ゲームマスター:田中ざくれろ
★★★ そういえばアキアカネはいつ頃から見なくなっただろう。 いつのまにか消えた赤とんぼの姿を懐かしむ空に、煙のない匂いだけの宴の音。 今日も今日とてパルテノン中央公園の片隅では、十八番の『打ち出の小槌F&D専用』を使って豪勢な食事を楽しむ座敷童子&人造魔獣の姿が。 「またこの滑り出しですかい、兄ぃ?」 あまりにもワンパターンなシチュエーションと感じたのか、レッサーキマイラの獅子頭が原始肉を噛みちぎりながら軽めのツッコミを入れる。 するとツッコミ専用アイテム『伝説のハリセン』が山羊頭に炸裂し、広大な敷地に小気味よい音がスパコーン!と響く。 「なんでやねん! 今ゆーたのわいとちゃうですやん!」 「あっ、しもた……今のはノーカンや。……ほんでな、ちーとばかりオモロい話があんねん」 叩く頭をうっかり間違えたビリー・クェンデス(PC0096)は山羊頭の抗議を聞き流しながら、とにかく話題を変えようとする。 「でな、冒険者ギルドにこんな依頼があったんや。どう考えてもボクらを狙い撃ちやろ」 それはギルドの大掲示板に張り出された依頼。 ソラトキ・トンデモハット王妃の護衛でヨシワラ自治区までの同行者を急募する内容。 「ヨシワラでっか? うひひ、兄さんも好きモンでんな♪」 「アホか! ボクに性別がないんの知っとるやろ」 一説によれば大掲示板の依頼を読んだ瞬間、ビリーの頭上にツンと尖っている妖怪センサーが妖しげな気配を察知したという。 まだ修行不足で精度が全然足りず、確信は持てないがそういう事だ。 ビリーはどうせ暇であるし、その依頼を受けようとする。 「勿論、あんさん方も一緒や」 「……ひどい! 人の都合も聞かずに一方的にスケジュールを決めるだなんて!」 「あんさんの予定帳に開店休業以外の大スペースがあったりするんか?」 「……ないでやす」 ライオン、山羊、蛇の三つの頭を持った人造魔獣は覚悟を決めて首を垂れる。 「わぁい、皆でヨシワラまでお散歩ですねぇ。どんな地野菜や名物料理があるかたのしみですぅ」 いつのまにかぬらりひょんとこの会食に加わっていた光合成淑女リュリュミア(PC0015)は、豆腐ステーキを先割れスプーンで食べながら笑顔をこぼした。 呼んだ憶えのない三人目の出席者に思わず背後の石柱に張りついてしまったビリーとレッサーキマイラ。豆腐ステーキを出した記憶もない。 しかし「リュリュミアさんだったら……」と全ての理不尽を納得させてしまう要素で、一柱と一頭は日常へ復帰した。 「ヨシワラって色色きらびやかな服を着てる人達でいっぱいなんでしょぉ。リュリュミアもいっぱいお花や蝶の絵がついた服を着てみたいですぅ」 しっかりと焼き色のついた豆腐を食べながら夢見るリュリュミア。 彼女を見ながら玉子丼と原始肉を頬張る魔獣とビリーは、従来の面子が集まったらまた一波乱あるかもな、と少し先の未来を予見した。 そして波乱を乗り越えられるのもその面子ならではの事も。 ★★★ 王都『パルテノン』の冒険者ギルド二階。 卓に紅茶を置いたマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は『故事ことわざ辞典』を読む。 さりげなく取り出してみた書を紐解けば「一芸は道に通ずる」という文言が眼に入る。 プロフェッショナルに対する敬意は大いに理解出来る。 つまり王妃をリスペクトせよという示唆か? ちょっと解釈に迷い、再び頁をめくると「白虹、日を貫く」の記述。 白色の虹が太陽を貫いてかかる事をいう。中国という異世界では、白い虹は武器を意味し、太陽は君主を現したから、臣下が反乱を起こし君主を倒す前兆とされた。 真心が通ずるという意味なのか、それとも兵乱の兆しを警告しているのか。 悩ましい。 いずれにせよ、王妃の身を案じざるを得ない。 