはここでさんざん人を殺した。それもお前らの身内であろう。もうあちきが生きている意味はない。殺して恨みを晴らせばよかろう」
「ふざけないでおくんなまし!」
 玉露太夫が女忍者の頬を平手ではたいた。
「人の生き死にを軽く見ないでおくんなまし! あちきの妹の顔でそんな言葉を……いや、それも関係ないでありんす。人の生き死にを軽んじる言葉をそれこそ軽軽しく口にせんでおくんなまし!」
「あなたには選択肢をがつきつけられたのですよ」アンナは真剣な言葉を銀紫に放った。「……やり直せばいいじゃないですか。少なくともその可能性がこのヨシワラにはあります」
「妹の顔で死にたいなどと言わんでおくんなまし……!」
 玉露太夫は妹によく似た少女にすがって泣いた。
 銀紫が布団の上で半身を起こしている伊達屋藤一郎を見た。
「究極の選択です」忘八は煙管盆で煙草の火を焚いた。「この苦界で希望を失わずに生きるか、それともこのまま死ぬか。どちらにしてもつらい選択ですが、選ぶ権利はあなたにあるのです」
「あちきの為に生きると言っておくんなまし!」
 玉露太夫の真摯な言葉に、銀紫がはっとした顔になった。
 そしてそのままうつむいた顔を横に向かせる。
「……どうやら答は出たみたいですね」
 彼女が答える前にクラインはこの場を仕切った。
 そして自らの前に置いた呪具の小山を一つ一つ、十二支の結呪の周囲に配置する。
「三〇万イズムは惜しくないといえば嘘になりますが、今は何よりこのヨシワラの結界のさらに上に置かれた不吉な結界を排除するのが肝要です。……いいですね」
 クラインの申し立てに忘八は首を縦に振った。
 呪具を発動させた。
 一瞬、呪具が全てが光を放った風に見え、次の瞬間にはめまいの内に光はおさまった。
 呪具は全て灰になった。中央に置かれた守り袋は黒い灰になって崩れ、音もなく微塵となった。
 大広間に斜めの角度で外の陽光が射し込んできた。
 陽光は大広間にいる全員を橙の色に染め、長く影をのばす。
 ヨシワラの暗雲は全て消え去ったのだ。

★★★

「あとはヨシワラ復興のために樹を育てて木材を提供しますねぇ」
 リュリュミアのおかげでこのヨシワラも随分と様変わりした。
 暗雲が晴れたヨシワラに植えられたケヤキや杉といった木木は彼女の力であっという間に生長し、建材として使うに十分な物となった。
 燃えた廓の敷地内に何十本もの若い木が生え、アサガオやヒルガオ、ユウガオといった花の色であちこちに縁どられているのが今のヨシワラの姿だ。
「わたくしの会社でも必要な物資の流通を支援させていただきますわ、ええ格安で」
 クラインが『エタニティ』女社長としての顔をしながら忘八と話し込む。
 戦後処理として、ヨシワラの復興に会社として支援を行う
「羅李朋学園出身の社員に仕事を作らなければなりませんし、そういえばヨシワラにも学園出身者が来ていましたわね」
 そう言えば、とその言葉で皆は羅李朋学園から降りた者達がこのヨシワラに集っていたのを思い出した。
 主に性風俗アイドル関連の元生徒達だが、今まで気づかなかった事を思うとよほど上手くこの遊郭都市に溶け込んでいるのか。
「うーむ。何事も寝ている内にすぎてしまった。最近、眠りが深くてうっかりすると一日寝てしまうな」
 厚紙鎧のドンデラ・オンドがヨシワラの街路を眺めながらぶつくさとぼやく。
 彼の背後に立ったジュディはあえてそれでよしと胸をなでおろす。もし公があのヌエ・ボンテージガールの甘い喘ぎを食らっていたら大変健康によろしくなく、もしやの状況もありえたからだ。
「やっぱりこの十字路がヨシワラの中心やね」
 ビリーは善き運気を招き入れる為の呼び水として、ヨシワラの中心部に『ミニチュア通天閣』を設置する。
 高さ五四cmほどのこれはビリーの人生(神生?)にとって重要なピースで、一時的な設置だがそれでも効果は十分以上だろう。
 コンブやタイが供えられたちょっとした祭壇の上でちっちゃく天を衝く通天閣。その前でマニフィカは神楽よろしくしなやかな動作で『神気召喚術』を発動させた。

青銅色の二匹の厳粛な狛犬が祭壇の両脇に現れる。
 阿。
 吽。
 その口から水を打つ様な吠える声がヨシワラ全域に疾く伝わっていく。ビリーは『大型スピーカー』で音量を拡大する事も忘れない。
 陰の気が駆逐された。この清らかな聖音はヨシワラに一片の雲もない青空をもたらし、ヨシワラの俗世に関わる人人の心すらも晴れ渡らせる。
「水清ければ魚棲まず、というでありんす」青空を見上げたソラトキ王妃が眩しそうに呟いた。「魔術都市である遊郭ヨシワラは清らかすぎてもいけない。ここが難しい所でありんす」

