『十二支の結呪』

第三回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★

 白雪の降り始めたヨシワラの街を、体長一〇mほどの細い竜がくねりながら通り抜ける。
 竜の身。ヒツジの角。イノシシの牙。飛行するヌエ・ドラゴンが吐きかける炎によって通り沿いの廓が次次と炎上していく。
 このヨシワラを古くから知る者には、過去の大火が思い起こされる。
 街の奥には一際立派な廓が鎮座する。
 烏異図忍者に襲われた忘八・伊達屋藤一郎(ダテヤ・トウイチロウ)は大怪我をし、その廓から動かす事は襲撃までに出来るとは思えない。
 ヌエ・ドラゴンは明らかにそこを目指して飛んでいた。
「させないわぁ」
 色艶やかな着物を着たリュリュミア(PC0015)は『ブルーローズ』の茎を束ねた厚く広い緑壁でその進路に立ちふさがった。
「忘八さんが動かせないから、ソラトキさんとかみんな集まってくださいぃ」
 ブルーローズは確かに炎の吐息を防いだ。
「攻撃は防げるけど、燃えちゃったらおしまいだからみなさん火を消してくださいねぇ」
 その言葉に促されるように廓の者、ヨシワラにいる者達が手水鉢に汲んだ水で燃え上がる建物の消火を始めた。しかし傍にいるドラゴンの脅威でままならない。
 宇宙(ソラトキ)太夫ことソラトキ・トンデモハット王妃らも集まるが、燃え盛る火事になかなか手出し出来ない状況だ。
 青薔薇の壁へ急速にスピードを上げたヌエ・ドラゴンが体当たりした。
 ヒツジの角とイノシシの牙を持つ巨竜の頭突きを受けて、リュリュミアは転倒した。薔薇で衝撃を殺したはずなのに凄まじい威力だ。
 竜は一度急上昇し、暗雲の下で鋭角に身をひるがして地上のリュリュミアを直接狙った。
 だが、そこで怪物の注意を惹くものが現れ、竜の突撃はその方向に顔を向けさせた。振り向く頭に続いて尾もなびいて倣う。
「この〜ぶさいくドラゴン〜! おしりぺんぺん!」
 離れた廓の屋根からレッサーキマイラが二足歩行でドラゴンに背を向け、自分の尻を叩く。雰囲気にそぐわないほどの幼稚な挑発。
 表情が読めない怪物はそれでも関心を向け、屋根にいる人造魔獣に突撃した。
 飛び込む様に廓一軒を瓦礫と破片として砕き散らした。
「おわあ〜っ!」
 レッサーキマイラは直撃を避けて慌てて逃げ出したが、乗る足場を失ってヨシワラの地面に顔から突っ込む。明らかに解る脳震盪。
 魔獣に挑発を頼んだジュディ・バーガー(PC0032)はその隙に両手に持った『マギジック・ライフル』三丁をジャグリングの要領で連発で撃ち込んだ。
 今日もアメフトガールは絶好調。カントリーソングを口ずさみながら射撃する。
 相手にとっては不足なし。アメリカ娘の血が騒ぐ。
 ヌエ・ドラゴンの真正面に立ったジュディはドラゴンの弱点を探しながら魔力の弾丸を撃ち込む。
