『病院でカレーを食う』

第2回(最終回)

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★

 ヘンゼルとグレーテルが消えた森。
 それはニック・マンソンが逃げ去ったはずの森。
 その縁に立って濃緑の輝きを眺めながらジュディ・バーガー(PC0032)はニックが正体を現したあの日に記憶を戻していた。
 ジュディが薬物盗難事件のクエストを引き受けた理由は、財政面における必要性もあったが、御老公が入院中の病院が依頼主という偶然の要素も大きい。
 アメリカ流の合理主義として、あくまでもビジネスライクが信条。だから真犯人だったニック・マンソンに対し、さほど個人的な感情を抱いて無かった。
 彼の怪光線が病棟を直撃するまでは……。
 シン・□ジラの如く口から放たれた怪光線は、ドンデラ・オンド公の病室の近くに被弾した。
 その瞬間、まさに彼女の肝が冷えた。つい「グランパ!?」という叫び声を上げてしまうほど。
 幸いな事に御老公も従者サンチョ・パンサも無事。病室に飛び込んでみたところ、表の騒ぎにも気づかず二人共のんきに昼寝中。
 膝が砕けた。思わず笑ってしまった。
 遍歴の騎士は、どうやら強運の持ち主らしい。
 しかし大切な身内に危害を加えそうになったマンソンを許す事は出来ない。
 ぶん殴ってやらないと気がすまない。それも……倍返しだ!
 ジュディは一旦、冒険者ギルドへと赴いた。

★★★

 やんごとなき人魚姫マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は泊っている宿で、偶然に出会った希少本『美味礼讃』を思い返していた。
 希少本の著者は「ふだん何を食べているのか言ってごらんなさい、そして貴方がどんな人だか言ってみせましょう」と言ったらしい。
 すっかりマニフィカは、グルメの奥深さに感心してしまう。
 しかし、その言葉は『ドン・キホーテ』の有名な一文を真似たものであると解った。
 このオトギイズム世界では、物語の登場人物が実在する。
 ドン・キホーテも例外ではない。
 友人であるジュディが、彼ら遍歴の騎士一行に加わっている事は偶然だろうか?
 なにやら因果律を感じ、お約束の『故事ことわざ辞典』を取り出す。
 紐解けば「薬も過ぎれば毒となる」という文言。
 これは逃亡中の天才調理師ニック・マンソンを示唆か。
 再び頁をめくると「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の記述が。
 おお。最も深き海底に坐す母なる海神よ、お導きに感謝を。

