ゲームマスター:田中ざくれろ
★★★ 北風が吹くのを甲高い声がつんざき、頭上を覆う暗雲から怪物の巨躯が降りてくる。 紫の夜のヨシワラ。朱雀の大通りに獣の身体を接ぎ合わせた様な怪物。 狒狒の如く牙を剥き出した頭。剛力たる虎の四肢。がっしりとした狸犬の胴。太くしなやかな蛇の尾。混じり合った体毛。 聴く者を不快にするトラツグミの声。 殺気を放射しながら花魁姿のソラトキ・トンデモハット王妃を睨みつけていた。 「あれってキマイラのお友達じゃあないんですかぁ」緑色淑女リュリュミア(PC0015)は頭上の怪異を見上げる。「うぅん、あの鳴き声を聞くとなんだか頭がくらくらしますぅ」 確かにこの鳴き声を聞いた者達は全てが不調を訴えている。これがこの魔獣の力か。 「え、友達じゃないんダッタラ……もしやリラティフス。親戚?」 男用の浴衣を羽織ったジュディ・バーガー(PC0032)の言葉。 「んなわけあるか〜い!」 隣の魔獣レッサーキマイラが思わず前脚でツッコミを入れるが、それと同時にここにいる冒険者達も残らず一斉にジュディにツッコミを入れた。 「「「「「なんでジュディさん、ここにいるの(おるねん)!」」」」」 ヨシワラへ来るのに同行しなかった彼女が今ここにいる。登場はレッサーキマイラの合流と同じタイミングだった。 宙を跳ねたビリー・クェンデス(PC0096)も思わず『伝説のハリセン』でその高い頭をスパコーン!とツッコミを入れてしまった。 「ワッツ・ハプンド、いやァ、イロイロありましてネ……」確かにこのハリセンは音のわりに全然痛くないと確認するジュディ。 「そのジュディさんはホンマモンや。わいが保証しますよって」 レッサーキマイラが太鼓判を押したジュディは部屋にあった座布団をほぐした綿を耳に詰める。魔獣の声対策だ。 ジュディは、二頭の魔獣、どちらも獣臭そうだが寒いギャグとはいえレッサーキマイラの方は人間並みの知能を有し、愛嬌の有無が決定的に違う、と納得していたのだ。 「どーでもエエねんけど、めっちゃきしょ悪い声で鳴くんはやめてんか!」ビリーはビリーで頭上の魔獣に言いたい事が山ほどあった。「なんやけったいなやっちゃ。ボクんとこの相棒も外見は大概なんやけど、あいつは殺気ビンビンすぎるわ。こらアカンで。ほんま洒落にならへん」 このビリーの言葉はジュディの耳にだけは届いていない。耳栓の力だ。 彼女は鼻歌交じりのカントリーソングと共に『マギジック・ライフル』に魔力を込める。 魔獣が、いや妖怪は駆ける様に居並ぶ廓の屋根をめざして空を降下した。朱灯篭の灯りが影をグルグル巡らせる。 皆は鳴き声の音源が近づくと胸がむかむかするのが倍増したと覚る。 ここでソラトキ王妃の護衛は、彼女を直接護衛する者と妖怪に相対する者に分かれた。
クラインの言葉に、あの妖怪は『ヌエ』というのか、と皆は了解する。 ヌエが牙を剥いて王妃にとびかからんとする。屋根からそこまでまだ三〇mは離れていたが、その距離を一気に詰める跳躍力があった。 皆は嘔吐感で対応が遅れた。 不快感のないジュディは抱えてきた『ドワーフ製の大投網』を妖怪に向けて放った。 突進するヌエが頭からそれをかぶり、地に落ちる。 しかし網は敏捷なヌエを完全に捕らえる事が出来なかった。それでもジュディは獣の上半身を力ずくで網の中に絞り込む。 妖怪の剛力が彼女の怪力と競り合っていたのはほんの束の間、地に爪を立てたヌエ・ビーストが微速ながらジュディを引きずって前進し始めた。 と、その足先を撃ったのがクラインのブラスター。 本当は額に命中させたかったのだが、吐き気で狙いが逸れた。 「ちょっと待ってや、クラインさん! 今かかるやさかい!」 ビリーは『指圧神術&鍼灸セット』で乱れたクラインの衣装の隙間から施術する。 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)もリュリュミアも既にビリーの技で気分が回復している。 