きちんと形式を踏むのは政治的に不可欠なポイント。 あくまでも依頼を受けた冒険者の一人という建前を守るべく、王都の冒険者ギルドで受付を済ませる。 とある異世界の高名なサムライ・ウォーロードは「人は石垣、人は城」という名言を遺した。おそらく他の友達もこの護衛依頼に応じるだろうから、阿吽の呼吸にも等しい協力関係を構築しておくつもりだ。 ここにはいないジュディ・バーガー(PC0032)の口癖を借りるなら、チームワークで対処する事が極めて大切。 「正直なところ、王妃に話題を振っていいのかどうか悩みます」 アンナ・ラクシミリア(PC0046)は人魚姫と同じ卓に着いて、ホットのレモンジンジャーエールの入ったマグカップを持て余していた。 性の遊興都市ヨシワラを話題にするのはアンナとしてはちょっと恥ずかしいが、今回の怪異と関係があるかもしれないので、大火については王妃に知っている事を全て話してもらいたい。 勿論アンナ個人が調べられる事は出来る限り事前に調べておきたいと思っている。 先日の見世物小屋の件は、不用意に依頼主であるお爺さんを連れ出して取り返しがつかない状況にしてしまったのをアンナは悔やんでいた。 出来る限りアフターフォローはしたいと思うが、今はその事は忘れて眼前の依頼に全力で取り組もうと考える。 「王妃が呪われてしまったら洒落になりませんわ、通常の護衛はともかく呪いは専門外ですし、少しでも対策していきたいですわね」縁の薄いカップから黒く、熱く、苦い飲み物を赤い唇へと流し込んだクライン・アルメイス(PC0103)。彼女も護衛の下準備として図書館などで調べ物をした帰りだった。ヨシワラでの過去の呪いの事例や呪いを軽減出来る様なデザインを調べていたのだ。 「ヨシワラの呪いが単発で終わるならいいですが、呪いって大概しつこいですわよね、ヨシワラの魔除けが弱まっている事にも関係があるのかしら」 アンナとクラインは調べてみた限りでは、ヨシワラでは過去にその存在を巡って多少の諍いが起きていたらしいのだが、それは表立っての事件とは記録されていないらしい。 「あとヨシワラは王都から見て『鬼門』であるのも気になる所ですわ」とアンナは言う。 王都の北東の位置。魔術的には不浄であり妖がやってくる方角といわれる鬼門に、ヨシワラがあるという。 「王都の魔術関係の店を回って、呪いを軽減出来るアイテムを探しておきましたわ」 クラインは革のバッグに入れていた様様な物品を卓上にこぼした。 ざ、と呪符めいた物や破魔矢や鏡、ガラスの小瓶など二〇はあろうかという小物が山を成し、崩れた。 「三〇万イズムの予算で汎用的な効果のある小物や回復薬等等。値段は出来る限り交渉してもらいましたわ」クラインはちょっと自慢げにする。「短剣や指輪辺りが欲しかったのですけど、ヨシワラの魔除けに似た効果を持たせたデザインで発注したらそれはよく解らないし時間がかかると言われたので、残念ながら断念ですわ」 「幾らか安心出来ますわね……」 小山を成した呪的物品にアンナは感心の声を挙げる。 「確かに心強いですわね。さて、では移動する準備にかかろうかしら」 あくまでも上品にマニフィカは紅茶を飲み干し、手の書本を閉じた。 ★★★ 街道の脇に並ぶ桜は今は葉も花もない季節。 ちらほらと小雪が降ろうかという曇天はやがて青く透き通ってきた。 暖かな風。 王都を旅立ち、オトギイズム王国東部『遊郭ヨシワラ自治領』への街道を辿るソラトキ・トンデモハット王妃とその一行。 行き過ぎる旅人は今日は少ない。 彩(いろどり)のよい和傘を指す王妃はこの天気でそこまで日焼けに気を配らなくてもいいのにと皆に思われるが、美容には人一倍気を配っているらしい。見ためは三〇歳そこそこだが子らの年齢を考えるともっと年は行っているはずだ。 「念の為にこれを渡しておきますわ」 マニフィカは『ミガワリボサツ』をソラトキ王妃に渡しておく。 