『狼男達の午後』

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 濃紺の空にちりばめられた星座が、今にも降ってきそうな夜。
 所用を終えたビリー・クェンデス(PC0096)が子供に不似合いな、人気のない、暗い夜道を走っていた。
 一緒に家路を急ぐのはペットの金鶏『ランマル』。
 簡素な街灯もまばらな町の道を走り、角を左に曲がった四辻の道端に突然、それはあった。
 街灯に照らされた、紫のクロスをかけた小さなテーブル。
 そこに座った、黒いストールを肩にまとったその老婆は如何にも怪しかった。
「そこの坊や」
「何やの、お婆さん。ボクに何か用でっか」
 呼び止められたビリーは、老婆の前に立ち止まった。
「何ね、わたしゃ、ただの辻占い師なんじゃが……坊やは気になるねえ……」老婆はしわの中に爛爛とした眼をしていた。「おやおや、悩みを抱えていなさるね? 隠しても無駄じゃよ。全てお見通しさ……うひひ」
 ビリーは少し驚いた。もしかしたら自分が人間ではない、座敷童子だと瞬時に見抜かれたのだろうか。
「しょうもない事、言わんときや。あ、毒林檎ならいらへんで」
 ビリーは老婆の雰囲気に似合った、軽いジョークを返し、再び走り出そうとした。
「迷ってるんじゃろ」老婆はよどみなく言い切った。「人生に」
 ビリーの足は動かなかった。
 思い当たる事がある。
 人生、いや神様の見習いとして神生と言うべきか、確かに最近の彼にはふとした事からある悩みがつきまとっていた
「……ぶっちゃけ『善悪』って何やねん?」
 ビリーは呟く様に言いながら、肩掛けバッグの中のミニチュア『通天閣』を意識した。ある意味、自分の本質である、それを。
「善悪かい。それは『世界』にもよるね」老婆はタロットカードを混ぜながら答えた。「『バウム』では神以上の存在によってはっきりと善と悪が区別されている世界もあるし、善悪は人のあらゆる立場なりのものの見方でしかない世界もある」
 ビリーはその答には不服だった。自我を得た、つまり誕生した時から、ビリーが立派な神様を目指して修行する事は当然だった。ところが『バウム』で様様な世界を巡る内に、いつの間にか漠然とした不安や疑問を覚える様になってしまっていた。
 経験を積むと同時にその迷いは濃くなっていった。
 善悪って何や?
 それはビリーの心の内側にこびりついた錆の如き問いだった。
 その彼の足元で、ランマルが心配そうに主を見上げる。
 老婆は一枚のタロットカードをめくって、絵柄をビリーに見せた。
 ナンバー0、愚者。
 能天気に行く先を見ないで危険な崖へと歩いていく若者と、それを呼び止めようと吠える犬が描かれたメジャー・アルカナ。
 ビリーはうつむき、そして声を挙げた。
「だから、きっぱり善悪とは何やねん。納得出来る答が出ないなら、ボクは料金を一銭も払わんで」
 空虚。
 顔を上げたビリーの前には誰もいなかった。
 占い師もテーブルも何もなく、油で燃える街灯の火に集まってきた、大きな蛾の羽音だけがそこにあった。
 最初からそんなものはなかったというムードが濃い。
 全ては夜の中の出来事だった。

★★★
 寝醒めのさわやかなある朝の事。
 優雅なモーニング・ティー。
 脚のある人魚姫、マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は、ある町の冒険者ギルド二階の居酒屋を喫茶室代わりにし、紅茶をたしなんでいた。
 勿論、ギルドが兼業する居酒屋に高級な茶葉などない。
 庶民的な簡易なティーバッグが用意してあるだけでも上等といえるだろう。
 しかし、オトギイズム王国には元元ティーバッグというものはなく、それらは他の世界からの輸入品となる。庶民的な物を求めると割高な輸入品を使う事になるとは皮肉なものだった。
 ティーバッグ。
 Tバック。
 マニフィカは紅茶を飲みながら、ふと連想して過去の記憶を思い出していた。
 『赤い流星』事件で関わったセクシーお転婆娘、赤頭巾サンドラ・コーラル。
 どうして彼女を連想したのだろう?
 もしや紅茶が赤いから?
 ティーバッグという言葉から、いつもTバックの革服を着ていた彼女を連想した?