クラインも、ビリーに打たれた針から回復の気力が全身に広がっていくのを意識する。 一声甲高く鳴いたヌエは、身を縛る投網を引き裂いて襤褸に変えた。匠の業物を破壊される。 「OH! せっかくのドワーフ製ネットが!」 ジュディが叫んだ時、ビリーはアンナ・ラクシミリア(PC0046)の身体を針治療で苦悶から解き放っていた。 王妃の傍に立つアンナは胸のむかつきで手足に力が入らなかったが、福の神見習いの治療によって復活する。突進するヌエの鼻面を戦闘用モップで叩いて足を止めさせ、その隙に『サクラ印手裏剣』を次次と投擲。 手裏剣が刺さるのをヌエは嫌がり太い首を振った。 その首筋をクラインのブラスターが掠る。 クラインは直接護衛を本分とする。そして今『サイ・サーチ』で周囲を探っていた。探知対象は『干支』だ。 「干支からの奇襲を警戒するとして、竜や馬は目視である程度確認してから対応出来ますが、猿の奇襲や蛇の毒が怖いですわね」 探知に気を回している分、手先は鈍る。探知対象としての干支はあまり具体的とは言えなかったが、それでも反応を拾えた。 まず巨大な反応。眼前の巨獣ヌエ・ビースト。 そして頭上の暗雲の中に幾つもの反応が散逸している。 更には意外な所から反応があった。 この戦場で戦いを見守っている見物人の中。玉露太夫と共に最前列で見ている彼女付きの振袖新造。年の頃はほぼ一八。黒髪をおかっぱにした新造としては豪勢な衣装に身を包んだ少女、銀紫(ギンノムラサキ)だ。彼女の袖の中から小さな物体の強い反応がある。 その反応には気づかず、マニフィカはヌエ・ビーストとソラトキ王妃の間に立った。 「花魁道中の外八方で百鬼夜行を蹴散らしたソラトキ王妃にヌエ・ビ−ストは殺意を露わにしてる。つまり百鬼夜行の妨害は一連の黒幕にとって不都合っちゅー事や!」ビリーは仲間に意を伝える為に叫んだ。 マニフィカも武人の端くれ。この戦いは是非に及ばず。きりっとした紅眼で眼の前の妖怪を睨みつける。「黒幕は何処や! 言葉あれば喋りなさい、ヌエ!」 彼女は己の身体周囲を回転させながら一周させたトライデントの穂先をヌエ・ビーストの横胴に突き立てた。 妖怪は言葉ではなく悲鳴を挙げたが、二撃目が来る前にマニフィカに尾の巨蛇を差し向けた。 その巨蛇のアタックを防いだのがリュリュミアの『ブルーローズ』による障壁だ。 「ええとぉ、ソラトキ王妃を襲おうとするならぁ容赦しませんよぉ」 リュリュミアは急成長させた太いツルで編んだバリケードをヌエ・ビーストの正面に向ける。 太く長い巨蛇が彼女を威嚇した。牙が毒で濡れている。 王妃は完璧と言える冒険者達の防御で守られている。 「あんさんもかかれや! 逃げ回ってりゃせんで!」 「えーっ!? でも相手の気を反らす囮役も必要じゃありやせんか!?」 ビリーはさっきから逃走一点張りのレッサーキマイラに檄を向けるが、当の魔獣はその行動を囮だと言い張る。 「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」 突然、クラインは呪文を唸った。 ダメ元で言うだけなら無料と、図書館で調べておいた百鬼夜行に効果のあるという呪文を試してみたのだ。 それは一瞬妖怪を怯ませたが効果はそこまでだ。 この妖怪は何らかの方法で存在を補強されているのだ。クラインはそこまで悟った。 アンナは巨蛇の尾に手裏剣を放ち、その片眼を潰した。 ヌエ・ビーストの虎の爪がリュリュミアの植物障壁を引き裂いた。そして勢い余って彼女の肌に傷を走らせた。透明な露が傷口からにじむ。 「リュリュミアさん!」 ビリーは駆けつけるが、その時には既に彼女は傷を癒す薬草を促成栽培している。 「ユーの相手はこっちネ!」 アイスホッケーのキーパー・マスクを着けたジュディは大型チェーンソー『シャーリーン』を大きく振りかぶった。 アルコール機関を吹かしたシャーリーンが妖怪の胴に当てられ、固い犬毛と火花を散らす。 