★★★

 福の神見習いビリー・クェンデス(PC0096)の十八番『打ち出の小槌F&D専用』は最高のコストパフォーマンスを誇るアイテム。
 いつでも何処でも他者とのコミュニケーションに大活躍。真にありがたい宝物だ。
 そんな便利なアイテムに新レパートリーとして『ブラックカレー』を追加する試みは見事に失敗。
 相棒のレッサーキマイラが発言したように、おそらく食品としてブラックカレーの認定を拒んだ為と思われる。
 如何なる審査基準や仕組みかは不明ながら、さもありなん。
 あえて指摘すれば、この世にブラックカレーは存在してはならない『禁断の料理』だろう。
 このまま放置しておく事は出来なかった。
 いずれにしろ危険な天才調理師ニック・マンソンが大人しく潜伏を続けるとは思えない。
 自己顕示欲が旺盛そうなあの男が、何らかのトラブルを引き起こすのは必然。
 気乗りしないレッサーキマイラをなだめすかしながら、ちょくちょく冒険者ギルドに顔を出す日日が続いた。
 予想は当たり、森で行方不明になったヘンゼルとグレーテル兄妹の捜索クエストが大掲示板に張り出される。
「まず間違いあらへん、奴の仕業やな」
 ビリーも逃亡中の調理師ニックであると気づいた一人。
 早速クエストを受けるが、協力者が相棒の人造魔獣だけでは手に負えない。
 素直に他の顔なじみとも連絡を取る事にした。
 と、その時。
「あら、ビリー」
「あ、マニフィカさん」
 思いがけず早くも冒険者ギルドの玄関ホールで出会ったマニフィカとビリー。
 勿論マニフィカもこの依頼を受ける気でいた。
 真っ先に合流を果たした二人はタッグを組み、どう攻略すべきか作戦を練る。
「兄ぃ〜。わいらよりマニフィカさんの方が出会ってイキイキしとるやないですかぁ〜」
「別にそうゆう事やあらへん。まあ、知り合ってからの時間はお前らよりは確かに永いけどな」
 すねているレッサーキマイラに対し、ビリーは浮気ではないという弁明を忘れない。
 ビリ―とマニフィカ。二人は病院から逃亡する直前にニックの語った言葉の内容を語り合う。
「あいつは『あらゆる料理にブラックカレーと同じ効果を持たせられるようになった』と言ってたんや」
「……それが本当なら、安易に超人化が可能となるのではないですか」
 そう。いつでも何処でも誰でも。
 仮にドーピング料理がテロリストと結びついたら、その悪影響は計り知れない。
「……テロリスト……」
「でろりんまん?」
 マニフィカの呟きに思いがけない方向からリュリュミア(PC0015)の声がかぶってきた。
 玄関ホールでたむろしている冒険者達の中に、ビリーとマニフィカはよく見知っている五人の姿を見つけだした。
「逃げたニックにはパニッシュメント、お仕置きをしてあげないトネ」
 ここにいるどの冒険者よりも頭一つ抜きん出ているジュディは、左掌で右手のパンチを受け止めた。
「お菓子の家がブラックカレーとなっているなら厄介ですが、逆に言えばお菓子の家を破壊してしまえば油断と慢心の隙を突けるはずですわ」
 クライン・アルメイス(PC0103)はチャイナ服姿で鞭をしごく。
「ブラックカレーが色色なものが混じっての黒色なら、ニックが混沌の『ウィズ』関係者の可能性もありますかしら」黒髪の女社長は混沌側からの援軍を警戒している。
「もちろん必要があれば戦いますが、はっきりいってあの肉体にダメージを与えられるかどうか疑問に思います」
 椅子に座ったアンナ・ラクシミリア(PC0046)はローラーブレードの調子を確かめる。
「ただニックはあの状態はかなり無理があるはずなので、持久戦に持ち込めば放っておいても自壊すると思いますわ」
 モップを持つ、そのピンクの服が午後のギルドで映える。
 姫柳未来(PC0023)はそんな皆の後ろ姿を見ながら、ある決意に心燃やしていた。
 さらわれた子供達、ヘンゼルとグレーテルを助けてあげたい……。
 そして、これ以上被害者を出さない為にも、あの狂人ニックを野放しにはできない……。
 そんな正義感から、超能力JK未来は一つの決断をしていた。
 こうして七人の冒険者達は、ニックを倒す事を目標に兄妹捜索の依頼を受けるのだった。
「わしも忘れんといてくれやあ……」
 レッサーキマイラの嘆きにも似た言葉がギルドの空気をか細く震わせる。

★★★

「毒を以て毒を制すですわ。病院にも責任を取ってもらいませんと」
 クラインは病院と交渉して濃度を高めた筋弛緩剤を大量に調達した。
 戦闘には直接関与せずに姿を隠しておき、まずは筋弛緩剤によるお菓子の家の汚染に専念する。その作戦だった。

「毒を以て毒を制す」と考えた者は他にもいた。
 ジュディだ。
 ただし彼女の戦術はクラインとは異なっていた。
 どれほどマンソン氏が料理の天才としても、戦闘に関しては素人のはず。
 天は二物を与える事もあるので油断出来ないが、基本的にドーピングは付け焼刃。
 お菓子の家を食べる事でジュディもドーピング可能なら、同じ土俵に立って負ける気がしない。
「ファイト・ポイズン・ウィズ・ポイズン。ニック、YOUの域までジュディは登り詰めてみせルワ!」

