『病院でカレーを食う』

第1回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★

「アツがなついでんなー」
 暑い陽射しの中で基本的なボケをかますのは、大きい身体で噴水池をピチャピチャ歩いているレッサーキマイラ。
「めっちゃヒマやのー。なんぞオモロイことあらへん?」
 麦わら帽子の濃い影の中にいるビリー・クェンデス(PC0096)は悪ガキ共がレッサーキマイラにタッチしては逃げる、ピンポンダッシュの様な遊びをしているのを眺めている。
 とある好天に恵まれた昼下がり。一部のマニアから『野外グルメの聖地』と呼ばれているらしいパルテノン中央公園の片隅では、その元凶(?)である座敷童子と人造魔獣のコンビが食後のリラックスタイムを満喫していた。
「こんな暑い日には大きな氷をかいて甘い蜜でもかけた、あの白い奴を食いたくなりまんな」
「それ、ボクに催促しとるん?」
「めっそうもない! ……でも弟子の希望をちょっとでも汲み取ってもらえたら是非……」
「結局どっちやねん。……暑い日には辛い物を食うたらええとも言うな」
「トンガラシやカレーよりはかき氷の方を……」
「決めた! カレー出したる」
「兄ぃ〜。……どうせカレーライスなら『ブラックカレー』なら……」
 取り出した『打ち出の小槌F&D専用』を振ろうとしたビリーの手がその言葉に止まる。
「なんやそれ? ブラックカレー?」
「あれ。兄ぃ知らないんでっか」途端、レッサーキマイラの獅子頭と山羊頭がマウントを取った様に得意げになる。「最近ウワサの病院の黒いカレーでやんすぜ」
「なんでカレーが黒いねん! ……あれや、イカ墨でも使うとるとちゃうんか。知らんけど」
 イカ墨を利用した料理といえばスパゲッティやパエリア、それに塩辛が有名だ。それらはその真っ黒な見た目はインパクトが強いけど、なかなか美味らしい。
 そう考えると噂の『ブラックカレー』も期待できそう。
「まあチョコや黒パンやかりんとうやて黒いしな」
 福の神見習いはいっそう眼を細めて陽射しを眺めた。
 いわゆる世間様で評判が高いという事は、すなわち芸の肥やしにもなるはず。
 であれば積極的に体験すべし。恐らく打ち出の小槌にはインプットされていない料理だから、実際に味わう必要があるだろう。
「いっちょその病院に行ってみるか。ほな、れっつらごー♪」
「兄ぃ、是非ともご相伴させてもらいまっせ〜」
 ビリーとレッサーキマイラは飛空船『空荷の宝船』に乗って噂の震源地である病院食堂を訪れる事にした。

★★★

 名馬ロシナンテを自称し、老騎士ドンデラ・オンド公&従者サンチョ・パンサら遍歴の騎士一行として諸国漫遊中のジュディ・バーガー(PC0032)はとある町の病院にご老公を担ぎ込んだ。
 すっかりイーユダナ湖の湯治で神経痛やリウマチが改善した事に油断し、ぎっくり腰を発病したのだ。老人あるある話と言えるだろう。
「はい。アーンするネ」
 切った桃を細いフォークに刺して、ベッドの老公の口に運ぶジュディ。
 すっかりフランクな社交性で病院関係者や他の患者とも仲良くなった。
 しばらくは入院して経過を見る事になる。
 とすると幾らか金が財布から出ていく。こればかりではいけない。
 看病のサンチョを残し、ジュディは入院費用を稼ぐ為に地元の冒険者ギルドへと向かった。
 そして大掲示板の片隅にひっそりと貼り出されていた依頼書をめざとく見つける。
「ホスピタル内の薬物が頻繁に盗まれているので、それを調査してホシイ?」
 ブラックカレーの話題が冒険者達の口端にのぼる事が多いこの町の『冒険者ギルド』の大掲示板にひっそりと隠れるかの様にその依頼書が貼り出されていた。
 一口三〇万イズムだと書かれたその依頼は「他言無用、絶対秘密を守れる冒険者向け」と注意書きが添えられていた。病院から薬物が持ち出しされていると解れば、大事件だ。病院はこの事件自体を伏せて、内内にすませたいのだ。
 偶然にも、老公が入院中のこの病院が依頼主だ。
「これはグッドタイミング! お見舞いと依頼が同時に出来るじゃナイ!」
 早速、あまりにも好都合すぎるこのクエストを受けるジュディだった。