マニフィカはトライデントによる二撃目を右前脚に突き立つ。 左前脚はジュディのチェーンソーが高速回転する刃を突き立てていた。 ヌエ・ビーストの左脚が切断され、血飛沫と共に宙に飛んだ。勢いのままに見物人の中にとびこむ。 足にダメージを負った妖怪は上半身が持ち上げられなくなり、半身が地に伏した。 それでも牙を剥いた尾の巨蛇がソラトキ王妃の身を追ってくねるが、シャーリーンの一旋で蛇は胴を切り落とされる。 「まだまだですわ!」 アンナの手裏剣はヌエ・ビーストの残った眼に刺さった。 トラツグミの声がか細くなっていく。 「フェイタリティ!」 ジュディの叫びと共に大型チェーンソーが妖怪の眉間を縦に割った。 そのまま回転刃と共に前進する。 ジュディの足が駆け、巨体の正中線を裂いていく。 ヌエ・ビーストの左右対称な斬死体がぱっくりと傷口を割って両脇に倒れた瞬間、その死体は血飛沫と共に消滅した。 「ぬう! すでに決着がついたか!」 この時、ようやくヨシワラ自治隊の大勢が駆けつけてきた。 既に全ては終わり、ソラトキ王妃の身は守られた。 「で、何でジュディはここにいるの?」 リュリュミアの当然の疑問は皆を彼女に注目させ、ジュディはさすがに耳栓を取らなければと覚る。 ようやく自分がここにいる理由を皆に話す事が出来たのだ。 ★★★ 朝になるまでは自治隊にヨシワラの警護を任せ、豪勢な布団で寝る事が出来た。 色色あってジュディは一旦ドンデラ老が待っている廓に戻った。 そして老とサンチョに冒険者達がこのヨシワラに来ているのだけを告げて、正午にソラトキ王妃達と合流する。 空にはまだ暗雲。 冒険者達はいつもの顔ぶれになり忘八の伊達屋藤一郎と玉露太夫も加え、昼の膳を食する事が出来た。今度はレッサーキマイラも同席する。 大広間。真新しい畳の青い匂いが澄んだ空気に香る。 並んだ膳に茶が出され、味を楽しむ中で午後の語らいが始まる。 ここにいる花魁は宇宙太夫ことソラトキ王妃と玉露太夫、そしてリュリュミアの三人。 リュリュミアは朝になると早速花魁の衣装が着たいと忘八に熱心にせがんだ。 色鮮やかな花と蝶の柄がついた着物を着せてもらってリュリュミアはご満悦。 「でもソラトキさんの真似して歩こうとしたら重くてふらふらどころかよろよろですぅ」昨夜の百鬼夜行を払った宇宙太夫の八方の真似をしようと思ったのだが、着重ねた着物が重くて普通にも歩けなかった。「こんな重い着物を着て毎日通うだなんてリュリュミアには無理ですぅ」 宇宙太夫によれば花魁達は花魁道中の時に毎日この重い衣装でヨシワラを練り歩いたはず。あの複雑な八方で。思うにその体力はすさまじいものだ。 結局リュリュミアはその着物を着てお団子でほっぺたを膨らませながら、宇宙太夫による昔日の作法の伝授を見学する事となった。ちなみに昨夜の傷はもうすっかり痕もない。 自治隊の者達も見守る中、大広間では宇宙太夫から現ヨシワラの重鎮達に技や作法の伝授が始まる。 まずは八文字の歩き方。 見つめる皆はそれが魔術による儀式っぽいと感じながら、具体的に何処のどれという類別は出来なかった。 一歩、一歩、ある歩みは外から内へ回り込む様にくねり、ある歩みは大胆に前へ蹴り出す様に滑り、太夫は歩いて行く。 玉露太夫はそれを踏襲しようとその横に立って、同じ風に蹴り出す。まるでソラトキをライバル視するかの様な熱の入り具合だった。 大広間の脇に固まって座った冒険者達も特上席でこの修行を見物する。 「意味を理解しないとあきませんぞえ」 ソラトキ王妃が玉露太夫に語る。 あの足運びに秘密がありそう。ビリーは超一流ファッションモデルがランウェイを歩く如きの様子を眺めながら考える。 そもそも遊郭であるヨシワラは、場所柄から陰の気が溜まりやすい。 陰の気が溜まりすぎると、それは怪異を成す。 それ故に怪異の発生を防ぐ為、魔除けとなるみせすががきや花魁の八文字を披露し、陰の気を祓ってきた。 