「念の為に借り受けなんしがわっちにはこれがござんすので」 王妃は自分のしている『黒水晶の指輪』に触れた。 「なんや黄門様一行みたいやな」 ふと自分達を省みて言葉を出したのは『精霊の一輪車』にまたがったビリー。 王妃は、金髪の伊達兵庫(だてひょうご)。花魁の格式に相応した壮麗絢爛な髪型。横兵庫の派生形。文金高島田の髷を大きく左右に張り、そこに松や琴柱をあしらった簪(かんざし)を左右に計六本、珊瑚大玉の簪を二本、鼈甲(べっこう)の櫛を三枚挿したもの。首辺りで一つに束ねる 和洋折衷の王妃はまるで春の花びらを連れて歩いているかのような優雅さだ。 アンナやクラインは道中の付き添いの中、あれこれと質問をするのだが、ある質問は柳の様に流され、ある質問は逃げ水の様にはぐらかされ、とかく王妃は自分の口からヨシワラの秘密を話そうとはしなった。 「万が一という事もありますし、誘拐などの対策として発信機能付きの小型盗聴器をお渡ししたいのですが無礼にあたりますでしょうか」 「無礼とは思わぬも、あちきも色色とプライベートな事もありんすで、いざという時にお願いするなんし」 「伝統の作法などは書類で残すのは風情というか趣がないかしら」 「基本的に口伝でありんすな。書にして残した物もあったが皆、大火で焼けてしまったらしいでござんす」 「ネズミの呪いの様なものはヨシワラではよくある事なんですの」 このアンナとクラインの問いに、紅をさした唇が真剣になる。 「ヨシワラを背景とした災いには色色な種類がござりんす。しかし赤いネズミというのは初めての事。……わっちの予感によるとこれは永い呪いの一端の気がするでありんす」 「大火の事について質問をしたいのですが」 アンナはどうしても核心を突きたくて大きな声で王妃に質問を投げかけた。 「あちきに訊いても火事について大事な事には答えられんでありんすな。あちきがヨシワラを離れてからの事でござりんす」 この道中で冒険者達は色色とソラトキ王妃に質問をした。 しかしヨシワラという自治領の核心に迫る問いには王妃は答を返してくれなかった。 とりあえず道中は予定の四分の三以上を無事にすごしてきた。 途中の宿場では宿を一件貸し切りにするなど安全対策には惜しげもなく金をつぎ込んでいる。 今のところ、トラブルらしいトラブルも……ちょっとはあるが(後述)王妃を囲んだ冒険者一行は旅を続けていた。 「あそこにお店があるから一休みして行きましょうよぉ。リュリュミアはお団子が食べたいですぅ」 いつもより多くの緑葉でコートを作っているリュリュミアは峠の茶屋を見つけて眼を輝かせた。 小腹の空く時間。 皆はこの茶屋で一休みする事にした。 「茶と団子くらいボクが用意するのにな」 「こういうのはお金を払って軒先を借りるのがいいのですよ」 峠の茶屋で皆が腰を下ろすのにビリーがちょっとぼやくが、アンナはローラーブレードの調子を見ながら福の神見習いにちょっと答えた。 それでも茶屋はちょっとした騒ぎになった。 レッサーキマイラがマントを着込んだ姿で同行しているからだ。ちょっと見ためは変わった馬くらいの奇獣に見えるが、三つの頭や足先は肉食獣の怪物。見知らぬ旅人や商売人達が怯えるのには充分だ。事情を知らぬ騎士や侍が捕り物に来たのは一度や二度ではなかった。その度にビリーや王妃が口を利くが、この魔獣の人となりは説明が難しい。最後は必ず王妃直直に無害の太鼓判を押す事で、なんとかお引き取りをしてもらえていたのだった。 「団子の五〇本でも持ってきてもらおやないか」 縁台にふんぞり返ったレッサーキマイラの後頭部に、ビリーのハリセンがスパコーン!と炸裂する。 人数分の団子と茶が配られた一行は茶屋に独占的に一角を借り受け、小休止の時間を満喫する。 薄寒い気候に時折吹く風が温くて気持ちいい。 「あの〜。