 いやいや、そんな駄洒落でもあるまいし、とマニフィカは一人、苦笑する。
 あれはいつ頃の事件だったか。
 考えながら、テーブルに置かれた趣味の読書の友『故事ことわざ辞典』の頁をめくる。
『縁は異なもの、乙なもの』。
 もしくは、
『縁は異なもの、味なもの』。
 眼に入った文語は、解説によると「異性関係以外で使うのは本来は誤りだが、異性関係以外の結びつきにも使われる」という事らしい。そこには一期一会にも通じる深い哲学をマニフィカは感じる。
 朝の雰囲気を十分、堪能したマニフィカは、階下のホールの大掲示板を覗いてみる気になった。
 山賊討伐。
 護衛任務。
 盗掘の仲間募集。
 ダンジョン探検。
 魔法の実験体。
 所狭しと様様な依頼書が貼りだされて並ぶ大掲示板。
 それを眺めていた彼女の眼にある一つの依頼書が飛び込んだ。
『パスツール地方の森にある祖母の家まで護衛として同行してくれる冒険者募集。
 報酬は一人、三万イズム。
 依頼者、サンドラ・コーラル』  見覚えがありすぎる名前だ。
『縁は異なもの、乙なもの』。
 故事ことわざ辞典の一節が脳裏でリフレインする。
 えにし。
 瞳の光沢が消えた虚ろな眼になったマニフィカは、これも最も深遠に坐す母なる海神の導きと覚悟した。
(サンドラ……恐ろしい子!)
 偶然の一致とは思えないあまりにものタイミングに、彼女はこの依頼を受けるという選択肢を選ばずにはいられなかった。

★★★
 パスツール地方の丘の間を行く。
 あの時の風景は赤いチューリップだらけだった。
 三人の若い女性が歩く。
 サンドラの依頼を受けた者は一人ではなかった。
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)も一緒の道中。やはり『赤い流星事件』を共に駆け抜けた仲だ。
「確か、前に会った時もおばあ様の家へお使いに行かれてませんでしたっけ。おばあ様は、森で一人暮らしをされているのですよね」赤いTバックのレザー・ボンテージ・ハイレグのサンドラと並んだ、アンナは彼女に尋ねる。赤頭巾サンドラの後ろにつくと、嫌でも彼女の独特のファッションが眼につくので並んで歩いていた。
「どういう経緯で今の状態になっているのでしょうか。一緒に暮らすご予定はないんですの」
「祖母は町の中より、一人でも森の中ですごしたいって言ってる人だから」
 サンドラの答は簡潔なものだった。
「今までも一緒に暮らそうって言ったんだけど、森の方がいいって。幸い、すこやかで身体もよく動くみたいだし」
 サンドラの露出過多な格好は町では大勢の男達の眼を惹きつけた。無遠慮な視線を投げ掛けてくる輩には、アンナは視線に割って入るくらいの気持ちで護衛していたが、今ののどかな田舎道ではもうそういう心配はない。
 暖かな陽射し。
 さわやかな風。
 全くもって安全な道中だ。
 トライデントを使う必要もない、とサンドラのきわどいレザー・ボンテージを眺めながらマニフィカは思う。
 思い起こせば『海底大戦争』事件で一騎打ちした、海の剣豪ギガポルポ氏も用心棒だった。
 用心棒。やんごとなき姫君であるマニフィカは基本的に守られる側だが、逆の立場も人生経験として有益なはず。
 自由奔放すぎるサンドラにはこの道中でもついつい小言を挟んでしまうが、それはそうとしても自分にも跳ね返ってくる、何となく気恥ずかしい気分を味わざるをえなかった。
 じゃじゃ馬な姫君として王族の問題児でもあったマニフィカは、タイプは異なるにせよ、彼女の言動が理解出来る。同族嫌悪としては笑えるレベルであるが、まるで鏡を覗く様な微妙な気分だった。
 この道はいつか来た道。
 何処で知ったかを憶えていないこの歌が、自分の心にある素直な思いだった。
 本当に自分自身を鏡で見ているかの様な、赤頭巾のじゃじゃ馬さだ。
 やがて、三人は陽射しを陰らせる森へ入った。
 サンドラの案内で彼女の祖母が待つ一軒家をめざす。

★★★
 昼前の事だった。
 パスツールの森に近い町にある冒険者ギルドでは、今、一枚の冒険依頼書が掲示板に貼りだされた。
『狼男を倒して子供達を助けて下さいメエ』
 依頼書の概要はこういうものだ。
 メエ、という語尾に首をひねりつつも二人の勇者がこの依頼に色めきたった。
 身長二メートル超のアメリカン美女、ジュディ・バーガー(PC0032)はとにかく持ち前のシンプルな正義感が燃えあがる。
「まさにジャイティスの出番デスネ! ラッキーちゃん、アー・ユー・レディ?」
 首に巻いた、彼女が愛するポールパイソン『ラッキー』がシャーと鳴いて応える。
「こんな可哀相な依頼者、ほっておけないよ! この愛と正義の超ミニスカJK、姫柳未来が敢然と悪に立ち向かうよ!」
 困っている人は放っておけない、ミニスカ茶髪の美少女、姫柳未来(PC0023)は明るい声でポーズを決める。
周囲に他人がいる事を忘れたスカートのひるがえりだ。
 この時、二人は混雑した受付ホールで初めて互いの存在に気づく。
「OH! ミライ!」
「あ! ジュディ!」
 二人は人ごみをかき分けて駆け寄り、ハイタッチで再会を称えあう。怪力のジュディのタッチに、未来は圧倒される。
「未来もこのリクエスト、依頼を受けるんデスネー!