★★★

 このオトギイズム世界を代表する巨大なライブラリー。その名も『王立パルテノン大図書館』。
 あまりにも規模が大きすぎる為、膨大な数量を誇る蔵書群を把握している司書は皆無といわれている。
 仮に現代的な図書館であれば電子管理システムという解決法を利用出来るけれども、この世界の書架の片隅で埃を被ったまま、忘れ去られている書籍も数知れず。
 そんな知識の迷宮、もとい殿堂に、今日も今日とて足繁く通う人魚姫の姿が。
 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)。
 そんな彼女がたまたま手にした本もそんな一冊だった。
 ブリア=サヴァラン著『美味礼讃』一八二五年版。
 原題は『味覚の生理学。或いは、超越的美食学をめぐる瞑想録』。
 文科学の会員である一教授によりパリの食通達に捧げられる理論的、歴史的、時事的著述。
 フランス語で書かれた希少本らしい。
 この希少本に感化され、すっかり食通の気分に浸りながらマニフィカは図書館の喫茶室で優雅なティータイム。
 そんな折、懐より『故事ことわざ辞典』を取り出した。
 頁をめくると「嘉肴ありと雖も食らわざればその旨きを知らず」の文言。
 試してみなければ真価は解らない。実際の食体験も大切という意味か?
 再び紐解けば「働かざる者食うべからず」という記述が眼に入る。
 羅李朋学園の甘粕会長と彼が行っているという非生産者追放を思い出し、マニフィカはちょっと複雑な気分に。
「わたくしもちょっと急かされた方がいいかしら」
 そんな事を考えながらその町の冒険者ギルドを訪れるマニフィカ。
「まあ」
 冒険者ギルドの大掲示板を覗いたマニフィカは、そこで病院から薬物が盗まれているという秘密厳守のクエストに興味を魅かれた。
 ひっそりと隠れるかの様に貼られた依頼書。
 事情通な人魚姫は、巷で話題のブラックカレーを提供する食堂の属する病院が依頼主と気づく。
 これも「嘉肴ありと雖も食らわざればその旨きを知らず」の文言の導きか。
 異常なほど美味である為に中毒者すら生み出すブラックカレーと、その病院で盗難されている幻覚効果のある薬剤。
「この二つは関連性がありそうですわね……」
 この世界でカレーは珍しい料理。もしかしたら羅李朋学園の関係者か?という可能性に思い当たって、マニフィカは映画喫茶『シネマパラダイス』を来訪する事にする。
「あー。マニフィカさーん」
 シネマパラダイスのオタク達は、スクリーンでDAI〇ONWのオープニングアニメを観ていた。
「ちょっと調べてほしい者がいるのですけれど」
「えーと、この病院のまかないさんが元学園生徒かどうかを調べればいいんですね。……ちょっと一日待ってください」
 マニフィカはオタク達のネットワークを頼った。
 その日は冒険者ギルドの高級な部屋に泊まり、翌日あらためてシネマパラダイスを訪れる事にする。

★★★

 依頼を受けたアンナ・ラクシミリア(PC0046)は盗まれた薬の種類、薬効について確認していた。
 念の為、薬自体に味やスパイスとしての効果があるかどうかも。
 彼女は盗まれた薬が、本当に噂のブラックカレーに使われているかどうかについてはかなり疑問に思っていた。薬は無味無臭か苦い物。入れたからといってカレーが美味しくなるとは思えない(個人の感想です)。
「やはり噂のコックとは別に犯人がいる可能性が高いのではないかしら。何にしても盗まれる薬の種類から盗む目的を絞り込めれば」
 病院側に依頼を受けた者であると伝え、特定の効能がある薬が狙われているのか、それとも単に高い薬が盗まれているのかのを調べ上げる。
 すると、値段が高いわけではなくても幻覚の副作用がある物、筋肉を育てる様なドーピング検査に引っかかる危険薬物の類いだけが盗難されている事が解った。
「……依存性が高い物もありますね。……これは二四時間張り込む必要があるでしょうか」
 アンナは病院に潜入する為に、左腕にギプスをはめた入院患者としての偽カルテを作ってもらった。
 そして入院した同じ病棟にドンデラ公がぎっくり腰で入院しているのを知るのだった。