★★★

 翌日。
 ヘンゼルとグレーテルが消息を絶ち、お菓子の家が目撃されたという森。
 ビリーの『空荷の宝船』が七人の冒険者と一頭の魔獣を風切り音のみで運ぶ。魔獣は船底に逆さまに張りついている。
 空飛ぶ宝船は森の縁まで来て、高度を低くし、止まった。
「ここから森へ徒歩で行こうや」
 レッサーキマイラがぶら下がる様に地へ落ちた後、ビリーを先頭に七人の冒険者は草地に降りた。
 お菓子で出来た大きな家にいたマッチョダルマの男が、家を食って口からビームを吐きながら、捜索者達を追い払った。そんな情報があるこの森は、ここから広いひさしとなって陽の光が届かない暗い影を落としている。
「お菓子の家の情報がありませんし、人質の事も考えますとまずは先行偵察して情報収集かしら」
 クラインは膨らんだバッグパックを背負って森と正対する。
「偵察ならば私も敢行しますわ」
 マニフィカも申し出、厚い書を革のベルトで身にくくりつけた体で森の縁に立つ。
 二人は皆にここで待つ様に仕草でうながすと、まっすぐ森の奥へと進入していった。

★★★

 マニフィカとクラインが暗い森に入って一五分もした頃だろうか。
 森の中のわずかな気流に乗って、甘い香りが奥から漂ってきて鼻をくすぐった。腹が鳴るほどの空腹感に襲われる。食事は十分摂ったはずなのに。
 そこからさらに慎重に進むと香りが強くなり、突然に巨大な影が二人の眼の前に立ちはだかった。
 それはまるで小さな要塞の様なお菓子の屋敷。見たところ、壁と煙突はジンジャークッキー、屋根は粉砂糖のかかったチョコレート、透明な窓はキャンディで出来ている。その他にもマシュマロやグミやケーキ、見た事のないお菓子などが一軒の芸術作品を完成させていた。
 マニフィカとクラインは顔を見合わせた。
 ここに間違いない。
 しかし行方不明の二人の子供、ヘンゼルとグレーテルがいるかはここからでは解らない。
「ではかねてからの作戦通りに」
「ええ、いいですわ。クラインさん」
 クラインはマニフィカに小型の盗聴器を渡した。
 マニフィカは魔導書『錬金術と心霊科学』を両手の内で読みながら、その効力で自らの身体を精神体にした。
 魔導書の効力は短い。マニフィカは急いでこの屋敷に近づいた。壁を通り抜けても入れるが、出来れば中から外に出られる脱出ルートを探したい。
 クラインは近くの藪に火を着ける。
 藪は見る見る内に火を広げていった。クラインは周囲の木の枝や枯れた草を取り除く。火災を大きくするのは本意ではなかった。
「ん? 外に煙が見える様だが」
 屋敷の中から聞き覚えのある男の声が聴こえた。
 裏口のビスケットのドアが開き、白い調理師姿の男が出てきた。
 ニックだ。
 間違いない。今は痩せているが。
「火事か。誰か来ているのか」
 ニックがドアから離れた隙を狙ってマニフィカは裏口から入り込む。
「……風で枝同士がこすれて火が着いたか」
 とっさに木の陰に隠れたクラインの姿を、ニックが見逃した。
 調理師は裏口のドアの飾りとなっているドーナツをむしり取り、一口かじった。
「うーまーいーぞーっ!!」
 突然叫んだニックの上半身が膨張し、口から青白い光線がほとばしる。
 ゴハンッ! それは火の着いた藪へ命中し、火も燃料になる物も全て吹き飛ばした。

★★★

「今ぁ、ニックの声が聴こえたみたいなぁ」
 リュリュミアの耳はぽやぽや〜と遠くの音を拾った。
「煙が見えますわね。あの方向に目標があるんでしょう」
 アンナは緑の天蓋を抜ける細い煙を見逃さなかった。
 今はその煙も消える。
「あっちみたいでっせ」
 レッサーキマイラが煙があった方角へと前脚を突き出した。
「皆、宝船に乗ってや。ギリギリまで空から近づいてみるん」
 ビリーは船に乗るように皆にうながした。