「ジュディも受けるんだよね! 一緒に頑張ろうね!」
 二人は依頼書をあらためてマジマジと見つめる。
「セーブ・ザ・ゴート・キッズ、デスネー!」
「狼男ハンティングだね!」
 すっかり意気投合した二人はその勢いのままにギルドの外へ出て、ジュディのモンスターバイクへ飛び乗った。
 ジュディは首に巻いた愛蛇を優しく撫でながら、バイクのアクセルを吹かす。
 依頼人は困っているだろうから不謹慎かもしれないが、エンジンの拍動と共に気分が高ぶる。
 未来は安全ヘルメットを装着する。
「ブレイブ! ブレイブ! ガン・ホー!!」
 こみ上げる高揚感をジュディは雄叫びで表現し、追い風を受けたような勢いでアルコール・エンジンの二人乗りバイクは駆け出す。
 ダッシュからの加速はエンジン音の大きさに連れて速くなり、馬車や人が往来する街路を爆走。それはギルドの建物をあっという間に遠ざかった小さな風景にした。
 ……と、突然、そのスピードにブレーキがかかった。
「エート……ディッド・エニイホエア・タウン、依頼があったのは何処の町デシタッケ?」
 運転手の大きな呟きにタンデムシートの未来を含め、見送っていた町の人間がカクッとこける。
 件の依頼書は別の町から飛脚を使って運ばれてきた複製物で、依頼のそもそもの現場はここではない。
 ちょっと格好悪いがギルドまで引き返した二人は、あらためてオリジナルの依頼が出された町の名をじっくり確認し、そこへとバイクを走らせた。
 やがて、その町に着く。
 依頼人である生きたぬいぐるみの山羊の親子はその町の冒険者ギルド二階にいた。
 未来とジュディは「大丈夫よ。必ずお兄さん達は助けてあげるからね!」と依頼受理報告と共にエールを送る。
 「よろしくお願いしますメエ」と感謝交じりの声を受け取った二人はテンションを更にハイにした。
 そしてエンジン音はその町を去った。

★★★
「けったくそ悪いやっちゃな! ほんまに」
 それが冒険者ギルドでその依頼書を見たビリーの第一印象だった。
 三匹の子豚をバーベキューにする為、レンガの家を攻略する仕事。
 グレゴリー・ウォルフガングという男の依頼だ。
 幾ら冒険者がフリーダムだといってもこんな依頼が出されて、喜んで引き受ける者がいるとは思えなかった。依頼報酬が八万イズムだと割高だといってもだ。
 なのに、今、ビリーはグレゴリーと一緒にパスツール地方の森の中を歩いていた。
 ギルドではプリプリと怒っていたビリーだったが、ふと心に魔が差してしまった。
 善悪って何や?
 最近、何かがあるにつけ、必ず思い出してしまう言葉だ。
 謎の辻占いに出会った不思議な体験もあり、ずっと忘れられない。
 そもそも悪を知らずして善を成せるだろうか?