 オリエンタル・ドラゴンならではの弱点。それは逆鱗。
 鱗に覆われた竜がただ一枚だけ持っている、逆向きに生えた鱗。唯一無二の弱点のはずだ。
 ジュディは狙う。だが身体の何処にあるかは解らない。
 三丁の魔銃は怪物の眉間に火花を散らし、ある時は鱗を撃ち砕き、ある時は跳ね返される。
 魔力をこめた弾丸である事は重要。おそらく大妖怪ヌエ・ドラゴンも半物質化した霊的存在。つまり物理的な攻撃は勿論、魔術的な攻撃もより高い効果が期待出来るはず。
 レッサーキマイラには囮役をお願いした。後は突撃される前に逆鱗を見つけだすのだ。
 真正面のジュディはドラゴンの突進に故郷で見たコンボイを思い出した。
「ゥラース、逆鱗は何処ナノ!?」
 射撃する二m超の彼女に一〇mサイズのドラゴンが突っ込む。
 派手な激突音と共にアメフト・アーマーの破片と三丁のライフルが飛び散った。
 はねとばした竜はまた空に昇ろうとする。
 しかし、その身がグンと引き戻される。
 まるでたわんだ太綱の如くなったドラゴンの身体。その羊様の螺旋になった角には荒縄がかけられ、廓の二階にある欄干に結びつけられていた。
「逃がしませんわ!」
 綱を結んだアンナ・ラクシミリア(PC0046)は、廓と廓を結ぶ二階橋に立ってローラーブレードの滑走で飛び出そうとする。
 浮遊するヌエ・ドラゴンは太い首を打ち振って縄が結びつけられた欄干を破壊。ブラウンヘアの少女に、突撃の矛先を向けた。
 『乱れ雪桜花』!
 猪突猛進する怪物の視界を、横殴りの滝の様な花吹雪が覆う。
 薄桜色の怒涛の中でヌエ・ドラゴンは翻弄され、戦闘用モップによる激烈な威力を食らう。
 アンナは直接攻撃こそ大ダメージ!とこの隙にヌエ・ドラゴンの頭部にとりついた。角を掴んで頭部にしがみつく。
 彼女に対してドラゴンは、レッサーキマイラにした様に廓に体当たりする事で振り払おうとした。
 しかし、その時にドラゴンに新たに取りついた者がいる。
 アメフト・アーマーを半壊させたジュディは傷だらけの身体でドラゴンの顎辺りにぶら下がった。鱗だらけのロデオマシンの鱗を片手で掴んだ。
「アイ・ノウ! 解ったワ! ゥラース・イズ・ヒア、逆鱗はここネ!」顔を上げたヌエ・ドラゴンの顎の下、首に一枚だけある逆向き鱗を見つけたジュディは『イースタン・レボルバー』の全弾を撃ち込んだ。「イピカイエー!」
 逆鱗は火花と共に撃ち砕かれる。
 ドラゴンが怒号と悲鳴が混ざった咆哮を挙げる。
 空中で激しくのたうち、振り回される尾が廓の屋根を破壊する。
 ヌエ・ドラゴンはしがみつく二人を引きはがそうと暴れた。
 ジュディとアンナは離れたが魔獣の苦しみのたうつ様子は変わらない。
 ヌエ・ドラゴン戦が決着しようとしている。
 しかし大型魔獣が苦しみながら表の注意を惹きつけている陰で、ヨシワラの裏道を駆けていく忍者達がいる事はここで戦っている誰も気づいてはいなかった。