★★★

 家の中であちこちのドアを覗いていたマニフィカは部屋の一つで閉じ込められていたふくよかな少年を見つけた。ヘンゼルだ。
 丁度その時、魔導書の効力が切れ、元の物質体に戻った。
「お姉さん! 何者なんですか!」突然の銀髪美女の出現にベッドに座っていたヘンゼルは驚いた顔をする。両手首が鎖で結ばれている。
「あなたとグレーテルを助けに来ましたのよ。グレーテルは何処かしら」
「妹は怪物コックの手伝いをさせられて調理場にいます。……あいつは僕を太らせたら料理の材料にするって……」
「まあ!」
 怪物コックとはニックの事に違いないだろう。
 マニフィカは少年を思わず腹の辺りで抱きしめた。
 ヘンゼルは見つけた。
 後はグレーテルだ。
 マニフィカはとりあえずヘンゼルにこっそり盗聴器を仕掛ける。それの出番はない気がするが念の為だ。
「ニックが帰ってこない内にグレーテルを連れ出しましょう。調理場は何処かしら」
 その時、廊下でドアの一つが騒騒しい音で開け放たれ、誰かがノシノシと歩いてくる足音が聞こえた。
「へ〜ン〜ゼ〜ル〜!? まさかとは思うが〜この家に〜誰かを手引きしてたりしないだろ〜な〜?」
 確かにニックの声だ。
 足音は近づいてくる。
 ヘンゼルはヒッと怯え、マニフィカに強くしがみついた。
 精神体化の時間が切れたマニフィカはすぐにニックに見つかるだろう。
 マニフィカは少年を背後にかばいながら『水術』を発動させた。
 空中からの水流のほとばしりは潮の香りがほのかに香った。それは塩分を濃く含む海水だった。
 その放流はこの部屋の壁や床、天井をまんべんなく濡らし、ふやけさせた。
 ニックのドーピングが美食の技ならば、味を壊滅的にしてしまえば効果を失わせられるだろう。
 それは自らも美食に長けている人魚姫の確信だった。
 しかし……。
「家が大きすぎる……」
 この食の要塞の規模は、マニフィカの予想を超えていた。
 ガリガリクンッ。
 廊下で何か固い物をかじる音がした。
 次の瞬間。
「美味いぞ!」
 声と同時に青白い光線がドアを撃ち抜き、室内の二人をギリギリかすめて窓際の壁まで破壊した。ジュース!と焼ける音がする。
 マニフィカは思わずヘンゼルを抱き寄せた。
「何だ。お前は病院で見た気がするな……。ヘンゼルとグレーテル捜しでも頼まれたか」
 廊下のニックはマニフィカを見つめつつ、ふやけたビスケットのドアをメシッ!と蹴破り、かじりかけの大きなプレッツェルをさらにかじった。