 例えば孫子の『兵法』でも「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」と説いている。
 この依頼は悪について学べる絶好の機会かもしれない。
 こうして、やめろと言わんばかりについばんでくるランマルをよそに、ビリーはあえて依頼を受けたのだ。
 グレゴリーという人間は屈強な中年だった。
 全身毛深そうで、何よりも左右のつながった黒く濃く太い眉毛。
 シャツの下で膨れた、そこらの妊婦より非常に膨満感のある腹。
 ビリーと森を歩いていると親子ほども年の離れた、不似合いな仲間に見えるだろう。
 そして、もっと、この二人に不似合いな三人目の彼女も同行している。
「♪ぶたぶたこぶたぁ、とべないぶたはただのぶたぁ」
 乳白色の肌をグリーンとタンポポ色で彩った植物系女子のリュリュミア(PC0015)は、何処かで聞いたといううろ憶えの歌を歌いながらついてくる。
 何故、バイオレンスと無縁な彼女がグレゴリーの依頼を受けたのか、それは多分、FBI超能力捜査官でなければ解らない事情があるのかもしれない。とにかく彼女はぽやぽやーと二人と歩いている。森の小鳥のさえずりも彼女専用のBGMの如しだ。
「それにしてもグレゴリーさん、お腹が苦しそうですねぇ。ちょっと太りすぎじゃないですかぁ」リュリュミアは言いながら自分のバッグを漁り始めた。「確か消化をよくする草があったと思いますけど、いりますかぁ。……おかしいですわぁ。確かにここにあったんだと思ったんですけどぉ」
 歩きながらバッグをかき回しているリュリュミアを振り返りながら、グレゴリーが自分の腹を叩いた。
「腹が膨らんだ割には全然、栄養になりゃしねえ。全く、ぬいぐるみってのは腹の足しにならねえな。丸呑みしたのが失敗だったかな。でもそうするのに丁度いいサイズだったし」
 リュリュミアは解っているのかいないないのか、ぽやぽやーとしている。
「この森の中に美味そうな婆さんが一人で住んでる家を知ってるんだ。子豚のトコへ行く前にその婆さんを食って精をつけよう。そっちの方が子豚のトコより距離も近いし」
 恐ろしい事を言うグレゴリーが歩みを早める。
 二人も追って、足を速める。
 平然とそんな事を話すグレゴリーに、ビリーは虫唾が走るという感覚を初めて味わった。人間を気軽に「食べよう」などと言う者がいるのかとショックもあった。
 グレゴリーが自慢げに笑う。「俺の凄いマジックアイテムを見せてやるぜ」
 木陰から漏れる光が、恐ろしげなダンダラ模様で三人を染め抜いていた。

★★★
 祖母の家と言えば、赤頭巾。
 では赤頭巾と言えば、何でしょう?
 答:狼。
「何か、変な奴が接近してるんだけど……」
 時刻は午後になっていた。
 森の祖母の家に美味しいパンと美味しいワインとスズキのパイ包み焼きを届けた赤頭巾サンドラが、森と溶け合う様な庭の風景を眺めながら警戒の声を挙げた。
 窓にはまっている格子の隙間からアンナとマニフィカも近寄ってくる者達を認める。
 家の中にいる三人は心配しない様にと祖母に言うと、それぞれに武器をとり、窓越しによりいっそうのまなざしを向けた。
 森の中から現れたのは、シャツの下の腹を膨らませた毛深そうな中年男。いかにも粗野だ。
 そして知り合いの二人だった。
「ビリーさん? リュリュミアさん?」
「何で二人が? あの男は怪しい人じゃないんですの?」
 マニフィカとアンナが何度も冒険を繰り返した二人の友人がだ。
 相手側に似合わない二人だ。しかし人違いではない。間違いなく本人だ。ビリーの足元にはペットのランマルもついている。
「ちょっと様子を見た方がいいみたいですね」
 アンナは窓越しの注視を続ける。
 マニフィカは祖母の方を見たが、彼女も勿論、こんな粗暴そうな中年男を見たのは初めてらしい。
 アンナとマニフィカが庭にいる友人に平和的な挨拶を送った方がいいかを躊躇していると、面識のない中年男が行動を起こした。
「見てな」
 家の庭に入り込んだグレゴリーが、ビリーとリュリュミアにそれ以上は近づかない様に手で促し、ベルトの貴重品入れから、角笛を取り出した。
「『大風の角笛』だぜ」
 如何にも風に関係ありそうな流麗な象牙色のデザイン。グレゴリーにはそぐわない。
 彼は繊細なデザインのそれを太い唇にあて、一軒家に向かって大きく吹き鳴らした。