これらはどういう旅のご一行で」 盆を抱えた茶屋の老けた主人が、一番大人しそうなリュリュミアに訊ねる。 「ちょっとねぇ。色色な人達が集まってヨシワラをめざしているのよぉ。あれ、ソラトキさん、この旅の事、他の人にばらしていいんでしたっけぇ」 「内密であるに越した事はないけども穏便にお願いしなんす。尤ももうばれているに等しいでござんすが」 三色の団子を串から?み離してソラトキ王妃が答える。 こんなに派手な一行で内密もないものですわ、とマニフィカもよもぎ団子をくわえて串から離す。と、咀嚼するが噛み応えがおかしい。口の違和感を丁寧に掌に出すとそれは一枚の小さな紙片だった。 『これ以上、手を出すな。さっさと王城へ帰れ』 紙片には小筆で墨文字が描かれていた。 「これは!?」 マニフィカは袋鞘を付けている三叉槍を手に取る。 その瞬間、茶屋の陰から数体の黒影が表へ走った。 「乱波(らっぱ)!?」 緊張したソラトキ王妃が黒水晶の指輪に触れる。 覆面の黒い影はその色の装束を身にまとった、いわゆる忍者だった。 四角い鍔の黒塗りの小刀を片手に持った彼らはまるで怒ったましらの如く、地を低く跳び走った。 「させない!」 アンナは黒い一人を戦闘用モップで迎え撃った。 ローラーブレードをハの字に広げて、突撃の威力を殺す。黒い忍者はモップに弾かれて後退した。 マニフィカのトライデントとクラインの鞭が一人ずつを受け持ち、自分の元へ忍者を引き受ける。 「かからんかい!」 ビリーは大きな声を挙げたが、レッサーキマイラはマントをかぶって逃げに回っていた。 「かからんかい! 何の為にこの道中に連れてきたと思ってんのや!」 「じゃあ、あっしらはここで戦う為に連れてこられたんでっか」 「当たり前や!」 そんなやり取りの中、レッサーキマイラが脱いで丸めたマントを自分にかかってきた忍者に投げつける。マントは切り裂かれたが、忍者はそのまま後方にさがる。 今のところ、素早い忍者が恐らく六人。 円陣の様な編隊が高速で刃の距離を詰める。 リュリュミアのツタが一人を打ったが、五人は高く跳躍して、護衛の頭を越えた。 「!」 ソラトキ王妃の頭上に刃の群が迫る。 と、一瞬の電流の様な壁が王妃に迫った一斉の刃を弾き返した。 弾き返された忍者達は地に転がる隙もなく、そのまま地上を低く走って戦地を速やかに離れた。まるで劣勢になるのを予想していた様に。 護衛はただちにソラトキ王妃を囲んで守りに入るが、忍者達はそれに構わず、四方八方へ逃げた。 危機をやり過ごした。 地べたに座り込んだ店主をクラインは立たせ、地に転がった湯呑を拾い上げてやる。 「偵察。様子見じゃな」 ソラトキ王妃が指輪の調子を確かめる。 「その様な防備だったのですか」 「これは一回使ったらしばらく使えん。旅が終わるまでは無理じゃ。この次はおぬしより渡された仏像の番じゃろう」 マニフィカへ王妃は答える。わずかに不安げな表情がある。 「あの人達は何なんですかぁ」 リュリュミアは王妃に訊ねる。 「封魔一族ではないはずだ……とすれば」 王妃は初めて聞く名を答えたが、それ以上の名を出す事はついになかった。 護衛は警戒を一層強力に旅を続けたが、それから忍者の脅威はなかった。 それからヨシワラへ着いた日は、陽が落ちてからの夜景だった。 柳に囲まれた湖上の街。十人も乗れば満杯の渡し船が黒い水面を滑る。 通常のヨシワラならば『みせすががき』と呼ばれる一斉の弦楽が迎えるはずだったが、それはない。 寂しい、と船上の王妃が呟いた。 朱灯篭に灯は入っているが、豪宴であるはずの遊興都市は何処か寒寒としている。 船着き場で一人の男が大勢のつきそえを従えて待っていた。つきそえは皆腕が立ちそうだ。自治隊か。 ヨシワラ斬られ損。 皆はあらためてその言葉を思い出す。 「現『忘八』伊達屋藤一郎(ダテヤ・トウイチロウ)です」五〇歳ほどの禿げ頭の男が丁寧に頭を下げた。