★★★

 ヨシワラが元の活気を取り戻そうとしている。
(あいつら、いつもボケまくっとるけど、ホンマは切れ者とちゃうやろか? 三人寄れば文殊の知恵とも言うし……)
 ビリーはヨシワラの方位魔術と魔獣についての見解の誤りをレッサーキマイラに指摘されてから、相棒の評価を上方修正していた。
 人畜無害な印象を与えているが、意外と器用に世渡りしている合成魔獣。
 仮に無自覚としても、ある種の生存戦略では。
(せやな、能ある鷹は爪を……)
 声に出さない独白を脳裏に浮かべながら、ビリーはヨシワラを散歩していて見つけたレッサーキマイラの背をこっそり尾行していた。
「OH! ビリーのところのレッサーキマイラじゃないデスカ」
「あ、ジュディはん」
 同じくヨシワラを散策していたジュディが偶然に通りで魔獣と出会う。二人とも人ごみに紛れたビリーに気がついていない。
「ホワイ? 随分とホクホクしてるけど何かあったんデスカ」
 ジュディは魔獣の毛なみがホカホカと膨らんで、いい匂いを放っているのに気がつく。
「いやー。最近はヨシワラの湯屋、って言うんですかい? 風呂屋に通うのが日課になってるさかい。わしらは特別待遇でただで入ってもええ、ちゅーから」
 そういえば、そういう話も冒険者達には忘八から伝わっていた気がする、とビリーは思い出す。
 気づけば、レッサーキマイラはいつのまにか随分と清潔になり、山羊頭も獅子頭も蛇頭もかすかな湯気を立てている。
「いやー。蒸し風呂で湯女っちゅー人達に身体こすってもらうと気持ちええんですわ。最近は湯女さんが直接石鹸つけてボディで洗ってくれるやさかい、もー、すんごい極楽気分で。今や一日に五回も通ってるんや」
 眼尻の垂れた顔全体に『助平』と明朝体で書かれている表情でレッサーキマイラが得意げに説明する。
 ジュディの方は微妙に困った表情で話を聞いている。「このスケベ親父が!」と殴っていいだろうか、という顔だ。
 会話を聞きながらビリーはこのヨシワラに石鹸なんて物があるだろうか?と疑問符を頭に浮かべた。……ああ、羅李朋学園の元生徒の経路か。
「ジュディはんも体験してきたらええんやないか。もー、裸同士で洗ってもらうとごっつう気持ちええで」
 そこまで聞いたジュディは顔を真っ赤にしながら遠慮なく手を出した。
「パーヴェーテド・マン、このスケベ親父ガ!!」
 大きな白い手で山羊頭の頬をはたかれたレッサーキマイラは、巨大手裏剣の様に手足を突っ張らせたまま横の壁に突っ込んだ。
 思わず本気で殴ったが照れ隠しで笑っているジュディは、廓の木の壁を破壊したレッサーキマイラをさすがに心配する。
(……能あるとしても詰めを誤るお馬鹿やな)
 ビリーは再評価した相棒を眺める。
 廓内の遊女が悲鳴を挙げながら右往左往する中で、三つの頭が全てグルグル眼になった魔獣がだらしなく失神していた。

★★★

 クラインが銀紫から聞き出した烏異図忍軍の本拠地に自治隊の者が向かったが、そこはもぬけのからだった。
 確かに先日の突撃が最後の全力攻撃だった。あれが烏異図忍軍の背水の陣だったのだ。
 銀紫は銀紫は玉露太夫付きの新造へ戻った。
 彼女の正体が女忍者だった事はヨシワラ内には徹底的に隠された。それは忘八の意思だった。確かに身内を大勢殺し、殺された。しかし苦界であるヨシワラはそれをリセット出来る可能性を常に秘めている。
 廓の真(くるわのまこと)ほど当てにならないものはない。
 ここはいつかは金で女が男に抱かれる街。
 しょせん、ここで希望を見ようという事自体が綺麗事にすぎないのかもしれない。
 それでも銀紫は、玉露太夫は、この街で生きる事を選んだ。
 ヨシワラ双六。
 あがり、をめざして。
 それから何日か経ち、ソラトキ王妃はみせすががきや八方、太陽の女神代理である花魁、ヨシワラが防衛呪術都市である為の様様な仕組みをこの町の新しい住人達に全て伝授し終えた。
 王妃が帰還する日が来た。
 池を渡る船に乗った王妃と冒険者達を、柳が列をなす岸にそろった忘八や自治隊、玉露太夫や銀紫が見送り、礼を言う。元羅李朋学園の生徒だった遊女達も特別に見送る事を許された。
 岸を離れる者達の背を追う、一斉のみせすががき。
 三味線の音が王都への帰路を辿る街道まで響いていた。
「あ。桜ですぅ」
 リュリュミアの嬉しそうな声。
 街道脇の桜並木が咲いている。
 すっかり暑いほどの温かい春の日だった。

★★★