 吹き鳴らされる大音響。
 一軒家が大きく震え、大木が一斉にざわめく凄まじい突風が発生した。
 土煙。家が嵐の中に法込まれた様にまるで天井や壁がめくれ上がり、庭にあった花壇や低木等が根こそぎ地面から引きがされて宙に舞う。柱の折れる鋭い音もした。
 これにはビリーやリュリュミアも驚いた。本当にいきなり、ここまでやるとは。
「ちぇっ。木の小屋みたく、一発ではイかなかったか」
 一軒家はもうすぐ半壊という有様だが、崩れはせずに形を保っている。
 だが、もう一発、今の規模の突風を浴びせれば全壊するだろう。
 グレゴリーが凄まじい肺活量で息を吸い込むと角笛を口に当てた。
 次の瞬間、ビリーとリュリュミアの行動は決まった。
 彼を止めようとしたのだ。
 彼らより早く、グレゴリーを止めたのは崩れかけた家の中から飛んできたナイフだった。
 銀刃が角笛を持つ手の甲を傷つけ、グレゴリーの攻撃を制する。
 崩れかけた家からマニフィカとサンドラが飛び出した。疾走は素早く距離を詰め、サンドラの持つナイフ、マニフィカの持つトライデントがまっすぐグレゴリーへと突き出される。
「ちぃっ! ばばあ一人だけのはずなのに!」
 それをかわすグレゴリー。サンドラのきわどくエッチなコスチュームを見つめた彼の身体は、大きな反応を示した。
「ウォーッ! 食いてええっ!」
 叫んだグレゴリーが突然、変身した。
 シャツもズボンも破れた。身体が巨大化したと思えるほどに全身を覆う毛が長くなり、逆立って、実際、全身の筋肉も膨れ上がる。
 口吻は前方にせり出し、耳まで避けた口が黄色い牙をむき出しにして、手の指先が凶悪な鉤爪と化す。
 耳の位置は頭上となり、毛だらけの尾がズボンの尻を破って外へ飛び出した。
「ワーウルフ!?」
「ウルフマン!?」
 マニフィカ、そして家の倒壊の中でレッドクロスを身にまとってサンドラの祖母を守っているアンナは、同時に男の正体を表す声を挙げた。
 左右の眉毛がつながったグレゴリーは狼男だった。
「グォーッ! 押し倒してムシャムシャ食いてぇーっ!」
 グレゴリーが叫んで、サンドラの動きを追う。
 狼男の様な怪物に追われるのは初体験だろう赤頭巾サンドラが、悲鳴を挙げて逃げ始めた。
 家の中から、崩れそうな天井から老婆の身を守っているアンナは『サクラ印の手裏剣』を片手で投擲。
 手裏剣はグレゴリーの眼の下に当たり、狼男をひるませた。
 マニフィカはサンドラの白い尻を追っているグレゴリーの脇腹にトライデントの突きを入れる。
 硬い筋肉にはね返されながらも狼男に傷を負わせた。
 畜生!と叫んだグレゴリーは狙うターゲットをマニフィカに変えた。
 ブリンク・ファルコン。マニフィカのバトルスキルによる俊足な突きが狼男の爪を弾き、右肩に傷を負わせる。
 狼男が更なる突きを警戒してか、上方に三メートルも跳ね上がると後方宙返りしながら着地。家内から飛んできた手裏剣は、左手の爪で弾き返す。
「撤退や! グレゴリーさん!」離れて戦場を見ていたビリーは、狼男に声をかけた。「こいつらは強いでっせ!」
「ちっ!」狼男は膨らんだ腹を撫でながら舌打ちした。「腹の重みが栄養にならずにハンデになりやがる!」
 グレゴリーが踵を返し、ビリーとリュリュミアと一緒に逃走を開始した。
 マニフィカとアンナ達から見て、逃げていくビリーとリュリュミアは、悪い事をしている処を見つかった小さな子供の様に思えた。
 襲撃者は森の中へ消えていった。
 マニフィカとサンドラは彼らを追わずに、家屋崩壊から老婆を守って支えているアンナを助け出す。
 三人でゆっくりと慎重に引き出す事で、家はこれ以上は崩れず、サンドラの祖母は庭まで無事に運び終えた。
「これはもう大掃除の範疇じゃないですわね」
 アンナが家の惨状を眺めながら呟いた。
「おばあさん! 大丈夫!?」
 サンドラが祖母につきそい、無事を確かめる。アンナの赤い装甲で破片から守った彼女に怪我はない。ただ、あまりの事に腰を抜かしている様だ。
「ビリー……リュリュミア……」
 どういう事情があるかは知れないが、あの剣呑な狼男と行動を共にしている二人の友人を、マニフィカは真摯に心配した。それは普段は楽観的な彼女の心に小さな棘を刺した。

★★★