★★★

「ここがお菓子の家でやんすか!?」
「みんな!」
 隠れているクラインは、残りの冒険者達の到着を待ち焦がれていた。そして、それは叶った。永い時間に思われたが実質五分くらいだ。
「こいつは……美味そうでやんすね」
「アホな事言ってる場合か! ニックは中やな。マニフィカさんも……中か! ほな助けに行くで!」
 よだれを垂らしているレッサーキマイラを黙らせ、ビリーは家に近づいた。
 お菓子の家の大きさは皆の想定を超えていた。
 その時。
「美味いぞ!」
 ニックの声がして、館の逆端にあったジンジャークッキーの壁を青白い光線が貫いて外へと飛び出した。光線はそのまま外の森の木を裂き倒す。
「あそこですわ!」
 いち早くアンナはローラーブレードで地面をダッシュした。
 皆も走ってその場に駆けつける。
「何だ!? 貴様らは病院で見た奴らだな!?」
 ニックの声。
 壁の大穴から部屋の中を覗ける。
 そこには調理師ニックと、マニフィカとふくよかに太ったおびえる少年がいた。
「わたくしと未来は裏口の方に回って、グレーテルを探しますわ!」
 クラインと未来はこの場から離れ、あらかじめ解っている裏口へ回った。リュリュミアもそちらへ回る。上手くいけば挟み撃ちも出来るだろう。
「この俺の至高にして究極の菓子の餌食になりに来たか! よかろう! 全員、豚骨の代わりにダシを摂ってやるわ!」
 ニックは片手に持ったプレッツェルを全て口に放り込む。すると逆三角形の上半身の筋肉が一段とバンプアップした。
 振り回された太い腕によるラリアットをアンナは間一髪よける。ゥドンッ! ふやけた菓子の壁が破片として飛び散った。
「今や!」
 ビリーは大振りの隙を突いて『神足通』で部屋の中へ飛び込んだ。ヘンゼルの傍まで瞬間移動すると彼の手を掴む。
「逃がすか!」
 ニックは手近にあったジンジャークッキーの壁をむしり取り、口の中へ放り込む。
 しかし。
「まーずーいーぞー!」
 海水でふやけた菓子を食ったニックはそれを吐き出した。彼の美食感覚では到底容認出来ないほどのひどい味。
 ニックは部屋を飛び出して廊下に逃げた。海水を浴びてない建材を食いに行ったのだ。
 ヘンゼルとビリーは壁の穴から外へ飛び出した。
 マニフィカもいったん外へ出る。
「グレーテルが!」
「しまった! きっと調理場へ人質をとりに行ったに違いないですわ!」
「オーキードーキー! 任セテ!」
 ヘンゼルとマニフィカと入れ違う様にジュディが壁穴から館へ侵入。続いてレッサーキマイラもとびこむが、それは壁の穴に身体がつかえてハマってしまった。