★★★

 裏道を走る黒い忍者装束の一〇人が音もなく、忘八がいるひときわ大きな廓を肉迫する。
 恐らく忍者にとって表のヌエ・ドラゴンなど奇襲の囮でしかないのだろう。
 障害なく廓にとび込んだ彼らが忘八がいるはずの大広間へと走る。ほとんど全ての人間が表のヌエ・ドラゴンに惹きつけられてここへの関心は薄れているはず。
 殺人、容易し。
 だが、大広間の直前に彼らが予期しなかった油断ない防衛の網があった。
「「ここを通るならわたくしを倒してからにしなさい」」
 トライデントを構えて吹き抜けの大廊下に立ちふさがった二人のマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)。
 大妖怪ヌエ・ドラゴンの脅威は、衆目の一致するところ。
 しかし戦力単位として客観的に情勢分析すれば、どんなに強い個体であろうとも召喚された使い魔にすぎない。あくまでも主体は烏異図(ういず)忍軍であり、派手に暴れる魔獣は陽動役と思われる。
 忍者の強みとは、その素早さを活かしたトリッキーな攻撃。王妃や忘八に対する襲撃が典型例。加えて集団戦ともなれば本領を発揮するはず。
 マニフィカはドラゴン対策は他の冒険者達に任し、文武両道の人魚姫として烏異図忍軍を相手に無双する心構え。
 過去の冒険で幾度も協力してきた強みを活かすべく、阿吽の呼吸で役割分担。
 既に鏡像の如きマニフィカは二人いた。
 だが忍者達がその奇妙さに驚く様子はない。そこにあるものは現実として受け入れ、ただ対処する。リアリストなのだ。
「殺!」
 烏異図の忍者達が小刻みな呼吸で意思を伝えあうと、五人ずつ矢の速さで二人のマニフィカに襲いかかった。
 艶のない黒刃。
 『ホムンクルス召喚』による分身で二人に分かれた人魚姫は五人ずつの刺客を迎え討った。
「『センジュカンノン』!」
 吹き抜けになっている大廊下の三階辺りから出現した無数の拳が、頭上から忍者六人を叩き潰した。
 拳の土砂降りに、忍者装束の攻勢が止まる。
 トライデントの突きが一人の忍者の腹を刺す。
 二人が後退り、一人は忍者刀を構えて更に走った。速い。二人のマニフィカを同時に相手にする速さ。
 迫る刃を二人のマニフィカは高くジャンプする事で避けた。
 その身が虚空にある内に『魔竜翼』を広げ、二人のマニフィカは地上の三人に空中からの突きを見舞う。
「ッ!?」
 その瞬間、意外な角度から襲いかかる者があった。
 今までマニフィカが背にしていた、忘八の眠る大広間の方からふすまを破って肌色の蹴りが飛んできた。
 マニフィカ一人の首が飛んだ。
 それはマニフィカ本人ではないホムンクルスの首だったが、何とも言えない気味の悪さを味わう。
 ホムンクルスの身体は速やかに廊下の空気に消える。
 新たに現れたのは頭のみを烏異図の忍者装束で覆った裸の若い女性だった。グラマラス。間違いない。あの時の刺客の一人だ。
「来ましたね」
 人魚姫はすぐさま『水術』を発動する。手より黒い飛沫を噴いた。墨だ。
 脱げば脱ぐほど強くなる武術を知っている。もしこの女忍者が裸体である事に武術的意味があるなら、裸身を墨で汚せばその効果は薄れるはず。
 墨の飛沫は女忍者の胸の頂きと股間を検閲した。
「『ブリンク・ファルコン』!」
 マニフィカは迷わず、その裸の女忍者に対して必殺の技を見舞う。
 女忍者も脚を鞭の如くしならせて必殺の勢いで彼女を迎撃する。
 空中にある内に二人の動作が交差した。
 マニフィカの身体に赤い傷が走った。しかし首は守った。
 女忍者は渦巻くトライデントの刃に巻き込まれて宙に舞った。その頭巾が切り裂かれて素顔が露わになる。
 黒髪のおかっぱ。大方の予想通り、女忍者の正体は玉露(タマツユ)太夫付き振袖新造、銀紫(ギンノムラサキ)だった。
 床に落ちて弾む傷だらけの銀紫の向かいで、マニフィカは翼をたたんで降り立つ。
 その時、自治隊の六人が駆けつけてくる。
「ストラサローネさん! お怪我は!?」
「わたくしより伊達屋さんを看てください」
 マニフィカに気がかりな事があった。もしこの銀紫が忘八の方を先に仕留めていたら……。
「大丈夫です! 忘八には何の怪我もありません!」
 遠くから聞こえた封魔忍軍のその言葉にマニフィカは安堵する。
 自治隊の者は銀紫を含め、無力化した襲撃忍者達を縄で縛り、拘束し始めた。
 しかし。
「駄目だ! こいつも死んでやがる!」
 センジュカンノンをくらった忍者達、腹を刺された忍者達は全て毒を飲んで自害していた。自分で自分を口封じしたのだ。
 生き残った三人の烏異図忍者は銀紫が襲撃した隙に逃走していた。考えられるに銀紫は烏異図忍者の脱出を手助けする役割ではないのか。
 その銀紫も縛され、虜囚となった。ヨシワラの振袖新造銀紫ではなく、烏異図くノ一として。
「ぬしどもは、銀紫に何をしなんしいでありんすか!」
 突然、きつい言葉がその場の自治隊達を打った。
 重そうな豪華な着物をこの場でも脱いではいない。ヨシワラ唯一の花魁、玉露太夫だ。
 皆が太夫に気をとられた隙に、銀紫は手刀で自縛の縄を切った。
「しまった!」
 自治隊の者よりはるかに軽やかに銀紫は廊下を蹴って跳んだ。
 断崖に住む山羊の様に壁を蹴って、吹き抜けの廊下をジグザグに昇っていく。
 そしてその姿は三階から窓を抜けて、大廓の外へと逃げ去ったのだ。表のヌエ退治のどさくさに紛れて身を隠すつもりだろう。
 しかし、皆は忘八を守り、裸の女忍者の正体を突き止めたのだ。