★★★

「高額報酬は魅力的ですけど、色々と裏がありそうですわ」
 クライン・アルメイス(PC0103)は幾ら内内にすませるとはいえ、窃盗犯逮捕としては依頼報酬が高すぎる事に興味を引かれていた。
 最悪、こちらが窃盗犯として濡れ衣を着せられる事まで想定して慎重に行動し、特に薬物及び実力行使を警戒する必要がある。
「冒険者への依頼を決めた責任者は、病院のどなたなのかしら」
 会社の力を使って、依頼人を調べ上げる。
 しかし病院長やその病院周りから怪しい線はのびていなかった。
 秘密厳守については具体的には、犯人の逮捕までを隠密に行うのか、その後の処理はどこまで手伝うのかを依頼主に確認した。
 例えば、犯人を逮捕したとして、外部に公表せずに内々にすませるには王国の治安部署への口止めも含めて秘密裏に引き渡すコネクションが必要になると思われた。
 直接会ったカバの様な院長によれば目星さえつければ拘束はこちらで行うという。
「しかし横流し目的なら高額な薬品だけのはずですが、薬効目的なら安価な薬品も含まれますわね」
 クラインは自ら盗まれた薬物の品目をチェックして、犯人の動機を調べる。
 すると、値段が安い高いに限らず入手困難な幻覚の副作用がある物、筋肉を育てる様なドーピング検査に引っかかる危険薬物ばかりが集中的に盗難されている事が解った。
「危険かつ高額な薬であれば横流しのルートもある程度絞れるかしら、オトギイズム王国にはネットオークションなんてありませんし」
 そういう風に病院や薬物の関係者を調べていると、知人であるアンナと、ジュディの関係者であるドンデラ公が最近病院に入院したという情報を掴む。
 どうやら馴染みの冒険者達がこの病院近辺で動いているらしい。
 クラインはその事を念頭に置きつつ、独自調査を更に進める。
「賭博などで経済状況に困った職員の横流しの線から当たるのがセオリーかしらね」
 会社の組織力を駆使して病院職員の情報収集を行い、経済状況に困った職員もしくは最近派手に遊んでいる職員などを調べて当たりをつける。
 するとその方面では特に目立った人間は引っかからなかった。
 どうも薬物が闇相場に影響を及ぼした事はないらしい。
「いずれにせよ、犯罪を行って普段と全く変わらない人間なんてそうそういませんし、何処かで態度にボロが出ますわ」