★★★

 かまどの調子を見ていたグレーテルが驚いた。
 筋肉ダルマになったニックが調理室のドアを打ち砕きながら入ってきたからだ。
「どけ! 燃料を食べさせろ!」
 ニックがグレーテルを突き飛ばして、薪の様に積まれていた大きなジェリービーンズを口に頬張った。
 滑走するアンナはドアのなくなった戸口から突入。
「美味いぞッ!」
 青白い光線を口から放つニック。
 アンナはその直緯線的な攻撃を円の動きで回避する。二度三度と切り返し、シェフ帽の調理師に肉迫する。
「注意がお留守!」
 アンナのモップは比較的細身なニックの足首を集中攻撃した。
 調理師はバランスを崩してかまどへと倒れ込む。
 グレーテルが悲鳴を挙げた。
 調理師の死に驚いたのではない。上半身を生焼けにしたモヒカンのニックがすぐ起き上がったからだ。その火傷は傍にあったロリポップを口に入れる事で見る見る治っていく。
「うーまーいーぞー!」
 今度は綿菓子を口にしたニックが光線を吐こうと口を開ける。
 その瞬間。
「これでどうです!」
 とびこんできたクラインが背負っていたバックから筋弛緩剤の大びんを取り出し、中身をニックの口にある綿菓子にぶちまけた。それらの飛沫は周囲の食材をもコンタミする。
 しかし。
 ニックの光線は勢いが衰えない。筋弛緩剤は経口では効き目がないらしい。
 アンナは跳びすさる、足元のハードチョコレートの床に光線が当たって大きな溶解孔が出来た。
 しかしクラインの筋弛緩剤はニックの手元にある食材を不味くする事には成功している。
「こんな物はもう食えん! フーフー……クワッ! トウ! フゥ」
 ニックが新たな食材として選んだのは上方だった。その下半身のたくましい筋力でダイブする。
 調理場の天井を突き破って、大跳躍はその巨身をチョコレートの屋根に乗せた。
 そしてチョコの屋根とジンジャークッキーの煙突を手で折ってメシャメシャむさぼり始める。
 一段階。二段階。食べるほどに筋肉がレベルアップする。
「食べるだけでパワーアップ出来るのならわたしだって!」
 瞬間移動。テレポートで突撃してきた未来は。ニックの前で屋根のチョコを手で折って、自分の口に次次と放り込んだ。
 すると超ドーピングの効果が即座に現れた。超能力JKの身体はアスリートの域を超えてどんどん輪郭を膨らませる。
 とうとう未来の服は、下に着ていた『超ビキニアーマー』だけを残してバンプアップの勢いに耐えきれず、はちきれてしまった。
 超アスリートボディに超ビキニを食いこませた未来はチョコレートの屋根にすっくと立つ。
「JKごときが俺の食の千年王国に入城してくるんじゃないッ!」
「マジオニ美味しー!」
 ニックは叫んで光線を吐くが、それは未来が口から吐く光線に相殺された。
 その時、ニックの空けた穴からも巨女が跳躍して家内から屋根へと跳びあがってきた。
 屋根を足元でくぼませるジュディはすぐさま両掌で足元のチョコレートを削ぎ掻き、口の中へと大量に放り込んだ。
「ファイト・ポイズン・ウィズ・ポイズン! デリーシャスネ!」
 筋肉質ではないニックがドーピングしてもしょせん付け焼刃。元から筋肉質なジュディは更にその筋力をレベルアップさせる。鋼の造形物の様な見事なマッスルだ。
「くそっ! お前もか!」
 ニックはジュディに向かって光線を吐いた。
 ジュディの吐いた炎の如きエネルギーがそれを受け止めた。
 炎は吐く時間と共に勢いを増し、段段と色が白く眩しく変化していく。音も金切り音の様に高音化し、遂には硬質な金属色のプラズマジェットとなった。
 ジュディのプラズマは、ニックの身を直撃して後方へ弾きとばした。
 カシッ! ニックの手がかろうじて屋根の端を掴んだ。
 筋肉の力でその膨体を屋根へと引き戻す。しかし。
「しまった! ドーピングしすぎで疲れが来たか……」
 普段から鍛えているわけではないニックの身体に痙攣が走る。アンナが見立てていた通り、長期戦は不向きだったのだ。
 そのニックを未来はテレキネシスで追撃する。両腕をまっすぐに持ち上げたダブルラリアットがヘリコプターの様に身体を高速回転させ、太い腕を相手の顎にシックス・コンボを決める。さらに空中で身体を逆さに捕まえ、超能力で高速回転しながら、真上へ飛び上がった。
 スクリュー・パイルドライバー。
 きりもみの大威力はニックの脳天で屋根を突き破り、さらに階下へと墜ちていく。
「マッスル・ドッキング!」
 ジュディのひねりを加えた直下突撃。二mを超える鬼神は逆さになっているニックの足裏に自分の足裏に合わせ、勢いを増したツープラトン・スクリュー・パイルドライバーが彼女の体重も加えて炸裂した。
 ネギィ!
 地階のハードチョコレートの床に、ニックの頭がスクリュー気味に突き刺さった。
「これがナックルの代わりネ!」
 ジュディが笑って拳を自分の掌で受けとめた瞬間、さかしまのニックは首を支点に床に倒れた。
 完全決着。
 気絶したニックを確保し、冒険者達は無事に兄妹の身を助け出したのだった。

★★★

 リュリュミアはあついものやからいものがにがてだけどあのかれぇはおいしかったですぅ。
 このいえもおなじこっくさんがつくってるんですよねぇ、ちょっとだけあじみしてみますぅ。
 あぁあまい、したからからだじゅうにしみわたるくらいあまいですぅ。
 ここはおかしのくに、せかいじゅうがきらきらとかがやいてますぅ。
 もうリュリュミアはあまいじゅえきをたっぷりたくわえたサトウカエデのたいぼくですぅ。