★★★

 暗雲が頭上で曇る、ヨシワラの大通り。
 舞い落ちる雪と火の粉の中、仕留められたヌエ・ドラゴンの巨体はヨシワラの空気に溶けていく。
「アイ・ゴット! やったワ! スマッシュド・イット・イントゥ・ピーシス、木っ端微塵に粉砕してやったワ!」
 ジュディは傷だらけの身ですっくと立っていた。
「それにしてもだいぶ燃えちゃいましたねぇ。ますますヨシワラに活気がなくなっちゃいますぅ」
 リュリュミアは呟く。
 ヨシワラの被害は過去の決定的な大火ほどではない。
 しかし損害は確実に眼につく。
 人人は主客の区別なく手水桶の水を運び、竜吐水で屋根に水をかけながら、破壊消火にいそしむ。
 やがてマニフィカが現れ、水の精霊『ウネ』の力で暗雲の下に雨雲を喚起して大雨でヨシワラを完全消火するまでそれは続いたのだった。
「むん? 何やら外が騒がしいが」
「なんか焦げ臭いやんすね」
 老公ドンデラ・オンドと従者サンチョ・パンサは、ドンチャン騒ぎの疲れが抜けずにのんびりと自分達の布団で微睡んでいて今やっと起きたのだった。

★★★

「思惑とだいぶ外れた様相になってしまいましたね……」
 クライン・アルメイス(PC0103)は置屋の玉露太夫の元を訪れていた。
 銀紫にも事情を訊くつもりでいたが、彼女は忍者としての正体がばれて行方をくらませてしまったので会う事は出来ない。
「何か言いましたでござんす」
「……いえ」
 今日の稽古を終え、もてなしてくれた玉露太夫の熱い茶をクラインは飲む。
 女社長が考えるに玉露大夫と銀紫の関係性こそが鍵。
 彼女達がいつから働いているか、または不在の時期等や不審な点があればその辺りを調査するつもりでいた。
「もう家を離れて一〇年以上になるでありんすね……。銀紫が新造としてあちきの付きになったのは五年前でありんしょか」
 質問された玉露大夫は遠い眼をした。
 しかしすぐ過去を引きずる思いを様に首を振って断ち切る様子を見せる。まるで決意を新たにする視線。
 それを見たクラインは質問を切り替える。
「ヨシワラは物騒ですわね、わたくし王都で呪いを解除できるアイテムを入手しているのですが、よろしければ五〇万イズムでお譲りしましょうか」
 銀紫が呪いを原因に脅迫されているとすれば何らかの反応があると思われるので、アイテムを見せた反応を確かめるつもりでいた。ここは仕方なく玉露太夫のみの心情を確認する。
「五〇万イズムでありんすか」
 ヨシワラ最高の花魁からしても大金という価値観らしい。
「無理にとは申しませんわ。それより銀紫さんはこういう魔除けのアイテムについて何か言っていませんでしたか」
「魔除け……そう言えば銀紫はお守り袋を大事にしていたでありんすね。子供の頃から肌身離さず持っているという……」
「お守りですか」
 クラインは思う。銀紫の持つお守りが呪いの鍵だろう。
 しかしデリケートな話題は注意が必要だ。
 クラインはこの後、忘八に話を聞き、遊郭の板前や下人や一般人など情報を知っていても隠す必要のない第三者から少しずつ情報を集めた
 過去を話したがらない花魁の素性を調べるのは思ったより難儀だったが、玉露大夫は元は潰れた米問屋の次女だったらしい事はつきとめた。
「思ったよりは凡人でしたのね」
 情報によると太夫と銀紫が会ったのは、銀紫がこのヨシワラにやってきたおよそ五年前。すぐに彼女に親し気にし、かばう様子を見せ始めたという。
 銀紫も借金のかたに売られてきた少女らしいが、特に過去の情報はないらしい。
 後はこの後に控えている、忘八との会談に期待するとしよう。