★★★

 朝である。
「その料理長は羅李朋学園とは関係ないみたいですね」
 マニフィカはシネマパラダイスのオタク達から調査結果を受け取った。
 現在、この映画喫茶では『ミス△ー味っ子』という料理アニメを上映していた。
「元学園生徒じゃないのでしょうか」
「ええ。そのコックの名前は『ニック・マンソン』。年齢二五歳。身長一七五センチ。痩せ形で、黒髪のモヒカン。 元元オトギイズム王国の出身で今の病院に流れ着くまであちこちでトラブルを起こしてますね」
 活字印刷されているそれをマニフィカは読んでみた。
 ニック・マンソン。
 代代家族として料理を極めんとしたコック一族の長男。
 好奇心旺盛。新しい物好き。
 究極のメニューを求める求道者。
 様様な方法で究極の味を求めるが、人道的に問題のある方法を試し続けていた為、各地の町を追われ続ける。
 素晴らしい料理の腕を持ちながらも「美味しい料理を作る為なら手段を選ばない」「食の為なら人体実験も殺人も許される」「料理の力を信じられない者は料理人なんかやめてしまえ」という性格でこれまで色色な町のレストランでトラブルを起こし、病院の食堂に流れてきた。
「なかなか香ばしい人間の様でございますね」
「トラブルは目立つのでそれを探すのは楽でしたよ。……あ、それから調査の過程でアンナさんやクラインさんがその病院の事を調べているという情報も入ってきましたけど……」
「アンナやクラインが……?」
 マニフィカは思いがけない知己の名前に少し驚いた。
 が、依頼が出されているなら、冒険者として受けたというのは不思議ではない。
 嘉肴ありと雖も食らわざればその旨きを知らず。
「どうやら、実地に見に行く必要があるかしら」
 オタク達に経費を支払い、冷たい紅茶を一杯飲み干すとマニフィカはシネマパラダイスを出た。
 暑い夏。黄金の陽射し。青い空に白い雲
 マニフィカは頭上の空をビリー達の空荷の宝船が宝船が通過していくのに、その時は気づかなかった。

★★★

 おやぁ、なんだかにぎやかですねぇ。
 みんなどこへ行くのでしょうかぁ。
 とてもおいしいびよういんのかれぇですかぁ。
 おもしろそうだからついていってみますぅ。
 わぁ、すごい行列ですねぇ。
 今日の分は売り切れでしょうかぁ。
 え、わたしの分まにあいましたかぁ。
 じゃあ、たべてみましょうかぁ。
 リュリュミア(PC0015)の眼の前に給仕がブラックカレーを運んできた。