「畜生っ! 順番を逆にする! 子豚の野郎どもを食べて精をつけてから、再びあの婆の家を襲おう! それにしてもあの赤頭巾……ぐへへへへへ」
 獣面になってもはっきり本音が見える毛むくじゃら狼を先頭に、ビリーとリュリュミアは森の獣道を歩いていた。
 野兎にも出会わない。野生動物達は狼男の体臭を嗅ぎ取り、遠くにいる内に逃げてしまうのだろう。
 崩れた家はもう背後の光景にない。
 目指すは三匹の子豚の家だ。
「そういえばぁ、家が崩れちゃったけど皆、大丈夫でしたかしらねぇ。でも、彼女達、象が踏んでも壊れないみたいだからぁ、心配ないでしょうねぇ」
 リュリュミアはいつもの調子でぽやぽやーと歩く。この事態をものともしない平和さ加減は、ノーベル平和賞の候補になってもいいほどだ。
 二人の後をランマルと一緒に歩くビリーは、どうにも居心地の悪さを感じなていた。
(こんな奴と一緒のところをマニフィカさんとアンナさんに見られてしもた……)
 罪悪感が腹の底に少し溜まっている。
「グレゴリーさんは人間の姿に戻らないんですかぁ」
「ああ。新鮮な喜びがあるとなかなか戻れねえんだ。なぁに、よくある事よ」
 リュリュミアの質問に狼男が答える。
「あ、そや」ビリーはしがらみを振りほどく様に首を振り、そしてグレゴリーを見上げた。「ええ作戦が思いついとるんやけど、これ、どないかな? そのグレゴリーさんの『大風の角笛』一本分の値打ちにならへんかな」
 暗い森の中。グレゴリーが踏む獣道を見失わない様に意識しながら、ビリーは『子豚のレンガの家』攻略作戦を聞かせ始めた。
★★★
 森の中。午後になってからいい加減、時間がすぎている。
 サンドラの祖母の家から西に五十分ほど歩いたところにある、広く開けた場所の赤茶色の小屋。
 三匹の子豚『プー』『ペー』『ポー』兄弟の三男『ポー』が建てたレンガの小屋だ。
 その傍には小屋と同じほどの高さがある、干し草の山があった。
 この中にジュディと未来は隠れていた。ジュディのバイクは愛蛇のラッキーを入れた飼育箱と一緒に、ここから離れた所の干し草の山に隠されている。
 二人はここで七匹の子山羊を襲った犯人である狼男を待ち伏せていた。
 ここを待ち伏せ場所に選んだのはジュディだ。
 冒険者ギルドの不健全な酒場で裏社会筋の冒険者達に接触した彼女は、狼男の特定を試みた。そこで情報を集め、この種の犯罪者は自分の縄張りで犯行を重ねる傾向が強いという結論に至る。
 現場となった森の周辺で類似の事件が発生してないかを要確認。
 そして三匹の子豚の依頼を募集したグレゴリーという男の話が耳に入った。
 その男の異常に膨らんだ腹も決定打だ。
 それで、ここで待ち伏せとなった。
 もう数時間、干し草の中に隠れていた。
 蒸し暑い。
 汗で服が肌に張りついていた。
「フゥー。オルモスト・ライク・サウナ……まるでサウナみたいデス……」
「せめて陽が暮れるまでしっかりやらなくちゃね。……といっても来ないね」
 二人は待ち疲れしている。
 ここに来る可能性が高い。といっても、今日来るかは解らないのだ。
 わらくずのついた手の甲で未来は額の汗をぬぐう。
 今、レンガの小屋の窓から三匹の子豚が心配そうに自分達を見ているだろう。
 と、その時だ。
「……どや、ええ作戦やろ。扉と窓をふさぐだけで生殺与奪権を握れるし、そうなれば優越感も楽しめる。一石二鳥や」。
 聞き覚えのある声と共に、森の中から見た事のある人間達が現れた。
 ブラウンの肌の小さな子供。
 グリーンドレスにタンポポ色帽子の植物系女子。
 そして唯一、初見の者。人間と狼を混ぜた風体の大きな人型怪物が一匹だ。
 来た! 未来とジュディは唇をそう動かし、人狼に集中しながら、手の武器を握りしめた。
 しかし何故、一緒にビリーとリュリュミアが? 干し草の中で油断なく見張りながらも、二人の脳裏で疑問が渦巻く。こんな男と意気投合する人達とは思えないが。
「狼が来たブー!」
 レンガの小屋の中から子豚達の声がし、閉められているドアがいっそう内側へきつくしまいこまれる音がした。
「じゃあ、この作戦は採用っちゅう事で」
「いいだろう。この角笛はお前のもんだ」
 人型怪物グレゴリーが、ビリーに大風の角笛を渡した。
 そうこうしている内にリュリュミアが無防備な様子でレンガの家に近づいていく。