忘八というのはヨシワラ自治領領主の事だ。「お待ちしておりました。宇宙太夫(ソラトキダユウ)」 王妃も彼には頭を下げた。 「ここからはこれを持っていただきます」 クラインは王妃にしか聞こえないだろう位置から囁き、袖のたもとに盗聴器を落とした。 「現太夫の玉露太夫(タマツユダユウ)もこの先の廓でお待ちです」 上陸して初めて街のあちこちにネズミ達の齧り跡、蹂躙の傷を見てとる事が出来た。 皆が頭上を見上げれば、空に押し潰してくる様な暗雲があった。 「あのぉ。お団子屋さんありませんかぁ。リュリュミア、ちょっとお腹が空いたみたいでぇ」 この期に及んで、空腹を素直に口に出来る彼女は大物に違いない。 ★★★ 「ウィ〜。イッツ・ヘイブン〜!」 一足先にヨシワラに着いていたジュディは領内の宿で湯に漬かり、余りの気持ちよさに液状化していた。 実は最近とある難しい依頼を力技で達成したジュディは、依頼主のウッドランド商会から追加ボーナスとして報奨金の他に『ヨシワラ優待券』を贈られていた。 オトギイズム随一の歓楽街ヨシワラ自治区でお得なサービスを提供してもらえるらしいという事で、お酒が大好きなメリケン怪力娘はありがたくその権利をいただいた。 つまりジュディはソラトキ王妃の依頼を知らぬまま、このヨシワラへ来ていたのだ。 老騎士ドンデラ・オンド公の方はすっかり脳震盪は完治していたが、見世物小屋での一件以来、元気がない。 従者サンチョ・パンサがそんな主人の不調を心配している。 そしてそれはジュディも同様だ。 このところ軍資金は順調に貯まり、とりあえず懐にも余裕がある。 再びイーユダナ湖での湯治を検討していたが、手に入れた優待券を活かす為、訪問先をヨシワラに変えても構わないだろう。 「オールOK! ノープロブレム!」 ジュディはニカッ!と笑ってサムズアップし、サンチョもつられて親指を突き立て返す。何の意味かは具体的に知らないらしい。 という訳で、遍歴の騎士一行は骨休みを満喫すべく旅立った。 ヨシワラに着いた時には噂に聞いていた華やかさがそれほどではないのに拍子抜けしたが、それでもヨシワラ、宿としての廓に通された時、一個の芸術である屋内装飾に溜め息が出るほど驚かせてもらった。 さてハリウッド映画的に間違っているジュディのアメリカンな認識によれば、ゲーシャプレイ(芸者遊び)こそ和風文化の極みとされる。だがそれは時代劇の撮影現場を訪れた観光客に近いミーハーな感覚かもしれない。 一応の湯治の後、一行の三人はお座敷を借り上げ、慣れぬ正座は厳しいからあぐらを組んでドンチャン騒ぎ。 ジュディはご機嫌な笑い声を響かせ、マントみたく豪華な振袖を羽織り、ギターの要領で調子外れに三味線を弾く。 彼女の前に乱立する空の徳利から飲み干した酒量がうかがえた。 芸者や太鼓持ちからおだてあげられ、満更でもない表情で冒険譚を披露するドンデラ老。 「……そこでわしらにかかってくるグリフォンめがけて我が剣の一撃を……!」 「泥遊びしてた豚に後足の逆襲をくらってもんどりうったのでげすね」 いつもの調子に戻った騎士に安堵しながらサンチョがツッコミも入れる。 騒騒しい酒宴。それをお座敷の片隅でとぐろを巻く愛蛇ラッキーセブンが静かに観察していた。そんな泰然自若としたニシキヘビの姿は卓越者としての神神しさすら感じ取れる。 ★★★ 一番豪華な廓に通された忘八とソラトキ王妃と冒険者達は、まずは玉露太夫を主席としての豪勢な歓待を受けた。 玉露太夫は年齢は三〇近くのなかなか気の強そうな美人。王妃と同じくらいに見える年だが、どうやら彼女の方が若いようだ。 髪型は黒髪をソラトキ王妃と同じ伊達兵庫とし、緑松葉を基調とした豪勢な花魁装束を身にまとっている。 各席には豪勢の限りを尽くした夕餉(ゆうげ)の膳が並んでいる。 「わあい。大きなカブの煮物がありますよぉ」 リュリュミアは満足げに喜んでいた。 