ところが、大火によって伝統が焼失し、魔除けの儀式も行われなくなってしまった。 ヨシワラ上空に停滞する暗雲は、可視化するほど集まった陰の気かもしれない。 いずれにせよ、それが原因であるとしたら、ある程度は解決法が見えてくる。 とりあえず喫緊の対処療法として厄払いなどを行い、先ずはヨシワラから陰の気を減らす。 そしてみせすががきや花魁の八文字を再開し、魔除けとなる伝統行事を復活させる。 王妃をヨシワラに招聘したことは正攻法と言えるだろう。 「……そうなると誰が妨害しようとしてるんやろ」 考え事に熱中しすぎて口に出てしまったビリーは慌ててキョロキョロと周りを見回す。幸い、今の呟きを気にとめた者はいなさそうで、皆花魁の習い事に集中していた。息を吐いて安堵する。 しかし福の神見習いの呟きに注目しなかったのは、周囲がめいめいに思索に熱中していたからというのには気づけなかった。 アンナは眼の前の事に集中しながらも考える。 ヨシワラに魔術的な守りがあったとして、それでも大火が起こったのなら考えられるのは内部犯。 この街の特性上、住民のほとんどはよそから来た者のはず。 意図して潜り込んだ者は勿論、望まず連れてこられた者がそそのかされて悪事を行っているとも考えられる。 そう考えると怪しいのはある程度の地位にいる人物の付き人とか。 と、すれば誰だろう……。 ふとアンナは自分の視線の先に銀紫がいるのに気がついた。 玉露太夫の付きである彼女は真直ぐした眼で二人の太夫を見つめている。 マニフィカも考えている。 ヨシワラ自治区で発生した異常現象は、人知を超えた怪異の仕業という疑念もあったが、忍者襲撃によって人為的な介入説が急浮上。 では誰が、何の為に。 客観的にヨシワラの衰退で得する立場とは。競合する他の歓楽街? それとも特権的な半独立状態を問題視する政治勢力の陰謀? 過去の大火が発端なら、怨恨という線も捨て難い。 いずれにせよヨシワラの闇は深そうである。 時間はすぎ、宇宙太夫が、玉露太夫に伝授する八方の技の見せは一通り終わった。ある程度まで行ったら反復となる魔術の足さばき。後は玉露大夫独自の修練となる。 疲れたらしい宇宙太夫は部屋を去り、大広間には足さばきを復習する玉露太夫と銀紫と自治隊の数人が残された。 伊達屋も退室した。 ★★★ 伊達屋と二人で部屋にこもって、みせすががきの音楽や作法を巻物に筆で記述しているソラトキ王妃に冒険者は会いに来た。 異世界の身分ながら人魚の王族であるマニフィカも王妃の立場や気持ちを理解出来る。それに配慮しつつも、護衛クエストの役目を果たすべく彼女が抱え込む秘密を問うた。 「無論母なる海神に秘密厳守を誓いますわ。国王に知られたくない内容なら、その部分は伏せて報告すると約束します」 王妃の個人的な尊厳を最優先すれば多少の不都合は無視できる。 「ヨシワラの秘密でありんすか……」 宇宙太夫がさらさらと流していた筆を止めた。 マニフィカは彼女を観察する。 煌びやかな印象の花魁とはいえ、綺麗事ではすまされない部分も当然あるだろう。 政治的なスキャンダルを危惧するなら、どうしても用心深くなる。曰く沈黙は金なり。 「既にある程度は気づかれていると思いなんしが、このヨシワラは代代オトギイズム王国にとっては首都の鬼門にある魔術的防護の要衝でありんす」マニフィカの熱心さに比べれば拍子抜けするほど素直な太夫の言葉だ。「陰陽術によればここに集まるはずの陰の気を、みせすががきや花魁の八方によって散らしているでありんす。この事実は世に混沌をもたらそうとする非道の輩をひきつけるよって胸に秘めておいておくんなまし」 「陰の気に対抗するといえば……」 「花魁は陽の象徴でありんす」宇宙太夫は文机の隠しから手鏡を手に取った。「遊女は客を選べないが、花魁は違うでありんす。花魁は客を選び、わっちにふさわしい教養、品格、財を持った人間にしか抱かれません。