★★★

「うーん。言われてみると、埃まみれの犬が夏の陽射しの下で水に濡れた様な匂いがするなぁ……」
「兄い、そこまで具体的に語らんでも……わて、そんなに不潔でっか」
「ちょっと、そこらで井戸水でもしっかりかぶってきた方がええかもなあ」
 病院の玄関でビリーとレッサーキマイラが一つ、コントをかましていた。
 いや、実際にはお笑いではなく、真剣な日常の一コマなのだが。
 朝。料理屋ニックが勤めているこの病院食堂にやってきたビリーは、ひと騒動を見物しに来た観衆の中にクラインとアンナとジュディの姿を見つけた。
「ビリーも来たのですか」とクライン。
「わたくしはちょっと怪我しちゃって」とアンナはギプスの腕を見せる。
「ドンデラ老がストレインド・バック、ぎっくり腰になっちゃっテ……」とジュディ。
 挨拶をすませた冒険者達は水浴びに行ったレッサーキマイラを待たず、食堂の方へ行った。
 病院は開いたばかりだったが長い行列が外までのびている。食堂のブラックカレーはもう今日の分が終わりかけている。
「ちょっと待ちぃや! 最後の一つはボクが食う!」
 慌ててストップをかけたビリーは最後に間に合う。
 あらためて食堂の中を見回してみるとさらに知人を見つけた。
「今日もいい天気ですねぇ」
 光合成淑女リュリュミアが窓際の席に座っている。ほかほかの黒いカレーライスも一緒だ。
「わたしはまにあいましたよぉ。熱くて辛い料理はちょっと苦手ですけど、野菜がたっぷり溶け込んだるぅは楽しみですねぇ。しっかりふぅふぅして味わいますぅ」
 周囲では早速、客が配膳されたブラックカレーを食べ始めている。
「うーまーいーぞー!」
「ああったまらん! よだれズビッ!」
「どどんがどーん!」
「この料理を作ったのは誰だー!」
 食堂の常連達が思い思いにブラックカレーの美味を表現している。まるで食通パフォーマンス大会だ。
 まるでくす玉を割って色紙の紙吹雪が舞う様な食堂の華やかさ。
「あれは美味しそうというより……何か危ないお薬をキメちゃってる感じだよね」
 食堂の観衆の中に紛れ込んでいた超能力JK姫柳未来(PC0023)はパフォーマンス大会でカレーを食べた人達の表情を見て、素直な感想を述べる。
 病院に迷い込むかの様にマニフィカもやってきた。
 リュリュミアは銀色のスプーンに乗せたブラックカレーを丹念にふぅふぅして冷ます。香辛料のふくよかな匂いが鼻孔をくすぐる。
 ビリーはブラックカレーのコールタールが如き真っ黒なルーに「こんなモン食えるんか?」と恐れおののく。スプーンを持つ手が震える。
「じゃぁ、いきますよぉ」
「ぼくもいくでぇ」
 皆の視線が二人に集中する。
 リュリュミアとビリーは同時にブラックカレーのさじを口に入れた。
 二人の舌に乗った複雑な辛さが口腔を刺激し、過激な旨味として一瞬で身体中の神経に広がる。
 音が眼に見え、映像が耳に鳴り響いた。
 ……意識が爆発した。
 ビリーの周囲に食い〇おれ太郎の服を連想させる濃赤と純白の縞縞空間が現れ、飛び交う原色のUFO達が宇宙戦争を始めた。
 リュリュミアの全身から虹色の芽が生え、それらは炎の様な葉を枝分かれさせながら、くるくると歯車の様に噛み合う幻色の花束として部屋を縁取った。
 勿論、それらが見えているのはビリーとリュリュミアだけ。
 だが、光景は二人にとってはまごう事のない現実だった。
「なんちゅうもんを食わせてくれたんや……こんな美味いカレーは味わった事ないで! まるでカレー将軍の宝石箱や〜」
 ビリーは堤防が壊れた様にとめどなく涙がこぼれた。
「なにか眼がものすごく冴えますぅ〜。スパイスのかっかっとした感じが光合成を五倍増しにしてる感じがするわぁ」
 植物的な感想を述べるリュリュミアの瞳はキラッキラに輝いている。
 リュリュミアの精神状態は自分の一部である服にも作用し始めた。ヘアバンドとベビードール風にファッションが変容し始める。
 そして二人はこのブラックカレーを食べている他の皆と同じ行動に移った。つまりせわしく残りのブラックカレーを食べ始めたのだ。まるで何かにとりつかれた様に。
「兄ぃ! 危ない!」
「OUCH!」
 突然、レッサーキマイラが席上のビリーに横から体当たりして突き飛ばした。
 椅子の上を入れ替わったレッサーキマイラはそのまま半分ほど残っていたビリーのカレーを皿ごと食べる。
 …………!!
 どうやら、この魔獣もカレーによって意識が飛んだようである。
 心なしか体毛がペイズリー風にカールし始めたレッサーキマイラはサイケ・ロックの感じで大声で歌い始めた。
「AAH♪ HERE IS GREAT HEAVEN〜♪」
 このレッサーキマイラの行動。観ていた者達は唐突すぎて驚く。
「あんさん……ボクを救おうとして……」
 しかしビリーは魔獣の行動の意味が解っていた。
 福の神見習いは親指による指圧と『鍼灸セット』の針で、自分に対して効きすぎているカレー効果を解毒する。
 七〇年代風のヒッピー調に変身していたリュリュミアの精神状態も指圧と針で治癒させ、元に戻す。
 そして最後にレッサーキマイラを解毒した。
 クラインはこの隙にリュリュミアの皿にあったカレールーを試料としてシャーレに採取する。
「おやおや。何か騒動でもあったのでしょうか」
 皆の騒めきがおさまらない食堂。その厨房から一人の男が出てきた。
 調理服を着たその男は、マニフィカが既に知る特徴と全てが一致していた。
 ニック・マンソン。
 シェフ帽にモヒカンは隠れているがこのブラック・カレーを作ったはずの若者だ。
「どうでしょうか。俺のブラックカレーは楽しく味わっていただけましたでしょうか」
 そう率直に訊ねてきたニックに、食べたビリーとリュリュミアとレッサーキマイラは複雑な顔をした。どうでもいいがニックがレッサーキマイラを見る眼は、食材を吟味する眼だ。
「美味しかったです。本当にとっても美味しかったです」
 リュリュミアは答えた
 ビリーもそこのところは大きく同意する。しかし……。
「カレーが美味しかったのは食べてた皆の様子を見てても解るんだけど……」そう意見を挟んだのは皆の食事をじっくり観察していた未来だった。「……何ていうか、食べるという行為に対して失礼な気がする……」
 その言葉を聞いた途端、調理師ニックの顔に動揺が走った。
「お、俺の料理がし、失礼だと!?」ニックがまるで自分の表情を隠すように掌で顔を覆った。指の間から見開いた黒い眼が見える。「フー、フー、クワッ! こ、こ、この俺の料理を、ジェ、JK如きがし、知った風な事を!」
 ニックから冒険者達は物凄い敵意を感じた。
 敵意は彼だけではない。
 さっきまでブラックカレーを食べていた食堂の常連客全員から、まるで攻撃の様な鋭い敵意が浴びせられてきた。
「何だ! ニックさんに逆らうのか!? ブラックカレーのよさが解らないのか!?」
「この味にケチをつけるとは何様のつもりだ!
「美食が解らないとはお子ちゃまな舌だな。フッ」
「ブラックカレーのよさが解らない奴はけえれ!」
 今にも物が投げつけられそうなムードになったが、冒険者達は彼らを相手に戦闘をするわけにもいかずこの食堂を退散する。特にアンナとジュディはこの病院に世話になっている身。トラブルを起こすのは得策ではない。
 勝ち誇った様な、それでいてまだ苦情に動揺しているニックの姿を後にしながら皆は食堂を退散する。
 しかし帰り際の皆は気づいていた。
 今、自分達に野次を投げかけている食通達の眼は、未来が言った様に何か危ない薬をキメちゃってる眼なのだと。