★★★

 百畳はあるのではないかと思われる大広間。
 忘八は上半身を支えられながらであれば、床から半身を起こす事が出来るようになった。
 伊達屋藤一郎が養生する大広間に集められた皆は、彼を中心とする円陣を組む様に座布団に座る。
 この場には冒険者達と自治隊、レッサーキマイラもいた。
 そして宇宙大夫と、玉露太夫。
 ドンデラ公とその従者は問題をややこしくしそうなので敢えて呼ばれなかった。首を突っ込んできたジュディはともかく仕事を受けているわけでもないので。
「女忍者の正体は銀紫で間違いなかったですね。状況からみて、最初から目的をもって潜入したのでしょう」
 アンナはちょっと苦苦しげに見解を示した。
「解っていても説得は難しかったでしょうね。玉露大夫付きなのではっきりと正体を現すまでは遠ざけ難かったし、護衛のメンバーにそれとなく注意してもらうしか出来ませんでした」
「いやはや、またしてもウィズの連中かい。めっちゃ腑に落ちたわ……ホンマたいがいにせえや! まあ。忘八の命は守れたんやし……でも何で暗殺の絶好のチャンスを逃したんやろな」
 ビリー・クェンデス(PC0096)はあぐらのついでに自分の足の裏を?く。
 普段は温厚な座敷童子も不快感を隠さない。
「どうどう。兄ぃ落ち着いて」
 そんなビリーをレッサーキマイラがたしなめる。
「それは彼女の優先任務が仲間の逃走を助ける事だったからと思います」アンナはちょっと考え、思考を整理した。
「その任務の為に敵であるヨシワラ側に埋没してた、いわゆる『草』やったかもしれへんな」と、一〇枚重ねの座布団でふんぞり返るレッサーキマイラ。
「くさ?」いきなりの弟子の発言に口をはさむビリー。
「……任務の為に一般民に紛れ込み、果たす機会が来るまでずっと素性を隠して生活してく忍者や。その草としての任務は子孫に受け継がれる事もあるっちゅー話でおま」
「なんやそないな知識、何処で仕入れたんや」
「こないだ読んだ漫画に出てましたで。『夜桜忍〇帖』とかそーゆー奴」
 得意そうにふんぞり返ったレッサーキマイラがバランスを崩して座布団から落ちる。
 アンナは話を軌道修正する。「ただ銀紫に接触した時の様子を考えるともしかするとヨシワラに親姉妹がいて、その探索をしていた可能性があります。玉露大夫はその辺を何か気づいていますでしょうか」
 眼線を玉露大夫に振るアンナ。
 玉露太夫のきつい眼線には戸惑いがあった。
 自分が眼をかけていた者が忘八の命を狙う敵の暗殺者の仲間だった。そういう自分の不甲斐なさが眼つきに現れていた。
 座布団の上で長い脚を崩しているクラインは口を開く。「銀紫は一八歳くらいで身体つきも女性らしいのにまだ水揚げ前の新造をしている。衣装も新造としては豪勢ですし、よほど玉露大夫は大切にされていた様ですわね。まるで娘の如く」
 娘?
 ここにいる全員の眼が玉露大夫に集まる。
「……銀紫は娘などではござんせん」
 玉露太夫がちょっとだけ口ごもった。
 ビリーの手にあった『鱗型のアミュレット』が震えを止めない。真実だ。
「ただ、生き別れた妹の面影を銀紫の中に見、それを守っていたでありんす」
「生き別れたのぉ?」
 朝顔の絵が爛漫と散りばめられた花魁衣装のリュリュミアは訊ねる。
「太夫は商家の家族から引き離されてきたからねえ」
 忘八が怪我養生の身で煙管を吹かす。
「あちきは、あちきを売った家族を恨んでいるでありんす」玉露太夫は言いたくなさそうに恨みを吐いた。「たとえきらびやかな衣装に身を包んでいてもこのヨシワラは地獄でありんす……!」
「年端も行かない内から家族から引き離され、抱かれたくもない男に金で抱かれる。負けて落ちれば泥。このヨシワラは確かに苦界でありんすね」ヨシワラ出身のソラトキ王妃は毅然とした表情を崩さない。
「あちきは、宇宙大夫! ぬしも憎んでいるでありんす!」玉露太夫が王妃に向けた瞳には憎しみの光があった。「ヨシワラ出身の、この苦界を知るぬしが王妃になったからには国王に速やかなるヨシワラおとり潰しを願って当然ではありんすか! なのに何故、今もヨシワラは存在するでありんすか!」
「それは何故ヨシワラが存在するかを語らなくてはなりませんねえ」
 忘八が紫煙を吹いた。
「まずはこのアシガラの士農工商という身分の外に人扱いされぬ身分があるところから話さないとならないですね。始まりはもう遠き時代ですよ……」