ふさわしくない人間はあちきを直接見るんもかなわず、鏡に映す背中越しにしか話を出来んでありんす」 それを聞いていたアンナは客は花魁を直接見れないという言葉から『太陽』を連想した。直接見たら眼が潰れるというのか。 やっぱりそうやったか、とビリーは話を聞きながら懐の『鱗型のアミュレット』にこっそりと手を触れさせていた。震動停止はない。ここまでは誰も嘘をついていない。 「忍者が襲ってきたとなると、ただの妖怪の災害ではなく人為的なものということになりますわ、忘八さんには何か心当たりがありますかしら」クラインはまるで忘八を問い詰めるかの様に強気に出た。「忍者の中でも『封魔一族』がその名のとおり魔を封じるのでしたら、こちらの味方になっていただけないのかしら」 「忍者はアシガラ地方の士農工商の身分階級外にある、アンダーグラウンドな一族ですよ」 忘八である伊達屋が煙管盆(きせるぼん)に煙草の灰をポンと落とした。 「そしてヨシワラの上層部は皆、忍者組織の一派である封魔一族です。そのリーダーである上忍が……あっしですよ」 伊達屋がヨシワラの秘密を語り始めた。 遊郭ヨシワラ自治区は古くからオトギイズム王国の鬼門を守る為の呪術都市としての側面を持っている。これを把握しているのは王国の中でも数少ない王族とヨシワラ上層部だけだが、この世に邪悪を為そうとする様様な呪術的な反乱勢力も気づいている。ヨシワラを落とすのはオトギイズム王国の呪術的防御力を大きく落とす事になり、そのせいで今まで陰で様様な反乱勢力と呪術的な戦いがあった。一度、ヨシワラを焼失させた大火もその戦いのせいである。この焼失でヨシワラの呪術的結界は大きく効果を失する事になった。 ヨシワラの上層部は『封魔一族』という忍者組織。 今、ヨシワラを襲撃している敵は、混沌をネガティブに神格化している邪教集団『ウィズ』。宇宙の終わりの混沌を一刻も早く世界に到来させようとしていられる彼らは、色色な呪術的デザインに長けている。彼らの内ヨシワラを直接襲ってきている忍者集団の一派を『烏異図(ウイズ)』という。 またウィズという名が。 つまりヨシワラはオトギイズム王国を守る呪術都市であると共に、封魔一族と烏異図という忍者集団の闘争の場でもあるのだ。 「後任の忘八でも五〇代ならある程度は伝統を引き継いでいるはずですわ、ここまで伝統が廃れていることには違和感を覚えますわね」 「秘伝は主に代代口伝で伝えられている事と大火事がありましたからね。それに赤いネズミの害。あれには徹底的にこっぴどくやられました」 クラインの疑問に忘八が答え、煙管に新たな煙草を詰める。一息吸って紫煙をくゆらせた。 「じゃあ、ヨシワラにやってくる人物の出自や経緯を知る人物や帳面の類いは……」 「それも古くからのものは大火で失われています」アンナの疑問に忘八が簡潔に答える。「ヨシワラで働く遊女達は様様な出自を持っています。売りとばされてきた可哀相な女達も沢山います。それら遊女を扱うヨシワラの頭領が『忘八』と呼ばれるのは『人間の大切な八つの徳を全て失った人でなし』という意味が込められているのです」 伊達屋の言葉を聞きながら、宇宙太夫が文机の傍らに置かれた盆の湯呑をに手に取った。肉厚な白い湯呑には熱い茶の湯気が立ち、それに口をつける。 「あちきはヨシワラに関しては恩義も感じているでありんすに」 そしてまた巻物にこの呪術都市の根幹に関わる魔術伝授を書きしたため始める。 ビリーは懐の鱗型のアミュレットを確かめている。反応はなし。 それはクラインも同じ思いだった。 その時だ。 突然、この間を外から仕切るふすまが大きな音を立てて外側から蹴り開けられた。 空気が緊迫する。 突然現れた黒い忍者達三人が黒塗りの刃で踊りかかってきた。 「いきなりこんな身の内に!?」 クラインが叫んだ瞬間、覆面の忍者達は二人が忘八を、一人が宇宙太夫を襲った。 虚を突いての奇襲は、冒険者達がアクションを起こすより一手早かった。 忘八が自分の煙管でその一刀を防いだ。