「わぁ、小さいけどしっかりした家ですぅ。でも、しっくいとレンガだけじゃ殺風景ですよねぇ。せっかくだから、飾りつけをしちゃいましょう」
 彼女は自分の物入れをごそごそし始めた。そして人握りの種をつかみだす。それをレンガの家の周りにぱっぱっと撒いた。
 撒いた種はやたら生長が早く、しばらく経つとレンガの家は薔薇の生垣がある、蔦の絡まる家へと趣きを変えた。
「出来上がりですぅ。なかなか、いい感じになったと思いませんかぁ」
「何してんだ、姉ちゃん」
「あ、グレゴリーさん。レンガの家をどうにかしたいっていう依頼でしたよねぇ」
「どうにかしたいっちゅーっても、ファッションセンスにあふれた、こじゃれたブリックハウスに仕上げてくれって依頼したわけじゃあないじゃがのお」
「え、飾りはいらないですかぁ。かっこいいと思うんですけどぉ。じゃあ『腐食循環』で土に戻すのでちょっと待ってて下さいねぇ」
「……あ、いや、やっぱり気が変わったぜ。姉ちゃん、その草花をもっと沢山生やす事は出来ねえか。もっと沢山、もっと長く、頑丈に小屋を覆うほどだ」
「あ、いいですよぉ」
 グレゴリーの言葉にリュリュミアは『ブルーローズ』の種を取り出すと、その錬金術の生成物をを発動させた。
 無数の青い薔薇が蔓をどんどん伸ばし、レンガの小屋を何周もするほど生長した。ドアも窓も完全にふさいでしまうほど、小屋はグルグル巻きにされてしまう。幾つもの美しい青い薔薇が咲き、小屋はリボンを幾重にも巻きつけられたプレゼントボックスの如き姿になった。
「これだ。これだぜ」
 グレゴリーは獣面を嬉しそうな表情に歪ませると、小躍りするかの様なステップでレンガ小屋の前に立った。
「どうだ、豚ども! 俺を中に入れないつもりだったろうが、こうなった気分はどうだ!」
「と、閉じ込められたブー」
「窓も開かないブー!」
「出してくれブー!」
 小屋の中で三匹の子豚『プー』『ペー』『ポー』が慌てふためいた声を挙げる。ドアや窓に内側から何度も体当たりしている様だが、頑丈な蔦に巻きつかれたレンガ小屋はびくともしない。
 ドアをこじ開けるのではなく、逆に三匹の子豚をレンガの家に閉じ込めるべし、という発想の転換を狼男に献策したのはビリーだった。
「あのぉー」とリュリュミア。「ぶたさん達をいじめるなら腐食循環で元に戻しますよぉ」
「何だ、てめえ! 依頼主様に逆らうのか!」
 グレゴリーがリュリュミアの襟元をつかんで、つきとばした。
 リュリュミアの細い身体が地面に転がる。グリーンのワンピースが泥まみれに。
「あ、何するんや!」
 予想していなかった事態にビリーは顔色を変えて、グレゴリーにつめよった。
 しかし、この事態にたまらずに思わず走りよった彼だけではなかった。
「HEY! 何してるんデスカ! フロム・ハー・ゲッタウェイ、彼女から離れナサイ!」
 わたし達が相手よ! あんたみたいな悪党にかける慈悲はないわ!」
 干し草の山を蹴散らして、隠れていたジュディと未来が飛び出した。ジュディは狼に対する天敵である猟師ならぬ漁師のコスプレをしている。
 これにはビリーもリュリュミアも驚いた。
 勿論、グレゴリーもだ。
 風に乗って周囲に舞い散る干し草の中で、ジュディは担いでいた投網をグレゴリーへと投げた。この投網が漁師のコスプレをしている大きな意味だ。
 だが、空中に大きく広がる包囲を、狼男はその身体に似合わない軽やかさで後方へとよけた。
 かわしたグレゴリーへと未来は突撃。ブリンク・ファルコン。バトルスキルで身体スピードを上昇させる。
 両手に持った『魔石のナイフ』での連続攻撃。
 グレゴリーが危うくもかわす。狼男の右の鉤爪の一振りが、未来のナイフを左右とも手から弾き飛ばす。
 ジュディは取り出したイースタン・レボルバーを発射。萌えアニメのイラストが描かれた痛銃から放たれた電撃弾は、奇しくもマニフィカがつけていた脇腹の傷を痛撃。一瞬、狼男をスタンさせた。  その隙を逃す未来ではない。ブレザー制服の内ポケットから取り出した予備の魔石のナイフ二本でグレゴリーの胸に交差した大傷を負わす。
 鉤爪と牙とナイフと電撃弾が交錯する戦場で、土煙と血の匂いが空気に混じる。
 電撃がグレゴリーの首筋に命中した。
 一瞬のスタン。
 しかし、振り回された毛深い腕が未来のナイフをまた二つとも弾き飛ばした。
 弧を描く鉤爪を、未来は低く屈んで回避。
 そのミニスカの内側に未来の手が伸びる。