「ああっ! 今まで大人しくしてたと思ったリュリュミアさんがいきなり家の中で暴れまくっとるぅ!?」
 家のしょっぱい壁をかじって脱出してきたレッサーキマイラが、廊下で暴れ出したリュリュミアの脅威を皆に報告した。
 戦闘が終了したばかりだと思っていた家の中で、床に根を生やした植物性淑女リュリュミアは一口かじったシュガーラスクを手に触れるもの全てを投げ飛ばしていた。
 やたらと眼がキラキラしている。どうやらこっそり食べていた家のお菓子でトリップしてしまったらしい。
「姐さん! お気を確かに! ……って、おごふ!」
 背後から押さえ込もうとしたレッサーキマイラが、巻き込まれる様な滑らかな動作でその顔面に膝を叩きこまれていた。見事なココナッツクラッシュだ。
「あかん! 予測不可能なリュリュミア空間や! あのペースに巻き込まれたら無事ですまへん!」
 ビリーは叫ぶ。
 首魁を取ったジュディと未来もこれを相手にどうしたものかと戸惑う。彼女を相手に暴力ですますわけにはいかない。
 そのアクションはバナナストレッチなのか、まるで表現力豊かなダンサーの様にくねくねしたリュリュミアは手に届くもの全てを食べ始めている。
「ははっ! これはいいじゃないか!」しぼんだ肉体をロープで縛られたニックが喝采を送る。「予測不可能! 未来は未知数! 全てはメチャクチャ! これこそ混沌というものだ!」
 クラインはその言葉にニックは混沌の信者『ウィズ』だと確信した。
 そして背の大荷物から筋弛緩剤の小びんを取り出す。普通の動物相手にこの薬は効かないかもしれないが……。
 クラインは小びんのコルク蓋に突き刺して、筋弛緩剤をニックから取り上げていた純金の注射器に吸い上げた。
 そしてそれを投げる。
 リュリュミアの肩に注射器は突き刺さった。
「あぁ、今、リュリュミアに向かってごみを捨てましたねぇ。森にポイ捨てする人はお仕置きですぅ」
 リュリュミアはカエデの木の如く手を広げながらクラインに向かっていく。
 だが。
「……ちにゃぁ」
 突然、その身が脱力して床に倒れ伏した。
 注射器の筋弛緩剤はリュリュミアの身中に浸透したのだ。
 こうして最後に余計なものがくっついた全ての戦いは終わった。
 こっそり物を食べないように『羊たちの沈黙』みたいなマスクを着けられたニックを前に立たせ、ヘンゼルとグレーテルを村へと帰しに行く。
 無事に兄妹は家族の元へ帰された。
 ニックは裁判にかけられ、牢獄につながれる事が決定したのだった。

★★★

「ブラックカレーをずっと食べさせられていたなら、ヘンゼルとグレーテルの命が危険ですわね」
 クラインはそう考えて病院でヘンゼルとグレーテルを入院治療させる事を考えたが、どうやら二人はブラックカレーを食べさせられてはいなかったようだ。
 お菓子の家を食べさせられていたならその依存症も考えたが、二人は普通の(それでも美味かったらしいが)食事を与えられていたという。ドーピングでのパワーアップで逆襲される事を考えていたのかもしれない。
 これは何より二人の安全を考えていたアンナにも嬉しい事だった。
「まあ、料理の腕は本物みたいだし、ちゃんと反省してまっとうな料理人になってくれたら……そしたら今度は、あなたが作ったカレーも食べてあげるよ」
 未来はそう言ってニックの事を王前裁判で弁護した。
 ギャル言葉の散りばめられた弁護により、ニックの罪は想定よりかなり軽くなり、監獄の厨房にコックとして働かせてもらえる事となった。
 この弁護は孤高の料理人だったニックには随分とありがたかったらしく、筋肉のしぼんだニックは滂沱の涙でこの減刑を受け入れた。
「ニックの料理が食べられる分、このプリズン、牢獄はずいぶんとお得なんじゃアリマセンカ」
「料理を食べにくる目的で犯罪が増えたりしなければよいのですが……」
 そこまで言って、ジュディとアンナは「まさかねー」と顔を見合わせた。
 夏の辛さのカレーが無性に食べたくなった。

★★★