煙管は武器になる仕込み煙管だった。 だが次なる忍者の一刀が肩から胸に食い込む。 「伊達屋サン!」 ジュディの叫びも空しく忘八の伊達屋が血を噴いて畳に倒れた。 三人目の忍者の刃が真っ向からソラトキ王妃の額を襲う。 次の瞬間にその黒刃が食い込んだ物は、コマ落としの様に現れた一体の仏像だった。マニフィカが渡していた『ミガワリボサツ』だ。 「ドゥ・ノット! やらせマセン!」 武器を持ち込まなかったジュディは畳を一枚掴んで引き剥がした。それをそのまま忍者達にぶつける。 今度は忍者達の挙動が遅れた。 外から自治隊の者達五人が駆けつけてくる。 小刀を握っていた自治隊の男が、忍者の一人を斬り倒した。一撃で致命傷と解る。 残り二人が長巻(ながまき)を構えた自治隊達に囲まれる。 捕虜が二人か、と皆が思った時、新たな猛風が部屋の中に躍りこんできた。 その風は白に近い肌色だった。うすだいだい色か。アシガラ地方の者達の東洋人めいた肌色だ。 ボディはグラマラス。首から上までが黒覆面で顔が解らぬ若い女性が、その下のほぼ全裸をさらしてまるで暴風の如く徒手空拳を奮った。 手刀に触れた自治隊の二人がまるで毬を蹴るかの如く、宙に首を飛ばした。遅れて首の切断面が血を噴く。 女忍者は隠し武器で持っているかと皆が疑ったが、全くの素手だった。 白い足がのびてきたのをジュディがギリギリでかわす。足は手と同じ威力を持っている。それが解る、蹴りの鋭さ。 この隙に捕らえられかかった忍者二人の身が逃れる。 新たな畳に巨女が指を食いこませた瞬間、裸の女忍者が足元に煙玉を投げた。 灰色の煙幕が部屋中に広がり、全員の視界を奪う。 「ええい!」 アンナはほぼ当てずっぽうで女忍者のいた場所にモップを突き出した。 手応えあり。 だがその手応えも次の瞬間に消える。 「みなさぁん、一体全体どうしたんですかぁ。……きゃあぁ」 外からリュリュミアの声が聞こえ、大広間で玉露太夫の修練を見守っていた者達もこの部屋に駆けつけてきた。リュリュミアの悲鳴はこの部屋から逃げた忍者に突き飛ばされたものらしい。 煙幕が晴れた時には忍者達はいなかった。黒装束もあの女忍者に助けられたのか。 「何があったんですかい、兄い!?」 レッサーキマイラが大きな顔を突っ込んできた。 「こっから逃げた忍者達を見たやろ!」とビリー。 「それがあっし達が駆けつける寸前で黒い忍者達が二人、ぽんぽーんと跳ねて、塀を越えて外へ逃げてきやしたが」 「馬鹿もーん! そいつが敵忍者や! ……って、女忍者は何処や!?」 「女忍者!?」 「裸の女忍者や!」 「……裸の女忍者? ……そんな嬉しいもんは何処にもいませんかったけども……なんじゃ、こりゃあ!?」 レッサーキマイラが今更ながら室内の惨状に気づく。 伊達屋が斬り倒され、忍者一人の死体と首を飛ばされた自治隊の男二人で血の海だ。 「忘八さん!」 玉露太夫が声を挙げた。 伊達屋はまだ息があった。自治たちの男達が布団で作った、急ごしらえの担架で大広場へと運ばれる。この廓付きとみられる医者が集まってきて、懸命の治療を行っていた。 玉露太夫はその忘八の傍につく。 「あんさん、この大広間でじっとしてたんやろ。誰か怪しい動きをしてた奴はいなかったんか」 「と、言われても稽古をぼーっと見てたら退屈で眠くなっちまったんで……」 「三つも頭揃えてうたたねしとったんかい!」 「銀紫さんが部屋からたったはずですよぉ」 ビリーがレッサーキマイラを叱る光景にリュリュミアは助け舟を出した。 銀紫が?と見回すとちょうど彼女が部屋に駆け込んでくるところだった。 「一体、何が」 慌てる銀紫を「今まで何をしてたんでありんすか」と玉露太夫が叱る。 「ご不浄へ行っておりましたでありんす」銀紫は用を足しに行っていたと証言した。「と、そこで裸の女人が塀を越えるのを見たのでそこでしばらく見張っておりました。……逃げられましたが」 「裸の忍者を見たんですかい」とレッサーキマイラ。 