「まずは皆の縁をとりなしてくれた何処かにいる神に感謝しておくんなまし」 玉露太夫の一言に「え? ボク呼ばれたの?」とビリーは早とちりしたが、そうではないらしい。 「……銀紫(ギンノムラサキ)」 玉露太夫が次に発した言葉は人の名だった。 彼女付きの振袖新造。年の頃は一八か。黒髪をおかっぱにした新造として豪勢な衣装に身を包んだ少女は、黙って客の盃に酒を注いで回った。この娘が銀紫か。 それからしばらく酒の席はほぼ言葉もなく和やかに続いたが、それも伊達屋が次の言葉を吐くまでだった。 「あっしが継いだヨシワラもなかなか元の様に戻ってくれません……」 優しげな表情の伊達屋が傍らの煙草盆に、煙管(きせる)を叩いて灰を落とした。唇からうっすら紫煙が立ち上る。 「ヨシワラを昔通りにするのにあちきは呼ばれたのじゃ。昔からの作法を知っている数少ない一人であるが故」ソラトキ王妃が厳しい口調で酒杯を飲み干した。「早速明日から玉露太夫に花魁道中の足さばきを伝授するでありんす。恐らくはヨシワラの呪いを払拭する第一歩となる重要な作法でありんすに」 そして王妃は冒険者達を見渡した。 「知っている限りの作法を教授するのには時間がかかるでござんす。あちきとここまでついてきてくれた護衛の皆はもうしばらく永い間、このヨシワラに滞在する事になんしがよきでありんすか」 宇宙太夫は訊くが、とりあえず皆に断る理由はない。いや、断ってもいいのだが。 「出来る限り早く免許皆伝をもらい、先達には王都へすぐ帰っていただくでありんす」 玉露大夫がまるで睨みつけるが如き気の強い眼線を王妃へ放った。 初めて会う顔のはずだが、まるで十年来のライバルを敵視するような。 この間、ビリーは懐の『鱗型のアミュレット』をずっと触っていたが静止反応を感じる事はなかった。つまり、この席で虚言を吐いた者はいない。 そういえば、とビリーは頭をひねった。 レッサーキマイラは酒席を与えられていないが、あいつらは何処へ行ったのだろう。 ★★★ 眠りが浅い。 ジュディは獣臭い匂いの中で眼を醒ました。 彼女が寝ていたのは寝台ではない。 芸者が全て引き上げた座敷の真ん中で、ジュディら遍歴の騎士一行はレッサーキマイラを枕に泥酔の末の眠りをむさぼっていたのだ。 「……MOO……」 じか寝のジュディの頬には体毛の跡がついている。 「……?」 ジュディはふと反射的に自分の財布を確かめた。 ある。 なくなっていない。優待券も。 安堵はしたが、もたれかかっていたこの旧知のレッサーキマイラが何でここにいるのか。ジュディは混乱した。 「うーん。むにゃむにゃ……もう食べれないよぉ」 呑気な寝言を吐いたレッサーキマイラが次の瞬間、跳ね起きた。 「寝てません! ちゃんと話は聞いてました!」 寝ぼけた魔獣は眼を手でこすりながら座敷を見回す。すぐに寝そべっていた自分を枕にしていた旧知の友人達に気がついた。 「あれ。ジュディはん達、何でここにおるんでっか」 「ホワイ・アー・ユー・ヒア? レッサーキマイラこそ何でここにいるノ!?」 他に誰もいない座敷で驚き合った。 (以下はレッサーキマイラの証言に拠る)。 ええ。先日の夜、最も豪華な廓についたわいらは建物に行くまで皆と一緒にいましたんや。 ところが建物に入る寸前にわいらは自治隊の男達に無理やり引き離されたんでやす。たんなるケダモノのペットだと勘違いされたんでやすな。 で、わいらは礼儀知らずに対して暴れようと思ったんでげすが、ある自治隊の男が小さな手裏剣を山羊頭の首筋に投げたんですな。 まあ、ちょっとした切り傷でやす。 それ以降、記憶が曖昧なんですが、物凄い眠気に襲われたんでやす。 多分、最後の力を振り絞って闇雲に走ったんでしょうな。 男達を振り切って手近な建物に入り、誰もいない部屋へ辿りつきましたんや。 