 白い太腿の内側。屈んだ未来の下着まで露わになった。
「うおー! ムッシュムラムラーッ!」
 黄色い牙の並び。興奮したグレゴリーが顎をカッと開いて、未来へ突進する。
「ミク!」
 ジュディのとっさの射撃が間に合わない。
 噛み砕こうと迫る牙。
 この瞬間、未来はミニスカの中に隠していた『奥の手』を投げた。
 五本目の魔石のナイフが右手から抜き様に放たれる。
 しかし狼男が少し首を傾げる事で、首筋に突き立つはずだったナイフはかわされてしまった。
 ジュディの射撃。
 狼男は大地を蹴って、三メートル上へと電撃弾を回避。
 未来の頭を噛み砕く軌道を外れたが、戦いをは既に詰んでいた。狼男のたくましい足は真上から未来の胸を踏み潰す姿勢になる。スピードはブリンク・ファルコンを使う未来を上回る。未来の手にはもはや何もない。
「!!」
 未来は『奥の奥の手』を使った。
 サイコキネシス。未来の超能力で、地面に転がった五本のナイフが超高速で跳ね上がる。
 それらの直線は狼男の身体が宙にある内に交錯し、全ての刃が同時に深く突き立つ。
「グゥ…………ッ!」
 空中にある狼男はかわせなかった。
 大きな呻きを挙げ、身体をよろめかせる。
 落下。
 土煙。
 未来を押し潰す事もなく、グレゴリーの身体は転がる如く、地に落ちた。
 急所。特に額に刺さったナイフが致命傷の様だ。

★★★
「隙を見て『神足通』で子豚達とグレゴリーを入れ換えて閉じ込めようとしてたんや! ほんまや!」
 ジュディと未来に、ビリーはそう言った。苦し紛れの言い訳ではない。本当に最初からそうるつもりだったのだ。ビリーとリュリュミアは戦いの時は何も出来なかった。
 皆、特にビリーを責める気はなかった。
 ただ真相が知りたかっただけだ。
 夕刻。死んだグレゴリーの腹はナイフで切り裂かれ、中にいた七匹のぬいぐるみの子山羊達は生きたまま助け出された。
「オオ、よしよし。ドント・フィール・フィアー、もう怖くないデスからネ」
 ジュディが声をかけながら、濡れた子山羊達の身体を干し草で拭う。
 メーメー鳴く、子山羊達の泣き声が森に響く。
 リュリュミアの腐食循環でレンガの家を締めつけていた蔓は土に返り、子豚達は外に出てきた。
「助かったブー」
「ありがとうブー」
「この恩は忘れないでブー」
 三匹との子豚『プー』『ペー』『ポー』と六匹の子山羊は助かった。
 リュリュミア達からグレゴリーの道筋の話を聞いたジュディは、サンドラの祖母の家に一足先にバイクで赴いた。
 そこでマニフィカとアンナと出会い、狼男の最後を話し、半壊した家から家具や調度品を運び出す作業を手伝った。
 やがて皆も集まり、作業に加わる。
 祖母の家はとてもじゃないが、すぐに直せる様子ではない。
 サンドラの祖母はこれを機に、町にあるサンドラの家に引っ越して暮らす事に決まった。
 狼男騒ぎの後始末はこれで大体、すんだ。
 後は子山羊を冒険者ギルドにいるロメオと母親の所へ送り届けるだけだ。
 当然、マニフィカ、アンナ、ジュディ、未来は冒険報酬を受け取れるだろう。
 ビリーとリュリュミアは、グレゴリーが報酬金を冒険者ギルドに預けてあるなら受け取れるはずだ。
 善悪って何や?
 結局、ビリーはその答が見つかっていない。
 ビリーは象牙色の角笛を握りしめた。
 大風の角笛は、悪人から騙し取る事に成功した。
 悪人は友人達の手で見事に討たれた。
 グレゴリーはまごう事なく吐き気をもたらす『邪悪』だった。
 正義の為に邪悪を罠にかけて、騙し打ち取る事は『善』なのか。
 善のはずだ。子供に聞かせるお伽話の様に、峰がスカッとするタイプの。
(でも……)
 釈然としないものがビリーの胸の内に残っていた。
 ビリーは角笛を手に、森の木々の間から空を見上げた。
(いや、善は善。悪は悪。悪を討つのは善。いつにおいてもそれは真実のはずや)
(それでいいんでっか? ビリーはん)
 夕暮れの空にビリーの知っている姿が浮かび上がっている様に見えた。
(あ、くい○おれ太郎さん!)
 懐かしい顔がビリーに見えたのは一瞬の事だった。
 見つめ直しても、オレンジに染まった雲が大きく空に広がっているだけだ。
 ランマルがビリーの足をついばんでいる。
 ビリーは手の角笛を見直した。
 戦利品は罪の証にも思えた。
★★★