★★★

 病院の灯りが落とされた深夜。
 今夜、現れるかどうか解らない薬盗人を待ち伏せる冒険者達が薬品保管庫の中に隠れ、寝ずの番をしていた。
「怪我は大丈夫でしょうか」
 自分と同じ暗がりに潜んでいるアンナの腕のギプスを見ながら、クラインは心配そうに小声で話しかける。彼女は何が中毒の引き金になるか解らないと病院内の飲食物は水も含めて何も口にしていない。
「大丈夫ですわ。実はこのギプスは潜入調査の為の偽装ですから」
 アンナはギプスをはめた腕を軽く振り回し、小声で答える。
 大きな身体の為に隠れるスペースが限られているジュディは、薬品保管庫の狭さに押し込められながら暗闇で愛蛇『ラッキーセブン』を慈しむ感触で気を紛らわす。
 夜も更けた。
 この薬品保管庫は若干の例外を除いて、正規に薬剤を持ち出す看護士しか現れていない。
 若干の例外とは、ここを逢引の場としている患者と看護士、または医師と看護士のカップルがたまにやってくる事だ。
 ここでコトを始めてしまうカップルを、隠れて見張っている身としては追い払うわけにもいかず、コトの始終をあてつけられる様に見物させられる羽目となる。
 そんなしょうもない事で時間を食われながら、今夜はすでに日付が変わっていた。
「また来たわ」
 未来の声に心を引き締めながらも、皆は「また逢引のカップルが来たのか」とうんざりした顔は隠せない。
 だが、今度は雰囲気が明らかに違った。
 白衣のお局様っぽいナースが一人きり。明らかに周囲を気にする、おどおどした態度で保管庫に入り込んできた。
 それでいて大胆に保管庫から薬を選んで手持ちのバッグの中に放り込んでいく。
 盗もうとしている薬剤はリストアップされていた盗まれている薬剤と一致している。
「とっかーんッ!」
 突然、未来の叫びと共に天井裏からJKのヒップが降ってきた。
 丸みを帯びた白い下着は、そのナースの驚いて見上げた顔を、落下の勢いに念動力による加速をプラスしたヒップアタックで押し潰す。
 床にぶつかって割れるかと思われた薬瓶をスライディングしたジュディの手が危うく拾い上げた。
「そこまでです! 無駄な抵抗をしないでください!」
 アンナもナースを押さえつける係に参加する。
 尤もナースは未来の尻に敷かれ、もう抵抗する気を失くしている風に見える。
「やはりあなたでしたのね」クラインは未来のヒップがどいて見える様になった犯人の顔に、事前調査通りだったと納得した。「もう犯人の目星はついていたのよ。現行犯で逮捕しますわ」
 ロープで手首を縛られた白衣のナース。すっかり観念した様子を見せている。
「まったく、何で薬を盗もうとしたの。お金に困ってたとか?」
「ブラックカレーの最初の一口はいつも私の物なの!」
 詰問した未来に対し、ナースが見当外れの様な答を返した。
「どうやら、あのコックが絡んでいるようですわね」
 アンナは別の犯人がいると思っていた自分の推理が残念ながら外れていたと覚る。
「何故ニックにクーペレーション、協力してたカシラ」
 そのジュディの問いにナースは頬を染めた。
「あの人には危険な魅力があるの……」
 らしからぬ『恋する女』を見せられた皆はちょっとだけ呆然とし、
「ともかく薬を盗んでいた犯人は見つかったんだから、その事を院長に伝え、秘密裏に犯人を運ぼうよ」
 未来の言葉で皆はナースを囲んで薬品保管庫を出た。
「……盗んでいた薬は全部ニックに渡したのですね」
 アンナの言葉に犯人はうなずいた。