誰かがいたとかいなかったとかは確認してやせんが、その座敷で眠りこけたんでげす。 で、眼が醒めたらジュディはんらがわいを枕にしていた。そういう事なんや。 と、レッサーキマイラの話を聞いていたジュディは、魔獣がディテールを詳しく語る事によってソラトキ王妃を巡る事象をようやく把握した。 「王妃をヨシワラまで護衛なんてそんなクエストがあったんデスカ!?」 「あー。やっぱり依頼を知らなかったんでやすか」 偶然だとしたら凄まじい偶然だが、ともかくジュディと魔獣達はここで出会ってしまった。 ここまで来たらソラトキ王妃達に会わないわけにはいかない。 「ジュディ達を皆の所までガイドしてくだサイ」 アメリカン・スピリッツを奮い立てながらジュディは窓の障子戸を開け放った。 まだ外はどっぷりとした夜だ。 「朱雀通りに百鬼夜行が出ました!」 その時、慌てた男の声がその外から聞こえてきた。 ★★★ 訪れる人もすっかりいなくなった深夜。 廓もすでに全てが閉まり、人の声がない。 ただ朱灯籠のみが灯りの残滓を身の内にとどめ、わずかに周囲をほの明るくしている。 ヨシワラ見回りの男達の足元で地に落とした提灯がチロチロと燃えている。 街の通りはどっぷり暗い。 そこに青白いものの形をした鬼火が大勢で音もなく行列する。 鼻のでかい老婆。着物をはだけた青女房。眼玉が飛び出た小男。蓑や傘が寄り集まって人の輪郭を成したもの。等等、等等。 百鬼夜行。 数十もの様様な妖が人に似た姿をしての青白い浮遊だ。それを見た者は後日高熱にうなされるという、不吉であり、不気味。 道を譲った自治隊の屈強な男達が腰を抜かして立てない。 そこにソラトキ王妃や伊達屋や玉露太夫や冒険者達、そしていまだ眼醒めぬドンデラ老とサンチョを座布団の枕に預けてきたジュディが集まった。 「ジュディ!?」 「詳しい話は後デ!」 突然の登場に驚いた親友達を一旦黙らせるジュディ。 「退がってください!」 声も厳しく戦闘用モップを伸長したアンナは伊達屋や太夫を退がらせる。 だが、その声に反してソラトキ王妃が前に出た。帯の結びを前にした和洋折衷の振袖が艶やかに夜気を裂く。 「ちょうどいいでありんす。今のヨシワラに欠けているものを皆の眼に見せてやるなんし」 言いながらずい、と金髪の太夫は百鬼夜行と正対する。 振袖の裾と共に、右足が重重しく前に出た。 外八方。花魁道中の足運びだ。 だが宇宙大夫の左右の足運びは更に大胆だった。まるで酔漢の様にふらふらと足運びのままに身を左右に振る。八方を踏みながらもまるでそれ自体が意味を持つ儀式の如く複雑に身をくねらせる。 力強く華麗に前へ出る。 百鬼夜行の先頭である狼面の鬼火が青白いまま崩れた。 大胆な宇宙太夫の複雑な足運び。 皆の見ている前、彼女が八方を踏む度に百鬼夜行の身が崩れ、風に消えていく。 「あれ自体が魔術である様な……」 アンナは呟き、八方に静かに蹴散らされて百鬼夜行が消え去った。 「ああ、あれだ……」伊達屋が大きな声で呟いた。「あれがヨシワラの花魁道中の八方だ……」 百鬼夜行が消滅し、闇が深まった。 銀紫を連れた玉露太夫のうらやましそうな妬ましそうな美しい視線。 皆は百鬼夜行が消え去ったのに安堵し、ソラトキ王妃に近づく。 だが、それは一段落でしかなかった。 甲高い鳥の鳴き声が頭上から降ってきた。 トラツグミ。その鳴き声の鳥は鵺(ヌエ)とも呼ばれる。 ヨシワラの天を覆う暗雲から今、甲高い鳴き声と共に体長五mはあろうかという巨獣が降りてきた。 巨猿の頭。胴は狸、いやあれは犬の毛か。筋肉質な四肢は虎。そして尾は蛇。 不気味な混合の魔獣が空から駆ける様にヨシワラの甍をめざす。 甲高い声は聞く者を皆、不快にさせる。吐き気を覚えているのは多分そのせいだ。 屋根の上に降り立った巨獣はソラトキ王妃を睨んだ。その殺意を疑う由はここの誰も持っていなかった。 ★★★ |