★★★

 忍者というものは使い捨ての道具だった。
 その存在自体が秘密であり、故に士農工商の身分に入らない者として隠された。
 秘密の身分としては一部の鍛冶、職人という世間一般には卑しいとされている者もいた。そして芸人、楽師、旅娼婦などいわゆる一つ所に留まらない流れの民。肉食の民。下働きの民。奴隷……。
 社会にとっては身分制度に組み入れられない人扱いされないのが当然の民だった。
 『オトギイズム王国』がこの国土を統一し、東方アシガラ地方を組み入れた時にもその差別身分は残った。
 だが当時の国王はそれら差別された民の党首達を集め、こう乞い願った。
「王都を魔術的に守る魔法都市が欲しい。その性質上、何故存在するかという真の理由は極秘にしたい。流浪の民が知る魔術でその町を、王国を守ってほしい。……そして忍者や流浪の民をそこに住まわせ、身分を隠した居留地としたい」
 それを考えたのは国王が元元は冒険者として広く世界を旅し、色色と奇矯な人達に触れていた人生があるからなのだろう。
「そして、町を身分浄化のシステムとしたい」
 かくして王都の北東に秘密裏に忍者が治める『遊興都市ヨシワラ自治区』が作られた。
「今この場にはありませんが、当時の国王が忘八に下さった『ヨシワラ御免状』というヨシワラを自治区として認める国王の認可状があり、代代の忘八に伝えられています」
 忘八・伊達屋藤一郎は支えがなくては起きていられない身で煙管を吹かす。「ここはね、身分という制度がない独立国なのですよ。大勢の遊女による花魁道中による『八方』『みせすががき』など魔術的儀式による防御がこの町の要です」
 忘八の言葉をこの場にいる者達は聞いた。
 玉露太夫も苦苦しげに聞いていた。
「ヨシワラの女衒(ぜげん)はアシガラの各地を巡り、新たなる遊女を探します。借金で首が回らなくなった家族から娘を身受けするというのが手段です。その家族は今一人も娘を失わずにこのまま冬を越せずに死ぬか、それとも娘を一人売って金を得るかという究極の選択をするのです。……それはつらい選択でしょう。人でなしの所業ですが、あっしらには必要なのです。この様な娘を私達は集め、新たなるヨシワラの遊女とします。遊女達は自分が魔術結界都市の大事な要員となっている事は教えられません」
 玉露太夫の表情が一層苦くなる。
 吸った煙管の中で煙草葉が赤く光る。
「ヨシワラの遊女は様様な身分の者達から集められます。士農工商、そして差別される者。ここでは前の身分など関係ありません。全員、最下の遊女として始まります。……双六ですよ。競い合い、一番上の花魁が上がりです。勿論、圧倒的大多数が花魁にまでなれずに途中で朽ちる。しかしここには身分差別はないのです。たとえどんな者でも頑張れば上がりになれるかもしれない。そして花魁となった者はやがて奉公を務めあげ、運がよければ武家や大商人の妻にもなれる。……宇宙太夫、お前の様に国王にみそめられ王妃にもなれる」
 忘八の言葉に、ソラトキ王妃は凛とした表情を崩していない。
「身分はリセットされますのね」
 皆と一緒に仔細も漏らすまいと聞いているクラインが一言、話の結論を口にする。
「あちきも売られる前は忍者と血の流れを同じくするネの一族という差別される者の身分でありました」宇宙太夫だったソラトキ王妃が語る。「ヨシワラの真実を知っているのは王家の者でもほんの数人しかいません。勿論、国王は知っています。国王は全てを知っていてあちきを妻にしたのです。差別される者である事も知って」
 そこまで言ってソラトキ王妃は皆にこうべを垂れた。
「ここまでの忘八の話は皆聞かなかったという事で……」
 王妃に深深と頭を下げられて、皆はくすぐったい気持ちになった。
 これまでの話でビリーのアミュレットが震えを止める場面はない。全ては真実という事だ。
 クラインは静かに深呼吸した。
 玉露大夫と銀紫は実は親子で、銀紫に客をとらせていないのは蛇の呪いか何かで本来の年齢より急激に成長させられている、またはその呪いで銀紫は洗脳または脅迫されている、という線はなくなったようだ。
 王妃を敵視しているのは、彼女がヨシワラにいたら銀紫が呪いを受けなくてすんだから逆恨みしていたという線も消えた。
「まあ元より無理のある仮説でしたから」
 口に出してクラインは気持ちを切り替える。
 外の雪は積もらないで消えたようだ。
 意識すれば、それでも冷たい冬の冷風を感じる事が出来た。