「ええ。……逃げたでありんす」 銀紫が答えるが、ビリーの鱗型アミュレットは彼女が答える間、震動を止めていた。嘘だ。 あらためて見つめると彼女と女忍者は背丈が同じくらいだ。グラマラスな身体つきも似ている。 ビリーは彼女に確認をとろうかと思ったが、その時、医者団が色めきたった。伊達屋が息を吹き返したのだ。 「大丈夫でありんすか」 ソラトキ王妃の声に伊達屋はかろうじて、ああ、とだけか細く答えた。 「絶対安静です。しばらくは大広間から動かさずに養生に専念しましょう」 医者の一人がそう言い、自治隊の人間達はその言葉に従ってこの大広間を養生専用にする模様替えを始めた。様様な医療用具や仕切りなどが運び込まれる。 「ツー・デッドメン……二人、こちら側に死人が出てしまったネ」 ジュディは哀しそうに呟いた。 すぐにあの部屋で死体を検分していた自治隊の者達がやってくる。 「……敵忍者は烏異図です。顔はこのヨシワラに足?く通っていた若者でした。名は誰も知らぬそうで、身元が解る物は持っていません」 「そうかい……常連かい。お寒い時代ですねぇ……」 忘八はそれきり黙り、寝息を立てた。麻酔が効いているのだろう。 ★★★ 「ちょっと待ってください」 退室した玉露太夫と銀紫を、アンナは長い廊下の途中で呼び止めた。 「待て、とは何の用でありんすか」 玉露太夫がアンナと向き直ったが、本命は彼女ではない。 「用事は銀紫さんの方にあります」 「あちきに用でありんすか」 アンナの眼は最初から新造の方に向けられていた。 「あなたはどうしてこのヨシワラにいるのか、教えてもらいたいのです」 「…………」 アンナの問いに銀紫は沈黙した。似合わぬ気の強さが視線から漏れ出した雰囲気となる。 「悪いようにするつもりはありません。今の境遇から逃れたいと思っている人は沢山いるはず……」 「余計な世話焼きでありんす!」 アンナの言葉は、玉露太夫のきつい物言いに遮られた。世話を焼いたつもりではなかったが太夫にはそう受け止められた。 銀紫をアンナが気にかけているのは個人的な彼女への興味だ。 勿論、不審もある。 ただ本当の黒幕は別にいるはず。この質問はその解決の糸口になればいいと思っての事なのだ。 「さ、行くでありんす」 玉露太夫が、銀紫の先に立って歩き出した。 銀紫がその後をついていく。 「ちょっと待ってください!」 アンナは彼女を再び呼び止め、思わずその肩に手をかけた。 振り向きざまに銀紫がその手を払った。 その時、右手の手首に紫の痣(あざ)を見た。大きさと形から、あの女忍者に入れたモップの突きの痕だとすぐ連想出来る。 右手の袖から小さな物がこぼれ、板張りの廊下を滑った。 お守り袋だ。アシガラ地方では何の変哲もない。 銀紫がそのお守り袋を必死に拾おうとした。 拾ったのは重い衣装の身を屈めた玉露太夫だった。お守りを銀紫の手に渡す。 「これ以上、銀紫に手を出さないでおくんなまし!」 太夫の一喝。 アンナに返答する時間を与えずに、二人は廓の廊下を足早に去っていった。 ★★★ 夕景の時刻だが頭上を覆う暗雲のせいで綺麗な色は見られなかった。 ふと気がついたヨシワラ遊勢が指さしながら叫びを挙げる。 まるで絵画の如く、暗雲から一本の色鮮やかな帯が降りてくる。 東洋風の『龍』。 鱗の肌、一〇mもの身体をくねらせながら一頭のドラゴンがヨシワラをめざしてほぼ垂直に降下してきた。 それは細長い龍の身体に螺旋の羊様の角を持ち、口からはイノシシの大きな牙がこぼれていた。 ジャンジャン鳴らされる火の見やぐらに突進して、まさに雄羊かイノシシの如くの体当たりで破壊。口から細い火を噴き、三件の廓の屋根に火を着ける。火事の色が廓を縁取る艶やかな色彩となった。 ヌエ・ドラゴンとでも呼ぶべきか。ヨシワラに新たな妖怪が現れた。 次次に廓に火を着け、それは忘八が養生する廓をめざした。 空からは炎に似合わぬ雪が降ってきた。 ★★★ |