★★★

 クラインが自社『エタニティ』に分析させたところ、ブラックカレーの成分の一部と病院の薬物保管庫から盗まれている薬物はほぼ一致するという。ほぼ、というのは恐らく今のブラックカレーは完成品ではなく試行錯誤しているのだ。
 早朝。患者の受付が始まる前の病院に冒険者は病院のガードマン達と共にやってきた。
 食堂は既に仕込みをしていると思ったが、そうではなかった。ニックは既に身に起こる異変を覚っていたらしい。
 コック姿のニックが玄関前に仁王立ちの体で、早朝にやってきた冒険者達を待ち受けていた。
 冒険者達の先頭にはこの病院の院長がいた。
「……ニック君」院長がでっぷりとした指をニックに突きつけた。「長い間この病院の為に勤めてきた君に悪いが、クビにさせてもらう。それと君を犯罪者として王国に引き渡さねばならん」
 料理長はその言葉に何ら動じていない。
「遅かったな。たった今、ブラックカレーの完成品が仕上がった」ニックの手には黄金色のシリンダーを持つ長細い注射器が握られている。最初それを見た人間達は何を意味しているか気づいていなかった。「数えきれない食材、薬物を緻密なバランスで配合し、特殊な味つけを施して煮込む事七日七晩、血液や尿からでは決して検出されず、なおかつ薬物の効果も数倍、血管から注入(たべ)る事でさらに数倍!」まさか!?と思ったがニックがその注射器の太い針を服の上から自分の腕に突き立てた。ギュゥゥゥゥゥ。親指がピストンを押すと、浮き彫りになった血管が内容物を身体の隅隅にあっという間に運んでいく。「永年に渡る研究の成果……俺の究極の料理、ドーピング・ブラック・カレーだ。さて、この俺が逃げるのを止められるかな」
 変化は速やかに起こった。
 生ゴムの如き筋肉。服が破れる。ニックの四肢がまるでボディビルの達人の様に、いや人間の筋肉の膨張率の限界を超えて膨れ上がった。
 手を乗せた寸胴がクシカッ!と音を立ててペシャンコに潰れた。
 今、ここにいる者はかろうじて人間の形をした筋肉の塊だ。それは美食の感動に打ち震えている。
「うぅーまぁーいぃーぞぉー!!」
 叫ぶとその感動は口から放たれる太いビームとなり、院長の前に立ったガードマン達を捉えた。
 コシァン! 頑健なはずのガードマンの肉体はまるでボーリングのピンの様に薙ぎ倒された。その下敷きになった院長が潰れたカエルの様に鳴く。
 ニックは光線を吐いたまま、首を振った。
「あかん! かわすんや!」
 ビリーの言葉に彼の仲間達はとっさにしゃがんだ。
 アンナのギプスをはめた腕が光線がかすめた。本当にかすっただけだったのに石膏のギプスが粉粉に砕けた。腕が痺れる。
 リュリュミアの身はまるでヨガ・ダンサーの様に足を大きく広げて地に沈んだ。
 クラインはグラマラスなボディを地に伏せさせる。
 未来はテレポートする。
 ジュディは大きな身を必死な俊敏さで低く沈めた。
 マニフィカは大きく右に低く飛んでいた。
 皆の上を光線が行きすぎた。
 トンカッ! 光線は病院棟の一つに命中し、固い石造りの建物を震わせ、大きな傷を作った。
「グランパ!?」
 反射的にジュディは叫んでいた。あの棟はドンデラ公の病室の近くだ。
 光線を吐き終わったニックが冷却するかの様に息を鋭く吹いている。
 次の瞬間、死角から飛び込んできた未来のテレポート・キックを太い腕でブロックして弾き返す。手には麺棒が握られている。
「この俺をパワーだけだと見くびらない方がいいぞ」光線をひと吐きし、自分が働いていた食堂を軽く壊すニック。「今、食の究極にたどついた俺はあらゆる料理にブラックカレーと同じ効果を持たせられるようになった。その料理を材料として『食の要塞』を作ったらどうなるか。……いや、今はこれ以上は言うまい」
 次の跳躍は彼の肉体を大きく空へ運ぶものだった。
「俺は食の千年帝国を作るのだ!」
 真夏の太陽にまぎれた彼の影は行方をくらませた。街の何処かへ着地しているはずだが、すぐにそれを追えない。
 恐らく大跳躍か猛疾走で街中を逃げたはず。
 この町から脱出したという予想が現実的だろう。
 病院は大混乱の真っただ中にあった。
 それでも破壊された病院でガードマン達はかろうじて生きていた。ビリーの指術が命をつなぎとめ、病院の中へ運ばれる。
 ジュディはドンデラ公の様態を気づかって公の元へ走ったが、彼とその従者の無事はすぐに明らかになった。
 ここが病院だったのは幸いかも知れない。怪我人を治す態勢は万全の場所だ。
 院長も生きていたが、秘密裏に事を進めたかった病院はこの騒ぎで世間の矢面に立たされるだろう。