★★★

「兄ぃ! 兄ぃ! おいら、とんでもねえ事に気づきました!」
「どないしたんや!」
「ほら、これを見てくんさい!」
「どした!」
「この今まで魔獣や百鬼夜行が現れた所を示す点! この三〇個はありそーな点の最も離れた点二つを円周で結んで円を書くと……何と全ての点がその円の内側に収まるんでっせ!!」
「当たり前やぁーっ!」
 廓の一室。畳の上にヨシワラ市街の絵地図を広げていたビリーは、レッサーキマイラの大ボケに『伝説のハリセン』をスパコーン!と見舞った。
 ビリーは怪異に関する一連の騒動から、おそらく方位術の類を用いた大規模な儀式呪法という可能性を予測していた。
 干支に当てはめれば、赤い鼠の子、ヌエ・ビーストの寅・巳・申・戌、ヌエ・ドラゴンの辰・未が怪異として出現している。
 残る方位は丑・卯・午・酉・亥の五つ。
「……せやな、次の怪異は午と酉の組み合わせでヌエ・ペガサスかも……んっ?」
 レッサーキマイラと一緒に絵図面の干支の方位図を眺めているうち、残された方位で逆五芒星が結べる事に気づく。
「これは……いかにも魔術的な図形やないか! 逆五芒星の先端に該当する場所を念入りに調べにゃあかん!」
「けど、兄ぃ」
「何や」
「十二支は残り五つやなくて、三つやあらへんか。ほら、ヌエ・ビーストのトラツグミの声と、ヌエ・ドラゴンのイノシシの牙。酉と亥は使われてるんや」
「ああ……えっ」
「ほら残り三つやと逆五芒星は出来へん。三角形や」
「……うーむ」
 ビリーはとりあえず逆五芒星と三角形、二つの図形のヨシワラの地図に合わせた先端を調べてもらえるよう、封魔一族に頼んでみた。
 結果として何もなかったのだがこれでどうやら敵は方位的な魔術結界をこのヨシワラに仕掛けているわけでないのが明らかになった。
「しかし、残るは午・牛・卯か。ウマ・ウシ・ウサギ……次はどんな怪異が出てくるや」

★★★

 頭上の不吉な暗雲。
 凍えるほどの風が吹いている。
 炭化した木材。ヨシワラの大通りにはヌエ・ドラゴンによる被害の痕が大きく刻みつけられている。
 船に乗って訪れる客も今日はぐっと少ない。
 黒い燃えさしがまだゴロゴロしている大通りに、艶やかな朝顔が染めつけられている花魁装束を来たリュリュミアが立っていた。
「花を植えて、着物だけじゃなく街中に花を咲かせちゃいますぅ」
 リュリュミアは両手にそれぞれ持った朝顔などの種をざっと蒔き散らした。
「アサガオヒルガオユウガオヨルガオ、一日中咲かせられますねぇ。植え込みを作れば延焼対策にもなりますしぃ。直植えできない所は植木鉢を並べちゃいますよぉ」
 リュリュミアは野次馬の衆視の中で歩きながら種を蒔く。彼女の力で蒔かれた種から緑色の双葉が次次と芽生え、やがて本葉として急速に成長していく。
 似合わぬ冬の寒さの中で沢山の緑鮮やかなツルがぐんぐん育ち、沈黙していた黒い焼け跡に活気を持って巻きついた。寂しかった風景が一気に緑一色に染まる。
 人の背よりも高くなったツルにまるで電飾が点く様に赤青紫と朝顔の円い花が一斉点灯する。
 廃墟然としていたヨシワラの景色が季節を無視してとても明るく、さわやかになった。
「やるやないか、リュリュミアさん」
 ビリーは地面に置いた『大型スピーカー』の横で、リュリュミアの粋を称賛した。
 福の神見習いの後ろにはマニフィカも立っている。
「日光も存分に当ててやらんとな。じゃあ行くで、マニフィカさん」
「よろしくってよ」
 マニフィカは『神気召喚術』を詠唱し、その場に青銅の狛犬二体を呼び出した。
 『阿』
 『吽』
 空気が鳴る。
 二体の狛犬の声はまるで静謐に確かな波が立つ如く、際立った浄音を響かせた。
 その声が大型スピーカーでヨシワラ全体に拡大される。
 ヨシワラの大気に清らかな音が駆け抜ける。
 大通り。
 路地。
 廓。
 見物をしている人人。
 そして頭上の暗雲にも届いたのか、あたかも黒一色だった一面の雲が色褪せてきた。
「あれ? 灰色っぽくなってきましたねぇ」
 見上げたリュリュミアの言う通り、濃灰色となり薄灰色へと変わっていく。
「よし! 行け! 一気に晴れるんや!」
 これで一気に陰の気を晴らせるぞと手に汗握ったビリーだが、やがて雲はまた灰色を濃くし、元の黒色へと近づいていく。
「あかんやん」
「でも効く事は解りましたし、もう一息ではないでしょうか」
 溜息をつくビリーを、マニフィカの言葉はフォローした。ヨシワラの霊的な環境改善を図り、味方が少しでも優位になれば幸い、という考えなのだ。
「後は八方やみせすががきの問題なのねぇ」
 リュリュミアはぽやぽや〜と意見を言うが、確かに最終的にはそれを復活させるのが問題解決なのだろう。
 そんな感想を言い合っていると、ヨシワラの群衆が空を見上げて騒ぎ出した。
「何だ、あれは!?」
 見物人が口をそろえて暗雲から降りてきたものを指さす。
 暗雲から降りてきたもの。
 それは新たな『ヌエ』に違いない。
「ウマ+ウシ+ウサギ……」
 ビリーは呟く。
「よりによって最後はあんなイロモノなんかい!」
 ……暗雲から降りてきた魔獣。
 それはどう見ても、三角木馬にまたがった牛並みの巨乳のバニーガールだった。
 革のアイマスクで視力をふさがれ、口にはギャグボール(くつわ)が噛まされている。そして身体は全身が荒縄の様な物で縛り上げられていた。
 名づけるなら『ヌエ・ボンテージガール』とでもいうべきもので、身体が特別大きいわけでもない。
「戦う気があるのでしょうか……」
 マニフィカは呆然とするがそれも当然。荒縄で縛りげられた身体は手をも後ろ手に拘束し、こちらと戦う手段があるとは思えなかった。
 廓にいた冒険者達はそれぞれ目撃し、マニフィカと同じ様に呆然とした。
 真面目に戦う気があるのか……?
 皆は同じ感想を抱いたが、その呆気を緊張させたのが次の瞬間だ。
『んふ〜ん……!』
 まるで桃色のオーラを放つ様にヌエ・ボーンテージガールが甘く鳴いた。喘ぎだ。ボールギャグがはめられていてもその赤い唇は喘ぎ声を周囲一〇〇m内に届けた。
 そして。
「…………!!」
 その喘ぎを聴いた者達はいきなり窒息した。息がつまり、胸がひどく苦しくなる。
 そして身体の奥深くに甘い疼きを感じ取る。
 この魔獣の『甘い疼き』は快楽と共に窒息効果を聞いた者にもたらすのだ。
 喘ぎ声を聞いた者は、まるで水中にいる様に六〇秒ほど息が出来ず、動けなくなった。
 この場にいる人間の全員はその間、動けなかった。
「効いたか! 我ら烏異図忍軍、最後の魔獣の威力を!」
 聞いた事のある声がした。
 ようやく窒息が解けて動けるようになった者達は、大通りの入り口側に立っている敵の影を見た。
 一〇〇m以上の向こうにいる三〇人はいようかという黒色の忍者。
 先頭にはうすだいだい色の裸身の女性が仁王立ちしている。
 銀紫だ。今は頭巾もなく、その顔が露わになっている。右の手首にはお守り袋が紐で結わえられていた。
 顔を見せるという事は、これを最後の戦いにするという事か。
 このヨシワラに緊張が走る。
 状況が解る者達、自治隊の衆は烏異図忍軍に向かって武器を構えた。
 しかし。
『んふ〜ん……!』
 再び魔獣が甘い疼きを発し、皆は永い窒息に耐えざるをえなくなる。
 何という事だ! これではまともに戦えない!
「もう手段は選ばん! 行くぞ! 皆殺しだ!」
 銀紫は号令し、抜刃した三〇人の黒忍者達が波を蹴る如く一斉に駆け寄ってきた。
 地上低くへ降りてくるヌエ・ボンテージガール。
 決戦は、ヨシワラの者達に圧倒的不利な戦況から始まった。

★★★