★★★

「何や。何で作れんのや」
 後日。ビリーは打ち出の小槌からブラックカレーを出そうとしたがそれは失敗に終わった。
「兄ぃ。打ち出の小槌はブラックカレーを食べ物だと認めるのを拒んでるんじゃないでっしゃろか」
 レッサーキマイラの推理は多分真実なのだろう。

★★★

 夏。
 皆がニックの行方を見失って一週間。
 また一つ、奇妙な噂が市井に流れてきた。
「森の奥に、お菓子の家がある」
 いつの時代も子供がそんな噂としていた森で『ヘンゼル』と『グレーテル』という兄妹が行方不明になった。
 勿論ふもとの村の大人達は捜索隊を組んだ。
 そして蹴散らされて逃げ帰ってきた。
「お菓子で出来た大きな家にいたマッチョダルマの男が、家を食って口からビームを吐きながら、俺達を追い払った」
 捜索隊のそんな奇妙な妄想の様な報告を信じる者は最初はいなかった。だがあまりの真剣さに他の村人達は押し切られた。
 お菓子の家からヘンゼルとグレーテルらしき声を聞いたという者もいる。
 村人達はヘンゼルとグレーテルの捜索を、冒険者ギルドに一人頭五万イズムの依頼として張り出した。
 冒険者ギルドに震撼が走る。
 依頼を読んだ者達の幾人かはその依頼を逃げた調理師ニックの行方として考える。
 お菓子の家。
 食の要塞。
 この二つを考えてみると共通点がある様な気になってくる。
 そして、その森の方角は、病院から逃げたニックの逃げ去った方角とぴったり重なるのだから。

★★★